今週の1枚(09.07.13)





ESSAY 419 : 世界史から現代社会へ(78) 中国(4)  チャイナ・リスク(1) 政治システムに関する問題点




 写真は、Woolwich(Hunters Hillの先っぽ)にて、シティを臨みつつ悠然と浮かぶペリカン君。シドニーにペリカン君はけっこう普通にいます。





 現代中国シリーズの4回目です。

 日本でも、中国に経済進出していってヒドイ目にあった日本企業や駐在日本人の話、あるいは毒入りギョーザをはじめとする安全衛生を軽視する体質が報道されています。しかし、それだけではないというか、そんなものはほんの氷山の一角です。中国の問題点やリスクは山ほどあり、むしろ問題になっていない部分が無いといってもいいくらいでしょう。ワイルドな国です。もっとも、海外がワイルドなのは何も中国に限った話ではなく、これまで見てきた中南米や中央アジア諸国のワイルドさに比べたら、中国のひどさが別に突出しているわけではないのですが。

 中国の問題点は、それこそチベット問題や台湾問題、人権問題、反日デモ、政府の腐敗、、、など多岐にわたりますが、断片的に指摘してもキリがないので、整理しながら順次みていきましょう。


チャイナリスクの根源にあるもの

 真っ先に挙げられるべきは、未だに共産党の(事実上の)一党独裁体制が続いていることです。政治は共産+経済は資本主義という一国二制度を謳っているわけですが、透明で民主的な政治システム+資本主義経済という世界スタンダードにはなっていません。共産主義というのは、理想はともかく実際に適用される場合にはファシズム的な様相を呈しますし、理論的にも”革命”が進行中なわけですから、中央政府による強権的な「なんでもアリ」システムでもあるわけです。ということは、法律に書いてあろうが、事前に握手をして契約を取り交わそうが、事情が変わればいきなり戦車がゴゴゴと出てきて踏みにじられるかもしれないということです。

 現代中国シリーズになって何度か指摘していますが、人口13億人以上の集団を一本に統制しようというのが土台無理な話というか、メチャクチャ困難なのだと思います。中国リスクの全ての根源はそこにあるのではないでしょうか。世界で最も民主主義も経済も進んでいるのは北米と欧州ですが、どっちにしたってせいぜい人口3億規模です。しかし、その3億ですら問題山積みです。発展途上エリアになれば尚更。国内でテロ、ゲリラ、クーデターが頻発する中南米諸国が、全部まとまって一つの国を構成し、うまく廻らせようとすれば気が遠くなるくらいのステップを踏まないとならないでしょう。

 それを思えば、13億人の中国が、歴史的伝統的な中華という枠組みがあるとはいえ、まがりなりにも国らしき体裁を整えるというだけで、途方もない腕力が必要とされるのは想像に難くないです。戦後の中国は毛沢東のカリスマ支配とその末期症状の文革で、殆ど宗教団体のような洗脳をおこなって国としての体裁をキープしてきました。その後、改革開放経済になるわけですが、13億人の怒濤の潜在エネルギー自体は変わっていないわけですから、ダムをのようにせき止めなければならない。それなりの政治的剛腕、端的に言えば暴力&恐怖政治が必要とされるわけですが、これを外部から見れば、国の動きそのものが予測しにくいということです。何か問題が起きたとき、討論と多数決という民主的手続で是正することが難しく、また法律やガイドラインをいくら事前に研究しようが容易にひっくり返されかねない。

 思うに巨大な統治をしようとした場合、権力者はアメと鞭を使い分けないとならないわけですが、鞭は投獄、処刑という峻厳な刑罰であり、アメに相当するのはポピュリズムです。無責任な大衆にテキトーに迎合することです。一番簡単な迎合と人気取りは、ナショナリズムの喚起であり、政権基盤がヤバいな弱いなと思ったら、周辺諸国に喧嘩腰で臨み、そのタカ派的言動が「頼りになるリーダー」として大衆の人気を得る。これはどこの国でも同じです。今のイスラエルもそうですし、チェチェンを派手に叩いて大統領になったロシアのプーチン、911テロを利用して再選を果たしたアメリカのブッシュ、日本だって北朝鮮に強硬姿勢で臨んで首相になった阿倍ちゃんがいますよね。中国も同じでしょう。ヤバいな〜と思ったら、外国を叩く。そうだ日本を叩こう、反日運動を盛り上げよう、屈辱の日帝支配を思い出せ!てなもんでしょう。靖国参拝したら鬼の首でも取ったように罵倒し、暴徒が日系企業は襲撃しても当局は知らんぷりしたりします。で、「そろそろかな」と思ったら、あっというまに恐怖の粛清を行い、すみやかに鎮火させてしまう。

 それもこれも権力者が権力を維持するテクニックではあるのですが、政治というのは難しく、権力者個人の私益(自分が権力者でいたいという)を優先させると国益は阻害されます。ブッシュによってアメリカは世界の嫌われ者になりましたし、中国でもあんまり強面をやりすぎると「中国恐い」「ムチャクチャだ」という反中感情、中国脅威論を周囲に撒き散らし、投資が減ったりして結局は大損です。そのあたりは万国共通なのですが、ただ共産主義独裁という問題は、それを矯正する分りやすい手段が無いということです。どういう時に権力者が失脚したり、政権を失うかというと、それは選挙の結果ではなく、共産党最高指導部の長老達から「あいつはやり過ぎだ」と言われたときだったりします。天安門事件のときも、総書記という最高権力者である筈の趙紫陽ですら、長老達のIの一声で失脚させられ、その日のうちに身柄を拘束され、以後死ぬまでの15年間公的な場に出ることすら許されなかったわけです。形式上とはいえ最高権力者ですらこの有様ですから、透明性から程遠いです。

 こんな政治プロセス、外部からは全然分りませんよね(だからこそCIAやスパイという職業が成り立つのだけど)。基本的には北朝鮮と同じで、奥の院で全てが決まります。まあ、永田町の奥の院で決まってしまう日本も他人のことは言えないけど、それでも総選挙の結果や支持率によって首相のクビがポンポン飛ぶだけずっと開かれてはいます。この点、さすがに民主制の本場である欧米は強くて、アメリカがブッシュ政権で暴走気味になったらなったで、きっちり次の選挙で対極に立つオバマが選ばれています。つまりは復元力がある。あれだけマッチョな軍事国家ぶり見せつけた超大国が、わずか10年もしないうちに180度路線が変わるという。だからこそ、アメリカは恐い国だと思います。すぐにヤバそうになるのだけど、復元力があるから転覆はしない。しぶとい。

 以上、恐怖によって秩序が維持され、権力者の気まぐれと自己保身によって国の方向が左右される国は、基本的には未熟であり、おっかなくて枕を高くして眠れないということです。中国も、経済老師のケ小平から江沢民政権になった時点で(おそらくは権力基盤を強化しようと思ったのだろうか)強硬姿勢を取りますが、胡錦涛、温家宝政権と続くにつれソフトになっていきます。軟着陸を目指しているのでしょうが、それでも根っこのところにある原理は同じですから、不気味さは残ります。人口13億の飢える民を食わせるための政治システムとはいいながら、このシステムの根本ドグマそのものがチャイナリスクの根源になるのだと僕は思います。

人権思想・法治主義の軽視

 政治プロセスの不透明さからダイレクトに派生する問題としては、人権(を軽視する)問題、司法問題などです。中国は法治主義ではなく昔ながらの人治主義だとよく言われますが、西欧で生まれた近代啓蒙思想の洗礼を十分に受けていません。

 現在、日本にいる我々は民主主義や人権尊重ということを最高価値とする社会システムにいます。それがいくらタテマエ、空疎な美文に聞こえようとも、一応そういうことになっています。「しょせんキレイゴトさ」「誰も信じちゃいないよ」とシニカルに構える人もいるかもしれないけど、でも日常的に誰彼構わず「民主主義なんか無視した方がいいんだ」「人権なんか踏みじればいいんだ」って言えますか?入社試験の面接でもそう言えますか?自分の子供がそういう人権シカト人間に育っていくことが”喜ばしい”ことですか?自分の家族が交通事故にあっても、「おまえらには人権がないから賠償金なんか払わない」と言われてしまう状況が理想的な社会ですか?次の総選挙で自民党が大敗しても麻生政権が降板せず、自衛隊に治安出動を命じて戒厳令を敷き、反対する国民を処刑するってのもアリですか?こーゆー反社会的なコンセプトは、マンガの敵キャラやパンクロックの歌詞には出てきても、これを選挙で訴えて当選するってことはまず無いでしょう。なんだかんだ言って僕らは民主主義と人権尊重を当然の前提として生きています。シニカルになったり不満を抱いたりするのは、その方向性が間違ってるからではなく、むしろ現実がそのとおりになっていないからでしょう。

 じゃあ、なんでそうなっているの?一体いつからそうなったの?なんでそうなの?というと、ルネサンス以降の近代人権思想、啓蒙思想にまだ遡ります。結局なんだかんだ言ってこの世界には人間しかいないのであり、一人一人の人間が尊重されること以上に重要な価値は存在しない、という大命題を打ち立て、どんな力(国家や権力)によっても個人の尊厳を踏みにじることは許されず、国家や社会という制度は究極的には個人の尊厳をより効率よく守るためにのみ存在し、その逆はない(国家が存在するために人を犠牲にすることは許されない)。これが人権思想ですよね。次にこの社会をマネジメントしていくうえで、どういうやり方が一番弊害が少ないかといえば、皆で話し合って皆で決めるのが一番いいだろうということになります。これが民主主義。もちろん民主主義も穴の多い制度で、馬鹿ばっかり集まれば馬鹿の多数決で破滅に向かいます。衆愚政治ですね。それでも阿呆な王様に全権を任せるよりは遙かにマシ。なぜなら絶えず軌道修正することが出来るからです。王様だったら死ぬのを待つしかしないし、それがイヤなら暗殺、謀反、クーデター、革命という荒っぽい手段しか残されていない。軌道修正をする度に人が大量に死ぬのはシステムとして欠陥だから、やっぱり民主主義が最高(というより”最も被害が少ない”)システムだということになってます。

 さて、なんでも皆で話し合えばいいといっても、数の暴力で少数派を迫害したり出来るわけですから、そこにまた歯止めは必要。幾ら皆が決めてもこれだけはダメという最低ラインを決めます。これが憲法であり、憲法に反する法律は無効とされます。つまり人権思想があるから民主主義が考案されると同時に、民主主義の行きすぎを制限するのも人権思想です。さらに現実の行政執行レベルにおいては、いかなる権力の発動(国民が嫌がっても強制できる)も全て法律(皆で決めたルール)に従わねばならない、担当者や周囲の感情で勝手にルールをねじ曲げてはいけないという法の支配、法治主義という原則が出てきます。そして、あらゆる権力手続は 法の手続どおりにやらねばならず(デュープロセス)、これを逸脱することは許されない。だからこそ、警察が人を逮捕できるのも一定の場合に限られ、基本的には裁判所がチェックして逮捕状を出さないとならず、しかも身柄を拘束できるのは48時間に限るなどなど厳格な規定がなされています。

 ここまでガチガチに法律やルールで縛り付けるのも、基本的に人間の判断を信用していないからです。人間は感情的になりやすいし、最も優秀な人間であっても過ちは犯す。見込み捜査で逮捕し、拷問して自白を引き出し、死刑にしたあとに、実は間違ってましたとなったら取り返しがつかない。故に何重にも法律によってセーフティネットを敷いているわけです。

 長々述べたのは、僕らが当たり前に感じているシステムの原理を知ることによって、その原理が貫徹していない(法治主義ではない)社会の恐さを知るためです。法治主義であるからこそ、僕らは法律(システム)をよく知って、それを守ってる限り、基本的には”不意打ち”を食らうことはない。ある日突然黒い服を着た人達がやってきて、自分や家族を拉致し、問答無用でその日のうちに処刑されてしまい、何の説明もない、、、なんてことはない。定められている必要書類を持って行けば、役所では受け付けてくれます。担当官の気分次第ということもない。だから安心していられます。これを法的安定性といいますが、ちゃんと生きていれば(国家による)理不尽なダメージを被ることがないという。まあ、日本においても、実際には100%完璧にはいってませんよ。別件逮捕や公務執行妨害のデッチ上げやら、許認可権限の濫用やら利権や汚職やら日本にだって幾らでもあります。あるんだけど、一応形式的には「いけないこと」だから刑事訴訟や行政訴訟で争う余地はあるし、マスコミに訴えて報道されもします。

 こうやって二重三重に法治主義で縛っていても、尚、現場では次々に破綻が出てくるのであるとしたら、最初から法治主義で縛ってなかったらどうなるか?想像するのも恐ろしいです。一番の恐怖は「理屈が通じない」ことです。昨日までOKだったのに、一夜明けたらダメになって、理由を聞いたら「理由はない」でもいいんだから。まあ、実際にはそんなことが毎日自分の身に降りかかるってことはないでしょう。いくらやりたい放題だからといって、一銭にもならないのにトラブルを招くようなことはしないでしょうし、積もり積もれば暴動も起きます。適度の節制はあるとは思いますが、しかし、本質的にいざとなったら理屈が通用しないというのは恐怖でしょう。


表現の自由の制限
 表現の自由は民主主義には絶対不可欠のものとされます。考えてみれば当然の話で、皆が話し合って決める、選挙で代表者を決める民主主義においては、”みんな”の判断の前提になる情報が狂ってたらそれまでです。大本営発表のように政府に都合の良い情報ばっかり流してたら、それは政府も安泰でしょう。だからこそ、政府というものはナチュラルに情報統制をしたがります。これは権力者や政府が悪党の巣窟だからなのではなく、人間というのは自分に都合の悪い話は聞きたくないし、知られたくないです。寝小便をした子供がそれをひた隠しにするようなもので、誰だってそういう部分はある。だからこそ第三者からの公正で、時として辛辣な批判はバランスを取るために必要であり、その情報の流通(表現の自由)を阻害してはならないという原則が出てきます。

 しかし、最初っから民主主義が錦の御旗になってなかったら、表現の自由もまた弱くなりがちです。中国がまさにそれで、日本では憲法21条2項で「検閲は、これをしてはならない」となっており概ね守られているのですが(教科書検定など問題点はあるが)、中国では検閲アリです。バリバリやってます。「麻生首相は総理の器ではない」なんて書こうものなら、事前に当局からピーっと笛が鳴ってイエローカードを渡されかねない。Reporters without Borders(国境なき記者団)による世界報道の自由度ランキング2008年度版によると、中国は世界173カ国中167位という凄まじい評価をされています。ちなみに日本は29位、オーストラリアは28位です。

 中国のマスコミは、新華社、人民日報、中国中央電視台が御三家なのですが、いずれも政府を公然と批判できず、御用マスコミ状態にあります。経済開放下で続々と小規模のマスメディアが出てきましたが、これらも政府の監視を受けるのは同じです。したがって売り上げの伸ばすためには下世話なスキャンダル記事とかスポーツ新聞的な方向にいかざるをえず、民主主義を守る方向には機能していません。民主主義の最大の弱点は、国民が馬鹿だったら衆愚政治になって機能しないことです。

 一般論的に思うに、悪意と愚かさ、善意と賢さは親和性があります。悪意のプロバイダ(供給者)は消費者が愚かであってくれた方が都合が良く、善意の供給者は消費者が賢くないと成立しない。例えば金儲け主義の医師がいたとして、彼が効率よくお金を儲けるためには消費者(患者)が愚かであってくれた方が都合がいいです。大した意味もない検査を大々的に実施し、不必要な投薬をジャンジャンやって儲ける。初動で有効でない治療をするから症状が悪化する。沈痛な顔で入院を勧め、さらに儲ける。優秀な医師は、まずもって問診に力を入れ、患者の顔色や脈でトータルの健康状態を洞察し、検査は必要な部分に抑え、副作用や依存性の強い投薬を避け、そして酒を控えろといった類のお説教をします。ヒマがあれば入院患者のもとを訪れ、雑談をし、じっと手を握って励まします。患者の健康という意味ではこれがベストなのだろうけど、検査も投薬もしないから儲かりません(問診料の保険点数は微々たるものだし、入院患者との雑談は無報酬)。かくして優秀な医師は貧乏し、無能な医師ほど儲けるという逆転現象が起きるのですが、愚かな消費者(患者)は、立派な大病院を信頼し、たくさん検査や投薬をして貰う方を好むから、結局悪貨が良貨を駆逐することになる。以上はカリカチュア(戯画化)した図式であり、必ずしも実態とは違いますが、パターンとしてはお分かりでしょう。民主主義も同じ事で、不特定多数の総意で物事が決まる場合、構成員がどれだけ賢いか、愚劣かで運命が決まるということです。もし為政者が私益を追及しようと思えば、国民は阿呆であってくれた方が都合がいい。だから鋭い批判をするメディアを弾圧し、国民を愚かな状態にキープしてくれるようなスキャンダル系の低次元な報道や番組を黙認する。

 しかし、昨今のご時世では大手マスコミやメディア以外に、インターネットという強力なツールがあります。僕個人はインターネットというのは過大評価されているキライがあると思うのですが、検閲をやってる政府当局からしたら恐怖の存在です。なんせ大手マスコミ数社だけだったら圧力を掛けて言うことを聞かすのは簡単ですけど、ネットは数億人が利用しますから、いちいち摘発していられません。それどころか中国政府の威光なんか全然届かない海外では批判し放題です(要するに今僕が書いているようなものですが)。そしてネットを経由してそういった事柄が中国になだれこんでくる。ということで、中国の表現の自由問題はネット規制問題になっていきます。

 そのため中国においては昔からせっせとネットの規制をやっています。ネット規制に関する各条例は数十に及び、一説によると数万人規模のネットポリスが日々ネットをサーフィンし、不都合な書き込みを削除したりして頑張っているそうです。もちろん、こういった地味な人海戦術的な手作業だけではなく、その方法はどんどん巧妙になっているとされます。例えば日によって検閲の度合いを変えたり(世界的に検閲問題が注目されるようなときは検閲の手をゆるめていかにも自由にやってるように見せかけるとか)。

 技術的なものでは、金盾(ジンドゥン)というネット検閲システムがあるそうで、巨額の費用を投下して国家プロジェクト並にやっています。その方法はあまりにも技術的すぎて解説を読んでもよく分らないのですが、例えば、特定のIPアドレスをブロックしたり、特定のサイトを表示させないように選択的DNSの書き換えを行い、アドレス名の解決をさせないとか、パケットフィルタリングやHTTPプロトコルに細工をするとか様々です。しかも、ブラウザ上では「検閲によって削除(拒否)しました」とかいう分りやすい結果が表示されるのではなく、404ファイル不存在表示や、より無害なコンテンツを捏造して流したり、一見すると検閲されているとは気づきにくいような芸の細かさです。まあ、国家プロジェクトですからね、そのくらいはやるでしょう。

 このネット規制問題は中国国内の問題に留まらず国際的にも論議を呼んでます。なぜなら中国に進出しているGoogle、Yahoo、Skype、さらにマイクロソフトなどの外資企業も関係してくるからです。これらの企業は中国でビジネスを展開する際に中国政府の要請を受け入れ、何らかの形で検閲システムに協力することになりますが、検閲に助力して利益を挙げるのは企業モラルとして許すべきではないという議論もある一方、不完全ではあってもネットインフラが普及していくことが長期的には中国の民主化に寄与するのだという意見もあるそうです。確かに難しい問題でしょう。

 このあたりの問題は突っ込んで調べたら面白そうな領域です。国境なき記者団などの国際的な人権組織は警鐘を鳴らしていますし、Googleなどの外資企業の行動をさらに監視する動きもあります。一方、中国の国内的には本当にこんな規制に効果があるのか?というレベルでの興味もあります。中央政府が旗を振っても、地方行政段階で無視されていたり、施行しようとすると役所間や地方VS中央の縄張り争いに発展してグチャグチャになってたりというトホホなレベルの実情もあるそうです。後でも述べますが中国特有の賄賂カルチャーや利権も絡んできそうですね。一方、純粋技術的にはネットを100%検閲するのは不可能で、ファイアウォール外のプロキシ迂回を使えばアクセス可能とか、もっとマニアックなハッキングとか幾らでも出来そうです。一方、弾圧が厳しいほど燃えるジャーナリスト達も沢山いるわけで、投獄覚悟で不正で弾劾している中国人達もいます。このマダラ模様、人間模様は幾らでも小説のネタになりそうなのですが、そんな作品、既に出ているのでしょうか。

 ネット規制の問題は、検閲に限らず、また中国に限らず、ポルノ規制や個人のプライバシー保護など論点は多々あるのですが、ここで留意すべきは、中国では未だに堂々と検閲が行われているという点です。21世紀の、そして先進国の仲間入りをしようとする国で未だに堂々と検閲をやってるというのは、考えてみたらスゴイことです。チャイナリスクは、進出企業の苦労話や毒入りギョーザなどでいろいろ語られていますが、しかし、民主制が建前的にも貫徹していないとか、検閲が公然と行われていることに比べたら、そんなことは枝葉末節に過ぎないと思います。なんせ社会の根幹、ベーシックなDOSレベルが狂っているのですから、あとは何が起きても不思議ではないですよ。毒入りギョーザに驚きながらも検閲については無関心というのは、水虫やニキビについては心配しながらも、ガンの告知を受けたことには無関心であるようなものです。ギョーザで一つ驚くなら検閲で百驚くべきでしょう。


宗教の自由の制限
 ソ連がそうであったように、共産主義下においてはあらゆる宗教は非合理的な迷妄として弾圧される傾向にあります。共産主義自体が一種の宗教みたいなものですから、他の宗教はライバル宗派であり”異教・邪教”扱いされるわけですね。しかし、一方では民族のカルチャーに根深く結びついているので弾圧しすぎて民衆の支持を失っては元も子もないので、そこはテキトーに妥協します。中国でも、一応、信仰の自由はあります。中国の憲法でも保障されています。しかし、戦前の軍国日本にも憲法はあり、人権規定もあったのですから、根幹DOSが非民主的だったら幾ら憲法で保障しようがあんまり意味がありません。中国の信仰の自由も、「共産党の指導に従う限り」というカッコ付きの自由であり、普通そういうものは「自由」とは呼ばない。

 中国の場合、信仰の自由で問題になるのが、ダライ・ラマで有名なチベット仏教であり、法輪功であり、キリスト教です。特に中国全体がレッドゾーンにトチ狂っていた文化大革命時期には徹底的に迫害されたそうです。そして、程度の差はあれ、今なお弾圧は続いています。

 法輪功の弾圧問題については、正直なところよく分りません。中国政府の見解によれば、法輪功は日本のオウム真理教のような危険なカルト集団であり、信者にマインドコントロールを施し、世上不安をもたらす危険な組織であるから、”適切な”対策が必要だということになってます。法輪功側の主張によれば、気功を用いた健康法に過ぎず、中国政府によって苛烈な弾圧を受けているということになります。平均的な日本人的感覚は、中国不信&宗教不信ですからどっちもどっちで、どうしたもんか?って感じですけど、それが単なる健康法であれ、不穏なカルト集団であれ、政府の弾圧はスゴイものがあるようです。投獄者数万人、獄中での拷問や虐待で殺された人が3000人もいるという指摘もあります。南京大虐殺と同じ話で、正確な実数は不明なのだけど、全くゼロということはないでしょうから、それなりにやっているのでしょう。

 問題は、なぜそこまで中国政府はナーバスになるのか、アムネスティなど世界の人権組織や政府を敵に回してまでそこまでやる必要があるのか、です。結局は数の問題なんでしょうね。中国政府のいう”治安”とは、共産党の安定支配のことですから、これを揺るがすほどの勢力に育つ可能性のあるまとまった数の集団は脅威なのでしょう。共産主義という一つの思想、一つの色、一つの権威で社会が染め上がり、その単色性によって成り立ってるような社会の場合、別の色が出てくると単色性が壊れ、ひいては支配の構造が壊れてしまうのが恐怖なのでしょう。蟻の一穴というか、ウィルスのようなもので、どんどん伝播していくのが恐い。これも一人や二人だったらまだしも、数百人数千になると地方レベルで暴動を起こすだけの勢力になり得ますし、そういうことが起きると「なんだ共産党政府も大したことないじゃん」という雰囲気が全土に広まり、そして、、、という恐怖絵図があるのでしょう。法輪功の場合、世界中の信者の数は公称1億人ですから、とんでもない規模です。1億人というのが100倍法螺だったとしても、なお100万人もいるわけで、これだけいたら恐怖でしょうよ。毛沢東だって、最初は十数人で始めたんですからね。

 現在の中国で共産主義という純然たるイデオロギーを信じている人なんかそうそう居ないでしょう。だって実態は全然共産主義じゃないんだもん。あるのは、共産党という名前をつけたエリート集団です。このエリート集団が中央集権構造で全土を牛耳っているわけで、大事なのは共産党の権威であり、支配の正当性です。彼らにリードして貰うのが一番良いのだと皆に思ってもらうことでしょう。改革開放でだいぶ色は薄まったとはいえ、尚もファシズム的な単色支配でしょう。だからこそ検閲もできる。でもちょっと考えたら胡散臭い支配なわけで、本当にエリート支配の自信があったらバリバリ自由にしたって良さそうなものなんだけど、本気に自由にしてしまったらどう転ぶか分らない。かといって実験してみるわけにもいかない。苦しいところだと思います。

 権力者の権威というのは、いつでもそうですが一種の”魔法”みたいなもので、このスペルバウンドがかかってる間は皆も言うことを聞いてくれるけど、権威が失墜するのも一瞬です。「なーんだ」と思われたら終わり。教室の担任教師の権威が失墜したら学級崩壊が起きるし、それはどんな人間集団でも同じです。日本の江戸時代に260年にわたって圧倒的な権威で支配をしていた幕府の権威も、幕末ではわずか数年で地に落ちてます。イタリアのムッソリーニだって、あれだけ熱狂的に支持を受けていたのに、最後には民衆によって処刑され逆さ吊りにされています。

 だからこそ、自分達の”魔法”がきかない集団、別の権威原理で動いている集団が恐いのだと思います。数の恐怖といいましたが、数だけではない。囲碁愛好会の会員が1億人いたとしても別に恐くない。恐いのは全人生、全生活レベルで別次元の権威体系を持つ集団です。なぜなら、こういう集団は優秀な軍隊になりうるからです。死を恐れぬ集団は最強の軍団ですからね。だから恐い。恐いから弾圧する。人が最も残虐になり、攻撃的になるのは恐怖にかられたときです。ゴキブリは恐いから、出てきたらもう偏執的にまで攻撃します。ソファーを押しのけ、タンスの裏を覗いてまで、死ぬまで殺虫剤を執拗に吹きかけます。でもハエや蚊は恐怖が少ないから駆除しそこねても舌打ちするだけで、悠然としている。それが人間心理なのでしょう。また、別系統の権威体系を叩き壊すには徹底した恐怖を与える必要があるから、あえて残虐な弾圧をする。それこそ顔の形がグチャグチャになるくらいやる。

 ただし、そこまで弾圧する必要が本当にあるのか?という疑問はあります。人道的云々はおいておいても、政治的テクニックとして逆効果ではないかと。少なくとも世界の人権集団を敵に回しますし、こういうことやってたら世界の一流先進国クラブに入れない。それに法輪功に対する弾圧の苛烈さは、中国のエリート支配層の恐怖感情の裏返しですから、「ふーん、そんなに恐いんだ」と足元見られるリスクもあるでしょう。

 ただ、この問題は一筋縄ではいかないです。あとでも述べる予定だけど、中国人の気質は伝統的に政府を信じていないし、個人主義が強いといいます。その意味では同じ北東アジア人である日本人よりは西欧人に近い。一人一人の戦闘エネルギー値が高い。こういった”やんちゃ”な国民が13億人もいたら、それを統治しようと思ったらどれだけの剛腕が必要なのか、1億ぽっちの日本人にはなかなか感覚的に想像できない。ましてや人口2000万ちょいのオーストラリアには分らんでしょう。僕としては、「そこまでやらんでも」と思うけど、それはアマチュアの意見であって、プロ的には「そこまでやらねばならん」のかもしれません。分らんです。

 チベット仏教への弾圧は、宗教問題に加えて少数民族問題でもあるし、もっとメジャーな国際的関心を惹きつけています。これも書きだしたら長くなるし、普通に知られているので、ここでは指摘だけに留めておきます。

 キリスト教ですが、カトリック350万人、プロテスタント1000万人といわれ、相当な勢力ですが、登録し政府の統制下におかれています。具体的にどういう統制を行っているのかはちょっと分りませんでした。でも、統制下ではない=登録していない、地下教会というのがあるらしく、この信者総数が(例によって不明ながらも)数千万とも1億とも言われています。中国政府はバチカンと国交を結んでいないので、バチカン系の教会は非合法になるらしいです。詳細はよくは分らないまでも、現在人口の7%から10%の中国人がキリスト教に帰依しているようですし、共産党幹部のようなエリート支配層に広がっているようです。メジャーなキリスト教はカルト化してないので(優秀な軍隊になりえないので)、それほど激しい弾圧をしているようでもなく、むしろ中国政府としてはバチカンとの関係修復など、ソフトランディングを図っているとも言われています。要するに全てにわたって要領を得ないのですが、昔は結構弾圧されたけど、最近はそうでもないこと、また人口比でいえば日本よりもはるかにキリスト教的傾向が強い社会になっているとは言えそうです。日本のキリスト教信者数は、これまた正確な数に諸説あるのですが、1%とも3%とも言われていますが、10%内外ってことはないですからね。


 以上、中国の問題点、今回は国のシステムの根幹原理というベーシックな部分を書きました。根幹に問題があれば、それが周辺の枝葉にまで波及するのは理の当然であり、次回以降はそのあたりをみていきます。



過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/西欧史から世界史へ(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/西欧史から世界史へ(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/西欧史から世界史へ(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
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ESSAY 348/西欧史から世界史へ(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/西欧史から世界史へ(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/西欧史から世界史へ(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/西欧史から世界史へ(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/西欧史から世界史へ(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/西欧史から世界史へ(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/西欧史から世界史へ(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
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ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/西欧史から世界史へ(その34) 〜世界大戦前夜(2)  中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/西欧史から世界史へ(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/西欧史から世界史へ(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/西欧史から世界史へ(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/西欧史から世界史へ(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/西欧史から世界史へ(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/西欧史から世界史へ(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/西欧史から世界史へ(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/西欧史から世界史へ(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
ESSAY 395/世界史から現代社会へ(その59) インド(1) アーリア人概念、カースト制度について
ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
ESSAY 398/世界史から現代社会へ(その62) インド(4) インド経済の現在
ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン
ESSAY 402/世界史から現代社会へ(その65) バングラデシュ
ESSAY 403/世界史から現代社会へ(その66) スリランカ
ESSAY 404/世界史から現代社会へ(その67) アフガニスタン
ESSAY 405/世界史から現代社会へ(その68) シルクロードの国々・中央アジア〜カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン
ESSAY 406/世界史から現代社会へ(その69) 現代ロシア(1)  混沌と腐敗の90年代と新興財閥オリガルヒ
ESSAY 407/世界史から現代社会へ(その70) 現代ロシア(2)  発展の2000年代とプーチン大統領
ESSAY 408/世界史から現代社会へ(その71) 現代ロシア(3)  チェチェン紛争の迷宮
ESSAY 410/世界史から現代社会へ(その72) 現代ロシア(4)  チェチェン紛争の迷宮(2)
ESSAY 411/世界史から現代社会へ(その73) 現代ロシア(5) 王道のロシア文学
ESSAY 412/世界史から現代社会へ(その74)  現代ロシア(6) 北方領土
ESSAY 413/世界史から現代社会へ(その75)  中国(1)  ケ小平と改革開放経済
ESSAY 415/世界史から現代社会へ(その76)  中国(2) 誰が一番エライの?〜中国の権力メカニズム
ESSAY 417/世界史から現代社会へ(その77)  中国(3) 中国における都市と農村の地域格差


文責:田村




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