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今週の1枚(2012/11/19)



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Essay 594:社会の新陳代謝力

めまぐるしく職を変えるオーストラリアの雇用事情の背景原理

 写真は、本日、自宅の庭で撮影。
 ジャカランダの紫の花の向こうにみえる三日月。
 そのココロは、「あ、花札みたい」というだけのことなんですけど。なんか面白いので。


概要


 今週は、誰にでも関係がある雇用/就職の話です。

 話はオーストラリアの雇用情勢なのですが、単に「就職難」「人手不足」というレベルの話ではありません。地殻変動的に大きく変わってきているというマストレンドです。

 なにがそんなに変わっているのかといえば、一昔前にくらべて、人々は異様に激しく転職するようになってきている。もうかなり頻繁に今の職を離れ、かなり頻繁に新しい職を得ている。

 なにしろ、オーストラリアの全労働者の5分の1が在職1年未満だというから、驚きです。
 ここで驚かない人もいるかもしれないけど、僕は「げえっ!」と驚きました。驚天動地です。
 これ、バイトやパートなどのカジュアルジョブの話だったら全然普通だけど、公務員や大企業や研究職・専門職など全てひっくるめた全平均ですよ。それで5人に一人は最近(直近1年)今の職場に入っている。逆に言えばあらゆる職場の平均で、5人に一人は新入社員という。

 勿論、全員が右から左への転職ではなく、リタイアして去っていく人もいるし、新卒で新たに職場に入る人もいるし、育児後や新しいキャリアを目指して大学に入り直して新エリアで就職する人(こちらでは良くあるし増えつつあるらしい)など長期休職後の職復帰者もいます。また、数ヶ月ごとに職を変える高回転率の人もいれば、全く変わらない人もいるでしょう。一概には言えません。しかし、それを考えたとしても凄い数値です。

 しかし、それは単に「やたらコロコロと仕事をすぐ変える奴ら」という意味ではないです。
 本来、オーストラリアや西欧社会は、未だに終身雇用、大企業や公務員など職の安定志向から抜けきれない日本からみたら、相当に「コロコロ職を変える」という変動志向の社会です。

 僕もよく言いますが「3年たったら総取っ替え」で、仕事柄お付き合いする語学学校でも、3年もすれば学長から何からスタッフ全員顔ぶれが入れ替わっていても不思議ではない。結局、その学校のことを一番長く知っているのは、オーナーを除けば「出入りの業者」である僕だったりすることも良くある話です。

 だから1年間に5人に一人が職を変えること、単純計算で5年たったら職場全員総取り替えになることは、それほど珍しいことではないのだけど、でも、全平均となると話は別です。都会のオフィスワークなんかコロコロ変わっても不思議ではないです。でも、地方の工場とか、古くからある商店企業とか、農・漁・林・鉱業など、人的地域的密着性が強く、また転職選択肢も少ない職もひっくるめて、となると話は自ずと別です。それでかくも変動率が激しいとは。

 つまり、もともとが変動志向の社会において、さらに途方もない地殻変動が起きつつあるということです。全員が転職を常に考えており、労働全期間を通じて常に「就職シーズン」であって当たり前という人々が、今更ながら「皆、すぐに職を変えるようになった」と言ってるわけです。それも、バリバリの経済専門家(中央銀行副総裁)が講演で述べ、それを経済評論家が一般紙に記事として書いている。

 これは何を意味するか?

 それほどまでに大量の人々が簡単に職を変えられるということは、それほどまでに大量の新職場が絶えず生まれ続けているということです。

 経済統計でいえば、ある期間の雇用増大数は、せいぜいが「2万人の新雇用」というレベルです。だから2万人だけ転職したかのように思われがちだけど、全然違う。実は230万人が離職し、232万人が新就職しているから、その「差」が2万人であるというに過ぎない。結果としての統計数値に表われるものの、実に100倍もの変動が起きているということです。

 さらに進んで、なんでそうなっているのか、そうなる合理性は何なのか?です。
 それは労働ミスマッチ解消力、時代への適合力でしょう。

 言うまでもなく、現在地球規模で激しく産業構造が変り、ビジネスモデルが変わりつつあります。毎年、というよりも毎日毎秒というせわしなさで激しく変化している。だから昨日までの花形産業が今日は凋落して閑古鳥という現象も普通にある。落ち目になった業界では激しくリストラが行われる反面、新興エリアでは猛烈な人手不足になるから、民族大移動のような労働転換が行われているということです。

 それを個人レベルでいえば「コロコロ職を変える」ということになるのですが、社会全体でいえば、新陳代謝力がずば抜けているということであり、おっそろしくタフな経済・社会体質が出来つつあるということです。そしてそのくらいタフで強靱な新陳代謝力を、今の世界経済は求めている、ということでもあるでしょう。

 それは社会体質の強化なのだけど、社会が個人を離れて存在しえないのと同じく、個々人レベルの意識改革、激しい経済変動を「迎え撃つ」というマインドの表れでもあります。以下の経済統計でも示されているように、離職者230万人のうち、リストラなど意に反してクビになっているのはわずか4分の1に過ぎず、4分の3は自発的に離職しています。ここで、本当はクビなんだけど強引に「自己都合」と書かされているような日本的風景はおよそ考えにくいので、この数字は額面通り受け取っていいと思います。

 ということで、ここで参考になる英文の経済記事を紹介します。
 Ross Gittins氏の論稿で、よく新聞の経済欄に書いている人です。面白いし勉強になるのでよく読んでます。

 これも前々から書こうと思ってたネタなのですが、事柄を正確に、わかりやすく説明しようとしたら、結局原文を紹介した方が早いということになりました。さすがプロが書いているだけあって要領がいいです。

 英語の勉強という点では、今回は経済記事、ビジネス英語講座ですね。

新聞の経済コラム



Jobs for life have gone, replaced by something better

もはや人生を通じて一つの仕事をする時代ではない。もっと良い時代になったのだ。


Ross Gittins
October 13, 2012 Sydney Morinig Herald


If you listen to business, we still have big problems with the labour market. John Howard deregulated it, but then Julia Gillard re-regulated it and now we can't do a thing with it. The business people are right to this extent: particularly at a time when the economy is under so many pressures for change in its structure - the rise of the emerging market economies and the resources boom it has produced, the digital revolution, the return of the prudent consumer, and more - we do need a labour market that's ''flexible''.
 ビジネス界の人々に話を聞いてみると、我々は依然として労働市場に大きな問題を抱えていることになっている。ジョン・ハワード(前与党の首相)は労働法について大規模な規制緩和を行ったが(労働者保護を後退させた)、ジュリア・ギラード現首相はこれらの規制を戻した。
 一定限度では、ビジネス界の不満は正しい。特に国内の経済構造を大きく変容させようとする数々のプレッシャーに晒されている現在の状況においては=それは新興市場の登場であったり、資源鉱山ブームであったり、デジタル革命であったり、「思慮深い消費者」の復活であったり、その他モロモロである。我々は雇用システムをもっと「フレキシブル」にしていかねばならないだろう。

But what exactly does flexibility mean? Well, not what some bad employers think: unilateral freedom to change their staff's working arrangements without recompense or consultation. That's one-sided flexibility.
 しかし、「フレキシブル」というのは、正確にどういうことを意味するのだろうか?そう、それはどこかの悪しき雇用者が企むようなことではないだろう〜つまり、労働者に対して何の補償も交渉もないまま、ただ会社の都合だけで労使関係を決められること、ではない。それは一方的なフレキシブリティに過ぎない。

No, what flexibility should mean is the ability of the labour market to adjust to the shocks that hit the economy without generating excessive inflation or unemployment. You get some, but it doesn't linger for years.
 本来「フレキシビリティ」という意味内容は、過度なインフレや失業率の上昇をも引き起こさず、経済のショックを受け止められることであるべきだ。もちろん多少の影響は受けるだろうが、それが延々と尾を引くということはない。

Another word for it is ''resilience'' - the ability to take the punch, then bounce back.
 「レジリアンス/resilience」(弾力性、復元力)という言葉もよく使われる〜パンチを受け止める力、はね返す力のことである。


So how are we doing on that score? A lot better than business's complaints may lead you to believe. In a speech this week, Philip Lowe, the deputy governor of the Reserve Bank, reeled off a host of respects in which the labour market is more flexible.
 では、そういった観点において我々はどの程度健闘しているのだろうか?
 経済界の人々がまことしやかに述べている不満とはかけはなれて、実は、我々は上手にやっているのだ。中央銀行のフィリップ・ロウ副総裁は、オーストラリアの労働市場がかなりの程度フレキシブルになっていることを示す諸点を滔々と論じた。

He started by noting that, despite all the gloominess - and notwithstanding its apparent rise to 5.4 per cent last month - the official unemployment rate is still very low by the standards of the past 30 years.
 彼は、まず、多くの悲観的観測、あるいは先月の失業率5.4%への上昇にも関わらず、過去30年レベルでいえば、失業率は依然として非常に低水準に留まっていることを指摘した。

In that time there have been only four years in which the unemployment rate has averaged less than 5.25 per cent. (Note for sceptics: contrary to urban myth, the method of calculating the rate hasn't changed in that time.)
 過去30年において、失業率平均が5.25%以下だった年は、わずか4年しかない(ここで何事にも懐疑的な人のために書いておくと、よく語られる都市伝説とは異なり、失業率の算出方法は過去30年変わっていない)。

Lowe reminds us Australia has one of the lowest unemployment rates among the advanced economies - ''an outcome that seemed improbable for much of my professional career''.
 「こういった(低失業率の)実績は、私の(ロウ副総裁)の長い経験からしても、ほとんど「考えられない」レベルである」とロウ副総裁は語り、オーストラリアは先進諸国の中では最も失業率が低い国であることを改めて思い出させてくれた。

Although the unemployment rate has been virtually unchanged for more than two years, this conceals a great deal of coming and going from jobs. The figures show that in February this year, about 2.3 million people - almost a fifth of the workforce - were newly employed, having been in their job for less than a year.
 過去2年の間、事実上、失業率は殆ど変わってはいないものの、その数字の下には凄まじい職の流動性が隠されている。今年の2月の統計によると、なんと230万人もの人々=全労働者の5分の1にも達する=は、在職期間1年未満なのだ。

Whereas a little less than half of these people were starting work for the first time (or for the first time in a long time), 1.2 million people moved from one job to another. And this in a year when the net growth in employment was a mere 23,000.
 そのうち半数にちょっと欠けるくらいの人々が新採用ないし長期離職後の職場復帰であり、他の120万人は転職である。そしてこの期間の雇用者数の純増数は、わずか2万3000人でしかない。

In other words, a fraction more people gained jobs than lost them, even though the media trumpeted the job losses and said next to nothing about the job gains.
 言い換えれば、(雇用増加数というのは)新たに就職した人数と失業した人数のほんの僅かな差異でしかないのだ。相変わらずメディアは失業については派手に書き立て、新たな就職機会については殆ど無視しているのであるが、現実はそうである。

About three-quarters of the job changes were voluntary, including for personal reasons or to take advantage of new opportunities. The remaining quarter was involuntary, including because employers went out backwards or changed the nature of their business.
 そして、これらの4分の3のケースが、私生活上の理由や新たなチャンスなどによる自発的な離職・転職なのである。残りの4分の1が意に反する離職であり、それは雇用者の経営縮小判断であったり業界の経済環境などによる。

It's always true that far more people move around than we imagine when we see the small net changes from month to month. In the jargon, ''gross flows'' far exceed net change. But Lowe finds some evidence all the structural pressures affecting the economy at present have led to a higher rate of job turnover.
 毎月の統計に表われる小さな「純増/純減」数から我々がなんとなく想像するよりも、途方もなく巨大な規模で、多くの人々が職を去り/職を得ている、という事実は銘記されるべきである。専門用語で「グロス・フロウ(総量の流れ)」というが、グロスは「ネット(純数)」よりもはるかに大きいのである。そして、ロウ副総裁は、現在の経済環境における構造変化への圧力は、職の回転率をさらに高いレベルに押し上げているという幾つかの証拠を指摘した。

If you take all the people who left their job over the year to February and compare it with the all people employed at some time during the year, this was the highest in two decades.
 この2月までの1年間で職を失った人の数を、同期間に職を新たに得た人と比べてみると、過去20年間で最高の水準に達していることがわかる。

That's true for both voluntary and involuntary ''separations'' - meaning it's a sign of greater flexibility in the labour market. It suggests that, while a lot of jobs ceased to exist, at the same time a lot of new job opportunities opened up in other parts of the economy and many displaced workers were able to find new jobs without much drama.
 自発的にせよ非自発的にせよ、「職からの離脱」現象がかくも大規模に生じていると言うことは、とりもなおさず我々の労働市場が非常に「フレキシブル」になっていることを示している。これはどういうことかといえば、経済全体において一方では大量の職が消滅する一方、他のエリアで大量の職が出現しているということであり、多くの労働者はさしたる苦労もなく新しい仕事を得られているということを意味する。

Another indication some parts of the labour market are expanding while others are contracting is that the official measure of the number of job vacancies has remained relatively high, even though the growth in employment overall has been so small.
 労働市場のなかである部分が縮小し、ある部分が拡大しているという現象は、職の全体数そのものは大して増えなくても、職の空席状況に関する公的算出数値(求人倍率)は比較的高水準のまま推移するということを意味する。

Consider this: since 2007, about 300,000 net additional jobs have been created in the health care sector, 200,000 in professional and scientific services, and about 130,000 each in mining and education.
 2007年の統計をみると、医療セクターで30万人もの新しい雇用が生まれ、専門科学職に20万人、鉱山と教育関係にそれぞれ13万人もの新しい雇用が生じている。

So where's the downside? Employment in manufacturing has fallen by about 70, 000 and the number of jobs in retailing has stopped growing.
 ではどの業界が落ち込んでいるのだろうか?製造業界においては7万人もの失業を生んでいるし、小売業界においても職の成長は止まってしまっている。

Despite this significant variation in employment growth by industry, there hasn't been any widening of the rates of unemployment among the nation's 68 local regions. Compared with 10 years ago, the average unemployment rate is lower and the variation between regions is lower, not higher.
 このように業界ごとに激しい雇用状況の差異があるにもかかわらず、国内68区域の失業率そのものは殆ど変わっていないのだ。10年前に比べてみると、失業率はむしろ下がっているし、地域間での差異もむしろ減少している。

About half the regions have unemployment rates below 5 per cent and almost three-quarters have rates below 6 per cent. In only three regions is the rate above 8 per cent, compared with 13 regions a decade ago. That's lovely, but what about wages? Here there has been increased dispersion. Since 2004, average wages in mining have risen by about 10 per cent relative to the economy-wide average. Workers in professional services have also experienced faster-than-average increases, Lowe says.
 国内68エリアの約半数が失業率5%未満であり、4分の3のエリアが6%未満である。10年前には13エリアもあった失業率8%以上区域は、今ではたったの3区域でしかない。
 素晴らしいことだ。しかし肝心の給与はどうなっているのだろう。ここでは格差が広がっている。ロウ副総裁によると、2004年以降、鉱山セクターの給与水準は全産業よりも10%もの伸び率を示しているし、専門職の給与水準もまた全体平均よりも高い伸び率を示している。

Conversely, relative wages have declined in the manufacturing, retail and the accommodation industries, each of which has experienced difficult trading conditions in recent times.
 それとは逆に、昨今の経済環境で苦戦を余儀なくされている製造業、小売業、そしてホテル業界では相対賃金は減少している。

Sounds pretty flexible to me. This adjustment of relative wages has help move workers around the changing economy so shortages of skilled workers in some areas have been fairly limited.
 しかし、私からみたらとても「フレキシブル」な状況に思える。こういった状況は、深刻な熟練労働者不足に苦しむエリアに多くの労働者が移動することを促すからである。

Lowe observes the adjustment of relative wages has occurred ''without igniting the type of economy-wide wages blowout that contributed to the derailment of previous mining booms''.
 こういった相対賃金の調整は、全産業的な賃金高騰によって前の鉱山ブームを脱線させたような種類の変動を生じさせずに生じている、とロウ副総裁は指摘する。

He declares the industrial relations system is more flexible than it was two decades ago and says it's essential the labour market retains its flexibility. But though industrial relations laws and practices are important in this, ''they are by no means the full story''.
 副総裁はさらに、20年前に比べてオーストラリアの労使システムはフレキシブルになっているし、雇用市場がこのフレキシビリティを維持することはとても重要であると強調した。そして、労使関係の法律や慣行がそのなかで重要性を占めるにしても「いかなる意味においても、それが全てなのではない」

''Flexibility also comes from having an adaptable [my emphasis] workforce - one that has the right general skills, the right training and the right mindset,'' he concludes.
 「フレキシブリティというのは、「調整しうる(強調は筆者による)」労働力によってもたらされるのであり、それは正しいゼネラルスキルと、正しいトレーニングと、正しい物の考え方に尽きるのである」とロウ副総裁は結論づけ、さらに以下の言葉で締めくくった。

''Whether or not Australia fully capitalises on the opportunities that the growth of Asia presents depends critically upon the ability of both workers and business to adapt, and to build and use our human capital.''<
 「現在のアジア市場の好機をいかに活かすか/活かさないかは、雇用者・労働者双方が、いかに新しい状況に適応できるかどうかに決定的にかかっており、オーストラリアの人的資源をいかに有効に活用できるかにかかっているのだ」と。


付記すること/思うこと

オーストラリアの労働規制とフレキシビリティ

 上の記事の主題は、「労使関係におけるフレキシブリティ」ですが、これはちょっと注釈が要るでしょう。オーストラリアは伝統的に労働者保護が非常に強い国です。労組強いし、ストライキは年中行事のようなものだし、労働者というのは「戦ってなんぼ」という気風があります。僕が来た十数年前は、海運労組がガチの大喧嘩ストをやって、どこかの港湾一面に労組の船舶が示威航行をやっていて、「うわあ、戦争みたいな、海賊みたいな」ってヴィジュアル的にも凄かったです。

 最近はめっきりその傾向も影を潜め、労組の加入率も低下する一方です。が、オールド・カスタム・ダイ・ハードで、古くからの伝統はなかなか消え去るものではない。最低賃金も高いし、労働者の権利保護はかなり手厚いです。というか、これもさんざ ん過去に書きましたけど、労働法の規定それ自体は、(アウォード(AWARD)のように一律賃金規定を除けば)日本法とそんなに変わらないのですよ。日本の労働法だって残業手当や休日手当、年次有給休暇とか保護規定はたくさんある。違いは、現場においてそれが守られているかどうかであり、もっと言えば「労働者個々人が戦うか/戦わないかの差」に尽きると思います。日本人はあんまり戦わないけど、オージーは戦う。個人レベルでの戦闘能力(意欲)の差はかなりのものがあるでしょう。

 しかし、それがビジネス界においてはアダになっている。とにかく労働者がうるさいし、法規制がうるさいから、人を雇うのは大変だし、言葉の本来の意味でのリストラクチャリング(再構成)がしにくい。結果としてオーストラリア企業の国際競争力を失わせるし、海外移転や海外アウトソーシングなどの空洞化をも招くから結局労働者にも跳ね返ってくると。だから、オーストラリアの労使関係は、今のようにガチガチではダメで、もっと柔軟に、もっと「フレキシブル」なものになるべきだと。これが、数十年来、ビジネス界でマントラのように唱和されている議論です。

 それを前提にして上の経済コラム記事があります。
 財界は相変わらず「フレキシブルな労働市場を!」と大合唱だけど、もう十分にフレキシブルになってるじゃん!っていうのが、論旨ですね。いや、でも、実際そうですし。だからこそ、中央銀行副総裁のロウ氏の最後の方の指摘=労働関係の規制や慣行というのは「いかなる意味でもそれが話の全てではない(by no means the full story)」になっていくのでしょう。法律上の規制を緩和するとかどうとか、そんな事柄だけで世の中廻っているわけじゃないよ、実際規定は厳しくなってもフレキシブリティはますます高まっているじゃないかと。

 こういう指摘をロウ副総裁がやり、さらにそれをギティン氏が紹介しているのは、財界の唱えるフレキシブリティは、文中にも書かれているように「一方的なフレキシビリティ」であり、悪しき雇用者の「もっと労働者を搾取しやすくしろ」という手前勝手な主張に過ぎないという強烈な批判意識があるのでしょう。さらには、経済は大きな生き物であり、法律によってこれを規制するのはあくまで補助的なものに過ぎないという認識です。つまりは政府や議会や法律なんぞによって経済は動かんよ、だから政府に期待してもダメよ、経済は経済で独自の原理と自律性で動いているんだよ、それを正しく見据えることが第一歩になるのだよってことだと思います。

ゼネラルスキル、トレーニング、マインドセット

 論者のいうフレキシビリティというのは、経済環境の変化に機敏に対応できるかどうかです。フレキシビリティというよりは、アダブタビリティといった方が正確かもしれない。柔軟(フレキシブル)に適応(アダブト)すると。

 経済というのは一種の戦場のようなもので、最初は「鶴翼の陣形〜」とかいってドドドと攻めていくけど、右翼に敵の大兵力がやってきて負けそうだから急遽左翼から大規模に兵を移動させませしょう、好機となったら後詰めの兵を全て投入して一気に中央突破を計りましょうとか、千変万化する戦局に応じて間髪入れずに対応できることがポイントであるということでしょう。

 重工業重視、製造業重視でやってきました。でも新興国に食われてヤバイです。その代りITやら金融やらコンテンツ産業が隆盛ですってことになったら、よし、工場にいる人達に急遽IT系の仕事をやってもらおう。とかやってると、今度はIT はモトデが少なくて済むから、インドなどの新興国にどんどん食われてます、ヤバイです、その代り高齢化などで介護や医療系では猛烈に人手が足りませんってなったら、よーし、今度は、、、と、どんどん変化に対応する。

 そして、それを実現するために3つのことをロウ副総裁は言っています。
 「正しいゼネラルスキル+正しい教育+正しいマインドセット(メンタル、見識)」であると。I agreeです。ほんとにそう思う。

 まず「ゼネラル・スキル」ですが、どこの会社、どの業界にいっても共通して必要なゼネラルスキルというのがあると思います。その意味内容は人によってさまざまでしょうけど、大雑把に言ってしまえば、「”働く”というのはこういうこと」というのを身体感覚で習得することでしょう。各職場で要求されるスキル水準であったり、責任感であったり、やってりゃ段々上手になったり、大抵のことは何とかなることとか、何とかなるまでの過程に一回くらいは地獄を見ることであるとか、、、このあたりを体感的に知ることであったり、上司や同僚とうまくやっていく能力であったり、交渉における押し引きの見極めであったり、あと転職市場を戦い抜く技術も大事なスキルでしょうね。

 これらはどんな業界、どんな職場にいっても同じですし、このゼネラルスキルがしっかりしている人は、やっぱり戦力になるし、転職もしやすいでしょう。よく新入社員が「学生気分が抜けない」といって怒られたりしますけど、業種職種に関わらずある程度働いてきた人は、本格的に働いたことのない人とはちょっと違う。言動に「甘さ」がないというか、どこかしら鍛えられている部分はあり、それが信頼の元になる部分はあります。例えば「やります」といって全然やらないという「嘘」は、働いたことのない人の方が多い。どっかに「許してもらえる」という甘さがあるのでしょうか。実社会に出て責任負わされる立場にたったら、「言っててやらない」というミエミエのミスは、ときとして致命的ですらあります。クビになるだけではなく、数千万円の賠償責任を負わされて、泣いて謝って許して貰えないという「世間の恐怖」を知ってるかどうか。「○時に来る」とか「メールします」とかいって、それきりの人は、自分がどれだけ危険なことをしているのか分からないのでしょうし、この「分からない」という時点でもうアウトですよね。

 ま、これは日本社会での話で、オーストラリアではまた違います。この種の約束事はえらくいい加減なんだけど、日本以上に厳しい部分もある。例えば、他人の名前をビシッと覚えるという点では凄い。覚えにくい外国の名前でも、かなり正確に覚えている。数年前に一回会っただけなのに、それでも覚えているという。僕らはこの点が甘くて、何回言われても覚えられないという。

 ま、そこは色々なんですけど、キチッと仕事してたら自然と身についてくるゼネラルスキルというものはあり、それが充実していたら、違う業種に行っても馴染むのも早いでしょう。逆に、長いこと働いてはいるのだけど、単に自分の会社のカルチャーにどっぷり浸ってるだけで、ゼネラルスキルとして抽出消化できてない人はダメなんでしょうね。

 次に、業界間の労働力移動においては、ズブの素人でも「このとおりやってりゃとりあえず仕事は出来る」という優秀な職務記述書(マニュアル)の整備であったり、職場での手順や工程の整備であったり、TAFEなどの職業訓練学校のカリキュラムの豊富さ、大学などで生涯学習、転職学習をターゲットに据えた魅力的で実戦的なカリキュラム作りであったり。これらが「正しい教育」でしょう。

 最後に大事なのが「正しいマインドセット」で、いわば「心構え」ですが、知的にいえば「戦略的思考」であり、メンタル情緒的にいえば「チャレンジ精神」でしょう。"the last but not least"で、最後だからといって優先順位が劣後するわけではなく、むしろ順位でいえば筆頭かもしれない。世界や時代の変化を「迎え撃つ」ようなマインドセットでいれば、自ずとスキルも摂取するし、トレーニングを受けるようにもなる。

 このあたりは幾らでも書けますが、本稿から外れていくのでこのくらいにします。

で、日本の場合は?〜イヤなことを考える/考えたくないマインドセット

 うーん、こういう経済の新陳代謝って観点で言えば、日本の場合は、ちょっと、、というか、かなり厳しいかも。今の日本の最大の弱点の一つでしょう。全てが真逆にいってるというか、高度成長期以降の日本人のマインドセットの根本ドグマに「安定志向」があったりするわけですが、これって新陳代謝に真っ向から対立しますよね。安定を志向する以上、無意識的にでも変化を嫌うだろうけど、変化を嫌ってたら産業構造や労働力の再配置という新陳代謝が出来ないし。全ての日本人から安定志向が激減したら状況は変わっていくのでしょうが、中々そうもいかないんだろうな、と。安定志向を前提に上から下までシステムが出来ているから、それを壊すのは利害的にもメンタル的にも容易なことではないです。

 オーストラリアや西欧は、もともと変化するのが得意な連中なのですが(生涯の一時期に外国に住むなんて当たり前だと思ってるし、職は変わってなんぼだと思ってる)、その連中が、目の色変えてさらに努力して変わろうとしているわけです。何のために?といえば、生き残るためにです。オーストラリアはOECDの中ではかなり経済は堅調だけど、それでもすごい危機感がある。ぼさっとしてたら時代に殺されかねないという皮膚感覚での緊張感があるように思います。

 オーストラリアは、今国策としてアジア新興市場をどう攻略するかで官民共に必死にやってるという感じで、前にも書いたけどインドから財界の大物が来たら州知事自らフルアテンドで接待しまくるし、インドネシアやタイなどについても単に言語を覚えるだけでは全然足りない、彼らの発想、文化、ハートを理解しなければならないと政府自らがハッパをかける。中国とのパイプのためにビザ要件を緩和して、シドニー中どこにいっても中国人だらけになっても、オーストラリア人の中国支社長が中国政府に逮捕され刑務所にブチ込まれても、、中国人が好きだの嫌いだのという感情的な議論は不思議なくらいに少ない。ちょっと前にインドとは一悶着あったけど、またインド人留学生が増えてきたし。やっぱ好きとか嫌いとか悠長なことを言ってる場合ではないって前提認識はあると思います。

 変化でいえば、例えば、今マスメディア、特にTV局の存亡が色々言われています。話題そのものは日豪同じなんだけど、状況の進行具合とシリアス度が違う。日本でTV局の経営危機を検索しても、個々人のブログや掲示板系の話題レベルで留まっており、本格的なニュース検索ではあまり出てこないです。なんか、もう、不思議なくらいニュースになっていない。

 しかし、オーストラリアではもう現実に民放の雄であるチャンネル9が倒産しそうになってます。当然、ニュースにもバシバシ出てきます。例えば、Analysis: What's the future of free-to-air TV?とか、Television networks on the blink as online eats into revenue pieとか、Is Nine Entertainment broken?とか、Nine not over the line yet as debt fight lingers とか。

 借金漬けで首が廻らなくなったTV局ですが(Nine以外でも)、今は話は潰れるかどうかではなく、アポロとかオークトリーなどの世界中の金融機関(ヘッジファンドなど)が安く買い叩くために寄ってきて、主立つ債権者から債権を安く買い集めて支配権を得ようという争いになってます。潰れそうなTV局を買い叩いて一儲けしようという連中のステージになっているという。直ちにドカンと潰れるわけではないとはいえ、見方を変えれば、鮫がうようよ泳いでいる海に投げ込まれた子羊みたいな状態ともいえます。

 このあたりの現実の進行具合も危機感も、日本の場合はまだまだ薄い気がします。

 まあ、あんまり考えたくない将来像なんだけど、この「考えたくない」というメンタルそれ自体が既にヤバイですよね。イヤなものから目を背けたいというのは、心が弱まってる証拠。放射能でも累積赤字でも「なかったことにしよう」みたいにやってたって、本当に無くなるわけではない。どうせいずれ生じる問題だったら、一秒でも早く対処した方が成功率が上がるのだけど、だからそこがマインドセットなのでしょう。

 今度の選挙でも、自民党の支持率が30%以上とかいうのですが、本当かよ?って気がします。今日の日本の状況を招いたのはまさに自民党的なシステム、公共投資と談合による既得権ネットワークの「甘い汁同好会」のガチガチ社会で、それを何とかしようとして民主党の政権交代になったわけだけど、なっかなか話が進まない。期待が大きかっただけに失望も大きい。ここまでは分かる。

 もっとも「分かる」とは言いつつ、個人的にはそこで「期待」すること自体が間違ってると思います。土台日本の社会は「玄人」筋のもので、そこでいう玄人とは何か?といえば、甘い汁同好会の参加/運営技術であり、「顔がきく」ことでしょう。要は政治=勝ち組の利益分配であり、全体に上げ潮の時は負け組にもおこぼれが廻り、おこぼれでも満更ではなかったから不満もそれほど出なかった。でも、全体にパイが縮小すれば、その構造が煮詰るのは必然であり、だからこそ玄人構造そのものブチ壊して、「素人」に権力を奪回させようというのが本来の話でした。でも素人が玄人に勝てるわけがないから、すぐに目に見えた成果なんかあがりっこない。だったら、時間をかけて甘い汁そのものを希薄化し、玄人臭を脱臭し、デトックスしていくしかない。JALしかり、電力村しかりです。全然不徹底だけど、でもメスは入った。だから平気で10年くらい時間がかかると僕は思ってたけど、そうは思わない人が多いのでしょうね。「期待」しちゃうんでしょうね。もう生活苦しいし。でもそこでイライラすると、お米を炊いているときに蓋を取って台無しにしてしまうという愚を招く。

 しかし、期待はずれだったとしても、だったらもっと変えてくれそうな過激な勢力に支持が集まりそうなんだけど、もっと変えてくれそうな勢力が無い。無いわけないんだろうけど(政治家個々人ではけっこういる)、メディアでも大々的に紹介しない。「第三極」として大々的に紹介されているのもあるけど、第一に本当にあれが日本の「第三極」なのかどうかについても疑問あるし、言ってる内容も自民以上にオールドファッションだし、そもそも言ってる内容自体が矛盾しててよく分からない。で、一番分からないのは、そこで元の自民党に戻るという発想ですよね。変えたいけど中々変わらないから、もう変えないで元に戻そうって発想が不思議。ガンになったので治療をしたんだけど、なかなか治療が進まないので失望した、だったらもっとガンを増殖しましょうみたいな発想になるか?という。不思議だ。

 でも、ま、見方を変えたら不思議でもなんでもないのでしょう。僕が思うに、要するに「変わりたくない」「変わらないで欲しい」という人達が人口の3−4割いるってことでしょう。65歳以上人口が23%、50歳以上がほぼ半数というから、3-4割というのは分からない数字でもない。まあ年齢だけの問題ではないのですが、既得権層とか逃げ切りをはかるとか言われている層がそのくらいいるということでしょうか。

 ほんでも「逃げ切れる」と思っていること自体、あるいは既得権が永遠に既得権であり続けると思ってるあたりのマインドセットが既に甘いと思いますよ。いくら老後資産を貯金してようが、きついインフレが一発やってきたら津波にドドドと流されちゃうでしょ?過去20年デフレだったからといって、今後30年もデフレが続く保証はないし、第一デフレが50年も続いたら国として存続できてるの?って気もするし。そういえば就活でもなんでも勝ち組/負け組とかまた言いだしているようですが、あれも、勝ち組が永遠に勝ち続けると思っているのかしら?今日の勝ち組→明日の負け組でしょう。3年前に東京電力やシャープに入った人はお気の毒ですよ。なんかしらんけど、「変わる」ということを計算に入れない、もう意地でも入れたくないという、不可思議なパースペクティブだと思うのでした。

 ちなみに、海外の連中は今の日本をどう見てるかというと、例えばA declining Japan loses its once-hopeful championsというワシントンポストの先月(10月)28日付の記事があります。

 これも全文翻訳して紹介しようと思ったけど、リンクだけにしておきます。この記事では、日本に何十年も住み、日本びいきというか日本の強さをよく知っていて、それを世界に発信してきた人々が、「もうダメかも」とガックリきているという状況をレポートしたもので、けっこう内容的にはキツいです。もう日本経済は再生するか/しないかというレベルの話ではなく、「惜しい人を亡くした」という「弔辞」のような話です。「あと600年したら日本人は480人まで減る」とか「日本はまだ強いと言いはるのは、”エルビスはまだ生きている”と言い張るようなものだ」とか、日本人だったら痛くて考えたくないようなこともで平気でズケズケ考える。

 あちゃ〜という感じなんだけど、でも書いていることは別にメチャクチャではないですね。実際正しいと思うし。今現在の富や生活水準の絶対値がどうかではなく、どっちのベクトルに向かっているのか、それは何故か?です。もしマイナスに向かっており、その原因が構造的であり、その修正がかなり難しいならば、将来的にいつかは確実に破滅するという論理になるだけのことです。希望も絶望も主観的にリンクしない基本的に「ひとごと」である第三者だからこそ、残酷なくらい平明にそれが見えてしまう。そして、その根源にあるのがマインドセットでしょう。記事にも書いているけど、明治にせよ戦後にせよ、日本って真剣に海外に学んでいるときは恐ろしく強い。しかし外に目を向けなくなったら一気に破綻する。思うに、日本人はもともと勉強熱心だし学習能力も高いんだから、「前を向く」ということさえすれば大丈夫なんだけど、それが難しい。頭は良いけどマインドセットが弱い。

 もっとも、私見によれば、こういったプラスでもマイナスでもない、第三の方向というのがあって、それが少しづつ出てきている気はします。これらはあくまで経済レベルでの話であり、別に経済がダメだからといって何もかもがダメになるってもんでもないです。経済の向上によって確かに日本人の幸福の総量は増大したかも知れないけど、逆に幸福のあり方が限定されてしまったという副作用もあるのであって、経済が下がればまた幸福の様相も多様化するという福音もあるでしょう。大体一定レベルの生活水準以下だったら自動的に不幸になるというんだったら、1970年以前の日本史上の日本人は一人残らず不幸だったということになりますもんね。んなこたないです。ま、でも、これは話が逸れますからここまで。

 かなり長くなったけど、もうちょい。変化の先取り、イヤなこと、考えたくないことだけど、いずれ来るならキチンと考えようということで、オーストラリアで真剣に考えられているのがeuthanasia/ユーソネイジア、安楽死です。日本で安楽死というと、植物人間状態になって回復不能になったらどうするかというレベルで語られてますが、こちらでは自分の明確な意思で死を選び、それを医療的に補助することを合法化すべきかというスゴイ文脈で語られています。要するに医者に自殺(ないし殺人)幇助をやらせるという。

 もちろんこれは死生観に関わる深刻な問題であり、軽々しく論じられることではないけど、でも論じる。それは「いずれは来る(もう来ている)問題」だからでしょう。医学の進展によって寿命が伸びる反面、それは十全たるQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が満たされず、不本意で苦痛に満ちた老後が長引くという恐れをも産む。同時に寿命の増大によって、老後資産の計算が狂い、途中でドボンといってしまう可能性も増えてきた。これらは考えたくもないイヤな話なんだけど、でも、リスクとしてそこにあるなら、キチンと考えるべきだということです。

 なお、こちらの人は、もともとが肉食民族(牧畜民族)ということもあり、文化的に死の捉え方が多少日本人とは違う気がします。飼っている可愛い家畜を殺すことによって生きてきたという背景からか、「死のマネージメント」というのをよく考える。生きていてもツライだけだったらもう安楽死させた方がいいという。ペットでもすぐに安楽死させようとしますね。"put on sleep"とかよくいう。それは死んだら天国に行くのだという宗教観もあるのかもしれないし、そのあたりの深層心理は良くわかりません。わからないまでも、死について、とにかく恐ろしく忌み嫌うべきであり、触れるべからず/考えるべからず、とは思わないみたいです。

 ここではそういう文化背景ではなく、老後が心配になるなら、老後が上手く行くように全力を尽そう。それはファイナンシャルプランもあるし、日々の健康増進もある。しかし、物事は常に上手く行くとは限らない。だから上手くいかなかった時や場合にはどうするか?まで考えようとする。考えたくないことでも、イヤなことでも、でも必要ならば考えるというマインドセットです。

 最後に、これは余談ですが、文中"the media trumpeted the job losses and said next to nothing about the job gains.”(相変わらずメディアは失業については派手に書き立て、新たな就職機会については殆ど無視している)という部分ですが、例えばワールドトピックス 豪州 企業倒産件数 過去最悪に(2012年09月15日)などがその典型だと思います。

 これはJETRO(日本貿易振興機構)のネット番組なんですが、見たら分かるように、「ドル高の影響、欧州不安などから小売業などで倒産件数が前年同期に比べて10%増えた」という内容です。それはそうなんだろうけど、倒産が増えることも新陳代謝の一態様であり、潰れるべき会社が潰れないのは全体の流れを悪くするとか、一方で激しく職を吸収している振興分野もあるとか、そういった観点はまったくないです。

 別にJETROさんに恨みがあるわけではないし、そこがダメって言ってるわけではなく、一般のメディアのニュースは、どこでもこんなものだと思います。これが普通でしょうと。

 だから、普通にこの種のニュースを見ていても、本当のところは全然わからないのね、分からないどころか真逆に誤解してしまう恐ろしさもあるなと感じたのでした。この点、最後に付記しておきます。




文責:田村



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