1. Home
  2. 語学学校研究
  3. ワーホリの部屋
  4. 体験談
  5. 吉池竜矢さんのワーホリ体験記
2013年07月03日


吉池竜矢さんのワーホリ体験記(1年目終了時点)

2012年07月〜 2013年05月



オーストラリア・ワーホリ体験談


海外に行ってみようかな・・・


 僕はワーホリでオーストラリアに行くまで、今まで一度も海外に行った事がありませんでした。
 前からそのうち旅行で行こうと思っていたのですが、まったく行動に移せずに何年も月日が過ぎていました。

 しかし、ある時から”海外で暮らしてみたい”と思うようになり、知り合いからワーキングホリデーと言うものがあると耳にし、「それで行こう!」と決意!しかし、僕はなかなか優柔不断な所があり「行こう!」と決意するまでけっこう時間が掛かりました・・・そして、いろいろ調べている時たまたま田村さんのAPLaC のホームページを見つけ、”何か他のホームページとは全然違うぞ!”と思い田村さんにお世話になる事に決めました。

 何故海外に、オーストラリアに行こうと思ったのか??
 それは今でも正直わかりません。この時、ずっと車の整備士の仕事をしていました。ずっとやりたかった仕事でしたし、一時期「オレはこの先もずっとこの仕事をやり続けていくぞ!」とまで思っていました。

 ところが、ある時から何故か”楽しいんだけど、つまらない” というよくわからない感情が生まれてくるようになったのです(うまく言葉で表現できないだけのような気も・・・)。別に仕事が嫌になった訳ではないのに、それからというもの毎日のように「このままでいいのかなぁ?他に何か出来ないかなぁ?オレは何がしたいの?」と自問自答していました。それもあってなのか、まったく違った環境に行けば自分が求めてる答えのヒントが見つかるのではないかという期待もあったのではないかと思います。

 あとは、自分が海外という日本以外の国に行って生活できるのか? どこまで何ができるのか?試してみることに興味もありました。それは、単純に”好奇心”なのではないかとも思います。前から好奇心は何に対してもそれなりにあったのですが、ある時からそれが更に旺盛なった気がします。それに今思うに、海外・オーストラリアでなくてもよかったのかなぁと、たまたまその時そこに興味を抱いていたからなのかなぁと首を傾げたりもします。

 それでも、本当にオーストラリアにワーホリで行く事ができてよかったと思います。いい思い出が沢山できました!  やはり何事も”やってみないとわからないなと”つくづく思いました。そして、これからも何事にも挑戦していきたいと強く思います。

シドニー到着 シェア探し→語学学校 4ヶ月


 2012 年7 月17 日オーストラリア到着、この日僕は生まれて初めて海外にやってきました、しかも飛行機に乗るのも初めて!もうずっと緊張、心配しっぱなしでした。

 正直、田村さんが本当に空港まで迎えに来て下さるのか・・・笑)でも、心配無用でした。それで車で田村さんのお宅まで行く道中それまでの心配は何処へやら「今日から海外で生活できるのかぁ」とワクワクでした。なんて単純・・・笑)

シェア探し

 次の日から学校見学とシェア探しのスタート!学校見学は確か2 校見学に行きSCE に決めました。理由はなんとなくこっちがいいと思ったから。その後シティから田村さん宅まで一人自力で帰るという恒例の”アレ”はけっこー楽しかったです(内心ビビリまくりでしたけど)

 その夜からシェアのアポ取りの訓練&実戦!
 あれは本当にビビリました。英語なんて中学以来勉強なんてしてなかったのでまったくダメ!!始めの電話なんて緊張しすぎて自分で何言ってるのか分からないし、電話の相手も何言ってるのか分からない!!テンパリまくりでしたね笑)それでも田村さんの助けを借りて何とかアポが取れた時はすごく嬉しかったです。

 次の日からアポを取ったシェアハウスに地図片手に見に行きました。初めて行く町、初めて会う人、初めて見る景色、すべてが初めてで、もう毎日楽しかったです!でも、途中アポが取れなかったり、道に迷いまくったり、英語が通じなかったり、相手が何言ってるのか分からなかったり、確か足がものすごく痛くなったりしてけっこう辛かったりもしました。

 それで結局1週間ちょっと20件ぐらいだったかな?シェアハウスを見て廻り、Ashfield のオージーの一家のシェアハウスで決めました。理由はシェア先のオーナーがすごいフレンドリーだし、この人ならシェア生活も楽しくなりそうだと思ったからです。でも、そのオーナーも忙しい方でいつも朝早くに仕事に行き遅くに帰宅、僕も学校、遊び、バイトで殆ど絡む事がなく約4ヶ月過ぎてしまいました。

学校とジャパレス


 そして学校スタート!学校はすごく楽しかったですね。
 久々の学校だし、日本の学校とは全然授業のやり方も違うし、何よりいろいろな国籍の人達と知り合えるのがすごい新鮮でした(でも、初めはやっぱり英語話すの恥ずかしいとかビビリまくり)

 レベルは一番下のelementary からでした。それで4ヶ月で一つ上のレベルに上がれただけでした。全然勉強足りなかったなぁと思います・・・ いつも、学校終わって何処か行った事がない所にフラフラと行っていた気がします笑)
左のヤンキー風集合写真は、カルチャーデー(国別対抗の文化祭みたいなもの)。着物はシティのパディスマーケットで一着10ドルでゲット、皆でよさこい踊りを踊ったとか。
写真右は、卒業時。修了証書とVサイン。


 あと、アルバイトもやりました!
 始めはジャパレス。でも、そこは1週間で辞めました・・・
 何故かものすごくそこで働くのが嫌で嫌でしかたがなくなったので・・・。なんで嫌なのか分からなかったので違うジャパレスで働いてみる事に、、、それでもやっぱりそこでもまた働くのが嫌になり約2ヶ月で辞めました。

 一緒に働いてる方々はいい方々で楽しかったのですが・・・飲食店で働くのは初めてだったのですが、おそらくその時は飲食店で働くのが嫌だったんだと思います。

ローカルの車屋さんでの仕事

 その後は、こっちに来る前日本で車屋で働いていたのでオーストラリアの車屋でも働いてみたいと思い、探してみることに。このときに初めてレジュメを持って突撃攻撃!10件ぐらい突撃したところ運良くCroydon の車屋で働く事ができました。そこはオージーの方が経営していて初めてローカルの仕事でした。でも、時間が合わなくて週一回しか働けなかったのだが・・・でも、前から海外で働いてみたいと思っていたのでそれは達成できたからいいかなと思いました。

 海外で働いてみての感想は、車屋だからなのかもしれないですが、「それほど日本と変わらない」というのが正直な感想です。単に会話が英語になっただけ、みたいな感じですかね。以前は、ただ漠然と、「海外で働く事はすごい事ですごく大変な事!」みたいな夢を抱いていたのですが、なんか普通すぎて拍子抜けでした。

 まあ職種にもよるのかもしれないけど、何処にいようが仕事は仕事同じって気がしました。

バッパー暮らし

 そして最後の最後、学校卒業まで約3週間という時に何故かシェア先の家族があまり家に帰って来なくなり、日に日に家具が減っていく、、、、なんかおかしいな?まさか?と思っていたら、案の定急にシェアハウスのオーナーに家引っ越すからって言われ、シェアハウスを出なければいけなくなり、新たなシェア探しをすることに。

 今度はもう少し遠い所に住みたいなと思い、Manly やサザーランド(スペル忘れた・・)にシェアを見に行ったのですが、これがなかなか見つからず・・・

 前に田村さんに相談した時にバッパーに泊まる事もありだという話を思い出し、バッパーに泊まる事に決め、田村さんに教えていただいたバッパーを見て廻り、結局Surry Hill の東京ビレッジというバッパーに泊まることになりました(少し名前がウケタ)。

 初めてのバッパー生活はけっこー楽しかったです。お世辞にも綺麗とは言えなかったですが、皆さんが言うようにすぐ慣れましたし、何気に居心地がよかったですね(後になって気がついたことですが・・)

 こんな感じでシドニーでの4ケ月を過ごしました。

 そして11月に学校を卒業し、その2日後。ついにどうしてもやりたかったラウンドに出発。
 目的地はオーストラリアの西部「世界で一番美しいと言われている街」パース!!
 あの時はものすごくワクワクしました。

2012 年11 月→2013年5月  ラウンド!

パースにて

 シドニーから飛行機で5時間ぐらいでパースに到着、その時僕は仕事を探す為やる気満々でした!
 取り合えず泊まるところを確保し、ファームの仕事をするつもりだったので情報収集をする為インフォメーションセンターやジョブセンターに行きました。

 しかしその時期はあまりファームの仕事がなかったらしく殆ど情報は得られませんでした・・・どーしていいかわからなくなり、気持ち的にすごい焦ってきました。田村さんにまたまた連絡してアドバイスを貰い、その時話題に上がったWWOOFをやってみようと思いWWOOFの本を買い、ホストに連絡を取る事に。

 ちなみに、その前に田村さんに言われた事で少しショックな事が!
 それは、「せっかくパースにいるのに観光したの??」と言われた事です。その時僕は、仕事を探す事しか考えていませんでした。正直お金は全然ないわけではなかったのですが何故か早く仕事をしなければならないみたいな思いでいたみたいです。ラウンドに出る前は、色々な所に行ったり、見たり、沢山楽しむぞぉーって感じだったはずだったなのに・・・「楽しむ」って事を忘れてたみたいです。その時、田村さん電話して本当によかったとすごく思いました。

 というわけで、、観光してからWWOOFをする為にBalingup と言う町に行く事に。

Balingupでの初WWOFF

 パースからバスで3時間ぐらい南下した所にある町Balingup。
 「町」といってもすごく小さかった。あるのは郵便局、カフェ、小さい雑貨屋、学校、、と数えられるぐらいしかお店がない感じの町。でも、なかなかのどかな感じで僕はけっこー好きでしたけど。

 Blingup の町に到着し、WWOOF のホストの方が車で迎えに来てくれたので、それに乗り、ホストのお宅兼仕事場?に向かいました。なんかものすごく山奥でした。道も舗装なんか当然されてないし、すげー細い道のような道じゃないような所を進んでいきました。途中初めて野生のカンガルーに遭遇して一人テンション上がってましたね!

 そこの仕事場はご夫婦でやっている所で、仕事は花のプランティングの仕事の手伝い+その他でした。すでにフレンチのカップルがWWOOF をしていて、彼らと一緒に仕事する事になりました。

 仕事自体はすごく楽な仕事内容で、朝起きてニワトリのエサやり、花の水やり、花のプランティング雑草抜きなどその他雑用。あの時期はまだ、花の芽を育ててる時期だったらしく、そんなに忙しい時期ではなかったみたいです。なのでその時丁度家の壁の修理、暖炉の修理をしていてそれの手伝いもしてました。

 仕事終わった後はフレンチカップルと話をしたり川に行ったりしてのんびりと過ごしていました。
 夜の星空の綺麗さは本当にすごかったです!
 もう、見上げれば一面星!!
 あとはすごい山奥だけにすごい静かでしたね。
 しかし、1週間が過ぎた頃、ちょっとした問題が発生しました!
 ホストのご夫婦を怒らせてしまったのです。

 その時フレンチのカップルが来週ここを出て違う町に行くと言い出して、その二人は車を持っており「もしよかったら一緒に行く?」と誘われました。すこし考えた結果、一緒に行く事に決めました。車での旅というのをやってみたくなったのです。

 そして、その事をホストの奥さんに伝えたのですが、その時奥さんは、特に反対などはされなかったし、逆に「いいじゃん」みたいな感じで言われたのですが、次の日の朝、旦那さんに声を掛けられた際にその話について言われたのですが、何故かその時少し怒っているようだったのです。はじめは何故怒っているのか理解できませんでした。後で話をしてみると、どうも僕が2週間で出て行くという事に対して怒っているようなのです、しかも奥さんの方も怒ってたみたいで。正直、僕は納得出来ませんでした。なのでその事についてちゃんと話をしたのですが、殆ど英語が理解できない!言いたい事も英語でなんて言っていいか分からない!、、、その時は本当に悔しかったし、自分に腹を立ててました。そんなこんなで初めてのWWOOF 体験が終了しました。

AlbanyからAdelaideへ

 Blingup を出発して約半日車を走らせ、向かった先はAlbany という町です。

 ファーム情報を得るためにインフォメーションセンターやバックパッカーに仕事がないか聞いて回りました。しかし、その時期はまだあまり仕事がなく、1ヶ月後ぐらいから忙しくなるからまた電話すると言われるだけ・・・。

一目瞭然で、ほとんど解説不要ですが、左はWave Rock、右はナラボー。

 なので、そこで仕事が来るまで待つか、移動するか迷っていたら、一緒にいたフレンチのカップル達がAdlaide に行くと言い出したのでそれに便乗することに決めました。Adelaide まで車で約5日掛かり、その間は小さな町の駐車場やキャンピングスペースで野宿し宿代を浮かせながらのプチ旅行!けっこう楽しかったのですが、途中からそのフレンチのカップルと一緒にいるのが嫌になり、Adelaide で別れる事にしました。

 Adelaideでは、またファームの情報を得る為にインフォメーションセンターに聞き込み行きました。
 そしたら、そこにいたおばちゃんがすごく親切な方で、僕がファームの仕事を探してると言うとその方がなんと!パンフレットにあったファームにわざわざ仕事がないか電話で聞いてくれたのです!なんて親切なんだぁ!!!

 しかし、残念ながら人手が足りているらしく仕事がありませんでした。
 そしたら今度はLoxton と言う町でオレンジの収穫が始まっているかもとの事で、そこのワーキングホステルの電話番号を教えてもらい電話してみる事に(今度は自分で)

 すると、今仕事があるとの返事が!なので僕は今日中に行くという返事をし電話を切りました。
 すぐさまバスのチケットを買いLoxton に向かいました。

 実はその時僕はけっこう焦っていたのです!ラウンドに出た時、所持金はまだ1000 ドルちょっとあったのでけっこー余裕でした。しかしAdelaide に到着した時点で所持金確か200 ドルぐらいだったと思います。なので早く仕事を見つけたかったのです。

Loxtonでの稼げないファーム生活

 その日の夜にLoxton に無事到着し、ワーキングホステルに行き、仕事の事を聞いてみたら、、、、なんと!明日から仕事が出来る事になりました!オレンジのピッキング。なんかあっさり仕事が見つかり少し拍子抜けしましたが、とりあえず一安心だなと思ったのですが・・・人生そんな簡単にはいきませんでしたね。

 一応次の日から仕事は出来ました、が、3日で終了!
 なぜならそこのファームがnew year holiday に入ったからです。次の仕事の始まりは約1.2週間後・・・それまで仕事がない、、、そーなるとレント代が払えなくなる・・・なのでホステルのおばちゃんに次の給料が入るまでレントの支払いを待ってもらえるようにお願いしました。とりあえず待ってもらい、何とかなりました。
 そのオレンジファームはコントラクトの仕事だったのですが、”1bin 18ドル” 。
 僕は全然稼げなかったのです。大体2 bin 半しか作れなかった・・・
 その頃毎日暑かったせいもあって大体午前中で終了、しかも僕のピッキングが遅い・・・
 結局3日で稼いだのは120 ドルぐらいだったかな・・これじゃあレントも払えない・・・(週130 だったと思う)

 どうしようかと思っていたら、たまたま他のファームで仕事があり、そこでも2日だけ働く事ができました。
 今度のファームは野菜のファームだったのですが、そこのファームもコントラクトの仕事でグリーンビーンズのピッキング!!”10 kg 10 ドルだったかな?” しかし、そこでも全然稼げなかったのです。確か2 日で35ドルぐらい・・・

 大体仕事が2,3時間で終了!それに1日に取るビーンズの量が大体決まっていたらしい・・・それでも、とりあえず何とかその週のレントだけは払う事ができました。でも、次の週から払えなくなり、そんなこんなで結局3週間滞納・・・

 この時は何故かいろいろとしんどかったなぁ。(ベットバグにも初めて刺されたし・・・)
 そんな感じで新年を迎えました。

Loxton時代、仲間のバースデーパーティにて
どこに?と思ったら、後列で顔を上にあげて笑ってます
 新しい年になってオレンジピッキングがまた始まったのですが、今度は5日働けるぞぉ!ってもう終わり?今度はピッキングの仕事終了!!そして、また仕事待ち・・・「またかよぉ!!」

 そしてまた1.2週間仕事がない日が続きました。
 何処か違う町に移動したかったのですが、レント滞納してたから移動できず・・・

 でも、何故かその頃にはもう意外と焦ってはいなかった気がします。普通に楽しく過ごしていました。そしたら、また野菜ファームの仕事が出来る事になり、せめてレント代だけでも稼ごうと毎日働きました!今度はビーンズではなくスイートコーンや他にいろいろな野菜のピッキングが出来たので、まぁいい経験になったかなと思います。

 そこで約2週間働いてやっとレントも払えて少しお金ができたので、思いきって移動する事に決めました。正直このままいても全然稼げないなと思ったのと、その時、何故かそのホステルに日本人が沢山いて、僕はほぼ毎日日本語を使ってました。(滞在約2 ヶ月)そこにいた人達とはけっこう仲良くなり楽しかったのですが、”これじゃいかん” と思っての事です。

Renmarkへ〜そして遂にナイスなファームに

Renmark時代のスナップ
 そして、次に目指した町は、Renmark という町。Loxton からバスで30 分ぐらい走った所にある町です。

 Rennmark に着いてまたいつものごとくインフォメーションセンターに行き情報収集、しかし、情報なし!
 仕方ないので町の地図を貰って宿探し。その地図にワーキングホステルの位置が載っていたのでとりあえず行ってみることに。しかし、オーナー不在。電話してみる事に。そしたら取り合えず待ってろとのこと、待つ事約6時間、やっとオーナー登場!なかなかフレンドリーなおっさんだった。

 とりあえずチェックインする事ができて一安心。しかし仕事はいつ出来るかわからないとのこと・・・。

 だが、滞在2日目の朝僕は気持ちよく寝ていたところ突然ドアのノックの音、そして、ドアが開かれ現れたのはそこのオーナーのおっさん!何事かと思ったら、「仕事だ!10 分で着替えろ」的な事を言われ起こされた。僕はすぐさま仕事の服に着替えてオーナーの車に乗っかり仕事場へ。まさかの展開で仕事ゲット!

 そこのファームは夫婦二人でやっていてイングランド出身の旦那さんとオージーの奥さんでした。
 とてもフレンドリーな方々で本当にお世話になりました。

 と言うのも、僕がそこに行った時、収穫時期が殆ど終わりに近づいていたらしく、約2 ヶ月ぐらいで殆どの仕事が終わりました。なので、また何処か移動しようかどうか考えていた時、なんとご夫婦が、僕がセカンドビザを取りたい事を覚えていてくれて、セカンドの日数を満たすまで何か仕事を探してくれると言ってくれたのです!それで、約一ヶ月ご夫婦の手伝いをさせて頂いて、ついにセカンドビザの日数を満たす事が出来たのです!!

 その間も、いつもお昼を出して頂いたり、仕事終わりにビールおを頂いたり、一番ビックリしたのが、車のレースを見に連れていって頂いた事です!(Adelaid cup )その他いろいろ。

 そして、最後には連絡先を交換して、「また、Australia に戻って来て仕事がしたかったら連絡して」とも言ってもらえました。
 本当に本当にお世話になってしまいました!

 しかし、その反面少し悔しい思いもしたりしました、ズバリ英語です!

 細かい説明や世間話、ジョークなど正直言って殆ど聞き取れてなかったと思います・・・
 特にジョークは僕の中でものすごく難しいと思いました。何度も聞き返したり、全然会話にならない時もしばしば・・・

 にも関わらず、良くしてもらえると言うのは言葉だけじゃないんだなぁとつくづく思いました。

 ちなみに仕事は、ドライフルーツを作る為にピーチのカッティングから始まり、洋ナシのピッキング・カッティング、ネクタリンのピッキング、ワイン用のブドウのピッキングなど他にもいろいろ手伝いをさせてもらいました。給料は時給18ドルでした。

Broome へ!

 無事セカンドビザの日数も満たす事が出来たので、移動する事に。前から考えていたのがMelbourne かTasmania に行こうかなぁと、しかし、同じバッパーにいた友達がBroome に行くと言っていて、そこでパールの養殖の仕事があると聞いてすごく行きたくなってしまい急遽ブルームに行く事に決めました。

 Broome に到着するとまず思った事がとにかく暑い!!いや熱い!!
 それに少しジメジメしていて、日本の真夏みたいな感じだなと思いました。
 しかし、海が半端なく綺麗でビックリしました!!

 Broome には飛行機でAdelaide→Perth→Broome という経路で行きました。

空港野宿の出会い


空港野宿の図
 何のトラブルもなく無事にBroome に到着したのですが、一ついい出会いがありました。

 Adelaide 空港からパース行きの便が早朝だったので、僕は寝坊するのが嫌だったのと宿代を浮かすために空港に泊まろうと予定していたのです。しかし、いざ空港に行ってみると、なんと夜の11 時には閉まり朝の4時まで開かないとの事!僕は空港は何処も24 時間開いているものだとばかり思っていました。なので空港の外で待つか、シティに戻って宿を探すかしなければならなくなり少し迷う・・そしてどうしようか考えながら空港周辺をウロウロしていた時3人組の男の子達を発見しました。

 その中の一人が荷物を沢山抱えていて飛行機を待ってる風だったのでまさか! と思い声を掛けてみました。そしたら案の定彼も僕と同じ状況だったので、僕も彼と一緒に空港の外で待つ事にしました。彼は中国人でAdelaide の大学に通ってる学生さん、中国に帰る所だったようです。

 僕達は空港が閉まる時間まで空港の中で話しをしていました。
 11 時になると空港から追い出され外のベンチへ、そしたら何人か同じように待ってる人たちもいました。少しベンチに横になり仮眠を取ろうと思ったのですが寒すぎて眠れない!でも、眠い! さすがに少し後悔しましたね。なんとか寒さに耐えドアが開いた瞬間そっこーで空港の中へ行きコーヒー飲みホッと一息、出発の時間まで雑談。
 僕達ば別便だったのでそこで別れました。

 飛行機の中で僕はこういう出会いってなんかいいなぁとしみじみ思いながら、、爆睡・・・。

Woolworthsのトロリーボーイ体験

 Broome でやりたかった事、それはパールの養殖!
 そこで、ジョブセンターに聞きに行ったり、パールの養殖の会社に電話、レジュメを持って突撃攻撃!
 しかし全然手ごたえ無し・・・今は時期じゃないと皆に言われる・・・でも、少し前に来てる人やコネがある人達は仕事してるらしい・・・

 そこで、パールがダメなら違う仕事を探そうと思い、今度はリゾートホテルのハウスキーパーの仕事を探す事に、しかしこれも大苦戦!リゾートホテルは沢山あり、歩いて行ける所を全て突撃攻撃! しかし、すべてダメ!こっちでも、皆声を揃えて「まだ、時期じゃないもう少し先だ!」。

 どうやらこのシーズンは皆仕事を求めてBroome に来るらしい、その訳は仕事が見つけやすい、時給が高いらしい、でも、人が増えすぎて競争率高い気がしたが・・・

 まぁ運がなかったと思い。他の仕事を探そうかなぁと思っていると、同じバッパーの住人に「仕事探してる?今から仕事できるけと」と声を掛けられ僕は取り合えずYES と返事をした。その仕事はWoolworths のトロリーボーイでした。取り合えずそのボスの所に挨拶に行き、その日から仕事することに。

 始め僕は、「ただWoolworths のショッピングカートを集めるだけだからすげー楽じゃね?」とか思ってました。しかし、やってみるとなかなか大変で、平日はそうでもなかったのですが土、日、祝日が忙しくてひたすらカートをクソ暑い中集め続けなければならなかったし、10 時間労働!

 しかも何故かカートをそこらじゅうに置いていくんですよねぇ。ちゃんとカート置き場があるのに。駐車場がなかなか広かったので、さすがに端の方とかに放置されるとイラっとしましたね(笑)でもまぁ、いい経験だったと思います。ちなみに時給は13ドル。多分Broome の仕事の中で一番安い時給だと思われます。(Broome の平均の時給20 ドルぐらいとみんな言ってた・・・)

 しかも、そこのボスが多分お金にルーズ!給料しばらく貰えなかった人もいたらしい・・・それに計算すると時給13ドルは貰ってなかったんですよねぇ・・・しかも、その事で文句言ってもいつも同じ返事「座って休んでる時間があるだろ?」みたいな事を言われる、たしかに暇な時はほとんど座って休んでいたけど・・まぁそんな感じだったので2週間で辞めました。

月の階段といつもの悩み


 その数日後今度はKununura に移動しました。何故かその時Broomに長く滞在したいと思わなかったのです。

 でも、Broome でしか見れない月への階段だけはどうしても見たかったので、それだけはしっかり見てから旅立ちました。あれはなかなか感動しました!月が海の地平線から日の出のようにだんだん昇ってきて、そこから次第に月明かりが引き潮になった海を照らしだし、そこが階段のように見える、本当に月まで階段が延びているみたいでした。

 この時、AUS で生活し始めて約10 ヶ月が経った頃です。
 それなりにこっちの生活大分慣れてきたのかなぁって感じでした。

 もう、毎日がすごい楽しかった!
 いろんな国の人達と仲良くなったり、いろんな物を見たり、聞いたり、辛い事もしばしば、まるで夢のような10 ヶ月でした。(日本に帰った今でも、夢みたいですが)


 しかし、ここにきて毎日同じ事を悩んでました。
 しかも、こっちに来る前日本にいた時と同じ悩みを・・・

 「このままでいいのか?何かできないか?何がしたいのか?」正直未だにわかってないですね・・・
 まぁ、たかが10 ヶ月で何か見つかるとは思ってなかったのですが、それでも何かしらほんの少しでも心境の変化があってもいいんじゃないかと思っていました。

 でも、同じ事で悩んでる自分がいるという・・・何も変わってない訳ではないとは思うのですが、全然変わってる気がしない・・・時々このままオーストラリアに居続けていいのかと自問自答してみたり、オレは何をやってるんだ?と疑問に思ったり、落ち込んだりしてました。(コレも日本にいる時と同じ・・・)

 別にオーストラリアでの生活が嫌になった訳ではないし、すぐに日本に帰りたいという訳でもない。
 どちらかと言えば楽しい!!いろんな人に出会える事、いろんな所に行ける事など。

 なのに悩む・・・
 暇があればそんな事ばっかり考えていた気がします。

Kununuraへ、そして旅の終わり

 そんな感じでいろいろ考えながら、Kununura へ移動しました。
 Kununura では、前にBroome でできなかったハウスキーパーかまたファームの仕事がやりたいなぁと思い探し始めました。しかし、すぐには見つからず、しかし少し待てば仕事(ファーム)が増えてくるからと言われ少し悩み、その時まだ滞在3日目だったので少し待って、その間他の仕事を探せばいいやと思ってました。

 しかし、家庭の事情ですぐに日本に帰らなければいけなくなってしまいました。
 次の日にDarwin に行き、日本に帰りました。

 これで、僕の初めてのAustralia のWoking holiday が終了しました。本当に長いようで短い夢のような10 ヶ月でした。


 日本に帰ってきても未だに信じられないぐらいです。

 正直、何か自分が求めている答えのヒントみたいなものは、まだ見つけられてはいない気がします・・・。
 でも、ちょっとやってみようかなとか、興味が出てきた事は少なからずあったので、何かしら小さくてもヒントの欠片を見つける事ができたのかな?と思いました。

 余談ですが、日本に帰る前に僕自身日本に帰って何を思うのか、どう感じるのかが、ものすごく興味があったのです。、帰ってみて自分にがっかり、と言うか拍子抜けしました。”別に普通!” 普通過ぎて自分にビックリしました。あたかもちょっと近場に遊びに行ってきた帰りみたいな感覚でした(笑)もっと何か「おぉ!」とかあるだろぉ!と自分にツッコミを入れたくなりましたね。

 でも、一つだけ面白かった事が、空港について空港内を歩きながら辺りを見回していると、もちろんここは日本、日本人がいっぱいいる!皆日本語話してる!当たり前!そこへたまたま僕の目の前を外国の方が通り過ぎて行きました。そしたら何を感じたのか少し「ほっ」とした気がしました。(笑)


 最後に田村さん本当にいろいろとお世話になりました!
 困った事があるとすぐ電話したりメールしたりしてご迷惑掛けてしまったと思います。
 でも、いつもいただけるアドバイスのお陰でここまでやってこれたと言っても過言ではないと思ってます!お会いできて本当によかったです。日本に帰る前に直接お会いしていろいろお話したかったのですが今回はお預けって事で、次におそらくセカンドでもまた、行きたいと思っています。また、お会いできる事を楽しみにしたいと思います。

                                                    吉池 竜矢


補充質問


漠然とした根源的な問いかけなのですが、吉池さんが持っている大きな渇望感みたいなものはなんなんでしょうね?

吉池さんには、面白いことや楽しいことには敏感に反応する、すごい知覚があります。だから、この世のだいたいのことは面白く咀嚼できる。だけど、それでもまだ満たされていない、喉が渇いた感じがするのは、多分、もっと楽しい、充実するなにかがあるという漠然とした感覚だと思うのです。

そこで質問なんですけど、
その「渇き」みたいな感じって、子供の頃からあったのですか?
何時頃から出てきたのですか?
それは、高校から実社会に出て、そしてオーストラリアに来て、何か感じが変わりましたか?
また、そういった渇望感というのは、自分のどの部分から出てきていると思いますか?
これは「こういう答えが来るだろうな」という予想は一切なしで、僕もよく分からないのですよ。でも、気になる(^^)。知りたいなあと。もし、なにかありましたら書いてみてください。


★「その「渇き」みたいな感じって、子供の頃からあったのですか?」
子供の頃を思い返してみると子供の頃はその感じはなかったのではないかと思います。
子供の頃は、ひたすら遊ぶ事に一生懸命で勉強もそっちのけだったと思いますし、常に遊ぶ事しか考えてなかった記憶しかありません。(^−^)
中学、高校ぐらいになると、いろいろ出来る事も増えてくるし、何をやっても新鮮で心から楽しんでいたと思います。勿論今でも新しいことなど、なにをやっても新鮮だし楽しい、でも、子供の頃の純粋になにをやっても楽しいとは少し何か違っているような、同じような・・・。(新鮮なのは変わらない気がします)


★「何時頃から出てきたのか?」
 おそらく20歳過ぎてぐらいからだと思います。
 多分時期的には、18歳で念願の整備の仕事を始めて仕事にもなれてきた時だったと思います。


★「それは、高校から実社会に出て、そしてオーストラリアに来て、何か感じが変わりましたか?」
 高校から実社会に出た時は、まだそんな事は思いもしていなかったと思います。
 高校中退してスタンドでバイトして、バイク・車に興味が湧いてきて、整備士になるために一生懸命でそんな事は考えもしませんでしたね。

Broomeの燃える朝焼け
 そして、オーストラリアに行ってからは、始めはそんな事考えてる余裕はなかったです。
 次から次へと新しい事が押し寄せてくるし、生活に慣れるのに精一杯で!でも、後半になって生活に慣れてくると「それ」がまた浮上してきたんですよねぇ。でも、その時は、「楽しいんだけどつまらない」っていうのは、前ほど強くはなかった気がします。でも、何かシックリこない、う〜んっと同じように悩んではいましたけど。楽しみに関してはしっかり楽しんでいたと思います。だから、ほんの少しは変わったのかな?って感じです。


 それと、微妙に質問と違うかもしれないのですが、オーストラリアに行ってから具体的に新たに興味が出てきた事少し変わった事もありました。他の国・人の事・宗教・歴史など言い出せばきりがないですけど。その中でも今一番興味があるのが、英語の翻訳とカメラです。

 カメラはそっちにいる時に知り合った人が一眼レフカメラで写真を撮っていて試しに撮らせて貰った時、シャッターを押したときのシャッター音を聞いて「何これかっこいい!ほしい」って思いました。それで、一眼レフカメラの事少し調べました、そしたら更に興味が湧いてきて日本に帰ってすぐに安いやつですが買ってしまいました(^−^)

 英語の翻訳は、ただ単純に本を読むのが好きというのもあります。
 英語の本を自分で自分の言葉で読みたいとか、これは想像と言うか願望なのかもしれないのですが、翻訳と言ってもいろいろな種類があると思うのですが、文芸とか説明書とか専門書とかいろいろ。細かい事は分からないのですが、もし普段絶対読まない様な内容の本や専門書などの翻訳をする時があるとします、その時勿論知識はゼロなのでそれについて勉強しなければいけないなは当然だと思うのですが、それがやりたい!

 簡単に言うとどんな事でも勉強したい!でも、普段の生活では学校とかそういう仕事についていない限り勉強するのは大変だなと思います。しかも、宗教とか政治とか興味はあってその手本を読んだりしても、はっきり言って読んですぐ忘れる・・・なので、それが仕事でやらなければならないのなら嫌でも勉強できる気がするのです。
この考えは甘いですかねぇ?しかも、今の僕のクソみたいな英語力・日本語力ではこんな事言うのは笑われますかね・・・??

 勿論英語も日本語も、もっともっと勉強したいと思うようになりました。
 これに関しては今の所ハッキリ胸張って「やりたい」ってまだ言えない自分がいます。ただ勉強したいなら学校に行けよって言われたらそれまでなんですが・・・学校もタダじゃないしって思ってしまいます。


★「また、そういった渇望感というのは、自分のどの部分から出てきていると思いますか?」

 コレは正直言ってわからない!と言いたいです。
 でも、それじゃあ答えになってないので強いて言えば、ない物ねだり・自分の知識のなさ・好奇心・向上心・わがまま・何か他の欲・何かの言い訳、こんな所でしょうか、今ぱっと思いついた言葉を並べてみたのですが・・・。ちょっと漠然とし過ぎでしょうか?

 それか、ただ単にコレだ!っていうもの(この時は仕事)に対して「違うなぁ」と疑問を持つようになったのではないかなぁとも思います。

 そのほかには、ちょっとうまく説明できないのですが、同じ整備士の先輩方などその時僕の周りにいた人達を見て何故か「あんなふうにはなりたくない」と思いました。別に見下しているとかそういう感情ではなく、もし自分がこの先ずっと何十年もこうやって同じように働いていたら同じようになるのかぁとか思ったら、このままじゃ嫌だと思いました。それから、じゃあ自分はどうなりたいのか?何をやりたいのか?と考えるようになった始まりかもしれないです。でも、この事だけが理由だとは思わなくて、他にも何かあると思っています。

 こんな感じ少し長くなってしまいました(^−^;)あんまり上手く説明できてない部分もあるかもしれないですが一様今現時点で思い浮かんだ事をかきました。こんな感じで大丈夫でしょうか?


(以下、田村記)
 ぜーんぜん大丈夫です(^^)。

 1年間お付き合いさせてもらって、また今回の体験記と問答を拝読した印象でいえば、吉池さんの渇望感の根源はともかく、どうなると渇望感が(一時的にせよ)癒されるのかというパターンは何となく分かるような気がします。

 無理やり一語に要約すれば、「新規性」「変化性」ではないかと。この二つは同じことだと思うけど。

 常に新しいものに触れていたい、新しい世界に触れた時のぱっと視界が開ける快感、あるいは未体験の気持ちよさを発見する喜び、、、そういったものが楽しいのではないでしょうか。そして、永遠に「新し」くありつづけることは不可能だから、新鮮味が失せていくにつれて詰まらなく感じていく。ゆえに、絶えず変わらないとならないという「変化性」が必然的に出てくる。

 つまり、変わり続けること=常に新しい世界に触れ続けること、を求めておられるのかな?と。

 これってよくある「飽きっぽい」「三日坊主」というのとは、似て非なるものだと思います。これらは、モノになる前に飽きて止めてしまいますが、吉池さんはモノになってから飽きる。これは大きな違いでしょう。三日坊主は、モノになるまでの成長速度の遅さにうんざりするなど、ストレス耐性の問題ですが、吉池さんはその点は問題ない。

 あなたが飽きるかどうかは「展望があるかどうか」だと思います。どんなにしんどくても、これをクリアしたらもっと新しい世界にいけそうだという展望がある限り、全然メゲないし、「しんどいけど楽しい」という感覚になる。しかし、難所を乗り越え、眺望を得て、さて次は?となって、それが尽きてくると詰まらなく感じる。一方では日々の営みに慣れてくるから、どんどん楽になります。人間関係も増えてくるし楽しくもなるでしょう。でも根源的な所で満たされないから、「楽しいけど詰まらない」になる、、、のではないかと。


 この「渇き」に対する処方箋は、うーん、まだ若いんだし、心ゆくまで探しまくり、新しい喜びを発見しまくればいいと思いますよ。

 そして、いずれは転換点が来ると思います。自然にそうなると思うのだけど、新規性や変化性に対する感度が鋭敏になっていくでしょう。僕だって毎週毎週「同じ事の繰り返し」なんだけど、でも、仕事って基本、同じ事の繰り返しなんですよね。でも全然飽きない。なぜかというと、「同じこと」「繰り返し」と感じないからからです。来る人は絶えず新しい人だし、同じ人でも時期によって変わっているし。感度が鈍い頃は、ひっくるめて「同じ」という大雑把な、ピクセル数の乏しい画像処理をしていたんだけど、だんだん精密になってくるから「全然違う!」って思えるようになってくる。

 自然にそうなった部分もあるし、弁護士修行時代に叩きこまれたことでもあります。「いつもの〜」「例の〜」「よくある〜」という定形処理をすることは厳しく戒められましたから。いかにありふれた交通事故であろうが、離婚であろうが、寸分違わず同じってことはありえない。必ずや違いがあるし、その微妙な差異こそが事件解決のキモになるのだ、だから常にゼロから組み立てろ、と。

 他方、寸分違わず同じことであっても、自分が変わればまた違って見えるという点もあります。これは昔読んだ小説をあとで読み返してみると新しい発見があったり、全く違った印象を持つのと同じことです。というか、人間なんか絶えず変化しているのだから、昔と全く同じ感想を抱くことなんか、それこそありえないです。

 だから、外界の変化と自分自身の変化、この二つの変化を精密に判別できる視力の良さを得ることで、一見変化のなく退屈そうなことであっても、無限に面白くしていくことは可能だと思います。これってラウンド中のド田舎に行って分かったと思うのですが、「な〜んもないけど(から)楽しい」という。チャカチャカしたチープな刺激や変化がないから、逆に変化の感度が上がるのでしょう。ネオンや街の灯りがない方が星がよく見えるのと同じ。

 ただし、こんな「渋い」ことは35歳過ぎてからでいいです(^^)。あと10年は好き勝手にやってりゃいいと思いますよ。

 そして、ここが吉池さんの「根源」につながると思うのだけど、なぜあなたは変化性や新規性を人一倍求めるのか?というと、身体をそれを欲しているからでしょう。もう生理的な欲求に近いと思います。新しい展望が見えないとイヤになるのは生理的なもので、生理的なだけに抗いがたい強烈さを生む。だから高校だろうが、整備士の仕事であろうが、ジャパレスだろうが、どーしてもイヤって感じになるのでしょう。空腹や尿意を我慢するのは無理!ってくらい生理的なんだろうなって思います。

 さらに突っ込んで、じゃあ何故そこまで身体が変化と新しさを求めるのか?といえば、これって動物的な成長本能だと思います。「成長せねばならない」というよくある倫理的で訓戒的なレベルではなく、もっと生物的な。毛虫がサナギになり、やがて羽化するようにDNA的なもの。サナギで停まってるから気持ち悪くて仕方がない、もっと先があるだろう!って。

 心的動機として換言すれば、「自分はもっと素晴らしくなれる」という確信でしょう。いつか羽が生える筈だ!みたいな。つまりそれだけ伸びしろがあり、伸びしろがあるのが感覚的に分かる。ただ、その「素晴らしい」というのが、吉池さんの場合、放射拡散的なベクトルで自分が広がっていくというよりは、内部求心的なベクトルというか、もっとズシリと密度のある充実した自分になりたいという印象を受けます。だから、今こそちゃんと勉強したい!って思うのではないですかね?

 新規性と変化性への希求は、新しいなにかを得るほどに伸びしろを埋め、内部を充実させていくからだと思います。自分が立派な本棚を持っていることに気づいてしまった。さっそく手持ちの本を並べるんだけど、本が少なくてスカスカで、だから新しくゲットしては並べておきたい、本棚の立派さに見合うだけの充実感が欲しい、という感じでしょうか。

 まあ、ぱっと感じただけのことですが、なにかのヒントになれば。




★→留学・ワーホリ体験談の目次に戻る
★→語学学校研究へ行く
★→ワーホリの部屋に行く
★→一括パック現地サポートを見てみる
★→APLaCのトップに戻る