今週の1枚(09.04.06)





ESSAY 406 : 世界史から現代社会へ(69) 現代ロシア(1) 腐敗と混沌の90年代、新興財閥オルガリヒ




 写真はGlebeの夜の風景。レストランの二階から撮りました。報道写真のような妙な不気味さと不思議さが面白かったので。実際にはもっと明るく楽しい金曜の夜でした。



 今週からロシアをやります。
 インド→パキスタンなど周辺国→アフガニスタン→中央アジアと来たら、お隣のコーカサス諸国をやるのがスジというものでしょう。ここはグルジアとかチェチェンとか何かと話題を提供してくれているエリアです。

 しかし、チェンチェンにせよ、グルジアにせよ、基本的な問題構造はロシアとの関係にあり、現代ロシアの状況が分かってないとこのあたりの理解も進みません。というわけで、いよいよ大国ロシアをとりあげてみたいと思います。ブラジル、インドときて、BRICs諸国の第三番手です。

 ロシアやソ連はこれまでの西欧史の流れの中で頻繁に登場しました。第二次大戦後に至っては東西冷戦構造ということで殆ど何らかの形で毎週レギュラー出演していたようなものです。これまでのところソ連とその崩壊までは書いたのですが、ソ連が消滅しロシア連邦になってから最近までの歩みは未だ本格的にやっていません。僕自身もあんまりよく分からないのですね。ここ20年のロシアというのはどうなっていたのでしょうか?ゴルバチョフのあとエリツィンが仕切って、ロシアン・マフィアが暗躍して、KGB出身の強面プーチンがチェンチェンを厳しく抑えつけている、、、程度くらいしか分かりません。これじゃ殆ど何も分かってないのに等しいですよね。

 ということで、毎度のことながら泥縄式に調べてみました。
 えーと、ソ連崩壊後20年のロシアの歩みは、90年代までの前半と、21世紀になってからの後半とに分けられると思います。大雑把に言ってしまえば、前半はボロボロで国として成り立ってるかどうかすら怪しいくらいだったのが、後半になると一気に経済成長を果たし、BRICsの一角を担うようになります。前半ダメダメ→後半イケイケという分かりやすいパターンですね。でも問題はなぜそうなったか?です。なぜ前半ダメだったのか、なぜ後半に勢いづくのか?です。その理由をもっと乱暴に要約するなら、前半ダメだったのは(こう言っちゃうと語弊があるけど)”ロシアだから”であり、後半良くなるのはプーチンが出てきたから、です。要するにプーチン前、プーチン後でガラリと状況が変わるわけです。プーチンというのはそれだけ影響力の強い政治家だということです。

 プーチンが出てきて強力なリーダーシップで国を立て直した、OK、それは分かった。しかし、プーチンが出てくる前にはエリツィンがいたし、その前にはゴルバチョフだっていたのになんでダメだったのか?というさらなる疑問が出てきます。これは結局ロシアというのは本来的にどういう国か、どうなるとイケていて、どうなるとダメになるか、その生理的ともいえる特質は何か?というディープな話に連なっていくと思われます。


ロシアの「砂社会」性
 今回調べていて非常に興味深い指摘がありました。それは、ロシアは「砂の社会」だというものです。
 青山学院大学の袴田茂樹教授の卓説なのですが、氏によると、西欧は一つ一つ堅牢なレンガを積み上げていくような「石の社会」だとされます。これは分かるような気がしますね。西欧社会というのは、ルネサンス以降の近代人権思想をベースにして明晰なロジックで社会を形作っています。個人の幸福、個人の自由意志が至高価値を持つとされ、その個人の幸福を最大限実現するために人権というルールが置かれ、それを憲法という形で明確化し、個人の幸福をシステマティックに保障するために国家が創設され、国家は民意によって動き、その権力の濫用を防止するため三権分立を用いる、、、ということで、「なんでこういうシステムになってるの?」と問えば、全て理屈で明確に答えられるような社会です。1+1がちゃんと2になる社会です。レンガのような石の社会。

 一方、日本は「粘土の社会」とされています。これも何となく分かりますよね。粘土のように全体にベチャっとくっつき、個々は全体の中に埋没してしまう。1+1が「大きな1」になってしまう。個性の輝きは薄くなるのですが、その代わり良きにつけ悪しきにつけ全体としての統一感はあり、常に一定の秩序はあるわけです。

 しかし、ロシアは砂の社会だと言います。サラサラしていて全然くっつかない。1+1はあくまで「1と1」であり、「+」という粘着性がない。石の西欧は粘着性はないけどそれでも積み上げることは出来るけど、砂は積んでいくそばから崩れていく。だから秩序ある社会になりにくい。西欧と同じような個人主義なのだけど、西欧のインディヴィジュアリズム(個性主義)ではなくミーイズム(利己主義)になりがちで、各自がてんでバラバラの個人利益を追求するから猛烈に汚職や腐敗が蔓延する傾向がある、と。

 このような砂社会ロシアにおいては、砂を国として形にするために強力な型枠が必要だし、型枠のなかにセメントを流し込んでやらないとならない。ロシアの歴史は、最初ルーシという地方にいた人々がキエフ公国を作り、それがモンゴル帝国に蹂躙され圧政支配を受け(タタールのくびき)、やがてその影響が弱まるとロマノフ王朝が出現し帝政ロシアになり、それをレーニンが社会主義革命でひっくりかえしてソビエト連邦を作り、それをゴルバチョフとエリツィンがひっくりかえした、、という流れになってます。いずれもモンゴル帝国、ロシア帝国、ソ連という、強力な力とイデオロギー支配がありました。帝政ロシアにおいては皇帝の絶対的な支配構造が型枠になりギリシャ正教がセメントになったし、ソ連時代はガチガチの中央集権体制が型枠になり共産主義思想がセメントになってました。

 自由のない厳しい社会なんだけど、それなりに国家社会としての体をなしていた。それを壊したのがゴルバチョフで、彼は西欧流の民主主義国家を建設しようとしたし、西側社会も諸手を挙げて歓迎しました。しかし、型枠を外してしまったので元の木阿弥の砂社会に戻り、西欧諸国の期待をよそに、堅牢な石積み民主社会+市場経済にはなってくれず、個人個人が利害に走る群雄割拠の戦国時代みたいになってしまいました。ほとんどカオス状態。これがダメダメの90年代であり、再び強力な型枠をはめ込んだのプーチンだということです。

 こう書くと、なるほどロシア人というのは、奴隷状態のような圧政をしないとロクに国としてまとまらず、自由にしたらエゴイズムの権化・盗賊みたいな烏合の衆になるわけで、要するに人間的にどーしよーもない連中なのかと早とちりする人も出てくるでしょう。でも、それは違うと思いますね。ここで論じられているのは国家や社会がそういう特質を持っているという話で、個々人の特性がどうのという話ではない。帝政ロシア、ソ連の頃でも、個々のロシア人はお人好しなくらい人間味溢れる人が多いのだけど、国家として動くときは油断も隙もない冷酷そのものになるという話を幾つか読んだことがあるし、こちらでロシア系の人達と触れた限りではそんなに際だった人間的特徴もない。第一、そんな利己的でヘンな人達だったら、ドストエフスキーやチャイコフスキーのような人類普遍の小説や音楽が作れるわけがないでしょう。だから、話の次元は、個々の人間の性質ではなく、ある人間集団を貫く社会の歴史的文化的ルールがどうなってるのかってことなのでしょう。

 これまでずっと世界史を見てきて僕なりにわかったような気がしているのは、社会の中の普通の人々、偏差値50前後のふつーの民衆が力を持ち、国を成り立たせていくプロセスを経てきた国はやっぱり安定しているし、民族的特性が国家の特性とシンクロしやすいです。中産階級は国の宝と言いますが、本当にそうだと思う。一部の特権階級(国内貴族階級や外国の侵略者)だけが仕切り続けた国は、一握りのエリートと圧倒的大多数の奴隷がいるというイビツな構成で進むから、普通の人の普通のキャラクターが国家のキャラクターにならないし、一握りの権力闘争で国の進路が大きくブレていく傾向にあります。

 西欧諸国の歴史は、ルネサンス、宗教改革、自由都市、農業革命、産業革命、資本主義など一連の流れのなかで市民階級が勃興し、市民革命を起こします。近代人権思想や民主主義を単なる理想論やキレイゴトではなく、本当に実現してきました。だから中産階級(ブルジョワジー)の力が強い。これに対して、日本の場合、士農工商の江戸時代から反主流派の下層エリート(薩長など外様藩の下級武士)達が明治維新という一種のクーデターを起こし、四民平等にしました。しかし、日本中の百姓町人が立ち上がって幕府を倒したわけではない。市民革命ではなく、エリート間での権力争奪戦であり、クーデーターに近いでしょう。戦後の民主化もアメリカによってもたらされたものであって、自発的な部分は少ない。したがって日本においては、市民革命を経ていないという歴史的欠落から、日本人は民主主義システムというものを頭では分かっているけど、血肉にはなっていません。これは未だにそうだと思います。しかし、皮肉にも戦時中の挙国一致体制や戦後の高度経済成長によって日本人の平等観念、一億総中流意識は十分すぎるほどに涵養されました。

 結果として日本では、政治的に国を動かすというよりは、中産階級が経済的に国を動かすような感じになってると思います。30年前から日本は経済一流政治は三流と言われてきましたが、正直僕ら平均的な日本人はそんなに政治に関心はない。どういう国すべきか、どういうシステムを構築すべきか、どういう方針で世界秩序に貢献するかということを常日頃から普通の日本人が普通に考えている、、ってことはないでしょう。普通の日本人の普通の人生観の中心に来るのは、就職・就労+老後の生活設計という経済活動であり、経済活動に有利だからという理由だけで受験勉強や塾通いをする。また、普通の日本人の消費動向や購買動向に日本企業は敏感だから、企業と消費者のコール&レスポンスで日本の消費文化が形作られていきます。有権者の投票と不断の政治参加によって国が進んでいくのではなく、消費者の経済活動によって国が進んでいく。世界的にみて失業率は非常に低い方だけど、投票率もまた低い、という国になるわけです。極端な話、首相なんか居ても居なくてもどっちでもいいくらいの感覚があります。これが僕らの国家社会の歴史的文化的特性です。だから平均的な日本人がオーストラリアに留学した際、オージーやヨーロピアンからガンガン政治の雑談をされても、日頃からあんまり考えていないから対応できないという現象が生じます。これは良い、悪いではなく、これまで歩んできた歴史によって、なんとなく自然にそういったものが醸し出されてくるということです。

 さて、翻ってもう一度ロシアの歴史をみた場合、彼の国というのは、いつでもエリートVS奴隷体制だったわけです。モンゴル帝国支配下でも、帝政ロシアの皇帝・貴族と農奴時代でもそうでした。帝政ロシアという絶対王政の後、普通ならここで資本主義や市民革命が起きるのだけど、ロシアの場合にはそれをいきなりすっ飛ばして社会主義になっています。ガチガチのファシズムみたいな共産主義体制で、共産党エリート層=ノーメンクラトゥーラが支配する体制になってしまった。こういう流れでやってきて、ゴルバチョフが社会主義をぶっ壊して、さあ民主主義、市場経済でやっていこう!といったところで、なるわけがない。再び新旧入り乱れての凄まじい権力闘争が起きるわけです。

 また、ロシアは呆れるほど巨大な国です。日本の45倍あります。オーストラリアの2倍もあります。てことは、アメリカ2個分、中国2個分、欧州2個分くらいあります。その殆どがシベリアのツンドラだったとしても、途方もなく広いです。およそ一国の政治体制で仕切っていくのは人間の脳味噌上不可能なんじゃないかと思われるほど巨大。そこに100民族以上ひしめきあってる猛烈な多民族国家です。オーストラリアやアメリカのように移民で多民族国家になったのではなく、土着だけで100民族いるというからとんでもない国です。圧倒的多数はスラブ系のロシア民族だとしても、辺境や周辺には聞いたことないような民族や文化が沢山あります。今回ソ連時代やロシア連邦になってからの各州や自治区の地図を探したり、作成しようとしましたが、想像を絶して多様且つ細かいので挫折しました。州、地方、共和国、自治州、自治管区、全部あわせて83もあります。比較的大きな単位である21の共和国ですら、カバルディノバルカル共和国、カルムイク共和国、カラチャイチェルケス共和国、、、という感じで、書いてる間に空しくなってしまいました。こんな巨大なモザイク国家、砂社会にならない方が嘘です。民族的接点なんか何もないってところもたくさんある。もともと、ロシアの語源になった「ルーシ」地方はフィンランドやポーランドの隣あたりで、あのあたりの豪族から始まっており、モスクワですら超辺境地帯と馬鹿にされていたくらいなんだから、その程度の地理的・歴史的蓄積で、中央アジアから北方領土までに達する広大なエリアを支配しようというのがそもそも無理な話でしょう。

 本来、ヨーロッパやアジアに比較すれば大した歴史も伝統も蓄積されていない集団が、人類最大の領土を仕切ろうというのですから、どうしたって話は「強ければいいんだ」「大きければいいんだ」という荒っぽい話になっても無理はないです。強力な力で、巨大なエリアを支配するという。それが帝政ロシア時代の政治哲学というか方法論で、広大な領土+豊富な資源+強力な軍隊です。分かりやすいっちゃ分かりやすいのですが、素朴な足し算発想なので、掛け算や割り算まで駆使する老獪な西欧諸国には対応できず、西欧史においてもロシアというのはやたら顔を出すけど、今ひとつ精彩を欠く田舎国的な存在に甘んじざるを得なかったです。大体いつもイギリスあたりに一杯食わされてますね。そのうえ、狭い領土、資源ゼロの筈の日本に日露戦争で負けるわ、戦後の経済成長でも負けるわですから。だから、”大男総身に知恵の回りかね”的なところはあります。でも、それは前提条件を考えてみればしょうがないですよ。

 日本は典型的にその逆をいっていて、狭い国土にやたら人が多く、しかも殆ど単一民族。歴史も文化もしっかりある。そりゃ日本の歴史など、中東、インド、中国あたりの四大文明エリアからみたら大したことないですけど(紀元前の方が長く、余裕で日本史2回分くらいある)、それでも大和朝廷から数えて1500年程度の歴史はあるわけです。これだけの伝統と文化をもとに、あの程度の広さを、しかも同じ民族相手にやれば良いんだから、ある意味簡単でしょう。また同民族同士で生まれてから死ぬまで押し合いへし合いしていれば、自然と納豆のような粘りけが出てくるでしょうし、秩序感覚なんかイヤでも芽生えるでしょう。粘土社会になって当然だと思います。

 1991年にゴルバチョフ政権を保守派共産党勢力がクーデーターを起こしてひっくり返そうとしたとき(ゴルバチョフも幽閉された)、世界史的に男を上げたのがエリツィンでした。戦車の上によじ登って、民主主義を守れと民衆に号令を掛ける勇姿は世界中のTVで放映されました。考えてみればエリツィンという人は、あの見せ場一発であとの10年の権力を握ったようなものです。人間には一世一代の大勝負の場面があるといいますが、それを地でいってます。カリスマ的人気で権力を掌中に収めたエリツィンは、急進的な市場経済政策をとります。でもって、大コケします。大コケしているのだけど、なぜかプーチンにバトンタッチするまで曲がりなりにも権力を維持できたのは、初動期におけるカリスマ的印象の強烈さだったのでしょうか。

 ゴルバチョフ〜エリツィンの改革は、砂社会ロシアに大いなる混乱をもたらしました。恐怖のソ連共産党支配というタガが外れてしまったので、殆ど無政府状態になり、経済もメチャクチャになります。どのくらいメチャクチャになったかというと、まず誰も税金を払いたがらないという問題があります。なんせそれまでが社会主義だから税金というシステムに馴染みが薄いのですね。「せっかく必死で稼いだのになんでそんなもん払わなければならないんだ!」みたいな感じでしょう。そのため国庫はカラになり、公務員の給料は炭坑から軍隊まで遅配します。政府も必死で金をかき集めて支払おうとするけど全部は無理。年間数百回にも及ぶストが全国で起き、工員に給料を払えないのを苦にして自殺した工場長までいるそうです。小話みたいな話ですが、電力会社も税金を払わないので税務署が査察に入り、差し押さえなどをするのですが、当の税務署自身電気代を滞納しているという。

 このロシアの困窮を救うためにアメリカを始め、世界各国から支援が行われます。また、ゴルバチョフの登場以後「普通の国」になろうとしているロシアはビジネスチャンスの宝庫であるかのように喧伝され、世界中の企業が市場参加します。日本の商社なんかも結構行ったでしょう。しかし、皆さん大損を出して討ち死にします。今から思い出すと、90年代のロシアというのは、大変な状態にあるにもかかわらず、「でも、良い方向にいっているんだ」という、殆ど無理やりのような肯定的な世界世論の流れがあったような気がします。

 これはやはり、「ソ連を共産主義に逆戻りさせるな」というアメリカをはじめとする西側諸国の意向が強かったのでしょう。市場経済以降が失敗しまいしたと公に認めてしまうと、せっかく終わった冷戦が又ぞろ始まりかねないです。それにロシアがこのまま本物の無政府状態になったら、アメリカに対抗できる超軍事国だっただけに、膨大な軍備や兵器がテログループに横流しにされる恐れもあるし、各地にある原発がチェルノブイリの二の舞を演じないとも限らない。恐ろしいわけです。当時のロシアの政治状況は、エリツィンらの市場経済移行派、共産主義に戻ろうという復古派、それに加えてソ連以前の古き良きロシアに戻ろうという民族派(しかし政策の内容は曖昧)の3つが暗闘を繰り返したいたらしく、西側としてはなんとかエリツィンに頑張ってもらいたい。どうにかして社会主義に訣別して、市場経済に移行してもらいたい。そのためにはIMFや世界銀行もどんどん融資をするし、「これからはロシアの時代だ」とマスコミを煽って世界中の企業の参加を募ったのだと言われています。



ロシアの新興財閥 オルガリヒ
 当のロシアでは混乱渦巻くなかで何が起きていたかというと、二つの勢力グループが出てきます。ひとつはこれまでの共産党の幹部や実力者達であり、彼らは自分の所轄の国営企業が組織が民営化すると、そのままその利権を独り占めして私腹を肥やすようになります。民営化とは名ばかりで、実態は「私物化」です。旧ソ連時代のガス工業省を中心とする国家コンツェルンが民営化したガスプロム・グループや、石油系のルクオイル・グループなどです。なかでもガスプロムの総帥であったチェルノムイルジンは、単なる新興財閥の領袖に留まらず、エリツィン政権下で5年間にわたって首相を務め、一時はエリツィンの後継者と言われたこともあります(その影響力を恐れたエリツィンから厄介払いされてしまうが)。

 もう一つのグループは、移行したばかりの市場経済という新しい環境でビジネスを成功させ、政界に食い込んで巨大化していった人々です。日本の明治期の政商が三井や住友などの財閥に育っていったようなものであり、戦後の混乱期にのし上がっていった企業群です。ただし、日本とは比較にならないくらい政治や官僚の腐敗が横行しているロシアですから、企業家やビジネスマンといっても背景のマフィアの影がちらついたり、政界に食い込むどころか自分自身が政治家になったりしています。こういった新興勢力をオルガリヒといいます。

 新興大資本家であるオルガリヒは、当時20−30代のパリパリの若手で、ベレゾフスキー、グシンスキー、スモレンスキー、ホドルコフスキーなどがいますが、いずれも個人でビジネスを始め金融業に進出します。なぜ金融かというと、旧ソ連時代の88年の協同組合法によって銀行の設立が認められ、また優遇措置を受けたので、銀行中心の新興財閥群が形成されたのですね。彼らは、新興の民間企業を育てようという国策の追い風を受け、為替相場で儲けて財をなしつつ、困窮する旧ソ連の各役所に融資をするとともにその権力に食い込み、やがては乗っ取って大きく育っていきます。非常に商才があるとともに、急成長する中ではかなりエグいこと(犯罪行為)にも手を染めているといわれますし、腐敗しているロシアの政官界に入り込んで殆ど不動とも言えるような巨大な権力を構築します。まあ、どの時代のどこの国でも新興財閥というのはそういう傾向を持ちますけど。

 オルガリヒの勢力は、金融業のみならず旧政府系の各産業、さらにはTV局や新聞などのメディアを押さえていきます。自由に世論操作出来るようになったオルガリヒは、1996年選挙に苦戦するエリツィンを助けるために、自前のメディアを総動員してエリツィン礼賛報道を盛んに行い、エリツィンの再選を助けます。ここでなぜオルガリヒがエリツィンを助けるかといえば、急進的な経済改革で生活が破壊され、「こんなんだったら旧ソ連時代の方がよっぽどマシだった」という一般国民の不満をもとに共産党の勢力が非常に伸びていたからです。ここで共産主義に逆戻りしたらオルガリヒ達が一気に叩きつぶされますから、何が何でもエリツィンに勝ってもらいたいのですね。かくして利害が一致したオルガリヒはエリツィンと持ちつ持たれつの関係を築き上げます。

 エリツィンも国民の手前、腐敗の撲滅や汚職捜査の徹底を謳いますが、エリツィン自身家族ぐるみで汚職をしてたりしますから、本気でやったら自分のところまで火の手があがるので、熱心にやってるフリをしつつ適当にお茶を濁さざるを得ない。勿論、こうした状況に対して野党や政敵側からは激しい攻撃が仕掛けられますが、オルガリヒやエリツィンがメディアを握っているので功を奏しません。それどころかオルガリヒらの命令を受けたマスコミは、逆に野党側の汚職やスキャンダルを書きたて彼らを失脚させていきます。当時のロシアでは、ある程度の権力を構築するためには誰だって叩けば埃の出るようなことをやってますから、書こうと思えば幾らでも書けるという。

 かくして、ロシア国内ではこういった「実力者」達が思う存分私腹を肥やし、また海外からの融資や支援も着服しまくり、その上で実力者同士熾烈な権力闘争をやっていたわけですね。エリツィンだってオルガリヒの力を借りつつも、隙あらばこれを追い落とそうとします。ライバルである共産党と手を組み、共産党系のプリマコフを首相に据えて国策捜査によりオルガルヒのベゾルフスキーを失脚しようと画策しました。しかしベゾルフスキー側は、訴追側の検事総長が売春婦と戯れている盗撮映像をマスコミに流して解任させるなど泥仕合に発展します。また、オルガリヒ同士においても激しい暗闘が行われたりします。

 いずれにせよこんなことやっていたのでは国民経済がよくなるわけもないし、民主化や市場経済移行がスムースに進むべくもないです。ロシアの経済破綻状態を反映して、ロシア通貨ルーブルの価値は下がり、また国内ではインフレが亢進して、国民の資産はほとんど無くなってしまいます。そして、アジアの通貨危機が飛び火した1998年8月には、ついに資金繰りに窮し、ロシア国債の支払いを90日延期するというモラトリアム宣言をしました。事実上のデフォルト(債務不履行)にまで陥ります。この時点でロシアは国家破産状態になります。

ボリス・ベレゾフスキー
 オルガリヒの面々はいずれも立志伝中の人物であり、それぞれ一癖ある人ですが、代表としてベレゾフスキーをみてみましょう。
 ベレゾフスキーは、戦後生まれのユダヤ系ロシア人で、大学で森林学や応用数学博士号をとったインテリ君です。ペレストロイカの1989年に、自動車販売会社を設立してこれが当たって一財産築きます。そんなことでは満足しないベレゾフスキーは、石油会社、航空会社、銀行などをグループの傘下におさめていきます。もちろんこれだけ急成長するからには敵も多く、ロシアンマフィアからの暗殺未遂事件の一つや二つではないという修羅場を乗り切ってきます。

 ベレゾフスキーは精力的にメディア買収に励み、国営放送のORTをはじめ民放、雑誌、新聞などを支配下におき、メディア操作をすることによりエリツィン再選に貢献したことは前述のとおりです。エリツィン政権に食い込んだベレゾフスキーらオルガリヒは、政権内で「ファミリー」と恐れられる権力集団を構成していき、ついには財界のスポンサーに留まらず、安全保障会議副書記やCIS執行書記などの要職に就き、エリツィンの”黒幕”としての権勢を誇りました。

 オルガリヒの台頭に危惧を抱いたエリツィンの意を汲んだプリマコフ新首相は、彼らに圧力をくわえはじめ、ベレゾフスキーも汚職を理由に公職を解任されます。しかし、今度はプリマコフの台頭を恐れたエリツィンはプリマコフを解任。このあたりはエリツィンの老獪なところで、配下の者同士を牽制させ、力がついてきたら首にするという。なんだかんだいって一番の怪物はやっぱりエリツィンだったりするわけです。プリマコフ失脚で生きながらえたベレゾフスキーは復権し、99年には政権与党「統一」を作り、本人もカラチャイ・チェルケス共和国の小選挙区から当選して下院議員になります。

 エリツィン→プーチンの権力委譲と2000年3月の大統領選挙で、ベレゾフスキーはプーチン新大統領を支持し、プーチンを自己の支配下におこうとしますが、KGBあがりで役者が一枚上のプーチンは、大統領になった途端逆にオルガルヒに牙を剥き、一気に追い落としにかかります。もともと敵の多いベレゾフスキーだったので、ロシア国内での評判は悪く、議員辞職、虎の子の国営放送ORTの株式も売却させられます。さらに検察庁による捜査から逃れるため、2002年にイギリスに亡命、現在に至ります。

 ベレゾフスキーは一代で財閥を築き上げただけあって相当な大物ですが、彼ですらロシアの権力の頂点にまでいくと、エリツィンやプーチンなどの化け物じみた連中の権力闘争に翻弄され、ボコボコにされた挙げ句亡命させられてしまうわけです。上には上がいるというか、ロシアという国の権力闘争の凄まじさを垣間見るような気がします。
ロシアン・マフィア
 ここでよく聞くロシアンマフィアについてみてみましょう。

 ロシアン・マフィアに対するハッキリした定義はないのですが、ロシアに巣くう職業的な犯罪集団という意味では、古くは帝政ロシア時代からいたと言われています。まあ、犯罪のない社会なんか地上の何処にもありませんから、帝政ロシア時代だろうがソ連時代だろうが、こういったヤカラが居ても不思議ではないでしょう。ただ表面に出てくるようになったのは旧ソ連の崩壊時期からです。世が乱れれば乱れるほど、こういった連中の生存環境は良くなるわけですから。

 しかし、90年代以降のロシアンマフィアの実態は百花繚乱というか、町のチンピラ集団から、日本の暴力団レベルの集団、さらには上に掲げた旧共産党幹部から国有財産を私物化した連中や新興財閥オルガリヒを指してマフィアと呼ぶ向きもあります。あるいは後日触れる予定のチェチェンなど 反政府系のゲリラをも含める人もいます。

 要するにほとんど無政府状態になっていた90年代ロシアで、どんな形であれ”実力”をつけようとしたら、なにかしら違法行為に手を染めているわけです。そもそも何が違法で何が合法かすら曖昧なわけで、日本の戦後の闇市や、極端に言えば戦国時代みたいなものです。町をのし歩いて恐喝やレイプをするという生産性の低いその場限りのチンピラ犯罪者だけではなく、大がかりな売春や賭博、さらに国営・民間企業の乗っ取り、さらにはマネーロンダリングや武器の密売など、組織が大きくなるにつれやることもデカくなっていきます。一説によると、当時のロシアのGDPの半分近くはこういったロシアンマフィアの活動によるものだという指摘もあるくらいです。組織の数は(正確に分かるものでもないだろうけど)、5800組織とか、世界50カ国以上で暗躍しているとか、いろいろ取りざたされています。

 問題はなぜこのようにロシアンマフィアが急成長したかですが、これは単純で、普通に暮らしていたら食えないからです。特に国家崩壊状態で公務員の給料も払えないなか、秘密警察KGBや軍隊、さらに警察そのものが食えないからマフィア予備軍になります。アフガニスタン進駐という兵役から帰ってみたら故郷は失業状態、軍の給料も出ない、食っていけない若者達が、その腕力や銃器扱いの腕を買われて地元のボスのところに就職するような感じなのでしょう。

 秩序が緩みきった軍隊から武器弾薬を盗み出し、中東や中南米やアフリカのゲリラに密売し、その金で麻薬を仕入れ国内で捌き、さらに肥え太っていくという。彼らの中でも才覚の効く連中は、新興財閥オルガリヒや旧共産党大物と癒着し、その下働きをしたり、企業舎弟化して表面的にはまっとうなビジネスマンのフリをし、そのうち本当のビジネスマンになっていったり、、、

 このあたりはどの国の犯罪組織と同じ事ですし、洗練度は違うけど、日本やアメリカの犯罪組織と根本的な意味では同じでしょう。ただ、90年代ロシアの場合は、国家秩序が緩みきってるから、オモテの世界とウラの世界がゴチャゴチャになっていたということですね。




アメリカの対ロシア戦略
 一方こうしたロシアの惨状を、アメリカをはじめとする西欧諸国は見て見ぬふりをし続けます。アメリカではクリントン政権の時代ですが、政治的価値序列でいえば、いかにエリツィン政権下で腐敗が横行しようとも、又いかにロシアへの資金援助が砂地に水を撒くような空しさを伴おうとも、再び共産主義が復活して軍拡競争に戻ることを考えたら遙かにマシだし、コストも比較にならないくらい安いです。また、それまで西側の企業群が多数ロシアに投資してビジネスを展開しており、なかには大もうけしている一群もいる。共産党に逆戻りしたらそれも全てパーになるわけです。腐敗が横行しようが、黒い人物達が暗躍しようが、全ても共産党に戻るよりはマシの一言で抑えられていました。

 しかし、98年にロシアの経済破綻に至ると、さすがの西側諸国も、「こりゃ、ダメなんじゃないの?」と事態の深刻ぶりを再認識します。しかも、エリツィンの健康状態も悪く退陣は秒読み状態。なんだかんだ言ってもロシアにおけるエリツィンの存在は偉大で、首相のクビをすげ替えるキングメーカーとして君臨していたのですが、彼が居なくなると益々政情は混沌としていくだろうと予測されていました。折しもクリントン政権も在任期間1年であり、アメリカもロシア戦略の転換を考え直す時期にさしかかっていました。

 かくしてロシアの"ダメダメ"90年代が推移するわけですが、20世紀から21世紀への世紀の変わり目、1999年12月31日の大晦日に、エリツィン大統領は、ダークホースだった腹心のプーチンに権力の委譲を行います。21世紀からプーチン時代が始まり、情勢はガラリと変わります。アメリカではクリントンからイケイケ武闘派のブッシュ政権に移り、米ロ関係もエリツィン=クリントン体制からプーチン=ブッシュ体制になります。

 今となってはエリツィン以上の怪物ぶりを認識されているプーチンは、強力な独裁体制を敷いて砂社会ロシアに再び強烈な型枠をはめ、あっという間にオルガリヒ勢力を追放し、膨大な天然資源を背景に年率10%の経済成長を果たし、BRICsの一角にまでロシアを持って行きます。大統領2期目の終わる2007年段階で、未だに70%という途方もない国民の支持率を誇っています。ゴルバチョフもエリツィンも政権末期においては支持率わずか数%の惨状だったことを考えると、いかにプーチンという人物が国民のヒーローとして君臨しているかが分かると思います。次回は、ダメダメ90年代に続くイケイケ2000年代についてみていきます。



過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/西欧史から世界史へ(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/西欧史から世界史へ(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/西欧史から世界史へ(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
ESSAY 346/西欧史から世界史へ(その19)〜ドイツ30年戦争 第0次世界大戦
ESSAY 347/西欧史から世界史へ(その20)〜プロイセンとオーストリア〜宿命のライバル フリードリッヒ2世とマリア・テレジア
ESSAY 348/西欧史から世界史へ(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/西欧史から世界史へ(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/西欧史から世界史へ(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/西欧史から世界史へ(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/西欧史から世界史へ(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/西欧史から世界史へ(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/西欧史から世界史へ(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/西欧史から世界史へ(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/西欧史から世界史へ(その34) 〜世界大戦前夜(2)  中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/西欧史から世界史へ(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/西欧史から世界史へ(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/西欧史から世界史へ(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/西欧史から世界史へ(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/西欧史から世界史へ(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/西欧史から世界史へ(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/西欧史から世界史へ(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/西欧史から世界史へ(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
ESSAY 395/世界史から現代社会へ(その59) インド(1) アーリア人概念、カースト制度について
ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
ESSAY 398/世界史から現代社会へ(その62) インド(4) インド経済の現在
ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン
ESSAY 402/世界史から現代社会へ(その65) バングラデシュ
ESSAY 403/世界史から現代社会へ(その66) スリランカ
ESSAY 404/世界史から現代社会へ(その67) アフガニスタン
ESSAY 405/世界史から現代社会へ(その68) シルクロードの国々・中央アジア〜カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン


文責:田村




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