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今週の一枚(2013/10/21)



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Essay 641:タックス・タイムの近況雑感

〜魚拓的な自己実現と数字処理
 写真は、帰ってきましたシドニー!って感じのMarrickville。
 左からタイ料理屋さん、次に中国の漢方薬と鍼灸の店、次に名前からしてベトナム系の肉屋さん、そしてレバノン系のパン屋さん。多国籍なんだけど多国籍と感じさせないくらい古い町並みにしっくり融け合っている。
 それに加えて影クッキリの西陽。目を開けていられないくらい強烈な陽射しを浴びると、「おし、帰ってきた」ってほっとします。



 10回続いた日本帰省シリーズも、前回で一応打ち止め。わずか10日ちょいの滞在で10週も引っ張ってしまった。
 さて、今週は、大したテーマ性もなく、また罪もない近況風景を軽〜く。

タックスタイム!

 実を言うと、確定申告に追われています。こちらでは"Tax Return"と言われているのですが、毎年10月末が締め切り。毎年この時期になると憂鬱です。

 毎年、この時期になると同じ愚痴をこぼしているような気がしますが、まあ、そこまで深く読み込んでる人もいないでしょうし、読んでいたとしても忘れているでしょうから(書いてる本人でもよく覚えていない)、平気でまた書きます。

 オーストラリアに移住するまで、国民全員が確定申告をしなければならないということを知りませんでした。投票率がほぼ100%だというのは最初に行く前に知ってたし、そもそもそれがオーストラリアを選んだ数ある理由の一つでしたが、まさかこんなに税務処理で苦しめられるとは思いませんでした。

 「ほぼ全員」と言いましたけど、年収が一定以下の場合など例外事由も多いので、正確には「ほぼ」をつけたところで「全員」とは言いがたいです。でも、人並みに生計を立てられるくらいに稼いでいたら、やっぱりほぼ全員に近い。特に、僕らのような自営業者で、ABNという営業ナンバーを取っていて、消費税(GST)の課税&納付義務のあるビジネス系は、仮に納税額がゼロであっても、収支報告をしなければなりません。

 でもって、これが面倒臭いんだわ〜。
 最初にやり始めたときは発狂しそうでした。どのくらい大変だったかというと、司法試験をやり始めた頃の感じに似てる。あるいは、こちらにきて全くの初心者でありながら、英語の解説書だけでパソコンをやり始めた頃にも似てます。

 いきなり余談ですが、まあ、今回は全部が余談みたいなものなので気にしないで書きますが、最初のパソコンのときも発狂しそうでしたね〜。当時はインターネット黎明期でほとんど参考になるサイトもないし、英語力も大したことないし、しかも最初からスペック指定の組み立てPCでしたから、トータルの解説書すらない。またわかりもしないのに適当に動かすからすぐにダメになって、ゼロからインストールやりなおして、しまいにはMS−DOSコマンドまで調べて、真黒な(青かったかな)画面に「論理MS-DOSを〇〇しますか?」と聞かれて、「なに、それ?」と心底途方にくれて、それが何日も続いて、、って感じ。順列組み合わせで手当たり次第にやって、Windows95でフロッピー20枚2時間がかりで読み込ませて、「あ、畜生、駄目じゃん」でまたゼロからやり直し、、ってのを来る日も来る日も続けるという。日本にいる友人が見かねて日本語のPC参考書を送るなど「陣中見舞」をしてくれて、非常に助かりました。まあ、おかげでパソコンも大分覚えましたけど。でもって、そこまで来てしまえばあとは勢いでHTMLを覚えて、ホームページ作って、、、って1996年の話です。

 で、何の話かというと税務申告でした。これも最初やったときに死ぬかと思いました。その昔は、ニュースエージェントに山と積まれている「タックス・パック」という週刊誌みたいな本をもらってきて、それを見ながら自分でやるのですが、これが大変。当たり前ですが全部英語、しかも全〜部、税務英語。インカムくらいなら「収入」という一般用語で分かるのですが、「タクサブル・インカム」になると「え?」とか思う。なんのことはない「課税所得」なんですけど、日本語ですら「所得」と「課税所得」の違いを正確に言えといわれたら「う、、?」となるレベルですから。これが、デプレシエイション=減価償却とかになるとさらに厳しい。「聞いたことあるよな」「なんだっけ?」の世界です。

Chatswoodのショッピングセンターに出ていたブース
 こっちの人は税理士(アカウンタント)に依頼してやるのが普通で、税理士さんでも牛丼みたいに早い、安い系のものもあります。ショッピングセンターで屋台のように出店を出しているところもあります。でも、それって計算が簡単な給与所得者の場合でしょう。給与所得者は簡単なんですよ。最初から源泉徴収(PAYG, Pay As You Go)でちょっと多めに引かれてて、申告すると払い戻しが受けられる、だからタックス「リターン」で、やると儲かるから「ほぼ全員」がやるという。

 給与所得くらいだったら、源泉徴収票とか給与明細(Pay Slip)とかを並べて電卓叩いて、あと基礎控除とか、経費控除とかやればいいだけですから、そんなに難しくないと思います。ま、やったことないので分からんけど、多分自営よりは簡単だと思う。ワーホリさんのファームなどのバイト料も同じく簡単でしょう。居住者か非居住者のところで気をつけるくらいで。

 ところが自営業者、それも販売とかではなく僕のようにコンサルティングとかコミッションビジネスと、それに加えて自宅に人を何泊も泊めて、あれこれ教えて、メシ作ってあげたり一泊幾らもらって、、、とかいうカジュアルな融合形態だとめちゃ難しい。SOHOビジネス(=small office home office)という自宅営業でやってると、どこまでが仕事の経費で、どこからがプライベートな支出なのかわからない。だから年間全ての費用を全部計上して、いちいちパーセンテージで割っていかないとならない。まずこれが超々面倒くさい。コールズで買い物をしても、この部分が皆の居住部分のトイレットペーパーだから、これが皆の部屋の電球で、洗剤の何%が個人使用で、、、とかね。完全に事務だけだったら、フロア面積比率で大雑把に分ければいいけど、そうもいかない。しかも、宿代(レント)はGST(消費税)除外品目だから、宿に関する部分はGST的に別勘定にしなければならない。だから経費も別勘定で、、、とかやってると脳髄が水素爆発します。

 それでも毎年毎年エクセルを使って精錬させていって、、、エクセルなんか殆ど使ったこと無かったけど必要に迫られて別文書からハイパーリンク貼って、計算式を自分で作って読み込ませて、、とワザを覚えて作りこんできました。大分オートマティックに出来るように構築したんだけど、それでも1年たったら忘れてて、「あれ?なんでこんな計算になるんだ?」と将棋の長考のように考えて、「ああ、そかそか!」と思い出したりして、なかなか大変です。

 ところが今年から、ビジネス系は"E-TAX"というオンライン申請にしろというお上のお達しが。
 ATO(税務署)のサイトにいってソフトをダウンロード&インストールしてってやらねばならなくなりました。

 ま、それは良いのだけど、これがまた出来が良いんだか悪いんだかってソフトなんですね。まあ、クリックしたらヘルプのところにリンクしてるから、それは便利です。これまでのような「えーと」とか解説本をパラパラめくるという手間からは開放されたのでそれは良い。銀行金利収入など、許可をすれば勝手に拾ってきて入力してくれるから楽。間違えると先に進めなくなるので、それもチェック機能になるけど、なにがどう間違ってるのかが良くわからないのが難点。また印刷しようとするとなぜかFAXになってしまうというバグ(だと思う)もあったり。

 最大に問題になるのが、僕のようにパターン化しにくいビジネス形態を強引に一つのパターンに当てはめようとするから、どうしても無理が出てきて、どこにどう入力していいのかわからんというケースです。まあ、良し悪しですね。

 それに加えて、今年からやたら税法が変わって(まあ、毎年コロコロ変わるが)、なぜか配偶者控除が1952年以前に生まれた場合に限定されるわ、減価償却の単年度即償却のボーダーが1000ドルからいきなり6500ドルにあがるわ、去年までの毎年逓減させていった償却分で6500ドル以下の場合は、単年度償却あるいは従来通り逓減できるとか書いていながら単年度償却されてしまう仕組みになってたりとか、「え?なんで!?」と、ついさっきまでブチ切れそうになってました(その気分転換にこの駄文を書いてます)。

やるっきゃないことは、やるっきゃないのだ

 しかし、こんな難しいこと、よく国民(ほぼ)全員にやらせるよなあって思います。しかもこれまで税金なんか払ったことがないような人だっているであろう200民族の多民族社会で。

 相当な冒険的行政だって気もするけど、でも、それやっちゃうところが凄いとは思う。実際、各国語の通訳を揃えて対応してるし。マルチカルチャリズムや移民国家って一口にいうけど、これを実際に動かすには、ほんと30年くらいかけて地道な行政&民間努力を積み上げないとならないってことが、こちらにいるとよくわかります。途方もなく膨大な作業量がいる。

 日本でも移民を入れようなど賛否両論あるようですが、しかし、急造でやったって間に合わないでしょう。一世代くらいかかるんじゃないかな。だからやめようではなく、やるんだったら早くやれ、です。いよいよ二進も三進もいかなくなってからでは遅い。もっとも、そもそもそんなに人が来てくれるのかしら?って根源的な疑問もあるんだが。

 思うに、こちらの社会のメンタリティには、どっかしら「やるしかないことは、やるしかないのだ」って腹括りがあるような気がする。投票率100%に近い義務投票制度も、ほぼ全員の確定申告制度も、自由意思に任せた方が行政も国民もよっぽど楽なんだけど、でもそうしない。それでは民主主義の理念が骨抜きになる恐れがある。投票が任意になれば棄権票や無関心層が増え、一部の組織票によって事柄が決まっていくおそれがある。源泉徴収だけで確定申告をしなくても良いのは便利だけど、国民のほぼ全員が、自分が去年幾ら税金を払ったかをキツい痛みとともに知るからこそ、政治への監視の目はシビアになる。日本でも「税金の無駄遣い」とか批判はあるけど、それを言ってる人のどのくらいが去年の自分がいくら税金で払ったのか知っているのだろうか。やっぱりリアルに額を知っている(それだけあったら○○が買えたのに!畜生!って思いがある)のと知らないで抽象的に「無駄」とかいうのでは全然違う。英語でも「税金を使って」というときに、単に"tax"というのではなく、わざわざ長ったらしく"taxpayer's money(納税者のお金)"というのもその現れでしょう。

 民主主義というのは、美しく書いて掛け軸に飾っていても意味がない。あれはナマモノだからすぐ腐る。怒りと戦いによって毎日毎日勝ち取らねばならない。それはもう一種の「日課」ですらあるのでしょう。「権利のための闘争」という西欧流の思想的バックボーンのあってのことでしょうが、民主主義が腐ってしまっては元も子もないという意識が強いのでしょう。だから「やるしかない」ってことだと思います。

 そこでは、「無理だ」「難しい」とかいうのは諦める理由にならない。よく「もっと現実的になれ」とか言うけど、「現実的」というのは、「しんどいこと、面倒なことはやめよう」ということではない。やった方が良いことは、やっぱりやった方が良いのだ。それが物理的に可能であるなら、そしてそれだけの価値があるなら、断固やるべきであって、「やらない」という選択肢は最初から存在しない。
 

数字ってなに?ビジネスってなに?

 話は変わって、税務処理をやってて思うのは、「数字ってなんなんだろうね」ということです。
 この電球の仕事割合が幾らで、個人使用割合が幾ら、、とかチマチマやってると、こんなことに意味があるんか?という気がしてきます。まあ、記帳や納税という意味はあるんだろうけど、そんなになんでも数字で割り切れるわけがないだろうって思うし、さらに一歩進んで、どうも自分は数字で割り切れないもの、カッチリとしたパターンにはまらなくて、ゆるゆるとカジュアルに、気分一発でやるのが好きなのだろうと思います。

 例えば、シェア探し頑張っている人に、メシちゃんと食いなよってことで、朝方オニギリとか握ってあげたりするけど、これって「ビジネス」なのかどうか。自分でもよくわかっていない。宿代とか餞別替りに少しだけオマケしてあげたりするけど、あれは経理上はディスカウントで損金処理するべきなのか?これって金額の問題ではなく、「気は心」であり、額に意味があるのではない。そんなのいちいち計上しないけど、「計上したくない」って思いもまた強い。もっといえば「数字なんぞに表現されてたまるか」みたいな気分もあります。

 もっともっと言えば「ビジネスって何なんだろうね?」であり、究極的には「この世にビジネスなんてあるの?」です。

 そこにあるのは人間の行為であり、行動であり、営為である。カッコよくいえば「表現活動」があるだけじゃないかって。ビジネス=商業活動=金儲けというのが等式で結ばれたりするのだけど、まあ、それは間違っていないのだろうけど、でもそれだけなの?という思いはあります。

 例えばアート。プロのミュージシャンが作曲したり演奏するのは、あれはビジネスとしてやっているのか?金が儲かるからやっているのか?もちろん彼/彼女がプロである以上、そういう側面は絶対にあるでしょう。なければプロではないし、その意識あってこそのプロでしょう。だけどそれだけではない。まずもって自分の表現活動でしょう。仮に本意に反して、売れセンのものを作ったとしても、それで売れて巨額の印税が転がり込んだとしても、お金が儲かったこともうれしいだろうけど、それ以上に自分の作品が多くの人々に支持されたということ、自分の「表現が届いた」ことに大きな満足感を得るでしょう。

 アート系は特別だって?ノンノン。そんなことはないと思うぞ。
 自分の夢だったお店を持った人、それは花屋さんでも、パン屋さんでも、飲み屋さんでも、印刷業でもなんでもいいですけど、お金だけではやっていない。そりゃ儲からなければ破産だから必死こいて金儲けに励むだろうけど、本質的に満足感を得るのは、自分の思惑、理想、価値観が世間に届いたかどうかでしょう。届いたからこそ売れるし、喜んでもらえるし、お金も入る。ここでお金と表現とはピッタリ歩調を合わせるから、一見同じように見えがちだけど、実体は別でしょう。

 それは普通のサラリーマンでも公務員でも同じことです。サラリーマンという職業はなく、あるのは印刷会社の営業職だったり、旅行会社の企画部だったり個別具体的に存在する。営業職だったら、やっぱり顧客の期待に応えたいだろうし、「あんたに任せてよかった、ようやってくれた」と言われた時に満足感を抱くでしょう。そこで、「客なんか所詮カモなんだから、金さえ吐き出させたらあとは用はねえんだ」みたいな営業方針でやらされたら、気持ちも荒むと思います。「それが現実じゃ」と言われたら、そうなんかなとも思うけど、でも、それっきゃないなら詰まらないなと思うのでしょう。

 だからお金儲けや、ビジネス的価値だけ100%純粋に貫いて、それ以外の価値(やりがいとか、社会貢献とか)を全く認めないってことはないと思うのですよ。一生使い切れないお金を貯めつつも、尚も貪欲に金儲けに励む人もいるけど、それだって「ここまで稼げた俺」という自己実現でやってるのでしょう。お金だけの問題で言えば、一生使い切れなくなった時点で、それ以上稼ぐのは無駄でしかない。そこではお金は、ゲームのハイスコアの点数みたいなもので、スポーツ選手がタイムに命をかけるのと同じメンタリティになっている。そしてそれは彼なりの「表現」なのだと思います。

 裁量性の強い仕事ばかりではなく、右から左にネジを巻くだけとか、物を売るだけの単調極まりない作業であったとしても、そこに個性のある人間が関与する以上、絶対にその人間性は出るし、それゆえに表現性はある。どんなに詰まらない仕事であっても、「ただの一度も手を抜いたことはない」という方針でやる人もいるだろうし、それはその人の表現でしょう。また、いかに効率的に手際よくやるか、その方法を考える人だっているし、完成品を並べるときの美しさに気を配る人もいる。

 日本人は古来このあたりが得意分野で、単調な労働のようなものにも何らかの意味を見出し、面白さを発見し、そこに自己を表現しようとする。そういう意欲が強いのか、そういう才能があるから意欲が喚起されるのか、そのあたりは分からないけど、総じて言えば、やってることに意味を見出すのが得意であり、且つ意味がないと死んじゃう人達ともいえる。日本人にとっての仕事とは、根源的にどっかしら「表現」であり、ゆえにどこかしら「遊び」ですらあるのでしょう。

 ほんでも、そこに「労働とは本来辛くてイヤなものであり、できるだけ省力化、効率化をはかるのが望ましい」という価値観のもとに編み出されたマネジメント方法が覆いかぶさってくると、どうしても詰まらなくなるよね。マニュアルばっかりで、遊べなくなる。マニュアルというのは、多民族国家で、中には文盲も普通にいるようなワイルドな労働環境で、「誰がやっても一応完成する」ための方法論でしょう。ほぼ単一民族で、阿吽の呼吸やら、以心伝心やら、空気読みをやってる民族のは、あんまり必要ないんじゃないか?って気もするのですね。むしろ必要なのは非マニュアル化というか、なにか職場でわからないことがあったら、「どうしたらベストなのか、自分で考えてごらん」ということだと思います。

 まあ、もっとも、そんな理想論をノベても、「今の若い世代はどーのこーの」という問題もあるでしょう。それはそれで分からないでもないのだけど、ちゃんと出来る人だって山ほどいる。それに、その舌の根が乾かぬうちに「グローバルに通用する」とか言うのは矛盾しているとも思う。なぜなら、グルーバルな環境になると、それこそ多種多様な価値観や人間性が出てきて、初出勤の日から社長室行って賃上げ交渉をする奴もいるかもしれんし、初ランチを食べにいってそのまま帰ってこずに自然退社って奴だって世界にはいるのだ。こいつらと上手くやっていって生産性を高めることが「グローバル」の意味であるとするなら、同じ民族同士で、たかが10歳とか30歳程度しか違わない連中と上手くやれなくてどうする?と思うのですね。

 そんなことをツラツラ考えていると、この世にいわゆる純然たる「ビジネス」なんてあるんかいな?という気分にもなるでした。そして、それを「仕事」だの「ビジネス」だの大上段に振りかぶって、あるいは深刻な顔して考えているから話が辛くなったり暗くなったりするのであって、あれは「表現」なんだよ、「遊び」なんだよって考えたらまた気分も違うのではなかろうか。

 いわば趣味の釣りみたいなものですね。お金をかけて道具や装備に凝って、朝早く起きて、えっちらおっちら海や渓流まで足を運んで、ひがな一日釣り糸を投げて、ときどき絡まったり、腰が痛くなったり、高波に呑まれたりするリスクをも冒して、その目的は何なのか?といえば「遊ぶ」ことでしょう。釣果としての魚を食べてカロリーを得たい(=お金を稼ぎたいみたいな)ことではない。その一連の全て、どんな釣り竿を買うか、いつ行くか、どこに行くか、手段はどうするか、餌は何するか、ポイントはどこにするか、浮きの動きにどう合わせるか、、、、これら全てがその人の「表現」であり、やり方しだいで浮いたり沈んだりするゲーム性があるから遊びとして成立する。

 「遊び」とは何か、「表現」とはなにか?ですが、ま、ここでは、「自分なりのオリジナルの発想やら行動やらを外界にぶつけて、そのリアクションが予想内だったり、予想外だったりすることに面白さを感じること」だとしましょう。壁にボール投げて一人キャッチボールをやるようなもので、強く投げたら強く跳ね返ってくるし、変なところに当たったら変なところに飛ぶ。その跳ね返ったボールのありように、魚拓みたいに「自分」が反映されているので、それは一種の自己実現でもあるし、表現でもあるし、面白さという快感面に焦点を合わせれば遊びでもある。

 なんだってそうじゃん。それがお金稼ぎであろうが、株取引であろうが、詩作であろうが、教育であろうが、「自分をぶつけて跳ね返り方を楽しむ」ということでは同じじゃん。

 だもんで、「人生の目的は遊びです」と言っても、「仕事が生きがいです」と言っても、本質的には同じことだと思うのですね。要するに「面白がることです」ってことだし、面白く思う主体はほかならぬ自分なんだから、「人生の究極目的は自分です」「自分を喜ばせてやることです」でもいい。海苔の円筒形の缶みたいなもので、上から見たら円だけど、横から見たら長方形で、、って、見る角度や焦点によって違って見えるだけのことでしょう。


 と、まあ、話ははるかに宙空を飛翔していくのだが、しかし、手元にあるのは数時間前と変わらぬ未完成の確定申告。おお。

 あれこれ考えたところで、そしてそれらが間違ってるとは思わないんだけど、ああ、それでも経理上ではあくまで数字なのであるのだよね。

 なんか実体と影みたいなもので、こういう表現をしてこういう動きをすると、経費がどのくらいかかって、収支がどのくらいになったという数字が影絵のように生じる。釣りに行っても、交通費が幾らで、昼食代が幾らでって出てくる。ゴルフなんかの場合は、接待経費で落とせるかとかそういう配慮も出てくる。

 経理や税務においては、あくまでその数字を忠実にトレースしていかねばならない。
 本人的には、この影のこの部分とこの部分とは全く意味が違う!とか思ってても、影は影、経費は経費。「同じく黒いじゃん」と言われたらそのとおりで、だからやるんだけどさ。でも、「くそお」という気分は晴れないのでした。


 で、今回はこれで終わりです。
 「え、これだけ?」って思うかもしれないけど、どんどん年を追うごとに長くなってるし、たまにはいいでしょ、楽でしょ。
 
付録

 これだけでは物足りない方へ。こちらのメディアを読んでネタとして取りあげようと思ったけど保留にしている記事を挙げておきます。

Sex toys canned: Woolies bites the bullet and dumps vibrators

 ウールワース(オーストラリアの二大スーパーの一つ)で、なんと「大人のおもちゃ」(女性用のバイブレーター)を24ドルで売り出すも、激しいボイコット抗議によって2週間で撤退したというお話。当然、賛否両論あったわけだが、誰がどういう論拠でどう言っているかが面白い。"Australian Sex Party"なんて政治団体があったのね(きわめて真面目で、政策内容もまっとー)。


Aussie exodus: London is, like, so last decade

 ロンドンにワーホリ(今は”The Youth Mobility Scheme ”という)にいくオーストラリアの若者が、2005年に比べて半減しているお話。理由は「稼げない」「地元オーストラリアの方がよっぽどマシ」だからだそうです。もっとも観光でいくのは別の話だし、彼らオージー(特に白人系)にとっては、人種的文化的に”故郷”でもあるヨーロッパを巡礼するのは一種の儀式的な意味もあるようだという点、また逆にオーストラリアからイギリスに"永住"する人は着実に増えている(2001-2011年の10年間で4800-9200人に倍増している)など、サイドストーリーや統計が興味深い。


9/11 Explosive Evidence

 1時間28分にも及ぶドキュメンタリーがフリーで見られる。911テロによって崩壊したとされる貿易センタービルは、本当に飛行機によって生じたのか?を世界中の43人の専門家(建築家、構造技術者、冶金学者、物理学者、爆発物専門家)が科学的に検証し、「そうではない」「計画的に破壊されたと見るべき」という結論に達しているもの。もちろん英語だし、字幕なんかないけど、見応えあります。
 また冒頭のキャプションが寒気がする。この事件によって新規に制定された「愛国者法」など数々の法律によって、アメリカ人の伝統的な市民的自由は奪われ、テロ活動に関与しているという単なる疑いだけで、令状無く家宅捜索を受け、訴追も証拠も弁護人選任権も与えられないまま、無期限に勾留されつづけ、場合によっては拷問すら受けうるという法的地位に置かれている。このような状況において、貿易センタービルの科学的検証結果を無視するというのは、もはや許されることではない、と。



文責:田村



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