食生活向上(したいと思っている、平凡な)委員の記
も く じ
その1:能書き
その2:カツオのタタキの巻
〜オマケ:カツオ一尾→刺身までの簡単解説
その3:麻婆豆腐の巻
能書き
「ちょっと作ってみたんだけど」と、近所に散歩に行くような気軽さで、柏木センセは言ったそうな。「へえ、何を作ったんですか?」と問われると、いきなり
「あんパン」
が出てきた。アンコはおろかパンまで手製である。作るか、普通、そんなもん。
こんな話もある。シドニーの一般のスーパー(つまり日本食材専門店以外のそこらへんの店)では、ウスターソースは売っているが、ドロリとした、いわゆる「とんかつソース」は売っていない。しかし、トンカツを食べる以上、千切りキャベツととんかつソース(中濃でも可)が欲しいと思うのは日本人の人情である。仕方なく日本からの「輸入品」であるとんかつソースを買っていた。これが高い。バーリントン(チャイナタウンにあるアジア食材が豊富にある中華系スーパーで、比較的安い。チャッツウッド方面にも支店がある)で買っても、中ぐらいのブルドックソース(500ml)が6ドル80もする。現在の為替レートでもざっと600円、購買力平価で言えば1000円をこえるだろう。とんかつソースの値段ではない。その話になったとき、柏木女史は、明るくサラリと
「あら、とんかつソース、自分で作れるわよ」
と言ったそうな。普通、作るか、とんかつソース。
彼女は料理の専門家というわけでもなく、それが本職でも副職でもない。それどころか別に 「趣味は料理」というわけでもなく、「なんとなく面白いから」+「生活に必要だから」やってるだけのようだ。おそるべし、「おかあさん」柏木。
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マザー柏木の感覚とレベルで、「簡単にできます」と言われても、なんだかあまり簡単そうには思えない。そこで、不肖私田村が、「料理はどうも....」という人々になりかわり、バランスを取るため、もっと次元の低いところで「シドニー食生活」を書いてみたい。
あらかじめ言っておくと、僕は料理が嫌いではない。「嫌いではない」という程度で特に好きというわけでもない。ただ、子供の頃から親が共働きだった時期もあり「自分のメシは自分で作る」のがある程度当たり前の環境に育ってきたこと、また下宿生活その他で、料理することに対する忌避感はない。たまに想像以上に巧くいくと「俺って料理巧いんじゃない?」と幻想を抱くが、多くの場合は、悲憤ともに残飯処理に励むという、市井の「腹が減ったから(それ以外の動機はない)作る」料理人である。ひとつだけ長所があるとしたら、失敗しても全然懲りないという点かもしれないが、いちいち懲りてたら作るものがなくなるだけの話である。それで困るのはひもじい思いをする自分である。だから作る。今日も作り、明日も作る。
当初、シドニーに来たとき食べてたものは、ステーキ、生野菜、刺身などである。なんだいきなり豪華じゃないかと思われるかもしれないが、そうではない。ステーキは、そこらへんの肉屋やスーパーでフィレ肉買ってきて塩胡椒してオーブンなりにほうり込んでおけば適当にできる。刺身は買ってきて終わり、生野菜も同じ。また日本に比べて安いから凄く得した気分がするというのもある。いずれにせよ大して「料理」してるわけでもないのである。勿論プロが作るステーキや刺身は、焼き方切り方に膨大な技術を投入しているのであろうが、僕にはよくわからない。「切り方一つで刺身の味が変わる」「切断面を顕微鏡で見ると各細胞が、、、、、」という話は料理マンガで知識としては知っているが、現実に自分がやるときはそんなレベルの問題ではない。「ステーキだ」「お刺身だ」で他愛なく喜んでいるだけである。
ステーキや刺身は比較的簡単に手に入るが、そこから一歩出ると意外な盲点が転がりまくっているのが「異国の地」である。たとえば、箸がない、茶碗がない、お椀がない−−−。箸は当初割箸を持参したが、所詮は消耗品。いずれは尽きる。それが恐くて同じ箸を何度も洗って使うといういじらしいことをしていた。茶碗もお椀もないので、一番深めのスープ皿で代用する羽目となる。文字どおり「ミソ・スープ」という風情で、なかなかに情けなかった。
さらに、炊飯器がない。ないものだから、普通の鍋でご飯を炊いていた。物心ついた頃から炊飯器のあった世代は、こうなるとひ弱で無能である。「そういえばキャンプでも飯盒でご飯炊くのだから、煮てりゃそのうち何とかなるだろ」「水の量は掌をつけて手首の骨のあたりだっけな」という心もとなさで、やってみたら、なんとか炊けた。うれしかった。
このあたりの原始的なレベルの問題は、チャイナタウンを探検していて大分解消された。茶碗も割箸もおいてある。炊飯器も、都心のタウンホールにあるウールワースというスーパーで売っていた。もちろん「電気炊飯器」と表示されているわけではない。スティーム・クッカーとか書かれていて、使用例の料理の写真もご飯ではなく、点心料理など蒸して作るものばかり。「これ、炊飯器だよなあ、、、、、?原理は同じだからご飯も炊ける筈だよなあ」と誰ともなく呟き、逡巡の挙句、購入した。
しかし、継続は力なりであって、シドニーでの現場知識が増えるにしたがって、また失敗を積み重ねることによって、「版図」は広がっていくものである。生サバ買ってきてのバッテラ寿司、鯵のタタキ、カツオ丸ごと一匹さばいてのタタキも成功(あくまで自分の基準による。ひと様に出せる出来ではない)。中華街で死ぬほど並んでる各種調味料(トーバンジャンとかその類、数十種類ある)を適当にゴチャ混ぜにしてたら、マーボー豆腐らしきものもできた。誰も教えてくれる人はいないが、それでも段々と「これとこれを混ぜるとこんな味」という経験則はぼんやり形作られるようだ。ここらへんは、「どうも”.”以下の文字を変えると動かないらしい」という経験から「拡張子」というものの存在をおぼろげに知りはじめるパソコンの上達過程に似ている(日本語文献が絶無に等しい当地で独学パソコンをやるのは、料理以上にしんどい)。なにやら、ヘレンケラーとサリバン先生の世界であるが、そんなにいいものではなく、家畜の学習のようなものだろう。
以下、「現地料理」について、思い付いた駄文を書き連ねます。期待しないで待っててください。
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