今週の1枚(09.09.14)





ESSAY 428 : 政権交代




 写真は、The Rocksの天文台(Observatory)の丘にて。ここはいいですよー。シティ周辺での眺望ポイントではここがベストだと思います。デートコースにもオススメ。




フラットな選択への道

 ご存知のようにさる09年8月30日の衆院選で民主党が嘘みたいに圧勝し、戦後の日本で初めて本格的な政権交代がなされました。戦後このような政権交代がなかったのは世界でも日本と北朝鮮だけだったというから、その意味でまずはめでたいと思います。やあ、やっと”変わる”という現象が日本でも起きたぞ。

 このエッセイでも、もうかなり前から「はよ、政権交代せんかい」と書いてたような気がします。今調べてみたら、例えばエッセイ番号44129177221259291336382などです。けっこう折にふれ書いてたものですが、そう思っていたのは30年以上前からです。そのココロは、政権与党がダメで、ときの野党が素晴らしいからではなく、政治家なんか適当にクビして、社会システムの中枢に新陳代謝を起こすということです。だから、選挙権を得てから、常に常に最もライバルになりうる対立候補に入れてました。でもって殆ど常に常に負けてました。

 今回の政権交代で、「やあ、やっと!」とは思いますが、「やっと」というのはゴールに達したのではなく、やっとスタートラインに立てたという意味です。これからが本番。どっちの政党がいいかなとその都度選び、調子に乗って仕事しなくなったらクビにするという主権者としての国民本来の仕事が待ってます。

 このまま一期4年、出来れば2期8年、それがダメならせめて2年程度は民主党の天下が続いたら、”選ぶ”というフラットな感覚が多少なりとも定着するのではなかろうか。定着して欲しいですね。民主党がしばらく政権を取って、最初はいいけどそのうちどんどん不満が溜まってきて、「やっぱダメじゃん」って話になったとき、今度は自民に返り咲きをさせるというのは、これは心理的にそれほど難しくはないと思います。そして、再び自民にやらせてみたけど、最初は反省して頑張るけどすぐにふんぞり返ってくるから、「もっとダメじゃん」になって、また民主が奪回する、、、本当のことを言えば、ここまでのプロセスが欲しいですね。”どっちになっても不思議ではない”くらいの感じ。どっちがノーマルなのか全然分からないという。そこまでいって欲しいですね。

 ここが定着しないと、これまでの選挙のように自民党が勝つのはもう決まっているようなもので、圧勝か辛勝か程度の差しかつかず、政権が変わるなんてことはまずありえないって状況に戻ってしまいます。それの何が悪いのかというと、選択がフラットではないからです。普通に考えたら自民党で、よほど異常なことでもない限り政権交代が起きないとすると、ノーマル対アブノーマルみたいな問い掛け、つまり「不満は山ほどあるけど、とりあえずは平和でそこそこ食える現状を、”敢えて”ブチ壊しますか?」という問い掛けになっちゃって、そうなれば「うーん、ま、そこまでではないかな」ってことになり、現職が圧倒的に有利ですもんね。これでは"フラットな選択”にならない。これまでがそうでした。


ダメ同士の競争原理

 政権交代って、単にダメな政党をクビにして良い政党に乗り換えるということだけではないと思います。まあ、そうだといえばそうなんだろうけど、本質はもっとシビアで醒めきった視点があるんじゃないか。何かというと、「どっちもダメ!」というミもフタもない現実をベースにしていて、ダメならダメなりにせめて競わせて質を向上させるって点に眼目がある。使えない部下が二人いた場合、交互に使ってライバル心を煽り、切磋琢磨させるって感じですね。

 おそらく政権交代になっても、何かがドカーンと変わることはないでしょう。民主党に入れた人も、それほど何か具体的なことを期待していたわけでもないんじゃなかろか。オーストラリアの新聞でも書いてありましたが、「日本発の新型リドル(なぞなぞ)!”変わらないために変わる”」とかいう見出しでした。日本の有権者は、変えて欲しいけど変えて欲しくないから変えたという。うがった見方なんだけど、結構鋭いかも。

 どだい破産してないのが不思議なような国家財政をひっさげ、そろそろ一周年になるリーマンショックに始まる経済危機のボディブローが効き始めてきている今の日本は、誰が、何をどうやっても、そんなに明日からの生活がミラクルに薔薇色になるわけがない。そんなの皆知ってるんじゃないのか。民主党のマニフェストがバラ撒きだったとしても、そのバラ撒きに期待した人って意外と少ないんじゃないか。公約や政策に期待して政権交代させたというよりは、それまでの自民党への懲罰的意味と、政権交代のための政権交代って感じがします。

 何もかもドカーンと変えて欲しいかといえば、そんなに自分の生活の何もかもが変わってしまうのは恐い。でも、あまりにも変わらないのも問題であり、今の自民はひど過ぎる。お灸を据えねばならない。それも議席数が減りました程度ではお灸の効果がないので、一回クビにしちゃう。顔を洗って出直してこい、みたいな感じじゃないでしょうか。戒告とか減俸処分だけで手ぬるいから懲戒免職にした、それが結果として政権交代になったという。

 ただし、@与党に対する一時的な懲罰と、Aより積極的に政権交代というシステムを機能的に使うこととは理屈の上では別なのでしょう。前者は、本来的には自民党支持なんだけど、自民はもう抜本的に出直さないとダメだということで自民に投票しなかった。いわば自民に対する”愛の鞭”として落とすわけで、あくまで自民が主であることに変わりはありません。Aは政党なんかどっちでもよく、要は「サボるとクビになる」という緊迫感を与えて仕事をさせる点に眼目があるわけです。ちょっと違いますよね。今回の場合、@なのかAなのかというと、おそらく混在しているでしょうし、@でもありAでもあるという人も沢山いたと思います。

 ところで、政治の本質は「あちらを立てればこちらが立たず」だから、何をどうやってもどこかしら不満は残る。最も公正に、最も良心的にやればやるほど全員から均等にブーイングを受けるものです。出典は忘れましたが、外国の小説だったと思いますが、優秀な弁護士を父に持った男が、「オヤジは良く言っていたよ。当事者の誰からも文句を言われる解決が最も公平で良い解決なのだ」と。ああ、やっぱり同じようなことを言うんだなあって感心しました。

 ヒーローとして大歓迎された政治家も、末路は支持率低下に苦しみ、ボロ負けします。イギリスのトニー・ブレア首相もそうだったし、オーストラリアで10年間不動の強さを誇ったジョン・ハワード首相も、最後の選挙では自分自身が落選するという屈辱を噛みしめています。アメリカのブッシュなんか、最後はオバマブームの影に隠れて報道すらろくにされなかったもんね。でも、それで良いのだ。それが健全なのだ。社会の強者(大企業や軍部、犯罪組織など)と手を組み、逆らう国民を片端から投獄してれば確かに政権は延命するけど、そうならないのが民主制の良さです。

 その意味で、イギリスなんか凄いですね。第二次大戦を戦い抜き勝利にもっていったチャーチル率いる保守党を、イギリス国民は戦勝直前(45年7月)に政権交代させてます。それも381対193という圧差。普通、戦争に勝ったらそのリーダーはヒーローになりますよ。北朝鮮の金日成、中国の毛沢東、ソ連のスターリン、、みなその後独裁者になってます。しかし、イギリスは、そこで政権交代させちゃうのですね。チャーチルはポツダム宣言の翌日(7月26日)内閣総辞職するはめになってますが、さすが議会制民主主義の母国という気もします。

 政治には独禁法がないので、一部の権力者が市場を独占してもそれを取り締まる法規はない。ともすれば競争原理が働かず、妙な方向に進んでいってしまう危険が常にあります。だからこそ政権交代をフル活用して、独禁法と同じ効果をもたらし、競争原理を導入させるってところに意味があるのでしょう。


政権交代のメリット〜遠慮のない路線変更

 政権交代のメリットは、遠慮なく路線変更できることです。どんなに優秀な政府でも、政策ミスは犯す。それはどんなに優秀な投資家でも予想外の相場展開で損をするのと同じです。その時点では最良の方策でも、状況が変われば最悪になったりもします。

 その場合、自分でやってしまった政策を変えるのは難しい。「やっぱり止めます」とは言いにくいし、そんなこと言えば「ミスを認めた」として野党にボロカス攻撃されそうだし、その政策を実現するために各所から得た協力を裏切ることにもなるからシガラミがあってよう動けない。ダムを造るという公約を掲げ、地元の土木業者や地権者などからたっぷり政治献金を貰って当選した政治家が、その後あらゆる環境調査をした挙句、どう考えてもダムは作らない方が良いという結論に達したとしても、それは言えないでしょう。それを敢えて言うのが政治家なんだろうけど、一個の人間にそこまで期待するのはムリだわ。メルヘンだわ。あなただったら出来ますか?

 政権が変わってしまえば、そこらあたりは遠慮が要らないですよね。それどころか、むしろ必死で前政権のアラ探しをするでしょうし、前政権がひた隠しにしていたデーターや事実を国民に突きつけて、「ほら、あいつらはこんな馬鹿なことをしていたぞ」くらいは言うでしょう。というわけで、政権交代にはダメなものを改めるための”遠慮のない”チェック機能があるわけです。

 もっとも、これは両刃の剣で、政権が変わる度にコロコロ変わってたら、政策の連続性が失われ、国家百年の大プロジェクトが完成しないって弊害もあります。ただ、世界史とかみてると、この弊害って案外少ない。クーデターや汚職が蔓延している国だったら、あっちいったりこっちいったり大変だけど、与党のある政策を強烈に批判した野党が、いざ政権をとったら前与党以上にガンガンやってるという例をよくみます。日本で言えば、幕末〜明治維新なんかがまさにそうで、幕府の開国方針をさんざん非難し、ぶっ倒して政権をとった筈の明治政府が、手の平を返して一気に文明開化だもんね。尊王攘夷じゃなかったのかよ?という。まあ、誰が政権につこうが、「これだけはやらなきゃね」というものは歴然としているってことでしょうか。


政権交代のメリット〜強制切断とリセット

 ところで、日本のような社会の場合、政権交代は頻繁に起きた方がいいと思います。もう、西欧以上にコロコロ変わった方がいいと僕は思います。なぜか?

 日本には、「和を尊ぶ」といえば美しいけど、「なあなあ」で済ませたがる国民性があるからです。対等に徹底的に議論しあって決していくといことが苦手。日本人でもやるときには激論が戦わされますけど、「なんだかな」くらいだったら言わない。ガマンしちゃう。その場のハーモニーを重んじてしまう。勿論それはそれで美徳でもあるし、誇るべき温順さでもあります。長い目で見れば小さなコトでギスギスするよりも相身互いで済ませていった方が合理的であるという優れた人間洞察力の表れでもあります。

 でも、それって長期的にメンツが変わらず、「長い付き合い」になる場合の話でしょ。現状が半永久的に続くという前提における叡智です。それは状況変化が少ない農耕社会においては正しく妥当しますが、生き馬の目を抜くビジネス社会や資本主義社会においては、この温順なハーモニー志向が大胆な新陳代謝を阻むブレーキになる。

 表だって問題が起きていないからといって、必ずしも皆がハッピーでいるとは限らない。絶対的な強者がいるから、誰も逆らえず、その強者を中心とした極悪秩序が改善される見込みもないまま延々と続いているってケースもあるわけです。規制緩和や天下り禁止がなぜ連綿と叫ばれるかといえば、圧倒的な許認可権限を持つ官庁支配においては、下手に逆らうと「江戸の敵を長崎で討」たれるからです。とんでもないところで復讐されたり、嫌がらせをされたりするから誰も逆らえない。そんなことやってたら若々しいアイデアを持つ会社の新規参入もままならず、業界が仲良しクラブ化し、全体に老人的な事なかれ主義がはびこり、そしてフレッシュで獰猛な部外勢力に敗れて共倒れになるという。老舗企業が倒産するときのパターンですな。

 結局何がイケナイかというと、「メンツが変わらない」ってところが問題なのだ。長い付き合いになるから角をたてないようにしようとする。長い付き合いになるなら、せっせと恩を売り、忠誠を尽して長期的にリターンが貰えるようにした方が良い。日本社会がともすれば封建的な社会になりがちである根本原因はここにあると思います。挨拶でも「末永く」という言葉が常套文句になるように、日本人は長期的な人間関係構築には長けています。長期的な人間関係が良好に築けるのならば、多少法律を無視したり、弱い者やよそ者をイジメても仕方がないと思っちゃう。人間関係のプライオリティの方が高いから。

 家族とか友人関係で末永くやるのは良いのですが、でも、政治やビジネスでそれやっちゃダメでしょう。政治というのは、さっきも書いたように、”幸福と不幸の公平な分配”なんだから、エコヒイキしてたら本質的に腐る。しかし、権力というのはマシンがもってるのではなく、血も涙もある人間が持ってるのだから、どうしても好悪の感情もあるし、ズルもしたくなる。そうなれば、公正と合理という原理ではなく、好き嫌いと利権という原理で物事が動くようになる。

 結果として、国の中枢部には政財官の癒着と呼ばれる現象が生じ、各地方においては、その地の”天皇”と呼ばれるようなボスが隠然たる勢力を振るう。既に旧聞に属するけど、田中康夫氏が長野県知事になる以前の吉村午良(ごろう)知事などの場合、東大法→自治省というエリートコースのあと長野県知事になり、長野オリンピックでは西武のコクドと癒着(公費出張やゴルフ場について贈収賄案件で検察の捜査もあった)、当のオリンピックではスケート”ミズスマシ”発言、”ジャンプは遠くからでも見える”発言を行い(後日、観客から民事訴訟をおこされ組織委員会の敗訴確定)、一方、姓名判断が趣味の奥さんがダンナの名前を変えるだけならまだしも、県職員や家族の名前を半ば強制的に改名させていたとかいないとか。そんなこんなで在職20年、退職金は総額で2億3692万円、それでいて勲一等瑞宝章を受章してます。

 このように日本社会というのは、とかく殿様政治になりやすいです。大学病院の教授センセイの大名行列回診のように、単なる機能的・職能的ポジショニングだった筈が、いつしかウェットな全人格的なものになり、そのうえに全てのシステムがのっかっていってしまうから鬱陶しいことこの上ない。

 ところが政権交代になると、この権力の心棒の部分が消失します。
 日本列島津々浦の小ボス→中ボス→大ボスという縦型ゲマインシャフト(ウェットな人的社会)の栄養の源泉は、許認可や補助金という霞ヶ関や永田町につながっていることで成り立っています。ところがこの源泉部分が突如として消失してしまうとどうなるか?

 政治家の○○先生にせっせと献金(含む賄賂)を送っていても、落選したらパーです。また官庁の側も与党族議員の大物先生との交流が政策立案や実行、さらには人事に至るまで影響を与えていたのですが、そのセンセイがいなくなってしまったら全てはガラガラと崩れる。権力の流れ、それはすなわち金の流れであり、そこが変わる。そこが変われば全てが変わる。長期的にうまくやっていく能力が高い日本人の場合、定期的に「強制切断」してやった方がいい、無理やりリセットをかましてやった方がいいんじゃないかということです。

 話はちょっと違うかもしれないけど、小学校のクラスでも、6年間同じクラスだったら、イジメられっこは6年間イジメられつづける。適当にクラス替えをしてやった方がいいでしょ。中高一貫校が人気だそうですけど、それっていわゆる「高校デビュー」できないってことで、どうなんかなって気もします。僕個人の意見で言えば、若いときは色々と異なった環境を経験させてやった方が、それこそ長い目で見たらいいんじゃないかなって思うのだけど。


今回の政権交代

 しかし、この変わらない長い付き合いを前提にして日本社会というのは成り立ってきました。それは権力の中枢部や、上流層にいけばいくほどそうでしょう。

 しかし、世界の潮流は一貫して変わってきています。このエッセイのシリーズで現代の国際史をやってて改めて思うのは、もうどこもかしこもメチャクチャ変わってるってことです。第二次大戦が終わるか終わらないかという時期に、まるでメドレーの曲のように切れ目無く東西冷戦になだれこんでいきます。しかし、ガチンコにやってたのは70年代に入るまでで、そこから89年のベルリンの壁崩壊までの約20年間は、惰性的に冷戦構造であるようでいながら、実際には違う流れになってます。ニクソンショックの米中国交回復しかり。また、アメリカがベトナム戦争などで必死で反共闘争をやっても結局東南アジアの共産化は進んでるし、かといって共産化が進んでもソ連は地味に沈滞してるし、それどころか義理がけのようにアフガンに出兵したら泥沼の10年駐留で破産しちゃうし。中国は中国で文革だ革命万歳だといってたのが、いきなり経済開放だし。もう10〜20年ごとに潮流がコロコロ変わっている。アメリカだって、クリントン→ブッシュ→オバマと8年ごとに両極に振れている。そんな中、日本だけが55年体制の出来レース的な、なあなあゲームをやってられるわけがないです。

 90年代からの新自由主義経済は、何も小泉改革のオリジナルではなく、世界的な潮流であり、誰が総理をやってもその波はきたでしょう。世界的に「そーゆーゲーム」になった。それによって日本社会もまた変わったのだけど、その変化の波を一番受けるのは、社会で最も弱い層からです。つまりはワーキングプアの増加です。本当のゲームのルールは、それを見越して社会福祉を手厚くし、同時に失業層の受け入れとしての新規産業の育成をガンガンやるべきだった。だけど日本の支配層はそこで頭を切り換えられず、新規参入の先鋒だったホリエモンや村上ファンドを意地のようになって潰した。官界においても、例えば、対米追随という旧来の方針を変えたくないがために、ロシアとの新機軸を模索する佐藤優氏のような人材を放逐した。そしていずれの場合も、権力の走狗のように国策捜査で動いたのは東京地検特捜部であり、今回も小沢一郎の秘書を逮捕するなどしてますからね。この政権交代によって地検首脳部はまな板の上の鯉状態らしいですけど。

 これらの状況を総じていえば、旧体制で美味しい思いをしている人達は、当然のことながら現状は変えたくない。そりゃあ変えたくないでしょう。しかし、否応なく世界の潮流はやってくる。国民の生活は変わらざるを得ない。どっかで読んだけど、ここ10年、日本とアメリカの給与所得者の平均給与は全く上がってないそうです。それまで企業は史上空前の利益をあげているにもかかわらず、です。この時点で、明らかにゲームのルールが変わっているのだから、社会のシステムも変わるべきだったのだけど、日本ではそれが変わらなかった。なぜか、中枢権力を移動させなかったからです。

 今から思えば前々回の郵政選挙がそのチャンスであったのだけど、皮肉なことに小泉首相が野党以上に野党的だったし、最も非自民的な人が自民党を率いているというパラドックスで圧勝してしまった。今になっては、小泉改革をボロクソに批判する人が多いけど、僕は今でも評価してますよ。とにもかくにも時代を前に進めたもん。本来なら、前に進め、問題の所在をつかみ、正しくカウンターを当てるという方法論にすべきだった。ところが彼の後継者の安倍ちゃんは、心情右翼路線で総理になったものの坊ちゃん体質からダウン、福田さんは参院のねじれ現象を前に打開するすべがなく投げ出し、最後の麻生さんはなす術もないって感じで、散発的に1万2000円を給付してみたり、「昔は良かった」的に時計を巻き戻し、コタツの中に自閉しようとしてるだけだとも言える。

 まあ、投票動機は人それぞれだったと思いますし、小泉郵政選挙の反省からこうなったと総括する人もいます。でも、逆に、小泉改革が中途半端で終わってしまったから=後継者が郵政造反組を復帰させたりして、小泉首相が喧嘩腰になっても変えようとしたのを逆戻りさせたから自民が敗北したのだという人もいます。

 ちなみに、マスコミの報道も、政権交代を目的にしたかのような姿勢が目立ちましたよね。麻生首相に対する批判も、なんかイジメに近いような、低レベルの報道が目立った。彼の成果かどうかは分からんけど、予算案も成立させたし、株価も一万円台に回復したんだけど、ほとんどそれは功績としてカウントされませんでしたよね。無視!って感じ。もっとも、日本国民というのはマスコミが思うほど、そしてまた一部の人が思うほどバカじゃないと思います。直感的であれなんであれ、「こら、あかんな」という意識が芽生えたのでしょう。それに4年前のいわゆる「小泉劇場」という表現も、マスコミの自画自賛という気もしますな。そんなにマスコミの影響力って無いと僕は思うんだけどな。あのときは、多少乱暴でも時代を前に進めた方がいいか、そうでないかの選択だったと思いますよ。今回の選挙だって、マスコミはのりピーばっかやってたじゃん。


政権交代のその後 〜本来の姿へ

 さて、政権が変わってどうなるかといえば、ちょっと前に書いたように、「日本が日本でなくなる」ってことだと思います。それまでの権力構造やゲームのルールが変わるんだから、人間関係のあり方や生活のありかた、ものの考え方、その全てが何らかの形で影響を受けるでしょう。ただし、その影響は、非常に漢方薬的に長期的なものであり、今日明日ただちに見えるものではないでしょう。殆ど何も変わってないかのように見えるし、実際に政権交代による熱狂的な感じはしない。細川政権のときに比べたら静かなもんです。

 体質改善的長期効果というのは、例えばですね、今後の日本では政権交代が日常的に起きるとしましょう。そうなると官僚と政治家の関係も変わりますよね。もしかしたら先ほど書いた政財界の癒着システム=末永いお付き合いを前提としたあれこれのシステムが変わるかもしれません。

 こんな雲の上の世界が多少変っても、僕らの日常生活が変わるんかね?というと、変わるかもしれませんよ。例えば東大にいく価値が激減するかもしれないからです。だって東大卒のブランドを最大に活かせるのは官界でしょう。ビジネス界でもそうだろうけど、今時学閥作って仲良しこよしでやってる呑気な企業がどれだけあるんだって気もしますね。ソニーなんか社長が外国人だもんね。弁護士でもそうだけど、一線現場に出たら出身大学なんか殆どなんの役にも立たない。だから官庁のキャリア社会でしょう。官庁でいい思いが出来るからこそ東大は利用価値がある。で、官庁での”いい思い”とは何かというと、出世競争に明け暮れ、同期が事務次官に達したら一斉に退職しそのエラさ順に天下りして、老後の資金がガポガポ入るということですよね。でもこのゲームのルールが変わったら、もしかしたら全然天下り出来ないとしたら=官僚の安月給のままジ・エンドだったとしたら、官僚になる意味が減ります。それに企業が東大卒を優遇するのは、大学時代の同期の連中が官庁の中枢部にいるという人脈価値です。だからそれも減る。そうなると遡って東大に行く意味も減ります。受験競争の頂点、ご本尊の権威が落ちたらどうなるかというと、下々の受験意識や勉強意識もまた変わるでしょう。

 といって東大が全く無価値になるわけでもないし、受験戦争がなくなるわけでもないでしょう。官僚志望者も減りはしないと思います。ただ、それぞれが本来もっている価値に準じて、本来的な姿に立ち返るということです。大学は思いっきり勉強したい奴がいくところ、そしてその頭の良さと身につけた技能のみが評価され、良い就職が出来たのなら、それはそれでイイコトでしょう。官僚においても、本気で日本を良くしたい、改造したいと思ってる奴が行くところになったらいい。てか、もともと若手の官僚志望者はそういう人が多いんでしょ。老後の天下りとか言われても20代の人にはあまりに遠い話であり、本当はもっと意味のある仕事をしたいのでしょう。省庁間の縄張り争いのためのパシリに走らされたり、くだらない政治家の暑中見舞いの宛名書きさせられたりするのはウンザリでしょう。

 今は一例として教育システムを挙げたけど、日本には経団連、医師会や農協をはじめとする利益団体が星の数ほどあります。その多くが自民党支持です(特定郵便局長会の大樹はさきの郵政選挙以降は国民新党支持だけど)。自民党の集票マシンとして機能し、いわゆる組織票を産み、自民党と持ちつ持たれつの共存関係をはかってきました。医師会は開業医にシフトしているので、診療報酬規定の取り扱いにおいて、どうしても勤務医の処遇は後回しにされるという批判がありました。またエイズ訴訟で垣間見られたように、新薬の治験や認可における大学病院と厚生省、政治家との関係なんかもありました。

 今回の政権交代は、末梢神経のように全国に張り巡らされた組織のあり方を一変させるでしょう。というか、既に小泉時代に変わってたのですけど。小泉改革は自らの足下の支持基盤、支持業界に対して敵対的なまでにメスを入れたので、その関係は危うくなったと言われてます。小泉首相が「自民党をぶっ壊す」と表現したのはそういう意味でしょう。結果として、今回の選挙で自民の地方組織や地方支持団体で大きな混乱が起き、結局政権交代になってしまった。ということは、日本におけるあらゆる局面での「モノゴトの決め方」のルール、足し算引き算の根本原理=アルゴリズムが変わってしまったということを意味します。

 鍼灸でいえばツボを刺激して経絡のながれを変えるようなものですから、直ちにそんなにドラスティックに変わるものではないけど、背骨のズレた部分がちょっと真っ直ぐになるくらいの効果はあるのではなかろうか、と。これまで、この背骨が妙に曲がってた部分が、良きにつけ悪しきにつけ”日本的”なるものの特徴の一つだったのが、それが変わるかもしれない、だから日本が日本でなくなるってことです。

 まあ、実際にそうなるかどうかは分からんけど。なってくれたらいいよね、理想だけど。それに、僕ら下々の世界においては、実際もうかなり変わってると思いますけどね。大卒の価値なんか年々落ちているでしょ。そのうち、「大学行ってた」というのと、「昔サッカー部だった」というのが、ほぼ等価値くらいのエピソードになるかもしれません。それはそれでイイコトだと思いますけどね。勉強が好きだから大学にいく、サッカーが好きだからサッカー部に入る、、、、人間のイトナミとしては本質的に等価だと思いますから。

 政権交代によって、あるいはその他の変化によって、世の中があっちにいったりこっちにいったりしても、それでも尚も変わらないもの、それが本質的なものであり、それこそが日本の本来の姿だと思います。例えば、いまどき終身雇用も年功序列も誰も信じていないけど、だからといって日本の末端労働者の質が世界レベルにいい加減になったかというと、相変わらず真面目にやってますもん。質が落ちたとか色々言われているけど、世界レベルのいい加減さに比べたら全然。むしろ落ちたのは経営能力の方だと思います。人材育成という本質的なことをやらずに、逆に派遣労働に走り、都合のいいときに切り捨てるという安直な利潤に走ってるんだから。それはそれとして、昔よりもリターンが望めないにもかからず、目の前の仕事は真面目にやってしまうという誠実さが日本人の誇るべき美点だと思うし、それは変わらない。


民主党の方がより自民党的になった

 長くなったのでもう止めますが、最後に。
 これはものの見方の問題なのですが、今回、形式的には自民党が政権を失ったのですが、国民は相変わらず”自民党”を選び続けているという見方もできると思います。形の上では「自民党」を名乗っている団体が、自民党としての実質を失い、代りに民主党と名乗っている団体がより自民党になったという。自民党の魂が幽体離脱して民主党に行った、みたいな。

 民主党といっても、もともとの出身母体は自民党です。それに旧社会党やら民社党やらが合流している。鳩山氏ももともとは自民党のプリンスであり、”さきがけ”時代には自社さ政権を担ってました。市民運動上がりの菅直人氏だって厚生大臣やってたもんね(エイズ訴訟で一喝して書類出させたり、カイワレ大根食べたりしてたでしょ)。それに小沢一郎氏こそが、田中角栄直系の最も由緒正しい自民党DNAの継承者です。田中流のドブ板選挙をやらせ、チルドレン達に一日辻立ち50回のスパルタ教育を施し、今回の勝利のあとも挨拶回りを済ますまで東京に出てくるなと厳命するあたり、最強時代の自民党そのものです。また、農政に対する支給額の気前の良さにしても、自民党のお株を奪うような政策です。

 自民党がなんで強かったのかといえば、日本全国に張り巡らされたネットワークから土着の意見を吸い上げ、日本全国のあらゆる階層、あらゆる業界の利益(都市部のサラリーマンを除く)を代表し、そして族議員というエリアの超専門家集団を擁し、党内での熾烈な派閥争いを通じてその時々の日本の利益分配のバランスを取っていたからだと思います。思想とか、特定の支持団体に拘束されていないだけに、ある意味では無節操であり、ある意味では自由にバランスが取れた。癒着も腐敗も山盛りあるけど、でもトータルとしていえば、やるべきことはやっていた。そこが強みだった筈です。ところが郵政選挙でボロ勝ちしてから、そのあたりの基本が薄れていったのでしょう。でもって、気がついたら民主党の方が自民党らしくなっていた。だから勝ったという見方です。

 まあ、いろんな見方は出来ると思いますし、いろいろな要素がごちゃ混ぜになっているのでしょう。だから、変わったんだけど、あんまり変わってないような、変わってないから不満かというと別にそうでもないという、、、、最初の方にあげたオーストラリアの新聞の表現「変わりたいけど変わりたくないから変えた」みたいな感じになるのでしょうか。

 しかし、自民党という個別政党がどうあれ、また自民党的な=日本的なものが変わらないとしても、権力の中枢が適宜変わる、今後も変わるかもしれない、強制切断+リセットして全てやりなおしになるってことが、これからも起きるかもしれないというメンタリティが定着していったら、日本の10年後、20年後はちょっと面白くなるかもしれませんね。






文責:田村




★→APLaCのトップに戻る
バックナンバーはここ