今週の1枚(09.05.11)





ESSAY 410 : 世界史から現代社会へ(72) 現代ロシア(4) チェチェン紛争の迷宮(2)




 写真は、Neutral Bayの街角。たたずんでいるカップルですが、かなりお年を召しておられたようですが(おそらくは70歳以上)、なんか高校時代のカップルがそのまま仲良く年を取ったかのような雰囲気で、いいな〜と思ってしまった。


 さてお休み+普通のエッセイの後は、またハードな国際政治編です。チェチェン紛争の迷宮の続編ということで、今回は複雑な背景事情に焦点を当てます。

 前回と同じ地図を説明の便宜のために上げておきます。

ロシア全地図

カフカース地図


チェチェン戦争の背景力学 主な登場人物
 チェチェン戦争は、単にロシア政府とチェチェンだけの二極ゲームではありません。実は登場人物( or 表だって登場はしないけど裏からあれこれ画策している勢力)は思いっきり沢山居ます。

チェチェン側
 まずチェチェンですが、これが全然一枚岩ではないのです。チェチェンには、あくまでロシアからの独立を希望する独立派と、ロシアの支配を受け入れようとする派があります。独立派の中では、急進派のバサエフと穏健派のマスハドフという路線闘争があり、彼らが一番表だってドンパチ活躍します。一方、第二次チェチェン戦争によって独立派が軍事的に追い払われた後は、ロシアの傀儡政権になり、傀儡政権の担い手としてカディロフ親子アルハノフがいます。

 しかし、全てのチェチェン人がこの三派に属するかというと別にそんなことはありません。それほど政治的に熱くもなく、また権力に近いわけでもない「普通のチェチェン人」はそのどれでもない。では、普通のチェチェン人は相次ぐ戦乱にひたすら怯える羊のような無辜の集団かというと、意外とそうでもない。というのはチェチェンに限らずカフカースエリアというのは、アフガニスタンと同じように、山がちで古くから各部族が独立独歩でやってきたエリアだけにチェチェン内部でもそれら部族間の軋轢があって、それほどまとまりが良いわけでもない。強大なロシアやらバサエフの派手なテロ活動に隠れて見えにくいのですが、別に羊のような平和な民というわけでもなく、もっと独立不羈の連中だったりします。第一次チェチェン戦争と第二次戦争の間の時期、ロシアの重圧がなくなったのですが、このときも平和に推移してたわけではなく、それぞれに混乱はありました。それどころか疲弊した経済状況のなかで「唯一の産業は誘拐」というくらい、外国人や資産家が誘拐され残虐に殺されていたりもします。そうかと思うと、党派を超えて人道的に医療活動を続け、党派を超えていたから双方に命を狙われアメリカに亡命させざるをえなくなったハッサン・バイエフ医師のような存在もあります(著作もあるし、世界的にも有名、日本で講演をしたこともあります)。

 何が言いたいのかというと、チェチェン問題のようなケースでは、ついつい強大なロシアが小さなチェチェンを虐めているかのようなシンプルな図式にあてはめがちであり、ロシアのクレムリンの人々は権力欲にとりつかれた悪魔的な人間で、チェチェンの人々は全員可哀想な羊のような民に見えたりするのだけど、それはあまりにもマンガ的なものの見方だということです。一個の人間としてみたら、プーチンよりも遙かに毒々しく、猛々しいチェチェン人だって山ほど居るでしょう。その昔の「鬼畜米英」みたいに、たまたまどっちかの陣営にカテゴライズされたら味噌もクソも一緒くたにして鬼畜だったり、善良な羊だったりすることはないということです。それがリアリティというものでしょう。
ロシア側
 さて、ロシア側ですが、ここも熾烈な権謀術数の世界ですから、プーチン大統領のもとに一枚岩で団結しているわけではありません。第二次チェチェン戦争前後まではプーチン以上の権勢を誇っていた新興財閥オリガルヒがいます。オルガリヒとプーチンの関係は時期によってガラリと変わます。まず、エリツィン→プーチンへの権力移行の90年代末期には、オリガルヒはプーチンの支持勢力として動きます。というか、その時点ではオルガリヒの権勢の方がプーチンよりも強く、自分らの都合の良いロボット政権を作るためにプーチンを支持したような形です。プーチンが国民の人気を集め、大統領選で勝てるように、チェチェン戦争を利用する際にはオルガリヒも一役買っています。しかし、プーチンが手の平を返したようにオルガリヒ勢力の追い落としを始めてからは、プーチンと敵対するようになります。特にイギリスに亡命させられたベレゾフスキー(前回ちょっと紹介しました)は、プーチン政権を弱体化させるためには色々な画策をします。

 オリガルヒとチェチェンの関係ですが、オリガルヒの中でも怪物的な存在であるベレゾフスキーの動きが微妙だったりするのですね。ベレゾフスキーが新興財閥としてのし上がっていく過程において、チェチェン系マフィアとの関係があったと言われています(後にこじれて暗殺未遂を起こされたりもしています)。エリツィン政権のときは、チェチェン問題担当としてチェチェンで生じた誘拐事件に関わり、多額の身代金を自腹を切って支払っています。ベレゾフスキーは政府の承認を得た純然たる公的活動であるとしていますが、受け取ったのが当時チェチェンで首相をやっていたバサエフだっただけに何らかの裏取引があったのではとも言われてもいます。また、プーチンと敵対するようになってからは、共通の敵であるプーチンに対抗するため、バサエフが派手にテロ活動をやるにあたって資金などの支援をしているという話もあります。

 このあたりの諸事情は憶測の域を出ないのですが、かたやKGB出身のプーチン、かたやクレムリンのゴッドファーザーとまで呼ばれたベレゾフスキーの対決というのは、両者のキャリアや資性からして多分に「何でもアリ」であろうし、何がどうなっていても不思議ではないです。ここでは、少なくともロシアが一枚岩で団結しているわけではない、ということだけ押さえておきましょう。

他のカフカース諸国
 チェチェン以外のカフカース諸国ですが、これがまた平和で安定した社会を謳歌しているわけではありません。各国相互に仲がよくない上に、各国内部でもまた”小チェチェン”のような独立を目指す少数民族集団がいて、旧ユーゴスラビアのコソボやセルビアみたいな民族浄化をやってたりします。例えば、90年代前半のグルジア独立時におけるグルジア内部のアブハジア統合紛争などがあります。グルジアはロシアからは独立したいのだけど、グルジア内部で独立したがっているアブハジアは自分のところに吸収したいということで、二重構造の独立紛争になります。その際、アブハジアを後ろから焚きつけているのがロシアだったりして(とグルジア政府は非難している)。また、チェチェン戦争でロシアの不倶戴天の敵になるチェチェンのバサエフが、この時期にはロシアと協同してアブハジア独立のための義勇軍として参戦してたりするから、話はややこしいのですね。

 同じような問題はオセチアにもあり、こういった地下のマグマが2008年のグルジア・南オセチア紛争という形で噴火したりします。要するにカフカース地方というのは、第一次大戦のときに「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島にように複雑であり、バルカン半島の複雑さが冷戦終結後も旧ユーゴ内戦と虐殺という形で尾を引いたように、あちらこちらに火薬を抱えたエリアであるということです。バルカン半島は古代から交通の要所であるが故に民族が複雑に入り乱れており、しかも第一次大戦当時の国際政治の焦点に近かったためにグチャグチャになったわけですね。第一次大戦というのは、斜陽期にあったオスマントルコ帝国とかオーストリア帝国と、勃興する英仏独露の利権争いだったわけですが、トルコとオーストリアの間にあるのがバルカン半島なわけで、ややこしい地域がややこしい時期に舞台になってしまったわけです。

 チェチェンをはじめとするカフカース諸国の問題というのは、後でも述べますが石油資源の利権争いと中東イスラム勢力VS西欧勢力の戦場にも近いということで、これまたややこしいエリアがややこしい時期にややこしい舞台の近くに存在してしまっているわけです。分りにくい筈です。カフカース諸国の中でもチェチェンが最も反骨精神旺盛で、独立・弾圧・反抗・鎮圧・テロ・弾圧といういちいちド派手な経過をたどっているから世界的に突出して有名ですが、この種のゴタゴタは別にチェチェンだけの話ではないようです。

   さて、以上が「土着勢力図」みたいなものですが、これに「部外勢力」が入り込んできて、話はさらにややこしくなります。
イスラム原理主義勢力
 まず、イスラム勢力です。もともとカフカース地方はイスラム教エリアですが、同じイスラム教でもスーフィズムという土着宗教とミックスした形のイスラム教がメインでした。スーフィズムというのは、僕もよくは分らないのですが、神秘主義的というかイスラム教における密教みたいなもののようです。過去にも何度か言及しましたが、イスラム教というのはあんまり神がかってないというか、宗教というよりも法律や国家制度といった方がいいような規範体系だったりします。ともすれば法律のように無味乾燥になりがちなので、もうちょっと神がかった潤いが欲しいということでしょうか、スーフィズムでは禁欲的で厳しい修行をおこない、回旋舞踏というグルグル廻る踊りを通じてトランス状態になり、神と合一するという。この修行とか覚醒、神との合一といういかにも宗教らしいウェットでドラマチックな要素が受けて、古来多くのエリアに浸透していますし、各地の土着宗教と混合していたりします。

 余談になりますが、ある意味、日本の仏教に似ているところもありますよね。日本の仏教、特に民間信仰レベルにおいては、極楽浄土思想や祖先霊崇拝信仰があるわけですが、釈迦の唱えた純粋仏教では人は輪廻しつづけるのだから、本来的に祖先崇拝なんてないし、極楽浄土なんか無いです。だからそこへ誘う大日如来なんかも居ない筈です。だって死んだら「はい、お疲れさーん、じゃあ次ね」ということでグルグル輪廻するんだもん。回転寿司のように循環しているのだから、どこが先頭でどこが末尾ということもない。だから論理的に「先祖」という存在はありえないです。草葉の陰に祖先の霊なんかいないし、お彼岸になったら帰ってくるなんてこともない。ここでは仏教が日本土着の祖先崇拝信仰とごた混ぜになってるわけです。さらに、アミニズム的山岳信仰(役行者みたいな)ものとドッキングして山伏が出てきたり、マントラ(真言)を唱えて宇宙の真理を垣間見る密教とか、千日廻峰、即身成仏という独自の展開を示していくわけです。当然神道ともごちゃ混ぜになる。「お地蔵さん」という仏教上のいかなる教理から導き出されるのかようわからん存在が全国各地に点在しているわけですし、毘沙門天や帝釈天のようなヒンドゥー教の登場人物が出てきたりします。でも、これは日本の宗教が無節操というのではなく、宗教というのはある土地に浸透していく際に、その部族のそれまでの文化と自然に混ざり合っていくということだと思います。キリスト教だって、イスラエル発の砂漠宗教のくせに、キリストの誕生日には何故かボッテリ厚着をしたサンタクロースというおじいさんがトナカイのソリに乗ったりするわけです。どこであれツッコミどころは満載ってことです。

 さて、カフカース地方ですが、民族部族が入り乱れてそれぞれに長い伝統をもっている彼の地では、イスラム教もスーフィズムという形で受け入れられていました。ところが、冷戦終結後のイスラム世界と西欧世界の対立、イスラム教の原点に戻れという原理主義の勃興によって話は変わってきます。西欧に対する敵対意識をもつイスラム原理主義者は、その敵対姿勢によって戦闘集団的な様相を持ち、ジハド(聖戦)やムシャヒディン(イスラム戦士)という文脈で活動するようになります。そして、チェチェンをはじめとするカフカース地方がロシアと戦闘状態になるや、中東方面のイスラム世界から義勇兵が駆けつけてきて、チェチェンにおいては過激派の首領であるバサエフと共同戦線を張るようになります。彼ら原理主義者は、原点回帰に固執しますので、スーフィズムのように宗教的ヒラヒラの装飾性を邪道呼ばわりします。特に、サウジアラビアあたりのワッハーブ派が多かったようですが、ここで同じイスラム教のなかでも確執が起きます。でも、チェチェンの若年層、特に戦争後の失業率70%とかいうとんでもない窮迫状況において人生の意義も目的も希望も見失いがちなだけに、イスラム義勇兵らが持ち込んできた「全部西洋の悪魔的な価値観のせいだ、奴らを倒すために戦え」というプロパガンダは魅力的に映るようです。
その他の国際勢力
 部外勢力その2としては、アメリカをはじめとする西欧勢力です。筆頭にくるのが当時のブッシュ(子)大統領率いるアメリカです。特に911テロのあとは、対テロ戦争という錦の御旗を掲げ、イラクを攻め、アフガニスタンを攻め込みます。ただし、アメリカ国内もロシアと同じく一枚岩ではないです。ブッシュ政権内部でも強硬なネオコン派と穏健派の対立があります。

 また、経済的にみればソ連の誇る原油資源のパイプラインが中央アジアからカフカース地方を通ることから、世界の石油企業や商社などが利権を求めて争奪戦を展開します(ニュー・グレート・ゲームというそうです)。そして、この石油利権系の登場人物とアメリカ側の登場人物はかなりの程度重複したりします。だいたいブッシュ家の家業も石油屋さんだったりしますし。

 さらに、これらのショーの「観客」ともいうべき国際社会、特に西欧社会における”世論”があります。アメリカ大統領やロシアといえども国際世論に逆らったら権力の維持が難しいです。だからといっておとなしく世論に従うかというと、逆に世論(マスコミ)を操作するようになります。


 これに加えて、西欧&イスラム勢力以外の国際勢力がいます。例えば中国やインドです。どちらもBRICsの一翼を担い、猛烈な経済発展の末にくる資源エネルギー不足を解消するためにロシアやカフカースの石油利権には敏感です。それに加えて、インドは不倶戴天のパキスタンとの絡みで、パキスタンの支持するアフガンのタリバン政権や中東イスラム勢力、アメリカ、ロシアと微妙な関係を築こうとします。中国の場合には、自分のところでもチベット問題というチェチェンと似たような問題を抱えているので、うかつな言動は取れません。それぞれがそれぞれの思惑を持っているということですね。また、カフカースと民族的に近いトルコ。さらにイスラエル。ロシアのオリガルヒにユダヤ人が多く、イスラエルに亡命してたりします。

 このように登場人物だけでもムチャクチャ沢山おり、しかもそれぞれの行動原理や利害の次元が全然違う。あたかも同時に3曲くらい音楽を鳴らしているような状況になっているわけで、本当に何がなんだかよく分らなくなっています。まさにチェチェンの迷宮です。

 かといって、「よう分らん」を連発しているだけでは芸がないので、多少なりとも文脈解析をしてみましょう。


反テロの潮流への「すり替え」とバサエフのテロ攻勢

 チェチェン問題を理解する一つのコンテクストとしては、テロ(反テロ)の流れがあります。

 ご存知のように2001年の911テロによって、アメリカのブッシュ政権は「テロとの戦い」を掲げ、イラクやアフガンに侵攻するようになります。今となれば悪評ふんぷんでボロカス言われている反テロ戦争ですが、当時は非常に盛り上がっています。このブッシュ大統領の反テロ戦争の旗印に、プーチンはさっそく支持表明をします。アメリカの主張に間髪入れずにロシアが支持を表明する、冷戦時代には考えられなかったことですが、それぞれがそれぞれに思惑あってのことです。

 まず、ロシアのプーチンとしては、ロシア軍のチェチェン侵攻が国際的には人権侵害、弱い者イジメのように見えて、あちこちから批判されてうるさくて仕方がなかった筈です。プーチンは「テロリストは便所に追い詰めて肥溜めにぶち込んでやる」(99年)、 「我々が戦っている相手は残酷な連中、人間に化けた獣だ」 (2005年11月)とチェチェン勢力に対して攻撃的な言説を吐くのですが、同時に「我々の敵はテロリストでなく、ジャーナリストだ」(01年05月)という、チェチェン側に同情的だったり、チェチェン側の取材を行おうとする西欧ジャーナリズムに対する苛立ちも隠せません。その意味で、チェチェン独立派を「あれはテロリストなんだ」とレッテルを貼りかえ、チェチェンへの軍事侵攻を”弱い者イジメ”という文脈から「テロとの戦い」に変えてしまえば、国際世論の批判をかなりクリアできるという目論見があったと思われます。

 一方、アメリカはイラクやアフガンへの作戦を展開するにあたり中央アジアやカフカース諸国での米軍駐留をロシアに認めてもらいたいという思惑があります。また、アメリカと中東の立場が険悪になることに備えて、非中東圏の産油国であるロシアとはうまくやっていこうという思惑もあります。ここに米ロの思惑が合致し、反テロという錦の御旗のもとに米ロ蜜月状態が現出します。ロシアはアメリカの駐留を認め、アメリカはロシアに対する人権侵害的な批判を弱めます。
 反テロ潮流の尻馬に乗ろうというプーチンの戦略は、ミエミエな論理のすりかえではあるのですが、しかしそれをすり替えと感じさせないくらい、チェチェンの過激派バサエフのテロ活動も凄まじいものがありました。第二次チェチェン紛争以後、穏健派のマスハドフと袂を別ったバサエフの行った「仕事」をリストアップすると以下の通りです。

 2002年10月:モスクワ劇場占拠事件 - 42名の武装勢力がモスクワのドブロフカ・ミュージアムで人質922名を取り、ロシアのチェチェン撤退を要求。ロシア政府、軍精鋭部隊(スペツナズ)を強行突入させ武装勢力側は全員死亡。しかし、その際に使った有毒ガスの詳細や解毒の情報周知が不徹底だったため、人質129名が中毒死する(犠牲者数については諸説あり)。また、ドサクサに紛れてロシア側が死傷した人質の所持金などを”火事場泥棒”したということで、2009年3月モスクワ裁判所は一部を認め賠償を命じる判決を下しています。

 2002年12月:チェチェンの首都グロズヌイの政府庁舎での自爆テロ。約80名死亡

 2003年5月:チェチェン北西部のズナメンスコエ行政庁舎での自爆テロ、59名死亡。その二日後、ロシアの傀儡政権であるカディロフ(父)大統領に対して女性の自爆テロ敢行、14人死亡するも、カディロフは無事。その他、2003年にはスタヴロポリ駅爆破、赤の広場爆破事件などがあります。

 2004年には有名な北オセチア共和国のベスラン学校占拠事件が発生し、322人の犠牲者を出します。9月1日に実行された占拠により、7歳から18歳の少年少女とその保護者、1181人が人質となってます。3日間の膠着状態ののち、9月3日に犯人グループとロシア治安部隊との間で銃撃戦が行われ、治安部隊が建物を制圧し事件は終了したもの、386人以上が死亡(うち186人が子供)、負傷者700人以上という犠牲を出す大惨事となりました。

 他にも2004年には、モスクワ地下鉄爆破、隣国イングーシ内務省襲撃、グロズヌイにてカディロフ(父)大統領を爆殺、モスクワ発旅客2機同時爆破があります。2005年には、カバルジノ・バルカル共和国の首都ナリチクへの襲撃事件。

 というわけで精力的にテロをやりまくっていたバサエフですが、これには女性も参加しており、チェチェン紛争により家族を失った女性たちにより組織された黒い未亡人(ブラック・ウイドウ)と呼ばれるテロ組織もありました。

 暴れ回っていたバサエフですが、2006年7月10日にイングーシとチェチェンとの国境付近で、ロシアのFCB(ロシア連邦保安庁)によって爆殺されます。

ロシア(プーチン)の事情

 さて、結局ロシア(プーチン大統領)はチェチェン紛争をどうしたいのでしょうか?
 ロシアという国家からしたら、チェチェンなど面積的も人口的にも1%にも満たない些細な断片であり、別にチェチェンに素晴らしいお宝が眠ってるわけでもなんでもありません。だったら独立させてやれば良さそうなものですが、そうもいかない事情があります。

 チェチェンの独立を認められない理由は、これを認めてしまうと全体統制のタガが外れてしまうからです。ロシアシリーズの最初でやりましたが、ロシアというのは「砂の社会」で、何か強力な統制規範によって型枠をはめてやらないとサラサラ崩壊してしまう傾向があり、現にエリツィン政権の90年代には無政府状態に近いくらい崩れかかっていました。ガッチリ型をはめること、これはプーチンに限らずロシア政権担当者だったら誰でも意図するでしょう。生半可なやり方では、結局無秩序と汚職がはびこりオリガルヒのような新興財閥がのさばるだけであるのは実証済みですから。

 そうはいっても、全体の統制を崩さない程度にチェチェンにある程度の自治を認めたり、話し合いによる軟着陸を模索することだって出来るはずです。でもそれをしようとしないのは、もっと別の理由があります。その一つは、過激な強硬姿勢を見せることによって国民の人気を得るというプーチンの選挙対策・政局運営の目的があります。現に、第二次チェチェン戦争における強硬策人気でプーチンは大統領選初陣を飾っています。というか、大統領選に勝つためにわざわざチェチェン戦争を起こした=攻撃のキッカケとなったロシア内での連続アパート爆破テロ事件はプーチン陣営の自作自演ではないかという指摘もあるくらいです。また、チェチェンからのテロ攻勢が起きる度に、プーチンはこれを政治的に利用し、ロシア全体の中央集権化を一歩一歩進めていっています。要するに中央集権化のための口実としてチェチェン紛争があるのであり、プーチンにしてみれば「チェチェンさまさま」であり、願わくば頑張って反抗し続けて欲しい、必要だったら裏から資金援助しかねないくらいの状況があります。これが一つ。

 もう一つは資源戦略です。経済発展を始めた2000年以降のロシアの国際戦略は、石油など豊富な資源をもとに国際社会でしかるべき地位を築くことです。アメリカをはじめとする西欧勢力、あるいは中国やインドなどの新興勢力に対して、ロシアの資源が欲しかったらちょっとはロシアの言い分を聞きなさいと言いたいわけです。資源をもとに強いロシアを復活させようという。

 アメリカ等からしたら、ロシアの資源戦略を黙って指をくわえて見ているわけにもいかないので、ロシア周辺諸国への取り込みを行ったりします。ロシアと欧州の間に位置するウクライナでは、2004年にオレンジ革命が起きて反露親欧政権が成立しました。同じ時期に、グルジアではバラ革命、キルギスではチューリップ革命が起きています。これらロシア衛星諸国での政局の変動は、必ずしも全てが西欧からの働きかけによるものでもないし、また結果として西欧志向になっているわけでもないのですが、より民主的(=より反ロシア的)になればなるほど、西欧勢力が入りこむ余地が出てくるわけです。

 ウクライナのオレンジ革命の翌年(2005年)には、ロシア・ウクライナガス紛争が起きます。ロシア(ガスプロム社)がウクライナに供給していた天然ガスの値段を一気に3倍から5倍に値上げする旨通告したもんだから、両者の交渉は紛糾します。ウクライナは政治決着をつけるために、英仏米政府に助力を要請しますが、決着が付かないまま翌年になり、ロシアは通告どおりガス供給を削減します。このとき、全体の供給量が減ったのに、ウクライナは自国分は従来通り取っちゃったから、結果として同じパイプラインで供給されていた欧州向けのガス供給量が激減、とばっちりを食らった欧州はパニックに陥りました。もっともこの混乱は数日で収拾したのですが、資源をめぐるロシアとのギクシャクでオレンジ革命で成立したウクライナのユシチェンコ政権の基盤が揺るぐことになります。

 ウクライナガス紛争は、いかにもロシアらしい直接的な資源戦略と考えがちですが、実は意外にそうでもないそうです。ウクライナは、これまでもガス代を滞納しまくってきており、またロシアのガス供給ストップは何もこれが初めてではないそうです。また国際相場からしてもそれまでが馬鹿安だったのでロシアの料金改定は特に法外なものとも言えない。しかもロシアの資源供給ルートの基盤強化は、ベルラーシでのパイプ権の確保や友好国アルメニアとの間でも行われているのであって、一部の西側論者が盛んに喧伝するように露骨な資源戦略と一直線に決めつけられないでしょう。

 しかし、そうはいっても「ロシアがその気になったら、、」という危機感はたっぷり西側に植え付けられました。仮にロシアとウクライナの争いであったとしても、とばっちりを食らうのは西欧ほかの国際市場であり、ロシアの動向に目が離せないという認識が生まれますし、ロシア以外での資源確保を積極的に進めねばという動きにもつながっていきます。

 そのような背景においては、資源パイプラインが通過するカフカースエリアはとても重要エリアになります。このエリアが独立し、法的にもロシアの管を離れ、ロシア以外の勢力と関係を結んだら、ロシアとしては困ったことになります。ゆえに、ロシアとしてもチェチェンへの締め付けを安易に緩めるわけにはいかないというお家の事情が出てくるわけですね。


アメリカの事情・世界の事情
 さて、一方アメリカの事情はどうなっているのでしょうか。
 アメリカの対露戦略は時期時期によって異なります。思えば冷戦時代が一番シンプルで、要するに単純に張り合っていれば良かったわけです。しかし、ゴルバチョフ〜エリツィンによるソ連崩壊時期以降は、アメリカはロシアに対して好意的になります。もともと西側的価値観が強いゴルバチョフは英雄のように西側で受け入れられましたが、過激な市場改革をやりすぎて国家崩壊状態を招いたエリツィン政権に対しても、温かい眼を注ぐ、、というよりも、見て見ぬふりをします。特に90年代前半においては、未だ旧共産勢力が強かったので、エリツィン政権がコケて再び共産国に戻ったら、またぞろ冷戦をやらなきゃならない、それだけは回避したいので、多少のことは目をつぶっていたわけです。そして、アナーキーな状態が続き、国民の平均寿命すら大幅に減少するという状況になるや、もはやかつての脅威は無いだろうとばかりに、無関心になっていきます。

 ブッシュ政権による対イスラム・反テロ戦争時代になると、上に書きましたように、短いながらも蜜月期間が訪れます。しかし、プーチン大統領によってロシアがメキメキと経済力をつけ、「強いロシア」が復活するにしたがって、アメリカのロシアに対する警戒感もまた復活していきます。ロシアは、世界の多極化を唱え、中国やイランと接近し、またアメリカの裏庭であるベネズエラやキューバのように反米的な国との連携を強化します。同時に、ロシアの周辺諸国への統制を強めていきます。アメリカもまた、鏡に映したように同じような行動を取り、ロシアの裏庭であるグルジアやウクライナにちょっかいをかけていくわけです。このような微妙な関係は「冷たい平和」と言われ、さらに進んで「新冷戦時代」と表現する論者も出てきています。

 ただ、アメリカとしても無条件にロシアと敵対するわけではなく、非中東系の資源産出国であるロシアとはうまくやっていきたいとは思っているのでしょう。かといってロシアの言いなりになる気は勿論ありませんから、あくまで「うまくやっていく」という絶妙なバランスが求められるということですね。このあたりの複雑微妙なバランスや駆け引き末、チェチェンやカフカース問題について、いかなるタイミングでどうコミットするを決めるという、高度且つデリケートなポリティカルゲームになっているのが現状だと思います。要するに非常に分りにくいということです。


 以上見てきたように、チェチェン問題というのは、チェチェンだけの問題ではありません。というよりも、チェチェン以外の諸勢力の思惑とパワーバランスがむしろメインであり、これらの諸要素があまりにも複雑に入り組んでしまったので、誰もうかつに手が出せないという感じになっているようです。先月(2009年4月)、ロシアはチェチェンでの鎮圧行動の終結を一方的に宣言しましたが、前回でも触れたように、これは財政難による資金不足で「とりあえず終わったことにしよう」という「言ってみただけ」という感が強いです。一方、チェチェン民族の反抗の歴史は、モンゴル帝国、ロシア帝国、ソ連と延々400年にも及ぶという筋金入りの反骨の歴史であり、現在のロシアのお墨付きの傀儡=カディロフお坊ちゃま=政権がどれだけ持つのか微妙なところがあります。ましてやかなり調子にのって自国民を統制しているようで、まだまだこのエリアの問題は続くものと思われます。



過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/西欧史から世界史へ(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/西欧史から世界史へ(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/西欧史から世界史へ(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
ESSAY 346/西欧史から世界史へ(その19)〜ドイツ30年戦争 第0次世界大戦
ESSAY 347/西欧史から世界史へ(その20)〜プロイセンとオーストリア〜宿命のライバル フリードリッヒ2世とマリア・テレジア
ESSAY 348/西欧史から世界史へ(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/西欧史から世界史へ(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/西欧史から世界史へ(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/西欧史から世界史へ(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/西欧史から世界史へ(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/西欧史から世界史へ(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/西欧史から世界史へ(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/西欧史から世界史へ(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/西欧史から世界史へ(その34) 〜世界大戦前夜(2)  中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/西欧史から世界史へ(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/西欧史から世界史へ(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/西欧史から世界史へ(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/西欧史から世界史へ(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/西欧史から世界史へ(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/西欧史から世界史へ(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/西欧史から世界史へ(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/西欧史から世界史へ(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
ESSAY 395/世界史から現代社会へ(その59) インド(1) アーリア人概念、カースト制度について
ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
ESSAY 398/世界史から現代社会へ(その62) インド(4) インド経済の現在
ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン
ESSAY 402/世界史から現代社会へ(その65) バングラデシュ
ESSAY 403/世界史から現代社会へ(その66) スリランカ
ESSAY 404/世界史から現代社会へ(その67) アフガニスタン
ESSAY 405/世界史から現代社会へ(その68) シルクロードの国々・中央アジア〜カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン
ESSAY 406/世界史から現代社会へ(その69) 現代ロシア(1)  混沌と腐敗の90年代と新興財閥オリガルヒ
ESSAY 407/世界史から現代社会へ(その70) 現代ロシア(2)  発展の2000年代とプーチン大統領
ESSAY 408/世界史から現代社会へ(その71) 現代ロシア(3)  チェチェン紛争の迷宮


文責:田村




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