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今週の一枚(2014/10/27)



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Essay 694:「自己保身」の構造

〜バナナは皮を剥いてから

 写真は、Newtownの公園。
 うららかな日差し、緑の芝生に赤い花(ブーゲンビリアか)、二人のお兄さんと二匹の犬という、絵に描いたような牧歌的な風景ですけど、よく見たら二匹の犬じゃないです。ヤギです。同行のカミさんに指摘されて気づいたのですが、一匹は犬だけど、もう一匹(頭)は、真っ白い犬かと思いきや、確かに犬じゃないわ。ヤギのように見える。見てたら黙々と草食べてるし。犬の散歩は普通だけど、ヤギの散歩か〜、うーん、渋い。てか可愛い。


能力発揮を妨げる自己保身

 人が能力を発揮しようとするとき、それをジャマする阻害要因というのがあります。
 例えば体調〜ここ一番の受験や勝負プレゼンの当日に腹下していたら十分な能力発揮はおぼつかない。
 あるいは精神的な動揺や思い込みなどのメンタル面。

 しかし、こと日本社会において一番大きな能力発揮の阻害要因は「しがらみ」でしょう。さらにシガラミと表裏の関係に立つのが「自己保身」だと思います。

 日本人、てか人間、そんなに馬鹿ではないです。少なくとも僕はそう思ってます。皆ちゃんと賢い。
 少なくとも、バナナを食べるときにちゃんと皮を剥いてから食べる程度の知能はある。チンパンジーには負けてない。しかし、馬鹿ではないはずの人間が「なんでそんなに馬鹿なの?」と絶句するようなことをする場合もあります。皮を剥かずにバナナ食べてるような、チンパン君に笑われるような。

 多くの場合、その人が馬鹿なのではなく、一生懸命考えた結果、皮を剥かずにバナナを食べるのが最善の方策であるという結論を出してるからでしょう。何をそんなに考えるのかといえば、自己保身でしょう。

 理論面、実践面、そして自分の価値観などから、どう考えてもAという方法を取るべきだと確信できる場合があります。そこで迷わずAを実行できるなら、その人は幸福でシンプルな人生を歩んでると言えます。ところが実際には、Aがベストなのは重々承知しながらも、ダメダメなBを選択実行していたりする。なぜか?Aを選択すると、自分がクビになりそうだとか、その組織の中で非常に居づらい立場に置かれるとか、誰かが致命的に困るので救ってあげたいとか、経済的社会的な利益が秤にかかってたりするからです。

象牙の塔と白い巨塔

 その昔医療過誤事件をやってたときに、医療にミスがあったんじゃないかって思われる案件を、カルテや看護記録などを見せつつ他の医師に意見を求めることがありますが、「あ〜、こらアカンわ」「ダメだな、こんなヘタクソじゃ」とかオフレコの口頭ではアケスケに言ってくれるんだけど、じゃあ法廷で証言してくださいって頼むと、皆さん牡蠣のように口を閉ざします。

 ま、わかりますけどね。うっかりそんなことをしたら、医者の世界では爪弾きにされるかもしれない。特にその人がエリートコースを歩んでいるほど、将来的に教授や医局長の「引き」が超重要であり、そこで「青臭い正義感」に駆られたりしたら、もう自殺行為でしょう。自分の恩師や指導筋にあたる教授を批判できない、人民大会議でひたすらヨイショ拍手をしている北朝鮮の将軍のおっさん達のようにならないと。実際、ガン治療に関して主流と異なる発言をしている近藤誠医師は慶応の講師止まり、原発の小出氏も助教止まりで、アカデミズムが本来持つべき自由闊達な気風はあまり感じられない。

 まあ、白い巨塔でお馴染みの光景です。ここでは、本来のA(病気で苦しむ人を救ってこそ医学であり医師であるという本道)と、その医師個人の自己保身Bが鋭く対立するからですね。だから、「皮を剥かずにバナナを食べる(かのようなヘンテコな治療方針)」のは臨床実務の観点からアリでしょうか?というと、「アリです」「それが普通です」「皮ごと食べた方が身体にいいんです」と強弁するような場合もあれば、「色んな立場がありますから、一概には否定できないと思います」という玉虫色なものまで、「え?そうなの?」って鑑定意見になったりするわけですよね〜。はあ〜(実務家の大きな吐息)。そこをA直球で「誰が考えてもこんなんミスに決まってますよ!」とは中々スパンと言ってくれない。結果敗訴。被害者泣き寝入り。ほ〜んと、悔しいよ、これ、「血の涙が流れる」ってレベルで悔しい。

 別にお医者さんをクサしたいわけではなく、医療がテーマなわけでもなく、こんなの誰でもそうです。どこの会社にも、どこの学校でも、どこの家庭でも、どこのSNSでも、似たような話はある。経済価値数億円相当の「将来の出世コース」が秤にかかってる場合もあれば、またうんざりするような妻のヒステリー、夫の子どもじみた言い訳に一晩付き合わされるのはたまらんって場合もあれば、教室でシカトされて寂しい思いをしたり、自分のブログが炎上したりもする。そういった「予想される災厄」は出来るだけ回避したい、誰だってそうでしょう。そして、本来のAを犠牲にしてでも、B(自己保身)を優先させる。

連立多元方程式になるから難易度が飛躍的にあがる

 日本社会全般に目を転じると、全ては官僚がイケないんだと官僚悪者論が出てきたりしますが、彼らだって別にそんなに極悪非道ではなく(もし本当に魂レベルで極悪ならインテリヤクザになった方がはるかに儲かるって)、人間的にはそれなり誠実な人もいるだろうし、日本のために良かれと思ってる人だって結構いると思いますよ。だけど、彼らの優秀な能力は、自己保身という阻害要素によって何重にも歪められているのでしょう。

 大企業だってそうです。大企業であればあるほどそうだと言ってもいいでしょう。優秀なスタッフが沢山いるんだから、誰だって「こんなことやってたらウチはダメになる!」って意見の一つや二つ持っているでしょうし、本の数冊書けるくらい業界や社内事情に精通しているでしょう。でも言えないもんね。下っ端が言ってても「ゴマメの歯ぎしり」だし、ゴマメレベルから上にいくと猛烈な圧力がかかる。決定権限持ってる上の連中は、ここでミスを認めたらうちの派閥が本流に回帰する目はなくなるとか、○○常務の肝いりの案件だから口が裂けても失敗でしたとは言えないとか何とか。社内を完全制覇しても今度は業界レベルの圧力がかかり、業界を制覇しても今度は財界レベルの圧力がかかり、財界を制覇しても今度は政界官界レベルの圧力がかかり、さらに日本を完全制覇してもアメリカあたりから圧力がかかる。かくして、うだうだやってるあいだに沈没するという。

 A(経営判断や政策決定など)は、純粋にそれだけやっててもかなり難しいです。それに加えて自己保身というB条件が入ってきたら、こら超難しいですよ。最終的にBを優先するにしても、あからさまにAを無視するわけにもいかないから、AもBも両方成り立つような方法を探します。A条件だけでも難しいのに、同時にB条件をも満たさないとならない。単純方程式で変数がXだけの問題が、連立多元方程式になって変数がXのほかにYも入ってくるようなものですから、難易度は格段にあがる。

 Aだけ見てたら、なんでそんな馬鹿な決断をするの?お前頭悪いんじゃない?or 魂が邪悪じゃない?って外野からは見える。そして通例Bの部分は外野からは見えなかったりする。そこで、下っ端の社員からみれば、ウチの首脳陣は馬鹿ばっかりに見えるし、一般国民からみたら官僚や政治家は馬鹿ばっかりにみえる。Bが見えてないから。

 結果、誰が考えてもAでしょうって場合でBをやってるという奇妙奇天烈な光景が展開される。「アホか、お前?」とツッコミ入れようと思ってふと周囲を見回すと、誰も彼もが皮ごとバナナを食べていて、「え?」とワケがわからなくなるという。あまりにも皆が普通に皮ごと食べてると、それが当たり前のように錯覚してきて、感覚がボケてくる。頭にでっかく浮かんでいた「?」マークは段々霞んできて、小さくなってきて、「ま、いいか」ってことになって消滅する。

 今の日本はこれが多い。皆で皮ごと食べてるような気がする。
 まーね、戦前の日本は国をあげて皮ごとバナナを食べてたわけで、そういう意味では「前科」のある民族社会なので、列島の津々浦々で今なお似たような光景が展開されていても何ら不思議ではない。ここまでくると、前科とか過ちという文脈でみるのは間違いで、いっそ「伝統」くらいに思っていたらいいのかもしれません。「わかっていながらアホアホなことをやって、当然の帰結として破滅するという習性」「それが民族の伝統である」という、なんか覚醒剤中毒者みたいね。自滅属性というか。

構造と対策

頭が悪いのではなくカタチが悪い

 何が悪いのか?といえば、自己保身構造になってしまう点だと思います。人間的な特質とか、文化とか、民族DNAとか大げさな話ではなく、「構造・カタチが悪い」んだと。そういう構造になってしまえば、どこの誰であれそういう行動を取るしかなくなるんだと。将棋でいえば王手飛車取り掛けられているようなもので、王という優越価値を保全するためには、飛車を切り捨てないとならない。飛車だけみてればいかにもアホな作戦だけど、王を逃がすためには仕方がない。そして、A(大義)とB(自己保身)とどっちが優越するか、どっちが飛車でどっちが王かといえば、凡人においてはBが優先する。それは生命の本質は自己保存にあるのだから当然でもある。

 そりゃ大義のために自己保身は切って捨てる、それが男、それが武士、それが志士じゃあ〜ってのはカッコいいんですけど、そこまで超人的な意思力や美意識を万人に要求する時点で、もう社会システムの設計としてはアホだと思うのですよ。絵に描いた餅。

 基本設計としては、Aという職務立場の本来の価値の他にBという対立価値が出てきた時点でもうそのシステムはダメだと思います。これがパソコンだったらコンフリクト起こしてシステム立ち上がらないから話は分かりやすいんだけど、人間は頑張ったり誤魔化したり出来るからシステム立ち上がっちゃう。だからそこでシステム立ち上がらせたらダメだということで、そこから基本設計やり直さなきゃと。

 自己保身は誰にだってあります。もう絶対あるので、それを前提に物考えるべきだと思います。
 それに自己保身がが別に「悪」なのではないですよ。自己保身っていう表現が悪いのかもしれないけど、例えば、自動車運転していて皆に自己保身本能がなかったら=自分は死んでも構わないとヤケクソ状態になっているならば、おっかないですよ。そこらの乗用車がイライラして特攻隊のように突っ込んでくるかもしれないし。でも、皆自分が可愛い、自分が死ぬのは嫌だと思ってる、その安全値を最大にもっていこうとすれば、誰もが交通ルールを守るしかない、それが最適解になっている。これは自己保身本能と交通が共存している事例です。システムというのはそういう具合に組み上げないとならないのではないか。

 つまりA(本来の価値)とB(自己保身)が対立構造になってしまうようなシステムになってしまった時点で、もうおかしい。そうならないような仕組みを作らないと。

ミスの隠蔽

 業務Aと自己保身Bというのは、本来なら両立しなければ嘘です。矛盾しているケースが多いので矛盾するのが当たり前のような気がするけど、そんなことないです。官僚は国民のために良かれと思う行政を行うのが本義であり、それを有能にこなせばこなすほど高く評価され、出世もするから自己保身にも資する筈です。AをちゃんとやればやるほどBがよくなるという関係になってなければならない。

 しかし、それが矛盾するということは、どっかで何かがおかしい。本来のAの仕事をちゃんとやってない、ないしは重大なミスをしたという場合でしょう。その過誤や懈怠を隠そうとするからおかしなことになる。「あ、ごめん、間違えました」と言えば済むし、遅まきながらもそこから最善手を打てる。これまで皮を剥かずにバナナを食べるように指導していて、途中で「え、あれ皮剥けるの?」と気づいて、「これからは皮を剥いて食べてください」と通達すれば、それ以降は正常になる。

 でも、そこで過去の過ちを認めようとせず誤魔化そうとするから、「皮ごと食べて問題ない」と強弁する羽目になる。そして、しまいにはみすみす悪いと分かっていながら「これでいいのだ」と国民に実害を押し付けるようになる。マスコミにも圧力を加えてスルーさせる。それでも「おかしいじゃないか」と疑問を感じて抗議運動をする人達に対しては、それが笑うべきナンセンスであるようなムードを作ったり、強迫神経症のようにちょっとおかしな人達、なんにでも文句をいう困った人達であるかのようなレッテルを貼ったり、さらには公共の秩序を害するとかテロリストや犯罪者として弾圧する。

 こんなことばっかやってると(やってるんだが)、遅かれ早かれ、その国はどっか〜ん!ですね。絶対そうなるとは保障できないけど、そっち方向にいくよね。過去にもそうなったし。

 このケーススタディで何が良くないかといえば、「ミスを認めない」という点、「隠そうと思えばミスを隠せる」という点にあると思います。まあミスを認めないというのは、人間誰しもそうだから、自然動機として普通にあると思っていいでしょう。むしろ問題はミスを隠せるという点、チェック機能や自浄作用が乏しい点だと思います。もしここで徹底的に査察が行われ、どんなに巧妙に隠してもやがては暴かれ、最後には身の破滅になるのだとしたら、長期的な自己保身としては、むしろミスを隠す方が命取りになるということなる。

 しかしミスを隠してごまかす方が自己保身に役に立つという判断がなされているということは、要するにチェック機構が甘い、フル稼働してないってことだと思います。そして、実際、そのとおりだとも思います。

流動性の乏しさ〜末永いおつきあい

 では次になんでチェック機構が働かないのかといえば、日本の場合、「皆ともだち」になっちゃうからでしょう。会社の監査役のようなもので、全然「監査」してない。監視やチェックなんか名前だけの大甘の体制になっている。では、なんでそうなるのか?

 これはもう僕にとっては日本を出る前からずっと言ってること、遡れば高校生の頃からずっと考えていたことで、個人的には飽々した話題ですけど、煎じ詰めれば「人々の人生の流動性が乏しいから」でしょう。どうかしたら一生同じ村、定年まで同じ会社、定年後のそのつながり、、、って、誰も彼もが同じムラにずっと一緒にいるとしたら、別に「和の精神」なんてなくても、自然と「うまくやっていく」ことになりますよ。それが社会的動物である人間の本能でしょう。本来の業務は犠牲にしても、仲間同士の和を第一に考える、そうでなければ長期的に生き残れないからです。下手に動くと「江戸の仇を長崎で討たれる」という話になる。どっかでリベンジされるから怖くてしょうがない。だからチェックもカタチだけになりがちであると。

 ま、それでトータルとして上手くやってこれたのならそれはそれで一つの方法でしょう。でも失われた20年、つか25年くらいになろうとしているわけだけど、これだけやってダメなら今までのやり方がダメだと思うべきで、抜本的に変えないとならない。じゃあどうするか?といえば、人生の流動性を高めていくしかないでしょう。荒唐無稽な話でいえば、強制的に廃藩置県みたいなこと、全国強制移住シャッフル、仕事も10年経ったら強制的に変えられちゃうくらいにしないと。オーストラリアの場合は、ずっと同じ会社にいるのが珍しいし、前にも紹介したけど1年間で全労働者の5分の1が転職をするような社会ですから、もともと流動性が高い。だから遠慮会釈なくボロクソ言える。政権交代もコンスタントに起きるから、前政権のここがダメあそこがダメと遠慮のないダメ出しができる。つまり路線変更のチャンスが定期的に来る。でも、日本の場合はなかなかそれが難しい。

 この先どうなるか?ですが、一般に流動性は高まってます。それは職の不安によってもたらされているもので、必ずしも歓迎すべきことではないんだけど、結果的に誰も彼もが転職するような風潮にもなっている。しがらみ度は減っている。だけど、それは底辺層からそうなってるわけだから、まだ上部層は「みんな友達」の既得権ムラでやっていける、だからせっせと頑張ってる、もう大車輪で頑張ってるんだけど、こんなのいつまで持つかしらね?って気もします。

 ここを述べ始めると長くなるしテーマが変わるのでこのくらいにしますが、ここではチェック機構が甘いから、AとBが矛盾するんじゃないの?じゃなんでチェックが甘いのか?といえば、人生の流動性が乏しいから、特にエリートになればなるほどジタバタ動くと損するような産業&人生構造になってるからだという指摘にとどめます。

空気を一切読まないチェック機構

 対策は、強制移住や転職は無理だとしても、出来る限り第三者の、空気読まずにボロカス言えるチェック機構を設けることでしょうね。社外取締役とかそれなりのこともやってるけど、もっともっとドラスティックに。その昔、僕の友人や弟弟子がHIV(エイズ)訴訟やってたけど、結局アメリカまでいって資料や証言を集めてきてたもんね。外国だとそのあたり空気読まずに言えるし。

 だもんで、将来的には日本に限らず、全然利害関係のない純然たる第三者、いっそ外国人にやってもらうくらいのシステムが世界にできたらいいと思います。ボクシングの判定のように第三国のレフリーも入れると。例えば日本の医学会の出来事は、毎回抽選で、今年はベネズエラ医学会が日本の医学会の査察をしま〜すみたいな感じで、空気を読まない人達、読もうと思っても読む能力すらないような人達にチェックさせたらいい。そしたら「え?なんでこんな馬鹿なことをやってるの?」と身も蓋もなく言ってくれるでしょう。そして、そういう体制にしてない組織は国際社会で相手にされないという流れにすると。

 先の長い話ですけどね。でも、アメリカの一極覇権も終局になりつつあるし、ここで二大陣営のゼロサム・ゲームではない多極バトルロイヤルの体制、一歩間違えたら全面グチャグチャになる緊張感をはらみつつ、絶妙なバランスを築けるかどうかって局面になるとは思います。本当の意味での地球規模での人類史がようやく始まろうとしているって感じかな。

補足

 本稿は以上。以下、長くなるので余談として。

自己保身の精密化 

 上に述べたように、自己保身を敵視・蔑視すべきではないと思います。自然の本能だし、それを圧殺するのは無理だし。ただ、自己保身やってるようで全然自己保身になってないってケースは多々あると思います。

 自己保身というのは、生存確率最大化の戦略であるべきで、ただ何となく周囲に合わせるとかいうチャチなレベルではないでしょう。皆がダメになっていくときに皆に合わせていたら、生存確率は下がる。腐敗しまくって、この組織も長くはないなって思ったら、それでも我慢して耐えているのではなく、こっそり離脱するとか、あるいはバーンと内部告発して組織をぶっ潰して新しいヒーローとしてデビューするとか、より高度な生きるための方策を考える。政治家なんか年がら年中それを考えているんでしょうしね。

 組織・社会における最適解がAとBとを矛盾させないことだと書きましたが、これは個人でも同じだと思います。本来の自分の価値観Aと、生きるために仕方なくやるBとが極力矛盾しないようなポジションや角度を模索すること。別にAとBがぴったり重なる必要はないです(それって超困難だし)。ただ、出来るだけ矛盾しないように、ってことだと思います。

 これ、結構現場では矛盾したりしますからね。子供が好きで教師になりました。でも教育の現場にいったら、とてもじゃないけど子供のことだけ考えてるような余裕はない、どうかしたら子供を踏み台にして、ひどいケースになると子供を食い物にしていかないとダメであるようなケースにぶち当たったり。料理が好きでその職についたけど、毎日やってることは料理を冒涜するかのごときシロモノを作ってるだけとか。もう引き裂かれちゃって辛いですよね。

 また自己保身Bといっても、Bが意味なく肥大化してるケースもあるでしょう。○○がないと死んじゃうとかさ、○○に嫌われたら生きていけないとかさ、よく考えたら別にそんなことないだろ?って。卒業したらもう一生会うこともないだろうクラスメートとか、同僚とかに、そこまで卑屈に気を使う必要なんかないんちゃうの?とかさ。投資効率悪すぎない?だもんで人間関係の断捨離みたいな、割り切りもいるんじゃないの、とか。

 自己保身=現状維持ではないですよ。現状がダメだったら、それを維持ししていること自体が破滅につながる。

他人のミスへのトレランス

 バナナの皮のミスに気づいた当局やら誰かやらが、正しく過ちを認めるならば、まずもってやるべきは賞賛だと思います。批判は勿論すべきなんだろうけど、でも、少なくともミスを認めたという誠実さについてはちゃんと評価しないとダメだと思います。刑事法における自首減刑ですね。

 それをここを先途と、集団リンチのように叩きまくるようなことばっかしてる組織は永くないでしょうね。なぜって、結局、正直者が馬鹿をみて、隠蔽しきった奴の勝ちだってことになるからです。その叩き方を凄惨さを見せつけられたら、誰だって怖くて名乗り出ることなんかしなくなるでしょう。もう極力隠すようになるし、場合によっては人を殺してでも隠す(実際に計画殺人の動機はこの種の隠蔽目的が多かったりするでしょ)。

 桜の木を切ったワシントンじゃないけど、過ちを認めるというツライ作業をやってのけた人に対しては、まずそれを賞賛する。賞賛する気になれないなら別にせんでもいいけど、少なくとも「隠蔽したほうが得だ」というムードや実態を作ってはならないと思います。このギャップ(隠す方が損)は絶対に必要だと。意識的にこのギャップを作っていかないと、ほんと、誰も彼もが嘘つきになり、嘘が上手い順に得をすることになるから、社会維持コストがべらぼうに高くなり(この機序は複雑なので省略。要するに表と裏の二重のシステムを構築するから手間暇コストが二倍以上かかる)、コスト的にやっていけなくなってポシャる。

ガン告知のような

 オマケに一つ思いついたこと。誰も悪いことをしてるわけでもないし、疚しいことはないんだけど、それでも隠すという場合がありますな。例えば、致命的な災害が100%の確率で生じるのがわかっても、今から警告を発しても全然間に合わない、誰も助からない、それどころか発表したら大パニックになるから、本来の災害以上の人災が起こるのが見えている。だから敢えて言わないで知らんぷりをするって場合です。これはミスの隠匿や自己保身というのとはレベルの違う局面ですけど。

 こういう問題は難しいですよね。結局は価値判断の問題なんでしょうか。人には死ぬと分かって死ぬ権利があるから全部伝えるべきだという価値観と、そんなことしても苦しむだけだから、知らずに殺してやった方が慈悲なのだという価値観。ガンの告知みたいな性質を帯びるでしょう。

 例えば原発事故が全然解決してません。てか解決する気があるかどうも怪しく、問題があるかどうかすらメディアにも流れなくなってますが、しかし自然現象は人間の思惑や都合なんかお構いなしですから、着々と進行しますよね。定期的に&忘れた頃に、東電あたりから汚染値の過去最高記録が更新されています。もう気が遠くなるような値になってるけど、小さな囲み記事扱い。先週の金曜日(2014年10月24日)にも「井戸の1本で放射性セシウムの濃度が1リットル当たり46万ベクレル検出されたと発表した。昨年11月の前回調査から920倍に上昇しており、サブドレンでは過去最高値」なんて出ている(出典はここ)。

 なんかもう赤道方面で新しい台風が発生しましたみたいな、どっか遠い世界のカンケーない出来事のようなタタズマイだったりするわけですけど。じゃあ、皆気にしなくなったのかというと、さにあらず。地方への移住、4割「検討」=東京都民に調査−政府という記事では、調査対象が1200人でしかないから微妙なところなんだけど、10-20代の二人に一人(46.7%)、そして50代ではそれ以上(50.8%)が東京から地方に移住することを考えている、と。皆も忘れているわけじゃないんですよね。実は気になってるんでしょう。だって、二人に一人ってすごくない?

 これ、どうなるんだろうね〜?って、他人ごとながら気になります。というか、まんざら他人事でもないのですね。ガン告知のように、やっぱダメです、首都圏使い物にならなくなるかも〜とか明々白々になってしまったら、日本ポシャるでしょ。首都移転だとか呑気な話じゃないですよ。腐っても鯛で高値の東京の不動産を多く持っている企業や個人、その資産価値が激減するでしょ。日本の大企業の体力って、要するに膨大な含み資産でしょう?簿価上は大昔の買い取り価格だけど実際にはその千倍の価値ある、だから経理上はダメでも実はすごい金持ちなんだよとか。あるいはせっせと内部留保で貯金箱に入れてるとか。ここで「やっぱガンでした」みたいな宣言をしたら、今の株価は外国勢の掌の上にあるから、「そんなヤバイならやめ」とさっさと資金引き上げるだろうからこれも墜落。てことは円も暴落。だから内部留保の現金や流動資産もパー。国債も信用失墜。それを一番持ってるのが銀行や日銀だから共倒れ。

 まあ、そうなるかどうかは分からんにしても、もしそのとおりになったら、不況とか生易しいものではなく、経済的な核反応が起きたようなもの、それも数時間レベルでそうなるという即死状態だと思います。中枢がコケたら、あとは同心円状に波及していく。金融コケたら、皆の預金もパー。1000万円ペイオフなんか、いざそうなったら空証文でしょ。国家機能も麻痺するし、年金も来月からストップ。一般企業でも連鎖倒産が連鎖倒産を呼ぶから壮大なドミノ倒しになる。要は、放射能汚染がどうというのは健康問題以上に経済問題で、東京がダイヤモンドなのかゴミなのかという究極の価値判断みたいな部分に関連してくる。今はダイヤだということで話が通っているんだけど、さて、どうなることやら、です。

 だから口が裂けてもダメとはいえない、全員死んで屍累々の荒野でも、最後の一人が尚も「安全です」と遺言に書かないとならないということだと思います。考えてみれば、すごい大勝負ですよね。究極の自己保身問題なのかもしれないです。余談でした(余談でいいのかって気もするけど)




文責:田村