今週の1枚(03.12.22)
ESSAY 135/ 日本帰省記 (その4)
写真は、京都の郊外、長岡京のスナップ。Wired Japan
日本帰省記の第3回目です。
ヘビーなのは前回書いたので、今回は落穂拾い的に、書き漏らした雑感を綴ってみたいと思います。
まず、前回最後にちょっと触れましたが、日本の公共の場というのは、どうしてこんなにくつろげないのだ、端的に言ってベンチが少ないのか?ということに気づきました。京都を基点に、大阪などを歩いていたのですが、京都駅周辺、大阪駅周辺、いずれもベンチが無いです。完全調査をしたわけではないのでゼロとまでは言いませんが、限りなくゼロに近いくらいにないです。
バス乗り場や駅ホームには勿論ありますが、駅構外で「やれやれ、歩いて疲れたわ、ちょっと一休み。デジカメの電池も入れ替えたいし、、、」と思って座るところ、くつろぐところを探すと、これが無い。そんなに別にスペースがないわけでもなく、昔の京都駅だったら「○○の広場」とかあって、座るところが結構あったと思われるのですが、無くなっていました。「嘘?」と思って、結構歩き回って探したのですが(それでまた疲れた)、無い。結局、ちょっとした植え込みの出っ張りみたいなところに腰をおろすしかないという。繰り返しますがベンチを置くスペースが無いわけではない。「ここに置けばいいじゃん」というスペースはあちこちにあるんですけど、ものの見事に無い。
京都駅の場合、あまり誰にも知られてない駅の上の方にだだっ広い空間があります。公園の公共のスペースにするつもりなんでしょうが、なんとなくアクセスしにくく、佇んでいる人もまばらでした。下の方では押し合いへしあいしているのに、ここだけ嘘みたいに人がいない。100メートルに1人ポツンといるような感じ。
「またまた大袈裟なこと書いて、、」と思う人もいるだろうから(いないか(^_^))、証拠写真を。
ね、殆ど誰もいないでしょ。特に左の写真、一応植え込みなんか作ってるくらいだから、公共の憩いのスペースとして活用する青写真があったのだとは思いますが、「ここに、ベンチ作れよ!」と思いませんか?
なんでそう思ったかというと、やっぱり一日歩いてたら疲れるわけですよ。足の裏も揉みたくなったりするわけです。ちょっと血行を良くし、代謝を促進させてやるだけで大分違う。でも、それをさせてくれる場所が無いというのは、生理的な怒りを招きますよね。僕なんかまだいいですよ、スニーカーだし、男だし。これが女性でハイヒールなんか履いてたら、定期的に足を休ませてやらないと身体のアチコチにガタがきますよ。足が疲れると歩き方が変になるし、歩き方が変だと骨とか脊髄に妙な負担を掛け、それが積もって慢性疲労や疾患になるよ。僕も若いときはそんなこと思わなかったけど、もうトシだとやっぱりそこらへん敏感になるのですね。また、カミさんがそのへんことは詳しいので門前の小僧で僕も多少は知るようになったということもあります。
日本(の都会)は歩いていて疲れます。オーストラリアのブッシュ歩いてた方がずっと楽。まずコンクリートばっかだし、人通りが激しくて絶えずテンポが乱されるし、周囲に神経使うのでイライラ度が嵩じる。それに、日本は狭いようで、都会と呼ばれるエリアはすごく広いです。アホみたいに広い。電車を乗り換えるだけでかなり歩くし、駅裏から駅表まで歩くだけでも大変。僕も毎日歩いていたわけですし、10時京都地裁、1時神戸家裁、4時和歌山地裁なんて馬鹿みたいなスケジュールでやってたのですが、よくやってたよなーって思います。
それだけ歩いているのに足腰が強くならないのは何故か。詳しいことはよく分からないけど、歩き方が違うのでしょうか。僕はオーストラリアで歩いてるから日本にいるときよりも足腰は強くなってます。が、日本に戻ると、以前よりも疲れる。でも日本の人がこっちにきて1時間ぶっとーしで歩いたりするとすぐに疲れる。日本だったらもっと歩いている筈なのに疲れる。その疲れ方の質が違うような気がします。オーストラリアで散歩してると全身運動という気がしますが、日本で歩いていると膝から下、もっといえば足首から下だけが疲れてダルくなる感じがします。
それ以上専門的なことはわかりません。ただ、日本の都会での歩き方は、健康にとってあんまりプラスになってないのかもしれません。一日あれだけ歩いてたら皆さんメキメキ痩せて、ヘルシーにならないと嘘なんだけど、そうならない歩き方なんかな?という。だから、余計に、足を休ませてやる場所は必要でしょうと思うわけです。
それと思うのですけど、これだけ駅とかデッドスペースが沢山あるんだったら、マッサージ屋さん、指圧でも、鍼灸でも、アロマでも、リフレクソリジーでも何でもいいけど、出店させたらいいのに。町のいたるところにそういう店があって、ほんと10分1000円でもいいからやってもらえるようにしたらかなり疲労度は違うと思うぞ。こっちのチャイニーズがアチコチでやってるように、簡単なテント張って(運動会のテントみたいなやつ)、あるいは椅子ひとつポンとおいて、やらせたらいいのに。この種のマッサージ等リフレッシュ設備の人口あたりの比率は、シドニーの方が高いかもしれません。同じ話は、空港のトランジット用などの待合スペースについてもいえるのですが。
で、結局、日本の場合休みたかったらどうするかというと、喫茶店に入るしかないのですね。それでまた要らない金がかかるという。もしかして付近にベンチを置かないことで、喫茶店などの出店テナント料を上げているのではないか?とか、余計な勘ぐりもしたくなってしまいます。
次。運転免許証の書き換えに行ってきました。正確には書き換えではなく、新規に取り直しました。なんせ、失効してから3年半も経過していたものですから。何年か日本に戻らなければ、そして海外で免許を更新する手続が何も用意されていない現状では、みすみす失効するのを看過せざるを得ないです。
更新日を徒過して免許が失効した場合、基本的には免許を再取得することになります。ただし、免許取得の際に課せられる条件が緩和されます。これらの詳細は警察庁のホームページで詳しく載ってますし、お近くの運転免許試験場のホームページ(都道府県警)のホームページで丁寧に載ってます。そちらをご参照いただければいいのですが、一応ここでも書き出してみます。
免許取得の条件とは、学科試験、技能(実技)試験、そして適性検査(視力など)がありますが、@失効後半年未満の場合、A半年から3年以内の場合、B3年以上の場合とに分かれ、@の場合は学科・技能試験が免除され、適性検査だけで免許を取得でき、Aの場合は、失効後半年以内に試験を受けることが、海外滞在等やむを得ない理由のためにできなかった場合には、当該事情がやんでから1か月以内であれば、免許試験のうち、技能試験及び学科試験が免除されます。つまり「やむをえない事情があること」「それが止んでから一ヶ月以内であること」の二つの要件を満たせば、適性検査だけでOKです。
ですので、ここが覚えておいて損はない重要ポイントですが、「免許失効後半年以上経過してから日本に帰国する人は、日本に帰国してから1ヶ月以内に動け!」ということです。日本に帰国した瞬間から、海外滞在という「やむを得ない事情が止んだ」ことなりますから、一ヶ月というタイムリミットの時計の針が動き始めます。ですので、失効半年以上して日本に帰国する人は、たとえその帰国が冠婚葬祭た短期出張など数日の帰国であったにせよ、必ず、免許再取得の手続をするように、十分に準備をし、十分な日程を設けておかれることをオススメします。でないと、また学科試験受けるハメになります。
これは他人事ではなく、ワーホリや留学で来られる方にも当てはまります。なんせ日本の免許は、失効前1ヶ月にならないと更新手続をとることが出来ません。僕も前回の帰省時、あと1年未満で失効するのがミエミエだったにも関わらず更新手続をとることが出来ず、「しゃーない、今度来た再取得じゃ」と思ったものです。ただし、これは特例更新があります。更新期間内に海外にいることが確実などの特別な事情がある場合は、パスポートなどで立証し(パスポートでどうやって将来の滞在予定を立証するんだ?って気もするけど)、予め更新をすることができます。道路交通法101条の2。これも覚えておいて良い制度かもしれません。「こんなん昔にあったかな?」という気もしますが、どうも最近の改正ではないらしく、もっとちゃんと調べておけば良かったと思いましたね。
そしてBの失効後半年経過した場合は、Aの特例措置も取られず学科試験は受けねばなりません。しかし、それでも「事情が止みたるときから一ヶ月以内」だったら、技能試験が免除されます。ですので、「一ヶ月以内に動け!」の原則は適用されます。
ただ、免許を取得するにせよ、ここでもう一つの難問があります。住民票です。こちらに来られる方で住民票を抜いてこられる方(正確には海外転出)も多いでしょう。住民票をおいておくと、健康保険料とか住民税とかかかってきますから。でも、今度免許を取得するときになると、住民票が無いんですよね。もちろん一ヶ月だけ住民票を入れて、また帰りに抜いてくることも出来ますが、確か一日でも居たら一か月分の健康保険料は掛かってくるはずですし、日本の保険料はオーストラリアのメディケアと違って所得がなくても最低限の金額は払うことになると思います。通常、それを払ってもこの際虫歯をガンガン治しておこう、そのほうが得という人も多いのですが、免許の書き換えのためだけにその出費はどうか?と思う人には、住民票なくして免許を再取得するという方法が必要です。
住民票なくして免許を再取得する方法ですが、あります。住所証明をすればいいです。具体的には、@戸籍謄(抄)本、そしてA日本に滞在するときの住所(居所)の証明です。僕の場合は親のいる実家に戻りましたから、(1)親の住民票、(2)親の一筆(○○は、いつからの日本帰国時の住居として私の住民票記載の住所において日常生活を送っているものです云々という文書と署名捺印)を用意しました。そんな実家はない人はどうするかというと、その場所に自分がいることの他の証明、つまりは住所と宛名が書かれた郵便物などになるでしょう。ホテルとか、友達の家に寝泊りするとかいう場合がイケるのかどうか知りませんが、その場合は予め自分宛に郵便物が届くようにインターネットで通販するとか、資料請求するとか、自分で自分に手紙を出すとか(^_^)、しておかれるといいかもしれませんね。
しかし、住民票問題がクリアしたとしても、3年以上経過した僕の場合学科試験を受けねばなりません。まあ、学科試験ごときと思いますが、面倒くさいですよね。意外とうろ覚えのところとかありますから、万が一ってことがあるよなー、落ちたら益々面倒臭いなと。そういう人には、まったく別のルート、海外での免許証を国内免許証に書き換える方法があります。もっとも、これでも技能試験などはあるのですが、日本でかつて免許を持ってた人は適性検査以外免除ですから、学科も受けなくてもいいです。結局はこの方法を取りました。外国免許切替手続というらしいです。
有効な外国免許を持ち、免許取得後その国に3ヶ月以上滞在していればOKだそうです。あれ、これ昔、半年って聞いた記憶があったけどな。でも、警察庁のHPや京都運転免許試験場のHPでは3ヶ月と明記してますので、それでいいのでしょう。
ということで、3ヶ月以上保有する海外の免許証を持っていたら、これをもって日本の免許証に書き換えられるのですが、その手続は一点を残して他の取得手続と一緒です。それは、海外免許を正しく翻訳しましたという証明です。この証明を出せる機関は限られていて、各国領事館あるいはJAF。領事館なんか事務がトロそうですからもうJAFのホームページで調べますと、京都のJAFはなんとウチから歩いていける距離にありました。「あ、これ、いいじゃん」ということでJAFに電話して聞いてみました。
JAFですが、翻訳も数時間でやってくれるし(実際には20分くらいでやってくれた)、翻訳料も3000円とリーズナブルで、対応も非常に清々しく良かったです。ただ、ここで問題が一つ。事前にJAFの担当の人に電話して下調べをしたのですが、さすがによく知ってらっしゃって、「オーストラリアですか?どの州ですか?え、NSW州、あそこはちょっと問題アリでしてね」ということでドキとしました。問題とは何かというと、NSW州の免許証って、発行年月日が書いてないのですね。「え、ほんとか?」と思ってみてみたら、本当に書いてない。Oh,my god! ですよ。なんで書かないんだよ!と思ったけど、まあクレジットカードと同じで有効期限だけ書いてあればそれでいいってことなんでしょうね。でもそれでは良くないんですよね。発行年月日が書いてなかったら、「3ヶ月以上保有」という立証が出来ないじゃないか。そこで、現地の警察などで別途発行日の証明が必要でしょうということ。つまり話はオーストラリアに飛んで、RTAで発行証明を出してもらうことになります。あ、RTAとは、Roads and Traffic Authorityの略でオーストラリアの陸運局と免許試験場を兼ねたような機関です。NSWの場合は正確にはRTA NSWです。
というわけで、あー、もー、一筋縄ではいかんな、面倒臭っ!!ってことになるわけですが、結局意外と簡単に解決しました。RTAのホームページにいくと、RTAのオンラインサービスで My Record というのがありまして、そこでRTAに登録されている自己情報が検索できます。例えば、車両登録とか自分の住所とか、現在の減点ポイントとか、過去の違反歴全部とか、そこには当然免許の変遷も含まれます。そして、自己情報全て表示させ、別途オンラインでお金を払えば(クレジットカード番号の入力)、正式にRTAからそれらの情報をプリントアウトして発行者の署名のあるものが公式文書として送られてきます。実際1週間ほどで送られてきました。これを免許証に添付して、JAFに提出し、「発行年月日はいつ」という一文を付加してもらい、かつその証明を免許試験場に提示すれば事が足ります。なお、RTAのそのサービスのあるアドレスは、http://www.rta.nsw.gov.au/myrta/myrecords/index.html です。
なお、別に日本の免許証なんか要らなくて、日本に帰国したときだけ運転できればそれでいいやというのであれば、ジュネーブ条約だったかの締結国(要確認)発行の国際免許、あるいは普通の免許証に正訳証明をつければ、一定の期間制限はあるけど、日本で運転は出来ます。運転だけするならそれでも良かったのですが、それだと運転免許証のもう一つの機能、つまり身分証明証という機能がないのですね。オーストラリアでもそうですが、運転免許証は身分証明証として非常に役に立ちます。
ところで、日本には、オーストラリアには存在しない戸籍や住民票という制度があるんだから、戸籍や住民票を登録した時点で顔写真撮ってそれで身分証明証を作ってはくれないのだろうか?なんで、いちいち戸籍謄本だの住民票抄本だの取らねばならないのだ。最初に身分証明カードを一枚発行してくれれば、それを提示すれば万事済むではないか。メチャクチャ物事スムースに進むんじゃないか・オーストラリアは戸籍も住民票もないから運転免許証に頼らざるをえないのはわかります。しかし、戸籍や住民票制度がある日本でそれが身分証明カードとして機能しないのは、よく考えてみればおかしな話だ。結局、こういった制度って、国家が国民を管理するための制度であり、国民が自己情報を有効に証明するためのシステムだとは全然考えられていないのでしょう。
さて、朝早起きしてJAFに一番乗りして、翻訳を貰い、京都市南区役所で親の住民票をゲットし、さらにJRで神戸まで向かい自分の戸籍謄本を取り、さらに取って返して長岡京の運転免許試験場までいってしまおうという企てだったのですが、いきなり挫折しました。いや、JAFはもうスムースにいきました。ただ、JAFの窓口の人に聞いたのですが、外国免許の切り替えの場合は、朝の11時までに行かないと締め切られるという。「げげ、なんでそんなに早く締める?」と思い、その日はもう書類のゲットだけで終わりました。
右の写真はJAF事務所のすぐ隣りにあったネギ畑。京都の南、本家本元の”九条葱”なのでしょう。
「おお、こんなところに畑が!」と感動したのですが、昔はそんなに気にしなかったけど、改めて見ると農地が多いですねー。都会の近くというか、殆ど都会の”中”にこれだけ農耕地が多い先進国というのも、なかなかスゴイです。京都と大阪の間とか、かなり沢山あります。シドニーだったら、シティをちょっと離れて、ノースシドニーとかパディントンあたりにサトウキビ畑があるようなもんです。いいとか、悪いとかいうことではなく、「そうか、日本ってそういう国だったのか」と改めて思ったもんです。
ちなみにこのJAFの事務所ですが、とおりを隔てた真向かいに、昔大学時代、僕が毎日通ったバイト先がありました。「うわ、懐かし!」と思ったのですが、バイト中は全然気づかなかった。畑といっしょで、目に入ってても知覚してないんですね。でも、司法試験受験生だったあの頃、20年後にまさか自分が合格して弁護士になって、さらにそれを辞めてオーストラリアに行って、免許の更新のためにこの向かいのJAFを訪れていようとは夢にも思わなかったですね。だから、今から20年後の自分なんて、ぜーんぜん予想がつかないもんで、まったく夢にも思ってないようなことやってるんでしょうね。
翌朝、長岡京の試験場まで行きました。いやあ、懐かしいなあ、大学のとき免許取りに来て以来だなあ。変ってないなあとか思いつつ、免許試験場の前で申請用の写真とってもらって、さて手続です。しかし、午前中も早くにいったのに、まさかこんなことで、5時間もかかろうとはその時点では予想もしてなかったですよ。忘れてましたね、日本のお役所手続。RTAだったら、順番さえくれば窓口で全部やってくれるし、20分も待てば新しい免許証をその場でくれますからね。それよりはかかるだろうとは思ってたけど、まさか4-5時間もかかろうとは、、、、、。
左の写真は京都の運転免許試験場の写真。すぐ近くに証明書写真の店があったりして、これは全国何処でも同じなんでしょうね。ところで、ふと思ったのだが、この店の立地の権利関係ってどうなってるんだろう?純然たる私有地なんだろうか。なんかバスの発着所の中にあるような気もするし、阪急バスの私有地?免許試験場の土地?やっぱり私有地?まさに免許のための証明写真所以外には使えそうのない土地なんだけど、どうなってるんだろう。思わず法務局にいって公図を見たくなってしまいました。
しかし、この二階建ての免許試験場の建物、気づいてみれば日本のお役所の定番ともいうべき構造ですよね。あなたの故郷の町役場も多分これと似通った作りじゃないですか?特に機能性バリバリというわけでもなさそうなんだけど、没個性的というか、同じ設計図面を日本全国で使い回しているような。冗談ではなく、実際使い廻しているのでしょう。結局アレでしょ、日本のお役所の前例主義と中央集権制があいまって、日本全国同じような建物、同じような風景が大量生産のように行きわたっていったのでしょう。
ちなみに、これ、キャンベラの日本大使館も、基本的には同じヴァージョンだと思います。というわけで右の写真はキャンベラにある日本大使館の写真です。
さて、免許交付にどうやってそんなに時間が掛かるかというと、まず書類事務の受け付けだけで(途中視力検査が挿入されたが)結局一時間以上かかりました。外国免許切り替えは、一般とは違った窓口でやり、そこにはイラン人風の人やフィリピン風の人がいたり、ワーホリ帰りらしい女の子もいたりで、「へえー」てな感じで見てたのですが、書類審査で待たされましたねー。でも、外国免許受付だから、職員も英語のできる人とかいるのかなーと思ったら、相手がイラン人(かどうかは分からんがそんな感じ)だろうが誰だろうが普通の日本語で喋ってて(およそ喋ろうという気がなさげ)、またガイジンさんも普通に日本語で喋ってたりします。エラいもんですねー。
外人さんといえば最近日本にも外人さんが増えた増えたと聞きましたけど、全然居ないじゃん。「増えた」というのは、町歩いてたら常に視界の一人や二人はいることをいうんだろうと思ったけど、1日歩いても一人も出くわさない日もあった。また、たまに居ても日本語ベラベラだったりするし。これじゃあ、日本で英語なんか習おうって気がしないわけだわ。必要ないもん。でも、逆にこの環境にいながらなんで習おうと思うのかな?とか思ったりもします。抽象的な必要性はわかるけど、これだけ実戦の場がないとしんどいだろうとは思いますよ。雪が降らない地方でスキーの練習やってるようなものだもんね。その意味では英語喋る国にいっちゃった方が伸びるとは思います。だって、具体的に、身にしみて、差し迫って英語が必要ですもん。喋れなければ食料も手に入らない。
やっと書類の受付が終わって、さてこれで終わりかと思いきや甘かったですねー。昼休みがあるのか知らんけど、いきなり2時間半後に写真撮影の為に集合せよ、と。2時間半?!やることないわと近くの喫茶店でゆっくり時間をかけてゴハンを食べて、待合室でこんなこともあろうかと持ってきた小説を読みきり、午後の実技試験のためにコースの下調べで歩いている人々に混じって歩き、のどかな日本の郊外の風景をカメラで撮ったりして、時間を潰しました。
下の三枚はヒマな時間に撮った写真。真中の食堂の雰囲気がなんともレトロで懐かしいです。20年前から何も変ってないようなうららかな風景。激動の日本とかいうけど、「別になーんも変ってないじゃないか」と思ったりするのはこういうときですね。
手続費用も、なんだかんだで二回に分けて5000円前後払った記憶があります。試験は免除でも試験料はとられるのかしらん。さて、やっとのことで免許証台紙を貰い、写真を取ります。今度は取った写真で免許証を作るまでまた小一時間待てという。もう待つしかないですよね。日もそろそろ傾きだした頃にようやくゲット。疲れました。さあ、行きは張り切ってタクシーで来たけど、帰りはのんびりバスで帰ろうと思いきや、バスがまた1時間に1-2本くらいしか来ないという。夕方待ち合わせもあったのでまたタクシーで帰りました。日本というのは公共交通機関が発達していて便利だと錯覚してたけど、別にそんなことないわね。
ここで、シミジミ思うわけです、たかだか運転免許の更新(ないし取得)手続に、バスが1時間一本(ないし2本)という場所に、このクソ忙しい日本人を呼んで、殆ど1日潰すというのは、いかがなものか?と。なんでこんなに効率が悪いんじゃい。あの、ドン臭いオーストラリアですら20分でできることがなんで1日かけな出来んか?と。
出来ないんでしょうねー。出来ないのは出来ないなりの理由があるのでしょう。別に職員の人が怠慢だということじゃないです。怠慢だけでここまで遅延は出来ないですよ。もっとシステムそれ自体に理由がないとこんなにトロくはできない。実際に職員の方々は横柄でもないし、別に問題があるような働き振りではなかったです。よくやっておられるという感じ。
要するに話は単純。利用人数に比べて、処理能力やキャパシティが小さすぎるのでしょう。物凄い人数が毎日やってくるわけで、そりゃこれだけの人数捌こうと思えばそれなりに時間掛かるわ、というかよくサバいてるいることよ、と感心しますな。
写真左は、免許試験場前の停留所から付近の風景を望む。バスが中々来ないのもなんとなく分かる雰囲気でしょう。
写真右は、試験場の一日のスケジュールを掲載した表示。なるほど、これだけいろんな種類の手続を一日かけてやるわけねという。
なるほど処理案件の数、種類、手続を考えれば時間が掛かるのも分かる。職員の皆さんが頑張っておられるだろう事もわかる。それでも、「しかしね」と言いたくなってしまいます。
ですので、問題の根源は、免許更新のための公的施設が少なすぎること、また立地も不便過ぎることでしょう。
更新施設が少なすぎるのは、これはもう明らか。京都に一つ、大阪に二つだけしかない。京都府の人口264万、大阪府の人口883万人。あわせて人口1100万を軽く超えるエリアにたったの免許更新の場所はメインにはたったの3つ。そりゃ少ないでしょう。シドニーの場合たった400万人強の人口に、RTAは、今ざっと数えてみたけど40箇所以上はあるぞ。だから10万人に一つはある。日本は概算400万弱に一つ。人口比でいけば40倍弱の差がある。そりゃ混みもするでしょう。
じゃあ、オーストラリアの場合40倍も多く公的施設を作ってるから、オーストラリアの税金は40倍高いか?というとそんなことはないよ。免許手数料、交通反則金の額が40倍高いかというとそんなこともない。オーストラリアの交通法規の方が大雑把かというとそんなこともないし、サービスが乱雑かというとそれほど目立って差があるわけでもない。それどころか、オーストラリアの場合は200民族以上の連中に周知徹底させなければならないから、交通ルールの教本も学科試験問題も十数カ国に翻訳したものを用意し、無料通訳も用意している。管轄するエリアの広さにしたって、オーストラリアの方が国土面積22倍でしょ。すべてはやり方一つ、税金の使い方一つ、システム一つの違いじゃないか。
オーストラリアのRTAは、日本の免許試験場以上にやることが沢山ある。それは高速道路の計画から、各種交通法規の立案、交通取締り、さらに車両の登録などなど。免許事務なんか数ある事務の一部に過ぎない。日本の場合、免許交付や交通取り締まりは警察の管轄、自動車の登録などは陸運局、道路の敷設・メンテは道路公団。分離しすぎ。いわゆる省庁間の縦割りやらナワバリやらで、「道路とクルマはまとめてココ」という生活局面に即したユーザーインターフェイスが悪すぎ。確かに、この間の省庁統合の行政改革で、運輸省と建設省が統合されるなど前進はあり、評価はしますが、まだまだ道半ばだと思います。昨今ウミが出せるかどうかでもめている道路公団とかさ、大体、道路族とか建設族なんて族議員がいること自体、端的に言って変だわ。
立地については、実技試験や原付講習をやるので広大な敷地が要るのでしょう。だから街中には設置できず、どうしても不便になるのでしょう。広大な敷地がいるからそんなに多くは建設できないのでしょう。こう説明されると「なるほどー」と思いがちだけど、ちょっと待てよ。民間の教習所は街中にあるじゃないか。別にどうしても確保できないってことは無いはずだし、実技試験だけ民間の教習所にアウトソーシング、外注すればいいじゃないか。
そりゃアウトソーシングしてる部分もあります。例えば京都の場合、舞鶴、福知山、丹後などでは毎月1回などやってますけど、そんな特例的に遠隔地でやるのではなく、全国にある民間教習場を大々的に活用すればいいのではないか。どうして出来ないのだ?なにか問題あるの?
それにそもそもなんでもかんでも免許に関するものだったら一箇所でやっちゃいましょうという発想がおかしい。圧倒的大多数の人は技能試験なんか受けないで、単にペーパーワークで終わるんだから別に広大な敷地なんか要らないでしょう。そこらへんの警察署でやればいいじゃないか。そりゃ、そういうこともやってますよ、日本でも。しかし、京都の場合警察署で出来るのは左京区の北、京都大原三千院あたりの山奥の人々とか相楽郡笠置町、和束町、南山城村の居住者、亀岡以北などという形で限定されています。こういう遠隔地の方々への配慮はやってくれているのだけど、なんでそれが全面的に出来ないのでしょうか。
まあ、文句ばっかり言ってなくて、確かに去年の道交法の改正で免許更新期間が誕生日までの1ヶ月ではなく、誕生日をはさんだ二ヶ月に伸張されたこととか、他の都道府県を経由して更新できるようになったとか、少しづつ少しづつ前進しよう、便利にしようという意思や努力は評価します。いや、もう、バリバリ評価します。よくやってくれました。でももっとやってください。
更新期間も優良ドライバーになると5年更新になります。でも、海外では10年更新もあるので、なんで10年更新にしないのですかというFAQを警察庁のホームページで載せてました。これに対する当局の回答は以下のとおりです。興味深いから引用します。
免許証の更新制度は、交通安全の確保の(国民の命を守る)ための制度であることをご理解願います。
警察庁の調査結果では、更新後は更新前に比べて事故が5.8%減少していること、優良運転者の場合、更新後1年目と2年目の事故はほぼ同数ですが、3年目から事故が増え、5年目には1年目に比較して10%以上も事故が増加していることが明らかとなりました。また、眼科医においては、5年以内の定期的なチェックが適当とする見解が大半でした。さらに、「外国では有効期限の無いのが普通」といった主張もされていましたが、細かく調べてみますと、トラック(日本では普通免許で運転できるもの)を運転できる免許では、一定期間ごとに視力検査を行う国が多く、有効期限なしという国は希であること、イギリス・ドイツなどそれまで一定年齢まで更新なしで有効としてきた国においても、名義人との同一性の確認や定期的な運転適性の確認の必要性から、新たに更新制度が導入されてきていることがわかりました。
交通事故による死者は、24時間以内に亡くなられた方だけでも8,000人余りを数え、その後になくなられた方を含めれば約1万人に上ります。交通安全に関わる制度については、交通事故による影響の重大性を認識し検討されなければならないことをご理解願います。
読めばなるほどと思える官僚的答弁でありますが、ツッコミ入れるところも結構あります。更新自体は5年で妥当だと僕も思うし、オーストラリアでも最長5年です。ただし、今みたいな更新手続である必要はないでしょう。論拠その1の「更新すると事故が減る」ですが、その根拠となる母データーをデーター採取の方法日時とともに公開して欲しいものですが、更新手続の何が事故防止に役に立っているのでしょう?1日延々我慢させられる苦行が事故防止に役にたってるのだろうか?そりゃ確かに「更新で気持も新たに」効果もあるでしょうが、一番大きいのは更新の際に見させられる教習ビデオなんかも効果があるのでしょう。そういった教育的効果があるのは認めます。もっとやればいいとすら思います。
でもそういう教育だけだったら、別に試験場行かなくてもいいでしょ。免許は無期限にして、一定期間に教習を受けることを義務づけ、教習は日本全国どこの民間教習所、警察署でも受けて良いことにし(別にそんなの何処で見ても一緒でしょ)、当該施設は定期的にその教習をやるようにすればいい。教習っつったって、皆で集まってビデオを見るくらいでしょう。係員が一人か二人いれば十分でしょう。夜なればそれこそ市役所でもどこでも空いてるでしょう。受講したら免許の裏にハンコ押してもらったり、データーベースに打ち込んでもらえばいいでしょう。簡単じゃん。
アメリカの違憲立法審査の原則に、LRAの原則というのがあります。Less Ristrictive Alternativesで、より制限的でない他の選択肢がある場合、法はそちらを選ぶべきであり、選んでない法律は憲法違反で破棄さるべきということです。同じ目的を達成するためにより国民に負担が軽く、そして財政その他の事情から実現可能であるならばそれをやるべきでしょう。
視力低下の定期チェック、これも必要ですよね。でも、これもわざわざ試験場までいかなくたって、そこらへんの眼科医や眼鏡屋さんでチェックしてもらって証明証を出してもらって郵送すれば事が足りるんじゃないですか?眼鏡やコンタクトレンズを新調したときは、そのときの詳細な検眼データーが出てくるのだからそれを送ればいいじゃないですか。試験場の視力検査なんかよりもはるかに正確でしょう。
本当に一番大事な目的は、「同一性の確認」でしょう。つまり年とともに顔かたちが変ること、国家の国民データーベースの定期アップデートじゃないですか?戸籍、住民票、運転免許&パスポートを通じて、国家は、国民の顔写真も含めて個人データーを持ってます。それは確かに年々アップデートしたいでしょう。だからやるんだって言うなら話はわかります。それはテロ対策や、国家セキュリティの関連から大事なのもよく分かります。堂々と理由を掲げてやればよろし。でもさ、よりテロとかに近しいはずのパスポートが10年有効を認めているんだったら、免許も10年でいいんじゃないって気もしますな。それと、個人データのアップデートだけだったら、これまたわざわざ試験場まで足を運ぶ必要もないでしょう。それこそ、そのへんの警察や市役所でやってくれたらいいと思いますよ。
まあ、お説ごもっともの部分もありますが、これらの理由を幾ら積み重ねても、1日会社を休んで、バスの本数の少ない郊外地まで足を運んで、延々待たねばならない現状を正当化するには、ちょっと足りないって気がします。
二つのことだけ書いたらもうページが尽きてしまいました。今回で終わらそうと思ってたけど、終わりませんでした。まだ続きます。
最後にちょっと。僕もあれこれ文句を言ってるようですが、「そんなこと言ってもしょうがないだろ」と思われる人もいるかと思います。でも、しょうがなくないの。段々わかってきたのだけど、民主主義ってこーゆーことなんだって。日常において、「これ、変じゃないか」「こうした方がいいんじゃないか」という視点で常に見つづけ、考えつづけることなんだと。そーゆーもんなんだ、当たり前だ、シカタガナイとブツブツ口の中で呟いてたって何も変らない。自分の部屋の模様替えをするように、このカーテンも色が鬱陶しいから替えようとか、ベッドをこっちに持ってきた方がくつろげるとか、「もっと改善できないか」という目で見ていくこと。そして対案を考えること。
そういうことを個々人で考えていたら変ると思います。そりゃ一気には変りませんよ。時間は掛かる。だけど、皆の意識が高まれば絶対変る。だってこれまでだって変わってきたじゃないですか。運転免許更新だって昔に比べれば良くなっている。官僚だって世論が高まれば無視もできなくなる。世論が賢くなれば情報操作で騙せなくなる。政治家も選挙民の突き上げを食らったら落選したくないから動かざるを得ない。ダイオキシンだって、産廃施設だって、ちょっと前まで一部の意識の高い人以外は誰も知らなかったし興味も無かったでしょ。
別にあなたが皆をリードして、音頭とって、大衆運動の高まりを、、なんて大袈裟なことを考えなくてもいいです。そんなことせんでも、「これ、無駄だよな。こうすればいいのにな」ということを、ふとした普通の会話の受け答えに挟むだけ、それも意図的に挟まなくても日頃からそう思ってるから自然にそう答えてしまう程度でいいです。それだけでも、「ふーん、なるほど」という種は広がっていくのでしょう。
民族としての日本人と、日本国を構成する主権者としての日本国民は別物でしょう。国籍とは、はからずも英語でいうように”シチズンシップ”なのでしょう。ただ単純に日本と呼ばれる土地に生まれて育っただけで、自分が正規のレギュラーメンバーなんだという自覚がなかったら、それってただの日本のアボリジニー(原住民の意味)でしょう。
文責:田村
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