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2014年06月21日


留学体験記 吉田佑紀さん

 2013年04月渡豪〜2014年02月帰国


オーストラリアの感想


Prologue


はじめまして 広島在住34歳 自営内装業をしております、吉田佑紀と申します。
二十歳でできちゃった婚して以来14歳と8歳の娘、4歳の息子を嫁と共に育てております。

滞在期間は2013年3月から2014年2月までのだいたい1年間でした。はっきり言ってめんどくさ過ぎてほったらかしていた体験記ですが(田村さんスンマセン) なにかしら誰かの役に立つだろう、アプラックのためになればと思い、微力ながら駄文を送りつける次第であります。あんまり書かないほうがいいっぽい内容もありますが田村教授に添削、規制は任せますのでよろしくどうぞ。あと文章読みにくいのは中卒なので勘弁してください笑。

渡豪理由ですが、まーなんとなく海外で数年でも家族で暮らしたくないかい?そのほうが子供達にもいいんでないかい?なんてことを嫁と話してなんかしたりしていたところ、本格渡豪のちょうど1年前に、知り合いの彫師さんに誘われましてTATTOOコンベンションという毎年シドニーで開かれてるお祭りに参加することとになりました。ちなみに私、結婚前に彫師を目指していたことがあり、昔からTATTOOがほんの少しだけ入っています笑。

これはいい機会だからと、兼ねてから拝読させていただいていた謎の長いエッセイをシドニーはレインコーブにて延々とつづり続けられて居られる世界不思議研究家 田村教授にお会いしにAPLaCを訪問
お聞きしたお話もさることながら口の脇に泡をためながら早口で一生懸命説明してくれるあたり(悪口じゃないですよ笑)、この方は信用できる方だと感じ、話の流れから紹介していただいた「マンリービーチまでぶらりバスとフェリーの旅」によってまんまと移住意欲を刺激された私は、晴れて翌年単独特攻切り込み隊長としてシドニーへ舞い戻るわけです。


このぶらり旅。少し具体的に説明しますと、"FAMILY FUNDAY SUNDAY"という格安チケットがあるので、それを買ってマンリービーチまで行ってフィッシュアンドチップスを食ってみたらいいじゃない?という教授の提案により、家族で初めてのバスに乗ってセントレオナルドからマンリーへ。ビーチを見ながら家族で食べたフィッシュアンドチップスが死ぬほど旨かったのと芝生の上でゆったりしゃべる時間が素敵だなーと感じ、帰りのフェリーでありとあらゆる肌の色、格好、しゃべる言葉の人々がわらわらとフェリーから降りてきて、そのど真ん中で周りを見渡したときに、「よし。この国で子供を育てるべきだ。」 と決めてしまいました。

あとは一緒に滞在した彫師さんたちが自分達の技術ひとつで海外で稼ぐ姿を目の当たりにして、「わしも腕一本でここで稼いでみたいのー」とか無茶なAMBITION を持ってしまいまして、なんやかんや準備が大変だったんですが、なんとか嫁や嫁の両親の全面協力、私の仕事関係の方々のおかげで、一年という猶予をいただき(先にチッケット買って後で強引に説得に回ったのは内緒だ) 合間に英語教室に家族で通い、渡豪後の家族の生活資金を稼ぐのとにかく昼夜と働き、一年間で生活基盤を築くという一念で渡豪したわけです。


ちなみに飛行機に乗る前日にIELTSを広島で受験したのですが、まーひどいもんでした。成績、、、2。
「2はすごいですね笑」と田ムラック教授に失笑されましたが。英語できなくてもなんとかなるもんですよ笑 

さすがに何のあてもなしに突っ込むほどお金も時間も余裕が無かったので、とにかく少しでも伝をたよりにと 広島でお世話になっていた英語の先生(OZ)に頼み込んだところ、たまたま知り合いがシドニーで現場仕事する人探している。というので これまた運よくそこへねじ込ませていただき 着いた翌日から顔合わせと現場体験が出来る段取りにして、それが終われば田ムラックに転がり込みシェアハウスと語学学校を決めるという手筈で、私のシドニーサバイバルは始まったのです。

英語の先生の手助けで現地オージーとは渡豪前からメールでやり取りしてたけれども、初対面の外人と現場なんかできるか?とは、実は一ミリも思いませんでした笑 
日本で15年以上現場仕事をしてきた自信もあったし、目の前で海外で仕事してる日本人たちを見たこともあったので、どんな風に楽しんでやるかということしか考えてませんでした。英語はまあ何とかなるだろうジェスチャーと単語で旅行のときは何とかなったし、何より少々のことで諦める気なんてさらさらなかったので、ひゃほーーという非常に軽いノリで出発したのを覚えてます。靴なんて安全靴(つま先に鉄の薄いの入ったヤツ、空港のゲートで絶対ピンコンなるヤツ)で行ったし笑 



そんなこんなで、2013年の3月24か25?に関空を出ました。
そういえば前年に知り合いになった兵庫と大阪の彫師さんがこの年もシドニーコンベンションに参加され、オーストラリアドルをもっさり持って帰った情報を聞いていたので、広島から関西空港へ行く途中でスタジオに寄り、円をオーストラリアドルに交換して貰いました。非常にお得ですよ等価交換。(ちなみにその時の運転中 今から行きます電話で大阪府警に捕まり罰金を払う羽目になったのは内緒だ)


目的はひとつ 家族で住めるような基盤をつくる


基盤ってのは、働けるのか?英語しゃべれるのか?知り合いできるのか?生活できるのか?というほんとにベースとなる部分を一人でやってみる やりきることで家族が来るときにみんなを牽引できるメンタルを育てておくこと が自分の中では基盤を作るってことだったわけです。

具体的に英語がどこまで。とかどんな仕事を。みたいな目標というよりは、
何をどこまで経験できるか?
それらをくじけずに楽しめるか?
を一年継続できるか?だったわけです。

もちろん、仕事の技術は通用するのか?英語は出来るようになるのか?という細かい不安もあったと思いますが、あんまり気になりませんでした。
そんなこと気にする暇なんて無いぐらい毎日挑戦でしたし、できなくてあたりまえ、できてラッキーぐらいの心構えでしたからね。


The long long first day


飛行機はまんまと一番後ろの席三列独り占め作戦が的中したので、爆寝で到着。初日、空港で田村教授と合流。流れでアプラック二度目の訪問。軽く学校説明を聞いたけどぜんぜん頭に入らず。

というのも、この日までに同僚になるであろうオージーとのメールのやり取りが二転三転。さすが噂のオージースタイルで、初めの話では空港まで迎えに来るとか、やっぱり間に合わないから夕方まで時間つぶしてとか、終いにゃ明日行くからホテルに泊まっといてテヘペロ。みたいな笑 

FBでぎりぎりまでやり取りして、なんとか押さえてくれてるホテルのアドレスを手帳に書き込み、飛行機に飛び乗った状態だったもので。アプラックの何たるかよりもとりあえず連絡手段にするための新携帯ゲットとホテルまでの行き方確認で頭すでにパンクしかけてましたねーこの時。柔軟に対応していただいた教授には死ぬほど感謝しております。

教授にホテルまでの地図をプリントアウトしていただき、アプラッカーのNさんに携帯電話を借りれるトラトラまで連れてっていただき、めでたく携帯ゲットしたんですけど。なんというかーなんとなくですけど私の個人的な意見としてなんですけど、日本と同じシステムで携帯借りるのって変じゃない?ていうか高くない?と思ったわけ たぶんこっちの奴等に聞いたほうが安くすむんじゃない?って思って「すぐ返しにくるんで、一番最短で一番安い携帯にしてください」 って言ったら心なしか嫌な顔されてごちゃごちゃ長いこと説明されて(たぶん私の気のせい) とにもかくにも安いやつを2週間だけ借りました。

早速手に入れた携帯で同僚予定のオージーにメール。どうやら更なる時間変更は無いらしい、ホテルでゆっくりしてくれとのこと。よしよし。ホテルまではどうやら電車で行くらしい。ふむふむ。カブラマッタ?変な名前の駅だからわかり易いな。電車は去年家族で来たときにも乗ったし、駅員が親切なのも去年体験済みだ。楽勝だぜ。まずはチケットを買うぜ。「アイウオんトウーごーカブラ―マッターじゃけぇ」「カブラーマッター」何かごちゃごちゃチケット売りのおっちゃんが言いよるけど券も買えたし、余裕じゃないかシドニー。そんな感じの見切り発車で飛び乗った電車。から約4時間ほど。電車のぶらり旅をしました笑。

もう訳わからんかったよねー笑 
路線図とかちゃんと見ないと駄目ほんまに。
あとパラマッタっていうまさかのマッタ違いの駅で降りて小一時間、駅周辺を地図とにらめっこしながらウロウロしたけど これこの駅じゃねーよって気づくのにかなり歩いたよねー まさかマッタがかぶっとる駅があるという想像をしとかなかったのもあるし、その辺の駅員に聞いてもなにしゃべっとるか聞き取れんし、何か指差してコレに乗れーみたいなこと言うから焦って乗ったらタウンホールまで戻るし。フリダシの駅やないか!みたいな。

荷物をバックパック一個にギッシリ詰めて来たから肩は痛いし、
自分がどこに居るのかわからないし、
聞いても聞き取れないし、
もう大汗てんやわんやでなんとかカブラマッタ駅にたどり着いたのは夜の10時半、今度は地図だ。

ストリートの名前を確認しながら歩いてけば必ずたどり着くのだけども、なんせ暗い。人が歩いてない。
街頭の下まで行って地図を確認して、道の端っこまで行ってストリート名を確認して、また明るいところまで行って地図見て。

「初日からハード過ぎやしませんかシドニーさん」とかぶつぶつ独り言言いながら、やっと見つけたホテル。
無駄にでかい。入り口がわからん。
ホテルの周りをぐるぐる。もしかしてこの小汚い小道を入ったところ?
違うただのゴミ捨て場だ。
入り口どこジャーーーい。
散々探してやっと見つけた暗い暗い入り口。
華奢な兄ちゃんがフロントでwelcome。
内装はめちゃめちゃ豪華なホテルだった。
やったよ俺。

何か華奢な兄ちゃんが言うには今改装中だから入り口わかりにくかっただろテヘペロ。とのこと。ちゃんと私の名前で予約もしてあったし代金も明日の朝ボスが払ってくれるらしい。よしよし。

もう眠いけどタバコ吸うついでに改装中の現場を見学に。暗くてよく見えん。さっきの兄ちゃんにライト借りる。改装中の現場に入り込んで一通り見て回る。ほうほう。日本と同じ感じだな。(ちなみに、懐中電灯が借りたかったのだが、キャナイばぉろーみーライトーとか言ったら、困り顔でライターを貸してくれたので、まあもうめんどくせーからコレでいいやってなったのはもちろん内緒だ笑) 


よし寝よう、明日は6時には起きよう。
何?!借りてきた携帯にアラームが付いてないだと!!安いのにするんじゃなかった。

くそーフロントに電話だ!おお!!英語でなんていうんだ?!
ていうかモーニングコールって和製英語じゃないの?
わからーーん!!
ていうかもう限界ねむーーい。
よし。もう寝よう。
6時に起きると自己暗示をかけて寝よう。
俺はがんばった。
すばらしい初日だった。
疲れ果ててたけどシャワーでほんのり生き返り、クソほどでかいベットで「初日満足!」つって寝た。

教訓としては
ちゃんと路線図をみよう、
何となくのニュアンスでだんだん英語はできてた気になるけどそれはマヤカシだ、
くよくよ考えるなら全力尽くして寝ろ。
死んでも起きる自己暗示をかけて寝れば意外と起きられるので目覚ましは要らない。


The wonderful days


無事に起きれた二日目朝。
待ち合わせの約束時間ギリだったので朝食を諦め、急いで支度。直ぐにホテル入り口で待機。
巷の噂どおり40分遅れてオージー達登場。

ボスのダミアンとメールのやり取りしてくれてた身長2メートルのエイドリアン。
二人ともメルボルン在住でシドニーは出張で来てるとのこと。
もう一人カナダ人のハリー。一番若手。私より年下。
しかしもちろん英語使いなので立場的にかなり上な感じ。

片言で会話してとりあえずお土産に持参した箸を渡す。
ほぼ聞きとれないが大丈夫か俺?
わかんないときはとりあえず聞きなおそう。
初めのころはさっぱりわかんなかったので、とにかくジェスチャーと単語。
まあ何とかなるだろ。

現場見学。今日は作業しないらしい。ダミアンは打ち合わせがあるから別行動。

エイドリアンとハリーがシドニー初めてだという、俺は去年来たぞって言ったら、じゃあユウキがガイドだとか言い出す。
とりあえずオペラハウスと去年乗ったフェリーでマンリービーチまで行くべって言う。
というわけで渡豪2日目にしてもう現地ガイドに成り上がる。

マンリーでエイドリアンの背中にカモメのウンコ付く。
身長2メーターのくせに落ち込んでたので、日本ではウンコと運は同じ発音だからお前はlucky manだな!って言ってハンカチを貸してあげた。

オペラハウスで適当にぶらついてビール飲んで英語教えてくれよーハリーとかなんとか、
いいぜー代わりに日本人の女の子を紹介してくれよーとかなんとかで無難に仲良くなれた。
アルコールは偉大だ。

そっからダミアンが借りたアコモデーションに移動してハリーと同部屋。
他人と同じ部屋なんてどうなの?みたいなのはさらさらなく日本の出張仕事と大して変わらんなーっと思った。

はじめの現場のCAR BODY SHOPです。ここのボスに最後Tシャツとニット帽をもらいました 従業員たちもボスの息子のマネージャーもみんないい人たちで毎日声をかけてくれてありがたかったです
次の日から怒涛のように材料を搬入して搬入して。組み立てて組み立てて。
一応採用面接や無給の現場体験という話だったのだが、雰囲気的にうごいて当然という感じになっているので、もうできそうなことは片っ端からCan I do this?暇になったら What should I do?
こんなもん日本と一緒じゃないか。確かに聞き取りがわかんないことが多いし、理解が遅れるから何しゃべればいいかわかんなくなる、けどもそういうもんだろっと思って必死にくらいついた。
とにかく行動でやる気を示すしかないでしょ?

ええーとですね、この仕事、車の板金塗装の工場にスプレーブースを造るというお仕事。このスプレーブースってのは車一台入れる広い密閉された車庫があって、その中でスプレー塗装したあと、その室内の温度を一気に上げて乾燥、発色、仕上げることができるブースのこと。今回の現場は2つのブースと休憩室、塗料置き場ブースもつくるらしい。
そのスプレーブースはイギリスのメーカーでものすごく高いんだとか それをハリーのお父ちゃんがオーストラリア全土、はたまたニュージーランドまで営業に行って、契約してくる。それを据付工事及びメンテナンスでダミアンが一式請けているという形らしい。

そのSHOPの屋根に上り、排気ダクトを通すための穴を開けてます。が、取り付け後雨が降り、隙間から雨駄々漏れです。エイドリアンいわく「IT,S NORMAL」らしいです
工事としてはクソでかいフォークリフトなんかを駆使してパネルを組み上げて壁、天井、床を造るわけですが、なんせデカイ。あほみたいにでかいトラックでちょっと小さな山小屋ほどあるコンテナ積んできて、コンテナごとドーンと下ろしたら、コンテナキツキツに木枠で囲われたパネルや機材が入ってて、フォークでゴリゴリ引っ張り出して、片っ端から木枠をぶち壊して、たまに施主の板金工場オーナーの目の前でパネルぶったおしちゃったり、壁傷もぐれ、ごめんねで何事も無かったように組み立ては進む、とにかく豪快ダイナミックにお仕事は日々進んでいきました。


ブースを組み終わると屋根の上に登り、ドデかいダクトを取り付ける穴を豪快に開ける、ダクトをブッサシてブース横の空調機械と連結。照明器具なども取り付けて スプレーブースは空気調整のためシリコンで隙間という隙間をを密閉。

とにかくやることは多かった。ダミアン達はオージーらしからぬ働き者だったので朝から夜の11時までやったこともあった。日本で昼夜働いていた私からすれば楽勝だったのでケロッとしながらやってたら、ユウキはクレイジーだサイボーグだとか散々いじられたが笑 

ブース内の温度を調整したり、ガス切り替えや電気切り替えの分電盤 配線配管もすべて手伝いましたが要所要所専門的過ぎて解らない部分もありましたね
仕事終わりに工場のオーナーから毎日ビールをいただいたり、
工場のマネージャーとtattoo話でもりあがったり、
オーナーの奥さんがタコス作ったから食べろとか、
実はオーナーの奥さんが一番権力をもってんだとか、
ダミアンはこんなに働くのに奥さんに毎日ご飯を作り一度もおいしいと言ってもらえないだとか、
アコモデーションでは日替わりで夕飯を作るので私の番のときは私が開発したオリジナル料理「卵ご飯焼き」をふるまったり、
通りすがりの日本大好きおじさんに「おはよーございます」って声かけられたり、
コールスのレジのおばちゃんに励まされたり、
ライスプヂングとかいう最悪の食べ物に遭遇したり、
途中で同僚増えたり、
アコモデーション移動したり、
週末ダミアンのシドニー友達らとスペインレストラン行ったり、
そこでタンゴ踊らされたり、
花火見に行ったり、
ハリーの愚痴に付き合ったり、

とにかく素敵な3週間ぐらいだったかな。
散々スラングを覚えさせられて笑 その辺のノリも日本と一緒でしたね。

英語ちゃんと喋りてーなーっとくじけそうになりつつ、平行してわが娘達も初めての転校生活だったので、そのフォローも電話でしながら、嫁達もがんばってんだから私がくじけるわけにはいかん!気合で英語を勉強するぞ!待ってろダミアン達!次に会うときはフリューレントリーじゃけぇ!とかいって一旦解散。

1週間後に残りの仕事を済ませにまた来るからとのことで。もしかしたら一人でやってもらうかも、みたいな事を言うので。No problemって根拠も無くい言っといた。

教訓としては、
なんでもとりあえずやってみる。
自信のあることは根拠が無くてもやらせろって言ってみるべき。


しかしリスニングができないと現場仕事はちょいちょい危ない。
あとは、こうすればいいのにと経験上わかっててもスピーキング出来ないと伝わらない。当たり前だけどね、
でも仕事以外の部分でもたくさんしゃべるとあほみたいに仲良くなれる。とくにスラングはみんな大好物。
飯食うときのリアクションがとても良かったらしく何度も褒められた。
旨いものは旨いと伝えると良いみたいだ。

しゃべる言葉が英語なだけで家族を思う気持ちや生活ぶりは日本と何も大差ない。
変に想像するより体験したほうがはるかにわかりやすい。

シュトラシュフィールド

ダミアン達とはしばしのお別れ、近いうちにメルボルンを訪ねる約束をして、いよいよ勉強モード。
意気込んでアプラックに再合流しました。思いもよらず初っ端から現地オージー達との現場体験ができたので、まあいろいろあるけどなんとかなるかな?みたいな軽い手ごたえを感じつつ。この時点でまったく英語喋れてないけど無駄に自信だけあったのです。

こっからアプラッカーの一括パッカーになるわけですが、これも大変勉強になったなー。
まず学校選び、教授は「吉田さんは英語ちゃんとやんなきゃだからSCEね」ってことでなんとなしそこへ、ぶっちゃけ学校なんてどこでも自分のやる気次第でしょ。と思っていたのもあり、田ムラックが言うんならそうなんでしょっとひとつも考えることなく入学(田村注:こっちも必死に説明してんだから、カタチだけでも考えろっつーに(苦笑))。働くことがメインだと考えていたのだが、生活ギリギリのがハングリーに成れるなと思い込み、持ってきた金も今後の生活資金もほぼ全額学費にぶち込む。入学金の振込みでクレジットカードトラブルが発生して少し発狂しかけた。けどもなんとかなったのでSCEのフロントで叫んだなー笑

それだけ勉強しなきゃなーと思ったし働きながら暮らせなきゃ意味ないでしょと考えてたのでこの時から、「宵越しの金は持たない制度」を実施。そのせいで散々後に大変になるけどまあー何とかなった笑 (田村さんの一括パックの宿代を半年以上も払わなかったのは内緒だ(注:久々に遊びに来られ「やっとお支払いが」って言われるまで忘れてた)、あといろんなところで罰金を払う羽目になり、たんび人に金を借りまくったのも絶対に内緒だ)

滞在中、結構人が揃ったので皆でネパール料理を食べにいったときのスナップ。撮影に余念のない吉田氏、見た目テレビのコメンテーター風な渡辺氏
シェア探し。「みんなに着いて行ってください」といわれるままアプラッカー同期のジュンジュン(注:渡辺絢也氏、本文掲載時点で未だ二年目ワーホリを満喫中。いずれ体験談が上梓されるであろう、既にA僑Mix Of Peopleにはデビュー済)に着いて行き、ジュンジュンが最初しどろもどろで電話してたところから、徐々にがんがんつっこんで喋り始める様を見学。

一括パッカーってこういう風に成長していくんだなーと感心。ていうかジュンジュンめっちゃ英語喋れるやんけ!いうかイタリア語も韓国語も?フランス語?スペイン?ドラム叩ける?何だキミは?そんな色々できるのに何をなやんどるんだ?とりあえず飯食おう!なんか知らんが面白い男だった笑 後にダミアンに紹介してメルボルンとかも一緒に行ったり、ハウスボートでジェットスキー乗ったり、野生のカンガルーにえさあげたり、野生コアラ見つけたり、ダミアンの別荘タダで借りたり、カンガルー轢いたり、な良い友人ができた。

最初のころはかなり助けてもらったなー、のジュンジュンもシェア探しは苦戦してたけども、私も意外と苦戦して、というか途中から何処でも誰とでも住めるなー何を基準に決めればいいわけ?ってなってくる。

人で決めろ!という教訓にのっとり、天井が破れて水が漏れてるビルだったが、住んでる奴らが異常に面白そうだったのと、天井直すからレント下げてくれって聞いたら良いよと言ってくれた中国人オーナーのビル。
二人部屋を一人で借りて冷蔵庫や監視カメラを備え付ける高級部屋に仕立ててるITインド人、
たまに部屋変わってくれるって言ってたし、
でかいバルコニーがあってそこで水パイプ持ったブラジル人とイギリス人がパーティーしよーぜーーイエーーみたいなこと言ってたので、
明日金持ってくるから!明日からここに住むぞ!って伝えて帰ってアプラックで酒盛りしてるとドタキャンコール。
なんか水が漏れたから住めないわとかなんとか?たぶん後で考えると値引き交渉がお金にシビアな中国人にはいけなかったのかなーと今ならわかる。

さらにまた探し歩きつつも あーーめんどくさい。飽きた。もう週100ドル以下にしよーって決めて後半は100ドル以下ばっかり見に行ってた。まーさすがにどこも汚いところが多かったが別に住めなくはないなーな感じだった、街近くのインドネシア人がちょっと日本語しゃべれたところで、シャワーの出具合だけ確認して、明日からここに住むぞ!って伝えて帰ってアプラックで酒盛りしてるとドタキャンメール。

なんか後から来た誰かが上乗せで多めにボンドとレントを払って横取りしたみたい。おいおいもう学校はじまるぜ、こんなに断られるもんかい?と思いながらも他のアプラッカーにも手伝って貰い「わかった。今回はしょうがない。でもお前達と一緒に住みたかったぜ。またなんかあったら連絡くれよ」メールを返信しておく。

がなかなか辛いなーって話を入学のときにたまたまテーブルが一緒だった韓国人に喋って、2日後ぐらいに廊下ですれ違ったときに「家見つかった?」って聞いてくるから「アムすてぃるホームレスーイエー!」とか言ってたら「うちに来るか?オーナーに聞いてみるよ」ってすごいかわいそうな人を見る目で言われて「マジ助かる!今日一緒に帰ろう!番号教えろ!」ってなことで今度はすかさずボンドも払って、韓国人8人部屋シュトラスフィールド週90ドルをゲット。やっと一発目の寝床確保。軽くカウチサーファーになりかけてたので、ちょっと一安心。結局、アプラックと関係ないとこでゲットしてしもうたが結果オーライでしょ(全然オーライです)

ほんで、このシュトラシュフィールド駅前徒歩2秒の高級マンション。居心地は良かったです。

バリバリ違法な人数だったのでたまにオーナーインスペクションで靴とか服とか歯ブラシを隠されたり、
いきなり帰ったら絨毯びしょぬれジャブジャブみたいな、
いやいやクリーニング来るとは言ってたけども、こんなにジャブジャブにするもの?
いうか誰か俺のズボンパクッただろう?
夜中に人が寝とる横でフレークを食うな!
いうかせめてミルクに入れろ!スナックみたいにバリバリ食うなボケぇ!
だいたいお前ら飯のとき口を閉じて食えバカやろう!!
ぐらいのことでさほど気に病むことも無く。

2,3ヶ月住んで韓国人はめっちゃいい奴等だと感じた。何気にやたらと恋愛相談を受けてた気がするが笑 
兵役帰りばっかりで恋愛はとてもへたくそコリアン男子達に、たいして恋愛経験もないおっさんが知ったげなこと適当英語で喋ってるのを、この子ら真面目に聞くもんだからおじさんも一生懸命熱く語っちゃった夜も多かったなー笑

コリアンはすごく真面目だし儒教?か兵役かの影響でものすごい年功序列で、ワーホリ組からしたらもちろん年上の私の言うことはたいてい聞いてくれた。
やれ、飯作れ、でも辛くしすぎるな、
やれ、髪を切れ半分ずつお前とお前がやれ、へんなにしたらぶっ飛ばす、
やれ、スケボー交換しろ、
やれ、ワイン買って来い 
やれ、携帯のバウチャー買えるとこまで連れてけ。
まー後で考えるとめんどくさいヤツ来たなーっと思われたかもね笑 

とにもかくにもとってもいい奴らだったのは確かだし、いまだに連絡取ってるヤツもいる。結構、家族の話とか将来のこととかも話してたのでみんなすごく仲が良かったし、英語の勉強にはなった。英語をひとつもしゃべんないヤツもいたので無理矢理話しかけていじめたりしてた笑 

シュトラシュフィールドに行けばわかるが、完全なるコリアンタウンで右も左もハングルが飛び交っていたけども、結局はオーストラリアだもんで管理人とかとは英語でやり取りするし、コリアンコミュニティーの凄さもまざまざと魅せつけられたので、異国の中で生き抜く異国文化をを学ぶのにもとてもいい環境だったと思う。

教訓としてはコリアン男子もオージー男子も中国人男子もそうだけど日本の映画文化が大好きだ。アニメはもちろんのこと。ホラー映画も評価が高いので話のネタにチェックしとくべきだ。特に私が一番後悔したのは、こいつらかなり日本のAVに詳しいという点。誰々というセクシー女優を知ってるか?は散々聞かれたし、このムービーのこの意味はなんだ?って ウナギを尻の穴に入れるムービーの説明を求められたりするので、もっと調べておけばよかったーーーと後悔した。私の後悔は後にも先にもこの一点に尽きる。男子は特に気をつけろ!なんで知らないんだと逆ギレされる事がざらにある。

GET JOB

コリアンタウンで暮らし始めたぐらいのころに、ニュータウンってところのtattooスタジオをいくつかを突然訪問して「アイラブtattoo だから何でも良いからなんか働かせてくれー俺は何でもできるぞー」って言って電話番号を無理やり書いて渡して回った。何かしらtattooに携われれば嬉しいなー程度だったのだが、これまたうまいことオーナーの一人から電話が来て「新しくスタジオがオープンするからビラを配ってくれないか?」とのこと。

言ってみるもんだぜオーストラリアとか思いながら楽しくやらせていただく、思いのほか楽。
本気でやれば1時間でかなり配れる。
止まって配ってんのも楽しくないのでガンガン歩きながらすれ違う人全員にわたす、
横断歩道渡りながらわたす、
信号待ちの車の運転手にもわたす、
歩道に出てるテーブルで飯食ってる奴にtattooが入ってるもんならすかさずわたす、
他のビラ配ってるやつとビラの交換をする、
チャリンコですれ違う奴にもわたす(それを見ていた見知らぬおばはんにI LIKE YOUR STYLEって言われたのは嬉しかったなー)、
両手に買い物袋かなんか持って両手ふさがってる奴の指に挟む、
車のワイパーに挟む、
逆に私の右腕をつかんでくるパンクなおっさんが何回かいる、日本人のイカレタ彫師に彫って貰ったんだとか説明する、
このスタジオに行けば居るのか?ってたいてい聞かれるので「たぶんね」っと飛び切りのスマイルで嘘をつく、
信号待ちで窓を磨いてる奴と仲良くなる、
しかし数分後に再会すると今度はファっクユーとかキレられる、
どうやら彼はボランティアの精神でやってるのに私が時給を貰ってるのが気に食わなかったらしい、残念だった、せっかく窓拭きもさせてくれるって言ってたのに。

謎の物知り爺さんとも仲良くなる、やたら日本の歴史に詳しくヤクーザーって言われる、もうラリアに来てから300回目ぐらいなのでこちとらもうリアクションするのも飽きてる


逆に日本人の少年に声をかけられてどうやってこの仕事をゲットしたのかと聞かれる、毎週末やるのも飽きてきたので学校で知り合いになった奴らやその子ににやらせる、今考えると紹介料ぐらい貰ってもよかったなー。

この仕事は要領よくやるとすぐ終わるので2時間やって2時間公園で昼寝とかでも全然いける。しかしお金をいただいてるからには任せられた分はきっちりやる1枚たりとも捨てないという根性でやった。途中でこの仕事を紹介してあげた少年がビラごっそり捨ててたと人づてに聞いたときは少し悲しかったなー。どこ行っても恩と義理がないと人間ツマランじゃろとか思う。

たまにロックフェスティバルみたいなのにも配りに行く、ビラ配りながらお店をみて回る。
オーナーにTシャツ貰ったりする、差し入れ貰ったりもする、
サッカー見れるバーを教えてくれつって、その日太股にTATTOO入れたばかりで足を引きずってるオーナーにバーまで案内して貰い、バーのTVに サッカーを写してもらったりもする。

このオーナーのロブは死ぬほどいい人だったのと、日本人の彫師さんが一人働いてたので、TATTOO入れたいというお客さんを直接連れてったりもした。
日本人やベトナム人中国人の女子は意思が強くて、入れるって決めて躊躇無くFIRST TATTOO入れてたけど、日本人と韓国人、あと中国人、台湾人男子は躊躇しまくりで結局入れない奴らばかりだったね。これからは世界的にも女性の時代だなーとか思った。


そんなこんなで仕事はいくつかあったので、できるだけ人に紹介した。
というのも私の中で、ラリアに来て以来、優しい人にものすごく助けて貰うので、何か自分も還元せねばと感じ、周りに仕事探ししてる若者達が多かったのでなるべく紹介した。
ジャパレスにブラジル人やらチリ人やらスペイン人やらを紹介したり、
ビラ配りはかなりの人数の人がやったっと思うし、
この後にやる現場仕事でもいろんな奴に仕事を教えた。

帰国二日前には街中で友達待ってたときに話しかけてきたイスラムのおっちゃんが手に職をつけたいんだみたいな事を言うので元同僚のキリギスタン人の電話番号を教え、ユウキに聞いたって言ってみろと会って数分のヤツにも仕事を紹介してた。

自分の中でもかなりよい勉強になったと思われます。
こういう人と人を繋ぐことは日本でももっとやっていこうと思ってます。
田ムラックのA僑とかかなりオモシロそうですよね。

教訓としては、
なんでもやってみろ、
誰かひとりに優しくされたら他の誰か三人に優しくしろ("PAY IT FORWARD"って映画知ってます?)、
恩と義理は人としてわきまえた方がいい、
単純作業も工夫次第で素晴らしい、きちっとやるより自由にやってクビになったほうがマシだ。


ジャパレスとインドネシアン・シェア


前半戦の三ヶ月は昼間学校に通い、夜働くわけだけども、これはまたシェア探し同様苦戦するぞっと気合入れて50枚レジュメをコピーし、アポイントも5件ぐらいとってよっしゃーっとインタビューに乗り込んだところ運よく一発目で受かり、あっさり働きながら学校生活がはじまりました。

インドネシアンの友達とアルティモのコミュニティーセンターに卓球しに行き、勝手に二人で音楽室みたいなとこでピアノ弾いてたら「この部屋は予約制よ!レッスンがあるから出て行きなさい!」と怒られる数分前
学校始まってすぐメルボルンにお呼ばれして、1週間遊び倒した以外は、学校、ジャパレス、の繰り返しでジャパレスの場所が街中だったのでシュトラシュフィールドまでの片道40分?電車の中でよく宿題をしてた。休みの日はコリアン達と出かけたり、一応図書館なんぞに行ってみたり、まあ勉強してたほうだと思う笑 あとはジャパレスで知り合ったインドネシアンの若者とプール(ビリヤード)ばっかりやってた笑 

あとダミアン達に教わったbar通いのせいでお金は常に無かったなー。
そうこうしてるうちに前にドタキャンされたシェアハウスが開いたよとの連絡が入る。これもひとえにドタキャンされたときに「お前と住みたかったぜ。アイラブユー」というメールを返しといたおかげだとか思いながらも、もう場所も忘れてたシェアへ再び見に行ってみると、働いてるジャパレスから死ぬほど近いことが判明。即決で引越しを決める。

再び週90ドル 今度は街中サリーヒルズ 何だか後になってジャパレスのオーナー君(移住10年目)が言うには「サリヒルでそんな値段聞いたこと無い」とのこと。それもそのはず冷蔵庫の中にもゴキブリがいるような家だったからねー笑 別に住めば慣れる。

ある日仕事から帰るとシェアメイトのインドネシアン達の寝相が奇跡的に合致 私も横に同じ形で寝てみたが”ぷよぷよ”のごとき連鎖は起こらず たぶん日本人だったからだと思う笑 (ちょうど写真右横が私の寝床なので並んでみたものの、写真取る人がいないことに気がつき、ゆっくり戻って仕方なくの妥協した一枚でもある)
今回はインドネシア人ばっかり、日本に住んでた事もある奴等だったので日本語もガンガンしゃっべってた。

私は英語を覚えたい日本人、シェアメイトは日本語を覚えたいインドネシア人、その友達は韓国語を覚えたいインドネシア人なので友達のコリアンを連れてきてコリアン講座を開催したり、
コミュニュティーセンターに卓球しに行ったり、
禁煙の部屋をムリクリ喫煙の部屋にしたり、
他のシェアハウスのインドネシアンナース達にご飯をご馳走してもらったり、
鍵が人数分無いので帰るたび電話して窓から鍵を投げて貰ったり、
休みの日に仕事を手伝ったり、雨降ったら電話して洗濯物入れてもらったり、
テニスのコーチをしてるシェアメイトとテニスの約束をしたが、
当日仕事で行けなかったので他の日本人を派遣しといたり、
みんなで買い物行ったり、
寿司が好きだというので残りもんの寿司をもらってかえってふるまった、
その代わり今週お金がヤバイからレント待ってねとか交渉したり、
道端のTVを拾ってきてネットで売りに出したり、
お好み焼きパーティーもちろん広島焼きを開催したり、
何人かはイスラム教徒なのでラマダンを一日体験したり、
こっそり豚を食わしたり(イスラム教徒は汚れてるから豚食っちゃだめらしいのだが、わざとじゃないんだけど、持って帰った寿司に豚があって知らずに豚は無いよって渡してもうた。綺麗にたいらげたダニ君スマンかった)、
バルサン焚いたり、
なけなしの15ドル貸したシェアメイトが次の日バスに轢かれたりして、
とても騒がしい家だった。

買って来た食パンの袋をすぐ結ばないと侵入してくる虫たち以外はかなり居心地が良くて最後まで住みました。



ほんでジャパレスだけども、スシトレインというチェーン店なんだけど、そこのオーナー君は私のひとつ年下ながら10年前から移り住み、雇われ店長の立場からその店のオーナー権を買い取り本気の経営者に、さらに姉妹店のオーナー権まで買い取りなかなか攻めの経営をみせるイカシタ日本人だったので、なかなかどうして仲良くやらせてもらいました。

同僚のスタッフ達もバラエティーにとんでいて、ゲイはもちろんレズビアン(両方ゲイだとか細かいことは言うな)カップルもいたし、タイ人、インドネシア人、中国人、南アフリカ人、ブラジル人、チリ人、台湾人、進撃の巨人に出てくる巨人にそっくりな日本人、といろんな人にも助けられジャパレスって聞いてたよりおもしろいやんけっと思いました。

飯がただで食えるのはありがたかった。(私はスポンジボブよろしく万年フライ係だったので裏方として働きつつコロッケやたこ焼きを勝手にあげて食べていたのは内緒だ、チキンカツも挑戦したがでかすぎて食いきれなかったのでこっそり捨てたのももちろん内緒だ)

ジャパレスでのハロウィンパーティーと同時にナルゾウがナースコスプレでジョブインタビュー一発合格
あとナルゾウという日本人少年(注”成澤圭佑氏、後日体験談が上梓されるかは、吉田氏と同じくハタチで父親になりそうなので疑問視されている)があと一ヶ月で帰国だけど働くところがないっス。とかいうので、スシトレのハロウィンパーティーのときにアダルトショップへ行き、Tバックをはかせナースコスプレをさせ、この通り!やる気はあるので働かせてください!ってオーナー君に言ってみてごらんっととてもためになるアドバイスを与え、みごとにゲットしていた。


教訓としては、
ジャパレスもピンきりでクソみたいなところも多いらしいので運次第、
日本語しゃべることが多いがそのほうが楽なことも多い、
私のように日本人から距離を置かれるタイプは海外に来てる奴らとは話が合う、たぶん?皆さんに気を使わせましたか?謎?まーどうでもいい。

スタッフよりオーナーの考え方を早めに理解すると雇われてる人たちの考え方も似てるので面白い、セクハラはよくあるらしい、
できるできないじゃなく皿洗いも接客も雇われてる以上は今できるベストを尽くすべきだ。


SCHOOL


さてさて長くなってまいりましたが、学校です。私の場合死ぬほど英語ができなかったので、入学時の実力テストでI hate English but I need English.って書いた。

何とかプレインタミディエイトとかいう中の下に入り、必死こいて勉強した。
といっても授業は初めて知る事ばかりだし、先生も色々癖があって、さらにはクラスメートも各国だから面白いことばかりだった。

英語の勉強おもしれーもっと教えろーという感じでしたね。

ただ、日本でもそうだが私の場合見た目がアグレッシブらしく少し危機管理能力がぶっ壊れた日本人(アプラッカーみたいな笑)ぐらいしか声をかけてこないという事情もあり笑 日本人が多い学校にしては日本人の友達少なかったと思う。

今でこそ言うが、ぶっちゃけ学生ノリはおっさんには苦痛だった笑 
そんなこと言っててもしょうがないので、後半は切り替えてパーティーとかも参加するようにしたり、小旅行を計画してみたり。
全体的に親目線でみんなと接すると意外と面白かったです。

学校の休憩時間にブラジル人ポーランド人イタリア人とバーで一杯やった時 私たちはとてもまじめなので授業に戻ると顔が赤すぎてすぐばれた笑
途中から夜の部に編入したのですが、これは大正解でした。
日本人じゃない率の高さとみんな働いてるので話も合うし、子持ちの奴らも多かったのでビザ事情などの情報交換も凄くためになった。

あいかわらず自由にやっていたので、授業の合間にバーにいってウオッカしばいたり、
スケボーやキックボードで教室まで行ってたし、
イタリア人のクラスメイトにイタリアンな夕食を注文し持ってこさせたり、
時計職人だというイタリア人にマイ腕時計を2度ほど直してもらったり、
ポーランド人のクラスメイトの娘とスカイプでおしゃべりしたり、
コロンビア人とブラジル人にダンスを教わったり、
中国系オージーのセクシーダンスを鑑賞したり、
ベトナム人に知り合いの彫師を紹介したり、
イタリア人とビリヤードしたり、
スペイン人とニュージーランド人にゲイだと告白されたり、
まー話題にはことかかなかった。

どちらかいうと慣れてきたのもあるが夜の部のほうが勉強も進んだように思う。
なんとか五ヶ月目にしてクラスもひとつ昇格。まだまだ合格ラインとはいえないまでも、少しは頑張った感はあったかな?自分のハードル低すぎ?

教訓としては、昼の部で年下ばかりに囲まれるとしんどい。
学生ノリは私のような年配者にはエネルギーがいる。人付き合いってどこの国も大変だわ。

親目線でいるととても楽だった。具体的に言うと、いちいち気にしないこと。
こうした方がいい!はなるだけ言わない。やるのを見守る。
これは帰国して今まさに思春期の長女とかと接するのに凄く役に立った。

打って変わって夜の部は自由。自由が過ぎるので勉強が疎かになりがちだが、スピーキングは死ぬほど伸びる。環境として考えや境遇が似た人達のほうが話は弾む。私の場合は子供がいるとかそういう。

あとは、宗教や歴史など世界事情をある程度知ってると楽しみや食いつく話題が増える。
これは実は凄く大事で、ちょっとした先生がしゃべる小話など、どこどこの国はこうだからーが歴史的な皮肉がこめられててクスッと笑えるみたいなことを理解するのにその国のことをある程度知ってないとクラスで一人だけ笑えない状態がおこり、授業がつまんなくなる。
逆に理解できると授業に参加してる感が出て一気に集中力が上がる。

ナルゾウ・リエカップルとウチに遊びに来てくれた時のスナップ。親目線で横で見守る吉田氏の図
当時19歳のナルゾウ(後輩アプラッカー)が授業中にしょっちゅう、今のどういう意味ですか?顔でこちらをちらちら見てくるので説明するのがめんどくさかった笑 彼のキャラは知らないことは全力で知らないので教えて!というみんなにかわいがられるタイプだったので面白かったけどね。

そういえば、ナルゾウの恋愛について各国の意見交換をする授業があったなー。
ブラジル人は初めのキスは止るな!舌も入れてけ!とか
イタリア人はパスタを使え!両端から食べろ!とか、
ゲイのスペイン人はロマンティックが一番!とか、
韓国人は頭をつかめ!とか、
サウジアラビア人は手紙がいいとかなんとかかんとか。

隣のクラスに目当ての子(同じアプラッカーのリエちゃん(注:田村梨衣氏、既に体験談上梓済)がいたので、それはもう白熱した授業だったのを覚えている。(ちなみに彼らはシドニーで同棲してたのだけど、そこで行われたパーチーで悪酔いした私に「お前らっ手取り早く子どもつくってしまえや!」と言われたことに影響されたのかどうだか。帰国後、りえちゃんの大学の都合それを追っかけわざわざ広島の学校を選び調理師を目指すナルゾウで広島に移り住むのだけども、最近子どもができたらしいです笑 けっして私の影響ではありません)


MAIN WORK

初めての 本職現場 見た目は日本とさほど変わらなかったですが 職人レベルの低さ 働くプライド 管理者と作業請負の間の関係性 一発目の現場からなかなかの修羅場で恐ろしく勉強になりましたね
さて長いけどお付き合いください、私のメインとなる仕事。

内装屋さんなんですが、日本では軽天屋とよばれ、軽量の鉄材を使い、何も無い空間に壁、天井を作り出すというお仕事。私はそれの国家資格を2つほど持っているし、15年ほどの経験もあるので、まずこちらで生計を立てるなら、この技術が通用するかどうかが知りたかったわけです。

ので、初めの三ヶ月は異国になれるためと勉強を主体にするためジャパレスへ。
それが終わって夜の部に移行するときに1ヶ月のホリデーがもらえたので、その間にはじめての本職仕事探しをしました。ダミアン達との現場経験もあったので、とにかく初めは何でもいいからやってみようということで、建築系の仕事に片っ端から連絡。

この辺はアプラック仕込の電話作戦で無難にいくつかアポが取れる。しかし、私の英語力の無さにわかんないことだらけで、片っ端から断られる。やれ、車がないと駄目。ホワイトカードがないと駄目(ラリアで建築系をするためには保険に入って講習を受けホワイトカードなる免許のようなものがいるのです、しかもまあまあ高い。最初の現場仕事はひとえにダミアン達がどこまでも優しかったに過ぎないし、まともにやると税金も太いのだが、その辺は、、、ねえ、、、ラリアの現場仕事の環境もあり色々あるので説明しにくい)、電動工具を持ってなきゃ駄目。英語もっとできなきゃ駄目。いやーしんどかったですねこの時期。とにもかくにもやらせてもらえれば現場で通用することは証明する自信があったのに、それ以前の問題だったので、

かなり悔しかったです。しかし、負けるわけにもいかないもんで、ガムツリーに広告を載せたり、知り合いに片っ端からなんか紹介しろって言ったり、何とか取れた引越し系の仕事とかで一緒になったヤツに内装の仕事ないか?って聞いたり、やっとこ現場仕事系のアポがとれたものの、行ってみるとレンガを積む仕事。なんとなし知ってる知識をフル動員して、セメント練ったり、足場を組んだり、何とかこなすも、コミュニケーション不足と専門用語知らなさ過ぎで、一日でクビ。

コレもその現場での一枚で、実はこの部屋の隣の部屋で中国人職人、中国人ブローカー、オージー監督が大声で揉めに揉めてます。私は第三者を装いながらも仕事を進めつつ英語の勉強になるなーと盗み聞きしてたときの思い出

くそーー。わかんないこと、あやふやなことは自信がないので電話も会話もおどおどしてしまう。これは腹立つ。
技術どうこう、やり方どうのこうのよりも、メンタルの問題だ!ので、一点集中突破に切り替える。今まで建築系なら何でもという考えを捨て、軽天屋のみに絞る、軽天屋はどうやらこちらではgyprockerというらしい。よし、ガムツリーの広告もジプロック15年やってた。それに関してなら何でもできる。というのに書き直し、それ系の会社や広告に片っ端から電話。この頃にはお金もやばくなってたので(楽勝だからジャパレスやめてもすぐ見つかるだろうという甘い算段のせいなのは明白、さらに飲み歩いてたことは確実に内緒だ)、必死だしちょっとやそっとわかんない言葉が出てもひるまなくなった、さらにその辺の現場に勝手に入っていって、なんか仕事ない?これ俺のレジュメ、ボスに渡しといて。みたいなこともやってた。

とにかくここを突破するかしないかがこの渡豪の分水嶺じゃーーー!!とばかりに気合入れて望んだ。
そしてとうとう、初のジプロック仕事をゲット。とは言っても実は気持ちを切り替えて行動に移すとすぐ立て続けにアポは取れた。のでここからはオーストラリア内装事情を探りつつ、知り合いを増やしていくことに切り替える。

細かいことは色々あるのだが、大まかに言うと、こちらの現場仕事はどこかの会社に囲われた職人がグループで現場を回っていくスタイルよりも、個人でそれぞれが自営職人で現場ごとに人を集めて、その場その場のメンバーで現場を叩くスタイルが主流。ので誰もが仕事を取ってくるし、誰もが人の仕事を手伝える。

ある程度の付き合いはあるもののどこかの会社にお抱えされてる職人は少ないとのこと。他の都市は知らないがシドニーに関して言えばジプロッカーは中国人のほぼ独占状態らしい。ので、材料屋さんや不動産屋や仲介ブローカーなど関連する中国人ネットワークは恐ろしいほどでかい。(他にもタイル屋は韓国人、電気屋はオージー、左官屋はイスラム系、解体屋はヨーロピアン系、人工仕事、雑用屋はインドネシアンなど。多少の職種別住み分けがあるみたいです) ちなみに日本人は現場仕事で見たことねーぞ。寿司でも握ってろよ!とかはよく言われた笑 ウルセーバカヤロウとばかりに仕事をしてみせると皆んなアホみたいな顔で感心する。
その一番長くいた現場での日常風景 汚さのレベルが日本とは格段に違います ちなみに写真内にはゴミと資材が半々ぐらいで写っていますが、どれが資材でしょーか?笑
はっきりいって楽勝だ。
よく考えたらそりゃそうである、地震大国日本の建築レベルがのんびりオーストラリアに負けるはずもなく、最終的には逆に教えることのほうが多かった。

がしかし、そこはアウェイなわけで、オーストラリアスタイルというのにあわせていくのはかなりしびれた。ジプロッカーは日本とは違い壁や天井を造った後のパテ処理(ねじの穴や隙間をパテで埋めて乾いたらこすって平らにしていく作業)もやるので、日本ではこの作業はペンキ屋さんやクロス屋さんの仕事なのであまりしたことがなかった私は、中国人の若いボスにケツを蹴られながらも歯を食いしばって覚えた。ある程度の要領がわかってきてからは、ボスからボスへ時給交渉をしながら自分の価値を高めていくという感じになっていく。

現場で出会った職人と情報交換して、どこの現場の誰々が忙しいとか、時給はいくらくれるとか。中国人コミュニティーの中をあっちこっちと渡り歩いた。そりゃもう楽しかった。こんな言い方するのは失礼だが中国人のモラルはなかなかどうして最悪なのだが、それをうまいこと利用するというか郷に入らば郷にしたがえで振舞っていくと、私の時給は格段に上がっていった。

本業中盤で仕えていたパトリックというプロテスタントチャイニーズのボスに連れられていった中国系の資材屋のくそデカイ倉庫 資材も半端なくデカイですねーラリアは パトリックいわく中国人ならすぐ資材を注文できるらしく、日本のようにやれ一 見さんは手付けを納めてだ、見せ金がいくらいる とかは無縁らしいです。ついでなんで私が戻ったときに口を利いてもらう約束だけはしておきました まーメルボルンに行くんであんまり関係なさそうですけど笑
自分の価値を自分で証明して交渉していくのはエキサイティングな体験だったし、移住してきてからの立ち回り方にも参考にしようと思っています。(ずいぶんいいように書いているが始めの頃は時給11ドルとかいうジャパレス以下でやっていて、道具をある程度そろえて交渉、決裂したら次のボスへ、なんども喧嘩になって、地道に少しずつあげていったのです。それでもぶれなかったのは自分が日本でやってきた仕事に誇りがあったから、手に職。ってのはこのことだなーである) 

色々と軌道に乗り始め、収入も安定し始めた頃に、自営業届けABNの申請に行ったりもいた。パソコンで申請しろと言われ、おばちゃんに手伝ってもらったときに、最終確認してくるからこのボタンは押さずに待っててねと言われ、絶対、ぜー-―たい押さないでねっと何度も念を押すので、これはダチョウクラブパターンか?と思い込んでしまい押すなボタンを押してしまったり、相変わらず英語できないので通訳に電話して貰ったり、一緒に行った友達がノートパソコン忘れたり、結局、紙の申請書を書くことになってオージーの友達に手伝って貰ったり、散々頑張った結果、申請受理されずだったり、シェアメイトが言うには形だけでも弁護士をつけないと申請受理されないらしいとか。今後にむけてなかなかいいシュミレーションができたと思ふ。

本職仕事の後半 明らかにお金で揉めて工事が中断していた現場 デビットとウィリアムという中国人たちが続きを請け負うことになり、オージーの電気屋さんに「この現場は金が支払われないから、前のチームは逃げたんだ。お前も気をつけろよ 」とかいわれつつ、かなりの仕事をこなし、(ナルゾウを働かせたのもこの現場です)数人の素人中国人に仕事を教え、日曜日も一人で出てやるから時給上げろよと交渉し、かなり羽振りはよくなったものの、やはり最後に2000ドル不履行
滞在残り2ヶ月ほどになって、一番世話になった中国人ボス デビットのお金の払いが遅れ始める。
それまでの付き合いもあったし、言い訳が面白いので(レシート見てたらATMに戻っていったんだー本当だー初めてだからわからなかったんだーとか平気で小学生レベルの嘘をつく)しばらく付き合っていたが、いよいよ4000ドルオーバーになってきたので、生活できねえよバカやろうと催促の電話をかけ続け、なんとか2000ドルは回収。結局、残り2000ドルは他の同僚に回収を委託、俺帰ってくるから、そん時までに回収しといてくれたら20%やるから、というめんどくさいことになってしまった。が、子供達をつれてきてからこんなことにならなくてよかったと、ポジティブに捉えております。

そんな中国人真っ只中で働いて、いちばんうれしかったことがある。たしか、昔読んだ本で華僑についての本だったと思うけど、中国人と真に付き合うならご飯に誘われると良いみたいな、中国人は大切に思う人と食事することをすごく大事にしていて、もしあなたが中国コミュニティーに飛び込むなら食事を共にすると彼らの信頼を得られたことになるでしょうみたいなことを読んだことがあって。 

デビットの上司であるブローカーのウィリアムってやつがいてそいつと一度だけ夜勤の現場をやってたときに、皆疲れて変なテンションだったんだろう、ウィリアムが「ユウキのじいちゃんは戦争に行ったのか?」と聞いてきたので、「おお。満州だかなんだかに行ってたらしいぞ。帰ってきたけど。」というと「日本は人を殺しても捕まらないのか?お前のじいちゃんは中国人をたくさん殺しただろう!!」と声を荒げるので「捕まらないよ、あれは戦争だ。日本は謝罪もしたし、中国も今、回りの国で殺しまくってんじゃないか。」って言い返したら「これをみろ!!お前らの国はこういうことを子供に教えないのか!」とネットの南京大虐殺の写真を携帯で見せてきたので「知ってるよ!学校でも習ったし、俺の子供も知ってる。歴史だからね」軽く取っ組み合いになりそうになったが、デビットが止めてくれて、少し落ち着いたので「なんにせよ、もし、じいちゃんが帰ってきてなかったら、こうして今ここでお前らのビジネスを手伝ってないだろ。歴史は大事だ。戦争は悪い。でも、俺はお前らが好きだ。なんか問題があるか?」って半分もう会わなくなる覚悟で言ってみた。

そしたら、「悪かった。俺もユウキが好きだ。お詫びに今度飯に行こう。」と言われ後日、バーウッドの高級らしい中華に招待され、紹興酒を死ぬほど飲み、仲良くなれたと思う。「あんなに言い返してくる日本人は初めてだ。ユウキと知り合ったことを誇りに思う。だからユウキも俺達を誇りにしてくれ。それが中国流だ。」みたいなことを言われて、嬉しかった。さらにその会食の席で同僚が、「ユウキはやっぱりクレイジーだ。でももし、次にあんなことになったら絶対言い返すなよ。中国人はカッとなって刺すやつもいるから」と言われちょっと怖かった笑 


教訓としては、できることに集中して自信を持って臨め。
状況によって耐え忍ぶところは郷に入らば精神で、
でもイラついたら躊躇なく言い返せ!でも刺されたら危ないのでほどほどに。

あとは、お金の感覚は今の日本とは天と地ほども違うので心してかかれである。
(現場仕事に関して言えば、時給ならオージーは40、50、60ドルぐらい普通で、大体その半分の時給で中国人やイスラム系、韓国人がやっていて、インドネシア人やアフリカ系の黒人たちはさらにその半分の時給だったりする。が税金を逃れるため現金払いが多いし、現場に労働局みたいなのが視察?検査にくることがあり、そのときには現場作業員の半分以上が姿をくらますとか、結構な感じで違法労働者が現場仕事を支えており、ラリア政府も暗黙の了解感グレーゾーン感があるなーとは私の個人的な感想)


TRAVEL


ホリデーでダミアンに招待してもらったハウスボートON エイルドンレイクです 休日ってこういうことなんですねー 本当に時間がゆったりに感じるんですよねー この瞬間にもうオーストラリアに勝った気でいましたから笑

まだ続きますけど、もう飽きた?最後まで読んでみなさいよ。

ワーホリじゃないんだけどホリデーは楽しんだ。
家族には悪いが、旅の楽しみ方を学ぶのもまた大切だなーと。

メルボルンにはダミアンに呼ばれたので学校はじまってすぐにホリデー申請し、ジュンジュンを誘い1週間ほど訪ねた。ダミアンはハウスボートや別荘を所有しており(ロトが当たったとかどうとか?)死ぬほど楽しんだ。

オージー真っ只中だったが、彼らのノリは男子中学生のノリとほぼ同類項なので、死ぬほど笑って死ぬほど遊んだ。

初ジェットの指導をダミアンから受けるビビリぎみのジュンジュン その何日か後にダミアンの別荘で二人で泊まってハウスボートキラーなるハイパーB級ホラーを鑑賞して寝たのですが、翌朝震えながら「眠れなかった、、、、、」と言ってきたのはこっちが震えました笑(彼の名誉のために付け加えると、寒かったけど怖くて毛布を探せなかったみたいなことらしいです笑 起こせよ!っと言っておきました笑)

しかし、1週間休んで来いって言ってたくせに、2日目に「明日から仕事だから、ユウキとジュンは好きにしな」といきなり放り出されたので、別送貸してくれっと宿だけ確保し、レンタカーを借りグレートオーシャンロードを目指すことに。

途中他のアプラッカーも合流して、初のバックパッカー宿に泊まり、
謎のインド人弁護士にたらふく酒をおごってもらったり、
通りすがりのワイナリー行ったり、
通りすがりのふれあい動物ランドに行ったり、
通りすがりのアルパカにえさをあげようとして怒られたり、
駐車禁止のペナルティくらったり、
オイスターバーに行ったり、
なんとかいう岩たちを見たり、
カンガルーを轢いたりした。

実におもしろかった。

エイルドンレイクでダミアンが運転する小型ジェットがひたすら寒いという話 左からジュンジュン、ハリー、エイドリアン

その次は、学校でイルカ見れるみたいな広告をみつけて、何人かでレンタカー借りたほうが安いと思い、その辺にいた人達に片っ端から声かけたら、10人になっちゃって、各自に車だ宿だを予約させて、サンドサーフィンもできるらしいとかあやふやな情報をもとに、ポート・スティーブンスに。
いろいろあったが、まあ、ほとんどドライブだった笑 

あとは、侍ビーチなるヌーディストビーチがあるらしいので行ってみるべ、とのことでいったが、たいした盛り上がりもなく終了した。


 二回目のメルボルンでシェアライドで知り会い、その日に泊まらせてもらい飲み明かしたネイサンとセントキルダにて
メルボルンには帰国前にもう一度行き、ダミアンらと再々会、感謝を伝え、またの再会を誓った。

アプラッカーでナルゾウの彼女に昇格していたリエちゃん提案でシェアライドなるものを利用した。
いついつシドニーからメルボルンまで行くけどガソリン代シェアしなーい?みたいなやつで、それで知り合ったネイサンというオージーに図々しくも今日泊めてくんない?っとお願いしたところ、快く快諾してくれたので、宿代代わりにカラアゲとポテトサラダを作って、すっかり夜中に皆で食べ、ネイサンはおしゃべり好きだったので、生い立ちやビジネスのこと家賃とか住みやすいサバーブの話なんかをして、かなり楽しかった。

セントキルダで別れたあと、実はガソリン代払ってなくない?を思い出したが、あえて言うまいなのはいまだに内緒だ。

二日目にダミアン達とディナーして、2メーターエイドリアンの妹夫婦宅に泊まらせてもらい、三日目は一通り観光してナイスな旅となった。このときに移住地はメルボルンだと決めてしまったが、私の目に狂いはないだろう笑

教訓としては、ホリデーはしっかり楽しめ。
できれば地元オージーなどと居るとかなり楽しみ方を知ってる。
交通手段すらいろいろ試すべき。
思いがけない出会いは、思いがけないとこにある。
ホリデーを楽しむから生活にメリハリができるとかいうのは本当のことだった。


最後に

段落にしないまでも、オモロー話は数々あり、

チリ人の坊ちゃんと医者の息子のボンボンとシェアハウス経営をしようってことで不動産屋回ったり情報集めをしたりしたが、いざ金がいる段になってボンボンたちがびびったのか、流れた。まあ経験や知識としてとても私自身のためにはなったのでよし。とか

何処で何時撮ったのか忘れたけれど携帯に入っていたなんかいい感じのやつ

バーに行きまくってたので、次の日に知らない番号が増えていて困った。ある朝、知らないババアからの電話で起こされ、「私の携帯にあなたの番号があるのよ!誰なのあなた!?」とか言われて、「俺もわかんねーよ」って言って切った。とか


しょっちゅうゲイに絡まれたが、おかげでスピーキングは伸びたと思う。あとレズビアンたちとのみに行ったが完全に夫婦喧嘩に巻き込まれた。とか


Sceは学校の前で皆タバコを吸うのだが、授業が始まり、少し遅れてきた私は一本吸ってから行くべっとタバコを吸い、ポイッとして中に入ろうとした瞬間、シティ レンジャーなる人々に捕まり罰金を払った。とか


帰宅途中にふと見上げたら のなんかいい感じのやつ
仕事の広告をガムツリーに出してたら、イベントシアターとかいうシティど真ん中のお店の改装を見積もりしてっと頼まれ、現場で見積もり用の写真を取ってたらガードマンに怒られ、いやいや仕事なのよボスに頼まれたのよ私は日本人よっと言うとokしてくれたこと。とか

キセルじゃないんだけど、学生料金でマイモルチを買ってたが、捕まり。「ええーーー語学学校は使えないのーーーー?!!」って小芝居でしらばっくれたら、見逃してくれた。ギリギリだった。とか


プロテスタント系の教会へ誘われ、興味本位でいってみたところ、みんな死んだ魚の目をしていたのでタダ飯だけいただいて帰った。とか


サリーヒルズのベランダで洗濯干しながら見つけた昼月
同僚のキリギスタン人が嫁と別れて長いから誰か紹介してくれというので、適当に今度紹介してやるよと答えると、次の週から毎週末ベロベロに酔っ払って電話をかけてくるのでめんどくさかった。とか

葉っぱ(ガンジャ)とかをたしなんでるヤツは多いのだけど、まあほどほどにね。いうかサリーヒルズなんて普通に「スモーくーマりゅーファなあぁー!!」とかいって渡してくるヤツもいる。タバコ吸ってるとホームレスにたかられる。一度、明らかジャンキーババアに咥えてるタバコを強奪され乳を擦り付けながら「さっさと渡しなさいよ殺すわよ」みたいなこと言われたが、「マジかおまえ!!たいがいにせーよ!!」って日本語で言い返すと「アムソーリー」と寂しくつぶやき帰った行った。とか

イスラム系のマネージャーの現場に入った初日に、現場見学に来たビジネスマン達に「ウチのチームには日本人がいるんだぜー。なあ!ユウキー!」とか馴れ馴れしくされて、後で考えると日本人ってブランドなんだなーと思った。とか


メルボルンで遊んだオージーの友達が釣りしてたらクロコダイルに足の指を喰われたとか言うので、嘘だろーとか言って見せてもらうと、、、引くぐらいホントだった。とか


韓国人と住んでたときは常にキムチとニンニクの匂いが漂っていたが、インドネシアンと住むようになって、サフランとニンニクの匂いに変わった。とか


 ハウスボートのキッチンにて おなじみクルクルバーベキュー チキン、ラム、オージービーフだったかな?
 そういえば夜にボートのそばに野生カンガルーが来たのでライトで照らして観察 エイドリアンたちがカンガルーエッグを取りに行こうとか言い出し、真っ暗の中崖を上り先ほどまでカンガルーがいた辺りに 本当に卵発見! 朝食でいただいたけども、そもそもカンガルーって卵産みます?おもっきり味はニワトリの卵だったし、う〜〜ん 未だにカンガルーの習性なのか、エイドリアンたちの手の込んだいたずらなのか解らず仕舞いです
知ったげに、その辺で飲むべーとかいって適当に入った店がワインバーで、これまた知ったげに「お勧めを」とかいうと100ドルしか持ってないのに80ドルするワインをおごる羽目になる。とか


安売りマーケットで一篭1ドルとかいう激安バナナはぐちゅぐちゅで一本もまともに喰えなかった。とか


バスで通学中、ゲイ(レズ)達がバス止めて、降りろだ、降りないだ、大喧嘩しやがるので、客全員で黙って見守った。とか


髪切り屋に行った時、隣で切られてるヨーロッパ系兄ちゃんがカッコよかったので、あんな風にしてくれ!って頼んだところ、なかなか残念な仕上がりになり、うーーん元の土台の問題だと気がつく。とか


友達にチョコレートを貰い、冷蔵庫にしまって朝方食べたところ、前歯がパキっとかけた。ラリアの冷蔵庫は冷凍庫だ。とか


帰国2日前に街ですれ違った酔っ払いに飛行機で使う枕を貰う。ちょうど欲しかったので快く使わせていただいたものの、帰りのエアアジアはエアコンがバカだったので、クアラルンプールで大熱出て死にそうになりながら乗り換えした。とか




そんな感じで、ともかく忙しい毎日であっという間に過ぎた11ヶ月。
たくさんのことを学んだし、たくさんの人と出会えた。子供や嫁に土産話もたくさんできた。

人として視野は広がったし、英語も1が2にはなったと思う笑 
あとは国が変わろうと本質は変わらないというか、いいこともあるし、わるいこともある。
人もそうで、いい奴も悪いヤツもいる。
苦しんでコツコツやるなら、楽しくぶっ飛ばしたほうが、私は好き。
というわけで、いつでもどこでもやっていける自信はできてしまったので、あとはゆっくりタイミングを見計らって今度はメルボルンに家族で移動しようと思っております。

田村さんをはじめ、アプラッカーの皆さん、同僚たち、たいへんお世話になりました。


FINAL教訓としては、

ごちゃごちゃ言わんでええけぇやってみいや!やってから物言えや!

である笑 



補充質問&どシリアスな回答

書かれてなかったけど(口頭で言ってくれてたけど)、3人目のお子さん、息子さんが出来たころ、「この日本で育てていいのか?」と真剣に疑問になったと言われてましたよね?

質問は、「なぜ、そう思ったのか」です。今の日本で子供を育てることの是非です。「いいんか?」と。いけないんだったら、何がいけないんだ?と。逆に言えば、子供を育てるためには、環境として何が必要なのか?です。

これは第二の質問につながりますが、もし、吉田さんにお子さんがいなかったら、あるいは結婚もしてなくて気楽な独り身だったら、オーストラリアに移住しようとは思わなかったですか?です。つまり一人だったら、別に日本でも全然愉快にやっていけるぜ〜って感じなのか、いや、一人であったとしても、また日本も良かったとしても、 オーストラリアの方がおもしれー、行ったれって思うか、です。



ご質問の答えを自分なりに真剣に答えさせていただきます。
またしても長文失礼します。

>書かれてなかったけど(口頭で言ってくれてたけど)、3人目のお子さん、息子>さんが出来たころ、「この日本で育てていいのか?」と真剣に疑問になったと言われてましたよね?質問は、「なぜ、そう思ったのか」です。


この答えは、今の日本ではとても普通だと思うのですが、「漠然とした未来への信用不審」です。
子供を育てる親ならば、多かれ少なかれすべての親が不安を抱えてるのは当然と思われます。
その不安ってのはささいな毎日の異常犯罪のニュースだったり、いじめや学校崩壊のニュース、原発問題、人口の減少や子供たちへの借金とかいわれる財政、ともない一向に先の見通しのつかない不況っだとかなんだとか、責任転嫁、情報操作、既得権益、斜陽の国において、親じゃなくとも普通にみんなえもいわれぬ不安にさいなまれているのが今の日本だと思います。

コレは私見ですが、日常生活にもすごく出てて、数人集えば、お金の話(稼ぐ話ではなく、妬み、ひがみ、やっかみ)、理想はあれど実現できない理由、揉め事を嫌う根性、表面だけで内容のない話。心にもないことを付き合いとしてしゃべってる。 目の前で起こるおかしな事態に誰もツッコまないんですよ。「それおかしくない?」っと言わない、言えない。しがらみ?慣わし?モラル?何なの?


現場仕事の職場でもそうですし、異業種交流会なんかに参加した時もそうでした。なんか”ふわふわ”してるんですよね皆。 何かがおかしいと感じてるけど、どうしたらいいかがわかんないから、とりあえず現状維持。誰かの言うこと丸呑みに聞く。たまにまっとうなことを言ってる人がいても、よくよく聞いたら既得権益目線のビジネス目的とか。けっきょく宗教ビジネスかーいとか。 みたいな。


それが悪いとかではなく、何がおかしいかがわからないから、とりあえず皆に合わせるという。調和の気持ちがそうさせてるんだと思うんですけど。
皆が皆、人の様子を伺ってる。とても日本人らしいというか、和を保つ心でしょうか? ただ、今の日本はそれが悪いほに進んでいる気がしてならないんですよ。


本質を見ようとしてる人は潜在的にはたくさんいると思うんですよ。 ただ、それを行動し、表現する人たちの少なさというか、普通に本やネットを駆使し情報を集めれば、この国が病んでる時期にあることには気がつくのですが、それが自分たちが変わらなければならないことに直結しないというか、誰か何かが変われば、自分は変わる必要がないという考えが見え隠れというか。大多数が従業員根性というか。どこかの誰かが教えてくれるだろうみたいな学生根性というか。正解は一つしかないとかいいだす保守、回帰根性というか。他力本願の使い方間違えてない?というか。


なんかやってることと、考えてること違くない?っていう、建前社会ってやつ?なんでもっと正直にしゃべらないんだ?喧嘩になってみりゃいいじゃん?提案して反対されてもいいじゃん?くだらないと馬鹿にされてもいいじゃない?騙されて、傷ついて、落ち込んでみたらいいやんけ、そんなことで自分の人生終わる気なんてないじゃろ?だいたいが、真顔でお金がないと幸せになれないって心からそう考えてんの?ホントに?マジか?だからこんなに先進国なのに自殺者が多いのか?物に支配されすぎてない?自分のこともうちょっと大事にしたげたら?何かは買い揃えるもんじゃなくて、自分の中にはじめっからあるものに気づくことなんじゃないの?人のせいに物のせいにしすぎじゃない?自分が弱いことを認められない。そんなの残念じゃない?


なんだかややこしいんですけど、「お金」があれば”幸せ”なんじゃなくて、「お金」で買えないものを手にすることを”幸せ”って言うんじゃないの?
「いやいや、金で買えんものなんて無いけぇ」とか、ノリでも言っちゃうような人はどうした?何があったんだ?人が幸せを感じる定義は変わったのか?


教授並みにだいぶ脱線しましたが(笑)
こんなのは、日々アプラッカーやラッカー希望達のメールを受けておられる田村さんも遠隔で感じておられませんか?

はあい、そりゃ、もう(笑)

平和ボケとはよく言われますよね。悪い意味でそのとおりだというのは数年前から感じていました。
そこへ向けて息子ができた時に、彼の可能性を強く感じたんです。その可能性をこれから伸ばすためには、この国の環境はツライ、と考えました。
せめてほかの方向性、考え、選択の幅を持たせてあげれないものか。
ですよ。


逆に言えば、子供を育てるためには、環境として何が必要なのか?


一般的ではないかもしれませんという前置きだけ、置かせてもらって。
コレは、とても私の偏見というか、自分の体験から来る確信なのですが、人間幸せになるためというか、成長していくためには”逆境とよばれるような状況からの足掻き”がいると思ってるんですよ。簡単に言えば”つらい状況を乗り越える根性”というものが必要で、そういうことを体験できる環境が人間の成長には不可欠だと考えます。
子供の場合は、その足掻きを見守り、最悪の場合フォローできる人間がいることが大事だと思ってるんですよ。

というか”逆境からの足掻き”=”成長”ぐらい極端に思ってます。
それは完全に自分の成長体験からきていますが、大体誰に聞いてもそんな感じのこと言いません?笑

ますよね。ほぼ例外なく。
てか、僕が初日にやってるレクチャーも「修行=ヒドイ目に遭うこと」だよ〜、だからヒドイ目に遭うために来ているというのが原点っしょ?って言うし。こんな簡単なド基礎を、いともたやすく人は忘れる。僕だって忘れる。だからお互い声かけあっていかなきゃあかんのだろうと思います。


それこそ寝方が分からなくて夜泣きしてしまう ぐらいから始まって、いじめにあったときの行動や、大借金の返し方まで、要は今持っている実力では太刀打ちできない、新しいスキルを急いで準備、生み出す必要がある状況ですよね。 フィジカル的なこともメンタル的なことも含めて、このまま負けたくないという自分の人生を大切にするため、あるいはより強くしたいと想うとき。です。
そんなもの誰でも人生の中でほっといてもある程度の周期でめぐってくるとは思うのですが、足掻くことをしない人ってのもいますよね。
準備してなかった。私のせいではない。タイミングが合わない。なんか違う。  色々言い訳して逃げる道というか、楽な道を選んでしまいがちですよね。

私というか、私たち夫婦が強く想い、実行しているのはココです。
”足掻く”ことのできる子に育てるべきだと。

逆境に勝つか負けるは、その時々によりにけりでしょうし、あんまり重要じゃないんです。本当にどうしようもない時も往々にしてありますしね。あくまで足掻くことが大事なんですよ。 逆に言えば、困難な状況から簡単に逃げる人間には育てたくないとも言えます。逃げ根性というのは知らず知らずのうちに人生に組み込まれてしまうものです。たぶん幼少期の体験などからも影響を受けていると考えるからです。

何を根拠に?ですけど、私自身の人生観が大きく影響していて話し出すと長〜くて長〜いので今回は(笑)
ラリアというか海外に家族で暮らすというのは、そういう私の信念を体験させるのにはうってつけだという根拠のない決め付けです。
期せずして、私が帰国して、嫁さんの実家島根から、私の実家広島に2度目の引越し転校により、長女が不登校になってくれまして笑 まんまとただいま逆境体験中だったりするんですけどね。(笑)家族全員いっしょになって足掻きを早速楽しんでるところです。ココでしっかり足掻くことは、必ずラリアへ移動した時のメンタル的なアドバンテージになると確信してます。そのためなら平気で計画もズラします。

ちなみにこないだ家族を連れて広島大学近くまでいきまして(市内から少しはなれてるんですよ)、妊娠6ヶ月成澤リエ氏に会いまして、長女の特別家庭教師として雇ったところです。笑 コレはA僑にはなんないんですかね?笑  ナルゾウはそのまま広島で就職して頑張るとのことでしたよ。あいかわらず、ゆっくりのんびりリエチャンと頼りがいあるんだかないんだかナルゾウ君でしたが、キチッと逆境を楽しむモードにはなっていたようで少し安心しました。ナルは少し無理してそうでしたが笑 最初は強がりでも見守ってやるのが、私たち夫婦の役目になると面白いなー です。笑


いいですね〜、あの2人。ま、吉田さんのようなオジキみたいな後見人夫妻がおってくれたら安心っしょ。ハタチで結婚って全然早くないっしょ。吉田さんもそうだし、僕もハタチでガチの結婚相手見つけてたし。僕の場合は遠距離4年目であかんくなったけどさ、でも超真剣に世間で身を立てるんじゃあ!って馬鹿パワーは出てきたし、それが司法試験突破の原動力になったし、あれなかったら多分受かってないです。

あと、これも全然A僑ですよね。A僑の本質って、どれだけ理解されているんか分からんのだけど、この世間で、ある程度「信用できる人」ってのがどれだけ希少価値を持つかですよね。信用出来るってのは価値観や行動感覚が似通ってるってことだけど、そういう人とは単に一緒にいるだけで楽しいし、パワーもらうし、もう草の根分けても探せって感じ。でもってなんかツルんでたらテキトーになんかできちゃうって凄さがあります。「コラボ」とかさ、英語ヘタなくせに英語でいうからチャラい方向に本質がボケるんだけど、要は「つるむ」ことっしょ。「つる」ってのは、思うに「蔓(つる)」で、朝顔の蔓みたいなもので、うにゃうにゃ絡んでいくうちにテキトーに花なんか咲いちゃったりして、でもって花ができたら実やタネも成るわけで、そこだけ取り出したら起業とかビジネスになるんだけど、でもそれは結果論。

>これは第二の質問につながりますが、もし、吉田さんにお子さんがいなかったら、あるいは結婚もしてなくて気楽な独り身だったら、オーストラリアに移住しようとは思わなかったですか?です。
>つまり一人だったら、別に日本でも全然愉快にやっていけるぜ〜って感じなのか、いや、一人であったとしても、また日本も良かったとしても、オーストラリアの方がおもしれー、行ったれって思うか、です。


ええ〜〜と、、、、、、?
どうなんでしょうね? そろそろ子供がいる年数のほうが、自分で意識し始めた人生より長くなり始めるころなので、子供がいなかったら自体 想像しにくいんです正直。
ただ、子供がいなければ彫り師を真面目に目指し、ある程度には成っていたと想いたいですね笑 そうだとすれば、おそかれはやかれ、海外には出ていたでしょう。しかし、オーストラリアでは無かったと思います。


シドニーにいる間、ずっと考えていたことがあります。子供にこの多種多様な世界を速く見せて、体験させてやりたいと強く思うことが何度もありましたが、独身だったらこんなにいろんなものに気がつかなかった、見落としていただろうなーと。

何にしてもそうですが、私と嫁の人生は、ほとんど子供に影響を受けてその進路が決まっています。
とっくに半分終わってる?というか、結婚して長女が生まれた時にいくつか決めたことがあって、

「どんなときもなるべく家族で行動すること」
「どんなに金が無くても食べ物には妥協しないこと」
「自分たちの人生は、半分、子供の人生の上で”親”という登場人物であると自覚すること」

だからこその、今回の渡豪も子供たちの将来のため 初めての先行投資的な賭けだったのです。環境を提供できる親にまず成るべきだ。いや成らいでか。

あたりまえっちゃあたりまえですけど、”子育て命がけ上等”ですもの、命かけるだけの価値が子供にはありますもの。子供からたくさんのモノを教えて貰いましたもの。
ですから、きっとオーストラリアの人々の優しさや、自然の豊かさというか、ちょっとした景色の美しさなんかに気を止めて、感じることができたのは。できるようになっていたのは、子供がいたからだと思います。子供っていう、あれだけ、どれだけ?”愛”しかないぐらいの純粋なものを見たことがあるから、涙が出るほど感動するものがこの世にはあることを感じたことがあったので、ラリアでそういう純粋なものに自然と心がとまったんでしょう。 そういう感受性が私の中にあったのは子供たちのおかげ以外何でもありませんから私の場合。

自分で言うのもなんですが、子供が生まれる前はそりゃーもうロクデナシでしたから(笑)
そんな人間が人間を育てようってんだから、命かけて当たり前なんですよ。

たいへん長い屁理屈にお付き合いいただきありがとうございました。なにかっていうと、「人それぞれ」で片付けられるんですけどね。笑
それこそ、誰もが成長中であると思いたいんでしょう私自身が。

最後に、日本が嫌いなわけでは全然ありません。むしろ、まんまと日本に生まれて感謝しちゃってますよ。笑 ただ、私は子供を育てるのに国内だけでは足りないな。足掻き方を学ぼうとして、逃げ方ばっかり学んじゃうなって考えたということでした。


パチパチ。素敵なお話、ありがとうございました。いや、マジで。ほんまに、聞いてよかった。

僕は結婚生活トータルで25年で、未だに(笑)子供いませんし、そのあたりは羨ましくもあり、羨ましくもなし、、てか分からんですよね。

ただ、子供おったら、多分、僕はコレ(APLACや一括パックのように、つまりは「余計なお世話」の集大成プロジェクト)やってないかもしれんですね。今やってるのは、無駄にあり余った父性本能をどうしてくれようって感じなんかも。特定の我が子という形でエネルギーの収束点がないから、およそ「人」という感じで拡散してるんじゃないかろか。ま、「他人」であることに変わりはないし、「コミットするけど突き放す」って距離感マネジメントも同じだし、ま、でも素朴に「人」っておもしろいですよね。要はそれだけなんかもしれない。

んでも、今の日本は非婚化、少子化なんだから、そこら中に「無駄にあり余ってる」はずだと思うんですけどね〜、わりと良質な余計なお世話エネルギーが。そうなってないの?なってないなら、なんでそうならないの?って気もしますが、それはもう得意の脱線だからこのくらいで。

また、ご家族そろってお越しくださいまし〜。
奥様にも、また御目文字賜れれば。あの方、僕の印象では「あったかい芯棒」でした。”熱い”じゃなくて”温かい”。家族の誰もが握れる感じ。でもって芯棒。吉田さん本人よりもブレないんじゃないですか?
それとあの見るからに賢そうな長女さんとか、あの子、きれいに伸ばせばかなり大物になりそうな。もちろん世界レベルの。2年前の僕の記憶と直感によればですが。



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