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今週の一枚(2014/12/08)



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Essay 700:ロング命題とショート命題

 写真は、カフェ内部のインテリア。昔のアンティークの看板がかかってます。この系統のインテリアはこっち多いですね。アンティークショップも多いし。各看板の言葉の意味は本文末尾に書いてます。

 Cafeは、Crows Nestの"The Porch"というところで、まだレストランガイドに載せてないけど、中々いいです。この日はケールの入ったオムレツ(アーモンドスライス乗せ)が良かったです。ケールは、日本では中々売ってないけど、こっちでは普通に売ってます。青汁のもとになる栄養の王様みたいな言われ方をしますが、苦味があって食べにくいんですよね。そこは青汁的で。料理法に苦慮するんだけど、なるほどオムレツにいれるのか?と。もっとも単に入れてるだけではなく、あれこれ手の込んだことしてて、よう解析できません。結果的に美味かったと。

 この店、コーヒーも当然のこと、メシが美味いです。洒落ているんだけど、ちゃんと料理が上手だという。量はそんなにないのでドカ系をお好みの方にはちょっと。ヒマな時間帯にいったので、シェフの若いお姉さんが休憩してて、注文はいったら「あいよ」って感じで厨房に消えて、しばらくして出てくるという。おっとりした、図書館で本とか読んでるのが似合いそうなお姉さんだったけど、カッコよかったな〜。


ショート命題とロング命題


 ショート真理(命題)とロング真理(命題)があるんだなと、5分前に思いついたので書いておきます。今週は思いつきの一発書きです。

 ロングというのは、いかなる時でも正しいという普遍性を持っています。一般に真理とか論理とかいうのはそういうものなんだけど、ただし余りにも適用領土が広すぎるから漠然としたものになりがちです。それはその通りなんだろうけど、インパクトが弱い。

 ショート命題というのは、この局面においてはビシバシ当てはまるけど、全局面で通用するかというとそうでもない。Aという場合には「そうだあ!」という強力なシンパシーとインパクトを与えるけど、「じゃあ、Bの場合はどうなの?」というと「か、必ずしも、、」と口籠る、てか全然当てはまらない。射程距離が短いので近距離では強力だけど、距離が離れると無力になっていく。ピストルみたいなもん。

具体例

 ロング命題とは、例えば「人はみないつかは死ぬ」とか、「苦あれば楽あり」とか、「人生至る所に青山あり」とかいうたぐいのもので、適用範囲がやたら広い。アマゾン川流域の部族であろうが、2000年前のローマ帝国の話であろうが、大体普遍的に当てはまる。あたかも「地球には重力がある」「時間は一方向に流れる」と同じくらいの普遍性を持ち、それがゆえにほぼ絶対的に正しい。でもあまりにも正しすぎるから逆にインパクトがなくなり、当座の局面を打開するパワーにも感銘力も乏しい。「それがどうした?」的になりがち。

 ショート命題は、例えば「果報は寝て待て」「慌てる乞食は貰いが少ない」「急いては事を仕損じる」などの格言で、これらは要するに「ゆっくりやれ」「焦るな」ってことです。それはそうなんだけど、真逆の格言もありますよね。「兵は神速を尊ぶ」「巧遅は拙速に如かず」などは「スピードが大事、トロトロやっとったらあかん」という教えですね。かくして急げばいいのか、ゆっくりやればいいのかわからなくなる。命題が衝突している。

 同じように「敷居をまたげば七人の敵あり」「人を見たら泥棒と思え」という「世間は恐いぞ、他人を信じるな」系の戒めがあったかと思うと、「渡る世間に鬼はなし」「七度尋ねて人を疑え」という「世間は怖くないぞ、他人を信じろ」という教えもあったりするわけです。

 内容は真逆なんだけど、それぞれに正しい側面をもつショート系は、「そういう場合もある」という「限定版」な命題です。限定されているから普遍性はない。

止揚

 これらショート命題に普遍性を持たせて一般ロング命題に昇格させようとしたら、正・反→合の弁証法みたいに対立命題をアウフヘーベン(止揚)することになるのでしょう。日本は暑い→←日本は寒い---↑日本には季節変化がある、という具合に。

 急いでやるべきか/やるべきでないか、他人を信じるべきか/信じるべきでないかは、「いろいろな場合がある」「状況をよく見定めて臨機応変に対応すべし」ってことになるのでしょう。

 しかし、これでは当たり前すぎて何も言っていないに等しい。
 ロング命題が、しばしば正しすぎるがゆえに無内容になりがちだというゆえんです。哲学用語でいえば「外延を広げれば内包は薄まる」、物理学でいえばボイル・シャルルの法則みたいな感じ。バーンと広げると内容は薄まり、キュッと縮めると内容は濃くなるけど、その分適用範囲は狭くなる。

 そこで出てくるのが、(僕がよくエッセイでやる手法でもあるが)どういう場合に急ぐべきで、どういう場合に急いではいけないのかという場合分けのポイントや基準を探し、なぜそれが基準になるのか?という全体構造の原理メカニズムを考えようって話になります。それが例えば前回のエッセイ(岬の先)で、どういう場合に他人や世間は助けてくれるのか、なぜ助けたくなるのか・ならないのかって話です。

 ただし、この欠点は、当然のことながら思考量が膨大になり、それを記述するのも長くなってしまうことです。ふむふむとゆっくり物を考えて面白がるにはいいんだけど、瞬間刹那の急場には間に合わない。


使用例〜ロングは事後、ショートは事前

 まあ、ただそれだけの話です。これで終わってもいいけど、物足りないだろうから、もう少し考えてみましょうか。

 現実に日々生きていく中においては、局面に応じてショートとロングを使いわけろってことになると思います。そのあたりの使い分けの話を。

平静に長期戦略=ロング命題

 あれこれ考えてみたら、ロング命題を考えているときというのは、どっちかといえばコトが済んでしまって平静な状態、あれこれ来し方行く末に思いを巡らせ、思考の地平線まで見はるかすような場合によく使うし、ふさわしいのではないか。静かに考える場合で、副交感神経系で、アドレナリンが出てないような場合。

 とあるイベントが終わったり、なにかが一段落し、さてあれはなんだったのかな?あれで良かったのかな?を振り返りつつ考える。例えば、非常にハードな時期(部活でも仕事でも)を経験してきて、あとで振り返ると、やってる最中は地獄だとか思ったけど、長い目でみるととても得るものが大きかったし、貴重な時期だったなと思うとか。大失敗しましたとか、フラレましたとかいって、そのときはしんどかったけど、ああいう時期も必要だよな、とか。

景気付け&背中押し=ショート命題

 これに対してショート命題は、これからコトを起こすような場合、荒れ狂う大河を目の前にして、ザンブと飛び込むべきか、やめるべきか迷っているようなとき、そして「おし!」と意を決するような、ドドドと盛り上がっていて、交感神経系的でアドレナリンが出ているような場合。

 例えば、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という命題は、なかば自殺行為のような暴挙をするからこそ生き残ることが出来るのだということで、何かをしようとする人の背中を力強くグイっと押してくれます。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」なんかもそう。逆に、逸る気持ちを一瞬沈めろ、冷静になれって意味で「注意一秒ケガ一生」なんてのもあります。

 これがショートなのは、身を捨てたところで、そのまま溺死してしまう場合もあります。てか普通溺れるでしょ。自殺行為はどこまでいっても自殺行為で、それで却って上手くいく場合なんか非常に限られてます。また、注意をするのにすごい時間がかかる場合もあるし(総点検をするとか)、怪我したところでカスリ傷程度で済む場合もある。だから、常に全ての場合に当てはまる命題ではないです。そんなのケース・バイ・ケース。

 しかし、そんな「あらゆる場合に妥当する」なんてことは、この急場の現実にはどうでもいい。とりあえず目の前の局面を見て、この場合にだけ当てはまればそれでいい。そしてショート命題は論理矛盾を恐れず、激しく「〜だあ!」って断言するから、威勢がいいし、その勢いの良さで行動にも弾みがつく。

 ロング命題は反省会とか長期戦略を立案する場合に有用であり、ショート命題はいわば「景気付け」「背中を押してくれる言葉」として有用であるということでしょうか。


ショート命題集

 僕は法学畑の出身だから、基本ロング命題の人です。法律というのは、あらゆる場合に普遍的に適用される必要があるので、なにか正しそうなことを勢いで思いついても、こういう場合はどうか、ああいう場合にも妥当するのかをチェックする癖が付いているのですね。

 そのせいもあってか、このエッセイでは、言いっぱなしのアフターケア無しみたいなショート命題はあまり書いてません。でも、いい機会だから、いくつか書いてみましょう。こんなの無限に思いつけるもんね。
 

飛距離は思い切りの良さに比例する

 走り幅跳びの踏切りの原理ですね。走り幅跳びで飛距離を出そうと思ったら、スピードを最高速にして、踏切のエネルギーをマックスにする以外に方法はないです。空中にいる間に「念力で〜」なんてのは普通の人には無理であり、要は踏切りの思い切りの良さが全てで、それしかないのだ。

 ということで、もう「やる」と決めたらウジウジ悩まない。ひたすら頭空っぽにして全力でやる!どうしようかな〜、やめようかな〜とかやってると、踏切りの思い切りが濁ってしまって、中途半端なものになって力が一点に集約出来ない。それか歩数が合わなくなって、「あ、あ、あ〜」で踏み切ることすら出来ない。

健康な楽天性が決断力を高める

 何かをやるときに、もし失敗したら、、、と不吉な想像をします。それはそれで大事です。準備とかリスク管理とかいるから。でもそればっか気にしてたら何も出来ない。そこで決断できるためには、「なんとかなるでしょ」「そのときはそのときだよ」って思えることが必要でしょう。つまりは健康な楽天性。

 ここで「万全の準備をしてから」とか考えてはいけない。なぜなら人間に「万全」なんか出来っこないし、それが万全かどうかなんか事前にはわからない。「あれ?もしこうなったら、、」とか不吉な想像は幾らでもできるし、思いついてしまったら最後もう「万全」ではなくなる。要は不吉なことをたまたま思いつくか/思いつかないかだけの話。

 楽天性に「健康な」をつけるのは、全く無思慮でやったらヤバいので万全な準備は目指すけど、それは「目指す」だけで、キリがないから、適当なところで切り上げる。この「適当なところの目利き」「こっから先は考えても無駄」という判断は、精神状態が健康でないと出来ない。躁状態でも鬱状態でも見切りを誤る。

人生は想定外(偶然性)を楽しむためにある

 しりとりみたいな連想ゲームで、じゃ「健康な楽天性」ってのはどっから出てくるかといえば、これでしょう。

 「こ、こんな筈では!」という想定外の出来事は山ほど出てきます。多くはそれで「きゃー」になったりするんだけど、人が生きていくことの面白味というのは、まさにこの想定「外」部分にある。

 なにもかもが予定通りいったら詰まらんですよ。自分の頭の中にある素材でしか展開していかないんだから、現実の全てが「再放送」みたいな感じになって、新鮮な驚きも感動もそこにはない。仕事というのが往々にして詰まらないのは、それが想定内に済ませようとするから(でないと事務が滞るし)。

 てかね、お見合いは別として、自由恋愛による結婚相手との出会いなんか正味100%想定外だと思いますよ。合コンとか婚活はあるけど、その日の朝に「今日出会う」とまでは真剣に想定しないだろうし、出会ったとしても事前に思い描いていた理想と寸分違わずってことはまずないでしょ。ましてやまったくの純粋オーガニックな出会いであったら、これは100%といっていいけど、想定外です。まさか今日、運命の人と出会うだろうなんてことは、まず予想しないでしょ。

 そういう想定外が一切ない人生、まかり間違っても予想から1ミリも外れないという人生を過ごしたかったら、病院や刑務所に長期収容されたらいいです。あそこは全てがスケジュール通りですから。それがいいのか、楽しいのか?です。

忍耐力とビビりは違う

 不快な状況におけるストレス耐性=忍耐力は、大事な力なのでしょうけど、「辛抱強い」「我慢強い」として語られていつつも、一皮むいたら単にやるのが恐くてビビってるからやらないだけって場合も多い。これは我が身を省みてそう思います。

 思い切って何かをやる(やめる)勇気がない、恐い。だから何も出来ずに現状維持になってしまい、その状態がずっと続くから、結果的に「忍耐力」があるかのように見えるだけだという。

 このリトマス試験紙は、今この瞬間にも忍耐をやめて自由になれるかどうかです。ダイエットの忍耐なんか、その気になれば1秒後にも解除できるし、したいと思う。そこで自由になることに何らかの不安や恐怖が伴い、結局それが原動力になっていたら、それは本当の意味での忍耐力ではないと思います。逆にその願望を押し殺すモチベーション、なんで忍耐するの?の理由が希望や願望(痩せたいとか)だったら、忍耐力でしょう。

 つまりは、生きている日々のモチベーションが恐怖なのか、希望なのか、ですね。

「奴隷の美徳」に騙されてはいけない

 これもシリトリ的に。強者が弱者を不当に踏みにじり、その状態を固定化する場合に決まって語られるのが「奴隷の美徳」だと思います。特に国家や大企業などが、不遇な条件を下に押し付けるときによく使われる。「欲しがりません勝つまでは」とか、辛抱や忍耐の美徳を称揚する。

 現状維持=保守=幸福なんてのも新興宗教まがいのトリックでしょう。「安心の〜」「安定の〜」なんてのがそうで、明日と今日と変わらない生活が続きますよ、それが幸せでですよ、保守化の奨励ですね。でもこれって、絶対値としてハッピーなのか、もっとやり方によってはハッピーになれるんじゃないかって批判精神を殺す麻酔薬でもある。そんな面倒くさいこと考えなくても、昨日と同じだったらそれでいいじゃんみたいな。

 で、どうなるかというと、昨日も地獄、今日も地獄、明日も明後日も、死ぬまで地獄で、ずっと現状維持ですよ、と〜っても「安定」して、とっても「安心」で、だからハッピーだという。そこには、より良くなりたい、もっと上手にできるんじゃないかという希望を挫き、チャレンジする勇気を挫く。と同時に、何もかも諦めてしまった人を死ぬまで(てか獄死するまで)優しく包む羊水になる。

 別に目新しくもなんともない、古典的な統治手法ですな。
 人間というのは順応性が非常に高くて、どんな悲惨で不公平な状況でもすぐに慣れるし、不快にも思わなくなる。それを悪用する手法。封建社会の士農工商なんて、身分差別があることが美徳の源泉になってたんだから。

確かに本当に見えたものが、一般論にすりかえられる


 確かに輝いて見えたものが、ただのキレイゴトに変わる。

 真島昌利「こんなもんじゃない」(ソロアルバム「RAW LIFE」より)
 ショート命題といえば歌詞なんかモロにそうだなと思って。この歌詞を最初にみたとき、本当にそのとおりだなと思った。意味は言うまでもないでしょう。

 もうね〜、この「一般論にすりかえる」「ただのキレイゴトに変わる」ところがクソですよね。メディアによる安易なまとめなんかがそうで、これやられると超ムカつきますね。もっと恐いのは自分でコレをやっちゃうことです。でもって次の命題に続きます。

言葉にならないものは、言葉にしてはいけない

 ぼやっとした、しかし確かに感じたサムシング、とっても大事なことに触れたような気がしたサムシングは、これを正確に言葉で描写しようと思ったらかなりの言語能力が要ります。てか、基本的に不可能ですわ。だからこそ、芸術やアートがあるのであって、言葉でちゃらっと100%表現できたら苦労はないです。表現しても表現してもそれでも「あ”ー!違う!」ってのがあるから、世のアートのネタは尽きないし、未来永劫続くと思う。

 それほどのものを簡単に言葉にしてわかった気になったら、その瞬間にきれいなもの/大事なものは、手からこぼれ落ちる。まるで魔法にかかってダイヤモンドがただの石ころになるみたいな。

「自信」は幸福を産まない。不安こそが幸福のタネ

 100%完全に自信のあること、例えば「呼吸が出来る」「自転車乗れる」「歯磨きが出来る」「日本語喋れる」みたいなことって、出来て当たり前だから何の感動もない。何も出来ずにヒヨワで不安なころは「自信満々で悠々と」という状態に憧れたりするんだけど、いざ自分がそれが出来るようになった時には、もう何も感じなくなっている。できるからといってエライとも、幸せだとも思わない。自信=無感覚。

 逆に、無理なんじゃないか、ダメかも、、という不安でドキドキしているとき、そして夢が叶いそうなったときに、幸せのピークメーターの針は振りきれる。ドキドキしながら告白してるときとか。不安=希望でしょ。

 自信のあることばかりやっていたら、必然的に人生つまらなくなる。ご飯に「ツマラナイふりかけ」をかけて食べているようなもの。ショート命題なのでメカニズムまで書く必要はないのだけど、ついでに書いておくと、100%完全にそれが出来るということは、気が遠くなるくらい反復練習しているからであり、それが完全にできる頃には、うんざり飽き飽きしているのが普通。

そういえば総選挙

 いきなり話変わりますが、今度の日曜は総選挙なんですよね。既に日本領事館で在外投票済ませてきました。在外選挙皆勤賞、てかこれまで選挙は皆勤賞です。別に偉くもないけど、やることやらない奴に何も言う資格はないし、殺されても文句は言えないと思うので、自分なりのケジメ。

 これまで何度も書いているように、日本の行く末は既に日本人の手を離れてて、日本以外の世界環境(金融とか資源とか)によって決められる。で、世界はどうなってるかといえば、これがまた超面白くて、アメリカが経済大国2位に転落し、その差は開く一方というかインドが出てくるから3位になるかもって中長期の流れで、アメリカ基軸にしていた全ての論理則(例えば為替相場はドル基軸にするとか)が書き換えられてどうなるのか、そもそも国家という無駄なシステムがどれだけ生き残るのか。今は人類史上かつてないくらい、吹けば飛ぶような庶民の力が強大化しているので、ローマ帝国とか組織を大きくして、その大きさで支配するという方法論が転換期を迎えているとか、通貨という存在が徐々に希薄になっていくとか、目が離せないくらい面白いです。そのあたりの大きな枠組で、日本がどうなるかの90%以上は決まっていくでしょうね。

 だから、日本人に出来るのは国内での平等とか衡平とか、最大多数の最大幸福をどう実現するか、しないのかってことでしょう。破産状態の日本政府がどうするかを考えると、一般企業の倒産案件の流れが参考になります。まず一般従業員や一般顧客は寝耳に水。徐々に沈んでいっていよいよ入水って感じではまず無い。「ある日突然」ですね。でもって、良心的な経営者はなんとか再建を考え、債権者の公平を考え、従業員の再就職を考えますが、不実な経営者はそうはしない。会社に残ってる現金かきあつめ、資産をこっそり二束三文で売り払い、全部ひっつかんで夜逃げしますな。で、それを仕切るのがヤクザの収入源だったりもします。そのノウハウはいろいろあって面白いんだけど、ここでは割愛。

 ここ1−2年はこの夜逃げ準備政権って感じ。雑巾絞るみたいに広く浅く取れるだけ取っておきましょうと。もうこれ以上庶民から搾り取れないって段階で、着々と富裕層と呼ばれる小金持ちにターゲットを合わせてくるでしょう。改正相続税は来年早々に施行だし。あと、相続資産の評価基準になる路線価なんかも上げるかもしれませんね。てか今年大都市圏で軒並み上がってます。

 さらに僕でも思いつくのが、空家対策措置法。これは既に成立してます。これを悪用する。全国に820万戸だったか膨大な数の空き家問題が徐々にクローズアップされてますよね。東京でも10件に一軒は空家。これが老朽化して危ないわ、放火されるわ、タチの悪いのが犯罪の場所に利用するわ(拉致して強姦とか)今後どんどん問題になっていくでしょう。でも取り壊そうにも更地にしたら路線価が上がって固定資産税も上がるからおいそれとは出来ない法令の不備があります。つまり住宅用の場合、家が建っていた場合の路線価は更地の6分の1に大幅減額されるという法律がある。戦後の住宅建築奨励措置でゾンビみたいな法律なんだけど、これがまだ生きているから、皆の建物の路線価は6分の1で済んでいるし、固定資産税やら相続税やらもかなり安く済んでいる。でも空家対策の名のもとにこの特例を撤廃しようという話もある(例えば空き家更地にすると損で増加 固定資産税特例措置見直し検討か)。これは単に空家の場合の措置でしかないですし、また空家対策措置法もそのあたりには触れてない。だから現時点では直にはまだ関係ないんだけど、しかしヒタヒタと押し寄せてる感じがしますね。つまり空家対策を大々的にぶち上げて、こっそり6分1条項を消してしまえば、単純計算で固定資産税や相続税の支払いが6倍になる。ま、控除とかなんとか一概に言えないけど、やろうと思ったら出来ると。まあ、これは一例だけど立法権というのは後出しジャンケン権だからその気になればなんでも出来る。

 さて、そんなこんなにかかわらず、大新聞の報道によれば300議席超えとか言っている。本当かよ?てか、誰でも普通に思いつくけど、要するにしょーもない選挙カマして、白けさせて、さらにどうせ趨勢は決まってるから投票しても無駄だよとやる気を削いで、組織票だけで延命しようという魂胆じゃないの?と。

 それが邪推とは言い切れないのは、大マスコミが主催していない普通のネットの意識調査です。

 並べてみたら分かるのですが、1年前(2013年12月)の調査は、支持率82.1%と驚異的な数値だったのが、最近(2014年10月)の調査では34.3%まで落ちていて、はるかに不支持63.9%の方が高い。

 これは特に現政権でなくても、政権一般の賞味期限としてはどの国でも似たり寄ったりの傾向をたどるでしょう。

 この調査はヤフーのやってるもので、これだって疑おうと思えば疑えるんだけど、皆がリアルタイムで見てるからやりにくかろうと思うし、またサンプル規模が多いので組織票をいれるにしても大変だろうと。それにヤフー自体は、政府でも反政府でもなく、どちらかといえばヤフコメには政府系動員かかってそうな感じがするくらいで、極端にシフトするってことはないだろうと。

 じゃ、これでどうして300議席超!なんてすごい数値が出るの?それも告示早々?つい数日前まで逆のことを言っておきながら?ですよね。何らかの作為が働いているのではと。

 で、興味の焦点は、今の日本人の知能指数がどの程度かということで、どんだけ簡単にひっかかるかという貴重な実験データーになると思いますね。あるいはわかっているけど現状維持(変化恐怖)か諦めているか、そもそも分かろうともせず誰かがどうにかしてくれるだろうと思ってるとか、いずれにせよ「どれだけ統治しやすいか」ってことですな。そこを多分、諸外国(特にアメリカとか中国、ロシアあたり)は見てたりして。社会科学の実験ってなかなかしにくいですから。


 今週から秘密保護法が施行され、「戦前」になるとか言われてますけど、僕の感じでは既に「戦時中」だと思いますねえ。戦争は起きてないけど、全体の流れがそうだと。ミッドウェーで空母が消滅しても大丈夫、連日空襲を受けてもそれでも大丈夫だという。で、欲しがりません勝つまではと忍耐の美徳を説き、行政の不手際で南方戦線に兵隊さんは餓死してるんだけど伝えず。ほんでも子供だましは所詮子供だましだから、現実は騙せず、遅かれ早かれ冷たく大きな現実にグシャッと潰される。で、「戦後」が始まる。鬼畜だった筈なのに、一夜明けたらアメリカ万歳になるかもね。

 でも早く戦後になっちゃえばいいと思いますよ。こんなの我慢してても意味ないし。そりゃもう滅茶苦茶混乱するだろうけど、それは同時にエネルギーの解放でもあるし、不本意に茶坊主やらされてた優秀な人材が世に放たれて、その後の経済復興を支える新興企業が出てくる。あのソニーだって、もとはいえば日本測定器株式会社という会社で新兵器の開発をやらされていたエンジニアたちが自由にやりたいようにやろうで始めたのが原点でしょ。「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」という井深氏起草による設立趣意書は中々感動的です。国や社会の本当の強さというのはコレだと思いますね。「俺が何とかしてやる!」と一人ひとりが思うかどうかで、それが全てだと。

ショート命題ふたたび

 で、話はまた元に戻りますが、今週の写真です。

 この右上に、"TOUGH TIME DON'T LAST. TOUGH PEOPLE DO"って黒字に白抜きの標語みたいなのがかかってます。いいこと言うなあって。これはタフが掛詞みたいになっていて、「辛い時期はいつかは終わる。しかし、タフ(不屈)な人は決してメゲない」。"last"というのは「長続きする」って意味です。

 これもロング命題的に、常にいかなるときでもそうか?とか検証しだすとヤバイんだけど、でも瞬発力やインパクトはアリますよね。

 そして、最後に、固い話が続いたので面白い系を。
 左下の女性がコーヒー飲んで微笑んでる絵がいいですね。言ってる言葉が超恐いという。"I HAVEN'T HAD MY COFFEE YET. DON'T MAKE ME KILL YOU"「早くコーヒー持ってこんかい、ぶっ殺すぞわりゃ〜」。もう命題でもなんでもないんだけど、絵柄とのギャップが面白い。


 もう一枚は、別の壁(ドア)にかかっていた猫の看板。
 "Pleae...Don't Let the Cat Out. No Matter What It Tells you!"
 「猫があなたに何を訴えたとしても、決して猫を外にださないで下さい」と。

 意味はそのまんまなんだけど、猫の顔がイイよね。外に出たくて悶々としてて、不満たらたらで、目が据わっているという。



 

文責:田村