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今週の一枚(2014/04/07)



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Essay 665:懲 役 十 秒

   
 写真は、たまたまレストラン(FiveDockのタイ料理屋) において料理雑誌のとあるページ。

 パラパラめくっていたら、なんと日本のとんこつラーメンの紹介がありました。

「ほお?」と思ったのは、 「とんこつラーメン」と日本語の明朝体のフォントも使っていることです。
 さらに驚くべきは、とんこつラーメンの「作り方」まで書かれていたことです。「1.5キロの豚の骨(脚部など、半分にして)、豚の足(トンソクだろう、半分にして)1本とか。日本人でも自宅では作らないぞ。



 昨日は皿を2枚(2回)も割ってしまいました。その数日前にも前にも一枚。ツルンと滑って、あら大変。
 大した話ではないのですが、普通だったら1年に一枚も割らないです。なぜ今に限って?といえば、これはわかります。腰が痛いからです。

 ギックリのように激しい痛みではないですが、「あ、ちょっとヤバいな」という感じ。大腰筋がヘタっているのがわかるし、ちょっと動くと微かな、しかし不吉な"ピリピリ"が来ます。くそお、どこで何を?と思っても、普段から座業が多いので(こんなの書いてるし)、あれやこれやが重なってのめぐり合わせでしょう。

 それはいいです。よかあないけど、慣れてます。一番ヤバいギックリは予兆無しにきますから、まだ分かる方が対処はしやすい。

 なぜ腰痛だと皿が割れるのか?これは簡単です。
 動いている時に四六時中腰に神経がいってるから、つい集中力に欠け、いわゆる「手から水が漏れる」系のケアレスミスが起きる。体勢的にもいわゆる「へっぴり腰」になり十分に手足が伸びない、力動感のあるサ!ピ!という動きが出来ないし、なにをやるにも「なにとぞ穏便に」的にヘロヘロやってしまう。なんせ急激な筋肉の収縮はヤバいですからね。そういった軟弱な姿勢がともすれば皿を掴んでいる握力にも影響する。ぐわしっ!とつかめず、へんなりと掴んでいるから、指先がやや濡れていたりして皿と指の摩擦係数限界を超えてしまうと、つるん!って話になる。また、一方で体幹の筋肉を弛緩させつつ、他方で指先の筋肉を収縮させるという、通常よりも難しい身体作業をしようというのに、意識の何分の一かは腰の方に向かっているから、そのあたりの微細な調節をする能力が乏しい。失敗するのもむべなるかな、です。

 皿くらいだったらどってこないけど、これが包丁使っているときとか、グラグラ脚立に乗ってこちらの住宅特有のクソ高い位置にある天井灯を交換しているときとかだったら、もっと大怪我になるでしょう。指やら足やらに、unpleasantな体験をしていたかもしれない。さらにどっかに財布を置き忘れるとか。最悪の場合は運転中の注意力散漫での事故でしょう。もう目も当てられません。

 それを思えば、皿というのは、注意喚起の効果はあるけど実害は軽微であるという点で「およそ考えうる中で最高の結果」と言えます。ありがたや。ただし「今のところは」「その警告を正しく理解したならば」という2つの条件付きではありますが。

 そして、欲深い私は、割れた皿を片付けているときに、「あ、これ、今週のネタにしよ」と思ったのでした。災い転じて福となし、さらにもう一転がしして大福にする。転んでも只では起きるな、地べたに落ちてるお金を拾ってから起きろです。

 ということで話は腰痛に限りません。それが今週のお題です。

ケアレスの構造

 ケアレスミスというのは、文字どおり注意(care)が足りない(less)わけですが、なぜレスするのか?足りなくなったケアは何処に行ってしまったのか?がポイントだと思います。何か別の物事に気(の一分)が向いている。

 パソコンで言えば、調子にのって沢山のソフトを立ち上げすぎて、CPUがいっぱいいっぱいになって、スムースに作動しないようなものです。どっかにクソ重い常駐ソフトがCPUの稼働やメモリを食っている。ではそれはなにか。

 いくつかの「常駐ソフト」が考えられますが、身体系とメンタル系に大きく分類できるでしょう。

身体系

不調系

 冒頭に書いた腰痛がそうです。
 他にも、よくあるのが歯痛、そして偏頭痛。僕は知らないけど生理痛もそうなのでしょう。

 これらは四六時中、不快な感覚を与え続け、気を逸らせ続けます。まるでページを開くとやたらポップアップ別ウィンドウが開くうざったいサイトのように、いちいち本来の注がれるべき注意力を削ぎ取られます。これらは100%の注意力のうち10%が他のことに分散させられるといっても良いでしょう。

 また、注意する力そのものの全体量が減少する場合もあります。風邪や高熱でへろへろになっていて、十全たる頭の働きが期待できない場合です。ひどい場合は意識朦朧としてきますから、ケアレスなんてレベルではなくなる。最終的には「意識不明」になりますから、注意力ゼロになります。

 これらミックス or 中間形態もあるでしょう。例えばキツい下痢をしていて、油断をしてるとヤバいって状態。意識そのものが揺らぐような激しい体調不良ではないのだけど、時として一刻の猶予もならぬエマージェンシーに陥るという意味では、ジクジク痛いだけの歯痛などよりもコトは急を要する場合もあり、そうなれば「もう、何も考えられない」状態になります。

 まあ、このあたりは真剣にカテゴラズすることに意味があるのではなく、体調と注意力は比例関係にあるという当たり前の話を、当たり前ながらも改めてよーく噛み締めましょうってことです。

 ちなみに、必ずしも不快な体調に限ったものではありません。愉快な体調不良(?)も考えられます。すなわち、気持よく酔っ払ってるような場合ですね。酩酊状態で「ひゃっほ〜!」とやってて、どっかに財布を落としてくるという。ありがちな。これも注意力そのものが減少するケースになるでしょう。

快調系

 さらに、別に体調「不良」である必要もないです。至って健康そのもの。しかし健康そのものであるからこそ注意力が下がるという場合です。

 なにかといえば、「眠い」とか「お腹が空いた」とかいう現象です。これらは身体の自然で健やかな欲求であって、それが生じるのは全然問題ありません。食欲、睡眠欲、そして性欲であれ、健康な男女だったらあって当たり前です。なかったら個体は死ぬし、種族保存は出来ない。祝福さるべき欲求なんだけど、いざ何かをやろうとしたら集中力を削がれることおびただしい。しかも本能的であるだけに強烈です。

 今晩中にレポートを仕上げなければならないんだけど、眠い、、、もう目を開けてられない。ふと油断をすると船を漕いでいる。あるいは、腹へった〜!小腹が空いた、いや小腹なんてもんじゃなくて大腹空いてるぞって、お腹がキュルキュルなってキッチンまで出向いて、「なんか無いかな」で冷蔵庫を開けて、しょうことなしに沢庵なんぞをポリポリ齧って、でもお腹がおさまらないから、他になんか無いかとさらに泥棒のように物色行為を重ねる、、、そんなことばっかやってるから全然はかどりませんね。性欲は、これは性欲ってほど強烈ではなくても、普通に色気づいたりすることはありますよね。図書館で勉強してたら斜め向かいにどえりゃ〜魅力的な人が座ったりしたら、もうそっちに気を取られて全然集中できない。

 このあたりは中学生の中間試験の頃から、リアルタイムのお仕事まで、連綿と日々経験されているところでしょう。多言無用ですね。

メンタル系

 身体のフィジカルな機能は問題ないのだけど、不安、憤激、歓喜その他の強烈な感情によって十全たる注意力が損なわれる場合です。これは理屈では簡単にわかると思います。「心配で心配で手につかない」とか、そういうことってあるよねって。

 ただし、リアルタイムに自分がそういう状態に陥っているかどうかの判断が難しいし、なんでそうなっているの?という原因分析は尚のこと難しい。ここらへんは、まとめて以下の対策論に書きます。

対策

危機認識

 身体系であれメンタルであれ、いま自分がヤバイ状況にあるという危機感をちゃんと持つことです。
 これがデカいし、これに尽きるかもしれない。「まあ、大丈夫だろう」「平常通り出来るだろう」と思うな、と。

 冒頭の腰痛皿割事件の一人反省会を開くとすれば、やっぱ舐めてたんでしょう。ここまで注意力が減殺されるとは、ここまで身体の融通無碍を失うとは思わなかった、「このくらいで大丈夫だろ」というクソ甘い認識でいたという点で、反省猿にならざるを得ません。

 皿一枚で大袈裟な、と思うなかれ。パラレルワールドでは、僕は自動車で誰かを轢き殺して、今頃警察で取り調べを受けているかもしれないのだ。そうなれば「反省しろ」って100回くらい言われて、拘置所や刑務所で写経なんぞをしてるかもしれないのだ(オーストラリアでそれが出来るかどうかは知らんが)。甘い、甘い、見切りが甘い、査定が甘い、てめえの歳は飾りかこのボケ、胸に手を当ててよーく反省しやがれです。

 もっと自分の身体の状況に敏感になる必要がある。この程度の体調だったら、ここまでは出来るが、ここからは出来ないという見切りをもっと精密にしなくては。場合によっては、1ミリの見切りミスが1秒後に人生崩壊につながっているのかもしれないし、今日もまた全世界でこの見切りミスのために何千何万という人々が事故を起こして人生崩壊しているのだから。

 ここでポイントなのは、やたら事大主義的に大袈裟に騒いだり怖がったりすることではなく、ちゃんと見切れということであり、見切りができるだけの感覚を研ぎ澄ませることであり、常時モニタリングしておけ、ということです。

老化と学習

 特に身体系に関して言えば18歳をピークに自然現象としての老化が生じます。20代くらいだったらそんなに目に見えて分からないけど、30歳過ぎたら下り坂を実感し、40歳過ぎたら勾配がキツくなり、なんにもしてなくてもコロコロ転がるようになる。これを標語的にいえば「今日出来る事も明日は出来なくなる」と思えです。自然状態であればそうなる。どんなに程度が微細であっても確実に老化は進む。

 身体能力の劣化に対抗するには、優秀な管理能力です。ひらたく言えば「賢くなる」こと。また標語的に言えば「昨日よりも今日の方が確実に賢い」と思えるだけの学習を積み重ねろということですね。老化による下降ベクトルAと、学習による賢者上昇ベクトルBがあり、常にB>Aになっていないとダメだと。

 これは一面とても簡単ではあるし、他面ではとても難しい。
 簡単だというのは、一回本腰入れて真剣に学習すれば、老化数年分くらいの知識的蓄えは出来る点です。毎日老化が起きるといっても、かなりペースはゆっくりです。樹木が成長するような速度ですから、今日は小指が欠損して、明日は薬指が溶けてなくなりました、、なんてハイペースではない。一回認識を改め、アップデートしたら、そこから数年くらいはそれでいけると思います。日頃やらない箇所の掃除みたいなもので、一回真面目に掃除しておけば毎日やらなくてもしばらくは持つ。しかし、それでも日数が経てば、また埃も積もるし、汚れもたまる。

 僕が初めて老化に気づいたのは、いつだったかな、30歳前後でしたか、酔っ払ってからの状態が変わってきたことです。一つは、前よりも早く眠くなるし、その睡魔が強力になっていったこと。全盛期はいくら酔っても「寝ない」と軽く思うだけで、眠気は殺せた。でも、だんだんそれが難しくなっていく。「もうダメぽ」って感じになる。あれ?と思いましたね。また酔いつぶれて熟睡したあと、無意識的に起きるコントロールが甘くなっていった。心のどっかでは緊張しているから、いくら熟睡してても明朝6時と思っていたら、殆どなんの努力もなく起きられた。目覚まし時計イラズの体質だったんですけど、それが段々ダメになっていった。

 「恐いな」と思ったのは、睡眠コントロールはパワーや根性ではどうしようもないことです。それまでは、若さに任せて、根性〜!とか言ってたら大抵の物事は出来た。力任せにねじ伏せる感じですね。でも、それが通用しない。特に熟睡中のことなんか、根性の出しようがない。つまりコントロール不能な部分から老化が始まるということ、これまでの方法論ではダメってことで、初めて本腰入れて対応しなきゃと思いました。

 また、自分の頭が信じられなくなったということもあります。記憶力は悪い方ではなかったので、いくらスケジュールが立て込んでも、一応手帳などには書くけど、まず努力しなくても予定だけなら完璧に覚えてられた。それは今でもかなりそうなんだけど、デテールがヤバくなってくる。具体的には、飲み歩いて睡眠時間2時間位で翌早朝に大阪北の千里に行く予定で、電車に乗ってたんだけど、「あれ?俺、何やってんだ?」という、「ここはどこ、ワタシは誰?」状態になってしまった。大阪に来て日が浅かったとはいえ、勝手に思い込んでの路線選択ミスを犯していたのですね。大阪には千里中央駅と北千里/千里山/南千里駅があり、前者は地下鉄御堂筋線から乗り入れしている北大阪急行線、しかし後者は地下鉄堺筋線と天六を経由して乗り入れしている阪急北大阪線です。さらに、もう一本阪急宝塚線というのもあります。これらを横断的に交差する阪急京都線があり、十三、西中島南方、淡路駅でそれぞれ乗り換えることが出来る。けっこうややこしいんだけど、この種の乗り継ぎで間違えたことなどいまだかつて一度もなかった僕は、睡眠不足の頭で「楽勝〜」とろくに確かめもせず、何をどう勘違いしたのか、変な電車に乗ってしまい、「あれ、何処に向かってるんだ俺は?」という状態になったという。

 世間的には大したことではないかもしれないけど、そのときの自分にとっては深甚なる大ショックで、「自分の頭に裏切られた」という、信頼していた腹心の家臣に謀反を起こされた殿様の気分。怖かったですね。これが老化というものか、と。思い知った。

 それからですね、自分の頭を信用しなくなったのは。「〜と俺は思うわけだが」の後、「でも、どーせどっかで間違ってるだろうな」とワンステップ距離を置くようになりました。だから手順も変わる。とりあえず第一段階でレポートを提出し、第二段階で「必ずなにかミスってる筈だから」でミス前提での見直しをします。実際、これをやると面白いようにミスが見つかるのですね。「ほらあった」ってミスを見つけると、嬉しいような、悲しいような。

 一回、これがわかってしまえば、対策も立てやすいし、一つしっかりした対策を経てておけば、数年スパンでもつ。簡単なのはそういう点です。

初物とアジャスト

 でも、それと表裏の関係に立つのですが、難しいのは、一つには「初物」です。新しい老化の経験です。男性メノポーズ(更年期)なのかどうか知らないけど、40代の数年間体調ガタガタになったことがあります。ホルモンバランスが変わっていくのか機序はようしらんけど、体温調節が難しい。これは以前「体温調節の怪」で書いたことありますが、オーストラリアの荒っぽい気温(気圧も)変動と、経年性の体調システム管理の更新期とが重なり、寒いんだか暑いんだか、着たら汗ダラダラかいて、それが冷えて風邪ひくし、着なきゃ着ないで寒くて風邪ひくし、どっちころんでも風邪をひくという「どないせえっちゅーんじゃあ!」状態があり、こういう「初物」に出くわすと、パターンを覚えるまでかなり時間がかかります。

 もう一つの難しさはアップデートやアジャストの難しさです。「そろそろリニューアルの時期です」と向こうからメールで通知してくれるわけでもないので、自分でチェックしないといけないんだけど、それがわからない。

 僕の場合、なんで腰痛になって尾を引いているのか自分でもわかってます。高校の時に柔道部だったからです。そのときに腰を痛めたからかって?ノンノン、そうではなく、その全盛時の感覚が今も残ってて見切りを誤るからです。柔道の寝技というのはタコになった奴の勝ちというか、タコの触手みたいに足をウネウネと動かして、とんでもない位置からしゅーっと足を持ってきて、相手の額に絡ませて、足の力で強引に相手を動かすという技が要ります。そのため股関節や足腰の関節はかなり柔らかくさせられますし、寝技になったら自分の手が4本になったくらいの感じ、手を動かすような感覚で足を正確に動かせるようになるし、とんでもない位置にまで届かせることができるようになる。その感覚がまだ残ってるのですね。

 つまり「このくらい出来るはずだ」という感覚がアダをなしている。もう体力的にできなくなっているのに、出来るはずという過去の栄光記憶でイケイケでやってしまって失敗するという、まるでちょっと前までの日本の家電メーカーの海外進出みたいな状態だったわけです。

 知り合いに幼稚園の保母さんだった方がいて、運動会の保護者参加の徒競走とか面白いんですよ〜って言ってました。パパさん達、皆さんコーナーでコケるそうです。子供が幼稚園だからパパといってもまだ20−30代が多く、本人は全然若いつもり。でもって、昔の感覚で、「このくらいならいけるだろう」という過去の成功体験に囚われて走る。しかし、カーブなると、悲しいかな体力劣化で思ってるほど足が前に出ないから、足がもつれてすってんころりん、それも面白いように次々にコケるという。他人がコケるのを見て、じゃあ自分も気をつけようとは思わないらしく、なぜか「俺は大丈夫」という根拠の無い自信で走り、その他大勢と同じ運命をたどるという。非常に含蓄深いお話でありました。

イライラ〜不安と焦燥

 メンタル系の対策ですが、精神の平衡を欠いている状態としてはパニックが一番恐いけど、それは既に2回前に述べました。今日はそれ以外の話を。

 ストレス耐性の限界にきて、イライラしていて集中力を欠く場合があります。
 夫婦で幼子とつれて楽しい日曜ショッピング〜♪のはずだったのに、後部座席のベビーシートの子供が火がついたように泣き出して、それも全然泣き止まなくて、昨日から寝不足だからイライラして、助手席の配偶者と言い争いになって、喧嘩がデッドヒートして、、、ってときは、危ないです。前方不注意で、「あ!」と思った時にはドカン。

 原因不明の場合もあります。なんだか知らないけどイライラしている、「えらいこっちゃ〜!」でアセアセ焦ってる。
 イライラ/アセアセしてるときって、何をするにも「だー!もー!」とやたら面倒臭く感じます。面倒臭いから横着カマそうとして、例えば散乱した本をまとめて本棚に持っていくという作業でも、量が多い時は二回に分けて運べばいいのに、その二往復が途方もなく鬱陶しく感じる。横着かましてグワシ!とテキトーに鷲掴みにして一回で済ませようとする。でも握力がそんなにあるわけでもないし、掴み方も杜撰だから、途中で握力が尽きて、思いっきりバーン!と散乱してしまう。結果的に一番面倒臭い事態になる。

 「きゃ〜、遅刻だ〜」で大慌てで家を飛び出したはいいけど、定期を昨日のジャケットの内ポケットから移すのを忘れているのに気づき、またダッシュで家に戻る。さらに加速装置をつけたサイボーグ009のように(知らんよな)超ダッシュで飛び出したかと思ったら、今度は大事な書類を食卓に置きっぱにしたことに気づいて、又戻り、、、このあたりでかなり気持ちがササクレてきます。ぜいぜい呼吸をしながら電車に乗り込み、吊り革につかまっていたら、「あ!」と一番大事な忘れ物に気づく。もう手遅れ、too late。

 料理というのは細かな手順が膨大にあるので、面倒臭いっちゃこれくらい面倒臭いものはないです。サンドイッチひとつ作るにしても、パンを取り出してってやるけど、パンの包装を留めてあるクリップやら平たい金色針金みたいものを外さないとならない。どってことない作業だけど焦ってるとこれが鬱陶しい。力任せにブチッと切って、そのへんに放り出しておくとから、あとで留めなおそうと思っても見当たらない。床を見てもどこをみても無い。これで又切れそうになる。冷蔵庫から野菜やハムを取り出して、レタスのラップを剥がして、またラップでくるんで、スライスチーズのビニールシートみたいのをはがして、トマトを出して洗って切って、、とかやってると手狭な作業場がますます手狭になってやりにくくなる。卵焼きでもボウルに割り入れてシャカシャカかき回してフライパンに流し込んだあと、ボウルを流しに放置するから、流しがどんどん満杯駐車場状態になってくる。

 料理の上手な人は、全て調理が終わった時点で台所が綺麗に片付いているといいますよね。一つ出したら、次の作業に行く前にちゃんと洗って所定の位置に納めるという作業をする。手数が二倍くらいかかりそうで、超面倒臭いんだけど、結果的にはこれが一番早い。常に手元の作業場所はクリアに確保されているから丁寧な仕事ができるし。お寿司屋さんなどで、カウンターからプロの仕事ぶりを見るのは大好きです。「ほー」と見惚れるくらい、手際が良い。そして一つの作業が終わったら必ず片付ける。ネタを切ったら、きちんとラップにかけたり、トレイに戻して、所定の場所に安置する。かならずまな板を拭き、包丁を綺麗にする。多分最初の修行の時点で身体に叩き込まれるのでしょうね。「横着すんな!」と包丁の峰でバシバシ叩かれたり。野球のキャッチボールでも「両手で取れ」と言われますし。横着な一括処理を許さず堅牢な事務処理を身体に覚え込ませる。身体に染み込ませれば、一見チマチマやってるようでいて、流れるように動きに無駄がないから早い早い。

 これはどんな仕事、どんな作業にも通じるコツだと思います。焦ってたり、イライラしていたら、何をやるにも面倒臭く感じる、何をするにも中途半端に端折ってやろうとするから、その挙句にドンガラガッチャンと失敗したりします。

尾根道転落の実話

 昔々、どこで見たのか忘れたけど、実直なサラリーマンが近所の雑木林で深夜に首を括って死んでいたという事件があったそうな。その人は、たしか横領事件の犯人だったらしいんだけど、横領が発覚したときには既に死んでいた。だから発覚に絶望して自殺したのかというと、細かく経緯をみていると意外とそうではない。うろ覚えないい加減な記憶ですが、発覚しそうになっていたというのは本人も知っていて、それを未然に防ぐために奮闘努力していたらしいのです。親類から金を借りて穴埋めに使うつもりだったのか、関係者にお願いして口裏合わせてもらうつもりだったのか、確か明日になったら全てがバレるという前夜、夜中にどっかに向けて必死に車を走らせていた。

 ところが、焦ってるもんだから道に迷ってしまう。しっかり調べなかったか、うっかり道を間違えたのか、いずれにせよワケがわからない裏山あたりの小道に突っ込んでしまった。とっとと戻ってやり直せばいいのに、気が焦ってるから何とかなるだろって突っ走って、ついにはこれ以上進めないという行き止まりまで来てしまった。舌打ちしながら、狭いところで切り返しをしようとするけど、今度は前日の雨でぬかるんでるから、後輪か泥にはまってスタックしてしまった。こんなところで立ち往生しているわけにはいかないので狂ったようにエンジンふかすがダメ。車から降りて必死に車を押すけどなかなかうまくいかない。この時点で、人に会うためにきちんと着ていたスーツは泥だらけになり、とてもじゃないけど他人様に会ってお願いするような風体ではなくなってる。また、こうしている間にも時間は過ぎていき、とてもじゃないけど他人の家を訪問する時間帯を過ぎつつある。それもこれも百も承知だから、一刻でも早くと思うけどクルマは動かない。田舎のことなのでタクシー呼ぶこともできない。携帯電話なんか無い時代です。

 汗まみれ、泥まみれになって、集めてきた木の枝などをタイヤの下に敷いてなんとかかんとか脱出できたものの、もう目は血走り半狂乱になってるから、またぞろ道を間違える。しかし今度は転回しやすそうな広場があり、楽勝だと思ってラフにやってたら、思わぬ岩に車をぶつけてボディをへこませてしまう。しかも、上司か友人から無理いって借りてきた車で、こんなに壊してしまったら何を言われるか、弁償したくてもお金もない。進退窮まる。もうこの時点で深夜を大きく過ぎて、いまさらどの家にも行くことができない、だからこのまま朝を迎えて、横領が発覚して手錠かけられて人生終わり。多分、彼の精神はこの時点でもう破綻してたのでしょう。数時間に及ぶ必死の努力も潰え、全身ズブ濡れ泥まみれ、グシャっと醜く潰れた借りてきた上司の車、発覚したあとの同僚や取引先の冷たい視線、家族のこと、、、、それらが一気に彼の精神を食い荒らしたのかもしれません。発作的に、ズボンのベルトを抜き、車のボディの上に立って、そのへんの手頃な木の枝で首を括って死んでしまったという話です。すごい昔の話ですけど、実話です。

 これは再現フィルムだったかドラマだったかで見たんだけど、どんどん心が追い込まれ、心が壊れていくシーンを役者さんが迫真的に演じてて(畜生、バカヤローと半狂乱に怒鳴り散らして、啜り泣いて)、まだ子供だった僕にもトラウマくらいに強烈に印象に残りました(だからこうして書けるんだけど)。なお、こうやって再現できるのは、現場周囲に残された痕跡から警察も「多分こうだったのだろう」と容易に後を追えたそうです。まあ、これだけ派手にあれこれやれば分かるでしょう。

 何の話かというと、「焦ると死ぬぞ」ということです。
 焦って、面倒臭がって、いい加減にやってると、あっと思った時には尾根道から転落して、さらに転落して、もっと転落して、どんどん谷底に転がっていってしまうという恐ろしさです。

 人間の精神なんか豆腐のように脆い。三回続けて失敗したら壊れてくる。「何をやってもダメ、ダメ、ダメ」って気になる。客観的にみれば、最初から成功するようにやってない、失敗するべくして失敗しているのだけど、その精神のゆとりのなさが、成功への道を閉ざしてしまう。「面倒臭い」という感情によって、成功するためのチマチマとした、しかし絶対必要な「仕込み」ができなくなり、なかば必然的に失敗するようになる。

 時として思うのは、僕らの人生は面倒臭さとの戦いであり、「面倒臭い」というのは悪魔の感情なのかもしれない。

なんでイライラしているの?

 ところでなんでそんなにイライラしているのでしょうか?なんでそんなに面倒臭いのでしょうか?
 その原因を考えてみると、意外と大したことではないです。

生理的欲求

 一番大きいのは生理的欲求でしょう。無意識的にオシッコ我慢してるからという阿呆みたいな理由が、実は一番大きかったりします。

 「何はなくとも、まずトイレ」というのは、どっかで誰かから聞いたフレーズのような気がするけど(高校入試のときの心構えだったかな)、もう日めくりカレンダーの金言に入れたいくらいです。嫌な作業をやってるときは一刻も早く終了させてたい、早く解放されたいから、トイレにいく時間も勿体無い。てか改めてそう意識もせずに「ちゃっちゃと済ませて!」という気が勝ってるから、なかなかそこまで思い至らない。しかし、やってみると、これで中々根気や時間がかかる作業だったりするわけで、面倒臭いながらも没頭してしまう。で、トイレにいかなくなる。慣性の法則というか、脳の作業性興奮というか、一つの状態が固定してしまうと、それを壊せなくなる。一旦コタツに入ってしまうと中々動けなくなる法則です。

 日めくりカレンダーには、こういうときは「急がば廻れ」と書かれてたりするのだけど、「まずトイレ」の方が実戦的だと思ったりもしますね。上にも述べたように、生理的欲求というのは、か〜なりの破壊力で人間の精神集中を損ないます。決して過小評価すべからず、です。今はトイレをあげましたが、実はのどが渇いていましたってこともあります。ちょっと脱水気味になっているという。オーストラリアなんか乾燥しているから水は常に取るように。喉が渇いて&トイレにもいきたいというBOTHケースもあるでしょう。簡単なことなんだから、まずはスッキリしよう。作業能率が格段に上がるから。

 そりゃここ一番!という大勝負の場合は、高熱を押しても、肋骨の一本折れていても、根性で突き進まないとならない場合もありますけど、でも、今ってその時なのか?多くの場合はそうじゃないです。全然違う。大したことやってない。そもそも、そんなに超重要な位置づけの出来事だったら「面倒臭い」という感情は湧きません。

 「面倒臭い」という感情は、価値的にはゼロないし微小なものに、多大な労力を費やすという異様なコストパフォーマンスの悪さに対する苛立ち感情でしょう。要するに、どーでもいいようなことに手間暇かけている無駄感覚、徒労感です。つまりは「どーでもいいこと」やってるんですよね。そんな生理的苦痛を押し切ってでも根性で達成しなければならないようなことではない。冒頭の腰痛もそうだし、頭痛もそうだし、なんでもそうですけど、体調に僅かな異変があったら過小評価しない。どうも○○がジクジク痛いなと思ったら、通常の2倍の時間をかけて、2倍の注意力でやろうと思うべしです。

 もっといえば、「早く済ませて」という願望を殺して、諦めて、腹を括りなさいなと。どう思おうが客観的にかかる時間は同じであるし、それを短くすることは難しいけど、つまらぬミスを連発して時間が異様にかかってしまうことはありうる。焦ってマークシートを埋めていたら、最初の欄を忘れていて、ボタンの掛け違いみたいに全部やりなおし!って悲惨な話もありうる。早くなることはないが、遅くなることはありうる。勝ちはないけど負けはある。つまりこれは守備であって攻撃ではない。ミスをゼロにして、零点に押さえるこことが勝ちなのだとフレーム設定をする。丁寧にコーナーをついて三者凡退が望ましい。焦って豪腕ぶちかまして、フォアボールやデッドボールを乱発してたら負けだと。ゆえに二倍時間をかけるくらいの気持ちでやるのが結局は最速に済む。

 ということで、身体状況に応じたベストな心の陣構えというのが必要なんだろうなと思うのです。
 この見切りをミスると、場合によっては刑務所で写経するはめになります。

面倒臭がったら死刑〜懲役十秒

 生理や身体欲求もなんもないけど、ただ単純に面倒臭い、鬱陶しいというだけの場合も勿論あります。この場合は簡単です。マインドセットをしっかり設定しなおしたらいいだけですから。

 つまり、「面倒臭がったら死刑!」くらいに思っておけです。

 そうは言いながらも、日常的にはついつい面倒がったり、横着カマしたりしやすいです。でもって、ドンガラガッタで鍋釜が散乱する惨状を迎えるわけですけど、僕自身は、こういうドンガラミスをしたときは、自己懲罰を課してます。「廊下に立ってろ」でも「グランド十周」でもなんでもいいんですけど、とりあえずやってるのは「懲役10秒」です。

 主文:被告人を懲役10秒に処す。
 判決理由:被告人は、当該作業に関する実行手順をつつがなく遂行出来るだけの知識も能力もありながらも、面倒臭いという悪魔の囁きに屈し、作業に必要な注意を怠ったもので、その慢心は非難に値する。さらに本件はわずか皿一枚という軽微な損害で済んだという僥倖に恵まれたものの、まかり間違えば人命を損なうなど取り返しの付かない事故に波及する危険性に鑑みれば、その罪は極めて重大と言わなければならない。よって冒頭掲記の刑に処断するを相当と思料する。

 てな感じですね。アセアセしている渦中のさなかに、あえて10秒間ボケーッと何もしないで黙祷するように反省猿になること。これ、効きます。10秒何もしないだけで、気が落ち着きます。別に焦る必要なんか全くないんだってこともわかるし、手順も冷静に見えてくる。10秒ブレイクを入れるだけで十分クールダウンできます。

 ここは人ぞれぞれで工夫されたらいいと思います。
 なんぼでもやり方はあります。頭の体操代わりに幾つか思いついてください。クールダウン方法。
 例えばね、大きな声で、「ワタシは今、一刻一秒を争っています」と大声で言うとか。これはこっ恥ずかしいですよね。何をそんなに一刻一秒を争っているのだ?って自分でツッコミが入っちゃうし。

些細な気がかりを潰す

 万全の状態で臨みたいような大きな場面、大事なビジネス交渉であるとか、結婚話のために相手の両親にお会いするとか、皆の前でプレゼンするとか、、、の前では、些細なことが集中力を欠くことになります。

 これもアホみたいなんだけど、「靴下に穴があいている」とか、ズボンが破けているとか、その類のことです。ほんの些細なことが、微妙に「引け目」になって、ここ一番のところで今一歩の押しを弱めてしまうという。なんか妙に後ろめたいとか、堂々と出来ないとか。だから、昔からここ一番には下着も全部綺麗に替えてこいとか言いますよね。真っ白な晒を締めろとまでは言わないけど、「万全感」があと数%のパワーアップに役に立つと。勝負デートの前の勝負服とか、暴走族の特攻服とか、その原型になった武将や軍隊の出陣の装いとか、そーゆー効果は確かにあるのでしょう。

 着衣に限らず、「気がかり」事項一般に広げれば、こんなものは生きてりゃ一つや二つ、十や二十、誰だってもっているでしょう。やれ家の戸締まりはどうかとか、やれ子供が今日は学校でイジメられてないかとか、今日中にガソリン入れなきゃとか、クレジット今週決済だから口座にお金入れなきゃとか、いくつもあって当たり前。

 大事な作業やってる最中にふとしたはずみにそれらが頭がよぎるってことはあります。生きるか死ぬかの必死の試験中なんか、その数秒間が命取りになる場合もあります。まとまりかけていた発想がぐしゃぐしゃになったりもする。ああ言えばこう言うで丁々発止とビジネス交渉している最中に、雑念モヤモヤがかかって思考が曇り、「あー」と絶句してしまったり、「あれ、何を言おうとしてたんだっけ?」になったり。

 気がかりな事項は一つでも多く早めに潰してしまったほうがいいです。気が軽くなるし。ああ、○○もしなきゃ、あそだ○○もあったな、ああ、そういえば○○も、、、と思いつくままに山積していくと気が重くなります。そういう心の負債が一定限度を超えてくると気力が萎えてきて、何をするのも鬱陶しくなってきます。一つひとつは大したことなくても、数が増えると、単なる量的な問題ではなく、なにやら質が変わってきて、生きてて詰まらなくなってくる。

 それを逆手にとって、気分がすぐれないとき、なんかユーウツなときは、小さな雑務をとりあえず一つ片付けるということをしてます。風呂の掃除でもなんでもいいんですけど、一つ片付けると気がすっと軽くなる。ほんのちょっとだけど状況が改善される。するとなんだか気分が良くなり、徐々に弾みがついてきて、この際○○もやっておこうかって欲が出て、あれこれ片付けると、なんだかしらないけど妙な達成感や満足感が湧いてきます。人間の気持ちなんか、ほんとシャボン玉みたいなものだと思います。下からちょっとパタパタと煽ってやると他愛なく舞い上がる。

恒常的なイライラ〜もう別問題

 慢性的にずーっとイライラしている状態があります。
 もう今の自分のライフスタイルそのものが気に食わないとか、wrong place, wrong time, wrong personってな感じで、もう居場所も間違ってるし、タイミングも間違ってるし、周囲の人間もみなムカつく。そもそも今のこの日本社会(どこでも)に存在していること自体が気に食わない。目につくもの、聞こえてくること、やたらカンに触ったり、腹が立つことばかりだ。生まれながらに世を恨んでいるMrルサンチマン君や、年がら年中怒りまくってる近所の不機嫌なジジーみたいになってたり。

 こうなるとベーシックにストレス耐性の限界付近にきてますから、ちょっとしたことですぐキレる。いつもいつも靴下が濡れているような不快感を抱いているから、何事にも「よかよか」「苦しゅうない」と鷹揚になれない。何気ない他人の言葉にトゲを感じたり、何気ない一瞥に冷笑を感じたり、いちいち傷つき、いちいちイラッときている。

 これはもう、今回述べたようなレベルの問題ではなく、抜本的にやり直さないとダメでしょう。
 例えば、死にたいくらいにストレスが溜まってることがあるとするなら、じゃあ、その点を改善したらガラリと人生が変わるってことですよね。そしてそれが死にたいくらいにイヤなら、命賭けでトライする価値があるということですよね?って。要するに何が気に喰わないのよ?どこが究極的にイヤなのよ?と突き詰めていけば、それが突破口になるんじゃないかということです。

 環境が気に食わないなら、全とっかえくらいに環境を変えたらいい。昔の農奴のように暴力的に土地に縛り付けられているわけじゃないんだから、本当の本気になったら全部変えられる。もうブルドーザーで強引に宅地造成するみたいにやったらいい。多分、グチグチいう人ってそれが出来ないからこそグチグチいうんだろうから、「代わりにやったろうか?」って気にもなりますよね。仕事が嫌だとかブチブチ言ってる人には、「あ、辞表出しておいてあげたから」と。結婚生活でブチブチ言ってる人には「離婚届だしておいたから」とか(笑)。誰かのことが殺したいほど憎らしいなら、「オーケー、じゃあ今から殺しに行こうぜ、はい、これピストルね。よく狙ってね。夢が叶うんだから死刑になっても本望だよね」と無理やり拳銃を手渡し、腕引っ張って家から連れ出したり。

 まあ、冗談ですけど、こういう何でも問答無用で実行させてくれる、強制実行ドラえもんみたいなのが近くに居て、不満を言う度にガシガシ本当に実行させられたら、どうよ?って話です。要するに本当にそう思ってるの?ってことです。 本当にイヤなのは何よ?と。もし、本当の本気に何かがしたかったら、ブチブチ言う前にとっくにやってるんじゃないかな?「本当にやりたいこと」は中々見つからないかもしれないけど、それって大体「本当にイヤなこと」と表裏の関係にあるから、究極的にイヤなことが見つかれば、やりたいことも見つかるかも、です。

 これを書き始めるとまた長くなるので、それはまた別の話ということで。
 今回との絡みでいうと、そのへんのテーマが見いだせずに、やたら悶々として、ストレス耐性いっぱいっぱいになっていると、冒頭で述べたような腰痛注意力散漫状態になってるから、どうでもいいところで詰まらない失敗をして、やがて尾根道から転落して、転落して、、ってなるかもしれない。これ、詰まらんですよ。なんだかワケがわからないうちに人生詰んじゃうから。だもんで、早いとこフレームワークをガン!と組み立てた方がいいじゃないかなって思います。なんでも実行ドラえもんが隣に座ってると思って。




 
文責:田村



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