今週の1枚(09.05.25)





ESSAY 412 : 世界史から現代社会へ(74) 現代ロシア(6) 北方領土




 写真は、Lane Cove North。ウチの近所ですが、実にありきたりな、平凡なノースの住宅街の風景。





 せっかくロシアをやってるので、「そういえば」ということで北方領土をやります。

 日本人だったら誰でも聞いたことはある北方領土。だけど、何がどうしてどうなってるのか意外とよく分らない。少なくとも僕はよく知らないです。ここで「ロシア(ソ連)は極悪、絶対返還!」と叫ぶのは簡単ですし、とても分りやすい。それはそれぞれの政治的信条やら、政治的”感情”で叫べばいいことなんですが、ただ客観的に「なんであんなことになってるの?」というベーシックな部分は、プレーンで、透明な知識として押さえておきたいです。プレーンで透明な知識というのは、例えば、ギリシアとキプロスの領土問題はどうなってるのというように、一切の感情抜きにして純粋にナレッジの問題としてってことです。

 まず、例によって地図です。北方領土って何処?ということと、その周辺、千島列島がどうとか、樺太がどうとか、地理関係が分らなかったら話も何もないですから。

 
北方地図

北方領土図


 まず地図レベルでわかるのは、国後・択捉と歯舞・色丹が明らかにたたずまいが違うということです。国後・択捉はさらに北東に連なっていく千島列島の線上に同じような感じで浮かんでますが、歯舞・色丹はそれとは一歩離れて、根室の先っぽにちょこんといます。この地形上の差異が、あとで述べるような意味をもってきます。


 さて、北方領土(問題)を日本の側から簡単に要約すれば、「本来は日本の領土なのに第二次大戦終了時のドサクサでソ連が占領してしまい、未だに返してくれない」ということでしょう。ロシア(ソ連)側からすれば、ロシアがここを領有するのは国際法上合法であり、日本にとやかく言われる筋合いではないということになろうかと思います。

 その対立が未解決のまま現在に至っているわけですが、この種の領土問題というのは次元の異なる幾つかの層があるように思います。一つは、純粋に国際法上どうなっているかという法律論です。古くは江戸時代まで遡る日露関係における数々の合意や条約などによってどう定められているか、どう解釈すべきかです。もう一つは、そういった形式的な理屈はともかく、双方においてその領土が欲しいと思わせる数々の実質的な理由です。戦略的に重要な地域であるとか、資源があるとか、よりシンプルに国民感情であるとか。第三に、これからどう解決すべきかという解決論です。これは例えば「足して二で割る」ように、さしたる論拠もないのだけど現実問題このあたりで手を打ちましょうかというレベルの議論です。

 もう一度いうと、@法律論(理屈)、A実質論(利益や感情)、B解決論です。
 しかし、書いてて思ったのですが、これって領土問題だけではなく、あらゆる人間同士の争いに当てはまりますね。弁護士時代経験した種々の法的紛争もそうでした。まずAの欲や感情があるわけです。そしてそれを正当化するために@の理屈を総動員する。純粋に理屈だけで紛争が起きるという、いわば”神学論争”みたいなものは現実問題滅多にないです。宗教界での教義論争だって一皮剥けば派閥争い、権力闘争だったりするわけですから、人間そこまでピュアに理屈に命かけたりしません。大体なんらかの実質的で、ドロドロした理由があります。だけど自らの正当性を訴えるときは、@の理屈レベルでの正当性を主張しますよね。逆に言えば他人のトラブルに口を出す場合、一方当事者の理屈だけに耳を傾けていたら本質が見えなくなる、、というのはオトナの皆さんは、もうよくご存知でしょう。「ふむふむ、あんたの理屈はわかった。ほんで、あんたの本音は何なの?」と。理路整然と美辞麗句を並べているんだけど、本質的にはただの"嫉妬”だったり、拗ねてるだけだったり(^_^)。

 @の理屈は、「理屈と膏薬(サロンパスのような湿布薬)はどこにでも貼り付く」と昔から言うように、どちらにもそれぞれ言い分があり、正義があり、理屈があります。またAの実利と感情もどちらにもあります。したがって@とAレベルだけでチャンチャンバラバラ喧嘩してても千年戦争になるだけで解決しません。そこでBの解決が求められます。延々喧嘩してても不毛だから、どっかでケリをつけましょうということで、極端な話「ジャンケンで決める」というのもアリです。ここでは「終わらせる」というのが最終目的だから双方それで良ければ何でもいいんです。でもって、Bレベルになると、@の理屈なんか殆ど話題にもなりません。解決というのは飛躍していいんですよね。根拠ゼロでも何でも、それで当事者が「これで終わらそう」という合意さえあればそれでいい。

 余談ついでに書きますと、実際の裁判沙汰にせよ、紛争にせよ、最後の最後は妙な終わり方をするケースもあります。双方陣営の主戦論者がそれぞれ他界してしまったから、犬猿の仲の犬も猿もいなくなって、残された者が馬鹿馬鹿しくなって自然消滅とか。訴訟でも原告被告の双方が倒産して夜逃げしちゃったから、後に残された裁判所が「これ、どうすんの?」と途方に暮れているとか。遺産分割で骨肉の争いをしてたのが、バブルが弾けて遺産土地が暴落して負債の方が多くなってしまったら、あれだけ欲の皮をつっぱらかしてた当事者達が蜘蛛の子を散らすように逃げたり。もうちょいマトモな解決でも、「名を捨てて実を取る」とかその逆とか。離婚なんかでも”慰謝料”という名目では(自分の非を認めたみたいで)絶対に払いたくないけど、”解決金”という名目だったら払っても良いとか。

 北方領土問題も、この@〜Bレベルの議論がゴチャ混ぜになってるキライがあるように思います。でもって、一番見えにくいのがAです。Aを言ってくれたら分りやすいんだけど、あんまり誰も言わない。


北方領土の理屈論=国際法における扱い=

 では、まずこれまでの経過を簡単に勉強してみましょう。

 日露政府間で領土交渉が始まる前はどうだったかというと、日本の外務省は「ロシアが択捉以南を支配したこと無い」と解説していますが、ロシア人が択捉島でアイヌ人から税金を取っていたとか、日本人の探検家(最上徳内)が択捉に訪れたときロシア人が住んでいたという記録もあります。

江戸時代(幕末の頃)、1855年に日露和親条約(下田条約)を結び、択捉島と得撫(ウルップ)島の間を国境線としています。現在の言われている北方領土の日本主張の国境線ですね。日本側が「北方領土は日本固有の領土」と言うのは、このあたりの事情が原点になっているように思われます。

 明治維新の後、1875年には日露間で、樺太(サハリン)はロシア、北方領土だけではなく千島列島全部を日本領土という合意が出来ます。樺太・千島交換条約です。このとき「千島(クルリ)列島グループは日本の領土にする」という条約(フランス語)の日本語訳(法的効力なし)が間違っていたところから後日問題が起きます。細かい字句解釈は割愛しますが、日本語訳(誤訳)によると、北方領土以外の島々が千島列島であるかのように解釈する余地があるのですが、条約正文であるフランス語では北方領土もひっくるめて千島列島であるように読めます。なんでこんな誤訳になったのか、もしかして日本政府は誤訳どおりの意向で合意しながら意味の異なるフランス語の正文にサインしてしまったのか、そのあたりはよく分りません。しかしこの誤訳が問題になることもなく、さらに日露戦争が勃発し、1905年ポーツマス条約で樺太の南半分が日本に割譲されます。ここまでが第二次大戦前の状況です。

 ちなみに、「北方領土」という地名は存在しません。地名という観点で言えば、あくまで千島列島、南千島、クリル諸島(小クリル、大クリル)、あるいはそこからちょっと系統の違う歯舞群島等の名称があるだけです。普通に考えたら千島列島上に一直線に並んでいる国後、択捉は千島列島の一部であろうし、これを特に分離して表現したいならば、それなりに特定した表現を使うべきでしょう。「北方領土」というのは、正確に表現すれば「千島列島とその周辺諸島のうち日本がロシアに対して領有権と返還を求めている一部の島々」ということになるでしょう。あくまで政治的、解説的な表現です。普通の世界の地図には「北方領土」なんて地名は書かれていません。


 第二次大戦中、連合国である米英はソ連に参戦して欲しいから「南樺太と千島をあげよう」ともちかけます(モスクワ会談、テヘラン会談)。終戦間際の45年2月にはヤルタ会談がもたれ、勝ち組の間での分け前の相談が行われ、ここで正式にソ連に南樺太と千島列島に引き渡す旨の合意がなされます。まあ、合意といっても日本の与り知らぬ敵国内部での密約に過ぎないわけで、国際法的な効力はないけど、このあたりでソ連の「あそこは俺のモノ」という気分が確立しちゃったんでしょうね。

 ヤルタ協定のシナリオどおり、45年8月8日(終戦の一週間前)にソ連は日本に宣戦布告します。8月15日に日本は敗戦を認めるポツダム宣言受諾。その後もソ連は千島列島に進軍を続け、8月28日以降9月5日までに北方領土である択捉から歯舞まで占領します。8月15日に戦争は終わってるはずなのに、なんでその後2週間以上ソ連は進軍占領を続けるのかという点で、「終戦時のドサクサでソ連がかっぱらっていった」という印象を与えます。しかし、ソ連はもともとアメリカとの合意の上で占領してるわけですし、ポツダム宣言に基づく降伏文書、さらにそれを実行するための日本軍の命令書に樺太の日本軍はソ連に降伏せよと書いてあったけど、千島については何も書いてなかったからソ連が実力行使の進軍しているわけです(ソ連はアメリカに対して、千島の日本軍も降伏させろと要求し、アメリカもこれを承認している)。

 戦後のGHQの統治下において、北方領土の日本の行政権を停止、北方領土のうち国後、択捉の二島は千島列島に属するのでソ連領土とされます。この時点で北方領土に当時居住していた日本国民1万7000人は日本に帰還します。が、朝鮮国籍に戻った人などは帰還が許されず樺太に移住するなどしています。

 これらが戦後直後の状況ですが、いよいよ1951年に敗戦の総決算&国際社会復帰になるサンフランシスコ講和条約が結ばれます。この講和条約で、日本は「千島列島を放棄する」と明確に述べられています。そして、いよいよ千島列島論争=「どこからどこまでが”千島列島”なの?」という問題が起きてきます。51年当時の日本の国会で、政府は「国後、択捉は千島列島に含まれる(だから放棄する)」と答弁しています。が、5年後には自らの説明をひっくり返し、「国後、択捉は千島列島ではない(放棄してない)」と主張を180度変えます。

 なんでこんな無茶な話になったのかといえば、事情があります。1956年には日ソ共同宣言によって日ソの外交関係が回復します。その過程で北方領土も話し合われたのですが、一応日本も「南樺太と千島を返して」と言ってはみますが、当然ソ連から「そりゃないでしょう」と拒否されます。そこであれこれ協議した結果、「国後、択捉はソ連、歯舞と色丹は日本」ということでほぼ日ソの合意が出来ました。じゃあ、それでいきましょうと調印しかけた時点で、イチャモンをつけてきたのがアメリカです。「国後や択捉も自分の領土だと強硬に主張しなさい、さもないと沖縄を完全に奪っちゃうよ」と恫喝まがいの”要請”をし、結局この合意は流れてしまい、日ソ平和条約は幻に終わります。このときの経緯ですが、詳しく言えば1956年8月19日のお盆明けに重光葵外相がアメリカのダレス国務長官から、「そんなことしたら沖縄を永久に領有しちゃうよ」と叱られてます。当時の日米の力関係でいえば、紳士的な”要請”どころか、”恫喝”ですらなく、ほんと”叱責”といった感じだったんでしょうね。

 この経緯は何を意味するかというと、要するに東西冷戦です。アメリカとしては、日本は自分の手駒であり、反共の防波堤として頑張って欲しいわけですから、妙にソ連と仲良くされたら困るということです。ソ連とは険悪のままでいなさい、と。だからこの後の1960年に日米安保改訂のときは、今度はソ連がムッとするわけですね。「そんなにアメリカのパシリになってソ連に敵対したいのか」と。北方領土に対するソ連の見解も硬直し、それまでは「仲良く平和条約を締結したら歯舞・色丹を返してあげるね」と言っていたのが、「日本領土から外国軍隊がいなくなったら(つまりは米軍基地の全面撤退)返してやる」という具合に硬化します。

 そしてこれは現在まで続く北方領土問題のコアにある隠されたコンセプト=「日本外交の対米従属路線」、の表れと言えます。日本がソ連と過度に仲良くならないためのブレーキ的機能というか、ソ連が飲むはずもない北方領土返還を唱えて続けていれば平和条約なんか締結するような事態にならないですから。アメリカから「ソ連は悪い子だからつきあっちゃいけませんよ」と言われて、「はーい」と従順に守っているという。以後、日ソ関係を協議するについても「まず北方領土問題を解決しなければ先に進めない」と突っぱね続けると同時に、政府が旗を振って親米反ソムードを醸し出していきます。81年以降は毎年2月7日を北方領土の日に定めたりしてますね(あんまり知られてないけど)。北方領土問題は、対米従属路線を認めるかどうかの試金石、いわば踏み絵みたいな象徴的な存在になのでしょう。

  そうこうしているうちに今度はソ連が崩壊、東西冷戦も終わります。だからもうアメリカにそれほど気兼ねしなくても良さそうなものなのだけど、日本側、政界というよりはむしろ外務省の意向だと思いますが、依然として対米追従路線を敷いていきたいから、対ロシア関係が深まっていくのを好まないという。

 日本の政治家も、ゴルバチョフから現在のメドベージェフ大統領まで、ロシア首脳と会談する度に北方領土問題を持ち出し、ロシア側も、その時々の情勢により、あるいは前向きに、あるいは冷淡に、あるいはリップサービスであれこれ言及しています。細かく述べたすとキリがないので、このあたりは外務省の交渉経過のページをご参照ください。



北方領土の実質論=利害と感情
 実利面だけでいえばロシア側の方が大きいかも知れません。なんせ寒い国は少しでも南に領土が欲しいでしょうからね。伝統の南進論です。それをもう少し具体的に見ていくと、まず冷戦下における軍事的重要性があります。北海道の北にあるオホーツク海ですが、このあたりはロシアの陣地です。アメリカがここまで深く攻めてきたら困るので、その前提で宗谷海峡、さらには北方領土はキチンと押さえておきたい。また、自軍が安全に太平洋に出て行くための関門でもあります。ここで国後、択捉あたりを日本に返還してしまうと、米軍が基地を設けてしまう可能性があり、ロシア側の安全保障としては問題があります。純粋軍事的に地図を見ても、歯舞や色丹は返してもいいけど、国後と択捉は返しにくいでしょうね。

 もう一つ、これまでさんざん見てきたように、「砂の社会」であるロシアでは強力な統制が必要とされ、且つ対外的に強硬姿勢を出せば出すほど中央統制が進むという傾向があります。それはチェチェン紛争をテコにして権力を集中させていったプーチン政権の軌跡をみても分ります。このようなロシアの政治事情において、既に戦後60年以上ロシア人が住み続けており、日本以外の国際社会からも承認されている北方領土を返すなんて弱腰の策は打てないでしょう。第一ロシアにしてみれば現状で何の問題もないし、日ロ間での経済交流も進んでいるわけですし、北方領土を返還してまで得るべき実益も無いでしょう。

 それでも90年代ロシアの半無政府状態、経済的ドツボ状態だったら、日本側から経済援助をちらつかせて、事実上北方領土を”買い戻す”かのような戦略も打てたかもしれない。しかし、2000年以降経済的に発展し、BRICsの一角にまでのしあがっていた上げ潮のロシア経済にもうその手は使えない。使えないどころか、ロシアは千島列島にインフラ整備を行い活用する動きすらあります。考えてみたら、ロシアが豊かになれば、あのあたりは太平洋への貿易の中継基地になり得ますもんね。シベリアあたりの広大な資源を輸出するルートなど、経済的に有効活用しようと思えば出来ます。

 かくして、このままの状況だったらロシアが自主的に北方領土(四島全部)を返してくれる可能性はかなり低いと言わざるを得ないでしょう。事実上ゼロといっても良い。ロシア側にそうする必要性が乏しい。それは考えたら、日本の歴代総理がソ連/ロシアと交渉していくなかで、リップサービスなのかどうかは分らないけど「お互い頑張って解決していきましょう」程度のことを言うというのは、あのロシアにしては結構優しいというか、紳士的ですよね。だって、チェチェンやカフカースにおけるロシアの強硬ぶりを見ていれば、ソ連時代最盛期のような「領土問題など存在しない」くらいのことを言ったって不思議ではないですよ。



 では、日本側からすればどのようなメリットがあるか?ですが、「日本固有の領土を取り戻そう」という素朴でナショナリスティックな主張はさておくとしても、なんか実益があるのだろうか?強制的に退去させられた1万7000人(さらに日本退去すら許されなかった人々)からすれば、故郷が戻ってきて喜ばしいでしょう。これは大事なことだとは思います。

 しかし、もっと他にこれだ!という実益があるのかというと、良く分らんのですよ。そりゃ領土が広がれば200カイリやら海底資源やら有利でしょう。漁業なんかも影響あるでしょう。それは確かにあるだろうけど、腐っても鯛の日本経済のスケールを考えると、一方でロシア側における「太平洋側への玄関口」という戦略・経済的重要性を考えると、そのレベルで比肩するほどのメリットがどうにも思いつかない。今更北海道の先っぽがちょっと増えたからといって、ドカーンと何かが変わるってもんでもないでしょう。また北方領土を取られているからといって、国民がものすごい不便を余儀なくされているってものでもない。

 だから結局はメンタル的なもの、「自国領土を回復」という素朴なエモーショナルな要素がメインであるようにも思われます。しかし、最も大きいのは「政府の都合」だと思います。上に述べた日本国の外交方針としての対米追随です。しかし、アメリカの顔色うかがう親米反ソ路線も、冷戦が終わってから20年も経ってるんだから、いい加減修正しても良さそうなものなんですけど、なんかまだやってる感じがしますね。だいたいアメリカ自身が(まあアメリカの多様な主張や勢力があるが)、「キミもいい加減自立しなさい」と言ってるきらいもなきにしもあらずです。あのタカ派のブッシュ政権ですらロシアとメンチ切って喧嘩する姿勢はなかったし、今度のオバマ政権になれば尚更でしょう。また国際世論においては、アジアの経済大国としての日本に、膨張する中国をコントロールしてアジアの新秩序を築いて欲しいという声も強いといいます。ところが、日本政府はやる気がないのか、能力がないのか、両方ないのか、はたまたやる気も能力もあるけどそれを良しとしないのか、あーんまりそういう感じではないですよね。ここでベストセラーになった佐藤優氏の「国家の陰謀」などが思い出されるのですが、外務省内部の路線闘争、親中派と親露派が親米派に排斥されていったことや、小泉安部政権の排外的ナショナリズム政策などの潮流がありましたね。まあ、ことの真偽や評価は各自に任せますが、少なくとも日本政府が率先して、ロシアを含むアジア全体の新ビジョンをブチ上げて、ガンガン動いてるって感じではないですよね。

 それとですね、戦後の日本には伝統的に親米反ソの流れがあります。「北の脅威論」とか。アメリカには親しみを感じるのだけど、ソ連には感じない。感じないどころか疎ましく、場合によっては憎悪の対象ですらあったりします。そりゃまあソ連時代はそんなにラブリーな要素も少なかったろうし、北方領土がなくてもシベリア抑留で日本人に辛酸を舐めさせたという”前科”もあるし、北の漁場での拿捕問題やらゴタゴタはあります。しかし、日本にダメージを与えたという意味では、直接の交戦国だったアメリカの方が遙かに酷いことしてますよね。東京大阪を焼け野原になるまで、それも非戦闘員に対する無差別爆撃を行い、世界史上唯一の核兵器使用(それも二発も)やってます。戦後にチョコレート配ったくらいでは追いつかないでしょうに、でも日本人はアメリカが好きになります。おかしいんちゃう?まあ、好きになるのはいいことですよ。嫌いになるよりはずっと健康的です。だけど、それほど大した接点のないソ連・ロシアをあれほど忌み嫌わねばならない実質的な理由ってあるの?と。だから、洗脳や思想統制といったら大袈裟ですが、それに類する動きをそこはかとなく感じるのですね。

 実際、北方領土関係の検索をしてみると、やたら政府や自治体主導の団体が多いです。草の根的な民衆的な盛り上がりというよりは、上からの活動という印象が強い。「独立行政法人北方領土問題対策協会法」という法律まで作って北方領土問題対策協会を作り、さらにその下部機関として都道府県単位で北方領土返還要求運動都道府県民会議があります。千島歯舞諸島居住者連盟というのが名称的に草の根的かと思いきや、これも内閣府所管の社団法人だったりします。「国を挙げて取り組んでいる」といえば聞こえはいいけど、国しか取り組んでないという気もしますな。


 国以外に積極的に北方領土に取り組んでいるのは、右翼の街宣車ですね。大体、あの黒塗りの特注車では、「日教組撲滅」と「北方領土返還」が二大スローガンです。山口組に次ぐ日本ナンバー2の巨大暴力団組織である住吉会なんか熱心に取り組んでますよね。北方領土を遠望できる納沙布岬には、右翼、暴力団系の建てた石碑が林立しているそうです。だけど、右翼、ありていにいって暴力団関係が多いけど、なんで彼らがそういった思想的な動きをするわけ?伝統的な姿は博徒でしょうが。いつからヤクザは思想家になったのか。不思議だと思いませんか。これは、暴力団=企業舎弟=総会屋という流れと同じく、何らかのシノギ(稼ぎ)がそこで見込まれるからでしょう。同じように、反日教組、反共、反ソ連というのは、労働者のストライキ潰しや労組潰しに暴力団が雇われてきたのと同じ系譜でしょう。大体、町の愚連隊(死語か)みたいな連中がまとまって、国家や大資本家の下請暴力機関になり、ファシズム的”治安”をかもしだすのは、どこの国でも同じようなものです。

 それともう一つ、同和問題においてエセ同和団体が荒稼ぎをしているのと同じように、北方領土問題でもエセ北方領土団体があるといいます。北方領土に関する書籍を作り、これを高額で売りつける高額図書販売問題が起きています。一種の押し売りですね。一冊数万円の本を買えといい、断ると不勉強、非国民呼ばわりし、街宣車を呼ぶと脅すという。上記の右翼団体も、結局はエセ右翼です。純粋に国を憂いている右翼の人はちゃんといるでしょうが、それに紛れてなんだかんだやっているという。なお、エセ北方領土団体の問題は、ここに詳しく書かれていて参考になりました。ちなみにこのサイト(「北方領土問題」という個人のサイト)は、冒頭に書いたプレーンで透明なナレッジという意味では非常に秀逸でした。オススメです。


北方領土の解決論

 現状における北方領土ですが、ロシア人が住んでます。もう戦後からだから60年以上住んでます。日本人は、住んでないし、居ないということになってますし、日本政府は日本人にこのエリアに立ち入らないように要請しています(ロシアのビザを取るとロシアの領土であることを容認したような形になるから)。が、実際には同地に本拠を置くロシアの水産会社が製品を日本に輸出してたり、ロシアのビザを取得して行っている日本人もいます。ゴルバチョフ以降のロシア側との協議により、北方領土に関する日ロ双方の交流を図った北方四島交流事業が開始され、議員や関係者の訪問、さらには元島民など関係者にはビザなしに簡易に行く方法が開発されています。

 国際的にはどうかというと、日本の主張は殆ど知られていないようです。敵対的無視とか黙殺ではなく、単純に知られていない。平均的なロシア国民でも圧倒的に知らない人の方が多いでしょう。これがチェチェンのように、北方領土に戦車で進軍して砲撃したり、モスクワの地下鉄に爆弾を設置したりすればロシア人にも知れ渡るでしょうが、いかに右翼の街宣車が勇ましかろうともそこまではしないでしょう。ちなみに2005年にEUの議会で、中国など極東に関する安全保障という決議文で、極東諸国は未解決の領土問題を解決してくれという内容で北方領土問題についても言及してますが、これは当の日本ですら殆ど報道されてなかったようです。

 ではこの問題をどう考えるべきかというと、膨大な資料をまだ読み込んでないので何とも言えないのですが、パラパラと眺めた程度では、そんな日本政府が言うほど四島返還に強固な理由があるようにも思えなかったんですよね、残念なことに。

 まず、日本政府はサンフランシスコ講話約で「千島列島を放棄する」と公式に言ってるわけですよね。ここで「北方領土は千島列島には入らない」というレトリックを使っても、第三者がフラットにみれば屁理屈に近いでしょう。先に述べたように、地図を見ても千島列島が一直線に延びているなかに国後、択捉があるのであり、誰が見たってこれは千島列島(クリル諸島)でしょう。また日本政府の理屈の根拠になる樺太・千島交換条約でも、フランス語の正文では特に北方領土を除外するように解釈するのは不可能だし、そう読めないこともないのは法的効力のない日本語訳であり、しかもその訳が誤訳と来てるから根拠にも何にもならない。だから純粋の法律論でいえば厳しいですよ。それに、そもそもサンフランシスコ条約前後時の当の日本の国会での政府説明で、「国後、択捉も千島列島である」と明言してます。自分の国の国会で政権与党が公式にそう言っちゃってるんだから、どうしようもないでしょう。

 それに地勢的に言えば、国後と択捉は千島列島に属しているように見えるけど、歯舞と色丹はちょっと離れた小島群であり、これは北海道周辺の島々と言えないこともないです。だから、1956年の日ソ共同宣言の交渉時には、国後・択捉はソ連、歯舞・色丹は日本ということで一旦合意までしていた筈です。一回そこまで合意しておきながら、それをひっくり返したのは日本であり、それもアメリカから「ソ連と仲良くしちゃいけません」と叱られたからだという、もっともといえばもっとも、情けないといえば情けない理由でしょ。

 これだけの事実を前提にすれば、「日本固有の領土です」とか言われても説得力ないです。同じ日本人としては残念なんだけど、僕が弁護士で依頼者からこういう相談をもちかけられ、「裁判で勝てますか」と聞かれたら「まず無理でしょう」と答えますよ。あなただってそうしませんか?大体、理屈で圧勝できるくらいだったら、国際司法裁判所とか国連とか訴えるところは幾らでもあるだろうに、日本政府はそれもしてないでしょ。

 また、仮に100%正義は我にあり的な根拠があったとしても、今さら言うのはtoo lateですよ。もし本当にそういうつもり(北方領土は放棄しないつもり)だったら、なんでサンフランシスコ条約の時にキチンと明言しなかったのか。あのとき「国後、択捉を除く千島列島」とちゃんと言っておけば良かったんです。これ、契約交渉事でいえば致命的なミスですよ。営業マンでも、このあたりの確認一本取らないようなボンクラだったら即クビでしょう。日本政府の論拠の一つになっている樺太千島条約でも、フランス語くらいちゃんと訳せよという気もします。国と国の取り決めである条約の翻訳にミスがあるというのは、ちょっと信じられないような初歩的なミスですが、ミスはまだ誰でもやるとして、未だにそのミスに頬被りするばかりか、それを”論拠”にしているという神経が分らない。

 要するに言うべきところでキチンと言わず、後になってグジグジ言ってるという最低のパターンじゃないですか。もし今の時点で北方領土返還を言うのだったら、当時の政府自民党に対する痛烈で的確な批判が先に来るはずでしょう。あるいは与党自民党がやったんだから、国民に対する経過の説明と、痛烈な自己批判と反省をすべきじゃないんですか?それがアカウンタビリティでしょう。

 もっとも、逆に当時の国際情勢でいえば敗戦国日本が国際社会に復帰するサンフランシスコ条約は悲願でもあったわけで、これを成立させることが何よりも(北方領土を切り捨てても)優先すべしという判断があったのかもしれません。そして、多分そうだと思うし、僕はその決断を支持します。政治というのはそういうものだし、泣いて馬謖を斬るようなこともしなければならない。しかしね、だったら後になって北方領土云々を言うなよと思うわけです。あのとき信念をもって切り捨てたんだから、そのことに全責任を負えよと。スジ論からいったらそうなりませんか?

 何が割り切れないといって、北方領土を領有しているロシアよりも、言うべきときに言えなかった日本政府に割り切れぬ思いを抱くし、アメリカに言われて仕方なしに強硬路線に転換した経緯、その後アメリカとは別に独自にソ連との関係を構築しようとしなかった怠慢、冷戦後20年経過しても未だに慣れしたんだ親米路線から離れようとしない無能さ、いずれにも「なんだかなあ」って感じです。そして、過去の外交の下手くそさや朝令暮改ぶりの反省も説明も何もせずに、今日も税金を湯水のように使って北方領土運動を展開していることにもいかがなものかという気がしますね。北方領土問題対協会もサイト上の情報公開によれば理事長の年俸1900万円、総人件費2億3000万円かけているわけです。今の理事長はもとJR東日本、理事は総理府生え抜きのお役人ですか。これだけ頑張って活動してくれているのに、国際的には全くといっていいほど北方領土問題が知られてないというのはどういうことでしょう?日本国内でしか活動してないの?でもって、子供の頃から何度となく「北方領土は日本のもの」という洗脳教育になんとなく洗脳されちゃっていた自分に腹が立つますね。これじゃ、余所の国のことを言えないよ。

    そうそう、解決論ですが、政府の四島一括返還論とは別に、日ソ共同宣言に戻り国後・択捉をロシア、歯舞・色丹を日本という二島返還論、歯舞・色丹のほか日本に近い国後まで貰っちゃおうという三島返還論、国後・択捉は日ロ両国で共同統治にしようという協同統治論、4島全部の面積を半分づつにする面積論(歯舞、色丹、国後+択捉の25%)などがあるそうです。

 二島返還論でも、これで終わりではなく、「まず二島を先に返して貰い、あとはゆっくり協議」という段階論、あるいは「2+2」論があり、前掲「国家の陰謀」にも出てくる鈴木宗男氏の持論でもあり、佐藤氏によれば"国策捜査”+マスコミによって鈴木議員とともに潰されてしまった案でもあります。でも、僕はこれ、いいと思いますけどね。交渉ごとでも、「これによって終局的に解決し、以後双方に一切の権利義務はなく、いずれも新たな主張はしない」という最終決着をつけるようにしますが、段階的に解決できるところだけでも解決しておき、「以後、○○については双方誠意を尽くして協議する」という形にすることも可能です。まず確実に取れるものだけ取っておいて、ゆっくり詰めていくという。歯舞、色丹は千島列島に含まれにくいし、ロシアもそんなにこだわってないようだし、冷戦が終わったから共同宣言のところまで戻りましょうという言い方もできるし。

 あのですね、四島一括返還論だけを強硬に唱えるというのは、別の言葉で言えば「本気で交渉する気がない」とも言えるんじゃないの?そんなのロシアが絶対飲むわけ無いじゃん。よっぽど何かお土産をつけてあげるならともかく。絶対飲むわけがない要求を数十年一日のように言い続けるというのは、それだけ対ロ戦略が無いということだし、真面目に考える気がないということだし、対米追従以外の外交プランを思いつかないということなんじゃないの?

 ああ、でも、しかし、今は四島一括返還以外のプランを口にした政治家はほぼ例外なく叩かれますよね。先日も3.5島返還論を口にした政治家が叩かれてたですよね。なにそれ?ファシズム?ってくらい、非国民的に扱われ、マスコミですらその尻馬に乗ってる。おかしくない?プランだけなら幾らでも自由に議論したらええやん。少なくともどんなプランであれ、四島一括返還なんて夢みたいな事言う人よりは、真面目に事態を前進させようと考えているのでしょうに。それに、これから石油や資源が枯渇していく国際情勢で、世界第二位の石油埋蔵量を誇るロシアと、全く資源を持たない日本と、この先50年100年と平行線の議論をしていて損するのはどっちなのか。一方でいまどき対米追従なんてパラサイト外交、アメリカすらも求めてないでしょ。四島一括返還をいう日本政府に聞きたいけど、一体それを実現するためのどういう具体的なプランがあるのか?国際社会に訴えてるの?実現のメドもたたないのは政策とは言わない。「絶え間ない国民的努力で」なんて文学的説明は説明になってない。それは戦時中の一億火の玉とか八紘一宇と同じスローガンでしかない。欣求浄土、厭離穢土と同じ。国家というのは宗教団体ではないのだ。

 さらに言えば、北方領土スルー(シカト)論もアリだと思います。もう面倒臭いから北方領土はゆっくり時間を掛けて議論することとして、サハリンとかシベリアの資源開発にもっと日本もイッチョ噛みをしていくと。北方領土は解決してないけど、日ソ平和条約を結んじゃう。だって全ての問題が解決しないと条約結べないなんて法はないし、そんなこといったら韓国や中国とだって条約結べない。というか、二国間で全ての問題が解決してる国なんか世界にあるの?大体どこだって一つや二つ、頭の痛い問題を抱えていますよ。だから北方領土問題というのは、対ロシアとことを進めたくない人達(親米派の人達)の錦の御旗というとか、免罪符というか、言い訳のようにすら思えてきます。

 だから結局アレでしょ、ぶっちゃけ北方領土も「言ってるだけ」でしょ?賢い政治家や官僚の皆さんがここに書いてあるようなことを知らないわけがないもん。北方領土は過去の勢いがあるし、とりあえず今更止めるわけにもいかないから、適当に言い続けていて、日本政府や機を見るに敏な日本の商社はとっくの昔にシベリア資源に進出して、ガスプロムあたりと話をしています。だから北方領土が解決しようがしまいが、実質的に得るものは得ようとやってるという。そーゆーことなんじゃないんですかね。

 最後に、日本政府が「固有の領土」という表現を使うのは、アイヌの人達に対して失礼だろうという気がしますね。大体、北方領土はおろか北海道そのものが、日本(和人)によるアイヌ侵略の結果でしょう。どれだけ土地を奪い、どれだけ弾圧、夫婦別離、強制労働、強姦、強制堕胎、差別してきたか。さらに旧土人保護法なんて、法律名そのものが放送禁止用語である珍しい法律を作って、「保護」の名目でアイヌの文化をすり潰してきて、しかもそれが廃止されたのがごくごく最近(平成9年)だという。北方領土は日本でもロシアでもなくアイヌの人達のモノでしょう。樺太アイヌ、千島アイヌがいたのだから、先順位で言えば間違いなくそうなるでしょう。だからといって、今更アイヌに全部返還、北海道も熨斗をつけて返還、、ってなわけにはいかないのは分るけど、せめて日本の政治家や官僚が北方領土について語るときはアイヌの存在について言及があってしかるべきでしょう。しかし、意図的にとしか思えないくらいアイヌの存在はすっぽり無視されている。千島・樺太交換条約だって、勝手に樺太アイヌを色丹まで強制移住させているという経緯があるのだけど、そんなこと全然語られてない。今の麻生総理からして、2005年の総務大臣時代に「日本は単一民族」なんて言ってる程度の見識だから多くは望めないにせよ、これだけ運動を展開するなら、そして「もともとは日本の領土」という「そもそも論」が大きな根拠になるなら、先住民に対してもう少しレスペクトを払えって思います。しかし、アイヌの代表が北方領土交渉に参加したという話はついぞないし、マスコミもそういう視点でモノを言わない。一億総シカト。なにが”固有の領土”じゃって思います。

 オーストラリアがアボリジニへの贖罪と和合にどれだけ気を遣っているか(小学校の校庭には国旗とともにアボリジニの旗があがってる)、アメリカが先住民やコミュニティ内部の民族問題にどれだけ苦労しているか、どこの国でも先進国になるほどそのあたりはデリケートな配慮をしています。日本はついこの間(2005年)にも国連人権委員会から民族差別を解消するように勧告を受けている。日本というのは、こういうセンスについては致命的なくらい抜け落ちているし、それも環境的に無理はないのだけど、このあたりもいい加減何とかせーやという気がします。





過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/西欧史から世界史へ(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/西欧史から世界史へ(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/西欧史から世界史へ(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
ESSAY 346/西欧史から世界史へ(その19)〜ドイツ30年戦争 第0次世界大戦
ESSAY 347/西欧史から世界史へ(その20)〜プロイセンとオーストリア〜宿命のライバル フリードリッヒ2世とマリア・テレジア
ESSAY 348/西欧史から世界史へ(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/西欧史から世界史へ(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/西欧史から世界史へ(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/西欧史から世界史へ(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/西欧史から世界史へ(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/西欧史から世界史へ(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/西欧史から世界史へ(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/西欧史から世界史へ(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/西欧史から世界史へ(その34) 〜世界大戦前夜(2)  中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/西欧史から世界史へ(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/西欧史から世界史へ(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/西欧史から世界史へ(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/西欧史から世界史へ(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/西欧史から世界史へ(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/西欧史から世界史へ(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/西欧史から世界史へ(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/西欧史から世界史へ(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
ESSAY 395/世界史から現代社会へ(その59) インド(1) アーリア人概念、カースト制度について
ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
ESSAY 398/世界史から現代社会へ(その62) インド(4) インド経済の現在
ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン
ESSAY 402/世界史から現代社会へ(その65) バングラデシュ
ESSAY 403/世界史から現代社会へ(その66) スリランカ
ESSAY 404/世界史から現代社会へ(その67) アフガニスタン
ESSAY 405/世界史から現代社会へ(その68) シルクロードの国々・中央アジア〜カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン
ESSAY 406/世界史から現代社会へ(その69) 現代ロシア(1)  混沌と腐敗の90年代と新興財閥オリガルヒ
ESSAY 407/世界史から現代社会へ(その70) 現代ロシア(2)  発展の2000年代とプーチン大統領
ESSAY 408/世界史から現代社会へ(その71) 現代ロシア(3)  チェチェン紛争の迷宮
ESSAY 410/世界史から現代社会へ(その72) 現代ロシア(4)  チェチェン紛争の迷宮(2)
ESSAY 411/世界史から現代社会へ(その73) 現代ロシア(5) 王道のロシア文学


文責:田村




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