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2014年03月27日


ワーホリ体験談 T.柴田さん
 2013年04月渡豪、2014年09月帰国




はじめに


僕がオーストラリアに滞在した期間はおよそ5ヶ月と、他の人に比べて結構短いです。
ビザ自体は1年ワーホリで取得していたので、1年しっかり滞在するつもりだったのですが、後述の通り日本でやろうと思ったことができたので帰国しました。

そのため体験談のメインはシドニーでの学校生活がほとんどです。
学校の様子とか、勉強してた内容とか、そういうところを書いていければなぁと思います。


オーストラリアに旅立った理由


僕は大学を卒業して、地元の百貨店に勤めていました。
就職した会社自体は、就活時第一志望の企業だったこともあるのか、すごく楽しく勉強になることばかりでした。ただ一方で、3〜4年務めると自分の会社におけるキャリアというか、こんな感じになるんだろうなぁというのか大体見えてきて、このまま会社員として一生を遂げていいのか、という疑問も同時に沸いてきました。
昇進すると、やりがいが増える分休みが減ったり、無駄なストレスがかかったり…。
楽しい仕事だけど、もっと自分の時間をとれる仕事がしたいなーと思い、昇進がかかったタイミングで退社を決意しました。

オーストラリアに旅立った動機は、正直バカンス半分、今後の自分の仕事探し半分といったところでした。
そのまま転職活動する前に、経験として海外で生活してみたい!という結構不純な憧れに近い動機もありました。なぜオーストラリアにしたかは、正直自分でもあんまり覚えていません(苦笑)

たしかオーストラリアが日本からワーホリで行く人が多い、と知人から聞いて、それにのっかっただけだったと思います。でもそういうのも巡り合わせなのかな、とこじつけています。

ワーホリのことを調べている途中で田村さんのサイトを見つけ、”学校や家を日本で決めるより、実際に見てから決めた方がいい”といった旨の記載に共感を覚え、申込みしました。


最初の1週間


皆で超真剣にベトナム料理を撮影
正直最初は海外で生活することを結構舐めていた部分があって、”まぁ行ってみれば何とかなるだろ”ぐらいにしか思ってなかったのですが、着いて数時間でその幻想は打ち砕かれました。

地下鉄の切符すら満足に買えず(切符売場のおじさんにイライラされ半泣きでした)、アナウンスに焦り、携帯が使えないので地図も詳しくわからず…田村さんのうちに着くまでに危機感は募るばかりでした。

着いてからは更に焦ることばかりでした。
APLaC同期の古橋君、渡辺君はある程度英語の土台があるのに対して、自分は…という状況だったので、田村さんから”君は鼻血出すくらい勉強しなさい”と言われたことを覚えています。


シェア先付近のビーチ
シェア探しは同期の3人でしつつ、古橋君と同じValcluseのうちで住んでいました。

決め手とかは大体古橋君と似たところなのですが、僕はBondiの辺りの海辺の雰囲気が好きで、この辺りがいい!とビビっときたことを覚えています。Valcluseからの景色は本当に素敵でした。

 右のビーチの写真はValculseの家から歩いて10〜15分くらいの場所にあったところです(名前忘れてしまいましたが…)。住み始めてから1週間くらいしたころにシェアメイトに教えてもらったのですが、あまりの透明度と人の混んでなさ加減(日本と比べて)に驚愕したことがとても印象に残っていて。オーストラリアの海の綺麗さにはどこにいってもびっくりしました。


余談ですが、シェア先が決まった帰りのバスで日本の携帯を失くし、だいぶ凹みました。
田村さんに言われた通り、パニックにならないように主要連絡先やメモリーを前日に移しておいて本当によかったと思いました。


SCE@(Pre-Intermediate)



学校は田村さんの言いつけ通り、しこしこ勉強ができるようSCEを選択しました。
最初のクラス分けのテストでも相変わらず実力不足を実感し、手が震えたことを今でも覚えています。特に英作文とかほとんどかけず、こんなんで大丈夫なのか…と不安しかなかったですね。
クラス分けの結果Pre-Intermediate(6段階中の3段階目)のクラスでした。同期二人は一つ上のクラスだったので、ちょっと不甲斐なさを感じたものの、入ってみれば当時SCEはPre-Interのクラスが一番の大所帯だったのでちょっと安心しました。

SCEは4週間毎にクラス再振り分けのテストがあります。ちょうど僕が入るちょっと前に試験があったようだったので、僕は入ってから4週間テストまで準備というか、学校に慣れる時間があったので気分的にはラッキーでした。あとは授業で使うテキストも3?4ヶ月毎で一周するようですが、僕が入った時は比較的最初の辺りの章からだったので、これもラッキーでした。

最初の1週間くらいは、先生の喋るスピードや授業の雰囲気に本当に戸惑ったものの、しばらくすれば結構我が物顔でクラスに溶け込めました。月曜から金曜までひたすら同じ学校で英語で授業するので、耳も目も心も結構するっと順応していきました。

それでもやっぱり日本人と他の国の人たちとの授業に対するスタンスというか、英語へのアプローチの違いには驚きっぱなしでした。ある週に新しく入ってきたブラジル人が、入ってきて早々先生とペラペラ英語で会話しだして(大抵どこの国の人でも最初は戸惑ったりあわあわしてることが多い気がします)、この人ホントにこのレベルのクラスの人かよと思ったら、いざ授業受けると”nearってどういう意味なの?”と聞かれて絶句したり…。日本人がグラマー一辺倒だと言われる由縁がちょっとわかった気がしました。


僕の勉強法は至ってオーソドックスで、授業でやったこと復習することでした(新たにテキストを別で買って手を広げるとついていけなくなる危険性があると思ったこともあったので)。

前述の通り当時Pre-Interクラスは大所帯のため、僕と同じようなところで蹴っつまづいている日本人が何人かいたため、わからないもの同士聞きあったり、先生や上のクラスの友達に相談したりしてました。中でも僕とおんなじような年齢、入学時期、英語レベルの友達が出来て、いいライバルみたいな存在が見つけられたのも大きかったと思います。その子とはよく一緒に勉強してました。また同期の二人が勉強している一つ上のクラスの内容とかも聞いたりして、情報交換みたいなこともしてました。

SCEは僕の在学中も日本人が比較的多かったですが、アプラッカーはじめおしなべてきちんと勉強したがりな人がほとんどだったので、日本人同士でも英語で会話することが多かったです(正直そうでもないこともありましたが)。日本人が全くいない環境の方がいい、という人もいると思いますが、僕は共に勉強できる似たものがいることで英語を伸ばせたと思っているので、SCEが正解だったかなと思っています。

そんなこんなで、最初のテストで一つ上のInter-mediateに上がれました。テストはスピーキング、リスニング、ライティング、グラマーと幅広くありました。僕はなぜかスピーキングが1番出来ていて、グラマーが散々という結果でした(ちなみに2回目のテストもおんなじかんじでした)。


SCEA(Inter-mediate)



Interに上がってから最初の授業で、早くもヤバイと焦った覚えがあります。クラスが一つ違うだけで全然違う、と。
Pre-Interは結構英語に慣れることが勉強の中心のイメージで、みんなで楽しく、みたいな雰囲気だったのに対して、Interは文法に細かく(といっても基礎的なことですが)チェックが入ったりするなどより勉強のイメージが強くなりました。
例えば、先生が問題を出すときに、Pre-Interでは”この問題わかる人ー?”と聞かれてわかる人が答えるのに対して、Interでは”としひろはこの問題どう思う?”みたいに名指しされ、分かっている・喋れることが前提で話が進んでいくイメージです。話す内容もPre-Interでは単語を投げてみて、相手に連想してもらうようなイメージに対して、Interではちゃんと文章を頭の中で作った上で話さないといけない…というイメージがありました。(あくまで主観ですが)
最初がPre-Interでよかったと個人的にはつくづく思います、多分最初からInterに間違って入ってたら潰れてました(苦笑)

話は逸れますが、学校では自分についてのトピックに触れる機会が多々ある気がします。

どんなことが好きか、とか
今までこんなことをしたことあるか、とか
大学・仕事はなにをしている、等々
英語で話す云々の前に、自分自身大したスキルもないし、大それた野望や夢もないし、
これから自分はどうしたいんだろう、と授業を通して結構この時期悩みました。

自分で言うのもなんですが、広く浅くの人生だったので、色々やって見たいことや興味があることはあるけど、それだけをずっと好きでいられるかと言われるとそうでもないし…。

自分に何が出来るか、と言われるとせいぜいPCで文章作ったり、販売の知識経験がかじる程度あるくらいで、それはしかも日本でしか通用しなくて…もっといろんなところに行っても役に立つことができれば…とその時考えていました。

そんなこんなで悩んでいながらも、授業は当然まっちゃくれないので、置いていかれないようコツコツ勉強はしていました(笑)。Interに上がることを一つのゴールとして考えていた自分だったので、このクラスで卒業するんだろうなーと思っていながら次のテスト(僕が在学中受ける最後のテスト)を迎えたら、なんとUpper-Intermediateに上がれるというのだから驚きました。不安ながら、まぁ断る理由はないなと思い、チャレンジのUpper-Interクラスへ進みました。


SCEB(Upper-Intermediate)



またもやクラスが上がったことでレベルの違いにビビりました。
今度は一つの文章どころか、トピックに対して議論をかわすというか、有る程度思ったことをスラスラっと言えないといけない雰囲気にクラスがありました。

あとは宿題というか自主課題で、毎日1ページ一つのテーマについての自分の意見を書いて提出する、という入った当初では絶対出来ないレベルの課題が出て、その当時でも苦戦しながら書いてました(正直に告白すると、僕は毎日はかけませんでした)。課題は自由でしたが、例えば授業でやったトピックに対して自分がどう思うかとか、自国の風習や文化とかを書いていました(日記はNGでした)。

あとは午後の授業が終わってからSCEでTOEICの対策講座をしてくれる時間があったらしく(この頃にようやく知った)、この頃に通い始めました。新しくテキストを買って勉強する心の余裕がなかった自分にとってみれば結構身になる時間でした。先生がテキストをコピー・配布してくれて、問題を解いた後解説してくれるといういわゆる日本型の授業が久々に受けてました(もちろん授業自体は全部英語ですが)。


Upperに上がった頃に自分の体質トラブルが結構辛く(肌荒れです)、苦しみながら学校へ行けたり行けなかったりでした。結局どうにも辛くて近くの病院にいったのですが、この時変に我慢せずにちゃんとすぐ病院にいって、学校へもっと行けてたらというのは後悔が残ってます。
日本語の通訳がいない病院へなんだかんだあって行くことになったのですが、先生との会話は、この当時でもしどろもどろ。結局Upperに行ったところでまだまだだと変に実感しました。


そんなこともあって結局卒業する頃でもUpperで善戦できず、あわあわしたまま終わってしまいました。でも入った当初はここまで頑張れるとは想像してなかったので、個人的には後悔半分自信半分くらいの気持ちでした。

 右の写真→は、僕の卒業時のアプラッカー何人かと一緒に撮った写真です。吉田さん含め同期4人ともSCEで勉強できて僕は嬉しかったです。


卒業後はもっと海を感じたい!というよくわからない衝動からゴールドコーストに行くことを決めました。


Gold Coast・帰国



ゴールドコーストではシドニー時代ほど苦戦せず、要領をつかんでいたこともあり、3軒目くらいでいいところが見つかりました。
週165ドルで中心部のタワーマンション(オーシャンビュー)でジムプール付というずっと居座りつきたい物件でのびのびしてました。シェアメイトは耳にちょっと障害のあるNZ人でしたが、気さくな良きおじさんでした。オーストラリアにきたらやりたいと思っていた、コアラ抱っことサーフィンも無事ここで出来ました。

ゴールドコーストにいるときはひたすらブラブラしながら、これからどうしようかなーと悩んでました。
半ばバカンス気分でオーストラリアへ来たけど、終われば自分で生計を立てないといけないし、自分が何をしたいか考えてました。

そこで自分で出した候補は調理師と看護師の2つでした。
どっちも手に職をつけられる仕事だし、前者は料理が好きな延長線で出来、後者は対人スキルを培った今までのキャリアが活かせる仕事だと思ったことが理由です。

ちょうどゴールドコーストに遊びに来ていたSCE時代の看護師の友人(SCEは医者看護師のスキルを持つ人が結構いた)に相談して、結果看護師の道を進みことにしました。

オーストラリアの大学で看護を勉強しようと当初は思ったのですが、費用がべらぼうにかかることもあり、日本で看護学校に通うことにしました。看護学校は既卒で入り直す人も多く、返済不要の奨学金が多くあることも決断要因の一つでした。

既卒専用推薦試験が10〜12月にあるとわかり、準備のために帰国し、受かり次第オーストラリアに戻ってくるつもりでふらっと帰国しました。


その後


帰国後はひたすら勉強とバイトでした。

僕の悪い癖かもしれませんが、大抵のことは”まぁなんとかなるだろ”精神で取組んでしまいます。
看護学校の既卒推薦試験は、男子には10倍を超える倍率がザラで、つい2、3ヶ月前に決心した人間にはなかなか難しい試験でした。それでも謎の自信で4校受けたのですが全落ち。正直一つくらいはうかるやろ!くらいの気概でいたので、当時かなり落ち込みました。

結局普通の一般入試を受けるしかなく、数学や国語のテキストを引っ張り出して勉強していました(正直英語だけでなくこれらの教科まで再び勉強するとは思ってもいませんでした)。それでも英語同様、学生時代にはわからなかった勉強の楽しみというか、”この公式はこういういみだったのか!”と新しい発見で意外と嫌いだった数学の面白さみたいなのがいい発見でした。暇がある人は昔の学校の勉強をし直すと結構楽しいと思います(数学に限らず、日本史とか世界史も楽しそうです)。

そして1月に受けた最初の一般試験で無事合格し、4月からは看護学生です。これから3年間また新しい発見に出会いながら勉強していく所存です。

新しいことにチャレンジする楽しさ、勉強をする喜びを改めて思い出させてくれたオーストラリアの短いながら濃厚な旅は、僕にとって大切な思い出かつ人生の岐路でした。




p.s.田村さんの言っていた、100ドル切る生活はオーストラリアでは出来ませんでしたが、この度日本でそうなりました(苦笑)確かに新しい世界が見えてきた気がします…

追加質問


読んでいて湧いてきた追加質問です。これもMUSTではなく、ご興味があれば。

(1)柴田さんって、いわゆる「ワーク&ライフバランス」がメインテーマなのかなって思ってしまったんですけど、合ってますか?
ココ分かりにくいから詳しく書くと、
・第一志望の職場で楽しくやるのだけど、ワークが充実すれば、ライフ(余暇)が圧迫されるということで、あまり惜しげも無くここから離脱している
・看護士という選択も手に職の安定性とか、そういう部分(ワークが安定するとライフとのバランスが取りやすい)
あたりからすると、柴田さんのなかでは、ステイタスとか高収入という要素は世間ほど高くないようです。それよりもちゃんとプライベートライフがあるバランスが大事。多分、ごく自然に生理的にそうなんだと思いますし、それが生理的であるがゆえに満たされないと非常に不満になるという。

さらに別の角度からすると、
・皆に共通するワーホリの潜在的な目的=人間力増強などの修行要素があんまりない。
・プライベートでは、「これじゃあ」というマニアックな部分はなく、バカンス的にのんびりしていれば充実してしまうこと
あたりからすると、柴田さんって、ワークライフバランスがとれていれば、あとはそんなに苦労しなくても人生の帳尻が合ってしまう、納得できるという、最初からすごくバランスが良いところにいるような気がします。逆にいえば、すごーい欠落感があったり、執念みたいなサムシングを抱く必要がなく、自然に充足できるという円満さがあるように思います。 そのあたりはご自分でみてどうでしょうか?


 そうですね、ワーク・ライフ・バランスについては、確かに年収とかよりは重視していると思います。父がいわゆる仕事一辺倒なタイプの人間だったので、それはちょっと自分には無理だなぁとはどこかで思っていました。ただ就職してからこの考えは強くなった気がします、就活の時はそこまで意識していなかったですね。

 あと、それほど「欠落感がない」という点も、確かにその通りだと思います。
人生において、何が何でも手に入れたい!とかやりたい!とか思ったことはほとんどないですね。
置かれた状況や資源を変えるというよりは、自分自身がそれに満足できるよう意識を切り替えることが多いような気がします。


(2)柴田さんって、ハードな場面でビビるわりには苦労に強い、大変な思いをするわりには相変わらず楽天的であるという2つの要素があるように思います。この体験談でも、最初に舐める(^^)→打ちのめされる→しかし頑張って克服ってパターンですよね。

柴田さんがユニークなのは、そこで打ちのめされて苦労しても尾を引かない点です。普通これだけ苦労したら心が折れたり、次回にはもう少し悲観的になったりビビったりしそうなんだけど、それが全然ない。相変わらず舐めているという(^^)。これは学習能力がないのではなく、根っこにすごい自信があるんじゃないんですか?つまり、心情的にはかなりビビるし、大変な想いをするんだけど、「でも、頑張ればなんとかなる」と思ってるし、実際にもなんとかしてきた。だから「舐めている」のは、そのプロセスがもうちょい楽だという見通しレベルであり、結果の成否については舐めて正解というか、ちゃんと合っている。

ここにすごい自信があるからこそ、ワークライフバランスを真正面から捉えられるような気がするのです。普通、しんどいことに耐え切れなくなって自滅したり、しんどいのがイヤだからバランスが崩れていても「しかたがない」と我慢して終わりというパターンになりがちなんだけど、柴田さんはそうならない。バランスさえとれていれば大丈夫さ、バランスを取るのは中々大変なんだけど、まあ出来でしょって、すごーい強い感じがします。そこが強いから、あんまり欠落感もないし、バリアもないんじゃないかなって。このあたりはどうですか?

例えていえば、自分は夏休みの宿題を毎日コツコツやらずに、28日ぐらいから猛ダッシュでスパートをかけて31日までに終わらせるタイプだと思います(ちゃんと間に合わせますw)。いい加減直さなければいけない癖です…

この指摘以前他の方から受けたことがあって、ちょっとびっくりしましたw
その方に言われた言葉を借りれば、僕は事柄に対しての自分の頑張り具合とゴールの見通しがほぼ無意識に判断してから行動しはじめる、と言われたことがあります。アタリをつける、という言い方が正しいのかわかりませんが、そんな感じです。
だからこそ自分の殻を破るのが難しい、と指摘をもらったことを返信している今思い出しました(苦笑)

自分に対する自信というか、
自分ってこんな人間で、こういう感じなんだろうなーという自分の中の自分像みたいなのは結構あると思います。
別にそうじゃなきゃいけない、という目標じゃなくて、現状に対する理解に近いですが。

あとは自分の越えられないラインというか、最低限ここは守りたい!みたいな部分が知らぬうちにあるのかもしれません。結構大抵のことは受け入れますが、前述のワークライフバランスの充実とかはある程度確保しないと自分的に嫌だな、とわかっていたり。その線を超えない限りはなんでも楽しみますね。

今回のワーホリの旅は自分の人生経験の範疇外だったのか、本当に見通しがうまくたたなかったです…多分><


(3)これは答えにくいと思いますが、「なんであなたはそうなの?」という。
この特質は、どっちかというと日本人よりもオーストラリア人の特性に近いです。生理的に自分の気持ちよさにだけこだわり、絶対的な自信が内部にあり、だからこそ大抵のことは"should be OK"って舐めるんだけど、それで大変な想いをするんだけど、でもなんとかガッツでやってしまう。やってしまったあとは、またいつもの調子にもどって"should be OK"といっている。およそ無駄に悲観的になることがないという。なぜあなたはこんなにも?という。


うーん難しいです(汗)
前述の自分に対する理解と、自分の中にある出来ること出来ないこと、あるいはチャレンジすれば出来ること出来ないことの想定みたいなものが無意識にわかっていて、出来ないこと(やりたくないこと)は避けているのかもしれません。

そういうことをしているからなのか、僕は人生で大きな失敗ってしたことないんですよね。
大学は一番行きたいところにはいけなかったけど、それでも”ここならいいかな”と思うところにいけたし、それ以外は大体自分の願望通りになっているんです(自分で言っていて恥ずかしい話ですが)。自分の身の丈にあった目標や夢しか持っていないのかもしれません。

だからこそ、自分のチャレンジすることは自分の身の丈にあっていると想定しているから、(過去の経験から)多分大丈夫と思うのかもしれません。

…答えはこれじゃ無い気がしますが、考えてもこんなのしか浮かばなかったです…なんか嫌なやつです。

(4)お友達の古橋さんとはかなり趣きが違うんですけど、また違うからこそ波長があうんだろうなって気もするのですが、あなたからみて古橋さんの存在、あるいは「友達ってなに?」って一般論でもあるのですが、なんなんでしょうね? つまり、友達が出来ない、いない、どうやって作ればいいのかわからないという人にとっては、つかず離れずで、一緒にいるけど独立独歩で、理解はするけど悪い意味での影響はされないって感じはかなり理想に近いような気がするのですが、やってる当事者としてはどんな感じですか?

僕の出来る友達は、みんなどこか自分に似ている気がします。年齢や職業や、出身地や趣味や、性格的な面とか等々。でも当然だけど自分と同じ人はいないわけで。

だから僕の考える友達は”自分と似ているけど、自分の違う可能性を示してくれる人”な気がします。
一部では共感や安心を与えてくれて、また違う部分では発見や驚きをもらったり…。

そういう意味では古橋君は似過ぎず違い過ぎないので、僕はいい刺激をもらってますね。

友達が出来ない人、いない人は、
相手と自分が似ているところと似ていないところ(かついいなと思うところ)を見つけるのがいいかもれしません。

ありがとうございました!
お書きいただいたことから何となく想像したのですが、柴田さんってアンダー・コントロールでいたい人、自分の生活や人生をコントロール可能な範囲に収めておきたいって部分が強いように感じました。その意味でいえば、オーバーコントロールの部分に願望を持たないから、どなたかから指摘されたように「殻を破れないリスク」もあるかもしれません。

ほんでも、せっかく楽しく働いている百貨店の仕事をブッチしてオーストラリアに行ってるわけですから、コントロール可能な範囲内で全てを済ませようとしているわけでもないですよね?というか、コントロールできないなら諦めるのではなく、コントロール出来るように範囲を広げていこうとされてます。オーストラリアにやってきて、英語力でしんどい想いをしてオーバーコントロールになるのだけど、だからそこで諦めるのではなく、地道に勉強を続けて上にあがっていく。アンダー・コントロールにしていこうとする。お仕事も、将来的にワーク・ライフ・バランスがヤバくなりそう、コントロールできなくなりそうだからこそ、抜本的な手をうとうとしている。

つまりコントロール可能なボーダーラインが不変のものとしてガン!と存在しているのではなく、必要に応じて随時広げようとするし、広げるための冒険や努力は幾らでもやるんじゃないですか? そして、自分が納得いく範囲をコントロールしたいってのは、自分らしく生きていきたいってことと同義でしょう。その意味でいえば、十分に殻を破っているような気もします。

ただ柴田さんはその見極めがメチャクチャ上手いから、妙に醒めているかのように見えるだけじゃないかな。夏休みの宿題も28日くらいからやるわけで、31日になってから絶望的にやり始めるわけではないのでしょう?「ここからなら間に合う」というボーダーを冷静に弾きだしてますよね。そこはすごいクールなんだけど、だけど(というか「だからこそ」)実際やってることは結構過激なんですよ(^^)。せっかくの仕事もポンと放り出すわ、いきなりオーストラリアに行くわ、でもワーホリ定食みたいな「これをやらなきゃ」ってドグマに一切縛られてなく、看護士という方向性が見つかったら速攻で動くし、それが意外に難しくても諦めようとしないし。つまりギリギリまで冷静に見極められるから、そこまではなんとしてもモノにするし、実際に出来てしまう。

一貫しているのは、「"何となく"やってない」ってことです。ワーホリだったら何となくこうやって〜、このレベルの企業に入ったら何となくこういう人生で〜って、その立場に置かれたら何となく誰でもやってしまうようなルートに乗ってない。常に目的指向性というか、何のために何をやるかという目的・手段性がある。それはすなわち、自分の人生を気持ちよく操縦したい、なれるような状況を組み上げたいって一点であり、そこだけは絶対ブレてないですよね。僕はそう思いましたけど。


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