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2012年08月22日


長谷部圭さんの留学&ワーホリ体験談
第一部 シドニー編

語学留学時代 2010年10月〜 2011年3月


オーストラリアに来るまで


 高校時代に進路を考えているときから海外へは興味があったのだが、お金の問題や決心がつかなかったりでそのままずるずると就職もせず大学卒業3年後まで決行しなかった。そんなとき、たまたまAplacのHPを見つけて読み進めていくうちにオーストラリア行きを決意。

 明確に何か目標があったわけではなく、違う環境で生活してみたい・もっと自分の世界を広げたいという好奇心から原動力が来ていて、国もオーストラリアでなくちゃ絶対だめってわけでもなく、アメリカとかと比べて治安がいいからっていうのが主な理由だった。そのため、ビザは観光で入りその後WHか学生に変える算段だった。結局、きちんと英語を勉強しようと思い学生ビザで半年間語学学校へ通った。

 最初の一週間。初めての海外暮らしと明確な目的が特にないという不安定さで不安な一方、これから自分はどう変わっていくのか・何が待ち受けているのかといった期待と興奮が入り混じった状態でスタートした。

最初の一週間

 田村さんが空港まで迎えに来てくれた初日の空き時間に商店街へ銀行口座開設と地図を買いに行ったとき、店に入る前に何度も言うべきせりふを反芻していたのをよく覚えている。そのときが、勉強としてではなくコミュニケーションとしての英語の初体験だったからだ。口座開設のときは、もちろん自分の言いたいことが上手く言えず相手の言っていることがよくわからなくてしどろもどろな会話であったが、なんとか開設することができてオーストラリアで初めての小さな達成感を味わえた。

 シェア探しのときもやっぱり会話がうまくできず、自分から会話や質問を振ったり、遅れる旨を伝える電話など何らかのアクションするのに相当ビビっていた。そのたびに何かを食べてお腹を満たしていた。田村さんからの「空腹時は悪いほうに考えやすくなるのでお腹を満たして一息つくのもいいよ」というアドバイスのおかげで、潰れずにシェア獲得までこぎつげた。

 シェア探しは20件くらいまわって空港近くのBexleyに決めた。シェア探しをしているときはしんどかったけれど、アポを取っていろんなところに訪ねていくというのがちょっとした冒険っぽくて楽しかった。時間管理のマネジメント経験になって後のWWOOFホスト探しやメルボルンでのシェア探しに十分に活かされ、大変役に立った。

 お金についての心配はあまりなかった。2008年のリーマンショックで円高になったとき、ほぼ全部の貯金をAUドルに変えて日本のNAB支店に入れておいたから、オーストラリアに来たばかりの語学学校時代は裕福だった。買ったときのレートは1AUドル60円くらいだった。今では、だったら円高のそのときにオーストラリアに行っておけばよかったと思っているがそのときはまだ「海外へ行く」という決心がつかなかった。なので、語学学校時代ではバイトはせず、その分地域コミュニティに参加していた。もちろん、生活費のため毎週のように残高が減っていくのに不安を感じなかったわけではないがそのときは余裕があった。

一軒目のシェア

 1軒目の住居は、中国人の奥さんとオーストラリア人のだんなの家。
 しかし、本宅と住んでいた部屋のエリアはドアで区切られていてオーナーの人たちとはそんなに交流はなかった。

 その分、同じエリアに住んでいたシドニー大学の中国人留学生と仲良くなった。向こうからいつも話しかけてくれて人見知りの自分にとってはありがたく、会話の練習にもなってめちゃくちゃ感謝している。

 
最初の一週間を終え、シェア移動の際のVサイン→
その翌日に ↓ のようなトラブルになるとは、この笑顔時点では誰も知らないのであった。

 
洗濯機事件
 住み始めて2日目にしてシェア住民用のサブ洗濯機を一人で勝手に動かして壊す。ありがたいことに早速失敗をやらかした。きちんとした方法で洗濯物を入れなかったせいで詰まってしまい、動作せずにコンセントから煙をはいて昇天なさった。そのときはすごく焦ったけど、今では良い失敗だったと思う。この経験以後、新しい住居に住むことになったら機械製品はどんなものでも使い方を聞くかオーナーにやってもらうようになった。

 そして、きちんと弁償の話をしなかったせいで出て行くときに問題になった。壊したときにオーナーが「大丈夫、大丈夫」と言っていたように感じていたので弁償しなくていいのかと勝手に思った。というよりも、弁償の話を英語でするのが怖かったから「大丈夫」だと思い込みたかったのだろう。向こうが言ってこないのであればそれでいいんだろう、と「なあなあ」で済むと思い、本来すべきである「弁償の交渉」をしようとしなかった。が、当たり前のことだけど出て行く前夜になって弁償金として$200をボンドから支払ってくれと言われた。そのときは、馬鹿なことに洗濯機の件は許してもらえてて終わったことだと思い込んでいたのだ。壊したことと弁償の話をしなかったことを棚にあげて、「なんで出て行く直前にそんなことを言い出すのだ」なんてことを感じた。

 今となっては本当に恥ずかしい。後々自分なりにこのときの感情について考えてみたが、精神的に余裕が無かったのだと思う。知り合いもほとんどいない見知らぬ国に乗り込み、シェア探し・学校・地域コミュニティへの参加といった初めて尽くしに加え毎日のようにいろんな人と英語でコミュニケーションを取るという、楽しさを感じながらもその一方で張り詰めてしまっていた精神がこのときに破裂してしまった。その結果、あのような理不尽で自分勝手な文句を思ってしまった。そもそもこの後に記述するタスマニア旅行をオーストラリアに来て一ヵ月後に計画しているのが、張り詰めた精神を開放させるためにやっている気がしてならない。

 そして、交渉して$100にまけてもらった弁償金を支払い、次の日に出て行きタスマニアへと向かった。

タスマニア旅行

 12月頭の1週間 飛行機代込みで$1000
仲良くなった留学生が大学の夏休みで中国に帰省するのを機に1軒目を出て行くことに。わずか1ヵ月半の滞在だった。それでどうせなら、息抜きに前々から行きたかったタスマニアへ旅行することにした。基本的にどこかへ行くときは一人で行くので、レンタカーを借りて周るよりはツアーのほうが安上がりで良いと思いAdventure Tourに5泊6日タスマニア1周コースに申し込む。

 集合時間が早朝だったので前日にホバート入りしたが、日曜日だったために人がほとんどいなかった。また、アーケードのシャッター率が住んでいた山梨の甲府商店街と良い勝負だった。甲府商店街みたいに潰れたのではなく単に休みだっただけだが。ホバートでは、ツアーとは別に申し込んでいた自転車のダウンヒル半日ツアーに参加。意外にも10人ほどの参加者のうち、半分以上が女性や50代くらいの人たちでさすがオーストラリアだと思った。チャリと一緒に車でホバート近くの山の頂上まで行き、舗装・未舗装(山道)の道を風をめいいっぱい浴びながら下った。学生時代、チャリでよく旅をしていたので峠の下りなんかは大好物なのである。

 1周ツアーは、ドライバー兼任のツアーガイドと15人くらいの参加者と共に大きめのバンで周った。最も印象的だった場所は、3日目に行ったクレイドルマウンテン。いくつかオーストラリアの山を登ったけど、ここが一番面白く景色が良かった。高原のようなところは他のオーストラリアの山と同じだったが、急な斜面やごつい岩を登ったりと楽しかった。頂上に行くにはロッククライミングのような専門的技術が必要だったため頂上手前までしか登れなかったけれど、頂上付近から近くの湖や森を見下ろすと自分が居る場所がいかに高いのか実感できて山の醍醐味を大いに味わった。


2軒目の住居

 タスマニアに行く前に10件くらい見てCroydonにある中国人一家の家に決める。ここはだんなさんが良い人で、東日本大震災が起きたときも「家族は大丈夫なのか?」といろいろ心配してくれた。

 
窓ガラス事件
 ここでも入居後すぐに問題を起こす。今のところ、シェアハウスで住んだところは入居1週間以内に何かしらやらかしている。学校からの帰宅後、ベランダで干しておいた洗濯物を取り込んでいるときに突然、開けっ放しにしていたベランダと本宅とのドアが強風で勢いよく閉まり、ドアに付いていたガラスが割れる。なぜドアをきちんと固定しておかなかったオレ。前回の洗濯機事件のようになってしまってはダメだと思い、オーナーに謝り、弁償について話をする。ありがたいことに$30で済んだ。

 ここには学校を卒業して日本に帰るまで3ヶ月半住んだけど、いいところだった。中国人街として有名なAshfieldにも近くおいしい中華料理をいろいろ食べられたし、私が出て行くのと入れ替わりにこの部屋を譲った学校の友達も気に入っていた。ただ、油を使った料理は外のキッチンで調理しなければならず、雨の日は大変だった。まだ夏の時期だったから夜の暗さや寒さを体験しなかった分マシではあったが。


学校と放課後のコミュニティ参加

 学校はBroad way近くのSCEに約半年間通っていた。記憶が曖昧だけど、クラスは3Cか3Bからスタートして4Bあたりまで行って、IELTSクラスで卒業した。授業は日本の板書写し作業とは違っていかに生徒を飽きさせないか工夫されていた。たとえば、会話の練習でもパートナーチェンジはしょっちゅうしていたし、ゲーム要素を入れてめんどくさい単語を楽しく覚えるようにしたり、など。もちろん、講師によってまったく違っていたけど。ある講師は授業の半分くらい自分がしゃべっていて、たいていはこちらがすでにわかっている内容の解説だった。また「十字軍が最初に遠征したのはいつでしょう?」などの問題をテキストとは関係なく出題したりしていた。それが面白い語り口だったら良かったのだが、日本のまじめな教師の授業のようにヨーロッパの歴史について淡々と語り、生徒からは意見を聞くのではなく年号だけを答えさせるという内容に、他の講師の生徒を飽きさせないための工夫に面白さを感じていた分あまり面白い授業とは思えることができなかった。その講師は良い人だったけれど、授業は退屈することのほうが多かった。

 良かったのは1月から変更したIELTSクラス。人数は15人くらいで多かったけど、2人の講師がそれまでのGeneralクラスのどの講師よりも面白くユーモアのあふれる人たちで授業の雰囲気がすごくよかった。授業もリーディング・リスニング・ライティング・スピーキングをバランスよくやって、眠くなりやすい午後の授業では眠気覚ましにゲームを取り入れたり、決して一本調子な授業にならないよう工夫されていた。加えて、3ヶ月近く同じクラスだったこととGeneralクラスである程度上達した英語コミュニケーションのおかげでクラスメートとはとても仲良くなれた。放課後、学校に残ってIELTSのスピーキングテストの練習を一緒にやったりもしてIELTSテストへのモチベーションも高かった。日本に戻ってから受けたIELTS試験(General)で6.0取れたのはこのクラスで学んだ受験テクニックのおかげだ。実際は6.0ほどの実力はない、とその後何度も痛感させられる。


 放課後は、学校以外のコミュニティを持つためにいくつかの地域コミュニティに参加していた。図書館のEnglish Conversation Club、教会のEnglish Class、African Drumming Workshopなど。どれもほとんどタダ同然で週一回ペースだったのでできるだけ毎週参加していた。ただ、人見知りで自分の英語に全く自信を持てていなかったので、参加はしてたがあまり積極的に話さなかった。現在も人見知りで英語に自信を持てないことに変わりはないが、このときの反省を活かして積極的に話しかけるよう心がけている。これらの地域コミュニティは、ネットや図書館でその情報を知った。また、何気なく街を歩いてたら教会で「English Class」の看板を見つけたりしたときもあった。

 内容は英語だけでなくオーストラリアの慣習や祝日についてテーマとして取り上げてたり、クリスマスパーティなどのイベントごともあって学校とは違う部分で勉強になるとこがあって楽しかった。でも、教会のEnglish Classでは毎回30分程度聖書を読まされていた。まぁ、Readingの勉強と割り切っていたけれど。


 3月に半年近く通った学校を卒業。学生ビザが失効するので、WHビザを取得しに日本へ戻る。

2回目ワーホリ突入時のスナップ→
この頃には既にソコハカとない貫禄がついているのであった。



 シドニー編了→ラウンド編に続く

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