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今週の一枚(2014/01/06)



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Essay 652:情報の検証と「寄り道」情報

  〜寄せ集めビデオクリップ集  
 写真は、ノースのKillara駅とGordon駅の間あたりの線路沿いの道。
 やっぱり、Upper Northは、こういう雰囲気がイイです。
 全然通勤距離なんだけど、でも気分はツーリング的な。



 最近、似たような話題が続いているので気分を変えるためにネタ探しにWEBをあれこれ見てみました。あっちゃこっちゃをランダムに彷徨って、「へえ」「ほほう」と思ったものを、これまたランダムに挙げておきます。

情報について

大事なのは好奇心、もっと大事なのは決断力とそれを実行する覚悟


 ネットはまさに情報の大海ですが、無限に広がる大海原から何をピックアップしてくるか、どの情報にどれだけの信頼性を置くか、そのあたりは100%個々人に委ねられています。そこで、情報を収集&検証する力が現代をサバイブするための必須能力として語られたりします。「情弱(情報弱者)」とか言われるのもその文脈でしょう。

 ま、個人的には、そんな「必須」だとも実は思ってません。別に知らんかったら知らんでもいいだろうし、それで愉快な人生は全う出来ると思います。それに、個々人にとって本当に必要な情報は、絶対に(これは「絶対に」と言ってもいいと思うけど)ネットにはないでしょう。なぜなら、もっとも大事な情報ほどパーソナルなものだからです。すなわち、自分の子供や配偶者が今本当は何を考えているのか?とかその種のことです。さらに言えば、一番大事なのは「自分は何なのか?」でしょう。本当に自分は何をしたいの?こういった人生のあり方で本当にいいと思ってんの?何が問題なの?という。

 このくらい超重要な問題はこの世にないでしょうが、それは絶対にネットに載ってない。載せようとしたら自分で書くしかない。要するに大事なことは既に自分は知っているのだけど、「知ってることに気づかない」って部分に問題があるのでしょう。「本当に必要な情報」を得たかったら、自己省察やら瞑想やらカウセリングをやるべきであって、ネットでパコパコやってることではないんだろうなと。

 じゃあ、なんで情報を探したり、接したり、取捨選択しているのかといえば、一番大きな理由は純粋な好奇心だと思います。「へえ、そうなの」ということで自分の世界観が訂正されたり、広がっていくのが生理的に気持ちいいからでしょう。検眼をやってて、度の合わないレンズが徐々に度が合ってクッキリ見えるようになる快感。

 「情報社会に生き延びるための必須能力」とかいうのも、まあ、そうなんだろうけど、それって、道路を横断している時には、ぼややんと見えているよりは、ハッキリ見ている方が事故に遭う確率が減るという程度の意味だと思います。もちろん古今東西どこの社会にもプロパンガンダ、情報操作、洗脳などがあります。それに対抗するには「より正しい情報」でしょう。だけど何が正しいのか分からないんだったら、それも意味がない。そこで情報の検証・選別というステージに戦場が移動し、それについてはいくつかのTISPはあり次に書きますが、より本質的にはこの生理的な気持ちよさにどれだけ鋭敏でいられるかだと思います。「なんか嘘臭いな」「なんか釈然としないな」という微妙な違和感を感じ取る力でしょうね。

 で、さらにもっと大事なのは、その情報にしたがって「おし!」と決断する力であり、それを実行する力でしょう。幾ら真実が分かったとしても、実際に動かないんだったら現実の結果に差はないわけで、それじゃあんまり意味がない。むしろ知らぬが仏で知らないほうが幸せだったりもする。だから、動く力であり、その力を引き出すマインドセット=つまりは「覚悟」があるか/ないかだと思います。その覚悟が無かったら、どんな情報をどれだけ探して集めても意味は減殺されると思う。

情報選別

 これが正しいというつもりはないけど、僕が思う情報選別のコツなりカンドコロは、例えば次のとおり。

 @、二次情報よりも一次情報
 A、なんだかわからない、理解し難い断片のほうが貴重
 B、できるだけ分かりにくく、要約しにくいもの
 C、情報源を出来るだけ散らすこと
 D、知りたい情報の隣にある「寄り道情報」
 E、情報チェック機構

 他にも幾らでもあるし、それぞれが重複するのだけど、言わんとすることはわかると思います。情報というのは本来ダイヤの原石みたいなもので、パッと見た目には石ころみたいに見えるのだと思います。きれいに整理されて、わかりやすく「一口サイズ」にカットされたものは、既に何段階も誰か他人の主観がバリバリ入ってると思ったほうがいい。それは「情報」ではなく「見解」「主張」ですから。まあ、それも「情報」に含めるのだと言えば、単なる言葉の問題だけど、分析や価値判断や結論付けは、自前の頭を使って自分がやらなきゃ意味がないでしょ。他人の意見は参考にはするけど、それ以上でもそれ以下でもない。その意味では食べ物に似てて、出来るだけ新鮮で、出来るだけ加工されてないもの、添加物や防腐剤が入ってない方が好ましい。

 何の変哲もないような風景写真やスナップ写真をじっと見てると、「へえ、そうなんだ」というのが透けて見えてきて、それが面白いです。以前、ユーゴ内乱戦争の時、NATO軍の空爆のフィルムがCNNかどっかで流れてたのですけど、そこにチラリと1秒くらい映ったのは、石畳の街路のオープランテラスでワインを傾けてランチを楽しむ市民の姿でした。空爆というと東京大空襲みたいに「紅蓮の炎を背景に逃げ惑う住民の阿鼻叫喚の地獄絵図」が思い浮かべるのだけど、そんなイメージと全然違う。え、空爆やってるのにワインかよ?って、そっちの方が衝撃的で、その意味するところは何なんだろう?と。意外と現場にいったらそんなもんなのかもしれないなということが一つ。祖国が四分五裂して殺し合いをしているという状況でありながら、ゆったりとワインを傾けてランチを楽しむことだけは捨てないという生活水準のなにげな高さ。さすが地中海沿岸のラテン系(ほんとはスラブ系だけど)とか。

 よく「怒りに満ちた民衆の暴動」「激しい衝突」というキャプションで映像が流れたりするんだけど、よーく見てると、後ろのほうで笑って談笑している奴とか映ってたりするんですよね。「この残虐な事件は、住民を深刻な不安に陥れています」とか現場のアナウンサーが深刻な顔して喋ってる後ろで、カメラ目線でピースサインをしているアホな子供とか映ってたり。でもそれが大事なんだろうな。加工させちゃダメなんじゃないかって。

 そういえば、東京の地下鉄でサリンが撒かれた時は世界中で大ニュースになりましたが、もっと世界市民に衝撃を与えたのは、その翌日にも同じ地下鉄を使って通勤していく日本人の姿でした。「マジかよ?」「なんて命知らずな」って。普通あれだけのことがあったら会社は休業して従業員を自宅待機させるでしょうに、それでも出社を求めるなんて、どんだけブラックなんだよって感じ。また出社するにしても、何もよりにもよって同じ地下鉄を使うことはないだろう、何考えているんだ、日本人が安全・安心を大事にするなんて大嘘だろ、さすがサムライの子孫だとか、あれこれ無責任な推測が語られていたという。理解できないんですよね。

 でも同じ日本人なら理解できるんですよ。その場の雰囲気というか、覚悟ってほどのこともないけど、まあ危ないのは危ないんだろうけど、厳重警戒するから大丈夫でしょって感覚、そんなことよりも今の納期の方が大事、今月苦しいし、どうしても外せないアポがあるし、、って感覚。これは凄いよくわかる。だから「たかがサリンごときで」という感じになるのもわかる。わかるんだけど、これを世界の人に過不足無く、正確に伝えるのは、「こりゃ無理だわ」と思いましたね。つまり、「真実は伝えられない」「本当のことは、結局自分がその場に置かれないと分からない」ということです。

 だから、見ててワケが分からない方がより真実に近い。常にそうだとは言えないけど、意味が分からないからで捨てちゃうのは勿体無くて、そこには自分の知らなかったもっと本物の手触り・肌触りが潜んでいるんじゃないかって。

 大体、現場に行ったこともない、その立場に立ったこともない、その知識もないような自分が「分かる」なんてことは、基本ありえないんだって思うことにしてます。これは他人と接するときにも役に立ちます。しょせん男である僕には女性がどう感じるかなんか分かるわけがない。分かったような気になる時もあるし、わかろうと努力すべきではあるけど、寸分たがわず正確に理解することなんか絶対に不可能だろう。だからそこは「謙虚であれ」ってことですね。分かったような顔すんな、失礼だろって。自分が「分かった」と思った時点で、もうそれはどっかしら間違ってるんだろうと。

 情報源を散らしたり、寄り道情報を重視するのは、パターン化することを防ぐためです。いつも同じようなところから情報を得ていると、どうしても偏ってくるし、物の見方が固まってくるので好ましくない。

 「寄り道情報」というのは、探した情報のページにたまたま載っているぜーんぜん関係のない記事などに浮気することです。Googleなどでも自分でニュースキーワードを設定できたりして、それはそれで便利なんだけど、それまで興味のなかった分野に接する機会が減り、自分の脳味噌がタコツボ化する。それは恐い。それを避けるためには、「いかにそれまで興味のなかったことに触れるか」が大事だと思うので、出来るだけ「寄り道」をしようと。

情報チェック機構・サイト

ABC放送・Media Watch

 これは以前に何度か紹介していますが、オススメです。
 ABC放送というオーストラリアの国営放送でありながら、喧嘩腰で他のメディア、自身のABC放送にすら批判します。その批判が的確で、証拠事実を常にわかりやすく引用し、ユーモアがあって。

 過去回がほとんどダウンロードできるのですが、今、パラパラとみていてRubbish in, rubbish out Episode 35, 30 September 2013という放映がありました。

 内容は地球温暖化に関するものですが、地球温暖化が大嘘とか陰謀とかいう主張が世界中のネットで駆け回っているようで、あまりにも多いので「あれ?」と思ってしまいます。でもって、大嘘論の一つの柱になっている「メール流出事件」があって、地球温暖化のデーターを誤魔化そうとした陰謀の動かぬ証拠のように、まさに鬼の首でも取ったかのように騒がれていた事件をみてみました。英語版Wikiに、かなりボリュームは減るけど日本版Wikiにもあります。Wikiの記述を盲信するわけではないけど、僕の見たところ、これこそ「ためにする議論」であるように思います。実際、事態を重く見た各機関、公的機関も学術機関の多くもその過程を精査し、さらにもう一回データーを検証しなおしたところ結論に何の変化もなく、また偽造やらデーター操作やら不正な事実も見つかっていません。要するに些細なことに言いがかりをつけたスキャンダル事件のようなものです。

 ま、このあたりをどう判断するかどうかは個々人の世界観によるけど、僕の世界観によれば、これだけ多くの世界的な学者がせーので何かの陰謀に加担しているとするのは無理があり過ぎると思います。理由その1は、国際的にいえば学者の地位などのレベルは日本のそれよりも高く、またプライドも高く、言うならば人間的に我が強い人が多いだろうから、こんなに一律に動かすのは難しいだろう。また、日本とは比較にならないくらい身分移動の自由さなど流動性が高いこともあるでしょう。集団で何かを秘匿するようなときは、それなりに強力な威迫事情が背景にある場合が多い。日本の場合は家元制度的な身分環境がそうです。師匠に逆らったら干され、再就職もままならないという。でも世界的にはそんなのは少ない。特に西欧の学者はわりと自由に動いているから、この種の背景事情で動きを統制するのは難しいだろう。

 理由その2は、動機部分です。温暖化を主張してなんか得することがあるのか?というと特に思いつかないし、実際にもこれといったものは窺えない。世界中の学者の97%(数値については議論があるがいずれにせよマジョリティ)についたところで、だからどうってメリットもない。逆に反対論に与するのはメリットがあります。現時点で温暖化対策を取られては困るのは生産活動を活発に行なってる産業界であり、財界でしょう。資金力はあるから政治的ロビー活動や、資金力にものを言わせたプロパガンダもするでしょう。オーストラリアでも鉱山系の会社が大キャンペーンを張って炭素税に反対してましたし。一方学者や評論家からしたら、マイノリティになった方が目立つというメリットがあります。皆と同じことを言ってたら差別化が出来ない。マイノリティの論客になったほうが取り敢えず知名度も上るし、売れるかもしれない。いわゆる「御用」学者などになれば、それなりのご褒美もあるでしょう。これは常にそうだと言っているのではないです。判断の一要素としての「それを主張する背景動機」についての考察です。

 理由その3は、英語圏でネットだけ見てると(単なる偶然かもしれないけど)反対論の方が多い。ただその論法が、日本のネトウヨ的なものに近い。もちろん、反対説も優れた知見もあるのだし、優れた反対意見は全体の知的レベルを向上させるから大歓迎なんだけど、それだけの実質を備えているものが少ない(てかそうでないものが多すぎる)。ひとつは論理レベルの不整合で重箱の隅を突つくような話をしたかと思えば、巨大な陰謀論にワープしたりしたり、あまり段階的な論理構築ができていない。

 この種のデーター解析というのは、単なる一地方の公害事件であっても、あるいは一病院の一患者の医療過誤だとしても膨大なデーターがあります。小さな医療過誤ですらダンボール一箱くらい資料はあったし、公害事件になると引っ越しレベルのデーター量。ましてや世界レベルになると紙でいえば倉庫レベルのデーターがあり、それら数千数万オーダーのデーターの全てが100%綺麗に揃うなんてことはまずありえない。要は「大局的に何を示しているか」というざっくりした趨勢をいかに読み取るかです。そこでは当然矛盾するデーターも多々あるわけで、それをいちいちあげつらっていても、あんまり有益な議論にはならない。もしそれをしている人がいたとしたら、この種の現象・現実認識作業についてあまりご存知ないのではないか。またコピペ的に誰かがどっかで言った議論をそのまま焼きなおしているパターンが多い。さらには温暖化論者は社会主義者であるという、意味不明なレッテル貼りや決め付けも多く見られる。

 逆に賛成論は、「今更そんなレベルの議論をするのか」といううんざり感が多いし、議論するだけ時間の無駄と思っているフシがある。論拠も「ほとんど全てのデーター」で、詳しくは例えばご本家であるIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)のレポートをちゃんと読め、というのに留まるケースが多い。要するに「(反対論は)まともに相手にされていない」「天動説的な扱われ方」って気がします。でもって、The Summary for Policymakers of the Working Group I contribution to the IPCC Fifth Assessment Report という、最新ホヤホヤのレポートをダウンロードして読んでみても、”Warming of the climate system is unequivocal(明瞭な)"ということで、以前と変わりがない。

 僕個人としてはどっちゃでもいいいんですけど、温暖化しようがしまいが、人類エネルギー使いすぎって意見には賛成です。 もっとシンプルに生きる方が好みには合ってます。ま、これは単なる趣味だからどうでもよいですけど、どっちゃでもいい人間が「ふうん」と見る限りにおいては、温暖化通説の方に分があるように思います。結局理由その3が大きいですね。どんな学説や論点でも、普通、少数説って大勢に逆らって言うだけあって、よく練られていたり鋭かったり、要するに知的に優越しているケースが多いのだけど、ことこの問題に関しては、そういう説得的な要素があまりにも少ない。

 で、問題は、温暖化ではなく、温暖化に関するメディア検証の話でした。

 Rubbish in, rubbish out Episode 35, 30 September 2013 では、この温暖化についての反対論の無理筋ぶりを指摘しています。


 右に番組を埋め込みしておきますが、上のリンクにいけば放映内容の英文スクリプトは全部ありますから、ヒアリングの練習にもなります。要旨は、このエッセイでも何度か紹介しているアラン・ジョーンズというレイシスト&ポピュリスト親父とその熱烈な信者がおって、Essay 588: 錯覚マッチョで紹介したように、ほとんど社会的に葬られているはずで、日本のみものんた的な状況で、まだ生きておったかって感じですね。もう賞味期限も切れて愛想付かしされているからポピュリストでもなく、カルト化してます。

 ただ、その後継者のようなAndrew Boltという評論家が出てきます。彼も「なんだかなあ」って感じで、これもどこの国にもいるんですよね、こういう人。ここでも前後の文脈を無視した換骨奪胎がなされています。4分30秒あたりですが、ここではデビット氏がオーストラリアに招かれ、温暖化に懐疑的な人々から多くの質問を受け付けているのですが、そのなかで「過去15年で温暖化が緩和したり止まっている」という主張を投げかけられ、「(そんな話聞いたこと無いけど)、その情報(温暖化ストップ)ってどこで聞いたのですか?」と答えている部分を捉えて、「彼は全く何も知らないということを自ら表したのだ(revealed as a complete know-nothing)」と要約されているという。その論拠にボルト氏は自分のブログにデーターグラフを出しているのだけど、このグラフ自体どこから引っ張ってきたの?という疑問がある。なぜなら、念の為に、引用されているGISSデータをチェックしに本家のGISS Surface Temperature Analysisに行ったみたけど、そこには数々のグラフがダーッと並んでいるし、大体どれもちゃんと上がってるじゃん。

 ほんと、この種の構造は世界でも日本でも似通っていてるんだなあって感じます。大体このテの無理&強引話を意図的にあるいはセンセーショナルに書き立てるメディア大王みたいな奴がおって、政財界とつながっておって、それに雇われているかのような評論家や学者がおって、そこにレッドネック(粗野な人種差別主義的な)おっさんやネトウヨ的なボクちゃんが乗っかっる。事実もデーターもバランス感覚も無視して「耳に快い大嘘」を声高に唱え、たまにデーターや事実が出てきたらこれも全体の構造を無視した抜き取りで「なんとなくそれっぽい」ものであれば足り、じっくり知的に検証している風でもなく、単なる「もっともらしい飾り」としてデコレートしているだけなんじゃないか(だからコピペが多い)という。オーストラリアや西欧圏ではルパート・マードック率いるニュースコープがそれで、日本では(スケールは格段に島国レベルに落ちるけど)ナベツネのフジ・サンケイがそうで、、、という。

 この番組でもホスト役のPaul Barry(著名なジャーナリスト)人は「やれやれ」って感じ、真剣にそれほど反論してないです。まあ、実際アラン・ジョーンズは、温暖化問題にもあまりにも事実の歪曲がひどすぎるので、メディア管理の当局(Australian Communications and Media Authority)から「事実に関しては"extra careful"であるように」と行政指導すら受けているくらいですから(でも全然守る気もないようだが)。ゆえに「ときどきパラレルワールドに迷いこんでしまったかのようだ」「彼を排除したら、我々も仕事がなくなっちゃうかもしれませんね」というコメントで終わっているという。


 ほかにも色々(数十本)ありますから、英語とメディアの勉強かたがたどうぞ。ACA plays the sick trick(Episode 37, 14 October 2013)もヒドイ話で、「(ずる休みの)病欠のために簡単に診断書を書いて儲けているトンデモ医師がいる」というスクープ番組で、レポーターが隠しカメラをもって患者を装って実情をレポートするという9チャンネルのカレント・アフェアを取り上げています。

 ここでは、顔をぼやかして放映された当の医師が「それは私だ!」名乗り出てきて、"I cannot tell you how pissed off I am."とお怒りです。 なぜかというと、くだんのリポーターは、「いやあ、ズル休みしたいので診断書書いてくださいよ」と言ったのではなく、職場のボスに辛く当たられて職場に行きたくないと、背を丸めてほとんど泣き出さんばかりであり、「ああ、これはヤバイな」と思って、気を楽にするためにジョークを言ったのだが、そのジョーク部分だけが放映され、いかにも虚偽の診断書を気楽に作っているかのように放映された。

 ”I personally have attended to a number of Suicide cases......Men in their thirties ... and then having to explain this to their wife and 4 and 6 yr old ... it’s hard !!!!!! Often a male this age is dragged in by their girlfriend who is really concerned about them and we only see the tip of the iceberg so any male stressed and bullied I take very seriously.「私(医師)はこれまで幾度も自殺してしまったケース、特に30代の男性のケースに立ち会っていますし、それをまた奥さんや4歳や6歳の子供に説明しなきゃいけない、、めっちゃくちゃハードな作業なんですよ!!この年代の男性は、彼のことを真剣に心配しているガールフレンドに引きずられるようにして診察を受けることもあります。それでも私達はまだ氷山の一角しか見えてないんです。職場でいじめられているとかストレスがあるとか訴えるこの年代の男性がきたら、それはシリアスに受け止めてやってるんです」

 「それをこんな嘘八百のニュースプログラムに仕立てやがって」ということで、彼はとってもpissed off(怒り狂っている)なわけだと。もっともこの医師が嘘をついている可能性もあるのだけど、それは一部始終を隠しカメラで撮っていたのだから当該番組から提供してもらえれば簡単に検証可能です。だから番組に提供するように申し入れたけど、拒否られ、さらに親会社に申し入れたけど、これも拒否。でもって、過去にも2001年に同社の同番組は似たようなことをやって、その虚偽がバレて、フリーランスのレポーターは裁判所で罰金刑を受けている。にも関わらず、またやるか?という。なお、番組にはパート2もあってACA plays the sick trick pt 2、他のドクターも名乗りでています。

 しかし、こんなこと(メディア検証)ばっかりやってるので、このMedia Watchという番組は、マードック系あたりから目の敵にされていて、ブログや掲示板などにネガキャンされてたりします。

 他にもこの種のメディア検証系のサイトは沢山あります。
 主としてアメリカ系が多いですけど、FactCheck(わりと評判が良いらしいけど、話題がアメリカに偏っているのでよくわからんかった)、あるいはFairAlterNetMEDIAWATCHIndepedent Media Centerなどなど、沢山あるようです。

 日本でも、Media Watch Japanメディアウォッチ100などが見つかりましたが、いずれも有料購読なのですね。うーん、やっぱ有料でないと厳しいのかなあ。てか、どうして無料でやっていけるところがあるの?といえば、寄付やカンパが強いんでしょう。また、オーストラリアのABCでメディアウォッチやってるんだったら、日本のNHKでもやればいいのにって思ったりするけど、これがもうNHKの体質を考えれば愚問というか、そういう発想(他局どころか自分の局ですら痛烈に批判できるような番組の存在)自体を思いつかないってところがむしろ問題なのかも。

ロボット兵器の気持ち悪さ

 ここで話はポンと飛びます。
 此処から先は、基本的に「寄り道情報」で、あれこれ探しているうちに「へえ、そうなんだ」と思ったものを挙げておきますね。


 無人攻撃機やロボット兵器が最近言われるようになってきてますが、なかなか時代は進んでいるようです。

7 robots that will keep you awake at night
Take an interactive look at the future of warfare, from robosoldiers through to mechanised men
New Star Wars-like robotic war machine
 ↑上に各種のロボットが簡単に紹介されています。特に最初のやつは見るのも簡単なのでオススメです。

 この種の無人兵器についての国際議論も出てきて、
 UN mulls ethics of 'killer robots'(30 May 2013・BBC)
 ここに注目! 「"ロボット兵器"を規制できるか」(2013年11月14日 NHK解説委員室)
 などでも簡単に解説されています。


 でもここで紹介したいのは、ロボット兵器の薄気味悪さです。

 BigDog Overview (Updated March 2010)に、その性能が誇らしげに映しだされている戦闘ロボなんですけど、見た印象はとにかく「気持ち悪い!」。

 急峻な坂でも登攀可能、横から蹴飛ばされてもコケない、雪道でも、凍結した路面でも、ぬかるみでも、そして瓦礫の山も乗り越えられる抜群のバランス力!って一種のプロモビデオけど、でも、不気味。

 特に最後の方(2分26秒あたり)に走るシーンがあるのですが、演劇の舞台の馬の役の黒子さんの黒い足だけ出ているのとそっくりで、そのリアルさがまた気持ち悪かったりして。あと、エンジン音も耳障りです、


 なんか「キモい」しか言ってないみたいだけど、「そうか、ロボット兵器は気持ち悪いのかあ」というのは、僕にとっては新たな発見でした。いや、戦争になって、こんなのが家の周囲をうろついていたり、林を逃げている自分を追いかけてきたら発狂しそうです。SFのB級映画みたい。

 今日びの戦争はこんな感じになっていくのね、ってことで、あんまり感じよくないですねえ。まあ戦争そのものが感じ良くないのですけど。そういえば、未来の戦争について書かれたSF小説で、戦場には人っこ一人おらず、広大なエリアをただただ双方のロボット兵器がお互いに殺し合い(壊し合い)をしていて、段々人類がやることもなくなっていって、そのうち当事国でも飽きてきて、しまいには戦争をしていることを忘れてしまう。でも、ロボット同士、淡々と壊し合いを続けているという内容でした。

"The Track" 女性一人旅〜しかもアウトバックの駱駝の旅


 Tracks: A Woman's Solo Trek Across 1,700 Miles of Australian Outback

 これもたまたま見つけたものです。
 アリス・スプリングス(エアーズロックの近く)からインド洋までアウトバックと呼ばれる内陸の砂漠/荒野を、 Robyn Davidsonという女性が、たった一人で(withペットの犬一匹とラクダ4頭)延々9ヶ月歩き続けるというお話です。

 当人が出てきますが、実は30年前の話(26歳のとき)で、この種のお話の古典になっているそうです。この度、eBook化され、ビデオ化されることにもなったので、そのプロモビデオとしてYouTubeにあがっていたものです。アマゾンに古典となった本が売っており、こちらにあれこれ解説があります。

 1980年代初頭、「自分探しの旅」とか、今でいうワーホリとかラウンドとかの原型になるような試みで、エベレスト登頂のように「冒険」をするのが目的なのではなく、もっと内面的な動機と内省によるものです。「とにかく一人にならないと、それも砂漠のなかで一人ぼっちにならないといけないような気がした」という、何でこんなクレイジーなことをやってるの?といっても自分でも分からない、でもやらねばならないような気するという。

 資金がないので(所持金6ドルでスタートしたとか)、National Geographicをスポンサーにつけて、だからこそ写真も残っているのですが、内容は極めて哲学的なもの。読んでないのでなんとも言えないのですが、書評などを見ると、やはり文章が良く、そして内容がいいんでしょうね。そういう気違いじみたことでもしないと自分を奪回できないような気がしたということ、またその道中の半端ないしんどさと、24時間絶えず行われ続ける自己省察。最後の方に、都会生活に戻ってきたとき、「本当の意味では未だ戻ってきないのかもしれない、おそらくは永遠に」(2分13秒)、「安全と自由との絶えざる緊張関係(tention between being safe and being free)」「安全であるためにいかに自由を自ら犠牲にしなければならないか」「しかし、ときとしてそれらを解放させてやらないとならない、恐怖によって人生を縛られないようにするためにも」などの言葉が印象的です。これらの言葉は、意味不明な人にはイミフなままでしょうが、こちらにワーホリ、ラウンドしてきた人には直感的に何を言っているのか分かるんじゃないかな。

 なお、英語起こしのキャプションもありますが、でも、これちょこちょこ間違ってます(^^)。聞けばわかると思うけど。

 

自作ガイガーカウンターキット



 これもたまたま見つけたもので、もともとはVICEという動画チャンネルサイトをみつけ、日本のものを検索していて出くわしたものです。VICEのホームページ上での取材記事が世界1200万箇所の放射線量を収集&公開する真実の貯蔵庫「セーフキャスト」(日本語訳つき版)にあります。

 SafecastというNPO団体(Safecast(日本語版))のボナーさんは、原発事故発生後にデーターが全然ないことに愕然とし、「じゃあ自分らで作ってしまえばいい」ということで短期間に作ってしまい、事故1週間後にはもう測定に入っている。特に印象深かったのは、”Because Safecast is a very lean, scrappy, punk-rock organization to some extent, we were able to move really fast and just get things done,” (「Safecastが寄せ集めのパンクロックな集団であったがために、迅速に行動して成果を出すことができた」)という下りです。そして「彼らはすぐに独自のオープンソースハードウェアとソフトウェアのプラットフォームの開発に乗り出した。GPS装置を搭載し、車や自転車リュックサックに装着可能で、5秒毎に数値を測るカウンターをデザインしたのだ。ソフトウェアの面ではカウンターによって集められたデータをsafecast.orgを通してアップロードでき、マップ上で誰もが見られるデータとして公開するプラットフォームを作った。またSafecastのiOSアプリ経由で、1200万箇所を越えるデータを基に、現在地の放射線量を知ることもできる(紹介記事の原文)」。

 とにかくやることが早いのですね。GPSと連動させ、世界中で測定し、UPLOAD→マッピングし、それを世界中で見れるようなシステムに組み上げる。ある程度原型ができたら次々に改良版を出し、誰にでも組み立てられるような自作キット形式にし、組み立てワークショップ(このビデオの主たる内容)も主催する。データーポイントは1200万箇所、日本政府は3万箇所だから、政府の400倍のデーターをイチNPOが持っていて世界公開している。それは「大企業は政府はスピーディーには動けない。我々は許可も手続も省きすぐに動ける」からだと。

 これを見て思ったことが2つ。
 一つは、僕らが学校その他で習ってきた知識は技術というのは、こういう具合に使えばいいんだという点。世界が豊かになり、進学率が高まり、情報が浸透していくなかで、民間レベルでも一私人レベルでも、相当な技術と知識の蓄積があるのであって、それらをどんどん積極的に使っていけば良いということです。

 もう一つは、これも常々言ってることですが、「国、いらないじゃん」ってことです。いや短兵急に結論付けるつもりはないし、完全否定するつもりは毛頭ないけど、でも、国とかお上とかを通さなくても、無知無学だった昔と違って、今は一般市民だけでもその気になったら相当なことが実は出来るんじゃないかってことです。少なくともやってもらうのを「待っている」のは、現在から未来にかけては、あまり賢い姿勢ではないんじゃないか、もっと自分らの潜在パワーを知ってもいいじゃないかと。そして、そのためにガッコで勉強するんじゃないの?と。


2011年アテネのゼネラルストライキ

Teenage Riots in Athens (Part 1/3)
 これも上と同じVICEビデオで(こちらの方を先に見つけたのですが)、2011年のゼネラルストライキ、というか暴動、内戦、革命前夜みたいな現場映像です。

右の動画サムネイル画像はやたら過激ですが、こんなシーンあったかな?というくらいで、実際にはもっと「普通」です。

 ところで、この種のニュースってすぐに「分かった気」になりがちでしょう?僕もそうです。経済がヤバイです、国民にしわ寄せがいきました、怒りました、暴動になりましたっていうと、まあ国際的には「よくある話」で、「ああ、はいはい」って感じで処理しがちです。

 でもさ、自分自身ではこの種の暴動に参加したことも、立ち会ったこともないわけですよ。荒れる債権者集会やら破綻した工場の従業員の集まりやらマンション建築の住民集会とか、その種のまだ「平和的」なものはそこそこ実体験はあるけど、本格的な暴動の経験はない。いわば暴動童貞で、それでなんで「分かった気」になんかなれるんだよ?って。もっとも、安全なところからビデオ見てたって分かる筈なんかないんだけど、それでも少しは視野が広がるかなと。

 でも実際にみたら幾つか「へえ、そうなんか」という発見もありました。
 総じて皆の口調が冷静。そしてこれは偶然なのかもしれないけど、年齢層が下がるほどクール。ってやってることはアナキスト的で過激なんだけど、なんていうのかな、「静かな悲しみと諦観」みたいなものがうかがえる。「まあ、こんなことしたってしょうがないんだけどさ」みたいな。大学にはいったばかりの男の子の、まだ少年のようなあどけなさを残した彼の、なんとはなしの悲しい感じとか、マスクをしながらインタビューに答える学生アナキストたちの、目しか見えてないけどそれでも意外とイケメン君の口調。「ガスマスクには2つあって、こっちは使えないんだよ」「もう警官になるくらいしか就職先はないんだよ」「でも、警官になった連中を責める気はないよ、堅実な収入はやっぱり魅力だからね」「ポリスのガスは皮膚から骨に浸透するんだ、整形手術がいるんだ。僕の友だちもほとんど脚を失った」「明日は多分誰か死ぬだろうね」と。どっちかというと中高年層の方が燃えていて、共産党の街宣車みたいなおっちゃんとかノリノリで嬉しそうだし、路上を石を拾って投げているお爺ちゃんとか真剣に怒ってるのが伝わってくるし。

 また、ストライキ参加者もいくつかの陣営があって、共産党系があり、学生系があり、労働組合系があり、アナキスト系がありと、それぞれに違う。そして、二日目になって共産党とアナキストが前線で互いに対立して、共産党系が警察と共闘するという不思議に倒錯した状況にもなる。

 実際の現場の雰囲気は、意外と緩慢で、前線では「絵になる」小競り合いとか、投石とか、取っ組み合いとかあるんだけど、数十万人おって国会議事堂前広場だけがスペースだったら、実際にドンパチやっているのはほんの一部に過ぎないでしょう。大多数は後ろのほうで気勢をあげている。でもって、こういう表現は不謹慎なんだろうけど、何やら祭典的に楽しげすらある。ホットドッグらしきものの出店や、水を売ってる若者がいたり。

 あと、YouTubeに世界中から1600件弱のコメントが付されていて、全部見るのは不可能だけど、「遠いどっかの国の話」ってスタンスもあるんだけど、「明日は我が身」というか、抱えている問題は自分らと同じという親近性が感じられる投稿が多い。だからギリシャは一種の象徴というか、先行実験というか、このまま資本主義が進んでいくと世界はどうなっちゃうの?という、ちょい近未来の自分たちみたいな関心があるんじゃないかな。僕にもあるけど。

 大雑把に2つにわけると、秩序維持派と自由改革派があるようで、ま、これはどんな時代のどんな社会もそうんだろうけど、これはある種の力学的なメカニズムみたいなものがあるのではないかな。辛抱強く順番を待っていればイイコト(食糧を貰えるとか)があると思っているうちは、秤は秩序ベクトルに傾き、それが段々待ってることが虚しくなって、シビレを切らしてくる人から反対ベクトルに移動する。だんだんと待っていてもダメなんじゃないかって意識が強くなればなるほど、中心点は移動していく。同じ人間でも状況や認識によって違うのでしょう。架線事故で電車が来ない。ホームは人だらけ。「いましらばくお待ちください」とアナウンスされるだけで全然復旧する見込みが無い。「こら、あかん」で駅を出てタクシーなど他の手段を使う人がちらほら出てくる。膠着状態が長引けば長引くほどそういう人が増えてくる。

 しかし、一律スムースにそういう変化が起きるわけではなく、これも趣味的なフリルがつきますよね。秩序派にフリルがつくと極右でナチ的なファンシーが付着し、その逆には極左革命的なフリルがつく。ま、ヒトラーが好きか、チェ・ゲバラが好きかという個人的な趣味なんだろうけど。ただこの趣味性が事態をややこしくしたり、より混沌を招いたりもするんだろうなあって思った。



 右はVICEの2014トレーラーです。

 ギリシャどころか世界はもっとワイルドで、これも不謹慎な言い方なんだろうけど、映像がカッコいいです。

 ただ、視点がちょい違ってて面白い。
 例えば、はじまってすぐの16秒目あたりのグラサンのお兄さんは何を言ってるかというと、「僕らはイラクで唯一のヘビーメタルバンドなんだよ」って。そうかイラクにもヘビメタがあるのか、イスラムなのに、でもそりゃあるよな、って。ま、それだけの話なんだけど、視点が違うなって。

 しかし、こうしてみると、まだまだ全然知らんことだらけですね。

 ちなみにVice Japanもあるんだけど、アート系をメインに多少興味深いコンテンツがあるくらいで、ワールドワイドのコンテンツの方が格段に面白いです。

映画"The Nines"のテーマ曲と素敵なイラスト


 殺伐としてきたので、最後に癒やしを。


 Alex Wurman - You're My Favorite という曲は、映画の"The Nines"のテーマ曲に使われています。

この映画は、なんか日本では劇場未公開のDVDスルーらしいけど、僕は好きですね、雰囲気が。この映画はサスペンス仕立てみたいになってるけど、意味を考えたらダメで、「結局なんだかわからない」のだけど、その分からなさを楽しむというか、分からないけど、すごいことが分かってしまったかのような気がするような、そのボヤやんとした感じがいいです。意味がわからないのが嫌いな人には勧めないけど。

 それよりも音楽が気に入って、Alex Wurmanって人の作品なんだけど、最後に流れる"You're my faborite"というこの曲が秀逸。特にサビもオチもないピアノのフレーズで、イントロだけで終わってしまうような起承転結の無さ(一応あるけど)がいい。鳴ってるだけで、すっと「入ってこられて」「持っていかれる」感があって、それが好きです。

 この曲に、見惚れてしまうようなようなイラストを誰かがくっつけている映像です。これ誰が描いたのかな。"Space Tree Wallpaper"で検索すると分かるよとか書かれているのだけど、わからなくて、でも、iPhone5のwallpaperにはなっているようです。

 曲想と絵が合っていて、オーストラリア(でなくても良いのだが)のド田舎を旅行した時の空間感・時間感が甦ってきます。「結局ココからやって来て、ココに還っていくんだろ」っていうところに連れて行かれる。冒頭で述べた超大事な「自分って何?」という "Who am I?" よりも根源的な "What am I" 的なところ。


文責:田村



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