今週の1枚(04.12.13)




   ESSAY 186/英語の学習方法(3)


−教授法、学校、教師/スピーキング


写真は、お昼休みのCity



 英語の学習方法第三回です。
 一回目に「量」の重要性を説き、二回目にあれこれ考えてセンスを良くしようという話をしました。さて、次は何を語るべきか。一般論はこのくらいにして、英語の学習法本来の方法に進んだ方がいいかもしれませんね。

 英語というのは、いや「言語というのは」と言い換えてもいいですが、4大スキルというものがあります。読み/書き/聞き/話しです。Reading, Writing, Listening, Speakingですが、これにグラマー(文法)がひっついて、フォースキルズ・プラス・グラマーとか言われたりします。言語の学習というのは、この4つのスキルをバランスよく、特に初期においては基本的なグラマーを叩き込みつつやればいいと言われています。基本的にはこれが王道で、近道はない!ってことになってます。

 学校選びのときに必ず言うようにしてるのですが、英語圏の連中というのははるか昔から(彼らから見た)外人に英語を教えています。大航海時代〜植民地支配など世界史を思い出してもらえばいいですが、東インド会社設立が1600年、その頃日本は関ケ原の戦いをやってました。それに先立って、種子島に鉄砲伝来とか、ザビエルがやってどうのこーの、ルイス・フロイスの信長見聞記録なんかが残ってたりして、日本の戦国時代からあいつら(ヨーロピアン)はグローバルな展開をしていたことになります。でもって、現地において言語を教える機会も当然あったでしょう。イギリスもまた大英帝国として世界中を”荒らしまわって”ますから、英語についても教えているでしょう。およそ数百年にわたって、地球上のありとあらゆる民族に英語を教えてたのでしょう。インドなんか未だに英語が公用語のひとつになってますし、イギリス租借地だった香港なんかも英語が浸透しているでしょう。だから、逆に言えば、「どうやって英語を教えたらいいか」というテーマは、古くから日常的な問題としてあったであろうし、そのための研究も進んできただろうと思われます。

 そして、今日の「英語を母国語としない大人に対する英語教授法/English Teaching Method for Adlut Non English Speaking Background People」や、TESOL=(Teaching English to Speakers of Other Languages)というメソッドの確立に至るのでしょうし、こういった方法論がデファクト・スタンダードとして浸透しています。その内容は何かというと、「4スキルズ&グラマーをバランスよく、且つ資格を得た教師について習うこと」だと思います。「思います」なんて主観的な表現になるのは、僕自身がこの国の正式な英語教師の資格を得ているわけでもないし、そのための正式のトレーニングを受けたわけでもないからです。しかし、自分自身の学生としての体験、いろんな英語教師からの話、学校からの話、語学教師になるためのリングィスティクス(言語学)コースを履修した大学生からの話、そして実際に周囲の連中が英語を勉強し上達する過程を見ていることなどなど、種々雑多な状況証拠から「多分こうだろうな」という強い推測のもとに言ってるわけです。

 実際、現地の英語学校のカリキュラムは、特別なテーマ(ケンブリッジ試験対策とか、会話中心とか)があるのでなければ、どこもそう大きく違うものでもないし、教え方についてもそう大差あるわけでもないです。また英語教師があちこちの英語学校を転々とするのは、職業の流動性の高いこちらにおいては極めてありふれたことですし、オーストラリア国外に行って教えた経験というのもまたありふれています。要するに互換可能であり、互換可能にせしめるのは、ベースに普遍的なメソッドがあるからでしょう。学生ビザの対象となりうる学校として認可されるためには、そのコース等についても認可されなければならないし、きちんとした資格を有する教師を一定比率で採用すべしということになるのでしょう。具体的に言えば、オーストラリアではELICOSというところが留学生のための英語教育のスタンダードを決め、NEASという組織がその基準に適合している個々の学校アクレディット(認可)するという作業が行われています。詳しくそのスタンダードを知りたい人は、http://www.neas.org.au/home/などに資料があります。

 したがってある程度しっかりしている語学学校だったら、どこにいってもやってることはそう大きく変わらない筈です。だったら、学校選びなんか別にどこでもいいじゃん?って言う人もいるでしょうが、そういうものでもないのですね。もしそうだったら僕も一括パックなんてクソ面倒くさい現地学校見学なんてやらないで事務屋に徹しますって。だって、日本の高校だって入るに当っては「選ぶ」でしょう?日本の高校も、超有名な進学校もヤンキーばっかりいるような学校も、同じスタンダードでやってるでしょ。つまり文部省の高校指導要領に準拠し、教職課程を履修して教師の免状を持っている人を教師として採用してるという意味では同じです。公立学校として設立されたものはもとより、学校法人として認可されるにあたっては同じようなスタンダードがあるわけです。でも、「違う」でしょう?どこが違うのですか?それはその学校のレベルであったり、校風であったりするわけです。一番大きな差はレベルでしょうけど、これって結局学校が提供してるというよりも、学生の質の問題だったりします。 ひっくるめていえば学校の「雰囲気」というやつで、こればっかりは見ないと分からん、だから見学しなはれと言っているのです。





 一番手っ取り早く英語が上達するにはどうしたらいいか、どういう勉強法をとったらいいかというと、今の僕が思いつく最速最強の方法は、200万円くらい貯めて1年くらいこっちに留学するという方法です。1年、つまりは休みもいれて48週いくとして週25時間だから1200時間くらいですか、そのくらいクラスでやって、あとは周囲を英語環境で固めて必死にやったら、誰でもそこそこのレベルにはいくでしょう。「ちゃんと勉強すれば」ですよ。「そこそこ」レベルですけど、そこまでいけば後は自分で勉強していけるだけの基礎は叩き込んでくれるでしょう。授業料年間100万、生活費年間100万で200万くらい(もっともこれはやりようによって圧縮&膨張しますけど)。

 英語学校って、行ってるときは何がどう伸びてるのか分からないし、なんか遊んでばっかりのような気がするんですよね。でも、結局のところ、学校行くのが一番早いでしょう。これって仕事柄そう言っているかのように聞こえて、なかなか説得力がないかもしれないけど、でもやっぱりそう思うんだから仕方ないです。某学校で一番上のレベルのクラスがありますけど、このクラスは非常に難関でなかなかそこまで行けた人が居ません。かれこれ100人以上送り込んでると思いますが、その直前のレベルくらいまでは行く人がいますけど、最上級まではなかなか達しません。商社マンでニューヨークあたりに出張でバリバリやってた人、外国で2年くらい100%英語環境で働いていた人、5−6年くらいアメリカとかカナダに住んでた人、その他錚々たる面々が入学していったのですが最上級はムリでした。でもたった一人行けた人がいるのですが、その人は、オーストラリアに来た時はなんともっとも初級のレベルでした。ほとんど英語なんかやったことないレベルだったと思います。しかし、この人、他の人が3ヶ月とか半年くらいだったのに対して、1年丸まる費やしたのですね。途中で学校を変わって、その最後の40数週目あたりに最上級にいけたという。

 これは何を意味するかというと、いかに海外に暮らそうが、いかに海外で仕事をしていようが、日常英語環境だろうが、一定レベル以上になったら伸びが止まるということです。「とりあえず意思疎通は出来る」くらいだったら全体のレベルの真中くらいですから、そこから先が大変なんですね。で、適当に出来ちゃうから「それでいいや」になってしまいがちです。やっぱりセンシティブに「こういう表現はおかしい」「間違ってはいないけど最適ではない」「問題はないのだけど個性が出てない」とか、叩いて叩いて切磋琢磨していかないと伸びていかないです。いい例が僕自身で、もう10年もいるのに一体何をやってるのだ俺は?って感じです。ただ単に暮らしてるだけだったら全然伸びません。やっぱり系統だって、レベルに応じて教えてもらって、「もっと上、もっと上」って常にお尻を叩かれてないと伸びないものです。でも、そんなことやってくれる人って、普通にはいないです。場面場面で教わることはあるけど、あまりに断片的に過ぎるし、「今週は比較の表現を徹底的にやろう」という具合にテーマに沿って十数時間も集中してやるわけじゃないですからね。

 日本語だってそうでしょう。書くのが苦手という人はたくさんいらっしゃるでしょうし、僕もときどきこのエッセイで「よくまあ、あんなに毎週書けますね」と言われることがありますが、そりゃ努力しましたもん。仕事のときも新米時分は書いたものは全てボスにチェックされて真っ赤に筆を入れられて、何度も「全然ダメ!書き直し!」で突っ返されました。これは新聞記者でも誰でも同じだと思います。叩かないと伸びないです。今は叩いてくれる人がいないから、逆に落ちてると思います。自分が年を食ってきてはじめて「教えてくれる人」という存在がいかにありがたいものかよくわかりました。昔はねー、ただ煙たい、鬱陶しい存在だったりしますけどね。あのイアン・ソープにだってコーチはいるわけです。世界最高峰まで上り詰めても、それでも教えてくれる人、叩いてくれる人の存在は必要なんですね。

 というわけで、まとめて「せーの」でやるに越したことはないと思うのでした。





 ついでに言っておかねばならないのは、「教え方」です。4スキルズ&グラマーを教えるわけですけど、「教え方」というのが結構重要です。そして、これは日本の英語の授業とは全然違います。2つ知っておいてください。まず西欧流の教育というのは、「楽しませてやらせる」という部分に重きが置かれています。これは、人間の知的能力というのは楽しんでたり笑っているときにもっとも活性化するということなのでしょう。日本だと、真剣にシーンと固唾を飲んで先生の言うことを拝聴しているイメージがありますが、こちらではそうではなく、先生というのはまずもってエンターテイナーでなければならない。学生を乗せ、楽しませ、ノリノリにさせる。だからこっちの教師資格でも現場経験というのを重視しますし、教師として採用されても授業中モニタリングされて、ダメだったら首になります。

 第二に、コミュニカティブ・メソッドというのがあります。これは、僕自身その精髄を理解したかどうか怪しいのですが、僕の理解では、常にコミュニケーションを取らせ、そのなかで教えるべき内容を自然に咀嚼させていく方法です。これでは何のこっちゃだと思いますから、さらに説明します。よくひく例ですけど、僕が実際に教室でやったのは、例えば「占いをやろう!」とかいきなり先生が言い出すわけです。で、紙を配って、指を突っ込んでパクパクやるような(うまく説明できないな)形に折り紙を折らせるわけですね。相手に数字を言わせてその数字をめくってみるとあなたの運勢が書いてありますという。でもって、皆して自分の折り紙に色々と相手の運勢を書くわけです。「あなたは来週、将来の伴侶にめぐり合うでしょう」「今月中に携帯電話を無くすでしょう」とかそんなことですね。で、クラスの皆とお互いにやりあいっこをしてキャッキャ遊んでるわけです。これが何の授業なの?って思うでしょうが、これは未来形をやってたわけです。お気づきでしょうが、運勢のことを書こうとすると、いやでも「〜するでしょう」という未来形になるのですね。これを日本的に教えるならば、「willなどを使って未来形の例文を8つ書き出してみろ」みたいな授業になるのでしょうね。でもそれだと楽しくない、覚えない。だから、こういう遊びにして、知らないうちに学ばせる。

 こういったことを、早ければ5分単位、ゆっくりやっても20分くらいで切り上げて、チャッチャと「じゃあ次は」と切り替えていくわけです。「4スキルズをバランスよく」といいましたけど、別に「はい、ここからはスピーキングです」なんてハッキリした区切りがあるわけではなく、4スキルズを渾然一体にミックスさせてやるのですね。例えば「今まで好きだった映画で、何が好きだったのかを隣の人からインタビューし、それを記事にして書き出せ」みたいなことをやれば、聞き出す時点でリスニングやスピーキングがイヤでも入ってきますし、書き出す時点でライティングが入ります。短編小説をバラバラにして、断片を配って、一人づつその断片の要約を発表させ、小説の頭から最後まで順番に並ばせるなんてのも、リーディングとスピーキングが一体になってます。

 「うまいこと考えるもんだな」と思ったのは、随分たってからです。やってる時点は、幼稚園みたいなもので、キャッキャ喜んだり、盛り上がってるだけです。でも、それが大事なんですな。ですので、良い教師に当れば当るほど、いい授業をしてくれればくれるほど、「今日は分詞構文を勉強しました」って言えないんです。何をやったかって聞かれても、「いやー、何やったんだろ?」みたいな状態がいいんです。

 これは先週やったこととリンクしますが、文法知識を知識としてだけ収めていては意味がない、それを実際に使ってみて身体に馴染ませていかないと意味がないということで、「知識を知識として伝授する」というプロセスなんか無ければ無いに越したことはないです。それは国文法の知識が殆どないにも関わらず僕らが日本語を使いこなせているのと同じ。つまり、知識を知識として収納しておく頭のエリアと、それを実際に使いこなすための脳味噌の使う部分とは別だということですね。だから、「何やってんだかようわからん」という状況がある意味理想的な状況だったりするわけです。まず、これが日本的な教育を受けてきた身には釈然としないというか、気付かない。いかにも「お勉強」って感じじゃないですからね。しかし、繰り返しになりますが、あなたがよく知ってる物事、例えばプロ野球のファンだったらひいきのチームの選手や特徴を一体どうやって覚えたのか振り返ってみたらいいです。ノートに取って単語帳で覚える人なんかいないでしょう。盛り上がってキャッキャやってる間に自然に頭に入ってしまったでしょう?「勉強した」「知識を習得した」という自覚なんか殆どない筈ですが、そういう方が良く覚えるのですね。

 一回目に「とにかく量」といいましたが、こうやってゲラゲラ笑って遊んでるのも「量」に入るんですね。だから、量を沢山こなすこと=ツライことを沢山やることではないです。学校にいくと、フルタイムで授業4時間、自習1時間ですが、その間みっちり英語喋らせれるなリ、聞かされるなりしてるわけで、実はかなりの量をやってるのですが、そういう気分にさせないのが大事です。また現地に来たら、特に日本人を探して付き合わない限り、普通に英語ばっかりですから、生きてるだけで量が増えていきます。スーパーの特売チラシを見てるだけでもリーディングだし、バスの隣席で喋ってる人の会話もリスニングですから。勉強しようと思わなくても自然と勉強になっちゃってるというのが現地に来る強みでしょう。





 ただ、ここで教師の質というのが問題になります。学校の値段差は、営業経費と人件費ですが、教師の給料というのも大きいだろうというのは想像に難くないです。こちらの労働慣行でいえば、日本のプロ野球やサッカーの選手みたいなのが普通で、キャリアを積んで年棒交渉をする、高く買ってくれるところに躊躇いなく移籍するわけで、いい先生を集めようと思えばそれなりにお金が掛かるということですね。

 先生のよしあしは、これも単純に分かるものではありませんが、まずこちらでは英語圏ですからほぼ全員が英語を喋れますから、英語が出来るからといって誰でも英語教師になれるわけではないです。英語教師としての資格を得たいのなら、例えば、 Diploma of Teaching、Bachelor of Education、Bachelor degree and Diploma in Education、Bachelor degree and Diploma in Educational Studies (TESOL)、Bachelor degree and two-year Teaching Certificateなどの資格があります。これに何百時間の実戦経験が要求され、さらに実際にいいサラリーで就職しようと思ったら、相当のキャリアと資格が必要になります。それでも生徒の受けが悪かったら即クビです。キビシーです。よく、英語教員養成コースであるTESOLが紹介されたりしていますが、あれはほんのとっかかりでしょう。

 一口に英語教員資格といっても、一番短いTESOLの4-12週間の短期集中コースから、2-3ヶ月のDELTA、さらに学士号、修士号、博士課程まであります。実際にはTESOLを数週間ちょこっとやったくらいでは殆どプロとして認知されないでしょうし、前述のNEASやELICOSの基準でも、教師と認められるためには、TESOLに加えて、最低ディプロマ以上の資格やら800時間の実習経験などが要求されています。しかし、こういった最低条件だけだったら、実際の語学学校の激戦区であるシドニーの上位校できちんとしたサラリーをゲットするのは難しいでしょう。以前、某学校のDOS(Director of Study=教師の任免や具体的なカリキュラムを司る教師の親分みたいな存在)と話したとき、彼女の机の上に10センチくらい履歴書の束が積み上げられてました。「この中から何人選ぶのですか?」と聞いたら、「まあ、一人。よくて二人。ゼロという場合も結構ある」と答えてました。相当な倍率ですよね。


 コミュニカティブメソッドやエンターティメント的に教えるというのは、いい加減にはしゃいでいても別に外見上はそうなるということで、無内容に遊んでるのか、意味ある遊び方をしてるのか、その質が中々素人にはわかりにくいです。生徒の評判も、これがまた判断能力がありそうでなさそうだから、よく分からん部分もあります。人によっても評価は分かれるし。「楽しいから好き」という人もいれば、「楽しいだけで内容がない」と言う人もいるでしょう。僕が受けてきた先生の中でも、クラスのほかの連中の評判はあまりよくなかったけど、僕的にはすごく上手な先生だなと思うケースがありました。人間的に相性が合う合わないだけで評価してるケースも多々あります。その先生のよさを自分自身が無能だから、あるいは固定観念や雑念に取りつかれていて見過ごしているということもあるでしょう。

 ただ、まあ、技術以前に、「教師に向いている人」と向いていない人がいるのは確かで、「なんで分からんのじゃ」とイライラするような人は向いてないのでしょう。「教師に向いてない人ほど教師になりたがる」というのは元教師だったある人から聞きましたけど(^_^)、真偽はともかく、全員が向いてるわけではないでしょうね。以前、福祉の話を書いたときに、福祉事務所の第一線でバリバリやってきた方を紹介しましたが、福祉の最前線というのは奇麗事では済まされない世界で、その人も包丁をつきつけられて半ば監禁状態に置かれたそうですが、そのとき「ああ、俺は今福祉の宝石箱に手をつっこんでるんだ」と思えたそうです。そういう人間のグチャグチャドロドロが嫌いな人は福祉の仕事に向いてないし、もうひとつ弁護士にも向いてないでしょう。人間の醜い場面に遭遇するために、「おし、きた!」「そうこなくっちゃ」とファイトが出てくるようなタイプがいいと思います。

 ところで、こういった正統的な資格やメソッドとは関係なく、知り合いのオーストラリア人から教えてもらったり、自分であれこれ工夫して独学したり、またコミュニティや教会などでは無料の英語教室がよく開かれています。「それでいいじゃないか」って思う人も相当おられると思うのですが、でも、はっきり言ってそれは英語の習得&教授というのを舐めてるんじゃないかと僕は思います。つまり、英語を話せたら誰でも教師になれると思ってるでしょう?それって日本語書けたら誰でも小説家になれるといってるのと同じくらい暴論だと思いますよ。別にこういった形態を否定するものではないですし、先天的に教えるのが上手な素人もいるでしょうし、学校よりも楽しく深く学べる場合もあるでしょう。でも、どこまでいっても体系化されていないし、カリキュラムがあるわけでもないから、質のいいサプリメント、あるいはワンポイントレッスンくらいだと思います。

 僕だって、全然出来ない人相手だったら、即効性のある英語を教えることは出来ますよ。「これはこう考えるといいよ」みたいなことは教えられるし、その限りにおいては「そうだったのかー」と学校よりも深く納得させることは出来ます。でもね、それを積み上げても形にならんです。そういう英語についての知識は、頭の中に収納される部分が違って、わかったからといって出来るようになるわけでもないし、もっと大事なことはバランスが狂ってしまうことです。車の運転と同じで、車線変更のときのちょっとしたコツみたいなものは誰でも教えることが出来るんですけど、やはりワンポイントレッスンでしかない。車線変更だけ出来てもしょうがないわけですし、常に共通する認識としての安全確認の徹底などとセットになってないと、一つの領域だけ突出して出来てしまうとかえって危ないでしょう?それに、自分でハンドルを握って簡単な状況から徐々にハードな状況に慣れていくという段階的推移がないとギクシャクします。

 旦那さんがオーストラリア人という人も言ってましたが、あんまり英語を教えてくれないと。なぜかというと「ボクが教えると変なクセがつくのが恐いから教えない、プロに任せた方がいい」って。多分この旦那さんは well-educatedというか、よくご存知なんだと思います。僕のカミさんが運転免許をとるときにも、ちゃんとしたインストラクターについてもらいました。もちろん個人練習時間などでは横に乗ったりして付き合いますけど、出来るだけ「あーしろ、こーしろ」とは言わないようにぐっと堪えるようにしてました。なぜなら、それは正しいアドバイスなのか、それとも単なる僕の(悪い)運転の癖なのか、自分ではよくわからんからです。

 僕自身、平均人以上に独学が好きで、目で見て盗んだり、自分で創意工夫をしたりしてやるタイプです。また、権威的なものはそんなに好きではないのですが、それでもある程度のボリュームがあり、達成水準を上にもっていこうとするならば、系統だってきちんと教わった方がいいと思います。なぜなら、物事の習得というのは、意識的に改善できる部分と無意識的に身に着いてしまう部分があり、前者の意識的な部分はいくらでも独学で出来ますが、無意識的に自然に身に着く部分こそが大事で、それこそが学習のマジックだと思うからです。無意識的な部分は自分では直せない。





 話を4スキルズに戻しますが、カリキュラムやスタンダードはきちんとあるんだけど、僕ら消費者の側からはあんまりよくは分からないし、指導目的がそんなに簡単に透けて見えるような薄っぺらなカリキュラムじゃダメなんだとは思います。ただ、日本の英語の授業のように、グラマー、リーディング、コンポジションなどと完全に独立した教科になっているわけではなく、シチューのようにグツグツ煮込まれていて、そのなかに自分もポチャンと入って一緒に煮込まれるというシステムなのだということはご理解ください。







 これで終わってもいいのですけど、なんか「ごもっとな一般論」だけで終わってしまって詰まらないかもしれないので、まとまりは悪いのですけど、次にいきます。もうちょい実戦的なことも書いておかないと面白くないでしょ?

 各スキルの練習の仕方ですけど、これもねー、個別に分説していって、そのとおり各個バラバラに自習しても、大事なのは総合的なバランスで、そのためには「英語を学ぶのと実際に使うのとが同時に展開されている時空間」=つまりは学校なんですよね、結局=に参加するしかないです。それが一番早いです。もう、なにを話しても、真剣に考えるほど同じような結論に至ってしまいます。それでは話が終わっちゃうので(別に終わってもいいんだけど)、面白くないので、断片的でバランス悪くなるよという警告を発しつつ、ポツポツと記していきます。

 まずリーディングや、スピーキングを支える基礎として出てくるのは、ボキャブラリとか発音です。これはスポーツをやるにあたって、「手足が生えてること」みたいな当然の前提であり、同時に筋力や反射神経、心肺機能、持久力などの基礎体力にあたります。ここがダメなら、なにやってもダメ。逆に、ボキャブラリと発音がよければ、あとは結構早いでしょう。

 発音については、これは自習では難しいのですが、とりあえずその重要性をよく知ってください。 語学学校研究・英語雑記帳・発音のところで一通りのことは書いたのでそれを参照してください。出来れば、今ここでリンクで飛んで一読してください。ポーン(リンクで飛ぶ音)。はい、読みましたね。大変ですよね、発音。これはこれで、あとで時間があったらまた補充します。

 ボキャブラリですが、このボキャブラリの習得にせよ、文法の習熟にせよ、リスニングにせよ、とりあえず自習するならすべての入り口はリーディングだと思います。「とにかく沢山読め」って感じですね。この部分を重点的に書きたいのですが、でも「とりあえず喋りたい」というのが、もう日本人の「怨念」みたいなものだと思いますから、エンターティメントに徹して、スピーキングから先に書きます。





 言語は、インプットとアウトプットがあり、インプットはリーディングとリスニング、アウトプットはライティングとスピーキングがあります。アウトプットが最終的に必要なのですが(意思表示をするのはアウトプットですから)、アウトプットには二つの関門があります。@知ってる知識をいかに使って表現するか、Aそもそも知識不足だから知識を増やす、です。

 @は、とにかく簡単でもいいから喋ることです。ブツブツ独り言を言うのでいいから、喋ること。前回、知識があるということと、実際に使えるということとは天地の開きがあると書きましたが、その天地の開きを縮めていく作業が必要です。だから何でもいいからとにかく喋れ、「うーん、うーん」と一生懸命頭をひねって英語を搾り出すようにして喋れと。この「産みの苦しみ」こそが、知識→実戦への道筋になります。未開の地に道路を通す作業がこれです。

 喋る内容はなんでもいいです。「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に柴狩りに、おばあさんは川に洗濯にいっていました。ある日、おばあさんがいつものように川で洗濯をしていると、川上から大きな桃がどんらこっこと流れてきました」というのを、今、この場で英語にしてください。大事なのは、「何が何でも!」、今、この場で英語にするということです。「わかんないや、難しいや」で放り投げないで、英語で言わないとその場で切り殺すといわれてるくらいの気持ちで、必死になって英語に直してみてください。間違っていても構わないから。未開通の道路を通すのは、道路が無いだけに最初は「全然分からん」と思うはずです。全然分からんと思うようなことを必死にやるから道が開けるわけですね。ここで「うーん、うーん」とやってる瞬間、あなたの脳内細胞には電流が走り回り、新たな脳内回路が形成されつつあるわけです。この繰り返しこそが学習というものの本質です。

 例えば、こんな感じでいいんです。
 Long time ago, an old man and his wife lived in some country town, maybe?(あれ?「あるところ」って英語でどう言うんじゃ、まあいいや、田舎だろうからカントリータウンにしておけ) in Japan, maybe? (多分日本の話なんだから日本なんだろうな)。The old man usally went to mountains to pick up some...some...(くそ、柴(芝?)って英語でなんて言うんだ、大体「しばkり」ってなんだ?薪(たきぎ)を集めることか?薪ってなんて言うんだ?「燃やすための木」とでも言うか) some..woods for making fire?(いいのか、これで?)  The old woman went to a river for (「洗濯」ってなんていうのだ、クリーニング?ランドリーかな?) laundry.  One day, the woman went to the river as usual and she found a big peach (「川上から流れてきた」ってなんて言うのだ?まあいいや、「来た」だけでいいや) coming from..from...from (川上、川上、、、もう適当でいいや) upperside of the river. (「どんぶらこっこ」ってなんて言えばいいんじゃあ!多分、揺れてゆっくりしている状態だろうから、揺れるってなんて言うんだ、、、シェイキング?ちょっと違うだろ、わからん、「浮きつ沈みつ」ってことかな、やばいもっと分からん。あーもー、ゆっくりだから、もうslowlyとでもいうか)。

 とまあこんな感じになると思うのですが、それでいいです。別にそんなに難しい表現を使わなくても言えるでしょ。とりあえずここでの練習は「搾り出し」です。最初はまさに一番絞りですね。自分の頭にあるものを英語にして表現していくことです。

 スピーキングやライティングなどのアウトプット系の本質は、まず「思いつくかどうか」です。自分の今の手持ちの材料をフルに使って組み立てみることであり、一回自力で思いついた「使い方」というのは、思いつくまでに苦労すれば苦労するほど身に着きます。一回道を通してしまえば二度目は遥かに楽チンです。だから、練習方法は、「必死になって思いつくトレーニング」です。





 スピーキングでまた大事なのは「言い換え」です。ドンピシャの単語が出てくるほどのボキャブラリは無いでしょうから、別の言葉で言い換えないとなりません。「人類学者」なんかいきなり正確な単語なんか知らないだろうから、「人間とか猿とかを研究している科学者」と言い換えたり、「かくれんぼ」が思いつかなかったら「子供の遊びで、皆が好きなところに隠れて、一人だけ鬼になった奴が隠れている皆を探す遊び」と言ったり、「まったりとした生活」なんてのも「平和な日常生活なんだけど、平和すぎてあんまりエキサイティングじゃないこと」と言い換えたり。

 この言い換え能力というのは、言語能力の一角を占める重要な能力だと思います。日本ではあまり売られてないですけど、こちらではディクショナリー(英英辞典)のほかにシソーラス(類語辞典)がよくセットになって売られています。同じ単語と似た単語を探したり、そのニュアンスの差を書いているものですが、「言い換えが出来る」というのはその単語の本質的意味をよく抑えてないと出来ないです。つまり、言語によってイメージされる概念が正確で精密だということで、これは言語能力の中核ともいうべき能力だと思います。これを鍛えるといいです。

 「国語が出来ない奴は英語も出来ない」といいますが、これは真理だと思います。国語がダメというのは、その人の脳の言語野、正確にはなんだっけな、大脳左半球側頭部にあるウェルニッケの言語野だったけな、要するに言語情報中枢ですね、そこがナマクラだということです。言語情報中枢は、音声やビジュアルイメージあるいは観念的な概念やイメージを言語に置き換えていく部分を司るわけですが、ここがボケだと言葉に対する感性が鈍い。ボヤヤンとしたイメージで終わってるから、緻密な分析ができず、「かくれんぼは、かくれんぼでしょ?」から一歩も動けなくなります。ですので、ここを鍛える。人間の脳の潜在能力からすれば、普通の僕らの出来不出来なんかそんなに大した問題ではないです。ちゃんと鍛えたら、どんな人間でもかなりのレベルにいけるはずです。「英語を勉強する前に国語を勉強しろ」といわれるのも、この意味では真理でしょう。

 英語を早くマスターしたかったら、まず日本語レベルから、言葉に対して意識的に敏感になってください。
 「敏感って言われてもねー」って戸惑っておられる方もいらっしゃるでしょうが、あなただって自分が敏感な領域は言葉にも敏感だと思いますよ。例えば、「最近デブになったんじゃない?」と言われたら血の雨が降るかもしれませんが、「ふくよかになった」「柔らかい感じになった」と言われたら、同じことなんだけど、許せるでしょ?この感じが「言葉に敏感」ってやつですね。
 単語なんか一個覚えても数十万分の1しか進歩しませんが、根本的な能力、こういった言語感覚にせよ発音のための口舌筋力にせよ、ここを鍛えるとすべてにわたって底上げされるから、めちゃくちゃ進歩効率がいいですよ。日本語を喋ってる段階でも、言い換える訓練をするといいです。喋ってる間はなかなかそんなことも出来ないから、書くといいです。日本語に限らず、英語でもどんな言語でも、もっともよく訓練できるのはライティングだと言いますけど、書くのが一番大変ですが、ゆっくり考える時間があるから一番練習にはなるのでしょう。

 言い換え能力は、国語辞典で知ってる言葉をひいてみるといいですよ。「こうやって言い換えをするのだ」という例の宝庫ですからね。しばらく読んでいると、言い換えのコツみたいなものがわかってきます。あと、調べてみると、結構「おう、そういうことだったのか」と知ってるつもりの言葉の本当の意味が明らかになったりして、言葉に敏感になります。英語においても、英英辞典でひくと、その単語の本質がわかっていいですし、言い換えのコツもわかります。

 ちなみに英語学習は英英辞典でやるのがプロみたいな言われ方をしている場合もありますが、英英辞典を引いて役に立つのは、「自分の知ってる単語をさらに精密に確認する」ような場合だと思います。知らない単語を引いても、説明でまた知らない単語が出てきて、結局よく分からなかったりします。効率悪いです。知らない単語は普通に英和でひくのがいいです。しかし、辞書というのは知らない単語の意味を調べるときよりも、知ってる単語を引いた場合の方が収穫がデカい場合が多いですよ。知ってるつもりで全然知らんかったということもありますし、かなり知ってる段階においては頭の中に乱雑に散らかってる知識が整理されますから。ですので、中上級者は、読んでいて「なんとなく意味はわかるんだけどしっくりこないな」というような場合(かなり沢山あると思いますが)、時間があったら知ってる単語でもひいてみるといいですよ。「そうか、そういう意味もあるのか?っていうかそっちが本質なのか!」と目から鱗的な発見も出来るでしょう。






 さて、そうやって無理やりひねり出すようにして頭に回路を新規開発していくとしても、これは中々しんどい作業でもあります。はい、ここで、勉強の基本原則、「しんどいことは続かない」。 じゃあどうしたらいいのかというと、「しんどいことを楽しい作業に置き換える」法則になります。

 こんなもんどう楽しくなるというんじゃ?とお思いでしょうが、独り言はやっぱりしんどい、実際の会話の形の方がインタラクティブだし、楽だということですね。それに通じたときの喜びがあります。また、自然と喋りたくなるような内容を喋っている方が「言いたい/伝えたい」という欲求が強くなりますから、搾り出すにもまた勢いがつこうというものです。いかにもシュミレーションという白々しい設定で喋っていても、この「伝えたい」という自然な”情欲”は湧いてきません。その意味では、実際に英語の現場で外人さん相手に喋ってるのがいいです。やっぱり通じると嬉しいですし、シュミレーションじゃないから、自然と喋りたいことを喋るようになりますし、伝えたい欲求も強いだろうから、身振り手振りも交えてなんとかして伝えようとするでしょう。

 ただ問題は、英語ネィティブの人や、あまりに力量が隔たっている場合は、相手が殆ど喋ってしまうという点です。だから、出来れば自分と同程度の力量で、相手もウンウン唸ってゆっくり喋ってくれるくらいの方がいいです。で、同じ日本人同士だったら、結構通じてしまう部分があって、変な英語でも通じるというか、日本語的ツイストのかかった変な英語の方がより通じたりするうらみもあります。日本人同士だと妙にテレちゃうってこともありますし。
 以上を総合すると、
 @実際のシュミレーションではない会話であり、通じたときの喜びがあること(会話の実戦性=出来れば外人さんと喋る)
 A本当に自分の伝えたい内容を喋れること(自然性、テーマや設定に親しみやすさと巧みさ)
 B考えながらゆっくり喋らせてくれる相手であり
 Cでもちゃんと英語として成立してないと通じない (日本人同士だと以心伝心で分かってしまう)

 の諸条件を満たしているといいわけで、以上の@-Cを、D相当な分量を集中的にやれるというのがいいでしょう。

 -----だから結局、日本人以外の学生が沢山いるようなクラスで友達をつくって、学校の内外で楽しくお喋りをするというのが、この「搾り出し」作業においては、もっとも効率的だということになっちゃうんですよねー。あー、また同じ結論に、、、、。

 次回はスピーキングをもうちょっと敷衍して、そのあとインプット系に入っていきたいと思いますです。



文責:田村

英語の勉強方法 INDEX

(その1)−前提段階  ”量の砂漠”を越える「確信力」
(その2)−波長同調
(その3)−教授法・学校・教師/スピーキングの練習=搾り出し
(その4)−スピーキング(2) コミュニケーションと封印解除
(その5)−スピーキング(3) スピーキングを支える基礎力
(その6)−スピーキング(4) とにかくいっぺん現場で困ってみなはれ〜二つの果実
(その7)−スピーキング(5) ソリッドなサバイバル英語とグルーピング
(その8)−リーディング(その1) 新聞
(その9)−リーディング(その2) 新聞(2)
(その10)−リーディング(その3) 小説
(その11)−リーディング(その4) 精読と濫読
(その12)−リスニング(その1) リスニングが難しい理由/原音に忠実に
(その13)−リスニング(その2) パターン化しやすい口語表現/口癖のようなボカした慣用表現、長文リスニングのフレームワーク
(その14)−リスニング(その3) リエゾンとスピード
(その15)−リスニング(その4) 聴こえない音を聴くための精読的リスニングほか
(その16)−ライティング 文才と英作文能力の違い/定型性とサンプリング


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