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今週の一枚(2013/05/20)



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Essay 619:近況雑感

Windows7&8&ノートパソコン同時導入の暴挙に出て、案の定苦労している件

 写真は、Drummoyne。いやあ、木がデカいというのは、それだけで凄いですね。この木だって「生き物」なわけで、森の長老様にお目通りしているような感じ。大画面にしてお楽しみを。



 最近テーマ主体の話題が多いので、今日は、近況雑感を。まるで普通のブログのような、まるでFacebookのような、「そんなの興味ある人おるんか?」的な。

暴挙敢行

 このたびPCを新調したので、睡眠不足で死んでます。わかる人には分かるでしょうが、ここ微妙に論理の飛躍がありますね。なんでPCを新調すると睡眠不足になるか?理由は簡単で「引き継ぎ業務」です。これまでのファイルの移管、さらに今までカスタイマイズしまくっていた各種設定などを新しいシステムに移行するのが大変なのですね。

 しかも、止せばいいのにデスクトップと、この際だからノートブックもと二台まとめて買ってしまい、さらに、もともとXPを"まだ"使っていたのに、デスクトップはWindows7でノートはWindows8と2つの違うOSをまとめてやろうという暴挙に出ています。OSのヴァージョンアップというのは一つだけでも相当面倒なのに、二つ同時にやるなんてやっぱ暴挙でしょうね。でも、ま、定期的に暴挙はやらなあかんです。

 しかし、当然ながら、XP→Windows7&8になると、もうDocument and Setteingsの場所が違う、システム発想が根本的に違う、インターフェイスが壊滅的に違う。僕は子供の頃からイラチ(せっかちの関西弁)なタチなので、三歩あるく度に畳に縁に蹴つまづいて転倒するかような経験を延々数十時間続けさせられると、「だー、もう!」でマウスをバンバン叩きつけたくなりますです。

 「っとに、もう!」って、某マイクロソフト社に対する(前回ネタの)憎悪モチベだけで軽く1本は仕上がりそうです。ネットで探すとその種の憎悪モチベネタは唸るほど出てきます。読みながら「そうそうそう!」「よく言った!」とまたマウスをポンと打って激しく同意したりします。ちょっとカタルシス。

 しかし、ま、この会社は何とかならんのか。20年近くの付き合いながら、基本的な性格は何も変ってないよね。一言で言えば「官僚的」。それはそれで「ブレない」のかもしれないけど、とにかく仕様も説明もお役所仕事っぽい。分かりにくい。ヘルプやトラブルシューティングで解決した試しがない。だからこそ、「Windows○○完全解説」というサードパーティ本(とても分かりやすい)が山盛り売られているわけで、こんな本が売られていること自体、ある意味では恥ではないのか、ちゃんと自社製品を説明できてないってことなんだから。

 ヴァージョンアップして良くなることより悪くなることの方が多い。過去に出来なかったことが出来るようになったというのは勿論あるけど、逆に「前は出来たのに出来なくなった」という不具合の方がもっと多い。だからヴァージョンアップ恐怖症になる。WordもExcelも90年代に完成されていて(改良余地はまだあるが)、昔のヴァージョンで十分。でも、最新のファイルが開けなかったりという互換性の問題があるからしょうことなしにUPしているけど、WordもExcelもまだ2003年版(10年前)を使ってます。2007も持ってるけどインストールしない。インターネットエクスプローラーも相変らずだし、あんなの使っている人が過半数もいるというのが信じられないのだが、それはつまり、自民党が過半数を取っているってことなんだろうな。世間なんてそんなもんよ、という。「大勢に従うと損をする法則」ですね。

 このヴァージョンアップの不満はマイクロソフト社だけではなく、全てのソフトに言えます。画像ヴューワーは過去に20ソフト以上使ったけど、結局ACDSee以上のものはない。しかも最も初期ヴァージョン。今はACDSee Classicって名前になってるけど20年以上前のヴァージョンが最高。あとは進化する度に、贅肉が増えて中年太りしていって、動きが遅くなり、無駄な機能ばかりになる。

 メインブラウザもFirefoxの5.0からあげてません。今21、ベータは22だけど、まだ5で頑張ってます。一回7位まで上げたけど、その時点でダメだったからダウングレードしてます。全然問題なく動く。特にFirefoxはアドオンやカスタマイズしてなんぼのソフトだから、UPするとアドオンが使えなくなる問題があります。僕は有名なTabMixのほかに、KeyConfigというキーボードショートカットに特化したアドオンを使っているのですが、これが超無愛想(サイトをみたらわかる)で、設定もプラグラミングみたいに難しいんだけど、それだけに細かなカスタマイズが出来て最高。でも2011年で製作者が作るの止めちゃってるから、本体をヴァージョンアップすると乗らなくなるので、そこが辛いところです。

 ちなみにGoogle Chromeはメインでは使いません。一見早そうなんだけど、実はメモリをドカ喰いするとか、インターフェイスがイマイチ過ぎる。ホームぺージの作成ソフトですが、これはHTML Project2というソフトを使ってます。最初は鬼のように分かりにくいのだけど、マクロ設定などカスタマイズ余地が大きく、使いこなすとかなり重宝します。Dream Weaverやホームページビルダーも使ったことがあるけど、結局お節介すぎるのですぐ止めました。重すぎるし。

 話はマイクロソフト社に戻りますが、ヴァージョンアップして、そりゃ基本性能は良くなってるのは認めますし、開発の皆さんのご苦労もわかるし、良くしようという熱意もわかる。根本的にやりかえようという技術者魂みたいなものにも拍手を送ります。ほんでもこのインターフェイスはないだろ、そしてそれを伝えようという意欲がないだろ?って。

 要するにマーケティングというか、売り方レベルの問題なのかもしれないけど、「金儲けをしたい」という資本主義的悪霊が、「いいものを作りたい」という技術者魂を殺しているという、近代資本主義社会(ま、封建時代にもあったが)の基本構図ですね〜。そんなことまで大袈裟に考えてしまいます。大袈裟ついでにいうと、官僚機構の肥大化というのはこういうことなのね、とも思う。仕事があるから組織を作るのではなく、組織があるから仕事を作るという。もうこのソフトは時代に合わないし、合わせようとすると本来の持ち味が失われるから作るの止めようね、会社も解散しましょう、全員クビねって話にはなりにくい。延命のためにあれこれやるようになり、肥大化した挙句、「ほんとにそんなに仕事があるの?」という都庁ビルのようになる。しかし、あのビルも笑えますよね。税金使ってあんなの建てるなら、即刻叩き売って、その金で託児所でも作れよって思うけど。
 WindowsのOSなのですが、いや、別にXPでも全然不満はなかったし、もっといえば2000でも良かったのですよ。そんな高度なホームページ作っているわけでもないし、画面上で動いたり跳ねたり踊ったりというギミックバリバリのサイト作りには全く興味がないし。てか、イチユーザーとしては「憎悪している」といってもいい。アクセスしたらやたら待たされ(オーストラリアは光はまだまだ先なのだ、クソ遅いのだ)、挙句にどうでもいい画面がチャララ〜って出てくると、「ほんなんええから、はよ本題やらんかい!」と、またマウスバンバンになるわけですよ。ソッコーで「SKIP THIS AD」をクリックするけど、そのクリックすらない愚かなサイトもあって、もうその時点で諦めてタブを閉じます。誰がこんなサイト読んでやるもんかって気分になります。江戸っ子は気が短けえんだ(僕は巣鴨の生まれ、中学は深川)。

 それにAPLaCを読みに来てくれる人は、そんなネット的装飾に興味があるわけではなく、いかにして安くワーホリに行けるかとか、永住権取れるのかとか、どうやったら仕事がゲットできるのかとか、そういう超ソリッドなことに興味があると思うのです。メールも大体それ系だし。それにお応えするには、チャラいサイトを作ることではなく、「えーと、最初のシェアのボンドが○○ドルで、前家賃が2週間分で残金が幾ら残って、今日のうちにジャパレスの面接を3件取って、明日から働きはじめるとして、給料がでるのが2週間後だとして、その2週間を生き延びるためには幾ら必要で、よし、今から電話だ!20件連続、いくど!」という日常やってる汗臭くも超々ソリッドなことを、マウスではなく電卓をバンバン叩きまくって示すことだと思っとります。違いますかね。だから極論すればWindows95でも別にいいのだ。まあ、アンチウィルスソフトが重すぎて動かなくなるだろうけど。

 だもんで、普通はヴァージョンアップするとにしても、かなり時間が経ってからですね。どうせバグだらけだろうから(これは仕方がないと思う)、修正×修正×修正のサービスパック3くらいが出たくらい、出てから3年してようやく乗り換えという。それでも十分間に合っていて、だからXPであと1-2年は不自由なかった筈なんだけど、、、でも、マイクロソフト君もそれでは売れなくて困るから今年でXPのサポートは打ち切りで、あとはウィルスに食われて死んでくださいと言うもんだから、「そらしゃーないわなあ」「おたくさんトコも従業員養わなアカンしなあ、ぎょーさんいてはんねやろ?(いきなり大阪弁)」って感じ。それに来られる皆さんのPCを触らざるを得ない場合もあって(WiFi接続とか有用サイトの説明とか)で、あんまりヴァージョンが違いすぎるとヤバいなという業務上の理由もあります。先日、Windows8のスマホ仕様スタート画面をみて「なに、これ?」と思いましたね。こりゃちょっとキャッチアップせなあかんな、と。

案の定のストラッグル

悪夢のような、、
 そんなこんなでやってるわけですけど、しかし、まあ、、、なんぼでも言いたいことが出てきますな。

 Windows7に関しては、メンバー管理やアカウントのやり方がガラリと変わり、それが設定などのプロファイルと微妙につながってるから、そんなことは露知らぬインノセントな私は(調べろよ)、悪夢のような事態に立ち至り、あたかも放射能瓦礫のように放置されています。

 例えば、自分しかいないのに(当然アドミニ権限あるはずなのに)、なぜかフォルダーへのアクセスを拒否られるなんてのは、よくある話で、いわば序の口。「おおっ」と思ったのは、フォルダーが合わせ鏡の無限ループ化して、まるで「不思議の国のアリス」の世界への入り口みたいなことになっていることです。すごいよ〜。フォルダーを開けるとまた同じフォルダーがでてきて、それを四次元ラッキョの皮剥きみたいに10も20も無限階層になっている壮観な眺めになってます。あんまり面白いのでキャプチャーして貼っておきます→。
 矢印ショートカットのフォルダーがやたら出てくるのでその時点で気づくべきだったのでしょうが、さあて、どうしよっかなあ。

 細かな仕様変更(改悪)は幾らでもあります。中には単なる「慣れの問題」もあるのですが、これは決して慣れの問題ではないぞ、不便なまま固定されてしまっているぞ、という点も多く、さすがに速攻でフリーソフトを探して("Classic Shell"とか)、スタートメーニューやタスクバー、エクスプローラーの仕様をカスタマイズしてます。こんなソフトが山ほど出回っているということは、皆も同じくフラストレーションを抱えているってことでしょう。

Windows8退治

 しかし、そんな7のイライラは、Windows8のぶっとび加減に比べたら可愛いものです。Windows8手強いですねえ。事前には聞いていたし、確実を期すなら7にしても良かったんだけど、でもそれって冒険心に乏しいので、敢えて8にしました。だから半分「うひょ〜」といって楽しんではいます。

 オーストラリアのパソコン屋さんのお兄ちゃんも言ってましたが、もう世界中からクレームの嵐だそうです。あまりの悪評の高さ(VISTA以上とか)で、マイクロソフト社も近々Widonws8.1を無償で出すそうです。何がそんなに評判悪いかというと、ご存知の方も多いでしょうが、タッチパネルのスマホ対応を意識してぶっ飛んだコンセプトでやってるからです。ぶっ飛ぶのはいいです。「意欲的な取り組み」として好意的に評価しましょう。しかし、「ぶっ飛んでるだけ」だから始末が悪いです。そのまま飛んでいって帰って来れないという。何のために飛んでいるのだ?という。

 冷静に見れば性能的にはかなり良くなっているそうですが、やっぱインターフェイスが悪い。悪すぎ。タッチパネルがどうこう取り沙汰されてますけど、僕に言わせりゃ、そんなの関係ないです(Windows7でも実はタッチパネルは採用されているんだし)。ソフトというのは直感操作がいかにできるかがポイントですが、スタートメニューがボロボロ、というか「無い」から、まず何をどうしていいのか分からない。それ以上にヒドイのは、一回やりはじめたら「モトに戻れない」「やめられない」という点でしょう。どのメニューも終了キーがない。一番ひどいのはコンピューターをシャットダウンできない点でしょう。いろいろ調べてみて3−4の方法があるのが分かったのですが、これ直感だけで探しきれないよ。「あ、こんなところに!」って場所にあるし、表示の仕方も「これじゃわかんないよ」という表示。

 第二に、スマホ仕様でパネルのような、カルタのようなカードがスタート画面一面に貼られているのだけど、あれ、目立つところにあるようなものは、ほとんど全部チラシですわ。広告ね。クリックしたら「さあ買え、はよ買え、何をしてるんだ?はよ買わんかい!」と押し売りのようなソフトばっか。ノーサンクスですわ。いいよ別に、eBAYなんかトップ画面になくても。聞いたこともないゲームもいらない。「Office」をクリックすれば、WordやOfficeのところに行けるのかと思いきや、「Windows8対応のOfficeをゲットするのは今がチャンス!」という。

 要するにCMしかやってないテレビみたいなもの、玄関先に常に十数人の押し売りが詰めかけている家みたいなもので、なにが悲しくて金払ってこんな広告を読まなきゃならんのよ?、、、と思うよね、普通。そしてそういうのに限って終らせ方がわからない。てかこれも「無い」。終われない。普通右クリックしたら最後の方に「終了」とか「EXIT」があるんだけど、そんなの全然ない。右クリックしても無反応。あたふた動かしているうちに、妙な加減で(としか言いようがない)もとにもどったり、別の画面に行くからほっとするけど、でもそのソフトは動きっぱなしだからメモリー食ったまま。あとで別の箇所でプチプチ潰して終了させていくしかない。

 話題の「チャーム」も要らない、無駄、邪魔。出てこないで欲しい。大体いきなり検索なんかするか?入力しなきゃいけないならタッチパネルの意味ないじゃん。メニュー内容も「なんで?」というものが多い。

 これじゃあ全世界から非難の嵐でしょう。日本では、「くそ〜、なんだよ、これ!」と罵声が飛び交い、英語圏ではBloody, Goddam, Fu**kin'といい、イタリアあたりでは「まんまみ〜あ」とか言っているのでしょうか。アラブ圏では「ザーバ!」、ユダヤ圏では「ハラー!」、フランス語では「おきれ!」、インドネシアでは「ばんぐさっと」、ロシアでは「よぶ!」とか、世界各地の各家やオフィスで、人類みんなしてマウスバンバン叩いて(タッチパネルか)叫んでいるのでしょう。そう思うとなんか微笑ましいよね。世界は一つだよな。

 これは根本的な設計思想に関わると思うのだけど、「使いやすい」というのはどういうことか?です。あれこれダンドリ整えて全部揃えてあげるのが「使いやすい」のか、どこまでユーザーの自由意思を尊重するのが「使いやすい」のか?自分では決めきれない人に「これを食べなさい」と押しつけるのが良いのか、それとも自由に選ばせてくれるのが良いのか。これはユーザによって千差万別だから、一概には言えないでしょう。Windowsが基本、押しつけ系になっているのは、ガリバーシェアで全世界の大多数に合わせるという意味では納得はしましょう。しかしそれをするなら、フォローとして、押しつけられたくない人にカスタマイズの自由と容易さを与えるべきだと思うのですね。それをやりにくくしているということは、結局は設計思想における世界観、人間観の問題で、この人達はユーザーを一個の人格として見ておらず、単なる「家畜」「金づる」としか見てないのではないか?と。こういう商売のやり方は、あんまり好きではないですね。

 ということで、これも速攻でカスタマイズ。うざうざ出ていたソフト広告を片端から削除、削除、削除と阿修羅のように消しまくり、そうしても尚、時折画面に同意条項が亡霊のように出てきて、「同意します」をクリックさせられそうになる(この画面も消せない)ので、やっと見つけ出したコントロールパネルで、片端からアンインストール。プリインストールしてあるノートンも消去!自分の持ってるし。「ほんとに消しちゃうんですか、いいんですか、大変なことになりまっせ」という未練がましいリマインドが出るけど、無視して消去。だいぶすっきりしました。ざまあみやがれってんだ。なんか、リゾートのコテージに行ったらゴキブリだらけで、着いてそうそう大騒ぎして駆除しているみたいな感じ。

 しかしこんなのはまだとっかかりで、8を快適環境にするまでには、まだまだ山ほどやることがありそうです。ATOKの動きがヘンだし。大事なソフトのインストール画面で微妙に日本語が文字化けするし(海外の英語版はたまにあることだが)。が、本体そのものは悪くはないと思いますよ。立ち上がりはすごく早いし。構成は意外とシンプルだし。

ノートパソコンとクラウド

 キャッチアップ課題はまだあと2点あって、一つはノートパソコンと同期とクラウド、もう一つはスマホです。これも今まで、必要もないし興味もないって感じだったのですが、「一応潰しておこうか」程度の感じ。

 ノートパソコンですが、これは何年ぶりだろ、25年ぶり?くらいに買います。以前はOASYS ADというノートワープロで、出先でパソコン通信できるからって遊び半分で買ったもの。で、学んだのは、「結局そんなに役に立たない」「使わない」ということでした。

 これはもうライフスタイルやビジネススタイルによるのだけど、どういう場合に必要でないかはよく分かった。でもって、以後25年、必要と思える事態に一度も至らなかったので、買わなかったし、興味もなかったという。スマホも、電話機能を除けば、小さなパソコンだから同じく必要とする状況はなかった。

ノートパソコンが必要な状況

 ただ、どういう場合に必要か?は、まだよく分からないです。バブルの頃のイメージ、リゲイン飲んで24時間飛び回っているジャパニーズビジネスマン!みたいなライフスタイルだったら必要そうなんだけど、でも、真剣に考えて本当にそうなんか?って疑問はある。

 その疑問を突き詰めていくと、「パソコンを使うという状況」と「移動するという状況」が微妙に噛み合わないんだと思います。パソコンを使う理由は幾つもあるのだろうが、大きく分けると@情報取得&交換、A執筆や創作活動です。@の情報取得だけど、ネットにつないで情報を〜とかいうけど、そんなので得られるのは一般的な情報に過ぎず、どうしても出先で一刻を争うほどに必要か?というと、業種業態にもよるのだろうけど、あんまり思いつかないのですね。それが重要な案件になればなるほど、キーパーソンから直接肉声でのGOサインが欲しい。報告にせよ、相談にせよ、電話で直接やった方がニュアンスも汲み取れるし正確。

 例えば、昔の僕が依頼を受けて裁判所の和解交渉やってて、もうこのあたりで手を打つかという潮時になったときに、依頼者に確認するとします。出先での情報交換と確認です。これはもう電話ですよね、絶対。「じゃあ、2億8000万で手を打ちま〜す」ってメール一本打ちゃいいってもんではない。直接電話して、状況をリアルに説明したうえ、依頼者の感情波長とシンクロさせる作業が必要です。多くは「苦渋の決断」としてやるから、そのあたりの心の痛みや苦味を同調させないと、あとで「勝手に話をつけてきた」って言われるもん。これ絶対といっていいくらい言われる。大事な決断であればあるほど、本当は直接対面して、目と目を合わせて、膝つき合わせてやるべきでしょう。一か八かの心臓手術をやるかどうかの決断も、お医者さんとじっくり話し合って決めるものでしょう。「じゃあ、人工心臓にしましょうね、死ぬかもしれないけど」「よろしく〜」なんて軽いノリでは済まない。

 テレコミュニケーションの情報不足というのは、これは昔から絶対的です。逆の例を述べたら分り易いかもしれないけど、例えば身代金誘拐事件で犯人からの要求。活字切り貼りの手紙とか短い電話だけ。確かに用件は伝わるけど(明日まで3000万円とか)、輪郭がつかめない。本当に我が子は無事なのか、どういう犯人でどういう人となりなのかが全く分からない。分からないからこそ犯人は利用するわけです。つまり、誘拐犯人が利用するほどに情報量が少ない。

 でも、ビジネスでは真逆に情報量が豊富に要る。それは幾らとかいう数値ではなく、往々にして信頼とか誠意とか熱意とかアナログな要素が大きい。「熱意にほだされて」とか「信頼できそうな人だったので」とか、そういうことが結局キーポイントになる。どこで買っても品質が同じだったら量販店やオンラインでいいけど、家一軒数千万円を頼むとなったら、値段だけではなく、「この人なら」という非デジタルな情報が決定的な意味を持つ。ゆえに、ビジネスでも大事なことになればなるほど足を運んで直談判するのが普通でしょう。「ここ一番」になったら、トップが自家用ジェットを使ってでも出向いて話をつけてくる。ネット革命だ、もう出張は不要だとか言われた時期もあったけど、結局新幹線の利用客は増えてるし、ネットが盛んになればなるほど出向く必要性が逆に増えた。そもそも、そうでなければノートパソコンなんか要らないもんね。デスクトップ同士でデーターのやりとりをしてりゃいいもんね。

 一分一秒を争うようなときも、やっぱりネット経由なんかトロいでしょう。それこそSPのように耳に受信機を備えて「正面玄関に不審な人物発見!」というリアルタイムの情報をゲットしつつ、「第一班は直ちに裏門に向かえ!」という指示を受けて動かないと間に合わない。そんなことをメールでやる奴はいない。昔ながらのトランシーバーや無線機が一番強い。億単位の株取引の潮時感もそうです。「今だ!買え!」って瞬間で動くから、ヘッドフォンのようなレシーバーつけてやってるもん。勿論株価の推移やチャートをリアルタイムで追うためにパソコンを使ってるけど、あれは一種の「計器」で、コクピットのパイロットが計器を睨んでるのと同じで、コミュニケーションツールというのとはまた違う。

 現地調査なんかでもそうです。まずは現場を見る、触る、調べる。海洋調査の調査機器の一部としてパソコンがあるなら話はわかるけど、単に調べたものを「記帳する」だけだったら、メモとって帰ってからゆっくり編集してもいい。現場ではとにかく「現場ならでは」のモノを摂取するのが第一でしょう。これはオーストラリアにワーホリで来るというような場合も同じで、大事なのはパソコンを使ってブログを書くことではなく、また日本のドラマをYouTubeで見ることでもなく、海外という現実を全身の毛穴に染みこませて、120%体感し、体験することでしょう。海に行ったらまず泳げ、ですよね。海の写真撮って、それをパソコンに入れてネットにアップするのは別に現場でなくても出来る。

 何を言ってるかというと、「移動する」「出かける」という「現場性」は、それが大事であればあるほど、非パソコン的、非デジタル的状況が展開されているのであって、だから移動に非現場的なパソコンは本当に必要なのか?という本質的な疑問があるのです。

 実際、前職の時は死ぬほど忙しく、かつ出張も多く、日本全国全県とはいわないまでも40県くらい行ったけど、ノートパソコンが欲しいなと思ったことは、実は一度もなかった。だから25年間欲しいと思ったことは一度も無かった。

創作系

 Aのクリエイティブな作業のためのパソコンですが、これは執筆とかデザイン創作です。デザインはよう分からんけど、執筆についていえば、キータッチと反応速度に尽きると思う。僕は昔から大量に文章書いたし、低レベルながらもそこそこ文章の質にはこだわっていた。だから創作的な文章作成になるのだけど、やっぱりキータッチが悪かったり、日本語変換がアホだったら、もうてきめんに作業効率が落ちます。質もかなり劣化する。頭の中に考えていることというのは、次の瞬間には曖昧になってしまうから、思いついたときに消えないうちに一気書きしないとダメで、それにはキータッチのリズム感や弾力、変換がビシバシ決まることが大きな要素になります。

 その点でいうとノートパソコンは、ほぼ致命的にキータッチが良くない。狭いし、跳ね返りが浅いし。もうイライラしてくる。最近はかなり改善はされたけど、それでもデスクトップの広々感には勝てない。キーボードを別売りで買えばいいけど、そうなると荷物になって、最大の長所である軽快さが失われる。

 また、そもそもそういう創作活動というのは、じっくり腰を据えて数時間かかりでやるもので、出先でちょこちょこやるようなものか?という気もする。まあ、寸暇を惜しんで執筆活動にいそしむ人もいるでしょうから、無いとは言わないけど、「じっくり腰を据える」作業と、軽快に移動するノートパソコンとの間に本質的な齟齬があるような気がするのですね。流行作家が取材先でも原稿に追われているならわかるけど、でもそこまで売れている文筆業者なんか、日本に100人もいないと思うぞ。また、ゆっくり別荘で静養しながら執筆を、、というなら、別荘にデスクトップを買えばいいのだ。

 大袈裟にいってるようだけど、文章ひねり出すのって結構難しいのですよ。一種の作曲と同じだから、ノリとか心理状態がすごい大事。昔は原稿用紙を万年筆で埋めてたけど、今でもそうしている人もいるけど、その万年筆だってモンブランの太字がいいとか、パーカーがいいとか好みはあった。はるかに低レベルだけど、司法試験の論文式試験に書くためのペンも、あらゆる市販のペン(水性ボールペンが多かったが)を試しに試して決めた。やっぱり「筆が乗る」というのは実際にあります。もうギリギリの極限で、接続詞一個間違えただけでまた来年〜というレベルでやってたら、1ミリでも前に進ませたいです。ギアごときでまた一年じゃ泣いても泣ききれない。やれることは全部やる。「弘法筆を選ばず」といいますが、弘法ではない凡才は、やはりこだわらざるを得ない。

 その意味では、今はなき(ところによってはあるそうだが)、富士通が出してたワープロの親指シフトは最高でした。パソコン通信の時はこればっか使ってたけど、やっぱり今の2倍の速さで入力できた。だから思考が軽快に流れて、文章も弾みがついて、あの頃の方がよっぽどいい文章書いてたなって思うもんね。ピチピチ生きてた。デザインの系の人はMacが多いだろうけど、やっぱりギアにはこだわるでしょう。画家が絵の具や筆にこだわるのと同じか、それ以上でしょう。「ちゃっちゃとやればいい」なんて世界じゃない筈ですから。

 だもんで、創作系のPC利用で、出先でノートパソコンというのは、一概には言えないまでも、そこまで本腰入れた創作というよりは、「片付けなきゃね」みたいなレベルの仕事が多いのではないか。まあ、それが悪いわけでもないし、仕事なんか基本そんなもんだといえばそうなんだろうけど。でも、創作上の必要性や移動の軽快性というよりは、もっと別の理由、家が狭いからデスクトップは置けないとか(特に昔のCRTディスプレイとか)、静かにやれる環境がないから図書館やスタバでやるとか、なにか別の理由でやってるような気もします。結局、本格的な創作というよりは、面倒臭い記帳作業とか整理を移動時間のヒマツブシ方々やるのに丁度いいって感じなのかな?

じゃあなんで買ったの〜パーソナルな理由

 さて、それがどうしてノートパソコンを買ってみる気になったのかというと、数点理由があります。一つは、業務上の理由で、皆に説明するため。現場の最前線にいる感覚でいえば、10年前に比べて、来る日本人の実務錬成度や精神力みたいなものがやっぱり落ちているのですね。10年前は、大雑把にやり方を教えたらあとは勝手にやってくれたし、それで上手くいってたんだけど、だんだんあれこれ細かく、痒いところに手を伸ばし、さらに深く手を伸ばし、あれこれ実例を示して教えてあげた方が良いということになってます。

 これは彼らの責任ではなく、今の日本ではオーストラリアでのワーホリ・留学のような楽しく自信をつける経験をさせて貰える機会が少なくなっているのでしょう。今の企業も「面白いから」というシンプルな理由だけで動くってことは少なくなっただろうし、「予算1億つけてやる。ぜーんぶ任せる!好きにやってこい!骨は拾ってやる」って男前な仕事環境も減ってきてるでしょうしね。

 そのせいだと思うのだけど、「やらなきゃね」→「実際にやる」の反応速度が段々遅くなってきてる。「やらな、、」まで思いかけた時点でもう腰が浮いて、靴を履いてる、、くらいで丁度いいんだけど、腰が重くなってるね。だから、こーやって、あーやってって実地で示す必要がある。その意味でノートパソコンで「こういうサイトでこうすると」とか教えられるから便利かなと。あと写真とかもばっと見せてあげれるし、300GBくらいある皆の動画も死蔵してるんじゃなくて見せてあげれるし、、と。

 それだけならiPadの方がいいんだけど、でもPCとの相互乗入れが悪いのと、もう一つはこのエッセイなどの執筆、さらには新聞読んだりという作業。そしてだんだん寒さがこたえるようになってきたこと。何が関連するかというと、デスクトップでやってると疲れるので、寝室に戻ってくつろいでいる時間が多いのですが、この寝室時間が結構じっくりモノ考えられる。これを利用しようと。

 「寒い」というのは、オーストラリアでは、ベッドの上で足を伸ばし、毛布や上掛けかけて湯たんぽ入れているのがコタツみたいにしてるのが一番温かいのですね。こっちの家は天井高いし、石油ストーブは皆無。エアコンも少なく、電気ストーブばっかで全然きかない。なんせあいつら寒いと思ってないから(真冬でもTシャツ一枚だし)。でもって電気代がむちゃくちゃ高騰してるし。だもんで、「温かいベッドで創作」というためにはノートパソコンがあるといいなという、今までとは全く違う視点で必要性がでてきたのですね。それにいつも読む新聞も値段をやたら上げるわ、デジタル版に移行しようとしてるわで、紙で読む必要も乏しくなってきたので。

 ついでに、これまで「俺には要らない」と思って興味もなかったクラウドを使って同期を取るということをやってみるべで、Dropboxを初めて使って、今もこのエッセイを書いてます。ファイルの同期とるのってめちゃくちゃ難しいですからね。

 Windowsのネットワークも試してみたんだけど、これが例によってワケわからず(HomegroupとWorkgroupとファイル・シェアとの差がイマイチわからん)、わからないままテキトーにやってると情報流出のリスクにも気づかないということで、こらアカンわと。簡単なクラウドの方が便利です。まあ、このあたりは年がら年中日本に出張にいってるカミさんのご教示の賜物ですが。

 さらにこの7〜8月ころに5年ぶりに日本に帰省しようかと思いつつ、どうせなら説明会やってもいいよな、でも連絡はつくんか?という疑問から、「あった方がいいかな」と。ま、これはスマホでもいいんだけど、それは、カミさんからお古のiPhoneを借りて試してみようかと。なかなかそこまで手が回ってないですけど。


 とまあ、どうでもいいことを書き殴っているのは、かくのごとき次第であるので エッセイ書いてる時間的&精神的な余裕は今週は乏しいよという言い訳です。こんな平たい文章だったらなんぼでも書けます。まあ、内容薄いだけに読みやすかったとは思いますが。




文責:田村



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