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今週の一枚(2014/02/10)



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Essay 657:一に方向、二にダンドリ

 〜人生設計マニュアル・チャート(笑)
 写真は、Alexancdoria の人気スポット"The Ground"。工場跡地を利用した話題のエリアで、他にも面白い店がチラホラあります。ここは基本はカフェ/レストランなんだけど、広い中庭にくつろげるスペースがあったり、ニワトリや豚がいたり、屋外でパンとかBBQやってたり盛りだくさん。行ってみたらえらい人気でした。確かに凝っているし、味も悪くないのだけど、しかしアクセスが悪いので、そこまでしてまで行くほどの味とも思えなかったですけど(だからガイドには載せてませんが)。

 上の写真は屋外のBBQコーナーですが、これがいかにもオーストラリア的。なにかというと、体格とかたたずまい。まるで「プロレスラーの文化祭」のように皆さんいいガタイをしています。それが可愛いくエプロンをしてたりして。

 本文とのからみでいうと、英語も「現場で喋れなければ意味がない」という部分で、実際にネィティブの世界に入ると、こんなプロレスラーみたいな連中に取り囲まれ、見下されながら、英語を喋らねばならないわけです。語学学校などアジア系が多い環境はまだ楽なんですけど、奥座敷に進めば進むほどそうなる。肉体的圧力みたいなカベがある。語学技術以前に"場慣れ"とか"胆力"みたいなものがまず必要。でも日本で練習しているとココが足りない。だから暗唱してフレーズを覚えるときでも、「熊に取り囲まれている」と状況想定しながら、心持ち上を見ながら、喋る練習をするといいですよ(笑)。それも腹式呼吸で、大きな、よく通る声で。まるで応援団の練習みたいですね。英語は気合だ!というのもそういう意味です。でも最初の気合が甘いと、「あ?」と聞き返されて、心拍数が倍増して、ますます頭の中が白色化しますから。センパイ、気合っスよ、気合!押忍!

 もっとも心配ご無用です。人間の環境適応能力はすごいですから。最初は超ビビるんだけど、そこをちょっとの間頑張ってたら慣れます。熊は熊でも、熊のプーさんみたいに優しいこともわかりますから。それが納得できるまで我慢できるかどうかが、最初の関門っす。



 先週が長かったので今週は簡単に。

  @、まず方向を考える(先々の道筋まで考えなくて良い)
  A、その方向に進んでいけば、自然とダンドリも見えてくる

 という簡単な2点です。2点というか、「先に方向、ダンドリはその後」という言い方をすれば一点ですが。

 ね、簡単でしょ?

でも、普通逆に考えてしまう

 でも、普通逆に考えがちです。特に日本社会のこれまでの風潮や教育はそうでしょう。

 「お前の場合は、まあ、このくらいの大学かな」
 という偏差値を基準とした進路指導に典型的にみられるように、「何をやりたいか」ではなく、「何が出来そうか」で物事を決めていく。希望<可能性、です。もちろん、進路指導においても、一生懸命本人の個性を見極め、将来の夢を聞いておられる先生も沢山いるかと思います。しかし、多くの場合、そして親御さんや本人すらも、「自分の学力でもっとも望める高偏差値(or有名)な学校」というフォーマットから抜け出しにくい。

 東西南北どちらに進むか?ではなく、最も攻略しやすそうなもの(最小の努力で最大のリターンというコストパフォマンスの良さそうなもの)を物色し、ま、こんなところかな?で選んだものが、「たまたま東を向いていました」という感じですね。

 もうちょい細かくみると、平均的な日本の教育プロセスにおいては、高校時点で理系と文系を決める。これも「好きだから」ではなく、「数学が苦手だから」「点数が高いから」、つまりは偏差値スペックが高い志望校をどれだけ望めそうかで見る。まあ、大体は好きこそものの上手なれで、歴史小説読むのが好きだったりすると大体は国語や歴史の成績も良かったりするのですが、それでも「宇宙ものやIT系は好きだけど数学は嫌い」って人もいて、仕方なしに文系になったりもします。逆に「英語が好きだから文系」とか。

 リアルタイムにどういう進路指導が行われているかわかりませんが、今ネットでぱらぱらと見た感じでは、あまり変わった様子もないです。そして、プロの方々は、逆にそんな目先な得意・不得意で決めたらあかんよと言っておられます。僕も同意します。なぜなら中高時代というのは絶対的な経験度数も少ないコドモですから、たまたまその科目の先生との波長が合う/合わないで容易に得意・不得意と思い込んでしまう。偶然の要素がメチャクチャ大きいからアテにならない。また「理系は就職に有利」なんてのも同じようにアテにならない。なぜなら経済状況なんか30年でガラリと変わるのであり、その昔は、エリートほど軍隊にいき、炭鉱に行き、国鉄に行ったように、そんなもん誰にもわからない。

 大雑把な理系文系の二分割ですらコレですから、細かな学部選定になるともっといい加減で、早稲田だったらどこでもいいとか、法、政治、経済、経営、商、文の選択も結局は「たまたま受かったところ」って人が多いでしょう。文学部だったら偏差値58だけど、法学部になると61で難関だから、ま、文学部にしておくか、みたいな感じ。

 就職でも同じで「何をしたいか」よりは、入れそうかで決める。内定が幾つも出たら、より高偏差値で高給で、より自慢できそうな、晴れがましそうなところに行く。

 ま、それはそれで一つの選択基準ではありますし、必ずしも悪いことではないですけど、十分ではない。いくつかの問題点があるし、あなたもたちどころに幾つか指摘できるでしょうが、今回の関連でいうと、たまたまの要素が強すぎて、方角の選択をしていない点です。たまたま選んだ進路が、たまたま西を向いてましたという、それが問題だろうと。「何をしたいか」というのを全然詰めて考えていない。

 では、僕のいう方向とはなにか?なぜ方向から先に選ぶと良いのか?

なぜ方向(希望)が先に来るのか 

コストパフォーマンスの良さ

 これも簡単だし、過去にくどいほど繰り返し述べてますが、長い目で見れば、好きなことをやるのが一番コストパフォ−マンスが高いからです。この「パフォーマンス(リターン)」は、お金やステイタスや安定性に尽きるわけではなく、よりダイレクトに幸福感やちょっと前に述べた「納得感」が入ります。

 やってて楽しいというのは最強です。仮にお金が入らず、他人から馬鹿にされ、身分が不安定であっても、そんなの全〜然気にならないぜ!ってくらい楽しかったら、これは強いでしょう?仕事と遊びと人生が渾然一体になっているから、生きてるだけで即成功、即幸福。イヤな思いをしてお金を稼いで、それで生活して、余ったお金で束の間の快楽を得て、それだけが生きがいになってるのに比べて、生きて動いている一分一秒が快楽に直結してたら、熱効率はメチャクチャ高いです。

 そんな夢のような人生はあるのか?って思うかもしれないけど、あるある、全然ある。全財産投げ打って冒険の旅に出る人とか、私財どころか人生捧げて一つの活動に没頭する人とか、普通にゴロゴロいますもん。あなたの周囲にはいないだけ。世界的にみれば幾らでもいる。日本だって行くところにいけば幾らでもいる。僕だって全部投げ捨ててこっち来ているわけだしさ。逆にいえば、お金とかステイタスというのは、そこまで楽しいことが見つけられない可哀想な(それだけこれから幸福になる伸びしろが大きいとも言える)人達のための一時的&実用的な慰め用の玩具みたいなもんでしょう。

 ゆえに、やりたいことを先に決めたほうが良い。これは人の生きざまとして美しいとかいう審美的なものではなく、単純に損得勘定で圧倒的に得だからです。

やるべきことが自然に見えてくる

 しかしながら、今回の焦点は「第一に方向を決める」部分ではなく「第二にダンドリを決める」部分です。そして「そのダンドリは自然に見えてくるし、勝手に決まってくる」という点。

 例えば「俺は冒険家になる!」というのが方向だとしても、冒険家って何をどうやればいいのかわからないです。僕もわからないですけど、そんなことやってメシが食えるという気が全然しない。てか、まず何をすればいいのか、そしてそれをやってどうなっていくのかも全然見えない。

 この「見えない」という時点で立ちすくみますよね。当然ですけど。「じゃあ真っ暗な海に船出するんだ」とか言われても、おいそれと出来るものではないです。めちゃくちゃ怖いし。

 しかし、「冒険家になるためには何が必要か?」と逆算していくと、自ずと見えてくるものもあります。

 「ワンピースみたいな海賊になるんだ」って思った場合、あんな腕がびよ〜んと伸びるのは無理としても、取り敢えず体力でしょう、主人公がいつも病弱虚弱だったら話にならないもんね、砂漠や大海原を横断するにしても人並み以上の頑健な肉体が必要だろうと。よし!筋トレだ!ジョギングだ!になる。また世界の街角でいざこざになったときに最低限の護身術は必要だ!となり空手をやってみるとか。

 やりたい方向、「理想の私」のデテールをよく考えていくと、今の自分とのギャップが見えてきます。
 世界を旅するんだから、各国の情勢や民族の歴史とかそのあたりは必須でしょう、でも全然知らんぞ、ヤバイぞとなって、あれこれ調べ始める。また、最低限英語くらい出来ないと話にならんぞと一念発起して必死にやる。あるいは、世界の街角であらゆる人間と出会うのだから、どんな奴ともうまくやっていけるような自分でないとならない。喧嘩すべきときはビシッと言えるように気丈にならないと、、とか、いろいろ課題が見つかる。

 それをやってると、ごく自然に自分の総合力が上がります。
 ほんと、騙されたと思って3年やってみたらいいです。どんなことで3年やってたらそこそこのレベルにはいきます。気がついてみたら、普通の人相手だったらまず喧嘩では負ける気がしなるし、世界情勢や民族について「お前、なんでそんなに知ってるの?」って言われるくらいになり、大抵の人とはうまく付き合えるし、時には「冗談じゃないですよ」と啖呵の一つくらい切れるようになってます。

 何を言いたいかというと、本当にやりたいこと、方向が決まったら、自然とやるべきことは見えてくるということです。何が足りないか、何をすべきか。もうタスクは山ほどあることに気づく。で、やるべきことをやってると、否が応でも人間力が上がってしまう。

 僕も将来は法曹界に入るんだとか思ってシコシコ勉強しているとき、バイト先のおっちゃんがちょっと苦手だなと思ったときは、弁護士になったらこの人が依頼者になるかもしれないし、この人に「先生、ありがとうございました」って言ってもらわえないと餓死するわけで、「こんなところでメゲてる場合じゃねえ」って思いましたもん。もう日々訓練というか、「わかりません」「難しくて理解できません」なんてことが現場で通用するかとか、答練のミスでも、こんなミスを本番でやってたらそれだけで一生終わるぞ、と。何のために今何をやってるかをクリアにしていけば、そしてどんなハードなことでも、それをやる理由が納得できたら、あんまり辛くないんですよね。「畜生、まだまだだぜ」って思うけど、でも「前には進んでいるぜ」って思えたら、そんなにイヤには感じない。「さすが相手にとって不足なし」とか強がりも言える。

 これは何でも同じことだと思います。
 将来、ママになるんだ、いいパパになりたいでも同じでしょう。
 人の親ってのは、他人(子供)に対して圧倒的な全人格的影響を及ぼすわけで、「人間たるものこう生きろ」というお手本を示し続けるわけですから、こりゃもうハンパな根性と人格ではできないぞ、と思ったら、、、やるべきことは山ほど出てくる。

 人間にとって何が一番大事なんだろうって考えるかもしれないし、こんな毎日仏頂面して愚痴や不満ばっかりいってる親を見てたら子供はどう思うだろう?とか考えたら、愚痴や不満はそれはそれとして、それをどう生産的に解消していけるのかを考えるでしょう。もう一事が万事、若い時からパパママ修行です。子供が怪我したときに応急措置がアホだったからみすみす死なせてしまいましたなんて、血の気が引くような想像をしたら、「こ、こうしてはおれん」と最低限の応急措置くらいは学ぼうと思うかもしれない。子供がどんな将来の希望を述べても頭ごなしに否定するのはやめようと思うけど、無条件で肯定するのもなんだかなと思うから、「うん、じゃあ、まずは○○をやってごらん」とさりげに正しい方向を示せるようになりたい。ほんでも、お前(自分)、そんなに世間の事知ってるの?今世界経済や日本経済がどうなって、どういうキャリアが有利だとかちゃんとわかってるの?とか思うと、「こ、こうしてはおれん」になる。

 ただ何となくやってるのに比べて、「こうなりたい!」って方向性を自覚し「理想の俺」が見えてくると、やるべきことは山ほど見えてくる筈です。

 ちなみに、ワーホリというのはコレをやるのだと思います。オーストラリアのワーホリ1年ビシッとやったら、誰でも普通に300%くらいは人間力が増大します。何もしなかったらゼロ%だし、ビビって何もしなかったってことが逆にマイナスになることもあるけど、やることやってたら自然と伸びる。それは「冒険家になるためには○○をしなければ」という課題と同じなんだけど、ワーホリや留学の場合は、事実先行で始まるから非常に見えやすいのですね。実地教育の最たるもので、お前のあそこがダメ、ここが足りないってのをいちいち目の前に突きつけられて、思い知らされます。こちらにきて1〜2ヶ月くらいは、もうこのダメダメ・タコ殴り状態になるでしょう。それがイイんですよね。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃってよく分かる。でもって、必死に毎日生きてるだけで、鉄下駄履いて走ってるようなものだから、自然に足腰は強化される。どんなに不器用な人でも毎日やってりゃ出来るようになる。どんなブキッチョな奴でも日本で生まれ育てば箸くらいもてるようになるのと同じ。最強最速のメソッドです。

 その意味でいえば、やり始めた時点で、可能ならばいきなり現場に出たほうがいいです。計り知れない経験になりますから。日本で自己満足的に英語やってるくらいだったら、現場で涙がチョチョ切れるような経験、もう速いとか単語がという技術レベル以前に、何度聞いても「ぅおンびろ!」としか聞こえない、「それが英語なのかどうかすらわからない」という現実に直面したら、自己満足勉強はしなくなる。僕も、ギターのライブなどに出て頭が真っ白状態になりましたが、「あそこで出来なきゃ意味ないんだよ!」ってのが骨身に染みた。考えたり思い出したりして弾いてるようでは絶対に間に合わない。何も考えずに夢遊病でも弾けるくらいでないと現場では通用しない(英語も同じ)というのがわかったから、それからの練習方法も変わるし、自分でダメ出し出来るようになりました。

見え方が変わる

 そして、それをある程度やっていると、周囲の人間環境も変わるし、新しい道も自然と見えてくる。だからダンドリなんか改まって考えなくても、日々黙々とやることやってたら、いろいろと見えてくる。

 身の丈10メートルに巨人になろうと思って、まだ2メートルしか育ってませんといっても、身長が30センチ伸びたら世界の見え方ももう変わっている。仮に5センチであろうとも、5センチ高い視野からみると、違って見えてくる。「絶対無理!」だったことが、「かなり難しい」くらいに緩和し、やがて「ひょっとしたら?」になり、「よし、勝負だ!」の対等目線になり、「楽勝とまでは言わないけど、まあ大体出来ます」になる。これは快感ですよね。シェア探しを最初にやるのも、わずか3日くらいで「絶対無理→出来て当然」の魔法のような「見え方の違い」を体験してもらいたいってのがあります。普通この変化というのは3年間くらいかかるんだけど、日本人の海外恐怖症(簡単なことがメチャクチャ怖く見える)があるから、それを逆手にとって、魔法のような時間短縮のワザが使えるわけですね。

 前にも苦手科目が一番美味しいって書いたけど、恐怖心が強いとか苦手意識が高いのは、ほんと超美味しいんですよね〜。だって、「饅頭こわい」じゃないけど、全然怖くないことを死ぬほど怖がってるわけだから、ちょっと一歩踏み出しただけで、「世界観どんでん返し」体験が出来る。これが出来てしまうと、天と地が逆さになったくらい見え方が変わるから、人生もいきなり変わる。もう合気道と同じで、ダメ!恐怖症!ってのは、そこに異様な力点の狂いがあるから、そこを基軸にくるりと廻せる。指先一本で大男が宙を舞うって感じ。だからちょっと前にカウンセリング行け〜って言ってるわけです。

客観も変わる

 そんなこんなでやってると、不思議なもので、社会における自分の立ち位置も変わってきます。人間関係も広くなる。

 最初の「冒険家になる」ケースで、必死に空手道場3年通って黒帯クラスになってくると、付き合う連中もそのレベルの猛者連中になるし、そのツテで昔だったらビビって遠巻きにして見ていたような怖い人達(○○大学空手部の連中とか)にも、「あ、○○さん、どうも」って向こうから挨拶してくるようになる。その一方、世界勉強じゃあ!といって無理やりイスラム文化研究会なんてに出て3年もすれば、付き合う人も大学や市井の研究家などアカデミックな人達、イスラム系の人と結婚した人達とかになる。家に招かれてペルシャ料理を振る舞われたり、イランにいったらウチの実家を訪ねてくれよって話にもなる。さらに、英語じゃあ〜!って3年もやると、上級クラスに入るし、そこで先生(その多くはオーストラリアやイギリスから日本ワーホリに来ているお兄ちゃんお姉ちゃんだったりする)とも知り合い、気がついたら居酒屋で日本文化のユニークさを英語で語ってたりする自分がいるし、今度丹沢で皆でキャンプ張るからおいでよって招かれたり。そこでまた、○○さんと知り合って、、、、という。

 僕も、大学3回生になってから一念発起で司法試験受験じゃ〜っとやってた頃は、最初は辛かったですよ〜。すでにレジャーランドと化していたキャンパス内だから「くそ、なんで俺が」みたいな異邦人感覚だったし、昨日までのバンド仲間は相変わらず楽しげにやってるし、勉強はサッパ分からんわ、やれやれです。それでもちょっと辛抱してやってると、「田村さん、司法試験目指してるんだって?」って日頃あんまり話したことない人から話しかけられたりするようになるし、同好の士ならぬ「同"攻"の士」って言うんですけど、おもしろい連帯感が出てきたりするのですよ。次第には同じ学年の連中はだいたい馴染みになっていく。僕の最初のカミさんもそのときの仲間の一人だし。で、進むに連れて学年を超えて、上の人とも下の人も、教授連中にも付き合いが広がって、、、って。つまり、やってるとそれなりのところまでいくし、そこまで行くと又違った人達と知り合うようになるし、そこですごい刺激を受けるようになる。

 でもって、ここで「広がる」んですよね、not only 人脈 but also トピック。
 最初は勉強が接点だったとしても、勉強に関係ないことでも自然と話題が出てくる。それこそ日々のニュースや音楽や小説なんかも話すようになる。で、ベーシックな所で認め合ってるから、何を話しても面白いんですよね。あれ、不思議ですよね。なんでかなあ。「こいつはすごい」って尊敬できる友達というのはいいもので、どんな変な意見でも、興味のない系統の映画の話でも、「こいつが言うなら」って気になるんでしょうね。とりあえず前向きに聞こうとするし、相手も前向きに聞いてくれる。むろん気が置けないから辛辣な批判の応酬もあるんだけど、だからといって人間関係がどうなるもんでもない。「ベーシックな所でOK」ってすげえなって、今書いてても思うのですが。

ドン・キホーテ集合

 自分色を出して、頑張って、その地点まで行くと、そこで出会う人間や、物事が、わりと感じがいいんですよね。まあ、考えてみれば当たり前で、最初からそういうところに行くんだから。サーファー頑張ってやってて、こちらにきてサーフィンやってると、あっという間に友だちが増えるって話はよくありますが、別にサーフィンに限らず、好きでやってて、それも「病膏肓(やまい・こうこう)に入る=好きで凝りまくって、身体の奥底に染み付いた病気みたいになってるさま」くらいまでいくと、そこにいる連中は自分と同じ「マニア」の人達だから話が合う合う。

 これも単に何となく好きくらいではなく、自分で苦労してやっている、もっといえば「戦っている」くらいの感じの方がいいです。「ちょっと知ってる」程度の評論家気取りくらいだったら、「俺のほうが知っているぞ」とか嫉妬と虚栄の歪んだライバル関係とかになりそうだけど、自分でヒーヒー言いながらやってるもん同志だと、そういう下らない見栄とか入り込む余地がないです。てか入り込む余地がないくらい一生懸命やるといいです。部活で先輩にしごかれてる同学年の仲間とかね。先輩や先生にビターン!バターン!と投げられて、「おほ〜い、○○、生きてるかあ?」「だ、だいじょうぶだあ」みたいな感じになるとイイんですよね。

 僕が卒業生相手にA僑などとやっているのも原理は同じことで、こっちきてビタンバタンと投げられまくってきた同志ですからね。「い、生きてるかあ?」の世界ね。ベーシックなところで認め合うからいい関係になれるかなって。戦友愛みたいなものってかなり強いものだと思うのですよ。それは単にベタベタした愛憐感傷ではなく、基本の所で認めている、それも自分が好きこのんで必死にやってきた戦場で認めている人というのは得難いもので、その人の言うことだったら、とりあえず素直に聞ける。「俺とは違うな」って思うようなこと言ってても、だから「こいつはダメだ」とはあまり思わず、「そうか、そういう考え方もあるのか」と生産的に受け止められる。だからあんまり付き合っててイヤな感じがしない、ギスギスしないし、ベーシックで認めてもらっているという何とはなしの心地よさがあるから、こっちも構えずに、自然体でいられる。だから素直で魅力的な自分(素直になれば誰でも魅力的)になれるし、人にも好かれるようになる。

 何が良かったのかと、もとを質せば、気に入った方向を見据えて、あーだこーだとドンキホーテ的に驀進してきて「その場」に辿り着いているからだと思うのですよ。そこではドン・キホーテ大集合になってるから、ドンちゃん同志仲が良くなるという。

今日の雲は明日にはない

 というわけで方向を先に決めるといいよ、ってことです。

 ダンドリから先に決めると、何となく道路が整備されてそうな、「進入路」がわかりやすいルートの方がよさげに思えるのだけど、そうじゃない。これも何度も引用しているけど、「地獄への道は、常に美しい花で彩られている」(西欧の金言)。いくらアスファルトできれいに舗装された片道5車線の堂々たる道路であろうとも、先のことはわからないです。20年後になったら、高速道路が途中でブッタ切れているかもしれず、そうなれば、あーって落ちてしまう。調べてみたら、20年後どころかほんの半年前(2012年6月)の就職ランキングで総合一位がソニーで2位がパナソニックだったという、キミは世界経済が見えているのか?って疑わしいようなランキングだったりするわけです。「敢えてリストラ地獄の中に身を投じて切磋琢磨してみたい」って動機だったら見上げたものだけど。

 なんでもそうだけど、ダンドリとか道筋とか、あれって空に浮かぶ雲みたいなもので、時間が経てば形が変わります。実際にそこまでいくのとで時間差があったらダメ。ラウンドのファーム探しと同じ。てことは、これから何年何十年先の話になれば、今スカーッと見えている道だけは絶対選ぶなって逆説的なことも言えるわけです。今が最高によく見えるというのは、時間が経てばグチャグチャになるか、似ても似つかないような形になるかですもん。これが封建社会のように300年くらいほとんど変わらない社会だったらいいけど、そういう社会は逆に職業選択の自由なんか薬にしたくても存在しないから、いずれにせよダメ。自分が選べるという自由があるということは、誰にでもあるということであり、状況は絶えず変動するということです。今日浮かんでる雲が明日もあるわけないだろう?って。

 だもんで、ダンドリ志向でみていくと、結局何が何だかわからなくなるか、貴重な時間を使ってやりたくないことやって、結局まるで無駄でしたってとほほな話になりかねない。

では、「方向」とはなにか

 「方向」というのが実は難しいです。

 単に理系or文系、公務員or民間、○○業界、というレベルの問題ではないです。それも勿論あるだろうけど、もっと広く生き方そのものに関わるようなもの。あるいは主婦かキャリアかってのもあるだろうけど、もっと大きく、複雑多岐にわたります。なあんて抽象的に言っていても始まらないので、思いつくままいくつか。

A:要素

A1:経済・ステイタス
 高収入、ハイステイタスを目指す。もっともありがちな要素だけど、これが第一プライオリティになる人は意外と少ない。

A2:家庭・人間
 Family comes firstで、家族や、親しい人との人間関係を大事にしたいという要素。

A3:アート・職人
 芸術活動や、職人になるベクトル。「芸」「腕」の凄さに魅せられた人々。

A4:社会・正義
 社会的な働きかけ、社会が少しでも良くなることに自分の生きがいを見出すベクトル


 このようにいくつかの方向に分けられるわけですが、これは二律背反でも、択一関係に立つものでもないです。一つを選んだら他を選べないというものではない。

 だから「東西南北」という比喩はちょっと違って、「栄養素」みたいなものだと思ってもらったらいいかもしれません。タンパク質があって、炭水化物(糖質・食物繊維)があって、無機質・ミネラル(カルシウムなど)があって、ビタミンがあって、脂質があって、、、という感じ。しかし栄養素の場合「バランスよく全てを摂取」というのが「正解」だと決まってしまうので、そこはちょっと違います。バランスを取るか/取らないかも個々人の好みでしょう。

 一つ要素が他の要素と重複する場合もあります。
 例えば、僕の前職の弁護士業務は、多分第一にきたのはアート・職人要素だったと思います。もともとはギタリスト志望だったのに、あまりにもヘタクソなので挫折して「しょうがねえな、じゃあもっと簡単なやつ」で弁護士になったという部分もあるので、「腕一本で食っていく」という要素が僕のなかでは割りと大きいのですね。しかし、実際に弁護士業務をやってて、そこで職人的にこだわってしまうと、どうしても社会正義という要素がくっついてきますし、そこで人間とのつながりなんてのも出てきます。また、経済やステイタスもそこそこついてきます。

 自分の家族を大事にするという要素を重視される方も、家族に関するあれこれの物事に遭遇するうちに、医療、介護、教育、福祉のあり方がおかしくないか?という社会正義要素にブチあたることはよくあるでしょう。

 経済・ステイタスで「てっぺん」を目指すんじゃあ!って方向性は、意外と職人アート系と親近性があります。なぜならそこが厳しい実力主義であるがゆえに、お金を儲けたり出世することと腕を磨くことがある程度イコールになるからです。そして、だんだんと自分の「腕」を試すのが主目的になって、派閥の画策をしたり、卑劣な陰謀で出世したりするのを「反則だから面白くない」と感じたりもする。また、一流商社マンが、ワインの輸入部門を担当してフランスやイタリアに通っているうちに、ワインに魅せられ、スピンアウトしてソムリエになってしまったという場合もあるでしょう。だから、経済・ステイタスを持ってる人が、必ずしもそういうタイプであるとも限らないのですよね。意外と腕試しでやってたり、ビジネスでもお金よりもゲーム性の難しさに魅せられてたりしますから。

 以上は大雑把な分野とか要素の話ですが、しかしそういう切り口に尽きるものでもないです。

B:自分のあり方

 これは自分をとりまく周囲の環境は、どんな感じでありたいか?という好みです。

B1:皆といっしょに、つながっていたい系
 家族や友達、コミュニティの仲間に囲まれていることを重視するタイプ。孤独死はちょっと寂しいなと思う。

B2:独立独歩・唯我独尊系
 逆に他人と同じであるのはイヤ。自然とそうなるは良いし、人を避けるわけではないが、人とつながっていること自体にそれほど価値は感じない。妙に生温かいくらいなら、肌寒くともスースーした涼しさを好む。

B3:ロマンチック激情系
 対象がなんであれ「愛と冒険の物語」のような、一定以上の熱量があるもの、燃えるときの高揚感が好き。普通に生きてたら一生ありえないような、一瞬の高峰ピークと魂の燃焼快感に魅せられている。

B4:中庸・常識系
 エクストリームに流れることを好まず、常に真ん中にあり、いい感じでバランスが取れている状態を好む。「個性がない」と非難されようとも、エキセントリックで面倒臭い個性なら無い方がマシと思う。
 
B5:庵(いおり)系
 「竹林の七賢人」、徒然草の吉田兼好、タヒチにいったゴーギャンのように、あまり他人や世間に邪魔されず、静かに自分の世界を深めていきたいタイプ。唯我独尊系に似てるけど、「一人であること」に価値があるというよりは「静か」であることに価値を見出すタイプ。


 言うまでもなく、これも一つ選んだら一生そればっかってことはないです。誰だってどの要素も満遍なく持っていると思いますが、相対的にメインにくるのはどれか、という話ですね。

C:行動の流儀

 生きていくにあたって、あるいは何事かをなすにあって、どんな感じでやっていきたいかというタイプです。

C1:積み上げ安定系
 一つひとつしっかりレンガを積み上げていくようなやり方を好む。積み上がった部分の堅牢な安定感が好き。

C2:変化・ひらめき系
 積み上げの尊さは承知しつつも、状況に応じて縦横無尽、融通無碍に変化させていく、そのひらりと変わるスリリングな部分に快感を感じるタイプ。

C3:流れ重視系
 全体の流れを見据えて、無理をせず、流れに身をまかせる。かといって流されるばかりでもなく、ときには巧みに流れをすかし、部分的に逆流しているところを鋭く見極めてポジションを獲得し、、と、「流れの芸術」のようなものに面白さを感じるタイプ。

C4:パワー四駆系
 積み上げも、流れもあまり興味はなく、そんなの無視して、やりたいことを遠慮無くドドドとやる。凸凹を乗り越え、壁を押し倒して進んでいく馬鹿パワーにこそ快感を感じる。

C5:雪ダルマ・8ビートパターン
 雪ダルマのように同じパターンで営々とやっていくのを好むタイプ。古典的な8ビートのロックを繰り返していくうちに段々温度があがっていき、グルーブが出てくるのを好む。

C6:変幻自在・プログレ派
 その昔のプログレのように、同時に幾つものテーマやパターンを並走させ、さらに変幻自在に入れ替えていくことに面白さを感じるタイプ

実践

 ああ、もう長くなってしまった。やめようかな、、、でも、ここまで書いたし、もうちょいいくか、今回はスカスカだから読みやすいでしょ?

 実践面においては、これら(に尽きるものではないが)の組み合わせです。
 A2の(家族)愛に生きる系で、B3ロマン派であっても、C4四駆系になると、岡本かの子(岡本太郎のかーちゃんで、もっとぶっ飛んでる)や与謝野晶子的になり、C5同じビート系になると、例えば「着てはくれないセーターを、寒さこらえて編んでます」という演歌系になったり、C6プログレ系になると「華麗なる男性遍歴」方面にゆくという。

 でも、こんな解剖図みたいな解説やっても、実はあんまり役に立たなかったりするのですよ。これにも色々あって、それだけでまた1本書けるのだけど、ネタ出しだけしておきますね。

 @、そもそも自分がどういう人間なのかが分かりにくい。例えば、キャリア一筋!とか、あるいは素敵な家庭を作るのだとか思ってるからといって、必ずしもその人を表しているわけではない。なんで受験なの、キャリアなの?なんで家庭なの?と掘り下げていくと、「親がそう期待しているから」「親を悲しませたくないから」というのが一番の理由だったりもするわけですよ。だとしたら、その人の本質は第一に「親思い」という家族派であることになる。キャリアとか家庭とかいうのは、たまたまその親が何を望んでいたかの映し出すスクリーンにすぎない。しかし、これも長年の抑圧怨念とかがあったりして、「本当はこんなことしたくないのに」って思いが実はあって、それを殺しているだけかもしれない。

 A、攻略論や展開論として、取り敢えず本来の方向とは違うところに身をおいて、そこからどう見えるか確認し、その差異を分析し、三点測量のように方向性を正確に見極めるというテクニックがあります。たとえば、多分自分はアート派だと思ったとしても、本当にそうなのかの自信もなく、だとしたら最もありふれているけど最も内容不明な平均的なサラリーマンというのをやってみて、それでどれだけフィットするかしないかを感じ、自分の方向性をより正確にみていくとか。あるいは将来的に一匹狼的に動くのは見えているのだけど、ならば尚更なんらかの金看板があった方が動きやすいから、武器調達という意味で、ハイステイタスのキャリアを目指しておくやり方。逆に、多分自分はそこまで弾けられないだろうから、後顧の憂いを絶つためにも、若い時は極道しまくるんじゃと腹をくくって変なことをやりまくるという攻め方。

 つまりこのタイプだからといって、死ぬまで同じようにやる必要はなく、まずA1で基礎を固め、A2も味わいつつ、いよいよメインディッシュのA3にいき、最後は世間へのご恩返しのように世のため人のためにA4をやるという具合に、そこには「順番」「組み立て」というものがある。それをどうやっていくかという技術論です。

 いずれにせよ、ちょっと前に「納得」で書いたようにこのあたりはすごく難しい。
 でも難しいから「やらない」のではなく、難しいからこそ常日頃考えておくといいんだろうと思うのですね。ここ数回は全部つながっているのですが、だからこそカウンセリングなど自分を冷静に見つめる作業は不可欠でしょう。そして、前回述べたように、客観や経済という物的側面が伸びるから、大抵のことはそれで解消するよという時代ではなく、主観や精神がどんどん重みを増している中世的な21世紀においては、尚更であり、且つそれがA1的にはビジネスチャンスにもつながるという。それがすなわちC3の流れでもある。

 このように広汎で精密な左脳と、一瞬の雷光を手で掴むような、ひらめき感性一発の右脳の反射神経が激しく交錯するのものだと思います。何度いうけど、だから難しい。



PS:都知事選について
書き終わったあとに結果が出たので、PS:に書いておきます。本文とは関係ないのでタックします。


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文責:田村



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