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今週の一枚(2014/04/21)



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Essay 667:地球各地の相対速度のズレ

 CW/サイモンくんのハイパーテンション・トーク  
 写真は、つい先日のランチの一枚。穏やかな秋の日差しが優しい。
 デザートのストロベリー・クレープ with メイプルシロップとアイスクリーム。こちらのデザートは大きいから、二人でひとつをシェアすれば足ります。皿も追加で貰い、場合によってはアイスクリームも分けて出してくれます。



 今週は困っています。いろいろあり過ぎてしまって逆にまとまらないというか、何度も頭のなかで反芻しているうちに、自分でそのネタに飽きてしまって書く気が起きないというか。

 何を考えているかというと、漠然とこの先の地球/世界がどうなっていくのか?って小学生のような素朴なことなんだけど、これが難しくて、曖昧で、エキサイティングで。頭の中に、いろんな形をした断片がぴょろ〜と浮遊していて、ときどき部分的に雷光をビビっと発してという。もう「おまえは何を言ってるんだ?」という「世迷い言」状態。

 ちょっとまとめきれません。いっそのことまとめないで書いてみようかと思ったけど、これはこれで異様に高いテンションを維持しないと無理だというのがわかりました。ちょっとトイレに立って帰ってきたらもう続かない。

 ちょっと書いたみたのはこんな感じ↓
 ああ、もう、何もかもが早過ぎる。いや、遅すぎる。どっちなんだ?どっちもだよ!
 すごいチグハグなんだ。

 映画見てるだろ?映画の登場人物とか背景とかは、当たり前だけど同じ早さの時間で進むんだ。でも、いまの地球ときたら、こっちにいる連中は2倍速で進み、こっちの連中は5倍速くらいで進み、でもあそこの連中は0.5倍速で、しかも3倍速で逆回しにしている奴らもいる。信じられるか?逆回しだぜ。それも結構いるんだ。でもって全体の背景が1.2倍速くらいで、もう、すごい全部ズレてる。気が狂いそうになるよ!

 え?時間の進み方なんかどこでも同じだって?そんなクソ当たり前のことを言ってるんじゃないんだよ。
 僕が言ってるのは、人類の進化の流れだ。大体似たようなテンポでこれまで歩調を合わせてやってきたんだよ。やれ氷河期のハザマになりました、ちょっと暖かくなりましたっていうから、人類はうろうろ版図を広げ、でもってまた氷河期がぶり返しましたって言っちゃ、出てった先で全滅したり、また戻ってきたり。農業が見つかりました、ヒッタイトが鉄器を作りました、世界に散らばっていきました、もっと効率的に製鉄できるようになりました、、という絶対的な環境条件や技術条件で人類はあれやったりこれやったり生活形態を変えたり、それに合わせて社会形態を変えてやってきたんだ。それはいい。その足並みの揃え方の見事さといえば、そりゃもう美しいくらいさ。

 でも、21世紀になってからがグチャグチャになってきている。もう目を覆わんばかりだよ。

 いいかい、人類が社会やら国家やらを作る究極の目的は、突き詰めればたった二つの目的しか無いんだ。@安全に、Aメシを食うことさ。狼に襲われたら困るから集団になって身を守ろうとするし、狩猟でも農業でも皆で力を合わせた方が飢える度合いは少ない、「こりゃいいや」で皆があつまってやっている。それがグループであり、集団であり、社会であり、国家になっていく。


 ↑こんな感じなんだけど、勢いを出すためには、自分が言うよりも、架空のキャラ=「アメリカあたりの大学生で、天然パーマ頭をボリボリ掻きながら、唾を飛ばしてハイパーに喋りまくるサイモン君」なんかに喋らせた方がノリがいいののを発見。

 しかし、これって続かないのですよ。このハイパーさが維持できない。サイモン降霊時間に限度あり。


 ということで、以下普通にメモ書きしておきます。でも、あんまりまとめないで、しゃべり言葉で書きます。その方がノリがいいので。

 ★結局一番知りたいのは、人類の「進歩」とか「進化」とか要するに「進む」ってことだけど、何処に進むのよ?どこに行きたいの?それって見えてるの?共通合意事項になってるの?

 ★例えばさ、経済だってそうだよ。なんだかんだ世界大戦もないまま新興国も経済的に浮上し、世界中に飢えた国がなくなり、みな幸福な生活水準を達成出来ましたってことになるのかな。グローバリズム経済がそれを後押しはするけど、それもある程度まででしょう?世界どこいっても同じ賃金で同じ生産水準で、皆が同じようなものを作って、、、ってやってて、それで「経済」というのは成立するのか?

 経済というのはエネルギーみたいなもので、どっかに凸凹や落差があって、その歪みが原資になる。高いところから低いところに水が流れていく重力エネルギーみたいに。Aで安いものを買ってBで売るから商売が発生する。でもどこでも買っても作っても同じだったらエネルギーが生じない。エントロピーだわ。経済というのはやがては等温死するのか?ほんとに?

 ★「国家」「組織」と「システム」「ルール」を、そろそろ意図的に切り分けていった方がいいじゃないのか?「組織」というものは、どれだけ本当に必要なのか?システムやプロトコルが維持できたらそれでいいじゃないのか?インターネットにせよ、ビットコインにせよ、要は共通の手順(プロトコル)があり、それを皆が守り、、てか、守らないと物理的に実現できなような仕掛けにしてしまえば、別に「世界インターネット協会」なんて組織が無くても廻るのだ。だったら生活環境その全てについて、あって当然だと思われてきた組織もまた「いらねんじゃね?」って感じになっていくんじゃないか。それも沢山あるんじゃないか。無駄なものを維持するために馬鹿みたいに税金払ってピンハネされるとか、自然破壊してモノ作って、莫大なエネルギーがいるとか下らないことやってるんじゃないの?人ひとりが幸福に生きるのに、そこまで大掛かりな装置って要るの?って。

 ★変化は確実に生じていると思う。昨日よりも今日そうなってるとは思う。ただしその生じ方が今までと全然違う。右タイヤがパンクしたから交換しましたって物理的な変化ではない。もっと生化学的な目に見えない変化。細胞のミトコンドリアとかゴルジ体のDNA配列が変わったので、徐々に全体も変わっていきますって感じのかわり方で、外から見てたら全然わからないような変わり方。ここでのミトコンドリアは、言うまでもなく僕ら一人一人の内心の価値観で、かつてのアメリカンドリームやジャパニーズドリーム的な価値観が色あせてきていること。金があればすべて良しとか、出世すれば良いとかいう以上に、最先端のところでは「長生きするのって幸福なことなの?」ってところまできてると思う。これを単なる生活不安や経済不況という点だけから解釈すべきではないんじゃないかな。

 ★ただこれらの変化は内因的なものだからかなり時間がかかる。少しづつ、ミクロなレベルで「面白いことやってる奴らがいる」という感じで増えていって、でもそれがムーブメントになるわけでもなく、マスコミで認知されることも少なく、誰が始めたんだかわからない子供の遊びのように広まるだろう。

 例えば、放課後で人数足りないから三角ベースにしたり、缶けりやったり。あれって誰が発明したのかもわからないけど、いつのまに広まっている。ジャンケンして「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」とかやってるのは、日本人だったら今の18歳でも60歳でも知っている。誰が作ったんんだ?誰が広めたんだ?なんで廃れないんだ?そういう種類の変化だと思う。

 もっともナチュラルで、だからもっとも時間がかかり、しかしもっとも強い変化。しかし最も見えにくい変化。自然治癒みたいなもので、人間も生物だから環境が変われば生き方も変わる。冬と夏で羽が変わる雷鳥みたいな物理的変化ではないけど、そーゆー環境になれば、自然と人々はそーゆー感じになっていくという。
 ★だからゆっくりやっていけば自然に納まるところに納まるのだろうけど、そのスムースな移行を撹乱する要因が幾つかある。これが懸念材料で、これがサイモンくんがまくしたてている地球各地での相対速度のズレ。

 猛烈に加速しているのは、言うまでもなく投機系の金融経済で、先物買いに次ぐ先物買いで、まだペンペン草しか生えていないような荒野でも、なんか「いい話」があったらドカドカ投資するから、地価が上がるわ、期待が期待を呼んでバブル化する。中国だって、あんな巨大な国なんだからゆっくり育てばいいのにやたら早い。かつての日本だったら、そろそろ万博やって「大きなことはいいことだ」とか脳天気にやってればいいのに、もう公害がバキバキ起きるわ、理財商品でデフォルト容認でバブルが弾けるわ、地方の農村の人達なんかおそらく今でも貧しいまんまだろうに、テンポが早すぎる。韓国だって、IMF介入でグルーバル国家に無理やりさせられたお陰でサムソンは強くなったが、ほとんど打ち上げ花火のような感じで、しぼむのも早い。やれブリックスだ、フラジャイル5だとか、早過ぎるんだよ、ゴールドマン・サックス、という。

 ★社会の変化には、それ相応な必要な速度というのがあるんだと思う。カップラーメン3分っていったら3分待たなきゃいけないんだ。それを30秒くらいで蓋を開けたら変なことになる。

 日本はつくづくラッキーだったと思う。急成長とかいいながらも、それでも今に比べたらゆっくりしたテンポだったから、新しい時代に皆が馴染む時間は十分あった。より大事なことは、時間があったから皆で豊かになるということが出来た。一億総中流なんて言われたし。これが国全体のユナイトな感じを育んだし、社会が社会として機能する一体感を産んだのだろう。

 それが先鋭的な資本主義の流れでどんどん階層分化が始まってて、これはこれで問題なんだけど、しかし中韓など他に比べたらまだ全然マシだろう。中国なんか14億総中流になるには今から10年20年スパンかかると思うけど、もう終わり始めているという。最先端と最後尾の距離が開きすぎていて、もうどんどん分断されていっちゃう感じ。すごーくイスが少ない椅子取りゲームが突如として始まって、あっという間に終わってしまったみたいな。これじゃみんなも収まらないだろうし、国内で暴動が多発するのもそりゃそうだろうって思う。

 結局スピードが変なんだ。国なり社会が育つにはそれ相応の3分間があるのであって、国際投機やインベストメントはそれはそれとして正当だとしても、適切なスビードにしないといけないと思う。でも、そんなこと出来ない。そこが問題。
 ★一方、逆回しにしている人たちも沢山いる。何度も書いているけど「国家」というのは、基本的に賞味期限切れの終わりかけたコンテンツ、いわゆるオワコンだと思っているのだけど、そうは思いたくない人たちがいる。今の国家概念は、産業革命や資本主義の勃興による帝国主義という背景事情をもとにデザインされた組織形態で、要するに富国強兵であり、「一番ケンカが強い形態」だと僕は思う。国家=軍隊といってもいいくらい。でもそんな喧嘩基準論は20世紀前半で終わったんだけど、後半になってもまだ未練がましく冷戦だのやっていた。でも、もう喧嘩をしても何処にもいけない、勝ったところで儲からない、潤わない、疲れるだけというのが嫌というほどわかったはず。だからこの時点で21世紀型国家に移行すべきなんだろうけど、何をどうしたらいいのか誰もわからない。僕もわからない。なんたって、チヨコレイト的に変化していくと思うから、「次はこれじゃあ」って感じにならない。あるとしたら脱成長とか共生とかそこらへんだろうけど、これがまた難しい。

 ★いずれにせよ冷戦終結後、国家、少なくとも先進国国家はやることがなくなった。いや戦後国家の福祉理念とかそういう福祉財団的な要請は日増しに高まるのだけど、もともとが洗練された暴力団みたいな成り立ちだから、そういうのって苦手なんだろうな。コミュニティ奉仕活動だけやっている山口組みたいな。本質的に無理があるんだろうな。

 だから、アメリカでもブッシュの頃にトチ狂ったように愛国だ戦争だでイラクやアフガンに仕掛けて、あれから13年、骨折り損のくたびれ儲けの典型みたいになっている。それでもやる。なぜ?そりゃ軍需産業とか細かなナニはあるだろうけど、基本的に富国強兵という基本設計になってるからなんだと思う。その証拠に日本に限らず、どこの国でも「愛国」とか「パトリオット」とかいうと、もれなくオシャレ小鉢がついているように軍事的なニュアンスになる。戦車ゴゴゴの閲兵式で国旗掲揚が「愛国」だというのは、端的に変じゃないの?なんで「愛=喧嘩」なの?つまりは帝国主義時代の、日本では黒船からの、「食うか食われるか」という一過性の修羅場環境が19世紀型の国家モデルを育み、それが阿呆みたいに現在まで伝統芸能のように続いているだけじゃないかと。

 一方北欧諸国などは、かなり本格的に国家の存在理由を国民の生存・生活・福祉に定めているけど、なんで彼らがあそこまで腹を括れるのかが面白い。フラッシュアイディアとしていえば多分この数百年ほとんど喧嘩でいい思いをしたことがないからじゃないかな?大昔はバイキングで猛威を振るったし、スウェーデンとフィンランドは年中喧嘩してたけど、まあそれだけの話で、帝国主義競争で一応植民地支配とかやるんだけどすぐにロシア帝国の影響を受け、次にナポレオンの脅威を受け、第一次大戦では「もう巻き込まれたくない」と中立宣言をし、帝政ロシアがコケたの機に独立も充実するけど、それも束の間、今度はナチスが南からゴゴゴとやってきて、戦後は又してもソ連の重苦しい支配を受け続けるという。要するに大国に翻弄され続けているので、喧嘩とか国威とかいうものに幻想を抱いていないんじゃないかって気がします。日本は日清日露その後で、ちょっとだけだけどイケイケの軍国快感というのを味わってしまったので、それが昔やったドラッグみたいにフラッシュバックするのかもしれない。
 ★しかし、じゃあ福祉財団的に頑張るかといっても、これって早い話が金があるかどうかでしょう?お金がなかったら福祉もなにも出来ない。でもってカネがない。どの先進国もない。オーストラリアは比較的マシな方だけど、それでも別に楽勝ではない。でもグローバリズムを促進するなら、世界の平均化が進むだけ、つまりは先進国の過疎化が進むだけだし、実際にそうなってる。日本だって、2050年には人が住んでいる地域のうち6割以上で人口が半分以下に減り、2割の地域は住民がゼロになるという国土交通省の試算が出てるし。

 しかし、目先の経済を発展しようとすれば、短期的にはこのグローバル経済に乗るしかない。国際競争で勝つしか無い、負けたらソニー、パナソニックみたいになるよって話になり、それに向けての環境整備だ、経済特区でやるんだと。しかしそれをやったところで、どんどん人材の先鋭化とオートメ化が進んで、社内ニート化している465万人のサラリーマンの大量首切りをして身軽になって、企業が高収益体質にシェイプアップして、で、誰が喜ぶの?といえば、既にそのころには日本企業の株を買ってる外国人投資家だったりして。でもって、そこで高給取るのはオリンピックに出るくらい難しくなってて、巨大な多国籍企業の利潤は、アップルの本社がアイルランドにあるように租税回避措置でどっかにいっちゃう。要するに今の国家に国際レベルで経済をどうこうするパワーはない。もう構造的にない。あるとしたら、今あるものを再配分すること、国内資産の再配分、つまりは福祉財団的な手当しか無いだろという。

 ★もうハッキリいって今の国家は「やること」がなくなってるんだと思う。少なくともこれまでの自分らの「得意技」では勝負にならない。軍備を増強して他国を征服してとか、国内産業を振興して、、とかいう再放送の再放送みたいなことやってもダメでしょ。もっとも「やるべきこと」は沢山ある。新しい方向に徐々にメカニズムを移行していくことなんだけど、そうなるとこれまでの国家関係の「従業員(政治家、官僚、国策産業財界)」はおしなべてリストラになる。彼らが、「じゃあ、僕らはここらへんで」でニコニコ退場してくれるかというとしてくれない。最近とみに誰もかれも往生際が悪くなっているけど、昔書いた「しがみつきコアラ」そのまんまで、がっしり爪を樹木に食い込ませて、何を言われても辞めようとしないね。福島であれだけあっても誰一人辞めないね。すごいね。なんか芸能人スポーツ大会の「しがみつきゲーム」やってるみたいね。熊手で8億円といっても、それでも国会議員は辞めようとしないね。すごい。
 ★基本的にやることがないのに、しかししがみつきたいとなると、これはもうリストラ要員になってる中高年サラリーマンの悲哀みたいで、一生懸命仕事をしている「ふり」をするだろうね。方法論は古典的で、まずは全体を盛り上げるね。「おお、大変なことが起きたぞ」「必死にやらねば」と盛り上げて、そんでもってあれこれジタバタ走り回って汗出して「頑張ってまーす」とアピールするという。イラク戦争の本質はコレじゃないの?って気もするけど、それって日本でもどこでもやってる。他にやることないんか?って気がするけど、やることないんだろうな。それが一番問題なんだろうな。
 ★でももっと問題なのは、「ふり」だけだったのが、本当にそうなっちゃうことですね。一番「国家」らしい、過去の栄光、スペシウム光線みたいな、古武道みたいな、大昔の「技」「独壇場」を演出するために、戦争チックなチャンバラやってるうちに、本気になっちゃうという死ぬほど愚劣な展開。一方あちこちの国の国民だって、結局一部のエリートだけ潤い、どんどん貧困化させられ、同時に高齢化でヒマをもてあました人たちも増えるから、「やることない」人たちがどんどん増えるね。

 でもって、やることない国家と、やることがない人たちが奇妙に符合して無意味に戦争しちゃいましたって展開。オワコン同士の化学反応てか、自爆テロみたいな。これって、ある意味、人類史上で金メダル的に愚劣だよな。どの時代でももうちょっと真面目に戦争してたと思うよ。「ヒマだから」という理由で殺しあうという。すごいな。
 ★ウクライナの問題は、将棋の名人戦の途中の棋譜を見せられているようなもので、僕には全然わかりません。詰将棋くらいだったら考える糸口もあるけど、途中経過で「おもむろに角道を開けた」とか言われても、「で?」って感じでピンときません。いろんなことが書かれているんだけど、皆すごいな〜、よく分かるな〜って感心します。ただ、各国とも困りながらも、昔懐かしいコンテンツが出てきたので、なんかちょっと嬉しそうに見える。「へへへ、これなら分かるぞ」みたいな。でも実際わかってるのか?というと微妙で。

 そもそも他国の領土を「ぶん取る」という行為は果たして得なのかどうかですよね、根本的に。昔は占領して皆殺しにするというやり方がある。アメリカでインディアンを殺し、スペイン・ポルトガルが中南米の人々を殺し、オーストラリアでアボリジニを殺し、日本でアイヌを殺したのと同じことで、それは土地が欲しかった。川下の集落が水源である川上の集落を襲って水を管理するような。土地がほしいときはそうする。次に人がほしいからそうする。被占領民族を奴隷として活用する。さらに資源がほしいからそうする。中東石油がほしいとか。でも今どきそんなこと出来ない。奴隷といっても、その昔の馬や牛くらいしかエネルギー源が無い頃ならともかく、現代の科学技術で「人力」なんてそれほど価値がない。じゃあ、征服しましたといっても、被占領民を生かして、生活させて、しかも建前的にも民主的に選挙やらせてないとカッコがつかない。要するに、戦争に勝って他国を征服するということは、他国の人民の面倒を見るということでもある。

 これ割が合わなくない?今のテクノロジー水準でいえば、人間一人が居るというのは、生産的なプラスよりも、消費的なマイナスの方が多くないか?と。朝から晩まで田んぼや炭鉱で働かせて、夜には鎖につないで小屋にブチこんでおけば良いというのであれば生産性プラスの方が大きいかもしれないけど、今どきそんな話はない。第一そんな原始的な生産活動なんかやってて経済的に成り立つのか?という問題があるし、第二に、今は平均的に生活水準が上がっているので、鎖でつないでなんてのはもとより、公共住宅を手当して、年金やら失業保険を払って、医療機関を充実させてってゴキゲンをとってやらないとならない。大体、人が沢山集まれば食えるんだったら、今の日本の非婚化、少子化、孤独化もないでしょうよ。

 だとしたらご他聞にもれずに経済破綻しているウクライナを取り合うのって何の意味があるの?という根本的な疑問があるのですよ。要するに厄介な貧乏な親戚をウチに引き取るようなもので、本音でいえば誰もやりたくないだろう。北朝鮮みたいなもの。だから美味しいところだけもらって、ツケの勘定書きは相手に廻したいとかいろいろな思惑が乱れるのだろうけど、そのあたりはまるでわかりません。欧米もお金ないし。ロシアもあるかって言われたらヤバイでしょう。資源があるぞ、ガスプロムがあるぞといっても、後で言うけど、資源そのものが今は段々微妙にもなっている。そもそもロシアを牛耳っている旧オルガリヒの富豪達だって、そこまでロシア政府やプーチンを信じて協力しているわけじゃないでしょう。彼らの莫大な財産は西側に疎開させてるんじゃないの?大体中国でもどこでもそうだけど、その国の根幹を握るような実力者ほどその国を信じてない。立場的に熾烈な闘争も目の当たりにして内情がよく分かるだけに信じられないのだろう。もう盗塁を狙う一塁ランナーみたいなもので、一塁にじっとしていない。スキあらば脱兎のごとくセカンドを狙うというハーフウェイでウロウロしているんじゃなかろ?

 でも、全く違った視点、ウクライナ西部はどうでクリミアはどうでとかいう過去の歴史的経緯もあるのでしょう。なんの具体的な経済価値はなくても、北方領土みたいな政治的象徴価値はあるとか、それのエリア出身の人達が中枢の派閥を作ってるとか、あるのかもしれない。わからないけど、まるで何もないってことはないと思うぞ。でも、それって、ロシア一国の国益ではなく、たまたま権力の座にいる人間のパーソナルな権力欲であって、だからリーダーと国益とが矛盾するってこともまたよくある。欧米だって、そこが直ちにどうということはなくても「ここで毅然と対応して」「ええカッコしい」をしておくことで、次の選挙を乗り切ろうというパーソナルな願望があったりもするだろう。だったら、これは国と国とのゲームなのか?それとも終局的には私人と私人とのゲームなのか?という基本的なところで疑問符がつく。

 そんなことまで考えていたら、何が何だかわかりません。情報が絶対的に足りなすぎ。ただここでは僕がごときは分かる必要はないのだけど、一つにはこういう昔ながらのコンテンツがあるということですね。久々に「国家らしい」ことが出来るぞという。まだまだそういう地域は多い。
 ★相対速度が遅いエリアは、例えばアフリカの内戦とか国境問題とか世界各地のホットな戦争です。これって植民地時代やら米ソ冷戦時代は、超大国がベターっと押さえていたからそれほど表にでなかった。内輪喧嘩をする余裕もないというか、それすらも利用された。ところが超大国の圧力が去る一方、ネットその他で世界レベルで情報が共有されるにしたがって、なんで俺らだけこんな理不尽なことをって気になり、それまでの不満が爆発して紛争になっていく。

 世界が平和になるに従って、それまで布団蒸しのように抑圧されていた紛争の火種が逆に開いていくということです。その意味では人類はまだまだ火種は山ほど残ってます。大体第三世界が今のような国境や体制になっているというのも、イスラエルとパレスチナのパターンと同じで、大国列強の勝手な思惑でそうなってるだけの話でしょう。その重石がとれてきたら、世界各地で民族独立やら、同じ民族同士でも内戦をするでしょう。幕末に薩長が「関ヶ原の恨み」とか言ってたようなもので、その種の火種というのは数百年持ちますから。中央アジアのチェチェンにせよ、スペインのバスクにせよ、イラク北部のクルド族にせよ。

 それまでは隔絶された環境で、そういうもんなんだ、どうしようもないんだ、てかそれが問題だとすら思わなかった地域や人々でも、経済力がつき、教育や情報が普及するにしたがって、「これってちょっとひどくない?」って不満の声があがるでしょう。しまいには世界の少数民族の声が強くなっていくとか。台湾の高砂族、日本の琉球、アイヌ、アメリカのエスキモーやインディアン、オーストラリアのアボリジニ、中南米のインディオ、欧州のロマ族(ジプシー)、そしてアフリカにいって奴隷売買までいけばもう山ほどでてくる。

 人類の究極形態、進歩の果てにある理想状態が、例えば「いつ、どこで、どんなDNAをもって生まれようとも、幸福に一生を生きるという環境条件に不当な差があってはならない」ということであれば、まだまだ「不当な差」がある。たまたまの諸条件で決定的に幸福条件を否定されている人たちはいくらでもいる。インドだってカーストをいい加減なんとかしないと。しまいにはアマゾンの奥地の部落同士で数百年間の非支配歴史に終止符を打つとかやってるかもしれない。

 これは相対速度でいえば、非常にゆっくりしたペースで、全部終わるのにあと数百年くらいかかるかもしれません。その意味ではゴールドマン・サックススピードの100分の1くらいかもしれない。また、ゆっくりと過去に遡るという意味では、逆回しになっているのかもしれない。

 ★これは同時にそれまでまとまっていたと思われていた国家や社会でも、ゆっくり分解が始まることでもあります。その時代、その自然&経済環境にしたがって、もっとも自然でもっとも合理的な形態に向かっていくのは、自然の「適応」だから。

 関ヶ原以降の江戸期260年間は、武士の世の中、サムライJAPANの世の中だと言われるけど、見方をちょっと変えれば庶民の時代であり、この期間に日本を発展させたのは名もない町民農民達であったいうのはよく言われます。司馬遼太郎氏のエッセイによると、この時期の武士階級は一種の「知恵遅れ」とすらまで評される。

 戦国時代に天下統一するまでは、信長を筆頭に武士集団というのはバリバリの「組織」であった。組織というのは本来何らかの機能を遂行するためのゲゼルシャフトであるときにもっとも輝くのであり、「戦いに勝つ」というただ一点の機能に向けて、織田家に限らず強力な戦国大名は、普代門閥という旧来秩序にとらわれず斬新な人材登用をしたし、治世にも励んだ。ところが江戸幕府で安定した後は、司馬氏の表現によれば「ただ存在するためだけの存在」になった。戦闘集団のくせにろくすっぽ戦闘がないのだから、それはしようがないのだが、ただただひたすら親から受け継いだ家禄を減らすこと無く次に世代に受け継ぐことだけが究極目標とされた。とにかくミスをしないように、とにかく目立たないようにという、今の日本人の悪しき原型の一つが260年かけてゆっくり育まれた。まさに「知恵遅れ」と言ってもいいくらいの感じだが、それは今でも続いていると思う。

 一方、その間の百姓町民の活躍は凄まじい。狩野家のような芸大教授の一門が将軍や大名をパトロンとして宮廷芸術をやっていた反面、ツタヤを始めとするメディアミックスが始まっている。一人の発注者に対して一枚描くのではなく、版画形式にして大量出版して「マス」で「メディア」をはじめ、これに歌舞伎などの新興パンク系のビジュアルアートがコラボするという、21世紀にもってきても何ら遜色のない巧妙な商業システムが構築される。その他、蕎麦にせよ、寿司にせよ何にせよ、今の僕らが日本的なものとして愛着しているものの多くは、江戸期の名も無き庶民たちの創作による。

 一方、関西で生じた棉作という集団農業方式、山陰の砂鉄事業、淡路あたりでは数十艘の船団が網元の号令一つで動くという漁法を編み出した。北海道の利尻昆布が大阪経由で沖縄名物の昆布料理になるあたりは、風まかせの帆船だけでやっていたことを考えれば今のグローバルビジネス以上の展開だし、堂島では先物取引までやっていた。教育は寺小屋などがあり、おそらくは識字率とかリテラシー、ニューメラシー(算術能力)の一般市民平均に関しては、世界一流のレベルまで到達していた。江戸期の名もなき庶民達の知的文化的レベルは存外に高く、例えば佐渡の小さな村々ではどこも立派な能舞台を持ち、普通に誰でも素謡が出来、播州平野では和算が盛んで集落ごとに数学の試合が開催され、難問を解いた者は名前を絵馬堂に奉納される栄誉を与えられ、近江では句会が盛んであったという。

 つまり、武家が痴呆化していた江戸期に、着々と一般市民は19世紀はおろか20世紀の資本主義社会体制を受け入れられるだけの社会の再編成を完了させていたからこそ、世界でも珍しく、一直線に植民地支配されずに、いきなり最先端の西欧文明を社会に受け入れることが出来たと言われている。

 これは何を意味するかというと、江戸期の武士が真性に馬鹿だったというよりは、既に歴史的な役目を終え、本来の機能を喪失し、「存在するために存在する」となった集団組織は、ゲゼルシャフトとしての切れ味を失い、無用の長物となるばかりか、社会の進歩阻害する迷惑な存在になっていくということだろう。実際、現代に生まれていたらノーベル賞レベルの平賀源内をはじめとする綺羅星のような天才達がおりながら、江戸期の幕府は、新規発明の禁止やら、贅沢禁止令やら、大井川に橋をかけさせなかったり、要するに邪魔ばかりしている。結果として、幕末期においては○○石という古色蒼然とした中世米穀経済と貨幣経済という中国もびっくりという一国二制度が行き着くところまでいき、幕府や名門武家藩は豪商から借金につぐ借金をし、破産自治体同然になり、棄捐令や徳政令を連発するという民本経済における害虫のような存在にすらなっていく。昨日のエリート、今日の粗大ゴミ。

 これは日本人が凄いというよりも、日本人の庶民が凄いというべきであるし、端的に「人間」は凄いというべきだろう。あるいは、その時代時代に世間的な試験や家柄その他でエリート/非エリートを選別している方法論や存在形態が、時としていかに愚劣極まるものであるか、ということでもある。優秀な官僚集団が明治草創期や戦後初期を引っ張ったといっても、その出身階層は大体において名も無き庶民であるし、名も無き庶民に活躍の場を与えたからこそ上手くいったとも言える。それが段々とエリートシステムのためのシステム、存在のための存在、予算のための予算、天下り団体のための天下り団体とか規制とかになるにつれて徐々に知恵遅れが生じ、現に今でも生じているだろう。

 江戸期そして現代日本でもそうであろうし、また日本に限らないであろうが、同じ一国一社会でありながら、部分的には途方もなく後進的であり、また他の部分では途方もなく先進的であるというアンビバレンツな状況になりがちだということは銘記されて良い。真に社会を動かし、前進させる才能は、多くの場合は「土民」と呼ばれるようなそのへんの泥土や草むらにいる。さらにいえば、その当時の一般庶民の地頭の良さ、あるいは環境感度の鋭敏さの絶対的なレベルこそが決定的な意味を持つように思われる。
 ★資源の話。結局、人類社会の動向というのはベーシックにエネルギー問題が常にあると言われる。木材燃やして製鉄するから森林破壊して中東欧州は中世になったけど、でも化石燃料を発見してまた復活しましたという。巨大なエネルギーをゲットしては、ガラリと世界の仕組みが変わる、ゲームのルールが変わるというよりもゲームの種類そのものが変わる。

 でも、これちょっと引いて考えてみたら下らないイタチごっこという気もする。化石燃料→内燃機関(エンジン)という爆発的なエネルギー増大を得て、産業革命やら重厚長大な国家社会モデルが出来た。「鉄は国家なり」のビスマルク。でも何のためにそこまでエネルギーを使うのか?っていえば、戦車作ったり動かしたり、工場作って儲けたり。じゃなんで戦車が要るの?といえば軍事力。じゃあなんで軍事力がいるの?といえば、植民地支配する武力とか商業航路を守るためとかあるけど、しまいにはその重厚軍備や社会装置を維持するために莫大なエネルギーが必要になってくる。だから中東の石油が欲しくなったり、世界各地で資源の争奪戦が起きる。

 あれ?なんか変じゃない?って。これってエネルギーのためにエネルギーが要るというくだらない循環論法になってないかと。思い切って言ってしまえば、エネルギーというのはラグビーのボールのようなもので、それをめぐって血沸き肉踊る争奪戦を世界の主要メンバーが展開し、そこに莫大な国際利権ビジネスが生じ、戦争が生じ、一国の消長すら決せられる。馬鹿じゃん。遊んでるだけじゃん。

 サイモンくんの最初の言葉によれば、要は「安全に&メシが食える」という環境さえ基本的に整っていたら人類はそれで良くて、あとはもう個々人が勝手に青春したり悩んだり喧嘩したりしてればいい。それでテキトーに人生オーライなんじゃないのか。そこそこ安全にメシを食うということだけのために、ここまで膨大なエネルギーって本当にいるのか?
 ★ニューエネルギー開発は、今世界でどんどん進んでいるらしい。細かくは分からないし、一回まとめて勉強しないとな〜とは思うが、断片的に仄聞する限りでは、「え、そこまでいってるの?」というようなものもある。

 ただ、ここで思うのは、今ある社会システムをそのまんま維持しようと思えば全然足りないだろうけど、今あるシステムを本当に維持する必要があるのか?という点。原発事故以来皆も(僕も)詳しくなったけど、例えば送電ロス。5%とか「送電距離に比例し、送電電圧の二乗に反比例」とか言われているようだけど、全国津々浦に送電線を張り巡らせる敷地費用、メンテ費用、その設備の製作購入コストなどをひっくるめたら、かなりのものになると思う。

 先の国土交通省の試算のように、6割の地方で人口半減、2割で無人化するなら、そんなにベタベタ送電線を張りめぐらさなくても、地産地消の電力で間に合うのではないか。そもそもそれだけ森林が広大にあるなら、昔ながらに「山に柴かりに行く」だけで、そこそこの基本生活エネルギーはゲットできちゃうのではないか。柴刈りって要するにバイオマスだろ。それに経済の進展からいって、これまで以上に電力ドカ食いする営み(ビジネスにせよ工場にせよ)って出てくるのか?さらに将来的に経済がしょぼくなって、あるいはサービス産業やデジタル系のネット処理でかなり済むようになっていったら、流通にせよ、交通機関にせよ、それらのインフラ設備にせよ、今ほど必要ないことになるんじゃないか。

 お伽話のような話だが、日本の過疎化した村のどっかで、数百〜数千人くらいの規模の集落ができて、そこでムーミン谷みたいに、半ば自給自足的にやっていけたら、村外れに風車があって、川に水車があって、各家にソーラがあって、それらが高性能に蓄電できてたら、それで村全体でトラックとバスが一台くらい、それに緊急用にセスナがラバウル基地みたいにあったら、それで一応回っていくんじゃなかろか?って気もする。パソコンやネットはそんなに電力要らないし。なんか楽しそうなんですけど。昔は遥かにそれを下回る環境で、能やったり、数学大会やったり、句会をやってたんでしょ。

 これはそうしろと言っているのではなく、どのくらいエネルギーが必要かというのは、皆がどういうライフスタイルを選ぶかという点に密接に関わっているということ。生活様式が変わればエネルギーのあり方も変わるし、エネルギー供給をするシステム体制、要するに社会資本そのものありようが変わる。これはヴァイス・ヴァーサでエネルギー供給の有り様が変われば僕らのライフスタイルもまた変化するし、変化しうる。

 そして、今のまんまの体制が未来永劫続くとは、エネルギー的な見地よりも、経済・政治的見地から微妙でしょう。いまから30年の比較的近未来に限定しても、現行の日本のシステムがそのまま維持されているためには、この30年間に1000兆円を超える借金財政が破綻しないでやっていけることが第一。その頃には三千兆円になってそうだが。その過程でしばらくは高齢化し続ける年金システムが破綻しないこと。500万人近い社内余剰化しているサラリーマンがリストラに遭うこともなくめでたく定年退職し企業年金を貰えていること。それを賄えるだけの経済興隆の新しい波が10年に一回くらい、あと3回くらい盛り上がること。あと30年間、東京をはじめとする大都市直下型の大地震が起きず、大きなダメージを受けることがないこと。原発事故が生じないこと。現在のフクイチが何でそうなるのかよく分からないけど不思議と解決していること。

 上に掲げた諸条件のどれか一つでもミスったら、ちょっとヤバいかも。一方現状を見ていると、アベノミクスの底が割れ、、って、あれって知能指数が100以上ある人で最初から信じてた人っているの?って僕は真剣に疑問だし、「それは言わない約束でしょ」って腹芸ゲームじゃなかったの?って気もするが、年初以来株価はガタガタ。年金事業団あたりがビビって益出しのために、ちょっと高くなると売るから、こないだみたいに週1100円も下げるし、やばいとなったら黒田くんや麻生ちゃんがGPIS(年金積立金管理運用独立行政法人)のラッパを吹いたりして上げたりしているわけだけど、株価市場はドン引き。2014年4月18日の東京株式第一の出来高は約1兆1500億円で、活況の目安とされる2兆円を大きく下回っている。4月14日の債券市場では、長期金利の指標となる新発10年物国債の取引が成立してない。2000年12月以来、約13年4カ月ぶりの異例の事態になっている。一方、「第三の矢の成長戦略」という言葉すら、最近ではすっかり聞かなくなってきた今日このごろ。片や、高齢者の生活苦のための万引きは過去最高の2万6000人になっているし、餓死者という単語を見聞きする機会も増えてきている。

 でもって、ここでの問いかけは、あと30年持つのか?です。
 直近1年なんかどうでもいいし、あと10年くらいだったらまだいい。大事なのは30年後、てか「まだ生きている予定期間」です。なんせその頃には、誰であれ老化が進んで活動能力は今よりも劣っているし、今いかに蓄財をしようがその頃どうなっているのかまるで未知数。つまり、その時点での環境をはねのける個人パワーが普通に考えれば減衰しているわけで、それだけに外界環境要素がデカくなるわけで、要するに目先のどうこうなんてどうでもよくて、30年後に成り立ってなかったら、やっぱ成り立たないんだわ。

 持つというのがプランAで、持たないというのがプランB。僕だったら、てか普通に考えたら、両面作戦でしょう。AならAでOKという路線も用意。これはこれまでの延長線だから簡単でしょう。条件が徐々に厳しくなるくらいだから。問題はBで、「もしダメだったら」です。ありえない話ではない。そうなるとBをさらに展開し、3-4のパターンに分解し、例えば老衰みたいになだらかに減っていくパターンと、ある日突然ドカン(天災 or 恐慌)ってパターンとか、そのミックスとか。

 ああ、長くなってしまった。キリがないです。こんなことが、あともう倍くらい頭の中を渦巻いているので、まとまらないのですね。

 最後にまたサイモンくんに降霊してもらおう。


 地球各地の相対速度のズレそのものは、昔からあったんだ。珍しくないさ。オーストラリアのアボリジニは4万年のスパンで同じようなライフスタイルをやっていたんだ。4万年だぜ!中国4000年がガキにみえるよな。直近100年やら1000年、あるいは紀元後ひっくるめて2000年の人類の歴史なんか、「妙に最近やかましいですね」みたいなものなんだろうさ。

 結局、彼らのようなライフスタイルからしたら、記録されている人類の歴史そのもの全て「アスペルガーの子供のジタバタ」みたいなものなんだろうさ。あははっ!笑っちゃうだろう?僕たちは何やってんだって?

 だからその意味で相対時間差は思いっきりあるんだ。4万年くらいズレてるんだ。
 だけどそれは時空間的に隔絶してたんだ。同じ映画じゃなかったんだ。いいかい、ココが大事なところなんだけど、21世紀の悲劇でもあり喜劇でもあるのは、ネットやテクノロジーの進歩、グローバル経済の進展によって、本来は違う筈の数十本の映画が強引に一本の映画になってしまっているという無茶苦茶さなんだよ。

 ハンフリー・ボガートが「そんな昔のことは覚えていない」と渋くキメているその後ろで、ターザンが「あ〜あ」と滑空したかと思えば、さらにその背後の巨大画面にデスラー総統が写って「ヤマトの諸君」とか演説カマしてるんだぜ。なあ、すごいだろ。笑っちゃうよな。もう笑うしかないよな。それが今の地球なんだよ。すげーよ、サイコーだよ。70年台のサイケよりもサイケだよ。

 じゃあ、こんな狂った世界で僕らはどうしたらいいかって?そんなの自分で考えろよ。オムツはもう取れたんだろ?
 あ、言っとくけど、ママに聞いたって無駄だぜ、「お勉強しなさい」って言われるだけだからさ。ははっ。

 僕だったらどうするかって?
 そんなの簡単じゃん!おもいっきり簡単じゃん!

 こんなの全部「環境」なんだよ。カンキョーでしかない。
 大事なのはなに?一番確実なのはなに?今ココに自分がいることだろ?
 我思う故に我ありだよ、パスカルだよ、あれ?デカルトだっけ?パンセ?誰でもいいや。

 一番大事なことから順々にキープしていけばいいだけじゃん。
 まずは自分でしょ。次に何が来るの?大切な人、恋人、家族?趣味?生きがい?

 人類総体の到達点なんかわからないけど、僕の到達点だったらすぐわかる。
 要するに、そこそこ美味しいな〜ってメシが食えてさ、夜にビビらずに眠れてさ、それでとりあえず70点の合格点が取れるね。あとは加点事由で、「ちょっとムキになれる楽しい物事」なんかがテキトーにあったら、それで基本OKだよ。僕一人だけハッピーにさせるだけなら、そんなに難しくないんだ。だって、ターザンとデスラー総統が共演している映画を無料でライブで見れるんだから、それだけで普通に面白いじゃん。

 だから、世界の問題をすべて解決しなければ自分の幸福はやってこない!なんて、そこまで思いつめることはないよ。僕はキリストでも釈迦でもないし、君もそうだろ?それとも、全人類を救済するために生まれてきたと思っているのかい?ははっ、そりゃすげーや。

 解決なんかしなくていいんだよ、てか解決なんかしないよ、てか解決って何よ?なるようになるだけだろ、結局さ。
 自分の守備範囲は自分さ。それが自分の持ち場だよ。まずはそれをやればいいじゃん。そして、片手で自分のことができるようになったら、もう片手で誰か大事な人を支えればいい。でもまずは自分だ。自分がしっかりすること、賢くなること、ハッピーになること、それが結局は人類社会への一番の貢献になるんだと僕は思うけどね。どんなに巨大な生物も細胞の集積であることに変わりはなく、細胞ひとつひとつがシャキッとすれば、全体も普通に元気になるだろ?話が逆なんだよ。全体が元気になるから細胞が元気になるってことはないんだ。

 でもって自分がハッピーになるのは、これがまたイヤになっちゃうくらい超簡単なんだから、話は簡単じゃん。

 まあ、簡単つってもそこそこは難しいよ。

 だから環境なんだよ。
 国家制度も、法律も、経済も、金も、義理も、しがらみも、就職も、年金も、なんもかんも結局は「外界環境」ということで記号化できるんだ。プロトコルさ。手順さえ間違えなかったらゲットできるんだ。

 何がどうなろうが地球の上に僕が生きていることに変わりはない。そこが大都市の高層オフィスであろうが、ジャングルであろうが同じこと。ジャングルにはジャングルの外界環境がある。やれ、あそこの池の藻は、日が出てからだと変な毒を出すから飲むんだったら深夜から夜明けまでに飲まないとダメだとか、獣に襲われそうになっても絶対見つからないスポットがあそことあそこにあるとか、南風のときに風上に回るにはあのルートを通って逃げるんだとか、ここにはいつも木の実があるとか、そういうことが生きていくための外界環境条件であり、それらをクリアするために一つ一つにプロトコルがある。

 目を開いて耳を澄ませば、そんなの誰でも分かる。生きていく力というのはそういうもんだろ。それでも失敗して九死に一生を得て、でもって学習して、ますますしたたかになっていく。いつの時代もやることは一緒だろ。

 自分が生き延びるために役に立ちそうなことは何でもやりゃいいんだ。
 今ここで、公務員試験直前対策を君はやっているね。でも、あるときパタンと参考書を閉じて、来るべき無法時代に備えて黙々と腕立て伏せをやったりもする。腕っ節が弱かったらとりあえず生き延びられないと思うからね。それでいいんだよ。自分が生きていくために必要だと思うことは何でもやればいい。

 今はグチャグチャな世界なんだから、幸いなことにどっかには役に立つんだよ。ターザンのコスプレして劇場に入ってみたら水戸黄門でしたって、昔のようなミスマッチはないんだ。全部がミスマッチで、だから全部が正解なんだよな。楽だろう?

 だから、大事なのは、自分が気に入ったスタイルを開発したり、それに合いそうな場所を探すことやら、その実現に必要な「魔法の呪文」=つまりはプロトコルだよな、それを発見して解読して、実行するんだ。あそこでああいうことができたら、ああいう生き方が出来るぞ。冬になってきたから、山から降りて川の近くで住むんだとか、こういう日は魚が押し寄せてくるから海辺に出て行くんだとか。

 あるものは全部使えばいいんだ。コネだろうが、学歴だろうが、語学力だろうが、筋力だろうが、既存のエリートシステムであろうが、古文書だろうが、道端に落ちているエロ本だろうが、ピッキング・ハーモニクスの一瞬のキレの良いキーンという突き抜ける音だろうが、純米吟醸の芳醇な瞬間だろうが、しょーもないダジャレであろうが、何でもいいし、全部何かの役に立つ。

 だけど、一番大事なのは感度じゃない?
 感度が鈍くて、泉の場所や、食い物のよしあしが見分けられない奴は死ぬだけ。いたってシンプルなルールさ。地球に生きる生物界の共通のオキテだろ、それ。

 メディア見たり、他人が書いたり言ったりしてるのを聞いたり、皆どうしてるの?って聞きまわったりというのは、全部アウトさ!論外!冗談じゃないよ!なにやってんだい!

 大事なのは自分じゃん!まず絶対ゼロ状況で自分が何なのかじゃない?
 しっくりくるか、ピンとくるか、腑に落ちるかって、そこらへんの生理感覚が全てじゃないの?ここを理屈でやる奴は、ハッキリいって馬鹿だよ。意味無いじゃん。自分を壊しているようなものじゃん。そりゃさー勉強も努力もすべきなんだろうけど、だけどそれはプロトコル解読作業という実務面での話だろ?レベルが違う。全然違う。

 あー、でもでもでも、こんなグチャグチャいう必要なんかないだろ?
 全部もうわかってるんだろ?
 思うんだけどさー、ここが分かってなかったら、多分赤ん坊の頃に死んでんじゃないの?
 呼吸とか、飲食とか、筋肉を動かすとか、面白そうなものに目を向けるとか、とりあえず掴んでみる、口に入れてみる、火がついたように泣いて、けろりとして笑って、、、って、生きていくための基本性能があるからこそ、僕らはここまで育ってきたんだろ。嬉しそうにハイハイするから自然と全身の筋肉が鍛えられ、心肺機能が増強されってことだけど、別に赤ちゃんはそんなの自覚的にやってない。普通にやってるだけ。、

 それと同じことをやればいいだけだと、僕なんかは思うけどね。
 だからできないことを頑張ってやれってんじゃなくて、当たり前のことを普通にやればいいだけじゃん。変な固定観念に囚われているから、できないような気がしてるだけでさ。違う?そうは思えないかな?

 ま、いいけどね。
 こう言っちゃなんだけど、僕は君がどうなろうと知ったこっちゃないからね。
 冷たいかい?でも君だって僕がどうなろうが知ったこっちゃないだろうし、おあいこだろ。それでいいじゃん、恨みっこないしさ。

 まあ、さ、この狂った楽しいハッピーワールドで、うまくやろうぜ。

 うまくやんなよ。
 はははっ、出来るぜ!楽勝だよ。
 でなかったら、もうとっくに死んでるよ。

 だーーーー、喉が渇いた!!
 おい、ビールでも飲みに行かないか?
 キンキンに冷えたのを出す店を知ってるんだ。アルコールがダメならそこのレモネードを僕はオススメするね。こいつがまた、レモンがツンケンしてなくてさ、気が強いけど純情な女の子みたいなレモンなんだよな、サイコーなんだよ。LLBもけっこーいける。レモン・ライム・ビター。店によって全然違う。三層構造だかなんだかグラスの中で色が違う美しい自家製LLBを出す店もあるぜ。こーゆーのが生きていくために必要なことなんだろ、簡単じゃん、楽しいじゃん?

 


 司馬遼太郎「ある運命について」 中公文庫 昭和59年6月刊行






 
文責:田村



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