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今週の一枚(2014/03/10)



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Essay 661:ガリ勉力とヤンキー力

 
 写真は、自宅の庭から撮ったクッカブーラ。
 「笑いカワセミ」で、英語でも俗称「ラフィング・バード(笑い鳥)」。本当に笑っているような声で鳴きます。って超有名だから知ってる人も多いでしょう。

 先週がペリカンだったので、鳥つながりで。三羽揃って楽しそうだな。どういう関係なんだろう。三角関係とか?

 オーストラリアは普通に動物がいるので、望遠に強いカメラがあると楽しいですよ。僕のも安物ですけど16倍ズームがあります。スマホのカメラはズームがしょぼいのが難点で。



 前回に続いて、Essay 658:ネタの蔵出し21本からリクエストのあったお題をやります。

 テーマは簡単。タイトルのとおりで、世の中渡っていくには、そして特にこれからの時代は、ヤンキー的な力とガリ勉する力の両方が必要だろうって話です。どっちかだけだとツライ。

概念定義

 一応最初に定義らしきものを書いておきましょう。

 「ガリ勉力」というのは、コツコツ勉強をする「力」です。なんでも「〜力」をつければ良いというものではない!と思われるのでしたら、ガリ勉をする「才能」「素質」「技術」「意欲」と言い換えても良いのですが、それらを合わせた総体としてのパワーです。

 一つのことを系統立って学ぶこと。レンガを積み上げるように、ひとつ、また一つと習い、覚え、習得していく行為です。ピラミッドを組み上げるような持続的な構築力です。これは分かりやすいでしょう。

 一方、わかりにくいのは「ヤンキー力」です。
 今回、便宜上「ヤンキー力」と名づけたものは、狭い意味での古典的なソレ〜嘉門達夫の「ヤンキーの兄ちゃんのうた」に出てくるようなものではないです。

 って知らんよね。80年代初頭にちょっと流行った(?)曲で、「ヤンキーの兄ちゃんは〜♪」で始まる描写ソング。いわく「ソリコミ入れる」「カーディガン着る」「祭りになるとやたら出てくる」「ウンコすわりする」「26くらいの足に22.5くらいの婦人もんのサンダルをはく」と羅列している30年前の日本のヤンキー風俗ソングです。
 と口で言ってても(書いてても)しかたがないので、音源があるので適当にサワリだけカットして載せておきます。→ 

 さらに脱線しますが、こういう音楽の引用は著作権法上許されるかモンダイがありますが、もともと著作権法上、公正な慣行による「引用」は認められています。歌詞についてはJASRACの引用定義も緩くなってますし(一部引用ならば許諾不要に変わってきている)、音源だって同じことでしょう。てか、このくらいの罪もない引用(それで不正な儲けを企むとかいう意図のない、他愛のない雑談レベル)がダメだというなら、それは法ないしは法解釈が間違ってると思うし、世の中の趨勢としては認める方向にいってると思いますね。それは例えば「音楽を批評するためにブログで音源を「引用」してもいいの?」「批評のためにブログでCD音源を引用したらどうなるのか?」などの解説からもうかがわれます。ま、あくまで自己責任なのは当然だけど。

 そして、形式的には「引用」条件を満たすため、実質的にはアーチストや著作権者の適正利益の機会を保証するため、この曲が入ってるCDのAmazonのページをリンクしておきます。幾つもあるんだけど、嘉門達夫 ゴールデン☆ベスト-オール・シングルス+爆笑セレクション1983~1989- を上げておきましょう。このページは多くの曲を試聴できるようだし。

 でも、ここではもっと広い意味で「ヤンキー」と言ってます。
 あ〜んまり構築的ではなく、知性よりも感性メインで、その情動一発でガンガン動いていく力です。

 それは単に「ちょいグレ気味の青少年」という表面的な現象にとどまるものではなく、もっとディープな概念です。例えば、「ニュースの本棚/浸透するヤンキー文化 鈴木繁が選ぶ本」というコラムに、「規律から逃れ逃れて残るのは感情、激情などの情と、ツレや家族との人間関係。どうしても絡むエロスと暴力。だが、それだけに原初的な何かに触れる。『世界が土曜の夜の夢なら』の中で斎藤は丸山真男を引用し、まさにヤンキー的な「気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」が『古事記』にはあふれており、日本文化の最深部で今に引き継がれているとする。」と触れられているように、「日本人の意識の古層」にも通底する感覚です。

 うーん、しかし、こう書いても却ってわかりにくくなってしまいますね。
 事例に即して説明した方がわかりやすいかもしれません。

ケーススタディ 01  海外や永住権ゲットの場合

 例えば海外でやっていく、例えばオーストラリアの永住権を取るような場合です。ガリ勉とヤンキーの両方が必要です。

語学は基本ガリ勉力

 まず、昨今のオーストラリアの(独立移住)永住権の場合、ハイレベルの英語力が求められます。
 IELTSという試験で6点以上取らないと申請することすら許されません。そしてIELTS6点というのはハンパな努力では取れません。どこの英語学校でも最上級クラスであり、ここまで上がってこれる日本人留学生/ワーホリはごく一握りでしょう。4科目の一つスピーキングテストでも、マンツーマンの座談形式で30分くらい喋らされます。これだけ喋らされたら、もう付け焼き刃やヤマかけ勉強では太刀打ちできません。絶対ボロが出る。またリーディングでも、やれ地球温暖化とか性差別に関する国際動向のような固いトピックの論説文を3題ほど読まされますが、それぞれにページ片面ビッシリってくらい分量があり、英文を少しでも二度読みしたらもう時間が足りなくなるというハードさです。

 つまりは本当に英語が出来ないとダメなわけで、一応TOIEC換算では800-900点くらいとされていますが、総合力を根こそぎ試されるという意味では遥かに難しいと思います。TOEIC950点持ってても、スピーキングで落とされるでしょう。IELTS6点のレベルを高校野球に例えていえば、甲子園に出ろとまでは言わないが、甲子園がマジに射程距離に入ってくるレベル。県大会でベスト4なりベスト8くらいにあがってくる野球部のレギュラーになるくらいの努力が必要とされます。しかし、実際の永住権では、その他のスキルでかなり高得点を取らない苦しいので6点では心もとないです。やっぱり7点欲しい。一般にIELTS1点上げるためには1年学校に通えと言われるくらいで、7点ともなると甲子園を狙うレベルではなく、本当に甲子園に出るくらいのレベルになります。ちなみに8点になると甲子園で優勝するくらいのレベルでしょうか。ま、それでもプロで成功するという保証は全くない(そこまでいっても現場では相当苦労する)という点でも同じ。

 したがって永住権を取るためには、かなりのレベルのガリ勉の絶対量が必要とされます。ガリ勉が出来ないとダメだというのはそういうことです。

 しかしながら、仮に英語が完璧に出来ても、それだけでは永住権は取れない。だってそれだけだったらイギリス人とかアメリカ人が絶対有利ですからね。それにプラスしてオーストラリアで必要とされている専門技能と実務経験が求められます。その昔は、シェフや美容師の学校に一定期間通っていれば、これら技能ポイントが稼げたので、結局ガリ勉だけやってればなんとかなった。しかし、今は違います。

オーストラリアでのキャリア(稼働実績)

 2012年からスキル・セレクトという制度が導入されています。これは就活システムというか、プロ野球のドラフトみたいなもので、規定点に達した人はエントリーすることが許されるだけです。リストに載るだけ。その上で、オーストラリアの各企業や雇用主、あるいは政府機関から「声がかかった」人から順に永住権が交付されます。必ずしも具体的な指名がなくても交付されるのでしょうが、そのプロセスはブラックボックスでよくわからない。オーストラリア労働市場でどの程度必要とされているかリアルに見ていきましょうってことでしょう。各業界の反応などをみながら、移民局が「じゃあ、この分野からはこのくらい」って各月ごとに決めていくという。

 さて、この場合、既にオーストラリアで稼働している実績があると断然有利と言えるでしょう。
 オーストラリアの就活事情は、経験者絶対優遇です。求人広告でも「○年以上の経験」と書かれているものが多い。そして、日本の新卒採用なんて甘っちょろいものはないので、新卒生だろうが、キャリア20年の人と同等の立場で競わされる。同じ給料を出すんだったら雇用主もキャリアのある即戦力を雇う傾向があります。ほっといたら新卒者は絶対無理になってしまうからこそ、インターンという営みが出てくるわけですね。あれも一応キャリアに含めてもらえる場合があるから。

 僕ら移民の場合、もっと事情はハードです。英語や文化の壁を乗り越えて本当に現場で使えるのか?という疑問があるからです。見事永住権をゲットしたとしても、最初の就職はメチャクチャ苦労する。もう1000連敗なんか当たり前って世界で四苦八苦するのだけど、一旦どっかに勤めて「実績」を作り、元雇用主からリファレンスレターがもらえるようになると2つ目からはガクンと楽になります。誰だってリスクを犯して「初物食い」はしたくないのですな。でもって一回でも働くと「実証済」になるから楽になる。つまり日本とは真逆で、先にいけばいくほど楽になる。コロコロ転職をしても、年齢が上がっても、そうそう不利にはならないし、逆に有利ですらある。またキャリア幅を広げるためには転職しなければならない、って世界です。

 ということは、永住権申請においても、語学学校に就学中、あるいはビジネス学校や大学などオーストラリアでの就学実績ボーナス点を稼ぐ間に、アルバイトでもなんでも、どんどん就活を試み、現場の隅っこでもいいから混ぜてもらって稼働実績を作っておいた方が、スキルセレクトで目に留まる率が高くなるということです。

就活の秘密〜コネ採用の合理性

 ところで、オーストラリアのメインストリームはコネ社会で、正式採用より人脈系の就職の方が強い。絶対数が多いかどうかは統計がわからないので何ともいえないですけど、その方が割のよい仕事にありつける可能性は高いです。これって一見コネ社会の弊害のように見えますが、実はよく考えたら合理的でもあります。日本だって本当は事情は同じ筈です。

 ここで「コネ」というのは、例えば日本の電通という企業がクライアント大企業の馬鹿息子・娘を”営業”として入社させるとか、本当は無能なんだけど強力なバックがあるから採用されるとかいう「裏口」「不正」のニュアンスのある話ではありません。採用形態が、カジュアルでインフォーマルであるという意味での「コネ」です。あくまで能力重視。そして、その「能力」は「せーの」の公募方式よりも、コネ的な紹介案件の方がより確かな場合が多いという点に基づきます。

 あなたが職場で働いた経験があるならお分かりでしょうが、どんな職場でも、その気になったら仕事なんかいくらでもひねり出せます。本当はやらなきゃいけない案件が山積みになってるんだけど、忙しいから手が回らない。蜘蛛の巣張ってる倉庫の資料やら、顧客データーベースも、一回抜本的にやり直した方がいいに決まってるし、レイアウトや配置も変えたほうがいいんだけど、そんなことやってる余裕が無いからほったらかしってことは多々あるでしょう。

 一方、職場の現実では、「いい人」がきたらバリバリ仕事ははかどります。Aをやっておいてと頼まれたら、状況変化も織り込んでプランBやCまでさりげに用意してくれて、何かあったら「はい」って渡してくれる人は、本当に重宝します。手放せないって感じになる。ところがAをやれといってAしかやらない人は、ファジーな依頼が出来ないわけで、「もし○○のときは〜」と膨大なマニュアルを作成しないとならないから面倒臭い。こちらの職場は基本的に個人能力をそんなに信じないから(過去回の「性賢説と性愚説」に述べたとおり)これが多く、膨大な職務記述書を読まされたりします。

 そんでもって、Aすらろくすっぽ出来ない人が職場に入ってくると、これはもうディズアスター(大災厄)で、居ないほうがよっぽどマシです。中小企業なんか数少ない大口取引先で糊口をしのいでいる場合が多いのですが、使えない新入社員が、その大事な取引先に暴言吐いたりして取引打ち切りになったら、即倒産、一家心中になったりして、こうなったら3回死刑にしても飽きたらないってくらいに思うでしょう。いや、あなただってそう思う筈。

 中小企業、いや大企業でも同じでしょうが、どこでも「誰か”いい人”いない?」と、適齢期の悩める乙女のようなことを囁いている人達は多い。彼らは「いい人」が欲しいのであり、「いい人」がいるならやってもらいたい仕事は幾らでもあります。中には「後を継いでほしい」って状況すらある。でも、いい人じゃなかったらダメで、凡庸ないし無能な人材だったら大災厄ですから、うかつに求人もかけられない。逆にいえば、求人が出るというのは、「もうこの際贅沢は言ってられない」という猫の手も借りたいような局面です。それにいくら採用過程を緻密にしても、本当の実力や人となりなんかわかりませんからね〜。だからばっとまとめて採用して、現場の動きを見ながら、バサバサ首にしていくというロスの多い方法にするしかない。

 ということは、求人や仕事を探すという方法論ではなく、まず先に人物を知って、「じゃあ、キミにはこれをやってもらおうか」と仕事があとから出てくるという方法論の方が、労使双方にとって合理的であり、無駄も不幸も少ない。もちろん人間の交友関係には限界がありますから、そうそう都合よく良い出会いがあるわけではないです。だからこそ、ネットワーク(人づて)で紹介したり/されたりってアクティビティが出てきます。この方法論は、別の箇所にも何度も書いてますが、ラウンドにいくワーホリさんにはよく言います。バッパーで仕事待ちしててもラチ開かない場合が多いよ、まず現地であれこれ話しかけて仲良くなって、個人的に良い友だちや知り合いを作り、そのつながりで良いファームにたどり着けるよ、いいところに行ってる人はそのパターンが多いよと。思わぬ出会いに福がある。これが出来るか/出来ないかであり、それはラウンドに限らず、人生一般にもしっかり通じる。

就活はヤンキー力

 ということで永住権を取ろうと思ったら、一方ではIELTS試験や専門技術などガリ勉系をシコシコやる努力は絶対必要です。でもそれだけでは足りない。他方では、よい出会いを繰り返すこと、良い出会いになりうるような自分、つまりは「みんなに好かれる」「愛される」「信用される」自分、他人をして「こいつのためには一肌脱いでやろう」という気にさせる自分になること、そしてそういうアクティビティをすることが、近道であり王道でもあり、ある意味ではスキルセレクトを乗り越える必須の過程ですらある。

 この力はガリ勉やってるだけでは出てこない。
 てか、ガリ勉だけやってるとむしろ衰弱する。
 テストで学年1位を取るには勉強や努力「だけ」で済みますから、一定レベル以上の知的素質に恵まれた人にとっては、むしろ簡単なんですな。

 しかし「クラスの人気者になる」「親友と巡り合う」のは、その種の努力や力だけでは不可能です。
 そのあたりの人間的な魅力や力を、漠然と「ヤンキー力」といってるわけです。

ヤンキー力の本質〜感情と瞬発力

 ヤンキーといっても、弱いものイジメをしている陰湿な犯罪性の強い人格像ではなく、本宮ひろ志のマンガに出てきそうなタイプ。喧嘩っ早くて、粗暴で、勉強は得意ではないんだけど、陽性でカラッとしてて、性格に裏表がなく、人情味が厚くて、こうと決めたらアホみたいに突進していったり、、という、「人間味あふれる」部分です。

 これをどう表現したらいいのか、いい日本語がないのですね。「人間力」といってしまったら、もっともっと幅広く、ガリ勉力だって人間力の内容になるし。だから適当に「ヤンキー」と言ってます。それにヤンキーって、グレて反社会的で迷惑なことをする点を除けば、異様なまでに仲間を大事にするし、やたら「根性」「気合」とか大好きだし。

 これらを強いて特徴点としてあげるならば、

 @、ナチュラルな情性
 A、瞬発的な行動力


 ってことでしょうか。ヤンキーというのは、@ムカついた→A即殴り合い、@仲間が好き→A警察にパクられても絶対に仲間の名前は出さない、ということで、感情があって→行動があるという連結部分がダイレクトで、シンプルです。それがあまりに独善的だったり、直情径行過ぎたりして、社会に摩擦を生み、犯罪性を帯びたりすることもあるのだけど、それは「ヤンキー力を正しく使っていない」とも言えるわけですよ。

 「悪に強ければ善にも強し」と言いますが、故郷では鼻つまみ者だった人物が後に立派な武将になったり(劉邦とか信長とか)、暴走族やってても高校出たら真面目な職人さんになって、いいパパになってたりするわけで、犯罪性が強くて暴力団に”就職”するようなごく一部を除けば、大多数は、直情性が強すぎるから、世間的な「なあなあ」に済ますことが出来ず、あれこれトラブってるだけだとも言えます。

 この「ナチュラルな感情を大事にする」という点で、人に愛されるキャラが出てきます。
 周囲をうかがって、空気を読んで、言いたいことも呑み込んでいるうちに、本当に自分が何を感じているのかすら麻痺してくるような人は、つきあってて楽しくないです。これはハッキリ言っちゃうけど、どこを押しても当たり前で無難な反応しか出てこないやつは詰まらない。もっといえば「生きている人間」という気がしない。少なくとも、その「生きている」部分を自分に向けてくれている気がしない。かといって奇をてらって、ウケ狙いで、変なことをすればいいってもんでもないですよ。これも表裏一体で、本質は同じですから。見た目は地味でも寡黙でも全然構わないんだけど、その人となりが自然に分かる人は、やっぱり好かれます。構えて、カッコつけて、虚勢張ってる人は、中が見えないから敬遠される。だって「わからない」ものを好きになれるはずがないでしょう。

 他方、行動力があるというのは現実社会では大きなファクターになり、大きな成功要素になります。

 仲間が暴力団に拉致されたら、一人で暴力団事務所に乗り込んで話をつけてくるという実行力。下手すれば殺されるかもしれないけど、でも友達を見殺しには出来ない、なんらかの行動は取る。職場やクラスで誰かが理不尽にイジメられていて可哀想だと思ったら、その感情を大事にし、そしてそのとおり実行する。つまり「可哀想じゃん!いい加減にしろよ!」とちゃんと言える。これがヤンキー力です。

 よく言いますが、一生のうちに何回かは勝負どころがあると。目が眩むような千尋の谷底にビビりながら、飛び越えられるかどうか微妙な断崖を、「えいや!」で跳躍しなければならない局面が必ずある。そこで飛べる人と、飛べない人とが分かれ、飛べる人だけが(&見事飛び越えられたら)「向こう側」に駒を進めることが出来る。それはここ一番!というとき、アドレナリン300%みたいに「気」のボルテージを高めていく作業であり、一瞬だけ途方もない高さにピークに持っていかねばならない。だから、ヤンキー系の強い人は、口を開けば「気合だろ」「根性だぜ」と言うのでしょう。いや、実際、気合一発で乗り越えないとならないんだし。

 そして、英語力も覚束ない段階で、ローカル社会にどんどん入っていくには、このヤンキー力が必須です。特に白人ばっか集団にいるところに一人で斬りこんでいくのは、かなり居心地悪いし、勇気がいりますが、一回腹くくって入ってしまえば、意外と差別もシカトもされない。てか、気にしてない。それどころか日本人は真面目で誠実な人が多いから、懐にさえ潜り込んでしまえば、現場のボスにも気に入られる率が高い。でも最初は恐い。もう、「おおお!死んでやらあ」くらいの勇気と行動力がいる。

 ちなみに、僕が一括パックでシェア探しなどをお世話しているのは、まさにこの部分ですね。ガリ勉だけではどうしようもない部分、ヤンキー力強化訓練です。その頂点が最初にシェアの電話を入れるときでしょう。あれくらい恐いことはもうワーホリ・留学期間を通じて無いよと言ってますけど、そこで飛び越えて「向こう側」に行く。それも来た直後にやらないとならない。ダラダラぬるいことをしてる期間が長くなると、精神に「す」が入ってナマクラ刀になりがちです。そうなると一つの局面を乗り越えても、また次の局面でビビリが入ったりして、ツライ時期が無意味に長引くだけ。やっぱ鉄は熱いうちに打たないと鋼鉄の強靭さは得られないし、一回ビシッと「焼入れ」をしておけば、そうそう刀は(心は)折れないです。


 ということで、永住権でも、ヤンキー力全開でぐいぐい進んでいき、ローカルやオージー仲間が沢山増えてきたら、それもどんどん深くなっていけば、永住権のひとつやふたつ結構ひねり出したりも出来るわけです。完全にスポンサーになってくれるならば、労働ビザや雇用者指名永住権のルートもあるわけだし、彼らの地元ネットワークは強力だから、また誰かに紹介してくれるかもしれないし。

 ただ、そこが出来たとしても、IELTS試験だけは、コネでも直情でも瞬発的な行動力でもどうにもならない。やっぱり一定期間シコシコシコシコ、、、という地味シコ期間が必要不可欠です。それをやり抜く力が絶対に必要。

 ということで、ガリ勉力とヤンキー力の双方が必要だということです。

ケーススタディ02 専門職や自営業について

 これは海外や永住権についてだけではなく、一般の仕事でも同じことでしょう。

弁護士業務はヤンキー力

 弁護士という専門職でもガリ勉力とヤンキー力は必要です。
 あの〜、いつもいつも自分の例を上げて恐縮ですが、僕の人生はイッコしかないので重複の節はご容赦くださいませ。その代わり、必ずどっかには新しい話を入れるようにしてますので。ネタは山ほどあるんで。

 まず、その昔の司法試験のアホみたいな難しさからして、並大抵のガリ勉ではダメで、目から血が出るくらい(出ないけど)勉強する、それを5年も10年も持続的にやっていく力がないと、最低限の資格すら得られません。

 しかし、そんなガリ勉的方法論は初歩の段階で、実際に現場実務になったら、思いっきりヤンキー力満載になります。もともとが喧嘩商売、修羅場商売ですから、その筋の人に凄まれたり、このくらい罵倒されるのは生まれて初めてってくらい面罵もされる。倒産前夜はジャージ持って工場に泊まり込んだこともあります。隠匿資産の調査で鹿児島の山奥のラブホテルまで行ったり、担保物件の価値調査のために能登半島の輪島の裏山に登ったこともあります。そのあたりは刑事さんと同じで動いてなんぼです。交通事故でも最低でも一回は事故現場を見に行くし、できるだけ事故があった日の同じ曜日の同じ時間帯に行きます。大阪と和歌山の県境で真夜中に事故があったときはキツかったですね、帰れないし。目撃者探しに近所のガソリンスタンドや民家を訪問したり。警察署にいって、留置場の依頼者に会わせろ/会わせないで揉めて、「接見禁止ってなんですか、それ?冗談じゃないですよ!」って喧嘩腰で言い合いになったり。

 そういえば、刑事弁護の指導で、会わせて貰えそうもないときで依頼者が署内の代用監獄(留置場)にいるときは、「○○〜、頑張れ〜、今助けてやるからな」と署内中響き渡るくらい大声で叫べって教わった。依頼者の耳に届けば、孤立無援で死ぬほど心細い思いをしているなか、どれだけ励みになるかと。まあ、実際にやる機会はなかったけど、行く度に「それをやる気構え」は練っていくので、結構根性つきます。

 あと、依頼者が拘留されているときは、暇さえあれば会いに行け、くだらない話でも雑談でもいいからとにかく行けとも研修所で教わりました。逮捕勾留中はある意味では人間扱いされないから、慣れてないと(ギョーカイの人とか)精神の平衡が狂ってくるのですね。だから弁護士が会いに行って、イッコの人間としてレスペクトされ、通常目線で話せる状態を定期的に復元させるのは、本人にとって大きな救いになるといいます。刑事弁護はあんまりやらなかったけど、それでもヒマがあったら大阪の都島拘置所に行ったもんです。神戸の場合は鵯越(ひよどりごえ)だから、タクシーで山を登っていきます。

 余談が過ぎましたが、このあたりの切った張ったの修羅場経験がないと実務はツライ。同じ司法試験に合格した人々でも、レシピー的にヤンキー成分が強い人は弁護士になり、ガリ勉成分が強い人は裁判官になる傾向があるような気がしますね。検事はその中間くらい。

起業・自営はファン商売

 それにどんな専門職、どんな起業でもそうですが、顧客の本質は「ファン」だと教わりましたし、僕もそう思います。似たような店や業者が並んでいるなかで、「この人に頼みたい」と思わせられないと客が来ないで餓死するわけだから、ファンを増やさないとならない。そのために「営業」という作業も大事なんだけど、それは会合に出て名刺配ったり、ロータリークラブに入ってゴルフやることではなく、個々の事件処理を一生懸命やることだと。なんだかんだ言って、人は、自分の目でみて、自分で体験したこと、その一次情報を一番大事にするし、一番重んじる。いくら世間で評判が良くても、実際に会って嫌な印象を受けたら、嫌だという結論を優先させる。

 アイドルみたいなショービズの世界では、虚構の偶像を作り、ファンを掴み、売るという幻燈的な方法論になるけど、一般の専門職や起業は超零細であり、常に一対一のガチで仕事するから、カッコつけたり、作り上げたりしてもしょうがないんですな。顧客だって馬鹿じゃないし、それどころか自分以上に人生経験を積んできた方々であるから、基本、騙せないと思えばいいです。ありのままの自分をぶつけて、それで好かれるしかない。逆にいえば、ありのままで好かれるだけの自分であらねばならないし、それだけの魅力的な人間味を養ったり、自己研鑚は常に必要なのでしょう。

 そりゃあブラックジャックみたいに世界一の腕を持っていれば、人間的に嫌われようが仕事は来ますけど、そんな「世界一になる」という方法論は、僕ら凡人には使えない。各業界あたり世界で一人か二人しか使えない方法論など、方法論とは言えない。そして、各業種の「腕」「スキル」というのは、依頼者(素人)には、分かっているようでわからないです。あまりにもヘタクソだったら論外ですけど、適正水準を超えてしまえば、あとは人間的な好き嫌いで決まるのが本当のところだと思いますよ。

 あなたがお医者さんにかかるときでも、面倒臭げにブッキラボーな医師よりは、親身になって話しかけてくれ、そのオーラに嘘がなさそうな人にかかりたいでしょう。それに同じアドバイスをされても、Aさんに言われたらカチンとくるけど、Bさんに言われたら素直に「はい」と言える。それが人間でしょ。料理の味は、素人でも分かるのかもしれないけど、これも実は違うと言います。ツンケンした雰囲気でメシ食っても美味くないし、これは単なる気のせいではなく、大脳生理学でもストレスその他で、舌上の味蕾から発信される美味しいと感じる信号が減衰するとかしないとか。まあ難しい理屈はともかく、経験的にもそうです。

 ということで、営業はヤンキー力による部分が多いです。実際にも「誠意のある対応」とか、技術や知識以外の部分が大きなウェートを占めるのが、ビジネス現場のリアリティでしょうし。

メディアと優良顧客

 ところで、また脱線するけど、マスコミに出て有名になった方が集客になるというのも僕の経験では大嘘で、そんなことで来るような顧客層は、やっぱその程度の顧客層で、事件も筋が悪い(ただのワガママとかモンペア的主張)。事業を軌道に乗せようとすれば優良な顧客層をつかまないとならない。顧客層というのは事業におけるアセット(資産)の一分でもあるわけですから。優良な顧客を掴むには、優良な自分が優良な仕事をするしかないっす。誤魔化せないもん。誤魔化されるような人は優良ではないのだもん。どの業界でもそうだと思うけど、マスコミや雑誌を鵜呑みにしているような人は、あんまり優良顧客とはみなされないんじゃないかな。水準を超えている人は、必ずや自分なりの情報源(それなりに広い交友関係)を持ってるでしょうしね。

 弁護士会にバラエティなどのTV出演依頼が来ても、普通の弁護士だったら嫌がりますよね。弁護士会の広報委員になってる人が貧乏くじ押し付けられて出ているってのが普通じゃないかな。橋下クンは例外でしょうけど。今は経営がしんどいから違うのかな。でも、時間取られるし、経営的には意味ないし。もちろんシリアスな文脈では幾らでも取材に応じるし、こっちから記者会見開く場合もあるし、勉強熱心や司法記者さんもいるし、また訴訟戦略にメディア戦略も含まれるし。でも、そういったメディア露出が「営業」になるかというと、ならんでしょう。僕も、医療過誤のドキュメンタリー1時間番組でメインに取材されて放映されたことがあるけど、経営的な影響なんか完璧ゼロです。そんなことで客が来るなら苦労いらないです。

 業界は違えど、例えば、本当に美味しい古くからの老舗料理屋なんかは取材お断りだったりしますよね。また一見さんお断りにしたり。僕も最初はなんて高飛車なんだって中二病的に義憤にかられたけど、しょせんは中二病。安くもないお金を出して食事を楽しんでくださる大事な顧客に、下品なオヤジが下品に騒いで気分ぶち壊し、、って不快な目に合わせられないでしょう。それこそ信用問題ですから。

 また余談になりますが、「金はもってるぞ」「俺は客だ」とか、「金さえあれば」ってのが、言葉は悪いけど下品な発想でしょう?別にお金持ちや富裕層である必要はなく(そう思い込む時点で既に過ち)、普通に真面目に、普通に常識的であればいいだけのことです。たまに勘違いしてるアホがいるから、それが迷惑だというだけのことです。「所持金が増えると品格が下がる法則」というのがあるのかどうかしらないけど、古来、正統的な日本社会では、お金持って人格品位が下がる人間のことを「成金」と称して強烈に軽蔑したし、今もそうだと思いますよ。違いますか?ま、これは日本に限らないけど。

 閑話休題、ガリ勉力で鍛え上げた堅牢な「腕・技術」があるのは当然の前提として、それに加えて「豊かな人間味」と「何をも臆さぬ行動力」というヤンキー力が必要だということでした。それが無いとファンが獲得できないし、営業がたちいかない。その意味では全く同じであろうと。

その他補論

ガリ勉の持久力技術

 ヤンキー「力」の本質は瞬発力だと思います。「気合」なんて、そうそう長続きするものじゃない。せいぜい数秒から数分でしょう。気を練り上げて一瞬のピークにもっていくのがヤンキー力です。

 一方、ガリ勉力は持続力だと思います。来る日も来る日も地味で退屈な反復練習を繰り返すのは、「気合」とかいう感情成分に頼っていたらダメで、マラソンのような持久力が必要です。

 ガリ勉は「やればいいだけ」みたいに前段に書きましたが、あれはあれで技術があります。まず感情をエネルギーにしないことです。「うおお、やってやる!」という初期衝動という感情は、成層圏の人工衛星軌道まで打ち上げるための初動エネルギーとして使えばよく、それ以上を感情に期待すべきではない。なぜなら、時の経過とともにあなたの「やる気」は急激に下がるからです。気合や感情は打ち上げ花火みたいなもので、そのときは燃えているけど、すぐ消える。人間の大脳の忘却機能ですね(嫌なことは忘れようとするメカニズム)。

 そこから先は感情ではなく、システムとか習慣の力になります。宇宙船でいえば「慣性航行」ですね。イヤイヤだろうが、なんだろうが、自動的に身体が動いでしまって、毎日のメニューを機械的にこなしているって状態です。ここまで持っていく技術と力がガリ勉力だと思います。最初から無理目なメニューを作ったら挫折するに決まってるから、ガリ勉力が低いです。どの程度のハードさにして、どの程度の実現可能性にして、どういうメニュー内容にしていくか、そこをビシッと決めて、実際に動かしていくなかで、細かく軌道修正をしていく。そんな力です。

 これは持久力と呼ぶべき力で、マラソンに似てます。飛ばせばいいというものでもないのは勿論ながら、中だるみに気をつけ、ペース配分を考え、それぞれの局面の勝負どころをつかまえ、自分の体調の変化に耳を澄ませる。反復練習といっても、シーケンサーの自動演奏のようにまるっきり同じことを機械的にやってても伸びません。それなりに考える。打ち込み100本でも一本ごとに考える。しかし、感情的に高揚しすぎないようにセーブする。

 このレシピーですね。半分自動演奏のようにして「やる気激減の法則」に備えつつも、マンネリを打破し、効率性を高め、濃くしていく。でも盛り上がりすぎると、あとで反動で冷めてしまうから、そのあたりのメンタル管理です。結構難しいですよ、これ。

 でも、反復継続しないと本当の実力は身につきませんからね〜。ヤンキー力で瞬発的な喧嘩は出来ても、基礎が出来てないと、結局、素人のままだから限界がある。個々の技のキレやバリエーションもさることながら、スタミナがないから、長期戦になるといきなり体力が枯渇して動きが悪くなる。気合系の最大の敵は時間ですわ。ウルトラマンみたいに3分くらいしか持たないのが気合。勝負が長引いたらばったり倒れてしまう。

時代の流れ〜ガリ勉からヤンキー力併用傾向

   長くなったので要旨のみ。
 これまでの日本社会は、ガリ勉力だけでなんとかなったと思います。真面目にコツコツやってたら、なんとか一生は保証された。でも、これからは雲行き怪しいです。千尋の谷底を「えいや!」で飛び越えるようなことを、これまで以上に何度もやらないとならない時代になりそうです。

 終身雇用なんか夢のまた夢になりつつある昨今、要所要所の「人生の潮時」で、職場を変え、業種を変え、住む場所を変えで、ぴょんぴょんと義経八艘飛びのように、あるいはケンケンパのような跳躍力とバランス感覚が必要だし、瞬発力もまた必要でしょう。また場がコロコロ変わるということは、場の空気だけをルーチン的に読めばなんとかなるほど甘くはなく、人間味や魅力を問われる局面も多くなるでしょう。公務員だから安心だなんてのも幻想でしょう。なぜっていざ財政が本格的に破綻し、IMFが入ってくるとか外国から資金援助を受けるとしたら、まず赤字減らしのために公務員を半減しろとか腰が抜けるようなことを言われる可能性がありますから。オーストラリアでは、財政がやばくなるととりあえず官庁や公務員のリストラするのが普通ですから、その感覚でいってくるでしょう。なんせ政権交代になると上級公務員は半ば自動的に首になる風土ですからね。「公務員安定」なんてガラパゴスルールは通用せんでしょう。

 そうなると二手先、三手先を読めということなります。本当にガリ勉力が高い人は、そのあたりの予見能力や組み立て能力は当然持ってると思いますが、そこまでガリ勉が得意でない人(機械的にやれば事足れりと思う人)は、そこがツライでしょう。でも、個々の現場では、千変万化する状況に応じて、臨機応変にさまざまな人達と付き合い、あるときはじっと我慢し、ここぞというときに一瞬ピークの瞬発力で、長駆一閃、一塁からホームベースまで一気に駆け抜けないとならないときがある。その静と動の見極めと行動力。

 このあたりはまさにガリ勉力とヤンキー力が複雑に交錯しあうでしょうし、ガリ勉をやりながらもヤンキーもやるという同時並行・高等テクニックも要求されるかもしれない。いやあ、大変な時代だなあって意気消沈するか、面白い時代になったもんだと舌なめずりするかは個々人次第ですが、ヤンキー的には後者でしょう。9時5時で電卓叩いて一生を終えるよりも、こりゃあいろいろ遊べて楽しそうだぜって。

 僕の身近な仕事でいえば、ワーホリさんや留学生さんには、最初ガリ勉力的に留学とか語学研修とか考えておられるのですが、それも大事だけど、日本でなかなか学ばせてもらえないヤンキー力を錬成することをオススメしてます。それは「一瞬の跳躍力」であるとか、その一瞬とやらを見極める洞察力、皮膚感覚、決断力であるとか、突撃力・突破力であるとか、誰にでも好かれる〜人間が人間を好きになるというのはどういうことかとか。地味にガリ勉(英語)やりながらも、バランスを取るように意識的にヤンキー的行動を盛り込むとか。

 無事に何事も起こらないことが成功なのではなく、動いて、変わることによって真の安定を得るという感覚。感じとしては「海の男」みたいな。絶えず揺れ動く海上において、船酔いもせず、数メートルピッチのローリングのなか、船の舳先にどっしりと立ち、ぶっ太い腕を組んで視線をじっと水平線に注ぎながら進路を決めていく。時折、「おーもかーじ」と野太い声で号令をかける。そんなイメージです。楽しそうじゃん。





文責:田村



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