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今週の一枚(2013/09/02)


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Essay 634:「商品だけ買っていれば幸福になれるんじゃないか?」という途方もない錯覚

 〜2013年帰省記(4)

 写真は、京都の昔からある古本屋さん。というか「古書肆(こしょし)」という呼び方こそが相応しい。

 本文にも書きましたが、「理解できない楽しい日本」の一例として。
 ばっと眺めてもぜーんぜん分からん。そりゃタイトルで大体の内容はわかるけど、でも漢字の読み方すら分からない本も多い。試しに、和綴じのなんたら和歌拾遺集という本を取り上げてみるも、分からん。なぜこれが1万3千円もするのか理解できない。どう珍しくて、なにがどう面白いか理解できない。つまり、この本の位置づけを正しく理解するためには膨大なバックグランド知識が要るのだけど、それがまるっぽ欠落しているから分からない。

 しかし、売ってるということは、しかもこれ見よがしに店頭に並べているということは、これが最もポップでもっとも訴求力があるということ、つまりは「ビギナー向け」であるわけで、それすら歯がたたない。

 一方ではこの本を手によって快楽に浸る人々も実在するわけで(居なかったら商売が成り立たない)、つまりは僕が未だ知らない広大な快楽の世界がここにあるのですね。でもそれが理解できないで弾き出されている自分。「ガキはすっこんでな」って言われているような。「ちくしょー!」って思いますよね。同時にうれしくなっちゃいます。


前回から続きます

→前回の要旨と末尾部分のおさらいを表示させる


 日本に生まれ育ってずっとそのままでいると、視野が狭くなる傾向があると思います。「絶対そうなる」とは言いませんが、そうなる可能性は他よりも(少なくともオーストラリアよりも)高くなるように思います。

 それは「同じ環境に長いこといると、どうしても視野や発想が固定される」という一般論を超えています。もちろんその一般要素もあるけど、それ以上に日本独特のサムシングがあります。

 これは過去に何度も書いてます。
 例えば、Essay 462 :日本にいるとなぜ世界と遮断されるように感じるのか? 〜ぬくぬくした"COSY"なガラパゴス 参照。

 日本に帰ると、「今自分は地球のココにいる」という体内GPS信号がカットされ、まるで金魚鉢の中に押し込められたような閉塞感や、プールの水の中にもぐって耳がキーンとなるような独特の遮断感をいだきます。これはもう比喩ではなく、生理的に感じます。時間や空間がグニャグニャになっている「他人の夢の世界」の中に入ったみたいで、「あ〜、気持ちわる!」って感じ。なんかここだけ地球じゃないみたいな。でも、それも慣れたら胎内回帰的に気持ち良いという。日本の国境を超えると不思議な「結界」が張り巡らされているかのような。

 では、なんでそんな現象が生じるのか?
 何がどう閉ざされて、何がどう開かれていないのか?と従来よりもさらに突っ込んで考えたのが今回です。で、そのメカニズムの原動力について思うのは、自己完結的な商業性の強さであり、その商業市場の閉鎖性です。多分、こいつが悪さしているんじゃないかと。

 わかりにくいので順次説きます。

世界観が揺るがない

世界観のふわふわオムレツ

 今回日本に滞在していて気づいたのは、「世界観が揺るがないぞ」ということでした。

 「世界観が揺らぐ=アップデートする」というのは、そんなに大袈裟なことではなく、「ふーん、そうなんだ」と改めて知るような些細でマイナーなことも含みます。

 僕らは毎日色々な事実を知ったり体験して世界観のアップデートをしています。その度合は千差万別で、いつも贔屓にしていたラーメン屋で食べてみたら、「あれ?味が落ちたんじゃないの?」というのも、ささやかではあるけど世界観がアップデートされているわけです。そしてそれは「およそ想像もできない事実」に遭遇すればするほど強くなります。ある日突然、宇宙人の円盤の大編隊が出現して東京を攻撃しましたとかいう事実に遭遇したら、ガビーン!度は高いし、世界観も根本的にひっくり返ります。ラーメンの味から円盤までさまざまな見聞をして、僕らは日々「世の中はこういうもの」という認識を新たにしています。ここまでは分かりますよね。

 次に海外の方が、生まれ親しんだ故国よりも「想像もできないもの」が多いです。それは当然で、来たばかりの頃は「想像もできない」どころか「理解できないもの」が山ほどある。てか理解できるものの方が圧倒的に少ない。僕はオーストラリアに来て19年ですが、19年もいれば大体は何とかなりますが、それでもまだ理解できないものが普通にあります。スーパーにいっても、「これ、何に使うの?」的な物はまだあるし、中華系スーパーにいくと、調理料なんだか食材なんだか漢方薬なんだかボーダーが曖昧で、何をどうやって使用するのかさっぱり分からんという物が沢山あります。ずっと前にペルシャ系スーパーに興味本位で入ってみたのですが、これはかなり手強かったです。せめておみやげに何かを買おうと思うのだけど、それすらよう選べず、せいぜいが瓶入りのローズウォーターが関の山で、あとは全部「理解不能」だという。アラビア語で書かれた大きな袋に見たこともない乾燥豆がギッシリ詰まっていても、何をどうすれば良いのかさっぱり分からん。

 こういう環境にいたら、自分が理解していることなんか、この巨大な世界のほんの一部に過ぎないんだ、「氷山の一角」というのもおこがましく、針の先で突いたくらいしか知らないんだというのが、ごく当たり前の生理感覚になります。オーストラリアの新聞を読むのも、英語の練習や時事を知るということ以上に、バックグランドたる世間を知るという楽しみがあります。「へえ、そうなんだ〜、初めて知った」という事が山盛りある。知っても知ってもまだ足りない、全然足りない。だから僕の世界観は、いつも出来立てのオムレツみたいに、ふわふわ柔らかく、毎日のようになにかを学んで、変わっていってます。それが楽しい。

 でも日本にいると、何もかもが「分かった気」になるのですね。全ては理解可能というか、「え、そうなの?」「なに、これ?」って物事が少ない。これは母国と外国だから当然なのですが、しかしそれだけでは説明できないです。それ以上のものがある。

世界観凝固剤

 母国だろうがなんだろうが、知らないことは山ほどあります。日本についてだって、おそらく1000のうち3も知らないと思いますよ。僕自身、研修時代を入れても僅か8年余の社会人経験ですが、議員センセイから暴力団まで、殺人犯からNPOまでいろんな人々の色々な日常/非日常を日替わりメニューどころか2時間単位でチャッチャと場面が変わるような仕事をし、それでも食い足りず異業種交流をやって横断的に多くの業種の人とお話をし、都道府県のうち40以上は足を運びました。とにかく好奇心一発であれこれ動いてました。面白かったです。それでもまだまだほんの一部しか知らないとは思ってましたし、今でもそう思ってます。日本、面白いです。カニの身みたいに、ほじくればほじくるほど幾らでも美味しいところがある。

 これだけ面白い日本であるにも関わらず、普通に生活しているとその面白さがあんまり感じられない。理解できないこと、想像もつかないことを、自分で一生懸命探さないとならない。こっちみたいに、何もしなくても、普通に街を歩いて生きてるだけで、向こうの方から「なにこれ?」「へえ!」という物事が隕石群のようにやってきて、ガッツンガッツン僕の世界観を彫琢してくれる感じがしない。「未知に取り囲まれている快感」がない。

 おかしいじゃないか?って思うのです。
 日本が面白くないわけないんです。これだけ長い歴史と文化体系と複雑な自然を持ってる国が、「分かった気」になんてなるはずがない。一生驚きの連続であっても良いはずで、日本に生まれ育っても、常に世界観がふわふわオムレツになっても不思議ではない。でも、ならない。なんでじゃあ!?です。

 それは、客観的には面白いはずのものを主観的に面白くは感じさせてくれない、なんらかのトリックというか、メカニズムがあると思うのです。オムレツ凝固剤みたいな、変なクスリ飲まされているみたいな、視野も発想も固まりがちになる。何なの?これ?です。皮肉なことながら、日本にいて一番「なんなの、これ?」と思ったのがこの点です。"JoJoの奇妙な冒険”のように「世界観を固定化させるスタンド」みたいなものが発動してるんじゃないかと。

日本ユニーク論の嘘

海洋国家の開放性

 これは、昔からよくある「日本ユニーク論」と通底しています。日本は世界でもマレな特殊な社会で、それは海に囲まれた島国だからだ、そもそも文化体系がどうしようもなくユニークだからだ、ガラパゴスだからだって言われます。それで何となくわかった気になりがちですけど、でもよく考えたらそんなことないです。

 海に囲まれた島国国家なんて、日本以外にも掃いて捨てるほどあります。そもそもイギリスがそうだし、アイルランドもそう。マルタ島もアイスランドもキプロスもそう。インドネシアも、台湾も、フィリピンも、スリランカも、マダガスカルも、キューバも、ジャマイカも、あとはトンガ王国やらニューカレドニアなどの無数の南太平洋諸国もそう。オーストラリアだって図体はデカイけど人口の少なさと国の規模でいえば、島国っちゃ島国です。NZもそう。「海に囲まれた島国」というのが何らかの免罪符になるなら、そんな国は世界に山ほどある。日本だけの専売特許でもなんでもない。

 だから島国であることは、何の言い訳にも理由付けにもならない。

 それどころか海に囲まれている(あるいは海に近接している)ことは、海上交通によって自由自在に他国に行けるということでもあるから、閉鎖孤立化の要因よりも、むしろ活発な往来と開放性を促進する要素ですらある。ルネサンスがイタリアを拠点とした東方との地中海貿易によって生じたこと、大航海時代も外洋に面していたスペイン・ポルトガルから始まり、やがて大英帝国という一大海洋国家に覇権が引き継がれたことからしても、海というのは、閉鎖性よりも開放性につながる場合も多い。海に囲まれている「からこそ」です。海は「遮断壁」ではなく「往来通路」である。

 このように海洋国家性は「ひきこもり」の言い訳にはならないんだけど、何となくなるような気がしたり、何となくわかった気になっている時点で、もう世界観の固定化スタンドが発動している。

昔から開放的だった日本

 「ユニークな文化」なんてのも何をか言わんや、です。この世にユニークでない文化なんか無いです。合理的実利的なものを「文明」と呼び、非合理的でケッタイなものを「文化」と呼ぶ。世界中どの民族のどの文化を見ても、「なんでそんなアホなことをすんの?」という変テコなことをやっている。だからこそ文化であり、文化というのはすべからくユニークであり、日本だけではない。

 勿論世界には閉鎖的な民族社会は幾らでもあります。山奥の平家の落武者部落のような、人跡未踏のアマゾン上流のジャングル部落や、それこそ本当に絶海の孤島のようなところもあります。そういう環境の社会が閉鎖的で自己完結的になるのは分かります。

 しかし、日本の場合はそんなことないです。
 鎖国してたのは江戸期だけであり、七世紀の頃から小野妹子の遣隋使があり、それ以前に朝鮮半島と深い付き合いがあり(任那や百済)、帰化人が山ほどやってきてる。日本の国家体制やファッション、文化、宗教もまんま大陸のパクリだといっていい。都の作り方(条坊制)も政治体制(律令国家)もそうでしょ?仏教もそうでしょ?ファッションだって、冠+寛衣+束帯などの礼服は中国王朝のパクリで、そうでなければスサノオノミコトのように角髪(ミズラ)というツインテールのヘアスタイルに白っぽいパンツルックだったし。家だって正倉院やら寝殿造りの高床式ではなく、登呂遺跡のようなアボリジニ的なものだったし。戦国期もちょびっとポルトガルに接触しただけで、一気に鉄砲火器が広がり、カステラ、天ぷら、金平糖、シャボンが広がる。近年でいえば、先進国の仲間入りをしてから(日露戦争の頃)優に一世紀以上経てるし、世界二位とか三位という経済大国でもある。

 これだけ他国の文化を餓狼のようにむさぼり食い、食べるたびに変身、変身、また変身と強くなっていった国、押しも押されぬ世界の「主な登場人物」キャラになって一世紀以上のレギュラーメンバー的な国の一体どこが閉鎖的なのだろう。アマゾンのジャングル部落に比べることすら愚かしい。

 また、日本が閉鎖的にならなきゃいけない必然性なんか全くないです。政策鎖国でいうなら、かつてはイギリスだって「栄光ある孤立」なんて言ってたし、アメリカだってモンロー主義とかやってたわけで、日本だけではない。オーストラリアだって、白豪主義で孤立方向に突っ走ってた時期があったし。どこの国だって「独自の路線」というものを持っているし、それを守ろうと妙に意固地になってる時期があるし、外界と接触することでそれが危うくなるから扉を閉めるという行為はするのであって、別に日本だけではない。

 だからフラットに見れば、日本が閉鎖的になったり、ガラパゴス化しなきゃいけない客観的な要因なんか何処にもないといっても良い。

 にも関わらずそうなっているのは何故か?
 なんで日本の携帯だけガラケーになるのか?です。
 でもって、まさにそのガラパゴス携帯を生み出した日本市場の閉鎖性が根本原因(のひとつ)ではないかと思ったのです。

同質性を基調にした豊かな国内市場

ガラパゴス化はいつから生じたのか

 このガラパゴス化は、日本の近代史のなかでも戦後の話でしょう。特にバブル前後からその傾向が顕著になっていったと思います。日本人が作って日本人に売るだけで十分に経済発展できたという戦後期が長かったので、そのパターンにはまりこんでしまい、「それしかない」みたいな思考発想の固定化が起きているのではないか。

 以下、大した資料も根拠もなく、僕の素朴な思いつきで書きます。真に受けたらダメですよ。批判的に読んでくださいね。

 明治から敗戦までの日本はそういったガラパゴス化はなかったでしょう。
 平均的な日本人はまだまだビンボーだったから、日本人相手に商売しても埒があかない。やるなら「外貨獲得」であり、だから富岡製糸場やら「ああ野麦峠」の世界だった。西欧列強という敵は常に外にいたし、お宝は常に植民地という形で外にあった。常に目を外に向けていた。そもそもが黒船という外的ショック=「ひきこもっていたら死ぬしかない」で始まった維新〜明治期であるだけに、「対外」というのが全ての原点になっている。良きにつけ悪しきにつけ目は外を向いていた。その意味では戦後の日本と全然違うと思います。

 戦後ですが、高度成長時代はまだガラパゴス化してなかったと思います。
 朝鮮戦争特需で勢いをつけてからは、国内市場に中間層が急激に増え、「一億総中流」と言われたように肥沃な国内市場が出現していった。もともとの生活水準が絶対的に低かったから(焼け跡にバラックだもんね)、冷蔵庫や洗濯機などの三種の神器など物を作れば飛ぶように売れた。かくして皆で豊かになっていく過程で経済も発展した。あの頃は「追いつけ追い越せ」でやっていたので、常に目(羨望の目)は海外、特に豊かなアメリカを見ていた。「ああなりたい」と思っていた。

 ところが高度成長が一段落し、バブルを迎えて日本は"Japan as NO.1"になり、世界で一番金持ち民族になった。この頃になると、追いつき追い越してしまった感があり、あまり羨望の目でアメリカを見なくなった。「ああなりたい」どころか「ああはなりたくない」って感じになった。だから必死になって海外を見続けるということもなくなっていった。また、ひと通り欲しい物もゲットしてしまい、渇望するような商品もなくなっていった。「飽食の時代」とか言われたものです。

 輸出産業についていえば、高度成長時期のように、人件費の安い発展途上国であった当時の日本で生産して安く(ダンピングと叩かれつつ、エコノミックアニマルと嫌われつつ)西欧諸国に売るという方法論が、だんだん通用しなくなっていきます。その頃になると、もう人件費も高くなってるから日本製品は安さよりも質で勝負するしかなくなり、高品質の日本ブランドで売っていた。だけど、質の争いになると「作れば売れる」頃に比べたらはるかに難しくなります。そんなに馬鹿売れはしなくなる。

 本当はここで世界市場に通用するように、徹底的に世界各地のローカル市場に精通し、それぞれの市場に特化した細やかな製品づくりをするべきだったのでしょう。実際、車などは、アメリカ人のライフスタイルにドンピシャはまる車作りをして売れた(だからジャパン・バッシングも激しくなったんだけど)。でも、質の競争は本当に難しい。かつてはソニーが、今はアップル社がやってるような画期的な新商品なんか、そうそう連発できるものでもない。かといって質を追求していって、フェラーリやポルシェのように一部の特権階級向けの超高額商品みたいになってしまうと、数がはけない。その絶対矛盾を克服するために、アマゾンやマクドナルドのように、システムは普遍的にしつつも、商品や細かなやりかたは徹底的にその土地の特性にカスタマイズさせるという、普遍化と特殊化、グローバル性とローカル性を巧みに織り交ぜた世界戦略を構築すべきだったのでしょう。でもしなかった。いっときは世界の5割のシェアを誇り一人勝ちだった半導体も、次の一手を決めあぐねてマゴマゴしていたら、あっという間に追い上げられて凋落した。

 おそらくはここが運命の分岐点、失われた20年になるかどうかの分水嶺だったのかもしれません。
 バブル時期、世界でこれまでのように売るのが難しくなりつつある頃、どっちかというと売るよりもジャパンマネーにモノを言わせて買い占める(名画とか映画会社とか)ことばっかやってた頃、世界で一番おいしい市場は日本国内市場になってたのでしょう。だから、苦労して世界で売るよりは、肥沃な国内市場で売ってたほうが楽だし、儲かるということになったのかもしれない。

 そして、思うに、多分このあたりから世の中の全てが内向きになっていったんだんじゃなかろうか。
 バブル期はまだ日本人が金持ちだったから、金にあかせて世界中の最高級品を買いあさった。ブランド品も買いまくり、ドンペリをポンポン開けた。その意味ではまだ目は外に向いていた。しかし、バブルが弾けてビンボーになっていくなかでは、多少のブランド志向は残りつつも、かつてのように「金に糸目をつけずに」というノリではなくなった。安くて、品質が良くて、痒いところに手が届くような、等身大でドメスティックな商品に人気がでるようになった。価格破壊が徹底し、ダイソーのような百均が急成長していった。六本木のお洒落なクラブが食い放題の焼肉屋になった。デフレ化が始った。

日本人同士のオタク市場

 さて国内市場がいかに肥沃とはいえ、その競争はミクロ的に熾烈になります。客(日本人)も沢山いるが、ライバル(日本の同業他社)も沢山います。日本人にとって日本市場は、常に最強の激戦区であるでしょう。

 前回述べたように、もともとが同質性を基調とする日本社会において、日本商品がシノギを削るようになると、勢い話はマニアックに細かくなる傾向があります。いきなり天地をひっくり返すような革命的な商品が出るというよりは、似たような機種なんだけど、この方が安いとか、コンパクトだとか、細かな設定ができるとか、色が多彩だとか、オタク的な差別化に走るようになります。もともとが凝り性なオタク民族だから、こういうのは受けるし、ハマる。痒いところに手が届く商品づくりであり、そのうち痒くない所にまで手を届かせ、引っ掻くかわりに優しく撫でるとか、遠赤外線効果とイオン効果で内部から温めましょうみたいな、際限のない付加価値の機能競争になります。

 なにしろ日本人が日本人に売るんだから好みはよくわかってます。あの手この手で商品開発が進みます。でも日本人しか相手にしていないから、とてつもなくローカル化が深まり、日本市場以外では訴求力を失った過剰で無駄な商品になっていく。

 ガラケーと呼ばれるDOCOMOのiMODEは、それはそれは世界でも優秀な技術なんだけど、ただ一点、致命的な欠点があった。閉鎖的だということです。まず最初にDOCOMO(or主催電話会社)が認めた業者にのみ参入を認めると同時に料金徴収代行業務を行うという、均質で安全な”場”を作り、その中で高度に繁栄するという方法論であるから、これは箱庭社会の日本にはよく合った。しかし、開放性や相互互換性こそが命である世界市場では全く相手にされなかった。オーストラリアでもイギリスでもiMODEが売りだされたものの、鳴かず飛ばず。売れないというよりも、始まることすら出来ないで終わったくらいの不評だった。これがガラパゴス性の本質でしょう。

 ビジネス的に言えば、バブル後に、あそこで国内仲良しオタク市場に安住するのではなく、世界市場に行けばよかったんだけど、楽な方にいってしまった。普遍性と特殊性が激しく交錯する世界市場、例えばイスラム教スンニ派に売る商品や流通システムと、シーア派に売るそれとでは方法論を変えるべきか否かという点を徹底的に極めるべきだったのに怠った。「日本製は優秀だから売れるはず」というほとんど宗教的なまでのドグマを抱えて没落した。

 つまり、いくら技術が優秀でも、売り方が下手くそだったら何の意味もない、という当たり前のことを疎かにした。これって、テストの点や学歴がいかに優秀だろうが仕事が出来なかったら何の意味もないというのと似てますな。日本に限らず人間だったらよくやるミスですね。暫定・手段目標と究極目標とを取り違えるという。あるいは一つのことをムキになってやっていると、知らない間にゲームのルールが変わったことに気づかないで(or 気づいても過去の成功体験を手放したくないから知らんぷりして)ボコボコにされるという。時代は制空権のゲームになっているのに、あいも変わらず大砲巨艦主義で戦艦大和を作って、何にも出来ないうちに沈められてしまう、みたいな。


 さて、ここでは日本の近代ビジネス史をやるのが目的ではなく、それが日本人の精神や世界観にどのような影響を与えたか、です。

商品社会における世界観の歪み

商品主導の世界観

 バブル期以前、特に高度成長までの時期には、まずニーズがあり、それを追いかけるように商品が開発販売されました。お腹が空いたから食べ物を買うように、はじめに確固とした需要があった。それはもう需要というよりも「裸の欲望」といってもいいくらいに、ギラギラした「○○したい」というニーズがあった。商品はその欲望を奉仕する召使のようなものだった。

 ところがだんだん欲しい物がなくなっていったバブル以降、新たな商品によって購買欲を刺激されるという逆転現象が目立っていきます。「○○が欲しいから商品を探す」のではなく、「商品があるから欲しくなる」という。「そこに山があるからだ」みたいな。ま、これも「潜在的な購買欲を発掘するマーケティング」という意味では一般的ですし、古くは「供給が需要を生む」というケインズ以前の「セイの法則」なんてのもあるらしいのですが、そういった一般論を超えて顕著になっていったと思います。

 僕は丁度このあたり(バブルが崩壊して数年後)に日本を離れたのですが、以後日本に帰る度に「あれ?」って妙な違和感がありました。もっとも、遡ればその違和感は1980年台くらいからありました。日本語に「ブランド」という聞き慣れない外来語が定着しはじめた頃です。その頃の違和感は、当時はあんまりよく言語化できませんでしたが、今回の絡みでいうならば、「"商品"がやたらデカい顔をしはじめた」という違和感だと思います。同時に、日本から「乞食」が消え、差別用語が糾弾され、やたら嘘臭いまでになにもかもが清潔で快適になり、不快だったり見たくないものは単に見ないだけではなく、最初から存在しないかのようになり始めた頃。生温かい嘘臭い世界観がうっすら日本を覆いだした頃です。

 しかし、その頃は「あれ?なんかヤだな」という程度で、それほど強力なものではなかったです。でも、ここ10年〜20年で、そういった感覚がメインストリームになっているように思います。

 アマゾンの通販などを見ても、「よくまあこんなに」と感心するくらい、多彩で魅力的な商品群が山のようにあります。そのへんのスーパーの陳列棚を見ても、ドラッグストアを見ても、「よくまあ!」ってくらい、単位平方センチメートルあたりにキチンと精密に、まるで曼荼羅のように芸術的なまでの細密さで、訴求力あふれたネーミングとデザインの粋を尽くした商品が並んでいます。ちょっと歩いて喉が渇いたら、必ずどっかに自販機はあるし。

 それは、慣れてしまえば余りにも魅力的で、快適で、心地良いです。

 そして、ここが肝心なところですが、こんな環境にずっといたら、「商品だけ買っていれば幸福になれるんじゃないか?」なんて途方もない錯覚をしてしまうかもしれないな、と思ったのです。

 つまり自分の人生において欲しいもの、必要なものは全て「商品」という形で存在し、商品を購入するという方法論だけでしか人生を幸福にする術はないかのように思ってしまう。商品は「物体」だけではなく、TVの番組も、サービスやブランドも含みますから、人生の究極の成功は、ハイステイタスなエリアに豪邸を建て、子供もハイステイタスな学校に通わせ、、、いずれにせよ既存の商品群の組み合わせのようになる。

 「何をバカな」と思うかもしれませんし、「俺は違うぞ」と思うかもしれません。が、この現象が意外と馬鹿にできないのは、商品群があなたをすっぽりと繭のように包み込むところです。

商品成立の第一条件=理解可能性

 商品が商品として成立するためには2つの条件があると思います。
 一つはあなたに買ってもらわないければならないという点です。クソ当たり前の話なんだけど、ここに落とし穴がある。買ってもらうためには、あなたが理解できるものでなければならない。全く理解できない、あるいは理解するのに骨が折れるようなものであったら、購買欲も起きないでしょう。あなたの理解できる範囲になければならないし、同時に興味をそそるようなものでなければならない。つまりは、今のあなたから「半歩くらい先」にある物が好ましい。

 そんなものに囲まれており、それらがなまじ魅力的(に見えるものを作ってるんだから当然)だから、そればっか追いかけるようになる。するとどうなるか?理解できるようなものばかりに囲まれるということであり、理解できるという世界観に知らず知らずのうちになっていくことです。

 そうなると「およそ想像もできないこと」「理解不能なこと」があなたの周囲から削除されていってしまいます。逆にいえばあなたの世界観はそういう形で限定されていく。もちろん、TV番組や商品でも、日本でまだ知られていない世界の珍しいものをあれこれ紹介します。が、それとて「日本人の消費者に理解できる」ような形に必ず「加工」されています。理解できなかったら成立しませんもんね。さらに、その過程で前回述べたような「日本フォーマット」での誤った解釈が行われていないとも限らない。

 いずれにせよ人為的に加工されたものが多くなり、「素」の物が少なくなる。
 こっちにいたら分かるけど、あるいは子供の頃の世界はそうだったけど、世の中そんなに自分の理解できるものばかりではない。てか、理解できるものはほんの一部に過ぎず、圧倒的大部分は「理解できない」ものであり、且つ誰かが分かりやすく解説してくれるわけでもない。「わからない!見当もつかない!以上!」です。それがこの世界の本当の実相だと思う。それをあれこれ考え、推論し、実験し、手探りで模索していくことが、世界の歩き方であり、ひいては生き方であり、それこそが本当のゴツゴツした「生きる手触り」であり「楽しみ」なんだろうけど、ここまで人為的に理解可能に、しかもナイス&快適に加工されたものばかりだと、そういった初歩の楽しみをつい忘れてしまうのではないか、と。

商品成立の第二の条件=利潤

 商品成立の第二の条件は、「儲からねばならない」ことです。利潤が生じるようなメカニズムが絶対必要です。
 そこに商品があるということは、必ずそれよって誰かが儲かるというシステムになっているということです。あ、儲けること自体は悪いことでもないんでもないですし、資本主義社会では正義といってもいい。問題は、利潤を生み出すメカニズムが思いつかないような物事は、それがどんなに面白かったとしても、商品としては成立しないから世に出ないということです。

 例えば、僕がやってる一括パックでも利潤が生じるのは学校を紹介してコミッションを貰うというただその一点だけで、それ以外の生活ノウハウのレクチャーや、膨大なステップに分解したシェア探し実践技術の積み上げは、なかなか商品化できません。シェア探しに出陣する人に、5時起きしてエクセルでリストを作ったり、ランチのサンドイッチを作ったりするというのは、要するにほとんど趣味みたいなものです。経営的に言えば、真っ先にリストラすべき不採算部門も甚だしい。しかし、この不採算部門こそが人間のアクティビティとしては最大に美味しかったりするのですよね。

 この世界には、どうやっても商品化できないけど、面白い物事は山ほどあります。僕らの子供の頃は、そんなことばっかだった。「だるまさんがころんだ」も、缶ケリも、ピンポンダッシュも、かくれんぼも商品化しにくい。もちろん、ゲームで遊んだり、虫取りには網を買ったり、マンガを読んだり、自転車乗ったりという商品によって楽しむ物事も沢山あるけど、商品化しようもないことも沢山ありました。学校の帰りにジャンケンして「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト!」なんてのは、どう転んでも商品化は無理でしょう。

 端的にいえば、人間関係、とくに友人関係とか恋愛関係なんか、一番商品化しにくいです。しかし、それを補助する商品は開発可能であり、それが例えば婚活系ビジネスであったり、人間関係で悩む人のカウンセリングであったり、関連書籍やDVDであったり、バレンタインやクリスマスギフトなどのご贈答ビジネスであったりするわけです。でも、そんなものは、本来の立ち位置でいえば「補助ツール」に過ぎないわけなんだけど、それらに埋め尽くされていると、なんか物だけ買ってればいいじゃないかって気にもなって、それ以外の解決方法が思いつかないという変テコな話になるかもしれません。それか、SNSで「いいね」クリックをするとかしないとか。ほんでも、男同士のダチ関係なんか「バカヤロー!と叫んで」「とりあえずぶん殴る」という、古今東西人類が営々とやり続けてきた、非常に分かりやすいメソッドがあるんだけど、そんな簡単な初歩をついつい忘れてしまう。

 他にもいくらでもあります。映画や小説、マンガなどを鑑賞するのは面白いけど、それらに匹敵し、それら以上に面白いのは、誰かから直接話を聞くことです。業界の裏話もそうですし、「ま、一杯いこう」と飲みながら昔の失恋話を聞いたりとか、面白いです。これ、どっかの雑誌に載ってるような、ちょっと鋭そうだけどしょせんは受け売りみたいな話なんかされても全然面白くないのですよ。むしろ、事実関係が面白い。日本の実家の近所を描写してもらうだけで面白いし、家族の人物像を言ってもらうだけでも巧まざるユーモアやドロドロ確執が漂ったりして、「へえ?ふふふ」と面白いです。嘘だと思ったら聞いてみんしゃい。



 さて、今回の要旨をまとめるならば、この世界は、僕らが理解できないことだらけだし、商品化できないものの方がずっと多い。それは「理解可能性」と「利潤メカニズム」というキツ〜い二大条件をカマされた「商品」の狭苦しい活動範囲よりももっと自由で、もっと広く、そしてもっと面白い。

 だいたいですね、いい大人が「お金を出して商品を購入する」という、しょせんは「大人のママゴト」のような事だけで満足できるわけがないでしょうが?お金なんか持ってても何の解決にもならず、一筋縄ではいかず、それどころか理解すら出来ないで、途方に暮れるようなものが面白い。その面白いことを遂行するにあたって、装備や交通費にお金は必要かもしれませんが、そんなの全然本質的ではない。将棋や麻雀をやるのに駒や牌を買うことはあっても、買ったからといって一件落着ではない。そこから人生まるまる使い切るくらいの長い長い旅路が始まるのだ。


 さて、今回はここで切ります。
 もうちょっと書いたけど、中途半端になりそうなので。




文責:田村



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