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ESSAY 417 : 世界史から現代社会へ(77) 中国(3)




 写真は、シドニー大学のキャンパスの中です。ちょっとヨーロピアンな風景だったりします。季節はちょうど今と同じ頃。





 現代中国シリーズの3回目です。今回は、よく指摘される中国国内の地域格差の激しさについてです。
 どこの国でも地域的な格差はあるものですが、中国の場合は格別に激しく、構造的であり、且つ是正されるどころかむしろ拡大しており、それは農村の貧困問題に留まらず国家全体に波及していると言われます。なにがそんなにヒドイのか、なぜそうなっているのか、解決の目処はあるのか、そのあたりを見てみます。

 なお、今回の教科書として、甲南大学の青木浩治、藤川清史両氏がお書きになった「現代中国経済 10中国の地域格差」を参考にさせていただきました。この章に限らず、よくまとまっていて参考にしています。オススメ。


毛沢東→ケ小平への180度転換
 本来共産主義国である中国に”格差”というものがあってはならないはずです。格差を是正して万民が平等になろうというのが共産主義なのですから。実際、共産主義思想に忠実だった毛沢東時代では、均富論という思想のもと、全国一律の賃金制度などを導入して出来るだけ格差がつかないようにやっていましたし、実際にも殆ど格差らしい格差はなかったそうです。それがケ小平の改革開放経済のもと、180度方針転換をした先富論のもと、中国国内に大きな格差というものが生じてきます。

 格差ということに関して言えば、毛沢東時代の方が良かったのですが、しかしそれは「皆仲良くビンボー」という意味での格差是正だったわけです。現代中国編第一回でも述べましたが、毛沢東の大躍進政策は見るも無惨な失敗におわり、数千万という途方もない単位の人々が餓死したと言われています。仲良く貧乏どころか、仲良く飢え死にしてしまうという。これではアカンということで、文革の暗黒期を脱したあと、ケ小平が経済改革を始めたわけですね。

 もっとも、毛沢東の大躍進政策の失敗は、なにも格差是正&均一主義だけが悪かったわけではなく、拙劣な農業技術や悪しき官僚主義、不運な気象状況など原因は多岐にわたります。しかし、根本的な発想部分が馴染まなかったという恨みはあったでしょう。各地域によって特性がそれぞれ違うのですから、経済発展のパターンも違ってきます。地の利(交通の便)、地の恵み(地力や自然環境)によって発展しやすいところとしにくいところがあります。同じ農業をやるにしても土地が肥沃なところもあれば栄養分が少ない土地もあります。交通の利便性のあるところは流通や商業に向いているでしょうし、辺境地帯はやはり難しい。計画経済においても、これらの各地の特性に応じて産業や役割を分散させることは可能ですし、むしろそれこそが無駄のない効率的な経済ということで共産主義の強みとすらされていました。

 しかし、それほど中国全土をきれいに分業割り当て出来るのか?という問題があります。農業・工業ともに不向きであるという土地もあるでしょう。「土地が農業に向かないから工業ね」といって割り当てたところで、割り当てのための割り当てみたいになってきて、あまり合理性がないということもあるでしょう。特に工業の場合は規模の経済というものがありますから、まとめてせーので作った方が効率がいい、関連設備や部品製造なども出来れば集まっていた方がやりやすい。あちこちに中途半端な規模の工場を林立させても全体の経済効率は良くなりません。特に毛政策は「大而全、小而全(大きなモノも小さなモノも全部ある)」というワンセット主義でやったものだから効率的配置という意味ではさらに離れていきます。第二に、経済成長というのは生き物のようなもので、刻々と変化していきます。例えば、沿岸部が港湾という輸出における地の利を生かして発展するにつれ、商談に訪れる人々のためのホテル産業が伸びたり、外資系の人々との間で通訳や翻訳需要が出てきたりします。そういった需給変化に対応するには、党中央部での年数回の企画会議くらいでは到底追いつかないのでしょう。第三に、最初から均一のゴールを設定していたら、働いても働かなくても収入は一緒ということでモチベーションも下がってしまう。やはり、ある程度ナチュラルに発展させてやり、且つ原動力も人々の自然な私利私欲にまかせておいた方がうまくいくということでしょう。つまりは資本主義です。

 ケ小平がやろうとしたのは、こんな餓死者がゴロゴロするような状況で「皆均等に」とかいってても共倒れになるのがオチであり、とにもかくにも最も経済発展しやすそうな条件の整っているエリアで経済発展をうながし、それらが機関車役になって全体を引っ張っていってもらおうということでしょう(「はしご政策」というらしいです)。戦略としては間違ってないと思います。「双軌制」といって国内においても経済発展を特に促すエリアとそうでないエリアとで大きく規制を変えています。そうなれば事柄の性質上、地域格差というものは絶対に生じます。むしろ生じなかったら失敗なくらいです。

 ところで、地域格差が生じるのは、何も中国の専売特許でもなんでもなく、およそ経済成長というものを経験しているあらゆる国家社会に共通する現象です。日本だってそうだし、台湾や韓国でも同じことが生じています。しかし、これらの国々では経済成長が軌道に乗るとともに地域格差はどんどん減少していきました。中国の場合は国が巨大なので、途方もない地域格差が生じてしまい、しかもその差はなかなか埋まりません。

 では、経済成長によって地域格差はどのようなメカニズムで生じ、そして日韓台ではなぜそれが収縮していったのか、考えてみたいと思います。

経済成長と格差発生のメカニズム
 ケ小平は、経済発展の条件が整っている東部沿海部に優先的に優遇措置を講じました。典型的なのは経済解放区です。経済政策を仔細に見ていくと、経済だ工業だということでいきなりバンバン工場を乱立させていくという、頭の悪い力任せな手法はとっていません。貧しい状態から徐々に向上していくには、まず農業を充実させ、収益性を高め、資本を蓄積して工業化していくという計画になります。なぜかというと、工業化というのは単に工場を造ればいいというものではない。植物を育てるためには土壌+日光+水分が必要であるように、工業化するためには、膨大な投下資本、工場で働く大量の人々、そして製品を買ってくれる市場が必要です。つまり最初から人口が結構いて、しかも工場で働いてくれて、給料を貰ってモノも買ってくれるという条件が必要。どうしたらいいかといえば、結局農業になるのですね。もともと農業に適した地域をさらに改善し、生産性を向上させれば、資本も貯まりますし、余剰人口というのが生じてきます。農業の機械化を進展すれば、これまで10人でやっていた田植えを一人で済ませられるからです。そうすると残りの人々が工場に働きに行ける。そして、皆の所得水準もあがってモノを買ってくれるようになり、マーケットが育っていく。

 中国の場合、長大な河川の河口地帯が肥沃なデルタ地帯として農業に適していました。揚子江流域(上海、江蘇省南部、浙江省北部)、黄河流域(山東省)、広東省の珠江デルタ地帯などです。まあ、大きな川の河口エリアが農業に適し、その土地が発達していくのは古代エジプトのナイル川からそうでしたよね。これに対して上流部や内陸部は、あまり農業には適していないとされています。たとえば石灰岩が多いカルスト台地が中国内陸にあって、有名な観光地である桂林などは、墨絵でお馴染みの風景であるタワーカルストがニョキニョキ生えています。一説によれば、中国における耕地面積は全土のわずか14%らしいです(もっとも日本も似たような比率だけど)。

 他方、農業によって地力を養うという方法以外にも交通の利便性を最大限に利用し、流通・商業で稼ぐという方法もあります。国内外の貿易取引です。温州は国内貿易をメインに、福建や広東は外国貿易を主軸にして発展していきます。交易、特に海外との取引を考えてみた場合、港湾施設があり且つ海のメインルート(外国船航路)に近いという条件が必要になります。中国の長い東部海岸線の中でも特に福建や広東が突出したのは、シンガポールや台湾の高雄と並んでアジアのハブ港である香港に近いという地の利があったからだとされています。

 このように農業生産の地力が強いこと、商業流通での優位性などから、まず東部沿岸部を経済発展の先兵にさせようとしたのは理にかなっていると思われます。

 かくして東部沿岸部が先陣を切って経済発展をするわけですが、これによって当然のことながら内陸の農村部との間で格差が生じます。しかしこまでは、まあ、織り込み済みというか、予測の範囲です。しかし、ある状態Aは別のBという状況を招き寄せ、さらにC、Dに変容し、、という具合に想定内の国内格差も、だんだん雪だるま式に広がっていきます。例えばその一つの要因となったのが外資=外国企業の活躍です。最初の頃は、人件費の安い中国に工場を設置し、製品を輸出するというパターンでしたが、徐々に中国の人々がリッチになるにつれて、市場としても美味しい存在になっていきます。そこで中国人相手にモノやサービスを売って儲けるという第二のパターンが登場していきます。ゆとりが出来るにしたがって、外国製の高級品が欲しくなるのは何処の国も一緒です。日本だって未だにブランド品とか言ってますからね。これは儲かるということで、さらに外資が参入し、経済はどんどん発展していきます。外資といっても、従業員のほとんどは現地の人ですから、現地に給料という形で富が落ち、それが人々の所得をさらに上げ、より肥えたマーケットになっていくという好循環です。それは望ましい展開ではあるのですが、同時に地域格差をさらに広げることになります。

 東部沿岸部の工業化が成功し、ドンチャン繁栄していく過程において、内陸部ではどうなっていたかというと、相対的に農業に集中していくことになります。工業で頑張っても沿岸部に勝てるわけないし、もともと農業でも優秀だった沿岸部も工業化が進んで農業生産が少なくなってきますから、その分内陸部で生産して儲けるという。かくして沿岸=工業、内陸=農業という図式が出来てくるのですが、ここで困った問題が起きます。

 何かというと、人間が食べられる量は限度がある、ということです。工業品やサービスの場合は、所得が10倍になれば10倍の消費をすることが可能です。テレビも大画面になったり、一人一台になったり、クルマも普通車から高級外車に乗り換えたりすることが出来ます。お酒も自宅でチビチビやっていたのが、座っただけでン万円の高級クラブに通ったり、孫の手でトントンやってたのが高級エステに通ったり、、いくらでも金の使い道はある。しかし、食べ物に関しては、所得が倍になったからといって二倍の量を食べるわけではない。より高級志向、自然食志向になるかもしれないけど、お米の量を10倍消費するというわけにはいかない。むしろ食卓のバラエティが広がり、高級輸入食材を食べたりするので、伝統的でベーシックな農産物消費はむしろ減ったりします。日本でも「もっとお米を食べよう」という掛け声がかかったりしますもんね。

 こうなると農業技術の向上などによってガンガン生産してきた農産物が徐々に余りはじめていきます。農産物の価格も下がります。この傾向は今から約10年ちょっと前、1997年頃から生じてきたそうです。大躍進政策で餓死していた頃からすれば今昔の感もありますが、農産物がコンスタントに過剰になってきた。需給バランスの関係で価格は低迷、農家の収入が減っていきます。農家の収入は96年から2000年までのわずか4年で20%以上減少したという報告もあるそうです。かくして、沿岸工業エリアはガンガン経済発展が続きながらも、それが内陸部を引っ張り上げる筈が引っ張り上げられず、農業生産に追い込み、その農業の収益性も悪化しているということで、地域格差はますます激しくなっていきます。

 ただし、こういうプロセスは何も中国特有のものではなく、どこの発展途上国でも等しく味わうものです。日本も韓国もそうでした。頭打ちになってパッとしない農村VSガンガン景気が良さそうな都会という図式があり、この図式のもと、人々はどんどん都会に出て行き、都会で仕事をゲットして暮していくようになります。つまり産業構造の変化に応じて、人員の再配置がなされていくということですね。農村で生じた膨大な余剰人口を、大都会が吸収していくということです。日本でもまんまそのとおりで、今の東京の人口をみても、上の世代になればなるほど東京生まれの人の比率が減るはずです。僕らは親が東京に出てきて東京で生まれた第二世代ですが、親の世代は地方出身が多い。農村から都会への大規模な人口移動がおきることによって、農村の人口は減少しますが、ここで大事なことは人が減った結果、農業者一人あたりの耕作面積が大きくなるということです。そりゃそうですよね、家を継ぐ長男だけが村に残り、他の5人の兄妹達は皆都会に出てしまい(この時代は兄妹が多い)、お兄ちゃんは弟達の分の田畑を耕すことになりますから。耕地面積が大きくなると、農業の機械化が出来るようになり、生産性を改善することが可能になります。また、これまでのように一族郎党十数人を食わせるのではなく、長男一家と老親の数名が食べればいいだけですから、一人あたりの所得も増えます。かくして、農村における経済水準もあがっていくようになります。日本や韓国はこのパターンであり、ケ小平らが目指したのも「先発した都会によって農村も潤う」というこの図式でしょう。

 ところが中国の場合はそうはならない。これはケ小平が悪いとか、政策がダメとかいうことではなく、単純に人口が多すぎるということでしょう。幾ら沿岸部の工業が発達し、経済が栄えたといっても、まだまだ規模からしたら知れてます。世界に冠たる日本経済ですら、日本の大都会での仕事総人口をかきあつめても数千万人分でしょう。業績10%UPという破竹の経済成長を全分野で達成したとして、新規求人10%としてもせいぜい数百万人くらいしか新たな余剰人員を吸収できません。日本経済ですらその程度のキャパです。しかし、中国の人口13億、現在の農村での余剰人員はざっと1.5億人はいるとされています。もうクラクラするような数字です。これだけの余剰人員を吸収しようと思ったらどれだけ経済成長しなきゃならんか。もちろん後で述べるように中国でも農村から都会へという人口移動は起きています。しかし規模がメチャクチャ巨大すぎるので焼け石に水であり、全体からしたら地域格差は拡大する一方だという。

 その結果、中国の都市部と農村部との所得格差は、開放政策が始まった1978年時点でにおいては2.5対1(一人あたりの可処分所得343元対134元)だったのが、85年時点には1.7対1と一旦縮まります。しかし、2005年には3.2対1(10,493元対3,255元)と逆に格差が広がってきています。但し、格差という相対比率は拡大していますが、所得の絶対数は134元が3255元になってるわけで、農村も豊かにはなっているのですね。ただ、都市部の伸びが猛烈なだけに相対的には劣後してしまうという。


三農問題
 中国における農業や農村の問題は、三農問題と呼ばれています。なにが「三」なのかといえば、農業&農村&農民です。

 GDPにおける農業などの第一産業の占める割合はわずか15%前後に過ぎませんが、そこで働いている人々は50%近くもあります(2000年時点)。中国は、未だに二人に一人はお百姓さん(or漁師や林業など)だということです。ちなみに、日本の場合も1950年(終戦5年後)には二人に一人はお百姓さんだったそうです。50%もの人員を投入して生産高は15%、ということは、非常に生産性が悪いということになります。まあ、農業生産性というのは難しい問題で、良ければいいのか?という気もします。つまり生産高を上げたいのだったらバンバン農薬を使って、灌漑やりまくって、遺伝子組換えをはじめ肥料も山ほど与えれば、短期的には生産性は上がりますからね(長期的には、ご存知のように生態系の破壊とか地力の減少とか問題はでてくるでしょうけど)。ですので、農業を工業のように生産効率だけから見るのは問題かもしれませんが、それにしても改善の余地はありそうです。この生産性の悪さが、農業という業種そのもの問題、”農業問題”としてまず挙げられます。

 次になかなか発展せず、都市化が進まないという農村問題があります。中国も徐々に都市化が進み、01年には約38%と日本の1950年水準くらいにはなっているようです。ここも都市化すればいいってもんじゃないだろ、という感覚が僕らの中にはあります。都市化が完成した日本に慣れた僕らからしたら、ビルが林立して、空気も悪く、癒しのない人工的な都市空間が増えたってあんまり喜べないのですよね。でも、ここではもっとベーシックなインフラの整備であるとか、商工業の効率的な発展程度の意味だと思っておきましょう。比喩として、「中国の都市はヨーロッパのようだが、農村はアフリカのようだ」と言われているそうで、こういった生活環境、経済環境の抜本的インフラ整備という意味での都市化です。これが進んでいないというのが農村問題。

 三番目に”農民問題”があります。中国における「農民」とは何かというと、単に農村で農業に従事しているという実態ではなく、戸籍によって決まるそうです。つまり、農村戸籍と都市戸籍と戸籍の種類が二つに分かれており、農村戸籍に登録されている人を「農民」というらしいです。この”農民”が都会に出て働いていたとしても、シティボーイ(死語か)にはなれないのですが、それはファッション的にイケてないからではなく、戸籍的になれないそうです。この戸籍に基づいて厳然とした差別があります。都市の自治体は、”農民”に対して医療や教育などのサービスを施す義務はなく、やったとしても特別な高い料金を請求するそうです。このため”農民”の子供達は、民工学校という特別の私学に通うらしいです。

 この決まりは1958年の戸籍登記条例によるもので、これが未だに幅をきかせているらしいです。あれだけの大改革をした中国政府が、何故こんな規則を廃止しないでいるのか。いや、徐々に改革はされています。77年以降農業戸籍から都市戸籍への書き換え政策をやってます(「農転非」というそうです)。90年代には広東をはじめとして都市戸籍枠の増大、2000年代には県庁所在地に対応する城関鎮への移動を認める政策を行っています。最近では農業・非農業という戸籍の種別すら廃止しようという流れもあります。

 やってはいるのだけど、ちょっとづつしかやらない。何故か?チンタラやってないで、一気にドカンとやればいいじゃんと思うのですが、そうするわけにはいかないのでしょう。それは全く無制限にしてしまったら我もわれもと都会に詰めかけ、都会がパンクし、スラム化するからです。この発想は、僕らのようにビザを取得して海外に住んでいる人間にはピンときます。農村→都市は一種の「移民」なのですね。都会は移民を受け入れるのだけど、無制限には出来ない。そんなことをしたら共倒れになる。また、受け入れたところで、都市戸籍者(市民権や永住権保持者)と同じようには扱えない。そこには差別なり格差があります。

 オーストラリアでも、永住権をとるか労働(or学生その他)ビザかによって歴然とした差はあります。税率も違えば、保険制度などの社会保障制度の適用も全然違います。オーストラリアの移民受入数は毎年政府が決め、条件も毎年微調整しますが、これを一気にドカンとフリーなんかにしたらとんでもない話になります。シドニーの人口420万くらいですが、これでもキツキツな感じがし、インフラ整備(特に公共交通)が追いついていないのですが、移民フリーなんかにした日には一気に2倍、3倍になるかもしれないです。なんせ億単位の人口を抱えるインド、インドネシア、さらに中国と近隣の移民供給源には事欠きませんからね。インド人の100人に一人がオーストラリア来るだけで、もう900万人です。もしそうなったらシドニー滅亡の日でしょう。そんな英語も出来ない、技術もないという人々がもとの人口と同じくらい来たら、失業率は一気に50%とか70%、食えないから盗みに走る人も出るだろうし、それを仕切る闇の勢力も台頭し、各地でエスニックゲットーが出来て、、という話になりかねない。それは、今の東京が1000万人の移民を受け入れるのと同じです。二人に一人は、日本語も出来ない、技術もないという人達で埋め尽くされたら、それは難儀することでしょう。

 中国だって話は同じわけです。日本くらいに小粒の国なら、日本人同士でビザまがいの行政差別しなくたって、自然に農村余剰人口を吸収できました。絶対数がもっと小さい韓国、さらに小さい台湾だったら尚更です。しかし中国は巨大。これを一国として統治しようというのがそもそも異様に難しいのでしょうね。だから、あまり良くない差別制度とは知りつつも、戸籍を使って人口流入弁のようにしているのでしょう。近年の受入数増加は、大都市ではなく、これから発展させたい中小都市に誘導しているあたり、オーストラリアの地域限定条件付き永住権と発想は同じですよね。

 しかし、この戸籍制度の”活用”も、一人っ子政策の副産物である黒核子(ヘイハイズ)=労働力にならないから歓迎されない女子は最初から産まれなかったことにして戸籍にも登録されていない=が数千万人規模でいるということで、半ば破綻している部分があります。最初から戸籍がないんだから、戸籍転換が自由に出来るようになったところで救えない。待ってても救われないなら勝手にやるわって流れにもなるでしょう。

 
格差是正の対策
 そうはいっても、中国政府も「どうしようもないね、こりゃ」と手をこまねいているわけではなく、年々色々な政策を展開しています。中国の中でも最も遅れているといわれる西部に本格的に手を入れる西部大開発というプロジェクトが2000年より始動しています。広範な、日本数個分(10個以上か)のエリアを対象に、電気や水道、鉄道などのインフラ整備を行い、生態系の保全などを目指しているようです。11兆円規模の途方もない公共投資で、西部エリアのDP成長率は、2000年の8.5%を皮切りに、8.8%、10.0%、そして2003年には11.3%に達しているそうです。まあ、多分に大本営発表的な部分を割り引いたとしても、それなりに効果はでています。しかし、もともとのレベルが低いこと、途方もないエリアの広さを考えると、10%成長が数年続いたくらいではまだまだでしょう。しかし、やることはやってるわけです。

 また、人口移動が制限されているとはいいつも、大局的にみれば大転換は起きてはいないものの、近くによって見ると奔流のように流れています。中国における農村→都会の人口移動を、民工潮というそうですが、その規模は、99年段階で既に1億人に達しています。日本一個分です。もっとも、全部が全部沿岸部に移動しているわけではなく、うち8割は同じ省内の近隣の町や市街地への移動です。残り2割が省を越えた遠距離移動で、遠距離移動の約半分を吸収しているのが広東省だそうです。1000万人も受け入れているという。東京を一個作ったくらいの人口増だと考えれば、その凄まじさがわかるでしょう。

 これは単に農村人口減→都会人口増という人員再配置以上に地域所得の格差を埋め合わせる効果があります。すなわち、お父ちゃんが出稼ぎに出て郷里に送金するので、都会の富が農村に移動しているわけです。その所得の環流規模もすごく、99年の中国のGDPの5%くらいになるそうです。これによって農村部の所得や生活水準も上昇はしているようですが、だからといって地方において産業や経済が勃興するというほどでもないそうです。

 最近のニュースでは、2006年からは農業税の全廃を実施しています。農民の土地の税金を廃止することですが、これって中国始まって以来、ほどではないですが、数えてみると春秋時代の魯(孔子が活躍した時期かな)以来のことで、実に2600年ぶりの快挙だそうです。



 以上を通じてみた個人的な感想は、中国というのは大き過ぎてしまって、これを一国の問題として考えるよりも、小さな世界として考えた方が分りやすいような気がします。先に述べたように、農村から都市への人口移動&流入制限も、国家間の移民やビザのアナロジーで考えた方がしっくりきます。また、工業化が成功したエリアと、その余波を食らい、割を食らい続けている農村地帯という図式とメカニズムは、そのまま世界の持てる国と持たざる国の差や南北問題に通じるようにも思います。もう構造的に経済原理からそうなってしまう。しかし、あまりにも規模が大きいので、幾ら巨大なプロジェクトを断行し、大規模な制度改革をしても、個々の施策で出来る範囲が限られているという。

 また、全体の絵が巨大なので一つの原理でツルツルと全てが説明できるわけでもなく、個々的に見ると相矛盾するような現象が起きたりもします。例えば、農村における余剰人口を都市部が吸収できないから農村が貧困から脱却できないという一つのロジックがありますが、反面では農村から働き盛りがどんどん都会に出て行ってしまうのでますます生産性が上がらないという指摘もあります。農村から都会に人が移動した方が良いのか悪いのかよう分らんという。でも、これ、どちらも正しいのでしょう。一つの原理で全ては説明できず、Aという説明が妥当する場合もあれば、Bという説明の方が正しい局面もあるということでしょう。

 農村から都会に出稼ぎに出た”農民工”ですが、全員が仕事にありつけているわけでもなく、都会での失業問題を招きます。また、仕事をゲットできたとしても、劣悪な労働環境で国家の保障も薄いという意味では、外国人労働者の状況と同じようなものです。さらに、当然のことながら全員が全員が適法に都会に出てきているわけではないです。外国労働者の比喩でいえば、いわゆる不法就労をしている人々も沢山いるでしょう。しかし、そういった中国内部における低賃金労働者達の存在が、都会人が嫌がるいわゆる3K仕事をやってくれているわけで、彼らがいないと都市機能が全うできないという構造があるわけですね。日本もバブルの人手不足の頃には、当局も外国人労働者の不法就労を見て見ぬふりをしてましたもんね。

 このように、中国の地域格差問題は、ケーススタディとして非常に示唆的です。それは中国独自の問題というよりは、世界の何処にでもある普遍的な問題が普遍的に生じているからでしょう。経済発展、都市の拡大、都市労働者の増大、反比例して農村の衰退と農村への保護政策という普遍的な状況は、当然、日本にもありました。なんせ昔は集団就職とかいって、列車を連ねて農村の労働力が都会に”輸出”されていたわけですから。そして都会の経済発展によって国力を増進し、日に日に苦しくなる農村を救っていくという構造、都会から地方への所得環流が求められたわけですが、日本でこれをやってきたのが自民党ですよね。農村が相対的に貧困になるのを防ぐため、過剰生産を抑える減反政策と補助金、生産者米価を設定し国が農産物価格を買い支え、その他地方に所得を分配するためにバラマキと言われようがガンガン公共工事を発注し、護岸工事やら灌漑やらスーパー林道を造り、ダムを造り、生態系を破壊しても造る。もともとが所得の再配分が目的だから都会のゼネコンに落札されたら意味がないので、地元業者が落札するように、それも順番に平等に落札するように談合をするという日本的風景が生まれてくるわけです。

 日本の場合はこうやって自民党があの手この手で都市から農村への所得環流をせっせとやってきたわけで(ついでにその中間段階で政治家や業者で利権転がしやらなんやらで儲けてますが)、それがひいては日本における地域格差の是正につながっていったのでしょう。これが日本という国のメカニズムです。僕は東京生まれの東京育ちですが、生まれてからずっと東京という大都市の人々こそ、一番世間知らずというか、一番日本が分ってないと、自分を省みてそう思います。東京にずっといたら、なんで日本では自民党が強いのか、それこそ戦後ほとんど一党独裁してきたのか、その理由が分らないでしょう。また頭では分ったとしても実感としては分らない。なぜなら都市住民というのは自民党によって利益を受けることは殆どなく、もっぱら収奪の対象とされてきたからです。僕も東京にいる頃はなんで自民があんなに強いのか、どうして自民に投票する人がいるのかよう分らんかったですもん。それに実際、東京くらいの経済と人口があれば、別に国家・政府は要らないぐらいだもんね。だから警視庁と警察庁の違いもろくに認識する必要もないし(警察庁とは全国都道府県警の総本山であり、警視庁とは”東京都警”に過ぎない)。

 ということで、中国の問題でありながらも、ちょっと立ち入れば打てば響くように「ああ、日本における○○か」と連想してしまうというわけで、人間社会や経済というのは、非常に普遍的な幾つかの法則によって成り立っているのだなと思うのでした。





過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
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ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/西欧史から世界史へ(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
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ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
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ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
ESSAY 395/世界史から現代社会へ(その59) インド(1) アーリア人概念、カースト制度について
ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
ESSAY 398/世界史から現代社会へ(その62) インド(4) インド経済の現在
ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン
ESSAY 402/世界史から現代社会へ(その65) バングラデシュ
ESSAY 403/世界史から現代社会へ(その66) スリランカ
ESSAY 404/世界史から現代社会へ(その67) アフガニスタン
ESSAY 405/世界史から現代社会へ(その68) シルクロードの国々・中央アジア〜カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン
ESSAY 406/世界史から現代社会へ(その69) 現代ロシア(1)  混沌と腐敗の90年代と新興財閥オリガルヒ
ESSAY 407/世界史から現代社会へ(その70) 現代ロシア(2)  発展の2000年代とプーチン大統領
ESSAY 408/世界史から現代社会へ(その71) 現代ロシア(3)  チェチェン紛争の迷宮
ESSAY 410/世界史から現代社会へ(その72) 現代ロシア(4)  チェチェン紛争の迷宮(2)
ESSAY 411/世界史から現代社会へ(その73) 現代ロシア(5) 王道のロシア文学
ESSAY 412/世界史から現代社会へ(その74)  現代ロシア(6) 北方領土
ESSAY 413/世界史から現代社会へ(その75)  中国(1)  ケ小平と改革開放経済
ESSAY 415/世界史から現代社会へ(その76)  中国(2) 誰が一番エライの?〜中国の権力メカニズム


文責:田村




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