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今週の1枚(2013/01/28)



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Essay 603:体温調節の怪 

Essay 603-2:感情と理屈の微妙な関係


 写真は、Newtownにあるパブの看板。
 パブの壁とか広告文句とか、味わい深いモノが多いのですが、ここのも秀逸。

 左端は、店内の酒場(ボトルショップ)の広告ですが、若かりし頃のクリント・イーストウッド先生(らしき)が描かれていますね。多分、ダーティハリーの頃でしょう。”Do you feel thirsty punk? Well do you?"(「おうチンピラ、喉が渇いてるんじゃねえのか?え、どうなんだ?」)というのは出典は確認できなかったのですけど、その映画からの一節のようです。このセリフでアメリカの飲料の広告になったこともあるような。

 付加疑問文の"do you?"が"DO YA?"というくだけた口語表記になり、まさに「どや?」に読め、このまま日本語で「一本、どうや?」って感じにも見えるのが微妙におかしかったです。そんだけですけど。

おわび

 先週は体調壊して一週お休みしました。どれだけいるのか分かりませんが、毎週月曜更新を期待しておられた方には、申し訳なかったです。

 先日(1月18日金曜日)、シドニーでは史上最高といわれる45.8度を記録し、その夜には21.5度まで涼しくなりました。常日頃「寒暖の差が激しいから体調管理を気をつけて」と自分で言っていながら、しっかり自分でコケているというトホホな状況でした。

 ただ、今回つくづく思ったのですが、「気をつけて」と言うけど、これってすごーく難しい。
 どうかしたら「そんなの無理!不可能!」っていう気すらします。

 何がそんなに難しいかというと、自律神経というのでしょうか、身体の中央管制室みたいな機能、やれ体温調節がどうのとか、ホルモンバランスがどうのとか、免疫がどうのとか、何がどうなってるのかわからないブラックボックス部分に関わるからです。非常に自覚しにくく、わかりにくい。自分の身体でありながら、何をどう気を使うとどうなるかがよく分からない。

 これ、若い人だったら、さして困らずになんとかなると思います。僕も20代までなら「気をつける」必要すらないくらい、大抵のことは何とかなっていました。

 ところが30歳過ぎて〜、40歳も過ぎて〜、50歳も過ぎて〜ってやっていくと、どんどん何ともならなくなっていくのですね。

 僕個人は、40歳前後でいわゆる厄年近辺の体調変化があり、このときに結構苦労しました。
 というか、その頃を境に「紀元前/後」みたいに身体や健康のあり方が変わりました。
 それ以前は、健康=晴天というお天気になぞらえれば、30代くらいまで体調不良というのは「(東京で)雪が降る」とか「地震がある」みたいなもので、年に1〜数回、あるかないかというレアな出来事でした。ところが年をとって不調頻度も増してくると、「台風」→「豪雨」→「普通の雨」と、どんどんありふれた存在になる。同時に平常時も必ずしも好天ではなく「うす曇り」くらいで、調子が良いときは特に「快晴」として意識される感じになる。「晴れ」がデフォルトではなくなる。つまり体調が悪くて当たり前、全然珍しくもないねって感じになっていく。

 一方では、「体調と相談して」「騙し騙し」という体調管理のコツ・技術も確かに向上はします。ダメはダメなりにそこそこ安定的に動かせるようになる。しかしながら、意識レベルではどーしよーもない自律神経のような部分も段々ズレてくるのでしょうね。「あれ?あれれ?あれあれあれ?」っていってるうちに、ドボンといっちゃうという。

気温変化→体温変化→調節失敗・ドボン!

 先日の、気温変化→体温変化→調節失敗・ドボン!に即していうと、、まず、今の自分の体温が高いのか低いのか、その根本的な部分がよく分からなくなる。更年期障害に「ホットラッシュ」という症状があるらしいのですが、身体は冷えているのだけど汗が出てくるという。男性にだって更年期障害的なものはあり、普通でも40代から始まるといいますから、多分僕もそうだったのでしょう。「えっくしょい!」とくしゃみを連発するくらい身体は冷えているのだけど、でも汗がダラダラ出てくるという。寒いんだか、暑いんだかよう分からない。体感的には「暑い」と感じるし、汗も出てるんだけど、でもクシャミや鼻水が止まらない。冷えてるんだろうと思って重ね着をしたりすると、さらに滝のように汗が出る。ほっとくと汗が冷えてさらに身体が冷える。「どないせいっちゅうーんじゃ!?」というやつですね。

 これは外気温の変化がなくても生じるものですが、これに外気温の変化が合わさるとどうなるか。それも46度→20度とアホみたいな大変化があったらどうなるか?です。もう完全にぶっ飛んでしまいます。

 真剣に調べたわけではないのですが、体温の上昇というのは二種類あるらしく、一つは運動や病気で体温が上がる「発熱」です。これは自分の力で上げている。しかし、暑いところにずっといるので身体が熱せられ、それで高体温になるという外部要因による場合もあって、これを「うつ熱」というそうです。高温環境やら厚着やらで熱しすぎ、体温調節が追いつかなくなる。先日の46度なんて、これがお湯だったら火傷するくらいなんだから(実際には湿度10%くらいの超乾燥になるが)、こんなのに長いこと晒されていたら、そりゃ熱も溜まるでしょう。高体温がしばらく続くと身体中の機能がアホになるので、熱中症にもなるでしょう。

 暑いだけだったら、水風呂はいるとか、とにかく冷やすとか、水何リットルも飲んで発汗冷却作用で抑えるとかやるのですが、あるとき境にドーンと下がり始めると、この変化調節が異様に難しい。外気温的にはかなり涼しくなってきているのだけど、「うつ熱」が身体に籠もっているから体感的にはまだ暑いと感じる。

 さて、今回の場合、それにどういう経路・メカニズムか分からないけど風邪が入るわけです。
 これも毎週のように日本からやってこられる方々の「日本最新」「産地直送」ウィルス or 何らかの細菌なのか、それとも"地場"の常在菌なのか、それともそんな感染系のものではなく単なる体調ガタガタ不良なのか、ようわかりません。ほぼ治った今でも喉がイガイガしてタンが出るという特徴があるので、何らかの病的な個性はありそうですが、それはともかく、どっかで風邪になりました。

 でも、いつどうやってなったのかが分からないのです。
 46度の金曜日の翌日(土曜日)は、一日中、軽い咳と微熱?くらいの状態が続きました。そしてその夜中に一気にドンと高熱になったという経過からすると、この土曜日時点で既に風邪になってたのでしょうが、いつから始まっていたのか、何が悪かったのか?これが分からない。

 46度の金曜の夜は、一気に冷えるだろうからということで当然ながらそれなりに着て寝たし、一応のことはやってるのですけど、それが足りなかったのか?しかしあの時点でもっと着込んでたら、今度は汗ダラダラになってしまって、それが冷えて却って良くなかっただろうし。もしかしたら、うつ熱が溜まって体温が高かった時期に、なんらかの身体の機能不全が生じて免疫機能がショボくなって、そのときに侵襲を許してしまったのか。はたまた翌日の微熱(?)状態の対応が間違ってたのか?「ああ、ひきかけてるな」と思ってかなり着込んだりしたのですが、それが却って良くなかったのか?

4つの混乱ファクター

 つまり高気温時ではなく、20度台の平時の気温に戻ってからのメンテが難しいのです。

 第一に「うつ熱」性による体温の上昇や、それにともなう身体の諸機能の低下があります。
 第二に、リアルに気温が下がっているので対処もいる。
 第三に、ホットラッシュに類するような体温調節機能の基本的なヘタレがある。
 第四に、風邪らしき症状もでている。

 この4つのファクターが入り組んでいて、結果として、今身体は冷えているのか、それとも熱くなりすぎているのかという基本的な部分の判断がつかない。なんとなく火照ってるような気がするのだけど、それは昨日のうつ熱系の症状が未だ残っているからなのか、ホットラッシュ系なのか、単に普通に暑いだけなのか、それとも風邪の初期の微熱が発生しているからそう感じるのか、そのあたりの関連性が見えない。だから温めればいいのか、涼しくしてればいいのかという対処もわからない。

 結果として、しっかり温めて寝た真夜中くらいからドえらい高熱になりました。
 もう10分寝たら汗ぐっしょりで起きて、着替えて、また10分寝たら汗ぐっしょりで、、、これを10セット以上真夜中にやってました。ちょっと落ち着いてから計ったら38度6分くらいあったから、最盛期には9度前後あったと思われますが、久しぶりに「うっひょ〜!」って意識がぶっ飛んで面白かったです。丸一日くらい続いたんじゃないかな。平熱が35度台前半なので8度台というのは個人的には結構なイベントで、いくら体調がヘロヘロだといっても、ここまでの高熱は1年に一度もないです。

 「面白かった」とか呑気な感じでいたのは、純粋に高熱だけだったからです。ナチュラルに頭痛は多少するけど、嘔吐感は全くないし、呼吸も楽だし、不快感はそれほど強くない。だからほんと意識がぶっ飛ぶだけ。もうドラッグみたいなもの(やったことないけど)。高熱が続くと「見当識」(自分は誰で今どこで何をやってるか)がおかしくなることがありますが、今回も楽しくぶっ飛んでいて、半日くらいずっと自分はどっかの市民病院とか研究ラボにいることになってました。そこで被験者みたいに寝かされてるという。そして、ここが夢独特の荒唐無稽さで面白いんだけど、自分の発熱分をケーキのように切り分けて取ってくれるのですね。4分の1くらい。「はい、これをどうぞ持っていってください」って「発熱」ケーキを手渡されて、検査でも受けるようにどっかに持っていくという。夢うつつというか、同じような夢の基本設定を12時間くらいキープしてて、醒めてきてから、「あれ?4分の1は?」とかアホなことを思ってたという。

自然断食

 も一つ興味深い現象は、全然お腹が空かなかったことです。水分補給やジュースは適宜飲んでましたが、それ以外は全く食べず。かといって嘔吐感は全くなく、「受け付けない」ということもない。ただもう純粋に食欲がない。ゼロ。胃袋という存在がなくなったみたいで、極端にいえば「そういえばゴハンってものがこの世にはあったよね」「食べるってどういうことだっけ?」と頭だけで知ってる感じ。食べないから体力が落ちているという感じもしない。とりあえず何か食べたのは高熱出てから3日目の夜。ですので60〜70時間くらい?まったく何も食べず。食べたのも空腹感で食べたのではなく、あまりにも食べないのが段々不気味になってきて、「ちょっと入れておくか」くらいの感じで。ほんとうに不思議なくらい腹が減らなかったです。

 これ、要するに断食療法みたいなものです。それまでがちょっと暴飲暴食気味だっただけに、この機会に身体がリセットしたがってたのかもしれず、そう考えるのが一番しっくりきます。だから、これってトータルで「風邪」なのかどうかも微妙なんですよね。体温調節がうまくいかず、ゴチャゴチャになり、免疫機能も落ちて、、、とやっていて、アプリを立ち上げすぎてメモリー食い過ぎて、CPUが死んで、コンピューターがフリーズしたようなものかもしれません。身体の方で、「だーもー、再起動じゃあ!」「再インストールじゃ」で、「お前しばらく死んどけ」と高熱で意識をぶっとばして動かなくしておき、また消化器官とか動かすとまた面倒臭いから空腹中枢も殺しておいて、その間にせっせと再構築し、、って感じかなと。

 以下、一日ごとに復調し、「帰ってきた」感じがします。
 これがまた面白くて、復調するにつれ、小さな傷でヒリヒリ痛んでいたような箇所も復活するのですね。「あ、そういえば、ここ痛かったんだ」と。それまで痛くも痒くもなく、忘れているんですけど、治るにつれ痛みも戻ってくる。これが身体のいろいろな箇所、いろいろな段階で生じます。3日目あたりにお通じがあって宿便らしきものも出て、4日目になると「じゃ、消化系統、再コネクトしまーす」という感じで、ぐるるるると動き始めるのがわかる。そして、徐々に懐かしい「腹減った」という感覚が立ち上がってくる。「ほ〜お、こうやって復調していくのか」というのが分かって、これがなかなか興味深かったです。

考えたこと、学んだこと

 総じていえば、大変といえば大変なんだけど、「大変」とかそんなのはどーでもよくて、それ以上にいろいろ考えさせられ、学びのキッカケになったような気がします。それに、客観的にも「大変」でもなかったです。高熱で「うっひょ〜」ってときは流石にぶっ飛んでましたし、エッセイも飛ばしましたけど、それ以外には全期間通じて仕事してました。既に二人寝泊まりしてるのでシェア探しの指導もボルテージ下がりながらもやったし。翌月曜日には歯医者にいって虫歯直してるし、火曜日には空港まで新しい人を出迎えに行ってるし。

 何を学んだかといえば、「自律神経とか体温調節はとっても難しい」ってことですが、ここをもう少し細かく整理すると、、、、

 @、「我慢」は解決にならない〜「壊れる」と考える

 気温が大きく下がって、涼しくなって、それから厚着しましょうとか、そんなヌルい小手先の話ではダメだと思った。まず、暑いというその時点で早期対処をするのが肝心でしょう。暑くても「我慢」は出来ます。我慢それ自体はそんなに難しくないし、特にオーストラリアの場合、夜になれば涼しくなるから一過性のもので済みます。でも、そこで我慢してても、中枢神経が静かにやられてたら、我慢したことになってないのですね。

 調べている最中、日本のお年寄りの熱中症対策を読んだのですが、暑くても我慢してしまうお年寄りも多いそうですね。ストレス耐性の強い世代だし、クーラーや扇風機は身体に悪いという観念もあるし、昔の日本は暑くてもそこが「風流」みたいな艶めきがあったのでその記憶とか、、、、原因はいろいろなのでしょうけど。

 でも、これ我慢してどうこうするような種類のものではないです。iPhoneだって35度越えたらヤバイというらしいけど、人体なんかある意味この上ない「精密機械」ですからね、悪条件下にしばらく置いておいたらやっぱりマズイでしょう。これは「病気になる」というソフト的な現象ではなく、もう端的に「壊れる」と考えた方がイメージしやすいかもしれない。

 A、対処して整えるのではなく、「対処できるように」整える

 暑い時に自律神経なんぞがヤられてたら、涼しくなったときに体温調節ができないです。そのときになって慌てても手遅れ。また、「うつ熱」を蓄積させたら、寒いだか暑いんだかよく分からないことになって、これも良くない。要するに、意識にせよ、身体にせよ、どうしていいのか分からないという状態になった時点で既に負けなのではないか。

 だからそうならないように、暑いな〜という時点で、それが尾を引かないように対処する。具体的には、水分を補給して発汗冷却できるようにするとか。また発汗によって塩分も失われるので、塩分も補給すること。味噌汁がいいらしいけど、オーストラリアですぐにゲットできない場合には、良質の塩そのもの(ヒマラヤ岩塩が美味しい、高いけどしれてる)、あるいは多分チーズなんか塩分多いでしょうねえ。

 あと冷やすには、水風呂とかシャワーとがいいのでしょう。ちなみに、体温も身体の部位によって結構違うようで、そのバラツキが一層暑いんだか寒いんだかという混乱を招くのかもしれないです。だったら部分的ではなく、トータルに身体全体をムラなく冷やす方がいい。プールなんか最適なんでしょうねえ。オーストラリアの場合、個人の家に普通にプールとかあって、最初は贅沢な!金持ちな!と思ったもんでしたが、山火事用の防火用水という機能、そしてクソ暑いときの体温調節機能という意味からしたら、案外合理的なのかも、と思ったのでした。


 B、体調不良は必ずしも「悪」ではない

 僕らの「自意識」よりも、身体はよっぽど真剣に身体のことを考えているのでしょう。僕らの意識は、大体において身体に悪いことをやって喜んでいるというアホなガキみたいなものです。特別な病気や怪我ではない体調の不良というのは、身体が真剣に自然治癒をやりたがっていて、その際、アホな意識に動かれてはやりにくくてしょーがないから、「お前、しばらくじっとしとけ」ということで、気持ち悪くなったり、動けなくなったりするのだと思われます。

 だから体調不良になったら、「身体様がお仕事をなさっている」とおもって、僕らの意識は横に引っ込んでウンウンやってりゃいいのでしょう。


 C、その他

 「感覚に頼らない」ことです。
 今回よく分かったけど、体温の自覚感覚というのは、必ずしも正しいわけではない。「暑い/寒いと感じるかどうか」は、かなりその場の状況やいろいろなファクターに左右されるのでしょう。例えば、高熱になったときに、「寒い」と感じ、震えがくるのは、発熱物質によって体温調節中枢が高い水準に誤って設定されるかららしいです。

 体温そのものでも、体表面の体温と、体内深部の体温とでは違うようだし、どこの熱をどのセンサーをひろってどう判断しているのか、そしてそれは正しいのか?というと、これもよく分からない。場合によってはその感覚自体が馬鹿になってる可能性もある。

 だとしたら、素朴な生理感覚は全ての基礎ではありながらも、それだけに頼らず、もう少し客観的な基準を目安にしてもいいかなと思いました。具体的には、もうちょっとコマメに体温計で測るとか、また計るにしても気軽に実行出来る早く計れるものを買ってもいいかなと思いました。もっとも正確にやるなら水銀計で最低10分とかかかるらしいんだけど、そこまで正確でなくていいし、自分の経過をみたいだけだし。あとは、外気温を計る温度計。いずれも持っているのだけど、古すぎたり、しょぼすぎたりして実用性に微妙に難がある。いずれにせよ「暑いんだか寒いんだか分からない」なら、まずは客観的なデーターだけでも取ろう、それを繰り返すことで何かのパターンを見出せないか、です。



   →Essay 603-2:感情と理屈の微妙な関係


文責:田村



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