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今週の一枚(2016/03/28)



Essay 767:マネタイズについて(その2)

〜非マネタイズの方法と効用

 写真はいずれもRedfern駅とその周辺。
 日本帰国している間に身体がナマっていたので、またぞろせっせとWalkingやって、だいぶいい感じで戻ってきたので、調子に乗って自宅からシティまで歩いて、さらに余勢を駆ってRedfern駅まで歩きました。

 Redfern駅なんか超久しぶりで面白かったです。悪名高いEveleagh Stが普通の街になったという話もあったのですが、本当かな?ってことで、それを遅まきながら検証しようかって気持もありました。折しも日没時刻でヤバそうな時間帯になったので、こりゃ丁度いいやって。今回、ちょい枚数多いです。
 先週に引き続いて「マネタイズ」(お金にする〜お金を稼ぐ)について書きます。

 前回はマネタイズに関する根源的疑問を述べたのですが、今回はマネタイズを代替・補完するものを考えてみます。

アタマ柔らかくしてね

オフェンスとディフェンス

 幾つかの切り口があるのですが、ディフェンス(防衛・支出)とオフェンス(攻撃・収入)にわけてみましょう。ディフェンスはお金を媒介にせずに生計を立てる方向であり、オフェンスとはマネタイズ(お金を稼ぐ)する方法論の洗練です。どちらか一つということではなく、多くの場合は攻防一如で、両者の併用になっていくでしょう。

 この切り口は、普通に誰でもやってるコンベンショナルな(昔ながらの)ものです。全然珍しくもないです。
 例えば、毎月の給与よりも支出が多くて赤字ダダ漏れ状態になってるときは、一時的に近所の実家に住んで居住費を安くしたり、住民票を実家に移して親の健康保険の被扶養家族になることで保険料を減らしたりってことはよくやるでしょう。毎日の交通費が掛かり過ぎるから自転車通勤にするとか、外食ばっかではお金がかかるから自炊比率を高めましょうとか。「お金を使わないで目的を達する」部分を増やすことでトータルの支出を減らすという、これはディフェンス。

 オフェンス(収入)ですが、お金をゲットする方法をより効率化させることですが、これが千差万別あります。お金が欲しいときには通常「稼ぐ」というやり方になりますが、他にもありますよね。「貰う(贈与)」もあります。このなかには「相続」なんかも入ります。稼いでいるのか貰っているかよう分からんという曖昧な領域もありますな。「役得」ってやつです。接待で美味しいものが食べられるとか、儀礼的なご贈答(お歳暮やお土産)もあるしねー。

 あとは非合法の「盗む」とかもありますが、非合法なのはここではカットします。当たり前だろっていうかしらんけど、微妙に非合法なのなんか幾らでもある。早い話が会社のパソコンとネットを使ってこんなサイトを読んでいるあなたは、今この瞬間に業務上横領罪あるいは背任罪を犯している可能性が高いとかね(笑)。脱税めいたことは誰でもやってますよ。プレゼントを貰ったとか、昨日の飲み会でおごってもらったとかいうのも「贈与」でしょ。ご贈答や葬祭など「社会通念上相当」を超えたら(多分超えてる)贈与税の対象になりますから申告すべきって話になります(基礎控除110万以下だから結局払わなくても良いのだろうが申告義務はあるでしょ)。

 お金にまつわることって、何となく収益=働いて→給料、支出=金銭支払のバーターで生計に必要な物・サービスを得ると考えがちですけど、実際にはもっともっと幅が広いです。また、実家に暮らして住居費を「浮かす」という行為なんか、まさに攻防一如で、支出を切り詰めるという意味では防御ですけど、無料で居住空間をゲットという意味では攻撃ですからね。まあ、その対価として、親から「早く結婚しろ」とかグチグチ言われるという精神的苦痛があったりするわけですが(笑)、これって「対価」なのかというと微妙でしょう。つまりAとBを交換しますという分かりやすいバーターではないけど、なんとなく付随的についてきてしまうあれこれもあります。

 何を言ってるかというと、「頭、柔らかくしてね〜」ってことです。
 なぜって、「金=給与、必要なもの=金でゲット」と硬直的に考えていたら繰り出せるワザに限りがあるから、行き詰まりますよ。ボクシングみたいに拳での殴打しか許されないと思ってたら、実は蹴りがあったのでした、投げもあります、関節技も寝技もあります、しまいには武器も使われました、さらにはレフリーを買収されました、食べ物に毒を入れられましたというのがリアルな世界のありようですから。最初にそのくらい脳内空間を増やしておく。実際に自分が行動するかどうかは別としても、発想の範囲としては広げておかないと話が続かないよ、ということです。

ディフェンス(支出の合理化)

どんなのがあるの?

 右の図は、書くのが面倒臭いのでネットで見つけてきたものです。
 出典は、サラリーマンの平均年収の実態…普通を目指したらこうなる!サラリーマンの給料、年収や月収の手取り平均は?です。

 給料が右から左に飛んで行く〜!の図ですが、これだけ普通に見てたら何も減らせないから、「じっと手を見る」状態になるかと思います。

 ほんでも、これ、結構減らせますよね。まず家のローンがデカイです。買わない場合は家賃が相当します。日本もそうだが、オーストラリアはこの二倍以上かかる。だから、住居を安く(あわよくば無料に)したらかなり楽になる。ちょっと前に述べたどっかで住居をシェアする方法です。実家ぐらしだって「シェア」の一形態でしょ?

 あと車代(保険料含む)ですが、これも重いですね。シドニーの僕的には家賃と車がヘビーです。そろそろカーシェアにしちゃおうかなって気もしますな。ここ半年Walkingしている成果が出てきて1時間くらい歩くのはへっちゃらになったし、どうせ歩くなら買い物してきちゃえばいいし。ま、それでも必要な部分もありますが、車もねー、仲間とシェアしちゃえばいいのですよね。これも四輪の場合は運搬機能(ユーティリティ=実用性)が大きく、「乗る快感」でいえば二輪の方が良いなどの特性を考えれば、実用性重視で軽トラ的な安いのを一つ、あとは個人の機動性と快楽ために燃費のめちゃくちゃいい二輪に分けたほうが楽しいかなとか。

 あとは教育費ですけど、子供さんの場合悩みますよね。こと自分でいえば、もう別にないですけど、、、、でもこれは余談ですけど、今自分が高校生だったら大学行きませんね。無駄だし。多分、今の自分が17歳だったら司法試験ではなく、以下のように考えるでしょう。

 大学無駄な理由は、戦略的にもサラリーマンというライフスタイルがオワコンだから。そうなると個人ビジネス系にシフトするでしょ?だとしたら自分の差別化、カリスマ化を図る必要があるでしょ?その場合、まず実務的にも教養的に優秀でないと始まらないんだけど、それは図書館で借りるなり、やりゃあいいだけだけだから簡単(敢えてそういう)。同じくらい優秀だったらいっそ学歴無いほうが叩き上げの本物っぽく見えて差別化できる。要は見せ方でしょ。学歴ないことで損する局面も多々あるけど、それはルックスが悪くて損する局面と似たりよったりだろうし、そこで差別するような連中はおそらくは斜陽貴族だからどうでもいい。本当に優秀な奴らは明確な選球眼を持ってるから、相手の素の実力しか見ない、「包装紙」なんか見ない。20年後に付き合うべき相手は、したたかにサバイブしてきた連中だろうから、そいつらから一目置かれるような生き方をしておく必要があり、一つふたつ「伝説」を作っておくとともに(ネパールで冤罪くらって1年刑務所暮らしをしたとか)、軽薄ではないズシッとした本物の教養を身につけておく。どうせ大学いっても大した知識量を得るわけでもないし、大学で得た知識というのは大体において見栄えもしなけりゃ、新卒採用以外にマネタイズしにくいものが多いから、捨てても惜しくはない。もしオーストラリアの永住権みたいに学歴がポイント加算になるときは、通信でもなんでも受けて資格だけとっておく。こんなの片手間仕事でできるから、教養との絡みでリベラルアーツやるとか、インド哲学とか後期印象派とか日本陶芸の研究でもやっておけばいいし。

 ちょい長くなってしまったけど、「◯◯費」の意味を徹底的に掘り下げて、本当に意味あるんか、意味を持たしめる、リターンを多くするにはどうしたらいいかって視点で考えぬいていけばかなり削れる筈です。それは単に削るだけではなく、自分の人生の方向性やら、毎日の生活にメリハリを与える。そっちの意味の方が大きいくらい。

公的支出

 他方天引きされる公的支出があります。税金とか年金とかです。僕の場合は、ここが納得出来ないので(払った”会費”分だけの"会員サービス"がない)、オーストラリアに行きました。こちらでは所得税と住民税は一本化されてますし(家を所有すると固定資産税が住民税みたいな役割を果たすが)、非課税になる分岐点レベルが高いし、そこに健康保険も年金も失業保険も全部含まれるから、ある程度稼げなかったら自動的に全部ゼロになり、かつ受給は条件が満たされる限りずっと受けられる。まあ、セーフティネットってそういうもんだけど。だから無駄に取られる税金や保険料、年金の生涯分の支出、それに支出損、こちらで得られる分を考えたら一生で1億くらいの差があるかもね、数千万起業という感じでお得じゃんって思って永住権取ったわけです。何度も書いてますが。これ、永住権取らないと意味無いですよ。オーストラリアでも457ビザ(労働ビザ)だけだったら、税率高いわ、保険きかないわで、そこで終わったら、公租公課という面では大損こいたままです。

 ただねー別にオーストラリアでなくてもいいのよね。僕もオーストラリアがダメならコスタリカって話をしてたし、ブルネイなんか(最近は原油安でしんどいだろうが)、税金も保険も大学も全部無料だったんじゃないかな。探せばそういうところはある。ただ、そこがキライだったらダメだから、自分が好きで、且つ条件がいいという二重審査でアタリがあるかどうか。だから視野は広くしておいて損はない。

 また、日本国内において、同じ収入でありながら自治体によっては健康保険料の差が6倍くらいあったりすると思ったので、国内においても何処に住むかは公的支出面でも大きい。所得に比例する所得税に比べて、人頭税(一人幾ら的な)の色彩の強い住民税は自治体によって差は大きい。だもんで、電卓叩いて頭抱えているだけではなく、もしかして隣の市に引っ越すだけで年間数万浮くかもしれないのですねー。逆に家賃が安いからと言って引っ越したけど、保険料や住民税が高くなるから結局マイナス、引越し代だけ損するというトホホ事態もありえます。だもんで、このあたりはどれだけ世間が広いか、モノ知ってるかによって左右されますし、自営業の世帯に比べて、サラリーマン家庭はそのあたりが致命的に疎いので、だから伸びしろあるよということですね。

人間関係とフットワーク

 通観して思うのは、自給自足で〜とかいっても、食糧費3万浮くだけだから、その意味では画期的な手段にはならない。むしろ住居費とかそのあたりであり、さらに車など四六時中使うわけでもなく十分シェア可能なものがあればシェアした方がいいという点、住居費も同じであり、シェア的な方法論が有効だろうなってのはわかります。一人でやってると却って赤字になったりもするでしょう。自給自足っつっても、労賃抜きにしても、種苗代、肥料代、器具代などの投資はいるから。それにそこに移住したはいいが、住民税とか保険料が死ぬほど高かったら意味ないし。

 公的支出に関しては、それが公的であるから自治体を換えるか、国を換えるかという話であり、要はフットワークですね。オージーの連中は、一生の間に海外に暮らすのは、もはやデフォルトみたいに当然視しており(エリートほどそうね)、それをもとに人生設計してますが、その感覚を自分のものにすることです。これはいくつかあって、何処の国や社会にいってもそこそこ通じる互換性のあるキャリアとスキルはなにかという発想が一つ。もう一つは、全く知らない国で環境激変しても、それでメゲるのではなく、それを楽しめるような、自分と環境の相互関係を切れ味よくしておくこと(ココは語ると難しいし、長くなるのでパス〜要は環境と自我が混沌と一体化するのではなく、自分が環境に向き合い楽しむという主体性の確立であり、それは長い旅をすると自然と養われる〜だもんでラウンド行くといいよ、と)。

 加えて言うなら、お金がなくてもハッピーになれちゃったという体験は、最低でも一つは経験しておくべき。生きていく喜びを構築していく体系と、資産を形成する体系は、全く別個独立のものであることに心底納得すること。普通30歳くらいになったら経験的に理解できそうなものなんだけど、それが「心底」かどうかは差があるでしょうね。昔の日本人は、旧制高校のエリートさんでも、やってることはド貧民生活で(八度穿き〜一枚のパンツをいかに長く穿くか(笑)、丼一つで洗面器からコーヒーカップまで代用するとか)、でもゲラゲラ笑ったり泣いたりの青春してたし、だから肚も座ってたのでしょう。いい意味で武士的な部分〜ゼニカネ勘定は商人のやることで、武士は天命と義のために生きるべし(死すべし)と、ある程度大真面目に思っていたから、だから大胆な組織改革とかもできたんだと思います。大博打が打てたと。日本が本当に強かった昭和40年代くらいまでは、まだこの気風は残ってたじゃないかな。それはさておき、ラウンドしてドボンして、でも不思議に生きてます、それどころか人生サイコーに楽しいですって経験は、やっておくと腹が据わるようになるから値千金だと思います。金にマインドコントロールされなくなる。

 この章の結論は、一つにシェアできるような本当に良質な人間関係を作れ、作れるような自分になれってのが一つ、あとは公的部分は天候・気候と同じと割りきって、フットワーク良くして移動できる、移動しても楽勝にやっていける自分になれってことですね。結局は自己改革になるんだけど、でもね、他人の考えを変えたり、政治家になって権力握って外部環境を変えたりするよりも(それも大事だが)、自分をいい方向に変えてしまうほうが百倍速いし簡単でしょ。第一やってて楽しいし。

オフェンス(収入)

いわゆるマネタイズ論

 狭義のマネタイズは、ネットでお金を儲けましょう論ですけど、上に出典として掲げたサイトもそうです。特にうち一つは、「海外移住して、50代の身体に鞭打ちながら、海外から日本を眺めつつ、いかにネットビジネスを成功に導き、時間的、空間的自由を得るか、自分らしく生きるとは何かを追求中」とか書いおれらて、「俺じゃん」とか思ったんだけど(笑)、でもちょっと違いますな。

 僕個人としてはアフィリエイトとか、広告とか、最後にお金を持ってくるという方法論は取ってないです。APLACだってネットビジネスっちゃそうだし、広告ゼロでネットだけでやってますけど、「ネットビジネス」やってるつもりはないなー。でも、この方も、同じような海外環境で起業しておられて、ぜひ頑張っていただきたいものです。

 僕がボヨヨ〜ンと思っているのは、一つは起業というか、伝統的な商売道です。もう一つは上で見たデフェンスと攻防一如になることです。

2つの要素〜実力と「つかみ」

 起業論ですけど、いきなりお金が儲かる、マネタイズ出来るというのは、よっぽど「何かのサムシング」がないと難しいです。「サムシング」も2つあって、実力系とそれ以外です。実力系は、正真正銘すさまじい商品力がある場合です。そんなの滅多にないけど(笑)。でも、科学技術系は比較的ありうるでしょう。新素材の開発とか、従来の物に比べて耐久度で◯倍とか、コストで◯分の1とか、画期的なモノや技術は開発可能です。そして、それを売りに行く相手先は、通常は製造業者というプロですから、B to Bで話が早いし、分かりやすい。購買者が商品理解力を十分に持っているから、ひたすら実力(優秀な商品)に傾注すればよい。

 もう一つは、実力ではない、虚名というか(笑)、人気というか、「何らかの魅力」です。昔の武者修行みたいに「天下無双」という旗印を背中に括りつけて、奇抜な格好をして街を練り歩く的な「けれん」やギミックは必要なのでしょう。ネットビジネスで月収300万!とか「おおっ」と射幸心を煽るとか、なんか人の心を浮き立たせるようなサムシングです。このあたりは広告力というか、「カリスマ〜」とか大体は自分で言ってたりしますよね(笑)。

 それを一概に邪道とかインチキとか呼ぶなかれです。むしろ王道。KISSという老舗バンドが、顔に奇抜なメイクをして登場しましたけど(あれが殆ど元祖)、あれで売れたという部分は十分にあったと思うのですよ。実際、曲のクオリティも高かったし、実力もあったんだけど、それだけでは埋もれてしまうという。「実力」で売れるのは、実力がわかりやすい世界(スポーツの記録とか)であって、多くの商品世界では実力なんかわかったようでわからんです。だから目立ったもん勝ち、言ったもん勝ち、経歴でも詐称したもん勝ちみたいな。

全然、経済的合理性では動かない可憐な生き物である件

 なぜそういうルールになっているのか?というと、やっぱ個々の人間がそういう性質をもってるからでしょうね。そういう商品(キャラ)というのは、非常に胡散臭いんですけど、でも人間は胡散臭いものが実は大好きだったりする(好きになる時は「胡散臭い」とは思ってないだろうが)。その意味で、経済学の大前提、「人間(消費者)は、合理的な経済活動を行うものとする」というのが違うんじゃねーか?だから経済学者の予想って外れるのが多いんじゃないかと。

 というかね、メディアでみかける経済評論家自身が、武者修行チックに「ズバリ大予想!」とか、カリスマなんたらとか言ってるわけで、カリスマだったらノーベル経済学賞の一つは取ってこいよってツッコミ入れたくなるくらいです。ともあれ、人はうさん臭いのが実は大好きで、全然合理的に行動しないと。まあ、そこが人間の可愛らしいところで、だから新興宗教でもコンスタントに儲かるわけでしょ?

 それにそれで僕らが得してる部分もあるわけですよ。だって「蓼食う虫も好き好き」「惚れてしまえばアバタもエクボ」的な心理=「非合理的な選好」があるからこそ、多くの人はそれなりに恋人が出来たり結婚できたりするわけで、みな「合理的」に美男美女+生活力+人間性とやってたら、恋人・結婚が出来るのは男女ともにオットセイ的に1%とかになって、人類滅亡です(1カップルで200人は産めない)。だもんで、いい加減なエコヒイキやら非合理的な選択をするのは人類繁栄のために不可欠な特性なのであ〜る!(ほんとか)。ま、少なくとも数さえこなせたらどっかで当たるって。前に非モテで書いたかしらんが、モテない病の原因は、相手がピッキー(選り好みが激しい)だからではなく、当の本人がピッキー過ぎるからだと思うし。オットセイ・ハーレムのオスも完全「来る者は拒まず」でピッキー度ゼロじゃん。

 話逸れたけど、その種の「虚妄な部分」があってこそ売れるという構造はあるわけです。だから、ワイドショーで取り上げられるかどうかがクリティカルに大事なわけですね。ほんでもね〜、前々から思ってるんだけど(言ってもいるけど)「今、日本では◯◯がブームで」とかいう発想自体がアホじゃん。オーストラリアでも無いことはないが、遥かに少ない。例えばケバブがいきなり売れるようになってブームになったとしても、ケバブ自体は要するに肉焼いてるだけの話で、シルクロードの何千年も昔からあったわけで、何を今更です。その何を今更を全員が「は、そうだ!」と気づくというのは、おかしいじゃん。「そうだ、金魚を飼おう、出目金とランチュウがいいな」なんて、僕が今日思いついたとしても、他の1億同胞が同じように今日そう思うなんてことは絶対といっていいけどありえないです。偶然30人くらいは同じこと思ってるかしらんけど(だから全国のペットショップは成り立っているのだろうが)。それが「今、ブームです」とかさー、なにそれ?自分がやりたいこととか興味とか、他人に教えてもらってる時点で気持ち悪くないの?給食の献立かよ?そのあたり、教えて貰う的なところが新興宗教と一緒で僕には気色悪いんですけど。んでも、そんな気色の悪さも、全員が同じもの(テレビ)を見てるという状況の崩壊、さらにパーマネントな職場の崩壊その他で、過去のものになりつつあるでしょ。

 ただ、逆にいえば大衆と呼ばれる人達は、個々人としてみれば十分に成熟したクレバーな人なんだけど、それとは関わりなく「コロっといっちゃう」可憐な一面を持ってるってことでしょうねー。「人気」とか曖昧なものがあるのもそれだし、そこがあるから、電通などの広告代理店も、ゲッペルスの大衆操作もありえるわけで。

「つかみ」はいる

 だったら、広告代理店に巨額な費用を払ってメディアミックス仕掛けて、、ってビッグビジネスモデルしか無いのか?というと、そうではないです。口コミで静かに広がり、メディアが後追いをするということも多々あります。てか、メディア自体にもう力がないので、後追いの方が多いんじゃない?ドラマでも小説原作、マンガ原作が多いもん。自力でつくり上げる能力は枯渇してるような気がする。

 でも、自分らだけが食っていくだけなら、そんなにビッグに売れなくても別にいいんですよね。日本の株式会社は百万社あるというけど、そんな100万個もビッグネームがあるわけない、覚えきれないし。圧倒的に無名ばっか。それでやってられるというのは、別にそこまで有名にならなくてもメシは食えるということです。

 じゃあどうする?といえば、普通の話ですよね。実際に試してもらってリピーターになってもらう、その人から紹介してもらう、紹介じゃなくても口コミで広めてもらうです。不動産関係とか、あるいは宝石関係とか、建築など単品単価が高いものは一つ仕事がはいったら数十万円くらいの利潤はありますから月に一つも上手く成約すればいい。そんな全国津々浦々に知れ渡ることもないし、ましてやiPhoneみたいに世界的に有名になる必要もない。

 ただ、何事にも「はじまり」はあるので、リピーターや紹介者になってもらうにして、その人が最初に接触するポイントは要ります。ネットだったら初見でサイトみて、あるいは現物みて、コンセプトを聞いて、「へえ?」と興味を持ってもらう程度の「つかみ」はいるでしょう。あるいは、商売を始める前から、既にある程度の良質な人脈を持っていることです。

 いずれにせよ、「へえ、試してみようかな」と思ってもらえるだけのサムシングは必要。と同時に、試してもらって「こりゃ、いいや」と満足してもらう必要もあります。つまり、「キャッチーなつかみ」と「真の実力」です。なんら不思議な話ではなく、王道でしょ?

非マネタイズは、「つかみ」を作り、実力を育成するチャンスである件

マネタイズしなきゃ意味がない場合、しなくても意味のある場合

 今ココでなんか人々の役に立ちそうなアイデアがあり、実動があり、サイトを作ろうとしています。しかし、マネタイズ部分がどうにも暗礁に乗り上げる。むつかしいんですよねー。結局、広告とかアフィリエトしかないのか?って話になる。

 でもね、僕が思うに、それがお金以外にも意義や価値をもつのであれば、マネタイズしないで良いと思います。逆に、内容的にしょーもないなら、マネタイズしなければ全く意味がないでしょう。何言ってるかといえば、よくあるアフィリエイトサイトのように、エッチな画像拾ってきて並べたり、それっぽい面白い話(エロ系がやっぱ強いけど)を拾ったり書いたり、相互リンクであちこち飛ばしてるとか、その種のやつは、結構な手間暇だと思いますが、あれで儲からなかったら骨折り損です。

 しかし、その行動自体が何らかの良き意味性を持つ場合、例えば新しいアイディアでボランティア的に何かを構築するような場合、そのこと自体が、その人の「業績」になります。エッチサイトなんか幾ら作っても「あれは私の仕事です!」とかあんまり言えないでしょ?あのあたりは一定から先になると、暴力団の下請けみたいなシステマティックにやってるから、そこで有名になってもなーと。アングラワールドでデビューしたいならいいけど、深海魚みたいな人生になるぜよ。逆に、皆の役に立って感謝もされるようなことをしてたら、それは自慢にもなるし、「あの◯◯をやった」という「名刺代わり」になります。これが「つかみ」になるよと。

つかみ=金看板=キャリア=自分では気づかない

 よく僕が「金看板」というけど、「へえ、面白そうだな」という「つかみ」ですね。金看板といえば、一流大卒、海外留学、一流企業出身、とかその種の経歴ですけど、あれって学歴・海外・職歴コンプレックスのある一定レベル以下にしか通用しないです。だからどうしてもザワザワしたビジネス=他人のコンプレックスにつけこんでお金を巻き上げる的な=になりがち。よくあるじゃん、「現役東大生が〜」みたいな”つかみ”って、職場のマジョリティが東大卒で、それなりに実力もあり裕福な人には神通力ないでしょ?てかねー、むしろマイナスなんですよね。東大行ってそんなことしてるのかとか、東大以外に誇れるものはないのか?という話になるでしょ?

 これは同時に「キャリア」論でもあるんだけど、学歴が意味あるのは新卒だけでしょ。あとは卒業してからどんなことに取り組んで、どんな”仕事”(NPOでも趣味でも)してきたかが具体的に問われますよね。それをやる時間があったんだから、その時間を使って何をしてたの?と。にもかかわらず、卒業後10年たっても20年たっても学歴だけだったら、何も出来ませんでしたと自白してるようなもので、逆にカッコ悪いのですよ。

 海外なんたらも同じで、ここを読んでる人の多くは海外でガッコ行った経験(語学学校でも)あるから分かると思うけど、あれが「キャリア」?って違和感持つでしょう。その実態は、おどおどキョドったり、ある意味屈辱的であったり、でも必死なだけに良き出会いにも恵まれ、童心にも帰れる。痛かったり、寒かったり、温かかったり、楽しかったり、つまりは「小学校時代の思い出」みたいな、本人においてのみ価値があるものであり、キャリアとか第三者に見せびらかすような感じではない。あたかも過去の恋愛経験みたいなもので、自分においてのみ価値があり、他人に口走るようなものではないし、ましてやキャリアとかいう形では思えない。

 総じて言えば、人が必死にやってることって、およそ自分ではキャリアとは思えない。思えるのはイヤイヤやってるようなことでしょ?せめてそのくらいのご褒美がないとやってらんないよという。僕も皆に(簡単な)英文履歴書を作ってあげてるけど、「一番大事なこと抜けてるじゃん」と思うことがあります。キャリアだ資格だというと、なにやら「苦労して身につけた」「辛いもの」「形になってるもの」という先入観が強すぎて、イヤイヤ勉強して資格というカタチになってるものだけと思い込んでる。「◯級◯◯士」とかカタチになってなくて、毎日やってれば自然と覚えることも多い。

 例えば、ただの売り子さんだとしても、古着が好きで入り浸って、しまいにはそこの店員でやってましたって人は、それが一番のキャリアになる。なぜなら素人の追随を許さないくらい商品(古着ファッション)に関する鑑識眼はあるだろうし、人々の無限の好みに対する理解はあるだろうし、店頭でのコミュ能力はあるだろうし、服飾雑貨経営の基礎くらいは知ってるでしょう。なんでそれを書かないの?と。「一級古着雑貨販売士」なんて資格はないけど、それがどうした?です。あの種の資格というのは、監督官庁の役人が天下りしたいから外郭団体作って税金横流ししてたり、大企業のリストラ予備軍の姥捨て山的に作ってみたり、「資格が取れますよビジネス(ほとんど詐欺に近いようなものもあったりして)」で儲けるために作ってみたりで、実社会にでたら殆ど誰も知らない、意味ないってケースが多いじゃないか。

 仕事ではなく趣味のように好きでやってること、楽しいことって実は能力的にも高かったりするのですよ。コレについては一晩中語れますよってのがその人のキャリアになったりもする。呑道楽、食道楽の鑑識眼もそう。きれい好きで部屋の模様替えが好きで、年中カーテン取り替えているような人はインテリア系のセンスは知らずに磨かれているでしょう。ナンパが好きで上手って人は、知らない人に話しかけるのが得意ってことでもあるし、多少スタイルをカスタマイズすれば新規開拓営業に使える。

顧客選好によってキャリアになったり、つかみになったり

 ただね、日本の企業の採用面接とかになると、かなり間口は狭いからフィルターかかりますよ。特技「ナンパ」とか書いたら「舐めとんのか」とか思われるリスクもあるでしょう。でも、それは大企業の連中やシステムがセンス無いだけの話であって、だから大企業病にかかってばったり倒れたりもする。キャリアもつかみも「第三者に対する訴求効果」と考えれば同じことであり、ただ顧客選考によって凹凸やスタイルが変わるだけのこと。企業就職も、企業というイチ顧客の選好でしかないのだから、それに合わせて売り込みを考えれば良いだけの話。他にも顧客はなんぼでもいます。給与という形で金銭をゲットするという局面、それにも日本の大企業系に照準を当てれば(この顧客の好みはだいぶ偏ってるから)、それなりに変化させねばならない。しかし同じ企業でも中小企業や個人企業になるほど、人そのものを見ようとする傾向があるでしょう。海外や外資になると又違う。

 広く大衆一般に働きかける「つかみ」は、「面白い人間性」が表現されていれば良いのであって、別に誇らしげである必要もないです。安部譲二氏のように元暴力団で服役経験もあることが(作家としての力量、作品の面白さがあってこその話だが)、プラスに働く場合もあります。田中角栄だって尋常小学校卒という学歴が逆に金看板になってる。原敬のように非藩閥で叩き上げであるがゆえに平民宰相と言われたりもする。極めつけは、完全ゼロから叩き上げた豊臣秀吉でしょう。ブラック職場に悩んで、いっとき精神病院に入ってましたというブラックな過去も、「だからこそ言える」という言葉に重みをもたせるプラス価値になりうる。

実力と訴求力の相互補完とマネタイズ

 自分が作り上げている商品やらシステムやらが、本当に実力を兼ね備えてスゴイものだったら、どんな過去でも金に化けうるのですな。世界的に有名なアプリゲームを作った人が、何の変哲もない高校生だとしても、「何の変哲もない」って部分が逆に注目されたりもする。極論すれば、実力と作品(商品)がすごかったら、キャリアやつかみは殆ど無くても構わない。中身が無いほどキャリアやつかみがいる。店頭でハッピ着て呼び込みをやるように賑々しくやらねばならない。

 甲子園で優勝するとか、金メダルを取ることだって、それ自体はマネタイズしません。そのあとの”就職”=プロ球団に入るとか、コーチに招かれるとかいう段階になって初めてマネタイズする。昔の武者修行者も同じで、毎日のように河原で斬り合いやって勝ち残ったとしても、それだけではマネタイズしません。その高名を聞いて、剣術指南役に迎えられてはじめてマネタイズします。金メダル取りました、宇宙飛行士になりましたとかいうと、講演会やテレビに呼ばれたり、本を書いたりというで、有名であること即マネタイズする原資になる。ひいては国会議員になっちゃったりもする。

 だけど甲子園出場を目指して練習している段階では、そこまではリアルに考えられませんよね。考えているかもしれないけど、そのため「だけ」にやってるって人は少ないでしょう。そのためだけだとしたら、コスパ悪過ぎるもん。あんな超人的な練習を積み重ねて、でも勝負は水ものだから一回負けたらそれで終わりですもんね。狙ってやるには率が悪すぎる。やっぱ、やってる事自体が楽しいとか充実するとか、絶対勝ちてーとか、そのあたりの濃密なモチベーションがあるのだと思います。

 つまり、今その時点でマネタイズする必要はなくて、そこで「いいもの」を構築できれば、それが名刺代わりの金看板(は無理としても銅看板くらい)になる。と同時に、それは本当に「いいもの」でなければ話にならないわけだから、単なる思いつきから、エネルギーを注いでどんどん形にしていかねばならないし、その過程で沢山のことを学ぶ。ああ、この部分はひとりよがりだったなとか、思惑先行しすぎてるなとか、ここは恥ずかしいけどバンと打ち出した方が分かりやすくて親切だなとか、こうやって小さな修正改良を重ねていくのだなとか、いい訓練になります。良い訓練をするとどうなるか?「真の実力がつく」というご褒美がある。

ディフェンスとの攻防一如

物事がカタチになるということ

 もう一点、さきにシェアしうるような良い人脈とフットワークの二点であるとデフェンスのところで書きました。これがつながってきます。自分なりに最高水準のものを作り上げていくと、今の自分の最高レベルでの人脈ができます。多少背伸びしてでもそのレベルで頑張ってると、そのレベルの人達と知り合いができてきて、そこが美味しい。一般にレベルの高いところで頑張ってる人達は、真剣に生きてるし、多少クセはあるが濃い人間味があって面白いし、それだけ頑張ってれば上手くいく確率も高いだろうし資金的にもあるだろうから、将来的にいい人脈になるでしょ。人脈って、作ろうと思って作ったものって全然役に立たなくて、それよりもは好きで遊んでたような仲間の方が役に立つけど、自分がそのレベルで頑張ってれば、好きで付き合う連中もそのレベルになるから楽だし、効率いいです。ま、そんな利害打算も考えないだろうけど、物事が上手くいくときというのは大体が意図せずにそうなってる。後から考えるとあれは偶然でもラッキーでもなく必然だったのだと分かる。

 と同時に、そうやって行く先々でなにか良い物を作っていくことが、何処に行ってもやっていけるというフットワークの良さをも産みだすでしょう。また、あちこちに知り合いがいるとか、あらゆる業種に知り合いがいることにもなっていき、それがフットワークの良さを助長するって関係にもなります。

 要は単体バラバラでは全然お金にならないし、マネタイズできないんだけど、それが重要な布石になって次につながり、さらにこれまでの軌跡のあの地点とこの地点とつながってきて、全体に意味のある広がりができてくる。そうやって物事というのは形になっていくのだと思います。

 このあたり実感ないかもしれないけど、実際にやってみたら大きいですよー。例えば、良質なネットワークがあれば、仲間内に対しては「つかみ」もキャリアも要らないですもん。「今、これやってるんだけど」って、ただの「報告」「話題振り」だけで、「あいつが真剣にやってるなら」ってことでお客さん紹介してくれるもん。先に人間的信用を構築しておくと、あとが本当に楽なんですよねー。

 それにね、自分が必死になって勉強してなにかの知識技術を身につけるよりも、それを知ってる人と友達になっちゃった方が早いです。これも一種のシェア経済で、お互いの資源を融通しあえたら、それがすなわち支出削減にもなるし、お金以外の収入にもなる。ある程度の物品で、滅多に使わないものだったら、いちいち買うよりも「ちょっと貸して」で済んでしまう場合も多い。さらには、お金そのものだって、お金持ってる人と友達になっちゃえばいいというワザもあるわけですよ。スポンサーになってもらうとか。

 ただ、これも利害が先行してたらダメです。「金づるにして〜」なんて「浅ましい魂胆」が先にくるようでは話にならん(笑)。「これ良かったら使ってください」って向こうから言ってくれるようになるまで、自然にそうなるくらい社会的に価値あることをして、且つ自分の人間性についてそこまで深く信頼してくれること、その信頼に応えうるだけの自分になることですな。そりゃ簡単ではないけど、でもその方が目標にし易いでしょう?素直で素朴だし、お金儲けだけを考えてると段々思考がひねくれてきたりするけど、皆をハッピーにしようと思ったらアイディアも出やすいし、やってて楽しいでしょ?で、ムキになってやってたらそれが自分の人間性をいい意味で変えていってくれるし。

 お伽話のようだけど、実はそれが一番の近道で、そして一番大事なのは、それがサステナブルなものであることです。虚飾でつかみを得ても、あとでバレたらそれまで営々と積み重ねたのが一晩で崩壊するわけで、そんなの長い目で見たら損でしょ。自宅のガスの元栓開けっ放しにして旅行に行くようなもので、いつ爆発するか気が気じゃないという(笑)。

 更に進んで、そういうネットワークはどうやって形成するの?といえば、自分や他人の人間的な良さを素直に表現できる場を作ることじゃないですかね。嘘を言わなくても良い場にすること。誰も他人を馬鹿にしない、アラ探しもしない、張り合わない、だから自分も嘘をつく必要がなく素直になれる、気持ちのいい人間空間を作ることじゃないですかね?

サバ研(笑)

 最後に。以前、卒業生のA僑連中と掲示板でフリースクールとかいう話であれこれ言ってた時に、「サバイバル研究会(通称サバ研)」という学校作っちゃえばいいじゃんって僕が言い出して、半分冗談でHP試案作ったことがあります。

 「2050年になってもサバイバルできるために何が必要か?」というコンセプトで、
 海外活用学部(世界各国の永住権取得法とか生活知識とか)
 起業学部(最低限のノウハウとか実例)
 健康学部(基礎医学のほか、漢方、代替医療、被爆回避、その他なんでも)
 メンタル学部(鬱とかメンヘラ系だけなく、瞑想とか自己解放とか)
 喧嘩学部(交渉術とか訟務のほか、護身術なども)
 ネット学部(HPやSEO、プログラミングの基礎だけではなく、人とのつながり論一般)
 趣味道楽アート学部(その他は全部ココに入る、人生を楽しく味わうための賞味作法、創作など)
 建国・自給自足学部(場所選定、建築リフォーム、自活技術、外交)

 などを作るとか。まあ、その場でテキトーに思いついたのを並べただけですけど。
 でも著作権フリーの画像拾ってきて、サバ研のロゴまで作ったんですよね(笑)。

 それが何か?というと、いや、ちょっと前に書いたデカイ家を安くゲットして皆でシェアして、生活破綻や介護解放のセーフハウスにするとかいう話がありましたが、単に一緒に暮らしてるだけでは飽きるし、煮詰まるなと。だったら、お互いに教え合いっこしたらいいじゃんと。絶対どれかは教えられる筈だし、どれもこれも知っておいたほうが良いだろうと思えるようなことだし。

 ここで普通だったら、役所にお百度踏んで、政治家動かして、認可取って学校法人化して、私学助成の補助金せしめて、代理店に相談して名前を載せて良さそうなビッグネームを借りてきて、麗しいパンフ刷り上げて、入学者募集して、、って流れになるんだけど、それもう古いし、興味ないし。

 別に有名講師なんか必要なくて、教えるのは普通の人で十分。エクスチェンジの教え合いっこで十分。だってその世界の人が普通に出来てるレベルで、実戦的には十分なんだもんさ。肩書も要らないし、学位も当然ナシ。そんなもんに頼ってる時点で既にサバイバル適性ないし。大体、仲間内で「つかみ」なんか要らないんだから。

 ふむ?と考えると、また次に繋がる。うーん、これネットのオンラインで教えたら別に常に同じ場所にいる必要もないなーとか、年に数回合同合宿とかの大義名分でオフやったら楽しそうだなとか、教え合いっこもシリアスに精錬してしったらそこそこのカリキュラムに化けそうだし、そうしたらこれを映像化してネットで売る手もあるよなとか、短期講習のワークショップをやる手もあるよなとか、これ世界に十箇所くらい作って講師やったら、巡回して教えるだけで毎年世界一周できるなとか、まあ世界は先でも国内だけだったら定期的に温泉入れるなとか。アイディアなんかなんぼでも出てきますよね。

 本文との絡みでいえば、アイディアを広げていく過程ではあんまりマネタイズとか思いつめないことですね。あれは瓢箪から駒みたいにぽっと出来たりするものなので。出来たらラッキーくらいの。それと学校法人とか過去のビジネスパターンにひっつけないで、「なんだかよく分からない」状態でキープしておくのがよろしいかと。新しいものって大体そうだから。理解とか位置付けはわからないんだけど、「面白そう」という感覚が突出して飛び込んでくるようなものが良いですね。旧来の出来合いのパターンに当てはめて理解しようとすると、その時点で面白さが消えちゃうし。


 今回はここまで、さて、レッドファーンの写真ですが、まとめて。


 CityからChippendaleを通り過ぎ、Cleaveland Stを超えるとRedfernの領域ですが、これはそのエリア。もうこの時点でなんか怖そうですねー(笑)しかし、このYホテルもスゴイところに建てたもんだな(昔はYWCAだったのかな)。


この向こう正面の通りがEveleagh Stで、その昔はそこに入り込むのは自殺行為だったんだけど、今はそうでもないみたい。でも、ちょいビビるので、今回は避けて別の道を通りました。


ぐるりと廻って、反対側(駅側)から見ると、なあんだで、普通に人々が歩いてました。昔は見るからにヤバかったんですけどね。空地になってるところまで家が密集して、窓ガラス割れまくって、地べたに十数人座っててじっとこっち見てるとかだったんだけど、やっぱ一掃されちゃったようですね。


もともと”The Block”と通称されるこの一帯はアボリジニ系の住人が多く、1972年にはAHC(Aboriginal Housing Company)がマネージをはじめ、しかし犯罪の温床の悪名が高くなり、ついに2004年の暴動事件でピークに達します。その後本格的な対策になり駅の真ん前に交番が置かれ、AHCも再開発をするようになります(The Pemulwuy Project)。以降、徐々にプロジェクトは進行し、今ではすっかり様変わりしたと(といっても微妙に過去の面影は残っているが)。The Block (Sydney)(Wiki) Sydney's notorious Aboriginal ghetto to be demolished 参照。


Redfern駅。もう一つ現代的な入り口もあるけど、こっちの方が趣あります。


中に入るとこんな感じ


この跨線橋から眺めが、なんとなくJR山手線の日暮里や鶯谷の駅みたいなイメージだったりして。


入ってしまえば全然普通で、興味の対象は、夕焼け綺麗だな〜になりました。



 普通の駅の写真なんだけど、同時にロックアルバムっぽくて面白なと思って。やっぱ古い建物って味があっていいです。それに落書きでしょ?これだけ揃うとRedfernという標識と電灯が意味ありげな十字架とか、ステージみたいに見えてしまうという。亡霊のように佇んでいる駅員さんもいい味出してます(笑)。







文責:田村




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