今週の1枚(09.08.17)





ESSAY 424 : のりピー騒動/壮大なお約束? 〜覚醒剤は何故いけないのか?




 写真は、Darlinghurst。Cityに接し、Kings CrossとSurry Hillsにはさまれたこのエリアは、シドニーでもっともトンガってるエリアで、クスリなんかやってて当たり前みたいなイメージがありますが、一歩裏に入ると昔ながらのテラスハウスが建ち並び、古い巨木がドーンとしてたりして中々雰囲気良かったりします。




 今週は特に書くことも決まってないので、久しぶりにブログみたいにダラダラ書きます。

 時事ネタでいえば、酒井法子容疑者の覚醒剤事件が日本で盛り上がっているそうですね。政権交代が予想される総選挙を間近にして一タレントの容疑で盛り上がるとは。で、気の付いたことをいくつか。

すぐに忘れられる薬物犯罪
 覚醒剤や薬物犯罪というのは結構皆さんやってます。芸能人なんか常連みたいなもので、その都度大騒ぎになるのですが、すぐに忘れる。調べてみたら、1977年には大麻系で芸能人が一気に60人以上も逮捕されています。60人ですよ、60人。井上陽水も逮捕されてましたね。それに比べればのりピーごとき。”ごとき”といっては彼女に失礼ですが、でも77年の井上陽水って神様みたいなものでしたからね。他に、岩城滉一、ジョー山中、桑名将大、 内田裕也、研ナオコ、上田正樹、内藤やす子という留置場で豪華番組が出来ちゃうような錚々たる面々です。翌年には勝新太郎がアヘンというクラシックな罪状で逮捕されてますが、勝先生はやっぱり偉大で、90年91年にも検挙されてます。全然懲りてない。あと年代省略していうと、清水健太郎でしょ(この人も2回)、美川憲一でしょ、尾崎豊でしょ、萩原健一でしょ、長渕剛でしょ、槇原敬之でしょ、桂 銀淑でしょ、岡村靖幸でしょ(この人は3回)、、、、芸能人と言っていいのかどうか中島らもでしょ、江夏豊でしょ、歌舞伎の中村銀之助でしょ、76年五輪で新体操に出場して一瞬国民的アイドルになった岡崎聡子は最高記録(たぶん)の5回というスゴイ記録を持っています。本当はこの2倍以上いますが、キリがないのでこのくらいにしておきます。一方、政治・ビジネス系でも、例えばトンボ鉛筆の会長であった小川洋平氏も逮捕されているのですが、この人執行猶予中にまたやってます。国会議員の小林憲司氏も逮捕されてます。

 こういった偉大なる諸先輩と比べてみたら、のりピーって別にそれほど大騒ぎするほどのことなんか?って気もしますね。そんなに大物だったの?30代40代のオジサンオバサンが久しぶりに名前聞いたわって感じじゃないのか。俺はそうだったぞ。「アジアで頑張ってるって話は聞いたけど、まだやってたんだ〜」って。

 しかし、まあ、騒いで貰えるうちが花ですよね〜。僕がやっても騒いでくれないだろうなあ。あなたが逮捕されたらニュースになると思いますか?実際、これ、イチから十まで茶番じゃないのって邪推もしたくなります。今一度日本にのりピーブームを巻き起こし、売れるための無料のパブリシティ。これ順当な手段で広告代理店使ってメディア戦略かけたら、数億円かそこらじゃきかないでしょ。それに、上の諸先輩方を見ていて分かるのは、薬物くらいだったらそれほど誰もポシャってないことです。井上陽水なんか、当時メチャクチャ騒がれただろうに、僕も知っていた筈だろうに、記憶があるような、ないような、、あなたは覚えてますか?尾崎豊も長淵剛も、そう言われたらそうだったよなって覚えているけど、だからといって大したダメージ受けてないような気がする。そりゃその直後は大変だろうけど、しばらくしたらナニゴトもなかったように推移する。人の噂も七十五日というけど、75日ってことはないかもしれないけど、1−2年で忘れられてるじゃないかな。少なくとも長期的に見るとダメージがない。ちょっと前の草薙君などは、ほんと75日って感じでしたね。それに内田裕也、勝新太郎、そして中島らもの諸氏は、やっていても何の意外性もないというか、「それも芸のウチ」くらいの勢いですから、ほとんど事実上ダメージなんかないのではなかろうか。既に故人になったらも先生なんか、あれだけ小説やエッセイで書いておいて「なんでそれまで捕まらなかったか不思議」なくらいで、むしろ捕まることで書いてることのリアリティのお墨付きを得たようなプラス効果の方が高いのではないかしらん。

 何の話かというと、逮捕されたとき、TVや新聞などマスコミに登場する識者や論者は、厳粛な顔で「芸能界の薬物汚染問題」を「まったく困ったものだ」「厳罰を」とか言ってるんだけど、あれって本当にそう思ってるのかな。ちょっと嘘が混じってない?偽善っぽくない?ってことです。心の底では誰も本当に悪いことだと思ってないんじゃないかな。もし本当の本当に「人間として許せない」と思ってたら、例えばオウムの麻原くらいに思っていたら、いくら何でも忘れないんじゃないかな?なんで上に列挙した大物達は復帰できているの?酒鬼薔薇少年が出所してきたときもちょっと話題になったから、人間本当にヒドイと思ったことは忘れないよ。だから、either タテマエ的に悪いと言ってる偽善者 or 真剣に悪いと思ってるけどすぐに忘れてしまう阿呆 のどちらかでしょう。で、どっちかといえば前者でしょう。実際、まあ、薬物犯罪は褒められたことではないにせよ、それが所持とか自己使用という末端ユーザー的立場だったら(自分で輸入・加工・販売して巨利を得ているとかいうならともかく)、脱税とか、交通違反程度の”悪さ”としてしか思ってないのではないか。


「皆が悪いと言っている」以外の本質的理由は?
 「そんなことないぞ、覚醒剤は重大な犯罪だぞ!」という人も多いでしょう。それは日本人が誇るべき健全な遵法感覚だとは思います。でもね、じゃあ聞きたいけど、なんで覚醒剤をやると悪いことなの?どうして?「皆が悪いと言ってるから悪い」というだけではなく、きちんとした根拠を聞きたい。「法律でそうなってるから」というのも理由の一つだけど、それも本質的ではないよね。法律が全て正しいと決まったわけでもないし、第一そうなら法律の改廃や改正なんて作業は不要でしょう。常にヴァージョンアップの余地はあり、常に本当にこれでいいのか?という問い掛けはし続けねばならないんじゃないでしょうか。

 かといって僕は覚醒剤を完全合法にせよなんて事を言ってるわけでもないし、言うつもりもない。ただ、是非善悪の判断というのは人間にとって一番大事なことなんだから、きっちり自分の頭で考え抜き、自分の魂からストレートにでてくるようにしておいた方がいいだろうということです。自分でもよく分かっていないこと、確信が持てないことで、周囲の尻馬に乗って他人様を断罪するのは、それは偽善的であると同時に、イジメの構造に連なっていき、ひいては社会の健康な自浄作用を阻害する。

 こっちの方が遙かに重大な問題だと思うのですよ。「よく分かってもいないのに(周囲に同調して)他人を批判する」というのは日本(あるいは人類)における諸悪の根源ベスト10に入る悪癖だと思うのだ。この愚劣な精神構造によって西欧では魔女狩りが起き、戦時中の日本では「勝てっこないから、もうやめたら」という当たり前のことを言うと非国民扱いにされ、行き着くところまでいってしまった。資本主義の弊害を是正するための労働者の権利を擁護するのは当たり前のことなのに、それを言うと戦前戦後を通じ「シュギシャ」「アカ」のレッテルを貼られ、そのノリが現在まで連なって、有給休暇を消化すること自体に罪悪感を抱かせるような風土になってる。話が大袈裟に聞こえるかもしれないけど、でも、こういうことって普段のレベルで気をつける以外に防ぎようがないのだ。いざとなったらもう手遅れになるでしょ。流れが出来てしまってからそれに反対するには、それこそ命がけの根性がいる。だからそうなる前に、どんな些細なことでも、「あれ?」と思ったら一応言ってみるって作業は無意味なこととは思わないんですけど。

 だから、敢えて問いかけるのですが、覚醒剤って何でダメなの?「法律でそうなってるから」「皆が悪いと言ってるから」以上の理由があるのか。やったら最後人間終わってしまう恐ろしいクスリだからダメだというなら、なんで上の人達は終わってないの?そもそも覚醒剤についてどれだけのことを知っているというのだ。多くの人達は見たこともないだろうし、やりたくたって何処で売ってるかすら分からない。


覚醒剤についてのあれこれ
 覚醒剤(および違法薬物)がなんで悪いのか?なんか司法試験の刑事政策の過去問みたいだけど、一般に言われているのは、@本人の健康をむしばむこと、A本人の生活態度の破綻を招き、ひいては家族や周囲を破滅に巻き込むこと、B健全な労働・生活習慣を阻害し、ひいては国を滅ぼすこと(アヘン戦争に至るまでの中国を想起されたし)、C他の犯罪を誘発する=ドラッグのお金欲しさに泥棒をするとか、暴力団の違法な資金源になること、などです。

 ほら、十分理由はあるんじゃないかって思うかもしれないけど、大人は疑り深いのよ。「本当にそうなの?」という検証をしないと気が済まない。@〜Bは基本的には同じ事で、要するに覚醒剤なんかやってると”ダメ人間”になり、ダメ人間が一人いると周囲や社会が迷惑するということに尽きます。いっときの快楽を追い求めて覚醒剤なんかに手を出して、のたくってるような人間は社会には要らないってことですよね。それはそれで、わかるような気もしますね。

 でもさ、上記の芸能人達もドラッグに手を出していて、それで仕事がダメになったり、周囲に迷惑かけたりしてたの?実害あったの?逮捕されてから、「え、あの人が!?」って場合が多いのだから、表面的には実害なかったんじゃないか。そりゃ仕事に穴を開けたり、性格が悪かったり、ワガママだったりってのはあるかもしれないけど、そんなの程度の差こそあれ誰だってそうだし、芸能人なんかストレス過多で性格悪くなりそうだし、第一そんなことは覚醒剤やってなくたって幾らでもある話でしょう。YOSHIKIのカレー事件とかさ(食べたカレーが辛かったというただそれだけの理由で怒ってコンサートをキャンセルして帰ってしまったというトンデモエピソード)。西欧圏は覚醒剤とは逆の作用である幻覚剤(コカインやLSDなど)が多いのに対し、日本では異様に覚醒剤が多いのですが、逮捕者の大多数を占める一般人の場合、一種の精力剤として利用していて、シャブを打ってバリバリ仕事!ってパターンが結構あるのだ。セックスが良くなるのと並んで、徹夜続きの仕事に耐えるためというのは、覚醒剤に手を出す二大理由だったりする。つまり、仕事をするために覚醒剤をやるという涙ぐましいことをしているのだとしたら、「覚醒剤に手を出してヘロヘロになる」とも言えないんじゃないのか?

 そもそも、覚醒剤をやったからっていきなり廃人になるようなことはないです。覚醒剤中毒や麻薬中毒になってヘロヘロになって、フラッシュバックが起こって前後の見境が無くなるまでかなり時間が必要でしょう。多くの人は、そこまでの経済的余裕が無かったりしますし、大体その前に芋づる式に捕まったりします。中毒になり、ドラッグ欲しさに経済犯(窃盗や強盗など)に走る点も取り締まる根拠の一つにされてますが、その理由だって、じゃあ億万長者だったらその心配はないからいいいのか?って変な話になりそうです。

 覚醒剤、というのは一種のグルーピングで、化学的にはフェニルアミノプロパンやフェニルメチルアミノプロパン、及びその塩類や含有物(僕が実務でやってたときはフェミルメチルアミノプロパン塩酸塩が多かった)の総称です。こんなものは自然界に普通に存在していなくて、人為的化学的に人間が作らないとならない。じゃあ一体誰がこんな物騒なモノを最初に作ったのかというと、普通の科学者であり(ドイツ、日本、アメリカ)、一般薬として市販されています。1933年のベンゼドリン(咳止め薬)、1938年ペルビチン(疲労回復)、日本では1941年に武田薬品がゼドリン、大日本製薬が有名なヒロポンという商品名で発売しています。販売競争ではヒロポンの方が優勢でした。そして国家がこれを大々的に使います。言わずとしれた戦争用です。とにかくシャブを食ったら元気になりますからね、大車輪で生産を上げねばならない軍需工場の作業員に配ったり、夜間視力が良くなることから猫目剤として夜間戦闘機隊員に配ったり、イケイケになるから特攻隊員に配ったり。これは日本だけではなく、西欧の軍隊でも同じようなことをしています。かなり時代が下ったベトナム戦争でもアメリカ軍でドラッグ中毒者が大量に発生して問題になってましたよね。

 終戦後、大量に残った軍需在庫のヒロポンがどっと闇市に流出して、いっときは焼酎一杯よりも安く売られていたそうです。このとき日本社会に広く覚醒剤が使用されたのですが(印鑑持って行けば薬局で普通に買えるし)、誰がメインユーザーになったかといえば、売れっ子芸人や、タクシーやトラックの運転手など長時間労働をする人達です。要するに「疲労回復」剤として、仕事のためのサプリメントとして重宝されたわけですね。ここに日本人の薬物犯罪の原型がみられます。ヘロヘロとラリるためにやるのではなく、バリバリと仕事をするためにドラッグに手を出すという。この文化は今もなお頑強に残っています。オロナミンCやリポビタンDに始まる各種滋養強壮剤、疲労回復剤は、今も日本ではガンガン売られていますし、ガンガン皆さん買ってます。僕はこの種のものが何となく好きではないので(高いんだもん)手を出してませんが、一本3000円とかそれ以上の高価なモノまで買っていく人は買っていきますよね。でも、これって日本の風景で、オーストラリアはあれだけスポーツが好きな国でありながら、この種のドリンク剤は殆ど無いです。レッドブルとかゲートレードとかあるけど、まあ、どちらかといえばポカリスウェットのようなスポーツ飲料に近い。日本に帰る度に、ドドドと並べられている強壮ドリンク剤を見て「うわあ」と思います。こっちの人に見せるための写真を撮りたくなるくらい。


 ところで、覚醒剤取締法違反の検挙人員の推移ですが、平成20年度犯罪白書の該当ページによれば、戦後に爆発的に多く(昭和26年の5万6000人)、その直後に激減、高度成長時はゼロに近いくらい少なかったのが、昭和45年から上向きになり、59年に2万4000人の第二ピークに達し、以後平成6−12年あたりに小山があるくらいで、漸減傾向にあります。最新統計の平成19年の検挙人員は1万2211人。第二ピーク前後には、国を挙げて大キャンペーンをやってました。「覚醒剤やめますか、人間やめますか」という名コピーとともに、覚醒剤という名前が国民のボキャブラリに登場し、覚醒剤というとてつもなく恐ろしい薬物があるというイメージが普及していきました。

 僕が検察庁での修習で覚醒剤事犯捜査現場に触れたのは、今から思えば昭和59−60年の第二ピーク時だったので、本当に普通の市井の人達がやってました。「営業上のつきあいで徹夜マージャンをやるなど身体がしんどかったので」「友人から”高いけどすごく良く効く精力剤がある”と紹介され、試してみることにしました」というパターンですね。自分の住んでる街の検察庁にいるから、自分の街の犯罪が(マスコミ報道を通さず)見えますので、一見平和に見えるこの街に、こんなにも犯罪が多いのかとショックを覚えたのを記憶しています。また、覚醒剤違反の容疑者というと、クスリでボロボロになった廃人のような人を想像してたのですが、実際に取調室で目の前にいるのはバリバリのビジネスマンだったり、好感の持てる礼儀正しい職人さんだったり、それも「そうなのか」と思いました。話は逸れますが、批判や欠点の多い裁判員制度ですが、普通の人がナマの事件をナマのまま(マスコミ的歪曲を通さず)見られる貴重な機会だと思います。モノの見え方がガラリと変わりますよ。


 しかし、上の客観的データーを並べて思うのは、いかに国家というのがいい加減かですね。戦争中はシャブを配給して戦争やらせてるんだもんね。国家が最大の麻薬シンジケートであるという。もちろんその当時には覚醒剤取締法違反の検挙人員はゼロです。だって覚醒剤取締法自体がないし(昭和26年制定)、もしあったら内閣総理大臣が首謀者として逮捕でしょう。そしていかに時代が違うと世界が変わるかです。いまどき、実は国家が最高の覚醒剤製造業者でしたなんて設定、どんな荒唐無稽なマンガだって思いつかないようなことが、ほんの数十年前まで普通に行われていたわけです。ということは、あと数十年したら、今当たり前だと思ってるようなことが荒唐無稽以上のファンタジーになってしまうこともありうるわけです。「ちょっと前まで日本人だけの独立国があったんだよ、君たちには想像もつかないかもしれないけど」なんて言ってるかもしれない。

 なお、戦後の検挙件数の推移を睨んで思いつきの仮説を考えると、高度経済成長時代にゼロに近いほど激減したのは何故かというと、やっぱり成長しているから仕事や人生が楽しかったのと、仕事はしんどくてもそんなに残らない「質のいい疲労」だったのかもしれません。それが昭和45年頃から上向きになるのは、高度成長が一段落してきて公害問題やオイルショックなど社会に陰りが出てきて、且つ仕事の疲労の質が悪くなった(後に残るような疲労)のかもしれません。ストレスって言葉がだんだん浸透してきたし。まあ、世相的なことだけではなく、資金源・シノギになるという暴力団の経営方針もあるのでしょうけど。あと昨今の傾向では、覚醒剤は横ばいないし漸減だけど、MDMAやマリワナなど覚醒剤とは逆の作用を持つ幻覚剤が増えているのですね。乱暴な言い方をすると、昭和45年までは日本人はハッピーだったのだけど、以後だんだん不幸になってきてクスリに頼るようになる。しかしその時点ではクスリで仕事というまだしも”建設的”な方向だったのだけど、だんだん人生諦めちゃったかのような退廃的な幻覚剤が増えている、、とかね。まあ、うがちすぎですね。


覚醒剤取り締まりの根拠の検証
 さて、以上のことを踏まえて、なんで覚醒剤を禁止するの?という命題に戻りましょう。
 @−Bの本人の健康・生活を破滅し、周囲を破壊し、ひいては国力を下げるという点ですが、それは確かにそうなんだろうけど、でもそれって別に覚醒剤や麻薬に限らないでしょう。よく引き合いに出されるのはアルコール、酒ですね。アルコールだって飲み過ぎれば肝臓壊すし、アル中になるし、家庭破壊を引き起こすし、アル中ばっかりになったら国力だって落ちるでしょう。アル中、アルコール依存症の患者は、現在日本で230万人程度と言われています。アルコール依存による身体への悪影響(脂肪肝、肝炎、肝硬変、胃炎、膵炎、食道静脈瘤、心筋症)や精神への悪影響(うつ病、不安障害、統合失調症、ウェルニッケ‐コルサコフ症候群、幻覚症、妄想状態、ニコチン酸欠乏脳症、小脳変性症、アルコール性痴呆、多発神経炎)などなど、決して軽視できない重大な健康被害があります。かたや覚醒剤の検挙人員などたかだか1万人ちょっと。アルコール依存症の方が200倍も多い。もうメチャクチャ人数が多いにもかかわらず、アルコールを犯罪にせず、覚醒剤を犯罪にするのは片手落ちではないかと。

 まあ、もちろんシャブと酒とは違いますよ。お酒は百薬の長とも言うし、適正に嗜(たしな)むなら何の問題もないし長所も多い。「夏子の酒」的な大事な伝統文化としての価値もある。覚醒剤は「ちょっとだけなら健康にもいい」なんてことはない(極めて限定された医学的処方=幼児のADHD(注意欠陥・多動性障害)などに有効例があるけど)。だから全然違いますよ。違うんだけど、アルコールそのものは規制しなくてもいいかもしれないけど、ひどいアル中は規制した方がいいんじゃないかという考え方だってあるでしょう。今はアルコールによって他人を害する危険が顕著な場合、つまり酒酔い&酒気帯び運転だけ規制してますけど、駅のホームや宴会で酔っぱらいに絡まれて不快な思いをしている人は多い筈です。かたや覚醒剤中毒者のために具体的に何らかの実害を受けた人っていますか?僕はないぞ。

 だからといって、僕はアル中罪や泥酔罪を作れとか言ってるわけじゃないですよ。一見当たり前のように見えながら、目の前にこれだけ歴然とある実害を放置し、それどころか放置しているという意識すらないのに、ほとんど実害らしい実害がないにも関わらず覚醒剤に手を出したというだけで人間失格みたいな口調で他人を批判するのって、素朴に考えたらヘンじゃないのか?って言ってるのです。別にのりピーを弁護するつもりはないのだけど、悪い悪いって何がそんなに悪いのって反発も感じるのですね。「皆が悪いって言ってるから悪いと思ってる」だけじゃないのか。それって頭悪すぎじゃんって。

 確かに、薬物の化学作用を用いて、本来自然であるべき人間の感情を、自分の意図する方向にねじ曲げるのは不自然なことかもしれません。そこに生理的な嫌悪感を抱いたり、本質的な忌避感を覚えるのは、ある意味ではとても健康なことでしょう。しかし、翻って考えれば、酒を飲んで気分をリラックスして一日の疲れを取るとか、落ち込んでるときに酒を飲んだり、宴席で皆で多幸感をシェアして連帯感を深めるとか普通に僕らがやってるようなことだって、「何らかの生化学作用を用いて、自分の意図する方向に自分の精神状態を変化させる」ってことに変わりはないでしょう。徹夜作業で眠くならないためにコーヒーを飲むとか、お茶を一杯飲んで気分を落ち着けるとか、ひいてはアロマセラピーだってお香だってそうだと言えなくもない。自分の精神や感情を「ねじ曲げる」といっては語感が悪いけど、普通、人間というのは、時にはママならない自分の感情や精神をコントロールしたいと思うものです。逆に、自分の感情は常に自分で100%コントロール出来ような人がいたら、そんな人、あんまり友達にはなりたくないですね。

 一方、習慣性や中毒性、アディクションが問題視されます。止めようと思っても止められない、それが問題だという。それも確かにそうなんだけど、だったらアル中だってそうだし、カフェインにも習慣性はあります。もっと言えばコーラや甘いものやスナック類にもあります。言うまでもなく煙草もそう。中毒を意味する英語は、なんたらホリックって言いますが、ワーカホリック(仕事中毒)もあるし、オーストラリアではチョコホリックなんて言葉もあります。いや、こっちはチョコレート食べる習慣が多いので僕もカミさんもクセになってます。相対的に安いし量が多いから、バリボリ食べてしまう。恐いですよ(^_^)。でも、そういった習慣性のもの全てが規制されているわけではない。だから、習慣性があるかどうかが規制の根拠、悪の根拠であるわけではないのですよ。良い習慣、例えば毎朝のジョギングも慣れたらハイになるから癖になるのだけど、だから規制しようとは思わないでしょう。クセになるかどうかは本質的な問題ではなく、やはりやってることの内容が、「刑罰をもって強制停止させるべき重大な害悪を発生させるか」という基準になると思うのです。

 ドラッグなんかラリってヘロヘロしているのは人間のカスだからって、ダメ人間ぶりがやり玉にあがったりもするでしょう。でも覚醒剤はヘラヘラしない。シャキッとする。それに仕事のためにやってる人はどうなる?という点もある。それに、「ダメ人間だから罰する」というのは、情緒的には賛同しやすいんだけど、だったらいっそのこと「ダメ人間罪」というのを作ればいいじゃんってことになるし、それって誰がダメかどうか決めるの?という問題になり、ひいては「非国民罪」やら、ナチスの優生思想につながる。そりゃダメ人間見てると腹立ちますよ。僕の方があなたよりもムカムカするタチかもしれない。でも、それを延長していくと本当にヤバいことになる。個人のレベルでムカついてる限りではいいですが、犯罪など公的に規制したら、ニート罪、落ちこぼれ罪、パラサイト罪、ホームレス罪、失業罪に発展し、さらには「同僚の迷惑を考えずに有給休暇消化した罪」「社内の宴会に出席しない罪」「盛り上がってるのに一人だけカラオケ歌わない罪」、、、とめどが無くなる。早い話が個人的に気にくわない奴を、犯罪の名の下に痛い目に遭わせて溜飲を下げる「正義をカサに着たイジメ」が横行し、日本社会の風通しの悪い鬱陶しさを何倍にも強化するだけになる。一億総鬱病になるよ。やめた方がいい。ブーメランのように自分に返ってくるから。

 もちろん覚醒剤はよくない習慣でしょう。惑溺して生活や人格が壊れる可能性があります。しかし、「○○に過度に惑溺して身を滅ぼす」ようなことは幾らでもあります。典型的なのは女(男)。女で身を滅ぼしたとか、男運が悪いとか。だからといってセックスを禁止するわけにもいかんでしょう。半分冗談で書いてますけど、でも犯罪生成過程における男女関係の影響というのは結構強いですよ。痴話喧嘩の果ての刃傷沙汰なんて分かりやすいものだけではなく、男(女)に貢ぐために会社の金に手をつけたり。

 良くない習慣に惑溺といえば、最大の矛盾難問といわれる賭博があります。ギャンブルにのめりこんだときの生活破壊度の凄まじさは、ある意味では覚醒剤の比ではないですよ。だから賭博罪という犯罪がキチンとあるんだけど、一方で禁じておきながら、他方では競馬や競艇、競輪などの公営ギャンブルをやっているのですね。カジノを作ろうという動きも年がら年中ある。これは大きな矛盾であり、古来あれこれ正当化の理由がつけられているけど、これを正当化するのは、憲法9条の「自衛隊は軍隊ではない」というレトリックよりも厳しいです。でもある。厳然としてある。これはどうなんだ?って。


本当の理由と改善点
 さて、あれこれ並べて書いてきましたが、「じゃあ、お前はどう思うのか」と言われるでしょうから、僕の意見を書きます。

 司法手続論としては、まずドラッグを使って儲けている側と、末端ユーザーとに分けます。前者は厳罰で臨めばいいと思いますが、後者はむしろ被害者的立場も併せ持ちます。覚醒剤でいえば、自己使用罪、(自己使用目的)所持罪については、刑罰というトリートメントが唯一に有効な対策だとは思いません。自己使用における「罪」、それも人間的な罪は何かというと、”弱さ”でしょう。悪いと思っていながらも、ついついやってしまうその弱さ。これは誰でも持ってます。ダイエット失敗、日記三日坊主、英会話三日坊主、禁煙失敗、、、その弱さが罪だというなら、僕も、そしてあなたも何らかの点で有罪でしょう。でも、いくら弱いのに共感可能だとしても、そこには自ずと限度があり、「さすがにそれはダメよ」というケジメがいる、だから厳しい刑事手続やお説教や社会的制裁によって、「ああ、ヒドイ目にあった、もう懲りた」と思ってもらおうということです。

 実際に、これは弾力的な運用ということで実務で行われています。覚醒剤自己使用の初犯だったら大体執行猶予がつきます。ケジメのために起訴猶予にはしないけど、いきなり実刑というケースは少ない。あえて刑務所に送らなくても、それまでの過程で事実上十分に処罰されているし。これを「甘い」と言う人もいるだろけど、そういう人こそ現状認識が甘い。本質的には一般人である自己使用初犯者を下手に刑務所に送らない方がいいのだ。ムショ帰りのレッテルを貼って社会復帰を困難にする必要はないし(結局社会から締め出して再犯に向かわせるだけだし)、刑務所というのは”犯罪の大学”ですから、中に入るとその道の先輩達から「上手な犯罪のやり方」を教わってしまい、人脈までできてしまう。だから迂闊に入れない方がいい。

 ということで、司法手続面では基本的に現行どおりでいいとは思います。
 より広く立法論とか政策論でいうなら、懲役という自由刑の他に、弾力的でソフトな保護観察を最初から付せるようにした方がいいかなとも思います。例えば、事実上執行猶予と同じなんだけど、向こう5年間月に一回出頭して尿検査を受けることを義務づけるとか。また、これはファンタジーなのかもしれないけど、禁煙におけるニコバイトのように、覚醒剤を使用すると気分が悪くなるような薬剤というのは開発できないものでしょうか?中毒症状を絶つというのが最大の課題ですから、そこに切り込むわけです。同じように覚醒剤の中毒作用を緩和する医療的なトリートメントとか。覚醒剤の一種であるフェニルアミノプロパンは、アンフェタミンとも呼ばれ、日本では薬剤として禁止されているけど、世界的にはナルコレプシー、多動性症候群、体重抑制のために処方される場合もあります。覚醒剤の薬理作用はドーパミン取り込みと再取り込み阻害による中枢神経刺激ですが、これには耐性があり服用量が増える傾向にあります。したがって、医療用処方においては退薬を助ける場合に他の薬を処方するらしく、だとしたら依存症緩和の措置というのはまるっきり不可能ってわけでもなさそうです。まあ、これらのフラッシュアイディアがどれだけ実現可能なのか分かりませんが、いきなり懲役か執行猶予かという二者択一ではなく、もっと選択肢の幅は広げたり、きめ細かな措置の可能性は常に検討されて良いと思いますね。

 あ、あと麻薬シンジケートの撲滅については、外国組織との関係がキーポイントになりますから、世界的な取り組み(コロンビアやメキシコの組織など)と連携し、参考にすることでしょう。それとお役所の縄張り意識みたいなものは何とかならんのでしょうかね。つまり警察庁と厚生労働省(いわゆる麻取、麻薬Gメンと呼ばれる麻取取締官)の現場における非協調的体質、さらに警察内部での縄張り(警察庁と警視庁、警視庁の中での本庁と所轄、各所轄間)。そういった不毛な競争を助長するような警察内部のカルチャー。このあたりは「新宿鮫」でも読んでください。それと、大元を捕まえないと意味がないので、組織の内情を自白証言したら罪を軽くするというアメリカ的な司法取引も検討したらいいかもしれない(今の日本では公式には認められていない)し、アメリカの証人保護システムも積極的に導入したらいいと思います。でも、まあ、このあたりは僕がここで言うまでもなく、現場の人達が日々考え、頑張っていることでしょう。潜入捜査官なんかもう命がけの仕事ですよね。部外者である僕らがなすべきは、これら現場努力に対する外野支援であり、その支援は、正しい知識と深い理解によってなされると思います。

 さて、より根本的な問題、なぜ覚醒剤は「悪いこと」なのか、なぜ処罰しなければならないか論ですが、この点については以下のように考えます。身体に悪いとか、中毒性があるとか、耽ってヘロヘロするとか、いろいろな理由がありますけど、さんざん書いてきたように、これらは覚醒剤に限らず、合法的な日常生活においても幾らでもあります。それにですね、人間の偽らざる生理、本音でいうと、”悪いこと”の方が気持ち良かったり、楽しかったりするんですよねー。それを根こそぎ禁止したら、それこそ皆で刑務所か修行僧のような生活をしなきゃいけない。酒も煙草も清涼飲料も女(男)も宴会も全部ダメ。毎晩9時には就寝、朝の5時起床。インターネットも研究用のみ許される、、、そんな社会に住みたいですか?

 人間にはバランスが必要なんでしょう。緊張があれば緩和しなきゃいけない。日頃真面目にコツコツやってたら、たまにはバカ騒ぎをして憂さを晴らしたいだろうし、悪いと知りつつやってしまうような悪癖の一つや二つ飼ってないとやってられませんよ。だから、人類の歴史において、生存のためのカロリー摂取というソリッドな必需品の他に、無くても別に死にはしない、むしろない方が健康になるような”嗜好品”というものが登場するわけです。習俗においては祭礼という”ハレ”の日を設け、無礼講にし、その日はフリーセックス状態にするとか、酒文化、煙草文化、アルカロイドなどの植物性麻薬文化は昔っからどこにでもあります。だから、この種の下らないこと、悪いことは、人間が人間としてバランスを取るためには、一定限度必要なことだと思うのですね。

 だから、僕らはある程度他人が下らないことをやっていても、それは優しく笑って理解してやる必要がある。あんまりギチギチ縛らない方がいい。そこで最も大事なのはバランスでしょう。長い目で見て自分でバランスが取れるのであれば、それはそれでいいです。若気の至りでみすみす不幸な恋愛にはまりこんで、後で泣くような目にあったとしても、長い目で見ればそれはそれで意味があるのだと。問題は本人の努力ではバランスが取れなくなるような物事です。バランスを失うと人は人生を失います。人生には「流れ」というのがあって、一旦Aになったら、まずBになり、さらにCになり、一旦破滅スパイラルに落ち込むと、もはや超人的な努力でもしない限り元に戻らなくなる。本人にとって不本意な人生になるという不幸もあるし、家人など周囲の被害も甚大です。

 ある程度のところまでは自由にやらせておいて、それを越えたら強制的に遮断するようなシステムがあってもいいと思います。一方では、身を滅ぼそうが何だろうが、それは本人の人生なんだし、それこそ自己責任であって、国家があれこれ世話するものではないという議論もあります。死にたい奴は死なせておけ、と。これは、国家のパターナリズム(家父長的干渉、よかれと思って行うお節介)をどれだけ認めるか?という古くから議論されている領域です。

 大人の国家であればあるほど、原則自由にする傾向があります。公園のようなもので、広い芝生で何をやろうが自由。あまりあれこれ言わない。しかし、これはヤバイという部分、例えば気づきにくく即座に死を招くような危険な断崖絶壁には柵を設け、多少ヤバイ程度だったら警告の看板に留めると。そのあたりが国家社会の匙加減なのでしょう。何に干渉し、何を自己責任にして放置するかは、お国柄というのが出ます。

 欧米ではギャンブルが広く認められており、カジノや競馬がそうであるように、上流階級の社交場になってたりします。ただ同時に、ギャンブルは人間の射幸心(一発当てたろという気分)という弱点を煽り、その弱点につけ込んでギャングが稼いだりしますから、そこは国家で規制する。公営ギャンブルが認められるのは、必要悪のコントロールという文脈でしょう。オーストラリアでもカジノはありますが、同時に、行政レベルによる賭博中毒者に対するカウンセリングサービスやリハビリプログラムがあります。これは日本でもやったらいいと思いますし、夫が賭博狂になって生活を破壊するというような場合、近親者の申立により強制的に受講させるようなシステムはあってもいいでしょう。

 オーストラリアの事情でいえば、煙草に対しては、もう麻薬以上に目の敵にしてるんじゃないかと思われるくらい厳しいです。公共建造物での一律禁煙とか、酒場ですら禁煙です。そして煙草の値段が一箱1000円と異常に高いうえに、さらに2000円に一挙に倍にしようという話すらあります。禁煙のためのホットラインなど、リハビリプログラムも多いです。だからといって喫煙罪はないのね。犯罪にしようということではない。しかし、これは僕は常軌を逸してると批判的に見てます。そこまでせんでも、という。これって、多分にスポーツオタク・健康オタクであるオーストラリア人の習性もあるんだと思いますね。でも、麻薬でもマリアナくらいだったら事実上放任に近い(一応禁止はされている)です。こちらでドラッグといえばコカインとかヘロインなどの洒落にならないキツイやつです。

 酒についての規制は最近厳しいです。事実上泥酔罪があるかのように、酒に酔ってのトラブルは厳罰です。酒場での暴力沙汰が増えているということで(日本人から見たら飲み屋で”オモテに出ろ!”とかよくある風景なんだろうが)、もうムキになって撲滅しようとしてます。州レベルの法制ですが、泥酔者に酒を出したら罰金、そのための研修を受けないと働いてはいけない、さらに深夜になったらパブではガラスのコップはダメでプラスチックにしなければならない(凶器になるのを防ぐ)、さらに定時的にお酒を出さない休憩タイムを設けるなど、これも僕の目からみてたら、やり過ぎというか、子供じみてる。

 他の点で、欧米が厳しく日本が甘いのは、ポルノ規制です。こちらのポルノは日本のようにモザイクがかかってたりすることはないのですが、その代り普通に街を歩いていて目に付くということは、そんなにないです。日本では、コンビニでも本屋でもいわゆるエロ本系がうなりをあげています。久しぶりに帰国すると、「うわー、すげー」って思っちゃいます。繁華街の風俗店の看板とかも結構キワドイですよね。こちらもストリップティーズとか普通にありますけど、ネオンサインでも抽象的な女の子がダンスしてる図柄くらいで、そんなにリアルなものはないです。あと、ペドフェリアと呼ばれる幼児ポルノは、覚醒剤の何十倍もの重罪感があります。外国で少女買春した同国人を逮捕起訴したりするし、ネットポルノを密かに調べて一気に数十人規模で一般ユーザーを家宅捜索し摘発したりしています。そのあたりはメッチャクチャ厳しいですよ。

 このようにお国柄によって、イケナイ事のバランスの取り方は様々です。

 さて、では覚醒剤はどうかというと、やっぱり僕もヤバイと思いますね。酒や煙草、ギャンブルに比べて何が悪いかというと、一つには効果がありすぎる点です。効き過ぎる。効くということは、ハマりやすいということでもあり、これでバランスを取るのは難しい。第一バランスをとろうと思っても、よほど厳密な医学的処方でもしない限り”適量”というのがないし、耐性獲得が非常に速やかなので使用量がすぐに増える。傾斜がきつい。こんなに強力すぎたら普通の人間だったらバランスが取れないし、そもそもバランスなんて無い。「適正にたしなむ」という領域が乏しい。ここまで取り扱いが難しかったら、やはりダメなのではないかと。これが僕の思う覚醒剤規制の実体的根拠です。

 もう一度言うと、人間には適度にイケナイ事が必要だ、それなくして心身のバランスは取りにくい、だからバランスこそが大事だ、でも覚醒剤はパワフル過ぎるのでバランスが取れない、ゆえに禁断の果実として禁止した方がいい、というロジックです。つまり、「イケナイからイケナイ」のではないのですね。繰り返しになりますが、人間、適当な”悪いこと"は必要であり、子供が火遊びをすれば、大人も火遊びを楽しみたい。それを全て禁止することは出来ないし、しない方がいい。そんなことしても、禁酒法時代のアル・カポネのように裏社会がのさばるだけです。どこまでが「ま、いいっしょ!」という線引きかというと、それは国により時代により様々だけど、花火や爆竹程度の火遊びだったらまあいいけど、手榴弾とか地雷になったらダメだという。あんまり面白すぎるのはダメ。効果ありすぎるのはダメ。つまりは「洒落になるか・ならないか」だと思うのですよ。で、覚醒剤は効果ありすぎるし、コントロールが難しすぎるから、「洒落にならない」ものとしてダメだと。で、あんまり効かない覚醒剤、すぐに止められる覚醒剤だったらいいわけです。だから覚醒作用のあると言われるカフェインとか、強壮ドリンクはOK。あれは効かないからこそ合法なのね。


 次に覚醒剤事犯のうち自己使用(所持)というユーザーに対する社会の態度ですが、殺人とか窃盗のように人道上の罪を犯しているわけでもないので、居丈高に攻撃するのはどうかと思いますね。確かに法を犯したのであるから、それなりの制裁は加えられるべきだろうけど、それは僕やあなたがヤイヤイ言わなくたって、警察、検察、弁護士、裁判官、刑務官などその道のプロ達が粛々と職務を遂行しますよ。それでいいじゃん。それ以上の社会のリアクションとしては、ダメなものはダメというケジメは必要だから節度ある非難は良いにしても、なんでダメなのかやっぱりちゃんと分かってないとならないでしょう。

 例えば自分の子供や友人がやっているのを止めるときに何といって説得するかです。「法律で禁じられているからダメ」って理由だけなら、往々にして説得力ないよ。だってさ、日本人、法律守らないもん。自転車で歩道走るし、車庫証明デッチ上げるし、選挙になると住民票移すし”実弾”もらうし、談合するし、違法建築するし、契約書もちゃんと読まないし、就職協定守らないし、残業手当出さないし、領収書二枚に切ってもらうし、出張旅費誤魔化すし、会社のネットで私用メールするし、備品のボールペン家に持って帰るし、捨てちゃいけないところにゴミ捨てるし、どこが遵法意識なんじゃって。第一、そんなに法律に興味ないでしょ?

 やっぱり善悪を言う以上、それもエラそに他人様に言う以上、それなりに説得力ってものが必要でしょう。説得力がないと何でアカンのかというと、効果がない以上に逆効果があるからです。自分が悪いことをして叱られた子供時代を思い出して欲しいのですが、悪いのは悪いで分かってるけど、そーゆー言い方されるとムカつくってことがあったでしょう。一皮剥いたらただの保身、ただの虚栄心という薄っぺらなタテマエだけの正義を振りかざされても、人は納得しないよ。「伝統ある我が校の名誉」とか、「お母さん恥ずかしいでしょ」とか、そんな理由で怒られたってピンとこないし、目の前の人間がただの偽善者にしか見えない。保身に汲々としているクソ大人にしか見えない。「けっ」と思うし、この次はバレないようにしようと思うだけだわ。

 さて、のりピー話に戻りますが、わかってやってんだから、大人としてそれなりにケジメはつけるだろうし、プロの司法手続においてイヤでもつけさせられるでしょう。でもって、それだけ。それ以上とやかく言う必要もないし、報道してもらう必要もないです。年間1万件以上ある、交通事故死者とほぼ同じくらいの数の、ありふれた覚醒剤事件であること以上でも以下でもない。

 大体、今、そんなことやってる場合なのかね。総選挙に集中した方がいいと思うけどなー。だって、今度の選挙って、もし政権交代が起きたら、戦後の日本史上初めての民主的で本格的な政権交代でしょ?戦後のドサクサで社会党政権(片山内閣)が一瞬出来たくらいでしょ。細川政権もあったけど、あれももとを質せば小沢一郎による自民党の分裂でしかないしね。今回のように最初から二大政党があって、それで堂々と選挙によって政権が動くというのは、戦後日本のパラダイムの変容が起きるかどうかというレベルの出来事でしょう。自民党長期単独政権がもし終わるとしたら、それも賞味期限切れという自民党に内在する理由で終焉を迎えるなら、それはある意味では日本が日本でなくなること、そのくらいの体質変化の可能性があります。それはすっごい興味があります。選挙結果如何を問わず、なぜ自民党がこれまでのような日本支配が出来なくなったか?です。全国各地に散在する小ボス→中ボス→大ボス→政治家と、補助金や公共投資による所得再分配機能という、日本の骨格と代謝構造そのものが変わるってことでしょ。静かで大きな地殻変動ってことでしょ。日本人のライフスタイルの全てがその構造の上に乗っかってたんだから、その意味はデカいですよ。それはもう不景気とか、麻生首相が不人気とか、そんな表層レベルの現象ではないですよ。だから、その実体が知りたい。興味ある。だもんで、のりピーには悪いけど、あなたのことにかまってるヒマはない、のではなかろうか?違うのかな。


補足〜芸能界
 のりピー騒動で思ったのは、これって結局メディアの自作自演というか、本来的に報道価値が低いものを、ことさらに集中報道することによって幻想の価値を生み出し、これで夏枯れの時期に仕事しようって魂胆じゃないの?と。筒井康隆の「俺に関する噂」で書かれたように、報道価値があるから報道するのではなく、報道するから報道価値が生まれるという逆転現象でしょう。相変わらずよね。まーねー、皆さんもショーバイですから、ま、頑張ってくださいって感じですか。思うに、国民ってそんなにバカじゃないから、結構醒めて見てると思うんだけど。

 それともう一点、草薙君のときも思ったけど、芸能人にモラルや規範を求めるのは間違ってると思いますね。あの人達は、昔っから人間世界の外にいる”河原者”であり、異形の人達であり、遊んでなんぼの芸人であり、狂ってなんぼの芸術家です。常識や良識に縛られず自由な創作をするのが仕事。それによって良識に縛られて窒息しそうになってる僕らの人間的なサムシング、人前には出せないドロドロした欲情であったり、抑圧し続けてきた鮮烈な感情を打ち震わせ、救済するからこそ存在意義があるのだ。芸というのはそういうものであり、いわば僕らがバランスをとるための嗜好品であり、アルコールのように一種の必要悪ですらある。その芸術表現が優れ、人々のハートに強いインパクトを与えるものほど、そこには何らかの狂気と毒が含まれており、その毒性は時の良識からは厳しく批判される。歌舞伎役者がそうであったように、ロックミュージシャンがそうであるように、”良識”が眉を顰めるようなものにこそ生命力がある。狂気と毒のない芸なんか優秀な芸じゃないとすら思う。

 一言でいえば、芸人というのは職業的に優秀な狂人でしょう。だから、間違っても青少年に対するロールモデルなんかならない。その芸能人に対してロールモデルを求めるかのような論調は、これはおかしいと思いますね。だかといって芸人は皆変人だというつもりもないし、アーティストが円満な人格者であっても矛盾はないです。むしろ一芸に秀でている人は、人間的な何らかの高みと深みに達しているでしょう。しかし、彼らの真骨頂は、人間が裡(うち)に秘めたる真実=狂気を引き出し、これを鮮やかに表現するところにあるのだから、彼らが最も彼ららしく光っている瞬間というのは、もう殆ど狂人のそれでしょう。鬼と化しているでしょうし、鬼にでもならなかったら到底到達できないような地点まで行ってるからこそ価値がある。でも、それって健全な社会生活と両立するかというと疑問だし、功成り名を成し遂げてからならともかく、バリバリやってる頃なんかイっちゃってるでしょう。だから、ロールモデルなんかにしちゃダメ。皆がアーチストになって、サラリーマンやってくれる人が居なくなったら世の中コケちゃうよ。で、アーチストでない一般人である我々に対しては、「よい子はマネしちゃダメだよ」というキャプションこそつけ、ロールモデルなんぞになろう筈はないし、期待すべきでもない。

 それに、芸人や芸術家に対する評価はひとえに芸であり作品でしょ。他に何があるんだ。それはマドンナのように自らをスキャンダラスに仕立て上げ、貪欲にそれを栄養に替えていくような”存在そのものが芸”ってのもアリだし、清純なイメージで幻想を振りまくのも”芸”だし、そのイメージが壊れるようなスキャンダルで大騒動を持ち上げて人々の暇つぶしの話題を提供するのも、これまた"芸”だと思います。だから電撃結婚をして世間を騒がせ(喜ばせ)、電撃離婚でまた世間を騒がせ(喜ばせ)というのも、彼らにしてみれば"芸”であり仕事であったりする。だからこそ、一定限度のプライバシー侵害をも許容され、持ちつ持たれつ状態になってたりするわけでしょ。

 のりピー騒動も、ぜーんぶ分かって、お約束としてやってるんでしょ。芸として、仕事として、皆さんやってるのでしょう。「こまったもんだ」と批判して、その芸の成立に「参加」しているんだったらいいです。全ては壮大な茶番であり、お約束なのだ。全ては演じられているファンタジーなんだよって百も承知で、嘆いたり憂いたり批判したり謝罪会見をやったりするなら、いちいち目くじら立てるほどのことでもない。そして、多分にそういうところはあると思う。もっともな顔をして”良識的”な糾弾をし、深刻な顔をして謝罪をし、涙を流して”反省”し、しばらくしたらナニゴトもなかったように元に戻ると。予定調和ですわ。

 しかし、それはそれで、「なんだかなあ」と思う部分もあります。大の大人がよってたかってそんな茶番にうつつを抜かしていていいのか?って気もするのですよ。離婚だ、痴話喧嘩だってレベルだったらいいんだけど、なんていうか、そんなヒマツブシみたいな芸で天下国家の法制や犯罪をオモチャにするなって。それって、子供達からみたら「嘘ばっかりの大人の世界」を演じてるわけで、そんなにスッパリ直感的に見抜かれているでしょう。客観的に見たら薄汚いっすよ。

 もっと深刻な懸念は、これがお約束とか茶番じゃない場合です。なんか、茶番だと思わずにマジに受け取ってしまっているかのようなノリがちょっと見受けられたりして、僕の気のせいかもしれないけど、、、でも本気で大人がこういう問題を議論するなら、人体に対する薬理作用の詳細とか、薬物濫用の真の実害は何かとか、法規制のあり方とか、社会復帰プログラムの改善点とか、国家のパターナリズム(良かれと思ってのお節介)の限界はどこかとか、シリアスな問題が山積みされているんだから、もうちょっと真面目にやれって気もします。

 なんか遊びでやってんのか、本気でやってんのかよく分からんところが妙にイライラするのでした。あ、それと、大勢に逆らわないような論調ばかりなのが気にかかります。「覚醒剤の何が悪い?身の破滅だろうが何だろうが本人の勝手だろ?自己破滅が罪なら自殺罪や自殺未遂罪を作れ」とか面白い意見が聞こえてこない。不謹慎?そんなことないよ。国家のパターナリズム(過干渉)という重大な指摘を含んでいるのだ。そもそも不謹慎であってもいいじゃないか。なんつーか、「ヘンなこといって皆に批判されたくない」的な、小心翼々たるな自己保身的な傾向が強くなってるような気もするのですね。「碧いうさぎ」などの廃盤、販売中止とかさ、ふざけんな!って思いますよね。そこまで世間や大勢に媚びるか?そこまで事なかれに徹するか?なんつーか、意見の多様性に対するトレランス(許容度)がないというか、ほんと、小学校の教室のように、目立ったら虐められるみたいな。そこもイライラしますね。どうしてこんな状態なのに政権交代という画期的なことが起こりそうなのか、そのあたりにこそ興味はあります。




文責:田村




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