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2014年03月29日


ワーホリ体験談 岡田優さん
 2012年04月渡豪〜2013年03月帰国




2012年の春にそちらでお世話になりました岡田優です。
帰国後、ご連絡できなくて申し訳ございませんでした。
いかがお過ごしでしょうか?

あの後、実は3つバイトを掛け持ちして受験料などを稼いで受験勉強に専念し、なんとか今週第一志望の大学(国際基督教大学という東京の私立大です)に合格を頂き、落ち着いたのでご連絡しました。

また、体験談を帰国後ちまちま書いていたものも完成しましたので、ワードファイルで添付させていただきます。
遅れて申し訳ございませんでした。

書いたものを読み返してみると、いろいろなことを思い出します。
今となっては本当に遠い昔のことのように思います。

ですが、得たものも大きく、本当に行ってよかったなと思います。
田村さんの下で過ごした一週間がなかったらあんなに好スタートは切れていなかったものと思います。

英語力も渡豪前と比べてUPしたと思います。英検二級程度だった渡豪前ですが、帰国後TOEICを受けましたところ880点得点することができました。SCEへ通ってよかったです。

結局、帰国前に伺えなかったことが心残りではありますが、ぜひまたオーストラリアに旅行でも行きたいと思っているので、その際にお会いできたらと思います。
オーストラリアはもう夏の終わりごろでしょうか?こちらは例年にも増して積雪が多いです。
まだ暑い日もあると思いますが、お体にお気をつけてお過ごしください。

オーストラリアワーホリ体験談


 僕のワーホリの1年間は、今までの人生の中で最も起伏に富んだ一年間でした。

 嫌なことが重なることもあればラッキーだったこともたくさんあり、さまざまな事を経験していく中で、生きていく力というかものの考え方というかそういったものが得られたのではないかと思います。Aplacで最初の一週間お世話になった時のことを思い出すと、自分がいかに幼かったか、無知だったかを痛感します。

 といっても、まだまだ勉強しなくてはいけないことは山積みですが……。田村さん、本当にお世話になりました。


1. ワーホリに来た動機


 中学の時から、英語の教科書を読むのが好きでした。よく、自分の部屋でぶつぶつ教科書を音読していてうるさいと親に叱られたものです。先生やCDから流れる英語のように喋れたらかっこいいなー、それだけでした。ただ、英語の授業はそこまで好きではなかったので、成績は5段階評価で3くらいでした。

 高校には、県内屈指の低レベル高校に特待生として入学、そのせいか英語に限らずほとんどの教科は学年5位には入っていました。特待生は9人、それに準ずる選抜コースが10人ほどだったので当然といえば当然ですが、最初から英語は1位だったのにとても感激しました。思えば一位をとったのはあれが初めてなのかもしれません。

 また、中学のころと違って、英語の先生の授業が面白かったということもありまじめに授業の課題などはやって提出していました。学業のほかにも、中学の時からやっていたテニス部に入り、飲食店でバイトもしながら、今思えば多忙な一時期でした。

 そんなこんなで、授業、部活にバイト、であまり受験勉強ができなかった1月のある日、とある中学時代の友達とランチをしました。そこで友達は言いました。

 「受験に失敗したらアメリカにワーホリ行こうかと思っている」

 その時僕はワーホリという言葉すら知りませんでした。ランチから帰ってさっそくワーホリについて検索してみました。ここが僕の人生の岐路だったのだと思います。

 自分も失敗したら1〜2週間海外でも旅するかな〜、そんな軽い気持ちでワーホリについて調べていたときに、Aplacにたどり着きました。他の営利目的の夢物語しか掲載されていないサイトとは違い、現実的にワーホリについての考察が膨大な量で書かれている。それから何日間かは暇さえあればAplacのサイトを見ていました。見ていくうちにオーストラリアへのワーホリが現実味を帯びてきたのです。

 それから数日後、第一希望の大学に落ちたことが分かりました。
 不思議と悲しくはなく悔しくもありませんでした。これは僕が全然受験勉強をしていなかったためでしょう。むしろ、これでオーストラリアに行ってやると強く決心できました。そこからの行動は、優柔不断で行動力に欠ける自分ながら、早かったと思います。すぐにパスポートとVISAを取得し、スーツケースを買い、田村さんと連絡をとって航空券を購入しました。

 周りの友達や先生方は受かった学校に行った方がいいというようなことを言いました。
 正直、ちょっと迷いました。でも、心が揺れるのは自分で分かっていたことなので、わざと引き返せないところまで準備を進めたのです。幸い、資金は祖母が遺してくれたお金が少しありました。ひとり親なので資金援助などはありませんでしたし、又あまり親の力は借りたくありませんでしたし。

 出発の朝、急いで荷物をスーツケースに詰め込み、4月の終わりに日本を発ちました。
 初めての1人での飛行機。初めての一人旅、ましてや海外旅行なんてしたこともありません。不安と期待が入り混じった複雑な気持ちで飛行機の窓から星空を見ていた記憶があります。

2.ワーホリ一括パック


 空港を利用するのが初めてだったので、成田から飛行機に乗れた時はほっと息をつけました。

 しかしゴールドコースト空港で乗り継ぐ際に荷物検査に引っ掛かってしまいわけもわからないまま連れていかれました。
 実は成田で田村さんへのお土産ということでお菓子を買っていたのですが、結局チーズが入っているので処分するか日本に送り返すかどちらかだと言われ泣く泣く捨てました。英語もあまり聞きとれなくて、ああなんで日本人の通訳とか来てくれないのとか思っていました。
 今なら、あの後田村さんに言われたように「OK、じゃあ今食べちゃっていい?」くらい言えるのになぁ(笑)


アーンクリフのシェア移動の日
 シェア探しでは体験談や他の人の話などを聞くうちに、シェアの理想が高くなっていました。

 最初は同じ時期に来ていたYさんと一緒に行動していたのですが、やっぱり電話をするときはドキドキ、わからなくて何回切られたことか、ここ数年間身内以外からあまり怒られたり怒鳴られたりしたことはなかったので精神的にきつかったのを覚えています。

 結局、途中からは別行動をすることになり(その方が結果的にも自分のためになった)Arncliffeというシティから5,6駅離れたサバーブに決めました。

 自分のシェアハウスの理想というか、住みたい家の理想像が固まっていなかったり、妥協点を見つけられなかったりで、田村さんにお説教をいただいたりとなかなかに困難なシェア探しでしたが、自分なりには満足できる家だったと思います。($160/w All bills included オウンルーム ネット有)

アーンクリフ(最初のシェアハウス)
のフラットメイトと
アーンクリフのフラットに一緒に住んでいた人と
meetupで募集した人たちとの
シェアハウスブルーマウンテン

 こっちで働いている英語が堪能なロシア人の男性とチリ人・ロシア人のカップル3人が住んでいましたが、皆いい人たちで、ご飯をもらったり、ロシア人の人とはブルーマウンテンにただで連れて行ってもらったりしました。
 ねばった甲斐もあったのかもしれません。

田村さんに教えてもらったサンドウィッチを実践
(しばらくサンドウィッチがランチでした)
 総じて、一括パック、というか田村さんに最初の一週間を面倒見てもらって本当によかったなと思います。
 普通のエージェントに大金を払ってぬくぬく何から何までお世話してもらうのも嫌だし、なんにもサポートなしで飛び立つのも心もとなかった自分には本当に理想のサービスでした。

 田村さんとのお話は、オーストラリア生活だけでなく、人生そのものに役立った気がします。

 Arncliffeに越す際にいただいた洋風ピーマンの肉詰めの味、今でも覚えています!
 本当にありがとうございました。

3. 語学学校について


SCEでの卒業式
 自分は田村さんに見せていただいた3校のうち、雰囲気が一番いいなと思ったSCE(Sydney College of English)に決めました。

 最終的に4月終わりから9月初めまで通いました(ホリデー含む)。

 正直、今思えばもっと勉強できたなと思うくらいしか勉強できませんでした。

 最初はPlacement test(クラス分けテスト)でIntermediate(中級)のレベルでした。
 お話を聞いている限りでは、自分はもう一つ下のPre-inter(初中級)レベルだと思っていたので少し不安だったのを覚えています。

SCEの友達といったナショナルパークにて
 SCEにはけっこういろんなアクティビティがあって楽しかったです。でも、期待をしてしまうと割とずさんな感じなのでがっかりするかもしれません(笑)。自分はテニスが好きだったので、値段の張るテニスシューズを買ってまでテニスアクティビティに参加したのに2回か3回で参加者不足のため打ち切りになりました。

 また、ウェルカムパーティーは、クラッカーとワインがレセプションのテーブルに置かれるだけでした。
 入りたてのころはあまり馴染めませんでしたが、慣れてくるとパクパククラッカーをつまみながら同じクラスの人と雑談をしたりする場として使っていました。


 肝心の授業ですが、良い講師もいればちょっと馴染みにくいような講師もいました。

 ただ、当然日本での一般的な授業とは違って、100%英語の授業は自分のモチベーションを上げるのに役に立ちました。
 宿題はもとから嫌いだったこともあり、行きのバスや電車の中で必死こいてやっていたりしていましたが(笑)、教えてくれることがやはり実用的かつさまざまな表現方法や豆知識を教えてくれるので、とても楽しんで授業を受けることができました。

SCE最後の授業
 ただ、やはり、上のクラスに行ければ行った方がいいと思います。
 上のクラスに行けばいくほど周りの英語力は高いので、ペアで作業するときも、休み時間に話す時もすべて自分の英語力向上に役に立つからです。


 自分は最後の2週間はSCEの一般英語コースで一番上のAdvanced(上級)に運よく上がれたのですが、周りができ過ぎて気押されました。

 英語の医学書を読んでいるチリ人や、オーストラリアで生まれ育ったロシア人(ネイティブじゃん!)、ペラッペラのドイツ人たちなど、アジア人は自分一人でした。ですが今ではこの2週間が一番英語力の上がっていた時期だったように思います。


 田村さんの言うとおり、三か月以上の語学学校は必須だと思います。
 そもそも英語がすべての生活の基盤となるし、確かに安くはないけれど、英語ができた方がいろんなことにチャレンジできるのでお勧めです。
 自分も、SCE行かずして今の英語力はなかったのではないかと思います。

4.アルバイトについて


 自分は、超短期も含めて7つ経験しました。

 基本的にあまり英語が堪能でなかったことと、日本では飲食のバイトしかしてこなかったので経験不足だったことから7つ中5つはジャパレスでした。

 オーナー夫妻と性格があわなくて2日目でやめたこともあったり、寝坊してしまってクビにされたこともあったりしましたが、大変いい経験になりました。日本では絶対に経験できなかったことだと思います。

寿司系のジャパレスで働く姿
クリスマス仕様の寿司屋
(働いていたジャパレス。今はもう無くなったけど)

ジャパレスバイトの仲間たち(+α)と
 例えば、とある寿司屋でホールとして雇われたのですが、そこは韓国人経営で韓国人が7割くらいの職場でした。韓国人経営だったので、しばらくしてホールの仕事が完璧になると、なんと経験もないのにすし握りの担当にしてもらって寿司を握れるようになれました。

 また、周りに韓国人が多かったので、韓国語もたくさん教えてもらいました。友達もたくさんできて、時給は安かったけどいい職場でした。ブリスベンに2カ月ほど渡り、帰ってきた時も一週間だけ働かせてくれたりしました。今はもうつぶれてしまったのが残念です。

 ブリスベンではトレーニング期間が2週間の約束だったのに、ずるずる延ばされたというのも経験しました。結局交渉してもトレーニング時給からはあげてもらえなかったあげく、そんなにいうならクビだと言われましたが、辞める時に最低賃金との差額を払ってくれと3時間も交渉した結果、払ってもらったという経験もしました。


 そんな中で一番心に残っているのは、日本人経営ではなく日本人が一人もいない職場で働けたということです。
 学校近くのパティスリー(カフェ)の清掃の仕事だったのですが、この仕事はレジュメ配りでゲットした仕事でした。その後、そこでやっていたバリスタの方が辞めたので、代わりに短期であこがれのバリスタをやらせていただいたことは本当にいい思い出です。オーナーはオージーではなかったですが、お客さんはほとんどオージーかTAFEの学生さんで、たまにSCEの友達もコーヒーを飲みに来てくれました。

ラテアート
ラテアート(2)

一時販売した照り焼きチキン
カフェのオーナーに作ってくれと言われて試用販売
あまり売れなくて休止しましたが(笑)


 スペイン系のカフェでバリスタをやったこともありましたが、ここはオーナーが少し変わった人で、買出しに連れて行ってもらったのに自分だけ一人で車で帰ってしまったり、よくわからない英語でお客さんに話しかけてお客さんが困惑して帰ってしまったりなどと、よくわからないカフェでした。
 働く前に言っていた条件と違っていたことが結構あったので、ここも結局一か月ほどでやめました。

 英語ができないとジャパレスでしか働けないということになりがちです。
 そうなるとオーナーにも足元を見られます。
 こうならないためにも英語は本当に必要なんだなと痛感しました。

6.フラットやシェアハウスについて


 Arncliffe のシェアハウスに住んだ後は、資金不足もあってより安くて学校から近い物件を探しました。
 結局、ダーリンハーバー近くのシティのアパートの一室に決めました。

そこは、なんというかすごいところで、2DKの一室にMAXで16人もの人が住んでいました!

シェアハウスパーティー
(オーナーが月に一回パーティを開いてくれた。
ちなみに左奥の仕切りの中が自分が住んでいた場所)
すし詰めのシェアハウスのシェアメイト達と

 すべて込みで$100/w、お米が無料で食べ放題、洗濯機乾燥機付きで洗剤も利用できました。
 それでも、人が多すぎて大変でした。でも、たくさんのいろんな国の友達ができ、いつでも誰かと話せるし、ご飯も一緒に食べられるし、シティも近いしで悪いことばかりではありませんでした。

 もちろんプライバシーはこれっぽっちもなかったですが、なんといっても安さが魅力でした。
 ただ、シェアメイトの1人が管理人に告げ口をしてしまい、全員退去ということになってしまったそうです(自分はブリスベンへ出発していた)。

7. 1000km自転車の旅

出発時。この時点ではまだ元気

 日本に帰る二か月前、違う都市にも行ってみたいなと思い、ブリスベンに行くことにしました。

 何かひとつくらい思い出に残るようなことがしたかったのと、ずっと都会っ子でぬくぬくしてた自分を変えたかったので、自転車で行くことにしました。

 今考えるとずいぶんと無謀な事をしたものだと思います。
 結果的に、1000kmを2週間かけて完走しました。この経験は自分の自信につながりました。

テントと自転車(1000kmの旅の途中の風景)
テントや寝袋、水に食べ物など約30kg荷台に積んで、山あり坂ありの道を死ぬ気で漕いだのは今でもあまり思い返したくありません。

 何回かお風呂に入りたくてバッパーに寄ったりもしたけど、野宿が大半で、パンクは3回、空気入れを盗まれたりと、散々な旅でした。

 いい景色もあったけど、常に疲れ過ぎていたのであまり感動もしなかったです。

 バカなことに夏に出発したので、40度を超える日も何日かあり、森の中で8Lもの水を飲み干した時は死ぬのを覚悟しました……。


 途中の道で疲れ果てて座り込んでいたら、オージー二人組に助けられて、晩御飯をごちそうしてもらったことが一番の思い出です。

旅の途中の天気予報。
暑過ぎて水8Lは飲みました。
日焼けして水ぶくれまでできる始末…
1000kmの旅で助けてくれた命の恩人2人

 しかもお父さんに車を借りて70kmくらい先の町まで送ってくれ、バッパー探しも手伝ってくれ、さらに一泊分のお金を出してくれたのです!

 見ず知らずの人にどうしてここまで親切にできるのだろうかと、とても感動しました。
 困っている人がいたら、今度は自分が絶対に助けてあげようと決意しました。近いうちに、二人には手紙を出したいなと思います。

ウェルカムトゥクイーンズランド
(自転車1000kmの旅で到着間近の時に撮った写真)
 正直、自転車長距離の旅は自分には向いていませんでした。
 しかし、困難をめげずに乗り越える力というものがついたと思います。
 この旅に比べればどんなことも平気に思えてくる気がします。

8. その他の思い出


タメ4人組
オーストラリアでおない年の4人で
話も合うしとても楽しかった
 そういえば、エクスチェンジもしました。
 シドニー大学の掲示板に張り紙をして探したり、ガムツリーにポストしたりして見つけました。

 日本語を大学で学んでいるおない年の子で日本語と英語を教えあいました。
 英語で日本語を教えることの難しさを実感しました。


バリスタ(コーヒーの資格)の資格取得

コーヒーに興味を持ったのも、オーストラリアででした。

たまたま通りすがったコーヒースクールの広告をみて、なんか面白そうだということでSCEで知り合った方と一緒に受講したのがきっかけでした。もちろん全部英語で正直半分くらいしか理解できなかったけど、バリスタとして働きたいと強く思うようになりました。

その後、ガムツリーでエスプレッソマシンを買ってフラットでよく練習をしていました。

運よくカフェでバリスタの仕事ができた時は本当にうれしかったです。
老後は利益度外視でカフェを経営したいなと漠然と考えています。


SCEでキックボードに乗っている姿

あと、シドニーではキックスクーターが自分にとって必需品でした。
ガムツリーで値切って買った子供用のスクーターだったのですが、恥ずかしいけど外国だしいいやということで毎日のように使っていました。

折りたためばSCEのクラスに持って入れるし、バスや電車にも乗れるしということで、移動時間短縮に一役買ってくれました。お勧めです(笑)

インターネットで知り合ったオーストラリア人とテニスをしたこともありました。
ガムツリーは使えるのでよく見てみるといいかもしれないです。


また、カジノは要注意です!!自分は記念にと何回か友達といったのですが、見事にはまってしまい、結構使ってしまいました。なんか金銭感覚がおかしくなるんですよね……。結局帰国までには勝ち越しで終わりましたけど、依存性があるので気をつけてください。

9. トラブルなど


まず、フラットの共有のテレビを壊してしまって弁償したことです。
テレビの前を通る時にバランスを崩して持っていた皿を液晶に当ててしまい、液晶が割れてしまいました。
オーナーが買ってきてくれたばっかりだったので申し訳なかったなと思います。

次に、財布をバスに置き忘れたことです。
これは本当にラッキーだったのですが、バスのデポという車庫に忘れ物として届いていました!
これも、英語だからと恐れずに電話してみたお陰です。銀行の口座開設もそうでしたが、意外とやって見れば何とかなるものです。

あとは、オーストラリアのアップルショップでアイフォン5を買ったのですが、買って3時間後にトイレに落とした事件です……。結局保険がきかずさらに$300も支払いました。とほほ。
現地で買ったアイポッドもなくしてしまいました。アップルにいくら払っているのだろう……。

一番衝撃的だったのは、一緒に住んでいた31歳の女性の方に、自分の文法書を破られたことです。
この時はさすがに険悪なムードになりましたが、最終的に和解しました。
本当にいろいろな人がいるのだな、ととても勉強になった事件でした。

10.まとめ

いよいよ帰国直前の頃
 いろいろと思いだしたことをそのまま書いてしまいましたが、まだまだ書ききれないくらいたくさんのことを経験することができました。

 1年前の渡豪を決心した自分がいなかったら、今頃は普通の大学生になって普通に就職して普通に生活していたのかなと思うと、それが幸せなのかもしれないけれど、オーストラリアにこれていろいろと経験できて本当によかったと思います。

 スチューデントビザでもなく、観光ビザでもなく、ワーホリビザで来ていた18歳の人は見かけませんでしたが、この選択は間違っていなかったと思います。

 特に海外で、パートタイムとはいえ働くことができた、そして、さまざまなバックグラウンドを持つさまざまな年代の人とお話をすることができた、こういったことは渡豪なくしてはできなかったことだと思います。

 これもひとえに田村さんをはじめとした、自分をサポートしてくれた皆さんのおかげだと思います。
 オーストラリアにこれて1年を過ごすことができて良かったです。



補充質問 というか気楽な雑談みたいな

体験談ですが、さすがによくまとまっています!特に加除修正はいらないかと思うのですが、追加質問というか、別に答える義理はないのですが、聞いてみたいことあるのです。それは、

★なんでワーホリに来たの?そしてその成果は?

という非常にありきたりなものです。

そして普通の回答は既に体験談にあります。でもここで聞いているのはもっとディープなものです。そして、答えられないようなものではないかと(じゃあ聞くなよって感じですけど(^^))。

岡田さんを見てて思ったのは、「とらえどころがない」という点です。
大体、「ああこの人は、、」という骨格みたいなものが分かるのですが、岡田さんはわかりにくかった。

で、つらつら体験談を読みながら思ってたら、「スーパー・エッグ(超卵)」というヘンなフレーズが頭に浮かびました。「ああこの人(岡田さん)は『育ちたかった』んだ」って。本能的に自分の奥行きとか伸びしろがまだまだあるのがわかるし、でも何か大昔の屈葬みたいに手足を折り曲げた状態になっているので、それをとにかく広げたかったのかな?もっと自分は育つんだということを自分で確認したかったのかな?と。まあ、そこまで明瞭に文章化して思ったわけではないでしょうし、もっと本能的で生理的なものだったとは思いますが。

なぜそう思うかというと、1年間の軌跡を見てても、なんというか一貫したポリシーとか性向みたいなものがあまり感じられないのですね。別にそれが悪いわけはないんだけど、何か特定のことをやりたいってわけでは無さそうだと。でも見えてくるまで沈思黙考じっと待つというのではなく、やたらハイパーに動き回っている。方向性は見えないくせに活動量は凄まじい。何なんだ?というと、多分まだそういう方向性が見えてくる前の段階、猛烈な勢いで発育している過程なんじゃないか、「まだ減数分裂をやってます」みたいな感じなんじゃないかと。

実際、動き方も手当たり次第的だし、とにもかくにも様々な体験をしようとしますよね。カフェでもやるし、シティのタコ部屋にも住むし、自転車冒険もするし、英語も最上級までいくし、四方八方にあれこれやります。ラウンドいってファームやってという「公式」にもさして興味を示さず、かなり瞬発的な興味で動く。むしろ「瞬発的な興味で動きたかった」「内的な衝動に思っきり身を任せたかった」んじゃないかなって。喉が渇いたから水を飲むみたいな、それは自然な生理活動のように。

だからこの人はまだまだ「卵」なんだ、猛烈な勢いで細胞分裂を繰り返している過程なんだ、だから恐ろしくパワフルな卵細胞なんだ、スーパーエッグなんだって。ある特定の方向に背骨が固まって、俺はこういう人間だという良くも悪くも方向性が決まってしまう前の段階、まだまだ伸びるから、どっちに行くかは伸びてから考えればいい、いまは手足を伸ばして、背骨を伸ばすのが先って感じ。

そういう文脈においては、あなたのワーホリの「目的」は、「自分の一存(衝動一発)で好き勝手にやる」ってことであり、成果は「好き勝手にやれた」ってことじゃなかったのかな?と思ったのです。

そして、なまじ聡明に生まれてしまって、ある意味ではキチンと成功して要領よくやらねばならないことが半ば宿命的に義務付けられてしまったかのような流れの中で、そんなことお構いなしに好き勝手やり放題にやる、まるで真白な雪原で犬が喜んで転げまわるような時期は、人生において、とてもとても貴重なステップになったと思うのです。

やれ買ったばかりのiPhoneは落とすわ、やれ自転車で地獄をみるわ、TVは壊すわ、ブリスベンのジャパレスで監禁交渉はするわ(^^)、実にいろいろやってるわけなんですけど、その時はそれで凹むんだろうけど、でもトータルではそんな凸凹が楽しいというか、意味があるというか。岡田さんはよく遊びにきてくれたので、これらの話の大半は直に聞いてましたが、ヘンな言い方なんですけど、「嬉しそうに失敗している」感じがしたのですね。凹みはするんだけど、深刻に凹んでない。それでもうダメだ、日本に帰ろうとか弱気になるわけでもないし、俺はダメなんだと鬱になるわけでもない。「いやー、えらいこっちゃ、さんざんですよ〜!」って、大変がっているのだけど、どことなく嬉しそう。

その意味で、いいワーホリだったなあって。

でもって、進路ですけどICUでしょう?卵にはいい大学環境だと思います。だってリベラルアーツって、結局よくわからないわけで、「好きに勉強すれば?」的な自由度があるじゃないですか。向いてるという。
僕としては、あと数年して、方向性が出てきたときの岡田さんを見てみたいです。どうなっていくのかなあって(^^)。

以上、勝手に書きましたけど、質問というよりは感想みたいですけど、こういう見方についてはどう思われますか?全然違うぞ!心外だ!とか、なんでもいいですけど、おっしゃってください。



田村さん、ご返信ありがとうございます!

>おお、あの集中治療室と同じ略文字の「ICU」に行きますか!  さすが、いいところに行きますね〜。   おめでとうございます! リベラルアーツ主体の、優秀な大学だと思います。日本の大学って感じじゃなくて、内地留学に近いですし、合ってると思います。

ご存知でしたか!若干まぐれで受かった感はあったのですが、給付の奨学金も戴けるということなので進学を決めました。
ELAという英語教育プログラムがあるのですが、大変きついと噂で期待半分不安半分です(笑)
ただ、正直学びたいことがいくつかあるのでリベラルアーツ教育はかなり自分のもとめていたものと合っているのではと思います。


>★なんでワーホリに来たの?そしてその成果は?  という非常にありきたりなものです。そして普通の回答は既に体験談にあります。
 でもここで聞いているのはもっとディープなものです。そして、答えられないようなものではないかと(じゃあ聞くなよって感じですけど(^^))。


田村さんも書かれていますが、「自分を変えたかった、何か違うことがしたかった」というのが本質だったかもしれないです。

よくありがちなベタな理由ですが、本質的なことはまさにこれにつきます。

英語が好きだった、海外で一度暮らしてみたかった、親元を離れたかった、などこまごました理由はありましたが、よく考えれば、理由なんてなかったのかもしれません(笑)
あ、オーストラリアでワーホリか、志望校も落ちたし行ってみよ!みたいな(笑)

成果は?と聞かれると、やっぱり困っちゃいますね(笑)

だけど、一年を無駄にした、とか、行かなきゃよかった、とはこれっぽちも思いません。そういう意味では充実した一年を過ごすことができたのかな……。

より本質的なこととしては、思うままに一年を過ごせた、あとは、自分の人格形成というか性格も少し変えることができたということが成果なのではと漠然と思います。


>岡田さんを見てて思ったのは、とらえどころがない、という点です。大体、ああこの人は、、という骨格みたいなものが分かるのですが、岡田さんはわかりにくかったんですね。それが悪いわけじゃないですよ。 (中略)
ある方向に背骨が固まって、俺はこういう人間だという良くも悪くも方向性が決まってしまう前の段階、まだまだ伸びるから、どっちにいくかは伸びてから考えればいいって感じです。


昔から、これ!というものがありませんでした。どの教科もまんべんなく中の上位の成績で、テニスもレギュラーに入れるか入れないかくらい。
若かったころは、今は自分のやりたいことがないから将来できた時のためにまんべんなくやる、ということが勉強の動機でした。
これは高校へ行っても変わらず、文理選択の際もやりたいことは見つからずじまい。今も本当にやりたいことがあるのかといわれたら答えはNOです。

好きなこと、やりたいことを見つけるって、それこそ東大に入るより難しいんじゃないかと思います(笑)
ワーホリに行ったのも、見る世界かかわる人脈が広がれば何か自分の芯というかテーマ見たいのが見つかるんじゃないのかなという期待もあったのかと思います。


>だからワーホリに行く目的は、「自分の一存(衝動)で好き勝手にやる」ってことであり、成果は「好き勝手にやれた」ってことじゃないかと。

 なんか、ヘンな言い方なんですけど、よく遊びにきてくれたので直に話を聞いてましたが、「嬉しそうに失敗している」感じがしたのですね。


WH中は、いいことも悪いことも全部日本の外という、ある意味「夢の中での出来事」みたいだと認識していたんです。
だから悪いことがあっても、もちろん少し落ち込んだりもしましたが全部経験になる、と。まぁ、簡単にいえば「ネタになる」ですね(笑)
自分はもともと慎重でネガティブ寄りの人間だったのですが、日本の外という非日常の空間だったからこそ、こうポジティブに考えられたのではないかと思います。

「夢だからいいや」と、いろんなことに手当たり次第にチャレンジできたのかな、と。

自分はまだ、今は自分のやりたいことがないから将来できた時のためにまんべんなくやる、という状態から抜け出せていないんだと思います。

つまりまだ準備段階で、他の人たちは自分のやりたいこと、人生のテーマ的なものを(無理矢理でも)決めてそこに向かって行っている。
でも自分はまだそのテーマを見つけられていない。

たぶん、自分のそういった状態が田村さんのおっしゃる「卵」なのだと思います。
もちろん、簡単には見つけられないのもわかりますし、もしかしたら一生見つからないで死んでいくのかもしれない。
でも、見つける努力はやめたくないんです。
それがICUのリベラルアーツとマッチングしたのかな、と。


>そして、ICUでしょう?卵にはいい大学環境だと思います。

2年の終わりに自分の専修分野を2つまで決めることができて、その二つは文理関係なく取っていいんです。実はこの一年間、アルバイトで塾講をやってきました。そこでそういえば教えるの好きだな、となんとなく思ったので、教職課程を取ろうかな、と予定しています。
ICUの英語教育も楽しそうですし、1,2年はいろんな分野を浅く広く学べるので、そこで勉強したいことが定まったらもうけものだなと思っています(笑)
方向性が定まればいいんですけどねぇ〜……


>以上、勝手に書きましたけど、質問というよりは感想みたいですけど、こういう見方についてはどう思われますか?全然違うぞ!心外だ!とか、なんでもいいですけど、おっしゃってください。


やっぱり田村さんはすごいなと思いました。
自分でも気づいていないようなことまで気づかせてもらいました。
あと、卵、という表現はなかなか表現がうまいなと思います(笑)
なんかだらだら体験談を書いてしまったのに目を通していただけてよかったです。ありがとうございました。


もしかしたら見つからない、てか見つける必要がないのが岡田さんなのかもしれないです。
つまり「全部!」ってもアリだよなって。
考えてみれば僕もそうだしな〜、全部欲しいよな。ダビンチ型というか、手当たりしだいに何でもやりたいという。ダビンチも絵は描くわ、飛行機は作るわで、彼はたまたま天才だから後世に仕事が残ったのですけど、別に天才ではなかったダビンチも数億人規模でいるはずですからね。



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