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今週の1枚(2013/04/15)




Essay 614:ユーモア英語の難しさ


 写真は、休日の夕方のBondi Beachでのスナップ。
 いかにもオーストラリアという空気感が出てたので選びました。

 しかし、画像左、座ってゴハン食べてる(らしい)女性の周囲をグルリとカモメが取り囲んで待っているのが笑えます。


 また、思いついたように英語ネタをやります。
 最近、けっこう多忙です。ビジネス的にはいいんだけど、朝から晩まで日本語ばっかりで、ちょっとマズイなと思ったりもする今日このごろ。

 しみじみ思ってるヒマがあったら、とっとと動かんかい!ってことで、とりあえず例によって地元の新聞を拾い読みしてたのですが、「あはは」と素朴に笑えたリチャード・グラバー氏のコラムがあったので、これもまた例によって紹介します。

 ところで、ずっと前(約11年前)にマイク・カールトン氏のコラムを紹介しました(エッセイ60/ネィティブ英語鑑賞会)。

 リチャード・グラバー氏もマイク・カールトン氏もラジオのキャスターで、僕にとっては19年前にオーストラリアに来たときからのお馴染みさんです。あの頃は英語の勉強のためにラジオを買って、一日中聞いてましたから。その後も車を運転するときにカーラジオでよく聞いてました。両氏とも、ちょっと知的でユーモラスなコラムをずっと書いてます。コラムがいつから始まったのかは知りませんが、少なくともラジオは19年前から第一線でバリバリやってます。僕のエッセイ(雑記帳時代から数えて今年で17年目)よりも長いですよね。「17年間連続してやる」ことが経験感覚として分かる身としては、大したものだと思っちゃいます。いくら仕事とはいえ。

 さて、今週のグラバー氏のコラム、面白いんだけど、すごい難しかったです。過去にときどき書いてる経済や社会系の評論記事よりも、はるかに骨が折れました。結局わからないままって部分もあります。

 一般にユーモア系の英語は難しいです。そして日常会話というのがギャグの応酬だったりすることから、「日常会話が出来たら免許皆伝」といってもいいです。ありえないけどTOEIC3000点くらいの難易度があると思います。

 今回も非常に苦戦して、あーでもないこーでもないと悩んでました。難易度が高いだけに勉強になる栄養素も豊富ですし、言語とギャグという考えさせられるテーマもありました。

 ところで、なぜ、ユーモア系の英語が難しいか?
 これは幾つも理由があると思います。

 第一に、ローカル的な常識が要求されることです。シドニーだったらシドニーの平均的なオージーだったら誰でも知ってるようなことは基本押えておかねばならない。日本の東京に住んでて山の手線やスカイツリーのギャグをかまされたら「山の手線ってなあに?」とかぬるいことを言ってることは許されない。

 これはもう言語力のレベルを超え、現代社会とか歴史とか地理、さらにもっと漠然としたリアルタイムのローカル常識知識に関する事柄です。言語というのは突き詰めればそうなる。あとでも書きましたが、言語力とは関係ないんだから知らなくて良いということはないです。だって何故言語を勉強するかといえば、現実に斬り込むための武器としてであり、その現実で役に立たなかったら意味がないからです。

 僕は東京生まれの東京育ちではありますが、京都に住んでるときは京都のことを、岐阜に住んでるときは岐阜のことを、大阪のときは大阪のことを全力で学ぼうとしました。「全力で」です。これは幼い頃から転々と住処を変えてきた人間の第二の本能と言ってもいいくらいのサバイバル技術です。ここが甘いとやっぱり生きにくいです。その土地でメシを食わせて貰う以上、その土地について知らなくて良いことなど一つもない。土地カンにせよ、食べ物にせよ、そして言葉(方言)にせよ。「よそ者だから知らなくても良い」なんて言ってると、いつまで経ってもよそ者のまんまです。"Think global act local"ですよね。

 第二に、ギャグ系の言い回しが特殊であることです。これは日本語でもそうですが、わざわざ変な単語、特に古めかしく、大仰な言い回しを用いることで可笑しさを強調しようとします。通り一遍の言い方をしない。見たことないような英単語がボンボン出てくるし、馴染みの単語でも通常とは違った使い方をする。例えば、「パソコンの中枢にCPUがある」と言うところを、ギャグにおいては「パソコンの中にはご神体としてCPU様が鎮座ましましている」とヘンテコな言い方をする。これを英語でやられるから、たまらんのですよ。

 第三に、単に文章の意味を理解すれば良いだけではなく、「何が面白いか」まで理解しなければ意味がないのでハードルが二重になっている点です。

 こんな具合に抽象的に言ってても分かりにくいから、以下、個別箇所で書きます。

 今回は英語の勉強用ということで、いつもと違って訳をタックして折り込んであります。クリックすれば読めるようになりますが(まあ、大した訳ではないが)、まずは訳を見ないで自力でトライしてみてください。

 能書きは以上。ほな、いこか。


Innovation: backwards evolution?

Richard Glover

Sydney Moring Herald April 13, 2013



 Why, in various eateries, do they now insist on serving food on a wooden board? They don't seem to understand: the plate was invented for a reason. It's ceramic, therefore easy to clean, and has a lip around the edge, which stops things rolling off.

→訳
 
 いきなり難しいのですが、これはシドニーなどオーストラリアに住んでないと分かりにくい部分かもしれません。ちょっとお洒落メのレストラン、バーなどでは、木製の板に料理を並べる店が出てきてます。あまりこういうオシャレ系の店には行かないのですが、それでも手持ちにサンプル写真がありましたので右に載せておきます。

 このあたりはまだ安定感がありますが、確かにこんな平べったい板きれに並べたら転がり落ちるものも出てくるでしょう。

 おそらくはスペイン料理のタパスあたりから始まってるような気もします。タパスは日本の居酒屋一品料理が相性が良く(コンセプトは似たようなものなので)、よく両者を出す店があります。日本風タパスとか、タパス風日本料理とか。お酒にアテにちょっとつまむような、いわゆる「酒の肴」ですが、しかし質は高水準であるという。

 もともと日本料理はこの種の板が多いです。お寿司屋さんのまな板なんかもそうですしね。でも、それは寿司という安定感が高い(コロコロ転がり落ちる心配のない)料理の場合に許されるのであって、本文に書いてあるようにラッキュ風タマネギピクルスまで載せたらアカンでしょう。確かに見た目カッコいいんですけど、見た目重視すぎて機能面が無視されているという。

 多分、このコラムはこのあたりの個人的体験や、友人との間の雑談ネタがヒントになって書かれたと思うのですが、ここから話を広げていくところがプロの技ですね。レベルは天地差ですが、僕もエッセイ書いてるので、参考になります。「よくそこまで強引に例を思いつくな」と感心しますね。

 英語学習的に難しいのは、「こんなの現地に住んでないと分からんよ」という部分です。

 上にも(&過去にも)書きましたが、語学というのは一定のレベルになると、純粋に語学の問題ではなくなり、文化の問題になり、さらにローカルカルチャーの問題になり、さらには「同時代に同空間で同体験をしてないと分からん」という問題になります。「あるあるある」みたいなもので、「あるある」という体験がなかったら、そもそも読解不能であるという点です。文法的にはわかっても本当の意味がわからない、意味が分かっても面白さがわからない。

 だからこそ「勉強になる」のですね。
 リアルな現実社会では、「語学の問題ではないから出来なくてもいい」ってことは無いです。やっぱ分からなかったら地元民の談笑の輪に溶け込めないわけで、溶け込めないで疎外感を抱くなら、英語を勉強した意味が半減(全減)するとも言えるわけです。

 「英語の勉強は、英語だけ勉強していれば良いって甘いものではない」というのは中上級者の方だったらご賛同いただけると思います。ここが受験と違うところです。受験では公平を期すべく、出題においては言語知識以外の要素は排除しますし、出てきたとしても注釈をつけます。しかし、現実は違う。受験秀才が往々にして現場では無能なのは、現実は全然公平でもないし、科目別に物事が登場するわけでもないからです。多民族の中に囲まれて「世界史選択しなかったし、、」なんて泣き言は通用しない。


The wooden serving platter, strangely enough, appears to be chosen whenever they are serving food that has a tendency to roll. Sausages, gherkins, anything involving whole pickled onions: these are the ingredients that will cause mine host to sing out for a wooden board. Either he wants to set his waiters a challenge, or he's a part-owner of the dry cleaners next door.

→訳

 ここでまず勉強になるのは、ガーキン(gherkins),とかピクルド・オニオン(whole pickled onions)などの現地の食材です。こういうことだって知らねばならない。だって、普通の一般紙の普通のコラムに何の注釈もなく使われている英単語は、現地のネイティブだったらほぼ全員分かるということであり(分からなかったら解説をつける筈)、要するに「とりあえず全部知っておけ」ということだからです。

 以前にも紹介しましたが、こういうときにGoogleの画像検索は便利です。ビジュアル的に一発でわかりますから。「ああ、あれか」と。どうぞ、ご活用を!

 "appears to be chosen whenever〜"(転がり落ちそうなものが出されるときには必ず)というのは「言い過ぎだろう」って気がしますが、そのあたりのわざとらしい誇張がユーモアを醸し出すのですね。日本語でもそうですよね、「クソ忙しいときに限ってくだらない電話がかかってきて〜」とか。本当に統計をとって緻密に調べたら、別に「限って」なんてことはないと思うのだけど、主観的には印象が強いから100%そうであるかのように思える。そのくらい印象的である。そのあたりの誇張レトリックです。

 ”these are the ingredients that will cause mine host to sing out for a wooden board"という一文は苦労させられます。未だに分かったという気がしないのですが。

 まず"mine host"が分からない。70万単語を誇るリーダース(&プラス)にも載ってない。わからないから、mineとhostは違う文脈になるのかとか、マインは鉱山?地雷?ホストは主人という意味ではなく「〜の素」って意味とかいろいろ考えちゃいました。サイン・アウトも「勘定を払って店を出る」という意味なのかどうかも怪しくなってきて。挙句の果てに、「これらの食材(転がりやすい食材)は地雷的効果(=転落)を生じさせるものであり、ホスト(レストラン経営者)をして木製皿を用意させる秘密のサインでもある」とかいう訳の可能性すら考えてしまいました。でもそう訳すと文法的に合わない。このあたりが文法知識のおさらいというか、いい勉強になります。

 結局ネットで探し回って、やっとアメリカのYahoo質問コーナーでみつけたのですが、"mine host"というのは"my host"の古めかしい言い方だそうです。今では廃語に近いとか。こんな古い言い方せんでくれい!って思うのだけど、使われているのがリアルな現実なんだから対応しないわけにはいかない。

 "mine host"の意味が確定したら、あとは詰将棋のように解け、「そのパーティ(晩餐など)の主催者をしてチェックアウトする事態を招来する」という意味だとわかる。しかし、まだひっかかるのは"for a wooden board"で、なんで"for"なの?という。原因を表わすfor(〜によって)?こういった簡単な前置詞などは、辞書で調べても意味が膨大にあって論理的に解が導けない。もう感覚一発でやるしかない。

 意訳になるけど、「これらの食材が木製の皿に載せられたならば」みたいな訳し方になるのでしょうかねえ。もっとくだけた日本語にすれば、「こんなコロコロ転がる食材が木製の皿なんぞに載せられた日には」「お客さんを早く帰らせる(店にとっては損になる)結果しか招かないんだけど、そこんとこレストランの経営者は分かってるのかなあ?」みたいな感じでしょうかね。

 ちなみになんで客が帰ってしまうかといえば、食材がコロコロ転がって床に落ちてダメになってしまうことで客がイライラしたり怒ったり、あるいは転がった先が客の衣服であり「きゃー」という事態になってパーティどころではなくなるということでしょう。最後の文章に「レストランの経営者は隣のクリーニング屋の共同経営者でもあるのか?」ってありますから、そこがヒントになりますよね。

It's a classic example of backwards evolution, the signs of which are all around us.
I've mentioned before the TV set, which is now so complex it's pretty much impossible to watch. Many surveys have pointed to the decline in viewing for free-to-air TV. Can I be the first to point out the obvious? It's because none of us can turn the damn thing on.
→訳

 「誰もTVを使うことが出来ない」というのは、「また大袈裟な」という話ですが、この大袈裟ぶりがイイんでしょう。

 free-to-air TVというのは、一般の無料放送のことです。ケーブルTVや監視用のセキュリティTVのことをCA(closed circuit)TVと言うのでそれと区別する意味で使います。普通に日常使う英語なので(メディアに関する経済記事などで出てくる)、知っておかれるといいです。

 "Can I be the first to point out the obvious? "の文章にニュアンスが掴みにくい。まず、"the obvious"ですが、(明らかな)「TV視聴率が下がっている原因」が省略されているのでしょう。このあたりは現代国語と同じ読解力の問題で、「"obvious"以下に省略されている内容を書け」問題みたいなものです。これはまだいい。

 問題は「私が最初に言ってもいいか?」で、なんで最初なの?なんでいちいち発言に許可を求めるの?というニュアンスと訳し方です。これは皆知ってるけど敢えて言わないのか、あまりにも単純すぎてコロンブスの卵的に盲点になっているのか、そのあたりが微妙だし、またどちらか一つということもないのでしょう。

 「最近TVの利用率が下がってきている」というのは日本でもオーストラリアでも共通して言われていることですよね。その理由はといえば、ネットや携帯に食われている等の論議になるのもご存知でしょう。それを前提にしてこの文章になるのでしょう。「そんな複雑な話じゃないよ」「簡単なことなんだよ」「テレビがつけられないんだよ」というアホみたいな「明快な理由」を、「俺が一番最初にズバリ言ってやろう」ってニュアンスなんでしょうね。

 上で触れましたが、ユーモア英語の難しいのは、英文の意味がわかっても、その「面白さ」が分からなかったら意味がないという点です。つまりハードルが二重構造になっている。

 the damn thingも訳しにくい。"damn"はよく使うんだけど、適切な日本語がない。"f**king"くらい激烈になると「クソTV」「くそったれテレビ」と訳していいんだろうけど、ダムとか"bloody”くらいだと、こころもち弱いニュアンスがあるような気がして(まあ、人によるけど)、そのあたりの強度の日本語がない。「いまいましいテレビ」くらいの感じか。訳では、適当に意訳して「このテレビらしき物体」としました。テレビなんだけど結局使えないからテレビになってない、「テレビと言われている物体」「テレビとおぼしき物体」みたいな感じでしょう。"TV"と言わず、わざわざ"thing"と書いていることからも。

During the late afternoon, various young people pull all the plugs out of the back of the set, insert memory sticks of uncertain provenance, Wii consoles and joysticks, leaving a Gordian knot of cables on the floor. Stumbling towards the set at 10pm intending to watch Lateline, you need a torch, a manual and 2 1/2 hours of trial and error.
→訳
 ここは特に解説の必要はないでしょう。
 "Gordian knot"「ゴルディアスの結び目」というのは、『アレクサンドロス大王東征記』という歴史書に出てくる伝説で、岩明均氏のマンガの「ヒストリア」の世界の話でしょう。同名の小松左京氏のSF作品があります。このあたりは調べればいいだけの話で、簡単。しかし、たかがテレビのケーブルごときにゴルディアスを持ち出すか?という気もしますが、だからそこがユーモア系。"provenance"も「芸術作品の出典」という意味であり、メモリースティックなどに使われるような単語ではないでしょうが、そこを敢えて使うところがユーモア系。

The old TV was fine. You turned it on, clicked the dial either to position 10 (Number 96) or position 2 (the news) and after three seconds of warming up, either Abigail or James Dibble would hove into view.
→訳
 Abigailは昔のTVの大女優で、70年代前半に人気ソープオペラ(昼メロ)の「ナンバー96」という番組に出てたそうです。James DibbleはTVキャスターで1956年から27年間国営ABC放送でテレビの顔になっていたのでしょう。こういう調べ物については、ネット時代になって本当に良かったって思いますね。

 最後の部分"would have"かと思いきや、"would hove"なんですよね。一般に"hove"は"heave"の過去・過去分詞型とされてます。だが、なんでwouldのあとに原形ではなく過去(分詞)型になるのか、そこが意味不明。さらに執拗に調べていくと、原型で"hove"という別の動詞があり、"hover"の古い言い回しとか。多分これだと思うのだけど、普通に調べたくらいではわからんです。

The top of the set was also flat, allowing for the display of home ornaments. This in turn led to the classic dad joke:
Child: What's on the TV dad?
Dad: A pot plant and the TV guide. Are you blind?
→訳
 このジョークは英語で読まないと意味をなさない。本質的に翻訳不能ですわね。
 要は "on" という前置詞がダブルミーニングのようになっていて、子供は「テレビに何が映っているか」という意味で"on"を使っているけど、お父さんは物理的にテレビの「上」という意味での"on"で答えているという。日本語でもこの種の「意味が違う」系のギャグは沢山ありますよね。ただ、訳せない。

This joke is now impossible to make. And so a perfectly good dad joke dies just to allow a bit of high-pixel action, which, if truth be told, just brings out everyone's blemishes. Why am I surprised?
→訳
 "perfectly good dad joke"も「”完璧な”ってのは言い過ぎだろ」「こんなコテコテギャグ」「それほどのもんかい?」って面白表現ですが、その次が難しい。

 "a bit of high-pixel action, which, if truth be told, just brings out everyone's blemishes"の最後のブレミシュ"blemishes"は「欠点」という意味。

 文意はすぐつかめます。高画質になることによって、「みなの欠点」=例えば顔の皺、皮膚の荒れ、吹き出物などがクリア&クッキリと写ってしまうという皮肉な現象を言ってるわけですが、"if truth be told"の訳し方が微妙。直訳すれば「もし真実が語られているならば」ですが、この意味に二つの可能性を思いついてしまって、悩みました。一つは、「真実」というのがメーカーの謳い文句が正しく本当に高画質であるならば、という意味。もう一つは、テレビでちゃんと映しているかどうか、つまり厚化粧やライティングなどで誤魔化して”真実”をちゃんと映しだしているかどうか。まあ、どっちゃでもいいだろうけど。

 なお、ハイ・ピクセル・アクションは、テレビの高画質、高解像度のことを言ってるのでしょうが、HD(ハイディフィニション)などの一般的な言い方ではなく、わざわざこんな変な言い方をしているのは、高画質化が素晴らしいことに繋がらないからです。「ハイピクセルとやらの余計な作用(アクション)のおかげで」みたいなニュアンスを出したいのではなかろうか。

With every innovation things get worse. Toothbrushes, now equipped with fat, non-slip handles, no longer fit into the holders built into every bathroom. This is, presumably, to reduce the number of toothbrush-slippage injuries plaguing hospitals. Instead, we contract cholera from leaving fat-bottomed toothbrushes out on the benchtop, marinating in a chain of toothpasty puddles.
→訳
 これも皮肉っぽい文章ですが、いまどき洗面台に備え付けの「歯ブラシ入れ」なんてあるのかしら。見たことあるような無いような、、、ウチには無いです。

 歯ブラシの把手(ハンドル)がぶっ太くなる件ですが、滑落による負傷(どんな負傷だ)防止というよりは、単純に持ちやすくするため(テコの原理かな)だと思うのですが、そんなことは著者にも分かっているのでしょう。わかっていながら、「そんな持ちやすいとか大差ないだろ?」って気分があるのでしょうね。「歯ブラシの滑落事故によって病院に満ちている負傷者達」なんているわけないけど(プレイグ=疫病大発生=だもんな)、要はハンドルの太さなんかどーでもいいじゃないかってことなのでしょう。

 そして、そのどーでもいいハンドルを太くすることによって、従来の歯ブラシホルダーは無用の長物となり、洗面台の上に無造作に置かれることになり、歯磨きペーストの残滓によってマリネ状態になり、コレラ罹患率が高まるという理屈ですね。そんなんでコレラになるとは到底思えないけど、その論理の無茶ぶりが面白いというわけでしょう。

Bucket seats have long replaced the bench seat in the front of cars, banishing the romance previously an essential part of motoring. Almost simultaneously, the Western world entered a period of long-term population decline, yet no one thinks to note the causal link.
→訳
 ここは笑いました。確かに、昔の(50年代とか)映画を見ると車のフロントシートは現在のリアシートと同じくベンチ仕様でしたよね。今では助手席との間にギアレバーがあるから分断されているけど(タクシーなんかは結構その形式が残ったりしてるけど)、昔はつながってた。だから前に3人乗るなんてのもあった。でもって、フロントシートがつながってるから、ロマンスが盛り上がると、そのまま、、、ってこともしやすかったのでしょう。

 で、フロントベンチシートが消え始めた頃から人口減少が生じてきたのも当然の話なのだが、まだ誰もその関係に気づいていない、、、という後段になる。

Meanwhile, cameras with film in them have been replaced by mobile phones. Instead of taking a handful of meaningful pictures to be placed in an album to treasure, people take 6.7 million photos, mostly of their lunch, all of which will be lost in the great computer meltdown of 2017.
→訳
 これは確かに言えるなと思いましたね。フィルムカメラは一枚一枚が貴重だから慎重に撮ったし、写真も少ないから大事にしたし、アルバムという形で残そうとした。しかし携帯でバシバシ撮れてしまうと有り難みがすくなくなって、結果として昔のような宝物アルバムが少なくなる。

 しかもバシバシ撮ってる中身は「今日のランチ」だってところで大笑いしました。そうなんだよね。そんなもんばっか撮ってるんだよね、Facebookなんかそのオンパレードだもんね。

 そして、「2017年のコンピュータークラッシュ」によって全ては消滅するというわけですが、なんのこっちゃ?というとよく分かりません。ネットで調べたところ、Shelly Palmer著 「Digital Wisdom」あるいはNoel Twyman著「MELTDOWN 2017: After the Crash 」くらいしか見当たらないのですが、そのことを言っているのかな、それとも「いずれは起るだろうデーター大クラッシュ」くらいの意味で言ってるのかな。ま、2017年かどうかは知らないけど、いつかは起きるだろうね。

Admittedly, mobile phones have an upside. They have allowed a generation of young people to contact each other and plan mischief to get up to that very evening. The same device, alas, has also allowed their parents to ring them at random through the evening, preventing the aforementioned mischief. So again: evolution, backwards.
→訳
 特に解説は不要でしょう。「イタズラ」というのは、ロマンチックなそれも含むんでしょうねえ、当然。

Underwear used to be comfortable, with both genders slipping on something large, usually made of white cotton and slightly grey from the wash. This wasn't very alluring, yet once you were both down to your knickers, plans were rarely derailed by mere undergarment aesthetics. Missing was that tight nylon trussing that is such a contributor to the fractious mood of our time. Comfortably gusseted, one was free to contemplate with equanimity those periods in which one found oneself untroubled by romance.
→訳
 ここはひねくり過ぎてて厳しかったです。
 前半はまだわかりやすい。確かに、一旦コトに及んでしまえば、下着が多少ダサかったからといって、途中で辞めたりすることはレアでしょう。

 めちゃ難しいのは後段です。「ナイロンの結索を解くのにイライラさせられた」というのは、ブラジャーとかガーターとか面倒臭い下着を脱がせるイライラ感だと思うのですが、それを"missing"(懐かしく思う)としている。つまり、「そのくらいだったら未だイライラするくらいで済んだからまだ良かったよ」という意味なんでしょうね。

 現代は裁断と素材の進化によって、はるかに身体に快適にフィットしたものになって、それだけにどうやって脱がせればいいのか見当もつかず、ひいては脱がせようという気にすらならず、結果として「ロマンスごときに煩わされることのない心の平穏を得ることが出来る」という強烈な皮肉なのでしょうか。

 それか全く真逆な意味で、スルリと脱げてしまうから、昔のようなイライラしつつも高まる心のときめきがなくなって面白くないって意味でしょうか。"untroubled by romance"(ロマンスによるトラブルが生じない)の意味解釈にかかってるのですが、ここがようわっからへん。


Further evidence of backwards evolution comes courtesy of the supermarket. They have removed the fish from behind the fish counter, instead placing it in tubs of ice out on the floor where people can breathe all over it. This is meant to promote the sensation you are in some sort of Naples street market, rather than trudging around Coles Birkenhead Point in the 20 minutes between your son's soccer game and your daughter's netball.
→訳
 確かに、スーパーでもこの種の演出的な陳列が増えてます。

 息子のサッカー、娘のネットボール(バスケに似てるスポーツで女子がやる)、それに親がついていくスポーツ熱心な家族像、さらにバーケンヘッド(ドラモインにある)のコールズあたりは、シドニーのオーストラリア住人だったら普通に知ってる「ローカルの家族の風景」でしょう。

Here's the new method: point to the fish you want and the assistant comes from behind the counter, squats down wearily beside the metal bucket, lifts the fish into a bag while dripping water over the floor, then returns behind the counter to weigh the thing. Ah, progress.
→訳
 この執拗な描写に笑ってしまいました。
 よく考えると無駄が多いし、衛生的にもどうかという話なんだけど、「疲れ切った風情の店員がバケツの横にしゃがみこむイヤそうな感じ」「ぼたぼた液が床に垂れる感じ」が笑えます。

Meanwhile, they've taken the green beans and the broccoli and put them on large platters in a process that can be described only as mysterious. If only they could also take all the tomatoes and serve them on wooden platters so they would tumble free and cover the whole floor in a sea of red. By running our trolleys through the resulting melee, we could create our own alfresco pasta sauce.

Chic? Oh, tres chic.
→訳

 前段のブロッコリー部分の記述は、多分コールズが1〜2年前くらいから始めた野菜陳列方法について言ってるのかな?「産地直送」感を醸し出すために、野菜を農場で使ってそうな青色で武骨な箱に入れておくという。あるいは大皿料理のように盛りつける陳列(トーマス・ダックスとかでやってる)のことかな。

 「ミステリアスとしか言いようがないプロセス」というのは、この文章全体の大意にも繋がるのですが「なんでそんなしょーもないことやってんの?」という、「こざかしいマーケティング」等に対する辛辣な風刺なんだと思います。「意味わかんねーよ」というのを「ミステリアス」という言葉で表現している。

 そして、冒頭の木製板の例とリンクさせながら、ハチャメチャな締めになだれこんでいくわけですね。スーパーの野菜コーナーに、トマトを木製の板に載せて陳列し、トマトはコロコロ床一面に転がり、そこへ混乱に陥ったショッピングカートがトマトを圧潰し、グチャグチャになり、「アルフレスコ(屋外)のパスタソース」のできあがりという、「んなわけないだろ!?」というドタバタ喜劇のような大団円になる。

 最後の「トレ・シック」は、フランス語でしょうね。「トレ・ビアン」のトレでしょう。英語の"very"に相当する。シックは"stylish"という意味。

 余談ですが、英語ネィティブがフランス語(&その文化)について、どういう心情を抱いているか、そのあたりかなり謎です。目線が上にいったり下にいったりして、なかなかに複雑。世界共通言語&文化になった英語(アングロサクソン系)としては、しょせんはローカル、しょせんは方言的な存在になったフランス系に対して上から目線の部分もありながらも、文化的には到底叶わないという見上げるような尊敬もある。

 常々思うのですが、ヨーロッパ世界におけるフランスの立ち位置というのは、日本における京都の立ち位置に似てるような気がします。パワー的にはそれほど大したことはないのだけど、しかし古典、伝統、文化とかになると「とても叶わない」という気分になる。かといって京都人を尊敬しているかというと、未だに東京に行くことを「上京」ではなく「下東」と表現したり、「京のぶぶづけ」的に閉鎖的で「いけず」で、一見さんお断り文化で、イヤな奴らだとも思ってる。これは東京人により強くコンプレックス(単なる劣等感ではなく、本義通り複合観念)があり、大阪人は近いだけに「京の魔力」にはわりと免疫が出来ている。

 ところでヨーロッパの栄光の根源はローマ帝国なんだからイタリアこそが最上位に立つべきなんだけど、あんまりそんな感じがせず、適当に田舎で、適当に解毒されている意味では、日本における奈良の立ち位置に似てるのかも知れませんな。京都以上に古く、京都以上に伝統のある奈良。だけど、京都のような毒がない。このあたりは面白いです。



文責:田村



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