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2012年09月07日


米山翼さんの2回目ワーホリ&ワーホリ後の体験記


前回までのあらすじと写真

 写真をいただいたので、一回目ワーホリ時代のものをこちらに紹介しておきますね。

北海道出身の米山さんは、作業療法士さん。
千葉県の病院でリハビリのお仕事をされてました。
真ん中あたりに写っておられるそうですが、面差しの印象が違いすぎて「多分、この人?」くらいの感じ。
語学学校時代の一枚
同じく語学学校時代のシドニーマラソンでのスナップ
このムキムキすぎる人々はなんなんでしょう。オーストラリアらしいというか。
同期の涼子さん、体験談286頁目の豊田さんもいるじゃないか。てか米田さん本人がどこにいるのか分からなすぎ。

ラウンド先
ファームのあるMilduraでの壮麗な夕焼
オーガニックファームでのブドウのピッキング
実はこれ、写真用に「とってるふり」をしているヤラセ写真だそうです。 でも、本番でも全く同じという気もしますが。
一回目ワーホリの白眉になった、アデレードでのバスキング(大道芸)写真。
日本語書きます!で書いてあげて幾らかもらうという。


1回目と2回目ワーホリの間〜約半年の端境期


一回目のワーホリを終えて帰国したのが2010年6月末です。
(ちなみに帰国の前日飲み過ぎて、当日寝坊!しました。起きたら出発時刻だった。。。とりあえずそのまま空港に行き、便を翌日に振り替えてもらったものの、また寝坊するのが恐くてそのまま24時間シドニー空港にステイしました〜。)

なんとなく一年終わったら一度帰国して友達や家族に会おうと決めていたし、日本が恋しかったのも事実です。
あと、祖父が亡くなったこと、友達の結婚式があったこと、夏の北海道ツーリング!(単車乗りなので)を予定していたのも帰国の理由です。

すでに二年目の申請ができる条件はクリアしていたので、帰国してから申請すればいいかなーと思っていました。

登別でのリゾートホテルで資金稼ぎ

友達の結婚式まで時間があったので、登別というところで三カ月ほど働いていました。
中国人のお客様が増えていることもあり、度々英語で対応することもありました。辞める頃(10月末)雪降ってました。。。

具体的には何をおやりですか?また下世話な話で恐縮ですが、ペイはどのくらいでしたか?良かったですか?

リゾートバイトの派遣登録をして、登別ではホテルのバイキング会場(朝食と夕食)でウエイトレスとして働いていました。 時給は800円(だったと思う)ですが、一日の勤務時間自体が長いし、寮費は無料だし、食事も無料でつくのでお金が貯まりました。三カ月で50万とかじゃなかったかな。田舎だから休みはスーパー、くらいしかなくって。。。
仕事をする以外とくにやることがないので、相当時間があって、ひとりでもんもんと負のループにはまっていたような気がします。
周りの友達は結婚したり子ども産んだり家建てたり仕事で昇進したり、どんどん進んでいるのに私は10くらい年下の子に指示されるバイトをしてる。。。ってどうなんだ!と。

そんなとき、携帯は孤独を感じさせるばっかりで負のループに拍車をかけるけど、Facebookで友達と連絡をとることはこころの支えになっていました。
英語で対応する度にスムーズに話せないことに気づいたり、友達のオーストラリア満喫っぷりを羨ましがったりしだし、

このころにセカンドのビザが下りたので(一か月以上かかった)、行ってみたかったアジアをまわってオーストラリアにもう一度行こう!と決めました。

2回目ワーホリ 


写真はバリのときのもの

もともとワーホリに来た理由の一つに医療以外の経験を増やす、自分の幅を広げるという目的があったので、2年目こそはローカルの職場で英語がっつり環境でバシッと働こうとしていました。

2011年1月末にバリ島→ダーウィン経由で、メルボルンに行きました。

メルボルンでのダブルJOB

最初はパースに行く予定だったけど、友達が何人かいたので寄って行こうという、かるーい気持ちでメルボルンに立ち寄りました。

メルボルンに着いてから、時間もあるし「ちょっと職探ししようかな」と思って情報サイトを見たら、"Japanese cafe"でバイト募集が!
「未経験可」ってあるし!「cafeやってみたい!」で、即応募→面接→採用、となりました。

到着後2日で仕事を見つけました。
が、この時は「あぁ日本語サイトで簡単に決めてしまった」と嬉しさよりも、決まってから後悔していました。


ただ、実はこの採用は3月からと言われていたので開始まで時間がありました。
その間にファームジョブをしようと、メルボルン近郊のバッパーに電話をかけまくるも、シーズン真っ最中だったからか、不作の年なのか、電話だったからなのか、どこもだめでした。

Jetstarのコールセンター

諦めかけてネットの情報サイトの求人を何気なく見てたら、「Japanese speaker required」というものを発見。
「paid training"が三週間!」に惹かれて、何の仕事かよくわからないまま応募→面接→これまた採用、翌日入職、となりました。

仕事はJetstarの日本語対応のコールセンターでした。(今は日本に支社ができたのでもうなくなりましたが)一応ローカルの会社に入職したことになるらしく、給料は良かったです(祝日ダブルペイ$42!/h)。ワーホリは会社全体で三人くらいしかいなかった。

と、いうことで、当初の「英語がっつり!!」は果たせなかったものの、医療以外での経験になったし、お金も貯まったし、よかったのかな、と思います。

cafeでの接客は英語だったのでListeningは良くなった気がします。

NZ小旅行

NZのミルフォードサウンドにて
ちなみに、メルボルンで働いている間に一週間休みを取って、友達とNZに旅行に行きました。

ちょうどチリの大火山の火山灰の影響で、オーストラリア、NZ間の便が欠航続きになっているときだったのではらはらしながら行ったのを覚えています。

地震の後でもあったのでクライストチャーチはなんとも恐くて、余震にも遭いました。
でも行ったという。(帰りは案の定欠航になり、帰りが一日遅れました)

実は南島でのスキーも目的だったのにオープンが遅れていて出来ず、代わりに?バンジージャンプしてきました。楽しかった!!


メルボルン後の旅

80 mile beach
これってジェットスターの広告まんまじゃんと思いきや、「何回も飛びましたよ〜、もちろんJet starをまねてます(*^_^*)」とのことでした。
海は綺麗だし、ピント合ってるし、最高の一枚。


パース周辺といえば定番、ピナクルズにて


半年ダブルジョブで働きまくり、その後、行っていなかったウルル、WA、ダーウィンなどをまわって出オーストラリア。

日本に帰る前に、ダーウィンからシンガポール、さらにタイに立ち寄ってバンコクから帰国しました。



2回目が終る頃の心境

2年目は3カ月残して帰国になりましたが、オーストラリアを満喫したと思っていたし、日本で会いたい人もいたし、後悔はないです。

他の国へのワーホリや世界旅行は、今じゃなくても行けるという考えがあったし、このままずるずる目的がはっきりしないまま旅をしても、結局同じ悩みを繰り返すだけじゃないか、悩みから逃げてるだけなんじゃないか、とも思ったので、まずは帰国しよう、と。


話が逸れるかもしれませんが、メルボルンを去るあたりになって、メルボルンという街とそこにいる友達が大好きな自分に気づいて、急に寂しくなって孤独を感じた時期がありました。(同時に、そんな居場所をゼロから作れた自分の自信にもなっていますが)

加えて、超個人的な話ですが、ウルルの後に行ったアデレードで失恋に近い悲しいことがあり、意気消沈でパースに向かいました。




ここでシドニー時代の知り合いとその友達と遊んだんですが、その友達たちが非常に個性的な人々で(パースのナンナン荘はご存知ですか?そこの人々なんですが)、本当に救われたというか、元気になりました。

せまーくなっていた視野をぐっと広げてくれたというか。

そしてこの出会いがもとで日本でウーフをすることになります。

補充質問:ナンナン荘について知らない人に簡単にご説明を

私も泊まったわけじゃないし、一日いただけなので詳しくはないですが。。。どなたかの体験談にも出てきてたような。
ぼろっとした一軒家のシェアハウスです。
日本人と韓国人(1人)が住んでいて、一部屋にベッド(とゆうかマットレス直置き)2ー3個に男女混じって3〜4人雑魚寝ってかんじできれいとは言えないかんじ。
でも壁にペイントしてあったり、なんかアーティスティックで雰囲気がすでに自由だなぁと思いました。
初めて会った人ばっかりなのに、私も混じって晩御飯だったし。
私が行ったときに知ってる限りでは、美容師、ダンサー、絵描きさん?、カレー職人、あと音楽やってる人とか一芸秀でた人が多かったです。 オーナーさんはオージーらしいですけど、よく知りません。
基本的に口コミや出る人が次の人を探す、というスタイルで成り立っているようです。
絵に描いたような、ザ・シェアハウス☆的な楽しさとか人の関わりがあって「ここの一員になってみたいな。。。」と思いました。

今までツアーを楽しめたことがなかった私が、パースの後に参加したKarijini national parkをまわってブルームまで行くツアーを超満喫し、ブルーム〜ダーウィンの27時間のグレハンまでも満喫した経験が最後にあったことで、ワーホリを早めに終える後悔はなかったのかもしれません。


だけど、やっぱりどこかで、もっとローカルジョブ探しを頑張れたんじゃないか、とか他の人のように車でラウンドとかバスキングがっつりとかやれたんじゃないか、と思うところは今もあると思います。

だからこそ、今になってNZ・Canadaのワーホリラストチャンスだけど、どうしよう。。。と思うこともありますし。。。

帰国してからの状況

真っ白期間と日本でのWWOOF

2011年10月に帰国し、友達に会ったり結婚式に出たりと一通りのやろうとしていたことを終えて、真っ白期間がやってきます。

どうにも医療の場に戻る覚悟とかやる気のようなものもないし、結局それがこれからやりたいことなのかはっきりしてないし、かと言って私は何をしたいんだろう、で時間ばっかり経っていき、焦ったり不安になったり。。。

そんなとき本屋さんである雑誌に、山暮らしをしているご家族のお話を見つけ、そのご家族がwwoofホストもしていると書いてあり、パースで会った友達がwwoofの話をしていたこともあり、ここにお世話になることにしました。

二週間ほどお世話になり、様々な刺激と出会いと考え方を学ばせて頂きました。

薪風呂と薪ストーブを使い古民家に住んでいるその方々は様々なイベントに参加、企画しており、宇宙とのつながり、自然の力で生きること、食べ物、農業、などなどを教えて下さいました。

正直ちょっとひいちゃうようなこともありましたが、「こういう人たちも日本にいるんだなぁ」というのと、なにより自分という存在を認めてくれて自分を好きになること、自信をもつことをしていいんだ!という気付きがあったことが大きかったように思います。

ニセコでのアルバイト時代

ニセコ!右は羊蹄山

道産子なのに寒さに弱い私は、冬の間にとりあえず稼いで、もう少し考える時間が欲しいなと思い、英語も使えるニセコへ働きに行きます。

ニセコは、もう、外国です。

ハイシーズンは毎日どっかのバーでイベントだし、カフェでの注文すら英語だし(働いてるのも半分外人さんだし)、仕事でとる電話は8割英語だし、お客さん全員外人ってこともあります。

そこでバイトしている人達は、夏は夏でシーズンバイトをしてたり、私のような外国帰りの人だったりと、つまりは日本の中で割と自由に動いている人達だったので、話が合う人もいました。ワーホリの延長みたいでした。

でもやっぱり日本人なので群れる群れる。
飲み会開きたがる、わりには飲み会の場でケータイ見たりテレビ見てたり、気乗りしない人もとりあえず参加させるとか、なんだこれは!!といらいらしだし早めに辞めることを決意。予定より一カ月早い三カ月で辞めます。

ここでまた下世話な質問ですが(^_^)、ニセコでの稼働状況の客観面は?

登別に比べてニセコは全然稼げなかったですよ〜。
居酒屋で働いていましたが、私は昼から遅くても22時までの仕事で、キャッシャーとか予約受け付けとかしていました。英語必須のポジションだったため、時給はかろうじて800円(ホールの子は740円)でした。

寮費はたしか一日500円(暖房費込)で除雪代一カ月につき1000円、まかない一食付き(有料、いくらか忘れました)、おまけにスタッフなのにドリンクも有料(割引はあり)。
スタッフを大事にしないケチな場所でした(笑)。

他のレストラン、居酒屋では時給1000円とかありましたが、寮費は50000円とか、どっちもどっちな環境。

私はあまりがんがんにスキーする方じゃなかったですが、他の子はシーズンパス10万の買ってたり、メンテだのウェア新調だのしてたので、稼ぎに来る、というよりは専ら滑りに来るという感じ。それもまたアウェー感とネガループを呼んでたのかもしれません。

でもバーとカフェはよかった!!コーヒーはローカル割引なるものがあって、美味しいのに安かったし、バーはハイな外人だらけだから、誰かがおごってくれる、というかんじ。

京都のゲストハウス

ゲストハウスの受付の仕事中
ニセコで気が合った友達の一人が京都出身で、持ち家(実家ではない)があるからシェアしない?のお誘いがあったことと、歴史のある場所(北海道は歴史が浅いんだよなぁと感じていたので)に住んでみたかったことがあって京都に向かうことに。

ただ、その友達が足の怪我をしてしまい、シェアの話がすぐには進まなそうだったので、コストのかからない滞在方法ということで、ゲストハウスの宿直募集を探しました。

たまたま募集していた今のゲストハウスに応募→電話面接→採用☆でニセコから帰って2日後に京都へ向かいました。

京都はゲストハウスが多くて、町家を改装していたりして面白いですよ〜。

ケイズとかカオサン、J-hoppersあたりは9割のお客さん外国人っぽいですよ。
ちなみにうちのゲストハウスは断トツで台湾人が多くきます。
ゲストハウス錺屋
http://www.kazari-ya.com/index.html


パン屋さんとのダブルジョブ

一ヶ月間は京都に遊びに来た友達と会ったり、京都散策などしてましたが、本格的にお金がなくなり仕事をしよう!と思うも。。。さて何をしよう?何でもできるけど何がしたいんだろう?で考える、悩む。負のループにもまた入る。。。

このときもとの職業に戻ろうという気は全くありませんでした。

それは、今思うと、なんとなく戻ることが負け、というか私は別の道を探すんだ!ということに意地になっていたからかもしれません。

パン作るのが好きだし、料理や食べ物に関して興味があったのでパン屋を探してバイトすることに。
同時に丁度春だったので、大学の公開講座に行ったりパン教室に行ったりしていました。
そのうちゲストハウスの仕事もバイトとして手伝うことになり、ここでもダブルジョブになって現在に至ります。

長い旅の末に〜


真っ白期間は、子供のころに初めて「死」を意識したときみたいに漠然と恐くて、リアリティに欠けた世界で、自分がすごく小さく感じる期間でした。

何がしたいのか、ワーホリで何を得たのか、なーんにも見えない感じ。(抽象的すぎですね。。。)
実家と家族があって本当に良かった。

みんなどうやって過ごして、どう考えてるんだろう、どうやって自分の道を見つけたんだろう?
いつになったら私は自信を持って自分のやりたいこととか言えるんだろう?
とかぐるぐるとしつつ、何かせねば!!と思ってWWOOF なりニセコなりに行ったわけです。


もと同僚と話してて、彼女がふと、「戻ってみたら?」と言ってくれたことがきっかけで、作業療法士として働くことをもう一度考え始めました。
仕事をしてみないとどう感じるかはわかりませんが、今のところ負のループやら真っ白にはなっておらず、なんだかしっくりもとさやに戻ることになりそうです。


 ↑以上、体験談第一稿はここまで。

ディープ編〜再ツッコミ、再々ツッコミによる応酬

 以下、いただいた体験談をもとに、「ここは?」など細かくツッコミを入れているうちに、どんどん話はディープになっていきました。

 もはや「体験談」というレベルを超越し、人生談義かカウンセリングみたいになっています。
 しかし、僕も米山さんも、ガチガチに、ド真面目にやってます。
 徹底的にパーソナルに掘り下げているからこそ、逆に普遍性をもってくる(誰の参考にもなりうる)というレベルにまでいったと思いますので、ここに掲載します。

 というか、ワーホリ・留学"後"体験談というのは、ココが一番大事だと思うのです。

 とても貴重な経験をしました、楽しかったです、多くを学びました、、、で、それはその後のライフスタイルや生活にどう生かされたの?どうやってその経験を日本での生活に転換させていくの?という部分こそが大事なんじゃないかと。ここは、いわば自分なりの「解釈論」なので、どうしても話が内省的になるし、内省的になって良いし、内省的にならなかったら嘘だと思います。
Q:療法士やめてワーホリに来て、今日にいたるまで、これまでの人生パターンにはない「なにか別のもの」をお探しだったと思うのですが、それは結局何だったのでしょうか?
単に療法士とか医療界がイヤという話だったのか、それとも「お金持ちになりたい」みたいな(そうじゃないのは分かってますが)、何らかの目標があったのでしょうか?あるいは「もっと大きな人間になりたい」という抽象的でゼネラルなことだったのでしょうか?
今まで、ワーホリに行った理由は、「医療以外の経験を増やしたい」「自分の幅を広げたいから」と答えていましたが、よくよくよーく考えてみると、もっと根深い欲求や自分の弱さがあったと思います。

恐らくは「これまでの人生パターン」が大きく揺らぐきっかけは、五年間付き合った恋人との別れだったようです。
ついでに、もう少し深く考えてみると、恋人と別れる前、付き合ってる間もやはりネガループは存在してて、それも別れる原因のひとつだったかもなぁと思います。

じゃあその大元は何なのか、というと、小学校時代の転校歴が影響しているんじゃないかな、に行き着きました。
私は四回転校していて、その都度新しい環境に馴染むために他人の評価、反応を先回りして予想し、自分が恥ずかしい思いをしなくてすむように行動してきたように思います。

それが習慣化して、自分の本当の意見が言えず、人に適度に頼ることができない。そのくせ寂しがるし、そして自信がないから取り繕って強がる。
これらが原因で「自分は心から楽しいと感じられていない!」と悩む。でもどうすればいいのか。。。
っていう状態が慢性化したのが「私」だったんじゃないか?その中で、甘えられる恋人に負担がかかってたんじゃないか?と。

そんな感じで、恋人に好かれているんだという安心感と自信でのうのうと進んできたのに、ある日突然終わって、しかも浮気までされていたという。
なんだかもう「今まで何もかも間違ってたんだ!」という、自信とプライドと安心の根底を突然失った喪失感・脱力感、不安と寂しさからくる恐怖と、未来への絶望などなど、死んでもいいなと思いながら過ごしてました。(友人からこの時期にはバイクに乗るなという警告が出ました。。。)
その後、幾つかの恋もしたのですが、根っこの部分が不安定なので、他人に依存しまくったり、グラグラして長続きしませんでした。寂しさは消えないし、自分への不信感も募る一方。

こういった極限状態から抜け出して、自由とHappyの象徴のようなオーストラリア(というか外国ならどこでもよかった)に行ってリセットしたかった、というのが本当の理由であり目的でした。

加えて、「特別」になりたいという欲もありました。
このまま「普通」に終わって(終わる、ように感じた)いくのは嫌だし、違う気がしていたので。
たくさんの患者さんや祖母の死を間近に見続けたりしたので「やりたいことはやれるときにやろう」と思っていたので、海外で生活するという夢を実現しようと思いました。そしてせっかく行くなら医療以外の経験を。。。になったわけです。

もっともらしくて、人に説明しやすいからこの最後の部分(医療以外〜)を言っていただけで、本当は、環境をリセットして、強くかつ毎日Happyな自分を手に入れたかったんでしょうね。

Q:ワーホリの1回目の頃のループと2回目以降のループは、なんか質が変わっているように思います。一回目の頃は、客観的に上手くいかないからこそネガになっていくというパターンだったと思います。2回目以降は、とりあえず何でも出来てますよね。あんまり「出来ない」ということはない。だから一回目よりもはるかに力はついているし、ビビルことなくどんどん何でもやっている。しかし、出来たけど、それがどうした?というと、出来たことによってもネガは去らない。つまり、出来る出来ないの問題ではないもっと深いループになっていくように思います。 そのあたりは自分でどうお考えですか?
ネガループは、恐らく本質は変わっていないんじゃないかな、と思います。
上で述べたような自信のなさとか寂しさから成る真のループみたいのが存在してて、その表面に、不慣れな海外生活や英語のできなさから成るループがあった、ような感じじゃないかと。

一年経っていろんな経験とか環境に馴染んできたことで、表面のループはなくなってきて、真のループが出てきたんじゃないでしょうか。
次の質問ともかぶりますが、これはなくなりはしないんじゃないかなと思います。
質とか中身とか、あるいは時期によっては濃淡など、そういった変化はあっても、ループ自体はありつづけるんじゃないかと考えています。

Q:最初の体験談、そして今回もひんぱんに「ネガティブ・ループ」が出てきますが、こういったループについて自分ではどう思ってますか?例えば可能性としては3つくらいあって、
A:実は、嫌っているようで、本当のところではそういうのが「好き」なのではないか?と。つまり「あーでもない」と考えるのが自分のパターンであり、どうやらフェバリットの思考パターンであるのか。
B:あるいは、好きも嫌いもなく、自分の容姿容貌がそうであるように、あるがままの状態としてそうなのか。そして、それゆえに、それは変えることは出来ず、また変える必要もない。努力でどうなるものでもないし、むしろ変えてはいけないのではないか、とか。
C:あるいは、これは喫煙や猫背みたいな習癖の問題であり、矯正は難しいけど不可能ではなく、また頑張って矯正した方が望ましいのか。
さっきも(無くならないと)書いたようにBであるけど、Aな部分もあると思います。

ある問題を考えていくとき、「ネガループ」という視点で括ると、つながりが見えてきて全体が掴めた、ということはあります。

よくも悪くもすべてがつながっていてどんどん深みにはまっていく、視界が狭くなっていく、みたいなかんじ。
その「気付き」でいうと恐らくはAだし、でも根本的にはBのように、自分の中にいつもあるという感覚があります。


Q:ちょっと系統の違う質問ですが、一回目の体験談では、アデレードのバッパーで出会った自由な日本人に勇気というか解放をもらってますよね。で、今度もパースの自由な日本人に力を貰っている。似てますよね?では、このパターンはなんなんだ?です。いくつも考えられるのですが、
★もしかして日本人ってところがキーポイントではないか?同じ日本人でこんなに自由に生きられるというのが、大きな励ましになったとか。いくら外人さんが自由でも「そりゃ、アンタらはいいよ」みたいな感じに流れてしまうとか。
★そこで「明るい気持ち」になれたわけですが、「明るい気持ち」って本当の意味で「解決」なのか?勿論良い気分になれるのは良いことなんだけど、そういう良い気分になりたくて頑張っていたのか?もしそうじゃないから、それはマラソンの沿道でのドリンク貰ってリフレッシュくらいの効用や存在でしかないのではないか?
★そうではなく、かなり真理に近い巨大なヒントが潜んでいて、それに近づいたからこそ気分が明るくなったのか?
もちろんへこんでて視野が狭くなってて寂しくて。。。という共通した環境の影響もあると思いますが、二つの状況を考えてみると一番目の★(同じ日本人説)は的を得ていると思います。

同じくらいの年数を日本環境で生活してきても、こんなに自由な人たちがいるんだなぁという発見。
それと、無条件で「日本人」という所属内にいられるので、存在を認められているような安心感があるということ、日本語なので気負いがないこと、によってリラックスして過ごせたんだと思います。
ならば日本にいろっていう話なんですが。。。
これは海外で日本人に会うという環境で作用する状態なのであって、日本で日本人に囲まれたからって、こういう励みにはならないような。

私は英語を話すとき、少し自分を作っているような、よそ行きの顔で話すようなところがあるので、日本語だと気楽にいられたことの影響もあるかと思います。

私の場合、どうやらこの「気楽」とか「リラックス」が「明るい気持ちになれる」キーワードになっていたようで、このときはそれが「日本」環境によってもたらされた、のだと思います。
でもこれは解決とか真理に近いということではなくて、おっしゃるとおりリフレッシュに近いです。道に迷った状態で電気つけてくれて、こっちに道があるみたいだよ、って言われた感じ。マラソン中のドリンクというよりかは、おにぎりとか肉とかもらってHP回復&増強、みたいな。わかりにくいですかね。
日本でのウーフもこれに含まれる気がします。

以上、いろいろと脇道逸れたり、抽象的だったり具体的だったり、長くなってしまいました。
質問を受けて考えて、初めてあぁそうだったんだなぁと思いました。とくにワーホリに行った理由とか。

私のこれらの旅は(今もその途中だと思っていますが)、田村さんの言うとおり、確認の旅であるし、同時に自信を取り戻す旅なんだと思います。

何をしても、どこに行っても、どんだけ行ってもよかった。
そう考えると私がワーホリに行ったことも、その後のふらふら歴も、全部に意味があって、外人の友人の数や旅の内容は関係ないんですよね。

外国に戻らなくちゃいけないわけでなく、この経験をきっかけにしなきゃいけないわけでなく、私の通路だったんだな、と考えるとすぅっと納得できました。
日本から出たことが、結局逃げただけじゃないかなっていう後ろめたさがずっとあったので。。。


さらに破格にDEEPなツッコミ質疑応答

これは質問というよりも、僕自身の「こうなんじゃないかな?」という感想です。これを読んで、米山さんはどう思うか?を答えてください。

えーと、最初の一回目のワーホリ体験談の紹介記事に「勝手に内面世界でハードルを高くし、それもありえないくらい高いハードルを自分で設定し、自分でいけてないと悩むというネガティブループを作ってしまう話」と要約しました。

やっぱここが原点だと思いました。
一回目ワーホリは「アデレードの自由な人達」によって「解脱」出来たわけですけど、またぞろネガティブループが出てきてしまったと。

このネガループの大本になるのは、「転校歴による外界に対する”構え”=恥ずかしくないように振る舞わなきゃ」だとお書きですよね?これが「ありえない高いハードル」になって、高いハードルを作るのが習性になってしまった。常に身長よりも水面を高く(してしまって)アップアップするという。立ち泳ぎしてないとならない。

だから、米山さんが救われた感じがするのは、気楽にリラックスできて、繕わなくても良いという気分になれたとき、いわば「背が立ったとき」だと思います。水面が下がってきて楽に呼吸が出来るときですね。
アデレードの人や、ナンナン荘の人達、そして日本のウーフの人とか。「いいじゃん、別に、このままで」「無理すること無いんだよ」という気分にさせてくれる。

一方で、最初の大失恋はその真逆の”惨事”で、背が立つと思って安心してたら実は立ってなかった!やっぱり立ち泳ぎしないとダメなんだ!と打ちのめされ、パニックになる。でももう疲れ切ってるから泳げない、依存したい、でも依存しても裏切られる気がする、あーどうしよ?!みたいな。

これらを前提にして思うのは以下の諸点です。

@、「高いハードル」構築症候群の二つの原因

A:自分自身のアイデンティ/自己認識
B:外界に対する恐怖心

Bは簡単で、「お外は恐い世界なんだから、ちゃんとしてないと殺されちゃうよ」みたいな「世界への恐怖」です。これは転校歴なんかが影響してると思います。

そして、「海外で会った(自由な)日本人」というのは、その意味で絶妙に外界の恐怖心を取り除いてくれたんじゃないかと思います。
海外で会う日本人でも、日本社会(の独特の威迫感)を濃厚に引きずってる人だったら、米山さんの「構え」は取れなかったでしょう。日本的に構えてないとならないから。
でも、日本人らしくなくて、威迫感をひっぱってこない日本人の場合はその心配はないし、それにプラスして海外の中にあっては同族的シェルター=雪のカマクラみたいな安心感がある。
ゆえに「ありのままの自分でいてもいいよ」「外界にビビって構えなくてもいいよ」って気持ちいい空間になるというリクツです。

しかし、より本質的な問題になるのは、A(自己認識)の方だと思います。

思ったんだけど、もともと米山さんは自分で「ハードルを高くしたい、高い自分でありたいという欲求」が強いんだと思います。
これはお書きになっていた「特別でありたい」というのとも被るんだけど、それは他人に比べてどうとかいうケチな優越感ではなく、なんか「自分はもっと素晴らしくなれるんじゃないか」という予感というか確信があるのだと思います。それが無意識的にエネルギーとしてある。

補助証拠として言えば、米山さんて多芸じゃないですか?作業療法士という医療のプロ技術&キャリアだけでも凄いうえに、書道八段だし、バイク乗り回しているし、かなりイケてるわけですよ。無能だったらこうは出来ない。なんで?なんでそこまでアレコレやるの?って思うと、「そのくらい出来て当然」と思うからでしょう。で、それですら足りないと思う、「もっともっといける筈」と思うんじゃないかしら?

それは健康な向上心=自己開花欲求だと思うのだけど、それが素直に開花するより前に、Bの外界恐怖が先立つので、その恐怖心と化学反応してしまい、向上開花するというよりは「取り繕う」という方向に進んでしまう。
でもこれって、本質的に虚しいこと(取り繕い)をやってるから達成感はないですよね。加えて皮肉なことに、向上心が妙に悪作用して、ここでもハードルをあえないくらい高く作るから余計アップアップする。

このAとBが微妙に共同作業しているのが、ワーホリ初期の詐欺事件だと思います。
インタビューで聞いてて、なんで騙されたのかといえば、最終的には「カチンときたから」だと言ってましたよね?お金を貸すのを躊躇って、友達に相談すると言ったら、「そんなことも一人で決められないか」的に言われてカチンときて、「上等じゃん」って気分になってしまったという。
そこでは外界に対して取り繕ってしまう(B)、「そんな弱い自分でありたくない」という意識(A)の共同作業ではないかと。

ま、そんなこんなで、向上心と恐怖心がタッグを組んで、せっせとありえないくらい高い壁を構築しては乗り越えられないといって落ち込む、というネガティブループを作っていったのではないか?という見立てです。

A、アデレードで日本人に会ってなぜ気持ち良かったか論

だから、アデレードなどの気持ちのいい日本人達によって救われるのは、「マラソン中のドリンク効果」も勿論あるんだけど、より本質的には「真理」に近いところにいたからではないかと思います。
それはありのままの自分でいることの気持ち良さだと思うのですが、いかがでしょうか?

B、ありのままの自分論

じゃあ、「ありのままの自分」で居ればいいじゃん!てことになりそうなんだけど、そう簡単にはいかない。何故そうならないのか?

それは、僕が思うに、どうしても外界を恐く見積もってしまったり、自分の限界以上にハードルを作ってしまったりして、ネガティブループを作るというのも、また一つの「ありのままの自分」なのではないか?。

つまり「ありのままの自分」が幾つもあるのよね。
手足のびのび、ほっこりしているのも米山さんなら、もっとスペシャルにハッピーになれる筈だと貪欲に気負ってしまうのも米山さんだし、外界に対してビビって構えてしまうのも米山さんだし。
さらにそれらが同時存在してゴチャゴチャになって、ネガティブループを作ってしまい、そこであれこれいってるのもまた米山さんです。

で、2年ワーホリ+日本ラウンドを通じて、そういう「幾つもある自分(達)」を受け止める準備が段々とできてきたんじゃないかと。

C、自分探しの実験

2回のワーホリを通じ、そして日本ワーホリみたいな過程を通じ、結局これらの旅はなんだったのか?といえば、陳腐なコトバですけど、まさに「自分探し」だったんだろうと思います。自分探しなんてコトバは陳腐すぎてキライなんだけど、でも、「あー!そういうことか!」と僕も得心がいった。

これって、一種の「実験」みたいなものだと思うのですよ。

Aという環境でも、Bという環境でも、Cという環境でも、どんな環境条件においても共通して発生する現象があれば、それは「固有の特性」だと推定できますよね。オーストラリアや日本など、さまざまな生活環境や体験をしていくうちに、どんな条件下においても共通して出てくるパターンがあれば、それは「自分固有の特性」であると。それが経験を積むうちに段々見えてくる。経験(実験)を重ねるほどに見えやすくなってくる。

一つしか環境がなかったら、なんでこうなるの?の条件仮説は山ほどあるわけですよ。やれ、医療系の仕事が向いてないからだとか、やれ男運がいいとか悪いとか、やれ収入が多いとか少ないとか、無能・有能だとか、英語が出来ない/出来るからだ、北海道だからだ、オーストラリアだからだ、、、もう無限にある。
しかし、環境を変えていくウチに、これらの仮説がどんどん削ぎ落とされていきますよね。「あ、そーゆーことじゃないんだよな」と自然に得心がいくようになる。

これは、お書きになってましたよね、「表面上の問題が消えていく」と。 オーストラリアの最初の頃は、ダメダメな自分が悩みのタネ(バイトはきついわ、お金騙されるわ)だったけど、出来るようになってきたら「あ、これって能力の問題じゃないんだな」ってのが分かる。仮説が消える。

で、最後に残ってきたのが、「なにかとネガティブループを作りたがる私」であり、「でもネガティブループもそんなに悪いもんじゃないよ、自家製だもん」という意識であったり、「でも、やっぱもっと良くなりたいじゃん!」という健康な欲望であったり、そういうものがフルイに残った砂金のように浮き上がってきた。

そういった、幾つもある「なにかとメンド臭い自分たち」を的確に見いだし、彼らと折り合いをつけていくのが人生の修行の旅だとすれば、まさにワーホリや日本フラフラ道中は、その王道をいっていたと思うわけです。

だって、あれこれやって結局療法士やってるわけだけど、そこに「結局」感はないわけでしょう?
今までのことはぜーんぶ徒労で、全部意味がなかったというものでもない。
それどころか、1秒として無駄なことなどなかったという。
違いますかね?

以上、全然質問の形をしてませんが、長い長い所感をぶつけてみます。
どう思われますか??

応答

全体をうまくまとめて頂いて、私自信が整理されて、「わたしってこーいう人なのか。。。」と腑に落ちた感じです。
さまざまな偉人が言うように、「人生って旅なんだなぁ」と思いました。

> @、米山さんの「どうしても高いハードルを作りたくなる症候群」の原因は、実は二つあるんじゃないか?
> A:自分自身のアイデンティというか自己認識。
> B:外界に対する認識。

AもBもおっしゃる通りと思います。

とくにAの

>なんか自分はもっと素晴らしくなれるんじゃないかという予感というか確信

は、まさにその通りです。

そんなに予感めいたものをはっきり感じていたわけではないものの、大学ぐらいのときから、例えば貧しい国のストリートチルドレンやら環境汚染やらのことを考えたら焦りのようなそわそわ感がありました。「何かしなくていいのかな」みたいな。

それは社会人になってからもあって、日本では当然のように使い捨てのものが安く手に入ったり、食べ残しを捨てたり、そういったことに違和感はずっとあって、でも実際になにかしていたわけではありませんでした。

あんな地震や原発の事故があってもみんな普通に生活している、わたしも普通に生活してていいんだろうか、など今でも「そわそわ感」はあります。

そしてもともとの性格もあって、私は成長も遅ければ運動能力もなく、絵がうまいわけでなく、おしゃべりがうまいわけでもない。だからこそ、これくらい出来て当然、と思っているところがあります。今でもそうです。


> A、だから、アデレードなどの気持ちのいい日本人達によって救われるのは、マラソン中のドリンク効果も勿論あるんだけど、より本質的には「真理」に近いところにいたからではないかと思います。
> それはありのままの自分でいることの気持ち良さだと思います。

そうなんですね、意外に真理に近かったんですね。
アデレードで会った人たちは日本人だけでなくいろんな人と今でもつながっています。とてもありがたいです。

たくさんのありのままの自分を受け入れるために、うろうろしていたわけですね!なんだか激しく納得。

今までは、いつまでこんなに悩んだり凹んだり考えたりってもやもやしてなきゃいけないんだろ?って出口を探していたような気がするんですけど。
出口にいる自分が真の自分!ここまで来ればいつでもHappyで悩みゼロ!っていうことではないんですね。
これもあれも自分、ってなんかものすごく単純だけど、今まではそう実感できなかったなー。


「一種の実験」と書いてありましたが、確かにそのようなもので、とくに渡豪前は、作業療法士は魅力のある仕事だとは思うけど、他に自分に合うものがあるんじゃないか?心の底からやりがいを感じられることがあるんじゃないか?どっかで木を植えたりして過ごすほうがよっぽど迷いなく生きられるんじゃないか?とかいろんな可能性とか疑問とかを持ってました。

だから今はそれらが大分そぎ落とされてスリムになって、田村さんのいう「そーゆうことじゃないんだな」になったんでしょうね〜。

前にも書きましたが、たぶん、これから何をするか、どこに行くか、旅を再開するのか、はほんとに何でもありだと思うんです。何でも正解というか。
今はもとの職業に戻ろうと思いますが、辞めて急に旅行するかもしれない、それでもいいなぁと思います。


最後に、逆質問というか田村さんの考えをお聞きしたいんですが。。。

これら「ありのままの自分」の中に、気に入らない、治したい自分がいるとすると、それは修正可能だと思われますか?または修正するべきと思われますか?
元来負けず嫌いな私にとって、そういう治したいところをそのまま受け入れることは、なんだか悔しいような妥協してしまったような気がするんです。

補足的回答

 逆質問、ありがとうございます。興味深い問い掛けですね〜。

 うーん、多分ね、多分ですけど、誰でも自分の中に「サル山」みたいなものを持ってるんだと思います。そのサル山のなかで、キーキー言ってる「ありのままの自分」達が何匹もいる。

 自分達は、当然のことながら我が強いわけですから(^_^)、いろいろぶつかるし、妙な形で協力したりもします。で、その力関係やバランスで、そのときどきのボス猿が決まる。

 例えば独身時代きままに生きているときは、視界がバン!と広がる爽快さとか、おおお!という高揚感が大事で、ゼニカネなんかチマチマ勘定している場合かって感じになりがちです。が、好きな人が出来て、二人の巣をつくり、そして可愛い子供ができたりしたら感覚も変わるかもしれません。人によるだろうけど、無心に微笑む我が子とか見てたら、未だかつてこれほど激しく他人を愛したことはないってくらい無償の愛情が滾々と湧いたりもするでしょう。そうなると、この子の幸せのためだったら何でもする、お金が必要だったら稼ぐ、極端にいえば犯罪に手を染めてでも、自分は死刑になってでもお金を稼ぐという気分になるかもしれない。

 極端な例を述べてますけど、人の価値観は変わるということです。これを猿山論理でいえば、ボス猿が変わるという「政権交代」が起きるわけですよね。また、経験を積むほどに初当選の新人も出てくるわけです。実は毎年一人くらい新人サルが増えているのかもしれない。

 そして、誰がボスになるか、ナンバー2に誰がなるのか、どういう原理秩序で運営されるのかは、そのときどきの関係によって決まると思います。「総選挙」で決めるかもしれないし、バトルロイヤルみたいな殺し合いになるかもしれないし、わかりません。

 ただ、僕が思うのは、そのときの「決め方」が自然かどうかが一番大事なんじゃないかって思います。とてもナチュラルに、とても自分らしく、おさまるところにおさまるようになっていくかどうか。

 逆に言えば、ファシズムとか偏向的なもので自分の価値序列を強制的に変えられたらハッピーなことではない。そういう暴力的な介入はまだ分かりやすいけど、無意識的に影響を受けているみたいな感じだと微妙ですよね。親の生き方に反発したら非親的なもの求めるという価値序列になりがちだけど、でもそれって結局ネガポジで、影響されていることに変りはない。あるいは、どっかで誰かに激しく馬鹿にされ屈辱感にまみれたので、これを晴らさないと一歩も進めないと思いこみ、一種のルサンチマンと「仇討ち」のためだけに人生を費やし、出世と成功のためだけに生きる。本当は静かな湖で絵でも描いているのがボス猿になるべきような人であっても、阿修羅大王みたいな猿がボスになってしまい、老境になってから「なーにやってんだろ、俺」とか思う。

 だから、決め方がナチュラルでより自分らしいのがいいんだろうな〜って。

 これが質問への回答になります。
 ダメダメな自分、ヘタレな自分もまた自分ならば、それじゃダメじゃんと激しく思う、負けず嫌いの自分も自分ですよね。治したい自分がいれば治せばいいです。でも、治したくない自分、治されたくない自分もいるわけで、そこは猿山の政局によって決まると思うので、あれこれやってたらいいじゃないの〜?ってことです。

 それがどうなろうが結論はどうでもいいんですけど、でも、その結論に至る過程ですよね。外国の侵略を受けたり、ポピュリズムの衆愚政治で決めたりという、なんだかなという決め方ではなく、ナチュラルな、なるべく自分以外の要素によって影響されないような。日本酒や味噌が発酵醸造するように、じっくり&しっくり決めていけばいいんじゃないかなって。

 例えば「治したい/ダメ」という部分でも、実はダメではなかった、一見ダメっぽく見えるけど誇るべき長所であったのが分かるとか、これは確かにダメだけどこういう矯正の仕方をしても無駄だし副作用が激しすぎるとか、理解が深まるかもしれませんよね。で、そのうち長老みたいな猿が出てきて、「ダメとかダメじゃないとか、シンプルな世界に生きてるのう、若いのう、ほっほっほ」とか言ったりして(^_^)。

 だからもうそれは「ご随意に」ってことだと思います。好きなように悩み、葛藤してればいいんだと。
 くどいけど、その過程で外部の雑音はなるべく入れない、要するに「囚われない」ってことですよね。コンプレックスとかさ、反動形成とかさ、それもまた自分なんだろうけど、外界からの筋肉反射みたいに形成された底の浅い自分ですから、それらが自然と淘汰されて、落ち着くところに落ち着くように、と。

 そういうことなんじゃないかな?って今は考えてます。



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