| Bワーホリ実態編 〜直筆体験談編 |
![]() 右はただのノートの表紙→ 一応記念に載せておきますが、別に見る必要ないです。 でも、最初の方は2001年頃まで遡りますから、この間何百人というワーホリ&留学生の人が真剣に読み、あるいは書いてきたノートですので、いい具合に貫禄がついてます。皆のオーラも染みこんでいるでしょう。 現在はノート一冊書き終え、またこの状態だと紙も擦り切れそうなので、全部バラしてファイリングし、ルーズリーフ方式にしています。実物が見たかったらAPLaCまでお越し下さい。 ※↓以下、あまりにも大部になったので、新しいものを最初にもってくるように順番を逆にしました。 167頁目 Sさん(女性)です。 彼女は本当に手間がかからなかったというか、大人というか、ルックスも行動も歯切れがよかったです。パディントンのヨーロピアンが殆どという長期滞在用の洋館で、3人部屋週100ドルからスタートしました。この宿はあれから別の人も行ってます。学校後はニュータウンに住んでシドニー大学のカフェでバイト。そのあとメルボルンで半年カフェで働きながら暮らしています。 Sさんで印象的なのは、飄々としながらも物怖じしないスタイルで、すっと空気のようにオーストラリアに馴染んでいってるということです。それなりにイロイロあったのでしょうけど、熱血ドタバタ系ではなく、静かに街に溶け込み、住民として日々の生活をするという。こう書くと簡単そうだけど難しいですよ。こんなにナチュラルに溶け込んでる人は珍しいです。「働いて、休みの日は、買物して、美術館巡りや公園、PUBやマーケットや、、、日本のような生活でしたけど、全てが海外なので、何をしても楽しかったかな」と書かれていますが、これだけ自立して、一人でなんでも出来たら楽しいと思います。また、メルボルンもこういう過ごし方をすると真価がわかるでしょう。「大人のワーホリ」という感じでした。 164頁目 165頁目 166頁目 Hさんです。彼女は学校でよく頑張りました。4ヶ月の間にレベル2からレベル5までいったのは珍しいです。普通一つ上げるのに3ヶ月かかりますから。それを4ヶ月で3つ上げるというのは並々ならぬ努力のタマモノだと思います。学校でも月間MVP候補までいってます。しかし、どんなに努力しても物理的に無理なものは無理ですから(全くの素人にあと一ヶ月でオリンピックで金メダルを取れとか)、逆に言えばこのくらいのことは物理的に無理でも何でもないということです。過去には1ヶ月でレベル2つ上げた人もいますし、要は本人のやる気でしょう。レベル5くらいまでいけるとラウンドも楽しくなります。ということで、ラウンドも楽しんでおられます。イタリア人の彼氏が出来て、一緒に廻れば、それは楽しいでしょう(^_^)。ピッキングではあまり儲からなかったみたいだけど、これも英語並みに根性入れて儲かるファームを探せば絶対儲かるんだけど、でも、彼氏がいたらそんなことどうでもいいよね(^_^)。 わずか9ヶ月ですが、普通の倍速ペースで英語が上達した速度と密度を考えれば、この9ヶ月は濃縮ジュースのように充実していたと思います。「もうお腹いっぱい、これ以上いたら日本に帰れなくなりそう」という言葉を残して帰国されました。だけど、急速に成長しているから最初と最後で考え方、感じ方がかなり変わってきているんじゃないかな。文中、「英語なんか通じればいいんだ、細かいこと気にするな、要はコミュニケーション能力だ」と書いておられますが、同じことを一番最初の時点で僕が力説しています(だから怒らないって)。その意味が実感としてわかるようになったということであり、分かるようになるためにも初期に頑張っておられたからこそだと思います。これ、最初チンタラやってて英語コンプレックス抱いたままだったら、こうは言えないですよ。知らないうちに余裕をもってモノが見えるようになったということだと思います。ブラボー! 160頁目 161頁目 162頁目 163頁目 愛媛出身、大学&仕事は関西というO君です。彼は理系のエンジニアで、電子立国日本を支えるビジネスマンです。おっとりした風貌と物腰は、そのまま小学校の父兄参観に出掛けても何の違和感もないくらいマチュアな感じです。残業残業で7年みっちり働いたご褒美のように、一切仕事をせずに、旅また旅を満喫されました。オーストラリアとNZ制覇し、数多くのツアーに参加しているのでその分お金はかかったそうですが(1年で総額300万くらいだとか)、まあ、それだけ日本でビシッ!っとミッチリ働いたってことですよね。茫洋とした大人的な風格のあるO君ですが、しかし、ラウンド帰りの彼は真っ黒に日焼けしてかなり精悍になってましたね。あれだったら父兄参観日では違和感あるだろうなー。本文にも書いてありますが、彼のブログhttp://blog.goo.ne.jp/ocean_surf11があります。ブログは別に珍しくないのだけど、1年コンスタントに書き続けているブログ、しかもシドニーに引きこもっているわけではなくオーストラリア+NZを駆けめぐりながら更新し続けているブログというのは珍しい。普通ある時を境にブチッと終わったりするのだけど。その点からも彼の堅忍なところがうかがい知れます。文中でもブログでも英語が伸びないとお悩みのようですが、ガイジンばっかりのツアーに参加しまくって、それで楽しめているんだから、それは伸びてるってことですよ。あとスピーキング能力って、本来的に「おしゃべり」かどうかって地の部分が大きいですからねー。で、おしゃべりだったら人生成功か?っていうと別にそんなこともないしねー。ペラペラ願望は日本人に共通してあるけど、ペラペラ喋ればいいってもんでもないです、実社会では。O君だって、旅先から帰ったらもとシェアメイトに無料で泊らせて貰ったり、少なからぬ好意を受けているわけで、コミュニケーションできない人間に人はそこまで好意を示しませんわ。だから十分「俺は出来る」と思ったらいいです。だって出来てるじゃん。 156頁目 157頁目 158頁目 159頁目 埼玉から来たN君です。来たときまだ21才と若く、元気なN君は、印象が強かったです。スキャンしたノートを見て貰えれば”元気”なことはよく分かると思いますが、非常にパキパキした、英語で言うとクリスプな性格の人です。文中、やたら僕のことを持ち上げてくれて「おいおい」とこっ恥ずかしいのですが、斜に構えた若年寄的な部分は一切なく、砂地に水が染みこむような真っ直ぐなN君でした。こういう人は伸びます。文中書いてないけど彼のエピソードは色々あって、180ドルのシェアが高いといってシェア移動したら結局179ドルだったとか、ラウンドの直前バス代や家賃等がギッシリ入った財布をなくしてバイト一ヶ月余儀なくされたり。あと一ヶ月というところで衝動的に帰国を決意、パースからシドニーに戻ってきたところを、思い直してまたパースに戻ったり。パッショネイトな彼は、直情衝動が強くて、せっかく一番難しいところをクリアしながら果実を得る一歩手前で止めちゃう傾向があって(苦労して入った大学も「詰まらん」といって止めたり)、「一回根性叩き直して、”やりとげた!”って成功体験作るといいぞ」ということで、パースに戻ってしっかり二回目ワーホリの権利をゲットしてます。語学学校中も毎晩9時まで図書館に籠もって勉強するなど、納得さえすれば爆発的なパワーも根気も発揮するわけで、日本でも納得できる人生を作り上げてください。ラウンドに出るとき、クソ重たいバックパックにわざわざバトミントンのラケットを括り付けて、「いやあ、遊び道具があると何かといいじゃないですか」と答えた彼の素敵な笑顔をよく覚えてます。そうそう、文中のイラストがメチャクチャ上手で、自分でつけていた日記もイラスト付きだそうです。才能あるから、出版しなさい。僕買います。でもって、僕は天パーではありません。 154頁目 155頁目 尾道出身のS君です。まだ若いのですが小学校の先生だったかな。でも、まさに小学校の先生になってもらいたいような素直で素朴な人柄が窺われる体験談です。実は、すぐ上のA君と同じ日にAPLaCに最後の挨拶に来てくれたのですが、皆で”最後の晩餐”のスキヤキの準備をしている最中、「う〜(早く食べたい)」という感じで机に向かって黙々とこの体験談を書いてくれました。ご苦労様です。 S君もシェア探しで苦戦して、一回ライカードに1週間だけリリーフ滞在し、そのあとボンダイビーチに本決まりになったというホップステップパターンでしたよね。メゲずにガンガントライしていた姿を覚えています。わずか9ヶ月半の滞在ながら、ちゃんとラウンド廻ってるし、NZまで足を伸ばしてます。途中、日本からご家族がやってきて色々エスニックなお店に連れて行ったり、友達も沢山やってきたようなので中々に忙しい滞在だったと思います。でも、ヨーロピアンばっかりとリフトしたり、アデレードで電話帳の配達のバイトもやったり、ケアンズのバナナ工場で働いたりしているという、いつの間にかやることはやっているという。彼も今はもう日本ですね。久しぶりの尾道はいかがですか? 146頁目 147頁目 148頁目 149頁目 150頁目 151頁目 152頁目 153頁目 神奈川出身のグラフィックデザイナーのA君です。彼はラウンド途中で2回目ワーホリを取り、1年以上旅をしてきて、合計1年5ヶ月に及ぶワーホリ生活を先日終えられました。筆マメで几帳面な彼は、しっかり清書して堂々8枚の力作レポートを書いてきてくれました。彼は、No109のA君,No114のU君とともに「ダンゴ三兄弟」の末っ子的存在で、まだ学校を出たばかりで若いこともあり、同じ時期にAPLaCに来られたお兄さんお姉さん達にモミクチャにされてましたね (^_^)。ご本人も自認しているように、確かに要領よくチャッチャとやっていくタイプではないのですが、時間がかかってもいいから自分のスタイルと納得を大事にするタイプです。今の日本では何かとやりにくいかもしれませんが、自分の個性は大事にしていって欲しいです。というよりも、1年5ヶ月のワーホリ生活を終えても彼の基本的なスタイルは全く変わってなかったです。もちろん来た当初よりも遙かにパワーアップしてますし、成長もしているのですが、人となりそのものは微動だにしていないってところが好感が持てます。彼はラウンド中に実にコマメに近況報告メールをくれました。リアルタイムのラウンド感覚や息吹は、こちらを読んでいただいた方がよく分かると思いますから、これもHTMLに起こして添付しておきます。→A君の近況報告メール集(時系列順)。 体験談の内容ですが、さすがきれいに整理され、読みやすく、盛りだくさんです。ドイツ人の相棒と喧嘩するくだりや、残滞在日数が79日しかないのにあと70日ファームで働かないと2回目ワーホリが取れないという状況で見事ゲットするあたりなど圧巻です。が、是非、経過報告メールと合わせてお読み下さい。リアルタイムに書いているだけに迫力が違います。しかし、「英語が出来なくて悔しい思いをしたリスト」は涙がチョチョ切れますな。わかるぞ、その気持、僕も何度も、、。 今はもう約1年半ぶりの自宅でくつろいでいるでしょうが、ゆっくり英気を養ってまた旅立ってください。今度は人生ラウンドです。難易度もっと高し (^_^)。 135頁目 136頁目 今年1月に来たKさんの10か月目の中間報告です。三重の人ですが、書いてある文体や発想・ノリが関西で、「無駄なくらいの度胸がつきました。アウトバックに水着で放り出されても生きて帰れる気がします。いや、それは無理だけど」という下りで笑ってしまいました。 Sydenhamの中古家具屋の二階の倉庫みたいなところに、押しかけ女房作戦(※)でシェア先をゲットした時点で、ユニークなワーホリライフになることが半ば約束されたようなものでしたね。よう飲んでたみたいで、終電に間に合ったことなしと。セカンドワーホリも楽しんでください。体験談完結編を期待します。 ※こっちが気に入ったシェア先で、相手(オーナー)が煮え切らないとき、神妙に結果を待ってるのではなく、「すみません、もう一回部屋を見せてください」と何度も押しかけ、顔を覚えて貰い、親しくなり、なんとなく「こいつが住むのかな」と相手に思って貰い、なしくずしにしていくシェア探しの高等技術。殆ど冗談みたいな戦略だけど、やってみたら上手くいったという (^_^)。 132頁目 133頁目 134頁目 I君です。彼は風貌もそうですが、行動もスマートで、ちゃっちゃとツボを押さえてソツなくこなしてる感じがします。まあ、本人的には滑った転んだで、地獄も見てるのでしょうけど、ハタから見てる分には何というか危なげがないというか。英語も出来る方で、学校に入ったレベル5でした。ラウンドも、東海岸一帯で終わる人も多いなか、最初から西方面に行き、仕事も比較的スムースにゲットし、WAを中心にラウンドの美味しいところをしっかり堪能しています。大体西の方に行った人の方が深いラウンドになる傾向がなるような気がします。人口密度も低いし、仕事の競争率も低いし、大自然凄いし。 この体験談は、実は一回書き直して貰ってます。最初サラサラと書いて貰った分でも良かったのですが、改善の可能性がかなりあったし、書き直す時間もあったことから、「ここをこう」と十数項目指摘して「まあ、面倒臭かったらいいけど」と言ったら、「いや、やります!」とキッチリ良いモノに仕上げてくれました。書き直しを求めるのは珍しいのですが、なんか能力の出し惜しみのように思えたので。本人にしたら全くそんなつもりはないのでしょうが、無意識レベルでオーバーヒートを防止するためのリミッターが掛かってるような気がしたんですよね。だから外しちゃえと。 127頁目 128頁目 129頁目 佐賀のKさんです。じっくり日本で書いた体験談を郵送してくれました。この人も印象強かったですね。書いてある内容もかなり面白いし、僕も知ってることが多いので、横から「あ、これはですね」といちいち注釈入れたくなったりして。天真爛漫というか、読んでみたら分かると思いますが、文章というか書いてある内容よりも、もう文面それ自体からオーラがほとばしってるような感じがするでしょ。そういう人です。こういう人がオーストラリアや海外には向いているのでしょうね。ただし、天然100%のようでいながら、実は筋目の通ったいい育ち方してるなあとも思います。故郷の佐賀の写真も見せて貰いましたが、町中の人に愛されてるって感じで、古き良き日本でした。一見ドタバタしてるようで立居振舞に卑しさがないところだったり、実は日舞の名取だったりすることもあります。あと、129頁目130頁目に手紙の添え書きをつけておきますのでご覧下さい。体験談本文を書いてる人とは思えないくららいオーセンティックな正統派の手紙だったりします。 ガードが甘くてよくトラブルに巻き込まれる反面、それに倍するパワーで解決してます。よくヘルプ電話がかかってきたのですが、携帯紛失して不正使用された分が請求されたときも、「今からでも警察に届け、出来るだけ多くの人に一筆書いて貰ってそれらの書証を束にして電話会社と交渉してごらん」というアドバイスを地道に実行するあたりが凄いです。諦めないのね。見事不正使用分は払わなくて良くなったし。もともと生きるパワーのある人だから、変に矯めるよりも伸ばした方がいいと思いますし、それがオーストラリアでものの見事に開花したようです。アルバニーで5つのバイトを掛け持ちするとか、ラウンドに出て一層パワーアップしたあとは、アジアを一人旅して回っています。僕はイケイケで背中を押してましたけど、本当に危なかったらそうはしないです。天然のようでいながら、実は賢いし、僕なんかよりもずっと常識人だと思ってましたから。旅先のラオスからも絵ハガキを送ってくれましたので、これもオマケにつけておきます。131頁目。日本では保母さんをやっていたKさんですが、そのへんの子供よりもパワーありますね。というか、こういう保母さんに育てられた子供は幸せって気がします。 122頁目 123頁目 124頁目 125頁目 新潟出身のIさんは、東京で働く看護士さんでした。真面目で、気が強くて、だから心配性で、感性の鋭いIさんは、よく印象に残ってます。ああ、方向音痴だというのも記憶に残ってます (^_^)。ここに体験談書いてくれている人は全員覚えてますけど、人間って本当に一人一人全然違いますよね。今さらだけど。Iさんも、強いんだか弱いんだか、賢いんだかオッチョコチョイなんだかよう分からん不思議な人で、ある一定方向の打撃には強いがある方向には弱いという不思議な材質で作ったガラス細工のような人柄が、「聡明そうな少女」の面影を残したルックスに宿っているという。 シェア先はMarrcikvilleで、部屋は広いわ、ジャグジー付きだわでお値打ちだったと思いますが、そんな設備よりも、「オーストラリアのお父さん」と呼べるだけのシェアメイトに出会えたのは最高の収穫だったと思います。お送りするとき僕も会いましたが、本当に優しそうな、思慮深そうな小父さんでした。下に住んでいる小母さんも見るからに優しそうで。 (本当の)お父様が手術することになり急遽日本に一時帰国されますが、日本から帰ってきたときのIさんの不安そうな顔が忘れられないです。最初にオーストラリアに来たときよりももっと不安そうでしたもん。なんで日本に帰ると誰も彼もこうも心配性になるかな?って感慨を新たにしたくらいです。でも、よく勇気を出して戻ってきてくれました。おかげですっかり逞しくなって、「とにかく何とかなります!トラブルも慣れます!」と力強く言い切ってくれています。そうやって言い切れる瞬間を持てたということを、どうか忘れずに。また日本に帰って弱気になったりするだろうから (^_^)、そのときは自分の書いた文章を読み直してください。 116頁目 117頁目 118頁目 119頁目 120頁目 121頁目 堂々6頁の力作を、予めパソコンで書いてきてくれた、Kさんご夫妻です。最初の二枚(116&117)が旦那さん(M君)、次の2枚(118&119)が奥さん(Hさん)、最後の2枚(120&121)が一年間の行動記録です。 1年に1−2組くらいカップルで来られる方がコンスタントにおられます。そして最初は地獄のカップルシェア探しになるのですけど(カップルOKのシェア先が3分の1以下くらいしかないので)、Kさんご夫妻もかなり探しておられましたね。200本近く電話されていたと思います。それでもRozzelでシェアを見つけ、さらに後日Earlwoodという渋いエリアに移られました。 予めPCで打ってきただけあって文章は練れていますし、面白いです。M君の英語論は、よく分かります。ほんとちょっといい気になったと思ったら、すぐヘコまされるんですよね。僕なんか13年いるけど、未だに凹まされるぞ。Hさんは夫婦として、女性としての視点で書かれており、同じ体験をしながら角度が違うとこうも違うかっていい例です。 最後の2頁の1年の行動歴は、行動前にチマチマ1年の計画をたててる人は必読でしょう。いかに計画なんか無意味かということを知るために、です。全28項目あるうちシドニーは1(+1)項目でしかないです。この1項目で、彼らは200本近い電話をかけまくりシェアをゲットし、さらに移動し、バイトをしては悪徳レストランにハマり、僕が勧めて裁判沙汰におよび、学校ではついていけずに涙目状態だったのですけど、それらの体験がわずか1ー2行分のボリュームしか占めないわけですね。ラウンドの最初の予定も、バンダバーグから急遽タスマニアへ大幅チェンジしてますし、いいファームに当たればいきなり7000ドル叩き出すわけで、その場その場の判断力、行動力、要するに現場処理能力が全てであるということです。なお、彼らのレストラン〜裁判沙汰の顛末は「特別寄稿体験談/アルバイト先との給与支払トラブルを労働委員会を通じて解決した事例」 を参照ください。 カップルで来られる方は沢山いますけど、僕の知る限り、カップルで来られて別れたという人は一人もいません。日本の恋人なり置いてきて後日別れたという例は山ほどありますが、二人で来られると逆に絆は強くなるでしょう。なんせこんなに一緒にいることはないですし、「無人島漂着状態」で力を合わせてやっていくわけですから。そのかわり喧嘩は山ほどしますよ (^_^)。これは皆さん言いますね。喧嘩するほど仲がいいってことでしょう。Kさんご夫妻も、どうか末永くお幸せに。今は静岡のご実家で、次の構想を練っておられるでしょう。オーストラリアはM君のイニシアチブだったらしいので、今度はHさんのイニシアチブということで、また面白い体験を積んできてください。 114頁目 115頁目 上のNo109と「ダンゴ三兄弟」の同期生、U君です。彼も又おもしろいキャラで、東京ではラッパーとしてガンガンやっていたそうです。ラッパーというのは、要するに詩人でもあり、作家でもあります。この1年でラウンドしながら膨大な短編小説群を書いていました。最後に全部読ませていただきましたが、これはお世辞抜きに素人仕事ではなく、一定以上の水準をキープしてしました。不思議なタッチの小説で皆さんにもお見せしたいくらいです。出版社に送っておられるようで、もしかしたらパブリックに出るかもしれません。 「とにかく旅をしたかった」U君は、「旅人」として過ごしました。思うに、「旅行者」になるのは簡単なんですけど、「旅人」になるのは難しい。彼にとっては、英語学校も、ラウンドも、ピッキングなどの仕事もメインの目的ではなく、「旅を彩るヒトコマ」なのでしょう。この体験談も、「ワーホリ体験情報」としてではなく、大きな意味で紀行文なのだと思います。本人は、「うわー、全然書けない、小説書くより難しい!」と恐縮しきりでしたが、そんなことないですよ。まあ、制作者サイドからしたら永遠に不満は残るものでしょうが。旅の心象は、おそらくは小説というスープの中のダシのように溶け合っているのでしょう。 111頁目 112頁目 113頁目 日本で一級建築士としてご自分の事務所を構えてバリバリやっておられたMさんです。30代に入ってしまったのでワーホリではなく、こちらの大学院に留学されるためにこられ、1年間ミッチリ英語を勉強されました。最初の半年は基礎を付けるために一般の英語学校でゼネラル英語を、後半の半年は目指す大学院のある付属英語学校で進学英語をやられました。1年間の英語学校を終わった時点で一旦帰国されていますが、この1年、現地に暮し、経験し、感じたり、考えたりしただけで「もう、十分意義があったし、別に大学院なんかいかなくてもいいかも」という心境になっておられました。この気持はとてもよく分かるし、僕もこちらの法学部の院に行こうと思ったことはないです。ちゃんと暮していけばそれだけで十分に知的に刺激的ですし、目も開かれますから。 Mさんはとても気さくで陽性のキャラの人で、学校でも月間MVPに選ばれるくらい人気者でした。30代過ぎて「今さら学校は、年齢が、、」とウジウジ思ってる方は発想を改めてください。大体年長者の方が人気者になったりしますから(人生経験、職歴があるから話が面白いし、人柄も練れているし)。僕から見ても、Mさんの感性は、そのへんの大学生よりもはるかに瑞々(みずみず)しく、素直に感動し、素直に考えるから、ものすごく実りのある一年になったと思います。このビッシリかかれた3枚のノートも、「まだ序章」らしく、「あとは日本に帰ってから書いて送ります」という話だったんですけど、待てど暮らせど来ないので、見切り発車で未完原稿を載せちゃいます。これだけでも十分なボリュームと価値がありますし。それに日本に帰っちゃうと、Mさんのような頑張り屋さんは、また日本の環境で頑張っちゃって原稿どころではないと思います。 果敢にシェア探しに挑戦していたMさんは、「僕は緊張すると声が大きくなるんですよ」と照れ笑いを浮かべながら、"sorry?"と叫んでましたね (^_^)。彼のようにプロのスキル&視点と子供のような感性を併せ持ってる人にこそオーストラリアを体験していただきたいです。同じことからも深く感じ、深く学べますから。学校の中ではウチ出身の後輩達のいい兄貴分として面倒を見ていただきました。彼と同時期に来た人達は、APLaC出身同窓生のつながりができ、mixiの同窓サイト「タムラック」が出来ているのも彼の存在あってこそだと思います。本当にありがとうございました。 137頁目 138頁目 139頁目 140頁目 141頁目 142頁目 143頁目 144頁目 145頁目 ★(追補) 帰国されたMさんから追加原稿を頂きました!それも堂々9ページ。合算12ページはぶっち切りで歴代最長です。「よくそんなに書くことがあるなあ」と驚かれる方もいるでしょうが、Mさんにすればこれでも感じたことの数十分の1でしかないでしょう。ある程度社会経験を積んだ人=つまり社会を見る視点を沢山持ち、それを掘り下げて考えることが出来る人で、且つそれを文章で表現できる人が、十分な時間を与えられれば幾らでも書くことはある筈です。僕自身にしたって「これは伝えねば」と感じたことだけを書いてるだけで、このAPLaCというホームページ全体の分量になっちゃうんですから。Mさんの1年は、二つの学校に通い、二つのシェア先を経験し、最後に小旅行を行ったという、波瀾万丈のワーホリさんに比べれば、ある意味シンプルな留学生としてのものです。そうであったとしても、書いても書いても書ききれない高密度の体験をされているわけです。結局は本人の感性と咀嚼力なのでしょう。これからオーストラリアに来られる人にお伝えしたいのは、ほんの数十行の留学体験、ワーホリ体験しか読んで「分かった気」にならないで下さいってことです。ダイジェストはしょせんダイジェストですし、どんな経験も端折ってしまえば「良かった」「楽しかった」という4−5文字になってしまうわけで、そんな結論だけ集めていても本当のところは分かりません。どうかじっくり腰を据えて、Mさんのズシッと密度の濃い体験談をお読み下さい。こちらでの日常生活の、ザラザラした質感みたいなものが伝わってくると思います。 109頁目 110頁目 Aさんです。Aさんの来られた週は男ばかり3人という珍しい週で、僕は勝手に”ダンゴ三兄弟”とか呼んでましたけど(ごめんなさい)、ヒップホップのラッパーのUさん、グラフィックデザイナーのD.Aさんと、このドラマーのAさんという多士済々でした。フジロックフェスティバルに参加するために、先陣を切って帰国されたAさんですが、着いた当初、果敢にシェア探しに挑戦されていた姿が思い出されます。クージーの坂の上のいいシェアを見つけられました。あの坂の上の風景は僕も印象に残ってます。ちなみに通っておられたボンダイ校ではレベル2が一番下だけど、シティ校にはもっと初級のレベル1があります。そういやボンダイと言えば、丁度半年目頃にボンダイジャンクションで偶然会いましたね。これからNZに行くんだって逞しい笑みを浮かべていたのが印象的です。来たばかりのときの写真がありますが、会う毎に精悍になっていってますよね。働いたファームの数でいえばかなり多い方じゃないでしょうか。図書館に籠もって英語頑張ったり、キャラバンパークでミルキーウェイに感動したり、ど真ん中直球のワーホリの一年だったと思います。お疲れさまでした。そろそろ待望のフジロックですね。Enjoy! 106頁目 107頁目 108頁目 イタリア人の街ライカードでご機嫌なシェア生活を始めたIさんです。もともとある程度英語の素養があったIさんは、途中でケンブリッジのコースに行き、見事修了。シェア先、学校その他の交友関係もヨーロピアン系中心になり、またローカルのレストランでも働いたりして一頭抜きんでたワーホリライフになったのですが、上に行けば行くほど壁も又厚く、英語が出来る人ほどそうなるのですが、1年のワーホリのあとは「もっとちゃんと英語をやりたい!」とのことです。セカンドワーホリの権利はゲット出来ても、留学しようかなあとか言っておられました。でも、3ヶ月のファームでのオレンジサッカーは心温まる話で、仕事メインに考えている人にもファームはオススメしたくなるゆえんです。最初からある程度英語の出来る人の方が意外とワーホリで伸び悩んだりするのですが(なまじ出来るので”なりふり構わずチャレンジ!”という具合に心が吹っ切れない)、Iさんはその陥穽にはまることなくチャレンジングな日々を過ごされたと思います。最後は、サリーヒルズのクラウンストリートで、フランス料理のシェフのお母さんのところで美味晩飯付きシェアを楽しんでおられたIさんですが、またオーストラリアでお会いして、英語の難しさを嘆き合いましょう (^_^)。でも、「考えていたことの半分も出来なかったけど、思ってたより100倍くらい楽しかった」というのは名言だと思います。 104頁目 105頁目 上のMさんと同期(たまたま同じ週に来られた)Yさんです。本当にこの二人は良いコンビで、シェア探しのときも、またウチに遊びにきてくれるときも、ラウンド前後に荷物を預け/引き取りにくるときも一緒でした。Yさんのシェア探しもよく覚えてます。日曜の夕方に先にシェアの決まったMさんを送りに行った帰路、連絡を取り合ってYさんと合流、夜中のStanmoreからEnmore〜Marrickvilleを一緒に歩き、最後にニックさんのシェア先にたどり着いたのでした。「このおっさんに出会ったとき、”こいつだ!”とピンクのニット帽に運命を感じました」と書いてますけど、そうかあのとき僕の横で運命を感じていたわけね。このニックさんは僕もよく覚えているけど、いかにもニュータウン近隣住人っぽい、いい感じの人でしたね。「知ってるかい、このコ、電話先でシェア代値切ったんだぜ(→本当は英語がわからず聞き返していただけなんだけど)。日本人には珍しいよね」「いいよ〜、別に大した値段の差じゃないし、その代わり僕に日本語教えてくれよ」とか会話を交わしていました(Yさん、覚えてるかな?)。ところで、ラウンド帰りの暫定シェアの週25ドルというのは僕の知る限り最低記録ですが、ゴキ26匹というのも(ToT)。。。 101頁目 102頁目 103頁目 Mさんです。ノートを読んで「日本人の謎のおじさんが一人でやってるなんて想像できず」という下りで爆笑してしまいました。なるほど、そっちからそう見えるわけね。参考になります (^_^)。そうそう、心配性気味のMさんの「大丈夫ですよねー?」という口癖フレーズが耳に残ってます。でも、やってきたことは、とても心配気味の人とは思えないくらい堂々としたものです。シェア先もブライトン・レ・サンズという渋くもカッコいい選択をしたし、大手旅行代理店でしっかり3ヶ月以上デスクワークをこなしたと思ったら、ピッキング(というかディギング)でカボチャ堀りも堪能したり。土色に染め上げられたジーパンや、「シドニーに着くまでいくらシャワーを浴びても泥が落ちた気がしなかった」という何気ない感想なんかにもベテランワーホリの風格を感じてしまいます。最後の方は、シドニーの高級ホテルを借り切ってお誕生パーティーを開いて50人以上(半分はオージー)に祝ってもらったり、十分すぎるくらい堪能されたと思います。最後に、「なんかもう帰るなんて信じらんない」と涙ぐんでおられましたが、さて、今は日本に戻って何を思っておられますか? 100頁目 上の3人よりも2週間遅くオーストラリアにやってこられた神奈川のIさんです。そういえばこの時期こられる人が集中しましたが、1年経つと今度は帰国ラッシュになるのですね。「もう一年経つのか」「ほんとですよ!信じらんない!あっという間ですよ!」という会話を最近よくやってます(^_^)。さて、チャキチャキした湘南ガールのIさんですが、「書くのが面倒臭い」くらい色々あったようです(^_^)。在学中にしっかりスイス人の彼を作って、帰国後はヨーロッパラウンドに出かけるそうです。このノートを書き終わった日も、滞在させてもらっている彼のお兄さんの家に帰られました。また9月には二回目ワーホリで来られるそうです。「だって、西の方全然行ってないんですよ、時間足りなくなっちゃって」とのことですが、ラウンドって真面目にやってたら2年掛かるといいますから、それは王道ってことでしょう。ヴァージョンアップした2年目にトライしてください。 96頁目 97頁目 98頁目 99頁目 Tさん、Fさん、Nさん(いずれも女性)、三人揃ってご紹介します。この三人娘は「同期入社」で、1年前の同じ日にオーストラリアに着かれました。記録を見たら、午前6時15分、9時50分、10時10分着です。以後数日、三人揃って学校巡りをし、シティに”置き去り”にされ、シェア探しをした戦友です。たまたま同じ週に来られた人が一生の友情を育まれたりすることは珍しくはないのですが、3人揃ってLast Visitして、3人揃ってこのノートを書いたというのは珍しいかもしれません。仲良きことは美しき哉(^_^)。 横浜のTさんは頑張って二枚書いてくれました。Tさんは僕と正式に一括パックの契約書を交わした空前絶後の人です。多くの人は、HPに「ご希望だったら用意します」と契約書式も載せて案内してますが、その存在すら覚えてないですから。異様にキッチリしたビジネス系の人かと思いきや、ほこほこした笑顔の優しい保母さんでありました。ほこほこ笑いながらも、かーなり壮絶にローカルの仕事にチャレンジしておられますね。スーパーのレジやって3日でクビになったというのもナイストライですし、パブのグラッシーやったという人も珍しいですね。ここには書いてませんが、たしか単発で子守のバイトやポスティング(チラシ配り)もやったのではなかったかしら?「ちょっとローカルの仕事(=日系以外の地元の職場)にこだわりすぎたかも」と漏らしてましたが、確かにジャパレスはジャパレスで学ぶものがありますが、これだけトライしてたらそれは贅沢な悩みなのかもしれません。 富山のFさんは、靴の販売をみっちり10年やっておられた実力派。車が好きだと言うことで、シェア先までお送りするのに、Lane CoveからCampsieまで20キロ余り、僕が助手席でナビをして、ご自身で運転してもらいました。後にも先にも自分で運転してシェア(orステイ)先まで行ったというのは彼女だけです。これまた空前絶後。卒業後、宝石関係の仕事とジャパレスをかけもち、さらに最後のピッキングで6000ドル稼ぐなど、ほぼ到着時の所持金レベルまで持ち直したあたり、さすが実力派という気がします。帰国されてからは、長野県のペンションでお仕事が待ってるとのこと。日本ラウンド&ファームのようなものですが、美しい日本の山河をエンジョイしてください。 愛知のNさんは、書くのが3番目ということで「うーん」と唸りながら書いてくれました。ここには書かれていないけど、最初に決めたMarrickvilleのシェア先がとても良いところで、9ヶ月まるまる滞在されています。ちなみに皆さんの最初のシェア先はMarrickvilleが二人、あとDulwich Hillでした。あとの二人に聞いたところ、Nさんは結構ラブラブな状況にあるらしく、そういえば多少「心ここにアラズ」的な雰囲気もありーのって感じでした。シェアメイトとの交流にせよ、恋愛にせよ、対人的な深くて温かい出来事というのは、主観的にはものすごく巨大でも、客観的に「○○行きました、しました」という特徴が少ないだけに、こういうノートに書こうとした場合、難しいとは思います。書きあぐねていた気持も分かりますし、そこを頑張って書いてくれてありがとうございました。 93頁目 94頁目 95頁目 Yさん(女性)。本文にも書かれてますが、弱冠20歳の短大生です。事前のメールのやりとりでは、短期滞在、学校メイン+インターンシップなどが主たる話題でした。なんせ通っておられる短大で休学してワーホリにいくのは彼女が最初らしく、事前に通う学校の証明書がないと休学できないとか事務作業もあり、僕が一筆書いて送った記憶もあります。しかしながら、結果的にはほぼ1年滞在し、ラウンドもしっかりこなし、最も人生上で大きな体験はファームのピッキングというワーホリの王道をいかれました。「留学だけして(学校だけ行って)帰るのなんてもったいない!」と盛んに力説しておられましたが、僕もそう思います。教室以外で学ぶモノの方が大きいですから。むしろそれをきちんと学ぶために学校に行くような感じでしょう。熟しすぎて出荷できないピーチをその場で皆で食べたのがメチャクチャ美味しかったとか、オーガニックなんかよほどの根性がないと出来ないこととか、沢山学んで帰られました。実り多い一年だったと思います。しかし、「世界六周した人」ってのはスゴイですね。 90頁目 91頁目 92頁目 Uさん(女性)です。彼女はダーリングハーストのいいシェアをゲットしたのを覚えてます。即断即決が奏功した好例。わりとモノに動ぜずに、ゆったり構えてオーストラリアの隅々まで見てきてくれました。特に、ブルームに長期滞在し、単にファームだけではなく、洗車、皿洗い、マクドナルドなど地元の町のバイトを沢山こなすという珍しいケースですし、いい体験だったと思います。いい体験といえば、ノートに記されてませんが、昔から真珠関係で日本人とのゆかりの深いブルームで、日系の真珠祭りに参加されたそうです。単に見物客になったのではなく、日本人だということで自分自身がローカルの人と混ざってフェスティバルの企画実行に参加できたというのは、本当に素晴らしい体験だったと思います。 88頁目 89頁目 T君(男性)です。彼も上のSさんと同じ時期に来て、同じ時期に帰国です。彼のシェア探しもガッツが入ってましたね。覚えてます。英語レベルはわりと初級に近いから、おそらく何言ってるんだかさっぱり聞き取れないだろうけど、さすが元野球部、千本ノックを淡々とこなすって感じで電話をかけ続け、最後にはマルーブラのシェア先をゲットしました。ラウンドは、ノートを見る限り、満喫って感じですね。サーフィン三昧。湘南出身の彼は、シドニーではマルーブラという湘南みたいなエリアで、ラウンドではGCやバイロンというこれまた湘南のような所で、「3ヶ月で日本の2年分くらい」やってきたようです。でも、本当の収穫は、最後に書かれていたように自分のハバが広がったことでしょう。最後はほんと穏やかでいい顔になってました。「日本に帰ったらもうバリバリ働きますよ!」ってやる気オーラが出てました。今頃は日本で走り回っていることでしょう。そういえば学校通学中もバイトしまくってたらしいです。本質的に実は働き者なのかしら。ちなみに同日到着されたIさんは、今はメルボルンあたりにいるでしょう。 85頁目 86頁目 87頁目 大学を出てから直接やってこられたSさん(女性)です。本人も書かれてますが、シェア探しの最初の一軒目でガチャ切りされて涙ポロポロでしたね。ショックに心がついていかず身体だけが反応してるって感じで、「あれ?なんで涙出るんだろ」って。でも、ここで電話するの止めたら一生のトラウマになって一生英語から逃げて生きることになるよ、でも一軒でもアポが取れたらこの苦労は全部美談になるよということで、かけ続け、10分後にはちゃんとアポが取れてました。人生を分ける10分間ってな感じで。ほんと、よう頑張らはりました。これはその「美談」の記録です。就職の関係もあり、7ヶ月位しか居れなかったけど、濃縮して頑張り続けたと思います。就職面接でも「私はやった、I'm done! I've been through!」って胸張って臨んでくださいって、晴れ晴れした顔を見たら分かるだろうけど。ちなみに同じ日にやってきた同期のKさんは、今ラウンド真っ盛りです。 83頁目 84頁目 Tさん(女性)です。たった半年のワーホリ生活でしたが、特筆すべきはこのTさんは人妻であるということです。理解の深い旦那様に送られて一人で武者修行の旅に発ったわけですね。半年で全部こなすということで、かなり濃縮ジュースのようにやっておられ、ステイのあとにシェア探しをするわ、ラウンドもきっちり一周するわで、やるだけのことはやったという感じです。Tさんが日本から着いた初日に、丁度日本に帰るために挨拶にウチに立ち寄られたワーホリの女性がおられたのですが、(体験談は書かれてないのですが)この方がまたTOEICで957点持ってるわ、ラウンド中に女性なのに(また華奢なのに)土方の仕事までやるわという人で、揉まれて揉まれて「強くなりましたよ」と顔をほころばせ、「ラウンド終わった今が一番英語学校で勉強したいですね」と前向きなことを語っておられました。初日からこういう人に会えるのはラッキーだったと思います。ラッキーといえば、Tさんの来られた週は4人も来られ、仲良し同期生になっておられます。うち一人は大学院を目指して奮闘中、もう一人はハミルトン島で3ヶ月の雇用契約を徒手空拳でもぎとって頑張っておられます。 82頁目 Hさん(女性)。「沢山あるけど何を書いたらいいやら」でウンウン唸りながら、書いていただきました。この方は土曜日着という珍しいパターンだったのですが、前の週からいる人のシェア探しに空港から直行で合流し、いきなりシェア探しとはどのようなものかを体験されたのを覚えてます。その甲斐あってか結構居心地のいいシェアを見つけられたように思います。物静かでいつも笑顔を絶やさぬHさんですが、やるべきことは淡々とやるというタイプでしたね。おそらくは芯の強い方なのでしょう。学校でKoreanに囲まれていてもそれが楽しく、卒業後ダラダラ(本人の表現)でシドニーに居続けたのですが、そこで大きなメモリアルな出来事があったり、ピッキングは結局は運だから考えるだけ無駄と割り切ったり、一人旅の方が多くの人と出会えるから良かったと語ったり。細かに聞いてみると、シェアもたまたま最初の数週の他のシェアメイト(オーナーではない)のドイツ人の女性から、いきなり「私、日本人嫌い」と面と向かっていきなり言われたり(でも、「これ食べなよ」とブッキラボーながら優しい人だったり、オーナーはナイスな人だった)、ラウンドしてても年がら年中風邪ひいて倒れていたらしいのですが、それでも「や、楽しかったですよ」とニコニコしてます。多少の波動があっても、いちいちギャーギャー取り乱さず、すっと吸収してしまう、春の海のような静かな強さをもった大人なのでしょうね。激流を制するのは静水という北斗の拳のトキみたいな人でした(知らない人、ごめん)。余談ながら、愛用のボディボードを彼女が最後に泊まったバッパーに置き忘れてきてしまい、電話をもらった僕が代わりに引き取りにいき、今はボディボードを丁度求めていた他の方に手に渡っています。 80頁目 81頁目 73頁目がTさん(男性)、74頁目がMさん(女性)のカップルワーホリです。カップルで来られる方は珍しくないのですが、シェア探しはカップル入居なだけに狭き門になります。二人いて心強い反面、探すのは大変。だけど、皆さん健闘されて、大体いいところに行ってます。このお二人もUltimoのシェアで、かなり気に入っておられたようです。 このお二人、ラウンドでのピッキング期間は3ヶ月とそれほど多くないのですが、しっかり二人で9000ドル稼いでおられます。最後にシドニーに戻ってきて最初の電話が、「田村さん、オーストラリアドル欲しい人いませんか?日本円に交換したいんですよ」と「お金が貯まってしまって困る」という珍しい相談でした。それでも書いておられるように、ピッキングの報酬面では「運が悪かった」らしいです。運が良かったのはお金ではなく、ピッキングそのものが最高に楽しかったということです。最高に楽しいことやって、お金が貯まって困るなんて、なんとまあ嬉しい悲鳴だこと(^_^)。74頁のMさんには、特にファームの仕事(ピッキング)の見つけ方や具体的な内容を細かく書いてもらいました。でも、思うに最初に一気にWA州という遠いところまでいってから仕事を探したのが良かったのでしょう。あっち方面でファームに行った人は大体いい感じで過ごせているみたいです。シドニー〜ケアンズの東海岸は開けている反面、厳しいみたいですね。一概には言えないけど。「お金を貯めてラウンドに行くのではなく、お金がないから(稼ぎに)ラウンドに行くのだ」というフレーズを地でいってたお二人でした。二回目ワーホリの権利もしっかりゲットして、しばらくは日本に戻るそうです。 79頁目 Mさん(女性)。時間がない中、頑張って書いてくれました。 この方のシェア先はMarrckvilleでしたね。駅の南側の方で、今でもお送りしたのを覚えています。最近Marrickvilleにシェアされる方も多く、この方のあとも4人くらい行ってます。ギリシア人とベトナム人の多いエリアで、アジア的なゴチャゴチャ感が同じアジア人である我々にとって妙に親近感があって落ち着きます。物価もシェア代も安いし。ノートには書いてるヒマはなかったようですが、インターンシップをお金を払って斡旋してもらったそうです(リゾートアイランドとかどっかだったかな)。内容的には満足できたそうですが、「自力で十分探せたし、探せばよかった」そうです。でも、まあ、それが分かっただけでも良かったと思います。1年丸々滞在されて、お腹一杯状態でニコニコ顔で帰国されました。 77頁目 78頁目 Hさん(女性)。この方は最初っから英語がよく出来ました。SCEという学校のレベル6(最上級)には中々いけないのですが(僕のところからは歴代4人だけ)はいっていきなり6だったと思います。ワーホリ100人いたら英語力は首席クラスでしょう。といって帰国子女とかではなく広島の地方の会社で普通に働いていただけらしいです。要は本人のやる気の問題でしょう。ただ、語学学校レベルで最上級までいけても、それでも現場とはまだまだギャップはあります。そのギャップを埋めるための悪戦苦闘が彼女のワーホリ生活だったような感じです。最初のシェア探しにせよ、ベトナム人経営のタイ料理屋で働くにせよ、その後のラウンドにせよ。しかし、そういった外形的な活動よりも、精神的内面的に練り上げていく期間だったと記されていて、内面深い一年だったことが窺われます。将来のビジョンも得られたようだし、最後にウチに来てくれた時にも、「日本に出稼ぎにいってきます!」と明るく宣言していました。頑張ってください! 72頁目 73頁目 74頁目 75頁目 76頁目 I君(男性)です。下書きまでしてきてくれた5ページの大作体験記です。 最初に来たときは大学出たばかりの弱冠23歳くらいだったと思いますが、高校野球で大阪地区ベストエイトまで残ったピッチャーという経歴がうなずけるナイスガイでした。語学学校でも月間MVPに選ばれたりして。彼は地元大阪で家業(ワイヤーロープ加工業)を継ぐという前提があり、そのための海外修行という目的も明白でした。ですので最初は学生ビザで半年以上ミッチリ英語をやり、最上級クラスまで到達したあと、今度は学んだ英語を実戦に生かすべくワーホリビザを取り、100%ローカルの仕事を探します。住み込みでペンキ塗りを何ヶ月かやったりしたあとも、頑張って履歴書を送りつづけ、ついに本業のワイヤーロープの工場でエンジニアとして採用されます。日本との関連性を断ち切り、純粋に自分の技術だけ(しかもワイヤーロープという地味な分野で)で100%ローカル企業に、しかも他のオージー達と全くの同等の立場で働いた人は、ワーホリはおろか、駐在員や永住権保持者でも少ないです。僕だって日本のつながりを生かして仕事してるわけだし。もちろんI君もトントン拍子に進んだわけではなく、滑った転んだがありました(帰国数日前に追突事故を起こされたり)。よく遊びにも来てくれたし、メールもいただきました。メールは常に英文で書いてくれてたわけですが、その英文がどんどん日本人英語からネィティブ流のこなれ方をしているのを見るだけで彼の成長ぶりがよくわかりました。今、彼は家業と関連のある中国の工場にいって修行しています。修行奉公みたいなものですね。文中に登場する彼のブログのURLは、http://bravambitions.spaces.live.com/にあります。近い将来大阪で経営をするようになったら、今度は法律案件で相談してください>I君 70頁目 71頁目 Iさん(女性)です。一見クールで、淡々と、「ま、こんなもんでしょ」的な表現をするのですが、氷の中の炎のように実は結構熱い方だと思います。最初シェア探しで苦労して、最後の方には夜のNeutral Bayをインスペクションに車で送っていったことを覚えてます。ラウンド中にもよくメールをいただきました。背骨圧迫骨折とか、かなり山あり谷ありだったですね。最後はモーリシャス系オーストラリア人の彼氏が出来て、いよいよ帰国だけどどうしよう?状態だったようです。このノートを書いているときも、彼氏から「早く来い」コールがかかってました。彼氏のことは、「いやあ、まあ、難しいですよ、やっぱり」って他人事のように突き放して言うのが彼女流の表現なんですが、後日来られた別の人(結構皆さんラウンド中も連絡取り合ったり、ある都市で一緒になったりするようです)によると、「何言ってるんですか、彼女、ラブラブですよ!」とのことでした(^_^)。 67頁目 68頁目 69頁目 日本では銀行員をされていたKさん(女性)です。なんだかKというイニシャルの人が続きますね。いつも笑みを絶やさず、控えめでいながら聡明なKさんは、おそらく職場でも人気者だったのでしょう。3ページギッシリ書いていただきました。内容的にも盛りだくさんで、シドニー時代には地元のカフェからオフィスで秘書までやってるし、学校も二つ通ってるし、ラウンドもキッチリでてるわけですが、さらにメールで追伸がありました。「各論で言えば、シェアがなかなか決まらず半べそになったり、学校では全く発言が出来ず自己嫌悪に陥ったり、仕事も決まらずリストラされた会社員の様に不安な時間を過ごしたり、いざ仕事が決まったはいいが、理不尽なことで怒られたり、英語の電話に緊張しまくりこっそりと電子辞書を引きまくったり、時にはやっぱり英語がわからず井戸の底に居るかのように孤独を感じたり、バックグラウンドの違う恋愛で悩んだこともあったり、家族の突然の入院で緊急帰国を2回もしたり、その後もいつ何があってもすぐ帰国できるように30sのスーツケースに全てを詰め込みラウンドしたり、旅行会社のオージー担当者のいい加減な段取りで、結局自分で全部旅程を予約し直さなければならなかったり、ビジネスビザサポートの仕事の話に振り回されたことも一度や二度ではなかったり…でも、どれもやっぱり今振り返ると全然たいしたことないですね(笑)。というか、今思えば上のこと全部、心のどこかで楽しんでいた自分が常に居たような気がします。」と山あり谷ありだったようです。結構大したことだと思うのですが、「どれも大したことなかった」と最後に書けてしまうのは素晴らしいことだと思います。 66頁目 日本で技術系の仕事をされていたKさん(男性)です。技術系ビジネスマンらしく、温厚で落ち着いた感じ方でしたが、最初からいきなりGlebeのドミトリーに泊まったり、途中で世界一周旅行に出ちゃったり、やってることは結構大胆だったりします。文章も淡々と書かれていて、「私の場合は運が良かったんですよ」と語られるのですが、やっぱり実力もかなり左右していると思います。文中記されている「世界一周チケット」というのは、世界の各都市をつなぐフライトを5−7回繋ぎ合わせてパッケージにしているチケットで、たとえばSTAトラベルのRound the world ticketのページなどにかかれてます。昔は13-5万円くらいだし、航路も自分で選べたと思いますが、このページを見る限り15-25万くらいで航路もFIXされているようです。まあ代理店によって色々あると思いますので探してみてください。日本ではあまり有名ではなく知らない人も多いのですが。Kさんの場合、2ヶ月ちょいのわりと忙しい一周だったようです。 65頁目 1年経過を待たずに早々に二回目ワーホリを決めたKさん(女性)です。一時帰国される直前、ウチに荷物を取りに来られた折に書いていただきました。日本に居るときは地元のホテルのフロントで働いていて、多少は英語も使っていたKさんですが、「もっと自信を持って接客したい、英語も喋りたい」ということで来られました。確かに来られた時点では物静かで内気な印象もあったKさんですが、ラウンドから帰ってきたらすっかりオージーになってました。伸びやかな笑顔、物怖じしない態度。Kさんは日本人ワーホリには有名なバンダバーグ付近でピッキングをやっておられたのですが、日本人環境は殆どゼロ。Kさんによると日本人ばっかりいるバッパーと、日本人なんか限りなくゼロのバッパーがあり、またピッキングまでのルートも同じように日本人度ゼロのルートがあるそうです。常に日本人ひとりぼっち環境でファームに入って、帰ってくるときは世界中の人たちと兄弟同然にすっかり親しくなってバスの中でキャーキャー修学旅行状態で騒ぎながら町に戻ってくるそうです。ヴァージョンアップした二回目ワーホリが楽しみです。 61頁目 62頁目 63頁目 64頁目 先日1年間のワーホリを終え、帰国された大阪のAさんから、体験談をお手紙でいただきました。お手紙をスキャンして載せておきます。詳細なレポートで読みどころ満載ですが、シェアメイトと大親友になり、そのシェアメイトの実家で田舎のホームステイを体験され、オーストラリア全土ほぼ踏破されているように内容的にもフルヴァージョンのワーホリだったようです。Aさんはこちらに来る前のメールのやりとりの時点から、良く覚えています。「英語の勉強をどうしたらよいか」ということで、「英語の勉強なんか幾らでもできるはず、まずはこのメールからでも英文で書く練習をするとか」とお答えしたら、本当に次回から全てのメールが英文になりました。ここまで真面目に取り組まれている人は珍しいです。こちらに来たあとも、毎日英語で日記をつけて学校の先生とシェアメイトにチェックしてもらうなど。おそらくかなり英語力がついた筈です。当たり前のことをやり続けるのが上達のコツですから。Glebeのシェア先にお届けして、木漏れ日の射すフラットの玄関にAさんが入っていったのを昨日のことのように思い出します。 59頁目 60頁目 札幌のT君です。日本に残してきた彼女のために9ヶ月でワーホリを切り上げ帰国した律儀なT君も、「ワーホリ期間中所持金が1000ドルを超えたのは2回だけ」と書いているように、金欠ワーホリをしてましたけど、ピッキングに次ぐピッキングで見事サバイブして帰ってきました。ピッキングも当たり外れというか、折からの酷暑で作物が枯れてしまったから仕事は無しとか、人里離れた小さな町で2週間待ちぼうけとか、いろいろ大変な思いをされたようですが、それでも「やったぜ」という充足感とともに帰ってきました。彼は、学校中も、ラウンドの途中にも、預かっている荷物の差し替えなどで時々訪ねてきてくれましたが、会う度に顔がオトナになっていき、最後は「おお、男の顔になったじゃん」って感じでした。いいワーホリ生活を送られたと思います。ただ、O君と同じく、こういうことって自分が書くとなると上手く掛けないのでしょうね。うんうん唸ってノートに向かってました。 58頁目 サーフィン未経験ながらサーフィンをやりたくてやってきたO君です。初心貫徹で、ラウンド先のゴールドコーストでサーフィン三昧の日々を送って来られたようです。最初のシェア探しで運に恵まれず苦労しておられたのを覚えています。でも、人間強くなるもので、暫定的に決めたシェアから1ヵ月後には週100ドルのシェアを見つけ、ラウンドから戻ってきてからは、1泊10ドルラウンジ雑魚寝シェアを速攻でキメてました。またバイトのイラン人のやってるコンビニをこれまた速攻で見つけてました。語学学校フルに12週分払ったあとは10万円も残ってなかった彼は(よくあるパターンですが)、学校に行きながらバイトをし、学校が終わると即旅立ちです。「英語力ない、お金ない、経験ない人がワーホリできてサーフィン出来ますか?って後から来る人に聞かれたらどう答える?」と聞いたら、「そんなの全然出来ますよ、ボクがそうですもん」。「じゃあ、どうやって?」と聞くと、「友達の輪」って言ってました。学校のクラスでサーフィンの師匠格の人をみつけ、ビーチでオージーと知り合い、そこからサーフボード屋を教えてもらい、そこから、、という具合にどんどん人のつながりが出来ていって、気がついたらフルにエンジョイしていたということです。ただ、誰でもそうですがあまりに充実感が大きすぎると上手く文章に書けないみたいで、もどかしそうでした。エクスクラメーションの多い文章を読んで、体温を感じてください。 56頁目 57頁目 滞在わずか7ヶ月だけど、頑張って仕事して仕事して、思いっきり充実感を得たというOさんです。シドニーのあと、すぐにケアンズに飛び、そこでクッキー屋さんに勤めます。ジャパレスとかガイドさんなどの旅行系ではなく、クッキー屋さんというところが面白いのですが、それが大きな突破口になったようです。同じクッキー屋さんのシドニー本店でも働く機会を得て、まるで”転勤”のようにシドニーに舞い戻り、David Jones City店(最も格上のデパートの格上の支店でしょう)のなかの店舗で、ギリシャ人のおばさんとオージーの女の子達に囲まれ、本人曰く”仕事漬けの日々”。デビットジョーンズで働いたワーホリさんも珍しいでしょう。もともと働きたくてやってきたOさんですが、初心貫徹というか、初心への一極集中というか、「ラウンドもいいよねー」とかいいながら、結局仕事の鬼と化したワーホリ生活だったようです。それもこれもその仕事がとても本人にとって面白く、意義深く、多くを学べる場だったのでしょう。それだけで「もうお腹一杯」という感じの7ヶ月だったようです。 54頁目 (Oさん) 55頁目 (Mさん) たまたま同じ日の飛行機でやってこられた”同期”のOさんとMさんです。後半にラウンドに出るのですが、バイト少なめのホリデー中心の感じで廻られてますね。といってもケアンズでツアーガイドやお土産物屋さんで働いておられますが、メインにはツアー。お二人とも最初からシェア探しに挑戦され、OさんはChatswood、MさんはRandiwickでした。Mさんが電話片手に奮闘していた姿はよく覚えています(^^*)。1年を経ての感想は、やはり「旅はいい」「やりたいことを躊躇わずやるべし」ということで、まあ、誰もが言うことなのでしょうが、でも本当にそうとしか言いようがないんですよね。 49頁目 50頁目 51頁目 52頁目 中国語専攻のTさんです。シドニーに踏みとどまってジャパレスではない仕事探しを追及されています。学校の紹介で中国人ツアーのガイドをやったのを皮切りに、自分でレジュメ(履歴書)を送りまくってワークエクスペリエンスの機会をゲット、さらにシェア先の人の紹介で英語環境のレストラン、クルージングウェイトレスまでやってます。オーストラリアで働きたいという人の殆どがジャパレスないしは日系企業、あるいは日本語能力を生かした仕事、はたまたあんまり言葉を必要としない肉体労働系で終わってしまうところ、これだけノン日本語環境で且つ多彩な仕事をされた人は珍しいでしょう。現在は京都駅のインフォメーションセンターで英語・中国語を活用して仕事をされています。日本に戻ってから体験記を書いて郵送してくれました。ユニークなイラストが満載で、これがまた上手で思わず笑ってしまいました。 47頁目 48頁目 Fさんです。学校、シェア、エクスチェンジ、オーペア、ラウンドとひとあたり経験されてますが、バッパーの客引きをやったというのは珍しいですね。もともとかなりの英語力をお持ちだったのですが、さらに現場でガンガン揉まれて修行されてきたという感じです。ちなみに、40頁目のNさん、45頁目のS夫妻とこのFさんは皆同じ週にオーストラリアに来られ、いわば「APLaC同期」です。 45頁目 46頁目 S夫妻です。夫婦でワーホリというのは、実は意外と多いです。車を買って一周してこられたのですが、このご夫婦はよく稼いでおられます。記載されているものだけでも二人で1万4000ドルほど稼いでおられますねー。よく、「お金を貯めてラウンドに行くのではなく、お金がないから(こそ)ラウンドに行くのだ」といいますが、まさにそれを地でいってる感じです。軍資金稼ぎに頑張ってる人は必見かも。 44頁目 上記のT君と同期のJさん。この人も盛りだくさんに満喫されましたね。時間がなくてノートに書ききれてないのですが、別途頂いたメールには、「エアーズロックものぼったし、グレートバリアリーフでスキューバダイビングのライセンスもとったし、ホワイトへブンビーチでお昼寝もしたし、アボリジニにおっかけられたりもしたし、ああ、スカイダイビング、1万4千フィートから飛んだし、野生のコアラもカンガルーもみたし、野生のイルカに餌付けもしたし、世界遺産やらなんやらかなり見て歩いたし、普通のOLとしてオフィスで働いたりもしたし、ロブスターも食べたし、ジャズも歌ったりしたし、サッカー部のマネージャーもしたし、、」ということで、You've had more than enough!って感じですね。 42頁目 43頁目 大学を卒業して語学修行のために留学されたT君です。もともと最初の10週でレベル6(最上級)までいけるくらいの実力の持主なのですが、最後のケンブリッジでダメ押し的に英語修行を完成させました。といってもガリ勉してたわけではなく、途中3ヶ月ラウンド放浪をしてたりして、実質的にはワーホリに近いです。留学といってもひたすら学校に行ってればいいというものでもない好例。 32頁目 鹿児島のMさん。Chatswoodで機嫌よく暮らしていたのですが、どうも「まったり」だなと思って、ラウンドに出て正解だったというパターンです。 31頁目 Sさん(その2)。ファーム情報を書いてくれました。 30頁目 Iさん(その2)。ラウンドをほぼ終えて、ベスト3を書いてくれました。上記のSさんとは旅先で偶然知り合ったそうです。 28頁目と29頁目 Sさん(その1)。ラウンドの途中に立ち寄ってくれました。途中経過報告。 26頁目と27頁目 大学卒業後、語学留学にこられたMさん。途中、ご家族の看病のために帰国されましたが、復帰して英語に打ち込まれました。最後の”うわーと思った英語表現”は、うわーですね。日本での就職活動、どうなったかな? 25頁目 K君(その1)。時間が無くて途中で終わってます(続きがまたあります)。筋金入りのサーファーである彼は、学校卒業後、車を買って速攻で北へ向かいます。マグロ漁船に乗って半死半生の2週間を経験したのは彼くらいのものでしょう。 22頁目、23頁目、24頁目 O君。彼もラウンドではじけたパターンだと思います。書ききれないほどの思い出を抱えて帰ってきて、沢山書いてくれました。 33頁目 (以下、2005年2月追加) 34頁目 25頁目のK君の(その2)です。前回時間が無くて途中で終わってますが、今回はマグロ漁船からです。車上野宿生活150泊、フリアコ、オージーの恋人も、、、というK君にすれば、最後に体験したピッキングもヌルく感じられたとしても無理はないかもしれません。ほぼヨーロピアンのラウンドと遜色ないくらい、ここまでディープにラウンドした人も珍しく、ファームやピッキングがラウンドの終着駅だと思ってる人は読んで損はないでしょう。 35頁目 36頁目 M君。学校卒業後、「さて、どうしたもんか?」という思ってたところ、ラウンド→ピッキングに旅立ち、WWOOFを中心に農場を巡ってこられました。時折預けている荷物の中身を交換しに(夏服→冬服とか)ウチに立ち寄られましたが、最初はおっかなびっくりだったのが、段々自信に溢れた顔つきになっていくのが頼もしかったです。 37頁目 38頁目 39頁目 Yさん。ラウンドから帰ってきてウチにスーツケースを取に来たとき、真っ黒に日焼けした顔が輝いてました。ステイ、学校、ラウンド、いずれもこれ以上ないくらい満喫したって感じです。字が満足そうですよね(^^*)。日本ではバスガイドさんだったのかな。感受性が豊かというか、ひまわりのようにハッピーになる才能をもってる人で、この人のバスだったら乗っていいなって思います。 40頁目 41頁目 N君。大学在学中に半年だけ来られましたが、学校→ラウンド&ファームとやるべきことはやったという感じです。自転車野郎で日本全国ほぼ走破しただけあって腰が軽く、最初の一歩をウチで過ごされている間にも、一人でマンリーにいったり、カブラマッタまで出かけていかれたのを覚えてます。着いて数日以内に一人でカブラマッタまで行ったのは彼だけですな。 21頁目 カップルで、仕事の骨休みを兼ねて語学留学という形で来られました。最後はキャンピングカーを借りてエアーズロックまでドライブしたそうで、羨ましいです。 19頁目と20頁目 滞在11ヶ月目のOさん。本当にこの人は良く働いてます。ワーキングホリデーの「ホリデー」はどこに?といった感じですが、ウチにきたのも仕事の営業で訪ねてきたという、ワーホリ=ワーカホリックぶりでした。でも勤労ワーホリを満喫しているようで何よりです。ワーホリ後もシドニーに在住。まだ働いてます(^_^)。 18頁目 I君(その1)。学校を出た時点での経過報告という感じです。 17頁目 M君。シドニーにずっと居て黙々と働いていました。合気道もやったりで、地道に継続というズシンとした達成感を胸に帰国。 14頁目、15頁目、16頁目 S君。車を買って、行く先々でリフトを募って半周してきました。ステイ先の家族が喧嘩別れしたりカツアゲ被害体験ありなど、ディープなオーストラリアを堪能してます。 13頁目 ほとんど1年バッパー暮らしをしていたI君。ウチで酩酊状態で書き始めたので、数行でダウンです。 12頁目 鳥取のWさん。上記のIさんと一緒にパースまでラウンド。そこからファームで腰を据えて働いてました。 11頁目 横浜のIさん。「わたし、ラウンドは考えてません」とか最初言ってたのに、学校のあと9ヶ月間まるまるラウンド。しまいには、女の子一人でシンガポールからマレーシア経由で陸続きでタイまで海外ラウンドしてしまいました。 10頁目 東京の花火師のM君。彼はワーホリではなく、みっちり英語をやるために1年語学留学でした。ボロいけど素敵なシェアに恵まれてNewtownで一年過ごしました。 8頁目と9頁目 名古屋出身のK君。ギターひっかついで渡豪してきました。ウチで一緒にミニセッションしたのを覚えてます。 7頁目 小樽出身、柔道二段でバイク乗りでカメラ屋さん勤務だったF君。そういえば、彼も空港から自力でやってきました。低予算でやってきて学校を出たあとはバイトに励み、バイクをゲット。一周しました。実は彼、まだシドニーにいます。もうすぐ永住権とれるんじゃないかしら。 5頁目と6頁目 独立独歩の鬼、M君。一括パックの無料空港出迎えも断り、さらに自分の足で13校学校訪問。シェアもよりディープな西へ西へと向かい、バイトも日系以外のところを足で歩いて探し出し、ボランティアもやるという、ラウンドはしなかったけどシドニー滞在型フルコースのようなパターン。 3頁目と4頁目 ワーホリで入り、犬の散歩のバイトをし、それがきっかけでオーストラリア人の会社(厩舎)から労働ビザをゲットした滞在1年半のS君。しかし旅先でよく盗難に遭ってます。 1頁目と2頁目 トップバッターのY君。なににせよ第一号というのは書きにくいものです。「何を書けばいいでしょうねえ?」と迷いながら箇条書き的に書いてくれました。 |