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今週の一枚(2016/05/23)



Essay 775:山頂にて死すべし

 お年寄りの超絶技巧の世界

 写真は、Woolstonecraft周辺

 今週は何を書こうか決めないで書きます。たらたら〜と肩のこらない漫談みたいな感じで。

この時期の楽しみ

 ああ、先に写真の解説をここに書いておきます。ちょっと枚数の多い今週の写真は、つい数日前にWalkingしたときの、ノースのウールストンクラフト駅周辺のものです。シドニーのLower North Shore、電車路線が走ってるWoolstonecraft駅とWaverton駅あたり、共にWで始まる駅付近はいいですよ。地味なんだけど。

 ハーバーブリッジ渡ってノースシドニー駅くらいまでは普通に都会なんだけど、そこから1分も走ったら、いきなり「登山電車」みたいな風情になるので、20数年前、最初に乗った時はぶったまげました。なんだこりゃ?と。東京→神田→御茶ノ水とつづく、御茶ノ水駅のところにいきなり「箱根」がくるような感じ。

 もう一つは、最近の陽射しです。いまシドニーは晩秋でそろそろ冬になります。寒いですね、いやですねってことですけど、この時期はこの時期で良さがありますよ。これから来られる方、絶望しないでね(笑)。そのうちの一つが、陽射しです。冬至(6/21近辺、日本では夏至)近辺は太陽がナナメに移動するので、早い時間帯から入射角度がナナメになってくるのですよ。

 これを生理感覚に翻訳すれば「ものすごく眩しい」時間帯が増えるということで、車の運転してると逆光でしんどい時期でもあります。でも、こちらの常緑樹の多い風景で、真冬でも強烈な陽射しを浴びると、緑がめっちゃキレイなんですよー。芝生の公園とかねー、もう光に包まれるような感じで、朝とか眩しくて目をあけてられない。そして、2時位から既に傾きつつある昼下がりから夕刻。緑の葉っぱと逆光の照り返しがいいです。

 歩きながら「この感動を写真に、、、」とか何枚も撮ったけど、なっかなか再現できない。もう現物見てください。そして、今週のお題にさりげにつなげるわけですが、年とともにこのあたりの感覚が鋭敏になってきてるなーって自分でも思うところ、この緑の綺麗さは、大げさではなく「息が止まるくらい」キレイです。

 やあ、Walkingも断続的にもう9ヶ月も続いていて、個人新記録を更新中なんですけど、一つにはモチベーション管理が自分でも上手になったこと(物事に飽きなくなった)、もう一つは(表裏一体なんかもしれないけど)この種の感覚が鋭敏になったことです。若い時はこれを退屈に感じたんだよなー、ばっかじゃなかろかって。子供の頃にウニやイクラが嫌いだとか、酒なんか苦くてよう飲めないとか、この世の至福快楽の幾つかを自分で踏みにじってるような愚かな。年とると楽しいことが増えますねー、まさかこんなに増えるとは思わんかったぜ。ということでマクラから本題につなげます。

老後の話〜死ぬまで上昇する

主観は魔法

 ということで、とりあえず今思いついた老後の話をします。老後というと、老後資金は5000万円はいるとか、下流老人がどうのとか、介護施設やら、その種の話になりますけど、僕個人はかーなり違ったことを考えてます。

 この種の話って老人になると何もかも下り坂であるという前提に立ってますよね。アレができなくなる、コレもダメになる、資産も減るわ、肉体も頭脳もどんどんぶっ壊れてくるわという、それらマイナス下降曲線にいかにして対応するかという話です。

 それは確かにそうだと思うんだけど、でも、そういう具合に考えていると暗くなりませんか?なんかさー、考えれば考えるほど気が滅入ってくるか。もうちょっと明るく考えられないもんかね?という。

 別に「明るく!」という方針のもとに考えてるわけではないのですが、ごくナチュラルに僕の発想は下り坂ではなく上り坂です。もともとそういう発想の人間タイプなんだと思うのだけど、死ぬ寸前に全人生におけるMAX頂点に達するのがいいなー、そうなるにはどうしたらいいか?です。

 もちろん客観的には下り坂なんですけど、何度もエッセイで述べているように、僕らには宇宙最強のツール=「主観」があります。主観がOKだったら全宇宙がダメといっても、主観が勝つ。だからこそ大変なんだけど(客観が良くても主観がダメなら地獄の苦しみになるとか)、でも、逆手に取れば、これほど便利なツールはないです。主観=魔法ですよ。

 じゃあどのように主観を使うかというと、年とともにどんどん身体やお金がダメになっていくほど、「ハードルが上がっている」と思うのです。より高いハードルを飛び越えるには、より高度な技術とパワーが要る。だから、日々精進しなければならず、死ぬ時点でその技量と知識はマックス最高水準に至ると。つまり、主観レベルでいえば、自分自身の力量というのは死ぬまで右肩上がりである。結果として出てくるものはジリ貧かもしれないけど、巧みにこなさなければならないマネジメント能力は一貫して向上していく、いや向上させなければならない。そして、自分がどれだけ上手になったか?という一点にのみ注目すれば、死ぬまで上がっていくだろうと。「主観的には上がるだけ」ってのはそういう意味です。



 

水泳アナロジー

 まあ、わかりにくいでしょうねー。何を血迷ってるんじゃ、こいつ既にボケてるじゃんって思われるかもしれないから、もう少し説明します。

 何もかも整っていて、全体に上げ潮状態だったらマネージするのは簡単です。ハッキリ言って、こんなのどんな馬鹿にでも出来るわけで、ビギナーレベルでしょう。水泳でいえば、清潔で適温に保たれたプールで泳ぐようなもので、(タイムを競うとかそっち方向に行くのでなければ)初心者レベル。でも、実際の海は違う。水温が必ずしも適温である保証はない。また天候もある。土砂降りや嵐かもしれない。安全な内海(内湾)であったとしても、海底の砂浜にビール瓶の破片があるかもしれないし、クラゲに刺されるかもしれないし、ビーチにたむろってるガラの悪い連中に絡まれるかもしれない。ヘタすれば高波にさらわれたり、津波にのまれて死んでしまうかもしれない。現場ならではの機微が沢山出てきて面白くなる反面、難しくなります(面白さ=難しさなのはゲームと同じ)。難しい分だけ、水泳技法もトータルマネジメント力も必要です。

 さらに、沖合に出るほど陸地に帰るまで時間がかかるのでしっかりした泳力が必要ですし、スタミナ配分についてクレバーなマネジメントも必要です。岸から離れるほどウツボなど危険な生物もいるかしらん。もっと沖、陸地が全然見えないくらいになってきたら(船が難破して逃げ出したような場合)、はるかに強力な遠泳力、無駄に疲れない浮力法なども必要だし、そもそも星を見て方角を決めるとか、浮遊してくる木片をつなぎあわせて簡易なイカダを作るとか別種の知恵も必要です。どんどん難しくなります。

 そして、足がつりましたとか、体力がもう底をつきましたとか、溺れかけている自分の子供を抱えているから何倍も疲れますとか、ここで鮫の大群に取り囲まれましたとか、条件がどんどん厳しくなる。それにしたがって、より高度な技術とマネジメント能力が必要になります。

 老後もコレだと思うのですよ。

世界を広げる、広げておく

 どんどん身体のいうことがきかなくなりまーす、生活習慣病がついに勃発しました、食餌制限で食べたいものが食べられません、人生の喜びの50%が大破!飛行機のエンジン片方がとまりました〜みたいな緊急不時着態勢をどうしのぐか?

 ここでは長年の生活習慣を強引に矯正させられるわけですが、それを絶望的な苦痛と感じる人もいるけど、これまでとは違った新しいライフスタイルの新しい喜びを発見するチャンスでもある、と捉えられる人もいる。運動不足な人は、これを機会に運動する喜びをゲットする。肉ばっか食べてた人がある日を境に精進料理みたいなものばっか食べさせられても、「こんなモンが食えるか!」とか言わないで、それまで気づかなかった繊細な味の世界を知ればいい。いっそのこと自分で苦労して自家製豆腐とか切り干し大根とか作ってみたらいい。どれだけ大変か、どれだけ奥が深いか、どれだけ面白いか、そしてどれだけ美味しいか。

 ここでは若い時期にどれだけ偏食がきついか(味覚のみならず、生活スタイルあれこれ)によって左右されます。どんなものにも良い部分があり、それをビシバシと見つけられる守備範囲の広い人は、なにがどうなってもそれなりに楽しくやっていけるけど、子供みたいな好き嫌いが激しい人は、あとになってから地獄の苦しみを味わうことになる。マネージメントが下手糞だったツケが回ってきます。

 だから若いころには視野を広げておけ、なんでもやってみろ、旅をしろと言われるゆえんですね。あれは老後対策でもあるんですよ。一千万貯めるよりも楽しい物事を増やしたほうが遥かに効率いい対策ですもん。習い覚えた快楽世界は失われませんもん。資産なんか世界経済の動向ひとつであえなく消滅しちゃうんだから、どっちが確実か?です。

重層的な経済構造

 経済面もあります。リストラ or リタイアで収入ガタ減りです、てかゼロです。再就職難しいです、貯金ヤバいです、年金出ませんってなったときに、「それでも稼げる」という収入構造を長い時間かけて構築しなければならない。

 老後の収入構造の大きなコンセプトをたてるとしたら、例えば(あくまで例えばですよ)、(1)複数化、(2)省力化の二本柱があるとします。複数化というのは、たとえ月々5000円レベルのものであったとしても、それが10本あったら5万円になるので国民年金分くらいは稼げる。これが一つだけ(一つの会社に就職)だけだったら、リストラされたら一気にゼロです。こんな恐いことやってはいけない。10本収入口があったら、全部同時にダメになるという確率は少ないし、ダメになる過程で次を模索する時間的余裕はあるけど、ゼロか百かという丁半博打みたいなことやってたら、裏目にでたら即死じゃないか。そんなの「もしかしたら執行されないかもしれない死刑囚」と変わらん。リスクヘッジしなきゃ。

 第二に省力化ですけど、早朝から起きてキツイ肉体労働をやってるだけなら、腰いわせたり、ガタきたら終わりです。そんなのダメ。出来れば電話一本、メール一本で謝礼が転がり込んでくる方がいい。よくあるじゃん、映画や漫画で、政財界の黒幕フィクサーみたいなジジーがでてきて、電話一本かけるだけ、「ああ、首相につないでくれたまえ、やあ、ワシじゃ」とかいって電話かけてるやつ。たった数分の電話で謝礼が数千万円転がり込んでくるという、あれが理想ですね(笑)。

 ま、そんなフィクサーは無理でも、コミッションや紹介ビジネスだったら直ぐにできます。信頼できる人に、信頼できる人を紹介するだけだったらリスクも少ないし、成功率も高い。皆が喜ぶWinWinになりやすいから持続性も強い。焼畑農業みたいな詐欺的なことやってても持続性にかけるから老後的には無意味でしょ。

 ということは信頼できる、良き友、良き仲間を沢山得ておけであり、そこで話が飛び交うようにすれば、メール一本とは言わないまでもかなり省力化できるし、収入源も複数化できる。でもこんなものは一朝一夕にできるわけない。何十年も時間をかけて育むものであって、だからこそ、A僑その他で今のうちに作っておけとか、練習でいいから起業しろとかハッパかけてるゆえんです。本当の戦略というのは30年やら50年スパンで立てないと意味ないもん。

生活快楽の構造改革

 収入が3分の1はおろか10分の1になっても楽しく暮らすことは全然可能です。それは僕だって日々実感していることだし、やってみたら「なるほどね」と思う人は多いですよ。固定観念が強く、硬直的な思考法しか出来ない人(つまりは頭が悪いんだろうが)は、減った分だけ不幸になるけど、そうじゃないよー。

 スキーしか喜びがない人が、春になるにつれてどんどん雪が溶けていって不幸になるようなもんで、そんなスキーばっかに固執してるからダメなんだってば。春になったら春になったで楽しいことは山盛りあるし。早くそれに気づいて、実践した人の勝ちゲームです。

 同じことをやるにしても義務感でやるのか、趣味でやるのかで主観的には天地の差があります。だから言ってるじゃん、主観は魔法だって。イヤイヤ面倒臭く思いながら自炊してるのと、おし、今日はなんたらに挑戦とかやってるのとでは、同じ手間ひま、同じ労働でも全然違う。そのあたりの発想の転換がどれだけしなやかにできるか?その柔軟体操みたいな、相撲の股割りみたいなものを脳味噌でできるかどうかがポイント。

 同じように技や知識もあります。単に白米炊いてオカズなしで食べるのはしんどいけど、炊くときに和風だし(ほんだしとか)と醤油をちょっと入れるだけで炊き込みご飯や釜飯風になります。それに、しなびた人参を細かく刻んでいれたり(なんでもいい)、冷凍グリーンピースや(これは炊きあがったあとに入れる)だけでそこそこゴージャスになりますよ。余分な費用は10円程度。金を使うな、頭を使え、ワザを使えです。

自分を信じない技法


 さて、ついにボケが始まったようです、「うっかり」というレベルでは許されないくらい記憶力がヤバくなってきてます。そうなると早急に対策をたてないとなりません、てか準備しておかないといけません。

 なにかというと「自分を信じない技術」です。記憶力に自信がある人ほど対応が下手になったりするんだけど、ちょっとでも陰りが出てきたら、もう信じないようにする。僕も30歳前後で、「お、俺としたことが」という記憶ミスをやってしまって愕然としたことがあります。

 今でも覚えているけど、その日を境にもう自分の記憶力信じなくなりましたもん。それまではメモなんか一切必要なかったし、覚えるべきことは全部覚えられたけど、「自分の記憶は常に誤りが混入している」という前提で再構築しました。水のボトル100本のうち1-2本に毒が入っているくらいの感じで、一応全部チェック。

 これも老後になってからやってたら遅すぎるわけで、もう30歳前後からやってないとならない。そしていよいよとなってきたら、自分の記憶を一切信じず、基本全部間違ってるという前提に立って、全てをその場でメモれるように、いやボイスレコーダーを首からさげておいた方がいいかな?とかね。

 これは敢えて行う自己否定みたいなもので心理的にタフなんだけど、でも症状が軽いうちにやると気が滅入らないで済みます。ダメダメになってからやり始めると「落ちぶれた感」が半端ないですけど、でも1%の誤謬を未然に防ぐくらいだったら、常に完璧を目指すゴルゴ13みたいな気分になれるから落ち込まないです(笑)。なんでもそうだけど早く対処した奴の勝ちですわ。てか、そういう数十年先のリスクをどれだけ早く見抜くかのセンスでしょうけど。

燃えるぜ

 さて、そんなこんなで、ついに寝たきりになりました。このままでは筋力が衰える一方だから身体の動かせる部位は極力動かして筋肉維持をしなければならない。動けないから退屈なんだけど、だったら窓辺の季節の移り変わり、いや1時間ごとに変わっていく日差しの変化などに新鮮な驚きと感動を抱けるくいらい精神がこの上なく澄み切ってなければならない。

 とまあ、際限なくハードルは上がってくるし、どんどん条件は悪くなってくる。それをクレバーにこなす、てかクレバーさ自体すら壊されていくなかで、いかにマネージしていくか?

 そんなことが出来るのか?って気がしますが、だからこそ逆に燃えますね。
 「ふははは、どうだ難しいだろう?お前なんかに出来るもんか!」って言われてるみたいで、そうなると猛然と中高時代のお江戸深川・佃育ちの地が出てきます。てやんでぇ、この野郎、黙って聞いてりゃ好き勝手抜かしやがって、おうおう舐めんじゃねーぞ、やってやらあ、そんなもんちょろいぜ、相手にとって不足なしだぜ、目ん玉かっぽじってよーく見ていやがれって(笑)。三つ子の魂百までで、この手のフレーズだったら何も考えずに自動演奏のように延々言えます。言えたから何の得があるのかというと、何もないんだけどさ(笑)。


「自分を使った遊び」こそ王道幸福

消費・受動幸福ではなく創造・能動幸福

 というわけで、死ぬまでどんどん難しく=面白くなっていく一方だと。何が従来と違うかというと、大変だ→悲しいではなく、大変だ→嬉しい(面白い)になってるところです。

 なんで大変だと嬉しいの?マゾなの?というと、全然違うって。難易度が高いほうが面白いじゃんってシンプルな話です。「なんでそこで面白がれないのかなー?」って僕からしたら逆に不思議なくらいだけど、要は幸福の価値観とか、視点がちょっと違うだけでしょう。

 いわゆる世間の「幸福な老後」というのは経済的に心配がなくて、客観的物材やサービスに囲まれているような状態を「幸福」って言うんでしょ?でも、それって僕からしたら「退屈」なんですよ。高い金払って、ゴージャスなホテル泊まって、豪勢な料理を堪能して、、、って、その良さはわかりますよ。でもね、それって、本当はお財布さみしいけど、いや実はヤバいんだけど、でもでも大好きな家族のためにこの際思い切って〜!という部分があってこその楽しさだと思う。何の不安も葛藤も、そして愛もなくやってたら、すぐに慣れてしまって全然面白くも何ともないよ。

 以前「幸福差分論」で書いたように、幸福というのは段差があってナンボです。ずっと平べったく同じ状態だったら、ありがたくないし、幸福とも思えない。内戦の激しい第三世界に生まれて、ろくに水も飲めない、子供でも情け容赦なく撃ち殺されるような環境で育てば、日本の今の環境なんか極楽浄土ですよ。どんな高級ホテルよりも快楽に感じるでしょう。でも、日本で生まれ育ってそれが当たり前になってまったら、なんの不安もなく水が飲めるという信じられないような贅沢をしていることすら気づかない。だから幸福感って徹底的に主観なのだ。客観じゃないよ。幸福だって一つの感情に過ぎないもん。

 だから実際そうなってみたら、結構つまらんぞ。僕自身、過去に自己歴史内の所得格差が10倍とか100倍になった経験からいうのだが、お金を貯めて〜なんてのは、たいした「対策」になってないのだと思いますよ。

 もちろんお金が無いがゆえの苦痛はあれこれあって、そこから逃れられるという幸福はあるでしょう。でも、それって消極的幸福であって、そんなものを目指す時点で既にショボいじゃないですか。それって、本来楽しかるべき青春時代に、「クラスで先生に指名されて恥をかかないように」「体育の授業でエラーしないように」とか消極的な、事なかれ主義に徹するようなものです。そんなことしてたら習い性になってしまって、大人になってもそのまんま、挙句の果てに老後もかよ?なんのことはないヤンキー高校に入ってしまったいじめられっ子みたいに一生ビクビクと逃げまわってるだけって、あほらし。そんなことしてて楽しいか?

 幸福というのは積極的、攻撃的に構築しないと感じにくいです。モテだって、受け身でウハウハにモテるのがいいかというと、全然タイプでない人達1000人に押しかけられたらどうよ?って話ですよ。自分が好きだと思う人に向かっていくほうが幸せ感あるでしょ。

 また金で買えるのは消費的な幸福がメインになってしまって、これまた受け身なのですよ。それよりも創造するほうが面白い。

 創造というのはアート的な作品だけではなく、ビジネス的な実業においても十分にあります。弁護士が訴訟戦略を練りに練るときも、創造的な喜びはあるのですよ。相手のあることだから思い通りにいかないし。裏を読んで、裏をかいて、外れて〜って。ネトゲで対戦ゲームやってる人だったら分かると思うけど。でも、そんなんやってるヒマがあったら弁護士になって訴訟やった方が多分ずっと面白いぞ(笑)。だってリアルだもん。金も入ってくるし。

 ほかにも消費的でありつつも同時に創造的なものもあります。
 隠れた名店を自分の嗅覚一本で探し出すとか、全然メジャーになってないんだけど、すごくいいモノを探しだすとか、同じ消費するにしても最高にハッピーになれるTPOを極めるとか(桜が咲いている満月の夜にコレをやると楽しいとか)。

「自分を使った遊び」こそ王道


 その創造的幸福(面白いこと探し)のなかに、「自分を使った遊び」があります。女の子がお化粧やファッションに夢中になったり、男の子が肉体改造やスポーツやバイクの腕を磨くようなものです。たぶん、これがこの世で一番おもしろい。「なりたい自分になるゲーム」です。鏡の前でポーズとって、腹筋が割れたとか割れないとか、ちょっと引いて考えれば、「それがどうした?」って話です。でもそんなことに人は他愛なく喜んでしまうし、そんなことに膨大なお金と時間を投下して惜しまない。「遊びは下らない方がより純粋になり、より楽しくなる法則」ですね。意味性や実利性を求めたら、それはキル・ジョイ (kill joy〜せっかくの楽しみに水をさす野暮の極致のような行為)。

 その「自分遊び」の王座にくるのが、多分「技の追求」でしょう。最初は人並みになりたいくらいで始まって、人よりも強くなりたくなって、強くなったらもっと強くなりたくなって、怪物のようなライバルが出現してうちのめされて、そこでまた燃えて、それで天下一になっても、「くそお、まだ甘い」とかまだやってるという。求道的といえば求道的、中毒といえば中毒です。自分オタク、技オタクになるのが、この世で一番持続性が強く、安定的な快楽・幸福だと思います。一生幸福には不自由せんぞ。

 さて、ここまでいえば分かると思うのですが、老後はその技と力がマックスまで試されるわけです。いよいよ死の数年前くらいになってからが本番。神聖なる「最後の試合」であり、最高難度の技に挑みます。身体の半分くらいはいうこと聞かないわ、死を目前にした平常心というメンタル力の極限を日々試されるわです。

 その最後の聖戦のために、日々精進を怠らず、えいえいと庭で木刀を振るわけですね。それが「老後の計画」です。燃えるだろ?君は燃えないかもしれないけど、僕は面白いと思う。自分がどこまでいけるか試してみたいわ。

 死生観でいえば、その最後の試合でレフリーは誰かというと、多分自分であり、そして神様とかそんな存在かも。で、一定レベルに達したら、「おーし、合格〜!あがっていいぞー」って言われて、昇天するという、なにやら体育の水泳の授業みたいな。

エベレスト・アナロジー

実は老後だけの話ではない

 ところでこの変な発想って、昨日今日でてきたものではなく、30代くらいから何となく思ってきたことの延長線にあります。

 「年とともに難易度があがる」というのは、おそらく20代後半くらいになってから誰もが感じると思います。身体的な問題だけではなく、一般的な行為水準も同じことです。赤ちゃんだったら立って歩いたというだけで周囲からやんやの喝采を浴びるけど、しばらくしたら全然褒めてもらえなくなる。しまいには「落ち着きのない子」とかいって怒られる。ハタチのときには周囲から賞賛されたことを30歳で行ったら「馬鹿か、お前は?」と言われる。難易度あがるんですよ。昨日やってウケたギャグを今日をやってもウケないみたいな。

 そして肉体的な老化です。身体劣化は20代後半から始まります。まずは激しい運動のマックス点が下がってくることに始まり、徐々に無理がきかなくなる。老眼は30代から始まる。風邪をひきやすい、治りにくい、二日酔いがきつい、すぐ眠くなる、、、あたりから、次第に意味もなく体調が悪くなるという理解不能な領域に突入します。加齢によるホルモンバランスが変わっていくときの身体や精神に不調というのは、人によっては自殺するくらい乱気流になる。

 一方では社会的責任は重くなるばかり。家族を養い、部下を指導し、親がヤバくなり、会社もヤバくなり、だーもー面倒くせえ!ってなる。前にも書いたが、日本の40−50代の男性の自殺率は20代のそれの4倍ですから、普通に4倍死にたくなるくらいの重圧になる。しかしその責任すら負えなかったら、それはそれで敗残者みたいな気分にさせられたりもするし、どっちころんでも大変。

 Good Newsは、ゆっくり時間をかけて変化するので対応する時間もまた十分にある点です。意識的にやってると上手くなりますよね。障害物競走とかコンピュターゲームみたいに、走ってたらいきなり路上の車が突っ込んできたり、生け垣の中から槍が飛び出て突き刺されたりするんだけど、次第に上手になって、「おっと、そうくると思ったぜ」とかいってヒラリとかわせたりする。理由不明に身体が重くなったり、異様にスタミナが落ちたりするんだけど、感覚が慣れたらヤバくなる予兆をかなり先に感じ取って、機敏に方針転換出来るようになる。また転換する方針のスペアも昔はゼロだったのが、そのうち5−6種類くらいバリエーションがあって「どれにしようかなー」とか選べる。行動燃費も良くなる。大汗かいて走り回って結局もとの場所に戻ってくるなら、研ぎ澄まされたタイム感一発ですっと10センチ身を動かすだけで同じ目的を達成したりできるようになる。老練、巧妙になってくる。すべてはその延長線だと。

 エベレスト登山でいえば、10歳で1000メートルくらいの感じでしょうか。20代までは2000メートルだから、ちょっと高原くらいだけど、30代で3000メートルですから、そろそろ「高地順応」の準備が必要になりますね。気圧も変わるし、酸素分圧も変わるから、平地よりも疲れるし、ひどい体調不良に悩まされたりもする。これが4000メートル代になってきたら、マジに順応必要です。

 そして、五千、六千、七千ときて、80代になると8000メートルだから、そこに存在するだけで細胞が死んでいくという。そこでいよいよ超人的な判断力と体力で頂上を極めるという大冒険です。

お年寄りの超絶技巧

 お年寄りの皆さんこれをやってるわけでしょう?
 傍目にはぼんやりしてたり、ニコニコ好々爺であったりしても、一枚めくれば壮絶に超人的な戦闘行為を一秒も休まずにやり続けているという。すごいもんです。基本若いうちは頭が悪いから、そのあたりに気づかないけど、本当はそうだと思いますよー。

 仮になんかの魔法で、20代の人が80代の肉体世界を体験することができたら、しんどくて3分ももたないんじゃないかな。身体のあちこちにおよそ経験したこともない、耐え難いような痛みは感じるわ、何をするにも水の中で動いているように重くてかなわんわ、呼吸だって年中無休でジョギングやってるようにゼイゼイきついわ、そもそも視界がぼやけてろくにモノが見えないわ、さっきまで何考えていたのかすぐ忘れてしまうし、ジェットコースターに乗りながら入試問題を解けと言われているような感じだわ、周囲の壮健な肉体に囲まれているということは、ゴリラの檻にひとりでぶち込まれたような心細さだわ、、、。それをニコニコしてたり、静かに従ってたりするというのは、途方も無いメンタル力やストレス耐性、限られた肉体資源を有効に集中して使うクレバーさあってこそでしょう。すごいことやってるんだと思いますよ。

 50代くらいでもそうで、80代よりはずっと楽でしょうけど、20代前半だった自分に今の自分をマネージしろっていっても無理無理、あんな馬鹿にできっこないわって思うもん。後先考えずにばーっと走って、いきなり寝込んだり、反応速度の劣化を考慮に入れないから大事故起こしておっ死んでしまうんじゃないかなー。

 本当に年とともに難しくなっていくのですよ。チャリンコ乗る技術と飛行機操縦するくらいの難易度の差がある。考えなければならない項目はどんどん増えていくし、絶妙なバランス感覚やタイム感も必要になるし、忍耐力や、それを気にしないで流すメンタル管理のうまさもいる。

 大変といえば大変だけど、面白いといえば面白い。やり甲斐あるじゃん、超難度の人生の卒業試験みたいなのが待っているぞと。いやだーとか言ってもやんなきゃいけないことに変わりはないんだし、だったら腹くくってチャレンジして、それを娯楽に変えてってしまったほうがいいだろ?という。そのあたりの発想の転換が年の功なんかもしれないけど。



さて、ここから話は佳境に入っていくのだけど、そして既に頭の中にネタは詰まっているのだけど(「かわいい」と「かわいそう」の関係とか)、でももう止めにしましょう、もう長くなっちゃったし。また今度ね。

 「とりあえず思いついた」という小ネタだけで(それも途中で)終わってしまった(笑)。まあ、いいか。

 じゃあ、最後にまたWoolstonecraftの逆光緑の風景をいくつか。今日はいつもよりも多く〜ってやつです。


 

 

 

 

 

 

 






 文責:田村




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