今週の1枚(05.03.21)





ESSAY 199/英語の学習方法(その16)−ライティング 


文才と英作文能力の違い/定型性とサンプリング


写真は、Petersham付近


 この長いシリーズも、いい加減今回でシメようかと思います。
 最後にライティングです。

 ライティングですけど、僕も苦手ですし、あんまり言うことないです。教えてもらいたいくらいです(^^*)。IELTSなどの進学コースに行けば、アカデミックライティングをきちっと叩き込まれるのですが、それも行ったことないし、中学高校真面目に英語勉強してないからスペルなんかボロボロです。いまだに基本的なスペルを平気で間違えますしねー、自慢じゃないけど、Saturdayとかねー。Wednesday なんかもスペル的には「うぇどねす」だからソラで書いてて「あれ?」とか思ってしまう。tomorrow なんかも、「むむ、Mが二つだっけ、Rが二つだっけ、両方だっけ?」とか未だに困ってますもんね。ほんと自慢じゃないけど。こういうのは習い始めの時点でドリルでもやって叩き込まれないと中々覚えないです。

 その昔受けたIELTS試験でもラィティングがボロボロだったし、なんの試験を受けてもライティングが一番ダメ。でも、その理由もわかるような気がするのですね。まずはそのあたりの話から。





 英語の「ライティング」という分野ですけど、一口にライティングと言いますが、実は二つの要素があるのだと思います。一つは、いわゆる「英作文能力」です。これはスペルが正しいとか、文法的にしっかりしてるとか、定型的な表現が使いこなせるとか、そういう英語技術としての能力です。もう一つは、英語/日本語以前の「文才」というやつです。これは、言語表現能力というか、ある物事を伝える場合、何をどの順番で持っていけば一番伝わるか、そのあたりのカンドコロを才能としてもってるかどうかです。

 自分で言うのもなんですが、僕の場合は、「文才はあるけど、英作文能力がない」、自分の「文才に英作文能力が追いついていない」からダメなんだと思いますね。ここで「文才はある」とかエラそに言い切ってますけど、別にそんなに大したもんじゃないのも自分ではわかってます。ただ、今書いているエッセイを量産できる程度のレベルには文才はある方だと思います。もちろんプロレベルからみれば屁みたいなものですよ。でも、謙遜の美徳に忠実なあまり、言いたいことがボケてしまうと良くないので、あえて傲慢に「文才がある」と言い切らせてもらいます。まあ、屁みたいな文才だけど、英作文能力がそれに輪をかけてダメだからそのアンバランスさで困っているとでも言いましょうか。

 さて、この「文才」とは何かですけど、絵や写真の才能に比べたら分かりやすいと思います。写真の上手い人というのは、まず構図の捉え方が上手ですよね。実際に写真を撮るときには360度全部見れているわけですが、その中からどの部分をどう切り取るとどういう印象を与えるか、何を捨てて、何を入れるか、それによってどういう世界が構築できるかの判断というかカンが冴えています。また、海の広がりや、可憐な花を撮ろうとした場合、何をどう写すことによって広がりが出てるのか、可憐さが感じられるのか、そのエッセンスを掴むのが非常に巧みです。ただなんとなく見えたまま写真に収めても、平板なものになって、そこには感動は無い。

 言語、ビジュアル、演劇、音楽、、種類に差はあれども、およそ「表現」というのは表現技法に伴う制約や限界があります。この現実世界をそっくりそのまま再表現することは不可能です。例えば360度パノラマの大海原の臨場感、息が止まるような巨大な感動を完全に再現しようと思っても、全く同じスケールで海や空を作り上げることは(神様でもない限り)不可能でしょ。写真も絵画も、実際に見えている中のごくごく一部を切り取ることしかできない。現実世界の膨大な情報量のごく一部、ほんの数パーセントしか再現できないという条件で、じゃあなにを取り出すか、どういうエッセンスを取り出せばいいのか、ここに「選球眼」「審美眼」というものが要求されるのだと思います。まずこの視点をどれだけもっているかどうか、これが才能であり、スキルと呼ばれるものなのでしょう。選びぬいた素材をもとに、さらにどう料理したらいいのか、これもまた才能であり、スキルなのでしょう。「表現」というのはそういうことだと思います。

 言語表現の場合でもそれは同じです。ある物事を伝えるにしても、デジタル的にYES/NOを伝えればそれで済むわけではなく、そこには自ずとニュアンスというのものがあります。「海がきれいだった」とだけ言ってたって、「その人がきれいだと思ったという事実」は伝わるけど、その海の美しさ、その感動は伝わりませんよね。それは、真黒な夜の海に大きな満月がのぼってくる恐ろしいばかりに幽玄な光景なのかもしれないし、紺碧の海原の果てしない広がりに感動したのかもしれないし、遠浅のエメラルド色が徐々に濃くなっていく美しさかもしれない。それを余すところなく、的確に、簡潔に表現するのが言語表現だと思うのですね。うららかな春の日、すべてがのどかで牧歌的な光景のなか、海までもなにやらのんびりしてるように、大らかにうねっている情景を、「春の海 ひねもすのたりのたりかな」という俳句は、ものの見事に、わずか17文字でやり遂げてるわけです。「五月雨や大河の前に家二軒」にせよ「閑けさや岩に染み入る蝉の声」にせよ、この現実世界から、エッセンスとなる部分を的確にピックアップして並べることによって、その現場の感動を再現しています。これが言語表現なのでしょう。

 だから文学は、芸術であり、アートになるのでしょう。極限まで研ぎ澄ませた感性と、その感性にしたがって寸分たがわず正確に表現できる技術。これが、まあ、「文才」なんだと思うのですね。

 でもって、この「文才」は、特に「感性」部分は、表現に使う言語が英語であるか日本語であるかは基本的に関係ないです。写真を撮るときに、そのカメラが日本製がドイツ製か、使うフィルムがコダックか富士フィルムかみたいなもんです。何を取り出して、どうつなぎあわせたら、どういう感動を与えられるかの判断ですから。





 こういった言語表現能力と、いわゆる英語能力、英作文能力とは次元が違います。

 一般に僕らが英語のライティング能力という場合、そこまで高度な表現能力を求められているわけではないです。そこそこ適切な単語を、正しいスペリングで書け、そこそこ適した定型フォームにあてはめ、文法的に目立った過ちがなければ、それでOKです。別にその文章が文学的感動を与えなくても、現実社会や人間存在の深みに迫っていなくても、可もなく不可もなければそれでいいです。凡庸な文章であればいいし、むしろ凡庸な文章である方がいい。

 ところが妙に文才がある人、あるいは表現欲求や水準が高い人だと、そういう凡庸な文章に満足できない。「こんなクソ当たり前のことを、凡百の表現で書いたって意味ないじゃん」とか思っちゃうんですよね。しかし、自分が求めるだけの水準の表現をするだけの基礎技術がない。高度な表現技術などではなく、もっともっと基礎的な、「てにをは」とかスペルとかそのあたりで躓いてしまう。むしろ上ばっかり見てるから足もとがおろそかになって、容易にコケてしまう。言いたいこと、表現したいことが自分の英語能力を遥かに超えて高くなっちゃうから、そのギャップに苦しむ。





 それともう一つ。文章表現の高度さだけではなく、その内容の深みや高度さという点もあります。
 エッセイ作文とか小論文の問題自体の次元の低さというか、アホらしさに、回答者が困惑するということもあるのですね。いわば「アホみたいな問題」が出るわけです。しかし、それがアホらしいと思えるくらいその人の造詣の深さはあるわけだけど、それを英語(言語)で表現することが出来ないからここでもギャップが生じて自爆してしまうという。

 IELTSのライティングの試験なんかも、アカデミックモジュールなどはそれなりにアカデミックな出題が出ますけど、下らないちゃ下らない問題が出るわけです。例えば、グラフや表を示して、「日豪間の経済活動の推移を論ぜよ」みたいな問題が出るわけですね。しかしですね、ある程度日本で真面目にビジネス社会にいた人間だったら、実際の国家経済活動という、この捉えどころのないバケモノみたいな存在を、わずか一つ二つの表をもとに、20行か30行かそこらで論じろということ自体がナンセンスであり、そんなことが出来たらノーベル経済学賞が取れるわ、とか思っちゃうんですよね。そりゃ、確かに表から窺われる傾向らしきものはいくらかはあり、それを並べてもっともらしく分析するのも可能ですよ。でも、表ひとつとったって、どういう機関がどういう方法で誰を相手に統計を取ったかまで精査しないと、そもそもその表の数値をどれだけ信用していいか分からんわけです。統計は容易に嘘をつくから。そしてまた、実際には毎日各機関から量産されている統計数値がまた相互に矛盾してたりするわけで、だから経済予測なんかでもシンクタンクのプロ集団が巨額の費用をかけてやりながらもコロコロ外れてるわけです。「この表が示すように、日豪間の貿易高は一貫して上昇し」なんて子供でもわかるようなこと書いて、それが「論じた」ことになるんかいな、アホらし、とか思っちゃうんですよね。

 しかし、英文ライティングをする場合、多くの場合はこの種の試験英語だったりするわけですが、ここでは「Aという現象が見られる一方でBという状況がある」という英語表現方法を知ってるか?とかいう程度のことしか問うておらず、その内容の正確性や高度性なんかどうでもよかったりするのですね。

 これは日本語でも同じです。いわゆる小論文試験なんかも、下らないっちゃ下らない問題が出ます。一生かかっても解決のつかないような深刻な問題を20分で書けとかね。「男女差別を解消するにはどうしたらいいか」「原発問題をどうするか」とかね、そんなもんペラッと答えが出るくらいだったら誰も苦労してませんわ。20分かそこらだったら、誰でも知ってるようなこと、つまりそれを言ったからって意味のないようなクソ当たり前の事を無難に並べておくしかないです。

 そのバカバカしさに自爆するというのが、ラィティング試験の一つの陥穽だと思います。
 ですので、この種の”症状”にお悩みの方、つまり表現欲求が高すぎてしまうとか、真剣にその問題を考えすぎてしまって回答枠に収まらないとかいう人は、逆にこれは試験なんだ、内容なんかどうでもいいんだ、思いっきりアホアホな内容でいいんだって、割り切るしかないですし、この割り切りをハッキリされるといいと思います。それだけでライティング試験はかなり点数的にはあがると思います。





 いま、ライティング試験のことに触れましたが、多くの日常生活で求められるラィティングも、それほど創造的な、クリエイティブなものではありません。

 ビジネス文書にしたって、基本的には同じことの繰り返しですし、その表現方法に大した意味があるわけでもないのが実情です。実際に、日本で仕事をしてビジネス現場におられた方ならおわかりでしょうが、それほどクリエイティブで斬新な文章を作ったりはしてなかったでしょう?大体、こういう場合はこういう表現にするという定型みたいなのがあって、最初の頃は先輩が書いたFAXや手紙文例をファイルの中から探し出してきて、自分のパソコンに入れて、名前とか日付を適当に訂正するとか、そのくらいだと思います。

 「ビジネス文書」とかいってますが、「ビジネス」という名前のビジネスは存在しないのであって、それが旅行業界であるか、証券業であるか、建築業、医薬品、法曹、広告、、、業種によって使われる「方言」がたくさんあり、殆ど「方言」だけで成立してたりします。さらに、同じ業種でも、会社により、事務所により、極端にいえば上司によって、「趣味」があり、その趣味に合わせているのが実情でしょう。商用文でも、出だしの時候の挨拶のところで、「時下」で済ませる会社もあれば、いちいち季節に合わせて「薫風の候」とか書かされるところもあるでしょうし、「侯」を「砌(みぎり)」で書けといわれる会社もあるでしょう。「貴社益々御清祥のことと御喜び申し上げます」も、「お喜び」ではなく「お慶び」にしろとか、「御慶び」と漢字で「御」にしろとか、するなとか。これは弁護士事務所の内容証明郵便でも、事務所によって書き方が違って、「前略、ごめんください」なんて出だしで書いてくるところもあったりします。

 これはオーストラリア、英語社会でも同じらしく、いつぞや新聞の就職欄のコラムを読んでたら、「就職すると文章作成能力が落ちる」という内容で、会社会社によって、なんだかしらないけど変な文体があって、イヤでもその文体やフォームに合わせて書かされるから、しまいにはどんどん文章能力、言語能力が落ちる、という。実際、企業から送られてくるDMなんかでも、「なんでこんな変な文章にしなきゃいけないの?」と思うようなもったいぶった文章もよくあります。

 なんか、そんなの見てると、ライティング能力ってなんなのよ?って気もしますね。





 そう、実際の社会では、それほど「文才」「言語表現能力」や、創造性が真に問われるような場面は少ないです。プロのライターだったらいざ知らず、普通の人だったら、自分のHPやブログに文章を書き、しかもその文章の面白さで読ませるような場合を除き、そんなにクリエイティブなライティングをするような場面なんか無いです。あなただって無いんじゃないですか?精々が年賀状に一言気の利いたことを書き足すくらいじゃないですか。あとはちょっと内容のあるメールや手紙を書く場合くらいでしょう。

 そうなると、いわゆる英語学習におけるライティングというのは、言ってしまえば、アート度も低い、凡庸極まりない文章が間違いなく書けたらそれでいいということであり、そしてその本質は@カチッとした定型性と、Aきちんとした文法だと思います。ことに定型性というのが大きな要素だと思います。

 定型性というのは、例えばアカデミックな論文(エッセイライティング)だったら、起結承転結というパターンがあるということを知るということです。これは、「問題提起→自分の結論→その論拠1、2,3→予想される反論に対する反批判→結論」というパターンでして、大体はこのパターンをなぞって書かれます。これはもう単に知ってるか/知らないかだけですので、学んで、練習して積み上げていけばいいです。積み上げていくこと自体それなりに努力を要求されるから大変なんですけど、でも、「才能のひらめき」なんか全然要りませんから、レンガのように学んで、覚えて、慣れていけばいいです。

 商用文なんかも、決まりきった定型文句がたくさんあります。むしろ定型文句でない部分を探す方が難しいくらいです。「○○についてお知らせします」だったら、I'm pleased to inform youとか、please be advised とか、「詳しくお尋ねになりたかったら、どうかお気軽に下記の番号までお問い合わせください」は、Should you have any further question, please don't hesitate to call us anytime など shoudを使った仮定法を使うとか、督促をして既に相手が支払ってくれていた場合、「重複の際はご容赦ください」と日本語で言いますが、英語では、please disregard this letter if...と、disregardという単語を使うとか。

 凄そうでいて、こんなのは単なる「お約束」であり、知ってるか知らないかだけです。知ってさえいれば馬鹿でも書けるわけで、大した知能や才能が求められるわけでもありません。逆に言えば、非常に攻略しやすいのですね。DMメールなんかを広げたりして、「これは使える」と思ったものを、片端からパソコンに入れておけばいいんですから。逆に何も知らない段階でこれらの文章を「創造」しようと思ったらえらい大変です。「時下益々御清栄のことと御慶び申し上げます」なんてゼロから思いつかないでしょ?

 したがいまして、一般的なライティングに関して言えば、本当に知ってるか/知らないかなんですね。よく使われるパターンをどれだけ自分のレパートリーに入れられるかどうかです。ライティングが難しいとお嘆きの方は、この知らなきゃどうしようもないような場面で、知らないのに自分の英語力だけで開発しようとしてはいないか?と疑ってみるといいと思います。それは往々にして非常に効率の悪い努力であったりします。

 ということで、ライティングの勉強は、基本的にはサンプリングでしょう。いかにフレーズのサンプルを探し出して、自分のストックに入れていくか、です。これは英語でも日本語でも同じです。

 そして実際に書いてみる練習。論文だったら50本もぶっとーしで書いたら自分の中にパターンが出来てきますから、あとは楽になると思いますよ。50本書けばなんとか形になるんだから、ちょろいっていえばちょろい分野だと思いますよ。また、勉強するのとしないとの差が一番激しいのはラィティングだと思います。IELTSなんかでも、僕のように無手勝流で受験して、ライティングで最低で、スピーキングで点を稼ぐなんて馬鹿なことやってないで、ライティングで一番点を取るようにされたらいいと思います。一番点が取りやすい、一番勉強しがいのある領域なのですから。





 あとは文法。ライティングというのは、形になって残りますから、やれ時制が整合してないとか、三単現のsが落ちているとか、ミスがそのまま露骨に分かりますから、そこはかなり大変だとは思います。が、これはライティングが難しいというよりは、文法が難しいわけで、ライティング独自の課題ではないです。

 その他、定型文に収まらない部分、これは英文としてはちょっと変だとか、こういう単語をこの文脈では使わないとか、こういう表現はちょっとキツ過ぎるとか、そのあたりの部分は、やっぱりネィティブに添削してもらうしかないと言います。ただし、これはライティング特有の技術というよりは、やっぱり英語力一般の問題だという気がします。





 オススメの参考書ですが、ラインティングに関しては自分でもそんなに参考書と首っ引きで勉強したことないので、なんともいえないのですが、ただたまたまウチにあった本で、 Academic Writing Course (Nelson Skills Programme - Writing Skills) R.R. Jordan (著) は、パラパラと目を通した感じでは、結構役に立つかな?という気がします。(上記のリンクはアマゾンでみつけたものですが、ISBN番号とページ数が同じだから多分合ってると思います)。

 この本は、本当は独学用の本ではなく、教師が使うテキストであり、一人で黙々と読んでいてもツライ部分もあるとは思います。しかし、英作文の機能ごとに15章にわたって展開されており、「こういう感じで分類・分析していくといいのか」という英作文への切り込み口みたいなものはわかるのではないかと思います。すなわち、第一章 構成と整合性(原題は Structure and Cohesion)にはじまって、第二章:描写(過程や手続)、第三章:描写(物質的)、第四章:物語、第五章:定義、第六章:例示、第七章:分類わけ、第八章:比較と対照、、、、と続いていきます。

 面白いなと思うのは、「構造とボキャブラリ」という節があり、例えば第八章の比較・対照でしたら、あるものを比較する場合によく使う単語や文章構造がフローチャート式に展開されています。「AはBより大きい(小さい、安い)」という構造に、どのくらい差があるのかについてのボキャブラリが挿入されています。A is + [ a ] + [ b ] + than + B という構成のところで、[b]はbigger とかsmallerとかが入ってそんなに難しくないのですが、役に立つのは[a]のボックスです。ここに、considerably, a great deal, (very)much, (quite) a lot, rather, somewhat, a little, slightly, scarcely, hardly, only just という各ボキャブラリが、差の大きなものから小さなものへと順番に並んでいます。AはBよりも「非常に大きい」「かなり大きい」「多少大きい」「「殆ど同じくらい」という具合に、段階別に細かなボキャブラリが整理されるわけですね。

 「同じである」という構造の場合は、A is [exactly, precisely, just, virtually, practically, more or less, almost, nearly, approximately, about] the same as ..... という構造とボキャブラリになって表示されているわけですね。

 このように機能別に、英文構造と、よく使うボキャブラリがまとめて表示されているのをパラパラと眺めるだけでも、結構頭が整理されていくと思いますし、「なるほど、こういう感じで考えていけばいいのか」というヒントはつかめると思います。






 ライティングがいかにも簡単であるかのように書きましたが、前にも述べたように、言語の4スキルズのなかではライティングが一番難しいです。ライティングが簡単そうに書いたのは、それは実際に使う場面を想定して、その定型性と紋切り型性を徹底的に逆手に取れば簡単になる、ということです。

 逆に言えば、定型性がなく、自分の思ったまま、自由心象のまま文章を書きなさいというのが、一番難しいです。
 一番難しいから一番いい英語の練習になります。よく語学学校に入るとジャーナル(日記や随筆)を書けと奨励されますが、あれは力がつきますよ。商用文や公用文書だったらスラスラ書ける人でも、いざ社内報に載せるからコラムを書けとか言われたら、ウンウン唸ったりしますが、こういうのは定型に頼れず、全部自分で創作しなければならないから、その知的労働量は大きいです。まだ文章を作成する段階で、「あーでもない」と推敲する過程がそのまま自分の英語力を鍛えることになります。

 ですので、是非実践されるといいですよとオススメはいたしますが、それはライティングの練習というよりは、英語そのものの練習になるからですね。もちろんライティングの練習にもなるでしょうし、ライティング能力も伸びますが、それはベースとなる英語力が伸びるから、それに伴ってライティングも楽になるのだと思います。ライティング独自の能力やスキルを磨くというのとは、またちょっと違うように思います。

 それに自由心象で文章を書く機会なんてのは、それこそ日記をつけるとか、パーソナルなラブレターを書き綴るとかでもしないとなかなか普通には無いです。それこそ社内報でのエッセイ執筆を依頼されるとかいう機会でもないと、こういった自由文章を人に見せるようなことはないでしょう。だから、こういった自由文章の練習をしても、それを発揮する機会に乏しいく、それを考えるとライティング技術そのものの練習としてはどうなのかな?って疑問もあります。むしろ、ライティングを通じて、英語の基礎力そのものを鍛え上げるというところに意味があると思います。ライティングのためのライティングではなく、勉強としてのライティングですね。

 ちなみに自分がプロないしセミプロのライターになりたいのであれば、これはまさしくライティングの練習になるでしょう。エッセイでも、小説でも、まずはプロの書いた文章を丸写しにしたりして学んでいくのですが、そういう目的をもっているのであれば、これは「文章創作技法」です。ただし、そこまで高度なレベルになると、これはもはや「英語の勉強の仕方」ではないですよね。






 以上、長々と英語の学習方法を書いてきましたが、もちろんこれに尽きるものではないです。また、僕の書いた方法論が常に正しいというつもりも毛頭ありません。適当に拾い読みをして、参考になる部分があればツマミ食いをしてくれればそれでいいと思います。

 ただ通じて何が言いたいかというと、僕ごときの、大して英語が上手でもない人間ですら、この程度のことは考えているってことです。インターネットを見ていても、多くの人が英語の学習方法についてそれぞれ工夫を凝らしたり、独自の考察をしているのがよく分かります。僕なんかよりももっと鋭いことを書いている人もたくさんおられるでしょう。誰だって、真剣に上達したいと思えば、自然にあれこれ考えたり、試行錯誤するものだと思います。

 あなたがもし真剣に上達したいと思っておられるならば、この程度のことは”自力で”考えてください。この「自分の頭で考える」というのが大事だと思います。考えて出てきた結果よりも、英語についてあーでもないと必死につつき回して検討していく過程こそが大事だと思いますので。そんでもって、あとは「量」です。一番最初に書いたことを、最後でまた繰り返しますが、なんだかんだ言っても、量を積み重ねることが一番大事だと思います。

 というわけで、明日からではなく、今日から、頑張りましょう!






文責:田村

英語の勉強方法 INDEX

(その1)−前提段階  ”量の砂漠”を越える「確信力」
(その2)−波長同調
(その3)−教授法・学校・教師/スピーキングの練習=搾り出し
(その4)−スピーキング(2) コミュニケーションと封印解除
(その5)−スピーキング(3) スピーキングを支える基礎力
(その6)−スピーキング(4) とにかくいっぺん現場で困ってみなはれ〜二つの果実
(その7)−スピーキング(5) ソリッドなサバイバル英語とグルーピング
(その8)−リーディング(その1) 新聞
(その9)−リーディング(その2) 新聞(2)
(その10)−リーディング(その3) 小説
(その11)−リーディング(その4) 精読と濫読
(その12)−リスニング(その1) リスニングが難しい理由/原音に忠実に
(その13)−リスニング(その2) パターン化しやすい口語表現/口癖のようなボカした慣用表現、長文リスニングのフレームワーク
(その14)−リスニング(その3) リエゾンとスピード
(その15)−リスニング(その4) 聴こえない音を聴くための精読的リスニングほか
(その16)−ライティング 文才と英作文能力の違い/定型性とサンプリング


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