1. Home
  2. 語学学校研究
  3. ワーホリの部屋
  4. 体験談
  5. 宮崎さんのワーホリ体験談
2014年04月22日


宮崎さんのワーホリ後の体験記

 大阪新婚〜ケニア転勤・出産・テロ帰国〜そして〜


田村さんお久しぶりです。2011年1月〜5月までAUSにいました。
先日、たまたま行った近所の小児科で、田村さんのような先生に出会い、どうされているかなと思い、久しぶりにアプラックのHPを見ました。お元気そうで何よりです。

その先生、本当に田村さんみたいなんです。上手く説明できないのですが、いい先生です。
裏表がないどころか、ガンガン言いたいこと言うかんじで、でも愛情がすごくあって。
いいところに越してきたな〜っておもいました。
私はずいぶん状況も環境も変わりました。が、いたって元気です!!風邪知らずw

オーストラリアから帰国し、今の主人の転勤で大阪へ住みました。
田村さんから言われていたとおり!大阪は神奈川とは大違い。
同じ日本でもこんなに違うのか!!と思うことがたくさんあり、本当にいい経験になりました。

ネイリストはすっぱりと辞め、簿記や英文会計の勉強をしながら会計事務所でパートしていました。職場では人に恵まれ、今大阪へ行っても飲みに行こう!と誘いたくなる先輩たちにたくさん出会いました。


大阪へ住んで1年半が経った2012年夏、主人がケニアへの転勤が決まりました。
まさか自分たちがアフリカに住むとは思いもせず、びっくりでした。
「一生のうちで2度はいけないかもしれないから今行っとこう!」という理由で新婚旅行でタンザニアへ行ったのですが、そこから1年も経たずにです。

11月、主人は先にケニアへ発ち、私は1か月後に発つ予定でしたが妊娠発覚。
それと同時につわりでとてもじゃないけど飛行機なんて乗れない状況になり延期。
結局、実家でしばらく過ごし、安定期に入ってからケニアへ行きました。去年7月にケニアで娘を出産しました。

しかし、9月にテロ。
毎週末通っていたショッピングモールでアルシャバーブ系の人たちがテロを起こし、何十人もの人が亡くなりました。
ナイロビで、唯一、安全だと思っていた場所でした。ここなら一人でも歩けると思えるほど、普段は明るくて、外国人が安心して買い物していました。

私たちは、幸い、日本から友達が来ていたので、その週末はテロが起きたモールへは行かず、別のモールへ行っていて巻き込まれずにすみました。
でも、家からも近かったので、火災の煙も、銃声も生々しく聞こえ、本当に怖かったです。
言葉で表現するのが難しい気持ちになりました。数週間前、夕飯をテイクアウトしたバーガーショップでは散弾銃乱射に巻き込まれ亡くなった人が血だらけで倒れている写真、毎週末、食料品を買っていたスーパーの入り口でも血まみれの死体、赤ちゃんを抱えて逃げ走る人、私が毎週楽しみにしてたコーヒーショップのケーキのショーケースの前のまさに私がいつも立ってケーキを選んでいたところには完全武装した軍人が銃を構えて這っている姿。

ケニアで出産すること、家族には大反対されて、友達にも反対されて、でも私は家族(主人と私と子供)がバラバラに暮らすことほど不自然なことはないと思っていて、家族を説得してケニアに行ったのですが、あまりの状況に、私は間違った選択をしたんじゃないかと、子供のことをちゃんと考えていなかったんじゃないかとこの時だけは初めて自分の選択を責めたかもしれません。

テロせいで、緊急帰国。
主人はまたケニアへ戻る予定でしたが、行かなくていいことになり、今は川崎に住んでいます。


結局、私がケニアにいたのは半年くらいでしたが、主人のオフィスで経理の手伝いということでケニア人たちと働いたり、いろんな経験ができました。

転勤が決まったとき、たとえアフリカでも私はやっていけると思っていましたが、今は、2度とアフリカには住みたくないと思っていて、主人にもアフリカに転勤だけは避けてほしいとお願いしています笑
ケニアがなぜ発展が遅れているのか、肌で感じられましたw



でもその全てがオーストラリアに行ったことと繋がっている気がしました。

あのとき、一人で初めてシェア先に家を見せてもらいに行った日のこと、今でも鮮明に覚えています。

今もたいして成長がありませんが、それ以上に英語も分からなかったのに、よくバイトしたり、ネットの契約したりできたなと。本当にいい経験をさせてもらったと思うし、今回ケニアで出産するにあたり、家族には猛反対されましたが、私は全く迷いませんでした。

もともと、妊娠を望んでいたし、ケニアに転勤が決まるかもしれないと主人に相談された時点で、私はケニアの出産事情を調べまくり、日本人が何人も無事に出産していることを知り、それならケニアでもいいやと思っていました。さすがに前例がない国だったら日本で産んだかもしれませんが。。

いろんなところで、日本のよさを再確認したし、日本の遅れも感じたり。

でも今は無事に帰国できて、どれもいい経験だったと思えることばかりなのでよかったです!

今後もまたチャンスがあれば海外赴任したいと主人は言っているし、私自身もまだもう少し海外に住みたいなと思うので行けたらいいなと思います。

私には海外は合わないなといつも思うんです。
オーストラリアに住んだときも、今回も。
根っからの日本人だなってあきれるくらいです。

でも楽しい。
自分でも不思議です。
決して居心地はいいどころか、下手な英語が伝わらなくて、もどかしかったり、恥ずかしい思いもたくさんするし、話すのイヤになっちゃったりするし、全然ガンガン行けないことたくさんあるんです。

でも、たぶん、私なりにいろんなものの見え方が広がっていって、いろんな考え方を知ったり、今の自分にないものを見ること感じることがすごく新鮮で。


オーストラリアは一人ぼっちですーーーーーごく孤独だったんですけど、ケニアは全然そういう孤独感がなくて。
自分のことをよくわかってくれている人が一人同じ空間にいるだけでこんなにも海外生活って違うんだっていうこともよく分かって。

オーストラリアでの経験があったから主人がいる海外生活のありがたみを感じられたんだと思います。
オーストラリアに行ってなかったらきっとケニアの生活はつらかったと思うけど、治安以外に辛いことはほとんどなくて。

本当にオーストラリアでのああいう生活を経験するきっかけをくれた田村さんと出会えてよかったです。
田村さんに出会ってなかったら、私は自分で自分の足で家を探そうなんて考えもしなかったと思います。

なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが近況報告でした。
田村さん、お身体大切にこれからも頑張ってください!HPちょこちょこ覗かせてもらいますね〜(*^_^*)




宮崎さん おひさしぶりです。
メールありがとうございました。

あれから沢山いろいろなことがあったのですね〜。でも、それぞれに一本の線でつながっていて、それが興味深いし、何かの「解」になるような気もします。

宮崎さんの中にある「居心地のよい環境でぬくぬくする幸福」というベクトルと、「知らないことに触れて自分が広がっていくのが楽しい」という、ともすれば、というかしょっちゅう相反する二つの方向性。あれだけ大変だったのに、ツライのに、でも良かったと思えてしまうという。

おそらくは宮崎さんにはその二つの栄養分が必要なのでしょうね。
そして、その矛盾する二つを統合する「かすがい」みたいなものが、大切な旦那様なんじゃないかなって思いました。特にケニアとオーストラリアでの比較論でご自身も書いてらっしゃいますが。

でも、振り返ってみると、大阪行ったり、会計やったり、ケニア行ったりしてるわけですが、大抵のことは消化できちゃってるのですね。それが凄いな〜と。ワーホリで得てきたことを、まだ「種」のような存在だった学びを、以後これだけ伸ばしているんだと素直に感動しました。

さて、これだけの内容の濃いものですので、お書きになった体験談の後日談に付記しましょうか?
皆にも参考になると思います。ケニア論がどうのというのではなく、何をどうしても結局は全部つながっていくんだってところが意味深で、栄養分豊かなので。




田村さん
返信ありがとうございます。
田村さんに、「相反する二つの栄養素が必要なんですね」と言ってもらって、あぁ!そうだ!正反対のことだけど両方が自分には必要。それでいいんだと思えたような気がします。

AUSに行くと決めたときから、私はもっと海外の文化や生活にガンガン切りこんでいかなくちゃだめだし、それができなきゃ海外では絶対にやっていけないからそれができるようにならなきゃだめだと思ってきました。今も、どこかではそれを思っています。

自分なりには攻めたつもりだったAUSでの生活だったけれど、攻め続けることにやっぱりキツさも感じていて。
正直、AUSから日本へ帰るときにはAUSに未練は一切なく、日本に帰ったときの安心感といったらなかったです。
でも不思議なことに、半年後にはあんなにきつかった海外での生活をもう一度チャレンジしたいと思う自分がいて、AUSでの辛かったことも全てひっくるめて、とにかくおもしろかったと思っていて。

ケニアでも、自分が理想とする攻め方はあまりできていなくて。いやになることもたくさんありました。
でも今すでに、もう一度海外に出たいと思っていて。

そんな矛盾はいけないような気がしていたけど、私はそういう人間なんだと田村さんが書いてくれたメールを読んでいたらすんなり思えました。

ケニアで、治安以外に辛いと思うことがなかったのはたぶん、期間限定の生活だったからだと思います。
主人の赴任の任期は2年でした。ケニアって、もし自分たちが住んでみたいと思っても簡単には住める場所じゃない気がして。会社がそういう機会をくれて、私なんて自分は何もしてないのにタナボタラッキーでそんなチャンスをもらって。会社のいろんなバックアップのおかげでできる生活だと思うと、本当に貴重な時間だと思いました。

ほぼ毎日停電するし、水も3日に1回は止まるし、そもそも水道水が茶色いし、食べるものはまずいし、ケニア人はあり得ないくらいテキトーで、信じられないくらい無責任で、ひくぐらい簡単な作業もできなくて、うんざりすることだらけでした。

でも、私が主人のオフィスで働けたのも、主人の会社が商社みたいな大手企業ではなく、初めての海外支社で、ケニアなんて行きたいっていう人もあまりおらずw、いろんな状況が重なって、これまた私にとっては超ラッキーなことでした。日本で普通に働きたいと言っても、私の経歴ではまず雇ってもらえないと思うので。

会社も初めての海外ということもあり、手探り的な部分もかなりあったので、私は主人に文句を言いまくっていましたが、それでもやっぱりこのチャンスをくれたことには感謝していたし、ケニアでのどんな経験も「期間限定の生活」であるならば本当に貴重な時間だと思いました。

それくらい、日本の生活とは違ったし、理解に苦しむこともたくさんありました。



でも同じ地球。
それってすごくないですか?

それを自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じること。
これが私にとってはたぶん、一番興味深いことなんだと思います。

地球を自分で感じることほど幸せなことってないなと。

それに、辛いことも、イヤなことも、文句も泣きごとも、ノーストレスで日本語で聞いてくれる人が物理的に近くにいるわけですから、ある程度それで発散できちゃいますし。

どんなに技術が発展しても、映像や音声だけでは物理的な距離って埋められないなーとつくづく思います。

帰国のとき、大韓航空で帰ってきたんですが、機内食で出た「サトウのごはん」みたいなパックの白米を食べたとき、あまりにもおいしくて感動しました。白米の味であんなに感動できるのは途上国に住んだからこそだと思うんです。そういう小さいことも私にはすごく楽しくて。


ちなみに私が人生で一番おいしかったと思うビールの味は、AUSでシェア探しに行った1日目の夜に、田村さんが出してくださったビールです。あの味は一生忘れないと思います。

体験談の後日談の件、お役にたつことがあればぜひ使ってください。

ではお元気で!!




★→宮崎さんのワーホリ体験談
★→留学・ワーホリ体験談の目次に戻る
★→語学学校研究へ行く
★→ワーホリの部屋に行く
★→一括パック現地サポートを見てみる
★→APLaCのトップに戻る


APLaC/Sydney(シドニー多元生活文化研究会)


4/180 Bridge Rd, Glebe, NSW 2037 Australia
TEL : +61-466-980-743

APLaC(アプラック)は、オーストラリア現地(シドニー)に拠点を構えて、移住・留学・ワーキングホリデー等についての現地情報・無料相談・学校紹介を行っているエージェントです。
tamura@aplac.net




禁無断転載/(但しリンクはフリーにどうぞ!)
Copyright 1996- APLAC.
No reproduction or republication unless Copyright law allows.