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今週の1枚(07.01.29)



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ESSAY 295 : ホワイトカラー・エグゼンプション 



 写真は、Curl Curl ビーチ。Dee Why Headから望遠で撮影。カール・カールという変な名前のビーチは、有名なManlyのすぐ北にあります。マンリーよりもずっと静かで落ち着いたビーチで、サーフィンをする人も多いです。サマータイムなので、午後の7時を廻ってもこれだけ明るく、人々もそぞろ歩いています。



 前回の最後に、ホワイトカラーエグゼンプションについてちょびっと触れましたが、この点もう少し掘り下げて欲しいというリクエストがありましたので(ありがたや)、 今回はそれについて勉強してみたいと思います。エラそうに僕が講釈たれるのではなく、一緒に勉強しましょうってことです。なぜなら、僕もほとんど知らないのですから。

 しかし、今回、ネットでいろいろ調べてみてわかったのですが、これだけ重大な問題がなんでこんなに話題になってないんだろう?なんでマスコミはもっと取り上げないのだろう?という点が、かなり深刻に疑問になりました。もちろん、情報感度が高く、時事に詳しい人だったらとっくにご存知でしょうけど、一般的にはほとんど知られていないんじゃないでしょうか?少なくとも、前回書いた不二家騒動ほどの知名度はなさそうです。

 でも、ごく一握りの勉強熱心な人や、エリートビジネスマンだけが知っておけばいいって話じゃないです。また、あとでも述べますが、これって正社員で年収400万円以上の管理職という、いわゆるサラリーマン保守本流の人だけに関係するものでもないです。私は派遣だから関係ないとか、カジュアルやフリーターだから関係ないって話じゃないんですよね。一次的には関係ないかもしれないけど、二次的、三次的、波及的に関係します。影響を受けない日本人なんか、もしかたらいないかもしれない、ってなくらいの法案です。これだけ関係する人が多い法制度の改正も珍しいですよ。でも、皆、知らない。WHY?ですよね。



 さて、ホワイトカラーエグゼンプションの概要、論点、資料リンクなどは、いつも紹介してますが、Wikipediaの該当ページが優れています。ここで僕が拙い解説をするよりも、このリンクを何も言わずに30分くらいかけてじっくり読んでいただいた方がよく分かると思います。読んでいただいたことを前提に次に進んでもいいのですが、そうは言っても中々リンク先まで読むのは大変でしょうから、個別に言及しながら書いていきます。

 ホワイトカラーエグゼンプション、White Collar Exemptionという名称ですが、まず意外と間違えやすいのが「ホワイトカラー」という言葉です。 white colour (白い色)でなく、white collar(白い襟、エリ)です。色のカラーではなく、洋服の襟のカラーです。両者は「カ」の「あ」音の発音が違います。前者は"hot"と同じ音で喉の奥で発するくぐもった響きをもつ音。後者は"but"の音で日本語の「ア」に近く、発音記号はVをひっくり返した形のモノです。ちなみにcollarは襟の他に、首輪という意味もあります。

 ホワイトカラーは、ブルーカラーと対比して使われる言葉で、オフィス内で主としてデスクワークを行う労働者で、白いワイシャツを着用してる場合が多いことからホワイトカラー。工場などの現場作業をする人は、青っぽい作業服を着る場合が多いのでブルーカラー。しかし、現在では職場のファッションが青白二極分化しているわけでもなく、単なる「語源」くらいの意味でしかないでしょうね。「ホワイトカラー」に一番近い今の日本語は、「サラリーマン」でしょうか。これも「給与所得者」という意味でとらえれば工場作業員であろうが、総理大臣であろうが「給与」は出ますので、全部サラリーマンなのですが、まあ、イメージとして「どっかの会社でスーツにネクタイ姿で働く、普通の人達」という感じのイメージです。

 エグゼンプション(exemption)は「例外」「除外」という意味で、「ホワイトカラー・エグゼンプション」をトータルで直訳すると、「サラリーマンの例外」。これじゃ何のことか分からんですよね。何の例外なのかというと、労働基準法の例外。「ホワイトカラー労働者に対する労働時間規制を適用免除(exempt)すること、またはその制度」と言われています。



 これでも何のこっちゃかよう分からんですね。まず、「例外」を知るためには「原則」を知らねばなりません。原則というのは労働基準法などの規制であり、ここで問題になっているのは労働時間規制です。労働時間規制というのは、残業した場合は残業代を払いなさいとか、休日や深夜労働の場合は規定の割増給与を払いなさいと定めているものです。

 この際だから、正確に勉強しましょうか。日本人は働き過ぎとか、過労死するまで頑張っちゃうとか、滅私奉公を求められるとか、非人間的労働環境とか、昔っからあれこれ論議されてます。しかし、労働基準法をはじめとする労働三法、労働基準監督署の設置などなど法制度としてはそれなりに日本は整っているのです。ただ。実際にはあんまり知られていないし、活用されてもいない。「労働者の権利」とかいうと、なんか左翼系や労働組合の人が鉢巻締めて「がんばろー」「おー」とかやってる世界の出来事で、「あんまり私には関係ない」ってな感じでしょう。

 まず、この認識は改めた方がいいです。二つの意味でそうです。
 一つは、日本人の労働者の権利(意識や行使意識)が弱すぎるからです。それはオーストラリアなど海外に出ると痛感するはずです。あなたオーストラリア人を雇ったりしたら、もっと頭を抱えて痛感するでしょう。「ほお、労働者というのはここまで強かったのか」と。年次有給休暇だって絶対取る!自分が休んで会社や顧客が困っても、そんなの俺の知ったこっちゃないねってそのくらいの根性でないと、労働者の権利は守れない。しかし、そういう態度を、わがまま、無責任、エゴイストのように感じ、なんか人間として好ましくないかのように思ってしまう習性が我々にはあります。そこが「日本人の働き過ぎ」ということで、昔から問題になってるわけです。

 いや、単に沢山働くだけのことだったら、別にそれほど人間的には問題ではないと思うのですよ。「働いて何が悪い?」ってもんでしょう。働くことは尊いですよ、僕もそう思う。しかし、人生の価値、美徳のすべてが仕事に集約されてしまう精神構造になっていくと、問題が出てきます。それ以外の価値観を忘れてしまう、踏みにじってしまうからです。例えば、親子の情愛とか親の責務とか、コミュニティの一員としての責務、国家の主権者としての義務、自分自身の人生の最高責任者としての責務などです。子供と一緒に遊びに行くことも「仕事だからしょうがない」ですっぽかす、結婚記念日もすっぽかす、マンションの自治会の会合もすっぽかす、助けを必要としている人がいても無視する、ボランティアもやらない、選挙があっても行かない、、、ということで、殺伐とした家庭生活になり、ボランティアは低調で、コミュニティの力も衰えるから治安も悪くなり、政治家や権力者への監視と制裁という主権者として最大の責務も果たさないから、舐められまくる、と。結果、子供はグレるわ、カミさんは浮気するわ、家庭は荒廃するわ、社会のセーフティネットが薄いからちょっと失業しただけでホームレスにまっさかまに転落する社会になるわ、政治家や官僚からは舐められるから、いつまでたって天下りのような税金の無駄使いは減らないわ、年金は減らされるわという社会になってるわけでしょ。人生的にも、退職したりリストラされたら、「俺の人生はなんだ?」とたそがれちゃって、すぐに自殺しちゃったりします。要するに、「勤労の美徳」という意味においては満点であったとしても、「働くこと以外はまるで無能」なんだわ。だからもっとバランス良くしようってことです。

 第二に、アメリカ発のグローバル資本主義の進展で、世界はどんどん超巨大企業による管理社会になってきているという点です。これは、オーストラリアにおいても、労働時間が長くなってきていることからも窺われます。陽気でのんびりしたオージーも、仕事仕事でイライラしてきているのでしょう。10年前なら滅多に聞かなかった車のクラクションも、今でも毎日聞くようになってきて、どんどん日本っぽくセカセカイライラしてきています。資本主義を推し進めていけば、結局は金を沢山持ってるところが勝つわけだし、強者が弱者を吸収していき超巨大になっていく。業界はどんどん寡占市場になっていく。スーパーマーケットの進出で地元の商店街が壊滅するという構造が、全世界的に起きてくる。そうなると、個人自営業は少なくなり、人はみなサラリーマンになる。寡占企業状態だから、その企業をリストラされたら、もうその業界で他に行くところがないということにもなる。だから皆さん会社にしがみつき、上司の顔色をうかがってストレスフルに生きるようになる。しかし、資本の論理は「利潤の極大化」ですから、搾り取れるところは搾る。安い労働力があったらそっちに行くし、リストラできるものはトコトンやる。巨大企業のトップ集団は、年収数億数十億の報酬とストック・オプションなどで巨額の資産を作るが、圧倒的大多数は時給なんぼの低賃金労働者に落とされる。いわゆる二極分化が鮮明になっていきます。あーんまり麗しい未来像ではないのですが、そうなりつつある。伝統的に労働者の権利が非常に強いオーストラリアですら、IR法の改正などで、そういう方向に流れていってます。だから、今こそ、労働者の権利を!ってカウンターな流れも出てこないと、どんどんバランスが悪くなっていくように思います。資本主義というのはゲームのルールであり、システムですから、それを単純に走らせておくと、「金さえ儲かればそれでいいんだ」風の弱肉強食、貴族&奴隷の二極分化社会になっていくのは、ある種理の必然でもあります。

 このように二重の意味で、労働者の権利意識というのは、今の(未来の)日本で大事なことだと思います。「ロードーシャのケンリ」とかいうと、古くさく、堅苦しく響くんだけど、皆が豊かな人生を営むためには、もう少しバランスというものに気を遣った方がいいんじゃないかってことです。



 さて、話はもどって、労働法上の労働時間に関する「原則」ですが、これがすごいんですよね。労働者というのは法律上ここまで保護されていたのか?と新鮮な驚きに包まれるでしょう。

 まず、労働基準法32条は、1日8時間以上、週40時間労働させてはならないと決めてます。まずこの時点で夢物語ですよね。8時間以上働かせるのは、原則として「違法」、という表現がキツいなら「例外的事態」です。しかし、現実にはこの例外的事態が普通だったりしますが、この労働時間規制以上に働かせるためには、労働組合などと書面による合意をしなければならないことになってます。また、労働時間を超えて労働させた場合、割増賃金を払わねばなりません(37条)。この割増比率ですが、時間外労働は25%以上、休日労働は35%以上、深夜(夜10時から朝5時まで)労働は25%以上、時間外+深夜の場合は50%以上、休日+深夜の場合は60%以上の給料を払う義務があります。年次有給休暇は、半年上勤めてかつ出勤率が8割以上だった場合、10日以上の有給休暇を、1年半以上働いた場合は、半年経過後1年ごとに有給休暇が1日づつ増えます。つまり、5年以上働いている人は10日+5日、30年働いている人は年に40日の有給休暇を取れることになってます(39条)。

 これらの規定にはもちろん例外規定や補助規定もたくさんありますが、あくまで上記が原則。これよりも不利な条件で働かせるためには、なんらかの法律上の事項、あるいは書面による合意が必要です。でも、今の日本で、こんなの真面目にやってる会社なんか、いったいどれだけあるのでしょうか?それどころかお持ち帰りの残業や、サービス残業も常態化しているでしょう。サービス残業って、要するに残業しているにも関わらず、残業代を請求させない、タイムカードを早めに押してそもそも残業などという事実は無かったことにすることで、これって労働法違反という以上に、刑法違反ですよね。つまり他人をして義務なきことをなさしめる強要罪、反抗を困難ならしめる脅迫を行って財産的処分(労働)をなさしめる恐喝罪、あるいは「そういうもんだ」と思わせて(騙して)働かせる詐欺罪に該当するとも言えます。

 今の日本社会で、この労働法上の諸規定をキチンとまじめに守ってたら、あなたの給料はもしかして二倍くらいになってるかもしれないし、実際に有給で休める日々も二倍くらいに増えてるかもしれません。かなり住みやすい社会ですよね。でも、そうなっていない。何故か?



 これは、「なぜ日本人は働き過ぎだと言われるのか?」という問題で、エッセイ数本分のボリュームがあり、ここでチョロチョロ書けるようなものではないですが、かなり根深い問題です。過去のエッセイでも頻繁に触れてますが、日本人というのは本来そういう民族じゃないと思います。日本人の歴史が例えば2000年あったとしたら、たかだか石田心学が流行った江戸中期以降からの200-300年、あるいは戦後の数十年くらいの傾向でしょう。戦国時代の日本人なんかもっと大らかで、いい加減です。転職なんか全然自由だし、給料(恩賞)が少なかったらとっとと他家に売り込みにいってたし。僕らが何となく「日本人ってこういうもの」と思ってることって、実は本質から違って、無理してそう振る舞ってる部分が往々にしてあると思います。

 それはともかく、今現在そんなに誰もが労働者の権利を主張しないのは、一つには単純に「知らないから」だと思います。小学校の公民や高校の政経などで一応のことは教えますが、やたらめったら膨大にある暗記事項の一つに過ぎず、多くの場合は右から左へ流れさっていくでしょう。あんまり教えて貰うと、日本の支配層が困るんでしょうね。だから、教師もあまり教えない。また、親も教えない、先輩も友達も知らないから教えない。だから知らない。

 もう一つは、労働者の権利を言う人間は「アカ」である、共産主義者である、非国民であるかのごときイメージの植え付けと洗脳。年配の人とか、いまだに「アカ」とか言いますもんね。若い連中でも無批判に使ってる場合もあるけど、頭が悪いにもほどがあると思いますね。資本主義というのはほっとけば貴族奴隷の二極分化になるというところまでは、右も左も意見は同じであり、だから資本主義をやめて共産主義にしようというのがいわゆる「アカ」の主張であり、資本主義の悪いところを修正してやっていこうというのが現在の自由社会の保守本流でしょ。だから福祉を充実させましょうとか、託児所を作りましょうとか、生活保護をしましょうとかやってるわけじゃん。資本主義バリバリだったら、福祉なんか要らんよ。弱い奴は死ねで別にいいもん。それじゃまずいでしょってことで、いろいろカウンターを当ててるわけですよ。労働者の権利もその一つであり、それを唱えたらアカ呼ばわりされるんだったら、託児所を増やせと言えばアカ、年金下さいって言えばアカ、失業保険をもらいにいく奴は全員アカですよ。いやマジに、原発反対といえばもうアカ、環境問題を語り合ったらもうアカ呼ばわりって世界も実在します。あなたが警察官になろうとして出願したとき、あなたの親類縁者が何かの住民集会に参加してたら、それだけでもう採用は厳しくなるとか、キャリアだったら出世は厳しいとかいうのが、日本という社会の偽らざる実像だと思います。

 僕が言ってるのは、そして多くの論者が言っているのは、「穏当なバランス」です。
 何も一切働きたくないけど金だけ寄越せなんて法外なことをいってるわけではない。ちょっとバランス崩れているんじゃないの?ってことです。少なくとも残業したら残業代くらい払いなさいよ、それを請求する人を職場の中で村八分するとかいうことは止めましょうと。そんなに過激な主張っスか、これ?



 さて、こういった前提において、さらに状況が悪化(労働者にとって)する法案が、今回のホワイトカラー・エグゼンプションです。
 なにをどうエグゼンプト(除外)するのかといえば、前述の労働時間規制です。もともと有名無実化してる労働時間規制ですが、ホワイトカラーに限っていえば徹底的に無力化するというか、労働時間規制そのものを消滅させてしまいましょうって改正案です。

 この話はもともと日本経済団体連合会、日本財界の総本山ケーダンレンですね、から、1995年に「新時代の『日本的経営』」という報告書で提案されました。ホワイトカラーは、その働き方に裁量性が強く、労働時間の長短とその成果が必ずしも一致しないから、労働時間に対して賃金を払うのではなく、成果に対して払うようにすべきだということです。また、アメリカ側からも圧力がかかってます。2006年6月の日米投資イニシアチブ報告書では、日本政府に対しホワイトカラーエグゼンプション制度の導入を要請してます。

 ホワイトカラーも、その職責が重く、活動や裁量の範囲が広がるにつれ、何時間働いたから幾らって世界ではなくなります。例えば、あなたがどっかの会社で「北海道支店を立ち上げてくれ」というミッションを受けた場合、候補地の選定やら、広告やら、マーケティングやら、従業員の採用や教育など、八面六臂に活躍するでしょう。そこで求められているのは、「優秀な北海道支店を立ち上げること」であり、立ち上げられたかどうか、どれだけ優良な支店であるかという成果に対して報酬が支払われる感じになります。単純に何時間働いたから、というのでは、ドン臭い奴や仕事の遅い奴の方が沢山給料を貰って、仕事の出来る人の方が短時間で済ませてしまうから給料が逆に安くなる、これはヘンじゃないか、そーゆーことではないのではないかってことですね。

 まあ、そう言われればそうかな?って気もするのですが、僕に言わせればそんなのは建前の話で、実際は違うんじゃないかしら。まず、財界側が言い出したのは、それまでも労働者の権利をシカトするような形でサービス残業をやらせていたわけですけど、一応労働基準監督署も頑張るわけです。2004年9月以降、立ち入り調査を始め、氷山の一角と言われながら、サービス残業を摘発し、企業側にケチっていた残業代を支払わせています。関西電力に対し約23億円(従業員1万1000人)、東京電力約70億円、中部電力65億円。電力会社以外では人材派遣のスタッフサービス大阪本部に53億円の支払いをするように是正勧告を出しています。すごい金額ですよね。これ、本来は全額従業員の給料になるはずだったお金を、会社はそれだけピンハネしてたってことです。でも、サービス残業をやってる事業者は全国500万事業者の大半だと言われてますが、労働基準監督官は全国でわずか3000人。だから摘発事例は氷山の一角です、ほんとに。

 しかし、財界としては、こういう当局の動きが鬱陶しくて仕方がないのでしょう。どこもが脛にキズをもってるでしょうし、摘発されればマスコミに流れるし、企業イメージも悪い、記者会見に引っ張り出されて頭を下げなければならない。そんなのイヤだと思ったのでしょう。あのー、日本のシステムって、本当に上に甘いというか、上になればなるほど子供じみた我儘を通そうとします。まあ、ナベツネ的な人物が、ちょっと悪口言われたから腹が立ったとか、そんな子供レベルの反応で右へ左に動いているのが社会の情けない実態だと思います。こんな労働基準監督署の氷山の一角の摘発なんか、別にほっておけば良さそうなんだけど、でも気になる、頭下げたくない、何とかしたいって思ったんじゃないかしらね、あのジイサン達は。そこで、労働時間とか規制とかうるせえなあ、いっそのこと廃止してしまえよってことで、こういう提言になったのではないか。

 一方、アメリカがなんでここで外圧をするか?です。アメリカといえば、日米構造協議で、やれ日本人は働き過ぎだとか、もっと休暇を取らせろ、時間短縮だ、ジタンだってうるさかった筈でしょう。アメリカの外圧を受けて、時短になり、それを潜脱するためにサービス残業という新しい形態が生まれたという流れになってましたよね。それが、何を今さらアメリカさんが手のひらを返したように言うのか?これは、日本にアメリカ資本の外資系企業が沢山入り込んできたという時代の変化があると言われてます。日本にある自分の会社が自由にアメリカ流に経営したいから、邪魔になる日本の法律を変えろってことでしょう。昔は、アメリカの自国産業を保護するために、日本人のダンピング的低価格、それを支える労働コストの安さを押えるために「休ませろ」といい、今は在日自国企業のために「働かせろ」というという。いい加減なもんだと思うけど、でも、アメリカというのは一枚岩ではなく、いろんな分野のいろんな力がせめぎあっています。今のブッシュ政権では、日本に支店を出すような企業がアメリカの政界でそれなりに力を持っているということであり、今後もそうなるという保証はないでしょう。

 要するに、早い話が、日本もアメリカも企業のトップ連中は、うるさい法律に縛られずに、もっともっと自由にピンハネさせてくれいっ!てことでしょう。彼らのいう「規制緩和」ってそーゆーことでしょう。



 いや、そんなことはないぞ、いたずらに主張を曲解するもんじゃない、これは労働者の働きに見合った給料を払おうという、あくまで公平&公正な提案なんだよって反論があるでしょう。

 そりゃ、「そうでーす、僕たちもっとピンハネしたいんでーす」なんて口が裂けても言うわけないです。しかし、労働総研の試算によれば11兆5,851億円もの人件費削減になるという数字が出され、議論の俎上に乗せられています。労働総研は労働者側の機関ですから、財界寄りの試算をする筈もなかろうし、この試算をそのまま鵜呑みにするのは危険かもしれません。しかし、大して働いてない人の給料を減らしても、頑張ってる人の給料を増やそうという公平とか公正だったら、直ちに「削減」というマイナス試算にはならないでしょう。成果を正当に評価することによって却って人件費が増加することだってありうるわけですから。それなのに「削減」という試算が出来るのは何故か?です。いくら政治的な意図の元に試算の方法を変えることができるといっても、試算が試算である以上、ある程度の論理的な道筋は必要であり、やたらムチャクチャな試算は出来ないはずです。

 なぜこういう試算結果になるのか、それを皆が「んな、馬鹿な」と批判せずに受け入れているのか?というと、給料が下がるシステムは整備されてるけど、給料が上がる(or労働時間が短縮する)システムは全く未整備だからです。ホワイトカラーエグゼンプションのシステムを理念通り徹底すれば、一定の成果を短時間に達成すれば、本来の勤務時間前であろうが帰宅しても構わないはずだし、昼からという重役出勤でも構わないでしょう。また、要領よく仕事を片付け、他の仕事にとりかかれば、多くの成果を達成でき給料も上がる筈です。しかし、それによって給料が上がるという制度的な保証はどこにもないでしょ?

 これはそもそも「成果主義」への疑問でもあるのですが、プロ野球選手の打率や防御率のように、一般のサラリーマンの日常の仕事において「これが成果だ!」って明瞭に見えるものは少ないです。サービス業の成果の多くは「顧客満足」だったりしますが、これも計量可能なものでもない。アンケートを回収してもアテにならないし、なんとなく「お客さんに人気がある」くらいのことは経験的にわかるだろうけど、そんなに毎月毎月デジタル的に把握可能なものでもない。それに、「オレは沢山成果を達成したからもっと給料を寄越せ!」と言えるサラリーマンがどれだけ日本にいるというのだ。居るとしても、非常に限られた職種に過ぎないというか、それは職種がそうだからではなく、会社に対して強くモノが言えるという立場的な問題でしかないような気もします。また成果と給与をリンクさせる方式は、今だってノルマ営業などの歩合給という形で組み込まれていますし。

 しかし、給料が下がるシステムはバッチリ保証されています。なんせ残業代や休日、深夜の割増賃金分が一切カットになるからです。前述の労働総研の試算というのも、推計される日本の労働者の残業代の総額です。なんせ「払わなくてもいい(免除にする)」というのですから、この部分は確実に減ります。もともと雀の涙のような残業代であったとしても、確実に無くなるというのは、やはり大きい。給料(人件費)が減るのはこれだけ確実なのに対して、給料が上がる見通しについてはかなり曖昧、というかどういう制度的担保もないです。この制度がフェアに適用されているということを監視する監視機関もない。本来なら、社員ひとりひとりのタスク(課題)を、その業界に精通した監察官が、この程度のキャリアでこの程度の給料だったら、この程度のタスクは妥当/過重と立ち入り検査するくらいでないと、課題/成果と給与の正しい対応関係が分からないでしょう。しかし、そんな検査なんか事実上やってられないでしょう。現在の労働時間の長短、残業手当の有無という非常にわかりやすい事柄でさえ、労働基準監督署の監督は氷山の一角と言われているくらいですから。





 しかし、ホワイトカラーエグゼンプションの問題は、単に残業代が無くなるということにとどまりません。ものすごい悪用の恐れと、それに伴う波及効果があるからです。

 「悪用の恐れ」の第一弾として、子供でも簡単に思いつくのは、従業員にとんでもないタスクを背負わせればいいってことです。営業社員で顧客を100人受け持たされて人に、200人受け持たせればいいんです。調査レポートを一週間でまとめていたところを3日でやれって言えばいいんです。過大なタスクを背負わされた従業員は、残業してでも、場合によっては徹夜してでも仕上げます。これまでだったら、徹夜して頑張った分、残業代や深夜割増賃金を支払ってもらえた。まあ、こういった残業代については、これまでも有名無実化していたとはいえ、それでもゼロってことはないでしょう。それに会社があんまりヒドイことしてると、思いあまった従業員に労働基準監督署に駆け込まれたりします。そうなったら立ち入り調査を受け、悪くしたら刑事訴追を受けて手が後ろに回ることもありえます。だから、自ず歯止めはかかってました。ちなみに労基による検察庁送致というのは、実は結構ありまして、僕もその昔岐阜で検察修習やってときに一件送致されてきたりしました。多くの送致事件は事故など労働安全面での問題ですが、労働時間に関する案件でも書類送検されることはありえます。経営者にとって、労働基準監督署=ローキは、税務署と並んで恐い所なんですね。でも、ホワイトカラーエグゼンプションになると、残業代や労基を気にせずに、いっくらでも残業させ放題ですよね。むしろ、5時くらいに帰宅されたりすると、「あれ、与えたタスクが少なすぎたかな?」って反省されて、もっと過大なタスクを与えたくなったりするでしょう。払う給料が同じだったら徹底的に働かせたいもんね。

 ことろで、なんで労働法で労働時間なんか定めたり、残業代や割増賃金を払うようになってるか?です。1日8時間と決めるのは、労働者だって人間なんだから、人間には働くこと以外に、家族の一員であったり、ただの個人であったりする時間が絶対必要だということです。奴隷制度があった社会とか、資本主義勃興期のイギリスの炭坑などでは、18時間労働とか、とにかく酷使に酷使を重ね、死ぬまで働かせていました。利潤追求という経営目的からしたら、少ない給料で沢山働かせた方がいいもんね。それに対する歯止めとして、労働法というのが考え出され、あれこれ規制しているわけです。残業代が高くなるのは、本来一人の能力で片付かないだけの仕事があるんだったら、もう一人雇うのがスジだからです。片付かないだけの仕事がある、つまり商売繁盛なんだから儲かってんでしょ、だったらもう一人雇えばいいじゃんと。それを、従業員のプライベート生活を犠牲にさせてまで残業させるのは、本来的に経営者としては反則であり、経営がヘタクソだってことです。だから、ズルをするんだからその分余計に払えよってことですね。



 第二の悪用のおそれは、これもすぐに考えつきますよ。イジメやいびり出しに最適ツールだってことです。なんせ残業代がかからないんだから、気にくわない奴、早期退職させたい奴に、途方もない仕事量を与えて、ガンガン働かせばいいんですよ。もうぶっ倒れて、過労死したり、鬱状態で自殺するまで追い込む。なんせ労働時間というモノサシが一切なくなるわけですからね。ヒドイ例になると、セクハラしようとして拒絶され「恥をかかされた」と思った馬鹿上司が、その女子社員に逆恨みの復讐をしたり、社外に追い出して見せしめにする格好なツールになるでしょう。

 このあたり、意図的に「殺してやろう」と思うケースは少ないとは思うけど、ホワイトカラーエグゼンプションが、「過労死促進法案」と仇名されたりするゆえんでもあります。過労死という言葉が日本語に定着し、さらに英語で"karoshi"という言葉が登場して(英語版Wikipediaにも載ってる)久しいにもかかわらず、過労死は全然減ってないでしょう?というか一貫して増えてますよね。なんでそこまで働いてしまうの?っていえば、それだけ周囲のプレッシャーが凄いのでしょう。でも、本人もそれを真に受けて盛り上がってしまうって部分も大きいです。エジプトのピラミッドみたいに、炎天下の砂漠を鞭で打たれながら石を引っ張って過労死するような分かりやすいケースは少なく、もう1年間半日しか休んでいないとか、過重労働が慢性化し、疲労も慢性化し、徐々に心身のバランスをむしばみ、最後には脳内血管が切れてくも膜下出血などというパターンが多いです。過労死で労災問題になると、それまでの勤務時間の長さが端的に問題になり、そこで労働法違反で刑事処分を受けたりしますし、裁判所での認定に影響を与えていました。これらのことが、まがりなりにも歯止めにはなってきました。でも、ホワイトカラーエグゼンプションになると、労働時間の長短と過労死の関係が曖昧になります。「そんなの労働者の自己責任じゃん、知らんもんね」って企業側はほおっかむりしやすくなります。実際、奥谷禮子のようなオバハンはそう言い放ってますよね。



 ホワイトカラーエグゼンプション制度の適用対象者は、経団連の素案だと年収400万円以上のサラリーマンということになり、厚生労働省側はもう少し限定しようとしてます。しかし、「年収400万円以上」という制限は凄いですな。これって、正社員になってある程度勤めたらほとんど誰でもそうなるんじゃないの?もちろん、経団連の素案でも、「400万以上だったら誰でも適用」とは言っておらず、「法令で定めた業務」「労使協定により定めた業務」という絞りはかけています。しかし、この程度の絞りなど、絞りとして機能するのかどうか疑問ですね。もともと、現行法上、「一日8時間以上、週40時間以上」働かせるためには、労使協定上の合意がなければダメです。だから、日本全国で残業しているサラリーマン諸氏は、おおむねこの労使協定に合意していなければならない筈ですが、労使協定に合意した記憶ってありますか?多くの場合は、会社のいいなりの御用組合による協定、あるいは協定なんか全く無視、最初から結んでいないって感じじゃないですか?だから、労使協定で絞りをかけるとかいっても、実際問題どれだけ実効性があるのか、かなり疑問なんですね。

 本家本元のアメリカのホワイトカラーエグゼンプション制度は、(A)週休455ドル以上で、@指揮命令系統を把握し&A常勤二人分以上の人事権を握り&Bその他の従業員の採用権限を持っているという三条件が揃っている人、あるいは(B)年収10万ドル以上で@〜Bのうち一つ以上を満たす人に適用されるらしいです。これは日本よりもある意味では緩やかです。(B)のケースはかなりの高級職でしょうが、(A)の場合は年収換算で300万円以下でも良いのですから、ユルいっちゃ緩いです。でも、ある程度具体的に職種や内容を絞り込もうという姿勢はあります。ただ、人々の労働観や人生観が違うアメリカと一概に比較するのは問題でしょう。これは後でじっくり述べたいのですが、人々が「イヤだったら辞める自由」というのを実質的に持っているかどうかってのが大きいからです。

 一方、日本の労働基準法の時間制限は管理職には適用されません。正確に言えば労働基準法41条による「管理監督者」です。管理監督者かどうかは、単純に企業内部のポストの名前が管理職っぽいかどうかではなく、現場の責任者というか、仕事の性質上、労働者というよりは経営者的な色彩が強いポストです。アメリカのホワイトカラーエグゼンプション制度というのは、日本でいうところの労働基準法41条の管理監督者クラスの人間には労働基準法の適用除外というのと、実質的には同じことなんじゃないかって感じも受けたりします。

 ここで素朴に考えるのですが、「ホワイトカラーエグゼンプション制度の適用対象者」と「41条の管理監督者」というのは、実際問題ほとんどオーバーラップするのではないか?という疑問もあります。すでに現行法でそれだけの裁量権のある労働者には労働時間規制が撤廃されているのだから、それでいいじゃないか?なにをまた物議を醸してまでホワイトカラーエグゼンプション制度なんてのを導入しなきゃならんのか?と。

 これに対しては、経団連の提言で触れられていて、「しかし、こうした管理監督者については、前述したようにその範囲をめぐる解釈に問題があり、これを実態に沿ったものに改める必要があるほか、深夜業に関する規制が適用除外の対象とされていないという問題がある。他方、経済のグローバル化や24 時間化が一層の進展を見せる中で、海外とのやりとりをはじめとして、重要な職務や責任を有するこれら管理監督者が深夜に活動しなければならない状況は数多く想定される。」としています(同提言書11ページ)。

 何を言ってるかというと、確かに41条で管理監督者は労働時間制限の規制を受けないけど、それでもなお深夜労働については規制を受けます。経団連はそれが気にくわないようです。しかし、この提言書も突っ込みどころ満載で、現在の管理監督者の範囲が曖昧なのは問題だとしつつ、じゃあホワイトカラー制度だったら明瞭になるのかという一層曖昧になっていたりします。また、深夜にも働いて貰いたんだったら、別に今だって働いて貰えばいいんですよ。深夜割増賃金を払えばいいだけのことです。でも、それがイヤなんでしょうねー。要するに「深夜割増賃金は払いたくない」ってことでしょ。



 しかしですね、日本企業における年収400万クラス、言ってしまえば平社員に毛が生えた程度の職責の人に、ホワイトカラーエグゼンプション制度を導入するのって、本来の趣旨からしたら変に感じます。もともと、成果と労働時間は比例せず、単に勤勉に働くことを期待されているのではなく、その成果を期待される人材というのは、かなりプロ的な人材ですよね。「やることやってりゃ、誰も文句は言えない」という立場の人。朝何時に出勤しようが、上司も文句を言えないような立場の人。なにか仕事で意見されても、「オレのやり方でやらせてもらうぜ」くらい吐き捨てるように言える人。これだけ自由度が高いってのが、裁量性が高いってことで、そういう人だったらホワイトカラーエグゼンプション制度にしてもいいでしょう。ストレスもたまらないでしょうよ。過労死もしないでしょう。給料安かったら、とっとと他社に行っちゃうでしょう。でも、こんなサラリーマン、日本にいったいどれだけいるというのだ??

 本当の経団連案のように年収400万クラスでよく、且つ法令とか労使協定で職種が決まっていくのだったら、さらなる波及効果が生じます。ここにおいて、私はサラリーマンでもない or 年収400万以下 or フリーター/派遣だから関係ないよって涼しい顔をしている人にも影響が出てきます。冒頭に、影響を免れる日本人なんかほとんどいないんじゃないかって書いたのは、そういうことです。どーゆーことかというと、、、、

 簡単な話なんですけど、派遣やバイト、低給料の社員の仕事を、年収400万以上貰ってる社員におっかぶせてしまえばいいんですよ。正社員を残業代払って働かせるのは人件費がかかってしょうがないから、バイトとか派遣社員を雇っていたわけでしょう。でも、残業代も一切不要ってことになったら、この正社員をトコトン働かせればいいんですよね。毎日午前様になるまで残業させる。そうすれば、バイトや派遣の仕事の一つや二つくらいこなせるでしょ。

 そうなったら、派遣やバイトのあなたはどうなるのか?って言えば、単純にクビですわ。もともとこういった人達に職があったのは、正規の社員を働かせるよりは人件費が安いというメリットが企業側にあったからでしょ。でも、ホワイトカラーエグゼンプション制度によって、400万円以上の正社員の残業時間の労働力というのは、コストゼロになるわけでしょ。無給で働いてくれるんだもん。仕事に熟達した人間を賃金ゼロで働かすことが出来るんだから、幾らバイト/派遣が低賃金とかいっても、無給には勝てないでしょう。だからビシバシ、クビにするでしょうね。また、正社員にして400万円以上給料あげて、トコトンこき使った方がコスト的には安いでしょう。


 そうなると、さらに第三次の波及効果が生じてきますよね。とりあえず少子化なんか歯止めがかかるわけないですよ。労働時間が超長期化するおそれがあるんだから。介護もヘチマもやってる暇ないでしょう。一杯飲みに行く余裕も資力も乏しくなるでしょう。月の残業代でローンを返すとか、残業代が飲み代になってるという人は多いですが、それも全部ナシですよね。内需に大きな変化が生じるのではなかろうか。


 ああー、予想したとおり全然終わらないです(^^*)。一回で済ませようなんか甘かったなあ。
 この問題って、本当は、「日本人において仕事とは?」ってところまで遡らないと語った気がしないのですね。要するに制度の問題ではなく、日本社会という土壌の問題なのではないかと。次回にも続きます。




文責:田村

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