今週の1枚(09.09.21)





ESSAY 429 : 世界史から現代社会へ(83) 現代中国(9) 台湾


 

 写真はWoolwichのClarks Point ReserveからCockatoo Islandを臨む。Essay419と同じ場所で撮った写真。
 なんとも奇異な風景なので思わず撮りました。巨大な煙突とオレンジ色の屋根といい、背景の雲の感じといい、なんか童話に出てくる挿し絵のようだというか、村上春樹の小説に出てきそうな、どこかとぼけた非現実的な風景というか、何の予期もせずにいきなりこの風景を目の当たりにすると、「ほお」と思いますよ。
 ちなみにこのコカトゥーアイランドは、その昔に刑務所、造船所、工業学校が置かれるなどハードでインダストリアルな島で、建造物の一部は世界遺産にもノミネートされているようです。今は遺産&観光名所として残されており、宿泊施設やグッズまで売るなど商業的にも活用されてます。ここにサイトがあるのですが、びっくりするくらい高い!宿泊などローシーズンでも一泊300ドルもするし、キャンプ用の場所を借りても45ドルもする。ニューイヤーの花火見物ですら4メートル四方で324ドル。こちらは童話どころではない生臭さです。オーストラリアの公的機関というのはもの凄く商魂逞しいです。




 現代中国シリーズの9回目、今回は台湾です。
 沖縄の”ちょっと先”にある台湾は、昔から日本にとって身近な国です。一時期日本領土だったこともあり、日本で頑張ってる台湾オリジンの人も沢山います。最も有名なのは王(貞治)監督でしょうが、他にもプロ野球の選手は郭源治選手ほか20名ほどいます。解説不要の陳舜臣、邱永漢や、評論家の金美齢、国会議員の(謝)蓮舫、日清食品の創始者である安藤百福(呉百福)も台湾出身です。張栩、周俊勲など囲碁界にも沢山いますが、芸能界ではもっと多く、欧陽菲菲、テレサ・テン(ケ麗君)、ジュディ・オング(翁倩玉)、ビビアン・スー、最近ではビジュアル系の「彩冷える(アヤビエ)」のベースのインテツも台湾系です。PC系においても台湾勢の存在は際だっています。Acer、BenQ、Realtek、ASUS、GIGABYTE、MSI、D-Link、トレンドマイクロ、CyberLinkあたりはPCを趣味にされる人ならお馴染みのメーカーでしょう。

 これだけ身近で存在感のある台湾なのですが、国際法上の存在は”未確定”(日本政府見解)であったり、空白状態であったり、アメリカGHQの暫定占領地域だったり、ワケがわかんないことになってます。ここがメインなので後で詳述しますが、「あるんだか無いんだかわからない」「国なんだか単なる地域なのか分からない」という摩訶不思議な状態にあり、形式論で詰めていくと国際法上の”神学論争”になり、実質論で詰めていくと”迂闊なことは言えない”という。不思議な国です。しかし、連綿と続く台湾の歴史を見ていくと、実は戦後だけではなく、この国は昔っからそうだったのですね。ということで、「知ってるけど知らない」台湾を勉強しましょ。


台湾地図



台湾の歴史 〜第二次大戦まで

 「台湾」と呼ばれるこの島の住民&支配者は歴史上コロコロ変わります。
 もともとは十を越える各部族が仕切っていました。台湾原住民です。なお、「原住民」という表現は当の本人達が名乗っている言い方で(中国語で「先住民」というと ”既に滅んでしまった民族” という意味になるので避けられている)、日本では「先住民」と表現しています(日本語で「原住民」というと差別的なニュアンスが出るため)。ここではこれらの意味を踏まえて原住民と呼びます。

 この原住民族は、現在の台湾政府が認定しているものだけで14民族あり、他にも未定民族が沢山います。台湾島にいわゆる中国人(漢民族)が入ってきたのは17世紀以降ですが、平地に住み漢化が進んだ平野系と山岳地帯に住みオリジナルなカルチャーを残している山系に大別され、日本占領時代にはそれぞれ平埔(へいほ)族高砂族と呼んでいました。

 原住民時代の歴史はよく分かっていません。中国本土の歴代王朝も台湾にまでは手が廻っておらず、その存在を認識していたかどうかというレベルでした。その台湾に各方面からビジターが訪れるようになります。一つは日本から。和冦という海賊の本拠地になります。また中国本土からもぼつぼつ人が来るようになります。そしてポルトガル。日本に鉄砲やキリスト教を伝来したポルトガルは、当然のことながら道中にある台湾にも立ち寄ります。その際、あまりに美しい島だったので、ポルトガル語の「美しい」から Formosa(フォルモサ)と呼び、これを語源として中国語では美麗島というのが台湾の別名になってます。ところで台湾をなんで「台湾」と呼ぶのかについては諸説入り乱れているようですが、おそらくは原住民族系の言語から来ており、中国語(漢語)から由来するものではないそうです。「台湾」という字句は、フランスを「仏蘭西」と書くような当て字らしい。

 統一的な形で台湾を初めて支配したのはオランダです。1624年、オランダの東インド会社が占領し、要塞を築き、同じように近寄ってくるスペイン勢をシッシと追い払います。また、中国(当時は明)の福建、広東から大量の移民を招き、彼らを働かせてプランテーションで儲けようと経済開発を企画します。ところがオランダの開発計画はわずか37年で頓挫します。本土からやってきた鄭成功によって追い払われてしまったからです。

 さて、ここで鄭成功という台湾史上に輝くカリスマが出てきます。鄭成功は当時の中国版尊皇攘夷の志士でした。中国の歴史は、漢民族vs満州族など北方民族の交互支配の歴史ですが、漢民族の明王朝が落ち目になり、新たに満州族による「清」という強国が出来ます。そのとき、明朝のために勃興する清王朝にタテついて抗争していった民族派ゲリラの頭領が鄭成功です。

 鄭成功というのは、僕も初めて知ったのですが、日系人です。幼名を福松といい、お母さんは田川松という日本人女性です。平戸藩藩士田川七左衛門の娘であり、武家の娘です。お父さんが鄭芝龍という明国の貿易商人であり、当時の国際都市平戸で恋が芽生え、一子鄭成功を産みます。どんなロマンスがあったのでしょう。今でも長崎県平戸市では、毎年7月14日(鄭成功の誕生日)には鄭成功祭りをやってるそうです。鄭成功7歳のときに一家は中国に移り住み、その後松さんは北京で清軍に攻められた際に自害し、45歳の生涯を閉じます。

 鄭成功は立派な青年に育ち、またかなりのハンサムのうえ堂々としていたので、落日の明朝皇帝から愛され、「国」姓を与えられます。が、鄭成功は恐れ多いと鄭成功のままで通しましたが、これ以来「国姓爺(こくせんや)」という俗名を持つようになります。近松門左衛門の浄瑠璃、「国性爺合戦」のモデルになります。

 鄭成功は父親とともに明朝皇帝を奉じて北方の清軍に戦いを挑んでは負け、挑んでは負けという経緯を辿ります。局地的には結構勝ったり、父子の涙の別れがあったりでドラマ性十分なのですが、最後の南京の戦いで大敗し(1659)、勢力を立て直すために台湾に逃れます。そこで台湾を支配していたオランダ勢力を駆逐します。台湾に渡った直後、鄭成功は死没し、息子が後を継ぎます。

 鄭成功の物語は、中国、台湾、日本人それぞれの琴線に触れる部分があります。中国人(漢民族)からすれば、異民族(満州族)に対して最後まで屈しなかった民族的英雄でしょうし、義のために戦うという三国志の英雄的要素があります。日本人からすれば、日本武士の血を引き、落ち目の正統王朝を助けて義のために戦うという南北朝における楠木正成的な要素があり、且つ平家物語や義経的な「滅びの美」があります。そして台湾からしたら、「本来中国本土を支配する正統な権利を持ちつつ、不正な暴力によって一時台湾に避難してきた」という意味で、後の(現在の)国民党政府のなりたちと瓜二つです。毛沢東に追われて台湾に渡ってきた人達が、大先輩である鄭成功を思わないわけはなく、台湾海軍のフリゲート艦の艦名と同時に成功級という規格の名称にもなっています。


 強大な王朝を打ち立てた清朝は、その後台湾の鄭氏勢力を壊滅させたのですが、積極的に台湾を領有支配することもなく、福建省の属領にするだけで、台湾は言わばほったらかし状態に置かれます。それでも対岸の福建、広東から多くの人々が新天地を求めて台湾に移民し、今日の台湾の本省人の源になります。これら漢民族の流入により、平地にいた原住民(平埔族)は混血や漢化してオリジナル性は激減していきます。

 強勢を誇った清朝もやがてガタガタになり、19世紀になると欧米列強や日本の侵略を受けるようになります。遅まきながら台湾の戦略的重要性を認識した清朝は、台湾省を設けて国防に励もうとしますが、時既に遅し。1894年の日清戦争に敗北し、下関条約で台湾は日本の領地になります。以後、第二次大戦終了までの半世紀、台湾は日本の統治下におかれます。

 50年間の日本統治時代ですが、当然のことながら反抗運動が起こり、弾圧され、植民地的搾取も差別もあったのですが、韓国や中国本土に比べてみれば、台湾の人達の反日感情は比較的柔らかく、ときとして親日的ですらあります。教育整備にはじめるインフラ整備など植民地時代の功績もあり、台湾の高齢者の中には日本語も達者で、当時を懐かしむ人もいるそうです。僕も、かなり前ですがシンポジウムで台湾の方のスピーチを聴いたことがありますが、そのへんの日本人よりもよほどしっかりした日本語を喋り、且つ親日的な内容でありました。ただ、それだけに戦後国籍が無くなったからといって遺族年金を支払わなくなったのは残念だというのが趣旨でした。どうも日本政府にはこの種のケチ臭さが常に漂い、それが周囲の評判を落としていますね。

 同じように植民地支配しながら、韓国や中国には疎まれ、台湾からは親しまれているのはなぜなのか。また、植民地をいうならイギリスなんか日本の何十倍もやっていながら、未だにコモンウェルスとかいって親しまれているのはなぜなのか。本当はここをじっくり考えるべきなのでしょう。要するに「やり方一つ」なんだと思います。偏狭で、居丈高で、見下げるような態度でいたら、いくらインフラ整備をしようが誰も感謝しない。「ほれ、くれてやるぞ、ありがたく思え」という態度だったら、誰だってムカつくでしょう。これって国家戦略だけの問題じゃないです。企業合併など人間集団相互の関係や、ひいては夫婦関係にも適用できると思います。学ぶべし(^_^)。

 あと、台湾の特殊事情というのもあるのでしょう。後述しますが、日本軍が去った後、台湾には中国本土から国民党がどっと押し寄せてきます。台湾土着の人々(本省人)からしたら、こいつら(外省人)が輪をかけてゴーマンだったりするわけで、日本軍の方がまだマシという感想も抱くわけですね。「狗走豬擱來」という言葉があるらしく、犬(日本)は喧しいけどまだ役に立つ、でもブタは食べるだけで役に立たない、その犬が去って豚が来たという意味です。逆に言えば、豚に比べればまだマシという程度での”親日”だということですね。

 なお、終戦によって日本の主権は台湾に及ばなくなります。1951年のサンフランシスコ条約によって「放棄」しているのですが、そこで「次は誰のものになるか」については触れられていません。ここが後で述べる台湾の国際法上の地位という神学論争の出発点になります。


国民党の台湾支配
 さて、第二次大戦で日本の敗色が濃くなった1943年、カイロ会談が開かれ、台湾を中国(中華民国)に返還することが内定しています。当時の「中国」とは蒋介石・国民党率いる中華民国でした。戦後、この取り決めに基づき、中華民国は台湾を統治しはじめます。

 ところが国民党政府はかなり乱暴で、且つ腐敗していたようで、多くの台湾人(本省人)の反発を招き、ついには大規模な暴動に発展します。1947年2月28日の2.28事件ですが、暴動そのものよりもその後の政府の弾圧の方が凄まじかったので”2.28白色テロ”とか”台湾大虐殺”と呼ばれているくらいです。戒厳令が敷かれ、知識人階級などの大量処刑など3万人近い本省人が殺されています。単なる暴動鎮圧というレベルではなく、またこの恐怖政治は延々続き、このとき発令された戒厳令はその後なんと40年間も続きます。なるほど、これなら日本軍の方がまだマシだったかもしれない。

 蒋介石らがなんでこんな不細工な恐怖政治を行ったかと言えば、一つには感覚のズレです。彼らは本土において共産党との熾烈な内戦をやってる真っ最中であり、殺伐とした戦場の感覚からすれば、台湾で民衆から抗議を受けても、「だー、うるさい!ぶっ殺すぞ!」くらいのノリだったのかもしれません。また、知識人階級を目の敵にして処刑したのは、知識人階級の方がマルクス主義や共産思想に傾倒しやすく、本土の敵である共産党と通じているかもしれないという疑心暗鬼があったと言われています。ともあれジェノサイドと呼んで良いくらいの出来事だったらしいのですが、恐怖政治が敷かれ続けていた台湾においては2.28事件はタブーとされ、語ることすら許されなかったと言われます。民主化が進んだ今では228記念館という博物館もあります。

 一方、本土において中華民国政府は、毛沢東ひきいる共産党に徐々に押されていくようになります。ジリジリと領土を奪われ、ついに1949年になると首都南京まで奪われ、もはや太刀打ちできなくなった中華民国政府は、海を渡って台湾に逃げ込んできます。このときなぜ毛沢東は台湾まで攻めていき、一気に国民党(中華民国政府)の息の根を止めておかなかったのか、そうしておけば今日のような台湾問題が起きずにすんだのに?という疑問があります。また、領土や国民数、資源などからみて微々たる存在になってしまった台湾が、戦後半世紀以上まがりなりも大国中国(本土)と対等に張り合っていけたのは何故か?という疑問もあります。

 その答はアメリカです。一つは朝鮮戦争。毛沢東共産党が国共内戦で勝利し、中華人民共和国を建国した頃に、今度はソ連VSアメリカという世界レベルでの覇権争いが待っていたのですね。国内大会で優勝したら今度は世界大会が待っていたという。アメリカ軍は国民党軍とは比較にならないくらい強いですし、広大な中国大陸をまとめ上げる心棒になった共産主義イデオロギーは何がなんでも守らねばならなかった毛沢東としては、朝鮮半島に軍勢を割かねばならなかった。だから台湾はどうしても後回しになったと。一応追撃の準備は整えたらしいのですが、うかつに出撃するとアメリカの第七艦隊を敵に廻すことになったそうです。アメリカとしては最初から国民党政府を応援していましたし、共産党が本土を制覇した以降は尚のこと反共の防波堤としての台湾を支援します。

 このアメリカとの緊密な関係が台湾経済を発展させます。日本が朝鮮戦争の軍需景気で高度成長に入ったように、台湾はベトナム戦争での軍需景気で高度成長に入ります。さらにアメリカとの紐帯(奨学金制度など)により多くの若者がアメリカに留学、在米華僑として活躍したり、IT産業の勃興期であるカルフォルニア帰りの若者達がAcerやBen-Qという世界的な電子器機メーカーを立ち上げていきます。


世界秩序と台湾
 第二次大戦後、多くの国がそうであったように、米中ソの冷戦構造という世界の枠組に台湾もまた翻弄されることになります。台湾というのは恐ろしく複雑な国であり、国際問題の迷宮のようなポジションに置かれるのですが、戦後その第一歩が踏まれます。

 第二次大戦前後まで国際社会における正統な「中国政府」は国民党・中華民国でした。ところが、毛沢東・共産党と内戦になり、台湾にまで押しやられ、共産党は新たに中華人民共和国の建国を宣言しました。これを毛沢東側からみれば、フランス革命のように民衆が蜂起し旧政権を転覆して新たな政権を作った「革命」であると位置づけ、台湾に引きこもってる中華民国政府は、殲滅すべき旧勢力の残党ということになります。一方、中華民国によれば反政府ゲリラ軍の不当な暴力によって正当な政府が追われ、亡命のように領土の一部に避難しているということになります。本来中国全土の正当な支配権は中華民国にあり、一時的に暴徒に占拠されているだけということですね。

 これを第三者からみると、中国国内で内戦やクーデターが起きたということになりますが、さて国際法上、諸国は旧政府と新政府のどちらかの政府を正当して認めることになります。ここで諸外国がクールで公正なレフリー役を果すかというとそうではなく、自国に都合が良いようにエコヒイキします。まだ小国はそれほど利害関係がないので公正にやるとする傾向がありますが(それでも援助をしてくれる方を承認するとか利害絡みも多いが)、”世界は俺のもの”と思いたい大国になればなるほど思いっきりエコヒイキします。

 この中国・台湾のケースでは、中国新政権がバリバリ共産党であるという点で話はもう決まったようなものです。ソ連をはじめとする共産圏諸国は毛沢東中国を承認し、アメリカを旗頭とする反共西側諸国では、反共である台湾の中華民国政府を正式な中国政府として認めます。親分がそうすると子分もそうします。だから日本も台湾政府をもって「中国政府」であるという扱いをします。

 ここまではいいです。素晴らしいことは言えないまでもまだ話のスジとしては通っています。しかし、70年代に入り、アメリカと中国(中華人民共和国)がいきなり手を握るところから話がねじれてきます。中国とソ連が険悪になったこと、東西冷戦といいつつもそういう原理で世界は動かなくなっていること、この際アメリカとしては中国と仲良くして、中国にソ連を牽制して貰う方が得であり、また泥沼のベトナム戦争の始末も中国に味方になって貰ったらやりやすいことなどの利益があります。中国にしても、ソ連と米国両方を敵に廻すのはツライところがありますから、この際アメリカと仲良くして国際社会で地位を築いた方が得だという計算もあります。

 かくして、1971年のキッシンジャー・周恩来会談、翌72年のニクソン訪中によって、アメリカと中国は一気に接近します。親分に従うのは子分のツトメですので、日本でも田中角栄が訪中し、日中国交正常化を果します。中国から送られたパンダを見に上野動物園では大行列が出来、日本列島は中国ブーム&パンダブームになります。リアルタイムの日本人的には、「パンダ可愛い〜」てな感じだったのですが、実は世界史的にはとんでもない出来事が起きていたわけですね。

 さて、そうなるとこれまで付き合っていた台湾とのポジションが問題になります。これまで中国(中華人民共和国)の国連加盟をガンとして拒否していたアメリカは、手の平を返したように承認します。というか、形式的には「中国(China)」は昔から国連加盟国だったのですが、その中国の代表権を持つ政府は台湾(中華民国)なのか本土(中華人民共和国)なのかという問題になり、1971年10月の国連総会で中華人民共和国を唯一正統な政府とし、台湾政府を追放するという決議がなされます。

 切り捨てられた台湾こそいい面の皮です。以前(シリーズ48回)にも書きましたが、これって、出世して名家のお嬢さんと政略結婚するために、貧乏時代を共に過ごした糟糠の妻を捨てるようなものです。かなり後ろめたいですよね。この後ろめたさはアメリカも日本もどことなく感じていたフシがあり、中国という新しい正妻には、「ちゃんと手は切った!」と宣言しつつも、実はこっそり会って「本当はまだお前のことを、、」と言っているというような関係が続きます。一応表向きは国交断絶という冷酷な処置をしているのですが、事実上、民間組織や企業取引などを通じて、台湾との関係は太いままであるという。

 この時期、米中接近したのは純粋に高度な国際政治戦略上の決断であり、実態からしたら仲良くするような共通点は無いです。当時の中国は文化大革命というカルト集団状態にあって、正直付き合ってて楽しい相手ではない。また経済的にも取引をする大したメリットもないです。それに比べて台湾は、経済的には本土よりも圧倒的に進んでいるし、また共産イデオロギーに支配されてない自由さで在米華僑とのつながりはあるし、冒頭に書いたような日本との間の人物往来も激しい。どう考えても台湾の方が親しみがある。でも、建前上切り捨てなければならない。アメリカ(日本も)、国連決議のときは、「一国二政府ってのはダメっすか?」と一応頑張ってみるのですが、そんな一夫多妻みたいなのはダメ!とバシッと言われてしまっています。

 しかしながら、台湾との縁は切れません。男女関係と同じですね。相変わらず台湾は、オリンピックなど世界のスポーツ大会に"Chinese Taipei"というよく分からない名称で参加し続けていますし、”Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu”としてWTOなどにも独自に参加できています。このあたりかなり苦心のあとがみえますね。アメリカと台湾との軍事関係は維持し(台湾関係法)、1996年の台湾総統選挙の際、中国が恫喝的な軍事演習をやったときも、アメリカは台湾海峡に空母を出動しています。

 しかし、この煮えきらなさがまた中国政府をカリカリさせます。「あなた!あの女とは別れたと言ったじゃないの!」と、ちょっとでも台湾との関係になると、ヒステリーさながらの抗議を受けるわけですね。でもなんだかんだいって、ズルズルと続いているという。

 最近よく思うのですが、いずれエッセイで一本まとめて書こうと思ってますが、この「中途半端にズルズル放置」というのは、世界のあちこちにあるわけで、昔はそういうのってスッキリしなくてキライだったのですが、だんだん「それって結構いいのかも」と思うようになってます。例えば、日本の憲法9条と自衛隊の存在なんか、矛盾してるといえば思いっきり矛盾してるんだけど、この中途半端な状態が実はよいバランスを取っているのではないかとか。なんか二股かけモラトリアムの自己弁護みたいに聞こえるかもしれないのだけど、人間ってそーゆーもんでしょというか、真実は矛盾のうちにあるというか、理屈で決めない方がいいんだろうなって気もしています。


台湾の民主化
 国際問題と国内問題の双方ともに複雑な台湾ですので、何をどの順番で説き起こしていいのか迷うのですが、ここで台湾国内の経済発展と民主化の歩みを見てみましょう。

 中国から蒋介石がやってきてガッチリ台湾を統治しアメリカと手を組みます。次に息子の蒋経国が仕切ります。蒋経国が総統になったのは1978年ですが、それよりずっと前から親父さんに代って仕切っていたとされます。意外とこの人は進歩的且つ有能な人で、アメリカに縁切りされた難しい局面を、李登輝など本省人をどんどん採用する開明的な人事や巨大インフラ整備を行うことで乗りきっていきます。70年代にアメリカに見放され、国際社会との接点も失いながらも、それでもやっていけるだけ経済的地力をその時点ではつけていたということですね。

 台湾の民主化は、実は蒋経国が道を開いたとも言えます。この人は台湾の現状と未来がよく見えていたようで、戒厳令を解除し、表現の自由を認めています。また「私も台湾人である」という宣言まで行い、自ら蒋一族世襲を否定し、本省人である李登輝を副総統として据えています。台湾の幸運は、独裁者の二代目が暗愚ではなく、開明的だった点にあるでしょう。ここで普通の二代目だったら、北朝鮮のように、国がジリ貧になればなるほど国民党支配や自分の権力に固執し、さらなる恐怖政治を敷いていったでしょう。

 しかし、台湾の民主化は上からのものではなく、あくまで下からの突き上げが大きかったです。国民党一党独裁に反対する動きは、まず台湾外のアメリカや日本に移住した台湾人から起こり、さらに台湾国内でも民主化運動が盛り上がります。国民党支配に反対する人々が政治運動を行うことを(国民)党外運動といい、79年の大規模のデモ(美麗島事件)とそれに続く裁判闘争などがあります。そのとき裁判で連座した筋金入りの闘士達が国民党とは別に民主進歩党を作ります。

 このように上下から呼応するように開かれていった民主化の道を進み、ついに、1996年には、二級市民として差別されていた本省人である李登輝が台湾総統になります。ここで征服者・外省人 vs 被支配者・本省人という垣根が壊れます。しかし、李登輝は本省人とは言いながらも国民党に属しています。つまり国民党支配というフレームワークはまだ健在でした。しかし、2000年の選挙では”党外”である民主進歩党から陳水扁が総統に選ばれ、ここに外省人・国民党支配の構図は完全に終わります。「台湾民主化物語」という映画だったらこのあたりで「完」になって大団円になるのですが、ああ、しかし、歴史は続く。

 民衆の勝利!となったあとの政権というのは、意外とコケやすいです。それまでの”共通の敵”というタガが外れるから、仲間が烏合の衆と化し、内ゲバが始まって収集がつかなくなるのですね。これまでの世界史でもよくあるパターンです。イギリスのピューリタン革命のあとのクロムウェル、フランス革命のあとのロベスピエールのように。長くなったので余談なんかしてるヒマもないのですが、今週の日本は大型連休だから許して貰うとして、クロムウェルもロベスピエールも歴史上暗いイメージがついてまわりますが、両者に共通するのは清廉潔白で有能で真面目だったということです。あまりにも優秀で、あまりにも真面目だったがゆえに、政権をまとめあげるために非常な努力をしました。そしてその努力が賞賛されたかというと逆に恨みを買い、ロベスピエールにいたっては殺人鬼まがいに呼ばれたりもします。可哀想ですな。日本史では石田三成がこのキャラに近いと思います。

 さて、陳水扁政権ですが、政権内部の内ゲバは起きるわ、民衆のデモは起きるわ、野党になった国民党が盛り返すわ大変でした。さらに2004年の総統選の際、銃撃を受けるという暗殺未遂事件があり、これが投票に微妙な影響を与えたのか僅差で再選。しかし、後の捜査で自作自演の狂言ではないかという批判がまた起き、さらに延々と腐敗スキャンダルが続き、2008年退任後には不正疑惑で逮捕され、つい先日(2009年9月11日)には無期懲役の実刑判決が地裁で出ています。

 さて、現在の総統は、再び国民党から馬英九がなっています(2008年〜)。この人、総統になる前には中国や日本に対しても非常に厳しい批判的な態度で臨み、バリバリの保守派論客としてアピールしているのですが、総統になってからは中国の関係も柔らかくなり、対日批判もまたトーンダウンしています。しかし、すでに選挙中から不正疑惑が報道され、また先日(09年8月)の台風被害の対策が不手際だと痛烈に罵倒されたりしていて、どうなることやら、、、って感じです。

 しかし、不正疑惑にせよ、政治手腕がどうとかいうレベルだったらまだいいですよ。良くはないだろうけど、これまでのように、国民党だ、本省人だという観念論や差別&反発感情によって国政が進んでるわけではないので、まずは台湾も普通の国になったといって良いのだと思います。


台湾の迷宮〜国際問題
 台湾は難しい国です。いや、現実そのままを飲み込めば、気候も人柄も温順な国ですし、経済的にも強い。良い国だと思うのですが、しかし今回調べていてわかったのですが、統合的に理解しようとすると、「うわあ」と嘆息したくなるくらい複雑な国です。何がというと、国内と国際それぞれが複雑で、それらがまた絡み合ってるから複雑×複雑になっているという。

 まず、国際問題からいくと、前述のように台湾の国際的地位というのは「なんだかよく分からないズルズル状態」なのですが、そのまま丸呑みしちゃえば別にいいのですが、なんでも理屈で明確に割り切るべき学問の世界においては、世界の七不思議になります。現在の中台関係を国際法上どう説明するのかという。

 これについては、@「中国」はあくまで一つであり、本土政府と台湾政府のどちらを正統のものと承認すべきかという問題として捉える立場(政府承認説)、A韓国と北朝鮮のように一つの国家が二つに分れた状態であるとする分断国家説、さらにB未だ決まってないという台湾地位未承認説があります。このB未承認説は、サンフランシスコ条約で日本が台湾を放棄したとしても、誰に帰属するかは明らかになっておらず、連合国政府が国民党政府に統治を委任したに過ぎないという点をもとに、本来なら住民投票によって決着を付けねばならないところ、それをしていないので正式には未定であるとするものです。国民党政府がやってきて事実上長い期間統治しているから、何となく国民党=台湾=中華民国という具合になっているが、それはなし崩し的にそうなってるに過ぎない、だから台湾住民によってハッキリさせなければならないとします。

 確かに理屈でいえばBが一番スジが通っているのですが、あまりにも観念論的、法理論的過ぎるのでピンとこないという難点があります。本土(中華人民共和国)は一貫して@の立場であり、台湾政府は認められないという公式見解であり、また台湾の憲法も本土まで領土が及ぶことを前提にしていますが、ここまで現実が進んでしまうと、これはこれで観念論過ぎる気もします。というか、国民党が台湾に流れてきて50年以上、いまだに「不逞の輩(共産党を名乗る反政府勢力)が本土を占拠している」とかいっても、ありていにいって「おとぎ話」ですもんね。だからAのように、それぞれ別個の国なのよ、中国は二つあるのよってしてくれた方が、僕ら部外者には分かりやすい。分かりやすいけど、当事者的にはこれまでの成り行き上認めるわけにはいかないということで、ジューッと煮詰った状態にあります。

 しかしながら、これは単なる観念的な言葉の遊びではなく、台湾そのもののアイデンティティに関わり、将来の進路に関わる重大な問題でもあります。そこで、じゃあ、台湾の人達はどう考えているの?という部分を見ていきましょう。

台湾の迷宮〜国内問題〜台湾というアイデンティティ
 「台湾の人達」といっても、これまで見てきたように台湾の人というのは実に色々な人達がいます。もともとの原住民族、初期において本土から移民してきた漢人で土着の台湾人となった人達(本省人)、戦後に本土からドドドと押しかけてきた国民党の人達(外省人)、大きく分ければこの3グループがいます。さらに細かくみれば原住民族だけでも14部族プラスアルファいるし、本省人といっても福建や広東から来た人もいれば、いわゆる客家(はっか)の人達もいます。

 ちなみに客家というのは、中国人(漢人)なんですけど、中国大陸を流浪する民で”中国のユダヤ人”と呼ばれるジプシー的な人達です(客=よそ者)。古代中国語の残した客家語を話し、その流動性の高さから強固なネットワークを持ち、商業流通に優れ、教育を重視し、華僑の3分の1は客家人と言われています。僕らから見たらひっくるめて"中国人”なのですが、彼らにとってはやっぱり違うのでしょう。でも差別されているかというと別にそうではないらしく、それどころか超大物に客家人は多いです。そもそもケ小平からして客家人ですし、李鵬、シンガポールのリークアンユー、孫文も客家。そして台湾の李登輝も客家です。

 したがって台湾の民族構成というのは日本人の想像を超えて複雑で、むしろオーストラリアのようなマルチカルチャルな内実を持っています。言語だけでも、原住民語のほか、いわゆる中国語だけでも、17世紀以降移民してきた福建あたりの方言(河洛(ほうろう)語)をベースにした台湾語、そして客家語、さらに国民党が持ち込んできた北京語があります。僕が語学学校に通ってたときの台湾人のクラスメートは、台湾、客家、北京語、それに広東語も喋れると言ってましたし、「そんなの普通」らしいです。知り合いのマレーシア華僑の女性は7つ喋れると言ってましたが、羨ましいくらいの言語能力ですね。

 まず、ベースにこれだけの人的要素があるということを理解すべきでしょう。国民党の圧政が続いていた初期においては、北京語を強制し、学校での台湾語を禁止していたようですし、そこを敢えて台湾語を使うということで反体制の意思を込めるということもあったそうです。が、民主化の進んだ今ではそれほどガチガチなこともなく、日本における標準語と地元方言のように適宜使い分けという感じでしょうか。例えば、政治家が国会で発言するときは標準語を使い、選挙で地元に挨拶にいくときは方言バリバリで喋るような。しかし、全くわだかまりが無くなったかというとそうでもなく、そもそも「台湾語とはなにか」という部分でも議論があるそうです。

 さて、ここで台湾の「独立」という問題があります。これがまた一義的に明瞭ではなく、国民党・中華民国の立場からは、本土は共産党、台湾は国民党でそれぞれ別個にやっていこうという意味(二つの中国)で「独立」を語る場合もあります。一方、もともと台湾に住んでいた本省人からしたら、国民党が勝手にやってきて独裁政治を敷いているだけであり、国民党の一党独裁を排除して台湾人による民主自治を確立しようという動きとともに、中国本土の政府は無関係=つまり二つの中国があるのではなく、最初から中国と台湾という別々の国家があるのだという論理にいきやすい。前者の場合、「独立」というよりは”独自路線”というニュアンスであり、後者の場合はそもそも別存在なんだから”独立”(全体の一部が分離独立)という概念そのものがおかしいという感じになります。

 一般に統一 or 独立の論議は、あくまで中国(本土)との関係を前提にして統一的に考えるか、それとも台湾は台湾で独自にやっていこうとするか、中国全体に重点を置くか or 台湾に重点を置くか、一つの中国か二つの中国か(or中国と台湾か)という形で論じられているようです。正直いってややこしいです。中華人民共和国vs中華民国というレベルでの争いが一つ、台湾内部での国民党(外省人)vs本省人というレベルがまた別にあり、次元の違う問題がグチャグチャに入り組んで渾然一体になってるところが、現代台湾の難しいところでしょう。

 この独立問題は、台湾のアイデンティティにも関わります。
 孫文を源流とする国民党・中華民国=台湾なのか、台湾は台湾で古来からオリジナルなアイデンティティがあるのか。これ、日本人やオーストラリア人など部外者から見たら「どっちでもいいじゃん」とミもフタもない言い方をしてしまうかもしれないけど、当事者にとっては微妙な問題を含むでしょう。台湾オリジナルを重視する立場からしたら、そもそも国名が「中華民国」となっているのも気にくわないだろうし、例えば祖国の歴史教育などでも台湾のことだけやるのか中国大陸全般を”祖国”として教えるのかという問題もあるでしょう。孫文や蒋介石を建国の父としてみるか、それとも一時的にやってきた外来侵略政府としてみるのか。このあたりのことがセンシティブな問題になり、政治家も発言ひとつひとつに気を配らねばならないでしょう。

 なお、中国全部を視野にいれる国民党などの立場を中国派、統一派、あるいは政党カラーの泛藍連盟/ブルー陣営と呼び、台湾オリジナルを重視するのを台湾派、本土派、独立派、泛緑連盟/グリーン陣営と呼ぶそうです。”本土”派とかいうから、中国本土を意味してるかというと「台湾をもって本土とする」という意味ですのでお間違えのないように(ややこしい)。しかし、そのようにカッチリ色分けされるモノでもなく、国民党の中でも本土的立場に立つ人もいれば、本土派のなかにも温度差があるようです。そして又、時々の政治情勢によって揺れ動きもします。

 若い世代になるにつれ、中国に対する違和感が強くなり、今更”統一”とかいわれてもピンとこないようですね。まあ、気持ちはわかるような気がします。しかし上の世代、特に戦後に渡ってきた外省人一世からしたら中国本土は故郷です。それも福建とか対岸エリアだけではなく中国各地からやってきています。祖先の霊も彼の地に眠っています。その思いを断ちがたいというのも又分からないでもない。また、台湾土着の本省人といっても、台湾に渡ってきたのはたかだか300年ほど前のことであり、本当のルーツは本土にあります。そういった理屈にはしにくい感覚的なものというのもあるでしょう。


中華人民共和国との関係 〜両岸関係
 さて、中華人民共和国はどういう姿勢でいるかというと、これはもう一貫して統一派、一つの中国しかありえないという立場です。ただし、強硬な武力侵攻はアメリカや世界を敵に廻すから出来ない。李登輝総統選挙のときに軍事緊張が高まりましたが、アメリカの睨みがきいてそれ以上はやっていません。その後経済発展が進むほどに、そういう荒っぽい動きは出来ない。

 しかし、だからといって「一つの中国」の旗を降ろすわけにはいかない。チベットやウィグルなど中国は常に領土内に分離独立のエネルギーを感じています。今は力でガシッと抑え込んでいるけど、タガを緩めるわけにはいかないというのが一つ。もう一つは、はるかに経済発展し、戦略的にも太平洋に通じる要地にある台湾は自分の領土内に治めたいからです。ただ、いがみあってるばかりではなく、それなりに対話も試みています。お互い儲かるから経済的な協力関係を築いたり、再統一するにしても台湾の独自性を認めて一国二制度にするなどの歩み寄りもしています。

 2000年の総選挙で民進党の陳水扁が総統になってからは、中国政府は野党になった国民党を応援し、積極的に対話するようになります。不倶戴天の国民党を支援するというのも変な話なのですが、陳水扁など台湾独立派が台頭してきたら、「一つの中国」という前提的な”お約束”を無視されてしまい、統一(台湾領有)という野望は益々遠のいてしまいます。だったらこの幻想を共有できる仇敵国民党の方がまだしも近しい存在になるからです。

 台湾にせよ中国にせよ、仲良くやってった方が経済的にはお得なわけだし、いまや民間レベルではガンガン交流しているのですから、それを追認して発展させていった方が良い。かといって国民世論もあるわけで、そんなにあからさまに仲良くも出来ない。難しいところです。キライなんだけど、付き合った方が儲かるという。陳政権も最初は台湾の自主性を打ち出す政策をしますが、経済的にギクシャクしてくるからトーンダウンせざるをえなかったし、2008年には国民党が再び政権を取ったあとは、中国側から台湾へのラブコールも激しくなります。台湾のWHO参加を一転容認したり、上海万博に台湾を招待したりしています。

 かくして中国と台湾の問題は、従来の中共確執やら、イデオロギーやら、国際関係の要素に加えて、経済的要素=「感情をとるか金をとるか」という要素も入ってきています。でも、これってとても普遍的なので、分かりやすいですね。企業活動に置き換えてみると、今、台湾はそこそこ堅調に発展してきた中小企業のようなものです。そこへ名門の超巨大な財閥企業が合併を持ちかけてきている。まんざら知らない企業でもなく、もとをただせばルーツは同じ。しかし大企業に飲み込まれてしまえば、それまで自由にのびのびやってきた社風が失われ、ガチガチの息苦しい組織人にさせられてしまう。感情的には嬉しくない。しかし、大企業のメリットもあり、給料もステイタスも上がるかもしれないし、将来性もあろう。ビジネスも格段にやりやすくなるかもしれない。今のままでは何かと大企業に邪魔されてやりにくい。さあ、どうするか?みたいなところでしょうか。ベンチャーがいいか、名門企業がいいか。

 ネットで調べると、独立派の立場のサイトが圧倒的に多く、魔物のような中国に飲み込まれるな、頑張れ台湾って論調が多いのですが、それはそれで気持ちは分かる。だけどモノの見事に経済という視点が抜け落ちている。抽象的なレベルでは、なるほど中国はデカいし傲慢だしケッタクソ悪い存在だけど、でも現実のレベル、例えばいざ自分の就職になったらどうですかね。名門企業の正社員になるチャンスが目の前にあったとして、それでも組織の歯車になるくらいだったら、いつクビ切られるかもしれないけど自由な派遣のままがいいとは一刀両断に決めきれないのではないか。ところで、経済的理由で中国と融和していこうという主張も探したのですが、これが不思議なほど少なかったです。まあ、でもそうやって頑張って稼いでいる人はあんまり発言しないでしょう。黙ってしっかり儲けた方がいい。下手なこと言って世論を敵に廻したくもないでしょう。

 かくして、台湾においても、統一も独立も直ちにはしないで、とりあえず現状のまま、、という、さきほど述べた「中途半端にズルズル放置」状態を支持するのがマジョリティであるという指摘もあります。これって日本と米国の関係にもやや似てますね。傲慢なアメリカに断固NOを言えというのは、責任も利害関係もなければ簡単なんですけど、自分が失業するリスクをかけてもNOと言うかとなると話は別でしょう。




過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/西欧史から世界史へ(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/西欧史から世界史へ(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/西欧史から世界史へ(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
ESSAY 346/西欧史から世界史へ(その19)〜ドイツ30年戦争 第0次世界大戦
ESSAY 347/西欧史から世界史へ(その20)〜プロイセンとオーストリア〜宿命のライバル フリードリッヒ2世とマリア・テレジア
ESSAY 348/西欧史から世界史へ(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/西欧史から世界史へ(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/西欧史から世界史へ(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/西欧史から世界史へ(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/西欧史から世界史へ(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/西欧史から世界史へ(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/西欧史から世界史へ(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/西欧史から世界史へ(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/西欧史から世界史へ(その34) 〜世界大戦前夜(2)  中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/西欧史から世界史へ(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/西欧史から世界史へ(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/西欧史から世界史へ(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/西欧史から世界史へ(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/西欧史から世界史へ(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/西欧史から世界史へ(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/西欧史から世界史へ(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/西欧史から世界史へ(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
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ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
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ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン
ESSAY 402/世界史から現代社会へ(その65) バングラデシュ
ESSAY 403/世界史から現代社会へ(その66) スリランカ
ESSAY 404/世界史から現代社会へ(その67) アフガニスタン
ESSAY 405/世界史から現代社会へ(その68) シルクロードの国々・中央アジア〜カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン
ESSAY 406/世界史から現代社会へ(その69) 現代ロシア(1)  混沌と腐敗の90年代と新興財閥オリガルヒ
ESSAY 407/世界史から現代社会へ(その70) 現代ロシア(2)  発展の2000年代とプーチン大統領
ESSAY 408/世界史から現代社会へ(その71) 現代ロシア(3)  チェチェン紛争の迷宮
ESSAY 410/世界史から現代社会へ(その72) 現代ロシア(4)  チェチェン紛争の迷宮(2)
ESSAY 411/世界史から現代社会へ(その73)  現代ロシア(5) 王道のロシア文学
ESSAY 412/世界史から現代社会へ(その74)  現代ロシア(6) 北方領土
ESSAY 413/世界史から現代社会へ(その75)  中国(1)  ケ小平と改革開放経済
ESSAY 415/世界史から現代社会へ(その76)  中国(2) 誰が一番エライの?〜中国の権力メカニズム
ESSAY 417/世界史から現代社会へ(その77)  中国(3) 中国における都市と農村の地域格差
ESSAY 419/世界史から現代社会へ(その78)  中国(4) チャイナリスク(1) 政治システム上の問題点
ESSAY 421/世界史から現代社会へ(その79)  中国(5) チャイナリスク(2) 派生問題〜”規模の政治”と伝統カルチャー
ESSAY 423/世界史から現代社会へ(その80) 中国(6) チャイナリスク(3) 地縁社会と高度成長の副産物
ESSAY 425/世界史から現代社会へ(その81) 中国(7) 外交関係(1)  戦後外交史の基本 東西冷戦と米中ソ三極構造
ESSAY 427/世界史から現代社会へ(その82) 中国(8) 外交関係(2)  中国とインド、そしてチベット、パキスタン


文責:田村




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