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今週の1枚(2012/10/22)





Essay 590: 能動移動と受動移動〜日常の「自由空間」

 写真は、Chatswoodだけど、場所はこの際問題ではない。
 というか何も問題はないのだけど、なんかこの構図、曇り空の感じといい、前のおっちゃん二人が妙にカッコよさげだったり、全体の雰囲気が、映画の1シーンみたいに感じたので衝動的に撮った一枚。
 意味なんか何にもないんだけど妙に意味ありげ、てか、印象一発みたいな感じが自分でも気に入ってます。




 先日、電車に乗りました。
 こうやって公共機関で移動するのは、いつもは車で移動している僕の日常としては珍しいことです。電車に乗りながら、ふと思ったのですが、こういうルーチンワークというのは人の発想や世界観に影響を与えるかもな、と。

 A地点からB地点まで行くのに徒歩〜飛行機まで様々な手段がありますが、大きく分けて@能動型とA受動型があるとしましょう。
 @能動型は、自分で決めて、自分の力で移動するものです。徒歩が典型的ですが、自転車でも、バイクでも、車でも同じです。あるいは馬に乗るとか、ヘリコプターを操縦する場合も同じ。
 A受動型は、電車やバス、飛行機という公共交通機関もそうですし、タクシーとか他人の車に乗せて貰う場合もそう。

 いつもクルマに乗ってる身(@能動型)でたまに電車(A受動型)に乗ると、とりあえず何を感じるか?といえば、「めちゃくちゃヒマ!」ということです。もうヒマでヒマで〜。

 クルマというのは、大袈裟にいえば一瞬一瞬自己決定しないといけない。慣れきったいつもの道を走るにせよ、最低限、事故を起こさないように注意していなくてはならないし、細々とした車線の選定や、車線変更のタイミングを図る。渋滞しているときはわりとヒマなんだけど、そうなったらそうなったで臨機応変にルート変更の可能性をせわしげに考えます。つまり四六時中いろんなこと考える。早い話、バスや電車のように居眠りしてたら事故って死んでしまう。

 この基本的な特性の差が、人間の思考発想に影響を与えるか?という点ですが、、

外向性 ⇔ 内向性

 まず第一に、@能動型だと外部環境について注意が向きやすいです。
 いつでも自由に行き先を変更できるから、「あの丘の向うはどうなってるのかな?」的に、気の向くまま足を伸ばしたりできる。特に急いでいないときは寄り道とか考えるし、知らない道を走っていくうち「ああ、ここに出るのか」と頭の中の地図が完成したりもする。つまり外部世界について好奇心が湧くし、そういう物の考え方に自然になっていく。

 しかし、A受動型の場合、荷物のように運ばれていくだけだから、楽といえば楽ですが、同時にヒマです。ボンヤリ車窓を眺めているしかないし、いつもの道だともう慣れてしまって好奇心も湧かない。夜間や地下鉄だったら車窓すらも真暗。 だからいきおい内省的になりがちです。じっくり自分の世界に入って、あれこれ考えるにはいいです。しかし、その分だけ外界への好奇心を失うような気もする。

 僕は、iPhoneとかあの種のギアには全く興味がないです。でも、それは自宅で仕事してるので「通勤」というものがなく、移動も常に@型のクルマが多いから、使う場面がないからでしょう。僕が今、首都圏に住んでいて、通勤時間が1時間以上かかるというなら、速攻で使っていたかもしれませんが。

発想の能動性

 同時に、@能動型は、全部自分で判断・決断・実行しないといけないので、「どうしたいか?」「どうすればいいか?」を自然と考えるようになります。

 A受動型も、行き先決定や乗換駅の選定など自己決定部分は多いのですが、要所要所にポンポンとあるだけで、四六時中やっているわけではない。知らない町を、時刻表と地図とを照らし合わせて進んでいく場合は、かなり能動感がありますが、ルーチンになるほどにこの種の積極性や能動性は薄らいでいくような気がします。

 そして、これがひいては人生への取り組み方や、生きる上での根本姿勢や発想にもつながっていくのかな?と、長い延長線を書いてみたりもしました。

 つまり、日常のルーチン行為は、それがいかに些細なものであっても、毎日積み重なっていくのであるから、知らず知らずのうちに何らかの心理的影響を与えるであろうし、ひいてはモノの見方や生き方にも影響を与えるのではないか?ということです。同時に、「本当にそうか?」という疑問もあります。そんな単純なものなのか?と。

 ということで、ちょっと考えてみたくなりました。
 お付き合いの程を。

研究素材=自分の場合

小学校時代

   まず研究素材として、自分自身の過去の通学・通勤体験を俎上にあげてみましょう。

 僕の小学校は、東京に隣接する川崎市の北側、新興住宅地方面にありました。最初は百合ヶ丘小学校で、3年のときに南百合が丘小学校が新設され、以後はそちら。ちなみに、この学校は新設校らしくフロンティアスピリッツにあふれて、開校のとき、校長先生を筆頭に移民団のようにゾロゾロ歩いて移動しました。なんか楽しかったです。「俺らの学校」って気がしたし、いい先生が多かったので今でも懐かしいです。

 最初の2年はバス通学だったけど、3〜6年は徒歩。それも結構長いこと歩きました。子供の足だから長く感じただけかなと思いきや、数年前30年ぶりに訪ねて歩いてみたら、やっぱり大人の足でも結構あった。グーグルマップで図ると約2キロですが、多摩丘陵地帯で坂ばっかりなので、実際にはもっと距離感あります。

 毎朝毎夕30分以上かけてテクテク歩いていたわけですが、今から思うとこれが良かったです。特に帰路。小学生の放課後というのは、それこそが本番のようなもので、原っぱで野球やったり、ピンポンダッシュやったり、「探検」したりしてました。特に、僕らの頃は、まだまだ新興住宅地といっても「これから新興する」ような状態で、あっちこっちに宅地造成地やら、造成前の原っぱやら、さらに未開発の雑木林とかありました。裏山と住宅地の中間状態で、なんだかよく分からないのですが、それが面白かったです。

 子供心にありとあらゆる帰宅ルートを試したりしたので、あのあたりはA→Bという線分的な理解ではなく、もう「面」として理解してます。殆ど全ての道、全ての場所は行ったと思う。そして、近所に住んでた伊藤君と野球仲間になって、近所の広大な造成地でポツンとキャッチボールやノックをやって遊んでました。今、地図でみると浄水場になっているみたいだけど、浄水場が建築出来るくらいの広さの整地(中)の広場、それは東京ドーム1個じゃ到底きかないくらいの広さでしたが、それをたった二人だけで遊んでいたわけです。なんて贅沢な!しかし、その「だだっぴろさの快感」が、多分オーストラリアに行こうと思った深層心理の核にあるだろうことは、ほぼ確実だと思います。

 ともあれ小学校3〜6年の4年間は、ほとんど田舎の子みたいなもので、「世界と遊ぶ」ような日々でした。オモチャとかゲームとかマンガとか、それぞれに好きだったけど、やっぱり「遊び場じゃない遊び場」が好きでしたね。単に土管を並べておいてあるだけとか、排水溝とか、造成した土をぼた山のように積んであるところとか、もうワンダーランド的に楽しかった。遊び方は自分で考えるわけなんだけど、別に「考える」なんて必要はなく、幾らでも湧いて出てきた。

 今から思うと、これってシュタイナー教育(?)みたいなもので、子供の自由な発想と創造力を、制限したりリードしたりしないで、100%自由にやらせることで、どんどん伸ばしていくという。

 これは現在に至るまで、自分の人生の大きな宝物になったし、貴重なエネルギー源やリソースになったと思います。誰にも指示されず、マニュアルも何もなく、ただ自分が「世界」とだけが対峙し、取っ組み合って「遊ぶ」という「絶対的な楽しさ」。生き方の基本ですよね、これを知らないうちに叩き込まれたような気がします。「遊戯施設」なんか要らないのですね。ただ、世界がそこにあれば、それだけで死ぬまでゴキゲンに遊べる。もう川が流れているだけ、木が生えているだけで、やることなんか無限に考えつく。木があったら取りあえず登りますよね。崖があったら、これも幾ら怖くても取りあえずよじ登る。で、手頃に怖い高さだったら、飛び降りて度胸試しをする。で、定番の「基地」を作る。

 ほんと、オモチャとかゲームとか、なんで必要なのかよく分からないし、未だによく分からない。大人になると忘れちゃうのかな?でも、僕は覚えてますよ。あの圧倒的な快感。それだけ強く覚えているということは、それだけ楽しかったのでしょう。もしかして、iPhone系に全く興味を惹かれないというのも、「オモチャに興味がない」ということと通底しているのかもしれません。

 もっともオモチャや子供向け製品を作っている方々の名誉のために言えば、別にオモチャが不要だとは思わないし、僕自身そこそこお世話にはなりました。ボードゲームとか野球盤とか。優秀なオモチャは子供の創造性を開かせるように、作り込みすぎないで、ぽかっと空白部分を残してあるように思います。なんというか最後まで「こうしろ」と命令しないで、「あとは好きにしな」と「任せてくれる」のでしょう。未だにレゴが子供の間で人気があるのは(僕らのときは河田のダイヤブロックだったけど)、任せてくれる領域が大きいから思います。そりゃそうだよねえ。言われたとおりにやるだけだったら仕事みたいだもん。

 それはさておき、「世界がそこにあれば、あとは何にもいらない」というのは、今に至るまで僕の人生のバックボーンみたいなものなんだろうけど、それはまさしくこの時代に培われたと思います。バスや電車乗ってるだけだったらこうならなかったんじゃないかな?あの、まさに自由を絵に描いたような、毎日往復4キロの「絶対自由」が、今の自分を作っているような気がします。だからこそ、オーストラリアに来たんだし、だから今でも普通に道歩いても、店に入っても「わあ!」と普通に感動する。感動するようなものを見つけるのが上手いのかもしれないけど、ごく自然に視線と心は面白い物をみつけようとします。

 というか、100%自由に遊んできた人間にとって、ゲームだろうがオモチャだろうが、そして仕事だろうが、他人が先に考えて用意されたルートをなぞるのが詰まらないのかもしれません。本当に面白いものというのは、仕組まれていないものです。別に、あなたを面白がらせようとしてあれこれ準備しているわけではないもの。

 造成地に置かれていた巨大な土管は、別に近所の子供を面白がせようとして大人が置いたわけではない。昔書いたと思いますが、なんでオーストラリアがいいのか?というと、オーストラリアというのは、子供の頃に感じた「原っぱ」、それも「巨大な原っぱ」だからです。別に僕を楽しませるために、現地の皆さんがあんなことやったり、こんなことやったりしているわけではない。それがイイんですよね。

 ラケンバというムスリムタウンでみつけたエジプト人用のレンタルビデオ屋も、アラビア文字だけで書かれたシェア広告(らしきもの)も、僕を面白がらせるわけにやってるわけではない。彼らは普通に大まじめにやってるわけなんだけど、それが良いんですよね。それが物珍しくて、楽しい。

中高時代

   中学校(1年の3学期から)以降は、うってかわって東京の下町でした。
 中学は、家の近所で徒歩10分。楽は楽なんだけど、それだけに通学時間に何かをやったり、感じたりという記憶は乏しいです。近所の商店街をぶらついたりとか、そんなもんです。都会環境というのは、全部人工的に作られてしまっているから、子供的にはあんまり面白くないです。探検したり、自由にやらせてもらえる場所や機会が少ない。

 高校は、典型的なA受動タイプで、バス1本+地下鉄2本+私鉄1本の乗り継ぎ&乗り継ぎで、これも何かすごく楽しいことがあったって感じではないです。

 特に高校の通学時間は、「将来を真剣に考える時間」ということでディープに内向しました。これまで何度も書いていますが、地下鉄の周囲のサラリーマン達が、朝っぱらから疲れ切って、不機嫌丸出しの顔をしてて、ゾンビ列車みたいでありました。「俺も将来こうなるのかあ?」と思うと、このまま勉強して進学して会社入ってという予定ルートが、養鶏場のブロイラーが生きたまま逆さ吊りにされて、コンベアで廻されて、完全に解体されていくキリング・システムのように思えて、なんとかしてここから脱出しないと「死ぬ!」くらいに思い詰めた。だから司法試験がでてきたのだけど、いずれにせよ、僕の「進路指導」は地下鉄東西線でありました。あのときくらい必死に将来設計を考えたことはなかった。何の成算もなくオーストラリアにポンとやってくるときでさえ、あのときほど考えませんでしたからね〜。

 思うに中高時代は、これは思春期世代の共通特徴かもしれないけど、内向的になります。
 通学時間以外でも、ひたすら本ばっか読んで、ひたすら音楽ばっか聞いてました。本を買う金がないので、近所の図書館まで友達とよく行きました。好きな作家は全巻読破で、今から思うと途方もない分量を読んでたかも。音楽は、これも鬼のように聞いてました。これらが自分の人格の中核部分を作ったのは間違いないです。

大学時代

 大学の頃は、チャリンコと原チャリでした。京都だったのですが、京都は狭いから自転車と原付があったらどこでもいけるし、一番早い。

 この時期は楽しかったですよね。全然知らない町、初めての一人暮しと、なにもかもが初めてだから。まるでオーストラリアに来たときみたいです。だから生活の全てが「寄り道」みたいな感じで、通学といっても、「決まった正規ルートをルーチンのように通ってました」という記憶はないです。まあ、やってたんだろうけど、あんまり覚えていない。

 それよりも、物珍しくてあちこち走りました。もう京都市街地だったら殆ど全部行ったのではなかろうか。チャリで比叡山越えて琵琶湖まで行ったり(学校の帰りに、思いつきで。死ぬかと思った)。

 この頃のことを書きだしたら全10回くらいのシリーズになりそうだから止めますが、すごい楽しかったです。
 朝から晩までギター弾いて、超貧乏してて、栄養失調気味で痩せてて、司法試験のゴリゴリ勉強やって、彼女とは何年も遠距離恋愛やって、で結局別れちゃって〜、と、しんどそうな時期なんだろうけど、個人的には人生でもっとも楽しい時期。だから大変だとか、金が無いとかいうのは幸福とは全く何の関係もない!というのが、骨髄に染みこまれた時期でもあります。

社会人時代(日本)

 司法研修所というインターンみたいな時代、最初の最後の4か月づつの東京での修習期間は、寮のある松戸(正確にはその先の馬橋駅)から、湯島まで通いました。

 こ〜れが地獄でしたね。もっとも典型的なA受動通勤なんだけど、もう最悪。満員電車だわ、詰まらないっていうよりも、端的に不愉快。とりあえずずっと立ってないとならないのが身体的にイヤ。高校時代もやってたけど、道程の7割以上(都営線)は逆方向だったから絶対座れたけど、今度はモロに普通の満員電車だから座るなんてとんでもない。しかも、クソ暑いのにスーツにネクタイ。何のことはない、高校時代に恐れてたことを結局やってるじゃん!って。それに、飲んだ帰りなどは、やたら遠く感じる。飲み過ぎて気持ち悪くなって、それでも最終電車だからガマンして電車に乗り続けてなきゃいけないときとかツライですよね。

 寮生活はすごい面白かったけど、とにかくこの通勤だけはありえないなと思った。首都圏的にいえば、そんな大した距離ではないし、こんなんでイヤがってたら東京住めないんだけど、そんな相対尺度はどうでもよく、僕個人の絶対尺度でいえば、「こんなことするために生まれてきたんじゃねえ!」って言いたいくらい。だから卒業しても東京で弁護士はやることはないな、と思った。

 うって変わって、実務(地方)修習の岐阜時代(1年4か月)は楽しかったです。通学は、地方だから楽チンでバスで10分かそこらでした。頑張れば歩けるくらいの距離。通勤ルートで何をしたという記憶はないけど、帰りは小学生時代と同様、まず普通に帰らなかったですね。通称「夜の修習」の飲みがあったし、そうでなくても、なんだかんだ遊んでました。同期生も6人程度と手頃な小所帯なのが良くて、街のサイズも手頃なら、人間関係の範囲も手頃で、良かったです。岐阜はいまでも大好きだし、日本の地方の良さというのがよく分かった、とても貴重な1年4か月でありました。

 大阪での弁護士時代は、とにかく通勤電車に乗りたくないので職住接近、原チャリ10分でした。だから通勤らしい通勤はないです。その代り、仕事であちこち行きました。もう旭川から沖縄まで。日常的にも近畿全県普通に飛び回ってました。だから、A受動移動は多かったです。多かったけど、そんな決まり切ったルートではなかったので、知らないところに行けるのが楽しかった。遠距離だと妙な旅情もあったりするし。

 

オーストラリア時代

 最初の語学学校時代は、ほぼ徒歩。Glebeの先端付近からシドニー大学までだから、歩いて30分くらい。ここでまた小学校時代のように、あちこちのルートを制覇しました。もう、意地でも同じ道では帰らないというか、まあ実際には同じ道を使うわけだけど、それでも出来るだけ寄り道するように、するように歩いてました。小学校時代の再来です。1日に一回は絶対知らない所に行く or 知らなかったことをやるって、決めてなくても自然とそうなった。

 永住権取って、APLaCやり出して以降は、クルマ移動がメインになってきたけど、今度は「通勤・通学」というのがなくなりました。最初の頃は、とにかくオンボロクルマを駆って、あちこちいきました。もう「行こ」と決めたら即動くという感じで、やれ好奇心だけでワラガンバ・ダムいったり、ワイズマン・フェリーまで足伸ばしたり。

 

検討

全体のシステムの受動性

 総じて言えば、僕のささやかな半生において、A受動移動をしていた時期というのは、やっぱあんまり楽しい時期ではなかったです。

 これは多分に偶然もあずかっているとは思います。たまたまだと。
 しかし、それだけではない。いくぶんかは「必然」もあると思います。

 それは、受動移動をしている時というのは、全体のシステム的な枠組みもまた受動的に決まっていた時期でもあります。全体が受動的だから、通勤通学もまた受動的にならざるを得ないかのように。逆にいえば、全体の決まり切った受動システムがイヤだからこそ、通勤通学もそんなに楽しくなかったのかもしれません。

 そもそも、学校・職場も住居も、ひいては全てのグランドデザインも、全部ゼロから自分で決められるのであれば、最初からしんどい受動通勤をするようなものには組み上げないだろうし、仮に受動通勤状態があったとしても、あんまりそれを「通勤」であるとは感じないのかもしれません。だから、大学時代も、岐阜修習時代も、弁護士時代も、シドニーでの学校時代も、実際には通勤通学はしていたのだけど、改まって「通学・通学をしていた」という意識や記憶がないのです。

 だから、仮に今、自分が思うところがあって東京で何かを始め、そのために受動通勤をしたとしても、自分で職場も家も決めて自分で全体のデザインを決めているだろうから、昔ほどイヤとは感じないかもしれません。ま、それでも満員電車はイヤだけど。

 一方で、小学校時代のように、全体のシステムはガチガチに決められて、絶対的に受動的であったとしても、通学態様が、遠距離徒歩という自由度の高い@能動移動であり、その道程が「遊べる環境」だったら、そこには救いはある。「寄り道」「道草」という、自由で創造的な空間がそこにあれば、それは結構大きな救いや癒やしになるのではないか?

自由空間

 なんだかんだ煮詰めていくと、これは移動形態の問題というよりは、自分の日常生活において〜それはグランドデザインという根本部分であっても、あるいはルーチンという日常的な局面であっても〜、創造性豊かな自由空間があるか/ないかの問題に帰着するのかもしれません。

 この「自由空間」=つまり自分が100%自分らしくあることができて、100%好き勝手にやっても誰からも文句は出ない(まあ、帰宅が遅いとか怒られるという文句はでるけど、その程度)=を持ってるか/持ってないかです。これがあると、生きている実感としてはハッピー度が高くなる、絶対にそうなるとはよう言わないけど、大まかな傾向としてはそうだろうと。

 まあ、煎じ詰めればクソ当たり前の、珍しくも何ともない結論になっちゃうわけだけど、そこから更に展開していくのが、このエッセイの一筋縄ではいかないところです。

A受動移動をどう使うか

 不可避的にA受動移動をせざるを得ない場合もあるでしょう。しかし、だからといって悲嘆に暮れることはない。これはこれで、幾らでも活用方法があります。

 受動移動は基本的にヒマですから、思う存分、内向的になれます。ひきこもれます。

 「ひきこもり」というとネガティブなイメージがありますが、ある意味では人間性の「蓄積期間」です。セミの幼虫が土の中で少しづつ大きくなるように、ひきこもって自分の内省的世界に浮遊している間、その個人の人格、精神世界の奥行き、あるいは知見、教養、識見は広がり、深まります。いわば「貯めの時期」だと思います。どんなに華々しくスター然として成功している人だって、売れない時期はこの「貯め」の時期があります。もう、ほんと。「死ぬしかない」みたいに思ってたという場合も珍しくない。

 だから、A受動移動「ひきこもり」時間は、古くはウォークマンから、最新のiPhoneまで、あれらは全て「ひきこもりグッズ」ですから、それらで存分にひきこもればいい。でも、本当に内省的になるときは、それすらも邪魔かもしれないけど。ここで、ひきこもりといっても、物理的に閉鎖的な空間に居ることを意味しません。それは他に何をする自由もなく、ただじっとしているしかない時間、ゆっくり物が考えられる時間、自分に向き合える時間、ということです。

 大して深い考えもないまま直感的に言ってしまうと、どんな人間でも1日最低30分はひきこもる必要があると思います。30分という数字に確かな根拠はないですが、ま、そのくらいという。周囲の流れが激しく、それも適当に楽しかったりすると、その流れに呑み込まれてどっかに思いも寄らないところに連れていかれてしまうのですが、そういうときこそ、「何やってんだ?俺?」「こんなことしたかったのかよ?」という軌道修正は必要です。そのためには毎日30分でも内省的になっておくべきでしょう。それはアンカー(碇)のようなもので、自我が勝手に漂泊していってしまうのを防ぐ役目もある。納得いかない人生なんだけど、次々に畳みかけてこられるから受けるのが精一杯になり、やがてはそれにも慣れ、何も感じなくなり、何のために何をしているのか、何をしたかったのかが分からなくなる、という悲劇を未然に防ぐためにも、30分のアンカー的にひきこもりはいる。それをもう少しカッコよく言えば、「座禅」「瞑想」といってもいい。あれだって精神的にはひきこもるわけだから、同じ事だと思います。

 いずれにせよ、忙しい日常を過しておられる方にとっては、Aの受動移動は、これを福音的に活用することは可能だということです。ひきこもりタイムであり、"禅"タイムであると。

 もう一点、受動移動の良さがあります。他人と身近に接するという特徴です。
 クルマの致命的な欠陥はココなんですよね。クルマこそが自分だけの閉鎖空間であり、それ自体ひとつのひきこもりの器といえなくもない。公共交通機関は、周囲に、あるいは自分の隣に、見も知らぬ他人達がひしめきあってるから、人間観察には向いています。

 クルマのように外部環境や地形とかを捉えるのは不向きなんだけど、逆に白兵戦的メリットはあります。他人を見てて面白いか?といえば、必ずしも面白いわけではないし、不愉快になる場合も多いかもしれない。でも、ツイッターで他人の考えを読むよりも、目の前の赤の他人をじっくり観察していた方が何かが分かるということもある。現に僕などは、通勤電車で疲れたサラリーマンを見て育ったので、なにごとかを思ったわけですしね。

 オーストラリアに留学・ワーホリ、あるいは永住権をとって2年以内だったら、いきなりクルマにしないで、しばらく公共交通機関に乗った方がいいと思います。現地に溶け込むことをカジュアルな口語で「ブレンド・イン」といいますが、息がかかるような距離で沢山の異民族と接した方がいいです。本当に色んな人達がいるというのがわかるし、何を考えているのかまでは分からないにせよ、段々違和感が無くなってくるし、また色々な発見もあります。

 また、これは英語の勉強にもなります。シェア探し指導で書いてある英語の文例は、全て僕がバスや電車に乗ってて拾い集めた地元民のフレーズです。現場でローカルの人間が喋っているフレーズが一番通じますから。

A受動移動の弊害除去

 これは欠点に気づけばいいだけなんですけど、要するにほっとくと内省的になってしまいがちであり、同時に外部環境についての正確な把握を欠く、ということです。

 早い話が電車ばっかり乗ってると、電車の路線が走ってないエリアは空白地帯になり、意識から脱落するということです。これはバスでもなんでも同じです。行動可能性の範囲でしか興味が湧かなくなる。興味だけならまだしも、頭の中の地図から抜け落ちてしまう。これは怖いですね。

 公共交通路線というのは、生物に喩えればいわば骨格部分であり、骨です。骨と骨の間に、ジューシーなフィレ肉があるのだけど、それをつい見落としてしまう。シドニーでも、本当の富裕層のいる住宅街には、例えばヴォウクルーズにせよ、ポイントパイパーにせよ、モスマンにせよ、電車なんか走ってないです。バスすら少ない。その町が、本当にその町らしいのは公共路線からちょっと離れた部分にあります。これは地方に行くほど顕著にそうです。JR在来線の駅前付近だけ見てても、そのエリアらしさはわからない。路線付近というのは、例えば住宅で言えば「線路ぎわ」でうるさかったり、「駅至近」というのは喧噪エリアであると同時に、日本全国どこも似たり寄ったりの駅前商店街的風景だったりします。

 これは現実的にもそうですし、比喩的にもそうです。比喩というのは、公共交通機関的な、受動移動的な、骨格・線分的な世界観になってしまうということで、進学するしか道がないとか、就職するしかないとか、就職にしても就活して会社員になるしか道がないとか思ってしまうことです。これは受動的世界観を押しつけられ、そのまま自分もそう思っているようなもので、ちょっと勿体ないですね。

 受動移動、あるいは受動移動的な生活システムは、内省的になるのには好都合なんだけど、積極的・能動的に外部環境を探査し、把握し、理解し、自分なりに組立てていくという姿勢が薄らいでいくことので、そこが注意ポイントだと思います。

 これを別の原理として抽出するなら、「内省性が強まると、好奇心が薄らぐ」と言えるかもしれません。内省的なときって、半分鬱みたいなものですから、鬱病の人が外部に興味を失うのと同じような理屈でしょうか。内に向かうベクトルはそれはそれで大事なんだけど、そればっかやってると外ベクトルが弱まるから、そこはバランスに注意して、ってことでしょう。

@能動移動をどう使うか

 これは結局「自由空間」をどう創出するか、その自由空間性に気づくかだと思います。

 能動移動は、自分で何でも決められるし、実行できるから、その自由さに気づき、フルに活かす。決まり切った道だけではなく、どんどん好奇心に任せて寄り道する。A受動移動でも、ターミナル駅で色々散策できるし、時間があったら違う路線に乗ることも出来る。いくらでも寄り道は出来る。

 人生の新しい可能性は、「寄り道/道草」に宿る場合が多いと思います。
 「出会いが大切」とか良く言われますし、僕もそう思いますが、出会いというのは何も「人」に限ったものではないです。「場所」「機会」に出会うこともあります。というか、その方が多いかもしれない。通い慣れていた道でも、一本違う道に入ったら、全然知らなかった小さな公園があったり、感じの良さそうな喫茶店があったり、実はとんでもなく眺めの良い絶景ポイントがあったり、あるいは秘密のパワースポットがあったり、いかにも地縛霊が潜んでいそうな薄気味悪い路地があったり、、、。

 単純に場所的なことでいえば、何となく頭に焼き付いている風景がいろいろあります。ルーチン的に見慣れていた風景も勿論あるけど、なかには何時それを見たのかあんまり覚えていないし、それも一回ポッキリしか見ていないんだけど、それでも妙に鮮明な画像イメージがあります。あなたにも幾つかあるでしょう。夢に何度も出てくることもある。それが何の意味を持つのか、どれだけ重要な意味をもつのか全く分からないのだけど、なんらかの意味で「原風景」になっているのでしょうね。自分の世界観を構築する一つのビジュアル要素になっているのは間違いないです。だから、結構これって大事なイメージなのではないでしょうか。何かの拍子にそれらに出会うというのは、とても大事なことだと思います。

 物事との出会いもあります。これは道を歩いたり移動したりではなく、なんの気なしに読んだ雑誌の記事とか、本の内容とか、人の話とかです。僕がオーストラリアに来る前も、「そうだ、オーストラリアだ」と思うに至るための「撒き餌」みたいなイメージや情報が点々と転がっていて、それをチュンチュンと雀のようについばんでいるうちに、気がついたらオーストラリアに行くことになってましたって感じなんです。

 二本の足や車輪があったら、人はどこにでも行けます。立入り禁止や私有地以外だったらどこでも行ける。歩けなくても本は読めるし、目が見えなくても音は聞ける。その「自由」に絶えず意識的になっておくのは、イイコトだと思います。

 自由空間は、好奇心を養い、広い世界を予感させ、そして貴重な出会いの場になるのですから。



文責:田村



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