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今週の1枚(2011/11/14)



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Essay 541 : TPP?興味ないです。

 写真は、Chatswoodに竣工した市役所(+図書館その他)の新庁舎。
 昔、新幹線乗るときに「WEDGE」という雑誌があって、なんとなく読んでたりしたのですが(今でも健在だそうだが)、あの表紙の写真がいつもこんな感じでした。僕も写真を撮りながら、「なんか"WEDGE"みたい」と思ったのであった。
 ちなみに、WEDGEとは「クサビ・楔」ですが、連想するのはポテトのウェッジ。くさび形に切って、オーブンでローストしたもので、フライドポテトよりもホコホコして美味しい。どの町にも一軒はあるチキン屋さん(オーストラリア版お総菜屋さんみたいなもの)に大抵売っています。パンプキンローストも美味いので、どちらにしようかよく悩むのですが。




 最初に、最近論議になっているTPPについて書きます。「どう思われますか?エッセイでも」とメールを背中を押していただいたので、ちょっとだけ。

 結論的に言えば、「あんまり興味ない」です。
 「オーストラリアではどう議論されていますか」という質問もありますが、これも同上。

オーストラリアの場合

 これを書いている今、Google日本で「TPP」という検索ワードで出てくる結果がTPPの日本Google
 Googleオーストラリアで出てくる結果がTPPのオーストラリアGoogle
 小さな画像の上にマウスを乗せるとグーンと大きくなります。クリックすると画像だけを表示します。

 これでお分かりのように、今の日本で「TPP」といえば、言わずと知れた環太平洋〜なんたらですが、オーストラリアでTPPといえば、TPPという社名のプロバイダーがダントツトップ。もちろん環太平洋なんたらも出てきますが、同時に「Tertiary Preperation Pathway」という「大学進学コース」なんてのも出てくる。ま、この程度の扱いで、そのへんの横町にいる普通のオージーに「TPP」って聞いても、あんまり知らないかもしれない。


 オーストラリアは参加するのか?といえば、参加。たいした議論も起きてないんじゃないかな。てか、あまりにも静かなので、「あれ?オーストラリアってTPPに入ってたかな?」とわざわざ確認したくらいで。

 オーストラリア連邦政府は、先日の白書に「オーストラリアの21世紀はアジアの世紀」と公式に宣言してます(Gillard gears for Asian growth spurt (ギラード首相、アジア経済の興隆に照準を定める)Stating that the rise of Asia was of a scale larger and faster than the Industrial Revolution, the Prime Minister said a business-as-usual approach was insufficient to adapt to the challenges and grasp the opportunities of such enormous global change.(今日のアジアの発展ぶりは、その規模と速度において産業革命を超えるものがあり、この地球規模の巨大な変化に対応し、それに伴う千載一遇のチャンスを得るためには、これまでのようなアプローチでは不十分である)。''What we know clearly is there isn't a single aspect of government policies and national planning that won't be touched by the great changes to come.''(「我々がクリアに認識していることは、政策や国策決定において、この強烈な環境変化が影響を及ぼさない分野は一つとして存在しない、ということだ」。あるいはAustralia must learn about its neighbours or suffer 100 years of solitude(オーストラリアはアジアの隣国に学ぶべき。さもないと100年の孤立を招く)。かつて90年代にポール・キィーティング首相がアジアの世紀を見越してAPECを強く推進したとき、国内的にはビビリ的な逆風も強かったけど、今となればそういう動きもない。「中国に鉄鉱石買って貰ってるからオーストラリア経済は成り立ってる」という新たな「神話(実は、統計的には、一般にそう思われてるほど経済的に大きな比重は占めないのだが)」が一般化している昨今、政府が鮮明にアジア志向を表明しても、別に「そうだよね」「何を今さら」くらいの反応でしょう。

 NSW州のオファレル知事も同じような姿勢で、”Vibrant suburbs offer more comfort for new migrants(より多くのアジア&インド系移民を惹きつけるために活力ある町造りが大事だ)”、The making of New South Asiaでは、インド経済界の大物がシドニーに訪れたとき、州知事自らホスト役を買って出てます。''We shamelessly duchessed them,'''O'Farrell says.(「もう恥も外聞もなく殿様扱いしたんだよ」と知事は語った)”

 オーストラリアの感覚でいえば、TPPの参加の是非がどうとかいうレベルではなく、もう与野党・官民一丸となっての「アジア市場殴り込み宣言」みたいなノリです。シドニーのアジア系サバーブも、一昔前は「オーストラリア文化に馴染もうとしないエスニック街」みたいなネガティブな捉えられ方もあったのだけど、今や話が逆転して、ノースとかサザーランドなど白人率の高いエリアの方が「モノカルチャー」として捉えられるような論調も出てきてます。馴染もうとしないのは白人の方だ、みたいな。

 このあたりは爽快なくらいパキパキ割り切ってて、オーストラリアからみたら、アジアというのは肥沃の大地です。雨後のタケノコのように日々勃興していく市場、購買層、指をくわえて見ている手はないと。"What are you waiting for? Go, Go, Go!"みたいなノリ。それはもう80年代から言われていたし、90年代、00年代と地道に実行してます。北海道ニセコや長野スキーリゾートにオーストラリア資本が噛んでいるのもその一環だし、過去のエッセイでも時折お知らせしましたが、東京近郊のラブホテルを買収しているオーストラリア投資家(ミヤトビッチ氏、本業は弁護士らしいが)もいる(2005年9月5日のEssay223参照)。もう6年以上前の話。そういえば、僕の現地在住の知り合いの方(日本人)の息子さんがこちらの大学を出て、金融系に就職し、日本語が出来るのを見込まれて東京に赴任し、これらの投資案件を扱う仕事をしてたそうですが、景気がいいから月給260万円とかだったらしい。ちなみに世界の基軸が中国&インドになる話は、2004年3月の「ESSAY 146/今後50年の世界経済 中国vsインド(新聞記事から)」で紹介したのでもう7年以上昔の話。だから、ほんと、「何を今更」なんですよね。

 なんでそんなに「アジアじゃあ!」と吹っ切れるのか?何にも考えてないのか?といえば、おそらくはその逆。過去100年、いや建国以来200年以上の長い歴史と世界観があっての話だと思います。つまりこれまで散々考えて、悩んできたからこその「吹っ切れ」であると。

 オーストラリアは、白人社会から遠く離れたアジア社会にポツンと存在しています。開拓当時から「距離の暴虐/The Tyranny of Distance」という超有名な言葉がありますが(ジェフリー・ブレイニーの名著であり、オーストラリアに住んでてこの言葉を知らないのはちょっと恥ずかしい。超有名なだけにその名前を冠したレストランや会社もあるくらい)、とにかく祖国文化から遠く離れて孤立感がある。周囲はアジアとか太平洋諸国。すっごいアウェイ感に苛まれ、アイデンティティに悩む。地政学的にはアジアなんだけど、魂は白人という(その意味では日本もちょっと似てる)。自虐的に「アジアのなかの白いゴミ(White trash in Asia)」とか、「バナナ共和国(バナナくらいした輸出産品のない負け組国家)になるぞ」とか言われてました。90年代は着々とアジア諸国が離陸していくにつれ、その恐怖心は尚のこと強くなり、反動を招いた。ポーリンハンソンのようなアンチアジアのポピュリストが一時期持て囃されたこともあった。しかし、今となっては、アジアは明確にオーストラリアに利益をもたらしています。

 他方、グローバリズム=地球の均一化によって、既得権者である欧米先進国(≒白人社会)の成長余力の無さ、「あとは落ちるだけ」という斜陽性も強く感じている。同じヨーロッパを父祖の地とする白人であり、英語を母国語とするので、アメリカ経済もユーロ危機もストレートで伝わってくる。日本人以上のヒシヒシ度で痛烈に感じています(てか、日本の論調が鈍感過ぎ)。だとしたら、これまで「アジアの中でポツンと孤立」という地の不利を、「肥沃な大地に最も近い」という地の利に変えて、一気に未来を切り開いていくしかない(それは日本も全く同じ)。そこにもう議論の余地はないって感じでしょう。だから、何を今さら的な「殴り込み宣言」になるという。こういう背景においては、TPPごとき「何を今更」の二乗のようなもので、そう話題になることもないでしょう。政府のTPP広報ページを見ても、実に淡々としたもので、「一応やることやってまっせ」という程度の感じ。むしろ「TPPごときでコトが成就するほど現実は甘くないぞ」くらいの感じで、だから前述の各党首の積極的なペップ・トークになるのだと思う。

アメリカ隠謀論と日本のウジウジ戦術

 オーストラリアは分かったとして、日本はどうなんだ?という視点ですが、これも「あんま関係ないんじゃないの?」というのが素朴なところです。

 TPPについてはご存知の通り「甲論乙駁」って状況で、いくらでもプラスにもマイナスにも考えられます。それこそ止めどもなく考えられる。「国論二分」といわれますが、それはイイコトですよね。国論統一・全会一致のプチ・ファシズムよりもよっぽどいい。

 ただ僕自身それほど興味がないのは、仮にそれが巷間語られるように「アメリカの隠謀、日米FTA」であろうがなかろうが、日本も米国も国家としては世界の動向のヘゲモニーを握ってないからです。アメリカの「企業」は、GoogleにせよAppleにせよ主要プレーヤーであり続けると思うけど、「国家」はそうではない。21世紀の先進国の国家というのは、苛烈な国際競争に敗れて傷ついた国民達の「介護役」というナーシングがメインで、後詰めの看護部隊みたいなものだろうな、というのが僕の見方です。ユーロ危機でも、日本の生活保護受給者数の天井知らずの増加もみな同じで、いわば「資本主義の後始末」を押しつけられているだけの、か弱い存在。幼い弟妹を養ってる左門豊作のような存在(って知らんか)。先進諸国における「国家」が、19世紀がそうであったように世界史を動かす存在であり続けるかはかなり疑問です。だからこそ21世紀型国家の新ビジョンが求められるのだが。

 何度も書いているけど、BRICSとその後に続く膨大な新興国群からしたら、先進諸国は落ちてゆく既得権者であり、言わば負け組。日本もそうだし、アメリカもそう。だから負け組国家同士が、仲良く斜面を滑り落ちていくなかで、お互いに手を握って助け合ったり、助け合うフリをしながら実は蹴落としたりという、セコい思惑を巡らせているだけのことで、全体として滑り落ちていることに変りはない。アメリカは自国の弱小製造業や農家を養いたい、日本や韓国はこれまた自国の弱小産業や農家を守りたい。だから、基本は「守り」であり、「弱者保護」でしょ。そこに「攻め」はない。「守ろう」という思惑がメインになってる時点でもう負け組です。勝ち組は何よりも先に「攻め」が来るはずですから。

 ということで、日本で行われているTPP論議を見てても世界の明日(ひいては自分の未来)はあんまり見えてこない。だから興味がないということです。オーストラリアがみているように、世界のツボはそこにはない。

 もう一つは今は大騒ぎしているけど、75日で終熄するだろうなという気がするからです。80年代の日米通商摩擦の激しさはこんなもんじゃなかったです。あの頃の激烈さを思い出せば、TPP程度の圧力など「そよ風」みたいなものです。当時のアメリカの強面ぶり=押し売りというかヤンキーのカツアゲみたいな「てめー、逆らうとぶっ殺すぞ」というノリからしたら、今のアメリカは気の弱いセールスマンくらいの感じで、「いやあ、いいお話だと思うんですけどねえ」くらいの感じじゃないの?

 で、あれだけ激しくアメリカから内政干渉バリバリされ、オレンジを買え、牛肉を買え、アメ車を買えとヤンキーまがいに言われつつも、結局大して変わってないもん。確かにバレンシアオレンジがスーパーの店内に積まれはしたけど、それだけだったもん。だけど、ここで日本国内では国際経済という視点が一般化し、構造改革という言葉と概念が流布した。日本の産業体制を見直そうという動きになり、それは現在でも脈々と受け継がれている。月日は流れ2011年、これまで一番分かりにくいベールに覆われていた国策産業である電気村でさえメスが入るようになり、普通の国民が普通に理解できるくらいに浸透していった。なんだかんだいって、プラスの方が大きかったような気もするのだ。

 歴史的に見ても、日米関係というのはいつもこのパターンで、セッカチで理詰めで熱心なアメリカが鬱陶しいくらいに日本を説得しようとするのだけど、日本はウジウジしてよう決めきれない。アメリカ、ブチ切れる。日本尚もウジウジ。そうこうしている間に日本国内で論議が沸騰し、旧システムの見直しと新秩序が築かれる。これって浦賀ペリー黒船→幕府ウジウジ→国内攘夷沸騰→政権交代→明治維新というパターンだし、終戦後もそうだし、80年代もそう。トータルでみてるとアメリカっていつもそんなに得してないんですよね。大汗かいてるわりには。開国を迫ったのはアメリカなんだけど、開国したあとに日本貿易の利権を握ったのは英仏独だったりしてね。こうしてみてると、アメリカってもしかして外交が下手なんじゃないかって気もします。世界史的にも老練な英仏に比べてみたら一本調子だし。華麗なる欧州外交に田舎者コンプレックスを刺激されて、イジけて、いっときはモンロー主義と言って「ひきこもり」になってたくらいだもんな。第二次大戦後に米ソ構造になったのはなぜかと言えば、第一次大戦中にアメリカがイジケけてひっこんでたから、結果的に戦災を被らず、逆に復興需要で伸びたからだし、ソ連はロシア革命で本家が燃えてそれどころじゃなかったからだし。どっちも外交が上手だから覇権を握ったわけではない。

   ここで学ぶべきは、国家同士が関税ゼロとか色々な取り決めをしても、それは自由貿易という観点からはいいのだろうけど、それだけで全てが進むほど甘いものではないということです。

 やっぱ外国の市場に攻め込むというのは容易なコトじゃないです。TPPが出来たからと言って、明日からベトナム市場にガンガン日本の商品が売れるかというと、そんなこたあないです。現地には現地の法律があり、事情があり、ワケのわからん慣習があり、そして地元民の不可思議な偏見や先入観がある。

 いわゆる「非関税障壁」に類する事柄ですが(正確には非関税障壁ですらないけど)、これは本当に強い。例えば日米で弁護士資格の相互乗入れをしましょうといっても、直ちにどうなるものでもない。大体、東京生まれの僕が大阪で仕事して、大阪のおっちゃんおばちゃんを顧客するためには、それなりに大阪弁が喋れないとダメ。のみならず、関西独特の慣習、やれゴト日払いだとか、賃貸でも京都は礼敷だけど大阪はまとめて保証金方式だとか、刑事弁護や破産その他では暴力団の縄張りやら裏勢力の図式も知らないとならない。ある程度ディープにいけば、そのスジの人脈もいる。破産管財人になればバッタ屋さんとのお付き合いもいる。いくらハーバード卒のバリバリの弁護士が日本に乗り込んできても、大阪の市民事件は出来ない。第一大阪弁どころか日本語も喋れない、日本法も知らない。ましてや交通事故の損害賠償の算定方式が、東京地裁方式と大阪方式で違うということも知らない。そして「大阪地裁第六民事部の○○裁判官の破産審尋はキツイから十分な準備が必要」など、実務における最重要なポイントも知らない。このへんが分からなかったら日本で弁護士なんかできないです。

 同じように、もし資格乗り入れが出来るなら、僕も日本の弁護士資格を復活して、オーストラリアで弁護士が出来ることになるけど、じゃあAPLaCやめて弁護士やるか?というやらないです。こっちの法律知らんし、システム分からんし、人脈無いし、そもそも顧客が居ないもん。開店休業ですわ。だから、恩恵を被るとしたら「波打ち際」です。国際取引に関する分野ですよね。でも、それだったら、今でも外国法務弁護士が日本に沢山いるし、それをメインに仕切ってるのは、国際ビジネスのコンサルタントや投資顧問会社やコンソーシアムを形成する連中であり、法務需要があるなら幾らでも下請けに出せるし、自社内にもある。だから、何が変わるの?という。

 ま、考え得る現実的な変化としては、オーストラリアの永住権取得に際して、日本での看護師資格をカウントするときに、今よりも資格のコンバートが融通効くようになるかな?というような感じでしょうか。でもね〜、これだって、全然アテにならないですよ。今だってオーストラリアは看護師不足で、永住権においては看護師に「来てください」と言ってるんだけど、だからといってそう簡単に出来るわけでもない。やっぱ英語が(相当なハイレベルで)出来ないとダメだし、実際に稼働するにはこちらの医療事情に精通しないとダメだし。

 つまり、一つの「現実」が動くにあたっては、無数の、それこそ数十数百という要因がからまっているわけで、それを国家間の一片の取り決めでどうなる、ってもんじゃないです。関税ゼロにしたら売れるってもんでもない。むしろバリバリ高関税で高額商品の方がプレミアついて馬鹿売れしたりするし、3足百円のソックスは所詮は「3足百円の安物」として扱われるのだ。消費者というのは、実に摩訶不思議な存在で、このくらい行動が予測できないものはない。だって、自分が買物するときだって、最終的に自分が何を選んで何を買うかなんか事前に予測できないもん。もうココロは激しく揺れ動くよね。安いモノには惹かれつつも、「結局、損なんだよな」という気もするし、「うむむ、、、」と悩む。それを相手にする「商売」というのは、規制一本でどうにかなるような、そんなに甘いもんじゃないと思います。

 ただそれでも、海外市場に乗り込んでいくには、多少の追い風になるかなって程度でしょう。オーストラリアにおけるクールな受け止め方は、まさに「多少の追い風」程度の認識だからだと思います。「”多少の”だもんね〜」という。そのへんは見えてるんじゃないかな。

自意識過剰と被害者意識

 しかし、より根本的に言えば、「日本を狙ってる」みたいな論調にどうも違和感があります。「そうなの?」と。なんかそれって日本人独特の自意識過剰だと思うんだけど。よくある「海外では日本人は狙われてます」ってやつ。遡って調べてみたら、TPPってブルネイとかチリとかNZとかその辺の国々が「僕らは僕らで仲良くやろうね」というほのぼの系で2006年に始まってます。それにマレーシアやベトナム、オーストラリアが乗っかって、アメリカが入ってきて仕切り始めたのは去年のことにすぎない。

 アメリカさんの思惑としては、オーストラリアと同じく興隆するアジア市場に乗り遅れまいという意識でしょう。日本に誘いの声がかかったのも、「あんたもどう?」程度のことじゃないの?そんな別にメインターゲットになってるかどうかは疑問。オーストラリアだって別に日本をターゲットにしてないし。日本ってそれほどのもんなの?今後20年30年と発展していく経済エリアで仲間はずれにされたくないというのが米豪の基本路線であり、"Japanisation"という言葉すら日常的に散見される昨今、つまり「日本みたいになっちゃうぞ、なっちゃダメだ」と言われている日本がそんなに「肥沃」か?

 「日本国内700兆円の個人資産が狙われている」とかまことしやかに書かれているけど、世界経済の規模からしたらどれほどのこともないし、その全てが手に入るわけでもない。もともとこの種の国際経済条約というのは、将来性を睨んでの話であり、いわば「先物買い」です。今現在がどうかではなく、今後20年、40年とどういう将来性があるかがポイントでしょう。そして、アジアに関する将来性は、検索すれば山ほど出てくるし、語り尽くされている。例えば、今年の3月に行われた”Australian Industry Group 11th Annual Economic Forum”におけるPDF資料があったので、抜粋しますが、皆が考えている「図式」は、アジア経済将来図のとおりでしょう。例によってマウスを乗せると拡大し、クリックすると画像のみ表示。

 2010年時点で世界GDPに占める日本の割合は6%、アジアの新興国は27%ですが、これが20年後の2030年になると日本は3%に半減し、アジアは44%と150%増、2050年は日本2%、アジア49%です。この先アジア市場は約2倍になるけど、日本は2分の1、3分の1と階段を下りるようにどんどん存在感が減ってくるという。誰がこんな国狙うか?と。一方、北米(North America)も日本と歩調を同じくするように22%→15%→11%です。先ほど「どちらも斜面を転がり落ちている負け組同士」と書いたゆえんです。TPPは日米合わせて91%を占める云々が語られているけど、そりゃあ今でこそ「過去の遺産」でそれなりにリッチだけど、先物買いの話になったら、話は全然違う。世界の皆の頭の中にある図はコレでしょう。これでどうして「日本は狙われている」とかいう話になるのか?だから「自意識過剰」「うぬぼれ」なんじゃないの?

 それになんでこれをオーストラリアのように「攻めの好機」と捉えず「狙われている」という「被害者意識」になるのか?僕は真剣にその精神構造がよく分からん。なんか、90歳の老婆が「こんな服着ていったら襲われるかな?」とかいってるみたいで、本気か?という気がするのだ(そういうファンキーなおばあちゃんは好きだけど)。どうしてそんなに被害者意識が強いの?「被害者意識」というのは、心の中心でオノレを弱者と規定して出てくるものであり、どっかしら心が折れた人特有のものでしょ。まあ、これは論点がズレるのでまた別の機会に言います。いずれにせよここは「攻め」の局面でしょう。斜陽とはいえ日本をはじめとする先進国は先進性という絶対的なアドバンテージがあり、攻撃権はこちらにあるのだ。そしてその攻撃力は時と共に相対的に衰えるのだ。早ければ早いほど有効なのだ。ノーアウト満塁のような好機に「三振したらどうしよう」だったらまだしも、その裏の守備で「エラーしたらどうしよう」「自分のところに打球が飛んできませんように」とか考えているという、なんでそんなに気持ちが退嬰的になるのか。

農業と食糧自給率の話

 日本の農業を守れとか、食糧自給率という問題もあります。だけど、これ僕が物心ついた頃からずっと言ってるぞ。もう50年くらい言ってるんじゃないのか?50年近く言い続けて、それでも尚も自給率が向上しないなら、それはすなわち「日本国民の選択」じゃないのか。外国から食糧を輸入しても、自国の農漁業が破滅しても、それでも「安く食いたい」という国民がどれだけいるか?ということでしょう。もしそういう国民が圧倒的なマジョリティだとしたら、それは日本国民の選択だということです。

 これは単なるレトリックで言ってるのではなく、純粋に経済的なことでいえば、あるいは最大多数の最大幸福という観点でいえば、厳然としてそうだということです。でも、話はそれで終らない。終ってはならない。経済的には損なんだけど、日本の農業、とりわけ(実際にそんなに見てないのに何故か皆の心象風景になっている)日本の美しい田園風景を守るべきだというのであれば、そうすべきでしょう。「いや、そんなゼニカネの問題じゃねえ!」ということですね。

 でもTPPはゼニカネの問題ですから、同一の土俵で論じるのもヘンな気もします。能や歌舞伎の古典芸能が、純粋の民間ショービジネスとしてペイしないのであれば、国が積極的に保護育成するのと同じように、「ゼニカネの問題じゃない」なら別途の手当をすればいい。実際、連綿とこの種の農業補助金は行われています。

 いい機会だから抜本的にやりなおしたら?とも思うのだ。「日本の米」「日本の伝統」という美名に隠れて、戦後の日本の農業構造というのがどうだったのかを検証してみるいい機会でしょう。GHQの農地解放、自作農創設から、またゆっくりと国を頂点とする日本独特の家元制度というか、ガラパゴス的囲い込みが行われてきたのが実情でしょう。各地に農協をつくり、加盟させ、流通を預かるばかりか、○○化学という大手財閥系メーカーと提携し、一斉指導で農薬を買わせ、散布し、農機具を買わせ、農家を借金漬けにした。

 農薬を良しとしない農家、自分達のやり方でやりたい農家は、自主流通米とか、草創期においては殆ど「外道」扱い、いわばケモノ道みたいな道を辿るしかなかった。それでも個々の農家の自発的な努力の集積によって、今でこそ契約農家や生産者の顔が見える食材が徐々に普及してます。その消費者は、多少高くても、安全で美味しい食材を選んだということであり、市場的に言えば、高度な付加価値をつけることによって市場競争に打ち勝ったとも言えます。そして、ここで勝てたら、もはやTPPによって外米が幾ら来ようがあんまり影響ないでしょう。意識の高い消費者をガッチリ押えれば良いのだ。

 「食」にこだわる消費者としては、有機栽培とか自然農法とか、産地や生産者や生産方法まで知りたいと思う。昨今の放射能懸念では、ちゃんと計測して欲しいし、最終段階でも計測したいと思う。産地偽装や測定偽装の常習者は死刑にするくらいの厳罰で臨んで欲しいとも思うかもしれない。そういう消費者の一群がいる。しかし、他方では、食にぜーんぜんこだわってない消費者もいる。これもまたメッチャクチャ沢山いる。どんな保存剤が入ってるかどうかもわからない外食米を平気で食い、「安ければ安いほどいい」という人もいる。だからこそ安値牛丼戦争が起きたりしている。でも、こんなのは良い/悪いの問題ではなく、個々人の選択です。ただ、水と油のように全然違う消費者群がいるということです。だとしたら、どちらも納得いく買物が出来るようにすればいいし、そのためのシステム整備でしょう。

 結局、ことはTPPがどうしたとかいう問題ではないと思う。それでも熱心に反対運動があるのは、おそらくは(邪推ではなく)、日本式の村システムが、自由化の名の下に破壊されることへの危惧だと思います。僕もそれほど詳しく知ってるわけではないけど、バブル崩壊で農水省の天下りの温床であった農林中金が破綻しそうになりました。そのときちょっと調べてみたんだけど、いまの経産省&東電みたいな権力癒着構造がしっかりあって、「日本の米って、そうなってるわけね」と思った。結局はそのへんの持ちつ持たれつであり、「村」じゃないかと。

 同じような構造は、漁業にもあります。漁協が斡旋して高額な漁船を買わせてとか、漁業権補償金だけを目当ての「名前だけの漁師」がやたら多かったりとか。今は宮城県でホットですね。こんなの昔から言われていたけど、農業漁業に限らず、日本人というのはほっておくと珊瑚礁みたいに集まって家元制度的な利権構造、とりわけ既得権益構造を作るのが非常に得意です。お上も噛んでるギルド制度みたいなもので、もう室町時代の寺社利権の市・座構造から、とにかく中央権力=地方大ボス=地元小ボスのヒエラルキーが出来、逆らう奴は叩きつぶす構造がある。歴史上有名な「規制緩和・構造改革」は、信長の楽市楽座でしょう。でも逆に言えば信長レベルの独裁者が出てこないと、なっかなか壊れないということでもあります。

 この利権構造は、象牙の塔の大学にも当然あるし、白い巨塔の医学界にもありますよね。でもってJALにもあった。当然のごとく原発にもある。というか、そうでない日本の組織連合体というのがあるのか?というくらいのものです。

 彼らは日本人同士だったら無敵に強い。逆らう者の人生を根こそぎ叩きつぶすだけの力がある、、と思ってるし、そう思われている。実際、大阪高検公安部長という組織内の重職にあった三井環氏ですら、検察庁の裏金問題を指摘した途端、マスコミとの会見の当日に逮捕され、無罪を訴えるも実刑判決を受けて収監され、法曹資格を剥奪されている。マフィアと同じで、組織を裏切った者には死あるのみみたいなノリですな。でも、本気で恐いですよ。冗談抜きで生命すらヤバい。しかし、彼らでも叶わない存在が3つあります。一つは天災。昨今の脱原発だって天災(地震)があればこそだし。もう一つは外国。黒船であり、オリンパスのマイケル・ウッドフォード元社長であり、TPPです。彼らの権力の顕著な特徴は「内弁慶」です。権力というのは一種の催眠術だから、外部には何の神通力もない。だから、「外国」「海外」は彼らの天敵のようなもので極端なアレルギーがあり、神経過敏になって過剰反応するんじゃないの?でもって皆をその方向で洗脳するべくプロパガンダとスケアキャンペーン(とにかく恐怖を刷り込む)を張るんじゃないの?って気がしますな。

 最後の一つは、彼らが奴隷として支配していると思っている下々の一般人。九電メール事件の流れを見ていたら、九電の蹉跌は調査委員会の委員長に郷原信郎弁護士を指名してしまった点に遡る。弁護士一匹くらいどうとでも手なづけられると舐めてたキライがある。しかし、一匹狼の弁護士業は、権力と喧嘩するのが生き甲斐のようなタイプが多く、むしろそちらの方が主流派だったりする。企業法務の「阿吽の呼吸」も敢えてシカトし、ズケズケ踏み込まれてしまった。中央がもみ消してくれるだろうと思ったら当の大臣の枝野氏(この人も弁護士)に怒られてしまった。つまり殿様というのは臣下が「笛吹けど踊らず」になるとメチャクチャもろい。催眠術がきかなくなった瞬間にただのジジーになる。「裸の王様」という童話があるけど、「王様は裸だ」とKYな子供が出てきたらガラガラと崩壊する。まあ、全ての王様は裸だと思うし、最後はリンチでなぶり殺しにされたカダフィの姿は、全ての王様がうなされる悪夢でしょう。

 僕は、TPPを恐怖的に捉え、その恐怖文脈で国を挙げて論議すること自体がヘンだと思うのですが、これって「殿様の悪夢」の裏返しじゃないかな。強迫神経症患者(この国の既得権層)の悪夢と過剰反応に、国全体が引きずられているような気がする。お茶の間でお茶を飲んでて、玄関でピンポンが鳴ったら、真っ青になって立ち上がり、障子を蹴り倒して、「うわああああ、バケモノが来る、皆殺されるんだあ」みたいな。カリカチュアすればそんな感じがするのだわ。

 でも、コトはTPPがどうのというよりも、それをいいキッカケにして、国内議論が沸騰して、いい方向にシステムが改革されることです。そっちの方がずっと大事だし、そうなればいいな、多分そうなるかもって気がします。だってさ、黒船のときだって、さんざん攘夷だ!と騒ぎまくって、政権交代までして、何をやってるかといえば幕府もビックリという全面開国、全面文明開化でしょう?まったく真逆なことになっている。それを又国民が結構受け入れていて、じゃああの攘夷騒ぎはなんだったんだ?という。戦争中もあれだけ鬼畜米英!だったのに、敗戦になれば手の平返してしれっと受け入れている。むしろ民主主義万歳とかいって喜んだりしてる。

 だから、この国にとって、名目とか大義なんかどうでもいいんだろうな〜って思うのだ。根っこのところで恐ろしいほどリアリスティックな部分がある。やたら熱狂しているフリをしながら、実はすっごい醒めてる。だから、目の前の現実をすぐに理解し、受け入れる。宗教的にならない。抽象的観念に殉じない。無神論者がマジョリティを占める、世界でも極めて珍しい国なんだから、そのくらいドライでプラグマティックになっても不思議ではないです。正義や観念というお酒を飲み慣れてないから、たまに飲んだらすぐに酔っぱらうけど、でもすぐに醒める。別にアル中になるわけでもない。

 ということで、TPPについての論議も、利権構造関係者にとっては戦々恐々だろうけど、普通の一般市民で騒ぐ人は、まあ、「趣味」で騒いでるんだろうなって思ったりもするわけです。お祭りで酔っぱらってるんだろうな、と。こういう言い方はレスペクトを欠くかもしれないけど、でも、本当の本気に言ってるのかな?って疑問もあるのですよ。なぜって、そんなこと以前に、「ここをこうすればもっと良くなる」という日本の構造は、それこそ山ほどあります。変えていくことで嘘みたいに住みやすい社会になるような旧弊システムや制度疲労が山ほどある。なんでそっちを論議しないの?という。

 そして本気で変えようとする人は、論議ではなく「実行」してます。それこそ村八分まがいの目に遭いながらも有機栽培にこだわったりということを、どの業界でも、もう何十年も前から黙々とやってます。結局、世の中良くしていこうと思えば、自分の持ち場で「いい仕事」をしていくのが一番の早道だし、それが王道でしょう。そして今の日本でそういう人=経済的には報われないけど職業的良心を貫こうとしている人達=は、実はかなり大勢いるでしょう。微力ながらも僕もそうした戦列のケツっぺたくらいには並びたいものです。

混合医療と皆保険制度の崩壊?

 なお、TPPになると、混合医療によって国民皆保険が崩れるとか、内政干渉されまくり〜ということを書いているサイトが多かったですけど、どうしてそんなこと書くのでしょうか?どう考えても嘘じゃないですか。「嘘」というのは語感強すぎかもしれないし、意図したものではないかもしれんが、論理破綻もここまでくると、もう「嘘」というのが表現としては一番近い気がする。

 僕も「ほお、そうなんか」と思って、TPPの英語の原典などを漁ってみたけど、そんなことどこにも書いてないぞ。また、原理的にそうなる理屈がわからない。どんな条約を結ぼうとも、国際法上、内政干渉は出来ません。してはいけない。他国の政府に「○○しなさい」と要求できるのは、条約にその旨が記載されている内容だけです。無制限で包括的な内政干渉など、戦争に負けて無条件降伏するとか正式に植民地とか信託統治とかにならない限り出来るわけがない。これは国際法上の大原則であり、ここが変わるということはまずありえない。

 順を追って検証しましょう。まず議論の前提になるのが混合医療というものです。
 一連の医療の中に保険点数のきかない医療が混じっててはイケナイというのが現行制度(混合医療の禁止)。例えば外国では承認されている薬剤を使って欲しくても、日本ではまだ承認されてなかったら使えない。保険外になるならその分だけ自腹(自由診療)で払えばいいかというと、そうなると「混合医療」になり、なにもかもひっくるめてトータルで保険対象外(自由診療)になるというのが現状だということです。これは患者の治療の選択を狭めるものだとして、以前から議論になってたものです。

 これが裁判になって(腎臓がん治療において保険のインターフェロン治療の他に活性化自己リンパ球移入療法を求めた)、東京地裁の一審判決は「混合診療を禁止は不当」という判断をしたけど、最高裁でひっくり返されています。混合禁止は正しいと。でも、この議論は医療側も、そして患者側からも賛否両論あるのですよ。混合禁止を是とする人は、要は混合を認めると、部分的に自由診療に乗り換えさせようとする悪用もありうるし、金持ちだけ高額医療が受けられて、結果として保険適用医療の水準を遅らせるからダメだと言います。混合OK派は、患者の選択機会を広げることと、金持ち優遇といっても金持ちはより高い自腹を切るのだからむしろ格差是正になるとか議論されてます。なお、現在でも「保険外併用療養費」制度というのがあって、この限りでは混合医療は解禁されてます。

 しかし、なぜTPPによって混合医療、さらには国民皆保険崩壊につながるのか、そこのレトリックがアクロバットなのだけど、TPPに加盟したら、混合医療を解禁しているアメリカが日本でも解禁しなさいと言ってくる→TPPに加盟してたらそれを受け入れないとならない→そうなると医療費がとんでもなく高額になる→すると国民保険とは別にプライベート保険に入らないとならなくなり→その市場をアメリカの保険会社は狙っている→そうなれば限られた金持ちしか保険に入れず→庶民は医療を受けられないアメリカのような悲惨な状態になるぞ、という理屈です。

 「凄い議論だな〜」と思ってしまったのだが、アメリカが解禁しなさいと言うかどうは分からんけど、「した方がいいんじゃない?」くらいの提言だったら、それは別に何をどういおうが相手の勝手で問題ではない。是々非々で対応し、違うなと思えば聞き流せばいいだけ。前述のように80年代のヤンキー恫喝を受け流した日本政府と日本市場が、その程度のことが出来ないわけはない。で、「TPPに入っているとこれを受諾しなければならない」という論理が分からない。こんな内政干渉をなぜ受諾しなければならないのか?どこにそんな根拠があるのか、全然分からんし、全然明示されてない。スルーされてる。そもそも、当のアメリカで、宿年の課題だったら皆保険制度を認めさせたオバマ政権(その一点だけでも歴史に残る偉業だと思う)がそんなこと言うか?という点が根本的に疑問なのだが、それもスルー。

 次に、混合解除になると医療費が途方もなく高額になるという点だけど、高額になると決めてかかる点が分からない。現在の混合禁止システムでは、保険外の治療を頼むと、保険内の治療も含めて全部自由診療になるというのだからメチャクチャ負担は高い。それが混合解除になれば、保険内の治療については保険が下りるのだから、普通に考えたら、医療費は高額になるのではなく、むしろドカンと安くなるはずじゃないか。最高裁の判決も、現行の混合禁止は適法か?という観点での判決であり、正式に混合解除になったらどうなるかついては論及していない(当然だが)。

 また、混合解除になったところで、従来通り保険の枠内での治療は十分に受けられるのだから、従来通りの治療を望むのであれば、負担は変わらない。むしろ保険外の治療を求める患者が、自己負担でやってくれるなら、国のトータルの保険負担は減少する。その分を他の国民に還元すれば、医療費負担は軽減するとすら言える。それに、保険の適用範囲も点数も随時変えられるであるから、あまりにも多くの国民が混合治療を望むということになったら、それは現行の保険制度が国民のニーズに応えていないだけの話であり、だったら国民の要望の強いものから保険の範囲内にすれば良いではないか。だから、混合治療を解禁すると、どうして医療費が途方もなく高額になると言えるのか、そこの理屈が分からない。なんでそうなるの?

 さらに、そうなると(前述のようにそうはならないと思うのだが、仮になるとして)、アメリカの医療保険会社がどんどん儲かるというのだが、その前に日本の保険会社が儲かるんじゃないのか?既に持っている顧客の生命保険にオプションを販売するなど、日本に確固たる地盤も顧客人脈もあるのだから絶対有利じゃないのか?アメリカはプライベート保険に慣れているからビジネスが上手というのだけど、いやしくも保険のプロである日本の保険会社が、この種の商品開発で負けるとは思えないし、負けるくらいだったらそもそもが実力不足なのだ。それに、なんでも外資が有利というなら、今だって損保や生保でガンガン外資系が日本の保険会社を駆逐していないとおかしい。それに消費者目線でいえば、外資だろうがなんだろうが、優秀な商品を買うだけの話ではないのか。「外資だからダメ」というなら、マクドナルドもiPhoneもダメなのか。

 そして、その混合(自由診療)が高額で、「ごく一部」の金持ちしか利用(or 私的保険に加入)できないとしたら、大多数の人々は今まで通り混合ではない普通の保険だけの医療を行うことになる。だったら、あんまり状況は変わらないではないか?だって「ごく一部」なんでしょう?状況が変わらないのに、なんで皆保険制度が崩壊するのか?そこがまた謎なのですよ。混合解除というのは、一般の保険治療に部分的に自由診療を入れてもいいよというだけのことで、これによってなぜ現行保険が全面崩壊しなきゃいけないのか?確かに、皆が雪崩を打って私的保険に入るのだったら、それなりに影響を受けるかもしれないけど、それは皆が加入できる程度の低廉な保険ということなり「金持ちしか医療を受けられない悲惨な国になる」という結論と矛盾する。

 大体ですね、負担能力に応じてより厚い保証を求めるのがいかにも悪いことであるかのように語られているけど、そうなの?今だって「がん保険」などがあるじゃないか。あれもダメなの?それに支出=医療費だけではないのだ。通院費とか、介護費とか、クビになって給料がなくなる逸失利益とか、実はそっちの方がデカかったりするのだ。医療費が費用の全てであるかのような立論は、視野が狭いんじゃないでしょうか。それに所得に応じてセーフティネットを手厚くかけるのが一律にいけないのだったら、要するに民間の保険は全部ダメだということになる。クルマだって自賠責だけで任意保険をかけるのはけしからんということにならんか?なんでクルマの保険は任意でも良くて、医療費は任意がダメなのか?

 だいたい「一部の金持ちしか」という言い方がすごいイヤらしいぞ。庶民の嫉妬心をかきたて、強引に悪平等にもっていこうという意図的なものを感じるぞ。別にそんな金持ちじゃなくても保険くらい入れるよ。皆が入れば入るほど保険料は安くなるし、それでも高額な保険料をぼったくって暴利をむさぼってる会社は、それこそ市場原理でもっと安くて優秀な商品を売り出した保険会社に敗北するでしょう。

 だから、もう二重にも三重にも四重にも疑問符がつきまくる議論なんだけど、「すげー議論」というのはそういうことです。あの〜、真剣にそう思っているのですか?

医師会の論理の検証

 大事なところだから、もうちょい慎重に書くと、国民皆保険の崩壊につながりかねない最近の諸問題について厚生労働省とリンクが張られている日本医師会の意見書がPDFファイルになっているので読んでみました。

  「第二の論点(「混合診療の全面解禁はなぜ問題か)に対する日本医師会の見解は次のとおりである。
 混合診療が全面解禁されれば、混合診療を受けた場合の負担は、「保険診療の一部負担+保険外診療の全額自己負担」になる。「保険診療の全額自己負担+保険外診療の全額自己負担」に比べて負担が少ないことから、規制改革を進めるグループはこれを「消費者の権利」であると主張する。しかし、一部だけとはいえ、全額自己負担の治療費を支払えるのは、一定以上の所得者だけである。 また、混合診療が全面解禁されれば、新しい治療や医薬品を公的医療保険に組み入れるインセンティブが働かなくなり、公的医療保険で受けられる医療の範囲が縮小していくおそれがある。
 日本医師会は、国民皆保険の堅持という立場から、混合診療の全面解禁には反対である。(同文書12頁)」

 これ、意味が分かりません。
 論拠は二つ書かれていて、まず「一部だけとはいえ、全額自己負担の治療費を支払えるのは、一定以上の所得者だけである」ことが何故論拠になるのか?お金がある人は治療が受けられて助かり、お金のない人は受けられないの不公平だということ?それはまあ分かる。だったら貧しい人を救済するべく保険の適用を認めろという結論になりそうなのだが、全部受けられないようにしろ、というのは、要するに治療を受けられない貧乏人に遠慮して、金持ちも仲良く一緒に死になさいっててことかい?それに、これは現状維持の論拠にならない。現状では、混合治療をちょっとでも受けたら何もかも全てが自己負担になるわけでしょ。それに比べれば「一部」に限定される方が明らかに楽じゃないか。「一部とはいえ自己負担はしんどい」と患者さんの家計に気を使ってくれるのはうれしいのだけど、だから自己負担分をより減らすかというと話は逆。「一部とはいえ自己負担がキツイ」→だから→「一部じゃなくて全部負担させましょう」というわけですか。これ、理屈にもなんにもなってないんですけど。

 第二は、「混合診療が全面解禁されれば、新しい治療や医薬品を公的医療保険に組み入れるインセンティブが働かなくなり、公的医療保険で受けられる医療の範囲が縮小していくおそれがある」という点。ここがメインだし本音の部分だと思うのだけど、混合医療でどんどん患者の主体的選択範囲が広まり、それで新しい治療法の臨床例が増え、それで保険適用範囲が増える、、、とは考えないのだよね。

 なぜ?と思うのだけど、医師会(医療現場)と国(厚生労働省、薬価審議会、国保組合など)が協力というよりも、むしろ敵対関係に立っていると思うと理解が進む。まあ、国は医療費の天井知らずの増大に頭を痛めてますし、出来れば抑制したいと思う。ここで混合医療を認めて、患者が自腹でどんどん新薬を使ってくれたら、何も保険に組み入れてまで国が負担しなくてもいいじゃないかってことになる、、、ってことでしょ、懸念しておられるのは?まあ、そうなるかもしれないわね。国の財政も火の車だから。だけど、混合禁止にして、患者さんは辛抱づよく、その新薬が保険に組み入れられるのをじっと待てってことですか?それもヘンじゃないのか?

 これは要するに、国の保険制度をどのように運用するか論であり、自腹患者が増えたら「しめしめ」と思って国が保険適用を認めなくなったら、それは国がおかしいのであり、それはそれで堂々と議論すればいい。国が信用できないから患者にはガマンして貰おうというのは、スジが違うような気がします。

 この医師会さんの論理は、残念ながら僕を納得させるには足りません。薬価をめぐる医師会、製薬会社、厚生省のアレコレは、例えば丸山ワクチンがなっかなか認可されなかったことや、逆に血液製剤でエイズ被害を蔓延させたこと、さらに大きく報道されはしないが、医療の現場では不同意治験やら薬価差益リベートやらイロイロあるじゃないですか。試したい新薬や新治療法を患者がガマンしてまで、守らねばならないほど、現行の医療システムは十全たるものなのですかね?そこがまず疑問。むしろ徹底的に検証改善するべきではないのか。

 根本的にピンとこないのは、お医者様特有の権威主義的な匂いが漂ってる気がすることです。混合治療を認めないのは、どこかで患者の治療の主体性を認めないことに通底している。現行の「混合禁止」って、要するに、患者は専門家である医師と国の定めた保険という名の「定食」を食べてればいいのだ、もし気に食わないで外食したいなら、いいですよ、そのかわりこれまでの分も全部自己負担にしてくださいという殆ど懲罰のような制度ではないか。「お医者様に逆らった罪」みたいな。

 新療法がどんどん世界で開発され、(仮の話だけど)例えば乳ガンでも乳房を全摘しない手術が世界的に主流になっても、医師会のオエライ教授がダメといったら日本では進まないでしょ?エラい先生がダメといったら保険にもならないでしょ?でも、乳房を残す手術をしたい、それ以外は普通の治療でいいといっても、ドンみたいな先生に逆らったら、もう全面自己負担にしてしまうという。「患者の選択権の制限」というのはそういうことでしょう。医師会の言ってることも分からないではないが、日本特有の人的流動性の少ない「珊瑚礁」的な組織環境においては、弊害の方が大きいと思う。確かに混合医療は自由診療のルートを広げ、医療がビジネス化するという懸念も一定限度は理解は出来るけど、だからといって一律の護送船団方式が優れているのか?というと、それもやり方一つであり、そしてその運営のあり方に疑問があるので、そうそう賛成はできないです。

 それに、「自己負担」といっても、例えばアロマセラピーであったり、マッサージであったり、なんらかの代替医療を低廉に望む場合もある。日本のお医者さんの中には、とかく「非科学的」の一言で斬って捨てようとする人も多いけど、仮に非科学的であったとしても、プラシボ効果であったとしても、患者のライフスタイル選択というのはある。それを全て、認可された(権威によって認められた)治療しか認めず、それ以外を排除しようという姿勢そのものに、僕は大きな疑問を感じる。かつて(分野は違うが)同じ専門家として言うならば、専門家は神でもなければ、1ミリでもエラいわけでもない。単にやってる時間が長いから他人よりも余計に知ってるだけに過ぎない。クライアントの人生的・価値観を、専門家”ごとき”があれこれ干渉するのは僭越である。身の程を知るべし。それに医療は(いわゆるひとつの)科学的に行われなければならないという決まりもないでしょう。

 医療は難しいです。現場の医療関係者は日々、多大な努力を献身的に捧げてくれてます。それは医療過誤事件などを通じて見聞した限りの経験からもそう思う。医者は全て傲慢で世間知らずで影で金勘定ばっかりやってて、、というステレオタイプの偏見もないつもりです。そうはいっても直すべき部分は直すべきであり、もうちょい風通し良くしてもバチは当らないと思うのだ。

 むしろ反対するなら、混合医療になると事務局のレセプト(保険点数計算事務)が大変になるとか、そういった現場の理由の方が納得しやすいです。あるいは現状における保険診療が既に限界に達していて、もうボロボロで、指で突いただけでもガラガラと崩壊するから、頼むからこれ以上波風を立てないでくれ、というのであれば、それはそれで現状を細かく述べていただければ理解もしましょう。

 それを、TPPごときで「国民皆保険の崩壊」とまで強引な論理を展開するのは神経過敏すぎるし、いささか(大いに)やり過ぎだと思う。そんなこと言ってたら、国民からの信用を逆に無くすでしょう(現に僕は無くした)。誰が考えてこういう広告戦術を打ったのか知らないけど、「なんでこんな過剰反応を起こすのか?」と逆に不審に思うし、現行の保険制度に「触られたくない何かがあるのかな?」と思ってしまいます。

 これって想像を逞しくしたら幾らでもできますからね。例えば混合医療が積極的に認められると、保険という縛りがなくなるので、若手の野心的な医師がどんどん新療法を開発して、ボス達の立場が弱くなるとか、海外との交流が一層盛んになって、黒船的なファクターが増え、白い巨塔が下から浸蝕されるとか?この意見書には、JTBなどがやってる「医療ツーリズム」についても言及されていて、要は医療をめぐる環境が大きく変わっていくことへの戸惑いが透けて見えるような気がする。家元制度は変化を嫌う。権力の構造力学が崩れ、催眠術がきかなくなるからだけど、結局はそういうことなわけ?という具合に思われてしまう。「逆効果」というのはそゆことです。

 なお、TPPなど国際法に関して「内国民待遇」とか「非関税障壁」とかいうタームが出てくるけど、国民皆保険崩壊?混合診療解禁?TPPお化けというサイトが、国際法理論的にも、また日本国内法(医療法、薬事法など)実際的にも緻密に考察されていたのでオススメです。

 非関税障壁について付言すれば、何が非関税障壁になるかというのは無限の迷宮のようなもので、議論しだしたらキリがないし、実際的でも無い。要は「参入してくる外国企業にイヤガラセをしてはダメだよ」ということに過ぎない。国内企業が許認可申請をしたら1日で許可がおりるのに、外国企業だったら1年も待たされる、というのはダメよと。その程度のことでしょう。

 でも、たしかに「難癖」はつけられますよ。参入してきた外資が、儲からないのを「非関税障壁」のせいにして、あれこれ難癖つけることは出来る。アメリカの会社が、「我が社の製品が売れないのは、日本語のマニュアルを出してないからだ」「どうして日本人は日本語ばかり喋って英語を喋らないのか、これは非関税障壁だ」とかね。難癖なんか幾らでもつけられる。だけど、難癖は難癖であって、つけられたら排除したらいいし、成功率の低い難癖をつけてる会社は市場でも敗北するからほっといても消えていく。もし、難癖を難癖として排除できないのであれば、それはそのこと自体が問題なのであって、TPP云々の問題ではない。我が国の国家主権とか外交方針の問題です。でも、何度もいうけど、弱腰〜柳腰〜無腰って感じで、コンニャク問答でウジウジやってる間に、アメリカも政権が変わったり、戦争が起きたりしてそれどころではなくなるのが、これまでの経緯。お得意のウジウジをやってればいいだけじゃん。

 しっかし、「皆保険崩壊」とか、なんでこんなデマまがいのことを書くのですか?マジにその真意をこそ知りたいです。まあ、医師会が反対するのは分かりますよ。医療家元制度を揺るがすようなことは、基本的に潰しておきたいでしょうから。でも、そういう背景事情が無く、純粋に善意で書いているとしたら、、、もしかして、他のサイトに書いてあったことを検証せずに鵜呑みにしたり、コピペしてるだけなのでしょうか?どういう主張をするのも自由なんだけど、このレベルで間違ってたら、全体の信用性を無くすから、これも逆効果じゃないか?と。

 この種の議論は一見分かりにくいですよ。TPP→混合医療解禁→皆保険崩壊というトンデモ論理も、ばーっと語られたら「そうか」という気になるのも分からんでもない。おそらく「完全に腑に落ちた」ってことはないと思うのだが(だって飛躍論理だらけだもん、分るわけない)、「なんかよく分からんけど、エラいこっちゃ」と思ってませんか。でもって、「なんかよく分からん」という部分にあんまりこだわらないのかな。「よく分からん」ことにはイエスもノーもない筈なんだけど、「よく分からない」のは、「私ってそんなに頭が良くないから」 or 「緻密に検証するのが面倒臭い」 or 「皆がそう言ってるから」とか思ってないですか?だから「よく分からなくても気にしない」という。それヤバイですよ。それって「笛を吹かれて踊らされてる」ってことだし、そもそもあなたの頭はそんなに悪くはないのだ。あなたが「分からない」と思ったことには、必ずや「なんか」あると思った方がいいです。心底腑に落ちるかどうかにこだわった方がいいです。余計なお世話だけど、だけどそういうことで「世論」とやらが形成されるとしたら、そっちの方がTPPごときよりも100倍も1000倍も大事なことです。

結論

 最終的に、TPPについてYESかNOかどっちがいいか?ですが、タイトルで書いたように、僕の意見は「興味なし」です。そんなもんで変わるほど現実は甘くないというのが意見。経団連が言ってるほど追い風にもならんと思うし。ただし、取り残されるのはイヤだというのは分かる。今は中国は参加しないといってるけど、もし中国が参加して日本が参加しなかったら、中国進出は大きな壁になるだろう。ただでさえ難しい海外進出、それの障壁になりそうな要素は、少しでも取り除いておきたい、まあ、財界にしたって、そのくらいは見えているだろうし、そのくらいの意向だと思います。

 YESにして、国内各産業界にある家元老朽システムに風穴を開けて欲しいなとは思うけど、それにしたって「10年かけて段階的に」でしょう?10年もあったら、たぶん国際経済の変化の方がよっぽど急だし、よっぽどドラスティックでしょうから。まあ、NOというのも一興ですよね。外交や官界、財界における「アメリカ追随主義」も、これもまた一種の「家元制度」の「ムラ」だと思うし。ここらで一回くらい明確にNOと言うのも面白いかもしれないよね、という程度。あくまで「一興」ということで。

 あ、そうそう、「大阪の選挙をどう思うか」という問いもありましたが、これも同じく興味ないです。

 世界が海で日本が船だとしたら、既に海は時化ている。もう20年も魚群に遭えず、船内の備蓄食糧も減ってきている。船は老朽化が甚だしく、船内のあちこちで漏水したり、機能不全に陥ったりしている。そこへもってきて、船尾をガーンと暗礁にぶつけて、エンジン機関部が破壊され、今でもジワジワ有毒ガスが出ている。そして前方にはもっと大きな嵐が来ているのが見える。水平線の空が真っ暗だし。しかし、海が荒れていると魚群もそこにいたりするから、ヤバイけどチャンスでもある---という大きな状況においてですね、大阪の問題というのは、船内に50ある船室のなかの比較的大きな船室で、そこでルームメイト同士がこれまでの部屋の規則のあり方や室長を決めるのに揉めている、、、ということじゃないですか?それに興味を持てと言われてもね、、という。

 まあ、僕自身、もと大阪市民ではあるし、昔の事務所の弟弟子が「市役所見張り番」という地道なボランティア活動をやってたこともあって、大阪の公的セクターの乱脈ぶりは知ってます。直した方がいいでしょう。だけど大阪直しても嵐は消えてなくならないよ。興味があるのは、嵐に備える対策をどれだけやってるのか?ですね。

 でもって、大阪のイチ市民感覚でいえば、あのへんのいい加減な丼勘定ぶりというか、生活保護受給が日本一高いこととか、官民挙げて、ああいう土地柄だという気もするのだよね。でもって、それが悪いか?というと、意外とそうでもなくて、それこそが大阪の強さであり、より「大阪的」であるアジア市場(アジアは大阪以上に大阪的)への親和性という、アドバンテージになるんじゃないかなって気がしてます。実際、海外に出てくる日本人の中での大阪人比率は相当高いし。だから、なんでも綺麗になることが良いことだとは思わんし、綺麗になっても弱くなったら意味ないし、今日本で求められるのは粗野なくらいのバイタリティだと思うし。だから、興味関心があるとしたら、「なんか、おもろそうやん?」ってくらいですね。おもろなって、にぎやかになって、皆でわいわいやったらええやん?って。そのくらい。


文責:田村



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