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2014年08月30日


ワーホリ体験記 茜(Akane)さん

 2013年05月渡豪〜2014年05月帰国


序:はじめに



 私は2013年5月にワーホリビザで渡豪し、2ndビザ取得に必要な労働を終えて丁度1年後の2014年5月に日本に帰国しました。また2ndビザで戻る予定ですが、その前に体験談という形で私の1年をまとめておきたいと思います。


 日本ではずっとデザインの勉強をしてきて、グラフィック、ウェブデザインの分野で働いてました。

 今回は私にとっての2度目のワーホリでした。

 初めてのワーホリは、2009年秋からイギリス・ロンドンでの1年3ヶ月でした。
 ビザはワーホリでしたが実質はずっと学生をしてました。英語を上達させたかったのと、ずっと憧れていた海外でグラフィックデザインを学ぶというのが大きな目的でした。しかし行ってみればパンドラの箱を開けたような生活で、自分にとって真新しく、魅力的な外の世界がそこにはありました。当初予想だにしていなかった貴重な経験や人との繋がり得て、足を引きずられる思いで帰国しました。

 私が専攻したグラフィックデザインのコースは美大のショートコースだったのですが、その頃には今度は学部を4年きっちりとやりたいという思いが芽生え、それには途方も無い金額が必要になることは承知でしたが、まずは貯金からだと帰国後すぐ再就職して働き始めました。

 ただ海外を経験した後の日本での再社会人生活はしんどい部分もありました。
 特に大震災後は日常生活がリアルに感じられず、この国の不信感や将来への不安から、私の気持ちは次第に海外への再挑戦→そのまま留まり続けることができたらという願望にシフトしていきました。外からの目線で自分の生まれた国を見ることが出来るようになった今、もし自分で死ぬまで定住する国を選べるのであれば私はそうしたいと。

 大学進学を頭の隅に残したままでしたが、それよりも長期スパンでの願望が芽生えた今、このまま時間をかけて頭も眩むような額を目指してお金を貯め続けるよりも、今の状態で手の届く所から始めようと、各国の永住権についてリサーチを始めました。

 ロンドンでの経験と私の趣向で候補の国を絞りつつ調べましたが、殆どの国で当然ながら申請条件など一筋縄ではいかない様子でした。オーストラリアは慣れたイギリス英語が基準なのと、天候がいいことと、日本から割と近いということで理想の国でしたが、永住権に関しては先進国でもっとも厳しいと思える分類に入るんじゃないかと思うほどで、APLaCのサイトを見つけたのはそんな厳しい永住権取得までの色々な可能性について調べている時でした。

 他のサイトとは明らかに様子が違い、長すぎるけど読みだすと止まらないコラムがあったり(いい意味です^^)、おもしろそうな人やなぁと直感に従って田村さんにメールをしました。それまでは一人で色々考えすぎて頭がこんがらがっていたのですが、色々カウンセリングしていただき、凝り固まった考えをもみほぐしてもらいました。

 そしてまずはワーホリビザが取れるうちに現地に行き色々試してみようと、初期サポートをお願いしました。オーストラリアで一番興味があった都市はメルボルンでしたが、単純に田村さんという人に会ってみたいという理由から最初はシドニーに行くことにしました。



第一章:Sydney編(2013年05月21日〜08月23日)


 到着後、現地は想像以上の寒さでしたが、さっそく学校見学にシェア見学へと繰り出しました。学校は2件紹介して頂き、ELSISにしました。特に深い理由はありませんがなんとなーく堅苦しくない感じが症に合っていそうと思ったからだと思います。

シェア探し

 シェア見学時はほぼ大雨で、防水の靴を持ってこなかったことをさっそく後悔しました。
 田村さんから色々と役立つ実践のアドバイスやプリントを頂き、まるでトレジャーハントをするような気持ちでやっていたのを覚えています。

 イギリス時代は英語に自信が無くて、シェア探しは日系のウェブサイトを使うか、友達経由かのどちらかだったので、ここで現地の人達に向けて「とにかく胸を張って意思を伝える」という重要な姿勢が見についたと思います。

シェア移動の際、次の週に来たばかりの高根沢さんと
 ローカルの情報ツールを使うのと使わないのとでは選択肢に絶対的な差がでます。
 しかし自分一人で電話を使って現地の人相手にシェアを探すというのは、最初はなかなか出来るものではないと思うので、お尻を叩いてくれる存在がいることは心強かったです。

 物件はかなり見て、学校の入学日を迎えてもまだ決められず、粘りに粘って、最終的に天国のようなシェア先を見つけることが出来ました。

 一度訪問した際に相手が留守で、何かの都合で連絡が行き違ったみたいなのですが、もう縁がなかったのかもなぁと思っていたら次の日に再度お邪魔できることになりました。開放感のある広いお家で立地も良く、とても気に入ってそこに決めました。

 なによりオーナーのインドネシア人ご夫婦がめちゃくちゃいい人だったことが大きいです。
 忙しくても1日に1度は必ず話しかけてきてくれて会話していました。ご飯を作りあったり、インドネシアレストランに連れて行ってくれたり、私が多忙で疲れていた時には相談に乗ってもらったりと、本っ当にお世話になりました!

 隣の部屋に住んでたベトナム人学生の女の子が深夜に電話したり料理したり(ある日、キッチンに生きたままの海老がどでかい鍋に入れて放置してあったときは仰天)とちょっと困ったのですが、基本はいい子だったのでそれほど口出しはしませんでした。

 家賃はビル抜きで週190と学生には少々高めでしたが、払い続けてでもいる価値はある物件でした。

語学学校

 課外授業にて
 学校は3ヶ月で申し込みました。私にとって2度目の語学学校でしたが、最初から高いレベルのクラスに入学できたこともあり今回のほうが楽しめました。

 ここでも先生とクラスメイトという、学生生活を充実させるにかかせない要素に恵まれました。

 メインの先生は陽気な女性で、よくジョークをいって笑わせてくれたり、晴れた日には課外授業をしたり、単調になりがちな授業をあれこれ面白くしてくれました。

 先生と生徒という立場関係なしに皆と仲がよくて、コース終了後には個人的に再会して一緒に飲んだりしました。

 クラスメイトは国籍豊かでとっても個性的で、みんな働き者で、学業に仕事に頑張る姿には凄くインスパイアを受けました。ここで出身国ごとの色々なものに対する考え方や行動の違いがよーく見て取れて、興味深かったです。

クラスメイト+先生とのFarewell Drinks
 レベルの高いクラスともなると皆わりと話せるので、仕事や将来についてなどちょっと深い突っ込んだ話もたくさんしました。母国で一定キャリアのあるクラスメイトが殆どだったので、ちょっとした業界の話やお国事情も聞けました。放課後は皆でカフェや公園などに集まって自由に話すサークルなどを誰かが始めたり、そんな個人で何かを始めたりできる自由な空気がありました。

 日本人は沢山いましたが、私は日本人とも英語で話すことを徹底してて、皆もそれに乗っかってきてくれたのでよかったです。周りからしたら「なんで日本人同士で英語喋ってんの?」だったかもしれませんが。日本人が多いと日本語ばかり話すから嫌だという話をよく聞きますが、こはやはり自分次第だと思います。

エクスチェンジ

 エクスチェンジは専用のサイトに投稿してみて何人か会い、その中の1人とはシドニーを離れた後も連絡を取り合い再会するくらいに仲良くなりました。

 色〜んな人がいましたが、1回会ってその後連絡が途絶えた人もいたり、英語ばかり話して日本語を話さなかったり(私にとってはいいけど)、何が目的なんだか良く分からん人もたくさんいたので、合う前に何度かメールして人柄や目的を探っておくといいと思いました。

 残念ながら私は本気で目的を持って日本語を勉強をしている、素敵なエクスチェンジパートナーになりうるような人には巡りあえませんでしたが、エクスチェンジしたがる人達は皆何らかの形で日本に興味がある人達であることは確実なので、話すネタも多いですし、スピーキング強化にはとても効果的だと思いました。

 自分で広告を出す際、趣味やスキルなども併せて自己紹介するとフィードバック率があがり、私はデザインの事を描いたらグラフィックデザイナーやフォトグラファーから連絡があり、この国での業界事情など色々聞くことができました。どこからどんなコネができたり情報が入手できるか分かりません。

ジョブ

 今回生活費は出来るだけ現地で稼ぎたかったので、学校開始後は早速仕事探しにとりかかりました。
 スキルを生かして、滞在中にウェブデザイナーかグラフィックデザイナーの仕事をしたいと思っていました。

 ただコース中は学業を最優先としていたのと、学校終了後にシドニーを離れる計画があったので、まずは短期で辞めても差し支えないカジュアル職で、とCVを配り始めました。

 1週間位たって1日に立て続けで3件インタビューを受けることになり、人の印象で一番初めに面接を受けたジャパレスに決めました。時給は6時間で$70、1時間約$11でした。周りはそんなアホらしい値段で働くのはやめろと言いましたが、最初は経験値稼ぎのためと割りきって働き始めました。週4〜5日は入りたかったのですが他の人との兼ね合いで週3日、ディナーのみとなりました。

 ここは学校から徒歩5分で便利な立地でした。ジャパレスというかテイクアウェイ専用の小さいお店で、基本キッチン2人にサーブ(私)1人。トライアル2日間で流れを教えてもらい、その後はずっと1人で接客面を担当するという状況でした。

 キッチンとオーナーは皆タイ人でした。1人でオーダーにサーブに電話に全て英語でこなさなければならず、しょっぱなからこの環境はきつい部分もありましたがスタートダッシュとしては結果良かったと思います。ピーク時など頻繁にテンパりましたがキッチンが助けてくれました。

 飲食店で働くのは日本での学生の時以来でしたが、朝からの授業の後に夜遅くまで働き帰宅、翌日早朝起きという生活はなかなかきつく、夜のシフト明けの学校はいつも眠くて眠くてたまらず、自分の体力の無さが恨めしくなりました。

 まかないは毎回大量に出してくれて、時々テイクアウェイして翌日のお弁当になったりと助かりましたが、週3日勤務でプラスにならない財政状況と、日本の頃とは別の種類の疲労と眠気で日中イライラすることがよくありました。それでもなんとか学校終了まで続けようとしましたが、学校終了後に私がシドニーを去る予定ということがオーナーの耳に入り、早めに辞めさせざるを得なくなりました。結局シドニー3ヶ月中、1ヶ月と少しの間だけ勤務しました。

NEXT

 語学学校が残り1ヶ月半くらいになった段階で、次を考え始めました。

 いい仕事が得られたらそのままシドニーに残ってしばらく稼ぐことも考え、いくつかデザイン職にアプライしましたがいい結果が得られる兆しはなく、2ndビザを視野に入れて田舎でWWOOFをやることにも興味があったので、まずはWWOOF bookを購入。

 永遠のようにも見えるリストを見ていると漠然とした気持ちになり、これを今のタイミングでやるべきか否か考えを巡らすなか、とりあえず可能性は沢山探ってみようと、興味のあるメルボルンに様子見に行くことを決意し、7月上旬の週末に弾丸トリップをしました。

 シドニーはその時期真冬でしたがメルボルンはさらに寒く、加えて終始小雨がぱらついていましたが、シドニーとはどこか違う町の空気に何か強く惹きつけられるものがありました。

 短い滞在でしたが、どうも言葉にしがたい魅力を感じ、これは直感に従おう!と、シドニー後はメルボルンへ移ることにしました。


シドニー近郊観光

あっという間に3ヶ月の学校が終わり、メルボルンへ移るまでに1週間時間を取ったので、気温も上昇してくるタイミングでやっとシドニー近郊観光を楽しみました。

Fisheyeという35mmフィルムアナログカメラで撮影

それまでビジネス街だと思っていたシドニーの別の顔を見ることが出来ました。

ノースビーチの美しさに感動して友達とビーチツアーもどきをし、地平線に沈む夕焼けとその後の夕暮れにかけてみられる素晴らしい自然のグラデーションを眺めながら、この3ヶ月を振り返りました。

After Dusk (at Dee Why Beach)

この瞬間、シドニーに来てから始めて自分が空っぽになれ、リラックスできてる、と分かりました。
こっちに来てからというもの新しいことだらけで、がむしゃらにやっていたので、元々心配性の私は自分で自分の心を休める方法を見失ってしまっていました。

後々もっと影響力が増してくることになる、オーストラリアの大自然のパワーを始めて感じられた時だと思います。


第二章  Melbourne編(2013年8月24日〜2014年1月19日)

ヨーロッパの雰囲気を残すメルボルン

とっかかり〜はじめの一歩

 当初は、メルボルンでは航空券手配と同時にユースホステルを1週間予約し、その間に長期間住む場所を見つけるつもりでいました。

 しかしホステルの値段も安くはなかったので、一時的に滞在できる部屋を個人で見つけられないかと、語学学校が終わる2週間位前からGumtreeに短期間の空き部屋募集の広告を出し始めました。すぐに何件かオファーが有り、メールで交渉開始。シェア人数、部屋の状態、設備、家賃、デポジットなど、一時滞在とはいえ実際の物件を見ずに滞在することになるので、メールで可能な限りクリアにするため根掘り葉掘り聞きました。ここで面倒になって返事を返さないような人は、実際合わずに決めるにあたり信用が置けないと思ったからです。

 1週間くらいたってから、ニュージーランド出身のご夫婦より空き部屋のオファーがありました。このご夫婦は日本に11年(!)の滞在経験があり、日本人に部屋を貸す事に対しては安心感があるとのこと。質問には迅速丁寧に回答してくれて、お部屋の写真も送ってくれて、めちゃくちゃ好印象でした。一度電話をしてみてこの人達なら大丈夫だと確信が持てたので、値段は少し予算オーバーしましたが、シドニーでの経験を踏まえてここにお願いしました。

 到着後、空港からバスで市の中央駅Southen Cross Stationまで移動し、迎えに来てくれたランドレディと初対面。メールの印象とまったく同じ親切できびきびとした女性でした。

 トラムに乗って30分くらいの落ち着いた雰囲気のサバーブへ移動し、荷物を解きさっそくシェア探しを開始。

 そしてなんと翌日に決めてしまいました。
 シティのはずれにあるアパートで、お部屋は小さかったですがビル全込み週$185とシティ周辺にしては破格でした。前回訪れた時に気に入ったQueen Victoria Marketへも徒歩圏内ということで願ってもない物件でした。

 ただinspectionの時は他にいる2人のシェアメイトと会えずじまいで、入居前一種の心配の種となってしまい、ここははっきりさせておくべきだったと思います。働いてばかりの台湾人の女の子と、大学生の中学人の女の子。基本二人共いい子たちだったのですが、中国の子とは文化の違いからかなりストレスがたまり、積もりに積もって彼女の退去前に大げんかをしました。お互い言いたいことを言いスッキリし、最後は気持ちよくさよならをしましたが、お互いの部屋も近く狭い空間に住んでいたので、滞在中は大変でした。シェアは場所でもなく、値段でもなく、やっぱり一緒に住む人がキモです。

 それにしても不思議で、私は基本文句を言ったり喧嘩をしたりということをあまり好まないタイプですが、英語だと良くも悪くもストレートに感情が表せ、ちょっときつい言葉も平気で言えるというか、文法の構造上そうせざるをえないのでしょうが、これが以外に気持ちよかった(笑)ので海外で正直に生きるためにもっとガチで喧嘩できるようになろうと思いました。


ヤラ川
 話がそれましたが、予想より早くシェア先が決まったので少しゆっくりモードになってしまい、加えて移動まで2週間ほどあったので、翌日から近所を散策し始めました。

 すぐ近くにヤラ川が流れていて、ウォーキングやジョギングができる道が整備されており、公園は美しく、移動前には名残惜しくなるほどとても素敵なエリアでした。

 ニュージーご夫婦は日本語のエキスパートで、時々日本語を交えながら会話していました。

 私が到着したばかりで友達も少ないだろうと、友達である日本人の男の子を一人紹介してくれて、ここから後々発展することになります。滞在中に私は誕生日を迎えたのですが、そのことを伝えたらなんとケーキを作ってくれて、ディナーも振る舞ってくれました!移動後も連絡を取りつづけ、たまに一緒にディナーを食べたりして、凄く良いお友達になりました。

苦戦の仕事探し

 気持ちを奮い立たせ、シティ近くにシェアが決まったのでシティで仕事できればいいな、英語力強化を考えるとやっぱりホスピタリティ職が良いな、と、とにかく数打てでシティのカフェ、レストラン中心にCVを配り始めました。

 平行してデザイン職にも片っ端からアプライし、Gumtreeに広告も出してみました。しかし数打てど反応は薄く、レギュラージョブが決まらないままシティに移動する日が来ました。

 このあたりで新しいシェア先に払ったボンドが予想以上に高く、口座がピンチになっていることに気づいて焦りはじめました。最初はローカル環境に拘っていたのももうどうでもよくなり、ありつきやすいジャパレスをメインにCVを配りました。それでも接客経験の浅い私はトライアルで落とされ、一時はトライアルで得た報酬で食べる事態に陥っていました。メルボルンはカフェ、レストランなどホスピタリティ文化で有名な町であるため、飲食店はどこも要求のレベルが高かったように思います。(私的見解です。ただただ(たまたま?)苦戦したのでこういう見方になってるのかもしれません)

 そして都合の良い時だけ呼んで結局レギュラーでは雇わなかったり、採用すると言っておきながらその後連絡を断ったり、一部のオーナーの適当さに愕然としました。怒るどころか ( ゚д゚)ポカーン となりました...。

 デザイン職の方はチャンスが巡ってきてもボランティアで、当時の私はそれどころではなかったためどれも縁のないまま終わってしまいました。

 この時期はもう肩を落としっきりでした。
 英語力はあまり関係がなかったようにも思います。
 要はその分野で仕事ができるかできないか(もしくはハッタリをかまし続ける度胸があるか)で、めちゃくちゃpracticalだと思いました。プロフェッショナル職に関して言えば、テンポラリーのワーホリビザでは雇ってもらうのは相当厳しい様子でした。

 とにかく必死だったので頭が硬くなっていた気がしますが、競争率の激しいシティにこだわっていたのがよくなかったと思います。現地に着いた翌日にシェア先を決めてしまった時点で、発展していかなかったのだと思います。

メルボルンの魅力

自然と人工物がうまく調和した街
 実質仕事もなくお金もなくカツカツな日々で、傍から見ればみじめでしたが、それでもメルボルンには不思議と居るだけで心地よい吸引力がありました。

 自然と人々の生活基盤が美しく融合した町並み、モダンとレトロがうまく共存している建築物、無料で常設展が見れる沢山のギャラリー、お洒落なオープンテラスカフェが並ぶ賑やかな通り、フードからハンドメイド、ヴィンテージまで様々な分野に特化したマーケット... モノづくりするアーティストが沢山住んでいるというのもうなずけます。

 どれも私には魅力的でした。
 インフラ設備などいろんな分野の調査に基づいた「世界で最も住みやすい都市ランキング」で実質no1をもぎ取った都市だけあります。色々なものが調和していて、心地いいのです。

 他の大陸のどの都市とも違う独特の顔 = feature があり、それに魅了されて沢山の移民たちがやってくると聞きます。そんな見えない糸に私もグイグイ引っ張られ、生活基盤が築けていないままでもさっさと切り上げてどこかへ去りたいとは微塵も思いませんでした。他の友達づてで現地に住む人と何人か友達になり、時々電話したり晴れた日にはBBQして、リラックスする時間もとるように心掛けました。励ましてくれたり喝を入れてくれる存在がいたことも大きな助けとなりました。


転機〜カフェトライアル

 レギュラージョブが決まらないまま一ヶ月を過ぎたところで、ニュージーご夫婦が紹介してくれた日本人の子にアドバイスを求めることにしました。

 その子はローカルカフェで働くバリスタで、始めて会ったのは彼が働くカフェだったのですが、そこで彼が作ってくれたラテアートとコーヒーの美味しさに感動し、それがきっかけでバリスタに興味が芽生えたからです。

へにゃへにゃlatte art
 私の状況を説明すると、なんとコーヒーの作り方は教えてあげるから自分のカフェで働けばいいと言ってくれたのです。それからすぐボスに相談してくれ、週1だけ彼のアシスタントとしてカフェに来てもいいことになりました。

 正式な雇われではなく無給でしたが、そのころには他に週2日でのジャパレスの仕事が決まり、なんとか食べていける状態にはなっていたので、無給だろうが関係なく、カフェで働きコーヒーを教えてもらえるというだけで嬉しくて夢中で学びました。手伝えそうな時には率先して洗い物やサーブをしたり、自分からできることは何でもしました。

 ここのボスと他のスタッフは皆優しくて、いきなり入ってきた私を暖かく迎えてくれました。
 職場は基本リラックスした雰囲気で、皆時間ができればスタッフ同士やお客さんとお喋りしていて、とてもアットホームなカフェでした。

 このカフェはシティではなく私が最初に住んでいたサバーブにあり、客層も子供連れや近所の人達が多く、ビジネスマンが多く常に忙しそうにしているシティのカフェとは違った雰囲気でした。次第にカフェの人手が足りない日にはヘルプとして呼んでくれ、その際にはお給料も出してくれるようになりました。

 ウェイターの時はコーヒーをこぼしたりオーダーが聞き取れなかったりとまあダメダメでしたが、少しでも役に立ちたいと思いながらやっていたので、その思いが通じたのか、スタッフの一人として呼んでくれるようになった時は本当に嬉しかったです。

 心の支えになっていたこのカフェの仕事も、オーナーの交代により2ヶ月で終わりを迎えてしまいます。
 その後、この経験をきっかけにいくつか別のカフェのトライアルにも呼ばれましたが、実力不足で採用には至りませんでした。

 他のジャパレスの仕事は続けていて、少しずつですが口座残高は持ち直して来ていました。

次のステージ〜WWOOFへ

 このあたりでビザが半年を切り、年明けからどうするか考えたところ、シドニーを発つときに頭にあったWWOOFがとても魅力的に思えてきました。このまま町に留まってバリスタの技術を磨くチャンスを追い続けたいとも思いましたが、2ndビザという可能性を考えると、取れるのであれば持っておくに越したことはないと思いましたし、バックパック担いで旅しながらボランティアだなんて、今までの自分の人生を考えると正直現実味が湧きませんでしたが、とにかく何でもかんでも興味のあることには挑戦する年にすると決めて来た今回のワーホリ、後悔はしたくない、と旅発つことを決意しました。

 クリスマスから年明けにかけてジャパレスがお休みになり暇になったので、その間はWWOOFの準備をしたり、頻繁に友達と会っていました。

職人技latte art
 カフェツアーをして色々なコーヒーの飲み比べをしたり。
 カフェの聖地メルボルンではチェーン店が殆ど無く個人経営が殆どで、どこも際立ったカフェが多いです。
 コーヒーの味自体は完璧にバリスタの手腕によるのですが、色々勉強になりました。

 大きいバックパックをマーケットで格安$40でゲットし、きちんとした歩きやすい靴もセール価格$40で購入しました。
 天気も良くなってきたので水着を買ってビーチに泳ぎに行き、まるで終わりのない無色透明のプールのような海に夢中になりました。

 年明けにはジャパレスを辞めて住んでいたアパートを退去し、今後の資金の命綱になるボンドを無事に返してもらい、WWOOFの最初の場所に向かうまで1週間程度休みを取り、その間バリスタの友達が住むシェアの空き部屋に泊まりました。

 彼とシェアメイトも丁度仕事がお休みの時期だったので、一緒にドライブしたり、ビーチに行ったり、野生動物に会いに行ったり、有名な12 Apostles(12使徒)を見に行ったり。彼が車を持っていたので殆ど連れてってもらってばかりでしたが、友達の優しすぎる人柄に感動しつつ、短い夏休みを堪能しました。

 少し車で都市部から離れると、一気に都会の疲れや喧騒から開放されて、心地よくぼんやりとできました。



素晴らしく透明な海水のローカルビーチ

New Year @ Flinders Street Station



第三章  WWOOF編(2014年01月20日〜05月9日)VIC + WA





 WWOOFはWWOOF Bookと、WWOOF websiteの掲示板両方をチェックして次の目的地を決めて行きました。 ホスト探しはまさに最初のシェア探しの応用で、WWOOF bookには都度マーカーや書き込みを入れて事務的に利用することで効率よくホスト探しを行うことが出来ました。

 想像していた以上に移動が多くなりましたが、結果として沢山の仕事を経験し、土地を訪れ、人に巡り会えたので、WWOOFついでの旅(または旅ついでのWWOOF)をしたかのような結果になり、一箇所にとどまり続けるよりも沢山のものを得れれたと思います。

 スーツケースで移動しているWWOOFerもいましたが、こんな想定外の事態になったこともあり、バックパックで旅して良かったです。私はスーツケースは友達の家に預けてきました。2 ndビザ取得を目的に含んでいたので、ステイ先のpostcordと仕事内容は事前にしっかりチェックし、ビザフォームにサインしてもらえるかは最初のメールの段階でクリアにするようにしました。

 ただ良く囁かれている(?)通り、2ndビザ目的のWWOOFerは受け入れないというホストも多かったです。ウェブサイト掲示板を見ているとあからさまにビザ目当てな書き込みも多く、ホストから聞いた話だとそういう本来のWWOOFingからずれた動機でやっている人はまじめに仕事をしないから、だそうで、まあ無理もないと思いました。ただ、サインを喜んで承諾してくれるホストも沢山いるので、根気よく探すことが大事だと思います。

WWOOF 1箇所目(Victoria)


 最初の場所は南の海沿いの場所で、Southern Cross StationからRegional coachで向かいました。
 途中作ってきたおにぎりを食べながら先々への思いを巡らせていると、どうやら同じホストの元へ向かうらしいスウェディッシュの女の子が話しかけてきました。アデレードからシドニーへWWOOFしながら移動しているらしく、聞けばまだ18歳で大学に入る前とのことでしたが、自分の意見をしっかり持ちつつ自立した旅をしているその姿はとても大人びて見えました。

 ステイ先はHobby farmと呼ばれる小さな農家で、Organic veggiesやApple treeが沢山ありました。
 私達の仕事はWeedingやPicking、Painting、Cleaning などの一般的な農家のお仕事。ホストは体の調子が良くないお母さんとおばさまを抱えていてとても忙しそうにしており、家事を頼まれることがよくありました。この家事を頼まれる事はWWOOF期間中通して多く、それに対してどういう思いを抱くかは人それぞれだと思いますが、私は完璧にホストの人柄によりました。

 真夏の野外労働は思った以上に体力を消耗しましたが、体を動かして汗を流す仕事も悪くないと思いました。ただハエの量が半端無くて、集中力が続かず大変でした。他のWWOOFerのドイツ人の男の子がハエよけ(帽子のつばから何本か糸が垂れ下がってて、先っちょにボールのようなものが付いている)がついた帽子を持っていて、この帽子見た目はバカらしいのですがためしに被ってみると本当にハエが寄ってこず、私も買ってくるんだった!と後悔しました。

 私達WWOOFerはホストの家とは別の大きなコテージで、皆同じ屋根の下で寝食を共にしました。
 食事はホストから食材をもらい自分たちで自炊していました。毎日交代でその時のWWOOFerメンバーの誰かがディナーを作るのですが、なかには料理をしたことがない子もいて、皆で教え合ったり協力しながらワイワイやりました。

 最高で6人いたこともありましたが、国籍性別ごちゃ混ぜの共同生活で、懐かしの修学旅行をしているような気分でした。ホストは毎回十分すぎるくらいの食材をくれて、肉体労働でお腹も空くのでシティに住んでいた時以上にお腹いっぱい食べていました。畑から新鮮な野菜やハーブをつんでその日の料理に使ったり、落ちたリンゴを使ってApple crumbleを作ったり。ホストや他のWWOOFer達から新しいレシピや教えてもらいながら、田舎の自給自足スタイルを楽しみました。

 このホストはWWOOFer達に地元の良さを紹介しようと毎回Touringに連れて行っているようで、地元の滝やビーチなど、仕事の後や休みの日には広大な田舎でのDay outを楽しみました。なかでも、大陸最南端に位置するWillsons Promontory National Parkは最高ーに美しかったです。

見たこともない色の海


WWOOF 2箇所目(Victoria)



 滞在1週間が過ぎたところでWWOOF websiteの掲示板を見ていると丁度近くの場所にあるEgg farmでのWWOOFer募集の記事が目につきました。現在の場所は気に入っていましたが、ホストは2週間程度WWOOFerを受け入れない期間を設けるようで、それまでに出て行かなくてはならず、丁度よい日程からの募集でした。

 メールをすると好反応で、私が希望した日付から働ける事になり、バスで海沿いから山の方へ移動しました。

 ホストに最寄り駅まで迎えに来てもらい、車で20?30分走った後、山奥のFarmにたどりつきました。
 広い3つのPaddockがあり、大量のチキン達がのびのびと駆け回っています。彼らを狐から守る、ガーディアンドッグと呼ばれる真っ白なイタリアの犬Maremma dogも3-4頭ほどいました。見た目はラブリーなのですが扱いには注意するよう強く言われました。

 ホストは間もなく結婚するカップルで、彼らの結婚式がおよそ1ヶ月後にせまり、その結婚式の後までの滞在という約束でのWWOOFでした。それまでに1日の仕事を覚えてもらい、本人達が留守にする結婚式の日にち前後にFarmの面倒を見てもらいたいとのことでした。Contract付きのWWOOFというのも何か変だなと思いましたが、自分は2 ndビザの日数が稼げるので、分かりましたとお返事しました。

 仕事は卵の回収、検品、パッキング、動物たちの世話などでした。
 毎日のように食べる卵を生むチキン達が通常どのように飼育されているのか、OrganicとCagedの愕然とした環境の違い、良い卵と悪い卵の見分け方など、沢山の興味深い事を教えてもらいました。

 しかしホストとは別のコテージに住んでおり、山奥過ぎて携帯の電波も届かず、WWOOFerは私だけで、よく孤独な気持ちになりました。仕事も基本は毎日同じルーティンワークで、3日くらい経って飽きてしまいました。

 でも私は事前に1ヶ月以上滞在の約束がしてあったので、結婚式が終わるまで我慢しようと思いましたが、前回のホストがもし次の場所が合わないと思ったら戻ってきてくれても構わない、と言ってくれていたのを思い出し、出たくてたまらなくなりました。

 メールでそのホストに事情を相談すると、WWOOFはホストとWWOOFer双方にとってFlexible であり、お互いHappyでなければいけない。たとえ事前の約束があったとしても、あなたが今その場所にHappyではないなら出て行く権利はあるから戻って来なさい、なんなら電話で今のホストと話してもいい、と言ってくれました。しかしそのホストは2週間の間何らかの事情でWWOOFを受け入れないというのを私は知っていて、今は誰も受け入れておらず、受け入れを再開する予定の日まであと1週間と少しあるはずでした。ので今すぐ戻ると迷惑になると思い、そのホストの都合が良くなる日から戻りたい又を伝え、現在のホストに予定よりも早めに出たいと正直に話しました。

 するとそれならこれ以上の滞在を許すわけにはいかないから、最寄りのバス停まで送るから明日去ってくれと言われ、少し予感していたことが現実になってしまいました。前回のホストの元に戻るまでの間、他に受け入れてくれる場所はないかと考えると、以前から少しコンタクトを入れていたホストのうちの一つが今空きがあると言っていたのを思い出しました。次の場所を見つける為にホストの家の電話を貸りれることになり、メールしている暇もなかったので直接そこへ電話すると、明日からの受け入れを快承してくれました。翌日のバスを調べ、最寄り駅にこの時間に着くことを伝えて電話を切りました。この場所に移動してから夜あまり寝付けない日々が続いていましたが、拍車をかけてこの日は眠れませんでした。

 そして翌日、お昼ごろにホストに車で最寄りのバス停へと送ってもらうはずでした。しかしこの日は朝から最高気温が40℃を越え、瞬く間にVictoriaの山側中心にBushfireが発生しました。バス停への道が閉鎖されてしまい、Farm周辺も危険だということで、最寄りのDairyへと一旦避難することになりました。Paddockを開放し動物たちが自然に逃げられるようにして、言われるがまま荷物を積んでホストの車に飛び乗りました。ホストがこの場所には何年か住んでいるけどこんなことは初めてだと言っていて、状況の深刻さと感じると共に自分の運の悪さが呪わしいやらなにやらで、終始地に足が着かない心地でいました。

 避難先 Dairyのオーナーと共に火の手の状況を確認していると、数年前に起こったBlack Saturdayと呼ばれるVictoria州で史上最も大きなBushfireを思い起こさせると言っていました。当時の写真を見せてもらいましたがまるで映画のようで、今まで癒やされてばかりいたオーストラリアの大自然がこの時ばかりは恐ろしくなり、自然に囲まれて暮らすということは、それまで考えていた以上に様々なリスクを伴うのだなと思いました。なんでも裏表一体で、常に尊重していかなければいけないのだなと。結局どの道も閉鎖されておりどこへも行けず、この日はDairyオーナーの家に泊まらせてもらうことになりました。ホストが避難する際に持ってきたミューズリバーをかじり、空腹の状態で夜を越しました。

 翌日、未だに状況は深刻なままだがバス停がある街への道は開けている可能性があるということでした。オーナーご家族のお子さんの一人がその街で朝から仕事があるそうなので、ついでにリフトしてもらうことにしました。ホストとは終始ぎこちなく、私は一刻も早くその場から去りたい一心でいました。でも別れの時には、早めに去ることを申し訳なく思っていることと、素晴らしい結婚式になるように祈っていると伝え、Farmを後にしました。

 道はまだ一方通行ではありましたが幸運にも開放されてて、バス停のある街まで辿りつけました。リフトしてくれた子とお別れし、バスが来るまで時間があったので久しぶりに小さなカフェで大好きなCafe Mochaをオーダーしてみました。1ヶ月前までは普通に町で楽しめたこの癒される香りと味が、この時はとても貴重で尊いものに思え、自分の置かれている状況の違いっぷりに不思議な気持ちになりました。ここはとても小さい町で、カウンターで地元の人とちょっとお喋りを楽しんで、次の目的地へのバスに乗りました。


WWOOF 3箇所目 (Victoria)


本物がいてもおかしくないような場所

 次の場所は少し西側のHilly areaで、DIY風味の小さく可愛い外観の店がぽつぽつ並ぶ村のバス停でホストにPick upしてもらいました。

 お宅は辺り一面丘が見渡せる場所にあり、木々に囲まれたとても素敵なお家でした。

 ここのホストはOrphaned animalを保護していました。ウォンバットが3匹、ポッサムも沢山いました。

 ホストの娘さんご家族がメインのお家に住んでいて、私は離れの小さなコテージを宿泊場所として与えられました。なんとOwn shower/toilet付きで、まるでホテルのようでした。

 ホストマザーはとてもおおらかでリラックスした人で、仕事内容をざっと説明してくれた後は、何時から何時まで働こうがいつ休憩を取ろうが好きにしていい、あなた次第、というなんとも自由な環境を与えてくれました。

 私はあれこれ細かく言われるよりも自分で効率を考え働くのが好きなので、この放置スタイルは私に最適でした。

 お家には家庭用エスプレッソマシーンがあり、好きに作って飲んでいいということだったので、仕事の合間の休憩に毎日作っていました。マザーの娘さんご夫婦は元シェフで、この二人が毎日ディナーを作ってくれたのですがそれがとても美味しくて、毎日のお楽しみとなっていました。オーストラリアン料理からタイ料理までレシピが幅広く、なじみのない食材やハーブの使い方などを教えてもらいました。

 お孫さんは4歳と6歳のやんちゃざかりの女の子で、可愛くて可愛くてたまりませんでした。このご家族は地方のアクセントがあるせいか、なかなか言ってることが聞き取れなかったり、伝わらなかったりした事もあったのですが、オープンな人柄のお陰で、沢山進んでお話をすることができました。自由な環境をくれたのに感謝して、自分から進んで沢山働きました。ホストがいいご家族だったので、沢山役に立ちたいと思ったからです。

 ここは一番最初の場所に戻るまでの1週間受け入れてもらったのですが、ホストの人柄がとても気に入り、次にまた帰ってきても良いか聞くと、あなたなら歓迎だと言ってもらえたので、また2週間後に戻ってくると約束して、一番最初のホストの元へと戻りました。


WWOOF 4箇所目(=1箇所目) (Victoria)


 最初の信頼できるホストの元に戻ったはいいのですが、今回は少し前回と状況が違っていました。
 まず前回はホストマザーと共にホストファザーが自宅で仕事をしていて、2人のどちらかがWWOOFerたちの面倒を見てくれたのですが、今回はファザーが出張に行っていてずっと家に居なかったこと、前回はホリデー中で基本家にいたマザーが最寄りの町での仕事を再会させていて日中は家にいなかったこと。そして調子の良くないご老人2人が猛暑のせいで体調が思わしくなく、マザーが家にいるときは2人にかかりっきりにならざるを得ない状況になっていたことでした。

 私は前回での経験があるので基本的な仕事内容や待遇などは分かっていたし、マザーの状況は理解できるので放置されがちになっても何も言いませんでしたが、私の他に同じ日に到着した他の2人のWWOOFerはマザーのWWOOFer放置っぷりが不満なようで、次第に愚痴り始めました。

 共にしない食事や増える家事・雑用に、召使のような扱いを受けていると思っていたようで、分からなくもありませんでした。そのうち1人が近くの受け入れ先に移動し、別の1人もPaid jobのオファーを受けたからと移動する事になりました。私は前回の場所に戻るまでの2週間、救いの手を差し伸べてくれた恩もある事から、何も言わずに手伝いつつけようと思っていましたが、次第にマザーの態度や要求がtoo muchに思えてきてストレスになり、やはり少し早めに去ることを決意しました。

 もう1人の子が移動する前日、ホストに早めに出たい又を伝えに行こうと家に行くと留守にしており、一枚の置き手紙がありました。そこにはマザーご家族の洗濯物を取り込んで畳み、ディナーとデザートを作っておくようにとありました。これを見た明日移動予定の子は激怒し、明日まで待たず今日出て行くと言い出しました。そして私もそれに乗っかる形で急遽逃げ出すことを決め、大急ぎで荷物をまとめ、前回のホストに明日戻ってもいいか電話すると明後日なら大丈夫と言われ、近所の町のホステルを調べ、最寄りの町のバス停まで荷物を担ぎ歩いて移動しました。そこまでは30-40分くらいでまだ徒歩圏内だったのが幸いでしたが、そうでなければ2人共熱中症で倒れていたかもしれません。ただこの時ばかりは2人共頭に血が登っていて冷静になることが出来ませんでした。

 バスに乗ってとなり町まで行き、ホステルにチェックインし、メールをチェックすると私達が逃げたことに気づいたマザーからメールが来ていました。出来る限り頭を正常に戻し、正直な気持ちとともに返信しましたが、マザーは疲れきっている様子で途中からファザーと交代し何度かやりとりしました。

 私はどのホストとも、不満があれば正直に言うように心掛けていたのですが、この時はマザーの置かれた状況を考えるとあまり言い出せず、我慢しようと不満を溜め込んでいたこと、他の2人もマザーに直接不満を言うことがなかったこと、そしてマザーご家族の厳しい状況がこのようなすれ違いを産んでしまいました。間違った時に再訪問してしまったと思います。このホストは本当はとても大らかで良い人だと思っていたのが、これをきっかけに良く分からなくなってしまい、とても寂しくなりました。このホステルには2日泊まることになり、これが予定外の痛手の出費となってしまい、2 ndビザのサインも最終的にはもらえずじまいでした。


WWOOF 5箇所目(=3箇所目) (Victoria)


 もう1人の子を見送った後、自分も前回の天国のような場所へと戻りました。
 ここまで1週間に1度のペースで移動していたので、可能な限りしばらくここに留まりたいと思っていました。

 この時期はWWOOFer向けの仕事があまり無かったようなのですが、親切なホストは私の事情を汲んでくれ、仕事をわざわざ作ってしばらく滞在できるようにしてくれました。

 きちんとしたベッド付きの小さく素敵なコテージに戻り、ゆっくり休んで眠れる環境であるはずなのに、この時期積み重なった疲労のせいか不眠症に陥りました。様々な対処法をネットで拾っては試しましたが効果が現れず、カウンセラーの資格を持っているマザーによく相談に乗ってもらってました。昼間は寝不足で目眩がしたり吐き気がしたり最悪なコンディションでしたが、それでもホストの役に立ちたいと頑張って仕事をしました。

 前回の滞在から話していたことですが、今回マザーの娘さんが新しいビジネスを立ち上げるにあたり、ウェブサイト構築やマーケティングに関して私のヘルプが欲しい、ということで今回はWWOOF中にスキルを生かしたお仕事を経験できました。

 ただ、それまで日常会話は問題なくできていたのですが、専門分野での会話となるととたんに文法や専門単語が頭でこんがらがり、もどかしい思いをしました。英語を専門分野で生かすという難しさを実感しました。

 ただせっかくの自分の得意分野なので、できるかぎりはヘルプしたいと言われたこと以上に色々と提供したらとっても喜んでくれたようで嬉しい気持ちになりました。

 今回は3週間ほどの滞在となり、休みの日には最寄り町まで一緒に出かけたり、マザーのお孫さんを学校まで一緒に送り迎えしたり、娘さんの旦那様の誕生日には一緒にお祝いしたり、短期間ながら家族の一員として楽しい時間を過ごしました。不眠症からも、少しずつでしたが、回復していきました。


Inverlochという海沿いの街にて


WWOOF 6箇所目 (Victoria)



Dried Lavender


 次はまた近くのLavender farmへ行くことにしました。
 この場所は正確にいうとfarmではなく、収穫してきた Lavenderを商品に加工するための小さな工場兼お家という感じでした。

 仕事内容はLavender 商品の加工・制作が主で、ずっとLavenderの香りに包まれて生活していました。
 と同時に花粉も舞っていたので、鼻と耳がムズムズすることがよくありました。Lavenderのエッセンシャルオイル詰めやシャンプー、ボディソープの制作、中国で大人気らしく受注が追いついていないというLavender Bearの制作など、作業は多岐に渡りました。Lavender商品カタログの膨大さに驚くとともに、その制作の裏側が覗けるのはとても興味深かったです。

 ホストはきびきびとした親切な女性で、お母様が立ち上げたLavender Businessを引き継いでいるとのことでした。

 そのお母様手作りのジャムや紅茶などが沢山Cupboadに置いてあり、ランチ時にはホームメイドのパンを振る舞ってくれて、これがとっても美味しかったです。私が到着した時他にWWOOFerは2人滞在していました。通常なら1人しか受け入れていないところ、今は繁盛期で人手がいるからとのことでした。

 最初の場所を除いてWWOOFerは私1人の場所ばかりだったので、色々と共有できる仲間がいることは心強かったです。途中メンバーが何度か変わりましたが、夜のリラックスタイムには一緒にDVDを見たり、ホストが外出している時には一緒に遊びに出かけたり、楽しい時間を過ごしました。今でも連絡をとりあう良い友達が何人かいます。

 ここでも私のスキルに関連して、ウェブサイトのアップデートをお願いされました。基本はホストのLavender farmサイトの情報の更新だったのですが、そのウェブサイト自体がかなり古く、現在のトレンドに併せて改善した方が良い点が至るところに見られたため、色々と提案したら好きにしていいと言ってくれたので、好きにやらせてもらいました。

 新しい商品の写真撮影、画像加工もしました。久々の慣れたウェブの仕事は楽しんで出来ました。
 ホストもリニューアル後のサイトをいたく気に入ってくれて、やりがいを感じられました。嬉しかったのは、出発日の別れの際、ウェブサイトの分のお礼として少し謝礼をくれたことです。通常WWOOFでの金銭のやりとりはないのですが、私の頑張りを認めてくれたようで、少し迷いましたが有難く受け取りました。

 前回のホストの娘さんとのお仕事もそうでしたが、シティではまったく使い道が見いだせなかった自分のデザインスキルが、思わぬ所で役に立ちました。しかもクライアントにあたるホストとずっと密に過ごしているので、フィードバックもストレートで、人の役に立ったという達成感が断然違いました。

 この場所に到着した時点で2 nd ビザ日数到達まではあと1ヶ月ほどでした。
 1週間ほど滞在してみた後居心地は悪くなかったので、このまま88日達成まで留まろうと決めました。計画通りに進めば、終わるのは4月下旬。1st visa終了後一度日本に帰ることは決めていたので、航空券はメルボルンからビザが切れる直前の5月下旬で年明け前に予約してありました。

 ギャップの1ヶ月は万が一のためにと意図的に作っておいたものなのですが、もし時間が余って、その時口座にまだ余裕があれば、パースへボーナス的に行きたいなーと考えていました。そこでビザに関係なく普通にWWOOFをして、メルボルンに帰るまでの数日間で観光をするという計画でした。現地滞在の知り合いも一人いたので、会いに行くにも丁度良かったのです。このままいくと実現可能な兆しだったので、友達と何人かのホストに連絡を取り、滞在の段取りを立て、イースター直後の航空券が安い時期を狙って手配しました。


WWOOF 7箇所目(WA)


Shoes pot


 パースに発つ前日、空港に行くがてらメルボルンを通過するので、スーツケースを預けてある友達のもとに1晩泊まりました。バックパックの中身を少し詰め替えて、夜はニュージーご夫婦も招いて一緒にディナーを頂きました。

 本当に優しい友達に恵まれているなと思いながら一晩を過ごし、翌朝空港へ。
 現地到着が17時頃の便だったのですが、次のホストの最寄り駅が通る路線はパースで最も物騒と言われているらしく、日が落ちてから一人で移動するのは危険だからと、友達が空港からリフトしてくれることになりました。

 この友達はSkypeの英語レッスンの先生で、日本滞在時からよく彼の授業を受けていました。父親と同じくらいの年齢の人ですが、音楽の趣味が合い、彼のお話もあってずっとパースには興味がありました。オーストラリア入国後もCVのチェックなどをお願いしたり、何度か連絡を取り合っていましたが、面と会うのはこの時が始めてでした。ダメ元でメルボルンに帰るまでの少しの間彼の自宅に泊まらせてもらっても良いかと聞いた時に快くOKしてくれ、リフトのオファーまでしてくれ、いい人過ぎて感動するほどでした。

 ここでのWWOOF先はHilly areaに位置するHobby farmで、3週間程滞在しました。
 敷地内は動物で溢れかえっていて、馬とポニーが2匹ずつ、アヒル、 ダチョウ、ヒツジ、そしてとっても見た目ゴージャスな七面鳥(turkey) に、おりこうな室内わんこが1匹いました。どこもかしこもPooだらけでスニーカーで歩くときには注意が必要でしたが。

 お庭には加えてVeggies に、たくさんのPlant、あと始めて見たのですがAvocado treeもありました。

 ホストは一人でFarmを切り盛りする女性。少々気分屋で変わり者なところがありましたが、彼女のキャラがつかめてくると同時にだんだん打ち解けあい、最後にはジョークを言い合えるような仲になりました。

 到着時WWOOFerは私だけだったのですが、1週間ほどすぎてドイツ人の女の子がやってきました。
 彼女もまだ18歳で大学入学前に旅をしているそう。ヨーロピアン10代のパワーは計り知れないです。休日にはBush walkingに行ったり、一緒にパース観光を楽しみました。

 ホストの家はHilly areaにあったことから、4月ながら日中はまだ日差しがきつかったものの、夜はかなり冷え込みました。時々ホストが昔ながらの暖炉で火をおこしてくれて、電化製品には作り出せない独特のぬくもりを感じました。ブランケットにくるまりながら、ホストともう一人のWWOOFerと一緒にTVを見たりドラマを見たりして夜を過ごしました。

 主な仕事は動物達の世話とGarden maintenanceでしたが、私は時折ホストのChildren's book projectのお手伝いをしていました。

 物語の合間に挟む写真の加工や、ホストのウェブサイトの構築、プロモに関してのアドバイスなどです。
 特に、動物と人形を交えての写真撮影はとてもいい経験になりました。

 クリエイティブワークはやっぱりお金が絡まない方が芯から楽しめるなぁと、何故自分がこの分野を好んでスキルを身につけてきたかを見つめなおす事が出来ました。画像の出来栄えには大変喜んでもらって、また今度機会があればきちんとした仕事としてお願いしたいとのオファーを受けました。WWOOFを通じてこれからも発展していけそうなコネクションができるとは、本当に何がどう繋がるか分からないです。

 ホストのリクエストでドイツ人の女の子とSushi rollを作り、近所の方を呼んで一緒に食べました。
 WWOOF中に作るのはこれで2度目です。足りない分の材料を代替してお好み焼きを作ったこともありました。日本の食文化は世界的に見ても断然ユニークで魅力的らしく、よくリクエストをされました。作るたびに喜んで貰えるのはとても嬉しく、ここは個人的に一番日本に生まれ育ってよかったなぁと思うポイントです。

 WWOOFの本質の一つにCultural Exchangeがあり、ホストと他のWWOOFer達との国境を越えての文化交流はとても有意義で尊いものに思えました。金銭関係のない、SNSにもない、ただ個人の意思でのPracticalな助け合いや情報の共有。via インターネットと対人(face-to-face)ではやっぱり差がありすぎます。振り返れば、私にとってはここが一番WWOOFを通してやりがいを見いだせたポイントとなりました。


Perth観光


Cityが一望できるKing's Parkでピクニック

 WWOOF後はお友達の先生の家に居候しながらパースをのんびり楽しみました。

 主にWWOOF中の休日に訪れるに時間が足りなかったところへ行ったり、ビーチへ行ったり、公園を散歩したりしていました。

 ここにくると日本へ帰るまで1週間ほどで、今までの疲れや緊張から一気に開放されて、滞在中始めて心の底から時間を楽しめていたと言えるかもしれません。

 友達は私の滞在中色々と良くしてくれて、母の日にはご家族そろってのランチに混ぜてくれました。
 オージー流の超カジュアルでボリュームたっぷりの母の日ランチ、お腹破裂しそうになるくらい食べてビールも頂きました(色々してもらいすぎて恐縮でしたがここまでくると自分も図々しくなっていたかもしれない)。


 あと超快晴の中、海沿いを一緒にBikeで走った日は一番記憶に残っています。真っ白な砂浜に真っ青な海。一切混ざりけのない自然の純粋色の美しいコントラストに心底酔いしれました。見ているだけで穏やかな気持ちになれ、この地で生まれ育った人々を心底羨ましく思いました。心地よい風も最高に気持ちよかったです。


cycling日和



絵画を切り抜いたような景色が続く
 メルボルンへ戻る前日には町から30分くらいの位置にある小さな島、Rottnest Islandへ行きました。

 私より長く滞在しているドイツ人の女の子と現地で落ち合う約束でした。
 丁度Weekday dealで安く行けたのです。天気予報が心配でしたがなんとか1日もってくれました。

 Bikeを借りて島を回ったのですが、自然保護区にも指定されているだけあり、物語の一部のような幻想的で美しい景色に溢れていて、それはもう眼福というか未知の世界でした。

 日本人を自覚しつつもしょっちゅうBikeを駐めて写真を撮りまくっていました。

 島に点在するビーチはそれぞれプライベートビーチのように小さく、宝石箱のようにきらきらしてて、平日だからか人も少なく、最高の景色でした。ランチタイムに彼女と合流し、持ってきたサンドイッチを2人でつまんでいると、どこからともなくQuokkaが寄ってきました。後で知ったのですがWAの一部の島にしか生息しないWallabyの一種だそうで、元々人懐こいのかかなり観光客慣れしている様子でした。値段をケチってお昼すぎの便で帰ったのですが、今度来る時はもっと余裕を持ってこよう!と誓いました。

とってもラブリー


 メルボルンに戻った後は再度ニュージーご夫妻の元に一時滞在しながら、2 nd visaで戻ってくることを踏まえ次をどうしていくか考えようとしましたが、この時は頭が(まだ)お休みモードで動いてくれずどうにもならず、なるがままにのんびーりしていました。

 最終日はご夫妻とバリスタの友達とWWOOF中に出会った友達(彼女がご夫妻家の近郊で仕事を見つけて私が部屋を紹介してあげたので、私がいる間も一緒に滞在してました)とオーストラリアらしい一旦最後のBBQディナーを頂き、その後私の荷物の多さを見かねたニュージーご夫妻が空港までのバスが出ているSouthern Cross Stationまで車で送ってくれ、最後の最後までお世話になったことに感謝ししっかりハグして別れ、そのまま深夜便で日本へと戻りました。


終章: 総括





 自分なりにあれこれと挑戦してみましたが、振り返れば人に助けられまくっていました。
 人が人を呼びまた別のモノも呼ぶというのは本当で、友達がいなければ広がっていかなかっただろうと思う部分は沢山あります。

 どんな人にも、とにかく何でも正直に話すようにしていたら、他人ごとではないかのようにきちんと聞いてくれて、大抵の人が何かしらできることは助けてくれる。そんな人々の器の広さに心底感動するも、これがスタンダードなんだよなとも思いました。世界はGive and takeで成り立っているんですね。(私はtake率が高かったので次回は是非もっとgiveしたいところです...)

 なんでもある便利社会に住んで、直のコミュニケーションから遠ざかってばかりいると、そんな超基本まで忘れがちで、これは人として恥ずべきことだと思います。逆になんにもない方がサバイブするし、人に優しくなれると思います。


 あとはプライスレスな大自然のパワーに癒されっきりでした。
 人がどう頑張ったって作ることの出来ないありのままの自然にあれだけ強力なパワーがあるとは恐れ入りました。

 オーストラリアが特に世界に誇れるものって確実に人の寛大さと自然じゃないでしょうか。
 シティを拠点にしていても広くてのんびりできる公園はあるし、バスでちょっと郊外に行けば素晴らしく綺麗なビーチや山が広がってますが、自然のど真ん中にすっぽり囲まれる形で一旦腰を落ち着けてみると、それはそれでまた違い、生活から無駄なものが削ぎ落とされ、なんだか自分がふわっと軽くなったような感覚になり、自然に守られているような心地にもなりました。

 今まで山奥や人里離れた場所に住んだことがなかった私にとって、4ヶ月のWWOOFはライフスタイルや食生活を見直し、自分なりに心地よく納得して生きる理想の生活を築くヒントを貰えました。代えがたい良い人生経験となりました。

 こんな国柄と世界中からのバックパッカーにとても開かれた環境から、始めて海外で生活しながら英語を勉強するという方たちにとって、オーストラリアは入門編として最適だと思います。


 最初こそ永住権目当てでコンタクトした田村さん、スタートさせたワーホリでしたが、途中から永住権の件は頭から完璧に消え失せていました(笑)。

 そこに固執していては今を楽しみきれないし、複雑な取得条件などを承知したうえで選んだワーホリでしたので、田村さんのアドバイスを参考に、とにかく自分の心に従って、好きなことをやりました。

 やりながら自分の心がこの場所になじみそうか、今まで培ってきたものが通用するのか、何より永住したいと思えるほど好きになれるか、規則という枠組み以上に強力になりうる人との繋がりを育んで広げていって... 自分で自分と状況を観察するように動きました。

 結果、最終的な目標はまだまだ遠いままですが、確実に積み重なったものはあります。
 直接は結びつきそうでなくても、遠周りして結び付けられそうな新たな可能性や、また別の道も頭に浮かんできました。

 なんでも実際に行ってやってみなければ、何がどうなるか分からないものですね!背中を押してくれた田村さん、とっても感謝しています。

補 充 質 問


作品

 茜さんの場合は、既にイギリスで十分な海外生活の下地がありますし、特筆すべきは本業であるデザインについても現地でつながりを得ていることです。要するになんとなく行って来ただけの海外体験ではない。もうこの時点でワーホリ1.5年分くらい終了していて、そこからさらにオーストラリアですから、密度が濃くなるのも当然、そして永住権からみの人生設計になっていくのも当然です。

3つの経験事実と悟り

ただし、ポンと永住権が取れて、すぐに仕事が見つかるものではない。そこが簡単にいけばあんまり考えないのでしょうが、しんどいだけに人生そのものを深く考えざるをえなくなる。まあ、いいことだとは思いますが。

さて、そこで、茜さんは色々経験して、とても沢山のことを考えますよね。
そして、最終的には永住権そのものにはそれほどこだわらなくなってきている。
そのことの意味なんですけど、、、、

(A)頑張って永住権と仕事をゲット→(B)安定充実した生活→(C)幸せな気持ちいい感じ
という三段階増毛法みたいなステップがあるわけですけど、(A)も(B)もすっ飛ばして、いきなり(C)になっちゃったりするわけですよね。
それは例えばメルボルンの怒涛の生活、ウーフで段々深化していく感じに現れます。ピンチ!という状況でも、どっからともなく優しい人の手が伸びてきて、なんとかなってるし、気持ちよくもなってる。凄まじく状況が改善しているわけではないのかもしれないけど、その時折に感じる幸福感や気持ちよさが宝石レベルに尊く感じる。なんか考えていた段取りと違う。

さらに、シドニー、メルボルン、ウーフ後のパースと、一応この段階でやるべきことをやったあとのオフの短い期間に、本当にのびのびした開放感と幸福感を得てますよね。まあ、達成感あってのことだとは思いますが、ある意味「何もしてない」ときに一番リラックスしてハッピーになりやすいという事実がある。

さらに、非安定性というか、良いと思ったウーフでもなんでも、長くやってると「あれ?」ってこともあるし、向うの都合で良い感じが終わっちゃったり、およそ同じ状態がずっと続くということはない。つまり安定なんか常にしないという事実。

以上の3点です。整理すれば
(1)段取りと違う点(階段式でのみ達成するわけではない)、
(2)そもそも段取りそのものが必要なのか?という点(それ以前に、何もしてないときが一番ハッピーだったりして)、
(3)常に安定しないという点(良いと思ったことでも二度目になると違ってきたり)

という経験が一回目のワーホリで得られた経験的な事実であり、成果だと思うのです。
さて、これらの経験事実と一種の「悟り」みたいなものを、これから先、二回目もそうですが、さらに長い人生においてどう生かしていくか、そのあたりはどうお考えですか?という、とてつもなくデカくて難しい質問です。禅問答か哲学かって感じですけど。

心配性

 次の質問は、茜さんは傍から見てたらイケイケでやっているんだけど、本人的には「心配性」だと言う。本当に心配性なのですか?では、なんで心配性になってしまうんでしょうねえ?という、「あなたはなんであなたなの?」という、
これまた大きな質問です。いや、単純に興味があるんですよね。

森の中に仕事があった

最後の質問、これは(1)段取り論にかかわるのかもしれませんが、メルボルン時代でのデザイン仕事は、なかなかなく、あってもイマイチ感があったのですが、その代わりウーフではちょこちょこやってて、充実感を得てますよね。

そのことの意味です。これは何を意味しているのか?
つまり、普通の感覚の仕事探し=仕事の多い大都会で職を探すのではなく、およそ仕事なんかありそうもないアウトバックの、大草原の小さな家みたいなところに仕事があったということ。

これは意味深だと思うのです。イソップ物語みたいな(^^)。でも、意味深なんだけど、どんな意味がどう深いなのか、そこはその人の解釈次第だと思いますが、さて、茜さんは、これをどう解釈しますか?という質問です。

以上、途方もない質問を投げかけてしまうわけですけど、もし、なにかありましたら、お返しください。



回 答


3つの経験事実と悟りについて

ご指摘して頂いた

>(1)段取りと違う点(階段式でのみ達成するわけではない)、
>(2)そもそも段取りそのものが必要なのか?という点(段取り以前に、何もしてないときが一番ハッピーだったりして)、
>(3)常に安定しないという点(良いと思ったことでも二度目になると違ってきたり)

これは全て予想していなかったことで、特に日本という枠組みの中にいては予測不可能ですらあると思います。
むしろこうなったら怖いな、と思っていたこと全てが現実になったと言っても過言ではなくて、でも実際なってしまって、でも思った以上に悪くなくて、こんな経験ができるのもワーホリならではかと思うのですが

これを今後どう活かしていくかということで... これは環境によって活かし方が変わってくるかと思うんです。

芯のベース部分だけ共通して持っておいて、あとは状況、場所によってカスタムチェンジするみたいな。
予測できうる範囲とできない範囲のレンジのあんばいを見て自分でコントロールするといったような。
なんか自分で書きながら答えを探ってるよな状態ですが、田村さんなら辛抱強く付き合って頂けるであろうと信じてます(笑

「段取りが違う」という点において、
私は何かを計画するときには段取りづけが大事というのはあたりまえだと思っていて、渡豪前は目標と計画をいかにうまく立てるかといった本を読み漁ったりしていました。
どれも書いてあることは同じようなことで、一旦ゴールを決めたら、どう取り組んでいくかをじっくり考え、まず可能な範囲から試していき、途中自分へのフィードバックを入れながら、改善したり練りなおしたりして、一歩一歩、確実に。
といったような内容です。

それが今思えば、それらの本を全部燃やしてやりたいわと(笑

いや、きっと正しいのだと思います。自分の生まれた国で生計を立てていくのにおいては。
特にガチガチにモノゴトが組まれている社会においては。

しかし別の国で外国人として立っていく場合そうとは限らないと知らされました。
国の文化、言語、経済状況、雇用状況も千差万別。それがオーストラリア、そしてほぼ全員バックパッカーだと思われがちなワーホリビザ保持者では、計画通りに進めるなんて(特に仕事やキャリアに絡むようなことにおいては、よほど求められているようなスキルが無い限り)ほぼ無理に近いと悟りました。あんなことやこんなことが起こる。

私も実際行く前にあれがしたい、これがしたい、と思っていたことに全てチャレンジしましたが玉砕と言っていい結果でした。
逆に、全く予想していなかった新しい分野へ足を踏み入れる機会や、ひょんな機会からやりたかったことがかなったりしました。

どうして導かれたのかなあと考えると、体験談の最後にも少し書きましたが、非常に簡単で、常に誰かに自分がやりたいことや興味のあることを話していたからでした。

人が人を呼び縁を呼び、横にどんどん伸びていくこの感じ。
これは私がロンドン時代、向こうでの生活にすっぽりはまった核の部分ですが、今回もまた同じでした。

ワーホリビザの場合、特にその国の理論に則り真っ向で勝負をかける(=皆同じことする)よりも、別のところにきっかけは潜んでいるんだと思います。そしてそれにはあらゆる場所に行ったり、人と話したり、趣味程度で何か新しい事に挑戦して みたり。
とにかく自分をexposure(さらけ出す)し続けることで、全てのことが何かのきっかけになり得ると思います。そこから広がっていく。

これは、もし一定の安定した仕事を得たとしても、続けることで新たな化学反応が産まれえるし、重要な事だと思います。
面と向かって人と関わるのが苦手であればネット上で自己アピールし続けてもいいと思います。
私はこのケースではないのですが今やSNSの強力さは世界中で知られるところだと思いますので。

ワーホリ前は、仰るとおりで仕事=永住権=安定、といったような方程式が頭にありました。
というのも通常こっちで需要にマッチするスキルがあって仕事があってスポンサーがいて永住権という流れなので(このへんはじっくりAPLaCで学ばせて頂きました)。永住権が取れるころにはこちらで一定の収入がある状態、なるほどな〜と。そういう見方があったのだと思います。
あとは将来的なパートナーと出会うか。(残念ながら私にはまだその時は訪れてませんが...笑

未だに永住権は一種のゴールであることに変わりはありませんが、個人の幸せレベルで言えば、その時その時で考えると、直接的にはそれほど関わりないかもしれません。

もちろん長期的なスパンで見れば、違う国をベースに生活する切符が与えられた分、選択肢も増えるし幸せの種類も増えると思います。でもはっきりと予想なんてできたものではないし、逆に辛いことの方が多いかもしれない。特に海外という場所においては。

過去一年、私は日本では得られなかったような幸せを感じる時が沢山ありました。
逆境という環境にいたから余計だったのかもしれないけど、それでもココロの芯の部分が暖かくなるようなしあわせです。

これってなかなか感じられるようなものではないと思うんです。
お金が手に入ったんじゃない、豪華なプレゼントを貰ったのでもない、仕事を評価されたのでも昇進したのでもない。
幸せの価値観は人それぞれですが、少なくとも私にとって一般的に言われるそれらの幸せレベルは、それほどでもない。

そこで安定=私にとって幸せなのか?と考えると、そうとは言えないのかもな、と。
むしろ流動的である方が、より沢山の人に出会い、物に触れ、場所に訪れることができ、結果もっと沢山の幸せに出会える可能性ができる。
もちろん、自分の家を持ち、家族で暮らして、自分の部屋のインテリアを自分なりにリラックスできるように考えたり、そんな一定の「安定」を持つ友人の姿を見ると、いいなぁ、と思うことはあります。
自分の心地よい一定の空間をどこかに作りたいと思うことは有ります。それも一種の安定であるからです。

しかしその分、行動レンジは限られてしまう。

要は、自分の許せる範囲で自由でいて、かつある程度安定もしているという、このへんのバランスのコントロールがキーかなと自分では思います。で、それに大きく関わるのが、周りの人との関係であると思います。

そして永住権に繋がるおそらく最も重要なファクターもまた対人関係であると思います。
おそらくこれは、オーストラリア以外の国の場合でも言えることなのではないかと思います。

2つとも結果導かれたものがなんか同じになりました。
「人」です。
なんかもうこれ一文字で全部まとめられます(笑

これからの人生長期スパンにおいては、この「人」という軸にその時の環境をミックスして、縦というよりも出来る限り横に横に広げていくことがキーかなと思っています。

むしろ縦に突き進む事は私には無理です...。大金出世への野望なんてみじんもありませんし。
いい人に囲まれて、その時時で心地よく自分のコンフォートレンジを築きながら暮らせれれば、きっと生涯満足しているのだろうと思います。
自分にとっての幸せのタネは横へ行かないと見つからないのだと気づきましたので。

心配性について


そして「本当に心配症なの?」という部分ですが、本当です。チキンです...(笑)
こんな事を書いてはいますが体は正直で、滞在中は気づかないストレスで体に異変をきたしました。
自分でも驚くことにロンドンの時と同じ異変です。
人には自分が居て心地よく感じるコンフォートゾーンというものがあるとどこかの記事で読みましたが、私にとってそれは生まれ育った土地にほかならい訳でした。ここから徐々に脱却していく事は今後の課題の一つです。

普段、本当に人と話すのは好きですしお喋りな方だと思うので、こういう事をいうと「まさか〜」とか言われるのですが、
自分は結構2面性があるなと思っていて、誰かといてソーシャルモードなときと、一人でいるとき。

ソーシャルモードな時は、どんどん話すし、話を聞くのも好きです。私の場合考えながら話しているといった感じなので、入念な準備がいる面接や プレゼンなんかはダメダメです(笑

一人でいる時は大抵クリエイティブモードで、デザインなり絵を書くなりといった作業を黙々としてる時です。
でこのクリエイティブな事をしている時以外で一人の時は、無意識ながら、常に何か頭で考えて頭のなかで一人でつぶやいているのです。
デザインの案だったり友達の事だったり明日の仕事の事だったり将来のことだったり、色々ですが、一人だとそれを口にだして話せる相手がいないので、出口がなくて自分の頭のなかでグルグルしている状態ですかね。

これが収まってくれなくてよく眠れなくなることがあります。こちらの方に「考えすぎ、リラックスしたら」としょっちゅう言われますが、考えてしまうもんは考えてしまうんだから仕方ありません。考えなくするにはどうするか本気で教えて欲しい時もあります。

で時々ドツボにはまってしまうことがあります。不安でなかなか吹っ切れなかったり。未だにCVもってお店に突撃するのにはひるみます。
でも不安に思っていたことは、大体やってしまえば平気だった!と言うようなケースが多いんです。
これは対人を相手にすることが多いから、スッと自然にソーシャルモードになるのだと思います。
基本私はこの2面性で出来ていると思います。で、なんとかなってます。

これ、結構自己分析できていると思うのですが...笑。
なにかご意見があれば下さい田村先生!

ウォーミングアップの最新作
(以下:田村によるレス)
これ、読んでて思ったんだけど、2面性というよりも本質は一つなんじゃないかな。
茜さんは頭の回転が早い、、というか、ある程度の速度で頭が回転している状態が気持ちいいし、それが通常運転なのでしょう。

一人で作業しているときは自己完結しているから、壁打ちテニスみたいに自分で黙々と打ってるだけで結構充実するし、テンポも気持ちいい
ソーシャル局面になると、相手との間でのキャッチボールやラリーがいいリズムになって、これも気持ちいい。歯車がかしっと噛み合ってある感じがする。

だからですね、一定速度で思考が回転していると気持ちいいという本質は同じなのではないか?2つのモードがあるといえばあるんだけど、壁打ちか対人コートという局面の違いであって、テニスをやってるという意味では同じではないか。そういうのが好きなんだと。

さらに深くいえば、デザイン、アート、これは音楽でもなんでも創作活動って、一種の対話だと思うのですよ。壁打ちテニス的な。デザインでも色やカタチの対話というか、こういう色にしたらどうか?あーダメ!じゃあこうしたら、あ、これはちょっといいかも、でもそうするならこうしたら、おお中々いいじゃん、、て、やってみては微妙に変化する、変化が返ってくる、それがおもしろい。その変化によって又新しい発想が生まれて、やってみると又ちょっと意外なものが返ってきて、、、。

他人とワイワイやってるときも、本質は同じだと思うのです。面白い会話ってそうですもんね。「え、そんなこと言う?」「じゃあさ〜、これはどう?」ってどんどん変化し、発展するでしょう。頭は気持ちよくコロコロ回るし、自転車で風を切って走っているような快適な疾走感がある。

だから同じことじゃないかなあって。

で、「チキン」になるのは、壁打ち→ラリーになる「過渡期」じゃないでしょうか?ボールを打って、ちゃんと返ってくるのか、気持よい応酬になってくれるのか、そこが不安。投げたら投げっぱなし、、、ってつまらないことになっちゃうんじゃないか、って、そこが恐いという。ほんでもってやってみたら、意外といい感じでラリーが始まり、楽しくなるという。そういうことではなかろうか?と。

だもんで、チキンといえばチキンなんかもしれないけど、それはよくある「失敗すると破滅だあ」的な恐怖感情に彩られたものというよりは、「気持よくないとイヤだなあ」ってことじゃないんでしょうかね?

 ご意見ありがとうございます。
本質は1つかあ、まさに裏表一体ですかね。でもそうかもしれないです。
何かが常に起こってないと嫌で、ふと自分がStuckしていると気づくとそわそわして、ああ時間が勿体ない、何かしなきゃな〜というような気分になって...これが「考えすぎる」ということなのかもしれないですが。

 海外生活はStuckの連続ですので自分の調子の波も激しく、この辺余裕こいてサーフできるようになるのが今の理想です。 クリエイティブ作業なんかはまさにアウトプット、自分との対話です。自分の好きに創作しているときはまさに自己完結で気持ちいいのですが、クライアントありきの仕事は対話の相手がいなくてはモノが成り立たないので、それでこの裏表のバランスが取れていると思います。

>チキンといえばチキンなんかもしれないけど、それはよくある「失敗すると破滅だあ」的な恐怖感情に彩られたものというよりは、「気持よくないとイヤだなあ」ってことじゃないんでしょうかね?

 そうですか、どうもです。そう言って頂けるとなんだか救われた気がします(笑
自分、完璧主義とまではいかなくてもどこか近いような感覚があって、それが障壁になっている気がします。
そことっぱらえたらもっと楽なのになぁとは思います。海外では特に。
英語もそうです。大分開き直れてはきてますが、開き直り具合もまだまだな気がします。(ここのこだわりも障壁かも...笑
ときたま自分の体と精神が分離しているような心地になるときもあります。心は行っちゃえーなんだけど体はもうやめときやーと言っている時があったり、その逆もしかり。自分なりに気持よく生きるヒントを探し続けます!


森の中に仕事〜について

そして最後の追加で頂いた質問ですが...
これも、皆がやりそうもない事をするのがチャンス、常識は常に常識であるとは限らない、ということなのだと思います。
例を上げれば、私の専門であるデザイン分野の仕事を求めて田舎に行く人はいないと思うんです。皆仕事のある都会へいく。
でもそれこそが落とし穴で、競争率も高いしビザの制限を考えればどういう結果に靡きやすいか想像するのは容易です。
ただ皆がしないことをあえてするのは、多くの場合はとてもリスキーです。
私の場合ハナからボランティアでという前提、失うものは何も無いというような状態で訪れ、で偶然に自分の専門分野の仕事があり、頑張ったら結果ご褒美がついてきた。というようなもので、ラッキーというか本当に人の縁だったのだなぁと思います。田舎でボランティアだからといって、ホストに自己紹介するときにはデザインできますということを書くことを怠らなかった=自分を出し続けたの が、きっかけに繋がりました。
関係なさそうに見えることでも、実は関係があったりするんだなと。



こんなところでしょうか。
答えになっていることを祈ります。
もしまた突っ込みどころあれば突っ込んで下さい。
ただ自分のアタマの中を整理するという意味で、とてもよい機会になりました!

パースに来てそろそろ3週間です。
有難いことにこ横からデザインの仕事が飛んできて、バリスタ職ゲットまでの稼ぎになってくれてるのでありがたいです。

パースいいところです。メルボルンに帰るか悩んだのですが思い切って来て良かったです。

また進展などあればご連絡しますね。
来週はゆかりさんと会う予定です!



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