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今週の1枚(2012/11/12)



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Essay 593:Hogewey〜オランダの先進的な認知症ケアハウス

「何が出来るか」に焦点を合わせ、「何が出来ないか」に焦点を合わせない

 写真は、Chatswoodのショッピングセンターの駐車場屋上から撮影したもの。
 「オーストラリアの桜」と僕が勝手に呼んでいるジャカランダ(紫色の花の木)が、ちらほら咲いてます。



 今週は、認知症(アルツハイマー)のケア施設の話題です。
 先週までの流れとは全然関係ないようですが、根底ではつながっているように思いますが、それは又あとで。

 オランダにある「Hogewey」という先進的な認知症施設が世界的な注目を浴びています。なんせオーストラリアの普通紙にデカデカと載ってたくらいなんだから。
 9月頃の記事で、「へえ、面白いな」と思っていたのですが、「やばい、ほっておいたら忘れてしまう」と思って、今回のエッセイに取り上げることにしました。このエッセイ、過去の世界史シリーズでもそうですが、皆さんにとっては読み物でも、僕にとっては「勉強ノート」なのです。

 何がどう新しいのか、僕が稚拙な文章で紹介するよりも、記事全文を以下に引用しますのでお読み下さい。

 訳は例によって僕が適当につけたものですが、この英文、結構クセがあって、いつも紹介する普通の新聞記事のように平易ではなく、歯ごたえ2倍くらいあります。英語の試験の問題に出したら受験生が可哀想って。冒頭、いきなり目くらましがあります。認知症のおばあちゃんの話をそのまま書いているから、数行読むだけで破綻してきて「え、あれ?」と幻惑されるという。この「え、あれ?」を付加疑問文などでさらりと表現してるんだけど、一読して表現意図がわかったあなたは相当英語力があります。

 あとフランス式鉄球あそびの「ブール」とか、インドネシア棒人形とか、ハムバッグというお菓子とか、知ってないとどうしようもない単語もボコボコ出てきます。最近はネットで本当に便利になったもので、知らない単語や固有名詞などはGoogle検索、それも画像検索するといいです。各箇所に検索画面をキャプチャーしたものを貼っておきました。

 また肝心な施設の名前「Hogewey」の読み方ですが、Google翻訳の発音を聞いても、よく分かりませんでした。ぱっと聞くと「ほうきゅりぃ」とか「ほうじゅうぃ」だったりして、オランダ語、難しいです。

The village that does it their way

A radically different and uplifting home for dementia sufferers offers life on the residents' terms, writes Jon Henley.

ラディカルなまでに斬新で、人の心を浮き立たせる新しい認知症ケア施設には、住民感覚に根ざした「生活」がある。ジョン・ヘンリー記者


September 01, 2012 Sydney Morinig Herald



Jo Verhoeff bounces from her sofa beaming, and takes your hand. "Welcome," she says. "It's nice here; you'll like it. The people are friendly and there's so much to do: shopping, cooking, bingo, the classical music club."
 ヨウ・フェアムッフ(ここでもオランダ語の読みはよく分からないので適当に表記しておきます)さんはソファから飛び跳ねるように立ち上がり、ニッコリ笑いながら「ようこそ!」と手を取った。「ここは素敵でしょう?きっとあなたも気に入るわよ。皆とってもフレンドリーだし、ここには沢山やることがあるの。ショッピングでしょ、お料理も、ビンゴも、あ、クラシック音楽のクラブもあるわね。」

So it's a nice place to come and visit, once in a while. Jo comes quite often when she's not at work; she's a secretary in an office, you see, in Amsterdam. Lives with her parents in Diemen, not very far from the city. Her father's a bookkeeper.
 確かに、そこは時折訪問するには良い場所であった。仕事が非番のとき、ヨウさんは頻繁に訪れるという。彼女はどこか、えーとアムステルダムか、のオフィスの秘書として働いており、都心からさほど離れていないディメンという町で両親とともに住み、彼女の父親は経理の仕事をしている。

Except -- wait. She has a husband, hasn't she? And two children, still small. How can that all work? Especially since -- now she comes to think of it -- she sleeps here, sometimes. Doesn't she? She certainly eats meals here; very tasty.
 ただし、、、あれ?ちょっと待った、、、確か彼女にはダンナさんがいるとか言ってなかったっけ?まだ小さな子供も二人。なんで、そんなに同時にあれこれ出来るんだ?特に、、あ、やっと彼女も思い至ったようだが、彼女は時々ここに寝泊まりしたりしてるとか、そして普通にここで食事もしている、とても美味しいらしい、、、

But never mind. "You really must," says Jo, pushing this unwanted rush of apparently irreconcilable realities firmly to one side, "come and meet my family. All of them. They would love it, I'm sure. If you like, one day next week you can come to my house and have coffee. Would you like that?"
 しかし、まあ、そんなことは気にしないでおこう。この明らかに矛盾しまくっている現実的整合性なんてこの際どうでもいいから、頭の片隅に強く押しやっておこう。彼女は言う、「あなたも私の家族に会いに来たらいいのよ。家族全員とよ。皆きっと喜ぶわ。本当にあなたさえ良かったら、来週あたりにでもウチに来てコーヒーでもいかが?ねえ、そうなさいよ。」

I would like that very much, I say. But it's not going to happen, of course. Jo Verhoeff is 86. Her husband died a decade ago; her parents years earlier. The kids are getting on a bit themselves now. Jo is confused. This is where she lives; doctors have diagnosed her as suffering from severe dementia. But like most of the residents at this curiously uplifting Dutch care home, she seems remarkably serene. In fact, she seems happy.
「ええ、是非」と私は答えたものの、しかし、もちろんそんなことは起りそうもない。ヨウ・フェアムッフさんは86歳になる。彼女のダンナさんは10年前に他界しているし、彼女の両親もそうだ。子供達は自分達のことにかかりきり。ヨウさんは混乱しているのだ。そういう世界にヨウさんは生きているのだ。医師は彼女を重度のディメンシア(認知症)と診断している。しかし、オランダにある、不思議なまでに心を浮き浮きさせるケアホームにいる他の多くの住人達と同じように、ヨウさんはとても落ち着いている。いや、実のところ、とっても幸せそうなのだ。

Dementia is acknowledged as one of the most pressing problems facing health and social care systems. A report published this year by the World Health Organisation predicted that an ageing population in the developed world would mean the number of people with the condition was likely to double, to more than 65 million, by 2030, and treble 20 years later.
認知症は、今、世界の医療システムが直面している最も難しい問題とされている。今年発表されたWHOの予測では、先進諸国における高齢化に伴い、2030年までに認知症患者数は6500万人と倍増し、20年後には3倍増になるという。

Over the past few months, experts from around the world -- Germany, the US, Australia, soon Britain -- have been flocking to the unassuming small Dutch town of Weesp, half an hour south-east of Amsterdam, to see how one pioneering institution is dealing with that challenge. Hogewey, where Jo Verhoeff lives, has developed an innovative, humane and apparently affordable way of caring for people with dementia.
この数ヶ月の間、ドイツ、米国、オーストラリア、そしてじきにイギリスから、世界中の医療専門家達が、オランダのアムステルダムから南東へ30分ほど離れたWeespという、ひっそりとした小さな町に群れるようにやってきている−認知症に対して斬新な取り組みをしているこの施設を見学するために。施設の名は「Hogeway」といい、そこにヨウ・フェアムッフさんも暮している。ここでは認知症の人々へのケアについて、革新的で、人間的で、そして明らかに無理のないやり方が取られている。

"What happened," says Isabel van Zuthem, Hogewey's information officer, sitting at a cafe table on the home's wide and welcoming piazza, an ornamental fountain playing behind her, "is that back in 1992, when this was still a traditional nursing home for people with dementia -- you know: six storeys, anonymous wards, locked doors, crowded day rooms, non-stop TV, central kitchen, nurses in white coats, heavy medication -- two of the staff who worked here unexpectedly lost their mothers.
Hogewey施設の広報担当のイザベル・フォン・ズァーテムさんは、施設内のゆったりとくつろいだ雰囲気のあるpiazza(広場)にカフェに座り、装飾用の噴水を背にしながら説明してくれた。「ことは1992年時点まで遡ります。当時、ここは認知症患者のための昔ながらの普通の施設に過ぎませんでした、お分かりになると思いますが、6階建てで、無個性の個室が並び、ドアは施錠され、昼間の共同部屋は混雑し、TVがつけっぱなしになっており、大食堂があって、白衣の看護士がいて、投薬の量も多くて、、、。そこで勤務していた二人のスタッフは、思いがけなく母親の急逝に見舞われました。」

"Each said to the other: well, at least it happened quickly, and they didn't end up here; this place is so horrible. Then they realised what they'd just said, and started to think: what kind of home would we like for a relative with dementia? Where might we want to live, maybe, one day?"
「彼らはお互いに言っていたんです。確かに肉親を失うのは悲しいけど、でもすぐに済んでしまったし、この施設で最後を迎えたわけではないので、むしろ良かったよって。そのくらいひどい施設だったんですよ。そして、彼らは今自分が言ったことを改めて思い直してみて、そして真剣に考え始めたんです。認知症になった家族が住むにはどういうホームが良いのだろう?そして自分だっていつかは住むのだろうから、自分はどういうところに住みたいか?と」

The answer turns out to be this smart, low, brick-built complex, completed in early 2010. A compact, self-contained model village on a 1.6-hectare site on the outskirts of town, half of it is open space: wide boulevards, cosy side-streets, squares, sheltered courtyards, well-tended gardens with ponds, reeds and a profusion of wild flowers. The rest is neat, two-storey, brick-built houses, as well as a cafe, restaurant, theatre, mini-market and hairdressing salon.
 その答は、2010年に完成した瀟洒で、低層の煉瓦造りの複合施設として形になった。町の外延にある1.6ヘクタールの広さのあるコンパクトで、設備の完備されたモデルタウンである。その半分はオープンスペースになっており、広々とした大通り、心地の良い横道、広場、天蓋のある庭、池とよく手入れされた庭園、葦と生い茂る野草花に占められている。もう半分はこばっぱりした二階建てのレンガ家、そしてカフェ、レストラン、ミニマーケット、そしてヘアサロンがある。

Hogewey's 152 residents -- never, warns van Zuthem, "patients" -- have all been classified by the Dutch health service as suffering from severe or extreme dementia. Averaging 83 years of age, they are cared for by about 250 full- and part-time staff (most of them qualified healthcare workers, the rest given special training), plus local volunteers. They live, six or seven to a house, plus one or two carers, in 23 homes. Residents have their own spacious bedroom, but share the kitchen, lounge and dining room.
 Hogewayの152人の「住人」達、フォン・ズァーテムさんに「患者」と呼んではいけないと注意をされているのだが、彼らは全員、オランダの医療機関によって重度ないし極度の認知症として分類されている。平均年齢は83歳であり、250名のフルタイムとパートタイムの職員(その殆どは資格を有する医療従事者であり、そうでない者も特別の講習を受けている)。全部で23戸ある家屋には、一棟あたりだいたい6〜7名の住人と一人か二人の職員が住む。住民はそれぞれにひろびろとした個室が与えられるが、キッチンやリビングルーム、食堂は共有になる。

Two core principles governed Hogewey's award-winning design and inform the care that's given here, says van Zuthem. First, it aims to relieve the anxiety, confusion and often considerable anger that people with dementia can feel by providing an environment that is safe, familiar and human; an almost-normal home where people are surrounded by things they recognise and by other people with backgrounds, interests and values similar to their own. Second, "maximising the quality of people's lives. Keeping everyone active. Focusing on everything they can still do, rather than everything they can't. Because when you have dementia, you're ill, but there may really not be much else wrong with you."
 フォン・ズァーテムさんによると、Hogeweyには二つの中核的な原理があり、それらがこの受賞歴もあるデザインを規定し、また日々のケアを特徴づけているという。第一に、認知症の人が陥りやすい不安感や混乱、そして強い怒りを、安全で、なじみ深く、人間的な環境を構築することによって出来るだけ緩和すること。実際、それは殆ど普通の住宅と変わりはなく、彼らがちゃんと理解できる物事や、自分と似通った価値観、興味、背景を持つ人々に囲まれて暮している。第二に、とズァーテムさんは続ける。「皆の生活のクォリティを最大限に高めることです。皆をアクティブにするのです。彼らが「何が出来ないか」ではなく、彼らはまだ「何が出来るか」に焦点を合わせるのです。なぜなら認知症を患った場合、確かに病んではいるのですが、だからといってそれ以外の多くの機能が損なわれるわけではないのですからね。」

So Hogewey has 25 clubs, from folk song to baking, literature to bingo, painting to cycling. It also encourages residents to keep up the day-to-day tasks they have always done: gardening, shopping, peeling potatoes, shelling the peas, doing the washing, folding the laundry, going to the hairdresser, popping to the cafe. "Those small, every-day acts are just vital," says van Zuthem. "They stimulate; give people the feeling they still have a life."
 ということで、Hogeweyには25ものクラブがある。それはフォークソングからパン焼き、文学からビンゴ、絵画からサイクリングまである。また、住民達が、彼らがいつもやっていた毎日の営みを出来る限り続けられるようになっている。園芸、ショッピング、ジャガイモの皮むき、豆の殻取り、洗濯をしたり、洗濯物を畳んだり、美容室に行ったり、カフェに足を運んだり。「こういった小さな、日常的な活動は活力のもとになります。それはいい刺激になるのです。人々に対し、自分はまだ自分の人生をちゃんと営んでいるんだという感覚をもたらすのです」とフォン・ズァーテムさんは言う。

The homes belong to seven "lifestyle categories": not periods frozen in time, such as the '50s or '60s, but more moods evoked through choice of furnishing, decoration, music, even food. One is gooise, or Dutch upper class -- all ornate chandeliers, lace tablecloths, fine dark reproduction furniture, and a kitchen discreetly concealed behind a screen; here, says Isabel, "the carers behave like servants. Many of the people who are here will have had a maid".
 ここでは「ライフスタイル分類」が7つに区分されている。それは50年代とか60年代式とかいう時間の中で凍結した区間のことではなく、家具の趣味、装飾、音楽、そして食事すらも区分の基準になる。ある分類は「gooice」と呼ばれ、オランダ語で上流階級のこと意味するが、そこでは全てが華麗なシャンデリア、レースのついたテーブルクロス、上質で暗色の複製家具に統一され、キッチンは目立たぬように配慮されている。イサベルさんは言う、「ここでは、職員はあたかも召使いのように振る舞うのです。ここにいる人々の多くはメイドを持つことになるのです」

Here, too, is Johan Jacobs, resplendent in freshly ironed pink shirt, navy trousers and polished loafers, sprawled in a damask-upholstered armchair, grinning. He is, he says, "a businessman, from Amsterdam". In Hogewey, he appreciates "the classical music club. And dancing." He winks. You've lost none of your salesman's charm, I remark. "Not for the ladies, certainly," he shoots back.
 私の目の前に、ヨハン・ヤコブさんという人がいる、アイロンがパリっと効いた輝くようなピンクのシャツを着て、海軍風のズボンに磨き上げられたローファーを穿き、ダマスク織りのアームチェアにゆったりと手足を伸ばしてニコニコしている。彼は「アムステルダムから来たビジネスマン」だそうだ。Hogeweyでは、「クラシック音楽クラブとダンス」を楽しんでいるそうだ。説明しながらウィンクしてみせるヨハンさん。あなたは営業マンだった頃の魅力をいささかも失っていないようですねと私が言うと、打てば響くように「少なくとも御婦人がたに対してはね」という答が返ってきた。

Outside in the sun, residents sit at garden tables in front of their houses eating ice-cream. Washing hangs on a line. No doors -- apart from the main entrance, with its hotel-like reception area -- are locked in Hogewey; there are no cars or buses to worry about (just the occasional, sometimes rather erratically ridden, bicycle) and residents are free to wander where they choose and visit whom they please. There's always someone to lead them home if needed.
 外では陽光が降り注ぎ、住民達は自分の家の前のガーデンテーブルでアイスクリームを食べている。洗濯物はちゃんと干されている。正面玄関とそれに続くホテル風の受付部分を除いて、ドアに鍵がかけられることはない−ここHogeweyでは車もバスも心配することはない(時々、というかそれすら滅多にないのだが、自転車が通り過ぎるくらいである)。住民達は行きたい所を自由に歩き回ることが出来る。そして必要があれば、常に誰かが自分の家まで連れ戻してくれる。

Across the square with its boules and giant chess set, others are gathered round an old-fashioned sweet stall, sucking on humbugs and liquorice bonbons and swaying to traditional Dutch oompah music from the 1950s. "They did it themselves," says Marjolijn de Visser, a cheery young careworker in jeans and T-shirt, pointing to the brightly painted shutters on the stall. "It's really important that residents feel they're contributing, doing absolutely as much as they feel able."
 ブール(フランス式の鉄球遊び)と巨大なチェスセットの置かれている広場には、ある人々は昔ながらの甘い物を売っている屋台に集まり、ハムバッグ(縞々のついたキャンディ)やリコリス・ボンボンを舐めながら、1950年代風のオランダのウーンパ音楽に合わせて身体を軽くゆすっている。「これ、皆さんがご自分でやったんですよ」と、ジーパンにTシャツ姿の新人職員のマジョリン・デ・ヴィサーさんは、明るい色調で塗られた屋台のシャッターを指さした。「自分は皆のために貢献している、出来る限りのこと精一杯やっているって感じることがとっても大切なことなんです」


 ←"boules"って何?と思ったらGoogle画像検索



 "humgug"というお菓子は→


In the hairdressing and beauty salon, Ingrid Scheermeijer is finishing off a perm. "They do sometimes get a bit confused," she says. "Forget where they are, you know, try to leave. And you often have to explain what you're doing every five minutes . . . But the upside of it is, you don't need to bother with any of the normal boring salon chat. And you should see their faces when they look at themselves in the mirror afterwards. So happy."
 美容&ビューティサロンで、パーマを仕上げたばかりのイングリッド・スキィーアメイヤさんは、「皆さん、ときどきちょっと分からなくなっちゃったりするんです」言う。「今自分はどこにいるのか忘れちゃったり、勝手に帰ろうとしてみたりね。だから、5分ごとに説明しなきゃいけなかったりもするんですよ。でも、それでいいこともあるんですよ。だって、一般のヘアサロンでやられている退屈な世間話をしなくても済むんですから。そして、セットが終って鏡を覗き込んだ皆さんのお顔、是非ごらんになってください、本当に、とっても幸せそうなんですから。」

Other houses are designated christelijke, for the more religious residents; culturele, for those who enjoy art, music, theatre (and, says van Zuthem, "getting up late in the morning"); and indische, for residents from the former colony of Indonesia (rattan furniture, Indonesian stick puppets on the walls, heating two degrees higher in winter, and authentic cuisine).
 「christelijke」と名付けられた棟は、信心深い人々のためにデザインされており、「culturele」は、アートや音楽、観劇が好きな人々のために(ズァーテムさんによると「朝が遅い人達」だそうだ)、そして「indische」はインドネシア植民地風が好みの人々のために(籐製の家具、壁にはインドネシアの棒状の人形、冬には他よりも2度室温を高めにし、真正なインドネシア料理)。
 ※注:インドネシアはオランダの植民地時代が長かった。


 
"stick puppet"はGoogle画像検索で調べると→

 
 これがインドネシア風"stick puppet"になると→


Last comes urban, for residents who once led a somewhat livelier lifestyle: contemporary Scandinavian-style furniture, Do the Locomotion on the stereo.
そして最後に「urban」棟がある。活動的なライフスタイルを過してきた人達のためのものだ−スカンジナビア風の現代的な家具、ステレオでは「ロコモーション」が流れている。

Here Theo Visser, who used to run his own road haulage business, is sitting playing cards with his wife Corrie, 79; he travels 13 kilometres to visit her every day.
 テオ・フィッセルさん、かつては運送業を営んでバリバリやっていた彼は、今は奥さんのコリーさんと一緒にトランプに興じている。彼は毎日、13キロの道を訪ねてくる。

"We've been married 57 years," says Theo. Hogewey, Visser says, is "unique. The people here keep their independence, as much as they can have of it, and they stay active. Here they still have a life. It's not the sort of slow, quiet death you get in other places."
「もう結婚して57年になります」というテオさんは、ここHogeweyは「ユニークなんですよ」と言う。「ここの人達は自分達の自立を維持しています、出来る限り最大限にね。そして常に活動的なんです。ここにはまだ「人生」があります。ほかの施設のような「ゆっくりとした静かな死」とは違ってね。」

By the time Hogewey was finished, it had cost EUR19.3 million ($23.4 million). The Dutch state funded EUR17.8 million, and the rest came from sponsors and local fundraising. The home is proud of its relationship with the community, says Eloy van Hal, the facility manager. Anyone can come and eat in the restaurant, he says, local artists hold displays of their work in the gallery, schools use the theatre, businesses hire assorted rooms for client presentations.
このHogeweyの建設には、1930万ユーロ(2340万豪ドル=約20億円)かかっている。オランダの州政府が1780万ユーロを拠出し、残余はスポンサーや地域での募金で賄われた。「この施設は地域コミュニティの関係が深いんです」と施設のマネージャーのエロイ・フォン・ハルさんは説明する。「誰でも自由にやってきてレストランで食べることも出来るし、地域のアーティストは施設内のギャラリーで個展を開くことも出来ます、学校はシアターを使っているし、企業はプレゼン相手のクライアントのために一連の部屋を借りたりもしています。」

The cost of this radically different approach to dementia care is EUR5,000 a month, paid directly to Hogewey by the Dutch public health insurance scheme, to which every Dutch taxpayer contributes through their social security deductions. Some residents also pay a means-tested sum to their insurer. There is a long waiting list.
この急進的で斬新な認知症ケアのためのコストは月間5000ユーロ(約50万円)であり、オランダの公的保険から直接支払われている。公的保険は全納税者の社会保障費によってまかなわれている。居住者の中には、資産テストによって幾らか保険料を払っている人もいる。入居希望者の順番待ちの列は長い。

Hogewey was, in its early days, dubbed a Truman Show for the elderly and sick, after the Jim Carrey film in which reality turned out to be the set of an elaborate TV show. The home is, admits Van Hal, "not completely normal. We pretend it is, but ultimately it is a nursing home, and these are people with severe dementia. Sometimes the illusion falls down; they'll try to pay at the hairdresser's, and realise they have no money, and become confused.
Hogeweyは、創立当初においては「トルーマンショー」と仇名されたこともある。全ての出来事が結局はTV番組のためのセットだったと判明するジム・キャリーの映画をもじってのことだ。フォン・ハルさんは「この施設は完全にノーマルなわけではないです。もちろん我々はノーマルであるかのように振る舞ってますが、しかし、究極的には、ここは老人ホーム、それも重度の認知症を煩った老人のための施設なんです。だからときどきこの「幻想」がほころんだりもするんですよ。美容院でお金を払おうとして、実は一銭も身につけていないことに気づいて混乱したり」

"We can still do more. But in general, I think we get pretty close to normal. You don't see people lying in their beds here. They're up and about, doing things. They're fitter. And they take less medication. I think maybe we've shown that even if it is cheaper to build the kind of care home neither you or I would ever want to live in, the kind of place where we've looked after people with dementia for the past 30 years or more, we perhaps shouldn't be doing that any more."
「まだまだ改良の余地はあります。しかし、おおまかに言えば、かなりノーマルなものだと言えるでしょう。ここではベッドに寝たきりになっている人を見かけないでしょう?皆ちゃんと起きて、動いて、なんかやってるんです。身体健康は増進します。投薬の量も少なくなります。もっと安い予算で認知症施設は作れたとしても、あなたや私がそこに住みたいか?です。30年後に認知症を患った私達が住みたくなるような場所、それを私達は一つの例として示せたのではないかと思ってます。自分が住みたくもないような施設を作るなんてことは、もう止めるべきですよ。」





 この記事はもともと、イギリスのガーディアン紙に掲載されたものを、オーストラリアのSMH紙に転載されたもののようです。イギリスのThe Gardian紙の元の記事。ほぼ本記事と同文だけど、写真が豊富です。

 同じくオーストラリアでの報道では、The Australian紙におけるDutch build village that time forgot the Australian April があります。今年の4月の記事ですね。

 もちろん世界中で掲載されており、いくつかリンクを貼っておきます。
 NYタイムズの記事。これは写真がいいですね。
 お隣のドイツでも当然のように報道されており、SPIEGEL紙(ドイツ)の記事 ここの写真も良いです。
 そして動画もあります。Selbsta"ndig bleiben - Demenzkranke in "Hogewey" helfen im Alltag mit  オランダ語で喋っているのにドイツ語ナレーション(多分)

 新聞報道ではなく、医療機関系も当然フォローしており、 alzheimer-europeという機関では、Dutch Dementia Care Planというレポートがありました。

 そして、これが本家のページです。ただしオランダ語(多分)ですが。
 検索したら他に幾らでも出てきます。キリがないのでこのくらいで。

 一方日本で報道されているかというと、Googleのニュース検索でみる限り、みつかりませんでした。ただし、日本語による紹介をしているサイトは幾つかありました。
 「くららの八百八町」というのは在日ドイツ人ライターのClara Kreftさんのブログです。めちゃ日本語上手のうえ、内容もドイツ人視点で面白いです。
 書&徒然〜Amsterdamは、アムステルダム在住日本人のブログで、ここでも紹介されています。
 そのほか、TKGBという神戸の難聴高齢者への会社、あるいはMedical safety clubの会報で、ここは損保会社の一環で医療機関のリスクマネジメント情報を提供しています。

いくつか思うこと 

 僕自身この分野については詳しくないので、内容面については書かれていること以上にコメントする能力も知識もありません。ただ、「よく出てきているよな」とは思います。低層の住宅モデルを徹底するだけではなく、各棟の分類も都会風とか植民地風とかよく考えられているし、それ以上に美容室やスーパーで「買物」が出来るというのもすごいです。当然これは無料で「買物ごっこ」になるのだろうけど、出来るだけ普通にすること、出来るだけ生活や人生を感じさせるものにすることというコンセプトが非常に分かりやすい。また、そのコロンブスの卵のようなシンプルなコンセプトを壊さず、妥協もせず、よくぞ実現したなあ、と素直に感心します。


 「やっぱ西欧は進んでいるよな」と、その昔思ったものです。20年ほど前、自分でも医療過誤訴訟をやり、また医療関係のNPO(という名前はまだ一般化されてなかったが)絡みで勉強したとき、そう思いました。今回の記事もそうなのですが、でも、単に「あっちは進んでる」的なフレームで捉えるべきではないと今は思います。「進んでる」とかそういう問題じゃないだろうと。

 じゃあ何か?というと、社会のあり方とか、社会を構成する個々人の世界観とか、そういう根本的な部分がもう違うという。オーストラリアでもそうですが、どんな問題でも、「で、そいつはそれでハッピーなのか?」という点を原点にしています。個人の幸福感を出発点にし、ゴールにする。それに即して組織を作り、改編し、壊し、予算や寄付を集め、専従やボランティが動き、、、という。まあ、当たり前の話なんですけど。そこがすごいシンプルのように感じます。もちろん予算が足りないからダメダメの現状があるとか、組織内部で人間関係が腐っているとか、そういうお馴染みの問題はどこでもあります。あるけど、ちょっと違う。

 日本の場合は、まず組織ありき、管理ありきで終始進んでいくような気がします。いかに管理しやすいか、いかに組織の整合性を保つか、組織内の人間関係を円満に進めるかとか。そして、面白いことに組織そのものに「名誉」があったりします。「警察の威信にかけても」と「伝統ある○○社」とか、まあ、ポジティブな自己意識は良いことなんですけど、でも組織なんか道具です、ツールです。「トンカチの威信」とか「ドリルの栄光」とか、どうでもいいんじゃないかって。

 オーストラリアは(西欧一般は)、組織の名誉とかあんまり考えないですよね。軍隊とかスポーツチームなどには独特の組織的名誉感情はあるとは思うけど、日本ほど一般的ではない。だから「行政改革!」とかいちいちリキまなくても、年がら年中組織改編されるし、局長クラスでもバンバン首が飛ぶし、政権変わったら上級職は総取っ替えになる。僕らに馴染み深い「移民局」の正式名称だって、僕が来てからもう何回名前が変わったことか、覚えきれないくらいです。行政効率化委員会で、税金と効果のコストパフォーマンス分析でダメ答申が出たら、即廃止。切れた電球は捨てるって感じ。行革とか事業仕分けが報道ネタになる日本とは大違いです。無駄なものは即廃棄、それだけ。だからずっと前に書いたけど、警視庁長官に外国人がスカウトされるようなことも普通に起きる。有能だったら誰でもいい。

 ま、ここを語り出すと長くなるのでこのくらいにしますが、根っこにあるのは人間の生き方そのものがサラサラ流動しているのですね。大卒で就職したらそこに骨を埋めて、、なんて誰も考えてない。死ぬまで変化し続けることを当然のこととし、また喜びとし、変化しないことを安定/安心として喜ぶのではなく、停滞、退屈、拘束と感じるという。このあたりは昔々の「ESSAY 54/ICACとサラサラ社会」で書きましたので興味のある方はご参照を。

 ともあれ原点が個人の幸福であり、組織なんぞに大した価値を認めず、そこに勤める人々も川の流れのように年がら年中入れ替わっている社会では、この記事のように「自分が住みたくないような老人ホームを作ってどうする?」というクソ当たり前な、あまりも当たり前すぎて、もはや「理想」というよりも単に子供の感想のような素朴な感覚が原点になり、本当に物事が進んでいき、本当に実現しちゃったりするわけでしょう。

 だから、「進んでる」かどうかではないのですな。先進性そのものでいえば、最先端までいける能力や意欲は日本人にはあると思います。少なくとも格段に劣るってことはないでしょう。そもそもが凝り性だし、勉強熱心だし、その気になったらすぐに世界最先端のその先まで行くだけの能力はあるのではないか。だけど、管理とか組織のメンツとかいう「ベタベタした要素」が絡んでくるからそうもいかない。親分が黒といったら子分は従わねばならないとか、その種の話ですね。

 医療関係に首つっこんでいた感想で言えば、意識の高い医療従事者の方は沢山います。勉強会している看護士さん、自分の信じる革命的とさえいるような方式でやっているお医者さん、あるいは一般民間の人、日本も捨てたもんじゃないよってくらい沢山います。だけど、ある程度システマティックなことを改革しようとすると、ベタベタ要素に絡み取られる。病院上層部の壁があったり、厚労省の認可問題があったり、補助金があったり、薬価があったり、製薬会社がどうの、医師会がどうの、政治家がどうのって話になってもう大変。それともう一つは問題意識のある人はすごいあるんだけど、逆に問題意識の全然ない専門職の人も多い。ちょっと多すぎ。単に給料いいからやってます、それだけって人。仕事してれば文句ないでしょみたいな人。そんなのバシバシ首にしたらいいと思うのだけど(そんなのプロとして「仕事してる」うちに入らないって僕は思うし)、転職が難しい日本社会では、首=死みたいな意識と現実があり(だからこそ単なる解雇("雇"用契約の"解"消)を『首!』と、もの凄い迫力のある表現をするのだろうけど)、そうもいかないし。

 ほんでも管理イノチみたいな部分はありますよね。特に80年代くらいから徐々にそうなってきたような気がする。知らないかも知れないけど広岡監督が「管理野球」とか言いだした頃からかな。会場の使用規定のためにコンサートが盛り上がっても真夜中まで延々やってやれないとか。今でも公園の芝生は立入り禁止なのかな。日本に居る頃からなんで芝生に入っちゃいけないのか不思議だったし、こっちに来てオージーに説明しても中々理解して貰えなかった。そりゃそうだよね、「踏んではいけない絨毯」「寝てはいけないベッド」みたいなもので、「じゃ、なんで絨毯敷くの?」って話になるわね。鑑賞用?


 それはさておき、このHogeweyハウス、実現もあたって最大の障壁になりそうな「先立つもの」=予算問題も、150人入居の1.6ヘクタール規模で、これだけ斬新なものを作りながら20億円かそこらで出来てしまうのか?とも思いました。月間50万円のランニングコストというのはどういう計算なのかわからないけど(一人当たりなのか)、健保から全部でているというのも凄いです。要するに入居者的には無料ということでしょう(資産テストによって富裕者は有料なのだろうが)。

 やりようによっては結構出来てしまうものなのねって感じです。でも、考えてみれば、出来るだけノーマルな生活に近づけようとするコンセプトならば、当然建築内容も普通の住宅施設に近づいてくるわけで、それだけ建築費は抑えられるのかもしれませんね。あと、ギャラリーや会場貸しなども収入源になるのでしょうね。


 最後にコンセプトの説明の中で印象的なフレーズがありました。
 Focusing on everything they can still do, rather than everything they can't. 「彼らがまだ何が出来るか?という点に焦点を当てて考えるのです、何が出来ないか?に焦点をあてるのではなく」という一節です。これはいい言葉、良い発想だなと感心しました。ここに感心したからエッセイにしようと思ったくらいで。

 これって別に認知症ケアに限った話ではないですよね。
 全ての社会システム、あるいは人生の組立てに通じることでもあるのでしょう。なにかスタンダードとなるモデルがあり、そこに至らない部分を「欠損」としてカウントし、欠損部分に応じてその扱いを決める。それが身障者○級等の社会福祉手当や専門的ケアの基準になる分には良いのだけど、その人のアイデンティティになったり、そのまま社会的身分になったり、人生のクオリティにつながっていったりという過剰な部分があるのは良くないと思うのですね。標準体重よりも多すぎると「太りすぎ」と判断され、「デブとしてのアイデンティティ」を持たされ、「デブ人生」を送らないといけないという。ある程度はそうかもしれないけど、行きすぎてないか。単なる個性でいいじゃないかって部分もあるのではないか。

 てか、スタンダードなんてものを持ち出してきた時点で、その社会はかなり未熟なんじゃないかって気もするのです。

 それってアレでしょ、皆同じ体積のサイコロ型だったら、もっとも効率的に積み込めるというマス的管理的発想でしょう?サイズがバラバラだったら効率的に収納できないから、勿体ないとか、面倒臭いとか、だから皆同じサイズになれって根本発想があるから、スタンダードが「善」であり、スタンダードから外れることが「悪」になるという。しかし、それはサイコロ型しか収納できない、フレキシビリティに欠ける、出来の悪い箱なんじゃないの?現実にサイズがバラバラである以上、どんなサイズがきても柔軟に対応できるような箱が優秀な箱(社会)なのではないの?だから、スタンダードを過度に求め、スタンダードから外れていることを個性として祝福せずに、半端者として非難するのは、それだけ収容能力が劣等だという証明ではないか。つまりは社会が未熟である証拠ではないか。

 こういう社会の発想からすれば、いかに規格から外れているかが大事な問題になり、「いかに欠損しているか」だけがクローズアップされてしまう。つまりは、「何が出来ないかに焦点を合わせる」ことです。そうじゃなくて、「何が出来るかに焦点を合わせる」こと、そこから全てを構築していくこと、これはとっても感銘深いことばでした。

 ちなみに未熟であるということは悲しむことではないです。それは、とりもなおさず「伸びしろがある」ということであり、まだまだ良くなる可能性はあるってことです。未来は明るいぜよ、喜べってことですよね。

 冒頭に戻って、前回までの流れ(部族社会がどうしたという話)と何が通底するかというと、一つはこれまで全然発想の違うことであっても、やり方一つで結構無理なく出来てしまうのだという点。もう一つは、個性というものに徹底的に対応することです。この施設もそうで、認知症患者を「そういう個性の人」として受け止め、その個性をどう生かすか、そしてその個性によって不都合が出てくる部分をどうクリアするかが上手。徘徊老人が困るんだったら、徘徊させないのではなく、思う存分徘徊してもらっても困らないようなスペースとシステムを作ってしまえばいいという。また、内部の棟も、共通規格の共通家具ではなく、博覧会のパビリオンのようにテーマ性や居住性、つまりはライフスタイルの個性に応じるようにしていることです。同じ事の繰り返しになりますが、トータルとしての管理しやすさではなく、個々の個性が活かされているかどうかを、個性を発揮する喜びがあるかどうかを原点に据えて全てを構築していくアプローチが通底するなと感じたのでした。


文責:田村



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