今週の1枚(03.08.25)
ESSAY119/Lakemba & 新聞記事から(ハンソン収監、アン・コールター、ブータン)
写真はLakemba。ラケンバというのはシティからかなり西にいったエリアですが、ここからでもハーバーブリッジが望めます。上の大きな写真の、子供の手を引いている女性の頭の上(やや左)あたりにハーバーブリッジが写ってますね。ハーバーブリッジというのは、実は意外なくらい遠くからでもすかっと視界が開けたら見えます。ちなみに男の子の真上あたりにアンザックブリッジも写っています。これは見えにくいのでクリックしての拡大画像をみると分かると思います。
今日はそんなに肩肘張らず、気楽に最近のオーストラリアならびに自分の出来事をちょぼちょぼ書いていきます。
先週は、一週間、正確には6日間、気楽な一人暮らしでありました。カミさんは今所要で日本に帰国しており、またこの時期お客さんも来ず、はたまたいつもは誰か遊びに来たりするのも予定がなく、純粋に僕一人(+猫二匹)でありました。
こんな大きな家にひとりぼっちは寂しいとか怖いと思うかというと、慣れればどってことないです。また、慣れてしまえば、とりたてて”大きな家”とも思わなくなりますし。こんなのに慣れてしまったらもう日本に戻れないって気もするけど、戻ることがあったらまたすぐ慣れるでしょう。座って半畳寝て一畳といいますし。
実に気楽な一人ぼっち状態でありました。なんせ、年間100人くらい泊まり、それと同数くらいの人が遊びに来たりする、普通の家として考えたらちょっと異常に人の出入りが激しいわけですが、それが誰も来ず、予定もなく、カミさんさえいないというのは、ポッカリ空いた真空地帯というか、いい息抜きになります。もう、ぜーんぜん何もしない。ぼけーっと終日過ごしたりするわけで、それがイイんですよね。「そうそう、俺はこれがしたくてオーストラリアに来たんだよなー」という原点確認というか、要するに「何もしない」為に来たんだよな、誰とも話さず、何もしないで過ごすというのは、それが一時的であれば、いい毒気抜きになります。断食すると身体の老廃物が全部出て行ってすっきりするらしいんですが、それにちょっと似てるかもしれない。永遠にやってたら死んじゃうというのも似てますな。あくまでテンポラリーに。
しかしながら、何もしないとかいいながら、こうなると逆に人間って生産的になるものです。毎日ちょっとハードめのジョギングとか筋トレとかやりはじめたりするし、いきなり思い立って車二台を丁寧に洗ってみたり、家具の配置を変えてみたり、庭のメンテをやってみたり。なんせ、ボロい家なうえに、万年手が届いてない状態ですから、マトモするためには何百時間あっても足りません。ちょっと目を離すとすぐ蜘蛛の巣が張る(下手すれば数十分目を離してるだけで張る)。やるこたあ幾らでもあります。今朝も思い立って、掃除機かけてモップで拭いたりしてましたが、2時間かけてまだ半分くらいしか終わらないという。
でもって、自分ひとりしかいないから「失敗フリー」ということで、日頃から「アレなんだろうな、不味そうだな、でも一回トライしたいな」という食材にトライしてみたり、普通だったら入らない店に入ってみたり、普段だったら行かないところに行ったりします。
というわけで買い物に行くつもりが、「ええ天気やし」ということでお気楽にそのままドライブを続け、僕的に言えば”ほんとのシドニー”のマルチカルチャルの本場ウェスタンサバーブ、それもディープなエリアを探検してきたりしました。韓国人の町、Campsie(キャムシー)はお馴染みなのでさらっと流して、あとアラブ系の町 Lakemba(ラケンバ)に行ってきました。
ラケンバなんて、ほとんどの日本人は行かないでしょうし、その存在自体を知らない人も結構いるかもしれませんね。なかなかディープなエリアです。ディープさにおいては、アッシュフィールドやマリックビルの比ではないですね。カブラマッタよりも深いかもしれない。アジア人もいないことはないけど、「居ないことはない」程度。やっぱり中東系の人達が多いです。が、なにがなんでも中東系というわけでもなく、インド周辺、そして南太平洋諸国の人達もいるようです。そのあたりは下の看板の写真を見るとわかります(後述)。
上の大きな写真もラケンバです。駅付近の駐車場です。
この写真も、また右の写真にも写ってますが、イスラムのヴェールをかぶっている女性が多いです。もうそこかしこにいます。ちなみにこのヴェールのことを何というのか”ヒジャーブ”と言ったと思うのですが、他にも、チャドラ、ヒマールなどあるようで、それぞれに種類が違うのでしょうが、よう分かりません。
付け焼刃で調べてみたのですが、あのヴェールをかぶっていると、もうゴリゴリに骨の髄まで敬虔なイスラム教徒なのかという、単なる慣習くらいのライトな感覚もあるようです。とあるホームページで上手に説明されてましたが、あれをかぶってると要するに社会的に「ちゃんとしてる」というシルシだそうで、その「ちゃんとしてる」感覚というのは、日本人の男性のネクタイに相当するような感じだそうです。「なるほど」と思いました。確かに、日本人の男でネクタイしてないと、なんとなく「ちゃんとしてない」というか、少なくともネクタイをしてるとそれなりに「ちゃんとしてる」かのような印象がありますよね。でもネクタイも、「なんであんなモンしてるんだ?」と言われたら、答えに窮します。別に日本古来の民族衣装でもないし。しかし、由来はともかく、ネクタイをしてると、とりあえずその社会の一般的な社交的なルールに従いますよというシグナル、その社会への一応のレスペクトの現れなのでしょう。
そういえば、テロ騒ぎの中、オーストラリアの馬鹿な上院議員(名前を忘れた)が、イスラム教徒の女性のヴェールを法律で禁止すべきだ、あの中に武器を隠し持っていてもわからないではないかと、超しょーもない発言をして顰蹙をかってましたな。どこの世界にも馬鹿な政治家というのはいるものですな。また、その馬鹿を、「よく言った!」と持ち上げる馬鹿がいたりして、こういう話になるとイヤになってしまいますね、毎度のことながら。
しかし、頭から被りものをするのは、特に女性がそれをやるのは、別にイスラムに限ったものではないです。だって、キリスト教の修道尼もほとんど同じようなものかぶってますし、日本の仏教でも女性が出家したら頭にかぶりものをしますよね。どこも一緒じゃんって気はします。それより興味深いのは、古今東西の髪の毛パワーです。どうも髪の毛というのは、男女の性的エネルギーやら誘惑やらと深い関係があるようですね。仏教でも髪をおろすのは煩悩を遠ざけるためと言われてますし、キリスト教の尼さんが髪の毛を隠すのも、「煩悩」とは表現しないでしょうが、似たような理由でしょう。
ラケンバの風景をいくつか。
町の作りとかそのものは、普通のオーストラリアの町です。ハードウェアは同じ。ただその上に走るソフトが中東系だということで、歩いている人々や、商店街の看板などに、アラビア文字が頻繁に目につくわけです。アラビア文字は見慣れないから、「おお」と思うわけですが、これが別の町になると日本語になったり、韓国語になったり、中国語、ベトナム語、ギリシャ語などなどになるのでしょう。
ただ、右下の写真のように、一歩入ってしまえば、普通の静かな住宅街になります。これもどこでも一緒ですね。
以下アラビア文字の看板をいくつか見ましょう。こうしてみて思うのは、やはりどこの国でもレタリングというか、文字のデザインというのはあるもので、”明朝体”とかは言わないでしょうが、それなりにいろんな種類の文字のデザインがあるのでしょう。
写真右下、大体この格安国際電話カードの広告を見てると、その町の民族構成が推測できたりして面白いのですが、いきなりバーンとレバノンやバングラディッシュが出てたり、他の国々を見ても、渋いところが揃ってますね。日本は一般的な国際カードにかろうじて登場してるくらいで、ほとんどお呼びでないって感じですね。
左下のインド系スーパーマーケットの看板も渋いです。インド系のレンタルビデオもあるのですね。他にも、サモア諸島、トンガ王国、フィジー、パキスタン、バングラディッシュ、スリランカにアフリカ系の食材もあるようです。いいですねー。でも、入っても何がなんだかさっぱりわからんのですね。でも、世界にはまだまだ全然見当もつかないようなカルチャーがゴロゴロあるのだと思うと、楽しくなります。
写真真中下、食料品店は”HALAL”フードのうたい文句があるところが多いです。イスラム教的に”食べてもOKなもの”をHalalといいます。ちなみに、ユダヤ教徒の場合は、Kosherですね。ボンダイ周辺によく見かけますよね。
写真右下、「どこの町にも必ずある」といわれる中華料理屋。さすがにあります。「京都」とかバーンと書いてあって、「おお」とか思いますが、中国人が「京」といったら北京を指す場合が多いような気がします。メニューに”京”が出てくる料理も北京風のように記憶してます。それで、ここでも北京料理の店ですし。
右下の二枚は、掲示板の広告。さすがに全部アラビア文字で書かれるとお手上げですね。
とても字とは思えないようなのですが、じーっと見てると法則性があるかのように思えてきますし、思ったほど文字の種類が多くもなさそうな気もします。
そこで、この種のアラビア文字のアルファベットってどうなっているのか調べてみたら、やはりというか、意外に多くなく、アルファベット28文字プラス2文字だそうです。たった30文字かそこらだったら、まだ楽ですよね。日本語ってひらがな、カタカナ合わせてなんと約100個!それだけで習う人は気が遠くなるでしょう(30文字のアラビア語で僕らが感じてる難解感の3倍だもんね)、さらに漢字というシロモノが数千というオーダーで乗ってくるということで、この時点で殆どの学習希望者は爆死するでしょう。それでも生き残った根性のある人でも、数千ある漢字が、時と場合で読みも変われば意味も変わり、実際にはその数倍覚えなければならないと聞いた時点で、ほぼ絶滅するでしょう。しかし、さらに日本語の漢字の場合、こういう場合はこうするという法則性が殆どないです。もうイッコイッコ完全ベタ覚えの世界です。”頭”は、アタマであって、トウ部であって、ヅ痛であって、さらに井の頭公園になったときはカシラと読む。やってらんないですよね、こんな言語。だから、日本語勉強してる人って、尊敬します。並みの根性じゃないないなーって。
ラケンバだけで結構紙幅をとってしまった。
ヒマにまかせていつもよりもコマメに新聞をチェックしてると、また、いろいろ面白かったりします。というわけで、ちょっと面白かった記事をいくつか。
これは有名なニュースだから知ってる人も多いでしょうが、ポーリン・ハンソンが刑務所に収監されました。「ポーリン・ハンソンって誰?」という人は、特にオーストラリアに住もうと思ってそんなこと言ってる人はも少しベンキョーした方がいいかもしれません。昔むかし、97年のコンテンツですがポーリンハンソンについてというページを書きましたのでご参照ください。しかし、サイト内検索が出来ると便利なんですけど、なかなかcgiがうまいこと作動しません。まあ、自分のサーバーではないので、好き勝手できないのですけど。
簡単に言うと、ポーリン・ハンソンというのは、97年の連邦選挙で彗星のように現れた、パッパラ右翼というか、ポピュリストというか、「言っちゃイケなかったエグイこと」をバンバン放言して、大多数の人の顰蹙と、一部の人の熱烈な支持を得て当選しました政治家です。何を言ってるかというと、綺麗に表現すると「普通のオーストラリア人をもっと大事にしろ」ということで、エグく表現すると「アボリジニとか、アジア系移民とか、あいつら寄生虫みたいなもんだから何とかしろ」ということですね。こちらに住んでる日本人で、ポーリンハンソン支持!という人は、まずいないでしょう。
この種のウルトラ・ライトな人たちは、いつでも、どこの国でも出てきます。異者・弱者への差別と愛国心とを混同し、誠実に積み上げていく努力を”偽善”として嘲笑する人たち。だから別に珍しいことでもないのですが、これが厄介なのは、「誰だって多少はそう思ってる」という部分を突いてくるからですね。トータルとしてみれば、言ってることは論外レベルでダメなんだけど、あながち一笑にふせない部分もあって、それが妙に人々の心にひっかかり、特に時代の流れについていけない層、なんだか割を食わされているような不満層、将来に自信をもてない不安層をひきつける。結果としてとんでもない政治的影響力を持ちうるということです。
オーストラリアの政治状況も、このポーリンハンソンという元フィッシュアンドチップス屋のオバハンに振り回されました。トバッチリを食らったのは、もともと右翼的な方向性で頑固な農村地元層を代表していた国民党で、それまで責任ある政党としては現実的な実行可能な政策を打ち出して、自由党と連立与党を組んできたわけですが、自分らのお株を奪うような強硬なこというハンソンが出てきたので、票をかなりもっていかれてしまった。結果としてタナボタで得をしたのは、QLD州の地方選挙で、ハンソンのワンネーション党と国民党が票の食い合いをしている間に政権を取ってしまった労働党だったりします。漁夫の利というやつですね。あと、首相のジョンハワードもかなり得をしたクチだと言われます。この人はもともと保守的な路線ですが、ポーリンハンソンがジャカジャカでていって、世論を右よりに動かしてくれたので、結果として動きやすくなった。いわばポーリンハンソンを自分の「露払い」としてしたたかに利用したといってもいいでしょう。ともあれ一人の、なんのキャリアもないオバハン政治家としては、かなりオーストラリアに影響を与えた人といえるでしょう。実際、面白いから、メディアは追いかけますし、やれハンソンがこう言った、こうしたとか逐一記事になったりしてました。
じゃあ、その人がなんで刑務所へ?というと、ブームに沸いたのは最初の選挙だけで、あとはその場限りの勢いだけの政党で、ろくすっぽ政策もないし、言ってることもいい加減な事実に基づいてることが段々わかってきたし、もっと単純に国民が「飽きた」ということもあって、次では落選で、落ち目続きでした。落ち目のトドメみたいなのが今回の有罪判決→刑務所行きです。犯罪そのものは選挙法違反。事務的なもので、政党公認の条件とされる、500人(正確な記憶はないけど、そのくらい)党員がいること、という点を偽って、政党認証の申請を受け、政党助成金など公費支給を受けたということです。この種のいい加減なデッチ上げの書類操作は、かねてから批判されてましたが、今になって正式に司法の判断が出たということですね。
ただ、このくらいのことで、いきなり刑期3年の実刑判決(執行猶予もつかない)で刑務所収監というのは、いかがなものか?という疑問が呈されてきています。ちょっと重過ぎるのではないのか?と。既存のメインストリームの政治権力が、これまでの鬱憤晴らしのように最後にバシッとトドメをさしたのではないか、そこまで叩かなくてもいいだろうと。
これは僕もそう思います。確かに税金を詐取したのは悪いけど、それでいきなり実刑か?という気はしますね。ここで、ふと脈絡なく思い出したのが、日本の辻本議員の逮捕です。あれも、なぜ今?なぜそこまでする?ということで、既存の権力にタテついてうるさがられたから、「叩き潰してやる」とばかりの過剰な報復を招いたかのような印象を抱いたりしました。どちらも女性議員ということで、なんだかんだ言ってボーイズ・クラブの政界では、カチンときた女性に「うるさいな、こいつ、いずれ機会をみて徹底的に潰したろか」みたいな感覚が流れているかのようにも思います。ただ、こういうのは難しくて、単なる印象とかイメージに過ぎないのですけど。
ただ、それを除いても、今ポーリンハンソンに刑務所に行かれてしまっては、逆に彼女がまた殉教者的なヒロインになりかねない部分もあります。メインストリームに逆らって、悲劇的な結末を迎えるというのは、庶民が大好きな分かりやすいストーリーでもありますから、こういう形の終わり方というのは、禍根を残しそうな気もします。
ところで、別の記事を読んでたら、アメリカにもポーリンハンソンのような滅茶苦茶右翼の女性が出てきているようです。Ann Coulterという、極右コラムニストです。ポーリンハンソンがいかにもおばちゃん然としているのに対して、こちらはスラリとしたブロンド美人だったりしますが、言ってることは同じようにエゲツないというか、もっとむちゃくちゃというか。ニューヨークテロの後にも、「イスラムの国々を侵略して、リーダー達を皆殺しにして、国を転覆させるしかない」とか、ブッシュ大統領を尊敬しつつも、ブッシュをして「あれが左の限界。彼よりも左の奴は意気地なしの腑抜けだ」とか、テレビに出て機関銃のような早口で、相手に何も言わせずに言いまくる。かなり滅茶苦茶なんだけど、それが受けて、書いてる本、処女作”Slander”とかはベストセラーになったりしてます。
まあ、例によって言ってることもイキオイだけで、よく聞いてみると矛盾しまくってたり、前提となる事実も嘘ばっかりだったり、マトモに取り上げるに値しない、その辺の飲み屋でおっちゃんがオダをあげてるのと似たり寄ったりなんですが、これがまた”現象”と呼ばれるくらいの騒ぎになっているそうです。もちろん、アメリカ国内でも猛反発するする人々は多く(というか、こっちの方が多数だろうけど)、Ku Klux Coulter とか、telebimboとか叩かれてます。bimboというのは、見かけはいいけど頭は空っぽ女のことを意味するスラングです。
まあ、アメリカもなにやってんだかというか、どこの国も大変ですね、という話でした。ただ、このアン・コールターという人、日本では不思議なくらい報道されてませんね。ネットで検索かけても、出てくるのは洋書屋さんの新刊案内くらいです。あえて取り上げるほどの人物だとも思いませんが、アメリカであれだけ騒ぎになってるのに、「あれ?」と思うくらい日本に情報がいってなくて、そのあたりの情報の偏りというか、奇妙なアンバランスさを感じました。
同じ、新聞記事ですが、これもオーストラリア国内の話ではないのですが、いまブータンが燃えているようです。ブータンというのは、ネパールの隣、ヒマラヤ山脈に位置する「世界で最も遠い国」といわれる国です。山奥にあるチベット仏教の聖地、スピリチャルな小さな平和な国だったブータンが、ここのところ国内犯罪の急激な増加に頭を悩ませています。もともと犯罪など無縁のようだった、この山里の平和なコミュニティが、なぜ、いま?ということですが、おそらく原因はテレビだろうといわれています。
ブータンにテレビがやってきたのは(テレビ視聴解禁を政府が決めたのは)、なんと1999年のことです。それまでブータンにはテレビがなかった。僕としてはそっちの方が凄いと思うのですが、テレビ解禁後しばらくして、やたらめったら犯罪が増えたそうです。テレビというのは、世界のメディア王ルパート・マードック支配下にあるアジアのケーブルネットワーク、スターTVなのですが、これらのコンテンツが、平和の山里の人々には刺激が強かった。昔のソビエト共産圏の言い方みたいですが、まさに「堕落した西側諸国の毒」みたいなものが一気に入り込んできたのでしょう。
この特集記事に興味を持ったのは、日本の地方の漁港の居酒屋みたいな写真に、キャプションがついていて「女の子の3分の1はアメリカ人のように(白い肌と金髪)なりたいと願い、子供たちの50%は一日12時間もテレビを見る」と書かれてありましたので、あ、これは最近珍しく日本の記事なのかな、また大げさに報道しおって、、とか思ったら、ブータンだったという。それだけ、写真に出てくるブータンの人々の顔が日本人とまったく同じだったということですし、内容もまた日本とあんまり変わらんということなのでしょう。
西欧系の諸国が注目して、ここオーストラリアで記事にもなるのは、古い論争として「テレビは社会に害毒を流すのか」という問題があるわけで、これって本当に様々な要因が入り組んでるからよくわからないけど、ブータンのようなこれまでテレビなしという嘘みたいに純粋培養されてきた社会においては、「テレビがはいってくるとこうなる」という、ものすごく分かりやすいケーススタディになりうるからでしょう。
テレビの悪影響というのは、昔っから日本でも言われつづけてきて、最近はもう言い飽きたというか、逆に下火になってる観もあります。というよりも、僕らが慣れてしまってきて、今更テレビ程度の毒だったら大したものとも感じられないのでしょう。特に日本の場合、テレビ番組のクラスファイド・システムもないし(15歳未満禁止とか)。
しかし、ブータンの混乱を読んでいくにつれ、「ふーむ、テレビというのはやはりそんなに毒をもっているのか」と改めて再確認しました。ただ、本当はテレビが悪いというよりは、商業主義が生活の隅々まで浸透しているこの現実世界がそれだけの毒をもっているのだろうと思います。テレビはそれを媒介にしているだけなのかもしれない。記事のなかに、農村の主婦たちが、彼女たちの生涯年収をもってしても手が届かないベンツのCMを食い入るように見つめているくだりがありましたけど、一回そういうものを見ちゃうと欲望に火がつくというのはあるのでしょうね。この毒々しい世界に対する抗体を持っていなかった、ピースフルでナイーブなブータンの人々は、気の毒にもろに汚染されてしまったのでしょう。
じゃあ、我々は既に交替をもっていて汚染から免れているか?というと、うーん、怪しいところもありますね。汚染から免れているというよりは、一回汚染されてしまえば、あとはもう何度汚染されても一緒なだけなのかもしれないですな。
あとこの記事で面白かったのは、ブータン政府が標榜している、GNHという概念です。GNP(Gross National Product,
国民総生産)ではなく、Gross National Happiness、”国民総幸福度”という発想が面白かったです。西欧的な物質的富の増大を国の目標に据えるのではなく、精神的な満足の増大をこそ、国の最優先の課題として設置するというのは、単なる比喩ではなく、政府の公式発表でもそうなっていたそうです。記事中、ジグミ・シンレー外務大臣がインタビューに答えて、"We wanted a different from the material concept of maximising gorss natinal product pursued by Western governments,. His Majesty (国王陛下)decided that, as a spiritual society, happiness was the most important thing for us - something that had never been discussed before as a policy goal or pronounced as the responsibility of the state."と答えており、And so, in 1998, The Dragon King (国王の名称) defined defined his nation's guiding principle as Gross National Happiness.
なかなか面白そうな国ですね。ブータン。ハンソンやら、コールターやらを見てると、なんかブータンのほうがずっとマトモという風にも見えてしまいます。
とかなんとか書いてたらいい分量になってしまいました。まだまだ面白い記事はあったのですが、また後日。では。
(文責・田村)
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