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2016年03月


三谷和葉さんのワーホリ体験記



はじめに


1年間のワーホリを終えて、日本に帰国。1年前と大きく違う自分がいる。
全く違う景色が見えている。
自分がこんなに変わるとは思ってもみなかった。
早くオーストラリアに戻りたい。

ワーホリに行く前の私は、漠然と自信がなくて、それによる支障を生活にきたしていた。自分の気持ちや意見を上手く表現出来ず、自分を抑えていることが多かった。仕事をしている時は常にその状態で、それがプライベートにも及ぶようにもなった。
どうやって自分を表現するのかも分からなかった。

そんな自分を変えるため渡豪を決めた、という訳ではなく、上記のことはオーストラリアに来てしばらく経ってから、段々自分の中でクリアになったことであり、渡豪前は自分がどんな状態なのかも分かっていなかったし、分かろうともしていなかった。それが普通だと思っていた。

ワーホリ中は「自信がない→おどおどして、弱そうに見える→周りからなめられる」このスパイラルをことある事に関連付けて考えていた。


シドニー時代

シェア探し

始めて4日目位で、だらけてしまったところに田村さんからフェリーでマンリーまで行って気分転換して来たらとアドバイスがあり、更にナンパ部屋を見て社会勉強して来たら?というアドバイスがあり、なんとかシェア探しを続けることが出来た。

シェア移動時、自信と不安がないまぜに


初めてのシェアはロシア人のお母さんと息子3人というホームステイのような関係だった。ラウンドに出るまでの3カ月をこの家族と一緒に過ごした。

息子らは10歳、5歳、3歳で、私は特に子供好きという訳でもなかったが、この家族は出かける時は毎回私を誘ってくれて、私も毎回ついていっていたので、毎週のように一緒にビーチに行ったり、ホームパーティーをしたりして過ごすうちに、彼らのことが大好きになった。

ラーナの息子 アレックス、ニック、エディ


週に1回はお母さんのラーナが外出するため、その間は3人の息子のベビーシッターをする契約になっていた。
その時間が本当に楽しくて、この家族のもとを去るのは少し辛かった。

日本では約10年間ずっと1人暮らしをしていて、1人が快適で、他人と暮らすなんて煩わしいと思っていた。今では1人で暮らすのはつまらないとさえ思うようになった。

ラーナファミリーとルナパーク


同じマンションに住む、日本人の家族にも良くしてもらった。
そこのお母さんの誘いで小学校の行事に参加させてもらった。
ハーモニーデーという行事で、お互いの国の文化を理解し、仲良くしようという主旨のもと、児童の親達が自分の国の文化を児童に紹介するといういかにも多国籍なオーストラリアらしいものだった。
私は日本人のお母さんチームに入れてもらった。午前中は折り紙の折り方を1年生に教えるので、その保助をするのが私の役割だったが、せっかくだから発表もしてみれば?英語は度胸よ!度胸をつけるいいチャンスよ!とお母さんに言われ、5年生のクラスの前で発表することになった。
渋谷のスクランブル交差点について1分くらい説明するのを3クラスでやっただけだったが、これは実際、度胸をつけるのに役立ったと思う。後日、ラーナに、ハーモニーデー以来、カズハは英語が上手くなったと言ってもらえたのだ。この現象はその後、時々おとずれた。

語学学校で知り合った飲み仲間

1週間ホリデーを取って、エアーズロックのキャンプツアーに出かけた後、学校の先生に声が大きくなった!ホリデーを取って良かったね!と言われたことがあった。キャンプツアー中に他のツアー客と話す機会が沢山あったからだと思う。それまで英語を話すのはラーナ家族と学校の先生と友達だけだったので、ツアー客との会話は良い刺激になった。

アルバイト〜飲食店トラウマ

ジャパレス探しを開始して、2軒に面接してもらったが、雇ってもらえず、焦っていたところ3軒目でラーメン屋で働けることになった。面接時に、元気ないなぁ、大丈夫?と言われて、大丈夫です!と答えたが、自分には合わなそうな職場かもと思いながらも、店主は悪い人ではなさそうだったので働いてみることにしたのだ。

予想通り、このお店は合わず日に日に出勤するのが嫌になっていく。奥さんから毎日怒られ、ある日は、なんでそんなに自信がなさそうにするの?もっと堂々としなさいと言われた。1番気にしていたことを突かれ、悔しくなる。元々、飲食店で働くことには苦手意識があり、やっぱり私にはこの仕事は向いてないと思うようになった。でも、奥さんは言っていることは毎回正しくて、ここで継続した方が絶対にいいと私は思い込み、辞めるという選択肢は正解ではないように思っていた。

しかし、田村さんには、すぐに辞めて他を探すようにアドバイスされ、実際辞めた。でも次は探さなかった。ラウンドに出るまでは何かと理由をつけて忙しいことにしていた。これが心残りとなり、ラウンドからシドニーに戻った後は速攻ジャパレスを探して働くことになるのであったが。

この頃の相談メール
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ラウンド

学校を5週間残してラウンドに出ることにした。前述の度胸のつけ方を知り、ラウンドはその宝庫に思えて早く行きたくなった。加えて学校生活もあまり楽しめず、このまま学校に通い続ける集中力もないように思ったからだ。

行き先はパースにした。最終目的地は暖かそうなブルームと決めていた。いきなりファーム探しや仕事探しをする勇気はなかったので、とりあえずはウーフでもしてみようと思い、シドニーにいる間に一軒予約しておいた.

マザーにラウンドに行くことを告げる。ウーフをしてみたい。
最初はなんでラウンドに出るのか理解してもらえず、私がここの生活が嫌いになったからと受け取ったようで、どうしてどうして?と毎日聞いてきた。もっと色んなものがみたい、色んな人のことが知りたい。日本で薬剤師として働いていたとき、患者さんの中には農家の人が沢山いた。だから農家の人たちの生活をもっと理解したい。そうすれば患者さんのことをより深く理解出来ると思っている。だから行くんだ。と説明したら、分かってくれた。

ウーフ1軒目 ギルダートン

ハーブファームとハーブクリニックを経営しており、お客さんの話を聞き、相談にのり、その人にあったハーブを調合しているという。
薬剤師として非常に興味深く、初日はクリニックの掃除を命じられたため、お客さんとのやり取りを聞きながら仕事が出来た。ここにいれば、ハーブのことも学べそう、これはこれから楽しみだなぁと思っていたら、その日のうちに別の場所に移動。
実はゲストハウスの経営もしているということで、ウーファーはそのメンテナンスが主な仕事のようだ。

ウーフ ベリンダのゲストハウス

ここでの学び2つ

1つ目:どんな人でも受け入れる懐の深さ
ホストはベリンダという女性。
ウーファーの中に彼女の友達、ジンボというおじさんがいた。もう何年もベリンダと一緒にいるのだそうだ。
彼はビールとマリファナが大好きで、時々、天使が見えるとか、急に怒り出したり、夜中にトランペットを吹いたり。。
朝起きるとキッチンがパンくずまみれになっていたり。
ベリンダはジンボと毎日本気でケンカしていた。ジンボが家出したことも何度かあったが、結局帰ってきていた。

ジンボはなんか少年みたいだった。楽しそう。きれいな花を見つけたらつんでくるし。いつもゲラゲラ笑っていた。器用で何でも出来る。

その他にベリンダの甥っ子、ジョシュも住んでいた。彼は仮出所中の身で、実の親からは見放されていたため、ベリンダが彼をおいてあげていた。

彼らとベリンダは毎日のように本気でケンカしていたけれど、いつの間にか仲直りしていて仲良く暮らしていた。
本気のケンカってあんまりしたことないし、ケンカした場合は関係を修復せずに終わってしまうことが多かった私。にとって全然違う人間関係。ドラマのような世界がそこにはあった。

こんな人達を受け入れて一緒に生活している人もいるんだな。更には私達、ウーファーを5人も受け入れている。
そんなベリンダと毎日一緒に生活することによって、人との繋がり、人と一緒に暮らすということを肌で感じた。

2つ目:童心に帰る。
ここでの仕事はどれも簡単な作業だった。毎日違う仕事というか雑用。
小さな家庭菜園の種まき、水やり、アート作品の制作、ベッドメイキング、掃除、マッサージ、日曜大工などなど。
暇な時間は他のウーファーと遊んでいた。特に夜が暇過ぎた。なのでトランプマジックやギター、英語の歌の練習を皆でしていた。
他のウーファーの子とお互いの悩みについて話したり。その子が、ウーフは私にとってセラピーみたいなものかも、と言っていた。同感だ。私にとっても正にセラピーだと思った。ウーフを続けたい。

皆んなでネコをかわいがった。
母の日にフラワーアレンジメントをベリンダに渡そうということになり、夜中に花探しをしてトレジャーハント気分を味わう。
少年みたいなジンボがいる。
そんな生活をしていて、自分が小学生だった頃のことを度々思い出した。自分は、1人で黙々と作業するのが好きで美術や音楽の授業が好きだった。そんなことを大人になってからは忘れていた

3週間過ごしたのち、別のウーフ先に行くことを決める。
実はここのウーファーは私の他に日本人が2人もいた。日本人3人同じ部屋で仲良く居心地は良かったが、英語の面で2人を頼りすぎていた。
正直、ベリンダとかジンボの言ってることが聴き取れないことが多く、日本人の子に通訳してもらうことが多かった。翌週、更に日本人が来ると聞いたので日本人ばかりな環境は英語が伸びないと思い、私は出ることにした。

ウーフ2軒目〜Donnyblookのアップルファーム

日本人以外のウーファーが何人かいる環境がいい、更にパースの南側も見てみたいと思い、リストからそれらしいファームに何軒かメールを送ったところ2軒から返事が来たので、その内の一軒に行くことにした。


ラッキーなことにウーファーは全員ヨーロピアンだった。仕事は中々ハードなガーデニングと、ハードではない量のアップルピッキング、りんご狩りに来た観光客を案内すること。
観光客はマレーシア人やフィリピン人が多かった。


得たことその1〜過度に遠慮しないこと

いざヨーロピアンのみの環境を目の前に最初はびびったが、いやいや折角のチャンスと思い、とにかく話しかけた。英語が上手くないため、何の脈絡もない質問を突然したり、折角答えてくれても、それに対して上手く返せないことは多々あった。

これは聞かない方がいいかな?とか、これ以上は掘り下げない方がいいかな?とか考えることなく、
思いついたことを聞いてみた。
自分の思ったことを口に出してみた。
けれど、それでも段々仲良くなれた。
そこで思ったのは、こんなんでもいいんだー


日本にいたころ、いつからか人と話す時、遠慮してしまう癖がついていた。職場の人間関係が複雑な時期があり、そこで私は自分を封印することにしてしまった。そうしていると、しまいにはプライベートでもそうなってしまって自分の本当の気持ちが言えなくなってしまった。色々溜め込んで性格も歪んでいたと思う。

ここで生活して、これを解決する糸口が見えた気がしたのだ。

得たことその2〜失敗を恐れないこと

ここで私は毎日ミスを連発していた。
ピッキングするりんごの品種を間違えたり、ニワトリを逃がしてしまったり、その他多々。

オーナーには基本的に毎日怒られていたが、他のウーファー仲間、特にフランス人のジェレミーが常に励ましてくれたり、私の失敗を笑い飛ばしてくれた。お陰で、ここでは失敗をおそれずに何でも出来たと思う。オーナーも失敗を恐れず挑戦したことについては凄く褒めてくれた。

おまけ〜車ゲット

このファームに滞在中に車を買った。他のファームから働きに来ていた女の子が近々車を売るという。試しに見せてもらったら中はキレイだし、小ぶりだし、走行距離もそこまで長くない(150000km)。車を買うつもりなどなかったのだが、ここの他のウーファーはみんな車を持っていて車の良さを熱弁していた。この後はブルームまで旅しようと思っていたし、ウエストコーストで行ってみたい所が沢山あったので、車があった方が便利だと思い、即決。
ラッキーな出会いだった。

購入したいMITSUBISHIミラージュ


このファームの後、パースに1週間程滞在し1軒目のウーフ仲間とロットネストアイランドやウェーブロックへ観光に出かけたり、カウチサーフィンしたり。

ウーフ3軒目:ジュリアンベイ

野生動物の保護
主に野生のカンガルーの保護をしているファーム。

オーナー:ケン
元銀行員。銀行員を辞めて、世界一周の旅に出る。その後、不動産会社を設立。数年後に会社を売り、現在のファームを購入したとのこと。ファームを買うのは昔からの夢だったそう。今でも1年に1回は海外に旅に出る。ケンは元々はファームの知識はないから、友達の助けを借りてここまで来たとのこと。
かっこいい50歳。

ウーフ ケン

ステファン
ケンの幼なじみのウーファー。自閉症。母親が亡くなって以来、ケンのファームに滞在している。ケンの理解者。先読みして仕事を終わらせている。私がやることは何でも褒めてくれた。

ステファニー
ケンの娘19歳。明るくフレンドリーな性格で仲良くしてくれた。一緒に買い物に行ったり、恋バナしたり。
私が毎日同じような服ばかり着ていたので、不敏に思ったのか沢山洋服をくれた笑

ここでの生活は、あまり悩むこともなく1週間穏やかに過ごしていたので、居心地はいいけど、物足りなく感じた。次のウーフ先に移ろうかと迷っていた。

でも、ここの家族、特にケンともっと色々話したいと思ったので更に1週間延長したら、色々なハプニングがあり、それをきっかけにケンとより深い話が出来たので、 自分の1つの決断で経験することが大きく変わるということを身をもって体験した。

滞在中はファームステイに何組かゲストが来て、みんなで火を囲んでしゃべったり。楽しかった。

こういうのを楽しめるようになったのはこの頃から。以前は大人数で何かするのが苦手で、あまり楽しめなかったのだが。

毎日、手作りのビールを飲んで、ご飯もモリモリ食べたので太った。


4軒目

ジェラルトン
シープ&シトラスファーム

ケイト&デイブ夫妻が営む、今までで1番大きなファーム。
着いた時点ではウーファーは私1人。基本的な仕事はシトラスのピッキングとパッキングで、私1人。

着いて3日後、夫婦がパースに外出しなければらなくなり、彼らの友人のアボリジニのジミーがお手伝いに来てくれて、彼と3日間2人で過ごすことになった。一緒に羊の世話をしたり、マーケットにシトラスを売りに行ったり、テラスでビールを飲みながらくつろいだりして過ごした。最後の日には、別れ際に泣いてくれた。

WWOOF ケイト&デイブファーム
WWOOF マーケットにてフルーツを売る


その後、日本人のNちゃん、しばらくしてスイス人のメリカがウーファーとして加わった。

日本人の女の子は明るくて英語もかなり喋れて凄く自信があるように見えた。Nちゃんが入ってきたことにより、家がNちゃんのムードに変わった。スイス人の女性が入った日もNちゃん主導で動いていく。そこで今までの私ならいじけていたように思う。実際、いじける予感がしていた。でもこの時は、私は自分のペースを守り、自分の考えは言うようにした。そしてNちゃんに対する変な意識も消えていく。

むしろ、私の主導というか、家は私のムードであった。ケイトのバースデーパーティーは誰よりも楽しんだし、Nちゃんやメリカともすごく仲良くなった。メリカとはその後ブルームで再会した。ケイトとデイブファームの皆んなはその後元気だった?とメリカに聞いたら、うん、皆んなあなたのことが好きだったよ。と言われ、凄く嬉しかった。

メリカと


自分が変わってきた気がした。

このままウーフを続けようかとも思ったが、そろそろ仕事をしてみたいと思うようになった。また、オーペアもやってみたくなった。ウーフで色んな家の家事をこなしてきたし、シドニーでのベビーシッターも楽しかったので、オーペアに挑戦してみたくなったのだ。
そんな訳で、今後はブルームで仕事を探そうと思った。

ウーフ 敷地内の道路
ウーフ 敷地内のカンガルー


この時点でのメール(26 Jun 2015)
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ブルームまでの旅

ブルームまでの道のりには行ってみたいところが沢山あり、観光しながら移動しようと思った。

カウチサーフィン

とりあえずカウチサーフィンをしながら1人旅。
1人のカウチホストの生活が、この頃の私にとっては実におしゃれだった。彼は海が好きで真珠ファームで働いており、大きな倉庫の中に、自分の家を建て、倉庫には水槽とかボートとか、ビリヤード台とかが置かれていた。

私が到着した日は、ちょうどカニが採れたといって、新鮮なカニを使って寿司ロールを作ってくれた。彼の友人が遊びに来たときは車から音楽をガンガンにかけて、倉庫のビリヤード台で遊び、手作りの巨大ジェンガをやりながら誰かが負けるまでビールを飲んだ。もちろん友人が帰る頃には車のバッテリーは上がっていた。

リフトとブチ切れ

その頃、私はガムツリーでブルームまでのリフトの広告を出していた。
カナーボンに到着した日、ちょうどカナーボンに今居て、リフトしたいという人達からメールが来たので、会うことになった。

イングランド人の男性2人組。会ってから知ったのだが、彼らは2人とも耳が殆ど聞こえない。基本的に手話で会話をしていた。私は手話は出来ないので、筆談する必要があった。2人で世界一周しているのだという。オーストラリアに着いてすぐに車を購入したのだが、2日後に壊れて廃車になってしまったのだそうだ。キャンプしてお金を節約してブルームまで行きたい、ブルームまでは私が行きたいところに立ち寄っていいと言ってくれた。キャンプも面白そうだなと思い、テントを購入して翌日出発した。

初日、今思えばこの初日に起こった事がのちの旅に影響することになる。
まずはジェティに行くことになった。しかし、ジェティが不発だった。というのも完全な引潮の時間帯だったため、全く綺麗ではなかったのだ。

引き潮のジェティ

その後、コーラルベイに直行するかケネディレンジ国立公園に行くか迷ったが、せっかくだからケネディにも行きたいという私の希望でカナーボンから片道2時間のケネディまで行った。のだが、実はケネディ国立公園内では最短コースは4WDが必要で、私の車で私達が見たいところまで行って帰ってくるには更に2,3日必要なことが分かり、結局諦めることになった。なので、何も見ずにカナーボンまで帰ることになってしまった。

その後、コーラルベイに着いたのは夕方だったので、翌日に海で遊ぼうということになったのだが、前日の穏やかな天気と打って変わって、強風で寒く海で遊ぶのも断念した。2人は国立公園へは4WDが必要不可欠というイメージが付いたようで、1番私が行きたかったカリジニ国立公園へ行くことも反対されることになる。そして出来るだけ早くブルームに行きたいと言い出すようになり、初日の罪悪感から私は折れるようになり、色々我慢して旅をすすめた。

その結果、ブルームに到着する前日に私は彼らにブチ切れ、ブルームに着いて速攻、私たちは解散した。

ブチ切れた場所 80マイルビーチ

この頃のメール(Jul 2015)

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ブルーム編

ブルームに到着して、早速ケーブルビーチで泳いだ。気持ち良い。
夕方にもう一度行くと、あの有名なラクダが歩いている光景。優雅な時間。サンセットはもちろんきれい。
ブルームのクラフトビール Matso'sのジンジャーbeerを飲んでみる。美味しい!しばらくここに居たい!

次の日から飲食店にレジュメを配り始める。
片っ端から配るしかないと分かっていたが、店の前で躊躇してしまい、結局配りきれなかった。それでも、その後は何とかほとんどのリゾートホテルに行き、レジュメを受け取ってもらった。
並行してシェア探しもした。シェア探しで仕事の情報ももらえるかもと思い、シェアが決まってからもしばらくインスペクションには行ってみた。

日本語教師

街をぶらついているところに日本語の1枚の張り紙を見つけた。
「日本語を教えて下さい。助けて」
ちょっと怪しいと思いながらも仕事欲しさに連絡してみた。
後日、カフェで待ち合わせて現れたのは赤ちゃんを抱いたオージーの男性。子供を見てなんとなく安心する。日本語は既にペラペラで、日本語で書いてある本を読むために勉強中らしい。週一で1時間25ドル契約でやれることになった。

教えるための準備にものすごく時間がかかり、時給にしたら割に合わなかったが、それでも日本語というか漢字について必死に調べて、更には日本の文化について説明したりと良い機会だった。その後はこの家族から不定期でベビーシッターもお願いされたりして結果的には隙間時間にお金を稼ぐことが出来た。

インドネシア人と東チモール人のシェア

シェアはキャラバンパークのキャビンのスタジオルームに決め、インドネシア人の女性ティナと住むことになった。ティナの従兄弟や友達がよく遊びに来たので、ブルームに着いてしばらくはインドネシア人と東ティモール人に囲まれていた。

ティナは何かとドラマチックにするのが好きなようで、従兄弟とドラマチックな理由でよくケンカして、仲直りのディナー(インドネシア料理)をなぜか私が深夜1時に作るハメになったり、ティナの友達のアグースという人に仕事を紹介してあげると言われたので、ついて行ったら、実は紹介出来る仕事はなくて、いきなり、好きですと告白されたが、実は妻子持ちだったということがあったり。

1週間経過した時点で既にお腹一杯だった。

マクドナルドの仕事

その後、ティナのおかげで仕事が次々と決まることになる。まずはマクドナルド。あそこはバックパッカーも雇ってくれるところだから、レジュメを配りに行けと言われ、その通り行ってみる。しばらくしてから面接してもらい、キッチンで働けることになった。スピード勝負のマックはジャパレスのトラウマがあったので、恐怖だったが、スタッフも優しいし、リラックスした雰囲気で忙しかったけど楽しかった。というか楽しめた。マックで働いたことで、シドニーに帰ったらジャパレスでも楽しく働けるという自信というか確信に近いものが得られた。

在宅介護の仕事

他には在宅の介護の仕事もやらせてもらえることになった。ティナの紹介でリゾートホテルのオーナーに面接してもらえることになったのだ。
私はハウスキーピングを希望していたが、オーナーに介護に興味はあるかと聞かれ、興味はあると告げると、じゃあ介護の仕事をあげるよと言われた。実はオーナー自身が半身不随で介護を必要としていて、オーナーの身の回りお世話が主な仕事だった。

職場で友達が出来たので、休みの日にはパーティーをしたり、ビーチバレーをしたり。週末のマーケットに行けば、小さい街なので、必ず知り合いに会えるという環境。ブルームが楽しくなってきた。

悪夢のオーペア

が、オーペアが始まり、暗雲が立ちこめることになる。実はブルームに着いた初日にガムツリーのオーペア募集の広告に応募しており、ブルームに着いて1ヶ月後から働けることになっていたのだ。

ティナの家を出て、この家族と住むことになった。幸い、週に2日間の休みがもらえ、夜外出することが出来る日もあったので、他の仕事もかけもちすることが出来た。

条件的には完ぺきだったのだが、肝心の子供と合わなかった。全くもって合わなかった。
一緒に居ては行けない存在とさえ思った。

5歳の男の子と15ヶ月の女の子イヴィ。この男の子と全く合わなくて、名前も思い出せないほど。思い出したくない悪夢。
とにかくやんちゃでいじめっ子体質で、言うことを聞かない。悪いことしかしない。私は多分この子になめられていたんだと思う。日に日に疲れてきて、この子楽しませてあげようという感情は失われ、それによりこの子が更に悪いことを繰り返すという悪循環。

毎日お母さんと話し合った。言うことを聞かない時は、叩いていいから、部屋に閉じ込めていいからと言われていたので実際そうしていたが、日に日に悪さはエスカレートし、私が罰を与える頻度も増えていった。このままでは、お互いにとって良くないと思ったその日、私はこの家から出ていった。

出て行く時に男の子が、やったぁ、これで新しい女の子が来るね、僕はあいつが嫌いだったんだ!と叫んでいたのが聞こえてきて悔しくて泣いた。その日は楽しみにしていた真珠祭り初日、そして月への階段の日だった。

どん底気分からハッピーへ

ドン底の気分で宿を探す。バッパーの大部屋に泊まる気分にはなれず、キャラバンパークのテントサイトで生活することにした。テント内が暑いので、仕方なく1人で真珠祭りに行ってみる。ステージパフォーマンスを見ながらパッタイを食べる。パッタイの味がすごく不味くて余計悲しくなった。
偶然、アグースに会う。相変わらず妻子があることを隠してアピールしてくるのがおかしくて笑えた。その後、月への階段を見に行った。その日は曇っていて階段がきれいに見えなかった。

次の日から数日間はマックのバイトに行く以外はテントに引きこもった。食事もドーナツしか食べなかった。気分はワーホリ生活の中でドン底のドン底。

隣りのテントで生活していた台湾人カップルに心配される。
一緒にご飯を食べようとか真珠祭りに行こうとか誘ってくれて、彼らのお陰で元気になった。バックパッカーだらけのテントサイトが楽しくなってきた。

ケアンズに友達が遊びに来ることになっていたので、ブルームからケアンズに行くため、車を売ることにした。テントサイトでダーウィンまでリフトさせてくれる人が見つかり、10日で買い手を探さなければならなくなり、このままでは廃車にするしかないかもと焦ったが、このテントサイトで車を買ってくれる人が見つかり、最低な場所が最高な場所に変わり、最高の気分でブルームを後にした。

ブルームの友達と寿司作り
ブルームのテントサイトにて

ブルーム→ダーウィン→ケアンズ→シドニー編

ヨーロピアン集団とロードトリップ

リフトさせてもらい、ダーウィンへ。1週間のロードトリップ。
フランス人の男の子と女の子と3人でスタート。彼らはロードトリップのプロみたいな人達で、キャンプ用具も一式持っていた。ここでロードトリップとは何かを色々学んだ。

無料のキャンプサイトにテントを張って泊まる。トイレもシャワーもない。
食事も自炊でちゃんと料理。しかし、ご飯がめちゃくちゃ美味しかった。
夜は星を眺めて。

旅をするにつれ、人数も増える。
キャンプ場で火を囲んでくると、1組、また1組と集まってくる。
ピーク時は総勢17人、車7台で旅していた。
ただ、車の上で踊ったりするようなノリの人が多かったので後半は疲れてきて、早くダーウィンに着かないかなぁと思ってはいた。

ロードトリップ 増える仲間
ロードトリップ そこに崖があるから登るフランス人

私以外、全員ヨーロピアンで、圧倒されたのもある。

でも、ある1人の子とじっくりと話すことが出来て、ある話題について、私もその気持ち分かるよー!人種が違っても考えてることは一緒なんだよねー!みたいなことをその子が言っていて、そこで少し距離が縮まった気がした。

終わってみて、ロードトリップって素晴らしいなぁと思った。
はじめはお金の節約のためにリフトさせてもらったのだけど、ガソリン代、食事代、アコモデーション代が節約出来る上に、綺麗な景色を見て、色んな人と時間を共有できる。

妙な達成感と共にダーウィン入りした。

ダーウィン

ダーウィンは2泊3日しかしなかったが、とても気に入った。
特にサンセットマーケットが楽しい。とりあえずここで食べたラクサが異常に美味しかった。
アボリジニの音楽のライブもいい。
サンセットも素敵。
アプラック生のゆかさんにも再会して近況を報告し会い、楽しい時間が過ごせた。

ケアンズ

そんなダーウィンを後にし、飛行機でケアンズへ。
日本から友達が遊びに来たので待ち合わせしていたのだ。
友達には逞しくなったね、と言われた。
友達の悩みなど聞いてて、前より客観的に見れるようになったのか?友達に変な気を使わなくなったためか?
こうしたらいいのに、というのがクリアに見えた。
私の思った解決策を伝えると、友達も少しスッキリしたと言ってくれた。
実は日本にいる他の友人と時々メールのやり取りをしていて、同じようなことがあった。
自分の考え方が少し変わってきたのかなと思った。不思議だ。

ケアンズが何となくチャらく感じてしまったためか、イーストコーストに興味がなくなる。。

そうだ、シドニーに帰ろう!
さっさと学校終わらせてタスマニアに行こう!

シドニー帰還編

ラウンドから戻ってきた時点(9ヶ月目)

寒い。春が来たって聞いていたけど、全然暖かくない!
バッパーにチェックインする。16人部屋の半分はアジア系のおじさん。
シドニーに帰って来たのを実感する。

Newtownのスシトレイン〜飲食店トラウマ完全克服

翌日からジャパレス探し。

何となくニュータウンの雰囲気が好きだったので、片っぱしからニュータウンのジャパレスに電話をすることにした。
面接へ。
スシトレイン。スシトレインで働いたことがある友達が、とにかく忙しかったと言っていたのを思い出したが、あまり気にせずとりあえず行ってみることに。面接してもらい、店長と波長が合いそうだったので、働いてみることにした。

噂通りの忙しさで、先行き不安だったが、スタッフも明るい人が多く、一緒に働いていて楽しかった。忙しいほど楽しかった。オーナーも関西人、スタッフも半分くらい?関西人で、ここでは英語より関西弁を学びました笑

本当に本当に忙しく、キッチンハンドは1人だったので、これは無理です!洗い物の補助お願いします!と助けを求めたり、毎日文句を言いながらやっていたので、潰されずに続けることが出来たと思う。今までは自分で潰れていたのだと思う。

オーナーや店長には毎週飲みに連れていってもらい、色んな話をした。永住権を狙って働いている人も多く、色々アドバイスをもらうことも出来た。

スシトレで働くことが出来て私ら幸せだねー、なんて会話をスタッフ同士でしているほど楽しかった。
学生時代のバイト、シドニーに来て始めたジャパレスから飲食業界には苦手意識があり、なんというか、あの雰囲気にいつも潰されていたが、マクドナルド、スシトレインを経験して苦手意識はなくなった。

結局、ワーホリ終了までの約3ヶ月スシトレで働いた。
学校が終わったらタスマニアに行こうと思っていたのだけど、そのままシドニーに残ったのはバイトを辞めると言い出せなかったのが1番の理由であった。

再び学校生活

相変わらずブラジル人は苦手だなと思ったが、以前いたときより楽しめた。
授業で自分から発言も出来るようになった。

実は英語のレベルはラウンド前後でほとんどアップしていなかったが、英語を喋ることへの抵抗がなくなったので、それだけでも大きな成果かと思う。学校に復帰してどんどん喋れなくなっていった気がしたが多分気のせい。

シェアとバッパーの渡り歩き

最初の2週間はシティど真ん中のバッパーに滞在していた。居心地も良く色んな人と話すことが出来て気に入っていたが、部屋が常に真っ暗で朝起きれないことが多々あったり、田村さんのアドバイスもあり、シェアを探した。

3件で迷ったので、1番変で面白そうな人のところにしようと思い、トルコ人のおじさんオーナー、週90ドルのオウンルームに決めてボンド50ドルを払いに行ったのだが(全部安すぎる笑、いかにも怪しい)どうやら、オウンルームではなく、おじさんとの2人部屋のようで、その点をしつこく確認したら、突然怒り出し、早くボンドを払え!と脅された笑
ただのナンパ部屋?だった。自分の人を見る目はまだまだだなと思った。

スリランカ人のダニーとポーランド人のドーラのカップルが住むロックデールのフラットに入居。
ここでの生活は面白かった。ダニーは起業の話が大好きで、その手の話をし出すと止まらなくなる。
深夜まで3人で話していることも多々あった。自分が将来やってみたいことについてアドバイスもしてくれた。

ここでの生活を気に入っていたのだが、突然このカップルが破局を迎える。ドーラが突然出ていってロンドンに行ってしまったのだ。ダニーも寝耳に水といった感じで、傷心気味。
色々な理由が絡んで翌日に日本人の女の子がやってきた。
色々な理由が絡んでその子と2人部屋に。
何となく、その人から負のオーラを感じたので部屋を出ることに。
こういう感覚と、自分からあえて離れるという術が身についたと思う。

その後は、バルメインのバッパー→ニュータウンのバッパーで生活。
年末年始は宿代が高くなるので、シェア探し。

ニュータウン付近で色々探した結果、Durwich hillの週100ドルオウンルームが見つかる。
ハウスメイトはベトナム人の女の子。永住権目指して、オーストラリアで暮らすこと5年。
彼女は子供の頃から英才教育を受けていたため、オーストラリアに来た時点で英語はペラペラだったようだ。それでも厳しい永住権への道。
永住権へのアドバイスを色々もらった。

この時期のメール(NOV 2015)
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ワーホリが終わりが近づき、今後のことを考えた。日本には帰りたくない、オーストラリアでしばらく生活したい。田村さんに相談し、数ヶ月後シドニーに戻ることにした。


おわりに

オーストラリアで1年過ごして、童心に帰った。

そのことで、身の丈にあった振る舞いが出来るようになったのだと思う。

そして楽になった。

今までは、いつまでも子供のまま、中身が未熟なまま社会に出て、それでも大人な振る舞いをしなくてはならなくて、結果的にそのギャップが苦しかったのだと思う。

1年を振り返ってみると、周りの反応に一喜一憂していて子供っぽいなとがっかりしたけれど、憂ではなくて、喜びの方が多くて、それが自信へとつながった。

これから過ごすオーストラリアは過酷な日々であるだろうが、今はわくわくしている。(今トランジットの空港で最後の文を書き終えました。今からシドニー向かいます!)




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