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今週の一枚(2017/05/08)



Essay 824:大学学費値上げと新聞社のストライキ〜オーストラリアの最近の記事から

 C/W 漫画紹介(3)

 写真は、つい一昨日撮ったもの。すっかり秋ですよ〜。場所はSurry Hills。常緑樹が多いから、なかなかこういう樹木も少ないのだけど、あるところにはあると。
 今週は地元オーストラリアのニュースからです。
 ちらっとFBでシェアしようかと思ったけど長くなりそうだからこちらで。でも、ま、簡単に済ませます。連休明けだしねー。

大学学費値上げ

オーストラリアの事情

 どこの国も同じようなことやってますが、オーストラリアでも大学生の負担が年々厳しくなっています。
 先週、新年度の予算を発表したターンブル政権ですが、教育費の支出を減らしました(その分国民の負担が増える)。具体的な数字で言うと、大学の学費を(2021年までに漸次)7.5%上げ(来年度は1.8%)、HECSと呼ばれる奨学金の返済免責ボーダーを(年収$55,000から$42,000に)引き下げました。

 Budget 2017: University students set to face higher fees as part of Government shake-up

 Rent, debt, jobs, study: Why uni students are feeling more stressed

 あたりが参考記事になるでしょう。

 これだけ見てると現政権がアコギなような気もしますが、前政権がやった大学のfull-fee deregulation(授業料の規制緩和)は廃止してます。 緩和すると、各大学が勝手に値付けできるようになり、結果、言い値で買わされる学生の負担が増えるという皆の懸念(国民の3分の2が反対だったらしい)を受けて、従来通り国で上限額を決めるようにしてます。また、大学への補助金も、大学側が補助金をいかにつかったか、どう結果をだせたか、会計の透明性はどの程度かによって配分比率を決めるという形にもしてます。つまりは大学へのコントロールを強化した。それは大学の自治に対する侵害とも取れるが、逆に、大学側のぼったくりに制約をかませたとも言えるわけで、どっちかといえば後者の意味合いの方が強い。

 まあ、いずれにせよ「金がない」というのが最大のネックなのですね。政府に金が無い。無いといっても、借金地獄の日本に比べれば全然余裕ですし、先進国随一というくらい経済的には良いのですが、それでも厳しい。厳しいからあちこち締め付けるわけです。

 一方学生側としては、負担が増えてさらに厳しい。二番目の記事は、Orygenという若者のメンタルヘルスに取り組んでいる団体からのレポートが出たという記事ですが、大学生もお悩みのようで「lack of sleep, poor diet, being away from family, feelings of isolation among international students, academic pressure, uncertain graduate employment, and financial stress(睡眠不足、栄養不良、家族から離れての一人暮らし、留学生に囲まれての孤独感、勉強のプレッシャー、新卒後の就職不安、そして経済的な不安)等が挙げられてますが、なかでもお金の不安が大きいと。メルボルンのRMITの心理カウンセラーによれば、去年一年だけでもカウンセリングを希望する数が10%増えたらしい。

 これも分かる話です。なんせ、年々新卒者の就活は厳しくなってます。誰も彼もが大学行くようになってるので学位の価値は年々下がっている。でも学費は上がってるし、奨学金の返済も厳しくなる。要するに、買い物でいえば、価値が年々下がるものを、年々高く払われているのですから、そりゃたまらんでしょう。

 ちょっと前の821でも触れましたが、オーストラリアの先進企業ほど、もう採用にあたって、大学の学位を気にしなくなっている。あれも続きがあって、イギリス(+オーストラリア)の有名な会計事務所 EY(Ernst & Young)は、採用において学位条件を撤廃し、そのかわり別の試験(数値能力と”強さ”)を入社試験にすると発表してます(Ernst and Young drops degree classification threshold for graduate recruitment)。これって2015年の話です。「‘No evidence’ that success at university is linked to achievement in professional assessments(大学の成績とプロとしての査定能力とが関連するという証拠がない)」とまで言ってる。

 これは最近の話ではなく、昔っからある矛盾なんだと思います。企業の要求は昔から同じで「使える人材が欲しい」、ただそれだけだと。誰でもそうですわね。で、現場で使えるかどうかと、大学学位やら成績がリンクするのか?という古典的な問題があって、するような、しないような、曖昧な感じで進んでたのでしょう。でも、だんだん経済活動が洗練されていくにつれて(そのあたりの緻密な査定とかも進むだろうし)、「あんま関係ないかも」ってなったとしても不思議ではないです。

 一方学生側としては「これさえやっておけば大丈夫」という確実な保証が欲しい。大学がそのための手法になるなら、どんな犠牲を払ってでも行く価値があると思っている、てか思いたいのでしょう。根本的なミスマッチというのは、採用する側としては、自由にやりたいのですわね。「使える」かどうかの判断はフリーハンドでやりたいと。その方が漏れも少ないし、カス掴みもしなくて済む。だったら学生もフリーハンドに優秀だったら良いだけの話なんだけど、それって全然基準がないから、自分がそれでイケるのかどうかわからない。まあ、優秀な大学を優秀な成績で卒業した人は、だいたい優秀なんだろうけど、でも絶対そうか?と言われたら、そうでもないだろと。優秀な奴は、別に学位とかあろうがなかろうが優秀だろうし、基礎技能があるかどうかは別にチェックすればわかるし、学位万能じゃないだろって話です。問わないというのは、ちょい緩めに自由に判断したいなーって程度だとは思います。しかし「その程度」と言われても、確実な保証が欲しい学生としては脅威です。つまり、何が問題かといえば、「自由」に採用したい企業は固定的なものを拒むが、「確実」が欲しい学生は固定的なものが欲しいと、そこにギャップがある。

 このギャップは昔からあったのですが年々きつくなってるように思います。なぜなら企業は、それが巨大企業だろうが零細だろうが、これだけ経営環境が激変していく世の中においては、固定的な発想でやってたらヤバいですし、常にボクサーのフットワークのように軽快なスタンスでいたい。それはAIの浸透などと相まって、年々強まってるでしょう。一方、学生側としては、世の中厳しくなっているだけに、藁をもすがる思いで確実なものが欲しくなる。その確実性への欲求もまた年々高まるでしょう。これがどんな馬鹿でもスーツさえ着てたらどっかに採用されるよ、一生大丈夫だよってゆるい環境だったら、人々もそんなに確実性にこだわらないでしょうけどね。でも今は話が逆。かくしてどちらサイドからもギャップが広がる傾向にあるんじゃないかなーと。

 一番旧態依然としてるのが当の大学かもしれませんね。そりゃ生き残りに必死かもしれないけど、あの程度の経済規模の民間の中企業の必死度の比ではないと思います。特にオーストラリアの大学は、留学生でもってるようなものだし、まだ大学幻想が強く、てかまんざら幻想でもない新興国における高等教育需要の増加でウハウハとも言える。インドや中国があのまま経済発展しなかったらオーストラリアの大学も潰れているかもしれない。だからやっぱヌルい部分もあるのでしょう。需要があるから金がなくなったら学費上げればいいや、みたいな殿様気分。現政権が補助金減額や褒章的な配分をするようになったのも、そのあたりの苛立ちが背景にあるのかもしれません。わからんですけど。

 結局、親も学生も不安だから確実なものが欲しくなる。でも時代はどんどん流動的になってきて、確実なものなんか日に日に減ってきている。だから余計に不安になって、さらに確実なものが欲しくなるという悪循環です。そのあたりは、結構指摘されていて、Students should not have to worry about graduate employment while at university, outgoing head of UCAS says でも言われています。キャリア・オブセッション(強迫観念)もええ加減にせえ、と。「Instead parents should encourage their children move back home and explore their options before embarking on a career(そんなこと(何が何でも大学)より、親御さんとしては、子供達を呼び戻して、キャリアに入る前に、自分がどんな世界に探検していきたいのか、それを模索することを促すべきだ)。これはイギリスの話ですけど、もうこうなると国なんかどうでもいいです。どこも一緒だから。

怒るNZ

 国でいえば、NZが怒ってます。なぜかといえば、Permanent residents, New Zealanders targeted in university budget revamp で報じられているように、今回の改革で、永住権者とNZ人の大学生については、政府の補助をやめると言われているからです。補助がなくなるとどうなるか?といえば、一般の留学生のように、今の3倍の授業料を払わないとならなくなる。端的に言って「無理」でしょう。今でもキツイのに、3倍って冗談じゃないよと。すかさずNZのBill English首相が、"We're pretty unhappy about it"と吐き捨てるように不快感を表明してます。

 Julie Bishop smooths New Zealand anger over university fee changesというわけで、ビショップ外務大臣が「まあまあ」なだめに回っております。しかし、NZ側としては、先日発表された457ビザの改正も、市民権取るまで4年に延長されたことも含めて、オーストラリアの一連渋ちんぶりに非常に不愉快だと怒りを隠そうとはしません。怒ったままオーストラリアに公式訪問にくるという。

 現在、オーストラリアの大学生のうち永住権者とNZ人は約2万人いるとされてますし、オーストラリアに約50万人いるとされるNZ人社会にも衝撃を与えていると。そりゃそうだろう。そうなるとどうなるか、オーストラリアで育っているNZ人も結構いるわけで、彼らは補助が受けられるNZに戻って(行って)大学に行き、またオーストラリアに戻って就職するという行動にもなろうかと。そうするとですね、NZとしては税金つかって彼らの教育を援助しつつ、いよいよ税金を取る段になるとオーストラリアに全部取られちゃうわけで、だから「あ”?」ってムカついているのだと思います。

 もーね、貧すれば鈍するというか、金が無いばっかりにあちこちに敵を作ってる感じね。悲ぴー。

日本との差

 日本も似たようなものですが、しかし、状況は周回遅れ以上、何周遅れてるか数えられないくらいだと思います。

 まずお金が無い話ですが、これはもう話にならないくらい日本の方が無いです。オーストラリアなんかリーマンショック以前には財政黒字だったのですから。お金が無いといっても健全黒字化を目指すためにはまだ足りないという程度。

 お金はともかくとして大学ですが、オーストラリアの大学、厳しいのですよ。日本の基準でいえば超スパルタというか、半端な勉強ではついていけないです。それに内容的にもかなり実戦的で、一昔前は、大学の成績と、実務についてからの成績はほぼ比例すると言われているくらいでしたから。オーストラリアの大学なんか43校くらいしかない。人口2400万人で43、日本は5倍の人口がいるから200大学強くらい。でも日本には800以上大学がある。人口比で4倍。逆にいえばオーストラリアで大学生やるのは、日本の4倍の狭き門だし、入ったあとの勉強地獄度は比較にもならない。だもんで卒業生のアカデミックな達成度(プラス根性その他の人間力)もまた比較にならないくらい優秀ですけど、それでもこんなに苦労して、こんなに不安になってるわけですな。

 ただ日本の場合は、学術的達成度ではなく、地頭の良さ+従順な素直さがあれば良いという具合に、就職のポイントは違います。けど、そんな社畜適性みたいな目安でやってる時点で、現在そして将来性あんの?という気がします。そもそも社畜軍団が最強であるなら、もうちょっと今の経済もなんとかなってるような気がするし、さらにその社畜適性すらあるのかどうか疑問です。その適性とは、つまりは従順性のほかに打たれ強さなどですけど、それも微妙でしょ?

 次に周回遅れ過ぎなのは奨学金です。オーストラリアの奨学金HECSは、今回負担がきつくなったとはいえ、卒業後、一定レベルの収入を稼いで初めて返済義務が生じます。先程の記事のなかに、年収と返済金額を弾き出すプログラムが組まれてますが、年収(正確には課税所得で算出するから実際の年収はもっと高い)500万稼いだときの返済額は年間10万円です。年収一千万稼いで年間80万円の返済です(あ、円ドル換算は面倒だからドル100円で)。楽なもんだと思いませんか?年収400万だったら返済不要です。このように返済額(利率も)、卒業後に実際に稼げるようになってから、その割合に応じてなされるわけで、日本の奨学金とは名ばかりのサラ金酷似のシステムとは全然違う。オーストラリアの方がずっと楽なんだけど、それでも問題視されてます。まあ、日本の奨学金を貸す側に立って弁護するなら、そんな大学生とは名ばかりのレベルの膨大な数の学生に貸すんだから、奨学金だって名ばかりになってもしょうがないだろ?ってことだと思います。

新聞ストライキ

 Fairfax boss Greg Hywood the target of striking journalists' anger as cuts backlash continuesで報じられているように、Sydney Morning HeraldやメルボルンのThe Age, Australian Financial Reviewなどを擁する大きな新聞社であるフェアファックスで、記者達が一週間のストライキをやってます。

 なんでも編集部員125人をクビにし、30億円のコストカッティングを図ろうとしているわけですが、この30億円という額は、社長をはじめとした経営陣が最近もらったボーナス(年収ではない)の額とほぼ同じというわけで、リストラされる記者たちの怒りも激しい。

 この記事には沢山の問題点が含まれているように思います。
 第一に、125人の記者リストラって、これは結構なスケールですよ。そんなにクビにしていいのか?といえば、いいんでしょうねー。そのくらいマスメディア関係がやばいという。今回初めてリストラ話が出てきたわけではなく、それは長い長いリストラ騒動のほんの最近の一例にすぎないってくらい、もう何千人もクビになっている。

 ヤバイのは新聞だけではなく、チャンネル10も死にそうです。Ten Network casts 'significant doubt' on its viability after announcing $232m first-half lossで報じられているように、巨額の損失を垂れ流していると。テンといえば、あの世界のメディア王ルパート・マードック帝国の一角ですが、それでもこの有様。なんでかといえば、話は簡単、デジタルに喰われているわけで、デジタルって誰よ?といえば、言うまでもなく、GoogleとFacebookです。上の記事にグラフがありますが、テンの株価は10年以上低落し続け、いまはもう脳死状態で平行にぴーとなってるという。

 でもって、くだんのFairfaxも青息吐息であり、Fairfax Media in talks with private equity firm offering to buy Domain, major newspapersで報じられているように、買収されるという話も出てます。しかも全部買収されるならまだし、美味しい部分だけ買い取りたいと。美味しいのはどこ?といえば、Domainという不動産紹介ビジネスです。新聞社の財源はクラスファイドと呼ばれる個人広告で、「The Domain business is regarded as the jewel in the Fairfax crown 〜 a far cry from the days when revenue from classified advertising in newspapers were described as "rivers of gold".(ドメインの不動産広告ビジネスは、Fairfax王冠の宝石部分と言われており、その重要性はクラスファイド広告が新聞社の収入の「黄金の川」と呼ばれていた昔の時代からは比べ物にならない」。つまり本来のジャーナリズム部分は美味しくないから見向きもされていないというわけで、ここまで来ると、もうマスメディアのビジネスモデル自体が終焉に近いのかもしれません。

 で、どうすればいいの?という話ですが、多くの人が指摘してますけど、FacbookやGoogleに喰われているのなら(儲けているのなら)、彼らにも負担してもらえばいいと。実際、この両社はオーストラリアで儲けてます。広告収入だけで$3.2 billion っていうから、3200億円か、Fairfax社の30億円リストラなんか100分の1にすぎないスケールです。でも彼らは、既存のメディア記事にタダ乗りしてるだけだもんね。それってアレじゃん、違法ダウンロードをさせて儲けている違法サイトとどこが違うのよ?他人の褌で儲けやがって、多少だったらまだ許せるかしらんが、3000億円も儲けておいて知らんぷりはないだろうという。これは世界的な問題ですよね。ほんで彼らは連結財務や本社機能移転などを使って、ほとんどどこの国にも税金払わないというパナマ問題の租税回避問題も連なってきます。

 このあたりで第二の問題で、いったい今の金儲けの仕組みはどうなってるのよ?という共通の疑問が出てくるわけです。ここ10年どの問題を掘り下げていってもここにぶつかるわけだが、まずFairfaxにしても、125人のプロ編集者をクビにして会社の経費を削減するのはまだ良いとしても、それと同額をちゃっかり自分の懐に入れてるってのはどうなのよ?それも一時的なボーナスだけでそれだけ取ってるという。経営がどうの経済がどうのという以前に、人としてどうよ?という。同じくFacebook、Googleにしても、あれだけ著作権がどうのとかやかましくいう割には、こういう超巨大企業は野放し。結局、他人を踏みつけにして、恥も外聞も尊厳もなく暴利をむさぼった奴の勝ちってのがこの世界の最近のルールなのかい?という問題意識ですね。それを是とする資本主義なり経済なりは、人間が人間らしくあるためにはむしろ有害ではないかって、これも最近の資本主義終末論につながります。

 なお、AAP bureau chief rebuked over Fairfax strike tweet では、このストライキ騒ぎにおいて、各関係者がどのようなツィートをしてるかを紹介してますが、けっこう笑えます。それぞれに著名人なのに"dickhead"とか罵倒してたりして、面白いっす。一番笑ったのが、オーストラリア保守党(と言う名の小さな政党)のCory Bernadiが、デジタル時代の重要性を鑑みたのか、「digital communications officer」という求人を年収一千万で出したところ、コメディアンのNazeem Hussainが、応募したいんだけどイスラム教徒でも構わないのですが?僕はとても、とても、とっても信心深いムスリムなんですけどとからかうようなメールを出したとか。

 

漫画紹介〜PART 3

★異世界系


 異世界モノというのはどれだけ空想世界を創り上げられるかがキモだと思うのですが、荒唐無稽にしすぎてしまうとリアリティ(?)がなくなるし、かといってベッタと地続きだと飛翔できなくて詰まらないという本質的な矛盾があって、そこが難しいのでしょうね。

  [大高忍] マギ
 現在33巻まで出ているロングドラマ。アニメの第二期まで放映され、累計2300万部発行の大ヒット作、らしいのだが、僕は全然知らんかった(笑)。全然知らんまま、まとめ読みをしたら面白かった。

 アラジン、アリババ、シンドバットなどアラビアン・ナイト的でお馴染みの名前が出てくるし、コスチュームなんかもそれっぽいが、それにとどまらず、もっともっと広い異世界観を持ちます。この世界の原理はなにか、人々を統治し、幸せにするにはどうしたら良いかという永遠の政治哲学みたいな問いかけも頻繁に出てくる。

 読んだ感じとしては「鋼の錬金術師」に似てます。この世界を構成する基礎原理(真理)があり、何らかの方法でその核心に至リ、その核心から力を借用する一連の手法=ある種科学的な方程式があり、「マギ」においては「魔法」という表現が取られ、ハガレンにおいては「錬金術」という表現になるだけの違いで。ただ、マギの方が魔法の習得段階が細かく別れており(学校もあるし)、またより高次の魔法を掛け合わせるとか、とってもメタ論理的。また、個人的な旅ではじまったものが、徐々に魅力的なキャラが増え、だんだん話が大事になって国家とか戦争までいくあたりも同じ。さらに、古代中国を思わせる大帝国が出て来るあたりも同じ。でも一番似てるのは、少年マンガ的な爽やかさと熱さですね。仲間のためなら自己犠牲を躊躇わないところとか、ここ一番ってところで胸がすっとするような啖呵を切るところとか。

 ただ逆に言えばベタとも言える。魔法系のキャラのコスチュームデザインとかカッコいいんだけど、聖闘士星矢的でもある。画風も目が大きい可愛らしい美男美女系の絵でとっつきやすいけど、古典的でもある。だから全てがどっかで見たことあるベタなんだけど、それをここまで読ませる話に育てていく力量は素直に凄いと思う。ベタだから悪いわけでもないし、この世の名作は殆どベタです。てかベタ設定の方が水準を超えるのが難しい。むしろ目先変わったことをやれば、それだけでアドバンテージだからやりやすいとも言える。ストーンズみたいな8ビートの基本ロックが一番カッコいいんだけど、でもそれだけに一番難しい。

 主人公はアラジン(=マギ=大魔法使いの一人)なんだけど、最初の方は少年、つかただのコドモなのですね。優秀な力量を秘めたコドモと大人たちが絡むと雰囲気は、アニメ「一休さん」みたいな感じもするのだけど、巻が進むに連れて、イケメンで物静かな青年に成長していきます。その相棒のようなアラジン君は、皇太子なのに放浪して乞食やってまた王になったり、大商人になったり波乱万丈の人なんだけど、このキャラが一番人間臭くていいですよね。シンドバットは、絵に描いたような(絵に描いてるんだけど)男の理想像のようなイケメンで爽やかで、力も知能のずば抜けている世界の王たるキャラなんだけど、アラジンもシンドバットもちょっと出来過ぎ感があって、そこにアリババというキャラをもってきたのが勝因かも。

 魔法の世界観は、作り込みが精密すぎて、僕としては、読んでるうちから段々設定を忘れていって、そのうちどうでも良くなったというのが本当のところ。熱心な若年層のファンにはそのへんの作り込みがたまらないのでしょうけど、大人読みとしては、スルーしていいかもです。むしろシンドバット関連の政治的な問いかけ=小国乱立だと戦乱が絶えないから大きな一国の枠組みでコントロールした方が良いという方向性と、良質な統治者がいるうちはそれでもいいが、そうでなくなったときに腐敗と独善が支配し、リカバリーできなくなるから覇権を複数にしてある程度の緊張とバランスを取る方が良いという方向性、まんま今のアメリカと世界の関係(アメリカ内部の二大勢力)みたいな感じで面白いです。


 


[七月鏡一×梟] 牙の旅商人
 野盗に家族全員を目の前で殺された少年の成長物語なのだが、むしろ美貌でしたたかで強いお姉さん(ガラミィ)の方がキャラが立ってる。なんとなく松本零士的な感じで、「純朴な少年+なんでも知ってるお姉さん」の構図は、「銀河鉄道999」だし、このガラミィお姐が、クールなうえに独立独歩で悪にも善にも強いので、まるでメーテルがキャプテン・ハーロックやってるって感じ。カッチョいいです。

 画力は高く、安定してます。異世界モノも、一から十まで新規に創るわけではなく、またそうしたら何がなんだか分からんだろうし、旧来のあれこれを闇鍋的にぶち込んで創ると思います。この作品も、ベースに北斗の拳的荒野があり、且つ西部劇あり、中世ヨーロッパありですが、画力が安定しているので描きこなしてます。

 ただね、高い水準でまとまってるんだけど、突出はしてない。それは多分、世界観のもとになってる秘密の部分、ガラミィとは何者で、背中の剣はなんで、何でこうなってるの?という部分です。それ、もったいぶってチラ出ししかしないまま 7巻まで進み、しかもその間は、それぞれのエピソードだけに出てくる主役が恐ろしくて且つ悲しく、そのキャラ力で物語を引っ張っていくだけ。その限りでは読ませるんだけど、トータルとしての印象が薄いのですね。しばらくすると、なんの話だったっけ?って忘れてしまう。無法地帯となった世界を、善も悪もなくただ武器商人としての職業倫理だけで進んでいくという設定は面白いし記憶に残るんだけど、それだけでは弱い。

 やっぱ、そのあたりの基礎設定は最初にもっと出して欲しいかなー。「実はこうなってました」という北斗の拳的な後出しジャンケンでもいいけど、大まかなベースの部分は。西遊記だって、「三蔵法師が天竺に経典を取りに行く」という大きな世界観の説明が最初にあるわけで、その説明なく、謎の坊主に出会った猿が一緒に旅して妖怪奇談を繰り広げてもすっとしないようなものだと。

 とはいえ、新刊が出たら読みます。クオリティは高いので、読んで損はないですから。


 


[宮下裕樹] リュウマのガゴウ
 この異世界も難解です。途中でだんだん明らかになっていくのだけど、千年単位の過去の話と現在と未来が入れ子になってて分かりにくい上に、基礎概念の意味が逆転してるから、尚更わかりにくい。

 多少ネタバレした方が親切ですらあるのですが、核戦争のあと荒涼とした世界で、人々は「白皮」と呼ばれる巨大な異生物に捕食されるだけの存在になり、滅びを待つような状態。そこに「リュウマ」と呼ばれる英雄が登場する。リュウマは一人だけではなく、各エリアにおいて自称他称たくさんいて、歴代のリュウマがこれはと思う人間に名前を託して受け継がれていった。最初は歴代リュウマの話が続くのだが、同時に「災厄のジン」と呼ばえるアンチな存在も出てくる。

 なんでそんなことになってんの?というと、、、ここが設定部分になるのだが、大戦争によって地軸に狂いを生じた地球は、もはや人間の住める星ではなくなりつつあったのを、人類最後の叡智を結集して巨大な、衛星軌道にまで達する杭を7本(世界樹)を地殻にまで打ち込んで地軸の狂いを最小限に留めた。しかし、その影響力の及ぶ範囲以外については逆に環境が悪化するので、切り捨てた。人類最後の牙城を死守すべく高度に発達した人工知能がそれを統べるのだけど、人類を生き延びさせるためにさらに考え抜いた結果、人類自体がDNAを進化させて別の生き物をなるしかない、てか今の人類はもう駄目だから新しい人工生命を創るしかないという凄い結論になって試作品ともいうべく「白皮」と呼ばれる巨大な化物を作り出した。その計画プロジェクト(ないし統治者)を「リュウマ」と呼んでいた。一方切り捨てられるはずだったアジア地方の国、日本のことだと思うのだが、神州倭(かんすわ)と呼ばれる国の仁武王と呼ばれる王が、自分の民族を切り捨ててまで中央に媚びて出世する。その本意は中枢にもぐりこんで実権を握って祖国を守ることにあったのだが、ついに頂点に達しリュウマシステムの一部に組み込まれる時点で、人類補完(てか絶滅)計画を知り、ぶち壊すことを決意し反乱を起こして柱を一本倒してしまい、そのまま討ち死に。本来計画をぶち壊した方が人類のためであり、彼は人類の救世主であったのだが、千年の悪名をかぶることを覚悟する。この時点で、ジンは悪の化身のような「災厄のジン」になり、彼に対抗する英雄がリュウマになるという、意味の転倒が起きる。また、その時のために側においていた書類能力抜群の若者に後を託し、彼は脳だけになって数百年にわたって生き永らえ、繭王と呼ばれ人類のメンテをする。そして人類の希望を絶やさぬために、継続的にリュウマ伝説を維持管理していった、、、、

 あー、ややこし。これが「リュウマのガゴウ=龍馬という雅号」の話ですが、実際のマンガでは、各時代のリュウマと呼ばれる人々がド根性で人々を救うデテールがメインになってます。そしてだんだん背景が明らかになり、やがて打ち捨てられた神州倭の人々が反旗を翻して攻勢に出て、、そして、、って話です。

 絵はかなり手慣れた熟練のもので、1巻から9巻まで絵がそんなに変わってないです。普通だんだん変わってくるのだけど、それだけに最初からある程度の完成度にあったということでしょう。読みどころは、個々のエピソードが濃すぎないことですね。いや話の内容は濃いんだけど、淡白に記されているので、1コマの意味を味わうような読み方ができること。てかそう読まないと何がなんだか、です。1番隊から10番隊までの個性豊かな設定やら、アインスというクールで優秀な女性将校(後に国王)が、ナウシカのクシャナ皇女にかぶるようないい味出してます。でもなんといってもメインにくるのは千年物語の重みですかね。世界にハブられ、過酷な環境で目はつぶれ、寿命20歳まで追い込まれて千年我慢した神州倭民族と、妥協や話し合いができるのか?という。

 ところで、実は今調べたらつい先日に完結の10巻が出ているそうな。おお、読まねば。ただ、これどういう完結をするにせよ、人類の歴史って正味こんな感じじゃないかなーって部分が、僕にとってはツボでした。なにか首尾ととのった一貫した物語があるというよりも、大きな因果の流れはありつつも、あちこちにとっ散らかったように英雄潭があり、語り継がれ、ただそれだけという、その散漫さ、です。実際はこんな感じなんだろうなー。


 

[漆原ミチ] よるくも
 これは結構好きです。特に一巻で紹介される世界。もう格差社会の極限ともいうべき3階層の社会。上位に「街」、中位に庶民的な「畑」、そして下位に「森」がくるわけですが、その森の描き方です。最初の方にでてくる香港の九龍城砦を思わせる絵が秀逸で、一発でどんなところかわかる。

 来るべき格差社会の最下層では、もう人は人として生きられず、また人の命など家畜以下の道具として扱われる。生まれた時点から従順な生き物として飼われ、新薬の投薬実験などで知能を壊され、自動車会社の事故衝撃テストのダミーロボットの代わりの使われる(人間の方が安いから)。

 そのエリアの王ともいうべき人物の後継者であるイカれた兄妹。そして大衆食堂を切り盛りし、安くて美味しいものを作る!それがウチの正義だといい切るような、明るく元気な女の子・キヨコが主人公で、それがどうしようもない暗鬱な社会の希望の象徴のように描写される。一方、人外魔境的な森の顔役・中田に素質を見出され、一流の殺し屋として育てられるもう一人のイケメンの主人公・小辰(よるくも)。知能(よりも感情そのもの)が破壊されてはいるものの、内心この世界をクソだと思ってる中田は小辰の感情を賦活させるように務める。一方、キヨコは母親の投身自殺を目の当たりにしてだんだん壊れていく。

 とまあ救いのない話が続くのだけど、誰も彼もが病んで壊れていくなかで、最後になるにつれキヨコと小辰が結ばれ、人として再生していくあたりは結構感動的です。スラムの片隅で寄り添い合って暮らし、捨てられる子供たちを引き取って食べさせていくところで終わります。全編にスラム独特の臭気や湿気が漂い、それが生理感覚として感じられるくらいで、その独特の描写力は凄いと思うし、次にどうなるか全く読めない展開、しかし最後になると生きることの確かな救いがあることなど、なかなかの作品だと思います。


 

[伊勢ともか] 懲役339年
 これはタイトルだけで読もうと思いましたね。発想が凄いなと。
 なぜ339年になるのかといえば、無茶苦茶な宗教が国を支配してて、受刑者が死んだら、その者の生まれ変わりを国中から探しだして残刑期を償わせる。つまり、生まれたときから受刑者にされ、死ぬまで刑務所で過ごすということを何代にもわたってやりつづけいるという。

 歴代受刑者の物語が続くのですが、諦観して死ぬまで服役するもの、脱獄や反抗を試みる者さまざまですが、こんな暴政を続けていれば民衆の中にも革命を志すものも出てくる。これは懲役339年という途方もない設定をおくことで、国家権力の狡猾さ、そして騙されやすい民衆、そしてそれらが徐々に矯正されていく物語といえます。特にオレンジマンと呼ばれる高級官僚の、憎々しいばかりの頭の切れ具合、大衆扇動の上手さ。

 画は、モブサイコ100的にシンプルなものなのですが、これもそれで十分伝わってると思います。異世界モノでは珍しく、ファンタジー性が乏しく、異能力を持ったヒーローも出てこず、普通の人達が普通に動いているだけです。だからこそ凄味がある。異世界ファンタジーは、それがどんなに過酷なものであっても、「ここでないどこか」的な現実逃避の甘味があるのですが、この作品にそれはない。現実の国家のありかた、人々の集団はこうやって間違えて、こうやって直していくということを説明するために、こういう荒唐無稽な設定を使ったということなんでしょうかね。


 

[藤本タツキ] ファイアパンチ
 この設定もぶっとんでいて、氷河期を思わせる過酷な寒冷世界において、「祝福者」と呼ばれる異能を持った人がいて、例えばこの主人公は、異常なまでの再生能力を持つ。だから死ねない。飢えに苦しむ村人を助けるために、毎日自分の腕を切って(すぐ再生する)、それを食料として皆に配っているという心優しい兄妹。が、政府官吏から、食人をする忌まわしい集落として断罪され、人を炎に包む力がある別の「祝福者」によって焼き殺される。が、再生能力が強かった主人公(兄)だけは死んでくそばから生き返っていくので、焼死の激痛に永劫苦しむという凄いことになる。が、何年もかけて再生力と炎との折り合いをつけ、復讐を誓う。

 というのが一巻で、ここまでの設定は凄いな、よくそんなこと思いつくなって感じなんですけど、そこから先、政府軍と反逆者の闘争になるのですが、意外と政府軍もヘタレで、仇敵と狙うドマと呼ばれる将校も自滅してて、肩透かし。が、そこにトガタという謎の女が出てきて、一方では主人公は炎に包まれた正義の味方からさらにアグニと呼ばれる神にまで昇格して、て展開なんですけど、一巻前半の設定が凄いわりには、そのあとの物語の展開がいまいち面白くない。特にトガタという映画狂で軽いノリのキャラがなんともしっくりこないし、主人公が魯鈍みたいに自分の意思で切り開くこともしないし、どうなるんだって感じ。

 だもんで紹介しようか迷ったんだけど、このままB級っぽくなっていくのか、それとも展開が面白くなって盛り返すのか、見極めたいです。


 

[うすね正俊] 砂ぼうず
 これは根強いファンはいるみたいだけど、クソ地味な話です。これも荒廃して砂に埋もれた未来世界(関東大砂漠)で、したたかに生き抜いていく主人公の話なんだけど、全然爽やかじゃないです。

 絵は、荒涼とした砂丘世界や、過去の都市遺跡など迫力ある描写をしていて良いのですが、なんつっても砂ばかりの世界なので必然的に絵柄が地味にならざるを得ない。主人公も含め装備のためにすっぽり顔を包んだヘルメットをしてるので、誰が誰やらという。絵柄は風景や男性の装備描写などは凄いのだけど、女の子などの顔のタッチは70年代くらいに古く、昔のマンガって感じです。主人公が卑劣というか、したたかというか、知能的ではあるんだけど、人間的にどうよ?って感情移入しにくかったりして、難しいマンガですねー。

 でも、やたら超銃器マニアであり、かつ砂漠装備など異世界の創り込み方は半端ないです。全編通じて過酷な世界を描きつつも、妙にユーモラスなゆるさがあって、意地でもヒーロー話にはしたくないって製作者の気合みたいなものも感じます。

 読んでて既視感があったのだが、これ大友克洋の「気分はもう戦争」のテイストに近い。特に中央アジアの砂漠をいくあたりの、シリアスなんだかマヌケなんだかって味ですね。ああいうのが好きな人にはいいかも。世界のリアルの創り込みが凄いって感じ。よく出来たジオラマみたいな。

 異世界モノって、ゼロから世界を構築していくのに製作者のエネルギーの多くが吸い取られて、肝心な物語は?というと、そこまでエネルギーが回らないような気もしますね。無理もないとは思うのだけど。でも世界が良く出来てたら、それだけでも結構楽しめてしまうのが異世界系の特長とも言えます。


 


 以下、次回予定。

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 文責:田村



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