鎌田さんメール・インタビュー(その1)
99年09月01日
鎌田さんから最初にメールを戴いたのは97年4月のことでした。7月に行くワーホリのための情報収集をしておられました。7月、セントラルステーション駅で待ち合わせをして、それから一緒にシドニーの街を歩いて宿探しをしました。それからも、時々APLaC宅(当時はニュータウンだった)に遊びに来て戴いてました。また、語学学校研究で、学校体験記も書いていただきました。
時は流れて、「今ごろどうしてるのかな」と思っていた矢先にメールが届きました。なんとワーホリ時代に知り合ったオーストラリア人男性と結婚して、今は郷里の札幌で暮しているとか。
さてさて、鎌田さんにとってワーホリの1年はどういうものだったのでしょうか?さっそくインタビューを申し込んだのでありました。
では最初に、性別、お差し支えなければ当時の年齢も。
次にいきなり根本的な質問を。どうしてワーホリしてみようと思ったのですか?
長期の旅がしてみたかった、というよりも 冒険してみたかったのだと思います。
どうしてオーストラリアを選らんだのですか?
ワーホリをやると何かイイコトがあると思ったのですか、それは何ですか?
ここでもう少し突っ込んで、ちょっと答えにくいだろうことを聴いてみたいんですけど、いいですか?
確か記憶では、鎌田さんってオルタナ系のロックとか好きで実際タワーレコードにもお勤めになったましたよね。その意味では、趣味と仕事が重なってて(あくまでハタから見ての話ですけど)、結構いい感じの社会生活のスタートみたいな気もするんですね。そこで、「冒険」とか「強くなる」とかいうコンセプトが入ってくるというのは、鎌田的にはどういうことなんでしょうか?
ああ、たしかに趣味をいかした仕事をしていたのですが、やはり、ありがちなことに会社のなかでは百パーセント趣味も優先させられないし、体力的・時間的にもハードワークで、慢性的なストレスもありました。確かにやりがいもあったのですけど。
そのあたりのモヤモヤを抱えているくらいなら、一度辞めて、外国に出て、自分一人でどこまでできるかを試したいという気持が強くなっていったのでしょう。一からのやりなおしというか。
また、それでダメだったらダメで、それも一つの結論だろうと思ってました。社会に対してもっと謙虚になって、やりなおせると思ってましたし。
そこそこ満足できる環境ではあるのだけど、100%納得できるわけでもない。その納得できないのが自分の無い物ねだりなのか、それとももっと他に可能性があるのか、自分はその可能性を開いていくことが出来そうなのか、そのあたりを確認しないと先に進めないぞ、、と、こんな感じでしょうか?で、実際やってみてどうだったのでしょうか?
いやあ、実際はまったく挫折がなかったので、最終的にはよけい調子に乗ったかもしれないですね(^^*)。
あは、「余計調子に乗った」というのは、「なんだ、やっぱり色々出来るじゃないか」「もう少し自分の色を出して生きていってもいいんだ」ということになったということですね。さて、「調子に乗って」これからどんな感じでやっていきたいですか?
そうですね、これからはもっと、今までやりたいと思いつつも何となく忙しさにかまけて怠けていたことにチャレンジしたいです。具体的には、ずっとやりたいと思いつつ出来なかった写真の勉強とか、あと音楽をやってみたいと思っています。
なんとなく、以前は やる前からあきらめたりしていたのですが、今はとにかくやったもの勝ちというか、ちゃんと一生懸命やればそれなりに返ってくるものがあるように思います。別に社会的にではなく、自分なりに納得できるという意味で。
ところで、ワーホリに行かれるにあたって資金はどのくらい貯めましたか?
それは全部ご自分で貯めたのですか?
ワーホリビザの申請手続について何かご感想(文句でも)はありますか?
当時は いまよりも さらに 情報が少なかった。大使館などにも 電話で聞けず、知り合いに 経験者もいなかったので、よく 情報を得るコツがわからなかったです。今はわかりますけど。
ビザ取得その他について業者さんその他に依頼しましたか?
その具体的な内容と費用は?
ビザの申請の仕方、コンサルタント、十回のフリーイングリッシュレッスン、日豪プレスの閲覧、実際に行ってる人たちの生活の様子を写真等で見る、旅行保険、最初のホームステイ二週間の仲介とその滞在費、空港出迎え・・・など。たしか 十七万円くらい払いました。
その値段に見合った価値があったと思いますか?
自分でやればこの半分でしたでしょうが、当時やはり多少不安だったので安心料ということです。
ワーホリに関して、周囲の人間(家族、友達、勤務先、恋人)の反応は?
家族も友達も、「一年なんだから頑張っていってきなさい」、という感じでした。
最初にオーストラリアのどの都市につきましたか?
どうしてそこを選んだのですか?
ホームステイのため、前述の 会社の方に 迎えに来てもらいました。
語学学校には行きましたか? どの学校にどのくらいの期間?
シドニーで 英会話学校にいきました。三ヶ月。むこうだと習ってすぐ 実生活に役立つので、効率よいと思います。
ラリングアでしたよね。学校体験談も書いてもらいましてありがとうございました(^^*)。
ここでちょっとお聞きしたいのですが、ワーホリの人で語学学校に3ヶ月行くべきか、それとも1ヶ月でいいかという迷いがあったりするのですが、鎌田さんとしては3ヶ月という期間はどうだったでしょうか?
私は3ヶ月、いいと思いますけど。
1ヶ月だと あっというますぎますよ。それに 社会になれるためにもちょうどいい期間だと思います。
渡航前の英語力はどの程度でしたか?不安を感じましたか?
英検二級程度、でもいざ使うとなると、なんとかベーシックなことのみ、という感じでした。不安はありました。
英検2級って、なんか特別に勉強しないと取れないと思うのですが、どこか英会話学校なり自習なりはしておられたのですか?
英検二級は、やはり 社会にでてから 自分で 勉強してとりました。
なにか 非常に勉強したいときがあって。それから 海外のことを 考え出したようにおもいます。
「なにか非常に勉強したいとき」って表現は、よく判るような気がします。「なぜか、やる気満々」みたいな、自分自身をブラッシュアップしたくなるというか。ちなみに、どちらか英会話学校に通われたのですか?
英検は独学で取りました。テキストを数種類買って、平行してやり、あとはテープなど、本屋さんで売ってるようなもので、勉強しました。
そのあと、タワーレコードの面接にいき、実際 外資系なので、英検のことは就職に役立ちました。
ワーホリ期間中に英語力は伸びたと思いますか? また、伸ばすためにどのような努力をしましたか?
伸びました。とにかく友達をつくるようにし、友達からまなびました。
友達というのは、日本人ではない(英語でコミュニケートせざるを得ない)友達のことですか?で、「作るようにし」てとのことですが、具体的にはどんな感じで友達作りをされてたんでしょうか?
そうですね、音楽が一つのキーポイントになってたと思います。
というのは、タワーレコードで働いてた頃から、多少は英語がわかるということで、よく来る外国人客の担当をさせて貰ってたのですね。その経験を通じて、やっぱり趣味が近いと多少言葉がわからなくても仲良くなり易いんだなということがわかりました。一方、自分はどう考えてもアウトドア・スポーツタイプでなかったので、音楽関係の友達ができるといいなぁと思ってました。
それで、とりあえずCDを二百枚ぐらい持って日本をでました。シドニーに着いて3日目に、自分の好きなジャンルの音楽をかけている人たちのナイトクラブを発見し、主催の人に自分も参加させてほしいと頼みました。ラッキーなことにとてもいい人たちで、それが縁で、それからは一緒にイベントをしたり旅に連れてってくれたり、そこからさらに様々な友達ができ、今の旦那さんにも 出会いました・・・
着いて3日目で、ナイトクラブの主催者にトコトコ話にいくというのは、あんまり気軽に出来そうな感じじゃないのですが(仮に日本であっても)。それは、やっぱり、鎌田的テーマである「自分はどのくらい出来るのか」というのがあって、その手段として音楽があって、だとしたら「ここはもう、やるっきゃないべ」という感じで、結構気合入れていったという感じでしょうか?
いやあ、実はそんなに力んでいたわけでもなく、動物的勘というか、何というのかな。偶然行ってみたら 「この人達たちなら 大丈夫」というような導かれるものがあったのかも・・・なんて(^^*)、よくわからないんですけど。
でも、話聞いていても、やっぱり「導かれてる」という感じはありますよね。その一歩が次々に新しい局面を開いていったわけだし、結局いまのダンナさんとも知り合ったわけですから。
ああ、そうですね〜。自分の考えでは、いつも自分の好きな物、やりたいことをはっきりさせておくと自然と自分用としか思えないような 音楽や食べ物や人に出会えるんじゃないかなあと思っています。
ワーホリ生活の中で、英語力はどれくらい必要でしょうか?
これは目的によります。サーフィンして休暇を楽しむだけなら、そんなに必要ないでしょうし、それはそれでいいと思います。働きたいとか、友達をつくって異文化により深く触れたいなら、日本で出来るだけ勉強しておくと効率いいと思います。
★→その2に進む
★→ワーホリの部屋のトップに戻る
→APLaCのトップに戻る