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今週の1枚(09.12.21)






ESSAY 442 : 不思議な日本の不況(その3) 〜内需と外需、雇用不安、グローバル化など


 写真は、シドニーではなく、QLD州サンシャインコースト、ヌーサ付近の貸しロッジから眺めた正面の湖(Lake Weyba)。夜明け前。ホワイトバランス変えて、ガラステーブルの反射を使って、、とか遊んで撮った一枚。
 いやー、日本の不況のあおりを食って、こちらもヒマで金も無いのに遊びに行ってきました、ヌーサ。人里離れた湖の真ん前で、ぼけーっと二日間滞在してました。良かったですよ〜。なかなかオススメのエリアなので、また特集したいと思います。




 前回前々回から続きます。

 一回目はなんで日本が不況になってるの?という素朴な疑問を、第二回目は日本が長期的に没落する理由なんて言われるほどないんじゃないの?というあたりを書きました。これで終わっても良かったのですが、もうちょい突っ込んだところを書きます。


”内需拡大”とはなにか
 不況になるとよく新聞や財界などで「内需拡大政策を!」という大合唱になるのですが、そもそも「内需」って何なのでしょう?調べてみると、いろいろ難しい経済用語や理論が飛び交ってて、僕も今ひとつ把握して切れていないのですが、、、、。

 内需というのは「国内需要」のことで、日本国内で日本人が日本人相手に売ったり買ったりのビジネスやってる場合のことですよね。 近所のファミレスでハンバーグランチを食べたらその分内需拡大に貢献しているし、ボーナスが少なかったので新しいデジカメを買うのをガマンしたらその分内需は冷え込む。内需が拡大するということは、個々人の購買力が上がること、平たく言えば「皆がもっとお金を使うこと」でしょう。

 終戦後ゼロスタートで始まった日本の経済成長期の内需拡大は凄まじかったです。とにかく何にも無い。食べ物はおろか、鍋釜から、洗濯機から、車から、全部買わないとならない。ベビーブームで人口も急激に増えます。それに加えて、自動車や家電製品など人類史上でも珍しいくらい生活用具が発展した時代だから、作るそばから飛ぶようにモノが売れました。旺盛な内需によって景気が良くなるというのは、そういう時代背景においてはとてもよく分かります。

 しかし、今はもうそこそこリッチですから、そんなにムキになって買い揃えるモノないでしょう?革命的な新商品というのも特にないし。というか、ブームとかで無理矢理必要もないモノを売ったり買ったりしているくらいの感じですから、今後これが爆発的に伸びるということはないだろうし、また伸びる必要もない。むしろ環境保護的な見地 (or 無駄遣いを抑えるという視点)からいえば伸びるべきではない、くらいなのかもしれません。

 また長い目で見たら、少子化と人口の自然減で、どうしたって内需は頭打ち、ないしはマイナスになるでしょう。
 もっとも人口が多ければそれでいいのか?人口が減る国は何をどうやってもダメか?というと、そーゆーことでもないです。前回書いたようにオーストラリアでは、インドや中国を越えるくらいの人口増加率で、2050年には今の50%以上人口が増えると予測されていますが、人口激増→インフラ整備のための財政破綻、住宅地不足など深刻な懸念が出てきています。幾ら頭数が増えたとしてもそれはそれで問題があるのですね。結局、人口が増えても皆がお金を使わなかったら内需はショボイままだろうし、人口は少なくなっても、皆が今以上にドカドカお金を使えば内需は活況を呈する。つまり内需拡大というのは、国民全体の購買力が上がるかどうかでしょう。

 「花見酒経済」という言葉がありますよね。落語で、花見に酒を売りに行った二人が、それぞれ100円で一杯つづ相手から酒を買って飲んで、交互にそれをやり続け、全部飲み干して、やれ売り切れだ!で、儲かったかというと、要するに二人の間で百円玉が行ったり来たりしてるだけのことであるという。金は天下の回りものですから、それでも経済は動きます。だから世界が不況だろうが、極端な話、日本列島以外が全部水没して死に絶えたとしても、全然気にせず日本人同士でお金を使いまくれば内需は盛んになり景気は良いままです。景気っていうのは、このように実体があるんだか無いんだか分からんもので、「金は天下の廻りもの」と言いますが、内需というのはその回転速度が速いか遅いかってことなのでしょう。

 ところで、日本が完全鎖国して食糧・資源の全てを自給自足でまかない、外国のものは一切買わないのだったら、内需には意味があります。というか内需にしか意味がないです。だけどそうはいかないよね。石油から食糧から買わねばならないし、ボーキサイトのように何に使うのか素人には分からないものでも優秀な工業製品を作るためには絶対必要という素材もある。でも外国から買ったら、支払ったお金は海外に行ってしまい、花見酒的な国内環流をしない。そもそも海外で通用する通貨をゲットしないと買うことすら出来ない。だから「外貨獲得」ですよね。新興独立国、発展途上国が念仏のように言い続けるスローガンが外貨獲得!です。いかに海外にモノを売りまくって稼いでくるか、です。

 日本が高度成長をなしとげ、先進国から睨まれているときに、政治課題になっていたのが「いかに貿易黒字を減らすか」ということでした。そのくらい輸出で儲けまくっていたし、その豊かさが国内に浸透し、内需も引きずられて活発になったわけです。去年からの不況だって、前回までさんざん書いたようにトヨタやソニーなど輸出産業の不振が、国内雇用を悪化させ、消費を鈍らせ、内需を悪化させ、不況になってるわけでしょ。だったら「内需拡大!」とそれだけ念仏唱えていてもダメなんじゃないか?という疑問もあるわけです。やっぱ世界に売っていくしかない。そしてその展望は、第一回で述べたように必ずしも悪いものではないというか、中国など新規のお得意さんが無条件でドカドカ増えるのだから見通しは明るいじゃないかってことです。ここで「なあんだ、大丈夫じゃん」って皆が能天気になり財布の紐が緩めば、内需が回復するんですね。というか、もうとっくに回復しているもんだと思ってたから、なんで不況になってるのか不思議という本稿になるわけです。

 以上のことを整理しながら、素人頭でらつらつら考えるに、要するにこういうことでしょう。
 ある国の内部でどれだけ皆が活発に売り買いをするか、どれだけの速さでお金が廻っているかが内需だとしたら、その国がどれだけリッチであるかを決めるのは外需や外貨保有量であると。内需だけがいかに活発に廻ろうとも、それは日本国内にあるお金が活発に回転しているだけの話で、日本の中にある富の総量は変わらない。やっぱり国全体が絶対的に豊かにならなければ、皆も豊かにはなれない。そのためには、その国が世界的に評価されるほどリッチになってなければならない。

 例えば、日本の国際的ポジションが奈落の底に沈み込んで、溜め込んでいた外貨がどんどん減っていき、自国通貨(円)の地位が下がっていったらどうなるか。円高どころか、1ドル1000円くらいの超円安になっていったら、資源エネルギーの輸入コストが無条件で10倍になり、電気代もガソリン代も10倍になり、またエネルギーはあらゆる産業に関わるからそれが物価に反映し、おしなべて物価が10倍になる。仮に給料が月30万円で変わらないとしても、一回給油をしたら10万円、自動車一台1000万円、ハンバーガー一個3000円とかになってきたら、もう暮らせませんよ。内需もクソもないです。世界史シリーズでもやりましたが、国がコケるときは大体このパターンを踏襲し、自国通貨が暴落し、ハイパーインフレが起き、国民生活がメチャクチャになるという。

 だから、ある国の絶対的な経済状況、どれだけリッチな経済水準で成り立ってるかを決めるのは内需ではなく、外需とか外貨獲得量だと思うわけです。いくら人口が減少しようが、日本が今以上に国際的にリッチになっていくなら、企業も儲かり、給料も増え、国民一人あたりの所得も増える。それまでが給料30万だったのが60万とか80万とか増えていったら、手の届かなかった高級品でも買ってみようかなという気分になるでしょう。20代でボーナス800万円くらい出たら、そりゃBMWでも買おうかなと思うでしょう。だから内需も盛んになります。

 つまり、僕が思うに、内需というのは”結果”であって、原因ではないのではないかと。国全体が豊かになれば、内需も必然的に豊かになり、国全体がジリ貧になれば内需も引きずられてショボくなる。したがって内需だけに焦点を据えて、内需拡大だなんだというのは、典型的な対症療法であり、本質的にはあまり意味がないのではないか?。

 結局のところ、「日本の景気が良い」というのは日本国内で活発でお金が廻ってること=内需が拡大していること=を意味するのですから、「内需拡大によって景気を良くする」というのは「景気を良くすることによって景気を良くする」というトートロジー(循環論法)的な無内容な響きがあるような気がしてならないのです、原理的に。

 とはいっても、外需(輸出)が伸びる→関連企業の受注が増える→皆の給料が上がる→景気が良くなるという、正統ならがらもまどろっこしく段取りを経ないで、いきなり景気だけ良くする(内需だけ拡大する)方法はありますよ。極端な話、税金を全部無料にしてしまえば、皆の可処分所得は増えるから景気は良くなるでしょう。でもそんなのは覚醒剤を打って虚構の元気を得ているようなものです。実際、赤字国債→公共工事という覚醒剤を延々射ちまくった結果、身体はボロボロで、累積800兆円とかいう財政赤字になってるわけでしょう?


もう一歩踏み込んで〜内需の論理、外需の論理

 以上はベーシックな知識に過ぎません。現在の日本経済に当てはめて考えるには、二重三重にフィルターを通してみる必要があるようです。あれこれ調べてみると、内需派と外需派いろいろな意見があるのですが、どうも論者によって言っているロジックや局面がバラバラだったりするか、いったい内需を拡大したらいいのか、それは意味がないのか、よく分からなくなってしまいます。

 まず、絶対的な数値、統計値ではどうなっているのかというと、日本経済全体に占める外需(輸出)の割合は16%とかそのくらいのレベルだそうです。日本のGDPの80%以上は内需によってまかなっているわけで、日本の外需比率(貿易依存率)の低さは、先進国の中でもかなり下の方です。ドイツなんか30-40%いきますから。それでも10年前の10%そこそこレベルからすると年々急激に伸びてきています。昔から日本は「資源を輸入し、加工し、輸出してリッチになった国」というイメージがありますから、輸出の依存度がこんなに少ないというのは正直言って意外でした。

 しかし、一方では日本経済は「外需頼みの脆弱な構造」と言う人もいますし、統計のトリックが指摘されたりもします。例えば、日本の輸出は、天然資源を掘り返してそのまま船に積んで輸出するようなものではなく、非常に完成度の高い工業製品が多い。この場合、最終的な輸出企業(ソニーなどのブランドメーカー)の周辺には下請け・孫請け・その又下請け、、という具合に膨大な裾野企業群が広がっています。しかし下請取引は国内取引だから統計上では輸出ではなく内需にカウントされてしまう。でも、ソニーの輸出が落ち込んだら、その影響を受ける範囲は輸出統計よりも遙かに広くなります。だから、統計上輸出依存率が16%だとしても、実際にはもっともっと大きいという議論です。

 もっとも、それを言うならドイツだって資源をそのまま輸出しているわけでもなく、日本と同じように名目上は内需だけど実質的には外需関連企業だって多い筈でしょう。また、上記のような隠れ外需企業を全部カウントしたとしても、内外需の比率が逆転するようなことはないでしょう。だから思っていたほど輸出や貿易のウェイトが高いわけでもないことに変りはない。それに下請け的内需を拡大しようと思えば、結局外需を拡大させていくしかないです。だとすれば、現在の内需依存の経済構造をさらに拡大しましょうといっても自ずと限界があるのであり、やはり外需を発掘して経済を引っ張っていってもらった方が良いのではないかという気もします。また、実際にこの10年ほどはその通りにやってきて日本経済を良くしてきたではないか。

   内需と外需とでは全く次元の違う論理があり、メリットデメリットがあるのでしょう。問題は、内需か外需かという二者択一ではなく、それぞれの局面でどうすればベストになるかということでしょう。

 例えば、世界最強のメーカーを擁し、ガンガン輸出攻勢をかけ、外需によってメチャクチャ儲かっている国があるとします。しかし、その企業収益は社長一族が独り占めし、社員は奴隷のような低賃金のまま、また下請けは虐めまくりで全然儲からず、脱税しまくって国庫に一銭も納めないのだったら、結局輸出が伸びても潤うのは社長一族だけです。そのご利益は国内に行き渡らないから、国民は食うや食わずの窮乏状態、内需は冷え切ったままでしょう。かといって、内需を振興しましょう、皆でお金を遣うんだ、と呼びかけたところで、最初からお金を持ってないから振興もヘチマもないです。

 これの何がイケナイかといえば国内の富の配分がイビツな点であり、求められるのは国内所得の再配分です。あまりに強欲に独り占めしている奴からブン取って、働きや必要に応じてお金を配分することです。従業員を馬車馬のようにコキ使って儲けたなら、その分給料を上げてあげなさい、儲かった分に応じて税金も払いなさい、そうすれば皆に所得が行き渡り内需も拡大し、国全体が明るくなると。つまり、内需政策の重要な柱の一つは、国内でのお金の適正の配分なのでしょう。ここがダメだったらいくら外需で儲かっても、国全体は良くならない。内需政策をしっかりしろ!と言う論者の中には、この点に着目して論を張っているケースがあります。そして、それはそれでよく分かります。

 もう一つは、「雰囲気づくり」としての内需政策です。一回目に書いたように、今の日本でお金が絶対的に無いわけではない。それなりに皆さんお金をもっているのだけど、ビビって遣わないというメンタル不況の場合、国が率先してお金を遣うことで景気を良くするわけです。これが最も古典的な意味での内需(刺激)策で、じと〜っと湿ってる場の空気を変えるような、エンストした車の押しがけスタートのような、とにかく強引にでも廻していけば自然とエンジンがかかるという。

 ただこれには弊害もあって、「国が率先してお金を遣う」といってもいろいろなパターンがあり、なかでも公共投資やらバラマキと批判されているパターンが主流だったりします。使いもしない山奥に高速道路を走らせたり、環境破壊をしたりというだけではなく、お金の流れが定型化しているから、談合や族議員の口利きや利権、天下りの公益法人やらが甘い汁を吸ってしまって、税金を投下したほどの経済効果が無い一方、支出分は積もり積もって国庫を破綻させるという。この種の内需拡大策の弊害に着目すれば、税金を食い物にして甘い汁を吸いたいだけだろという冷ややかな視線も出てくる。実際、このテの景気刺激策は歴代政権もやってきて、特に小渕政権の時に40兆なり60兆円なりと言われる巨大な景気対策をやったのですが、その内容は公共投資と地域振興券という典型的なバラ撒きでした。確かにそれによって株価や日本経済を下支えもしたのですが、その弊害も巨大で、橋本政権が積み上げてきた財政再建と構造改革を無にして巨額の国庫負担を増やし、経済体質を景気対策頼みという麻薬漬けにしてしまったとも言われています。だからこそ「痛みを伴う構造改革!」とブチ上げた小泉総理が圧倒的支持率で政権をとった、というのが直近過去の歴史の復習ですよね。

 しかし、内需拡大政策はこういったバラマキ公共投資だけに尽きるものでは勿論無く、大幅減税や、公定歩合の利下げ、台所事情の苦しい中小企業への低融資やら、家計を助ける子供支援など、実に様々なバリエーションがあり、これも一回目に書きましたけどオーストラリアではこれをドカーンとやることによって成功しています。しかし、日本の場合、国自体が破綻寸前ですから、もうそんなに大盤振る舞いは出来ないし、迂闊にやるべきでもない。このように内需拡大には正しい側面も多分にありながらも、将来にツケを残すその場限りの麻薬的弊害もあります。どの局面を重視するかによって、内需拡大をどうみるかが決まっていくのでしょう。

 さらに敷衍すると、日本に求められてきたのは、金の流れを阻害している妙な構造や慣行があったらこれを取り除いてお金という”血行”を良くすることでした。下らない規制を緩和し、新規参入を容易にして新陳代謝を活発にさせること、そのための構造改革であり規制緩和でしょう。そして今、事業仕分けなどで天下りや意味の無い公益法人にメスを入れることが行われています。上に見た所得の適正な再配分という見地もあります。また失業→ホームレスという恐怖を和らげるための社会的セーフティネットの構築や、労働者の権利保護などが求められるでしょう。生活や雇用不安が買い控え心理を産み、消費を冷えさせているのだとしたら、人々の不安を和らげることこそ真の内需拡大策であるとも言えます。



 一方、外需においても強力なデメリットはあります。まず、世界景気の変動に思いっきり左右されてしまうということです。今回の世界経済危機でもそうですが、外需が冷えたら輸出関連業種は冷え込みます。第二に、世界景気が良かったとしても、その時々の為替レートの変動、つまり円高や円安によって振り回されるということです。世界景気と為替相場、この二つの巨大な変数Xを抱えているから、どうしても不安定になりがちであり、だからこそ安全弁としてしっかりした安定的な内需を構築すべし主張になったりもします。

 なお、これに関しては、景気の変動そのものは国内においても等しくあるのであり外需だけの話ではないこと、さらに為替変動は、変動によって得することも多々あるのでプラマイゼロだという指摘もあるでしょう。つまり、円高になると輸出しても儲からないという逆風になるのだけど、同時に海外から資源や材料を安く買えるというメリットもあるし、それなりにリスクヘッジをかけることも出来るでしょう。また、これも誰かが指摘していましたが、日本の輸出の内容は、その殆どが資本財であり、自動車や家電製品のような消費財の占める割合は意外と少ない(20%以下)。資本財というのは、工業用の機械や設備、あるいは高品質な鉄鋼材のようなもので、一般には地味だから話題にならないけど、実は比率が大きい。そして日本製の規格品をベースに工場生産を運営していたら、円高になって価格が上がっても今更取り替えがきかず買うしかないから、堅調に売れる、だから日本の輸出は本当は円高に強いのだという指摘もありました。


不安の背景にあるもの〜雇用不安・年金不安
 さて、問題は今の日本経済の何がアカンのか、何をどうすればもっと良くなるのかですよね。特に現在の”本来なるはずもない”(と僕には思える)不況になっているのは何故なのかです。

 景気が悪い=内需が湿っているというのは、皆のお財布の紐が固いということで、あまりお金を遣いたいような気分ではないということですよね。じゃあ何でお金を遣いたくないのか?といえば、それは不安だからでしょう。何が不安なの?といえば、この先給料が上がる期待が薄い、それどころか下がるかもしれない、それどころか失業するかもしれないという不安。さらに老後の生活。特に年金がちゃんと出るかどうか分からないから不安ということでしょう。出来れば遣わずに先々のために貯金しておきたい。だから買うにしても安い方がいい、少しでも安いモノをと強く求めるからいきおい売り手としても値段を下げて激安攻勢をかけざるをえない。売値が安いから利益が出ない、出ないから社員の給料を圧縮せざるを得ないし、仕入れ先からも値切らないとならない。この一種のニワトリ・卵的な悪循環ループが、デフレスパイラルを招き、ますます内需を冷え込ませる。

 元を質せば”不安”というメンタル要素が、集団心理で重なっていくウチに実体化していっているのでしょう。「メンタル=気のせい不況」と一回目に書いたのはその意味です。でも、日本人は決して馬鹿ではないから意味のないことで不安がったりはしないでしょうし、それ相応の根拠はあるのでしょう。それは何かといえば、とりあえずは自分の給料が減らされたとか、残業が減っているとか、周囲の知人が失業して苦しんでいるとか、そういうことであり、日々の新聞を埋め尽くす「暗いニュース」でしょう。でもそれは不安が不安を呼び、合わせ鏡のように増幅しているだけのことで、もっと別のところに根源的な不安のネタはあると思います。

 一つは、ここ10年以上実際の暮らしが楽になっていないという現実でしょう。でも、去年の世界経済危機の余波を受けるまでは、日本経済は、2002年2月から連続57か月の景気拡大を記録し、いざなぎ景気を越えたと認定されるくらいの活況を呈し、企業でも史上最高の利益を上げていたりします。それなのに給与水準は上がらず、上がらないどころか正社員から派遣社員への切り替え、さらには派遣切りなどのリストラは逆に進み、雇用不安はむしろ増大している。昔よりも必死に働いているにもかかわらずリターンは減っている。だから実質賃金は下がっている。これでは不安になるなという方が無理でしょう。

 もう一つは、年金システムに対する漠たる(というか確固たる)不安。少子高齢化が進み、人口構成的にも成り立ち得ないような気がするだけではなく、年金記録管理のいい加減さが暴かれてしまいました。そして単に管理がいい加減なだけではなく、その修正作業も覚束ないし、責任追及もろくすっぽなされていないという。これでは「年金があるから安心さ」とは到底思えない。頼みの貯蓄も20年近くにわたる超低金利政策の結果、ほとんど利息がつかないときています。

 ところで、なぜ年金不安や超低金利になるのかといえば、内需拡大策をやったからでしょう。公共工事やバラマキをやるために赤字国債を発行しまくった結果、国の財政は炎上し、年金の原資が残ってるかどうか不安になる。また経済を活性化のために低金利政策をずっと続けています。これだけ血を流しながら内需拡大をやりながらも、それほど国民生活は楽にならない。内需拡大政策はやってるけど、景気回復という結果に結びついていない。むしろ政策の副作用が却って内需を冷え込ませている。なんでそうなるの?といえば、どっかで注ぎ込んでいる税金が消えている、景気回復の連鎖が途中で切れているのでしょう。では、何処で切れているのか、なぜ切れているのか。だからそれは、先にも書いたように、利権とか天下りとかでポッケナイナイしてる部分があるとか、あるいは膨大な税金を投下して銀行を救っても、中小企業への貸し渋りを辞めないから倒産が続くとか種々の問題点はあるでしょう。でも、それだけではないように思います。それがグローバル化と言われるものです。


グローバル化
 結局、行く着くところはお馴染みの議論、グローバリゼーションになっちゃうのですよね。
 企業が儲かっているのに労働者の賃金を上げないのは何故か?幾つかの理由が挙げられていますが、@日本の経営者のレベルが劣化している、A外国人投資家への配当を増やさねばならないから、B国際競争に勝ち抜くために収益性を上げねばならないから、などです。

 @の点は、財界がホワイトカラーエグゼンプション法案などの「サービス残業正当化」「過労死促進法案」(舛添要一元厚生労働相は”家庭だんらん法案”と呼んでいたが)を出した時点で、かなり劣化してるのでは?という疑念を抱いたのですが詳しいことは過去にも書いたし(ホワイトカラーエグゼンプション法案)、「上がアホだから」という愚痴&悪口のような結論になって終わってしまいがちで、生産性が無いのでやめます。また、頭を冷やして考えてみたら、そんなにいきなりアホ化が進行するものだろうか、それなりに頑張っているのではないかと善意にも解する余地もないではない。少なくとも、それだけが原因ではないでしょう。

 ABがグローバリゼーションの影響です。まずAですが、日本の株式市場に参入する外国人投資家が増えてきています。比較的安値の日本株は値頃感もあろうし、超低金利で資金調達が容易だし、彼らが参加してくれているから日本の株式市場を下支えしてくれているメリットもあります。だけど、世界の連中が入ってくると、世界共通の株式会社のルールでことが運ばれるように要求しますよね。ということはこれまでの”日本的経営”、つまり総会屋を雇ってシャンシャン総会で経営陣は常に安泰というわけにはいかず、また銀行や関連企業と株式の相互持ち合いで波風を立てないというやり方も通用しにくくなるということです。彼らは投資として株式を買いますから、配当というリターンを求める。企業利益の中から今まで以上に株主への配当を増やさないと株を売られてしまい、株価が下がってしまう。あるいは総会で経営陣のクビが飛ぶ。これが本来の株式会社のあり方ではあるのですが、日本の労使協調路線とは明らかに異なります。だから従業員に手厚く給与を払いたくても、配当にお金を食われてしまうから払えないという現実があります。

 Bですが、これが一番厄介で、世界中から新興工業国が出てきて、そこそこの技術で、しかも破格の低賃金で仕事を請け負ってくれるのなら海外に発注した方が得です。特にソフト開発のように労働集約型で、且つ日本語という言語バリアが少ない場合、インドあたりに発注した方が安い。世界企業はそうやってコストを抑えていきます。このエッセイで前にも書いたけど、カスタマーサービスでも、例えばアメックスの日本語専用ダイヤルのセンターがシドニーにあったり、オーストラリアのANZ銀行のカスタマーサービスがインドにあったりという具合に、品質的にまあまあクリアするなら何も国内にこだわることはない。かくして国内での職が減る。いっとき話題になった空洞化ですよね。単に減るだけではなく、日本国内でなされる発注でも、ギリギリまでコストを押さえた厳しい発注額になる。断れば海外に仕事を持って行かれるから泣く泣く受けざるをえない。結果、低賃金のまま猛烈な残業を強いられることになる。

 グローバリゼーションというのは、僕のイメージでは平均化の流れです。銭湯の浴槽があり、それぞれぬるい湯、普通に熱い湯、すごく熱い湯と3つに区切られていた場合、その区切りの壁を無くしてしまうことです。ぬるい湯も超熱い湯もお互いに混じり合っていき、やがては平均的な温度になるという。もし、完全グローバル化が果されたとしたら、世界標準からして偏差値50程度の仕事力を持ってる人は、それが日本だろうがジンバブエだろうが50の給与を得る。30の人は30、70の人は70。今、朝から晩まで道路工事をやって日本で日当1万円、アフリカのどっかの国だと日当100円だったとしたら、グローバル化が進展するにしたがって両者の賃金は近寄ってくる。日本の側でいえば、どんどん賃金が下がっていくということです。

 労働分配率という経済用語があります。企業の人件費(給与総額)を付加価値(≒粗利)で割った率、つまり年間1億円儲かった企業の給与総額が5000万円だったら労働分配率は50%ということになります。先進国に比べて日本はこれが高かった。かなり従業員に手厚く給与を配っていたわけです。しかし、グローバル化によってそうも言ってられなくなり、日本企業の労働分配率はどんどん低下してきています。低下させないと国際競争に勝ち抜けないということです。去年からの不況で企業収益は下がったけど、賃金はそれほど下がってないから、労働分配率はむしろ上がっています。だから今後調整のためにもっと賃金は下がるだろう、と。数字をあげると、上場企業の2008年の労働分配率は55.1%と過去25年で最高になってますが、これは企業付加価値が20.3%も激減しながらも、人件費は2.7%しか下がっていないことからそうなったということです。

 ぶっちゃけた話、これまで日本は高度成長の遺産で、世界基準からしたら「大した働きもしていないのに不当にいい暮らしをしていた」ので、これからは世界基準の平均値まで下がっていくよということです。稼げない人間はとことん稼げなくなり、また物価も又それに釣られて下がっていく。だから、ワーキングプアが大量に出現するのも、物価が下がってデフレになるのも、何ら不思議なことではなく、当然の摂理じゃ、ということですね。

 これで不安にならなかったら嘘でしょう。不安というよりも、絶望に近い、死刑宣告のようなものです。なるほど、これなら財布の紐も固くはなろうし、不況にもなるでしょう。不思議でも何でもないじゃないかってことになりそうです。でも、ほんとにそうなの?


それでも、なお

 そこまで分かっていながら、それでも僕は「不思議な不況」「メンタル不況」だと思いますよ。だってグローバル化が進展して、厳しい国際競争に晒され、世界平均化の自然の摂理が働いているのは、何も日本だけじゃないですから。グローバル化なんだから、世界どこも一緒ですし、オーストラリアだって同じです。オーストラリアをはじめとする先進諸国が回復基調に乗ってきているのに、ひとり日本だけが奈落の底に沈む理由がないじゃないですか。だから、グローバル化というのは大きな背景事情の説明にはなっても、今現在の日本の不況の正確な説明にはなっていない。もっと別の要素がある。第一回から述べているように、世界経済危機のショックは金融破綻という一次ショックがない分日本が一番軽かったんだし、資源や少子化という要因だって日本だけが突出して悲惨なわけでもないし、グローバル化は日本だけのものではない。要するにどれもこれも日本”だけ”が沈む説明としては足りないじゃないですか。じゃあ、何が足りないのかといえば、同じ状況を見て、「もうダメだと」と思ってしまうか、そう思わないかという主観の差、つまりはメンタルの差でしかないのではないか。

 確かに楽観を許さない状況ですよ。日本全体が必死になってサバイバルを計るしかないです。でも、それはどこの国も同じだし、必死になってサバイバルを計ればいい「だけ」のことでもあります。目の前に中国という巨大市場があるのだから、ガンガン乗り込んでいって思う存分富を分捕ってくればいいじゃないですか。国際競争があれば勝てばいいじゃないですか。僕らはこれまでだってそうやってのし上がってきたわけじゃないですか。それだけのことでしょ。何を弱気になる必要があるのだ、やりゃあいいんだ、やりゃあ、と思っちゃうんですけど、楽天的ですかね。

 ただし、楽天的といのは、何もしなくてもいい、ということじゃないですよ。やるべきことは山積しています。
 まず、国際競争力がある分野はもっとガンガン強くなる。もともとブランド的な地位にあるものは、さらにそのブランドに磨きをかける。日本ブランドというのは結構強いです。それは個々の労働者においても、真面目に、協調性があってよく働くから、世界基準でも楽勝ですよ。個々の人間性それ自体でいっても、例えば何度も言うけどシドニーでのシェア探し一つとっても、日本人は大歓迎という家が多いです。どれだけ世界に認められているか。こちらのショップに並んでる小物一つでも、「お、いいな」と思うとMade in Japanだったりするし、別格的に高い値段がつけられているし、それでも売れてます。こちらで大画面TVを買ったときも、同じパナソニック製品であっても、「これは最終工程まで日本で作っている真正のMade in Japanで、こちらはマレーシア工場だから値段が違うんだよ。でもそれだけの価値はあるよ」とオーストラリアの店員さんに説明してもらったこともあります。

 第一回に、中国人は日本ブランドが好きだという話をしましたが、ブランドというのはお高くとまって正解で、高いからこそ価値がある。「やっぱり日本製は違うわ、いいわ」と言って貰えるように、僕らは今あるセンス、贅沢度、要求水準を下げるべきではない。デフレは、大局的には仕方がないように見えるけど、戦略的にはむしろ意地でも質を妥協にしないでいいセンスを維持した方がいいです。イタリア製のブランドが、安値で勝負してきたら、ブランドの自殺でしょう。それと同じ事です。フェラーリは高いからフェラーリなのだ。

 また、グローバル化を新型インフルエンザみたいに毛嫌いすることもないです。何も悪いことだけではなく、例えば中国人があれこれ日本の不動産を買ってくれているから、不動産市場の値崩れを防いでいるというし、これも昔紹介したけど(2005年9月5日essay223:日本のラブホテルとオーストラリアの投資家の話)、オーストラリアの投資先としてニセコのリゾート施設、埼玉のラブホテル、地方の有料道路などがあったりします。海外マネーによって日本の内需が維持されているというメリットもまたあるのですし、実際に既にその恩恵を受けています。

 競争力強化については、研究開発にもっと資源を割くとか、学力上昇にもっと努めるという方向性もあるでしょう。でも全員が一律にやることはない。適材適所で、全員が天才になる必要はない。金メダルを取れるような人材育成であり、裾野作りでいいです。だってそうやって国力を維持していれば、あとの日本人は今と同じような仕事をしていればいいんだから。グローバル化といっても、全ての仕事が国際競争に晒されるわけではない。日本国内のレストランや引越屋さんなどは、物理的に海外にアウトソーシングなんか出来ないんだから、外国人労働者が大量に入ってこない限り職が脅かされることはない。仮に入ってきたとしても、日本語ネイティブで、痒いところに手が届く配慮が出来る日本人がそうそう簡単に負けるわけはないし、それで負けたらそいつはもう”日本人”じゃないですわ。

 日本という国、民族が生き残るというイメージは、氷河期に追われて一つの部族全員が南に旅をしているようなものだと思います。脚の早い奴は先行長駆して良さげな立地を探し、腕っ節の強い奴は外敵と戦い、弓矢の上手な奴が獲物を捕り、料理の上手な奴が調理し、こまめに気がつく奴が老人や病人の面倒を見て、教えるのが上手い奴が子供達を教育する、、皆が同じ事をすることはないのだ。ヘタクソなサッカーみたいに全員がボールに集まってどうする。適材適所に散れ、ですわ。それぞれが自分の良さを生かすことが、ひいては部族全体を救う。だから、日本を良くしたいなら、あなたは今以上にあなたであれ、より良いあなたであれ、あなたがあなたであり続けるために戦え、って思います。

 それにグローバル化といっても、一気に全ての壁がブチ壊れるわけはないです。関税障壁、非関税障壁、言語というバリア、ビザという障壁、何重にもクッションはあります。どこの国でも、グローバル化とその国独自のカルチャーや経済構造とすり合わせながら、微妙な匙加減でコントロールをしています。日本人には想像しにくいと思うけど、同じ英語圏であるオーストラリアでは言語バリアがないだけに、映画やTV、書籍や音楽というあらゆる英語メディアが入ってくるから、国内産業が育たない。アメリカの番組や書籍を右から左に流していても成り立っちゃうから大変なんです。だからTVの番組構成のうち何%はオーストラリア作成の番組にすることが法律で義務づけられたり、また音楽CDについても高い値段を無理に維持したりしてます。どこだって苦労しているんですよ。だから、日本らしさ、日本の良さを見極め、それを維持するようにクレバーに調整すればいいと思います。圧力団体が騒ぐからどうのという場当たり的な政策ではなく、長期的な政策ですね。

 なにがグローバル化するかといえば、資本主義という国際共通規格のゲームです。資本主義は毒性の強いゲームで、誕生以来、イギリスでの悲惨な炭坑労働、植民地支配、砲艦外交、帝国主義、ハゲタカファンド、、あらゆる形で毒素が吹き出します。内在的に貧富の格差を広げるゲームですから、そのままの形でやったら社会が荒廃する。ゆえに人類はあれこれカウンターをあてて修正を図ってきました。オーストラリアは日本よりも資本の論理が透明に貫徹していて、いとも簡単にポーンと首切りをします。しかし、そのカウンターも強力です。失業保険や生活保護、年金などの公的保障の厚さ、労働者の権利保護の強さ、フットワークの軽い政府とそれを促す投票率100%の民主制の強さ、教会やボランティアなどインフォーマルなセーフティネットの強さ、開拓民の子孫である逞しさと楽天性、そして貧乏人を馬鹿にしないメンタリティなどなど、こういったものがセットになっているから資本主義の毒素を何重ものフィルターを通して解毒していけるのでしょう。だから、グローバル化の進展とともに日本にもこういった解毒装置は各所に必要だと思います。


 そんでもって、最後に一番言いたいのは、やっぱりメンタルで、二つあります。
 オーストラリア(というか海外)に来て思うのは、僕らは仕事を遂行したり、お金を稼いだりすることには一生懸命だけど、自分自身が幸福になることについては、そんなに一生懸命じゃないということです。ハッキリいって怠慢すぎ。人生の最終目的はあなたがハッピーになることであり、それだけでしょ。他に何があるのさ?経済がどうした、雇用がどうしたというのも、しょせんは低次元のゼニカネレベルの話であり、お金は必要な補助手段ではあるけど、別に目的ではない。これはかつて「お金がないと不幸になっちゃう病」とセンスのないネーミングをしてエッセイを書いたことがありますが、もっともっと自分がハッピーになることに一生懸命努力すべきだと思います。

日本では不況になると花の売り上げが落ちる(そんなところまでお金を遣う余裕がない)、オーストラリアでは逆に売り上げが上がるといいます。ツライときだからこそ、花で生活に潤いをもたらそうと思うからです。自分はどう生きたいのか、自分はどうやると気持ちいいのか、どうなれば最高の幸福感に浸れるのか、常に考え、試行錯誤しなはれと。「とにかく不安なく生存する」のが人生の最終目的だってこたあないでしょう?この「幸福追求(実現)力」みたいなものが、世界の連中は強いです。ブラジルのスラムで調査したら、日本の基準からしたら信じられないくらい悲惨な生活をしているくせに、「いま幸せですか?」と聞いたら8割近くの人が力強くYES!と答えたといいます。自分が幸福になる絶対的な基準を獲得したら、あんまり周囲のことにうろたえなくなるし、不況だなんだで右往左往もしなくなるから、逆に経済にも好影響になる。自分が幸福になることについて、仕事並に超真剣に考え、仕事並みに行動するといいと思います。

 もう一つは、これは調べていていろいろな掲示板やブログのコメントなんかを見て思ったのですが、なんか海外というものをバケモノの巣窟のように恐く考えすぎていることです。だからグローバル化というのは、ひたすら恐怖の対象でしかない。発展途上国並みの生活水準になったら、もう死んだ方がマシくらいに思っちゃう。想像力貧困過ぎ、というか社会体験少な過ぎ!でもって、日本人や自分に対する自信がなさ過ぎ。例えば、少子化対策のために移民奨励について多くはネガティブでしたが、なんか異星人に侵略されるくらいの感じでいるのよね。同じ人間だと思ってないよね。僕は少子化対策に移民なんか要らないと思うし、そもそも少子化対策自体要らないと思いますが(ただ、単純に日本が面白く、住みやすくなるために移民を入れた方がいい、それも人口の50%くらい外国人だったら楽しいよなと思いますが)、移民を多く受け入れるのは日本人は絶対出来ないと誰もが思ってるようだけど、決めつけ過ぎだよ。だったら、なんで日本人が海外にやってきて、楽しい思いをするのさ。自分以外全部ガイジンという凄い状況で、なんで楽しめるのさ。体験的にそれをしたことないだろ?って。

 それに、オーストラリアだって移民大国だけど、ついこないだまでは国是として白豪主義だったんだから、日本以上にゼノフォビア(外国人恐怖症)だったわけで、それを180度転換してやってのけたわけです。つまり、オーストラリア人の方が、「俺たちはやれば出来る」という自信が強い。日本人は一体いつから、やりもしないうちから「絶対ダメ、無理!」と決めつけるようなヒヨワな精神になったのか。何でも書いてるけど、日本人くらいドラスティックに、節操なく変われる民族は他にいないです。だから、日本が沈没してユダヤ人のようになっても生き延びると思ってるし、人口における移民比率が90%になっても実は結構楽しくやっていけると思ってます。そのくらい日本の潜在力を信じてますよ。楽天的にね。ただ何度もいうけど、具体的に移民奨励なんかしなくてもいいし、移民を奨励するなら労働者ではなくボスになれるような事業移住か、技術移住による相当なエリートだけでいいと思います。移民が”優秀”かどうか選別する方法がないなんて意見があったけど、オーストラリアの永住権取得の高い高いハードルを参考にしなはれ。やり方なんか幾らでもあるのだ。ただ、それだけ優秀な人材が来てくれるような魅力的な国にする方が先決だと思うけどね。



ESSAY 440/不思議な日本の不況〜本当に不況なの?なんでそうなの?
ESSAY 441/不思議な日本の不況(2)〜いわゆる「日本はもうダメだ」論の検証。ホントに?
ESSAY 442/不思議な日本の不況(3)〜”内需と外需、雇用不安、グローバル化など

文責:田村