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今週の1枚(03.05.01)






ESSAY/Perth 特集(その7)




 写真は、スワンバレーで食べた昼食


パース特集の第七回です。延々やっていますがそろそろシメねばなりません。最終回です。

PART 6 Rottnest Island,  Swan Valley、Perth city 再び編



Freemantle 〜 Rottnest Island

 朝早くYalgrupの宿を出て、Madurahを通り過ぎ、Fremantleまで進みます。距離にして60キロくらいですが、日曜の朝ということもあり、スイスイ進みます。ただ、もうここらあたりまで来ると、完全に「町」ですので荒野や山道みたいに爆走というわけにはいきません。ちょっと進んだら信号で停まって、また進んだと思ったら赤信号に出くわして、、という進み方です。

 この日は、パース”お約束的定番”観光のロットネスト島に行く予定です。ロットネスト島は、フリーマントルという町の沖合い19キロに位置する島です。まあ、リゾートアイランドですね。なんでロットネストというかというと、これもどの観光ガイドにも書いてあると思いますが、その昔この島に上陸したオランダ人 が、ネズミに似たクオッカ(有袋類の小動物)を見てネズミの巣がある島(ラットネスト)と呼んだのがその由来だということですが、、、、こう言われると「ふーん」と聞き流しますが、よく考えると本当か?って気もしますね。クォッカの写真は下にたくさん載せてますが、猫くらいの大きさはありますよ。そりゃ大きなドブネズミもいますけど、これをネズミと間違えるかなあ?まあ、いいけど。


 ロットネスト島に行くには船でいかねばなりませぬ。フェリーですね。フェリーは、パースからも就航してますし、パースからいくとスワンリバーを進んでいくからいっそう風景を楽しめるともいいますが、1時間半もかかります。パースの南のフリーマントルから出発する船に乗れば30分で着きます。フェリーは、別にツアーに参加しなくても、前々から予約して無くても(よほどの観光シーズンでもなければ)、波止場に行ってチケット売り場(小屋みたいになってるからすぐ分かる)で買えば足りるでしょう。写真右は、ロットネスト行きのフェリーですが、右端に”C”と書いてある倉庫の前にちょびっと屋根だけ写ってる小屋みたいなものがチケット売り場。


 フリーマントルの波止場には、フェリー会社の小屋が二つありまして、好きなほうに乗ればいいでしょう。以下、そこでもらった両社のパンフ兼時刻表をスキャンして掲示しておきます。見比べてみると面白いのが、値段は40ドルで同じ(そりゃ同じにするわな)、でもって出発時刻を微妙に30分づつズラしてあって共存共栄を計ってるのがわかります。こういうのって談合っていうのかしら(^_^)。






 フリーマントルの波止場からロットネスト島までは約30分。大した時間ではないのですが、外洋を航行しますので、それなりに揺れます。天候にも大きく影響されるでしょうが、酔い易い人は乗り物酔いの薬を服用されておくといいでしょう。ちなみに、乗り物酔いの薬はオーストラリアでも売ってます(当たり前ですが)。船酔いは ”sea sickness”、車酔いは”car sickness”、乗り物酔い全般は "motion sickness"あるいは"travel sickness"です。

 このように港からリゾートアイランドまでフェリーに乗ってますと、デジェヴュ的に昔どっかで似たようなことをしたなと思えてきます。そう、ケアンズからグリーン島やフィッツロイ島に行ったときによく似てます。島内もわりと似ていて、ロットネストの波止場付近の観光施設が集まっている部分(東側)はグリーン島に、人が少なく自然の起伏が多い島の西側はフィッツロイに似てるような気がしました。ただ、ロットネストの方が、パースという大都市から近いだけあって、単なる観光だけではなく、古くから地元の人に愛され、よく”使い込まれてる”感じがしました。

 ロットネスト島の地図ですが、これもどのガイドブックにも載っているとは思いますし、島のインフォメーションセンターでももらえますが、一番良くできてたのが、右の地図です。これは貸し自転車屋で自転車を借りるときに、「日本人?だったら日本語のがあるのよ」というので手渡されたものです。ごらんになれば分かるように、普通の白地図に手書きで書き込んでコピーしただけという簡単なものですが、これが一番詳しいですし、よくわかります。字体からいって、まず日本人(それも多分女性)が書いたものと思われますが、おそらく知り合いの日本人に「ちょっと書いて」といって書いてもらったのでしょうか。




 下は、島の波止場、というか桟橋の風景です。写真は、帰るときに撮ったもので、フェリーがたくさん停泊しています。時刻表をよくみると、ロットネストから帰る便は、12時台に1本あったきり午後4時までありません。だから10時くらいに行って、2時あたりに帰ってくるというカジュアルなプランは成り立たず、早く帰りたかったら朝早く行って、昼の12時半までに乗ることになります。でもせっかく40ドルも払って行って昼に帰ってくるのも勿体ないので、結局4時あたりに帰る人が集中し、下の写真のようにちょっとしたラッシュになるわけですね。


 島の中の移動は、もっぱら自転車になります。大きな島でもないからそれで十分でしょう。自家用車の乗り入れは基本的に禁止してるようですし、道も車が走るのをそれほど前提にして作ってるようでもないです。前述のように貸し自転車屋もあり、多くの人が借りてましたが、フェリーにマイチャリンコを積んで持ち込んでくる人もいます。貸し自転車、僕も借りましたが、ギアチェンジがなんかいまいちスッキリせず、ガチャガチャやってるうちにチェーンが外れちゃったりして、僕の借りた一台だけに関する限り、そんなに素晴らしいコンディションではなかったです。あと、小さい島ではありますが、東西で11キロありますから、先端まで行って帰って20キロ以上あります。それなりに起伏もありますから、しっかり準備(水など)をしていきましょう。波止場付近を離れたら、あとはそんなに売店なんかないですからね。






 体力に自信のない人はバスがいいです。バスは二種類あって、乗合バスのように停留所で停まって乗り降りするやつと、あとは周遊観光バスです。おーし、一気にチャリで、、とも思ったのですが、カミさんもいるし、おとなしく観光バスに乗りました。一人20ドル2時間くらいのコースで、まあ楽チンですし、見所は勝手に停まって説明してくれるから、悪いもんじゃなかったですよ。僕らのバスには、チャキチャキしたオバサマがドライバーズガイドをしてくれました(写真下)。





 下の写真は島内の見晴らしのいいところから撮ったものですが、こうしてみると結構広いでしょう?
 写真右は、はるかに望むパースシティです。望遠で撮ってますから、本当にこんなに近く見えるわけではないですけど。



 下の写真左で、海中か突き出している物体は、難破船の残骸だそうです。
 下の写真右端は、オスプレーとかいう海鷲の巣だということです。こういうのって指差して解説してくれないと見過ごしちゃいがちで、その意味でもツアーはそれなりに良かったです。



 フェリーではなく、自分の船でやってくる人も多いらしく、島のあちこちにボートが繋留してました。
 しかし、まあ、海のエメラルド色といい、白いクルーザーといい、絵に描いたような、まるで観光パンフの写真のような風景ですよね。「へー、本当にあるんだ、こんな風景」って感じ。




 以下の写真は、島の先端(最西端)で撮ったもの。ここで20分ほど散策タイムがありました。
 天候に恵まれたこともあって、キレイだったですよ。

 写真下左に写ってるオジサンは、別に知らない人です。水平線とあいまってなかなかいい味出してたので撮っただけです。なんかアルバムジャケットの写真みたいで、個人的には気に入ってます。



 先端の入り江でも、ボートを停めて遊んでいるファミリーがいました。いいよなー、優雅だよなー、どんな金持ちなんだと思いがちですが、別にオーストラリアではそんなに珍しい話でもないし、それほど金持ちでもないと思います。だってボート安いですし(ピンキリだけど車と似たようなもの)、日本のように法外な(といってもいいと思う)係留権費用がかからないし、家の庭や前の道路においておいて日曜になったらゴロゴロ車で引っ張っていけばいいだけですもんね。

 大体、あれだけ海に恵まれている日本で、また自動車会社やヤマハ発動機の本拠地で、どうしてボートという海遊びが金持ちの特権やステイタスシンボルになるのか?そっちの方がむしろ不思議だったりもします。この話は言い出すと、日本の港湾行政とかに話がひろがっていきますので、ここでやめておきます。今週で終わらなければならないのですから。


 さて、ロットネスト島の名前の由来の”ネズミ”であるクォッカです。結構アチコチにいますし、人を怖がらないので近くまで寄って見ることが出来ます。

 ガイドさんの話では(うろ覚えですが)、クォッカに”ジャンクフード”をあげてはならないそうです。消化酵素の関係(?)で、消化できず逆に体内に悪影響を与えて死んでしまうこともあるとか。だから、気楽にエサとかあげてはダメと。ナチュラルなものでないとダメ。英語で”ジャンクフード”といってただけで、具体的には何なのか聞きそびれてしまいましたが、そのジャンクフードを食べて死なない人間ってのは、結構タフなんでしょうね。タフだから世界中に繁殖してるんでしょうけど。

 キレイだから、カワイイからといって勝手に触るな、、、というのは、別の個所でも何度か聞いたことがあります。鍾乳洞のときもそうだったです。人間の手の脂というか、本来鍾乳石が出来るプロセスで予定されてない化学成分が混じることによってダメになってしまう、と。同じく、なんの動物だったかな?えーとちょっと思い出せないけど、ヘタに触ると人間の臭いがついてしまって、仲間のところにいってもハジかれてしまって、孤立して死んでしまうとかなんとか。自然というのは難しいものです。




 ふと見つけたトカゲ君。別にこんなの載せなくてもいいのかもしれないのですが、最初ぬっと首だけ出したときは、蛇かと思ってブキミに見えるのですが、次にチョコンとした前足が見えた瞬間、妙にユーモラスに見えてしまうから不思議です。この印象の妙味みたいなのが面白かったので、二つの写真を載せておきます。


 午後4時の便でフリーマントルに戻りました。
 写真下左。デッキに出てみたら、皆して子供みたいに柵にかじりついて前方を見てたのがなんかおかしかったです。
 写真下中央、パースシティが遠望できます。こんどはさすがに近く見えます。
 写真下右、フリーマントルの港が見えてきました。




 フリーマントルは、ここもまたパース観光の定番スポットらしいのですが、パースの南西約20km、スワン川の河口にある古くからの港町です。古い町なので、当然古い建物も多く、それも観光資源になっているようです。オーストラリアで、インド洋に面して大きな港ということで(パースもいいけど内側に入りすぎてる)、海洋交通の拠点になっていたのでしょう。後日、シドニーに寄航した、日本の南極観測船「しらせ」を見学しましたけど、南極基地からシドニーまで、途中に一回だけ寄航するらしいのですが、そこがフリーマントルだそうです。また、週末にはフリーマントルマーケットという露店が並ぶそうで、これも観光名所になってるようです。

 が、僕らはただスルーするだけでした。僕らのフリーマントルの記憶といえば、日曜の朝、閑散としている町を抜けて波止場に来てフェリーに乗って、またフェリーから降りてきてパース方面に走り去っただけです。ちょっとディープな接点といえば、フェリーの乗る間駐車場に停めていた車が、駐車違反(制限時間オーバー)でチケット切られていたことですね。ワイパーにはさまれた封筒を見たときイヤな予感がしたのですが、まあ25ドルだったのでよしとしましょう。しかし、25ドル、安いですね。シドニーだったら少なくとも66ドルは取られるでしょうに。しかし、見落とした自分が悪いのですが、どこにそんな制限なんか書いてあったのかしら。というか、フェリーは4時過ぎまで帰ってこないんだし、駐車場は朝も夕方もガラガラだったのに、なぜに取り締まる必要がある?どこに車をおいてフェリーに乗ればいいんじゃい?という疑問も湧いたのでした。

 というわけで、僕らにとってのフリーマントルとは、「船に乗って、キップきられたところ」でしかなかったのでした(^_^)。
 右の写真は、フリーマントルの博物館。

 ちなみに、ロットネスト島のホームページはここです。


 Uchino in Mosman Park

 というわけで、数日ぶりにパースに帰ってきました。
 フリーマントルからスワンリバーの橋を渡ってすぐのところにMosman Parkというサバーブがあり、「おや、パースにもモスマンがあるのか」というのは第二回に話しましたから割愛して、そこに日本人がやってるウチノというレストランがありました。そして、そこが中々美味だったわけです。

 「そんなことどーでもいいじゃないか」と思われるでしょうが、まあ、どーでもいいんですけど、でも嬉しかったです。なんでそんな店を見つけて行ったかというと、カミさんがパースの日本語情報誌をゲットしてきて、そのに「ウチノのプリン」という広告を見て、ピピピ!ときたわけです。プリン大好きなんですよ、彼女。それに「ここは美味しいかも」という食いしん坊的直感ですね。で、モスマンパークの駅前にある店に「ここかな?」と入ってみたわけですが、やっぱりアタリだったという。このあたりの感情の起伏と至福感は、カミさんのHPをご参照ください(^_^)。気合が違いますから。

 この店は基本的にはティクアウェイを主体にして、中でも食べられるカフェみたいな店です。テリヤキチキンとスシロールをメインにした「オーストラリアの日本レストラン」ではないです。日本人がやってて、ひじきの惣菜なんかもあるから「日本系」とカテゴライズしただけです。また、テイクアウェイといっても、いわゆるフードコートレベルではなく、きちんとしたレストランレベルのクォリティです。だからケイタリングといった方がいいかもしれない。このような店で思い浮かべるのは、シドニーに”Simmone Logue”という店があります。ここのところ全然更新してませんがAPLaCのレストランガイドにも載せてますし、本家のホームページがここにあります



 で、味は、日本の高級ホテルの味ですね。実際日本で帝国ホテルで腕をふるっていたシェフの方がオーストラリアにやってきて、(シドニーやメルボルンでも仕事してたらしいのですが)今はパースで店を構えているということで、味がもう「あ、これは素人には無理だわ」というプロの仕事になってるという。よくデパートの地下の名店街でホテル系の店がありますが、シェフが自分の店で、自分の一存で、その場で作って出してるだけあって、もっと美味しかったです。僕も下手の横好きで料理するだけに、全然及びもつかないプロの技量を見せ付けられると嬉しくなってしまいます。プラス、ここが大事なところなんですが、値段がリーズナブルなんですね。


 プロと呼ばれるに相応しい技術の持ち主が、手を抜かないで誠実な仕事をしている、しかもぼったくらない。当たり前かもしれないけど、でもとても気持ちのいいことです。個人的にはそういうのが理想ですし、自分もそうありたいと思うし、そういう店を発見すると嬉しくなってしまうのです。「いい仕事をしている人がいる」というのは、励みになりますよね。ちなみに、スタッフの女性の方もキチンと白衣を着てて、おっとりした物腰ながらもしっかりしていて、いい感じだったです。なんというか、東京の山の手、世田谷あたりの住宅街にある、地味だけどセンスが良く味もいいお店みたいな感じです。

 だからですね、不味い店に入ると腹が立つのですね。一生懸命やって不味いんだったらまだ許せるけど、「くそお、手を抜きやがって」という分かってしまう店だとメチャクチャ腹が立つ。そういう店は潰すべきだと思うし、そこをちゃんと潰せるかどうかが消費者の民度の高さだと思うから、その店に来ている他の客にも腹が立つ(^_^)。「おめーら、こんな店、のさばらせてんじゃねーよ」という気になる。もっとも潰すといっても営業妨害とかそういうことじゃないですよ。お客が来なくなって自然に潰れるということですね。ただ、しかし、いい店が残るとは限らないし、宣伝や戦略が上手い方が生き残ったりもするし、正直にやってる店が潰れたりもする。やりきれんよね。そこはもう本当に消費者のレベル次第ですよね。

 なにをムキになって書いてるかというと、よく考えたらこの感情って中学高校の頃から持っていて、根深いんですよね。その頃は味なんか全然わからなかったから(30歳過ぎてからでしょう、多少わかるようになったのは)、対象は音楽だったです。本物のロックの音を鳴らしてるバンドが全然売れなくて、アホみたいな歌謡曲が売れたりしてるから、「俺は、なんという阿呆な国に生まれてしまったんだ」と悲しいやら、腹が立つやら。こういう感情が根底にあるから、ウチノみたいな店に出会うと、普通の人よりもうれしいのかもしれません。

 でも、マジに思うのですが、日本なんかもう経済的に行き着くところまでいってますし、量的発展や量の増大による幸福は望めないわけですから、次のステップに行っていいと思うのですね。量の次は質的向上なんだけど、要するに今あるものを洗練させていくことですね。新しいからイイってもんじゃなくて、高いからいいとか、有名だからとか、流行ってるからとか、純粋にその物自体の質がいいから受け入れられるという。だけど、これは厳しいですよ。物自体の純粋価値を見出せるかどうか、なによりも消費者にシビアな選球眼が求められるし、それを養うためのハードな勉強が求められるし、もっと言えばいい加減に生きているかどうかが問われるわけですから。物の価値以外の付加価値(流行ってるとか、ブランドだとか)で踊るのは、本質的に貧乏人のやることだと思います。なんだかんだいって日本人金持ちなんだから(世界レベルでいえば)、同じ金持ちでも、資産家としてレスペクトされるか、それとも単に成金といって馬鹿にされるか、そういう岐路にいると思います。



スカボロービーチ/Rendezvous Observation City Hotel
 今晩の宿は、再びサンセットコースとに戻ってきて、スカボロービーチにそびえ立つRendezvous Observation City Hotel という堂々の5つ星の高級ホテルです。ここもエンターティメントという割引(第一回参照)を使えば半額になるから、パース最後の宿でもあるし、いっちょ張り込んでバーンと思ったわけですね。

 しかし、結論的に言えば、まあ、そんなに大したことはなかったです。確かにスカボロービーチにここだけが郡を抜いて高層ホテルであり(遠くからでもよく見える)、ホームページを見てもいかにも高級感バリバリですし、設備や調度などを考えれば5つ星というのも分からないではないです。でも、サムシングがない。なんというか、今ひとつテンション甘くて、気品に欠けます。

 まずホームページで予約したのですが、ブッキングに対してコンファメーションメールが来なかったのはここだけです。あとの宿は全部確認メールがきました。また、割引チケットがつかえるかどうかも聞いているのに返事なし。結局、ぶっつけでカウンターで聞いたら、使えるには使えるけど条件の関係(詳しくは忘れた)で完全に半額になったわけではなかった。それはまあいいのですが、だったらメールで事前に言えよって気もします。

 このホテル、スカボロービーチのコンプレックス(商業施設)の上にそびえています。だから下の方は地元の若い人などが群れてて、酒飲んだり、遊んでたりします。こういった商業施設は嫌いではないですし、見方によっては便利なんでしょうが、騒々しいし、落ち着かない。地下駐車場も共同駐車場ですし、雰囲気そこらへんのスーパーの駐車場と同じだし、なにより駐車場からロビーや部屋に直行できるエレベーターが無くて、途中で降りてゴロゴロ荷物を引っ張っていかねばならないのが面倒臭い。さらに、ホテル客でも割引とはいえ駐車料金を払わされるという。レセプションも無愛想なねーちゃんで、ヘルプフルではないし。

 ラウンジにはグランドピアノがあって生演奏やってたり、レストランはあったり、それなりに品格を保とうとしてるんだけど、うーん、成功してるのかなあ。何といいますか、ローカルの歓楽商業施設に過ぎないものを「高級っぽいイメージにまとめてみました」的なあざとさがソコハカとなく感じられたりして。部屋も別に悪くはないのですが、特に「おお」ということもなく、「むむ、気が利いてるな」というものもない割には、別料金のミニバーばかりがやたら充実してるという。

 そう、まるでパックツアーで泊まるホテルなんですね。ポリシーもなければ、キャラクターにも欠ける、マケーティング主導のありふれた5つ星ホテルです。こういうホテルはどこにでもあります。シドニーにもあります。大手旅行会社と提携しての大量客処理集金システムみたいなものですね。かなり酷評してますけど(^_^)、私見ですが、一流ホテルを標榜したかったら、ちゃんと顔とキャラが見えないとダメだと思います。オーストラリアでも、いい宿だったらちゃんとスタッフにプライド持たせる教育してると思いますが、ここではそういう一種気持ちよく張り詰めた空気は薄いように感じられました。今までの宿はそれなりに味がありましたが、最後の最後で一番テイストレスなところになってしまいました。ただ、階は上の方だったので、眺めは良かったですよ。だから、多分真正面が海の部屋で、燃えるような夕焼けを見たら、また違った感想を抱いたのかもしれないのです。



 駅前の小さな惣菜屋さんを激賞して、誰もが認める5つ星ホテルを酷評してるワタシは何者でしょう?って気もしますけど、それが、まあ「好み」というものであり、偏見バイアスばりばりかかった私見というものです。妙に中立ぶらないで、これだけバイアスかかってたら逆に読むほうも分かり易いと思います(^_^)。


SwanValley

 最終日です。午後二時過ぎには空港行ってレンタカーを返さねばなりませんから、この日はそう大したこともできません。パースシティを車でぐるっと廻って、方向が空港と同じということでワイナリーの多いスワンバレーまで足を伸ばして、ランチを食べて来ました。

 スワンバレーも定番観光地ですから、ガイドブックにいくらでも載ってると思います。スワンバレーのインフォメーションセンター”Guildford and the Swan Valley”のHPはここにあります。

 ワイナリーの良し悪しを計る尺度も自分は持ち合わせていませんし、仮にワイナリーエリア鑑定眼を持ってたとしても、ぶらっと行ってランチを食べただけなので計るべき時間もありませんでしたから、スワンバレーがオススメなのかどうか全然わかりません。しかし、特筆すべき点は「都市から近い」ということでしょう。なんせパースシティから車で20-30分でしかかかりません。空港からだったら本当に10分かそこらで着きます。あまりに近いので、ちょっとびっくりしました。これだけ近いというのはポイント高いです。特に僕らのように飛行機の時間が午後3時とか中途半端な場合には、空港近くのスワンバレーをドライブするのもいいと思います。

 さて、スワンバレーと呼ばれるエリアに着きましたが、やることはひとつ、美味しいランチを食べることです。なんか食べてばっかりですが(^_^)。これがワイン通ならばいろいろ見学したり話を聞いたりして面白いのでしょうが、それほど詳しくない我々にとって、ワイナリーエリアというのは要するにブドウ畑の広がるただの田舎です。見る分にはシドニーのハンターバレーだろうが、マーガレットリバーだろうが大差ないです。分かり易い楽しみといえば、のどかな田園風景を見ながら美味しいものを食すると、こういうことなるわけです。

 そうはいってもどこでランチをやってるのか単に車で走ってるだけではよく分かりません。そこで、スワンバレーのとっかかりのGuildfordというところにあるインフォメーションセンターにいって、ランチの美味しいところを教えてもらいました。こういうのは地元の人に聞くに限るのは、マーガレットリバーでも経験済です。右の地図は、観光マップに、オススメお食事処をボールペンでシルシをつけてもらったものです。インフォーメーションセンターの現在位置は、地図右下隅です(”GUILDFORD"と書いてある”D”の字の上にボールペンでシルシがつけられているところ)。

 時間も迫ってたので、手近なところで、Riverbank Estateというところにいきました。食事もしっかりしていて、眺めがいいということで。たしかに食事も美味かったし、スタッフも対応もフレンドリーでよかったです。なお、右の地図では道路の左(北)側にあるようですが、レストラン施設は右側にありました。眺めはですね、素晴らしい景観がひろがってるというのではなく、ブドウ畑が広がっているという普通のほのぼの系のものです。それでも、ぼーっと眺めながら食事するのはいいものでした。時折上空を飛行機が通過して(空港が近いのですね)、「ああ、もうすぐアレに乗るのね」とか思いながら食べてました。

 観光客でひしめきあってる、、なんてことは全然なくて、月曜日ということもあったのでしょうが、最初は僕らだけで、そのうち地元のお母さんの友達連中が乳母車を押して、お喋りに来ていました。いいよね、こんなところでのんびりランチ&おしゃべりできるなんて。





 Perth まとめ

 というわけで延々続いてきたパース特集も今週でおしまいです。書いてる僕も飽きてきましたし、読んでる皆さんもそうでしょう(^_^)。最後にシメを書きます。

 パース旅行中、寝しなにベッドで読むために村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を持っていきました。で、そこに出てくる「世界の終わりの町」というのと、パースが妙に重なって感じられたのですね。すごく静かで、平穏で、透明で、すべてに完璧にバランスがとれていて、だけど閉ざされている。

 こう書いてしまうとパースの人々に反発を食らうのは承知の上ですし、およそ平穏な地方都市というのはそういうキャラクターを持つのかもしれません。しかし、そう感じてしまったものは仕方がないし、妙にとりつくろって毒にも薬にもならないことを書くのは、このエッセイの性質上期待を裏切るでしょうから、率直に書きます。

 兼高かおるが「世界で一番住んでみたい町」と言ったとか、住みやすい/住んでみたい町人気度が世界一とか、パースにはいろいろな誉め言葉があります。それはすごく分かります。パースは大きさといい、便利度といい、自然環境といい、すべてにおいて手ごろです。都会というものは、大きいからなにかと便利というポジティブ面と、大きいから(人が多いから)環境が悪い(=自然、公害、犯罪など)というネガティブ面とがあります。パースというのは、都会のポジティブ面を持ち合わせながら、ネガティブ面が目立ってくる直前で止まってるような規模です。

 摩天楼もありますし、世界的な観光地でもあるから、田舎過ぎて寂しいってことはないです。でも、都会のイヤな側面は少ない。シドニーに比べれば道は全然空いているし、都市計画もけっこううまくいってるようですし、人情的にもそんなにギスギスしてるようでもないし。一方、自然やレジャー資源は豊富すぎるくらい豊富です。人口ひとりあたりの”きれいなビーチ”面積はかなりのものでしょうし、そこにインド洋が真っ赤に染まって夕日が落ちていくのですから文句のつけようもないです。前述のように、車で30分も走らないでワイナリーやらブドウ畑が広がり、至近距離にロットネスト島のような格好のリゾートアイランドがあり、さらにイルカ系もロックハンプトンやマンジュラーがあり、マーガレットリバーがあり、森林地帯があり、、、、、海が好きで、森が好きで、ワインが好きな人が、よく走る車を買って住んだらこたえられないでしょう。

 だから世界一住んでみたい町ってのはよく分かります。
 でも、そんなに皆住んでみたいんだったら、パースは世界で一番人口が多くなってないと嘘じゃないスか?なんでこの程度の規模なの?そこがひっかかる部分なんです。「住んでみたい」って言う人は、多分住んでないからそう言うんじゃないかな。ワーホリさんに人気があるというのも分かるけど、でもそれは1年で日本に帰るからじゃないですか。一生そこに住めと言われたらどうですか。

 パースに居て思ったのは、「俺はなぜオーストラリアに来たのだろうか?」ということです。もしオーストラリアに来た理由が、日本よりも豊かでリラックスできる住環境があり、よりナチュラルな”生”を実感させてくれるということ「だけ」だったら、シドニーよりもパースの方がその条件を満たしているようにも思います。しかし、僕が来たのはそれだけではないです。というか、そういう楽隠居的なものはあまり求めてなかったです。個人的には、海外初心者がいきなり住み着くというショック療法を施して、多忙さにかまけて見失いそうになっていた自分自身を奪回するというのがメインの目的であり、その意味でいえばアラスカでもブラジルでもどこでも良かったです。「自分の肉体以外は全部未知の環境」という宇宙空間みたいな状況がほしかったのだから。

 それに加えてオーストラリアを選んだのは、世界史の最先端をいってると思ったからです。オーストラリアはG8にも入れませんし、サミットにも入れてもらえてない、ハッキリいって1.5流の”一応”先進国です。世界を地域別に並べても=世界地図帖を開いても、世界地理の教科書を見ても、オセアニアというのは南極のひとつ手前くらいに置かれている、「世界の窓際族」みたいなもんです。それがどうして最先端?かというと、昔々に雑記帳で書いたと思いますが、異民族たちが上手くやっていく社会モデルという意味で最先端だと思うのです。話を大きくすると、人類の歴史や文明なんてのは、「いかに他人とつきあっていくか」に尽きると思うのですね。これまでの流れは、「強い者が弱い者に勝って、従わせる」という系統がメインだったように思います。弱肉強食ですね。それではあんまりだから、正しい/正しくないという修正原理を持ち込んでバランスをとろうとしますが、実態的には往々にして強いヤツが正しい・正しくないの基準を作って押し付けるから、結局、強さと正しさはリンクしてしまったりします。そして、その極致をいってる国がアメリカなのでしょうし、今回のイラク戦争なんかもその問題がよく出てるのだろうと思います。また経済のグローバライゼーションなんかも同じ文脈だと思います。より巨大で強い企業が勝ち組になって仕切っていく、、ということでいいんか?と。

 僕は思うに、こういうシロクロをつけるというか、違うモノはまず対立構造になって、強さないしは正しさで、どっちかがどっちかを従わせ、統一していくという流れ、大げさに言えば人類史の流れは、もういい加減止めたらいいんじゃないかと。違っていたら、違っていたままほったらかしにしててもいいんじゃないかと。違ったものにムカつくのではなく、違ったものを面白がるという精神の余裕をもってもいいんじゃないかと。じゃあ、それに代わるポリシーや実践はあるんか?というと、オーストラリアがそうではないかと思うのですね。

 オーストラリアのマルチカルチャリズムは意図してその方向を目指していますし、それはある程度成功していると思います。その意味でオーストラリア社会というのは、人類最先端の実験室と言われたりもするのですが(僕が言ってるのではなく、ちゃんとそういうことを言ってる文献もあった=具体的には忘れたけど)、そういう最前線に居合わせてみたい、と思ったのですね。それは単一民族社会的な日本では体験も学習もできないことですし。

 で、オーストラリアがある程度成功してるその秘訣は何なのかというと、「人の良さ」だと思うのですね。のんびりスクスク育って、気は優しくて力持ち的な、まるで金太郎のような「のほほんパワー」みたいなものじゃないかと。別の個所でもよく書きますし、オーストラリアのレシピーというのは「70%マジメにやって30%いい加減」だと僕は感じるのですが、このレシピーというのが、生理食塩水のように人間の生体に馴染むのではないかと。つまり10日学校にいくとして、7日はマジメに定刻にいくけど、3日くらいはちょっと遅刻しちゃうというくらいの感じ。逆にいえば、10日のうち3日くらい遅刻してもあまり文句を言われない社会ということです。

 これが100%キチンとやれと言われると疲れます。日本がそうですけど、10日のうち10日キチンとしろというのは、単に3日分増えるだけではなく、全体に何かが変わるのだと思います。どのような事態が発生しても必ず正確にやれとなると、常日頃の緊張度は倍増するでしょうし、キチンとやることが自己目的化していって、なにが大事なものを見失う恐れもあります。反面、70%いい加減だったらダレてきます。気持ちのいい秩序というのが崩壊して、社会それ自体が機能不全になりがちです。他人の言うことも全然信用できなくなってくるから、それはそれで疲れる。だからこのオーストラリアの7:3くらいの割合が人間にとって丁度いいんだろうなと。だからこそ、敬虔やイスラム教徒も、バリバリの華僑も、神経質な日本人でも、オーストラリアに住んでるうちに、段々と皆さん「オージー化」していくのでしょう。このあたりのことを考えたりするのが僕には面白いのですね。「うーむ、なるほど、そういうテがあったか」と。文化や民族の違いにピリピリ過敏になるのではなく、逆に「ふーん、そういうのもあるんだ」くらいに流しておきつつ、「でも、たまにはサボりたいよね」というあまりにも「人間的な」部分で知らず知らずのうちに連帯していくという(^_^)。

 今シドニーは日本化が進んでます。日に日に道路は渋滞し、滅多に聞かなかったクラクションもしょっちゅう聞きます。「皆さん溜まってるんだなあ」と思います。ギスギス度が高まり、バブルに踊って借金まみれになってます。このギスギスは、経済的効率性というものが僕らの生活を支配している以上、不可避的に生じ、そして上昇するものなのかもしれません。で、このギスギスが勝つか、それともオーストラリア生来ののほほんパワーが勝つか、非常に見物だと思っています。

 僕がパースの素晴らしさを愛でながらも、いまひとつ「おおっ、ここじゃあ!」って気になりにくかったのも、こういった最前線的なバトルが見えにくかったからかもしれません。パースとて同じ戦いはあるのでしょうし、もしかしたらシドニーよりも別の意味で熾烈かもしれません。ただ、短時間ということもあって僕にはよく見えなかった。

 それとやっぱり僕は人間社会がもつ猥雑さというのが好きなのでしょう。パースはいいのだけど、猥雑さに欠けるきらいがあります。まあ、猥雑さが少ないから環境がいいのでしょうけどね。でも、僕には猥雑な感じが好きなんです。それはつまり、僕自身が、自然よりもまだ人間の方に興味があるからなのでしょう。いずれまた、「もう、そういうのはいいや」と思える時がくるかもしれません。そうなったらパースに移るかもしれませんね。でも、タスマニアもいいなあ。

 最後の最後に、ワーホリとしてパースに行くのはどうか?という点を述べます。
 パースの人はシドニーよりも人がいいとは思いますし、自然も豊富ですし、適当に小さいから住み易いと思います。ワーホリで来られる人のかなり部分が日本人同士寄り添って終わってる現状=それはそれだけ言葉の壁が厚いということで、皆が根性なしだからではないですが、こういった現状を素直に見つめるならば、オーストラリア社会にすっと入っていけるだけの英語力と人間的対応力がないと、結構居場所ないかも、って気もします。ノースブリッジとバラックストリートとヴィクトリアンテラスあたりを徘徊して、適当に観光してそんで終わるかも。

 シドニーはまだ日本人多いですし、日本人以外のエスニックパワーも非常に強いですから、社会の中にヒダが多い。つまり陰影が多く、窪地も多いから、いろんな風景、いろんな出会いやとっかかりがあります。町が大きく、人が多種多様な分だけ、チョイスの幅は広い。広いだけに、逆にいえばものすごく微温湯的な環境に留まることも出来るし、ものすごくディープなところにもいける。

 コピー的にいうなら、オーストラリアにワーホリに行くその原点が、「オーストラリアに行きたいのか」それとも「”海外・外国”に行きたいのか」です。いわゆるオーストラリア的なるものは、パースの方が手付かずで残ってますしアクセスもしやすいと思います。人にせよ、自然にせよ。しかし、”海外”という予測不能なカオス的なるものを求めるのでしたら、シドニーの方がワケわからん部分が多いし、「変」なので面白いと思います。あるいは、「多少退屈でも気持ちいい方がいいのか」「多少不愉快でも面白い方がいいのか」とも言えるでしょうか。結構究極の選択っぽいですけど、ぶっちゃけそんな具合に思いますです。

 ところで、シドニーでも車で2−3時間もいけば、すぐにパースなんかぶっ飛ぶくらいのド田舎になります。オーストラリアの圧倒的大多数の土地からしたら、パースもシドニーも都会ですから、どっちもどっちと言えなくもないです。





 なお、同行したカミさんの方も自分のホームページで旅行記を書いてます。同じモノを見てても別の人が書くとまた意見も感想も違うし、併せて読むと立体的に、ステレオになって面白いと思います。今回述べたあたりの該当個所は、http://yuu-au.web.infoseek.co.jp/yuu/perth6.htmlと、http://yuu-au.web.infoseek.co.jp/yuu/perth7.htmlにあります。







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