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2013年04月30日


田中秀明さんのワーホリ体験記〜補充版
  メイキング・オブ・体験談



メールでの追加質疑

まず、シェア探しの部分ですが、体験談に出てくる「あとで付き合いがあった」というのは具体的に何処の家ですか?

ボンダイビーチで一番最後に行ったアコモデーションでお邪魔させてもらったドイツの女性の方とは、その後ホームパーティーを呼んで頂いたり、何度かバーに連れて行ってくれました。
Dulwich Hillでたまたま道を聞いたインド人の方で日本語ぺらぺらの方とは何度かランチしました。家も向かいでしたし!


けっこう最後で決めるのに悩んでたみたいだけど、そういったしんどさとかありましたか?

悩んだのは先ほど言いました、ボンダイの所かDulwich Hillのインド人の姉妹に悩んでんだですが、後者のインド人の姉妹の方がフレンドリーというか、馴染みやすいなと感じたので後者を選びました。
入居してわかったのですが、かなり不便な家で、玄関のドアは外側から閉めると内側から開けられないという構造だったので何度か閉じ込められましたね(笑)部屋に蜂の巣があるわ、言い出したら切りがないですが。。。
でもそのインド人の姉妹はいい人で何度もランチを作ってくれたり、色々相談も乗ってくれました。

英語学校について、卒業時にいただいたメールで、「正直、後悔が残る学生生活でした。言い出したらきりが無いので伏せますが思い出す度、自分が情けなくなります。」と書かれているのですが、何が「後悔が残る」のかな?確かに言いだしたらきりがないだろうけど、「こんな感じ」ってのがありますか? また、それはその当時にそう思ってただけで、今から振り返ると全然悩むようなことではなかったと評価が変わったか、あるいは今も同じように後悔しているか?

田村さんよく覚えてますね(笑)
そうですね、当時は後悔があり逃げるようにシドニーを出たのを覚えています。

僕と同じ時期に入学したブラジル人の女の子がいたんですけど、ずっとその子の事が好きでした。でもその子とは話す機会を掴めなくて、3ヶ月後その子が卒業したことを聞き、とても後悔しましたね。
その時期にBondiのシェアハウスに引っ越して、ハウスメイトの子たちと仲良くなって、学校が面白くなく感じたことです。
毎日お酒飲んで、起きる頃には学校が終わっていましたので。この時期はあまり学校行ってませんね。。。勿体無い事したなぁと思います。
全てに飽きて来てつまらないなぁと感じていた時期です。入学する前に自分が抱いて理想と、今の生活を比べると情けなかったのを覚えています。仕事を辞め学校も行かず勉強さえしていませんでした。「ニート」でしたね。
こんな感じですかね。


でも、今から思うと、いい勉強になったのではないかと思います。
特に後悔はないですね、不思議と。するべきなのかもしれませんが(笑)
僕は日本ではずっと実家暮らしだったので、いくら生活が乱れたとしても家族が修正してくれていました。
ただ今回のように自分で生活を修正しないといけないと場合、どうなるかわかってよかったですね。2度とあんな状態になりたくないです。これが日本で一人暮らしをした場合じゃなくてどれ程よかったか…。

ブラジル人の女の子の件は少し後悔ありますが、話してもいないのにその子がいい子かどうかわかりませんし、また新しい子にトライしたらいいと思います。この後悔はシドニー居るときだけでしたね。ラウンドに出てスグ忘れました(笑)


田中君、シドニーにいるときは、わりと悩みぃというか、ネガ転しがちというか、最初からネガが当たり前みたいなところがあったような気がします。
最初病気がちということもあり、「空港で田村さんいなかったらそのまま日本に直帰しようとか思ってた」とか、なんか「行きたない、やりたない」というちょっと足や腰が重いぞオーラがあったように思うのですよ。少なくとも、「いやあ、最高っすよ、楽しいですよ」だけって感じではなかったと思うのですよね。何があった場合、やらないことで解決、諦めることで解決(流す)みたいな。

そうですね、怖いくらいに正しいですね(笑)
シドニーへ飛び立つ前の日記を最近読んだんですが、いやぁ今では考えられないですね。ネガティブな言葉の連発で結局どうしたいの?っと書いた本人ですらわかりませんでした。

このままじゃいけないとは感じていたですよね、だからオーストラリアに来たら何か変わるだろうと。そういう漠然した物しか頭になかったので、そら同期の2人は眩しかったですね。目的ややるべき事がある2人は僕の中でかっこよく映ったんだと思います。
いやぁ、不安でしたよ。英語が出来なくて機内食を頼んだに出て来ないのでヒョロヒョロになってゴールドコーストに着いて、そこの税関ではYESだけ言ってたら捕まるし。。。あとで日本人の通訳の人に聞いたのですが「もう少し来るのが遅かったら日本に送り返されたかもしれないよ」って言われまして。

こんな状態で本当にオーストラリアで生活できるんだろうか、英語は話せるようになるんだろうかと思いました。
英語を勉強して来なかったのが後悔でしたけど、これも結果的には良い経験になったと思います。

その後ゴールドコーストの空港に行った時はとても懐かしくて、色々の思いで心がいっぱいになりました。当時と今と比べて誇り高く感じてました。


シドニー時代、あるいはラウンド初期でも、シェア先もバイトもあまり落ち着かず、一つ決めたらやめてって感じで、しっくりこない感が大きいというか、何がしっくりくるのか自分でもわからないというか。模索期ってことでしょうか。

「色々な物」を見てみたいとずっと思っていました。だからタスマニアに来るまではシェア、バイトに関わらず、バックパッカーズホステル、場所、人間関係もコロコロ変わっていました。悪く言うと「飽き症」ですね。

シェア先も色々な所を転々としてそのライフスタイルを覗いてみたかったです。でも、これは良かったですよ。Ownルームの家からシェアルームに移った時は新鮮でしたね。小さな部屋に2段ベット2つ、4人での生活は窮屈でしたけど、4人それぞれの個性が部屋に出ていてよかったですね。そこからバッパーに初めて住んで色々な人と出会って楽しかったですよ。
1年間で5回シェアアコモデーションに引っ越しては住んで、ホステルでは1週間以上は滞在しない、違う所に移っていました。AdelaideのCityのホステルはほぼ全て住んだはずです(笑)

バイトも慣れると急に飽きてしまってやめちゃいましたね、せっかくだから色々してみたいと思い、たまたまキッチンハンドの募集をしていた「SAKAE」というジャパレスで働く事になって。ここも良い所でした。でも週に1回しか働けないのですぐやめましたけど。

体験談を見ると、やんちゃな子供が夏休み楽しかった〜!と豪快に笑ってるような基調で、そのあたりの「悩み」が影を潜めていて、随分変わったなあ!って思ったのですよ。そのあたり自分で変わったのかな?そういう自覚はありますか?

タスマニアに来るまではこんな感じ(すぐに転々とする)だったんですけど、タスマニア来て親友が出来ました。
それが体験談にも書きましたコリアンの男の子なんですけど、コイツが面白い奴なんです。
一緒に居て引き込まれると言うか、お互い英語で話している事を忘れるようでした。俺の事をずっと親友だって呼んで居てくれてすっごく嬉しかったですね。

この人の周りの友達は信じられないぐらい良い人ばかりで、それが体験談に書いたブラジル人の女の子であったり、後の学生シェアハウスで住んだシェアメイトだったり、17歳のKoreanの子ですっごいいい子だったり、様々です。人種はばらばらでしたけど、年齢も若い人ばかりでした。そこからグループ出来て毎日遊んでBBQしたり、ビーチ行ったり、釣りしたり。

きっと田村さんが感じた「やんちゃな子供が夏休み楽しかった〜!」は、タスマニアに居た時期に出来上がったものだと思います。

体験談では、タスマニア以前のクィーンズランドへのブラジル人との旅行が転換点になっているようにも思えるのですが?

彼から色々学ばせてもらいましたね、確かに、この時初めて本当に「面白い!」と心から思いました。
それまでなかった訳ではないですが。5日間、とにかく楽しかった経験は初めてでした。

ラウンド生活は行く先々で何かが変わっていったのだと思います。
でも、もっとも自分が「変わった」という自覚があるのは、やっぱりタスマニアでの生活ですね。

上手くいくとか、イケてるとか、○○が出来るとか出来ないとか、そういうフォーマットでモノを考えていたのが、「楽しい」という問答無用の新価値がでてきて、それで全部上書きされていくかのような感じでしょうか?

最初は、自分はワーホリ生活できっと形に残る物が欲しかったんだと思います。
例えばお金だったり、英語力それもTOIECのスコアなどです。

ただ、それがシドニーでの生活で崩れて行きましたね。そういうことに興味が無くなって、何がしたいのかよくわからなくなっていました。ラウンドに出て一度考え改めようと思ったのもきっかけの1つです。

「よい経験」と「楽しい!」これはオーストラリアで得た価値感でした。
そうなると、今度はやっぱりそれを形に変えたいという欲が出てきて、それが今の価値感ですね。例えば、英語力に変えるだったりする訳だから、結局、360度ぐるりと価値感が変わって戻って来たような感じです。

体験談を通読すると、結局、田中さんを救っているのは「楽しさ」だと感じるのです。タスマニアの、日本人ばかりで「負の連鎖」というのも(ちなみに具体的にどゆこと?)、それを救ったのも、「遊ぶこと」「楽しいこと」だったと思うのですが。

あ、「負の連鎖」の表現は間違っていますね(笑)。雪だるま式に病んでいったと言う方が正しいのかもしれません。
自分のなかではオーストラリアで日本人の友達はあまり作らないようにしていました。ダサいとかってちょっと思ってました。
だから急にそういう日本人ばかりの環境に置かれて、どういう振る舞い?をしたらわからなくなってしまい友達が全く出来なかったですね。
日本人以外に台湾人が残り占めている感じだったんですがそこでもうまく馴染めなかったですね。
結局そのホステルに長い居る事が想像出来ずスグ出る事は決めてました。

結果、1年のワーホリを終えて残っているのは「あ〜、よく遊んだ」という充実感であり、十分に寝たりたあとの朝のような爽やかさでしょう。
多分来るときは、「遊ぶため」に来たとは思ってなかったと思うけど、遊ぶことが解決になっているという現在、「なんで来たのか覚えてない」となるのは当然なのかも知れないですな。

ハハハ。これでいいのかなってよく思いますよ。
でも心の中で満足している自分がいるので、これでいいんだと思います

次に、田中君は、同じくらいの年代の友達、それも日本人だけではなく色々な連中がいる(ヨーロピアンとか)が割とよくて、上の世代(ウーフのおっちゃんとか)からは比較的波長があってない。よく怒られている。てか、俺もよく怒ったりしてたもん。
ちゃんと考えているのだけど、「考え過ぎの考え足らず」っていうか、意識が先行して当然やるべきことをミスってしまう傾向があって、それが見てると歯がゆいのだよね。でも、その種の意識過剰がゆえの「踏み込みのタメライ」みたいなものは、大分薄れていったような気がしますが、いかがでしょう?このあたりについては自分ではどう思いますか?


難しい質問ですね、どう回答していいものかはっきり答えれる自信はありませんが。
やはり意識する機会は以前より増えて良い勉強になったとは思います。
ただそれがどの程度、意識出来ているのか自分でもはっきりわかっていません。自分の中で「たぶんこうしたらいいだろう」って言うの物を試すといった感じで。手探りで泥の中を焦っていると言う感じです。

「踏み込みのタメライ」ですか、以前より薄れたんですかね。
まだそんな感じはしません、やはりまだまだだって思っています。
恥ずかしながらオーストラリア来るまで、今まで意識していませんでした。高校、大学、それに社会人として1年働いてそれなりに人間関係について学んだつもりでいましたがまだまだようです。

7月を目標にもう1度Webデザインについて勉強してWebデザイン会社で働こうと思っています。ちょうど機会ですしこれを機にもう少しタメライ薄くなればとおもいます。

きっと田村さんの思う模範解答とは違うと思いますが自分の中の考えをまとめて見ました。失礼しました。

うん、違う(^_^)。思ってたよりもずっと良かったという意味で。


田中君論〜同期生渡井悦嗣氏のインタビュー



同期生三人 左から渡井・舛田・田中氏
渡井さんと田中さんとは一括パックの同期生、しかも飛行機の便まで同じ。シェア先も比較的近かったこともあって、学校は別々だけどその後もときどき会ったり、またラウンド後も時々一緒にいたりして、わりと渡井さんはわりと定点観測的に田中君の変化を見ることの出来るポジションにいたと思うのですよ。
で、その渡井さんからみて、田中君はこの一年で変わりましたか?

田中君ですか、いや、この一年でほんと変わりましたね。
もちろん良い方向へ変わった、成長したってことになるのでしょうが、すごい変わったと思います。

順次、お聞きしますけど、最初の一週間、あるいはその後のシドニー時代の田中君の印象や、それを裏付けるエピソードなどがあれば?

彼が以前言ってましたが、彼が最初シドニー空港に降り立った時、一番最初に思った事が「帰りたい」だったそうです(笑)

あ、それは僕も聞いたことがある。「空港で田村さんが待ってなかったら、もうそのまま帰ろうかと思った」とか(笑)

そうそう、そんな感じ。

夜半にアポの整理をする皆さんの図
すごいネガティブオーラ満載というか、自信がないというか、どういうんでしょう?

シェア探ししてましたよね?舛田君もいれて僕ら三人で廻って、そのうち段々バラバラになっていきますよね。舛田君が、「あ、俺、○時に別のアポがあるから、ひとりで行くわ」っていって、こっちも「ほな、俺はこっちを見るわ」と自然と別れるんですけど、田中君はそのどっちかに着いていくという。

まあ、一人だけ年若いということもあり、自然と僕らの後をついてくるというのは分かるんだけど、でも何か自分でバリバリやっていくって感じではなく、、、、

そういえば、彼、すごく自分対俺&桝田君グループで比べたがるんですよ。
「渡井さん達は目標があるから羨ましい、かっこいい、凄い」ってね。。。
それに比べて自分はダメだ、頑張らないとって。
そういう話をしょっちゅう電話で愚痴形式で聞いてました(笑)

そんな凄いとか言われても僕も舛田君も現地でいっぱいいっぱいで全然凄くないんですけど、彼にはそう見えたのでしょうかね。ただ、まあ、舛田君も自分の力で状況を打開するんだって意欲がすごく強くて、それは僕もそうなので話は合いました。でも、海外にワーホリに来るってそういうことじゃないですか?それが普通だろうって思うんだけど、でも田中君には眩しく見えたのかなあ?「自分がダメだと思えるからこそ頑張る」という構造は田中君も俺らも全く同じなんですけどねえ。

以前渡井さんから聞いたんだけど、パブの安いランチ食べにいって、ビール付なのに、なぜか田中君だけビールもらい忘れて、テーブルに着いたら、「なんでビール貰ってきぃひんの?ビールつきやで」「え、そうなんですか?」と言ったあと、じゃあ貰いに行くかというと、行かない。「あ、終った」「もういいや」って感じで動かない。「はよ、行って貰ってきいや」って渡井さんが言っても中々行こうとしない。
これに象徴されていると思うのですが、今の日本人にありがちの性癖なのかもしれないけど、「やらないことで解決」というか、しんどいことしたくないから、とにかく動かないこと、現状でガマンすること、諦めることで解決しようとする、だから「諦めるための口実探し」みたいな感じで、ちょっとうれしそうに「あ、終った」とか言う。田中君、「あ、終った」とか良く言ってたけど。

ああ、そうですね、シェア探しでも、俺と舛田君は突撃あるのみで、時間がまだ7時とか8時とかだったら、まだ電話したらもう一軒くらい見れるからやろうってノリになるんですが、田中君は、「え、まだやるんですか」「もう帰りましょうよ」という意見なんですよね(笑)。「もう帰りましょうよ」とかよく聞いたな。

これを見る限り、あんまり悩んでなさそうなのだが、、
あ、そういえばシェア見学した家のパーティにお呼ばれしたとか

ああ、それもまた事件がありまして(笑)。舛田君から聞いたんだけど。
田中君が招かれて、保護者みたいに舛田君も一緒に行ったらしいんですよ。
で、行ったら行ったでローカルのオージーのパーティなので、けっこう話題もないし、居場所もないという居心地の悪さがあるじゃないですか(笑)。でも、まあ、舛田君はそれでもやってて、ふと気づいたら田中君がいない。「あれ?」と思って電話したら、もう家に帰ってる路上だという。おいおい、帰るんなら一言くらいあってもいいだろう、勝手に逃げるなという。

それと、こっちに来て2か月ぐらい経ったある日、田中君が家に来たんです。
まだ俺が最初のシェア先であるレズビアンカップルと一緒にいた時ですね。
ご飯ふるまってやったら、彼、感動してました。
で、彼が食後に「俺ここ1か月で悟りました。ご飯に期待するのはやめようって。でも、渡井さんの飯食った後に気づいたんですけど、ご飯って原動力なんすね」って言ってましたね。

ご飯を「あきらめる」ことで解決しようとするわけですね

そうそう、で、どんな生活してたんだ?と。
立派なキッチンありながら、何故作るのを諦めたんだと。

あ、そんで、その後帰る前に、凄く自分の中で印象的な事件(?)がありまして、、、、
彼が勝手にオーナー達のフルーツつまみ食いしたんですよ。俺がそれに気が付いて凄く怒ったんです。
そしたら彼が一言「あ、バレました?気付かないと思いました(笑)」ってあっけらかんとしてたんですよ。
さらにすみませんの一言も無かったので、俺が激昂して、「もう帰れ」と一言で帰しました。

ただ、俺も慣れないシェアハウスだったので少し気を張りすぎだったかもしれませんが、その時は凄く混乱しましたね。
彼は根本的にどんな人なんだろうかと。付き合い方を考えるべきか?とか。。。色々考えました。
根はいいやつ、とか言う友達もきっといるんでしょう日本では。
ただ、あまりにも常識外れだったので、その時は凄くがっかりしました。

そのときはかなり怒ったのですか?

けっこう、そうですね。もう「口もききたくないわ」って。実際一言も喋らなかったし、ドア示して「はよ帰れ」って。彼はドアの所で「すみませんでした」って言ってくれたけど、俺、返事もせんと(笑)。

それって結構真剣なつきあいですよね、表面上穏やかにしながら腹の中で冷笑することだって出来たとは思うんですけど、やっぱり真剣に対応したいという気持ちは渡井さんの中にあったのですね?

ですね。やっぱり同期の仲間だし。それに、偶然なんですけど、田中君、俺の弟の年齢くらいなんですよ。実際に弟みたいに感じてる部分はありましたし。

この「事件」の意味なんですけど、僕がみるに田中君ってそんなやっていいこと・悪いことの区別が分からないバカじゃない、それどころか本質的にはかなり聡明だと思うのですよ。人間的にも全然悪くないし、素直だし。その聡明で善良な彼がなぜそんなことをする?という、逆にいえばそんなことをするくらい追い込まれているというか。
これっていわゆる子供のイタズラみたいな次元の話だけど、同時に思考発想が子供レベルにまで抑圧されている、それだけ環境プレッシャーが大きく、無力な自分は正々堂々と勝ち取るってやり方ではなく、道端でお金が落ちていてラッキーみたいな、ラッキーにすがっていくという、、いわば自信のなさが発想を変え、発想が変わるとモラルすらも変わるという。

そう、彼、めっちゃ頭いいんですよ。すごい賢いし、根っこのところではすごい尊敬できる部分もあるにもかかわらず、「なんで、お前がこんなことすんねん」って余計に腹立ったという。

この件に限らず、「なんで?」というのはありましたね。

何だろう、ラウンドに出る前は田中君も言ってましたが「逃げるように」って言葉がしっくりきますね。
彼がシドニー離れる前に電話で話した時もそう言ってたし。「俺何かうまく行かない事が多かったり、人間関係もアレだったり、何していいか、何しに来たのか分からなくて、リセットしたいんですよ渡井さん。」って言ってました。
それを聞いた時、少し逃げ症なトコはこの4か月では変わらなかったか。。。と少し心配しました。俺も偉そうな事は言えませんけどね。


さて、そういう可憐ながらも、見ててヤキモキ、ハラハラする田中君ですが、ラウンド後はどうなってましたか?

戻って来たら変わってましたね。もう。すごく。

どう変わったかというと説明が難しいんですけど、、、何というか、俺ただただ俺駄目だなーってオーラがスっと抜けてたというか。

うーん。

依然としてその種の言葉は口にするんですが、僕らと比べた上で「ダメだなー」って言ってるんじゃなくて、客観的に自分を見て、自分が何であるか、何ができて何ができないのか、何をするべきかとか哲学的な話で自分はまだまだ色んな能力が足りない!って自覚したというか。
そう言う意味では凄くクリアな「ダメだなー」だったんですよ。
前は僕らと比べて自分を相対的にしか見てなかった印象でした。

自分という確かな軸が曖昧で、他者と見比べてのみ存在するような、カゲロウのような「自分」だったのが、帰ってきたら、もうバーンとまず自分があって、その自分の至らないところをクールに整備点検するという感じというか、

で戻って来た時彼と話して思ったのは
「あ、きっと彼は色んな経験したんだな。その中で何が足りなくて、何が必要でって取捨選択を凄く真面目に考えて、答えを出したんだな。」
って思って凄く安心しました。

「安心」したんだ(笑)

そうそう、やっぱ弟みたいなんで、気になりますからね(笑)。

年末にシドニーに戻って来て、渡井氏と遊びに来てくれたとき。
あ、あと、彼には英語に対する恐怖感とかはまったく感じなかったですね。
最後に彼がシドニーに戻って来た時に、一緒に飯に行って、彼の友達(ハイレベルな英語の方)と会ったんですがまったく臆してませんでした。

むしろ、ドンドン意見を言うんですよ。
「どう思う?」「え、何で?意味分からない。」「それは違う」とかね。
以前の彼なら納得・理解した振りをして、結局どうしたらいいか分からない、余計に困難な状況になる、、、という日本人特有の行動でしたね。

もちろん英語力の上達が寄与してるとは思いますが、日本人が外国人と対峙した時に「英語が話せない」という時点で、自分より相手を上に持ち上げてしまうという、あの"謎の上下関係"はありませんでした。
「英語ができないから何?」という初期の僕らの開き直りから「英語はこれぐらいできます。でも分からない事は分かりません。でも、あなたと話がしたいです」というマイルドで取っつきやすいというか、、、あー表現するのが難しいや。。。


話は変わりますが、シドニー時代でも、彼は何か良くない事が起きるとしょっちゅう電話かけてきましたね。
「どうしたらいいですかね?」これ何回聞いたかわかりません。

僕もよく聞いたな

ですがそれが段々、「こうだと思うですけど、どう思います?」って前向きになってきたのを覚えてます。
多国籍な環境の中で段々自信がついたんだと思います。

青春よろしく、あがいてあがいてやっと自分はどうしたいんだろうって事に気づいたんだろうなーって。

今までダメだダメだと言われ続けたり、ダメだダメだと思い込み続けた結果、初日会った田中君が出来上がったんだろうなって。

しかし、ラウンドに関しては実際見てないから分らないけど、話を聞いたり結果をみる限りでは、田村さんが仰ってたように「元気な子供が夏休み遊んだぞー!」って感じがホントにフィットしますね。

でもすんごい別人になったなーって。
彼は伸びしろが凄いあったなと思います。

でも今は凄くワクワクしますね。彼はどういう風に成長するんだろうか、とか。
兄っぽい視点だったり、友達の視点だったりで、凄く表現するのが難しいです。


今は凄く彼を尊敬してるんです。バイトも散々クビになったり、ケータイ落とすわ、まぁ散々な目にあったハズなのに泣き言言いながらもピンピンしてる彼の精神強さが欲しいなって思う限りです。

そうですよね、最初あれだけ自信がなくて、それだけ世界が恐く見えていたにもかかわらず、彼はトライし続けることを止めなかったもんね。やり始めたら、すぐに「やめどき」を模索するような腰折れ部分もあるんだけど、だからといってトライすることをやめない。あれは凄いと思う。

それにシドニー時代の田中君って、可愛い愚痴というかボヤきみたいなものはあるけど、絶対に他人とか環境のせいにするという卑怯なことをしなかったもんね。「俺は悪くない、○○が悪いんだ」という姑息な責任転嫁は僕の知る限りただの一度もしなかった。その意味では硬骨の人なんですよね。

 (後日談:編集したものをチェックして貰って)
今読み直してみると、「俺、凄い偉そうな事言ってるなー」と思いますね(笑)。あーダメダメなのは俺も一緒なのにこんなに彼の事を語っていいんだろうか?と思ってしまうぐらいです。

メールによる質疑応答その2 渡井さんのインタビューを読んでもらって


添付してあるHTMLの渡井さんのインタビュー(形式に編集した)の内容をお読みになり、コメントがあれば付記してください。あるいは、これは差し障りがあるから削除して欲しいとかいうのがあれば、言ってください。

うわぁーめちゃくちゃ恥ずかしいです!渡井さんありがとうございます。
読むとすごく懐かしく感じますね。

コメントですが、僕は出来ればこのままでいいなぁと思いました。
シドニー時代は色んな事が頭に有り過ぎて、どう見られてるか、思われてるかなんて一切考えなかったので、客観的に見て自分がどうだったのか非常にわかりやすくまとめられてるいるとおもいます。

渡井さんのコメントで「弟のように思っている」と言うのはとても嬉しかったです。以前にも1度言われた事があるのですが、同じタイミングで来れて感謝しました。結果的に頼りすぎて迷惑までかけてしまいましたけど。。。

桝田さんにはすごく悪い事してしまいました。あの後会うタイミングがなくてその後すぐ携帯無くしたり直接謝る機会が潰してしまって申し訳ない事したなと思います。
あの時は「次会った時に謝ろう、家も近いし今度にしよう」なんて思ってましたけど、結果的にその次は来なかったです。こうやって機会を何度かダメにしているので「今やれ」と言う言葉非常に心に染みます。
オーストラリア、特にシドニーでは後回しにて結果的に出来なくなったり後悔に変わった事がいくつかありますね。桝田さんの事もその1つですし。

付加するべきコメントがほとんど謝罪になってしまいそうです。迷惑を沢山かけてしまったのは間違ってないのですが(笑)
正直言うとどうコメントしていいのかわからない自分もいます。

削除して欲しい所はないですね。「俺カッコ悪いなぁ」と思いましたけど、間違っていませんし、このままで大丈夫です。

田村さん、わざわざありがとうございます。

ラウンド時代その他、面白い(面白くなくても雰囲気がわかる)写真があれば送ってください。


添付しました。
風景の写真を2枚
これAdelaide BAROSSAで撮った写真です。ホステルの前の道なんですが仕事行く時にいつも通っていた道なのでとても思い入れがある写真です。

3枚目の先ほどホステルの友達みんなで撮った写真です(紹介文の冒頭の写真)。
この時はそのホステルに来てスグの時だったのでとてもワクワクしたのを覚えています。


前回の補充質問なんですけど、渡井さんの話を聞いてて思ったんだけど、シドニー時代のあれこれのトライ、そしてラウンド時代のトライ、最後に花開いていくのはラウンド後半なんだけど、転機やら開花局面があったとしても、その「仕込み」みたいなものは、シドニー時代からあったような気がします。
つまり、タスマニアの元気な子供時代があったから開花したなら、最初からタスマニアに行って楽しい友達に会えば良かったじゃないか、ってもんでもないと思うのですよ。
シドニー時代から無限の試行錯誤を積み重ね、一つづつ「あ、こうなのか」と学び、思いしらされ、でもいいこともあり、、とうことの積み重ねが臨界量を超えたのが、丁度ラウンド後半になるんじゃないかな〜って気がするのですが、そのあたりは自分ではどう思います?

この返事を考えるのにてとても時間がかかりました。言葉にするのは難しいです。話が矛盾しそうですし、どうしても積み重ねがラウンド「後半に花開いた」という構図にはならないんです。

まず、シドニー時代からの試行錯誤の積み重ねはラウンド中盤、後半かかわらず生きていたのではないかと思います。
また、試行錯誤の積み重ねがどこがで「開花」したとか「臨界点を超えた」と言う実感もないです。
たしかにラウンド後半は臨界点を超えていたと思いますが、それはラウンド中盤、BAROSSAに居た時も体感しましたし。


逆にいえば日本での悩み時代やシドニーのネガモードにせよ、ああいう時期は全て無駄だったのか、いやあれがあったからこそ今があるんだって思うのか、です。


タスマニアの元気な子供時代で出来た友達の何人かは親友のコリアンの語学学校の友達なんです。
その人達もよく波長が合って仲良くさせてもらいました。

だから、自分がシドニーに居た時はネガモードに入っていて見えなかったけど、シドニーでも同じような経験、友達が出来たんじゃないのか?と思いました。もし自分がネガモードに入っていなかったら、こういう友達にも出会えただろうし、タスマニアに居る時のような経験は出来たんじゃないかなぁと。

それも踏まえて、年末年始にシドニーに帰りましたら、はたしてそこで波長の会う友達が出来ました。

英語力が向上したのもあるかもしれませんが、積極的になったのが1番の要因だと思います。
だから僕はシドニー時代のネガモードは無駄と言うよりか、「勿体無い事したな」と思うんです。

今になって振り返って見るとシドニー時代もめちゃくちゃいい経験してるんですよね。ラウンド時代の経験とは代えがたいような経験をシドニーではしましたし。
シドニー時代の時は悪い所ばかり見ていて、いい所に目を向けられていなかったなぁと思うんです。
シドニーに居た時は何も変化の無い自分にうんざりしていました。
でもラウンドに出てシドニーでの経験が生きて「あ、俺って成長したんだな」と思う事もありました。ネガモードの中でも成長はしていましたので無駄とは思いません。


田村さん、忙しい中ここまでのメールのやり取り本当にありがとうございました。改めてオーストラリアで得た経験を再認識出来るよい機会でした。

ありがとうございました、失礼します。






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