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2014年01月02日


長谷部圭さんの留学&ワーホリ体験談(4)
第二部 ラウンド編(その3)

メルボルン編  2011年12月―2012年5月



仕事〜メルボルンでのローカルジョブ


メルボルンのBlackburnに住居を移して、最初にしたことはもちろん仕事探し。

窓拭き & 引越屋

運が良いことにあまり時間がかからずにJobsearchで申し込んだ窓拭きと家のオーナーさんのツテで引越し屋の仕事を得られた。

両方ともカジュアルジョブでボスがヴァンやトラックでこちらの家に迎えに来て、そのあと現場に行ってアシスタントとして仕事の手伝いをしていた。

面白いのは、顧客がはっきりと違っていたこと。
窓拭きではボスがオージーだったので顧客はほとんどオージー、正確には富裕層の白人だったのに対して、引越し屋ではボスが中国人だったので中国人やインド人が多かった。

どちらの仕事も依頼を受けた家やオフィスに行くので、拠点にしているEastern suburbが中心ではあったがそこだけではなくメルボルン中をまわった。

その上、引越し屋ではナビゲーションもよくやっていたのでメルボルンの半径3,40km圏内の土地勘は付いた。

多くの家を見たけれど、どこも日本の都会の家より広かった。
その分、大きな家具がたくさんあり、ガレージ内も含めて物があふれていて引越し屋としては大変だった。
たいていは4トントラック1回で済むけれど、2往復というのもざらにあり、3往復なんてときは帰りたくなった。

良い顧客は手伝ってくれたりご飯をくれたりするけど、悪い顧客は経験豊富なボスに対して経験もなしに頭でだけ考えたことをあーしろこーしろと指示してくる。もちは餅屋なのだが、言わずにはいられないみたいだ。これらの仕事は帰国前の4月まで続けた。

ドキドキ売春宿勤務体験

短期ではあったが、これまた家のオーナーのツテで売春施設の雑用の仕事もした。

仕事は、お客の出迎え、そうじ、洗濯に加え、サービスが時間制なので(たしか、30分$100)終了時間になったら各部屋に付いているスピーカーを通して終了の合図を送る、ということもやった。

働いている女性はたいてい4人でほとんどアジア系だった。
普通の飲食業と同じく、お客の回転を効率よく回すことを最重要視し、終了時間になったらとっととお客を帰し、次の客に回していた。

待機状態の女性を出さないように、ほかの女性を待っているお客に積極的に忙しくない女性を勧めていた。

といっても、人気のある女性とそうでない女性はハッキリしていたし、時間帯によっては全くお客が来なかったので手持ち無沙汰しているときは結構あった。

仕事をやる前は少し不安があったが、実際に働き始めたら何も問題は起きなかった。
お金よりもどんな世界なのか知りたいという好奇心のほうが強かったが、思ったよりも普通のサービス業で拍子抜けだった。

宗教(見学)体験

ヒンドゥー教体験

 ある日、フィジー出身のインド系のオーナーに「タダでメシが食えるところがある」とヒンドゥー教の宗教施設に連れて行ってもらった。

 そこは元学校だったが宗教画やインドの宮殿の写真などが飾ってあって様相は大分変わっていた。

 入り口に「ご自由におとりください」とばかりに大量の布があり、ほかの人たち(全員インド人)がしているようにそこから一枚取り出し頭に巻いてから中に入った。

 少し歩いたら、前方の人が学校で一番大きな教室の前でお辞儀をしてから中に入っていったので同じようにして教室に入った。

 教室の真ん中には大きな仏像のようなご神体が派手な飾りと一緒に鎮座しており、そこまでの道筋にはレッドカーペットのようにじゅうたんが敷かれていた。

 ご神体の手前まで近づき、オーナーやほかの人たちを真似て正座をして手を合わせながらなんとなくお祈りを1分した後、退場した。

 お祈りをあっさり終わらせた後、調理場に置いてあるカレー、ヨーグルト、チャイをいただいて帰った。

 カレーは日本のとはかなり違っていて、そのとき食べたのは全然辛くなくニンジンやじゃがいもなどもなく豆がメインだったが、あっさりしていておいしかった。オーナーは手で食べてたけど、ほかの人たちは普通にスプーンを使っていたので私もスプーンで食べた。

 あとでオーナーにどうやってこの施設を維持しているのかを聞いたところ、高額の寄付などをもとに運営者が運営しているそうだ。

 オーナーと一緒に行ったときは平日だったので4,5人しかいなかったが、別の日の日曜日に行ったときには50人くらい居てとてもにぎわっていた。キリスト教の日曜礼拝とは形式が違うものの宗教を通してのコミュニティというか集まりについては、地域コミュニティが衰退し学校や仕事以外で人との繋がりが薄くなった日本とは違って非常に興味深かった。

キリスト教体験

 また、毎年12月にNunawadingで開催されるキリスト教のイベント「Road to Bethlehem」にも2回参加した。
 1回目は個人で行き、2回目は教会の無料英語クラスのメンバーと行った。

 このイベントは野外で行われる演劇である。
 参加者は30人ぐらいのグループごとに決められたコースを回る。各所でボランティアの役者たちが演じるキリスト誕生のストーリーを時には劇に参加しながら眺めるという体験型観劇である。

 実は、2回目に行ったあと、教会の無料英語クラスで同じストーリーの簡易劇をやり、わたしは王様B役をやった。

 また、そのクラスの紹介で現代ミュージカル風のキリスト誕生ストーリーも観覧した。

 Jesus Christ Superstarもそうだったが、歴史ある宗教と現代ミュージカルの融合は合わなさそうな組み合わせが意外にもうまくいっていてとても面白かった。

 このように、さまざまな手法でキリストのことをより多くの人に広めて風化させずに残しておくのは興味深かった。

 私はキリスト教そのものについて多少ほどしか興味はないが、はるか大昔から現在までその教えが廃れずに世界全体に影響力のある宗教として残っているその方法のほうがとても興味ある。

 国家や王国は滅んで無くなっていくのに宗教がこんなにも長く生き続けて生活に根付いているのはなぜなのだろうか?

 11月にWWOOFerとして滞在していたFrankstonの家はクリスチャンで食事前は一緒にお祈りをしていたし、日曜礼拝にも連れて行ってもらった。

 それは宗教行事というよりもヒンドゥー教のときと同じく習慣としての地域コミュニティの集まりのようであったし、クリスチャンでもない私のようなゲストも普通に受け入れてくれた。

 また、教会の英語クラスでは一緒にスタジアムでAFL観戦したり、牧師の自宅でパーティー兼AFLグランドファイナル観戦したり、仕事探しの相談兼練習をさせてもらったりと宗教抜きで楽しく付き合わせてもらった。

 確かに彼らはキリスト教の教えを私やメンバーに伝えたくていろいろ助けてくれたのかもしれないが、それだけではなく彼ら個人の性格もあったと思う。

 彼らにとってのキリスト教は、道徳理念のひとつで絶対的なものではなく、彼らを形作る一部にすぎないように感じた。
 人と宗教の関係、社会と宗教の関係、そんなことを考えるきっかけも彼らとの付き合いで手に入れた。

WWOOF再び

ピーター&ロベーナ in Violet town 4月上旬から下旬


 4ヶ月の都会生活で旅や田舎への欲求が高まったので、ビザが切れて帰国する前にもう一度WWOOFをすることにした。

 場所は、メルボルンから北東へ200kmほどのViolet town。
 ここは、オーストラリアの伝説的義賊ネッド・ケリー(Ned Kelly)が有名になるきっかけになったEuroa銀行襲撃の場所のすぐ近くだったのでネッドケリーの看板をたまに見かけた。

 ホストのピーターとロベーナは私と同年齢くらいの子どもがいるのにもかかわらず、若々しかった。

 ピーターは気の良いオヤジで気さくに接してくれた。
 彼の教え、"What does not kill you makes you stronger"は今でも覚えている。意味は、どんな病気だろうと辛い体験だろうと死にさえしなければ乗り越えた後で強くなる、と丁寧に説明してくれた。

 ロベーナも人使いが荒かったけど優しくしてくれて、月に一度おこなわれるローカルのマーケットや町の唯一の娯楽施設である古い映画館に連れて行ってくれた。

 到着した初日、イースターの最終日だったため近所の人たちと食事会のようなものを開いていたがその日のお昼に食べた賞味期限切れのサラダが当たってしまい、ものすごい腹痛が襲ってきて一度断って休ませてもらった。しかし、Tanundaのときの失敗を繰り返したくなかったので痛みが落ち着いたあと、改めて参加させてもらった。

※レンガ積みの仕事現場とバギー

 ここでの仕事は、多彩だった。暖炉用の木材の切断に始まり、オリーブ畑の芝刈り、レンガの組み立て、にんにくの植え付け、栽培しているグァバ・グレープフルーツ・オリーブ・イチジク・柿のピッキングなど。

 加えて、今までの経験から木の剪定や家の窓拭きなんかも頼まれた。

 仕事のときは、広大な土地を行ったり来たりするのでピーター所有のバギーのようなクァッドバイクを使わせてもらった。
 はじめは操作に手間取ったけど、慣れれば楽しいものだった。
 トレーラーを付けた状態のバックで車庫入れがすごく難しくて、上手くいったときは歓喜の叫び声をあげたほどだ。


※ガーデンを眺めながらの朝食とランチは素晴らしかった
 ロベーナは料理がとても上手で食事はいつも楽しみだった。

 一度日本食が食べたいと頼まれたが、材料の関係でチャーハンを作ってごちそうした。中華料理に大事な油も自家製オリーブオイルがたくさんあったので使わせてもらった。好評だったので嬉しかった。

 また、栽培した果物を使ってジャムも作って売っていてその手伝いもしたりした。

 ピッキングした果物を毎日食べさせてもらっていたがいつも注意が必要だった。なぜなら、果物の中にはフルーツバグという小さな虫が居るときがあるからだ。あまりにも頻繁にその虫が出るようになったので、虫除けのために特別な液体を入れたペットボトルをグレープフルーツの木に吊るしたりした。


 2週間半ほど滞在した後、メルボルンに戻った。

旅行


 ビザが切れる5月に2度旅行をした。

両親とともにかつてのWWOOFへ

 1度目は両親とで、メルボルンとGrampians観光をした。
 WWOOFerとして住んでいた場所に今度は客として両親と一緒に来るのは奇妙な感覚であったが、半年振りのハリーたちとの再会の喜びのほうが強かった。

 客として泊まるエコロッジは快適だったし、ポールたちも交えてのディナーはとても楽しかった。

 自分を間に自分の両親とお世話になった人たちとの交流は気恥ずかしさも少しあったが、自分がオーストラリアでやってきたことの一部を直に親へ見せ安心させることができたことに対しての達成感のようなものもあった。

メルボルン〜キャンベラ、レンタカー一人旅

 2度目は帰国前にせっかくだからレンタカーでメルボルン-キャンベラ間を一人旅してみた。

 時期が冬で日没が早かったので、あらかじめ決めておいた宿に日没前に着けるよう毎朝6時前に出発していた。

 オーストラリアはCityから離れたら変わり映えしない景色ばかりが続くのでドライブは退屈だったが、スリルを感じる場面はいくつかあった。

 こちらが100キロ制限をきちんと守って走っていても、トロトロ走ってんじゃねえよとばかりにほとんど全ての車に追い越されていった。また、霧の山道を走ったときはあまりにも前方が見辛い状況に逆に興奮してしまった。しかし、そのような危ない状況で車の運転はもう2度しない。

 2日目に、Wilsons Promontoryへ行った。
 2005年と2009年のブッシュファイアで行けない場所もあったけど、開放されている散策コースのうち比較的長い2つを選んでハイキングをした。

 山のハイキングと違って平坦な道だったので高原ハイキングみたいだった。

 しかし、その後に行ったオーストラリア一標高の高いMt.Kosciuszko(標高2228m)もあまり傾斜した道が無く、景色は違うものの似たようなものだった。

 この日の出来事はハイキングよりもWilsons Promontoryに向かうときにワラビーを車で轢きかけたことの印象が強い。
 直線の道をスピードを出して走ってたら、脇の草場からいきなり1匹のワラビーが車道を横切ろうとしてきた。急ブレーキをかけて直前で止まったので当たらずに済んだ。早朝だったため後続車がなくて助かった。

 3日目は、この旅行で一番楽しみにしていたエンジン付きグライダーに乗った。
 体全体がモコモコになるほどの厚着をしたけど生身で空の風を浴びるのはとても寒かった。

 グライダーは二人乗りでインストラクターのおじいちゃんがほとんどの操縦をしてくれたが、お茶目なことに急降下や急旋回をいきなりされたのでものすごくビビった。でも、少しだけどこちらにも操縦させてくれて空中遊泳を楽しんだし、空から眺める下界や山の景色はすばらしかった。
※グライダー体験


 4日目に、大して面白くないMt.Kosciuszkoをハイキングし、5日目にキャンベラに着き、無事に車旅を終えた。その後、キャンベラ・シドニーを観光し、日本へ帰国した。


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