今週の1枚(09.03.16)





ESSAY 403 : 世界史から現代社会へ(66) スリランカ


 写真は、Bondi Beach前の商店街。そろそろ夏も終わりです。


スリランカ地図
 前回のバングラデシュに続いて今週はスリランカです。
 同じ地図を使い回していて恐縮ですが、スリランカはインドの右下に浮かんでいる島です。

 面積は北海道の約8割、一回り小さいくらいで、人口は約2000万人。2000万人といえばオーストラリアと同じ人口ですね。ちなみに北海道の人口は565万人ですから、スリランカは北海道の約4倍ちかい人口密度です。こう書くと非常に人口が密集しているような気がしますが、実は人口密度そのものは日本の方が若干高いんですよね(1平方キロあたり350vs300人くらい)。つまり、日本全国の平均からすればいかに北海道が人口密度が低いかということで、スリランカのことを調べていたら北海道の認識が深まったという副産物がありました。

 ちなみに、大陸の近くにポツンと浮かんでる位置や、島の形から、スリランカはなんとなく台湾に似てます。台湾とスリランカの人口はほぼ同じ(10%ほど台湾の方が多い)のだけど、面積が倍くらい違います(スリランカの方が約二倍ほど大きい)。だから人口密度は台湾がスリランカの約二倍になります。


スリランカ (Sri Lanka)
スリランカ国旗
 スリランカの国名ですが、シンハラ語でスリは「輝く」を、ランカは「島」を意味し、スリ・ランカで「輝く島」という意味になります。

 国旗の図案ですが、まずライオンはシンハラ人を、ライオンの剣は国の統治権を表します。シンハラ人というのは「獅子の子孫」という意味らしいです。四つ隅には葉(菩提樹)であり仏教を表すとともに、親切、友好、幸福、心の平静の4つの徳を意味するそうです。オレンジの縦の線は少数民族のタミル人を、緑の縦の線は同じく少数民族のイスラム人を、旗の周囲にある黄色の線は他の少数民族を表しています。

 これで分かるように、スリランカはインドに近く、独立するまでインドと同じくイギリス植民地だった割には、あまりインドっぽくないです。民族構成は、4分の3がシンハラ人で、2割弱がタミル人、その他ムーア人などがいます。言語はシンハラ語とタミル語。ただしイギリス植民地だった影響で英語もそこそこ通じます。宗教は仏教が約7割、ヒンドゥー教は15%で、キリスト教とイスラム教がトントンの8%くらいです。

  
スリランカの歴史と特徴
 まずインドのアバウトな歴史のおさらいです。インドには、最初にドラビタ系の原インド人がいて、次に紀元前にアーリア系民族が侵入して土着文化と融合しヒンドゥーやカーストなどインド文化の原型をつくり、10世紀以降イスラム系がやってきてムガール帝国などイスラム王朝を築き、近世になるとイギリス植民地になり、第二次大戦後、独立というパターンですね。

 スリランカもこれに重ね合わせて、どこが同じでどこが違うかを考えるとわかりやすいと思います。正確な記録は残ってないのですが、最初にドラビタ系がいたのか、アーリア系がいたのかよく分からないのですが、多分大昔は地元原住民であるドラビタ系がいたのでしょう。ところが、歴史に最初に現れてくるのは、紀元前5世紀あたりにアーリア系のシンハラ人が北インドから南下してきてスリランカに王国を作ったあたりです。つまり、最初にアーリアがくるのですね。

 アーリアは全インドを支配しつつも、南インドはドラビタ系が強いので(というかドラビタが南に押しやられた)、南の端にあるスリランカもドラビタの国であっても良さそうなのですが、なぜかアーリアの国になってます。これはおそらくアーリア系商人などが海伝いに速攻で南下してきたのだろうと言われています。実際、インドの言語地図をみると、アーリア語族は北インドに集中しているなか、ポツンと飛び地のようにスリランカがアーリア語族になってます。ドラビタ優勢な南インドにおいて、スリランカだけアーリア優勢という逆転現象が起きています。

 さて、紀元前3世紀にアショーカ王の王子マヒンダという人が、仏教をこの地にもたらします。インド本土では仏教は一時的に流行るけど、じきにヒンドゥー教に押されて衰退するのですが、スリランカに関しては今日まで仏教を守り続けています。ここがインドとの大きな違いですね。

 このように、@南のくせにアーリア優勢、Aヒンドゥーではなく仏教優勢という2点がスリランカの大きな特徴であり、この特徴に沿って歴史や文化が形成されていきます。紀元前2世紀頃から、南インドのヒンドゥー系でもありドラビタ民族でもあるタミル人がスリランカに侵攻してきますが、スリランカは仏教をガードし続けます。タミル人は、以後歴史において何度もスリランカにやってきますが、結局アーリア&仏教体制は崩れず、今日まで至っています。それが、7割のシンハラ人(アーリア)&仏教という結果になっています。

 15世紀以降は、海にポツンと浮かんでるだけに、スリランカは大航海時代という世界の流れに激しく巻き込まれます。最初は中国の明がやってきて朝貢国となりますが、それも束の間1505年には大航海時代一期生であるポルトガル人がやってきてコロンボに商館を築きます。ちなみにポルトガル人は足を伸ばして日本にやってきて、鉄砲とキリスト教を伝えます。17世紀になるとポルトガルが落ち目になって、第二期生のオランダがやってきます。日本では長崎の出島で蘭学が興りますね。しかしオランダの天下も長続きせず、18世紀になると第三世代のイギリスがやってきて、以後終戦までイギリスの植民地になります。

1948年にはイギリスのインド撤退政策の一部として、スリランカは英連邦王国(コモンウェルス)として独立します。このときの国名はセイロンです。1972年に共和制に移行し、ここでスリランカと国名が変わります。84年に首都移転が行われ、それまでなじみ深かったコロンボから、スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテという覚える気力がなくなるようなややこしい名前の都市が首都になります。

 さて、アーリア(シンハラ)VSドラビタ(タミル)という民族間の確執は、80年代後半から、タミルタイガーと呼ばれるタミル族の独立運動、内戦、テロという泥沼が始まり、現在に至っています。


タミルタイガー/LTTE
   スリランカにおける大多数(75%)はシンハラ人で、タミル人は15-18%程度(時期や主典によっても違う)に過ぎません。このように一国内に多数派と少数派の民族が居た場合、独立に際してなにかとモメるのはインドの場合と同じ力学が働きます。インドでは、少数派であるイスラム教徒がパキスタンという独立国を作ることになりましたが、スリランカの場合はそうなりませんでした。多数派シンハラ人が支配する国で、少数派であるタミル人は窮屈な思いをするということになります。しかし、少数派といっても人口2000万人中の15%ならば、300万人、絶対数としては結構な数ですし、北部・東部ではタミル人の方がマジョリティであるエリアもあります。

 独立時におけうタミル人は、昔からスリランカに住んでいたスリランカ・タミルと、イギリス植民地時代に労働力としてインド本土から連れてこられたインド・タミルがおり、前者2.5対後者1くらいの割合でした。独立時において、タミル人は少数派保護のためにタミル人に優先的に議席の割り当てをするように求めたのですが(ちょうどインド独立時にイスラム教徒が要求したように)、これは却下され、それどころかインド・タミル人は公民権も選挙権も失います。もともとインドから来たのでスリランカ国民ではないというわけですね。

 こういった多数派主導の政治は続き、タミル人への差別や、もっと極端なのはタミル人を粛清しろという民族浄化を訴える政治勢力も出てきます。歴代政権もタミル人に対する種々の差別を是正しようという動きは少なかったと言われます。まあ、このあたりになってくると両陣営の言い分が鋭く食い違うところですが、少なくとも民族和解に向けて画期的な展開があったとは思いにくいです。

 どこの人間集団でもそうですが、穏健派と急進派がいるのは世の常で、タミル人の穏健派は、話し合いと合法的な段取りでタミル人国家の創設を提唱していました。しかし、70年代になると一向にタミル人を顧みない政府のやり方にブチ切れた若者達が、”新しいタミルのトラ”という過激組織を作り上げます。リーダーはまだ18歳のプラブハラカンで、市長暗殺までやってのけます。75年にはこれを母体にして、LTTE(Liberation Tiger of Tamil Eelam)、タミル・イーラム開放の虎、タミル・タイガーが作られます。世界史的に見れば、70年代の学生運動、反戦運動など若い人達がパワーを持っていたときですね。ここで「イーラム/Eelam」というのは、タミル語でスリランカのことを意味します。冒頭で述べたように、「スリランカ」というのはシンハラ語です。なんで「虎」なの?というと、諸説あるようですが、これも冒頭で書いたようにシンハラ人が「獅子の子孫」という意味で国旗にライオンが書かれていることに対抗して虎なのではないかとか。

 このようなタミル人の新たな強硬路線に対して、政府の強硬路線で対抗し、80年代には穏健派であったタミル人政党すら非合法にするなど火に油を注ぐような政策をとります。市民においても、シンハラ人による暴動によってタミル人が虐殺されれば、タミルタイガーへの支持率はいよいよあがります。憎悪と憎悪の拡大再生産という、「絶対にやってはいけないけど、ついついやってしまう」人類の最大の愚かなスパイラルに突入します。

 話は単なる暴動レベルではなく、戦争(内戦)レベルまであがっていきます。タミル・タイガーはインドで軍事教練を行い、83年7月にはゲリラ攻撃に打って出ます。地雷を用いた作戦により政府軍を殺害したら、これに対する報復でコロンボで大規模なタミル人への暴動が起きます(黒い7月事件)。本気になった政府軍は圧倒的な装備で、タミルタイガーを徐々に追い詰めていきますが、ここでもっと巨大なインドが干渉し、タミル側に援助を行い、スリランカ政府に停戦するように働きかけます。露骨な内政干渉ですが、なんでインドがここまでタミル人の肩をもつかというと、インドにはインドの事情があります。インドにおいてもタミル人は少数派なのですが、南インドの主要民族でもありパワーが違います。インド南部のタミル独立問題は、インド国内でくすぶり続けている火種であり、インド政府はなんとかタミル人をなだめなければならなかった、だからタミル人の要求をきいてスリランカのタミル人迫害を仲裁する必要があったということです。

 しかし、こうしてみると人間のやることなんか同じパターンばかりですね。例えば、アリメカが国内のユダヤ系勢力の言うことを聞くためにイスラエル寄りの外交政策を展開するとか、大票田フロリダで反カストロのキューバ亡命系の集めるために、キューバに対して強硬姿勢を貫かないとならないとか。

 さて、インドの露骨な内政干渉に対して、当然のことながらスリランカ政府は怒り、インドとの開戦すら考えたようですが、結局はタミル勢力と交渉に入り、タミル人自治とインドの平和維持軍が当面の治安にあたりました。やれやれこれで一段落と思いきや、全然両陣営とも納得しておらず、シンハラ民族主義者のテロとタミルタイガーの報復合戦がすぐに始まります。そのため乗りかかった船で、インドの平和維持軍は大規模な兵力をスリランカに駐在させ続けることになります。

 そうなると今度はインド軍が鬱陶しい存在になります。89年に大統領になったプレマダサは、タミルタイガーと交渉し、休戦にまでもっていくとともに、インド軍に対しては「もう必要ないから、お引き取り下さい」といって帰ってもらってます(90年)。そして、シンハラ人の過激派勢力(人民主義者)を一掃すべく、4500人を殺害します。このプレマサダ大統領、結構やるもんです。

 しかし、ここで和平交渉を続ければいいものを、今度はタミルタイガーがトチ狂って暴走します。91年には、インドの首相でありラジブ・ガンジーを暗殺するとともに(インド軍のスリランカ駐留に反対していたから)、93年にはプレマサダ大統領まで暗殺します。これだけ好き勝手やられたらスリランカ政府もキレてしまい、クマーラトゥンガ大統領は大動員をかけてタミルタイガーを軍事攻撃、拠点を奪取します。が、息の根を止めるところまではいかず、ゲリラ化したタミルタイガーは、活発にテロを展開することになります。98年には非常事態宣言、99年には大統領暗殺未遂(大統領は失明)までおきます。

 21世紀に入ると、ここでなぜかノルウェーが出てきて調停を開始し、一応停戦になります。なぜ、ここでノルウェー?というと、調停役というのはどの国がやっても良く、むしろ全然利害関係のない国がやった方が良いのですよね。ノルウェーは結構この種の国際調停をやってます。ちなみに日本も意外とやってるんですよね。 2002年にはタミルタイガーの非合法化を解除し、タイで和平交渉を行います。が、2006年からのタミルタイガーのテロ再開と政府軍による報復北爆によって元の木阿弥と化し、2008年には停戦は失効し、現在に至っています。

 タミルタイガーは、少数民族の崖っぷちのところから始まってますからバリバリの戦闘集団で、平然と自爆テロを敢行しつづけ、その中には女性兵士もいます。女性どころか、少年兵を使っていることが世界的にも批判されています。徴兵というけど、ほとんど誘拐同然に子供を連行し、徹底的なイデオロギー教育と軍事教育を施し、特攻隊的に使うという凄まじさであり、これにはタミル人内部でも強い批判があります。酷い話だと思いつつも、戦時中の日本も似たようなもので、小学生に地雷を持たせて戦車に突っ込ませる訓練とかやってたわけで、追い詰められ民族はどこまででも抵抗するということです。

 タミルタイガーの創設時からの指導者であるプラブハカランは、支持者には解放の英雄であり、シンハラ人からは人の命を何とも思っていない悪魔 と非難されています。これだけの闘争を開始時からやってるのだから、それなりの統率力があるのでしょうが、キューバのチェ・ゲバラや、メキシコのマルコス副指令のように世界的に人気がないのは、人間に対する優しさがあまりうかがわれないことと、もしかしたら前二者ほど男前ではないからかもしれません(Velupillai Prabhakaranで画像検索すると出てくる)。いや、冗談ではなく、結構こういうことって大きかったりするのですよね。



南海の宝石とセイロン紅茶
 殺伐とした政治話が続きましたが、スリランカは「光り輝く島」という名に恥じぬ美しい国で、島全体がワンダーランドになってるような観光立国でもあります。熱帯に浮かぶ北海道みたいなもので、小さなわりには起伏と変化に富んでいます。熱帯のジャングルは当然にあり、野生の象や大きなトカゲ系、鹿や孔雀、猿やワニもいます。沿岸部は、椰子の葉が似合うビーチであり、リゾートホテルや欧米のバカンス客で賑わいます。中央部になれば1000〜2000メートル級の高山地帯で紅茶畑が広がります。高原栽培のセイロン紅茶のメッカですね。高山地帯は熱帯とは思えないくらい涼しいエリアです。スリランカは古くからの仏教国なので仏教寺院の名所が、また小さな島なのに世界遺産が6つ、自然遺産が一つ認定されています。

 南海の強烈な陽射しに、インド系特有の目に鮮やかなカラフルな色彩感、緑濃いジャングルは野生の宝庫で、エメラルド色のビーチのバカンス、高原地帯の冷涼な空気と美味しい紅茶、豊富な海産物とスリランカ料理、、、というわけで、北海道の8割程度という手頃な大きさなのに、変化に富んだ観光しやすい国だと思います。

 特産品になっているセイロン紅茶ですが、イギリス植民地時代に栽培が始まりました。といっても、実は最初はコーヒーを作ってたらしく、コーヒーが害虫で枯れちゃったため、紅茶栽培に転換したそうです。紅茶栽培にあう気象条件だったようで、これが世界のブランド、セイロン紅茶になります。セイロン紅茶は栽培される標高によって、ハイ・グロウン(1200メートル以上)、ミディアム・グロウン(600-1200)、ロー・グロウン(600米以下)に3分され、最高はハイグロウンとされます。なぜ?というと、気温が冷涼なわりには陽射しが強烈で、昼夜の温度差、霧などが茶葉の生育に影響を与えているそうですが、それ以上詳しい生物化学的説明は知りません。ハイグロウンは、産地によってさらにウバとか、ヌワラエリア、ディンプラに分かれるようで、日本でいう宇治茶などの産地ブランドですね。セイロン・ウバはダージリン(インド)、キーマン(中国)と並ぶ世界三大銘茶だそうです。

 国名がスリランカになっても、セイロンティーはまだセイロンティーと呼ばれてたりします。江戸前寿司が東京前寿司にならず、信州そばが長野県そばにならないようなものでしょう。茶の生産量では世界3位(10%)を占めています。スリランカの人達も紅茶を愛飲するのですが、やたら砂糖を大量に入れて飲むそうです。

 僕は根っからのコーヒー党であり、紅茶は年に数回飲むかどうかというレベルなので、これ以上書いたらボロが出そうです(^_^;)。


スリランカの社会
 スリランカの正式な国名はスリランカ民主社会主義共和国で、これだけみてると共産主義国のようなのですが、共産党が政権どころか野党のメジャーどころにすらなってないことから(日本における共産党的なポジション)、社会主義というのも「言ってみただけ」みたいなものなのでしょうか。実際には自由主義経済です。

 主要産業が農業(紅茶、ゴム、ココナッツ)と繊維業、それと観光というだから、まあリッチな国ではないです。確かに一人あたりのGDPでは、いろいろな統計がありますが、総じて100位以下、110位とかそのくらいです。しかし、それでもインドよりは高い。パキスタンやバングラデシュなんかよりもずっと高い。ベトナムよりも高く、大体フィリピンと同じくらいです。そんな言うほどメチャクチャ貧しいわけではないです。

 ネットをあれこれ見ていたら、スリランカに住んでおられる日本人、居住経験のある日本人が意外と多かったです。コロンボには日本人学校までありました。「スリランカ人はこういう人々」という記載も色々ありましたけど、相互に矛盾していたり、バイアスがかかっていたりして、時間を掛けて読みふけった割にはここで書けるようなことは少ないです。

 というかね、僕もオーストラリアに15年住んでいるわけですが、「○○人ってこう」って中々言えないですよ。最初の3年くらいは結構決めつけられたりするのだけど、時間がたつにつれ「必ずしもそうでもないな」という例外事象にぶつかり、そのうち例外の方が多くなるから最初の原則が破綻し、最後には「ま、いろんな人がいるからねえ」位しか言えなくなります。スリランカにはオーストラリアと同じくらいの人口がいるわけで、だとしたら「ま、いろんな人がいる」としか言えないのではなかろうか。ましてやシンハラ、タミルなど民族が異なり、宗教が異なり、社会的地位が異なり、住んでるエリアが異なったら、大抵の人間類型が出てきても不思議ではないです。

 ただ、その人達と接する”角度”みたいなものはあると思うのですよ。こういう立場&こういう方向からアプローチしたらこういう結果が出るという。例えば、日本人が外国に行く場合、観光旅行と企業駐在が多いでしょう。共通点はどちらもお金持ちという身分で行き、お金を使う消費者という角度で地元に接するわけですよね。そこで接する現地の人達というのは、彼らからお金を受け取る人達が多いわけで、金の授受という舞台で話が始まってる以上、安く済ませたいVS高くふんだくりたい、という利害対立が起き、それがモノの見え方に影響を与えるのは当然だと思います。

 個人的なスリランカ体験はささやかなものです。別にスリランカに行ったわけではないのですが、一つは語学学校時代にスリランカから来たTJというナイスガイがいたなあってことです。二つ目は、日本にいるときの依頼者の息子さんがラグビーやってて、スリランカにラグビーを教えに行っていたという話があります。親父さん(依頼者)もその縁でスリランカにいって、後々大阪でスリランカ料理屋に連れて行ってもらったというだけの話です。それが美味しくて、あとで自分らだけで食べに行って適当に注文したら超辛くて往生しました。ちゃんと知らないとダメなのね。三つ目は、以前お世話した方が日本人の駐在員としてスリランカに3年間駐在していたという話です。この方はユニークで、大学の頃「他人がやらないスキルを習得しよう」ということでわざわざシンハラ語を専攻、その語学力が買われて就職、スリランカの現地工場に派遣されたそうです。現地人がよくサボるので真夜中に工場を急襲し、寝ているスリランカ人を叩き起こして、正座させてお説教をしたらしいです。しかし「乏しいシンハラ語で喋るから、説教といっても同じ事の繰り返しになっちゃうんですよ」と苦笑してました。

 このシリーズでインド、バングラディシュ、パキスタン、スリランカとインド系が続いてますが、シドニーにもたくさんのインド系の人が来ており、ウチの近くのCrowsnestというところは、まるでメッカのようにインド料理屋が多いです。また、スーパーに行き、ガソリンスタンドに行くたびに、2回に一回くらいはインド系の、おそらくは留学生とおぼしき人達が働いています。日本にいるときは、インドとかいっても一生縁がないだろうなあとか思っていたのですが、何のことはない、今ではほとんど毎日見かけています。あんまり多いのでイチイチ気にならず、仕事を離れて日本人と会うときの方が妙に緊張してしまいます(^_^)。


 えーと、こんなもんかな。今回はライトにいきましょう。


過去掲載分
ESSAY 327/キリスト教について
ESSAY 328/キリスト教について(その2)〜原始キリスト教とローマ帝国
ESSAY 329/キリスト教について(その3)〜新約聖書の”謎”
ESSAY 330/キリスト教+西欧史(その4)〜ゲルマン民族大移動
ESSAY 331/キリスト教+西欧史(その5)〜東西教会の亀裂
ESSAY 332/キリスト教+西欧史(その6)〜中世封建社会のリアリズム
ESSAY 333/キリスト教+西欧史(その7)〜「調教」としての宗教、思想、原理
ESSAY 334/キリスト教+西欧史(その8)〜カノッサの屈辱と十字軍
ESSAY 335/キリスト教+西欧史(その9)〜十字軍の背景〜歴史の連続性について
ESSAY 336/キリスト教+西欧史(その10)〜百年戦争 〜イギリスとフランスの微妙な関係
ESSAY 337/キリスト教+西欧史(その11)〜ルネサンス
ESSAY 338/キリスト教+西欧史(その12)〜大航海時代
ESSAY 339/キリスト教+西欧史(その13)〜宗教改革
ESSAY 341/キリスト教+西欧史(その14)〜カルヴァンとイギリス国教会
ESSAY 342/キリスト教+西欧史(その15)〜イエズス会とスペイン異端審問
ESSAY 343/西欧史から世界史へ(その16)〜絶対王政の背景/「太陽の沈まない国」スペイン
ESSAY 344/西欧史から世界史へ(その17)〜「オランダの世紀」とイギリス"The Golden Age"
ESSAY 345/西欧史から世界史へ(その18) フランス絶対王政/カトリーヌからルイ14世まで
ESSAY 346/西欧史から世界史へ(その19)〜ドイツ30年戦争 第0次世界大戦
ESSAY 347/西欧史から世界史へ(その20)〜プロイセンとオーストリア〜宿命のライバル フリードリッヒ2世とマリア・テレジア
ESSAY 348/西欧史から世界史へ(その21)〜ロシアとポーランド 両国の歴史一気通観
ESSAY 349/西欧史から世界史へ(その22)〜イギリス ピューリタン革命と名誉革命
ESSAY 350/西欧史から世界史へ(その23)〜フランス革命
ESSAY 352/西欧史から世界史へ(その24)〜ナポレオン
ESSAY 353/西欧史から世界史へ(その25)〜植民地支配とアメリカの誕生
ESSAY 355/西欧史から世界史へ(その26) 〜産業革命と資本主義の勃興
ESSAY 356/西欧史から世界史へ(その27) 〜歴史の踊り場 ウィーン体制とその動揺
ESSAY 357/西欧史から世界史へ(その28) 〜7月革命、2月革命、諸国民の春、そして社会主義思想
ESSAY 359/西欧史から世界史へ(その29) 〜”理想の家庭”ビクトリア女王と”鉄血宰相”ビスマルク
ESSAY 364/西欧史から世界史へ(その30) 〜”イタリア 2700年の歴史一気通観
ESSAY 365/西欧史から世界史へ(その31) 〜ロシアの南下、オスマントルコ、そして西欧列強
ESSAY 366/西欧史から世界史へ(その32) 〜アメリカの独立と展開 〜ワシントンから南北戦争まで
ESSAY 367/西欧史から世界史へ(その33) 〜世界大戦前夜(1) 帝国主義と西欧列強の国情
ESSAY 368/西欧史から世界史へ(その34) 〜世界大戦前夜(2)  中東、アフリカ、インド、アジア諸国の情勢
ESSAY 369/西欧史から世界史へ(その35) 〜第一次世界大戦
ESSAY 370/西欧史から世界史へ(その36) 〜ベルサイユ体制
ESSAY 371/西欧史から世界史へ(その37) 〜ヒトラーとナチスドイツの台頭
ESSAY 372/西欧史から世界史へ(その38) 〜世界大恐慌とイタリア、ファシズム
ESSAY 373/西欧史から世界史へ(その39) 〜日本と中国 満州事変から日中戦争
ESSAY 374/西欧史から世界史へ(その40) 〜世界史の大きな流れ=イジメられっ子のリベンジストーリー
ESSAY 375/西欧史から世界史へ(その41) 〜第二次世界大戦(1) ヨーロッパ戦線
ESSAY 376/西欧史から世界史へ(その42) 〜第二次世界大戦(2) 太平洋戦争
ESSAY 377/西欧史から世界史へ(その43) 〜戦後世界と東西冷戦
ESSAY 379/西欧史から世界史へ(その44) 〜冷戦中期の変容 第三世界、文化大革命、キューバ危機
ESSAY 380/西欧史から世界史へ(その45) 〜冷戦の転換点 フルシチョフとケネディ
ESSAY 381/西欧史から世界史へ(その46) 〜冷戦体制の閉塞  ベトナム戦争とプラハの春
ESSAY 382/西欧史から世界史へ(その47) 〜欧州の葛藤と復権
ESSAY 383/西欧史から世界史へ(その48) 〜ニクソンの時代 〜中国国交樹立とドルショック
ESSAY 384/西欧史から世界史へ(その49) 〜ソ連の停滞とアフガニスタン侵攻、イラン革命
ESSAY 385/西欧史から世界史へ(その50) 冷戦終焉〜レーガンとゴルバチョフ
ESSAY 387/西欧史から世界史へ(その51) 東欧革命〜ピクニック事件、連帯、ビロード革命、ユーゴスラビア
ESSAY 388/世界史から現代社会へ(その52) 中東はなぜああなっているのか? イスラエル建国から湾岸戦争まで
ESSAY 389/世界史から現代社会へ(その53) 中南米〜ブラジル
ESSAY 390/世界史から現代社会へ(その54) 中南米(2)〜アルゼンチン、チリ、ペルー
ESSAY 391/世界史から現代社会へ(その55) 中南米(3)〜ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル
ESSAY 392/世界史から現代社会へ(その56) 中南米(4)〜中米〜グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、ベリーズ、メキシコ
ESSAY 393/世界史から現代社会へ(その57) 中南米(5)〜カリブ海諸国〜キューバ、ジャマイカ、ハイチ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、グレナダ
ESSAY 394/世界史から現代社会へ(その58) 閑話休題:日本人がイメージする"宗教”概念は狭すぎること & インド序章:ヒンドゥー教とはなにか?
ESSAY 395/世界史から現代社会へ(その59) インド(1) アーリア人概念、カースト制度について
ESSAY 396/世界史から現代社会へ(その60) インド(2) ヒンドゥー教 VS イスラム教の対立 〜なぜ1000年間なかった対立が急に起きるようになったのか?
ESSAY 397/世界史から現代社会へ(その61) インド(3) 独立後のインドの歩み 〜80年代の袋小路まで
ESSAY 398/世界史から現代社会へ(その62) インド(4) インド経済の現在
ESSAY 399/世界史から現代社会へ(その63) インド(5) 日本との関係ほか、インドについてのあれこれ
ESSAY 401/世界史から現代社会へ(その64) パキスタン
ESSAY 402/世界史から現代社会へ(その65) バングラデシュ


文責:田村




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