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今週の一枚(2013/10/14)



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Essay 640:写真集〜ビジネス大中小+ミセレニアス

 〜2013年帰省記(10)
 写真は、帰路の関空へ向かう長い陸橋にて。


 ”帰省シリーズ”10回目。
 「まだやってる」帰省シリーズですが、最後にお気楽に落ち穂拾いの写真集を。

ビジネス大・中・小


 左上の写真は、建設中の任天堂の新社屋。
 左下の写真ですが、なんか物々しいですね。ただの空き地なんだけど、やたら頑丈そうな門があって、囲いがあって、ご丁寧に忍び返しまでニョキニョキ出ていて、門には鍵があり、反対側にはコンクリートのバリケードすら積まれていて、門にはおそらくは警備保障会社らしき社章も貼ってある。なにやら昭和初期の軍施設か精神病院かって近寄りがたい雰囲気です。思うに、ただの空き地にこんな門やら設備を作るわけもないし、こんなに古びるわけもないから、どっかの倉庫か会社が倒産し、その過程で更地にしたのだろうけど、そこでいろいろ問題があって、法律上の係争物件にでもなったのでしょうか?

 ま、そこは推測の限りではないのですが、ともあれうら寂しい光景です。上の景気良さげな任天堂さんとはエライ違いですが、しかし、この二枚の写真は同じ場所で撮ったものです。住宅地の普通の道路、南を見ると駐車場越しに任天堂ピカピカビルが見え、クルリと北に頭を巡らせれば、この陰鬱な空き地がある。

 それが何か?というと、「日本経済の現状」です。
 ま、そんな大それたものでもなく、ぱっと見の印象なんですけど、巨大ビジネス=中小ビジネス=零細ビジネスの大中小があったとしたら、大と小がそれなりに頑張っているけど、中が今ひとつなんじゃないか?という、いわば「中抜き現象」みたいな感じなのではないかと。

 任天堂のような押しも押されぬ世界企業は景気よくやってたりするけど、一般にはそうでもない。かといって、巨大系の一人勝ちかというと意外とそうでもなく、頑張っているところもチラホラ散見される。

巨大系




 写真左上は、大阪駅北の再開発のビル、グランドフロント大阪あたり。
 でも、あんまりピンとこなかったです。「おお、すげえ!」とも思わなかった。むしろ、数回前に書いたように「まだやってる」感が強かった。

 それは自分が天邪鬼だからかな?とも思うけど、それを差し引いても、なんか感動がない。なんだろうな、この空疎な感じは。それは多分、未来の方向をバーンと示しているわけでもない点、それによって楽しくなりそうなワクワク感もないことです。

 もっと素朴に言ってしまえば、「要るの?」ってことです。
 民衆の中に、溢れんばかりの需要と燃えたぎるような熱気があり、つまり「原エネルギー」は有り余るほどあり、それがあまりにもあり過ぎて混沌としているから、わかりやすく大きなハコモノを作って交通整理しましょう、、というのなら、話は分かる。でも、少子高齢化が進み、絶対人口も減り、経済も空洞化しつつある、要するに「落ち目」の長期低落の先進国において、本当に求められているのはこんなことなのか?これが22世紀、23世紀の輝かしい将来像なのか?という。

 だからこそ国が主導になって、巨大資本を集積させて、経済に刺激を与え牽引させましょうってことなんだろうけど、納得いかない部分もあります。状況認識が甘すぎるんじゃない?そんな「小手先」のことでどうにかなるような世界状況だと思ってるのかなあ?まあ、そう思ってるからこそ、生き残る奴だけでも生き残るべきだという冷徹な認識でやってるのかもしれないけど。


 この種の都市再開発というのは昔からあります。それなりにメリットもあり、デメリットもあった。周辺土地価格を高騰させたとか、立ち退かされた駅前小売店がテナント負担に耐え切れず軒並み潰れたとか、再開発を免れた地域は逆に集客力がなくなってシャッター街になったとか。

 また、なんでも中央官庁の許認可がいるから、一つの型紙で再開発することになり、結果として日本全国どこいっても似たような駅前の風景(駅ビル+広場+歩道橋+バス・タクシーターミナル+デパート)になり、日本古来のローカル色は完膚なきまでに破壊された。見た目だけではなく、地方経済の独自性や差別化の減少にもつながるから地方経済をさらに弱体化させ、政治家に中央の税金を引っ張ってきてもらうか(そのための河口堰のようなビッグプロジェクトを無理やりやるか)、巨大企業の工場誘致、ひいては原発すら誘致して補償金で糊口をしのぐかという依存体質が深まる。一つの変化は次の化学変化を招き、さらに次の変化を誘発し、、行き着くところまでいっているのが21世紀の日本でしょう。家電や自動車メーカーの地方工場は閉鎖され、原発もあんなになってしまっているけど、利権構造は未だ残っている、てか、利権構造しか残っていないというべきか。

 21世紀になって「何をいまさら」的にやってるのかしらね?とちょっと疑問に思ったので、パラパラと調べてみたのだけど、今から10年前(2002年)に都市再生特別措置法というのができています。旧来あった都市計画法、都市区画整理法、建築基準法の上書きをするようなもので、国がガンガン主導して都市再開発をスピーディやっちゃいましょうという法律です。要旨は2点。@自治体のみならず民間デベロッパーも開発主体になりうること(そのための手厚い金融支援あり)、A中央主導(自治体の頭越しにやる)であること、です。イヤらしい表現をすれば、金持ちと中央官僚(政治家)は、地方住民の意思なんか無視して日本全国をガンガンいじくれるようにした、ってことでしょう。ま、たしかに地権者保護とかこれまでの段取りでやってたら、なっかなか話が進まなかったもんね。それが狂乱地価高騰を招き、バブルを招いたのもの事実でしょう。だから「もっとチャッチャと」ってことでしょう。いかにも、当時の小泉政権らしい政策といえなくもない。



 このあたりを突っ込みすぎるとキリがなくなってきたので(面白いのだ)、このくらいにしておきます。興味がある方のためにリンクを。野中紀彰さんのゼミ研究課題は、早稲田の学生さんの卒論?なのかな、これが一番わかりやすかった。これだけキッチリ読んでおけば、日本の都市開発の問題点の概要はわかるかも。特定非営利活動法人・建設政策研究所「都市再生関連法に基づく再開発事業の展開に対する見解」も専門的に簡潔にまとまってました。「岐路に立つ都市再開発」という本の推薦文である東京大学社会科学研究所教授稲本洋之助氏の短文、ほとんど全面ガチ闘争的な住民運動のサイトとしては「税金無駄遣いの二子玉川東地区再開発」。一方、都市社会学の観点からの書評としてまちづくりって結局ミドルクラスのノスタルジーじゃないの?および都市はなぜ魂を失ったかなどもアカデミックなレベルで参考になりました。

 ちなみに、このグランドフロント大阪の公式文書における「なんでこんなことやるの?」に対する回答部分は、「平成 16 年に策定された「大阪駅北地区まちづくり基本計画」に基づき、知的創造拠点(ナレッジ・キャピタル)を中心に知識、文化、交流を創出する質の高い都心機能の集積や快適で活力とにぎわいにあふれ、美しく風格を備えた都市空間の創出を図る都市再生事業の実施により、関西の再生に寄与するため」だそうです。そっか、ナレッジキャピタルとかあったんだ。ま、クサしてばっかでは生産的ではないので、作っちゃった以上は、皆で遊び倒して馴染ませていけばいいのかなって気もしますね。デトロイトみたいになりたかないだろうし。

 ほんでも炎天下の下、ピカピカ巨大建造物が、意外とスカスカに林立、、というよりは散立しているさまは、なんか日本というよりも北京や上海郊外あたりの中国みたいな感じ。「北京オリンピックに向けて急ピッチに開発が進む」なんてキャプションが似合いそうな。



 さて、話は変わって、写真右は、京都駅南にできたイオンの二棟連結の巨大なショッピングセンター。KAEDE(楓) と桜館に分かれます。家から歩いてすぐ、「へえ、こんなの出来たんだ」です。開業2010年。でも、本当は「ヴィノワ」という名称で開発してたらしいですね。でもやってたジョイント・コーポレーションが倒産、清水建設があとを引き継ぎ、イオンにマネージメントを委託。核テナントの一つ「TV ENTAMESTORE KYOTO」が破産して撤退してトイザらスが入り、2013年3月にイオンが土地建物を取得し、名実ともにイオン直営店になるという経緯らしいですね。

 行ってみたら、とにかくデカい。デカいショッピングモールはオーストラリアで慣れてますけど、それでもハコモノ自体はデカい。「お、すげえ」「やるじゃん」とか最初思ったし、いやあ、やっぱ巨大資本は景気よろしおまんな〜とか思ってたけど、これも微妙に違和感がある。京都駅から列を作って客がゾロゾロ歩くくらい人はそこそこ入ってるんだけど、でも、シドニーのWestfield(デベロッパーの名前を冠したショッピングセンター、僕は勝手に直訳して「西原興産」「西原開発」とか呼んでいる)の密度のある空気感とは違う。

 なんか閑散としているのですよ。日本では珍しい「土地余ってる」感、「持て余してます」感がある。オーストラリアの田舎のショッピングセンターみたいな。斬新な作りは、もともとの企画が”VINOWA"という意欲的なもので、地元住人よりも観光客を狙った作りだったからだといいますが、でもやってるのがイオンでしょう。"AEON"って書くとカッコいいけど、要するに「ジャスコ」でしょう。やっぱジャスコ感がある。ま、でも、根っから庶民の僕は、ジャスコ感が嫌いではないです。が、ジャスコ的なニギニギしい活気もない。なんか中途半端。

 結局はコンテンツ不足なんでしょうか。もともとの店舗面積は5万2千平米→4万5千平米に縮小、店舗数も171店舗→約140店舗に縮小されているらしく、思ったほどテナントが集まらない。集まらないからこそ初代のジョイント・コーポレーションが倒産する。でもって当初の目玉テナントのTVストアも倒産。つまりは両主役がコケてるわけで、こういう言い方は失礼かもしれないけど、破産管財物件みたいな出自があったりするわけです。それを考えればむしろ「頑張ってる」と賞賛すべきかもしれない。

 だから、巨大資本が景気いいといっても、AEON程度の巨大さだったらしんどいのかも。てか、イオンも一時期経営危機がささやかれていたのですが、今ではV字回復しています。その経緯は、社外取締役が過半数を占めたことにより、遠慮会釈なくコストカッティングや、拡大→縮小へドラスティックに方針転換できたからだと言われてます。なるほど。でも、これ、フクザツですよね。景気がいいんだか、悪いんだかよう分からん。国内経済のヘタレぶりにちゃんと適応できたから経営が良くなったってわけで、喜んでいいのかどうか。

 ま、そのあたりの話はともかく、だだっぴろいフロアに、それに輪をかけて無意味にだだっ広いゲーセン(ナムコランド)があり、チカチカ派手派手ゲームマシンが一点透視図法のようにズラリと並ぶなか、ほとんど人影が見えなかったというのは、ちょっとSF的な感じで、ちょっと不気味でもあったのでした。

駐車場がやたら多い








 5年ぶりに帰ってきて、真っ先に思ったのが、老人と駐車場が増えたことです。
 いやあ駐車場、増えましたね〜。びっくりするくらい。
 これも毎日見てれば慣れるのだろうけど、5年くらいブランク空けるとかなり明瞭に違う。

   問題は、駐車場が増えるというのはどういうことか?です。

 要するに「不動産(土地)の有効利用ができない」ってことでしょう。
 バブルの頃は、更地の土地なんか宝石よりも貴重で飛ぶように売れたし、即座にビルやマンションが建ったものですので、駐車場にするというのは、大きな地上げの過程の暫定的な方法か、あるいは端的に地上げの失敗で塩漬けになってる状態です。「とりあえず駐車場にでもしておいて」って、よく言われたもんな。

 つまりは、無駄に固定資産税を払うよりはマシという程度、「せめてもの」の手法であり、およそ不動産の有効利用方法のなかでは最低にランクされるようなものです。そして、その駐車場がびっくりするくらい増えているということは、それだけ不動産需要がない、ビジネス&居住需要が低下しているってことなのでしょう。

 まあ、わからんでもないです。バブル以降、日本の不動産価格は一貫して低下してます。そりゃ、大都市圏の超一等地は、都市再開発やら、海外勢の日本アセットの買いあさりなど、世界レベルのビジネスができそうなところは局所的に上がったりもするけど、日本全国トータルで均せば下がりっぱなし。これだけ下がりっぱなしというのは先進国中ダントツ。

 不動産価格をネットで調べると、「マンションは今がお買い得」的な商業広告的なアーティクルが多く、また上昇雰囲気を出すために統計も極めて短期にとってますが、実際に長期トレンドで見たらえらい話になってます。いろいろ見たけど、簡単にまとめてくれている岩崎さんという不動産鑑定士さんのブログの「地価の推移」が分かりやすい。かいつまんで要旨を引用すれば「バブル崩壊〜2012年で、6大都市圏の商業地は7.5分の1、住宅地は3分の1、工業地は3.7分の1に暴落。バブルの始まりと捉えた昭和60年対比でも、商業地は2分の1強、住宅地は9掛け強、工業地は7掛け強といずれも現在の方が安くなっている」「昭和30年〜同60年は、商業地は31倍、住宅地は77倍、工業地は56倍。この間、消費者物価は5.6倍に上がったのみ」。

 つまり昭和60年以前は、30年で77倍!という途方もない利殖商品が不動産だった。だからマイホームを皆頑張って買った。そりゃ30歳で無理して100万で不動産を買えば、60歳にはそれが7700万円になってるんですからね。買わなきゃ嘘でしょ。しかし、バブル以降は、1000万円で買った不動産が、20年経ったら300万ちょいになってるわけで、ほんと損するためにやってるようなものです。さらにマンションや住宅だったら老朽化による減価やローンによる利息も加算される。ま、こんなこと書いたら不動産や建築業者さんから殺されてしまうかもしれないけど(^^)、でも、ま、数字ではそうです。ほんでも、本当に欲しかったら買えばいいんですわ。値上がりとか値下がりとかどうでもいいですよ。使用価値が全てだったら交換価値なんかどうでもいい。別に値上がりを期待して好きな本や服や楽器を買ってるわけではないんですから、それと同じことです。

 言いたいのは、不動産は絶対(それも異様に)値上がりするから得だというパラダイムと、長期的にはほぼ絶対値下がりするというパラダイムとでは全く違うということです。環境変化に機敏に対応するのが生き残るための必須技術だとしたら、バブル崩壊後、日本社会の構造や、日本人の人生構築論、メンタリティ、何もかもが江戸時代→明治時代くらい、もう全く別の人種になったくらいに変わっていいはずです。でも、そんなに変わってない。それが問題だろうと。

 ところで昨今増えた駐車場ですが、写真でもわかるようにやたら商業的・組織的にやられている。調べてみると、結構大手の不動産屋さんが、駐車場経営を地主さんに勧めているという構図が見えます。ま、確かに、今となっては一番儲かる方法なのかもしれないですけど、しかし、そんなものが「一番儲かる」というあたりに時代の、取り返しがつかないくらいの大きな変化を感じるわけですね。

 ところでビジネスをやるにあたって必ずしも不動産って必要ではないです。知識やスキルを売るビジネスだったら、昔から「電話一本あればいい」と言われてたくらいで、別に店舗なか要らないもん。不動産業そのものがそうです。デカい話になればなるほど人脈とスキルがモノをいう。場所は必ずしも必須条件ではない。屋台などの移動販売、さらには無店舗販売、ひいてはオンラインなどなど。

 でも、もっと新しいやり方があるだろうって気もちょびっとはします。
 不動産を資産という交換価値でみるのではなく、純粋に使用価値、「(居住)空間」として考えれば、まだまだ発掘可能な分野はあるようにも思います。例えば「雲隠れハウス」。アメリカの証人保護システムや、特殊工作員の「セーフハウス」のように「絶対安全な隠れ家」、これを貸す。ストーカー被害で困ってる人が一時的に居所を変えて逃げるため、あるいはDV被害などで困ってる人、鬱状態で逃げちゃいたい人、放射能が気になるから一時的でもいいからどっか行きたい人、、、戦時中の「疎開」みたいなものです。これを格安で提供する。打ち捨てられたような団地とか、過疎の村とか。そこで一人ぼっちだと却って危険なので、「わけあり」住人同士がNPO的なコミュニティ&自警団を作るとか、警備保障会社がサポートするとか、知恵をひねればやり方なんか幾らでもあるんじゃないか。でもって、ニーズもまたいくらでもあるんじゃないのかな?

 しかし、駐車場にするしかないくらい土地が余ってるんだったら、なんで託児所が足りないのだろう?なんかまだ不動産利用のやり方が噛み合ってないって気がします。ま、これも書いてたらあと千行くらいいきそうだからここでやめます。

小さなビジネス


 上はビッグビジネスの話でしたけど、打って変わって中小から零細ビジネスの世界。こっちの方が全然面白かったし、希望を感じました。

 巨大ビジネスが(それなりにエキサイティングな部分もあるんだろうけど)、本質的にあんまり面白く感じないのは2つの理由があります。一つは、結局のところ、グルーバル的にいかに資本を集積させいかに資本主義原理を冷酷に推し進められるかどうかであって、まずもってそのこと自体が詰まらないこと。1%のエリートになって、そんで楽しいか?です。第二に(同じことを角度を変えて言うだけだが)、発想としては凡庸であること。要するにこれまでの方法論をギリギリ突き詰めるだけのことで、「うわ、その手があったか!」と目の前がパッと開かれるような創造性も新規性もないし、ドキドキ・ワクワクする感覚もない。

 ビジネスといい、文化といい、およそ人間の営みの核にあるものは、創造力であり、ポーンとぶっ飛んだ発想の飛躍力だと僕は思うのですよ。それが楽しいし、それが魅力になって人類の歴史を引っ張っていくのだと。でも、資本の論理でゴリゴリ突き詰めて〜ってのは18世紀イギリスの資本主義勃興期でもうやっちゃってるわけですよ。女子供であろうが炭鉱で長時間死ぬまでコキ使うということで、いきなり極限形態から始まっている。その本質において漆黒のようにブラックで、それをやった方が儲かる、勝つというのは、もう最初っから見えている。だからなんの新規性もないし、新しい世紀を切り開くという感じがしない。

 話がデカくなるから別に機会に譲るべきなんだろうけど、ちょっとだけ。20世紀後半以降の世界史というのは、新重商主義みたいな時代なのでしょう。ドンパチ喧嘩するのではなくビジネス的に成功するのが価値があるとされる時代。メリットは喧嘩が減って、史上空前というくらい物質的に豊かになった。でもデメリットもあって、それを子供みたいな素朴な要約をすると「ロマンがない」「楽しくない」。ここで「ロマン」を大雑把に「人間がナチュラルにワクワクするエッセンス」と定義すると、その構成原子は突き詰めれば2つ、愛と力だと思います。前者は他者との関係の温かい充実であり、後者は自分を突き詰めて充実させる快感で、自分がどれだけ強いか、どれほどのものなのか知りたい、試したい、もっと上にいきたいという欲求。ここから競争、冒険、成長、求道というドラマが始まる。人類というのは、ほっておいたら人を愛するか、喧嘩競争するか、オタク的につきつめるか、です。そーゆーことを面白く感じるように最初からできている。古来の神話から、最近の映画やマンガでも、煎じ詰めればこの要素です。ぶっちゃけ、キスしてるか、殴りあってるか、それとも引きこもってるか(修行、思索とか)です。こういうことやってると人類はゴキゲンで、それをスカした言い方をすれば「ロマンがある」と。

 でもビジネスにはロマンが少ない。「ない」とは言わないけど少ない。だから昔っから商人には人気がないし、ドラマツルギーにも乗りにくい。人類のどの神話、どのお伽話にも、「儲かりまっか」とかやってるシーンはない(と思う)。商人は賤業だの「卑しい」と蔑まれたり、宗教によっては金利という貨幣経済の本質すらを教義的に否定するものもあるし、江戸時代にも士農工商の最低ランク。キャラ的にも「おぬしもワルよのう」の越後屋とか、幼い兄妹を叩き売る奴隷商人とか、でっぷり太って、好色で、品性下劣という可哀想な設定になっている場合が多い。ヒロイックなのは紀伊国屋文左衛門のミカン船くらいかしらね。

 ということは、「国際ビジネス」というとカッコいいけど、要するに商人文化が席巻している時代であり、なんとなく詰まらない。面白そうに見える局面があったとしても、それは「世界を股にかけて」「クリエイティブ」「世界一になる」という競争原理や自己実現というロマンの要素を借用している場合だけ。それも多くは就活用に「そう見せかけている」だけだったりして。大体さあ、世界レベルのCEOでも「コストカッターの異名を持つ」とかいうけどさあ、要するに弱いものイジメをしてるだけって場合が多く、あんなの人非人だったら誰でも出来るじゃん。「お願いです、娘がこの秋に結婚するんです、せめてそれまでは」と大の男が涙と鼻水でグチャグチャになって土下座しているのを、「ダメだよ〜ん」つってリストラする風景のどこにロマンがあるのだ。や、実際の現場ではやる側こそが心傷グザグサで鬱になるくらい大変なお仕事だと思いますし、再就職支援など心を砕いてらっしゃる方も多々おられるでしょう。でも、ここでは、やってることそれ自体がロマンがあるか、楽しいか、面白いか、です。

 それがどうした?と言えば、だから人類史的に踊り場にきてるんだろうなって。計数的な資本の蓄積とかさ、物質的な豊かさとか、そういうモノサシではない別の基準が求められてるんじゃないか?って。今時点ではありえないけど、例えば「ロマンのない会社は違法」にしちゃうとか。当該商業為あるいは企業活動によって、関係者(従業員、投資家、消費者)の幸福増加度・率が一定レベル以下の場合は、解散命令や破産宣告が出されるとかさ。





 そこへいくと、資本の論理でいけば負けるに決まってる零細企業は、資本の論理以外で勝負していくしかない。つまり、価格競争ではなく、多少値段が高くてもそれを買わせるだけの内容、品質や内容の面白さで勝負するしかない。また、零細だから、一人、あるいは数名のミーティングで話が決まるから小回りがきく。これからの時代、こういう小さいけど面白い、小さいからこそ面白いって路線の方が僕には将来性が感じられます。必ず成功するという保証はないけど、てか、大体において失敗に終わるかもしれないけど、「成功するからやる」という発想そのものが既にクソであって、そこから飛び出さないと本当の活力は生まれないと思います。

 能書きはともあれ、写真は上から、大阪梅田、茶屋町のおもしろペイントの民家。これは茶屋町全体のアートイベントみたいなもので、阪急村という巨大資本の活動の一端なのかもしれないけど、そこに参加してくる民間アーチストは個人商店なわけで。こういうグラフィーティは、オーストラリアにはちょこちょこあって楽しいのだけど、日本には少なく、もっと自由に増えれば面白いのにって思います。

 二番目は、京都のお茶の老舗の福寿園本館地下のお茶の工房。お茶のソムリエみたいな人材を養成し、試験して資格を与え、現場であれこれアドバイスしたり、お茶のブレンドをするという。福寿園は零細だなんていったら失礼なくらい大きいけど、でも、あれこれ商品を掘り下げていく姿勢は面白いなとおもった。

 三番目は、これも普通のラーメン屋さんのメニューなんだけど(阪急三番街)、創意工夫のあとがいろいろ見えて面白い。見てて楽しくなる。これでマズかったら意味ないんだけど、実際にもこってりしてるけどサッパリしてて美味しかったです。やっぱり、食べ物系は、基本が個人商店だし商品開発も簡単(工場のラインを組み換えるなどに比べれば)なので、工夫の用地が大きく、チェーン店系よりも、個人店系の方が面白かったです。

 四番目は、これは新しいのか古いのか、”起業”なのかどうかさえ怪しいのだけど、面白いですね。よく田舎の農道の近くに野菜が置いてあって、欲しい人はお金をそこに置いていくという性善説システムなんだろうけど、それをあえて都会の街中でやること、また「あったりなかったり屋」というネーミングも秀逸で、「成功」してるかどうかはともかく、面白いなとおもった。

 そこでまた思ったのですが、メディアに出てくる経済記事や評論も、大資本系の動きのフォローがメインです。これは当然で、ある程度規模が大きくないと、記事になりにくい。「三丁目のラーメン屋が美味しい」なんてことが経済記事になるのか?という。ただの街の噂ではないか。でも、その街の噂レベルのところから世の中が変わっていくとするならば、従来の枠組みの経済記事、評論、ひいては経済学のあり方から統計の取り方まで全部変わってくるんだろうな〜と。

 右の二枚の写真は、見れば分かるように昔ながらの銭湯とクリーニング屋さん。

 前回に出しても良かったんだけど、前回は佇まいまでもノスタルジックに昔ながらだったんだけど、こちらはそれぞれにリニューアルしている。とくにクリーニング屋さんの方は「お」と思う。まあ、単に店舗の看板やデザインだけかもしれないけど、それでもそれをやるという姿勢に一歩進めようという意欲を感じるし、またよくみるとクリーニング屋で深夜0時までやってるというのは凄いです。


 うわ、すごく行数いってしまった。あとは端折りながら、走ります。

ミセレミアス(miscellaneous)〜その他モロモロ

少しマルチカルチャルな

 日本にも、マルチカルチャルなお店が増えてきたんだなって思ったものを。

 写真左端は、京都五条のショッピングモールの韓国系の店。  写真中央は、枚方駅前で連れて行った貰ったアジアン・エスニック系のお店。

 右端は、へえ、日本でも売るようになったんだという、イタリア製のパスタ。どこだっけな京都の伊勢丹だったか、イオンの食料品売場だったか。このブランドは有名で、オーストラリアではコールズなどのスーパーで昔っから売ってます。コールズは自己ブランドで1ドルパスタ(500グラム)を出しており、こちらが2ドルちょいでほぼ倍なんだけど、それでも質は良いから売れてます。値段は、日本の方がまだ2倍くらい高いのですが、これでも進歩だと思いました。ナンプラーも、昔ほど高くなくなってきてますし。

 

やってはりますな〜

 別に目新しくはないんだけど、相変わらずやってはりますなって写真を。

 左二枚はパチンコ屋さん。
 日本人の目には見慣れてしまって、一種の盲点に入ってしまっているのだろうけど、外人さんの目からみたら、日本の街角でもっとも「クリエイティブ」なのは、パチンコ屋とラブホテル(とくに地方の国道沿いの)かもしれない。これは不思議な日本独特の風景だよな、、、って、ここまで書いて思いついたのだけど、ラスベガスがあったわ!あっちの方がもっと「クリエイティブ」かもしれん。てか、カジノは大体そうか?しかし、何なんだろうね〜、ギャンブル系が好む「チープなゴージャス感」というのは。

 右一枚目は、膝枕耳かき風俗店。
 一過性の風俗と思いきや、意外と続いているのでびっくりした。やはり時代はエロよりも癒やしを求めているのだろうか。

 その隣は金券ショップの自動販売機。いいのか、こんなもの堂々と置いて?と思うんだけど、そんなこと言えば堂々と店舗販売やってる方がもっと問題だろうし、いいんでしょうねえ。それにあれが違法であるという根拠はどこにもないし。


いわゆる公徳心が問われる風景

 「日本人の公徳心」がどーのこーのというのは、新聞の投書ネタの伝統的なアイテムでした。
 僕の記憶では昭和40年代頃からのあったと思うし、もっと昔からあったのだろう。もしかしたら江戸時代でも、鎌倉時代でも同じようなことを言っていたのかもしれない。エジプト時代から「最近の若いものは」と言われていたのと同じく。

 リアルタイムにはどんどん悪くなってるような実感があるんだろうけど、これも長い目で見たらお行儀よくなってるのかも。だって、昔は普通に立ち小便とかやってて、塀や壁が小便臭くなって困った家主さんが、壁に神社の鳥居のマークをつけたりして、でも全然効果がなく、、、ってあったもんな。今どきそこまでひどくはないでしょ。

 でも、イラストとかフォントとか結構仕事がプロっぽいですね。まあ、最近は普通に誰でもDTPとかできるんでしょうけど。

緑の国


 今度は美しい写真を。
 この話は何度もしてるので恐縮ですが、最初オーストラリアに来た頃、日本にワーホリに行ったオーストラリア人が新幹線で静岡あたりを走っているときに「なんて美しいんだ」と感動して涙が出そうだったという話を聞いて、「はあ?」と思ったものでした。僕らからしたら、あのあたりって富士山と浜名湖くらいしか見るべきものはなく、あとは退屈でどってことない田舎の風景がべたっと広がってるだけで、何を感動するのか?といえば、緑だそうです。茶畑もあるけど、そんな個々のものではなく、全体に緑が多く、田圃や畑の緑がとにかく綺麗だと。

 「そんなもんスかね?」と最初はよく分からなかったけど、しばらくこっちにきて日本に帰ると、やっぱ同じように感動するのですよね。ほんと緑の国。湿った温帯モンスーンの濡れるような緑がきれいです。それに、オーストラリアでは街路の下生えの草はきちんと刈っておくのが常識で、芝生でもなんでも綺麗なんだけど、日本の場合、「うわ」ってくらい獰猛に繁茂していて、それがまたワイルドで楽しい。写真右端は京都の木屋町なんだけど、電線に緑がからみついてますもんね。

風格というか、いいよね


 これも同じく京都木屋町の写真三枚。
 左端は古い小学校(だと思う)、中央は先斗町歌舞練場。どちらも相当に古く、歌舞練場は大正14年着工だそうで、あの頃の建物はカッチョいいですよね。東京駅とか日銀とか。

 右端は、それほど由緒正しい風格があるわけではないけど、長年ここでやってますというナチュラルな風格がある。

神戸な風景



 大阪〜神戸間の風景、六甲山脈が延々つづくのは独特です。これをみると「ああ、帰ってきた」感があります。

 右は、面白かったから撮った一枚ですが、大阪弁や京都弁に隠れて今イチ知られていない「神戸弁」。何が違うの?というと「知っとう?」です。ウ音便みたいになる。

電気な日本

 原発や節電やら電気について意識的になりがちな今日このごろ。
 しかし改めてみると電気だらけですな。これを何とかしようというのだから、そりゃ容易な話ではないでしょう。

 あと気づいたのが、電柱の上に乗っているトランス(ゴミ箱みたいな箱)が、昔よりもコンパクトになった気がします。シドニーのトランスは地面から筍のように出ていて、電柱は単に電線を括りつけておくだけだから簡易な木材で良く、それだけ中空がスッキリ見える。日本はゴテゴテしてたんだけど、(記憶での比較だから正確ではないけど)昔よりもスッキリしてきたような気がします。

ちょっと心象風景



 なんとなく心象風景みたいなもの。
 左は、夏休み+学校+グラウンドという、歳時記みたいにスペックを揃えると、高校の部活あたりの記憶が立ち上がってきます。


 左は、普通の電車のホームの椅子なんですけど、あの白と青のプラスチックの椅子が、電車の開いてる扉越しに見えると、なんとは言えずに懐かしい。急行電車の通過待ちをほけ〜っと待ってる時とか、なにか特定の時期の特定の思い出が、喉元まで出かかっているんだけど、でも、出てこないという。

 右の二枚は夕暮れの風景。別になんてことないんだけど、なんかクるものがあったので撮りました。

美味しい風景

 やっぱり締めはコレでしょう。美味しいもの(^^)。

 左は言うまでもなく、鱧の湯引き。もうコレを食べに帰省したようなものです。
 でも、関東生まれの僕としては、関西に住み始めてから初めて食べました。それも社会人になってからです(学生時分はビンボーだし)。結局、鱧が美味いというよりも、クソ暑いのにヒーコラ仕事をして、夜になって解放されて、冷たいビールでキュッとやって、鱧の梅肉風味が、ああ極楽、、という、「周辺環境」が美味しいんでしょうねえ。

 右はその学生時分にお世話になっていた餃子の王将です。帰ると、天一(「天下一品」という半ばジェル状になってるようなギトギトこってりラーメン)か王将のどっちかは必ず行きます。思い出を食べに行ってるのか、変わらないことにほっとしにいくのか、このへんの心理は面白いですね。んでも、王将も変わってなかったです。そりゃメニューなど色々新商品は出てたんだけど、味は記憶のまんま。でもって「リャンガコーテー」とかいう独特の中国語(なのか)も相変わらず。もしかして、一番変わってないのはココかもしれない。ある意味では凄いことかも。

 そして、海外在住日本人の望郷感をかきたてる写真を。
 いいスね、ぼったりしたツクネ。卵の黄身が泣かせます。宵闇に浮かぶ提灯もいい味出してますし、石畳には当然のことながら「打ち水」です。これはもうやってなかったら死刑でしょう。

 ちなみに右と左はぜ〜んぜん違うときに撮ったものです。同じ京都ですが、左の焼き鳥は四条烏丸の裏手、右は木屋町界隈でこれは風景が良かったから撮っただけで、この豆腐料理屋さんには行ってません。かなり魅惑的だったんだけど、鱧がなかったんだよね、この店。あのときは鱧に取り憑かれていましたから。





文責:田村



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